僕がいて、君がいて
 
第六章「秋の夜長に君を想う」
 
 一
 夏休みが終わり、またいつもの生活が戻ってきた。
 それは一高も同じで、九月一日には校長講話のあと、しっかりと実力テストが行われた。もっとも、二期制の一高にとっては、九月はテストがもう一回あるため、生徒はうんざりというところだろう。
 一年の間にもそろそろ学校生活への『慣れ』が出はじめてくる。それは時にはいいことなのだが、時には悪いことにもなる。ただ、そんな頃を見計らってテストがある一高は、少々厳しいかもしれない。
 吹奏楽部では、関東大会に向け最後の追い込みに入っていた。本番は九月十三日。関東大会の二日目である。普通なら前日などに練習などはほとんどできないのだが、今年は地元開催ということもあって、比較的有利だった。ただ、そのような差は、本当に実力のある団体にはあまり関係ない。それまでがすべてなのである。
 その日も放課後目一杯使って練習が行われていた。
「本番まであと一週間。今の段階でこのできというのは、微妙ね」
 そう言って菜穂子はため息をついた。
「あともう少し、あともう少しインパクトがあるといいんだけど」
 部員からは、なんの声も上がらない。
「……そうね、少し試してみましょうか」
 菜穂子は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「全員、譜面を閉じて」
 言われるままに譜面を閉じる。
「当然暗譜してるはずよね? それと、チューバ以外は立って」
 さらにチューバ以外を立たせる。
「じゃあ、それで通してみるわ。いつもと少し気分が違うと、演奏まで変わるかどうか」
 そして、十二分がはじまった。
 基本的には差はない。それはそうである。やっていることは同じなのだから。ただ、暗譜でやっているということと、立って演奏しているということで多少表現の面で違う部分が生まれていた。
 それを聴き、菜穂子はうっすらと笑みを浮かべた。
「なるほど。なかなかいい感じだわ。暗譜ということで多少怖じ気づいてる部分はあるみたいだけど。でも、それ以上に思い切ってできてるわ。開き直り、って言うのかしら。うん、決めたわ。関東大会本番は、暗譜でいきましょう」
 それにはさすがの部員からも声が上がった。
「今更でしょ? 譜面なんかただの精神安定剤でしかないんだから。それがなくてもできることに変わりはないんだから」
 どうやら、撤回する気はないらしい。
「じゃあ、今日の合奏はこれで終わり。おつかれさま」
『おつかれさまでした』
 さっきまでの渋い顔から一変、菜穂子は笑みを浮かべて音楽室を出て行った。
「うげぇ、暗譜か」
「まあ、しょうがないか」
「それで全国に行けるなら、しょうがないでしょ」
 口々にとりあえず認める声が上がる。
「はいはいはい。ちょっと聞いて。今先生が言ったことは、たぶんもう覆らないから、まだうろ覚えなところがあったら、きちんと覚えておいて。いいわね?」
『はいっ』
「じゃあ、おつかれさま」
 ともみの挨拶で、その日の部活は終わった。
 
「はあ、結構厳しいね」
 そう言って柚紀はため息をついた。
 いつもと同じように、圭太は柚紀と一緒に帰っていた。
「まあ、しょうがないと思うよ。実際、先生の言ったことは間違ってないから。それに譜面があるとそれに頼っちゃうんだよね。そのせいで演奏に幅がなくなったりもする。もちろんプロならそういうことはないけどね」
「ん〜、なんとなくはわかるんだけどね。ほら、ピアニストも同じだから」
 一流のピアニストはほとんどの曲を譜面なしで弾く。
「ま、いっか。譜面は覚えてるしね」
 と、渋面から一転、柚紀は笑顔になった。
「ねえねえ、圭太」
「ん?」
「明日、デートしよ」
「デート?」
「うん。土曜日でしょ? 部活も午前中だけだし。ね?」
 柚紀は圭太の腕を取りながら、上目遣いに見上げる。
「そうだね、明日は特になにもないから、いいよ」
「あはっ、ホント? よかった」
 パッと顔を輝かせ、柚紀は圭太に抱きついた。ここが公道であることなどお構いなしである。
 それから少し歩き、大通りまで出てくる。そこで柚紀はバスに乗る。
 だが、バスの時間までまだ少しあった。
「はあ、明日は楽しみだなぁ」
「どこか行きたいところとかあるの?」
「別にこれといってないんだけど。まあ、帰ってからどこかないか探してみるよ」
「うん、そういうのは柚紀に任せるよ」
「お任せお任せ」
 笑いあうふたり。
 道路の向こうから、バスのライトが見えてくる。
「じゃあ、圭太。また明日ね」
「うん、また明日」
 もうおなじみになってしまったが、キスを交わす。
「バイバイ、圭太」
 圭太は、バスがちゃんと走り去るまでそれを見送った。
「さてと……」
 カバンを持ち直し、圭太も家路に就いた。
 
 次の日。
「なに浮かれてるの、柚紀?」
「……浮かれてなんかないわよ」
 柚紀は、視線を逸らしながらそう言った。しかし、咲紀は追及の手を緩めなかった。
「まあ、あんたが浮かれる理由なんて、ひとつしかないと思うけどね」
 ニヤニヤと笑い、咲紀は続ける。
「彼、でしょ?」
「……だったらどうなの?」
「あら、開き直ったの?」
「開き直ったって、人聞きの悪い。それにね、お姉ちゃん」
 柚紀は、盛大にため息をついた。
「なんで私と圭太のことをそこまで言われなくちゃならないの? お姉ちゃんだって正久さんがいるでしょうが」
「あいつは関係ないでしょ。それに、あたしのことよりも柚紀の方が面白いのよ」
「お、面白いって……」
「それにほら、なんだかんだ言ってもあたしとあいつはつきあいが長いし。だからもう聞き飽きたでしょ?」
「それは、そうかもしれないけど……」
「だから、柚紀なのよ。なんかさぁ、初々しいんだか大胆なんだかさっぱりわからないところが面白いのよ」
 そう言って咲紀は笑った。
「で、今日はお泊まり?」
「できるわけないでしょ?」
「あら? どうして?」
「そりゃ、お父さんもお母さんも許してくれないだろうし」
「許してくれないって、すでに外泊してるでしょ、あんたは」
「うぐっ……」
「まあ、うちの場合はお父さんが拒んでもお母さんさえ認めれば、全部問題なしだからねぇ」
 しみじみとそう言う。
「あと、泊まる場所がないから」
「泊まる場所? ないの?」
「あるわけないでしょ? 圭太の家だってみんないるし」
「だったらホテルは? 多少お金はかかるとは思うけど、泊まれるし」
「私たち、まだ高校生なんだよ? さすがに泊まりでホテルは無理」
「なるほど。そうるすと、ん〜、確かにないわね」
「もう、なんでお姉ちゃんがそんなに一生懸命になるわけ?」
「あら、その理由を言ってもいいの?」
「ど、どういう意味よ……?」
 またもニヤニヤと笑う咲紀。柚紀は、かなり及び腰になっている。
「淋しいんでしょ?」
「えっ……?」
「体がうずくんでしょ?」
「ま、まさか……」
「ん〜、ちょっと声が大きいわよ、あんたは。別にひとりエッチするなとは言わないけどね」
「っ!」
 柚紀は、真っ赤になって、でもなにも言えない。
「でも、もう少し本能を抑え込まないと、単なる淫乱娘になっちゃうわよ?」
「……だけど」
「淋しいのはわかるわよ。それに、彼のことばかり考えちゃうのもわかる。でも、それは甘えでしかないわ。もう少し自分を抑え込んで生活できないと、これから先困るわ」
 咲紀は、ポンポンと柚紀の肩を叩く。
「それとも、さっさと一緒になっちゃう? そうすればそんな想い、することもないし」
「…………」
「ああ、ほらほら、そんなにマジにならないの。それに、そういうのはある程度は時間が解決してくれるわ。慣れ、っていう時間がね」
「……お姉ちゃんは、どうだったの?」
「あたし? そうね、あたしも最初はそうだったかも。でも、今はどうってことないわ。少しくらい離れていても大丈夫だし。それも慣れだと思うわよ。まあ、みんながみんな、そうだとは限らないけど」
「そっか……」
 柚紀は、小さく頷いた。
「いずれにしても、すべては柚紀の想いや気持ち、考え次第だと思うわよ。それくらいはわかるでしょ?」
「うん」
「なら、あんまり悩まないこと。エッチしたいならすればいいし。ただし──」
「ただし?」
「ホントに避妊だけはちゃんとしないと、とんでもないことになるわよ」
「それは、大丈夫、だと思う……」
「だと思うって、あんたまさか、生でやってるの?」
「い、一応生理前だったから……」
「はあ、この子は……」
「だ、だって、圭太をそのまま感じたかったっていうか、その……」
「はいはいはい、言い訳はいいの。だけどね、柚紀。万が一妊娠したらどうするの? あんたにも彼にも育てていけるだけの余裕はないでしょ?」
「…………」
「命を作り出す行為をしてるんだから、そのあたりは少し真剣に考えた方がいいわよ」
「……わかってる」
「そ、ならいいわ。ほら、そろそろ行く時間でしょ?」
「あ、うん」
 柚紀はふらふらとカバンを持ち、出かけていった。
「まさか柚紀があそこまでになっちゃうとはね。末恐ろしい子だわ、高城圭太くん」
 そう言って咲紀は、楽しそうに笑った。
 
 部活が終わったのは、もうすぐ一時になろうかという頃だった。
 圭太と柚紀は、とりあえず圭太の家に向かっていた。
「柚紀」
「…………」
「柚紀」
「……えっ、あ、なに?」
「どうしたの? 調子悪い?」
「う、ううん、そんなことないよ」
 柚紀は慌ててそれを否定する。しかし、その表情は晴れない。
 とりあえず圭太もその場ではそれ以上追求しなかった。
 家に着き、柚紀は以前と同じように琴絵の部屋で着替えをすることになった。
「じゃあ、僕は隣にいるから」
「……待って、圭太」
 柚紀は、圭太を呼び止めた。
「どうしたの?」
「……少し、話があるの。いいかな?」
「うん。あ、じゃあ、僕の部屋に行く?」
 場所を圭太の部屋に移す。
「それで、話って?」
「……あのね、今朝、お姉ちゃんに言われたの」
「咲紀さんに?」
「自分を抑え込まないとこれから困ることになるって」
「えっと、それはどういう意味?」
 要領を得ない話に、圭太は首を傾げた。
「……私ね、毎日ってわけじゃないんだけど、体がうずいちゃって、その、ひとりでしちゃうの。自分でも抑えが効かなくなってるのはわかってる。でも、ダメなの」
「柚紀……」
「圭太に抱きしめてほしい、圭太に抱かれたい、圭太に気持ちよくしてほしい。そればかり考えてしまって。気がついたら、してるの」
 柚紀は、俯きがちにそう言う。その顔には、あまり表情がない。
「ねえ、圭太。私、ダメなのかな? お姉ちゃんは、そういうのは慣れだって言ってたけど」
「そんなことないよ」
 圭太は、そう言って柚紀を抱きしめた。
「柚紀がそこまで僕を求めてくれるのは、僕にとっては嬉しいことだから」
「でも、それだけじゃ……」
「うん、そうだね。でも、だからってどうにかなる問題かな? 僕にはそうは思えない。良いとか悪いとか、そういう問題でもないし」
「だったら、どうすればいいの?」
「今までと同じだよ。無理して変わる必要はないよ」
「でも、私は自分を抑えきれないし……」
「だったら、僕を求めてよ」
「えっ……?」
「僕はね、柚紀のためになんでもしてあげたいんだよ」
「圭太……」
 圭太の優しい笑みに触発されてか、柚紀は泣き出した。
 圭太は柚紀の髪を、背中を優しく撫でる。
 どれくらいそうしていただろうか。
「落ち着いた?」
「うん……」
 柚紀は、圭太の胸の中で小さく頷いた。
「ごめんね、圭太」
「ううん、気にしてないよ」
「……ホント、ダメだね、私。圭太に迷惑かけてばかり」
「僕は迷惑だなんて思ってないよ」
 柚紀が言葉を発する側からそれを否定する。
「ホント、圭太は優しいね……」
「柚紀には特にね」
「うん……」
 そう言って柚紀は圭太にキスをした。
 と。
「えっ、圭太……?」
 圭太は、そのまま柚紀を押し倒した。
「柚紀が、ほしい」
「圭太……」
「いい?」
「いいよ。今日は、圭太の好きにして……」
 
「あっ、あっ、あっ、いいっ!」
 部屋の中に、淫靡な音が響く。
「ダメっ、またイっちゃうっ!」
 そして、ひときわ高く啼いた。
「ああああっ!」
「くっ……」
 白濁液が、柚紀の真っ白な腹部に飛び散った。
「はあ、はあ、はあ……」
「はぁ、はぁ、はぁ……」
 圭太も、力を使い果たしたように、柚紀の傍らに倒れ込んだ。
「圭太……」
 柚紀は、そんな圭太の髪を、慈しむように撫でる。
「圭太は──」
「ん?」
「私の特効薬だね。落ち込んだ時、悩んだ時、悲しい時、淋しい時。どんな時でも私を助けてくれる」
「そうだといいけど」
「ううん、大丈夫。もう、すでにそうなんだから。今だってそう」
「今日は、僕が柚紀を抱きたかったんだよ。それだけ」
「うん、そうだね……」
 柚紀は小さく頷き、よろよろと起き上がった。
「ふふっ」
「どうしたの?」
「あのね、お姉ちゃんにもうひとつ言われたことがあったの」
「それは?」
「ちゃんと、避妊しないとダメだって。万が一子供ができても、私にも圭太にもその子を育てるだけの余裕はないだろうって。命を作り出す行為をしてるんだから、それは真剣に考えなくちゃダメだって。でも、私よりもお姉ちゃんよりも、圭太はちゃんとわかってた。だから、安心したの」
 そう言ってお腹についている精液を指で撫でた。
「私ね、本当のこと言うと、本当に子供ができてもいいと思ってたの。たとえ育てるのがどんなに大変でもね。その子は、私と圭太の子供なんだから。だって、私と圭太が愛し合った結果なんだから、それを望んだっておかしくないと思うし」
 でもね、と言って柚紀は微笑んだ。
「もう少しの間は、圭太とふたりだけがいいから。子供は、お預け」
「柚紀……」
「だから、これからは少しだけ気にかけてエッチしないとね」
「そうだね」
 吹っ切れた様子の柚紀に、圭太も嬉しそうに微笑み返す。
「あっ、そうだ」
「どうしたの?」
「デート、どうしよう?」
「デートは、また次回でいいんじゃないかな。いつでもできるよ」
「うん、そうだね。そのかわり、今日は圭太にいっぱい愛してもらったから」
 本当に嬉しそうにそう言う柚紀。
「でも、圭太もやっぱり男の子だよね」
「えっ……?」
「だって、制服のままエッチするんだもん」
「あ、あれは、その……」
「ううん、別にダメだ、とか、イヤだ、とか言うんじゃないの。それはそれで新鮮でよかったし。ただ、圭太はそういうのとは無縁なのかなと思ってただけだから。それが人並みでよかったって思ってるの」
「…………」
 圭太は、柚紀の言う通り最初は制服のままエッチをした。それから服を脱がせて二回ほど。
「圭太がね、私のためになんでもしてあげたいと思うのと同じで、私も圭太になんでもしてあげたいの。それは、エッチでもそう。圭太が望むなら、どんな格好でもするし、どんな場所ででもする。それだけは覚えておいてね」
 そう言って柚紀は笑った。
「さてと、そろそろこの格好はまずいよね。琴絵ちゃんだっていつ帰ってくるかわからないし」
「……ねえ、柚紀」
「うん?」
「今日は、泊まっていかない?」
「えっ……?」
 
 夕方、琴絵が部活から帰ってきた。
 家に柚紀がいること自体は最近では珍しいことではなかったので、気にしていなかったが、それが泊まっていくとなると話は変わった。
「あの、えっと、お兄ちゃん?」
「ん?」
「その、泊まるって、えっと……」
「文字通りの意味だけど、それが?」
「あ、うん、なんでもないよ……」
 そう言って琴絵は複雑な表情を浮かべた。
 たとえ兄とその彼女の関係を認めたとはいえ、未だにその想いは強い。以前のように夜遅いから泊まる、そういうのとは今回は違う。明らかに、そういうために泊まるのだ。
「ごめんね、琴絵ちゃん」
 柚紀は、琴絵の隣に座り、その頭を撫でた。
「私がワガママ言っちゃったから」
「あ、いえ、柚紀さんのせいじゃないですよ」
 琴絵は、慌てて頭を振った。
「今日はね、ちょっと気持ちが落ちちゃっててね。それで、圭太に誘われたの。泊まっていかないか、って」
「えっ、お兄ちゃんが?」
「うん」
 柚紀は、嬉しそうに圭太を見た。
「以前なら望んでも言ってくれなかったのにね」
「そっか、お兄ちゃんが……」
 柚紀の言葉を受け、琴絵は圭太と柚紀の顔を交互に見た。そして──
「わかりました。今日はお兄ちゃんから誘ったということで、私も全面協力します」
「全面協力?」
「はい。今日は私、下で寝ます」
「えっ……?」
「だから、えっと、その……え、遠慮しないでください」
 琴絵は真っ赤になりながら、そう言った。
「琴絵ちゃん……」
「わ、ゆ、柚紀さん……?」
 柚紀は、琴絵を抱きしめていた。
「もう、琴絵ちゃん可愛すぎだよ〜」
「え、えっと……」
 琴絵は、困惑した表情を浮かべ、圭太を見た。圭太は、黙って頷くだけ。
「ん〜、いい子いい子」
 本当に嬉しそうな柚紀を見て、琴絵も自然と表情が和らいでいた。
 
「はい、これで終わりです」
「ありがとう、柚紀さん」
 琴美はそう言って微笑んだ。
 少し遅めの夕食を、柚紀を交えてとったあと。
 琴美が食器を洗っているその隣で、柚紀がその食器を拭いている。後ろから見ていると本当の親子のようにも見える。
「柚紀さんは、おうちでもお手伝いはしてるの?」
「たまにですけどね。うちはふたり姉妹なので、どちらかを使ってます、お母さんは」
「そうなの。でもその割にはなんでもそつなくこなしてると思うけど」
「多少は努力してますから」
 そう言って笑う。
「最近はそうやって努力してきてよかったって思うんです」
「あら、どうして?」
「たとえば料理ですけど、上手にできると喜んでもらえますから」
「ふふっ、そうね」
「圭太は、素直に意見を言ってくれるので、やりがいがあります」
「確かにそうね。圭太はいつでも素直にひねくれてない意見を言ってくれるものね。ただ、人を傷つけるのが嫌いだから、多少はおべっかが入ってると思うけどね」
「それでもいいんですよ。誉めてもらえれば、また次もがんばろうって思えますし」
「なるほど、それが柚紀さんの原動力か」
「はい」
 臆面もなくそう言う。
 すべての食器を洗い、拭き、片づけ終わる。
 リビングでは圭太と琴絵が仲良くテレビを見ている。
「終わったの?」
「ええ、柚紀さんのおかげで早く片づいたわ」
 かけていたエプロンを外しながら琴美は言う。
「ところで圭太」
「ん?」
「ひとつ、確認しておきたいことがあるの」
「確認しておきたいこと?」
 琴美の言葉に、圭太は首を傾げた。
「柚紀さんは、圭太の部屋に泊まるのよね?」
「ああ、うん、そうだよ」
「それがなにを意味してるかも、もちろんわかってるわよね?」
「うん」
「そう、それならいいわ。ただし、節度を持ってしなさいね。明日も部活はあるんだから」
 琴美は、冗談とも思えないことをさらっと言ってのけた。ただ、それはもう圭太にしても柚紀にしてもわかりきったことだった。
「琴絵は、私と一緒に寝るのよね?」
「うん」
「ふふっ、琴絵と一緒に寝るのも、久しぶりね」
 琴美は嬉しそうにそう言う。
 それから少しの間、四人は和気藹々と話に花を咲かせていた。
 
「柚紀さんて、やっぱりスタイルいいですよね」
 琴絵は、嘆息混じりにそう言った。
 ここは高城家の風呂場。今、柚紀と琴絵は一緒に風呂に入っている。
 少し大きめの浴槽だが、ふたり一緒に入るとさすがに狭い。
「私も今の柚紀さんと同じ年にそれくらいあればいいんですけど……」
「琴絵ちゃんなら大丈夫だと思うけど。今は、いくつ?」
「えっと、七九です」
「えっ、七九?」
「は、はい」
「それって、私が中二の頃より大きいよ」
「ホントですか?」
「うん。なぁんだ、だったら全然心配することないよ。背だって胸だってこれからどんどん大きくなるんだから」
 そう言って柚紀は笑う。
「琴絵ちゃんを彼女にできる人は幸せだね」
「どうしてですか?」
「だって、琴絵ちゃんなら最高の彼女になれるもの」
「……そうでしょうか?」
「うん、大丈夫。私が保証してあげる。あっ、でも、私の保証じゃ心許ないか」
「そ、そんなことありません」
「ふふっ、ありがと」
 たおやかに微笑む柚紀。
 湯煙の中、柚紀の姿はとても艶やかだった。それは、ひとりの愛されている女性が持つ独特の雰囲気でもあった。
「……でも、私は、しばらく誰かとつきあうつもりはないんです」
「どうして?」
「お兄ちゃんを吹っ切るまでは、相手に悪いですから」
「あ、なるほど」
 ブラコンの琴絵ならではの理由である。
「将来にわたってはどうなるかはわかりませんけど、そうですね、とりあえず高校を卒業するくらいまでは、妹でいたいですから」
 そう言って今度は琴絵が笑った。
「琴絵ちゃんの理想の男性像って、やっぱり圭太なの?」
「たぶんそうだと思います」
「だとすると、かなり難しいね。圭太みたいなのは、それこそ天然記念物並に少ないから」
「でも、柚紀さんはお兄ちゃんに出逢えました」
「ま、それを言われるとなにも言えないけどね。確かに人の出会いはいつどんな時にあるかわからないし。それに、今は圭太が理想かもしれないけど、ずっとそうとは限らないし。そうすると、心配することもないか」
「そうですね」
 実際問題、琴絵レベルなら男など選り取り見取りであろう。良い意味で、多くの男の中から自分にあったひとりを見つけ出せればいいのである。
「あっ、でも、圭太が黙ってないかな」
「お兄ちゃんが?」
「うん。圭太は、琴絵ちゃんのことをすごく大事にしてるから。圭太のお眼鏡にかなわない男は、みんなダメかも」
「ふふっ、そうかもしれませんね。でも、それならそれでいいです。お兄ちゃんが私のことを考えてそうしてくれるわけですから」
「ホント、琴絵ちゃんは圭太のことが好きなんだね」
 柚紀は改めてそう言う。
「たぶん、その想いは柚紀さんにも負けてないと思いますよ」
「あら、言うわね。やっぱり高城家で一番『障害』になるのは琴絵ちゃんか」
「私はお母さんより口を出しますからね、お兄ちゃんのことに関しては」
 そう言ってふたりは笑った。
 
「ねえ、圭太」
「うん?」
 柚紀は、ベッドの中で圭太に寄り添いながら言った。
「私、本当に幸せだと思うの」
「どうして?」
「だって、圭太はこんなにも私のことを愛してくれてるもの」
「それは、僕も同じだよ」
「うん」
 自然にキスを交わす。
「エッチ、しよ」
 もう一度キスをする。
 圭太は、柚紀の胸に手を添えた。
「ん、んふ……」
 柚紀は着替えを持ってきていないため、圭太の大きめのティシャツを着ている。もちろんブラジャーは着けていない。
 円を描くように胸を揉む。次第に先端が固く凝ってくる。
 圭太は、その先端を軽くつまんだ。
「んあっ」
 柚紀は、敏感に反応する。
 それから下腹部に手を伸ばす。
 柚紀の秘所は、すでにうっすらと湿っていた。
 布地越しに指をこすりつける。
「いや、いやいや」
 柚紀は頭を振っていやいやする。だが、それでも体は正直に反応する。
 次第に圭太の指先が濡れてくる。
「ん、圭太。脱がせて」
「うん」
 それ以上するとショーツがダメになると判断し、柚紀はそう言った。
 ティシャツもショーツも脱がせる。
 薄明かりの下、柚紀の肢体はやはり魅力的だった。
「圭太は、そのままで」
 そう言って柚紀は圭太の上にまたがった。
 ズボンとトランクスを脱がせ、圭太のモノをあらわにする。昼間に三回したにも関わらず、圭太のモノはまだまだ元気だった。
 少しそれをこすり、そして自分の秘所にあてがう。
「ん……」
 そのまま腰を落とす。
「んあ、ふ、深いよぉ……」
 柚紀は、圭太のモノを自分の中に飲み込んだ。
「さっきは、ん、圭太にしてもらったから、今回は、あん、私がするから」
 そう言ってゆっくりと腰を動かす。
 柚紀は、圭太のモノが抜ける寸前でまた腰を落とす。その速さも次第に速くなっていく。
 どん欲に快感をむさぼろうと、柚紀の中は圭太のモノをこれでもかと締め付けてくる。
 圭太はその快感に抗いながら、柚紀を感じさせようと自らも腰を動かす。
「ああっ、ダメっ、止まらないよぉっ!」
 右手で自分の胸を揉みながら、柚紀は腰を動かす。
「んんっ、ああっ、圭太っ」
 体を前に折り、キスをせがむ。
「あ、あむ、んんっ」
 キスを交わしながら、それでも動きは止まらない。
「ああっ、いいっ、イクっ、イっちゃうっ!」
 そして、圭太のモノが一瞬大きくなり、すべてを柚紀の体奥で放った。さすがに四回目なのでその量は少ない。
「あああっ……」
 その直後、柚紀も絶頂を迎えた。
 力なく圭太の上に倒れ込む。
「はあ、はあ、はあ……」
「はぁ、はぁ、はぁ……」
 柚紀が圭太のモノを抜くと、わずかに白濁液が漏れてきた。
「結局、中にもらっちゃったね」
 柚紀はそう言って微笑んだ。
「ごめん……」
「ううん、いいの。ほら、前にも言ったけど、万が一のことが起きても、私は後悔しないから」
 柚紀は優しい声でそう言う。
「でも、一日に四回もしてもらっちゃうなんて」
「あ、あはは……」
「圭太も、結構エッチだよね?」
「そ、それは、ね」
「私もエッチだし、圭太もエッチだし。ホント、私たちお似合いだね」
 嬉しそうに言う。
 だが、圭太は複雑な心境だった。
「これでしばらくは大丈夫だよ」
 不意に、柚紀は真面目にそう言った。
「もう今日みたいなことはないから。うん、約束する」
「うん。でも、柚紀。無理はしないで。僕はいつでも柚紀のことを考えてるから」
「ありがと、圭太」
 そう言ってキスをする。
「今日は、いい夢が見られそう」
「その夢の中に僕は出てくるの?」
「ふふっ、わからないよ。でも、圭太が出てくれば、絶対にいい夢」
 幸せそうにそう言い、そっと圭太に寄り添った。
「おやすみ、圭太」
「おやすみ、柚紀」
 圭太は柚紀の肩を抱いたまま眠りに落ちていった。
 
 二
 九月十日。
 その日は朝から秋雨が降っていた。
 秋雨といっても本格的な秋というわけでもないため、冷たい雨でもなく、寒いわけでもない。むしろ残暑を払う恵みの雨となっている。
 圭太は、明典と一緒に廊下にいた。
「はあ、雨、降ってるな」
「今日は一日雨だって言ってたからね」
「いや、別に雨がどうってわけじゃないんだがな」
 そう言って明典はため息をついた。
「なんか、こう、メランコリーってやつか?」
「わざわざ英語で言わなくても……」
「いやいやいや、そういうのは大事だと思うぞ。日本語で憂鬱なんて言ったら、それこそズンドコまで落ちるじゃないか」
 明典はよくわからない理論を展開させる。
 慣れているはずの圭太も、それには苦笑するしかない。
「ところで圭太よ」
「うん?」
「どうなんだ、彼女とは?」
「どうって、どういうこと?」
「それはまあ、よろしくやってるのかってことだ。彼女は今年の一年の中でも三本の指に入るからな。未だに気にしてる奴は多いぞ」
「まあ、とりあえず問題はないよ」
「そうなのか? それは残念」
「残念って……」
 今度は圭太がため息をついた。
「ま、圭太の親友としては、それはそれでいいことだと思ってるんだけどな」
「どういうこと?」
「ほら、おまえってそういう色恋沙汰から一番遠いところにいただろ? それはこの一高に入ってからも変わらないと思ってたんだが、ところが実際は最速でくっつきやがった。しかもすこぶるつきの彼女と。まあ、誰とくっついても俺は構わないと思う。だから、俺はただ単に親友に彼女ができたことを喜んでいる、そういうわけだ」
 明典はニヤッと笑った。
「でもまあ、問題がないならそれはそれでいいことだ。あとは、愛想尽かされないように注意するだけだな」
「それ、シャレになってないから……」
「はは、そうか?」
 
 その日の部活は、最初にミーティングが行われていた。
 関東大会本番まであと三日となり、その際の注意事項などが菜穂子から伝えられていた。
「いい? 本番はもう三日後よ。練習は一応前日までできるけど、前日は確認くらいしかすることはないから。だから実質的な練習は明日が最後よ」
 音楽室の中は、シンと静まりかえっていた。
「だけど、今更もうやることなんてないはず。だから、今日も明日も最終調整に専念。いいわね?」
『はいっ!』
「じゃあ、三十分後から合奏をはじめるわよ」
 いったん緊張感から解放される。
 菜穂子はそのまま音楽室に残っている。スコアを見ながら自分の中でのイメージを確実なものにしている。
「あの、先生」
 そんな菜穂子に声がかかった。
「どうしたの?」
 声をかけたのは、圭太だった。
「少し、お話があるんですけど」
「そう? じゃあ、ちょっと廊下に出ましょう」
 ふたりは喧噪の音楽室から廊下へ出た。
「それで?」
「あ、はい、実は、ここ数日調子が上がらないんです」
「どのくらいなの?」
「普段の六割から七割程度です」
「それは重傷ね。原因は?」
「いえ、これといって思い当たる節がなくて」
「そう……」
 菜穂子は腕組みをし、唸った。
 関東大会ともなれば、その審査の厳しさもかなり変わってくる。それはひとつひとつの音に対するところまでになり、特に目立つ楽器は要注意である。
「それで、その話をわざわざ私のところへしに来た理由は?」
「もし、今日の合奏で使えないと判断したら、遠慮なく僕を外してください」
「なるほどね。確かにその方が軽傷で済みそうね」
「はい」
「わかったわ。とりあえず、外す外さないの問題はあとにして、合奏で現状を把握したいわ。それで判断するから」
「はい、よろしくお願いします」
 それから少しして、合奏がはじまった。
 一高吹奏楽部の演奏は、県大会の演奏とは比べものにならないくらい洗練されたものになっていた。
 合奏をしても菜穂子の指揮棒が止まることはあまりない。菜穂子としても、現状のレベルで最高の演奏ができれば、全国進出も夢ではないと思っていた。
 そして、十二分が終わった。念のためにストップウォッチを使って時間も計っていた。
 その後軽く微調整を行い、すぐに個人練習になった。
「圭太、それと幸江も一緒に来て」
 合奏後、菜穂子は圭太とリーダーである幸江を呼んだ。
「幸江には?」
「いえ、言っていません」
「そう」
「あの、なんの話ですか?」
 要領を得ない幸江は、首を傾げている。
「幸江。あなた、今日の圭太の演奏、どう思った?」
「えっ、圭太の演奏ですか? そうですね、いつもとそれほど差はなかったと思いますけど」
「なるほど」
「あの、それがいったい……?」
「私の意見も、基本的には幸江と同じよ」
 菜穂子は幸江を無視して話を続けた。
「さっきのを聴いた感じだと、それほど差があるとは思わなかった。ただ、気持ちが音に表れていたわね」
「気持ち、ですか」
「ええ。自分は調子が悪い、そのせいでみんなに迷惑をかけたくない。そんな後ろ向きな気持ちがそのまま表れていたわ」
「…………」
「それを消し去れれば、問題ないわ。外す必要なんて毛頭ないし」
「えっ、外すって、圭太をですか?」
「可能性としてあったということよ。でも、この期に及んで外すなんてことしないわよ」
「そ、そうですか」
 さすがのことに、幸江も驚きを隠せない。
「いい、圭太? 圭太の今の問題は、心因性のものよ。だから、もう少し気持ちをしっかり持って、それでもっと前向きに考えなさい」
「はい」
「今のレベルなら、七割くらいの確率で全国へ行けると思う。でも、それはあくまでも現在のメンバー全員が揃ってのこと。圭太ひとり抜けただけでそれはかなわなくなる。わかるわね?」
「はい」
「あとは、圭太ならどうすればいいか、わかるでしょうから、言わないわ」
 そう言って菜穂子は息をついた。
「みんなで、全国へ行きましょう」
 
 部活終了後。
 圭太は、柚紀を含めた数人の女子部員に囲まれていた。
「幸江から聞いたけど、いったいどうしたっていうの?」
 ともみは、少し心配げな眼差しでそう問いかける。
「自分でもよくわからないんです。ただ、なんとなくいつの間にか、調子が落ちて、それにあわせるように気持ちまで落ちてしまって」
「なるほどね」
「でも、圭くんでもそういうことあるんだね」
 祥子は、意外そうにそう言う。
「まあ、人間だし、しょうがないでしょ」
 さとみは、なにをわかりきったことを、という感じである。
「とにかく、気分を変えて、明日とあさってを乗り切って、本番を迎えましょう」
 
 帰り道。圭太はいつものメンバーと帰っていた。
「まさかね、圭太がそこまで落ち込んでたなんて」
 気づかなかったなぁ、とともみ。
「圭くんは、人になかなか弱みを見せないから。気づくのも一苦労よね」
 そう言うのは祥子。
「柚紀も気づかなかったんでしょ?」
「はい、全然気づきませんでした」
 柚紀も、心なしか落ち込んでいる。さすがに自分の彼氏が落ち込んでいるのにも気づかなければ、それは落ち込んでしまうだろう。
「それで圭太、なんとかなりそうなの?」
「……わかりません。でも、なんとかします。僕のせいで全国に行けないというのだけは、絶対にイヤですから」
 圭太は、はっきりとそう言いきった。
 まだ多少表情が暗いが、幾分復調しているだろうか。
「そ。圭太がそこまで言うなら、大丈夫ね。ただね、圭太」
「はい」
「そういう大事なことをいきなり先生に持ってっちゃうのは反則よ。最初はリーダーの幸江とか、私や寛、それに祥子に言わないと」
「すみません」
「まあ、気持ちは痛いほどわかるけどね。だけど、もう少し私たちのことも信用してくれないと」
「はい……」
「ホント、圭太はバカ正直っていうか、バカ真面目っていうか」
 そう言ってともみは苦笑した。
「ま、そういうところも含めて好きなんだけどね」
「ともみ先輩。どさくさに紛れて、なにを言うんですか」
「あはは、ごめんごめん。なんとなく今の圭太を見てると、母性本能をくすぐられるのよ。こう胸のあたりを、ぎゅうって締め付けられる感じ」
「あ、それはなんとなくわかります」
 それには祥子も同意する。
「ま、なんにしても、あとは圭太次第よ。今日でどれだけ多くの人に想われてるか、わかったと思うし」
「はい」
「ほらほら、そんな顔しないの。せっかくの男前が台無しよ」
「うん、圭くん」
 先輩ふたりに励まされ、圭太にもようやく笑みが戻ってきた。
「よし、それでこそ圭太ね」
「ともみ先輩、祥子先輩」
「ん?」
「なぁに?」
「ありがとうございました」
 ふたりの先輩は、なにも言わず、ただ微笑み返すだけだった。
 
 九月十二日。
 いよいよ全日本吹奏楽コンクール関東大会がはじまった。
 会場である県民会館には大勢の観客が集まっていた。
 その日は中学の部や大学の部などがあった。どの団体も最高の演奏と全国大会を目指し、気合いが入っていた。
 琴絵たち三中もその日が本番である。
 圭太は、三中卒業生と一緒にその演奏を聴きに行った。ちなみに、部活は午前中だけで終わっている。
 お昼過ぎに県民会館に到着した一行は、ほぼ満席状態の観客席に入った。チケットについては、参加校については優先的に配分されるので、それをもらっていた。
 時間も時間だったため、あまりいい席ではなかった。さらに言えば、全員一緒には座れなかった。
 圭太は、必然的にともみと祥子と一緒いた。
「三中は……ラストから三番目か。前の学校は、ん〜、常連ね」
 パンフレットを見ながらともみは呟く。
「圭くん。三中の調子はどうなの?」
「琴絵の話だと、それなりにはまとまったみたいですよ。最近は佳奈子先生もあまり難しい顔しなくなったって」
「ふ〜ん、そっか。じゃあ、期待できるかもね」
 各団体十二分間にすべてを注ぎ込む。ここで出し惜しみしても意味はない。
 中学大編成の部も順調に進み、いよいよ三中の番になった。三中は去年全国に出ているため、注目度も高い。
 ステージ上が明るくなり、アナウンスが入る。
 そして佳奈子が立ち、指揮棒が上がる。
 圭太は、我知らず力が入っていた。
 課題曲は、ほぼ満点に近いできだった。
 そして自由曲。
 一番の見せ場である最初と最後で、観客を引き込むのに成功した。
 あとは、流れと勢いで最後まで演奏する。
 十二分間が終わると、会場内に割れんばかりの拍手がわき起こった。
「どう? 前部長として、琴絵ちゃんのお兄さんとして、今の演奏は何点?」
「満点に近いと思います。これなら、全国も夢じゃないです」
 圭太は、少し興奮した感じでそう言う。
「確かに、今年は過去最高と言われるだけの演奏だったわ」
「そうですね。聴いていて鳥肌が立ちましたから」
「これで三中が全国を決めれば、あとは私たちね」
「はい」
 すべての演奏が終わり、閉会式を残すだけとなった。
 圭太たちは三中の面々を探していた。ただ、広い県民会館の中、しかもかなりの人数がいるために、なかなかその姿は見つからなかった。
「あれ、圭太先輩?」
 しかし、運良く合流することができた。
「先輩、聴きに来てくれたんですね」
 紗絵は嬉しそうにそう言う。
「母校のことが心配でね。自分たちのことそっちのけで来ちゃったよ」
「ありがとうございます」
 ホール内には、立錐の余地もないくらい人で埋まっていた。ただ単に演奏を聴きに来ている人たちも、結果が気になるようで帰らない。そこに演奏した人たちも加わるのだから、大変である。消防法など軽く無視している。
 そして、ざわめきの中、閉会式を迎えた。
 県大会までと同じようにまずは全体の講評があった。
 それから結果発表。小編成の部、中編成の部は文字通り結果しか残らない。上に全国大会はないからだ。そのあたりの発表の時は、ため息はほとんどなく、歓声ばかりだった。
 そして、大編成の部。
 各団体に結果が言い渡される。金賞だった団体はまだ全国への切符がかかっている。銀賞や銅賞だった団体は、残念ながらここで終わりである。
 てきぱきと進み、いよいよ三中の番になった。
『──第三中学校、金賞』
 同時に圭太の側にいた三中の面々から歓声が上がった。これであとは全国へ行けるかどうかだけである。
『それでは最後に、十月に行われる全国大会へ進出を果たした団体を発表します』
 会場内が静まりかえる。
 それぞれの部で次々に発表されていく。枠は、決して多くない。しかも、各県ひとつというわけでもない。関東大会としての枠である。
 そして、中学大編成の部。琴絵たち三中は──
 
「佳奈子先生。おめでとうございます」
「ありがとう。これで今年も全国よ」
 佳奈子は嬉しそうにそう言った。
 結果的に、三中は関東大会をトップで全国への切符を手にした。
「今日の演奏は、今までで一番のものだと胸を張って言えるわ」
「はは、先生がそこまで言うなんて珍しいですね」
「今日くらいはね。それに、ここまで来たらあの子たちを褒めてあげないと」
 三中の面々は、まだ感動の余韻に浸っている。
「明日は一高の番ね」
「はい。三中に負けないように全力を尽くします」
「ええ、一緒に全国へ行きましょう」
「先輩っ」
 そこへ、少し涙ぐんでいる紗絵がやってきた。
「やりましたっ」
「うん、おめでとう、紗絵」
「はいっ」
 紗絵は、嬉しさでまたも泣き出す。
 圭太はそんな紗絵を、優しい眼差しで見守っていた。
「あの、先輩。このあと少しだけ時間、いいですか?」
「それは別に構わないけど」
「それじゃあ、全部終わったらまた来ます」
 そして、紗絵はまた部員の輪に戻っていった。
「相変わらず圭太にぞっこんみたいね、紗絵は」
 今度は輪から解放されたともみたちが戻ってきた。
「三中の歴代の部長は、みんな圭太に惚れるのかしら?」
「少なくとも来年度の部長までそうじゃないんですか?」
「来年度? ああ、来年は琴絵ちゃんか。ふふっ、確かにそうかも」
 そう言って三代前の部長と二代前の部長は笑う。
「ねえ、圭太。紗絵も一高志望なの?」
「確かそのはずですけど」
「なるほど。じゃあ、来年もうちの部は面白いわね。圭太を巡る女の戦い再燃、なんてね」
「ともみ先輩はリタイヤですか?」
「とんでもない。卒業したくらいであきらめるわけないでしょ?」
「なるほど、ともみ先輩らしいです」
「私はね、いついかなる時でも圭太の隣の座を虎視眈々と狙ってるのよ」
「私もです」
 この場に柚紀がいたらまた一波乱あったのだろうが、幸いなことに柚紀はいない。
 圭太は、頭のどこかでそんなことを考えつつ、今はただ三中のことを素直に喜び、明日の自分たちのことを考えていた。
 
 ほとんど人がいなくなった頃。
 圭太は紗絵と一緒にいた。
「すみません、わざわざ時間をとらせてしまって」
「ううん、気にしてないよ」
 圭太と一緒に来たともみたちは一足早く帰っていた。さらに言うなら、三中吹奏楽部の面々も紗絵を残して誰もいない。
 ふたりは、県民会館の近くにある喫茶店にいた。
 時間帯はそろそろ夜になろうかという頃。
「それで、僕にいったいなんの用があるの?」
 頼んだコーヒーを一口飲み、カップを戻す。
「あ、はい」
 紗絵は、真剣な表情で続けた。
「以前、先輩に言いましたよね、私も一高へ行くって」
「うん、聞いたよ」
「実はですね、あのあと、いろいろな話があって、その中で桐朋学園の高等部への誘いがあったんです」
「桐朋って、あの有名な?」
「はい。桐朋なら音大に勝るとも劣らない施設、設備、環境が整ってますから。いい話だとは思うんです」
「迷ってる、わけか」
「はい。確かに今よりももっともっと上手くなりたいとも思っています。でも、私に音楽家になれるだけの資質、才能があるのかどうかもわかりませんし」
「ご両親はなんて?」
「私の好きなようにしていいと。それで、先輩に聞いてみたかったんです」
 紗絵はそこで一度言葉を切り、一息ついた。
「先輩、正直に言ってください。私は、音楽家になれると思いますか?」
 真摯な眼差しで圭太を見つめる紗絵。
「……僕に、紗絵の人生を左右させるようなことは言えないよ。ただ、どんな人でも一生懸命にさえやれば、必ずできるしなれると思う」
 それに対して圭太は、そう少し曖昧な答えを返した。
「……先輩は、ずるいですね」
「えっ……?」
「今の答えだと、私に未練が残っちゃうじゃないですか」
「未練?」
「私、本当に先輩のことが好きなんですよ。先輩を目標にしてずっとがんばってきました。それでも、先輩には素敵な彼女がいます。だから、私の想いは自分の中にずっとしまっておこうと思いました。そのひとつとして桐朋の話も聞いたんです。一高に行けば、先輩に会えるし、二年間は一緒にいられますけど、でも、それ以上に淋しいと思うんです。でも、桐朋なら先輩はいません。吹っ切れるかもしれない、そう思ったんです」
 そして、紗絵は笑顔で言った。
「でも、先輩は私の望んだことはなにひとつ言ってくれませんでした。やっぱり、先輩はずるいです。ずるくて、でも、大好きです」
 だから、そう言って紗絵は続ける。
「先輩には責任を取ってもらいます」
「責任?」
「はい、責任です」
 
 喫茶店を出た圭太と紗絵は、ゆっくりとした足取りで駅へ向かっていた。
「ふふっ」
 圭太の腕には、紗絵の腕がしっかりと絡められていた。
 紗絵が言い出したのは、家に帰るまで圭太の『彼女』でいることだった。
「夢みたいです。先輩とこうして歩けるなんて」
 本当に嬉しそうにそう言う。
「先輩、もしもですけど。もしも、先輩が卒業する前に私が先輩に告白していたら、受けてくれましたか?」
「どうかな。受けたかもしれないし、受けなかったかもしれないよ」
「それって、私が先輩の恋人でもよかったってことですか?」
「うん、まあ、そうなるのかな」
「あう〜、じゃあ、やっぱり卒業式の日でも告白すればよかったぁ……」
 心底悔しそうに紗絵は嘆いた。
「今でもうちの部には先輩のことを想ってる部員は多いんですよ?」
「らしいね」
「たまに琴絵に先輩のことを訊いて、それでいろいろ考えるんです。今度会ったらどんなことを話そうとか」
「…………」
「でも、やっぱり考えるだけじゃダメですね。想いは募るばかりで。よく爆発しなかったと思いますよ」
 くすくすと笑う。
「……先輩」
「うん?」
「もし、ですけど、私のすべてを先輩にあげますって言ったら、どうしますか?」
「……そうだね、とりあえず困るかな」
「困るんですか?」
「うん。紗絵は、カワイイからね」
「えっ……?」
 圭太の意外な言葉に、紗絵は思わず立ち止まっていた。
「僕は人の見た目とかにはあまりこだわらないけど、でも、紗絵はカワイイと思うし、そう言われること自体は嬉しいと思うよ。でも、僕でいいのかなって、そう考えるんだよ。世の中には僕よりもずっといい人がいると思うし」
 圭太は、少し真剣にそう言う。
「それでももし、本当にいいって言うなら、そこではじめて悩むだろうね。それを受け入れるかどうかを」
「先輩……」
 紗絵の腕に、少しだけ力がこもった。
「でもね、紗絵。そういうことは、一時の感情だけで言っちゃダメだよ。紗絵は十分魅力的なんだから、そういうことを言わなくても、そのうちそういうこともあるだろうし」
「……でも、先輩がいいんです。私のはじめては、やっぱり先輩がいいんです」
「紗絵……」
「先輩。もし全国大会で金賞が取れたら、その時に私を──」
「その先は、言っちゃダメだよ」
 圭太は、少しだけ淋しそうに紗絵の唇に人差し指を当てた。
「その先を言うと、僕も紗絵もきっと後悔する」
「……先輩。それでも私は……」
「お願いだよ、紗絵。これ以上僕を困らせないで」
「……イヤです」
「紗絵……」
「もう、自分の気持ちを言わないで後悔するのはイヤなんです。だから、言います」
 紗絵は真剣だった。
 圭太もそれを感じ取ってか、もうなにも言わなかった。
「全国大会で金賞が取れたら、私を、抱いてください」
 紗絵は、はっきりとそう言った。
「……すみません、本当にワガママばかり言って」
「いや、紗絵だけのせいじゃないよ。はっきりしなかった僕も悪いんだ」
「……すみません」
「紗絵が、僕のことをどんな目で見ていたか、わかってたんだ。それでも僕はなにも言わなかった。だから、紗絵だけのせいじゃないよ」
「……先輩は、やっぱり優しいですね」
「でも、今回はそれも少し後悔しているよ」
 苦笑する圭太。
「じゃあ、紗絵。行こうか」
「はい」
 少しだけためらいがちに絡まってる腕に、少しだけ力がこもっていた。
 
 九月十三日。
 その日は、朝から秋晴れのいい天気だった。
 圭太たち一高吹奏楽部は、一度学校に集合し、そこで大きな楽器や打楽器をトラックに積み込み、部員は揃って県民会館へ向かった。
 その途中、部員たちは多少ナーバスになっていて、いつものような明るさはなかった。
 高校大編成の部はやはりその日の最後のプログラムで、一高はなんの因果か、一番最後に演奏することになっていた。そのおかげで比較的余裕を持って準備ができたのは、事実だが。
 県民会館に到着し、顧問の菜穂子と部長のともみが連盟の方にエントリーの確認を行う。それが済んでから、控え所に移動。そこで荷物を置き、別に送った楽器を受け取る。
 それぞれが楽器を取り出し、最後の調整を行う。
 キーはちゃんと動くか、バルブは動くか、リードは割れていないか、等々。実力以外の部分で落ちるわけにはいかないので、そういう部分は入念にチェックする。
 同じ控え所には、演奏の終わった団体も戻ってくる。その顔には一様に満足そうな笑みがある。結果はわからなくとも、悔いの残らない演奏さえできれば、そういう顔になるだろう。
 そんな団体を横目に、いよいよ一高の番がやってきた。
 案内担当が一高を控え所からチューニング室に案内する。そこでようやく楽器を吹くことができる。
 チューナーを使い、各楽器のチューニングをする。ただ、チューニングは念入りにやったところで必ず途中でずれてくる。そこは演奏中に各自が微調整するしかない。
 チューニングを終え、課題曲と自由曲、それぞれの頭をあわせる。
 調子は、悪くなかった。
 それから少しして、今度は楽屋廊下へと移動。この段階ではステージの演奏はあまり聞こえてこない。
 部員の間に緊張感が高まってくる。
 さしもの三年ですら、その表情が強ばっている。
 ふたつ前の団体の演奏が終わり、楽屋前でも声が上がっている。演奏中はさすがに声は出せないからだ。
 ひとつ前の団体がステージに上がり、演奏がはじまってからようやくステージ袖へと移動する。
 並んでいる順番は、ステージ奥からの順番である。最後は必然的にパーカッションとなる。
「……圭太、大丈夫?」
 と、幸江が最後に声をかけてきた。やはり、先のことがあって、少し気になるようである。
「……はい、大丈夫です。最高の演奏をする自信があります」
 しかし、圭太はそんな不安を吹き飛ばすようなことを言う。
「……それなら安心ね」
 幸江も一安心と頷いた。
 前の演奏が、課題曲から自由曲へと変わった。
「……ダフニスとクロエか」
 誰かがそう呟いた。
 その演奏は、なかなかのものだった。思わず聴き入ってしまうほどであった。
 そして、一瞬の静寂があって、会場から盛大な拍手がわき起こった。
 その喧噪の最中、ともみが最後に声をかけた。
「みんな、行くわよっ!」
『おーっ!』
 最後に気合いを入れ直し、ステージへ。
 ステージ上では先に提出してある配置表に従って係りが椅子の位置を直している。譜面台はすべて撤去された。
 奥の楽器から席についていく。指揮台はちゃんと見えるか、それも確認する。
 ついと観客席に視線を向ければ、やはり立錐の余地もないほどの観客。否応なく緊張感が高まってくる。
 圭太は、セカンドの位置に座った。トランペットはひな壇の一番上の段である。
 緊張で手のひらに汗をかいていた。それを制服のズボンでぬぐい、大きく深呼吸をする。
 パーカッションも位置が決まり、全員が指揮台の方を見る。
 菜穂子は、小さな声で言った。
「いつも通りに」
 それは、とりもなおさずいつもの演奏ができれば全国へ行ける、そういうものだった。
 ステージ上が明るくなり、アナウンスが入る。
『──県立第一高等学校、課題曲A、自由曲、レスピーギ作曲、交響詩『ローマの祭り』より。指揮は、菊池菜穂子先生です』
 菜穂子は観客席を向き、お辞儀をする。同時に拍手が起こる。だが、それもすぐにやむ。
 もう一度落ち着くように合図をし、指揮台に上がる。
 指揮棒が上がり、全国を目指す十二分間がはじまった。
 その演奏は、課題曲の出だしから観客を引き込んでいた。
 音と音が重なり、絶妙なハーモニーを奏でる。
 会場中に響き渡る音。
 聴いているだけで鳥肌が立ってくる。
 これまで演奏された同じ課題曲Aの中でもそれは群を抜いていた。
 完成度の高さは、参加団体最高のものだった。
 そして、一度指揮棒が下ろされる。
 自由曲を前に席の移動を行う。
 最後に念を押すように菜穂子は落ち着くように合図する。
 全員を見回し、再び指揮棒が上がった。
 自由曲最初の見せ場は、トランペットである。
 それからすぐに全体へと変わる。
 観客の間から、感嘆のため息が漏れてきそうなほど、それは洗練されていた。
 最後の見せ場では、下手すると涙まで出てきそうなほど、観客を引き込んでいた。
 そして、最後の音が奏でられ、フェルマータで終わる。
『ブラボーっ!』
 客席から、そんな声が上がった。
 同時に割れんばかりの拍手と歓声。
 菜穂子は大きく満足そうに頷き、その拍手に応えた。
 
 控え所に戻った部員に、菜穂子は開口一番こう言った。
「最高の演奏だったわ」
 菜穂子自身も興奮した様子で、心持ち目も潤んでいる。
「もうやれることは全部やったわ。あとは、結果を信じて待ちましょう」
 それから慌ただしく楽器を片づけ、一同は会場へと入る。
 会場内は、異様な雰囲気に包まれていた。
 一高吹奏楽部は、卒業生たちが確保していた場所のあたりに陣取った。
 卒業生の間では、もうすでに全国は決まっているようである。口々に全国大会のことを話している。
 それから少しして、閉会式がはじまった。
 前日同様全体の講評があり、結果発表となる。
 団体数が多いため、一高までは少し時間がかかる。その間の緊張感は、言葉に表せないだろう。
『県立第一高等学校、金賞』
 結果は、非常にあっさりと告げられた。
 同時に部員から歓声が上がる。だが、それで終わりではない。
 昨年は、金賞だったものの、あと一歩及ばなかったのだ。
『続いて、全国大会出場を決めた団体を発表します』
 司会役は、淡々と進めていく。
 そして──
『県立第一高等学校』
「よっしゃーっ!」
 誰かが、感情を爆発させた。
 拍手と歓声が沸き起こる。
 女子部員の中には泣いている者もいる。
 一高吹奏楽部は、念願の全国大会への切符を手に入れた。
 
 興奮はなかなか収まらなかった。
 それでも時間は過ぎ、次の日には学校もある。名残を惜しみながら、一高吹奏楽部員は家路に就いていた。
 そんな中、圭太はいつもの面々と帰っていた。
 さすがに電車の中ではおとなしかったが、電車を降りてからは興奮が続いていた。
「もう、最高っ」
 ともみはもう何度そう言っただろうか。いや、同じ言葉じゃなくとも、似たような言葉を何度も繰り返していた。
「はあ、全国かぁ……」
 夢見心地なのは祥子も同じである。
 そんな先輩ふたりを、圭太と柚紀は少しだけ引いた目線で見ていた。
 しかし、このふたりとて嬉しくないはずはない。仮にも、全員でつかんだ全国への切符なのだから。
「これで、全国大会が引退になるわね」
「あ、そうですね」
 突然のともみの言葉に、祥子は頷いた。
「引退って、どういうことですか?」
「ああ、うん、柚紀は知らないか。一応ね、一高の伝統で、三年は全国に出られた時はそこでの演奏で、それができなかった時は一高祭で引退するって決まってるの。だから、今年は全国が最後なの」
 ともみは穏やかな表情でそう言った。
「あれ、でも、全国より一高祭の方が日程があとですよね?」
「今年はね。年によっては重なっちゃう可能性もあるから。だからそういう決まりになってるの」
 柚紀はなるほどと頷いた。
「圭太と柚紀は詳しいことは知らないと思うから言っておくけど、これから先の部活は忙しいわよ。全国のために準備をしつつ、途中に体育祭もあるし、一高祭の準備もあるし、十一月にはアンコンもあるし。のんびりしてる余裕なんか全然ないわ」
「……厳しそうですね」
「でも、体育祭と一高祭に関してはそれほど大変ではないと思うけどね。まあ、引退する私がそんなこと言っても意味がないとは思うけど」
「一高祭かぁ……秋休みくらいには決めないと、まずいですよね」
「まあ、そうね。でも、ステージ演奏は基本的に全国のと同じでいいわけだし。あとは、アンコンに絡めて音楽喫茶をやればいいのよ。効率よくやれば、大丈夫でしょ」
 一応打開策を提示するともみだが、結局それをやるのは一、二年である。
「ま、いいじゃない。今日は、そういう面倒なことはみんな忘れて、素直に喜ばないと」
「そうですね」
 綺麗な星空の下、四人の明るい声が響いていた。
 次は、いよいよ全国大会である。
 
 三
 十六年前の九月十六日。
 その日、笹峰家に女の子が誕生した。体重三〇七五グラム。その泣き声は、分娩室の外にまで聞こえたくらいで、とても元気な女の子だった。
 父光夫は、母真紀と話し合い、その女の子に『柚紀』と名付けた。姉の咲紀同様、母親の真紀から一文字もらっている。
 それから十六年。かつての女の子は、異性はもちろん同性からも憧れの対象として見られるくらいに成長していた。
 
 柚紀は朝から機嫌がよかった。誕生日は毎年機嫌がよいのだが、今年は特に機嫌がよかった。
 その理由はもちろん、彼氏にある。
 平日ということで大げさなことはできないが、ふたりだけでささやかな誕生会をすることは、もう何日も前から決まっていた。
 だから、学校へ向かうその足取りも、非常に軽かった。
 
 バスを降りた柚紀は、いつものように圭太と合流した。
「柚紀、誕生日おめでとう」
 圭太は、笑顔でそう言った。
「うん、ありがと、圭太」
 それに柚紀も満面の笑みで応える。嬉しさのあまり、登校時であることも忘れて腕を組んでいる。
 まだまだ一日ははじまったばかりである。
 
 その日の昼休み。
 圭太と柚紀は、人目を避けるように屋上にいた。
「ん、圭太……」
 ふたりは、屋上の陰で抱き合っていた。
 さすがにそれがエッチにまでは発展しないが、かなり入り込んでいた。
「ん……ん、はあ……」
 何度もキスを交わし、柚紀の顔は、もう夢見心地だった。
「はあ、しあわせ〜」
 ある程度それに満足したのか、ふたりは揃ってその場に座っていた。
「こんなに幸せだと、なんか逆に怖くなるなぁ」
「どうして?」
「だって、幸せのあとには、不幸しかないかもしれないでしょ?」
「バランス、ってやつ?」
「まあ、そうかな。幸福と不幸は、同じだけ来るって言うからね」
「でも、僕はそうは思いたくないな」
 圭太は、そう言って空を見上げた。
「幸せのあとに幸せを願っても、誰も文句は言わないと思う。だって、人は等しく幸せになる権利があるんだから。それに、いつまでも幸せでありたいって願ってれば、きっと、大丈夫だよ」
「……圭太のその考え方、好きだなぁ」
「そう?」
「うん。やっぱり、私の彼氏は言うことも違うね」
 そう言って柚紀は圭太に寄り添う。
「そうだね。そうやって幸せだけを求めても、別にいいんだよね」
「うん」
「じゃあ、今日は、もっともっと幸せになるために、い〜っぱい圭太に甘えちゃおうかなぁ」
 そう言いながら、すでに甘えている柚紀である。
「でも、明日からテストだから、ほどほどにしてくれると、僕はありがたいかな」
「あう、そっか、明日から期末テストだったっけ。すっかり忘れてた」
「大丈夫?」
「まあ、普段の授業で手は抜いてないから、大丈夫だと思うけどね」
 そこはやはり、秀才の弁である。
「部活がないのも、テストのおかげだからなぁ。しょうがないか」
 部活は、コンクールの次の日から休みになっている。もっとも、次の日は楽器の片づけなどで少し集まりはしたが。
「じゃあ、そろそろ戻ろう。昼休み、終わっちゃうから」
「そうだね」
 もう一度キスを交わし、ふたりは教室へと戻っていった。
 
 放課後、ふたりはいつもよりだいぶ早く家路に就いていた。
 目的地は、圭太の家である。
 歩いている時はたいてい柚紀が話している。圭太はその話に適度に相づちを打つだけ。
 そんなことをしているうちに、ふたりは高城家へ到着した。
「おじゃましま〜す」
 この時間帯、住居部に誰かいることの方が珍しい。当然のことながらその日も誰もいない。
「えっと、とりあえず──」
「部屋、行こ」
 圭太がなにか言う前に、柚紀は圭太を引っ張って二階へ上がっていく。
「あ、えっと、柚紀」
「ほらほら」
 そして、ふたりは圭太の部屋に。
「えいっ」
 柚紀は、スカートが翻るのも構わず、ベッドにダイブした。
「ん〜、圭太の匂いがする……」
 枕を抱きしめ、そんなことを言う。
「あ〜、えっと、柚紀」
「ん、なぁに?」
「どうしていきなりベッドに飛ぶわけ?」
「どうしてって訊かれると困るけど、強いて言うなら、そうしたかったから、かな」
 まったく悪びれた様子もなくそう言う。
 そんな柚紀の様子を見て、圭太はため息をついた。
「それじゃあ、僕はちょっと店の方に行ってくるから、待ってて」
「あ、うん。いってらっしゃい」
 そう言い残して圭太は部屋を出て行った。
「はあ、圭太ももう少し積極的だといいんだけどなぁ……」
 柚紀は、そう言ってため息をついた。
 枕を抱いたまま、仰向けになる。乱れたスカートの裾も、気にするそぶりもない。健康的な太ももが、あらわになっている。
「あ、そうだ」
 柚紀は、なにかを思い出したらしく、カバンを開け、なにかを取り出した。
 それは、口紅だった。愛用のコンパクトで自分の顔を映し、口紅を引く。
 淡いピンク色の口紅が引かれただけで、どこか大人びて見えるから不思議である。
 そうこうしているうちに、圭太が戻ってきた。
 お盆の上にはケーキとふたつのカップ、それにティーポットが載っていた。
「お待たせ、柚紀」
 小さなテーブルの上にそれらを並べる。
「じゃあ、はじめようか」
「うん」
 柚紀もベッドを下り、ちょこんと座る。
「えっと、柚紀。十六歳の誕生日、おめでとう」
「うん、ありがと」
「それで、これが僕からのプレゼント」
 そう言ってそれほど大きくない包みを渡した。
「開けても、いい?」
「もちろん」
 柚紀は、嬉しそうにラッピングを解いていく。
 中から出てきたのは──
「あっ、これ……」
 それは、陶器製の小さなオルゴールと、揃いのスカーフとストールだった。
「これ、高かったんじゃないの?」
「値段は聞かないでよ。せっかくのプレゼントなんだから」
「あ、うん、そうだね」
 柚紀は、嬉しそうにそのオルゴールのネジを巻いた。
 そして、奏でられる透明な音。
 曲は、『虹の彼方に』だった。
「圭太、素敵なプレゼント、ホントにありがと」
「喜んでもらえてよかったよ」
 喜ぶ柚紀を見て、圭太もまた、嬉しそうだった。
 それからケーキを食べ、お茶を飲み、何気ない話に花を咲かせた。
 と、会話がぱたっと途切れた。
「……ねえ、圭太。ひとつ、ほしいものがあるんだけど、いいかな?」
「うん」
「私がほしいのは……圭太自身、だよ」
 そう言って、柚紀はキスをした。
「ん、圭太、お願い……」
 潤んだ瞳で圭太を見つめる。
 圭太は、それに応え、柚紀をベッドに横たわらせる。
「あれ、柚紀」
「えっ、どうかした?」
「あ、うん、ひょっとして、口紅、つけてる?」
「うん、わかる?」
「わかるよ。だって、いつもよりもずっと、綺麗だから……」
「圭太……」
 素面で聞いたらとても聞けないようなセリフでも、魔法がかかった状態なら、なんでも聞ける。
 恋とは、本当に不思議である。
「あ、ん……」
 圭太は、柚紀に覆い被さるようにし、そのまま胸に手を当てる。
「ん、制服、汚れるとまずいから」
 そう言っていそいそと制服を脱ぎ出す。
 あっという間に下着姿になる。
「ん、圭太……」
 もう一度キスを交わす。
 その間にも圭太は柚紀の胸を揉み続ける。
「ん、はあん……」
 何度も抱いているうちに、圭太も少しずつどこをどうすれば柚紀が感じるか、学んでいる。それは胸でも同じで、柚紀の場合は少し強めに形が崩れるくらいに揉むと感じると学んでいた。
 何度も揉んでいるうちに、ブラジャーはその役目を失っていた。たくし上げられ、ふたつの双丘はすでにあらわになっている。
「ん、感じすぎちゃうよぉ……」
 柚紀は、いやいやと首を振る。
 しかし、圭太はやめない。その手は、すでに下腹部に伸びている。
 布越しに秘所を撫でる。
「ひゃんっ」
 柚紀は、敏感に反応する。
「け、圭太、もう我慢できないよぉ」
 少し触れただけで、柚紀はそう甘い吐息を漏らした。確かに、柚紀の秘所からは蜜が止めどなくあふれている。
 圭太は、残っていた布きれを脱がせ、自分も裸になる。
 そして、限界まで膨張したモノを柚紀に突き立てる。
「あうっ!」
 正常位で一気に体奥を突かれ、柚紀は声を上げた。
「んんっ、いいっ、もっと、もっと突いてっ」
 圭太の腰の動きにあわせ、柚紀も腰を動かす。
「んきゅっ、ダメっ、感じすぎちゃうっ」
 だらしなく開かれた口から、ヨダレが垂れるのも構わない。
「ああっ、圭太っ、イっちゃうっ、イっちゃうよぉっ」
 ラストスパートと言わんばかりに、圭太の動きも速くなる。
 そして──
「あああああっ!」
 あちこちの筋肉が収縮し、柚紀は、絶頂を迎えた。
 それと呼応するように、圭太もそのすべてを柚紀の腹部にまき散らしていた。
「はあ、はあ、はあ……」
 荒い息の中、柚紀は、慈しむように圭太の頬を撫でた。
「今日は、中でも大丈夫だったのに……」
 少しだけ残念そうに、お腹についている精液をすくった。
「ん、今度は、私がしてあげる」
 そう言って、今度は柚紀が圭太にまたがった。
 一度出したにも関わらず、圭太のモノは、元気だった。
 そして、第二ラウンドがはじまった。
 
「……ねえ、圭太」
「ん?」
「私ね、最近自分を抑えられるようになったの」
「ホント?」
「うん。前は、ホントに自分を抑えられなかったんだけど、今は大丈夫。これってやっぱり、圭太に愛されてるって心から思ってるからかな?」
「さあ、それはわからないけど。でも、よかったよ」
「うん」
 柚紀は、嬉しそうに頷き、圭太はそんな柚紀を優しい眼差しで見つめる。
「でも、はじめてエッチしてからまだ一ヶ月しか経ってないのに、私たち、もう何回しちゃったんだろうね?」
「さあ……」
「さあ、って、あのねぇ。エッチはふたりでしてるんだから、少しは真面目に取り合ってよぉ」
「だって、それを気にしたところでしょうがないと思うよ」
「それは、そうなんだけどぉ……」
 柚紀は駄々っ子のように拗ねてみせる。
 普段は年齢相応より大人びている柚紀ではあるが、圭太の前でだけは幼くなってしまう。それはとりもなおさず、柚紀が圭太のことを心から信頼しているからなのだが。
「う〜、う〜、圭太が冷たいよ〜」
 それも度が過ぎると、みっともないだけになる。
「……もう、しょうがないなぁ」
 圭太は苦笑しつつ、柚紀を抱きしめ、キスをした。
「ん……」
 一度顔を離し、もう一度キスをする。
「……最近、圭太も誤魔化し方が上手くなったよね」
「柚紀を相手にしてるからかな」
「あうっ、ゆ、言うわね」
「あはは」
 笑う圭太。
「さてと、そろそろ服だけでも着ておかないと、まずいよね」
 そう言って柚紀は、のそのそと起き上がる。
 脱ぎ散らかしていた服をてきぱきと身につけていく。
「留めるよ」
「あ、うん」
 ブラジャーをつけていると、圭太がそう言って後ろのホックを留めた。
 そういう自然な気配りができるのが、圭太のいいところでもある。
「あ……」
 と、圭太はそのまま柚紀を後ろから抱きしめた。
「圭太……?」
「少しだけ、このままで……」
「うん……」
 ふたりの間に、なんとも言えない柔らかな空気が流れる。
「ずっと、こうしていたいよ……」
「うん、私も……」
「もう、離したくない……」
「うん……」
 回された腕に、力がこもった。
「ずっと、一緒だよ」
 
 九月二十二日。
 前期末テストが終わるこの日、一高では前期が終わる。つまり、終業式である。後期がはじまるのは十月一日。それまでは短いながら、休みとなる。
 一年一組でも最後のテストが行われている。
 微妙な緊張感の中、ペンと紙がこすれる音が響く。一時間のテスト時間も、もう幾ばくもないのだが、ほとんどの生徒がペンを動かしている。
 今行っているのは、数Tである。今回はとにかく問題数が多く、終わらない生徒が多い。
「五分前」
 試験監督である優香が時計を確認して言った。
 同時に生徒の間に焦りの空気が広がる。だが、ここでの焦りは禁物である。落ち着いていれば解ける問題も、焦ったせいで間違う可能性もあるのだから。
 刻一刻と試験時間は過ぎていく。
 優香は、最後に教室を一回りする。
 教卓のところに戻って、もう一度時計を確認する。
 と、試験終了を知らせるチャイムが鳴り響いた。
「はい、終了。ペンを置いて。解答用紙を後ろから前に送って」
 ざわざわと教室がざわめいている。
 解答用紙を集め、名前などを確認。
「じゃあ、これでテストは終わりだから。休み時間が終わったら、講堂の方へ移動して終業式よ」
 優香が教室を出て行くと、教室中に安堵のため息が漏れた。
「圭太、どうだった?」
 隣の席から柚紀がそんなことを訊いてくる。
「まあまあかな。ちょっと問題が多かったけど、一応最後まで解いたし」
「うわっ、やっぱり圭太は解けたんだ。私なんか、途中の面倒な問題、ふたつほど飛ばしちゃった」
「確かに、時間ギリギリくらいの問題数だったからね」
「は〜、点数落ちてたらどうしよ?」
 そんなことを話しつつ、前期最後の日はつつがなく進んでいく。
 そして放課後。
 どの部活も久々の活動で、学校内も活気に満ちている。
 音楽室からも、楽器の音が聞こえてくる。
 その音楽室の一角で、祥子を中心に、二年が何人か話をしている。
「アンコン、どうしようか?」
「どうしようって言われてもね」
 裕美はそう言って首を傾げる。
「やっぱり、去年と同じように、とりあえず全員をどっかに組み込んで、直前に部内審査するのがいいんじゃないか?」
 そう言うのは、徹である。
「う〜ん、それが一番なのかな?」
「いいんじゃないの、それで。どうせ力を入れる組み合わせは、自ずと決まってくるだろうし」
 葵は、そう言って徹の意見を推す。
「なになに、なに話してるの?」
 そこへ、ともみが割り込んでくる。
「アンコンのことですよ」
「ああ、なるほど。で、どうするの?」
「去年と同じにしようかと思ってるんですけど」
「ふ〜ん、なるほど。じゃあ、ミーティングする?」
「ミーティング、ですか?」
 ともみの言葉に、二年一同は首を傾げる。
「だって、組み合わせを決めるのにパートのリーダーが必要でしょ? で、アンコンは私たち三年は関係ないし」
「あ、なるほど」
「あと、ついでだから、次期首脳部も決めよっか」
 そんなこんなで、緊急ミーティングが行われることになった。
「そんなわけで、全国大会が終わったら私たち三年は引退するわけで、その先のこともその時に決めてちゃ遅いから、今、決めるから」
 事情を知らない部員からざわめきが起こる。
「で、最初に部長と副部長を決めるわ。まあ、例年なら、二年の副部長がそのまま部長になるんだけど。どう? 今年もそれでいい? それとも、立候補いる? ああ、ちなみに推薦は基本的になしだから」
 ともみはそう言って一同を見る。
 しかし、誰からも声は上がらない。
「じゃあ、次期部長は、三ツ谷祥子でいいわね?」
「異議なし」
「賛成」
 今度は声が上がった。
「よし、部長は決まり、っと」
 黒板に大きく『部長 三ツ谷祥子』と書く。
「じゃあ、次、副部長。まずは、二年から。立候補は?」
 と、ひとり手が挙がった。
「おっ、仁。あんたが立候補するの?」
「ええ、まあ」
 立候補したのは、チューバの清水仁だった。
「ま、確かに祥子は木管だし、副部長は金管が妥当だからね。で、ほかには?」
 当然のごとく、誰もいない。
「じゃあ、副部長は清水仁でいいわね?」
「異議なし」
「モーマンタイ」
 そして、『副部長 清水仁』と書く。
「じゃあ、もうひとり、今度は一年から。立候補は?」
 それに呼応するように、一同の視線がひとりに集まった。
 ともみも、そのひとりを見ている。
 そして、その注目されているひとりは、苦笑しつつ手を挙げた。
「はい、圭太以外にいる?」
 やはり誰もいない。
「じゃあ、もうひとりは、高城圭太でいいわね?」
「異議なし」
「賛成」
 もう一度『副部長 高城圭太』と書く。
「それじゃあ、全国大会終了後からは、この三人がこの吹奏楽部の顔になるから。じゃあ、三人は前へ」
 ともみに言われ、祥子、仁、圭太は前へ出る。
「就任の挨拶をどうぞ」
「えっと、偉大な先輩のあとで少々役不足だとは思いますが、全力でがんばりますので、よろしくお願いします」
 そう言って祥子は頭を下げた。
「有能な部長の足を引っ張らない程度に、がんばります」
 そう言って仁も頭を下げる。
「どれだけのことができるかはわかりませんけど、部のためにがんばろうと思います」
 そう言って圭太も頭を下げた。
「それじゃあ、時間がもったいないから、次は各パートのリーダーを決めるわよ。基本的には二年がなるように。一年に押しつけるんじゃないわよ」
 少しだけ時間が与えられ、パート内で話し合いが行われる。
 とはいえ、そういうものはほぼ暗黙のうちに決まっている。
「ほい、じゃあ、ここにパート名を書いたから、リーダーは自分でその隣に名前を書いてちょうだい」
 決まったばかりのリーダーが、黒板に名前を書いていく。
「ふむふむ。フルートは、裕美。まあ、二年はひとりだから当然か。オーボエは、彩子ね。クラは、祥子。サックスは、功二か。ローウッドは変わらずで。ホルンは、久美子。ペットは徹。ボンは信一郎で、ユーフォが真琴。チューバは仁、コンバスは冴子。まあ、一年でひとりしかいないから、しょうがないわね。で、パーカスは純子か。なるほど」
 ともみやほかの三年は、決まったリーダーを見て、うんうんと頷いている。
「わかってると思うけど、祥子、功二。全国が終わったら、ローウッドのふたりを一年にするのよ。誰にするかは、実力とかそういうので決めて」
 ローウッドの中で、バスクラリネットとバリトンサックスは、基本的に一年間のみである。ただ、それにも例外はあるが。
「じゃあ、これでミーティングは終わるわ。今日は合奏はないから」
 そしてミーティングは終了した。
 
 その日の部活終了後。決まったばかりの各パートのリーダーは、十一月に行われるアンサンブルコンテストのために、話し合いを持った。
 すぐには決まらないだろうが、今からやっておかないとエントリーすらできなくなってしまう。秋休み中にはそれぞれを決めて、曲も決めて、練習を開始しなくてはならない。
 そんなリーダーたちを尻目に、ほかの部員はいつもと同じように帰路に就いていた。
「やっぱり圭太は後継者なのね」
 そう言うのは、さとみである。
「なかなか三中の牙城は崩れないわね。このままだと、三期連続で三中出身者が部長になるわけだし」
 そう言うのは、美保である。
「甘いわね」
「なにが甘いのよ?」
「下手すれば、五期連続よ」
「……どういう意味?」
「今年の三中の部長、一高志望なのよ。しかも、圭太仕込みのね」
「……なるほど」
「で、さらに言うなら、次期部長になるであろう副部長は、圭太の妹なのよ」
「うわっ、マジ?」
「マジよ。で、兄に似て頭がいいから、やっぱり一高に入ってくると思うから。となると、ほかからよほど優秀な人材が来ない限り、五期連続の可能性が高いわよ」
「なるほどなるほど。確かにそれは可能性が高いわね」
「となると、ますます三中出身が幅をきかせるわけね」
「そんなことないわよ。うちは毎年多くても五人くらいしか入らないんだから」
「一学年に五人もいれば十分よ」
「ま、でも」
 流れはじめた会話を、さとみが止めた。
「そういうあたしたちが卒業して二年も三年も経ったあとのことなんていいじゃない。とりあえずは、来年のことよ。そうでしょ?」
「そうね」
「祥子は、ずっとともみのことを見てきたわけだから、なにも心配はいらないと思うけどね」
「あら、含んだ言い方ね」
「なんとなくだけど、もううちの部は、圭太中心に動いてるんじゃないかなって、そう思うのよ」
 さとみは、少し真面目にそう言う。
「ああ、それ、なんとなくわかる」
「圭太には、カリスマ性があるのよね。ともみもそれは感じてるでしょ?」
「まあね」
「それにまわりが引っ張られてる気がするのよ。別に祥子や仁に期待してないわけでも期待できないわけでもないけどね」
「それはそれでいいんじゃないの? どういう形ででも、ひとつにまとまれれば」
「ま、極論はそうだと思うけど」
「あとは、それを圭太自身がどこまで昇華できるか、か」
「少し期待をかけすぎてるかしら?」
「多少はね。以前に比べればそういうプレッシャーにもだいぶ耐えられるようになったけど、基本的にはそういうのは苦手なタイプだから」
「ともみがそう言うなら、そうなんだろうね」
「ま、そこら辺は、本来の部長と先輩副部長がカバーすればいいのよ。もともと一年の副部長は、完全に補佐が役目なんだから」
「そうね。本来の役目さえ果たせれば、心配はないわね」
 そこでようやく話が途切れた。
「さてと、そろそろ帰りましょうか」
「そうね」
「どっか寄ってく?」
「そういうのは明日からでいいんじゃないの? どうせ休みなんだし」
「それもそっか」
 わいわいと三年が帰っていく。
 祥子たちは、まだ話し合っていたが。
 確実に、時代は移り変わっていく。
 
 四
 秋休みに入り、一高吹奏楽部にも新たな動きが出てきた。
 基本的には最優先事項として全国大会の練習が中心となっているが、それと平行してそれ以降のことも行われていた。
 特に十一月の半ばに行われるアンサンブルコンテストに向けて、それぞれの組み合わせが行われ、それぞれの組み合わせで曲が決められ、練習がはじまった。
 圭太は、金管五重奏とトランペット四重奏のふたつに組み込まれた。複数になるのは別に圭太だけではなく、全員を参加させるためには何人かの複数参加はやむを得ない。
 金管五重奏は、トランペットの圭太、ホルンの久美子、トロンボーンの信一郎、ユーフォニウムの真琴、そしてチューバの仁という現在最強の布陣だった。この金管五重奏は本大会出場最有力候補とされ、練習時間も多く割かれていた。
 圭太は唯一の一年なのだが、その実力は二年をも凌駕しており、特に問題はなかった。
 
 秋休みも残り二日の九月二十九日。
 その日は珍しく、丸一日部活が行われることになっていた。というよりも、本来の部活はいつもと同じ午前中だけなのだが、午後に一、二年が自主的に練習を行うというものだった。
 午前中の練習を終え、部員たちは昼食をとっていた。
「むぅ……」
「えっと、あの……」
 柚紀は不機嫌だった。
 圭太は困惑していた。
 今、圭太の目の前には複数の弁当が並んでいた。ひとつはいつもと同じように柚紀が作ってきたもの。彩りも綺麗で、とても美味しそうである。
 で、残りはというと、三年のお姉さま方が作ってきたものである。
「はい、圭太」
 ともみは嬉々とした表情で、圭太に勧める。
「あら、ともみ、抜け駆けはよくないわ」
「そうそう、抜け駆けはダメよ」
 そう言って美保とさとみは自分のを勧める。
「美保のはどうかはわからないけど、さとみのなんか食べたら、体壊すわよ」
「ちょっと、美沙。それはど〜ゆ〜意味かしら?」
「だって、調理実習程度の料理だってまともに作れないあなたが、そのお弁当をまともに作れると思うの?」
「ふふん、あたしはね、進化する女なのよ。以前のあたしと同じだと思ったら、ケガするわよ」
「……どれどれ」
「あっ」
 というまに、美保がさとみの弁当箱から、卵焼きを奪った。
「もぐもぐ……まあ、ちょっと濃いめだけど、悪くないと思うわよ」
「……あたしの卵焼きが〜」
「いいじゃない、どうせ全部なんて食べてもらえないんだから」
「会心のできだったのにぃ〜」
「ほら、ぐずらないの」
「まったく、あんたらは……」
 すっかり蚊帳の外の圭太と柚紀。
 それでも柚紀は強かった。密かに自分の分を圭太に差し出し、食べさせる。
「……どう?」
「うん、美味しいよ」
「あはっ、よかった」
「ああ、ほら、そんなことしてるから『奥さん』に先を越されちゃったじゃないの」
 一瞬、柚紀と先輩の間で戦慄が走った。
「うふふふ」
「おほほほ」
 怖かった。
 無表情で笑うさまは、やはり怖かった。
 圭太はもう、ため息をつくしかなかった。
 
 午後の練習は、基本的には一、二年だけである。三年は残る必要はないのだが、やはりそれなりの数が残っていた。
 午後は、アンサンブルの練習が中心で、残っている三年がその指導に当たっていた。
 圭太たち金管五重奏のところには、幸江と美保、千里がいた。
 一応、金管はほかにも編成があるので、そちらにも何人か行っている。
「どうですか?」
 立場的にリーダーになっている仁が、三人の先輩に意見を求めた。
「まあ、はじめたばかりにしては、かなりまとまってると思うわ」
「そうね。一応、譜面通りにはできてると思う」
「あとは、ここから演奏にメリハリをつけていくわけね」
「バランスはどうですか?」
「悪くないと思うけどね。ただ、もう少し注文をつけるなら、全体的に目立たせてもいいんじゃないかな。少しおとなしい感じがする」
「確かに。上と下がもう少し効いてくるといいと思うわよ」
 この場合の上と下とは、トランペットとチューバのことである。
「圭太も仁も、もう少し出せるでしょ?」
 頷くふたり。
「とりあえずそんな感じで、今度は曲の流れを意識してやってみれば」
 そんなアドバイスがあり、再び練習がはじまった。
「それにしても、圭太はやっぱりすごいわね」
 練習中に、美保は小声でそんなことを言った。
「うん、確かに。二年精鋭の中でこれだけ存在感を出せてるんだから、これからますます楽しみね」
 それを受け、千里がそんなことを言う。
「幸江は、どう思う?」
「私としては、今のままのびのびやってくれればいいと思うけど。必要以上にまわりを意識しないで、自分の思う通りにやれば、結果はついてくると思うし」
「なるほどね。先輩としては、カワイイ後輩にはもっともっとのびてもらいたい、と」
「……その言い方、妙に引っかかるわね」
「だって、幸江だって彼のこと、単なる後輩以上に見てるんでしょ?」
「……さあ」
「まあ、あの容姿にあの性格のよさ、しかもなんでもこなせる優秀さ。それで気にならないっていう方が、おかしいわよ」
「確かにね」
「ねえ、幸江。正直に言ってみ。彼のこと、どう思ってるのよ?」
「そうそう。本音をバーンとね」
「別に私は……」
 幸江は、少しだけせつなそうな眼差しを向けた。
「ここには柚紀もいないんだしさ、言うだけ言ってみれば?」
「……確かに、圭太のことは、その、好きだと思うけど。でも、それはたぶん、まだまだ先輩と後輩の域を脱してないと思う」
「それって、ただ単に幸江が一線を引いてるからじゃないの?」
「…………」
「別に一線を越えろとは言わないけど、もう少し素直になってもいいと思うけどね。せっかく同じパートなんだし」
「うん、それは私もそう思う。どうせだし、告白だけでもしたら? それですっきりできると思うけど」
「そうそう。もう私たちがこの部活にいられるのは、あと一ヶ月ないんだから。最後の思い出にね」
「怖がってたら、なんにもならないわよ。幸江って、これまで誰かとつきあったこと、ないでしょ? だったらなおさら」
「あ、でも、すでに彼女がいるのに、告白っていうのもおかしいか」
「別にいいんじゃない? 私もあなたのことが好きなんです。それを知ってもらうだけでも。ひょっとしたら、大どんでん返しがあるかもしれないし」
「まあ、現状だと、それは地球が滅亡するよりも可能性は低いとは思うけど。やらないよりはましよね」
「ね、幸江。少し、考えてみたら?」
 美保や千里の言葉に、幸江はなにも応えなかった。
 ただ、その眼差しは、しっかりと圭太をとらえていたが。
 
 新学期がはじまった。
 とはいえ、特別なにかがあるわけでもない。新学期最初の日も、始業式に引き続いて、いつも通り授業が行われた。
 それでも学校の中は、次第にその雰囲気が変わっていた。
 勉強の面では、三年が受験体制に入り、緊張感が高まってきていた。放課後も、教室や図書館に居残りで勉強している生徒が増えている。
 あまり多くはないが、就職組は就職活動に追われはじめる。
 そんな三年とは対照的に、一、二年にはダレが出ている。慣れというのは恐ろしいものである。
 部活では、ほとんどの運動部では三年が引退し、新体制で活動をしている。新人戦も行われ、部によってはかなりの好成績を残していた。
 文化部では、あと一ヶ月に迫った文化祭に向けて、最後の追い込みに入っていた。そこが三年の引退の場となる。
 そんなこんなで、学校内には微妙な活気があった。
 
 十月二日。
 その日はようやく残暑の装いも消え、秋らしいさわやかな晴れの日だった。
「ん〜、いい気持ち」
 柚紀は、フェンス際に立ち、思い切り伸びをした。
 ここは、一高の校舎屋上。圭太と柚紀は、いつもと同じように昼休みに屋上にいた。
 相変わらず屋上には誰もいない。
「昨日は少し気温も高かったけど、今日はホントに気持ちいいよね」
 そう言って微笑む。
 一高も十月から衣替えとなり、男子も女子も上着を着ている。まだ移行期間だが、ほとんどの生徒は上着を着ている。
 ただ、十月のはじめはまだまだ気温の高い日もあるので、上着が鬱陶しくなることもある。
 そういうこともあって、柚紀はそんなことを言ったのだ。
「ね、圭太。ちょっとだけ、イケナイこと、しよっか?」
「イケナイこと?」
「うん」
 柚紀はそう言って圭太に近寄った。そして、そのまま一番陰になるところへ移る。
「圭太は、そのまま」
 圭太をその場に立たせ、柚紀はその前に跪いた。
 そして──
「ちょ、ちょっと、柚紀」
「いいから」
 柚紀は、あっという間に圭太のベルトを外し、ズボンとトランクスを下ろしてしまった。
 あらわになる圭太のモノは、萎縮したままである。
「ふふっ」
 柚紀は、圭太のモノをそっと握り、軽くしごく。
「んっ……」
 すると、少しずつ圭太のモノが、硬く怒張してくる。
「うん、今日も元気だね」
 硬く大きくなったのが嬉しいのか、柚紀は笑顔でそう言う。
「ん……」
 そして、そのまま口に含む。
 一度奥まで入れ、もう一度戻す。出し入れを繰り返しながら、舌を使って裏筋などを舐めていく。
 ちゃぷちゃぷという淫靡な音が、屋上の一角に響く。
「ね、気持ちいい?」
「う、うん、気持ちいいよ」
 時々上目遣いにそんなことを訊く。
 次第に圭太の息も上がってくる。
 それに呼応するように、舐めている柚紀も興奮しているようだ。
 空いている手が、自然とその胸に当てられている。
「はあ、はあ……」
「ん、圭太、ごめん、私、我慢できない……」
 そう言って柚紀は、立ち上がった。
 圭太のモノは、限界まで怒張し、天を向いてそそり勃っている。
 それを確認し、柚紀は自らショーツを脱いだ。見ると、ショーツにはシミができている。
「少し、腰、落として……」
 圭太は言われるまま少ししゃがむ。
 そして、柚紀はそんな圭太にしがみつく。片手で圭太のモノをつかみ、自分の秘所にあてがう。
「んっ」
 そのまま自分の体重で圭太のモノを飲み込む。
「はあ、ん、奥まで届いているよぉ……」
 圭太は、柚紀の足とおしりのあたりを持ち、支える。
 柚紀の中は、すでに十分濡れており、動くのに支障はなかった。
 柚紀は、自ら腰を動かし、少しでも多くの快感を得ようとする。
「んっ、はっ、あんっ」
 いつもより動きは遅いが、その分圭太自身を長く感じていられる。
 さらに、学校でこんなことをしているという、ある種の背徳感から、柚紀はいつも以上に感じていた。
「圭太っ、もっと、もっとっ」
 圭太にしがみつきながら、どんよくに圭太を求める。
 そして、数分後。
「柚紀っ」
「はあっ!」
 圭太は、柚紀の体奥にその思いの丈すべてぶちまけた。
「ん、はあ、はあ……」
 そのままの状態で、ふたりはキスを交わした。
 圭太が柚紀を地面に下ろし、モノを抜くと、柚紀の中からは、白濁液があふれてきた。
 柚紀は、それを持っていたティッシュで拭き取る。
「学校で、しちゃったね」
 柚紀は、嬉しそうにそう言う。
「圭太って、なんだかんだいっても、ちゃんと応えてくれるから好き」
「柚紀のお願いは、そうそう断れないよ」
 苦笑しつつ、後処理したモノをトランクスの中に戻す。
「ホントはもう少し余韻を楽しみたいんだけど、もう時間もないからね」
 時計を確認すると、もう昼休みは五分もない。
 柚紀も身支度を調える。
「はい、圭太。じっとしてて」
 柚紀は、ポケットからなにやら取り出す。
 それは、微香性の香料だった。それを圭太の体に吹きかける。そして自分にも。
「あんまりこれは匂わないと思うけど、ま、私と同じだから、いいよね」
 エッチの独特の匂いを消すため、香料でカバーしているのだが、柚紀はともかくとして圭太がそういうのをしているのは、違和感があるかもしれない。
 だからこそ、柚紀はそんなことを言ったのだ。
「ねえ、圭太」
「うん?」
「私ね、圭太とずっと一緒にいたいの」
 不意に、柚紀はそんなことを言った。
 圭太は、なぜ柚紀がそんなことを言うのか、わかっていない。
「だから、一緒に、ふたりだけで、暮らしたい」
「えっ……?」
「さすがに今すぐってわけにはいかないと思うけど、なんとか一高にいる間には、そうなりたい。どう、かな?」
「……少し、考えさせてくれないかな?」
「あ、うん、それはもう全然構わないよ。圭太のうちは、いろいろあるからね」
「うん」
「ただ、できるだけ前向きに考えてもらうと、嬉しいかな」
 そう言って柚紀は微笑んだ。
「さてと、そろそろ戻ろう。もう時間だし」
「そうだね」
 ふたりは、さわやかな秋の風が吹き抜ける屋上をあとにした。
 
「綺麗な月だね」
 琴絵は、そう言って団子を食べた。
 十月最初の日曜日。高城家ではお月見が行われていた。
 参加しているのは、高城家の三人と鈴奈である。柚紀も誘われたのだが、家の都合で辞退していた。
 もっとも、その時もかなりぐずっていたのだが。
 一階のリビングの窓を開け、そこから月を眺めている。残念ながら満月ではないが、空はいい天気で、綺麗な月が出ていた。
「鈴奈ちゃんは、そろそろ就職のこととか考えてるの?」
「そうですね。大学の方でも就職ガイダンスとかはじまってますから。ただ、私はまだ決めてないんですよ。このまま大学院に残ってもいいかなって思ってるんで」
「そうなの? まあ、鈴奈ちゃんくらい優秀なら、どっちに行っても大丈夫だと思うけど。そうすると、もうしばらくはうちのバイト、続けてもらえそうね」
「あ、それはもちろん。少なくとも卒業するまでは続けますよ」
「ふふっ、それは心強いわ。アルバイトを募集するのはいいんだけど、なかなかいい人がいないから、鈴奈ちゃんは手放したくないわ」
 そう言って琴美は微笑んだ。
「でも、もし就職するとしたら、どんな仕事がしたいの?」
「そうですね、一応教職も採ってるので、学校の先生なんかもいいかなって」
「鈴奈さんが先生なら、私も受けてみたいなぁ」
「ふふっ、ありがと、琴絵ちゃん」
「あら、でも教職を採ってるなら、来年は教育実習があるのよね?」
「はい。来年の春頃にどこで実習を行うか決めるんです」
「地元に戻るの?」
「まだ、わかりません。うちの高校は、結構受け入れが厳しいんで、できるかどうかわからないんです。一応一年に受け入れる人数は決まってますから」
「なるほどね。じゃあ、大学の地元ってことで、一高なんかはどう?」
「それも考えてます。地元高校への枠もありますから」
「そうすると、圭太が鈴奈ちゃんの授業を受ける可能性もゼロではないのね」
「そうですね」
「どう、圭太。鈴奈ちゃんが先生だと」
「どうって言われても、実感はないかな? 鈴奈さんは鈴奈さんだから。今はまだ、先生の鈴奈さんは想像できないよ」
「そう言いながら、実際そうなったら、案外辛口の評価を下しそうね」
「それは、ちょっと恐いですね」
「そういうところに私情を挟まないのが、圭太のいいところではあるんだけどね」
 苦笑する琴美。鈴奈は、そう言ってもらえたことが嬉しいのか、嬉しそうに微笑んでいる。
「まあ、そういう先のことは、今は忘れて、お月見を楽しみましょ」
 
「圭くん」
「なんですか?」
 お月見のあと、圭太は鈴奈をマンションまで送っていた。お月見をやっていたせいで、いつもより時間が遅いのだ。
「ちょっと、部屋に寄っていかない?」
「それは構いませんけど、いいんですか?」
「うん。今日は、もうちょっと圭くんとお話したいなって」
 鈴奈はそう言い、圭太を部屋へ招待した。
「ちょっと散らかってるけど」
 鈴奈の部屋は、確かに言うように少し散らかっていた。とはいえ、別にゴミがその辺に落ちていたり、物が乱雑に散らばっているわけではない。
 なんとなく物が出ている感じだった。
「ちょっと待っててね」
 そう言って鈴奈は小さな台所に立った。ヤカンに水を入れ、コンロにかける。
 お湯が沸くまでにマグカップにインスタントコーヒーを入れる。
 その手つきはさすがは喫茶店でアルバイトをしている鈴奈である。かなり手慣れていて、ここにコーヒーミルやドリップ器がないのが残念である。
 甲高い音とともに、お湯が沸いた。
 ゆっくりとお湯を注ぐと、コーヒーの香りが立ち上る。
「はい、お待たせ」
 圭太の前に、カップが置かれる。
「お砂糖とミルクは、好みでね」
 スティックシュガーとミルクも置かれる。
 圭太は、それぞれ一本ずつ取り、コーヒーに入れた。
「こうやって圭くんとゆっくりお話するの、久しぶりだね」
「そうですね」
「このところ、ずっと忙しかったからね。それに、今は彼女もいるし。『お姉さん』としては嬉しさ半分、淋しさ半分かな」
 そう言って鈴奈は微笑んだ。
「……ねえ、圭くん」
「はい」
「やっぱり、彼女がいると、違うのかな?」
「……そうですね。やっぱり、ひとりじゃないっていうか、どこか安心できる部分はありますね。具体的にこうだっていうのはないですけど」
「そっか……」
 コーヒーを飲みながら、鈴奈は小さく頷いた。
「ひとつ、訊いてもいいかな?」
「なんですか?」
「圭くん、私のこと、好き?」
「えっ……?」
「どうかな?」
 鈴奈の意外な問いかけに、圭太は一瞬惚けた顔を見せたが、すぐに気を取り直し、応えた。
「好き、ですよ。嫌いになる理由もありませんし」
「それって、私を抱けるくらい?」
「鈴奈、さん?」
 鈴奈は、なにも言わず、圭太の側に寄った。
 そして──
「ん……」
 鈴奈は、圭太にキスをした。
「鈴奈さん……」
 圭太は、少しだけ淋しそうな表情を見せた。
「お願い、私を抱いて……」
 そう懇願し、もう一度キスをした。
 
 薄暗い部屋の中、鈴奈はベッドの上に横たわり、真っ直ぐに圭太を見つめた。
「本当に、いいんですか?」
「うん。圭くんだから」
 圭太は、なにかを振り切るように一度目を閉じ、そして鈴奈に触れた。
「ん……」
 服越しに触れた鈴奈の胸は、かなりのボリュームがあった。普段から大きめの服を着ている鈴奈だが、どうやら着やせするタイプらしい。
 少しそうしてから、今度は服を脱がしにかかる。
 よく見ると、鈴奈が着ている服は、男物のワイシャツだった。
「鈴奈さんて、男物を着てるんですね」
「あ、うん。男物の方が大きくて着やすいから」
 ワイシャツを脱がせると、ライトブルーのブラジャーが現れた。
「や、やっぱり恥ずかしいね……」
 そう言って鈴奈は少し視線をそらせた。
 ワンポイントの入った可愛らしいブラジャーを脱がす。
「…………」
 その双丘は、横になっているにも関わらず、その存在感がすごかった。
 つんと上を向いた突起と綺麗なお椀型の乳房。
 緊張感と恥じらいから、少し赤みを帯びている。
「あ、えと、その、どう、なのかな?」
 その緊張感に耐えられなくなったのか、鈴奈はそんな少々意味不明なことを訊いてきた。
「綺麗ですよ、すごく」
「あ……」
 圭太の優しい言葉を聞き、鈴奈はようやく笑みを浮かべた。
 圭太は、その胸に手を添え、優しく揉みしだく。
「ん、あ……」
 それだけで鈴奈は敏感に反応した。
 包み込むように胸を揉む。すると、次第に先端の突起が、ぷっくりと膨らんでくる。
 圭太は、その突起に舌をはわせた。
「あんっ」
 と、さらに敏感に反応する。
「んんっ」
 舌で転がす度に、鈴奈は甘い吐息を漏らす。
「ん、圭くん……」
「どうかしましたか?」
 圭太は、あくまでも相手を思って、それで声をかける。
「なにも考えられなくなる前に、もう一度キス、してほしい」
「はい……」
 圭太は、小さく頷き、キスをした。
 今度は先ほどとは違い、お互いに求めるような、そんな情熱的なキスだった。
 唇を離すと、鈴奈は、ほんのりと頬を染め、恥ずかしそうに俯いた。
 その仕草がとても初々しく、年上の鈴奈が、可愛く見えた。
 それから圭太は、下半身に手を伸ばした。
 鈴奈はバイトのためにジーンズをはいている。そのジーンズを脱がせる。
 すると、ブラジャーと揃いのライトブルーのショーツが現れた。
 ショーツ越しに一番敏感な場所に触れる。そこは、すでにしっとりと濡れていた。
 鈴奈は、無意識のうちに足を閉じようとするが、圭太はそれを許さなかった。
「あ、いや……」
 少し指に力を込めると、ショーツ越しながら、その指が少し沈んだ。
「鈴奈さん。いいですか?」
「うん……」
 一応確認し、ショーツを脱がせる。
 生まれたままの姿になる。
 その均整のとれた肢体は、かなりのものだった。
 それは、同じように魅力的な肢体の持ち主である柚紀を何度も見ている圭太でさえ、見とれるほどだった。
「圭くん……」
 なにも言わない圭太に心配になったのか、鈴奈はおそるおそる声をかけた。
「どこか、変、かな?」
「あ、いえ、あまりにも綺麗だから、つい……」
「嬉しい……」
 鈴奈は、本当に嬉しそうに微笑んだ。
 圭太は秘所に指を添えた。
「んあっ」
 それまでにない快感に、鈴奈はさらに敏感に反応した。
 秘唇をなぞり、少しだけ中に指を挿れる。
「んっ」
 鈴奈の中は、これでもかというほど圭太の指を締め付けてきた。それはあまりにも狭く、とても圭太のモノなど入りそうになかった。
 それを感じ取ってか、圭太は十分に中をほぐす。
「あっ、んっ、ダメっ」
 少しずつ少しずつ鈴奈の声も高くなってくる。それに呼応するように中から蜜があふれてくる。
 ただ、それでも鈴奈の中は狭かった。
「鈴奈さん」
「はあ、はあ、どうしたの……?」
「すごく、つらいかもしれないですよ」
 圭太は、申し訳なさそうにそう言う。
「……ん、大丈夫。圭くんとひとつになれるんだから」
 そう言って鈴奈は微笑んだ。
 それを確認し、圭太も心を決めた。
 ズボンとトランクスを脱ぎ、すでに大きくなったモノをあらわにする。
「それが、圭くんの……」
 一瞬、鈴奈は息を呑んだ。
「いきますよ?」
「うん……」
 圭太は、鈴奈の秘所にモノをあてがい、そして、腰を落とした。
「ひぐっ……」
 しかし、予想通り、鈴奈の中は狭かった。圭太のモノは、まだ入り口部分で止まっている。先端が入っただけでこれである。
「圭くん……大丈夫だから……思い切ってやって……」
 鈴奈はうっすらと涙を浮かべながらそう言った。
 それを聞き、圭太も今度は思い切って腰を落とした。
「いっ、んあっ!」
 狭い鈴奈の中に、圭太のモノが入った。
「はあ、はあ、はあ……」
 鈴奈の中は、痛いくらいに圭太のモノを締め付けてきた。気を抜けば、すぐにでも出してしまうくらいである。
「圭くん……」
 自ら圭太を抱き寄せ、キスをせがむ。
 しばらく圭太はそのままでいた。さすがにすぐには動かせない。
「もう、大丈夫だよ。ありがと、圭くん。あとは、圭くんの好きなようにして」
 落ち着いたところで鈴奈はそう言った。
 それに応え、圭太はゆっくりと腰を引いた。
「いっ……」
 落ち着いたとはいえ、鈴奈の中はまだまだ狭かった。滑りがよくなっているのは、破瓜の血のせいだろう。
 それでも圭太はあえて動きを止めなかった。それは、そうすることを鈴奈も望んでいると感じ取ったからである。
「んっ……はっ……」
 圭太の動きにあわせて、鈴奈もぎこちなく腰を動かす。それは、とりもなおさず少しずつながらなじんできた証拠でもある。
 しかし、完全に慣れる前に、圭太の方に限界が来た。
「ごめん、鈴奈さん……」
 そう言って圭太は寸前でモノを引き抜き、鈴奈の真っ白な腹部にその精を飛ばした。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
 圭太は力尽きたように鈴奈の隣に倒れ込んだ。
「鈴奈さんを、気持ちよくさせられなくて、ごめん……」
「ううん、気にしないで」
 鈴奈は、圭太を抱きしめた。
「私こそ、圭くんには柚紀ちゃんがいるのにこんなこと頼んで、本当にごめんね」
「鈴奈さん……」
「二十一にもなって、はじめてなんて、ちょっと意外だったでしょう?」
「そんなことないですよ。それだけ鈴奈さんは自分を大切にしていたってことですから」
「そう言ってくれるのは、圭くんだけよ」
 薄く微笑み、圭太の髪を撫でた。
「でも、やっぱり最初は痛かったね。さすがにここまでとは思わなかったな。裂けちゃうかと思った」
「……鈴奈さん」
「ねえ、圭くん」
「なんですか?」
「これからもたまにでいいんだけど、そう、私が『桜亭』でバイトしてる間は、こうして私を相手にしてくれないかな? すごく虫のいい話だっていうのはわかってる。それでもお願いしたいの」
「…………」
「ダメ、かな……?」
 圭太は、天井を見て、呟いた。
「柚紀に、怒られますね」
「うん……」
「でも、僕が決めたことですから」
「じゃあ……」
「本当にたまになら」
「ありがと、圭くん」
 圭太は、鈴奈を本当の『姉』のように思っている。その『姉』の想いに応えるのが、『弟』の責務である、そう思っている。
「あれ……?」
 と、鈴奈がなにかに気づいた。
「圭くん、まだ……」
 見ると、圭太のモノは、まだ半勃ちの状態だった。
「鈴奈さんが、魅力的なので……」
 圭太は、苦笑しつつそう言った。
 たとえそれが本心ではなくても、鈴奈には嬉しかった。
「じゃあ、今度は『お姉さん』がするね」
 そう言って鈴奈は圭太のモノに触れた。おそらくはじめて触れるであろう男性器。それでも鈴奈は物怖じすることなくそれに触れ、軽くしごいた。
「ん……」
 射精してからまだそれほど経っていないせいか、圭太のモノはまだまだ敏感だった。すぐに大きくなる。
「びくんびくんしてる」
 モノを慈しむようにしごき、その先っちょに舌をはわせる。
「んっ……」
 鋭い快感に、圭太も声を上げる。
「だ、大丈夫?」
 そういう知識が少ない鈴奈は、そういうことひとつにもおっかなびっくりである。
「う、うん、大丈夫……」
「そっか……」
 ちょっとためらいながら、モノを舐める。
 かなりぎこちないが、それでも鈴奈の想いだけは伝わってくる。
 しばらくそれを続けると、圭太に限界が来た。
「うっ、鈴奈さん……」
 圭太は、鈴奈の顔に白濁液をかけた。
「熱い……」
 鈴奈は、顔についた精液を指ですくい、ぺろっと舐めた。
「うっ、苦い……」
 しかし、すぐに顔をしかめる。
「気持ち、よかった……?」
「う、うん、すごく気持ちよかったです……」
「よかった……」
 顔についた精液をティッシュでぬぐい取る。
「鈴奈さんも、気持ちよくなって……」
 そう言って圭太は、鈴奈の秘所に手を添えた。
「んっ」
 ロストバージンしたおかげで、多少緩くなった鈴奈の中。そこに指を挿れる。
 まずは一本。少し先を曲げ、丹念に出し入れする。
「あっ、いや、すごいっ」
 収まっていた快感の波が、再び鈴奈を襲う。
 それに慣れてきたところで、指を二本にする。
「んっ、ダメっ、おかしくなっちゃうっ」
 止めどなく押し寄せる快感に、鈴奈の感覚も麻痺してくる。
 圭太は、一番感じるところに触れた。
「ああっ!」
 それだけで鈴奈は軽く達してしまった。
 包皮に包まれていたその敏感な突起は、すっかりと大きくなっていた。そこを軽く擦るだけで、鈴奈はどんどんと声を上げる。
「ダメダメダメっ、止まらないのっ」
 どんどんとあふれてくる蜜が、その快感の度合いを示していた。
「いいっ、もう、どうでもよくなっちゃうっ!」
 キュッと指を締め付ける。しかし、圭太は鈴奈が達する直前で指を抜いた。
「け、圭くん……?」
 鈴奈は、どうしてという顔をしている。
「もう一度だけ……」
 圭太は、そう言ってモノを突き入れた。
「あうっ!」
 一気に体奥を突かれ、鈴奈は一段と甲高く啼いた。
 今度は、十分に濡れていて、多少きつそうではあるが、鈴奈も痛みよりも快感の方が上回りそうだった。
「圭、くん、好き、大好きっ!」
 圭太の首に腕を回し、その快感を全身で感じる。
「今だけは、今だけは私だけの、圭くんでいてっ」
 思いの丈をすべて叫ぶ。
「鈴奈さんっ!」
「圭くんっ!」
 そして、圭太は三度、その精を放った。今度は、鈴奈の最奥で。
「あああっ!」
 同時に、鈴奈は達した。
 ふたりとも肩で息をしている。
「圭くん……いつまでも、私の『弟』でいてね……」
 そう言って鈴奈はキスをした。
 圭太は、それに応えるように、はじめて自分から鈴奈を抱きしめた。
 鈴奈は嬉しそうに微笑み、その胸に顔を埋めた。
 たとえそれがうたかたのものでも、それは決してウソではない。それが、鈴奈には本当に嬉しかった。
 
 その日、柚紀は自分の部屋から月を眺めていた。
 月を眺めながら思うのは、誰のことか。
inserted by FC2 system