僕がいて、君がいて
 
第三十一章「夏物語」
 
 一
 県大会が終わり、一高吹奏楽部にもようやく休みが訪れた。
 束の間の休みではあるが、この期間を上手く使うのと使わないのとでは、夏休みの充実度に大きな差が出てくる。
 とはいえ、一、二年は山のような宿題を片づけるのが先決で、なかなか素直には喜べない状況かもしれない。三年にとっても、遅れ気味な受験勉強を取り戻すいい機会ではある。
 それでも夏である。あれもしたいこれもしたい。そのあたりの折り合いをどうつけるか、それが最も重要でもあった。
 そんな八月十四日。
 テレビでは連日高校野球を放送している。お盆の時期は高校野球を見ながら、地元の高校を応援する、というのが日本人の最もポピュラーな過ごし方かもしれない。
『桜亭』は、お盆で休みということで、圭太の朝の役目もなかった。
「ねえ、圭兄」
「うん?」
「今日はなにか予定あるの?」
 圭太がリビングで高校野球を見ていると、朱美が後ろから抱きついてきた。
「今日は、もう少ししたら祥子先輩のところへ行くよ」
「あ〜、そうなんだ。残念」
「デートでもしたかったとか?」
「まあ、そうなんだけど、相手が祥子先輩ならしょうがないね」
「今日はダメだけど、十八日なら大丈夫だと思うよ」
「えっ、ホント?」
 思いも寄らなかった言葉に、朱美の声が裏返った。
「うん。あ、ただ、紗絵からもそれとなく打診されてるんだ」
「むぅ、紗絵かぁ」
「だから、それまでにどうするか決めておいてくれればいいよ。僕はそれにつきあうから」
「前みたいに一緒でもいいってこと?」
「休みはこの期間しかないからね。僕に選択肢は少ないと思うよ」
「そっか。じゃあ、とりあえず紗絵に連絡してみるよ。十八日だよね?」
 朱美は再度確認し、早速電話を取った。
 その様子を見ながら圭太は、改めて大変なお盆になりそうだと思っていた。
 
 外は、相変わらずの暑さだった。
 夏の風物詩であるはずの蝉の声もほとんど聞こえない。蝉も、この限度を超えた暑さに鳴くのを控えているのである。
 圭太は、拭いても拭いても止まらない汗をそれでも拭きながら、三ツ谷家へと向かっていた。
 だいぶ通い慣れた道ではあるが、それでも時折意外なものを発見できる。
 たとえば、普段はなんの変哲もない家なのだが、夏だけは軒先にたくさんの風鈴がつるされ、あたかも『風鈴屋敷』とでも呼べそうな家があったり。普段は高い塀でまったく中の見えない家の庭に、とても背の高いひまわりが咲いていたり。
 そういうものを見ながら歩いていると、多少は暑さもしのげる。
 ただ、それでも根本的な問題の解決には繋がらないので、結局は早く目的地へ着くしかなかった。
 やがて、三ツ谷家の立派な門構えが見えてくる。
 その門に近づき、呼び鈴を鳴らす。
『はい、どちらさまですか?』
「あの、高城圭太です」
『あらあら、圭太さんですか。ちょっと待っててくださいね』
 インターホンから聞こえた声は、朝子の声だった。
 少し待つと、朝子が門を開けてくれた。
「おはようございます」
「おはよう、圭太さん」
 朝子は、たおやかに微笑んだ。その姿だけを見ていると、とても今が暑い夏とは思えない。
「今日も暑いですね」
「そうですね。これだけ暑い日が続いても、なかなか暑さに慣れません」
 そんな世間話をしながら母屋に入る。
 中は、造りがそう感じさせるのか、なんとなく空気が凛としている感じだった。
「そういえば、昨日はコンクールだったそうですね」
「ええ」
「どうでしたか?」
「シードされているので結果は変わりませんけど、演奏自体はそれなりのものでした」
「圭太さん自身は?」
「僕は、納得できる演奏ができませんでした。練習不足、なんですけど」
「そうですか。でも、まだ次がありますから、その時に納得できる演奏をすれば、今回のことも役に立つと思いますよ」
「はい」
 朝子にそう言われて、圭太は素直に頷いた。
「祥子さん、圭太さんがいらしたわよ」
 廊下を進み、祥子の部屋の前に立つ。
 中に声をかけると、すぐにドアが開いた。
「おはよ、圭くん」
「おはようございます」
 祥子は笑顔で圭太を出迎えた。
「それじゃあ、祥子さん。あとのことは任せますから」
「はい」
 朝子は、圭太に軽く会釈して行ってしまった。
「さ、圭くん、入って」
 祥子の部屋は、クーラーが弱めで入っていた。やはり、冷えすぎることを懸念してのことである。
「こうして圭くんが私の部屋に来てくれるの、もう当たり前になっちゃったね」
「そうですね。少し前までは、ほんのたまにしか来てませんでしたから」
 祥子は、圭太にクッションを勧めながらそう言う。
「ホント、圭くんが一高に入ってから、いろんなことがめまぐるしく変わったよね」
「それは、僕も予想外でしたけど」
「私個人としては、柚紀という彼女ができちゃったのは残念だったけど、それでも圭くんに私の想いが伝わって、ほとんど願いがかなったからよかったのかも」
 そう言って祥子は微笑む。
「そうそう、圭くん」
「なんですか?」
「昨日はどうだったの? シードだったから結果はあまり意味ないかもしれないけど」
「全体の演奏としてはまあまあだと思います。先生も特に苦言は呈しませんでしたから」
「そうなんだ」
「ただ、僕としては納得できる演奏ではありませんでした」
「そうなの?」
 祥子は、意外そうな顔をする。
「『海』にソロがあるじゃないですか。そこで失敗してしまって」
「失敗って、どんな?」
「はっきり言えば、ただ音符を追って音を出してる、という感じでした。そこに表現なんてものはありませんでしたし、演奏とは呼べるものでもありませんでした」
「原因は?」
「僕の練習不足です。本番前に先生に言われたんですよ。地区大会の時に抑え気味に吹いていたので、県大会はもう少し思い切りやってみたらどうかと。僕としてもそれには納得できたのでそうしようと思いました。でも、その『思い切り』やるということをちゃんと練習していなかったんです。なので、結局演奏も最低の結果になってしまいました」
 圭太は、自分の不甲斐なさをなじるように言う。
「ただ、僕としてもこのままで終わるつもりは毛頭ありませんから。関東大会までにきっちり仕上げて、今度こそ納得できる演奏をします」
「うん、圭くんならできるよ。私だけじゃなく、みんなだって圭くんがどれだけがんばってるか知ってるから。それが結果として残らないだなんてこと、ないよ」
「ありがとうございます」
 やはり、一日経ったからなのか、圭太も冷静になり、状況の分析もでき、そのような言葉も素直に受け入れられるようになっていた。もちろん、それを言った相手が祥子だというのもあるだろう。
「そうだ。ちょっと待っててね」
 と、祥子はなにか思い出したらしく、部屋を出て行った。
 部屋にひとり取り残された圭太は、息を吐いた。
 ぐるっと部屋を見回すと、あるものが目に飛び込んできた。
「これは……」
 それは、出産のための本だった。書籍から雑誌まで、それなりの数が揃っている。
 いくら経験者である朝子がいるとはいっても、自分自身でいろいろ知っておかないと、と思っていろいろ見ているのだろう。
 それを見た圭太は、神妙な面持ちで黙り込んでしまった。
 しばらくすると、祥子が戻ってきた。
 どうやら、お茶とお菓子を取りに行っていたようである。
「昨日の夜に作って冷やしておいたの」
 そう言って出したのは、チーズケーキだった。
「美味しくできるとは思うんだけど」
「いただきます」
 圭太は、一口食べた。
「どうかな?」
「美味しいですよ」
「よかった。うん、ホントだ。美味しくできてる」
 自分も食べ、できに満足したようである。
「あの、ひとついいですか?」
「うん、なに?」
「ひょっとして祥子、無理してませんか?」
「えっ、どうして?」
「いえ、明確な理由はないんですけど……」
 圭太は無意識のうちにさっきの本を見ていた。
「ん、ああ、あれを見たんだね」
 祥子はなるほどと頷き、その本を手に取った。
「確かに不安なことはあるけど、でも、それは誰にもあることだから。お母さまもそうだったって聞いてるし。それに、こういうことはちゃんと知っておかないとダメなんだよ。だって、私ひとりのことじゃないし。やれることはなんでもやって、その上でその時を迎えないと」
 ただね、と言って続ける。
「圭くんが心配してくれるのは嬉しいよ」
「心配するのは当然です。僕と、祥子のことなんですから」
「うん、そうだね」
 祥子は、本当に嬉しそうに、幸せそうに微笑んだ。
「あっ」
「どうかしましたか?」
「今ね、お腹蹴ったの」
「えっ……?」
「少し前からなんだけどね、動いてるのわかるようになったの」
 そう言って祥子は、お腹を撫でた。
「触ってもいいですか?」
「うん、いいよ」
 圭太は、そっと祥子のお腹に触れた。
「私ね、毎日のようにこの子に話しかけてるの。私がどれだけ圭くんのことを好きなのか、その圭くんとの間にできてくれてありがとうって。そうするとね、何回かに一回なんだけど、ちゃんと反応してくれるの。やっぱり、聞こえてるんだね」
 妊娠期間中に、胎教で音楽などを聴かせることがある。胎児もある程度成長すると、耳も機能するようになる。だから、話しかけると反応するというのも偶然というわけでもない。もちろん、その意味を理解しているかどうかは、定かではない。
「圭くんは、この子になんて呼ばれたい?」
「別にこれといってないですけど」
「私はね、『ママ』がいいの。だから、圭くんは『パパ』ね」
 圭太としては、まだそういう実感はなかった。やはり、男が親になったと感じるのは、子供がこの世に誕生してからだろう。
「ほら、パパですよ〜」
 祥子の生き生きとした表情を見ていると、圭太も自然と頬が緩んでくる。
「パパに、ご挨拶して」
 と──
「あっ」
「ね、ちゃんと反応してくれるでしょ?」
 圭太が触れていたところに、ちょうど反応があった。
「この子も、圭くんが自分のパパだってわかってるんだよ」
「そうですね」
 圭太は感慨深そうに祥子のお腹を撫でた。
「ふふっ、圭くんもこの子になにか話しかけてみたらどうかな?」
「えっと、じゃあ……」
 圭太は少し考え、言った。
「あまりママに迷惑かけないように、良い子にしてなくちゃダメだぞ」
「大丈夫よね。迷惑なんかかけてないものね」
「じゃあ、とにかく元気で産まれてきてくれよ」
 ふたりのそんな姿を見ていると、子の親になる、という希望に満ちあふれていた。もちろん、子育てはいいことだけ、楽しいことだけではない。つらいこと、大変なこともある。それでも、ふたりにとってはそれこそ想いの結晶である。希望ばかりを見ていても、誰もなにも言わないだろう。
 本当に、幸せそうなふたりだった。
 
 昼食には、兄の行雄以外が揃っていた。
 史雄は微妙に圭太とは視線をあわせず、黙々と食べていた。
 姉の陽子は、その気さくさと陽気な性格から、よく圭太に話しかけていた。たまに話がずれすぎて朝子に注意されることもあったが、それ以外では特に問題もなかった。
 朝子は、今までもそうだったのだが、圭太のことをとても買っていることもあって、食事などで同席する時はいつも楽しそうである。それが史雄の機嫌を損ねるひとつの原因ともなっているのだが、朝子は気にしている風もない。
 そんな中で圭太は、持ち前のコミュニケーション能力を持って、実に如才なく振る舞っている。
 祥子としては、自分の家族と特に問題なく接してくれている圭太に感謝していた。そこにはやはり、多少特殊な家であるという想いもないではなかった。ただ、圭太にとってはそれは関係ないということも理解していた。
 自分を三ツ谷家のお嬢様としてではなく、ひとりの女性として見てくれた圭太が、家族に対してそれができないはずはないと思っていた。
 だからこそ、目の前の状況を祥子は素直に喜んでいた。
 食事を終えて部屋に戻ると、ドアがノックされた。
「祥子。ちょっといい?」
 やって来たのは、陽子だった。
「どうかしたんですか、お姉さま?」
「ううん、取り立ててなにかあったわけじゃないの。ただ、もう少し『義弟』くんと話をしたいなって。あ、ふたりは一緒にならないから、正確には『義弟』じゃないか。ま、でも、似たようなものだし」
 そう言って陽子は笑った。
「それにしても、今日は兄貴がいなくてよかったわね。兄貴、祥子のことすっごく可愛がってるから、圭太くんの顔見たら、なにするかわからないわよ。その場にお母さまがいればそんなこともないけどね」
「そ、そうですか……」
 圭太も、行雄とは何度か会ったことはあった。ただ、そのほとんどはふたりが今のような関係になる前である。今の関係となってからは、一度しか会っていない。その時は朝子も一緒だったのでなにもなかったのだが、もしいなかったなら、確かにどうなったかわからない。
「ま、それはどうでもいいわね。兄貴だって、いつまでも祥子が自分の側にいないってことくらいわかってるだろうし。なによりも、祥子が圭太くんとの想いを遂げてから変わったことに、いくら鈍感な兄貴でも気付いてるだろうし」
 なかなかにひどい言いようではあるが、別に兄妹仲が悪いわけではない。ようするに、なんでも遠慮せずに言える仲なのである。
「祥子もそう思うでしょ?」
「私にはそこまではわかりません。お兄さまは、いつもなにも言いませんから」
「あはは、そっか。それはそれでありか」
 同じ家に生まれて、同じように育てられてもこうまで性格に差が出るのは珍しい。この姉妹は、本当に正反対の性格である。
「ところで、ひとつ聞きたいことがあるんだけど」
「えっと、僕にですか?」
「そ。ふたりが単なる先輩後輩関係じゃなくなって、もうどのくらい経つの?」
「えっと、もうすぐ二年です」
「二年にもなるの? はあ、それはまたずいぶんと私の予想以上の長さだわ。というか、祥子がそこまで早くに『女』になってたとは思わなかった。祥子は絶対、大学卒業までそんなことないって思ってたから」
「……お姉さま、その根拠はいったいどこにあったんですか?」
 祥子は、多少半眼になって訊ねる。
「どこって言われても、祥子、あなた、自分が積極的だと思ってる?」
「それは……」
「で、特に恋愛に関しては奥手でしょ? だとすると、そう簡単にはないだろうって思うのが普通だと思うのよ。違う?」
「いえ……」
 いちいち陽子の言っていることは正しいので、祥子はなにも言い返せなかった。
「ああ、別に私は早いのがダメとか遅いのがいいとか、そういうことが言いたいわけじゃないのよ。それは単なる確認事項でしかないんだから」
「確認事項、ですか」
「私が聞きたいのは、そんなに長い間男女の関係にあって、しかも祥子は妊娠してる。なのに、未だに圭太くんは祥子に対して丁寧語で話してるでしょ? たぶん、祥子が年上で先輩だからそうしてるんだろうけど、こういう関係になったんだから、話し方も対等でいいんじゃないの? 祥子だってその方がいいでしょ?」
「それは、まあ、そうかもしれません」
「祥子もこう言ってるんだけど、どう? あ、別に強制してるわけじゃないわよ。どうしてもイヤなら今のままでもいいし。ただ、見てるとなんとなくよそよそしい感じがあるから」
 圭太としても、それはわかっていた。ただやはり目上の者に対してはそれなりの態度で接するべきだと思っていた。
 それでも、陽子に『よそよそしい』と言われて、それが結局自分と祥子との消えていなかった一線なのかと理解してしまった。
「ああ、そんなに悩まないで。悩まれると、私がいじめてるみたいに見えるから」
 陽子はそう言って苦笑する。
「まあ、無理に変えようと思っても大変だから、少しずつでいいと思うわよ。それだと自分にあわないと思ったら、元に戻せばいいだけだし」
「そうですね」
 圭太は素直に頷いた。
「ところで──」
 それから陽子の話はずいぶん長く続いた。
 もっとも、ほとんど陽子がひとりで話していたのだが。
 
 陽子から解放された圭太と祥子は、少しだけ憔悴していた。
「ごめんね、圭くん。お姉さま、仕事柄、話すのも好きだしいろいろ聞き出すのも好きだから」
「いえ、気にしてませんから」
「気を遣ってくれてありがとね」
 さすがにまったく気を遣っていないとは言えずに、圭太は苦笑するにとどめた。
「でも、お姉さまがあれだけ楽しそうに誰かと話をしているの、久しぶりに見た気がするなぁ」
「そうなんですか?」
「学生時代に彼氏がいた時は、その彼氏とはそんな感じだったけど、別れて、大学を卒業して就職して、それからはあまりそういう姿、見てなかったから。でも、今日圭くんと話してる姿を見て、以前みたいに生き生きと話してたから。圭くん、お母さまだけじゃなく、お姉さまにも気に入られたみたいだね」
 そう言って祥子は微笑んだ。
 圭太は男女を問わずに人気がある。しかも、それも老若男女問わずである。ただ、最近は男女比で言えば女性の方が多くなっているのも事実だった。
「あの、祥子」
「うん?」
「やっぱり僕の言葉遣いは、直した方がいいですか?」
「う〜ん、私としてはどっちでもいいかなって思うの。お姉さまは確かにああ言ったけど、別に私は圭くんが私によそよそしいだなんて思ってないし。それに、言葉遣いだけで対等じゃないなんてこと、言えないと思うし。だって、そうでしょ? 明らかに上の立場の人が、下の人に丁寧語で話すこともあるんだから。そういう逆転した状況もあるんだから、一概にそうとは言えないと思うから」
「それは、そうですね」
「だから、私がこうしてほしいっていうのはないよ。圭くんがいいと思った通りにして。ね?」
「わかりました」
 祥子にそう言われ、圭太は少しだけホッとしていた。
 言葉遣いを変えるのはやぶさかではないのだが、今までずっとそういう話し方をしてきたわけである。それを変えてしまうと、ほかのことまで変わってしまうのではという漠然とした不安感があった。もちろん、普通に砕けた話し方の方がいい、と思う部分もある。それでも、今までのことを考えると、そう簡単には変えられそうにもなかった。
「私はね、圭くんが『祥子』って呼び捨てにしてくれるだけで十分なの。先輩って呼ばれると、なんとなくそれだけの関係としか思えないし、『さん』付けとかだと、なんとなく他人行儀だし。でも、呼び捨てなら少なくともそうは思わないから」
「……そうですね。僕も、そう思います」
「あ、でも、この子が産まれたら、ちょっと変わるかもね。私は圭くんのこと『パパ』って呼んで、圭くんは私のこと『ママ』って呼んで」
 そう言って祥子は笑う。
「それでも、基本的には私はいつまでも圭くんだと思うよ。だから、圭くんもずっと『祥子』って呼んでね」
「はい」
 それから圭太は、夕食もごちそうになった。
 圭太が来ると、とにかく朝子が張り切って食事を作るので、圭太としても断れない状況もあった。
 朝子としては、食事という家族にとって重要な場に圭太を居合わせることで、早く『家族』になってもらいたいという想いもあった。もちろん、朝子の中では圭太はすでに家族である。それでも、史雄や行雄、陽子もいるので、まだまだ努力を続ける必要があった。特に、三ツ谷家の男性陣は末娘の祥子に甘いから余計である。
「圭くんに抱きしめられてるだけで、本当に安心できるの」
 祥子は、圭太の胸の中でそう言う。
「ホントは、抱いてもらった方が心も体も幸せになれるんだけどね」
「無茶はしないでください」
「うん、わかってるよ。だから、こうしてもらってるんだから」
「それならいいですけど」
「でもね、圭くん。私だって、その、したくなる時もあるんだから」
「その分は、すべて終わってからにしましょう」
「うん」
 圭太は、そっとキスをした。
「じゃあ、僕はそろそろ帰ります」
「あ、うん。表まで送るよ」
 外に出ると、日中の熱気がまだ残っているのか、陽は完全に沈んでいるにも関わらず、暑かった。
「今度は、あさってだね」
「はい」
「私は、泳ぐかどうかはその時の状況を見て決めるから」
「そうですね、それがいいですね」
 外で改めて抱きしめ、キスをする。
「それじゃあ、帰ります」
「うん、バイバイ、圭くん」
 お盆初日は、こうしてとても穏やかに過ぎていった。
 
 二
 八月十五日。
 朝方は多少雲が出ていて涼しいかもしれない、と思わせていたが、九時になるかならないかの段階で、綺麗に晴れ渡った。
 圭太はそんな空を、少しだけ恨めしそうに見上げていた。
 待ち合わせ場所は駅改札前。待ち合わせ時間は午前十時。いつものように余裕を持って家を出たのだが、すぐに歩きで駅前に出るのを断念した。そんなことすれば、たどり着く前に体力をかなり奪われてしまう。
 早めに着いてしまうが、バスで駅前に出ることにした。
 バスは、朝から冷房が効いていて、とても快適だった。お盆ということで乗客も少なく、そういう意味ででも快適だった。
 駅前バスターミナルに着くと、バスを降りる。外はこれで午前中なのか、というほど暑かった。冷房のための排気熱が余計に気温を上昇させているのだが、それをしないと建物の中は蒸し風呂と化すので、やはり欠かせなかった。
 圭太は小さくため息をつきつつ、改札へ向かった。
 駅は、普段の休日よりも若干少なめだった。
 それでもお盆ということで、どこかへ旅行にでも出かけるのか、大きな荷物を持った家族連れの姿も見られた。
 時計を見ると、まだ九時半過ぎである。遅れるということは考えられなくとも、少なくともあと十五分は来ないだろうと圭太は思った。
 ところが──
「けーちゃん」
 それから五分と経たず、凛がやって来た。
「早いね」
「ああ、うん。本当は歩いて来ようと思ったんだけど、あまりにも暑くてバスで来たんだよ。そしたら、こんなに早く着いちゃって」
「そっか」
「凛ちゃんもずいぶん早いけど」
「あたしは、ただ単に柚紀より早く来たかっただけなの。なんとなく、そういうのでも負けたくないなって」
 そう言って凛は笑う。
 凛の格好は、ノースリーブのシャツにミニスカートという格好だった。
「ん〜、まだ柚紀が来てないから、いいよね?」
 キョロキョロとあたりを見回し、まだ柚紀が来ていないことを確認する。確認すると──
「一度、こうしたかったんだ」
 凛は、圭太に腕を絡めた。
 背の高い凛との腕組みは、端から見てもかなり絵になっていた。
「もうあのデートから十日以上経つんだね。なんか、あっという間だった。けーちゃんに受け入れてもらえたかと思うと、それだけで嬉しくなっちゃって。たぶん、家にいる時もニヤニヤしてると思うの。ホント、今、お姉ちゃんがいなくてよかった」
 少々大げさな気もするが、凛にとってはそれほど大きなことだった。やはり、七年という月日は想像以上に長いのである。
「ね、けーちゃん」
「うん?」
「今度のことなんだけど、いつがいいかな?」
 頬が赤らんでいるのは、暑さのせいだけではないだろう。
「凛ちゃんは、いつまでだっけ?」
「あたしは、二十七日まで。だから、帰ってくるのは二十八日だね」
「二十八日か。とすると、夏休みは残り三日しかないね」
「うん」
「とすると、二十九日がいいかな?」
「あたしはいつでもいいよ」
「じゃあ、二十九日にしようか」
「うん。二十九日だね」
 凛は、それを心に刻む。
「とりあえず、帰ってきたらあたしの方から連絡するよ。その方が手間にならなくていいと思うし」
「そうだね。そうしてくれると助かるよ」
「あたし自身のことだから、なんでもやらなくちゃ」
 そう言って凛は微笑んだ。
 時計が九時五十分をまわったところで柚紀がやって来た。
 もちろん、凛は未だに腕を組んだままである。
「……ちょっと、凛。なにしてるの?」
「なにって、見てわからないの?」
「わかるからこそ、訊いてるの」
 白のノースリーブのワンピース姿の柚紀は、形のいい眉をつり上げ、少し怒気のこもった声で言う。
「柚紀はいなかったんだから、いいじゃない」
「そういう問題?」
「そういう問題」
 凛は頷きながら腕を放した。
「ん? ん〜……」
「な、なに……?」
 柚紀は、凛の顔をじっと見つめる。
「ねえ、凛。正直に答えなさい。あんた、変わった?」
「は? 変わったって、なにが?」
「そんなの決まってるじゃない。気持ち、よ」
 柚紀の顔は、真剣そのものだった。凛は、圭太に認められ、受け入れられたことを見透かされたのでは、と思った。
「ど、どうしてそう思うわけ?」
「そんなの、表情を見ればわかるわよ。私は、何度もそういう場面を見てきてるの。望んではいなかったけどね」
 一瞬、圭太に視線が向く。
「どうなの?」
「柚紀」
 と、圭太が口を挟んだ。
「なに?」
「とりあえずそのくらいにして。ここでそうしててもしょうがないよ。時間ももったいないし」
「……そうね。とりあえず、ここから移動しましょ」
 柚紀は、小さく息を吐いた。
 凛にしてみれば、その場はなんとか逃れられたが、それはただ単に延期されただけである。柚紀と一緒にいる限り、最終的に逃れることなどできないのである。
 それを考えると、自然とため息が出た。
 三人は、切符を買い、電車に乗った。
 電車の中は、やはり普段の休日より若干少なめだった。
 座席も空いており、三人は、圭太を真ん中にして座った。
「目的地までは少しあるから、さっきの続き」
 そう言って柚紀は、凛を見た。
「凛。なにかあったの?」
 凛は、少し困った顔で圭太を見た。
 圭太はそんな凛に、小さく頷いた。
「……けーちゃんに、受け入れてもらったの」
「……ホント?」
「うん、本当だよ」
「そっか、やっぱりね」
 柚紀は、視線をそらし、息を吐いた。
「私もわかってはいたの。遅かれ早かれ、圭太は凛を受け入れてしまうって。今まで認めてきてしまったわけだから、凛だけ認めないわけにはいかないけど。でも、歓迎してないってことも、覚えておいてよ。私はね、圭太にはあくまでも私だけを見て、愛してほしいと思ってる。ほかの誰も見てほしくない。愛をささやいてほしくない。だけど……」
 圭太は、そっと柚紀の肩を抱いた。
「それができないことも、わかってるから」
「柚紀……」
「で、もう抱かれたの?」
「そ、それは、まだ……」
「そうなの? ふ〜ん、そうなんだ」
 柚紀は、少しだけ意外そうな顔をする。
「とりあえず、それが確認できればいいわ。今日はせっかくのデートだし、あまり雰囲気を悪くしたくないから。というわけで、圭太」
「ん?」
「今日のエスコートは、任せたからね」
「了解」
 ようやく三人の間の雰囲気が、いつもに戻る。
 それとほぼ同時に、電車は目的の駅へと滑り込んだ。
 
 三人がやって来たのは、遊園地だった。
 夏休み、しかもお盆ということで人出は多かったが、やはり暑さのせいか、GWなどの行楽シーズンに比べると少なかった。
 チケットを買い、中に入る。
「さあ、今日は思い切り遊ぶわよ」
 柚紀は、そう言って早速どこへ行くか検討をはじめた。
「圭太と凛は、まずはどこに行きたい?」
「僕はどれでも。ただ、できれば暑いのはやめてほしいかな。あと、列で長時間待たなくちゃいけないのも」
「そのあたりは私も同じよ。こんな天気の日に、一時間も二時間も外で待たされちゃ、熱射病であっという間にダウンするからね。で、凛は?」
「あたしは、中のアトラクションがいい」
「中のね。じゃあ、これかこれかこれかこれね」
 園内マップの屋内型アトラクションを指さす。
「その中で比較的人が少ないと思われるのは、このあたりかな」
 まず、三人が向かったのは、いわゆるミラーハウスである。呼び方はそれぞれではあるが、基本的には迷路の通路が一面の鏡張りになっているアトラクションのことである。
 最近はこれがある遊園地の方が少ない。やはり、ジェットコースターなどの集客力のある人気アトラクションに用地を使ってしまうからである。
 あればあったでそこそこ人は入るのだが、定冠詞として『人気』をつけられるかどうかは、微妙である。
「予想通り、そんなにいないわね」
 入り口には一応順番待ちの列はあるが、待っても五分ほどで入れる。
 程なく圭太たちの番になった。
「ん〜、涼しい」
 中は、冷房が効いていて、とても涼しかった。
「ここを楽しむというよりは、涼むために入ったって感じだね」
「あれだけ外が暑くちゃ、それもしょうがないでしょ」
 三人は、話をしながらゆっくり進んでいく。
「凛は、向こうにいる時はこういうとこ行ってたの?」
「まったく行かなかったわけじゃないけど、ほとんど行かなかったわね。休日はホントに体を休めるために使ってたから」
「中学の時も?」
「中学の時はもう少し余裕があったけど。でも、出かけるにしても遊園地よりも買い物とか映画とかの方が多かったかな」
「やっぱり、東京に住んでたからかな、それは」
「さあ、どうなんだろ。まあ、確かにこっちよりはいろいろあったけど」
「なるほどね〜」
 こういう姿を見ていると、このふたりはとても仲の良い友人に見える。もちろん、基本的には仲は悪くないのだが、こと圭太が絡むとどうしてもお互いに譲れなくなる。
「で、誰かちゃんと出口に向かうこと考えてる?」
「さあ?」
「道なりに歩いてるだけだけど」
「……まあ、なんとなく予想はできたけど」
 とりあえず立ち止まる。
「どっちが出口だと思う?」
「どっちから来たんだっけ?」
「…………」
「…………」
 ミラーハウスは、通路が鏡張りなので、自分がどこにいるのかわからなくなりやすい。特に、なにも考えずに歩いていると、どっちから歩いてきたのかすらわからなくなる。
「と、とりあえず、出ることを優先しない?」
「そ、そうね。こんなところにいつまでもいるわけにもいかないし」
 そういうわけで、三人は出口を目指すことになった。
 出口だけを目指すなら、それほど大変ではない。ただし、それは平衡感覚や方向感覚に優れている者の話である。
 ちょっと注意が散漫になると、下手すると正面の鏡にぶつかってしまう。
「ねえ、圭太。どっち?」
「たぶん、こっちだよ。出口が向こうだと思うから」
「って、圭太、どのあたりを歩いてたか、把握してたの?」
「うん。ほら、ここって迷路だから、それは必須かなって」
「けーちゃん、て……」
 さすがのことに、柚紀も凛も開いた口がふさがらない。
「さ、行こうか」
 穏やかな笑みを崩すことながら、圭太は歩いていく。
「……いろんな意味で、圭太と一緒にいると安心よね」
「……うん。それは同感」
 ふたりは、乾いた笑みを浮かべつつ圭太のあとを追った。
 それから程なくして、ミラーハウスを出た。
「次はどこへ行く?」
「ねえ、時間的にはちょうどお昼じゃない?」
「ああ、言われてみればそうね。じゃあ、先にお昼にする? それとも、空くまで待つ?」
「ここで決めないで、混み具合を見てみた方がいいんじゃない?」
「じゃあ、そうしましょ」
 三人は、ミラーハウス前からレストランなどがあるモールへと移動する。
 レストランはひとつではないが、どこも満席だった。
「う〜ん、さすがにお昼の時間帯に食べるのは厳しいか」
「それなりに待ってる人もいるしね」
「圭太も、待ってるよりほかをまわって方がいいわよね?」
「その方が効率的だね」
「よし、次行こう」
 決めてしまえば早い。
 とはいえ、これからの時間帯が一番暑い。
 心なしか、日向を歩いている人の数が減っている。
「ホントはあとまで取っておこうかと思ったけど、あそこに行きましょ」
 そう言って指さすのは──
「お化け屋敷か」
 お化け屋敷だった。
 ミラーハウスよりは列も長く、待ち時間も長そうだった。
「それにしても──」
 柚紀は、空を見上げた。
「なんでこんなにいい天気なのかしら。というより、なんでこんなに気温が上がるのかしら。どう考えてもおかしいわよ」
「天気に文句を言ってもはじまらないと思うけど」
「そんなことないわよ。ひとりじゃ意味なくても、百人、千人単位で文句言えば、それが意志の力となって天気すら変えるかもしれないじゃない」
 本気で言ってるのか冗談で言ってるのかいまいちわからないが、柚紀はそう言う。
「ほら、言葉には『言霊』って言って力が宿るって言うじゃない。それがホントなら、あながちあり得ない話でもないと思うのよね」
「……ねえ、けーちゃん」
「うん?」
「たまに思うんだけどさ、柚紀って、時々壊れるよね」
「うん。でも、僕はもう慣れたよ。それに、たいていはすぐに元に戻るから」
「あたしはまだ、慣れないかな」
 そう言って凛はため息をついた。
「ちょっとちょっとちょっと、ふたりでなに勝手なこと言ってんのよ」
 そこへ、柚紀が口を挟んでくる。
「別に私は壊れてなんかないわよ。至って正常、問題なし。アンダスタン?」
「はいはい、そういうことにしとくわ」
「なんかムカツクわね、その言い方」
「だって、柚紀が壊れてるっていうのは、あたしとけーちゃんの統一見解なのよ? 三人のうちふたりがそう言ってるんだから、どう考えたって柚紀に軍配が上がるわけないじゃない」
 理路整然と言われて、柚紀も言葉に詰まる。
「まあまあ、ふたりともこんなところで言い合わないで。それに、怒ると暑いだけだよ」
 言い合いから言い争いにまで発展しそうなふたりを、圭太が止める。
「ほら、もうすぐ僕たちの番だし」
 確かに、そろそろ三人の番だった。
「ま、しょうがない。ここは圭太に免じて許してあげる……って、圭太も凛と同罪じゃない」
「あれ、そうだっけ?」
「危うくその笑顔にだまされるところだったわ」
「……基本的に、柚紀のノリは芸人のノリなのね」
 凛は、なるほどと納得した。
 それからすぐに圭太たちの番となった。
 中は、もちろん冷房も効いているのだが、雰囲気のせいかそれよりも若干肌寒く感じられた。
 納涼肝試しなどと言うが、やはりお化け屋敷は夏に来るものである。
「ね、ねえ、けーちゃん」
「うん?」
「う、腕、つかんでてもいいかな?」
「いいけど、ひょっとして凛ちゃん、こういうの苦手?」
「苦手っていうか、得体の知れないものがイヤなの。それがたとえ人の作ったものでも」
「そうなんだ」
 凛は、圭太の腕をキュッとつかんだ。恐々と前方を見ているところを見ると、本当に苦手なようである。
 それを見ていた柚紀は、少し考え、なにか思いついたようである。
 小悪魔的な笑みを浮かべ、そーっと手を伸ばし──
「きゃあっ!」
 凛の肩を、それっぽく叩いた。
 同時に、凛はあらん限りの悲鳴を上げた。
「だ、大丈夫、凛ちゃん?」
「な、ななな、なんか今、肩を叩いたの……」
 後ろを見るが、当然誰もいない。
「気のせい、ってことはないか」
「ううぅ……」
 もはや半泣きの凛。
「まだ行ける?」
「それは、大丈夫だけど……」
「じゃあ、僕がこうしてあげるから」
「あ……」
 そう言って圭太は、凛を自分の前に置いた。当然、圭太の方を向けてである。
「これなら、少しは大丈夫でしょ?」
「う、うん……」
 思わぬ展開に、凛はもはや怖さなどどこかへ飛んでいた。
 一方、脅かした張本人であるところの柚紀は、やはり思わぬ展開に唖然としていた。圭太の性格を考えればこうなることも予想できたのだが、凛を怖がらせることしか考えていなかったために、それは頭の片隅にもなかった。
「し、失敗した……」
 地団駄を踏んで悔しがるが、さすがに自分がやったとは言えず、黙って見ているしかなかった。
 その後──
「いやーっ!」
 なにか出てくる度に──
「来ないでぇっ!」
 悲鳴を上げ──
「やだやだやだっ!」
 その度に圭太に抱きつき──
「怖いのやだよぉっ!」
 抱きついた瞬間は照れていた。
 とはいえ、怖いのは事実らしく、その嬉しさも半減という感じではあった。
 柚紀はといえば、圭太に抱きつくタイミングを計っていたのだが、そのことごとくを凛につぶされ、すっかりへこんでいた。
 やがて、前方が明るくなってきて、外へ出た。
「ううぅ、けーちゃん……」
 圭太は、よしよし、という感じで凛の頭を撫でる。
「はあ、まさか凛がここまで恐がりだったとはね。計算外だったわ」
 柚紀は、ただただため息をつくだけである。
「凛ちゃん、大丈夫?」
「う、うん、もう大丈夫」
 凛は、少し鼻をすすり、ようやく圭太から離れた。
「ごめんね、けーちゃん」
「誰にでも苦手なものはあるんだから、気にしないでいいよ。それより、苦手だったら無理して入らなくてもよかったのに」
「今思うと、そうかも。今度から気をつけるよ」
「まったく、凛のせいで私の計画が台無しじゃない」
「計画?」
「怖がって圭太に抱きつく計画」
「……なるほど、柚紀らしい計画だわ」
「ホントに、計算外だわ」
 結局柚紀は、レストランに入るまでずっと文句を言っていた。
 
 レストランは多少は空いていたが、それでも混んでいる部類に入った。それもやはり、それぞれが長居してるからだろう。レストランは涼しいが、外は暑い。しかも、二時前後は一日で一番暑い。そんな中を好きこのんで出たがる者はいない。特に、家族連れの両親の方は。
 そこで昼食をとり、しばしゆっくりする。
「あ、そうだ。ねえ、凛」
「うん?」
「三十日か三十一日の夜って空いてる?」
「三十日か三十一日の夜? とりあえず予定はないけど、なんで?」
 凛は、アイスコーヒーを飲みながら首を傾げた。
「実はね、みんなで花火をしようって言ってるの。まだ全員に確認とったわけじゃないからどっちになるかはわからないけど」
「みんなって?」
「そりゃ、圭太に関わりのあるみんなよ。凛も、だいたいは知ってるでしょ?」
「うん、まあ……」
「これからのことを考えると、ここら辺でちゃんと全部知っておくべきだと思うわよ。最初は戸惑うかもしれないけどさ」
 あっけらかんと言う柚紀ではあるが、内心は複雑だった。もちろん、今更なにを言ってもはじまらないのだが、そういう状況を目の当たりにすると、どうしても複雑な想いになってしまのである。
「それに、なぜか知らないけど、みんなはとっても仲が良いのよ。圭太の人望ゆえなのか、みんなの性格がいいからなのかはわからないけどね。だから、なにも心配することないし」
 そう言われては、凛としても断る理由はなかった。
「じゃあ、三十日か三十一日の夜、空けておくから」
「うん、そうして。詳細が決まったらまら連絡するから。ま、たぶん、場所は圭太の家になると思うけどね。なんだかんだ言いながら、あそこが一番集まりやすいし」
「覚えておくわ」
 レストランを出ると、今度は外のアトラクションを中心にまわった。
 もちろん、ジェットコースターにも乗った。ただ、ここでひとつの問題が発生した。それは、コースターの席がふたり掛けということだった。柚紀も凛も当然圭太と並んで乗りたい。しかし、座席はふたつ。ひとりが余ることになる。
 そこで柚紀と凛は緊急会議を開き、協議を行った。その結果、圭太が二回乗るということで決着がついた。そこに圭太の意見が反映されていなかったことは、言うまでもない。
 いくつかアトラクションをこなし、最後はやはり、観覧車である。
 夏ということでまだだいぶ明るかったが、それでも雰囲気だけはあった。
 日中に比べれば多少気温も下がっていることもあってか、閉園間近になって外のアトラクションに人が並んでいた。
 圭太たちも、そんな中を観覧車の列に並んでいた。
「やっぱり、カップルが多いわね」
 柚紀は、並んでいる人たちを見てしみじみそう言った。
「ゴンドラの中は密室だからね」
「だけど、私たちは三人。ちょっと浮いてるわね」
「それはしょうがないでしょ」
「圭太も、ふたりきりの方がいいでしょ?」
「さあ、どうかな。前にこれに乗った時も、三人だったし」
「前に? 誰といつ乗ったの?」
 圭太は、一瞬しまったという顔をしたが、それはもう後の祭りである。
「ともみ先輩と幸江先輩と、GWにだよ」
「ああ、GWにか。だったらまあ、しょうがないか。にしても、先輩たちとねぇ」
「あの時は僕に選択の余地はなかったから。というか、当日までここに来ることも教えてもらえなかったし」
「そうなんだ」
 柚紀は、なるほどと頷いた。
「だから、僕はふたりきりがいいのかどうかは、ちょっとわからないかな」
「ねえ、凛」
「イヤよ」
「ちょっと、まだなにも言ってないでしょ?」
「そんなの聞かなくてもわかるわよ。あたしに遠慮しろって言いたいんでしょ?」
「あら、わかってるじゃない」
「だから、それがイヤなの。あたしだって、けーちゃんと一緒に乗りたいんだから」
 そう言って凛は、圭太の腕を取った。
「なにどさくさに紛れて腕組んでるのよ」
「いいじゃない」
「むぅ……」
 柚紀としては悪いと言いたいのだが、あまり強く言うのは大人げないと思い、やめた。
 それからしばらくして、ようやく順番がまわってきた。
 ゴンドラ内は、空調が効いていた。さすがに高所を行く観覧車では、おいそれと窓を開けられない。とはいえ、夏は暑い。となると、空調をつけなければならない。というわけである。
 もっとも、空調つきのゴンドラが導入されたのは、それほど昔のことではない。
「もう少し太陽が傾いてると、趣があったんだけどね」
「それは贅沢でしょ。この時季の日の入りは遅いんだから」
「まあね」
 とりあえず圭太がひとりで座り、柚紀と凛が一緒に座った。
「圭太はさ」
「うん?」
「凛と再会した時、正直どう思った?」
「そうだなぁ、とりあえずは驚いたよ。まさか、って感じだった」
「凛は?」
「あたしは、けーちゃんがあのクラスにいるかもってわかってたから」
「なんで?」
「なんでって、クラス分けのプリントがあるでしょ? あれで見てたから。ただ、同姓同名かもしれないと思って、確証はなかったけど」
「なるほど。あれ? ということは、圭太は凛に気付かなかったってこと?」
「ああ、まあ、そうなるね」
 圭太は、バツが悪そうに苦笑した。
「それはしょうがないわよ。あたしの名前、一番最後に取って付けたように書かれてたから。それに、たとえ気付いてたとしても、あたしと同じでそれがあたしだっていう証拠はないんだし」
「それはそうね。私も、知り合いの名前があっても、そこまでの確証は持てないもの」
 柚紀は、なるほどと頷いた。
「で、驚いた以外は?」
「もちろん嬉しかったよ。今では数少ない幼なじみだからね。あと、凛ちゃんすごく綺麗になってたし」
「も、もう、けーちゃん……」
「おほんっ。で、凛は?」
「あたしは、やっと会えたって感じ。これで七年前に言えなかったことを言えるって思った。まあ、それは柚紀がいたせいでいろいろ修正を余儀なくされたけど。けーちゃんはあの頃とまったく変わってなかったから、すごく安心できたし。あ、もちろん、すっごくかっこよくなってたけどね」
 少し照れて言う。
「……まだ抱かれてないって言ってたけど、キスくらいはしてるんでしょ?」
「え、ま、まあ、それは、ね」
「それが凛のファーストキス?」
「え、えっと、こっちに来てからのは、ファーストキスじゃない」
「えっ、そうなの?」
「こっちにいた時に、してるから」
「してるって、まさか、圭太と?」
 凛は、小さく頷いた。
 
 それは、凛の小学校三年の誕生日のことだった。
「凛ちゃん、誕生日おめでとう」
「ありがとう、けーちゃん」
 友達も呼んだ誕生パーティーの前。圭太は、皆よりもだいぶ早く来ていた。
「これであたし、九歳だよ。けーちゃんよりも『おねえさん』なんだから」
「おねえさんて、一ヶ月しか違わないよ」
「一ヶ月でも、おねえさんはおねえさんなの」
 凛は、わずかな間でも圭太より年上でいられることを、ことのほか喜んでいた。
「あのね、けーちゃん」
「うん」
「あたし、おねえさんでしょ?」
「うん」
「えっと、お姉ちゃんが言ってたんだけど、おねえさんは、なんでもできるからこそ、おねえさんなんだって」
「なんでもできるから? う〜ん、確かに、蘭ちゃんはなんでもできるね」
「うん。だからね、あたしもなんでもできないとダメなの」
「でも、凛ちゃん、なんでもはできないよ」
「うっ、そ、そうなんだけどぉ……」
 圭太の鋭いツッコミに、凛はたじろいだ。
「な、なんでもできるようになるのはこれからなんだけど、でも、あたしはおねえさんだから、そのなんでもできるっていうことを、けーちゃんにも分けてあげる」
「分けるって、そんなことできるの?」
「うん。お姉ちゃんが言ってた。だからね、けーちゃん。目、閉じてくれるかな?」
「目を? いいけど」
 圭太は目を閉じた。
「開けちゃイヤだからね。そんなことしたら、ひどいんだから」
「うん」
 凛は、真っ赤な顔で、圭太の顔に自分の顔を近づけた。
「ねえ、凛ちゃん。まだなの?」
「も、もうちょっと待って」
 大きく深呼吸。
 そして──
 
「小学校の時に、一度だけ。それがあたしのファーストキス」
「……圭太は、覚えてる?」
「う〜ん、なんとなくは」
「だってさ」
 肝心の圭太の方がうろ覚えで、凛はさすがにショックを受けていた。
「圭太はそれがファーストキスだったの?」
「どうだったかなぁ? よく覚えてないけど……あっ、違う」
「違うの?」
「うん。それより前に、琴絵にキスされたことがあったよ」
「こ、琴絵ちゃんがファーストキスの相手?」
「あ、もちろん、半分お遊びでのことだよ。確か、琴絵がどこかでキスのことを聞いてきて、それを僕で試したって感じ。それに、琴絵自身、それを覚えてるかどうか。なんたって、小学校に入る前のことだから」
「しょ、小学校に入る前……」
 衝撃の事実に、柚紀も凛もショックを受けている。
「……私なんて、圭太としたキスがファーストキスだったのに……」
「あ、えっと……」
 圭太としてはなんと言えばいいのかわからない状況だった。下手なことを言えば、ふたりの不興を買ってしまう。それはさすがにできなかった。
「でも、考えてみたら、みんな圭太が最初の相手なのね。ほかのみんなもそうなのかな?」
「さあ、それはわからないけど」
「全員かどうかはわからないけど、大部分はそうよね」
 実は、全員が圭太とがファーストキスなのだが、それは圭太も知らない。
「まあ、いいや。過ぎたことをとやかく言ってもしょうがないし。私が圭太の彼女であることは、どうあっても変わらないし。それに、圭太のいろんなはじめては、私がもらってるわけだし」
 柚紀はそう言って微笑む。
「ああ、でも、ひとつだけ圭太のはじめてになれないことがあった」
「なに?」
「子供」
「子供?」
「圭太の最初の子供は、私とじゃないもの。それだけが残念」
 それは、柚紀にとっては当然だが、圭太にとってもあまり深く触れたくないことだった。柚紀が最初だったら、と何度考えたことか。
「いろいろあるけど、私としては、凛が最後のはじめてであってくれることを祈ってるわ」
「なに、その、最後のはじめてって?」
「ん、ようするに、これ以上圭太に誰かが現れてほしくないってこと。はじめてっていうのは、セックスのこと。まさか凛、処女じゃないってことないでしょ?」
「あ、当たり前よ。そんな相手、いないもの……」
「だから、最後のはじめてなの。わかった?」
 柚紀としても、わざと圭太の前でそれを言うことで、圭太にそれをわからせようという想いがあった。
「ただね、凛。これだけは言えるわ」
「なに?」
「きっと、それは一生忘れられない想い出になるから。そして、そういう時の圭太は、反則ってくらい優しいから」
「……わかった。教えてくれて、ありがと」
 それからゴンドラが下に戻るまで、三人は一言も発しなかった。
 それでも、なんとなくお互いになにが言いたいのか、わかっていた。
 
 帰りの電車の中。
 来る時より混んではいたが、三人は運良く座れた。
 やはり圭太を真ん中に、柚紀と凛が座る。
「少しだけ疲れちゃった……」
 そう言って柚紀は圭太に寄りかかった。
「大丈夫?」
「ああ、うん。ホントに少しだけだから」
「それならいいけど」
 圭太はそう言って微笑んだ。
「凛ちゃんは大丈夫?」
「あたしは平気。まあ、基礎体力が違うから。ただ」
「ただ?」
「けーちゃんに寄りかかりたいっていうのはあるけど」
 凛も、圭太に寄りかかった。
「なんだかいいなぁ、こういうの」
「うん?」
「休日の帰り、って感じがする。こういうの、なかなか体験できなかったから。まあ、部活で遠くに行った帰りなんかもこんな感じだけど」
「凛て、基本的には真面目なのよね」
「なによ、いきなり」
「だってさ、凛と同じように部活してたって、買い物に出かけたり、遊園地行ったり、彼氏を作って一緒にいたり、そういうのしてた人、いたでしょ?」
「それは、まあ……」
「彼氏に関しては圭太のことがあったからいいとして、遊びの部分はもう少し積極的になれた部分はあっただろうし。なのに、そこまでしなかった。だから、基本的に真面目なんだなって思ったの」
「そういうことか」
 柚紀の話を聞き、凛は頷いた。
「確かに真面目って感じで見られると思うけど、実際はそんなことないわよ。そうしなかった理由は、ただ単にそういうことが思いつかなかったり、することに興味がなかったりしただけだから」
「ふ〜ん、そっか」
「まあ、それがよかったことなのか悪かったことなのかは、まだわからないけどね」
「じゃあ、今こうしてるのって、凛の中じゃ、革命的なこと?」
「今までのことを考えると、そうかも。でも、今はもっともっとこうしたいって思ってる」
「というより、それはただ単に圭太と一緒にいたいからでしょ?」
「まあね」
 凛も、素直に頷く。
「私は基本的に、なにかを犠牲にするって考え、好きじゃないから。昔からやりたいことはやってたなぁ」
「柚紀らしいわね」
「これからもそうやって生きていきたいけど、どこまでできるか」
「それは誰だってそうでしょ? 先のことなんて、わからないんだから」
「そうだけどね。でも、考えるだけならできるじゃない。だから私は、これから先も最善とは言わなくとも、最良の生き方をしたいの。もちろん、圭太と一緒にね」
 結局、柚紀にとってはそれが最も重要なことだった。そこに圭太がいなければ、なんの意味もないのである。
「圭太も、そう思うでしょ?」
「完全に認めるわけじゃないけど、大筋では同意できるよ」
「それでいいのよ。どうせ人間なんて、百パーセント相手をわかることなんてないんだから。大筋でも同意できれば、上々よ」
 そう言って柚紀は笑った。
 地元に戻ると、さすがに陽は沈んでいた。
「少しは涼しくなったけど、まだ日中の熱気が残ってるわね」
「この調子じゃ、今日も熱帯夜かもね」
「ホント、寝苦しいんだから」
 三人は、バスには乗らず、駅から歩いて帰った。
「そうそう、凛」
「ん、なに?」
「今日は、思ってたよりもずっと楽しく過ごせたわ」
「あら、それは偶然。あたしもそう思ってたわ」
「最初はどうかと思ったけど、これはこれでいいのかもね」
「うん、そうね」
 そう言ってふたりは笑った。
「やっぱり、ふたりは仲が良いね」
「そんなことないわよ」
「うん」
「もしそう見えるなら、それはたぶん、私たちが同い年だからよ。なんでも言い合えるから、そう見えるだけ」
「柚紀に賛同するのはいろいろ思うところはあるけど、その通りよ。あたしたちの仲は、間にけーちゃんがいるからこそ保っていられるの」
「僕がいなければ?」
「即喧嘩別れね」
 即答だった。
「な、なるほどね」
「まあでも、たとえ圭太がいなくても、凛とはそれなりの友達になってたとは思うわよ」
「それはそうね」
「それってやっぱり、ふたりがお互いによく似て──」
『それは言わないで』
 見事に声が揃った。同時に、顔を見合わせる。
「あはは、やっぱりふたりは似てるよ。だからこそ、僕も好きになったんだろうね」
 圭太にそう言われては、ふたりともなにも言えない。
 やがて、『桜亭』が見えてくる。
「ちょっと寄っていく? お茶くらい出すよ?」
「あ〜、うん、すごく魅力的な申し出なんだけど、今日は遠慮しておくわ」
「そう? 凛ちゃんは?」
「あたしも、今日は」
「そっか。じゃあ、また今度だね」
「うん。じゃあね、圭太」
「バイバイ、けーちゃん」
 圭太が家に入ったのを確認し、ふたりも歩き出す。
「ねえ、凛」
「ん?」
「今更言うのは変というか、遅いと思うけど、圭太に受け入れてもらうと、もうそこから抜け出せないわよ。圭太は、とにかく優しいから。ずっとそこにいたくなる。でも、圭太には私という彼女がいる。だから、最終的な結果は絶対に変わらない。それでも、圭太に受け入れてもらいたいの?」
 柚紀の顔は、真剣そのものだった。
 凛は少し俯き、答えた。
「柚紀の言い分はよくわかるわ。あたしも、それで悩んだから。でも、それは悩むだけ時間の無駄だった。だって、あたしはけーちゃんのことが好きだから。ほかにはなにもいらないの。けーちゃんさえ側にいてくれればね」
「そっか。もう無理か。まあ、私もそれはわかってたけどね。一応、友人として忠告しておこうかなって思って」
「ありがと。忠告、ちゃんと聞いておくわ」
 そう言って微笑んだ。
「それと、やっぱり最初はそれなりに覚悟しといた方がいいわよ」
「最初って?」
「セックス。人によってまちまちだとは聞くけど、痛いって言う人の方が多いから」
「ああ、まあ、それはその時までに覚悟を決めておくわ」
「ホント、私ってお人好しよね。なんで人の恋路の手助けしてるのかしら」
「それが、柚紀の柚紀たるゆえんなんじゃないの?」
「だとすると、是非とも性格矯正したいものだわ」
 そう言って柚紀は笑った。
「じゃあ、凛。また」
「うん、また」
 同い年のライバルは、一度だけ振り返り、別れた。
 
 三
 八月十六日。
 その日も大半の者が恨めしく空を見上げるような、快晴の日だった。
 世間的なお盆はこの日まで。もちろん、会社などによって多少変わるが、それがだいたいである。
 とはいえ、夏休みでしかもお盆休みである圭太にとっては、まだ三日目にすぎなかった。
「おはよ、お兄ちゃん」
「おはよう、琴絵」
 琴絵はあくびをかみ殺しながらリビングに入ってきた。
「毎日暑いねぇ。昨夜も暑くてなかなか眠れなかったよぉ」
「夏バテしないようにしっかり寝ないと、琴絵はすぐに体調を崩すから」
「大丈夫だよ。そこまでのことはないから」
「だったらいいけど」
「それに、お兄ちゃんとデートするんだから、そんなこと言ってられないよ」
「まあ、理由はどうでもいいけど」
「よくないよぉ。私にとっては、ものすご〜く大切なの」
 不満げに頬を膨らませる琴絵。
 そんな琴絵を見て、圭太はやれやれと肩をすくめた。
 九時前に、ともみと祥子がやって来た。
「いやあ、絶好のプール日和ね」
「これだけ暑いと、すぐにでも泳ぎたくなりますね」
 それからすぐに、鈴奈と幸江が立て続けにやって来た。
「プールで泳ぐなんて、いつ以来かな?」
「今日は目一杯泳ぐわよ」
 そんなわけで、圭太は『お姉さま』たちとともに、プールへと向かった。
 向かうのは、二週間前に柚紀たちと行ったグリーンピアである。
「でも、私まで一緒で本当によかったの?」
 鈴奈は、バスの中でそんなことを言った。
「いいに決まってるじゃないですか。私たちの間で、遠慮することなんてないですよ」
 ともみは、そんな心配を否定する。
「圭太もそう思うわよね?」
「ええ」
「ありがと」
 駅前でバスを乗り継ぎ、グリーンピアを目指す。
 グリーンピアは、さすがにお盆ということで前回より混雑していた。
「じゃあ、着替えたら出口のところで待ってて」
 圭太は男子更衣室へ、『お姉さま』たちは女子更衣室へ。
「結構混んでるわね」
 もともと女子更衣室は混みやすいのだが、いつも以上に混んでいた。
 とりあえず空いているロッカーを探す。
「祥子はどうするの? 泳ぐ?」
「とりあえず、様子を見ます」
「そうね、その方がいいかも」
 祥子はバッグだけをロッカーにしまい、三人が着替えるのを待つ。
 それぞれ水着に着替えると、プールへと出て行く。
「お待たせ」
 出口では、圭太が先に待っていた。
「どこか祥子が座ってられる場所を探さないと」
 プールサイドには休憩用のデッキチェアやビーチパラソルを立てたテーブルについた椅子などもある。ただ、その大半はすでに誰かが利用しており、改めて探す必要があった。
「ん、あれ、空いてるんじゃない?」
 幸江は、少し先を見てそう言った。
 そこは五十メートルプールのプールサイドにあったデッキチェアだった。
「祥子はそこで少し見てて」
「はい」
 祥子に貴重品などを見ててもらい、圭太たちはプールに入る。
「ん〜、冷たくていい気持ち」
 思わずそんなことを言ってしまうほど、プールは冷たく気持ちよかった。
「圭くんは、泳ぐのも得意なの?」
 黄色というよりはレモン色のワンピースタイプの水着を着た鈴奈が、そんなことを訊いてくる。
「特別得意だとは思いませんけど、泳げますよ」
「そっか。私は人並みかな。泳ぐこと自体は好きなんだけど」
「人並みにできれば十分ですよ。別に水泳選手じゃないんですから」
「うん、そうだね」
「こらこら、圭太〜」
「うわっ!」
 と、いきなり後ろから抱きつかれた。
「と、ともみ先輩、危ないですよ」
 抱きついてきたのは、赤いビキニを着たともみだった。
「水の中なんだから大丈夫でしょ。それより」
「わ、わわっ」
 ともみは、その格好のまま豊かな胸を押しつけてくる。
「鈴奈さんばかりを相手にしてちゃ、みんなで来た意味がないでしょ?」
「べ、別にそんなことしてませんよ」
「じゃあ、今度は私──って幸江」
 そんな圭太を、モスグリーンのビキニを着た幸江が、横から引っ張る。
「ともみに圭太を渡したら、いつになっても私にまわってこないからね」
 そう言って圭太の腕をギュッとつかむ。もちろん、水着越しに柔らかな胸の感触が伝わってくる。
「ちょっと、それど〜ゆ〜意味よ?」
「どういうもこういうもないわよ。そのままの意味」
「私はそんなことしないわよ。そりゃ、独り占めしたい気持ちはあるけど」
「どうだかね」
「と言いながら、なんであんたが圭太を独り占めしてるのよ」
「あら? 別に独り占めになんかしてないわよ」
 そうは言うが、離すつもりはないらしい。
「ふふっ、ふたりだけで圭くんを取っちゃうのは、ずるいわよ」
 そこへ、鈴奈も参戦する。
 鈴奈、ともみ、幸江の三人に『おもちゃ』にされ、圭太は為す術もなく成り行きに任せるしかなかった。
 
「おつかれさま」
 そう言って祥子は、タオルを渡した。
「先輩たちの相手は、大変そうだね」
「僕は完全に『おもちゃ』ですから」
「まあまあ、そう言わないの。先輩たちだって、圭くんと一緒に遊べてはしゃいでるだけなんだから」
「それはわかりますけど、もう少しなんとかなるといいんですけど。この前、柚紀たちと行った時ですら、もう少し楽でしたから」
 圭太はため息をつく。
「その時は、同い年が柚紀だけで、ほかのみんなは年下だったからだよ。琴絵ちゃんは別にしても、紗絵ちゃんや詩織ちゃんなんて、みんながいる前ではあまりあれこれ言わないでしょ?」
「まあ、そうかもしれませんね」
「その点、今日はみんな、なんでも言うし、やるからね」
 私もだけどね、と言って笑う。
「それでもこうやって休憩させてくれるだけ、まだましだと思うな」
「喜んでいいのかどうか……」
 圭太は、まだプールで遊んでいる三人を見た。
 圭太と一緒にいるから余計に楽しそうに見える。
「祥子は、午後はどうするんですか?」
「う〜ん、こうやって見てると泳ぎたくなるんだけど、人が多いからね。万が一ってことを考えると、ちょっと遠慮しちゃうかも」
「一緒に泳げないのは、ちょっと残念です」
「ふふっ、ありがと」
「でも、今は祥子自身のことと、お腹の子のことを最優先にしないといけないですから」
「圭くんがそうやって気にかけてくれてるだけで、十分だよ。それに、私だって無理や無茶するつもりはないから。あとで後悔するのだけは、イヤだし」
「そうですね」
 圭太は、祥子のお腹をそっと撫でた。
「こら〜、圭太〜。祥子ばかりに優しくするな〜」
 と、そんないい雰囲気のところへ、プールから声が飛んでくる。
「今日はみんなで来てるんだから、そのあたりはよく考えてよ」
「ははは、すみません」
 圭太は笑って立ち上がった。
「お呼びがかかったので、ちょっと行ってきますね」
「うん、がんばってね」
 祥子は、軽く手を振って圭太を送り出した。
「まったく、圭太が祥子のことを見ていたいっていう気持ちはわかるけど、今日はもう少し考えてほしいわね」
「まあまあ、ともみちゃんもそんなに言わないで。圭くんはちゃんとこうやって来てくれたんだから。というわけで……えいっ!」
「うわっ!」
 鈴奈は、いきなり圭太を引っ張った。
 圭太は当然バランスを崩し、水の中へ。
「れ、鈴奈さん、いきなりなにするんですか?」
「私も構ってほしいから、ちょっと強引にね」
 そう言って鈴奈は、圭太を水中に引きずり込む。
 その水の中で圭太に近づき、軽くキスをする。
「ぷはあっ」
 先に圭太が上がってくる。続いて鈴奈。
「なるほど。そういう方法もありか」
「ともみもやろうっていうの?」
「まったく同じじゃ面白くないわね。ちょっとひねりを加えて。う〜ん……」
「そんなに真剣に悩むこと?」
 幸江は呆れ顔で言う。
「私なら、正攻法でいくんだけどね」
「正攻法って?」
「不意打ちに決まってるじゃない」
「……どこが正攻法なのよ」
「ともみみたいに余計なひねりを加えないからよ」
 そう言いつつ、早速圭太との間合いを計る。
 今圭太は、鈴奈に水をかけられ、応戦中。
「では、早速」
 幸江は静かに水の中へ。
 気付かれないように近づき──
「それっ!」
「わっ!」
 いきなり圭太の前に現れる。
 びっくりして驚いたところでそのまま水の中に倒し、やることをやる。
「んっ」
 少し勢いがついてしまったが、キスは成功した。
「あらあら、幸江ちゃんまで」
 自分がやったことが発端なのに、鈴奈は人ごとのように微笑む。
「ゆ、幸江先輩まで……」
「大丈夫よ。そんなにおおっぴらにしてるわけじゃないし」
 とはいえ、近くで見ていたらなにをしてるかなど一目瞭然である。
「そうそう。後ろでともみも隙を窺ってるから」
「あっ、こら、なに言ってるのよ。そんなこと言ったら、警戒されちゃうじゃない」
「早い者勝ちなのよ」
 そう言って幸江は笑った。
 やはり、圭太は『おもちゃ』にされるようである。
 
 午後、昼食をとってからもうひと泳ぎし、早めにグリーンピアをあとにした。さすがに祥子が泳がないのに丸一日いるのは気が引けたのである。
 駅前に戻ってくる。
「このまま帰るのはもったいないし、どこかに寄っていきましょう」
 そう提案したのは、珍しく鈴奈だった。
「どこか行きたいところとか、やりたいこととかある?」
「ん〜、行きたいところかぁ」
「あの、たまにはみんなでカラオケとかどうですか?」
「カラオケかぁ。うん、いいかも」
「特に異論はないわよ」
「圭くんは?」
「僕はなんでも構いませんよ」
「じゃあ、カラオケにしましょ」
 意見がまとまり、早速カラオケ屋へ。
 飲み物を適当に頼み、それぞれ選曲。
「まずは、私から」
 最初は、ともみである。
 イントロが流れると、それが今チャートを賑わしている曲だとわかった。
「まあ、歌を歌う時は、上手く歌うよりも、勢いと楽しめるかよね」
 どこか達観した様子で、お目当ての曲を探す幸江。
 で、そのともみの歌だが、下手ではなかった。だが、お世辞にも上手いとも言えなかった。どっちつかずという感じで、まさに幸江の言う通りであった。
 それでも圭太は、リズムにあわせてタンバリンやマラカスなど、置いてある楽器で盛り上げている。
「次は私ね」
 ともみの曲が終わると、すぐに次のイントロが流れる。
 最新の曲ではないが、数年前に大ヒットした曲である。
 歌うのは、鈴奈。
「あ、上手」
 思わず祥子がそう言ってしまうくらい、鈴奈は上手かった。
 澄んだ声で、声量もなかなかである。ちゃんと発声をやって、歌のレッスンを受ければ、かなりのものになりそうであった。
「鈴奈さん、すごく上手ですね」
「そんなことないよ。私なんかより上手な人、たくさんいるから」
 謙遜する鈴奈だったが、明らかにともみよりは上手かった。
「あ、次は私のよ」
 今度は幸江がマイクを持つ。
 流れてきた曲は、あまり耳なじみのない曲だった。
 歌詞が画面に出てくる。
「英語の曲か」
 曲は、日本ではなかった。イギリスの曲で、通なら知ってるような曲だった。
 それを流暢に歌っているのだから、幸江の歌の趣味は結構広いと言えた。
「なに最初から飛ばしてるのよ」
「いいじゃない。この曲好きなんだから」
「それ歌われると、次が歌いにくいんだから」
「ともみならそうかもしれないけど、祥子なら大丈夫でしょ」
「うぐぐ……」
 四人目は、祥子である。
 曲は、やはり数年前にヒットした曲である。しっとりとした曲で、歌唱力を求められる曲だった。
 その歌を、抜群の歌唱力で歌うのだから、さすがというべきである。
「ほらね?」
「う、うるさいわね。祥子は特別なのよ。音感もあるし、リズム感もいいし」
「ふ〜ん、なら、圭太のあとなら、ともみはもっとヤバイってことにならない?」
「はい、圭くん」
 ふたつあるマイクのひとつを鈴奈から手渡され、圭太の番である。
 基本的にクラシックばかり聴いている圭太ではあったが、一応歌謡曲の類も知ってはいた。たまにこういうカラオケみたいなのに誘われることもあるからだ。その時にまったく歌えないと、場がしらけてしまう。それを考えると、一曲でもいいから持ち歌を持っておくべきなのである。
 そんな圭太の数少ない持ち歌のひとつが、往年の大ヒット曲だった。
 絶対音感を持っている圭太は、まず音が外れるということがない。さらにリズム感もいいので、自然と上手く聞こえる。
 採点機能を使って採点すれば、きっと高得点が出るだろう。
「このあとに歌う自信、ある?」
「あ、あるわよ。どんと来いって感じよ」
「無理しちゃって」
 それから少しの間、それぞれに好きな歌を歌っていく。
 鈴奈、ともみ、幸江の三人が多く歌い、その合間に祥子がという感じだった。圭太は、もっぱら合いの手担当という感じだった。
 だが──
「あれ、この曲って確か、デュエットだった気が」
 イントロを聴き、幸江はそう言った。
「誰が入れたの?」
「はい、私です。圭くんと一緒に歌おうと思って」
 祥子が選んだのは、デュエットの曲だった。
 そうするとその場にいる面々は、次も圭太と、という風に考えてしまう。
 ふたりが歌っている間に、自分も歌えそうなデュエットを探す。見つけたらすぐに番号入力。
 まさに、早い者勝ちである。
 しかし、立て続けに歌わされる圭太は、いい迷惑である。デュエットとはいえ、フルコーラス歌うわけである。
「ちょ、ちょっと待ってください。さすがに少しだけ休ませてください」
 結局、それぞれが二曲ずつ歌ったところでリタイヤである。
 圭太はウーロン茶を飲み、ようやくひと息つく。
「大丈夫、圭くん?」
 鈴奈がさすがに申し訳なさそうに言う。
「大丈夫ですよ。ちょっと立て続けに歌ったせいで、のどが疲れただけですから」
「そっか。ごめんね、無理させちゃって」
「いえ、楽しんでもらえればそれでいいですから」
 そういう時にでも相手を思いやってしまうのが、圭太なのである。
 そんなこともありつつ、二時間ほどカラオケを楽しみ、店を出た。
 外は、だいぶ太陽が西に傾き、気温も幾分下がってきていた。とはいえ、まだまだ暑く、動けばすぐに汗が噴き出てきた。
 それでも、途中までは歩いて帰ることにした。
「ん〜、今日は目一杯楽しんだ気がする」
 ともみは、大きく伸びをした。
「そりゃ、ともみは楽しんだでしょ。プールでは圭太をおもちゃにして、カラオケでは好きな曲を人の迷惑顧みずに歌ってたわけだから」
「……言うに事欠いて、なんてこと言うのよ」
「あら、事実でしょ?」
「うっ、それはそうだけど……」
 幸江の言葉に、ともみは反論すらできなかった。
「祥子ちゃんは楽しめた?」
「はい。十分楽しめました。泳げなかったのは少し残念ですけど」
「それはまた来年にでもとっておきましょ」
「ふふっ、そうですね」
 鈴奈と祥子は、にこやかに穏やかに話をしている。
 そんな様子を、圭太は少し後ろから見ている。
 その表情はやはり穏やかで、そのような光景がずっと続けばいいと、本気で思っていた。
 もちろん、続けようと思えば続けられるだろうが、続くかどうかはわからない。
「そういえば、圭太」
「なんですか?」
「今年の合宿は、どんな感じになりそう?」
「そうですね、基本的にはいつもと変わらないと思います。県大会の演奏も悪くありませんでしたから。それを基準に練習メニューを考えますから」
「なるほどね」
 ともみは、うんうんと頷く。
「今年も合宿中に次期首脳部を決めるの?」
「はい、そのつもりです。その方がなにかと都合がいいと思いますし」
「そっか。じゃあ、合宿から紗絵ちゃんが部長になるんだね」
「誰もほかに立候補がいなければ、ですけど」
「それは大丈夫よ。部長なんて、好きこのんでやりたいと思う人、いないもの」
 自分も部長をやっていたというのに、祥子はそんなことを言う。
「合宿って、いつからだっけ?」
「土曜日、二十日からです」
「ということは、三泊四日だから、二十三日までか」
「なにを確認してるの?」
「いやほら、その間は『桜亭』に行っても圭太に会えないなって思って」
「……なるほどね。実に素直なことで」
「偽ってもしょうがないでしょ」
 幸江は、そう言って微笑む。
 やがて『桜亭』が見えてくる。もっとも、お盆ということで店は休みだが。
「じゃあ、私はここで」
「暇だったら相手してあげるから」
「はいはい、どうもありがと。嬉しくて涙が出てくるわ」
 ひとり帰る方向が違う幸江は、そこで別れる。
「じゃあね」
 幸江が行ったのを確認して、今度は三人を送る。
「あ、そうだ。圭くん」
「はい」
「夕食食べてからでいいんだけど、ちょっとだけ話があるの。時間大丈夫?」
「ええ、大丈夫ですよ」
「それじゃあ、適当な時間に部屋に来てね」
「わかりました」
 まずは鈴奈を送る。
「明日は、誰とデート?」
「明日は、柚紀です」
「なるほど、大本命か」
「どこに行くの?」
「海だそうです。夏に海に行かないというのは、夏の意味がないって言って」
「あはは、柚紀らしい」
「海かぁ。確かに海にも行きたいよね、夏なら」
「なに? 祥子、まだ圭太とデートするつもりなの?」
「そういうわけじゃないですけど、そうなればなったで、嬉しいですけどね」
 そう言って祥子は微笑む。
「まったく、確信犯なんだから。でも、合宿が終わってからだと、あまり時間もないし、とりあえず今年は無理じゃないの?」
「そうですね。そういうのは、みんな来年にとっておきます」
 そして、ともみと祥子を家に送り、ようやく終わりである。
 圭太は帰り道、空を見上げた。
「とりあえず、みんな喜んでくれたからいいかな」
 いろいろ大変なことはあったが、それですべて吹き飛んでしまうのも、圭太らしいところであった。
 
 その日の夜。
 圭太は約束通り、夕食を食べてから鈴奈の部屋を訪れた。
「ごめんね、わざわざ」
 鈴奈は、圭太の前に麦茶を置きながらそう言った。
「いえ、特にすることもないですから、構いませんよ」
 圭太は、穏やかに微笑み、頭を振った。
「それで、話というのは?」
「ああ、うん。あのね、この前姉さんが来た時に、姉さん、言ってたでしょ? 姉さんが両親を説得してみるって」
「はい、覚えてます」
「それでね、早速私のこと話したみたい。詳しい状況は電話だったからあまり教えてくれなかったけど、でも、結構いろいろあったみたい。電話口の姉さん、すごく疲れた感じだったから。それで、そのあとに母さんから電話があったの。もちろん、私も話すつもりだったからいいんだけど。そこで私の思ってること全部話して。どれだけ私が圭くんのことを好きかってことも話して。そしたら、とりあえずは今のままでいいからってことになったの。私ももう社会人だからって。ただ、年末年始には必ず向こうに戻って、直接説明しなくちゃいけなくなったけどね」
「認めてくれそうですか?」
「たぶん、大丈夫。少なくとも母さんは認めてくれそう。電話口の様子だと、なにを言っても無駄だろう、みたいな感じだったし。問題は父さんだけ。父さんは昔気質の人だから。ちょっと説得に時間がかかるかもしれないけど」
 鈴奈はそう言って、麦茶を一口含んだ。
「それでも、ちゃんと話せば大丈夫。だって、私のこの気持ちにウソはないもの。本気の気持ちを簡単に否定できるほど冷たい人じゃないし」
「そうですか」
 圭太は、そう言って頷いた。
「なにがあっても、私のこの気持ちだけは変わらないから。圭くんも、私のこと、ずっと好きでいてね?」
「もちろんですよ。鈴奈さんは、僕にとって大切なお姉ちゃんであり、大切な女性なんですから」
「うん、ありがと」
 鈴奈は、そっと圭太に抱きついた。
「圭くん……」
「鈴奈さん……」
 ふたりの視線が絡み、自然とキスを交わす。
「ん……あ、ん……」
 何度もキスを繰り返す。
「ん、はあ……圭くん……抱いてほしいの……」
「わかりました」
 もう一度キスをし、圭太は鈴奈を抱きかかえた。
 そのままベッドまで運び、横たわらせる。
「圭くん……」
 改めてキスをし、ティシャツを脱がせる。
 ブラジャーを外し、直接その胸に触れる。
「あ、ん……」
 柔らかな胸が、圭太の手の動きにあわせて形を変える。
 マシュマロのように柔らかでどんな風にも変わるが、手を放せばすぐに元に戻る。それほど弾力性と張りのある胸だった。
「ん、んふぅ……ぁん……」
 少し強めに揉んでいると、先端の突起が硬く凝ってくる。
「やっ、んんっ」
 そこに舌をはわせ、突起を刺激する。
「あんっ、圭くん、気持ちいい」
 自分が求めていた快感を与えられ、鈴奈は悦びの声を上げた。
「んっ、あん、もっと強く吸って」
 圭太は、言われるまま少し強めに吸う。
「んんっ」
 それに反応して、体がびくんとそる。
「あっ、やん、んあっ」
 さらに執拗に攻める。
「はぁんっ、んんっ、あっ、んっ」
 次第に、うっすらと汗が浮いてくる。
「ん、圭くん……下もいじってほしいの……」
「わかりました」
 ジーパンを脱がせ、ショーツも脱がせてしまう。
 秘唇はわずかに開き、そこからわずかに蜜が出てきている。
 圭太は、そこに指を入れた。
「んんっ、ああっ」
 今まで以上の快感に、鈴奈は少し大きな声を上げた。
「んっ、圭くんの指が、私の中を……んあっ」
 最初はゆっくり出し入れし、次第に速くしていく。
 指を少し曲げ、一番感じる部分を中心に刺激する。
「やっ、ダメっ、そんなに擦っちゃっ」
 あとからあとから蜜があふれ出し、圭太の指を濡らしていく。
「んんっ、あんっ、イっちゃうっ、イっちゃうよぉっ」
 湿った淫靡な音が、部屋に響く。
 それが鈴奈の耳にも届き、余計に感じさせていた。
「はあ、んっ、あんっ、んんっ、ああっ!」
 わずかに体が強ばり、鈴奈は軽く達してしまった。
「ん、はあ、はあ……」
「大丈夫ですか?」
「う、うん、大丈夫」
 鈴奈は、少しボーッとした様子ながら、圭太にはちゃんと微笑み返した。
「今度は、一緒に気持ちよくなろ……」
「はい」
 圭太も服を脱ぐ。
「いきますよ?」
「うん」
 圭太は、怒張したモノをゆっくりと鈴奈の中に挿れる。
「んんっ」
 モノが収まると、圭太は一度キスをした。
「圭くんはやっぱり優しいね」
「そうですか?」
「うん、優しい」
 鈴奈は、嬉しそうに微笑んだ。
「だから、大好きなんだけどね」
「ありがとうございます」
 もう一度キスをしてから動き出す。
「んっ、あんっ」
 ゆっくり動いているにも関わらず、胸が大きく揺れる。
「ああっ、んんっ……んくっ」
 鈴奈は無意識のうちにシーツをつかんでいた。
「んあっ、んんっ、あっ、あっ、あっ」
 圭太は、ただ突くだけでなく、時折中を擦るように変化をつける。
「ああっ、圭くんのが、擦れて気持ちいいのっ」
 次第に圭太も気持ちが高まってくる。
「んんっ、あっ、あっ、あっ、いいっ」
「鈴奈さんっ」
「圭くんっ、圭くんっ」
 圭太にしっかりとしがみつき、快感をむさぼる。
「んんっ、私っ、またイっちゃうっ」
「僕も、もう」
「一緒にっ、ああっ、一緒にイってっ」
 圭太は、さらに大きく激しく腰を打ち付ける。
「あああっ、ダメっ、んんっ、んくっ、あああああっ!」
「くっ!」
 そして、ふたりはほぼ同時に達した。
「ん、はあ、はあ、圭くん……」
「はぁ、はぁ……」
「すごく、気持ちよかったよ……」
 圭太はなにも言わず、鈴奈にキスをした。
 
「よく考えると、私たちがこういう関係になって、まだ二年経ってないんだよね」
「そうですね」
「なのに、今はこうしていること、こうされることが当たり前になってる。すごく不思議」
 圭太の胸に頬を寄せ、鈴奈は微笑んだ。
「二年前の今頃は、こんな関係になるとは思ってなかった。もちろん、なれたらいいなとは思ってたけど。でも、どうしてもあと一歩が踏み出せなかったんだ。年齢差のこともあったし。それに、みんな圭くんのことが好きなんだってわかってたから。どうしてもそういう姿を見てると、自分からは言い出しにくかった。でも──」
「でも?」
「そういうのは関係なかったんだよね、本当は。好きなら好きって言わないと、絶対に後悔する。言って振られるならまだしも、言わないで後悔するのは、一番納得できないから。だから私は、私の持ってる勇気のすべてを振り絞って、圭くんに告白したの。ちょっと強引だったけどね」
 そう言って笑う。
「今はそのおかげで、かけがえのない大切な人と時間を手に入れたから。だから、すごく幸せ」
 もう何度もそのことは口にしていた。
 人は、弱い生き物である。今ある状況が続くかどうか、心配で心配でしょうがない。だからこそその保証を求めようと、何度も同じことを繰り返す。
 そこで相手がそれを認めてくれている限り、自分はそこにいることができる。そう思えるのである。
「柚紀ちゃんには、ちょっと悪いと思ってるけどね。でも、今こうしていられるのはその柚紀ちゃんのおかげでもあるんだよね」
「そうですね」
「本当に、柚紀ちゃんにはかなわない。きっと私が柚紀ちゃんと同じ立場だったら、ほかのみんなを認められないもの。圭くんは、私だけのものだって言ってね」
「それが普通だと思います。柚紀は、本当にすごいと思います。だからこそ、どんなことがあっても僕は、最後の最後まで柚紀を守り続けます。僕を信じてくれている限り、裏切りません」
「うん、それでいいんだよ。圭くんの彼女は、柚紀ちゃんなんだから。それが、一番正しいことだから」
 少しだけ淋しそうに、でも、それを隠すように微笑む。
「でも、僕は僕のことを好きでいてくれるお姉ちゃんのことも、守り続けます。ずっと、側にいてほしいですから」
「圭くん……」
 鈴奈は、瞳を潤ませ、圭太に抱きついた。
 そんな鈴奈を圭太も優しく抱きしめる。
「ありがとう、圭くん……」
 圭太は小さく頷き、鈴奈の髪を撫でた。
 
 四
 八月十七日。
 天気はよかったが、風が東寄りの風だったために、若干涼しい朝だった。
 それでも天気予報を見れば、日中はしっかり真夏日の予報。夏は暑くなければ意味がないとは言うが、たまに涼しい日があっても誰も文句は言わないだろう。
 圭太は、収納から必要なものを取り出し、出かける準備をしていた。
「あら、なにをしてるの?」
「ん、レジャーシートを取り出してるんだよ。今日、海に行くから」
「そう。結構海水浴客も多いだろうから、いろいろ気をつけなさいね」
「わかってるよ」
 必要なものを一通りバッグに詰め込み、出かける。
 大通りでバスに乗る。すると──
「あれ、圭太?」
 偶然にも柚紀と同じバスだった。
「珍しいね、バスの中で会うのは」
「そうだね」
 もともと駅前で待ち合わせだったのだから、手間が省けた。
 バスは、若干混んではいたが、満席というほどではなかった。
「今日も暑くなるって言ってるし、泳ぐにはちょうどいいわね」
「まあね。でも、その分同じように泳ぎに来る人は多いと思うけど」
「それはしょうがないでしょ。このあたりだと泳げる海は、それほど多くないし」
「もう少し海に近ければ、空いてる場所を選んだりもできたんだけどね」
「ま、特に人気のある海水浴場ってわけでもないし、泳ぐのには支障ないでしょ」
「そうだね」
 駅前に着くと、そのまま切符を買って今度は電車に乗り込む。ここからしばし、電車の旅である。
「圭太はこのお盆もみんなのために使ってるんでしょ?」
「結果的にね」
「それって、大変じゃない?」
「大変なところもあるけど、基本的には楽しいよ。それに、みんなそれぞれに楽しんでほしいし」
「ホント、圭太は真面目だ」
 柚紀は、やれやれと肩をすくめた。
「たまには自分だけの時間を持とうとは思わないの?」
「う〜ん、思わないこともないけど、僕のやりたいことは別に一日使わなくてもできることばかりだから。それだったら、みんなのために使った方が有意義かなって」
「圭太のやりたいことって、なに?」
「うん? のんびり音楽を聴くことかな。誰にも邪魔されず、好きな音楽を好きなだけ聴く。誰にも邪魔されず、というのがなかなか難しいんだけどね」
「家にいると、琴絵ちゃんや朱美ちゃんがいろいろ言ってくるからでしょ」
「否定はしないよ。ただ、それでも時間さえ見つけられればそれはいつでもできるし。たとえば今日みたいに海に行くとかいうのは、やっぱり一日使わなくちゃダメだし」
「まあ、圭太ならそう考えちゃうのもしょうがないか。だったら、せめて圭太もしっかり楽しまないと」
「それはもちろん。誰とどこに行く時でも、僕は自分も楽しめるように考えてるよ」
 そう言って圭太は微笑んだ。
「柚紀は、僕といない時はどんな風に過ごしてるの?」
「どんな風って言われても、普通にとしか言いようがないかな。買い物がある時は買い物に行って。誰か友達と遊びに行くこともあるし。あと、家族揃って出かけることもあるし。そういうことがなにもない日は、テレビ見たり本読んだり音楽聴いたり。そんな感じ」
 確かに、実に普通な休日の過ごし方だった。
「以前は料理を勉強したり、裁縫やなんかをお母さんに教わったりもしてたけどね。今はそこまですることもないし」
「なるほど」
「あとは……そうそう、結構散歩とかしてるかな」
「散歩?」
「うん。圭太はまだ知らないと思うけど、うちから少し行ったところに結構大きな公園があるの。真ん中には大きな池もあって、魚もいるし、いろんな鳥もやって来るし。そこを散歩すると、気分が落ち着くの。らしくないかな?」
「そんなことないよ。そういう場所を歩きたくなる気持ち、わかるから」
「そっか。お姉ちゃんがさ、よく言うのよ。散歩が趣味なんて、年寄りみたいだって。それってすごい偏見だと思うんだけど、それを真っ向から否定できない自分もいて。でも、今日圭太に認めてもらったから、心おきなくできるよ」
 そう言って柚紀は笑った。
 一時間ほど電車に乗り、また違う電車に乗り換える。
 そこからしばし行くと、ようやく海が見えてくる。
「うわ〜、結構いるね」
 車窓に夏らしい海岸の様子が見える。
 湘南海岸のように、立錐の余地もないほどの混み具合ではないが、そこそこ混んでいた。
「これじゃあ、思ったよりものんびりできないかもね」
「そうなったら潔くあきらめるよ。この時期に来てしまったんだから」
「まあ、それはしょうがないか」
 電車が駅に着くと、ふたりと同じように海水浴目当ての乗客が結構降りた。
 駅から海岸まではすぐなので、そこは楽でいい。
 駅と海岸の間には二車線の道路があるのだが、そこは断続的な渋滞となっていた。パトカーが見回っているために路上駐車している車はなかったが、近くの駐車場はすでに満車状態で、二進も三進もいかない状況だった。
 夏の間だけやっている浜茶屋も、この人出で大忙しだった。
 とりあえずふたりは水着に着替え、荷物を置いておけそうな場所を探す。
 海岸は、端から端まで人がおり、自分たちが望む場所というのはなかなかなかった。
「ここならいいかな」
 ようやく見つけたところは、決していい場所ではなかったが、少なくとも人の邪魔にはならないところだった。
「はあ、なんか、これだけで気疲れしちゃった」
「時期も時期だからね」
「まあ、いいや」
 柚紀は、そう言ってバッグの中からなにやら取りだした。
「ねえ、圭太。日焼け止め塗ってくれない?」
「いいよ」
 圭太は、なんの躊躇いもなく日焼け止めを受け取った。
 柚紀はうつぶせに横になる。
「届かないところをしっかりとね」
「了解」
 日焼け止めを手に取り、背中に塗る。
「ん……」
 ほんのわずか、声が出たが、圭太は気にする様子もない。
 丁寧にしっかりと塗っていく。
「水着の下も塗った?」
 言われて水着を少しずらし、その下にも塗る。
「これで全部塗ったと思うよ」
「うん、ありがと」
 柚紀は起き上がり、そこ以外の場所にも日焼け止めを塗る。
「さてと、早速泳ぎましょうか」
 ふたりは、波打ち際へ。
 風がほとんどないので、波も実に穏やかである。
 軽く体に水をかける。
「思ったよりも冷たくないかも」
 連日の暑さのせいか、海水温も上がっていた。もちろん、南の海よりは冷たいが、それでも思わず足を引っ込めたくなるほどではない。
 その海岸は遠浅で、波打ち際から結構先まで足が届く。
「ん〜、やっぱりいい気持ち」
 水の中に入ると、夏の暑さも忘れられる。
 海水はプールの水よりも浮力があるので、なにもせず浮かんでいるのが気持ちいい。
「圭太も浮かんでみたら? 気持ちいいわよ」
「僕はいいよ。僕は柚紀が流されていかないように見てるから」
「そんな心配しなくてもいいのに」
 水面に太陽の光が反射し、キラキラと輝いている。
 水の中から太陽を見ると、その幻想的な光景に一瞬自分がどこにいるのか忘れてしまう。
 穏やかな波なので、子供は遊ぶのにちょうどいい。
 あちこちから歓声が上がっている。
 サーフボードやボディボードをしようと思ってた人は、少々物足りないかもしれないが。
「圭太」
「うん?」
 柚紀に声をかけられ、振り返ると──
「それっ!」
「うわっ!」
 思い切り水をかけられた。
「あははは、見事成功」
「けほっ、けほっ、いきなりやられたら、よけられないよ」
「甘いわよ。ここはもはや戦場なんだから、わずかな油断が命取りなのよ」
 言いながら、さらに水をかける。
「……こうなったら」
 圭太はしゃがみ込み──
「総攻撃っ!」
 両手を使って一気に大量の水をかけた。
「わぷっ!」
 大量の水をかけられ、柚紀は一瞬よろめいた。
「油断大敵」
 圭太は、にっこり笑った。
「うぬぬ、さすがは圭太。でも、それくらいじゃ私は倒せないわよ」
「受けて立つよ」
 それからふたりは、へとへとになるまで水をかけあった。
 そういう子供じみたことでも楽しめてしまうのが、不思議である。
 それが、夏、ということかもしれない。
 
 昼食は、柚紀のお手製弁当である。
 つまんで食べられるものを選んで作り、それでも味などにはいっさいの妥協はなかった。
「どう?」
「美味しいよ。さすがは柚紀だね」
「へっへ〜、そんなことあるけどね」
 圭太に褒めてもらい、柚紀は嬉しそうに微笑む。
「でも、これだけのものを作るとなると、結構早起きしないといけないんじゃない?」
「そんなことないわよ。この唐揚げなんて、昨夜のうちに下ごしらえしておけばいいだけだし。同時進行できるものはそうするから」
「そっか」
「ああ、でも、あまりギリギリだと朝食の準備と重なっちゃうから、それなりに早起きはするけどね」
 そう言って卵焼きを頬張る。
「ホントは、朝食の準備と一緒にやると手間もかからないんだけどね。琴美さんはそうしてるでしょ?」
「そういえばそうだね。どちらを片手間にやってるのかはわからないけど」
「琴美さんほど料理の上手な人なら、本当に手際よくやっちゃうからね。そのあたりは、経験よ」
「じゃあ、柚紀もそのあたりを目標にがんばるわけか」
「今のところ、琴美さんには勝てそうにないけどね。でも、そのうち勝つわよ。嫁姑の大事な争いだから」
「まあ、ほどほどにね」
 昼食を食べると、しばらくゆっくりする。
 レジャーシートに座り、ただただなにもせず海を見ている。
「圭太はさ、最終的にはどういう形に収まればいいと思ってるの?」
 柚紀は、前を向いたままそう言った。
「それって、みんなとのこと?」
「うん」
「まだ結論は出てないけど、みんなが望む形になるのが一番だと思うよ。もちろん、みんなが望む最終的な形にはなり得ないけど。でも、それを除いた形というのも必ずあるはずだからね。それを探して、僕に協力できることがあれば協力するし」
「なるほどね」
 圭太としては、どのような形になるにしても、それはあくまでも相手の意見を尊重したものにしようと決めていた。関係が変わりようのない柚紀と琴絵は別として、大まかに求めているものは同じでも、細かいところでは違う部分もある。
 祥子とは妊娠という形で少々予想外の展開となったが、それでもひとつの結論が出た。祥子は圭太との子供を産み、育てる。たとえ結婚できなくともずっと側に居続ける。それに対して圭太は、父親として子供に接し、祥子の側にいるということを約束した。
 鈴奈とは、お互いに求めているものをそれぞれが与えられる関係、ということで結論が出た。圭太は鈴奈に『姉』としての存在を求め、鈴奈は圭太に『心のよりどころ』としての存在を求めた。お互いひとりの男女として好き同士ではあるが、言ってみれば姉弟のそれを発展させた形とも言える。
 ふたり以外のことはまだまだ決まっていないが、それもこれからお互いに話をして、決めていく。そして最終的に、それぞれが望む形になっていてほしい。それが圭太の望みだった。
「今圭太が考えてるのは、誰のこと?」
「誰のことってことはないけど、強いて言えば、ともみ先輩と幸江先輩のことかな」
「先輩たち? どうして?」
「それは、僕も高三だし、先輩たちも大学二年生だからね。これから先、どれだけそのことをちゃんと考えられるかわからないし。その点、朱美たちはひとつ下だから、多少の余裕がある。だから、とりあえずの優先順位としては、先輩たちかなって」
「そういう意味か。でも、あの三人のことだって早めに決めてあげないと、来年の進路にも影響でるかもしれないわよ」
「それはたぶん大丈夫だと思うよ」
「そうなの?」
 柚紀は、意外そうに首を傾げた。
「前に訊いてみたんだ。一高を卒業したらどうするかって。そしたら、朱美は大学で心理学を勉強したいって言ってた」
「へえ、心理学か。面白そうだね」
「詩織は、ピアノを続けたいからって、音楽の先生がいいんじゃないかって」
「なるほどね。それなら確かにピアノも続けられるわ」
「紗絵にはまだ訊いてないけど、たぶん、ふたりと同じようになんらかの考えは持ってると思うよ」
「そう言われると、確かに大丈夫そうね」
「もちろん、ちゃんと結論は出すよ。じゃないと、三人だけじゃなく、柚紀にも迷惑かかるだろうし」
「私のことはそんなに気にしなくていいわよ。みんなのことを認めてるわけだから、そのあとのことだって私が口出す権利ないし。ただ、一緒になったあとだと、ちょっと想いは複雑だろうけど」
「それもあるからね。僕としてはできるだけ今年中に結論を出したいと思ってる」
「今年中、か」
 感慨深そうに頷く柚紀。
「柚紀にはそれまでもう少しだけやきもきさせると思うけど」
「もう慣れたわよ。それに、やきもきさせる気がないなら、凛の想いに応えないでほしかったんだけどね」
「面目ない」
「別に謝ることないわよ。圭太だっていろいろ考えたんでしょ?」
「うん」
「それに、凛もいろいろ考えたみたいだし。そういう本気の想いを否定できるほど、私は偉くないし」
 そう言って苦笑する。
「でも、凛は大丈夫だと思う?」
「大丈夫って、なにが?」
「ん、圭太とそういう関係になって、平静でいられるかってこと。凛てさ、考えてることとかすぐに表に出るから。それに、意外に純情一途よ、あの子。だから、夏休み明けに学校で会った時、ちゃんとしてられるかなって」
「さあ、それは僕にはわからないよ。ただ、僕はいつも通り接するから、それで凛ちゃんもいつも通りに接してくれればいいけどね」
「圭太はどんな時も動じないからね。私との時だって、全然そんなそぶり見せてなかったし」
「あの時は僕より先に柚紀が動転しちゃったから、その機会を失っただけだよ。朝目が覚めて隣に柚紀がいて、一瞬なんでだっけって思ったくらいだから。状況を確認するのにも時間がかかったし」
「そっか。私だけじゃなかったんだ」
 それを聞き、柚紀はホッと息をつく。
「でも、今にして思えば圭太が泰然としてくれてたおかげで私もすぐに我に返ることができたような気がする。それはたぶん、私だけじゃなくて、ほかのみんなもだと思うんだ。なんとなく、安心できるんだよね。言い表すのは難しいけど」
「凛ちゃんも、そうあってくれれば、大丈夫だね」
「まあ、動転したら動転したで見てる方は面白いんだけどね」
「それはなんか、ちょっと意地悪な気もするけど」
「いいのよ。凛はライバルなんだから」
「……なるほどね」
 柚紀の物言いに、圭太は苦笑した。
「さてと、そろそろ泳ぐの再開しましょ。時間、もったいないし」
「そうだね」
 
 夕方。
 圭太たちは更衣室が混む前に着替えを済ませ、帰ることにした。
 お盆の人出をなめると、痛い目を見るからである。
 帰りの電車はそんな状況を反映してか、結構混んでいた。
 それでも、途中で乗り換える駅が始発駅だったので、地元までは座って帰れた。
「ん〜、泳いだからか、体がだるい」
 柚紀はそう言って首をひねった。
「これからどうしよっか?」
「そうだね。とりあえず考えるべきなのは、夕食をどうするかだね」
「夕食か。食べてく? それとも、家で食べる?」
「僕はどっちでも。この時間なら、うちもまだ準備してる頃だし」
「う〜ん、あんまりお金ばかり使うのももったいないし、帰ってからにしよっか?」
「そうだね」
 というわけで、ふたりはそのまま帰ることにした。
「そういえば、圭太の田舎ってどこなの?」
「うちは、母さんの実家がここだから」
「ここって、ああ、そっか、朱美ちゃんの家か」
「正確に言えばそのすぐ側なんだけどね。吉沢の家がもともとこっちだから。父さんの実家は、もともとは静岡だったんだけど、父さんが中学の時にこっちへ来て、そこで母さんと知り合って。父さんが高校を卒業した次の年だかに、今度は金沢へ行って。今もそこにいるよ」
「じゃあ、圭太のお父さんは、ひとりでこっちに残ったの?」
「うん。その頃にはもう母さんと一緒になることを決めてたから。もちろん、卒業するまではそんなことなかったけど」
「なるほど。じゃあ、金沢へは行ってないの?」
「父さんが亡くなってからは、ほとんど行ってないね。一時期は母さんが大変だったし、そうじゃなくてもいろいろ忙しかったから。それでも、僕や琴絵にとってのおじいちゃんとおばあちゃんだけど、いつも気にかけてくれて。それが余計に心苦しいよ」
「そっか。ホントにいろいろあるんだね」
 柚紀は、あえてその程度にとどめた。さすがに、それ以上はデリケートなことなので言えなかったのだ。
「柚紀は?」
「うちは、お父さんの実家が長野で、お母さんの実家が群馬。なのになんでこっちにいるのかは、詳しいことは知らないけどね。とりあえず、お父さんとお母さんが出会ったのは、大学でってことは知ってるけど」
「そうなんだ。じゃあ、近いから結構帰ったりしてるの?」
「ん〜、以前はね。でも、今は私が部活が忙しくなっちゃったから、行けなくなっちゃったけど。それでも、会いたくなったら向こうから来ることもあるし、別に無理する必要はないからまだ気は楽かな」
「そっか」
 ふたりは、他愛のない話をしながら歩いていく。
「ねえ、圭太」
「うん?」
「私って、ちゃんと『高城家』に受け入れられるかな?」
「どういう意味?」
「ん、ほら、親戚とかいろいろあるじゃない。琴美さんや琴絵ちゃんはいいけど、それだけじゃ済まないし」
「それは大丈夫だよ。高城の家の方は、親戚が少ないから。父さんはひとりっ子だから兄弟はいないし、家自体の親戚もいろいろあってあまり交流がないらしいし。吉沢の家は、母さんとその妹の淑美叔母さんのふたり姉妹で、みんないい人だし。家自体は親戚は多いけど、なんとなくおおらかな人が多い気がする」
「それならいいけど。今まではただ、圭太と一緒になる。だから琴美さんと琴絵ちゃんに認めてもらう。そうとしか考えてなかったけど、よくよく考えればそれだけじゃないからね。だから、ちょっと確認したの。でも、そういうことなら、安心かな。あ、うちの方は全然問題ないから。お父さんもお母さんも兄弟いるけど、みんな似たり寄ったりだし」
 その評価に、圭太はなんと応えていいかわからなかった。
「まあ、うちで一番やっかいなのは、やっぱりお姉ちゃんでしょ。ホント、早く正久さんと一緒になればいいのに。そうすれば少しは『妹いじり』も少なくなるのに」
「あ、あはは……」
 そういう話題には極力ものを言わない方がいいことを、圭太は十二分に学んでいた。
 それからしばらくして、高城家へと帰ってきた。
「ただいま」
「おじゃまします」
 リビングに顔を出すが、そこには誰もいなかった。
「あら、おかえりなさい。早かったのね」
「本格的に混む前に帰ってきたから」
 台所から琴美が顔を出した。
「夕飯、僕たちも大丈夫?」
「ええ、大丈夫よ。ただ、もう少しかかるから待ってて」
「了解」
「あ、私、手伝います」
「そう? じゃあ、お願いしようかしら」
「はい」
 今ではすっかり柚紀専用になったエプロンをつけて、柚紀も台所へ。
 そうなってしまっては圭太にすることはない。とりあえず荷物を片づけ、一度部屋へ戻った。
「ふう……」
 窓を開け放ち、ベッドに寝転ぶ。
 筋肉を弛緩させ、目を閉じるとなんとも心地良い脱力感に覆われる。
「このまま眠れそうだ……」
 気を抜けば、そのまま本当に寝てしまうかもしれない。圭太自身はそれほど感じていないかもしれないが、毎日外に出ていることで確実に疲労が溜まっていた。
 程なくして、圭太は浅い眠りについていた。
 その頃、台所では柚紀と琴美が夕食の仕上げを行っていた。
「柚紀さんは、料理は誰に教わったの?」
「基本的には母です。あとは、本を買ってきて試したり、料理番組なんかを参考にしたりとか」
「それでこの腕前というのは、なかなか筋がいいのかしら?」
「さあ、どうでしょうか。一応、それなりに努力はしましたから」
 そう言って柚紀は微笑む。
「私、理想がちょっと前時代的なんですよ」
「前時代的?」
「妻は夫を影に日向に支えるものだっていうことです。いつもは一歩下がったところで支えて、でも、必要な時には表にも出て」
「なるほど、そういう前時代的という意味なのね」
「今の時代にはちょっとあわないかもしれませんけど、それが私の理想ですから。だから、炊事洗濯などの家事も一通りこなせるように努力もしました」
「ふふっ、とすると、柚紀さんがこの家に入ってくれれば私ももう少し楽できるかしら」
「ええ、ドンと任せてください」
 それからすぐに、夕食ができあがった。
 それを見計らったかのように、琴絵と朱美が下りてきた。
「圭太は?」
「ううん」
「なにかしてるのかしら?」
「私、呼んできます」
「お願いね」
 軽い足音を響かせて二階に上がる。
「圭太、準備できたよ」
 ドアの外で声をかけるが、返事はなかった。
「圭太?」
 そっとドアを開ける。
「なんだ、寝てたんだ」
 圭太は、まだ眠ったままだった。
「連日みんなの相手してるから、疲れちゃったのかな」
 そう言って柚紀は、ベッドに腰を下ろした。
「ごめんね、圭太。いろいろ振り回しちゃって。でも、圭太だって悪いんだからね。全然大変そうなそぶり見せないから。わかってたら、もう少し考えたよ。私は、圭太と一緒にいられるだけで十分なんだから」
 柔らかな髪を、愛おしげに撫でる。
「……柚紀……」
「えっ、起きてるの?」
「…………」
「なんだ、寝言か。でも、呼んでくれた名前が私でよかった。これがほかの人だったら、さすがにちょっとショックかも」
 くすくすと笑う。
「っと、和んでる場合じゃなかった。起こさなくちゃ。圭太、起きて。夕食の準備、できたよ」
 軽く肩を揺する。
「……ん、う、ん……」
「ほら、圭太。起きて。起きないと、襲っちゃうわよ」
「……ん、それは、ちょっと困るかな」
「あによぉ、私に襲われるのイヤなの?」
「そんなことないけど、少なくとも両者合意の下での方が、いいと思ってね」
 そう言いながら圭太は体を起こした。
「横になるだけのつもりが、寝ちゃってたんだ」
「うん。気持ち良さそうに寝てた。圭太、疲れてるんじゃないの?」
「どうなんだろ。僕としてはそこまでとは思ってないけど、こんなにあっさり眠ってしまうってことは、疲れてるのかも」
「ホント、圭太はなんでもひとりで抱え込んじゃうわね。言ってくれれば私だって無理させないのに」
 柚紀は、そっと圭太を抱きしめた。
「でも、海に行きたかったんでしょ?」
「それはそうなんだけど。それだって、なにをおいてでもってわけでもないし。それこそ海は逃げないから。また来年だっていいし。私としては、無理して圭太が倒れることの方がよっぽどイヤ」
「ごめん」
「ううん、いいよ」
 圭太もそれ以上なにも言わず、柚紀の胸の中で目を閉じていた。
 トクン、トクンと胸の鼓動が耳に心地良い。
 母親に抱かれている感じがした。
 とても、とても穏やかで落ち着く母親の胸の中の感じが。
「っと、また忘れてた。圭太、夕飯だよ」
「ああ、うん、そうだね」
 圭太は、ほんの少しだけ残念そうに柚紀から離れた。
「行こうか」
「うん」
 
「……圭太。もう寝ちゃった?」
「……いや、起きてるよ」
 その日の夜遅く。
 柚紀は、本当は家に帰る予定だったのだが、その予定を無理矢理変更し、泊まることにした。とはいえ、いつもなら泊まった時には必ずといっていいほどしているエッチもしないでベッドに入っていた。
 熱帯夜の予想だったので、まだクーラーが動いている。それでも程なくしてタイマーで切れるだろう。
「ちょっとだけ話、しよっか」
「いいよ」
「とはいえ、特にネタはないんだけど。ん〜……そうだ。ねえ、圭太の初恋っていつ?」
「初恋?」
 あまりにも予想外の問いかけに、一瞬圭太の反応が遅れた。
 柚紀としても思いついたこと自体偶然なのだから、そういう反応でも仕方がないと思った。
「一応、あるんでしょ?」
「まあ、それらしきものはあるよ」
「それって、いつ? 相手は誰?」
「小学校の二年生の時かな、あれは。相手は、学校の先生。担任じゃなかったんだけど、いろいろ教えてくれて」
「ふ〜ん、先生か。一番多いパターンだよね」
 確かに、男女を問わず学校の先生を好きになるというのはよくある。幼稚園や保育園なんかだと、男の子が女の先生に「将来先生と結婚する」なんて言うこともある。
「とても優しい先生だったんだ。いつもニコニコと笑顔を絶やさなくて。もちろん先生だから怒ることもあったけど、ちゃんとそのフォローもしてたし。母さんや淑美叔母さん以外の年上の女性で、あれだけ意識したのは、あれがはじめてだよ。だから、僕はそれを初恋だと思うんだ」
「その初恋は、どうなったの?」
「もうその頃には先生は結婚してたから。それに、僕が三年に進級する時に異動でほかの学校へ行っちゃったし。僕としては、三年になる時に先生が担任になってくれればいいなって思ってたんだ。だから、先生が異動するって聞いて、ちょっとだけショックだった」
「綺麗な初恋の想い出だね」
「今思えばそうかもね。ただ、当時は好きとか嫌いとか、そういうのもよくわかってなかったし。ただ先生と一緒にいられたら、としか思ってなかったから」
「小学生なんてそんなものでしょ」
「うん、そうだね」
 圭太は、当時を思い出しているのか、自然とその顔には笑みが浮かんでいた。
「柚紀の初恋は?」
「私は、小学校に入ってすぐだったかな。確か、相手は隣になった男子。今から思えば、それはただ単に遊び相手として構ってほしかっただけなのかもしれないけどね。なんとなくいつもちょっかいかけてた。ほら、私、お転婆だったって言ったでしょ? 小学一年生じゃ無理もないけど、当然その男子にも私が『女の子』だって思われてなかったと思うの。むしろ、自分をいぢめる悪い女、と認識してたかも」
「ははは、なんとなく想像できるよ」
「でも、私としては結構真剣だったんだから。性格からか友達はすぐできたけど、彼とはどうも上手くいかなかったし。だから余計にちょっかいかけて。まあ、それも席替えが行われて終わっちゃったけどね」
 そう言って笑う。
「それからしばらくは、同じことの繰り返しだった気がする。ちょっといいなって思っても、性格のせいで素直になれないし。まあ、小学校の間は男女の隔てなく遊んだりできたから、まだよかったんだけどね。それが中学校に入って、一変。男子も女子もお互いを異性として認識するようになって。私もちょっと好きになりかけた人もいたけど、自分のことを知られる怖さもあって、あと一歩、ううん、二歩くらいかな、踏み出せなかった。それに、私にはお姉ちゃんがいたから」
「咲紀さんが、なにか関係あるの?」
「お姉ちゃんの性格はよく知ってると思うけど、あんな性格だから、中学でも高校でも人気あったのよ。それに、最初に彼氏作ったの、中学の時だったし。その人とは違う高校になっちゃったから別れたけど。高校でも何度も浮いた話があったし。ただ、どんな理由かは知らないけど、高校時代は誰ともつきあわなかったの。あ、違うか。つきあう一歩手前だったの。お姉ちゃんの今の彼氏、正久さんとは高校の頃からのつきあいだし。まあ、それはどうでもいいんだけど、そんなお姉ちゃんを見てたから、余計にその違いを見せつけられて。余計に臆病になってのかも。でも、そんな私にもようやく運命の人が現れた」
 柚紀は、キュッと圭太の腕をつかんだ。
「圭太はまさに私の『運命の人』だった。だって、じゃなかったらこんなに好きになんてなってなかったと思う。綺麗な恋がしたかった私。恋に恋していた私。そんな私を本当の恋に導いてくれた。それが、圭太。もちろん、実際誰かとつきあうことが、楽しいことや嬉しいことばかりじゃないって、頭ではわかってたけど。それでも、それは実際に経験してみないとわからないし。今じゃ、そうそう経験できないことまで経験してるけどね」
「面目ない」
「ふふっ、それはそれで楽しいからいいよ。それに、どんなことがあっても私と圭太のゴールは、同じところにあるんだから。それで十分」
「そうだね」
「でも、あれかな、圭太が初恋の相手だっていう人もいるだろうね。琴絵ちゃんは、ちょっと意味合いが違うかもしれないけど、間違いなくそうだろうし。朱美ちゃんもか。あとは、紗絵ちゃんも。あ、凛もか」
 正確に言えば、圭太が初恋の相手というのは、妹の琴絵と従妹の朱美を除けば、幼なじみの凛、中学に入ってすぐに好きになった紗絵、はじめて自分をひとりの女の子として扱ってもらえた祥子の三人である。厳密な意味では違うのだが、本気で人を好きになったことを初恋ということで言うなら、鈴奈やともみ、幸江、詩織もそうである。
 つまり、今圭太と関係しているほぼ全員が、そういう状況にあったわけである。
「よく、初恋は実らないって言うけど、圭太を好きになって、それを受け止めてもらえれば、そんなことないわね。初恋が最初で最後の本気の恋になって。それはそれでちょっとだけ羨ましい気がする」
「そっか」
「圭太はあれだよね。初恋の相手で、しかも想いまで通じて、自分のいろんなはじめてまでもらってもらえて。それって、かなりすごいことだと思うわよ。これで万が一にも圭太が裏切ったら、相手が誰でも自殺するわね」
 柚紀は、冗談ともつかないことをさらっと言う。
「もちろん、私もだけどね。あ、私の場合は違うか。もし圭太が私を裏切ったら、圭太を殺して私も死ぬから」
「お、覚えておくよ」
「ま、そんなことは絶対にないって信じてるけどね」
 圭太としても裏切る気などまったくないのだが、今のを聞いてよりいっそうそうしようと心に誓った。
「何度も言うけど、私には圭太しかいないんだからね」
「わかってるよ。僕の一番は、柚紀なんだから」
「うん……」
 圭太は、柚紀の肩を抱き、自分の方へ抱き寄せた。
「おやすみ、圭太」
「おやすみ、柚紀」
 それから、ふたりが眠りに落ちるまでそれほど時間はかからなかった。
 ただ、眠ってからも、ふたりはぴったりと寄り添い、離れることはなかった。
 
 五
 八月十八日の朝は、前日までの晴天とはうってかわって、どんよりとした低い雲に空一面が覆われ、今にも降り出しそうだった。
 夏は、気温が高いせいか急激に天候が変わることがよくある。それは、暖かい空気のあるうちに、北から冷たい空気が入ってくると大気の状態が不安定になるからである。
 とはいえ、その日の天気はそのような理由からの天気の悪さではなかった。大陸からの低気圧が本州を東へ抜け、その際に一時的に天気が悪くなったのである。
 圭太が目を覚ました時には、まだ柚紀は眠っていた。
 クーラーが止まってから暑くなったのか、少し寝汗をかいている。パジャマも微妙に着崩れていて、相手が圭太でなければ間違いが起こりそうな感じだった。
「よく寝てる」
 穏やかな寝顔を見ていると、自然と頬が緩んでくる。
「……たまには、違った起こし方をした方がいいのかな?」
 ふと思いついて、そんなことを言う。
「柚紀。朝だよ」
 軽く肩を持って揺する。
「……ん……」
 しかし、わずかに顔をしかめただけで、起きる気配はない。
「ほら、柚紀。朝だよ。起きないと、その、キスするよ」
 と、そのキスという単語に反応した。
「……キス、して……」
「……了解」
 圭太は、そのまま柚紀にキスをした。
「……んん……」
 触れるだけでなく、しっかり唇をあわせる。
「これでいい?」
「……ううん、もっと」
「はいはい」
 もう一度キスをする。
「これでもういいよね?」
「ん、ん〜、やっぱり、目覚めのキスの威力は絶大ね」
 柚紀は、そう言ってにっこり笑った。
「でも、どうしてキスで起こそうなんて思ったの?」
「なんとなくだよ。たまには違った方が柚紀もいいかなって思って」
「ふ〜ん、そうなんだ。ま、確かにキスで起こされるのは、いいと思うけどね」
 起き上がり、圭太に抱きつく。
「キスで起きなかったら、どうするつもりだったの?」
「それは、普通に起こすか、あきらめたよ」
「簡単にあきらめちゃうんだ」
「今日、なにかあるなら無理矢理にでも起こすけど、柚紀はなにもないってわかってたし」
「むぅ、それはそうなんだけど。たとえば、寝込みを襲ってみようとか思わない?」
「思わないよ」
 即答だった。
「でもさ、私だってこんな格好してるんだから、ムラムラっとこない?」
「まったくないわけじゃないけど、なんか卑怯な気がして」
「卑怯?」
「だってさ、無抵抗な柚紀を襲うのって、ようするにレイプするのと一緒だから」
「そこまで難しく考えなくてもいいのに。私だったら、いつでもいいんだけどね」
 そう言って圭太の手を胸に導く。
 ブラジャーをしていない胸の感触が、ほとんど直に伝わってくる。
「今度、私が圭太より早くに起きたら、襲ってもいい?」
「できればやめてほしい」
「ええ〜っ、なんでぇ?」
「昨日も言ったけど、両者合意の下での方がいいから」
「むぅ、つまんないの。たまには変わったシチュエーションでするのもいいと思うんだけどなぁ」
 そんな柚紀の物言いに、圭太は苦笑するしかなかった。
「そうそう、圭太」
「うん?」
「今年の合宿は、ちゃんと私を優先してよ。去年みたいに、みんなを優先しないでよ」
「まあ、それは検討課題ということで」
「んもう、なにが検討課題よ」
 柚紀は、ぷうと頬を膨らませた。
 
 朝食の時。
「ねえ、圭兄。今日は空いてるんだよね?」
 朱美は、そう言って圭太の予定を確認してきた。
「ああ、うん。空いてるよ」
「じゃあさ、私たちにつきあってくれないかな?」
「私たち、って、朱美と誰だい?」
「そんなの決まってるよ。私と紗絵と詩織」
 さも当然と言う。
「で、どうかな?」
「それは構わないけど、天気、悪いよ?」
「うっ……」
 ダイニングから外を見る。
 よく見えるわけではないが、真夏の朝だというのに薄暗いというのはわかった。
「確か、天気予報では午前中から雨が降るって言ってたよ」
「ううっ……」
 琴絵が追い打ちをかける。
「だ、大丈夫。なんとかなるから。とにかく、約束だからね」
「了解」
 朝食を食べてしばらくすると、柚紀が家に帰ることになった。
「昨日は無理言って泊まったから、今日はさすがに帰らないと」
「そうだね」
「圭太とは、今度は合宿の日だね」
「うん」
「それと、合宿中のこと、ちゃんと考えておいてよ?」
「ああ、うん、考えておくよ」
 最後に念を押して、柚紀は帰って行った。
 それから少しして、朱美が下に下りてきた。
「とりあえず、圭兄」
「ん?」
「紗絵も詩織も、うちに呼んだから。そこでどうするか決めて行動するから。それでいい?」
「僕はどうしてもらっても構わないよ」
「できれば圭兄に、これがしたい、とか言ってもらえると、決めるのも楽なんだけどね」
 そう言って朱美はため息をついた。
「とはいっても、それができないのが圭兄だっていうのもわかってるし。その代わり、どんなことを決めてもちゃんと言う通りにしてね?」
「う〜ん、保証はできないけど、できるだけ努力するよ」
「むぅ、ちゃんと保証するの」
「はいはい、考えておくよ」
 圭太はひらひらと手を振って自分の部屋に戻った。
 
 九時半を過ぎた頃から雨が降りはじめた。
 しとしとという感じの雨だが、連日真夏日だったことを考えれば、多少は涼しくなっていいのかもしれない。もっとも、気温自体は夏日で蒸し暑いのだが。
 同じ頃、紗絵と詩織が立て続けにやって来た。もともと十時ということで約束したらしいのだが、はやる気持ちを抑えられず、という感じで早く来たようである。
「とりあえずどうしよっか?」
 朱美は、ふたりを自分の部屋に招き入れ、早速これからどうするか検討をはじめた。
「どうするって言っても、この雨じゃ、外でなにかするってわけにはいかないし」
「となると、どこか建物の中でってことになるわよね」
「どこかいい場所ある?」
「改めてそう言われると──」
「なかなかないけど」
 揃ってため息をつく。
「屋内デートの定番と言えば?」
「映画、カラオケ、ショッピング」
「コンサート、美術館や博物館、水族館」
「あとは、屋内テーマパークとか」
 いろいろ出てくるが、どれも決め手に欠けるらしい。
「う〜ん、これっていうのがないねぇ」
「まあね。ふたりきりなら簡単に決められるんだけど」
「あと、やっぱり三人でっていうのも、障害になってない?」
「やっぱり? 私もそうは思うんだけどさ、圭兄に残されてるお盆休みは、今日しかないから」
「そうすると、こうなるのか」
 またもため息をつく。
「そういえば、詩織はちょっと前が誕生日だったんだよね?」
「え、あ、うん。そうだけど」
「ということは、圭兄に抱いてもらったわけだ」
「……えっと、まあ、そうかな?」
「なんか、夏休みに誕生日があると、得じゃない?」
「どうして?」
「だって、学校は休みだから時間があるでしょ? たとえ部活があったとしても、半日はあるし。でも、私や紗絵みたいに四月とか五月だと、土日に重ならない限り、そんなに時間取れないし」
「うん、それは言えてる」
「そんなこと言われても、自分の誕生日は自分で決められないし」
 朱美と紗絵に理不尽なことを言われて、さすがの詩織も困り顔である。
「って、それは今は関係ないって。今は、これからどうするかを決めるんでしょ?」
「そういえばそうだった。で、どうしようか? あまりのんびりしてると、時間なくなるし」
『う〜ん……』
 三人で唸る。
 と、その時、ドアがノックされた。
「朱美ちゃん。いいかな?」
「あ、うん」
 入ってきたのは、お盆に麦茶を載せ持ってきた琴絵だった。
「どうぞ」
 ミニテーブルの上にコップを並べる。
「まだ決めてたんだね?」
「なかなか決まらなくて。やっぱり、三人でっていうのがネックになってて」
「そっか」
「でも、その状況を作りだした遠因のひとつは、琴絵ちゃんにもあるんだよ」
「私にも?」
 琴絵は首を傾げた。
「だって、早々と圭兄とのデートの約束を取り付けちゃったでしょ?」
「ああ、うん」
「お盆は六日間。圭兄と一緒にいたい人数は、それよりも多い。ということは、必然的に誰かがあぶれることになるでしょ? だから、琴絵ちゃんのことも遠因なの」
「ま、まあ、そういうこともあるかもね。あ、あはは……」
 朱美に責められ、琴絵は乾いた笑みを浮かべる。
「琴絵は先輩の妹という立場を巧みに利用してるから」
「そ、そんなことないですよ。今回はたまたま誕生日の時に約束しただけですから」
「だとしても、誕生日にお願いすれば、断られないっていう考えはあったでしょ?」
「うっ、そ、それは……」
「まあまあ、朱美も紗絵も琴絵ちゃんをそんなに責めないで」
「ううぅ〜、詩織先輩〜」
 詩織だけは自分の味方だと判断し、早速その側に。
「詩織はつい最近圭兄に抱いてもらってるから、そんなこと言えるんだよ」
「そ、それはお互い様だと思うけど。朱美だって紗絵だって、誕生日には抱いてもらったんでしょ?」
「うっ、それは……」
「そうだけど……」
「だったら、今はそういうことでお互いを責めてもしょうがないでしょ? 今決めなくちゃいけないのは、これから先輩とどうするかってことなんだから」
「そうだ。早く決めないと時間が」
 いろいろ話をしているうちに、もう十時をまわっていた。
「えっと、私はもう行くね」
 琴絵は、それ以上言われないうちに退散した。
「どこに行くとかいうよりも、なにをしたいかで決めた方がよくない?」
「そうかも」
「じゃあ、それぞれなにをしたいか言ってみよう。まずは、朱美から」
 が、朱美はすぐに言わない。
「どうしたの?」
「いや、改めてなにをしたいかって訊かれると、ちょっと困るなって。基本的にはなにがしたいとかそういうのより、圭兄と一緒にいることが一番重要だから」
「言われてみればそうかも」
「先輩がいるからこそ、なにをしても楽しいわけだからね」
 そこで納得してしまっては、意味がないのだが。
「それでも強いてしたいことって言えば、ひとつしかないんだけど」
「それは、みんな同じだと思うわよ」
「うん、同感」
「って、それじゃあ全然意味がないって。だいいち、それをするにしても最後だろうし。となると、それまでなにをするか考えないと」
『う〜ん……』
 三人でまた唸る。
 と、またもドアがノックされた。
「朱美」
「圭兄?」
 ドアを開けると、圭太が立っていた。
「どうしたの?」
「それはこっちのセリフだよ。ふたりが来てからそれなりに経つのに、なにも言ってこないから」
「ああ、うん。まだ決まってないんだ」
 朱美の言葉に、紗絵と詩織も頷く。
「じゃあ、とりあえず駅前にでも出てみるかい? そしたら、なにかいいアイデアが浮かぶかもしれないし」
「そうだね。ここでいつまでも話しててもしょうがないし」
 まだ決まったわけではないが、とりあえず前進した。
「僕は下にいるから、用意ができたら声をかけて」
「うん」
 圭太が出て行くと、朱美は早速着ていく服を物色する。
「へえ、朱美、こんなのも持ってたんだ」
「あ、勝手に出さないでよ」
「うわ〜、これカワイイ」
「詩織まで……」
「まあまあ、いいから早く着替えてよ。時間、なくなるわよ?」
「わ、わかってるって」
 朱美はいくつか服を取り出して検討する。
 結局、パフスリーブの半袖シャツに、ミニスカートという格好に落ち着いた。
「さ、行こう」
 ようやく、三人のデートがはじまった。
 
 雨の中、駅前まで出てきた四人は、なにをするか考えた。
 駅前は、お盆も明けたということで、ほぼいつもの夏休みの平日という感じだった。それでも、屋根のある商店街は若干人が多い気がするのは、やはり雨だからだろう。
「それで、なにをするか考えたかい?」
「う〜ん、私はまだ思いつかない」
「私もです」
「三人だと、なかなか難しくて」
「そっか。だったら、買い物でもしようか? そうだなぁ、高いものはダメだけど、安いものなら、ひとつだけ買ってあげるよ」
『ホント(ですか)?』
 見事三人の声が重なった。
「本当に安いものなら、いいよ」
「じゃあ、どこがいいかな?」
「手頃な値段で、なおかつほしいものが買えるところ」
「それって、なかなか難しいと思うけど」
 もはや圭太の声も届いていない。
 圭太は、そんな三人を苦笑して見ている。
「う〜ん、とりあえず、あそこからにしよ」
 そう言って三人に連れられてやって来たのは、ちょっとリーズナブルな服を扱っている店だった。
 その店でとりあえず各々好きなものを物色する。
「これ、はちょっと色が違う気がする」
 紗絵は、スカートを選んでいた。値段的に丈の長いものは布地を多く使うので高くなる。従って、自然と短いスカートになっていた。
「いいのは見つかりそう?」
「あ、はい。デザイン的にはいいんですけど、ちょっと色が気に入らなくて」
「そういえば、紗絵はあまりミニスカートを穿かないよね」
「え、ええ、まあ。圭太さんになら見られても平気なんですけど、ほかの人だと途端に気になってしまって」
「なるほど」
「……あの、もしかして、ミニスカート、穿いた方がいいですか?」
「ううん、そんなことはないよ。紗絵自身が納得できる服装が一番だと思うし」
「そうですか」
 紗絵は、ホッと息をついた。
「ただ、正直に言えば、ちょっと見てみたい気はするけどね」
「えっ……?」
「ほら、紗絵はなにを着ても似合うから」
 圭太は、少しだけ悪戯っぽい笑みを浮かべ、そう言った。
「……もし、見たいなら、今度、ふたりきりの時に見せます」
「はは、じゃあ、楽しみにしてるよ」
 笑いながら、圭太は行ってしまった。
 残された紗絵は、そのふたりきりの時までに、今よりももう少しだけスタイルがよくなっていたいと、心から願い、同時に、そのための努力をしようと心に誓った。
「いざ言われると、なかなか見つからないなぁ」
 朱美は、カットソーやブラウスなど、上半身に着る服のコーナーを行ったり来たりしていた。
「なに、うろうろしてるんだ?」
「あ、圭兄。なかなかこれっていうのがなくて、迷ってるの」
「どんなのがほしいとか、そういうのは?」
「一応あるけど、本当にそれを選んでいいのかどうか、自分の中で考え中。もちろん、値段的には問題ないけど」
「とりあえずひとつに決めて、ほかにほしいのはまた今度ということにしたらどうだ?」
「ん〜、果たしてその時までそれがほしいかどうかわからないし」
「じゃあ、考えるしかないか」
「うん」
 朱美は、あちこちを見て唸っている。
「別にここで無理に買う必要もないんだから、ゆっくり考えればいいよ」
「うん、そうする」
 圭太が行ってしまうと、朱美は再びそのあたりをうろうろし出した。
「これ、かな?」
 詩織は、秋物のカーディガンを体にあて、悩んでいた。
「う〜ん、なんか違う気がする」
「どうだい?」
「あ、圭太さん。どうもなかなかしっくりくるのがなくて」
 また別なカーディガンをあててみる。
「よく似合ってると思うよ」
「本当ですか?」
「うん。ただ、ちょっと色が地味目かな? 詩織なら、もう少し明るい色でも十分着こなせると思うよ」
「そう、ですか?」
 圭太に似合ってると言われ、なおかつもっと似合うのはこれ、とまで言われて、詩織はかなり嬉しそうである。
「こっちの方がいいですか?」
 そう言って手に取ったのは、先のよりずいぶんと明るいカーディガンだった。
 確かに、美人顔で背も低くない詩織には、それがよく似合っていた。
「うん、そっちの方が詩織らしく見える」
「私らしい、ですか」
「あまり深く考えなくていいよ。それはあくまでも僕の主観でしかないから」
「それが私にとって、一番大切なんです」
「なるほどね」
 圭太は頷き、苦笑した。
「まあ、とにかく納得できるのを選べばいいよ」
「はい」
 それから少しの間、三人は物色を続けたが、結局納得できるものは見つからなかった。これが自分のお金で買うということなら、すぐに決まっていただろう。
 次に入ったのは、カバン屋だった。
 しかし、ここでもいいものは見つからず。
 その次は靴屋。
 ここは値段の壁にぶち当たり、あえなく撤退。
 次は時計屋。
 手頃なものもあったが、そういうものはデザイン的にどうかというのが多く、結局なにも買わなかった。
「はあ、結局いいのが見つからなかったなぁ」
「やっぱり、いざとなるとなかなか決められないよね」
「あれもこれも、とは思うけど、本当にそれでいいのか考えちゃうし」
 四人は、昼食をとるために、ファーストフード店に入っていた。
「まだ時間はあるし、ゆっくり考えればいいよ」
「そんなこと言ってると、あっという間に夕方になっちゃうんだから」
「別に、無理に買わなくてもいいんだから」
「それはダメ。せっかく圭兄に買ってもらえるのに、その機会をみすみす逃すなんて。そんなの絶対あり得ない」
「そうですよ。先輩に買ってもらった、というだけで宝物になるんですから。それがひとつでも増えれば、増えた分だけ幸せになれますし」
「それに、今回を逃すと、次はいつになるかわかりませんから。できるだけこういう機会は逃したくないんです」
 それぞれ考え方はいろいろなはずなのだが、圭太への反論は実に近いものがあった。
「そういえば、具体的にはいくらくらいまでなら許容範囲なの?」
「う〜ん、できれば五百円くらいが理想だけど、千円くらいなら、まあ、大丈夫かな」
「予想通りか」
 限度額がわかり、これで少しは選ぶ幅を絞れるかもしれない。
「ところで三人は、夏休みの宿題は終わったかい? あさってから合宿もあるし、今年は関東大会の日程上、夏休み最終日の三十一日も部活をやるし。まごまごしてると、終わらないくらいの量が出てるはずだからね」
「えっと、私はまだ終わってない」
 そう言うのは朱美である。
「あとどれくらい残ってるんだ?」
「あと、英語と数学の問題集が少しと、物理の問題集が半分くらい」
「まあ、真面目にやれば終わる量か」
「私は、あと古文の現代語訳だけです」
 そう言うのは紗絵である。
「現代語訳って、『枕草子』の?」
「はい。あれは時間がかかりそうだったので、後回しにしたんです」
「なるほど」
「そのおかげで、ほかはひと通り終わりました」
「紗絵は心配なし、と」
「私は、世界史の問題集と化学の課題以外は終わってます」
 そう言うのは詩織である。
「微妙な量が残ってるけど、大丈夫そうだね」
「はい。ここまでは順調に消化できてると思います。化学の課題はあと少しなので、合宿から帰ってきたら、世界史を一気にやるつもりです」
「なるほどね」
 朱美が一番残っているが、それでも終わらない量ではなかった。
「部活が忙しいという理由で本来やるべきことをやらないのはどうかと思うからね。三人ともしっかりやってて安心したよ」
 そう言って圭太は微笑んだ。
 昼食を終えると、再び買ってもらいたいものを探しに出た。
 午後最初に入ったのは、小物屋だった。
 値段的にはそこが一番よかったのだが、種類が豊富すぎてかえって選べなかった。
 次に入ったのが、下着専門店。
 もちろん圭太は外で待っていたが、三人ともいいのが見つからず、あえなく断念。
「ああ、もう、なんでこうしっくりくるのがないんだろ」
「嘆いたところで見つかるわけでもないし、探すしかないわよ」
「そうそう。ここであきらめたら、絶対に後悔するし」
 お互いがお互いを励まし、次の店へと向かう。
 次に入ったのは、アクセサリー屋だった。
 シルバーの少々値段の張るものから、おもちゃのような値段のものまで幅広く取り揃えてある。
「ん〜、アクセサリーかぁ……」
 高価な宝飾店には負けるが、華やかさでいえば、結構負けていない。
 明らかにプラスチックで作られてるとわかっていても、色やデザインがよければ手に取ってしまう。
「ん? 紗絵、なにを熱心に見てるんだい?」
「えっ、あ、えと、その……」
 紗絵が見ていたのは、おもちゃの指輪だった。とはいえ、パッと見、おもちゃに見えないような精巧なものもある。
「指輪か。これがほしいの?」
「えっと……はい」
 紗絵は、素直に頷いた。
「じゃあ、好きなの選んでいいよ」
 圭太に言われ、紗絵は真剣な表情で指輪を吟味し出した。
「なになに? なにを見てるの?」
 そこへ朱美もやって来る。
「あ、指輪だ。これでもいいの?」
「構わないよ」
「じゃあ、私も」
 朱美も一緒になって指輪を吟味する。
 そうなると、詩織もそれが気になり、やって来る。
「詩織もそれがいいかい?」
 指輪を指さす。
「できれば」
「じゃあ、好きなの選んで」
「はい」
 結局、三人とも指輪を選ぶことになった。
 指輪は色もデザインも様々で、本物にはとうていかなわないが、見た目の華やかさは十分あった。
 お互い一言も言葉を交わさず、黙々と探す。
 やがて、三人ともお気に入りのひとつを見つけた。
 朱美は、少し大きめの紫の石のついた指輪。
 紗絵は、石は小さいがデザインセンスのいい指輪。
 詩織は、深い青の石がついた、一番オーソドックスなデザインの指輪。
「それでいいかい?」
 三人は頷く。
「じゃあ、買ってくるから、ちょっと貸して」
 それを受け取り、会計を済ませる。
 一個四百円なので、実にリーズナブルで、圭太の理想通りとなった。
「これが紗絵ので、これが詩織の、そしてこれが朱美のだね」
 それぞれの手に指輪が戻った。
 店を出ると、三人はそれぞれとても嬉しそうに指輪の入った小さな袋を見つめていた。
「さて、これからどうしようか。結構歩き回ったと思うんだけど」
「圭兄。ひとつ、ううん、ふたつお願いがあるんだけど」
「お願い?」
「うん。ひとつは、GWの時と同じことなんだけど」
「GW? って、まさか、またあれを?」
「ダメ?」
「いや、まあ、できれば勘弁してほしいけど」
「じゃあ、してもいいってことだよね?」
「うっ、まあ……」
「よし、じゃあ、早速移動しよ」
 
 四人は、ラブホテルへとやって来た。
 ここは、一年三百六十五日、あまり雰囲気が変わらない。いつ来ても微妙な雰囲気である。もちろん、『ラブホテル』などと呼ばなければちょっと変わったホテルなので、特に問題はないのだが。
「それっ」
 部屋に入るなり、朱美はいきなりベッドにダイブした。
「朱美、なにはしゃいでるの?」
 そんな朱美を、紗絵が冷静にたしなめる。
「なんとなく大きいベッドを見ると、体育のマットを見てるみたいで、ついダイブしたくなっちゃったんだ」
「……なるほどね」
 紗絵は、やれやれと肩をすくめた。
「ところで、朱美。さっきはふたつお願いがあるって言ってたけど、もうひとつはいったいなんなんだい?」
「もうひとつは──」
 朱美は、持っていた小さな袋を圭太に渡した。
「その指輪を、私にはめてほしいの。私が、圭兄だけのものだっていう証として」
 その表情は本当に真剣そのものだった。冗談でもなんでもなく、本心からそう思っている。そんな表情だった。
「そのためにわざわざこの指に──」
 そう言って左手薬指を示す。
「この指にあうのを選んだんだから」
「……わかったよ」
 圭太は言われた通り、朱美の左手薬指に指輪をはめた。
「これでいいかい?」
「うん」
 朱美は、おもちゃとはいえ、指輪が左手薬指にはめられ、うっとりとした表情でそれを見つめていた。
「あの、圭太さん」
「ん?」
「私にも、お願いします」
 紗絵もそう言って袋を渡す。
「じゃあ、手を出して」
「はい」
 圭太は紗絵の手をそっと取り、指輪をやはり左手薬指にはめた。
 紗絵も、朱美と同じように、指輪のはまった手を、感慨深そうに、嬉しそうに見つめていた。
「詩織もかい?」
「あ、はい。お願いします」
 ふたりにそうしたからには、残った詩織にもそうするのが筋だと圭太は思った。もちろん、詩織自身は最初からそうしてほしくて買ったのだが。
「じゃあ、手を」
「はい」
 詩織の指にも、指輪がはまった。
 これで、三人は見た目的にも圭太のものとなったのである。
「三人ともひとつだけ守ってほしいことがあるんだ」
「守ってほしいこと、ですか?」
「僕としては三人がそれをしていても問題はないと思ってるけど、でも、まわりはそうは思わないから。だから、学校なんかではそれは外してほしい。納得できない部分もあるとは思うけど、僕としても無用な波風を立てたくないから。それだけは守ってほしい」
 確かに、学校で指輪をしていれば、それについてあれこれ詮索してくる者が多い。特に三人は普段から圭太と一緒にいるところを見られている。さらに言うならば、圭太には柚紀という彼女にして婚約者がいる。まわりは、そこに様々な憶測を持つ。
 圭太と三人の関係は思われてる通りなのだから、圭太としても否定はしない。だから、指輪も普段からしていてもいいと思っている。
 しかし、あれこれ余計なことを言われれば、少なからず生活に波風が立ってしまう。それは圭太も望んでいなかった。
 だからこそ、学校なんかでは指輪を外すように言ったのである。
「もちろん、なにも言われる心配のない場所でなら、いくらしていても構わないから。もうそれは三人のものだから」
 三人も、圭太の言いたいことは十二分に理解できた。
 ただ三人としては、それをしていることで圭太に迷惑をかけたくない、という想いの方が強い。自分は誰になにを言われてもいいが、圭太が誹謗中傷されるのは我慢できないのである。
「それと、ちゃんと結論を出して、その上で今と関係が変わっていなければ、その時にはもっとちゃんとした指輪を贈るよ」
 そう言って圭太は微笑んだ。
「とりあえず僕からはそれだけなんだけど、このあとはやっぱり……?」
 三人は顔を見合わせ、頷いた。
「今回も、順番を決めないと」
「今回は、負けないわよ」
「よく考えて順番を選ばないと」
 三人は、真剣な表情でこれからのことをシミュレートする。
「まずは、ジャンケン。勝った方から順番を決めるということでいいね?」
「いいわよ」
「望むところ」
「それじゃあ、せ〜の──」
『ジャンケン……ポンっ!』
 グー、チョキ、パー、それぞれが出た。
『あいこで……しょっ!』
 チョキがふたり、パーがひとり。
「ううぅ〜、私のひとり負け〜」
 負けたのは朱美だった。
「勝負よ、詩織」
「いいわよ」
『ジャンケン……ポンっ!』
 グーとチョキ。
「よしっ!」
「負けちゃった」
 勝ったのは紗絵である。
「じゃあ、紗絵。さっさと決めて」
 残った順番を押しつけられる朱美は、もはや投げ遣りである。
「えっと、じゃあ、最初」
「最初? なんで?」
「なんでって、いいじゃない、なんでも」
「まあ、いいけど。詩織は?」
「私は、今回は最後に」
「はあ、やっぱり私が二番目か」
 そう言って朱美はため息をついた。
「決まったかい?」
「あ、はい。最初は、私です」
 紗絵は早速圭太の側に寄る。
「いいかい?」
「はい……」
 圭太は、紗絵を抱きしめキスをした。
「ん……」
 そのままベッドに押し倒す。
「圭太さん……」
 潤んだ瞳で圭太を見つめる。
 圭太はわずかに微笑み、タンクトップを脱がせた。
 薄いブルーのブラジャーがあらわになる。
 ブラジャー越しに胸を揉む。
「あ、ん……」
 紗絵は、わずかに体をよじり、敏感に反応する。
 そのブラジャーも外すと、直に胸に触れる。
 ふにふにと少し弱めに揉む。
「んん……あ、ん……」
 まだまだ弱い刺激ながら、ふたりに見られているということで紗絵は敏感になっていた。
 少し硬くなってきた突起を、指の腹でこねる。
「んんっ!」
 と、紗絵は大きく体を跳ねさせた。
「あっ、んん……あんっ」
 右の胸に舌をはわせる。
 舌先であとをつけるように舐めていく。
「あふぅ……ん、気持ちいいです」
 先端の突起を音を立てて吸い上げる。
「んあっ!」
 さらなる刺激に、理性は次第に飛んでいく。
「っ、ああっ、んっ……やっ、んっ」
 圭太は、そこで手を止め、今度は下半身に手を伸ばした。
 ジーンズを脱がすと、ブラジャーと揃いのショーツには、わずかにシミができていた。
「感じていたんだね」
「ん、圭太さんが、いっぱい感じさせてくれるからです」
「じゃあ、もっと感じて」
 圭太はそのままショーツの中に手を入れる。
「んんあっ」
 紗絵の秘所は、すでにしとどに濡れていた。
 圭太の指が入っただけで、奥から蜜があふれてくる。
「んんっ、あんっ、圭太さん」
 くちゅくちゅと湿った音が聞こえてくる。
「んん、ああ……圭太さん……」
 ショーツを脱がせ、足を開かせる。
 舌先で最も敏感な突起をつつく。
「んんっ!」
 秘所を開き、桜色の柔肉に舌をはわせる。
「ああんっ、んんっ、圭太さんの舌が……んっ!」
 ぴちゃぴちゃと音を立て──
「あふぅんっ、頭の中が、真っ白になっちゃいます」
 わざとすする。
「あああっ」
 もうすでに紗絵の秘所は、圭太を受け入れる準備が整っていた。
「圭太さん……」
 紗絵は、目と表情で訴える。
 圭太も服を脱ぎ、怒張したモノを紗絵の秘所にあてがう。
「いくよ?」
「はい……」
 そのまま、一気にモノを突き入れる。
「んんあっ!」
 一気に体奥を突かれ、紗絵は嬌声を上げた。
「んん、圭太さん……」
「ん、なんだい?」
「圭太さんのが、奥に当たって気持ちいいです……」
 そう言って紗絵は微笑んだ。
「もう少しだけ、このままでいいですか?」
「いいよ」
 圭太は、紗絵の髪を優しく撫でる。
 その間にも紗絵の中は圭太のモノをしっかり締め付けているのだが、とりあえず圭太はそのことを頭の中から排除している。そうでもしなければ、とても冷静ではいられない。
「もう、いいですよ」
「わかったよ」
 一度キスをしてから腰を動かした。
「んっ、あっ……んんっ」
 気分が高まっているからか、やはり紗絵は敏感だった。
「あんっ、はぁんっ、いいっ」
 圭太は最初から大きく腰を動かしている。
「んっ、あっ、あっ、あっ、んああっ」
 紗絵は、シーツをつかみ、少しでも抵抗しようと試みるが、それもままならない。
「ああっ、圭太さんっ、圭太さんっ」
 肌と肌がぶつかる乾いた音と、モノが蜜をかき混ぜる湿った淫靡な音が響く。
「ん、はあっ、んんっ、あんっ、んくっ」
 荒い息の中、嬌声も大きくなってくる。
「んあっ、あんっ、ああっ、あふぅんっ、圭太さんっ」
「紗絵っ」
「もっと、もっと突いてくださいっ」
 圭太は、紗絵の腰をつかみ、さらに大きく深く突きつける。
「ああっ! んあっ、圭太さんっ、気持ちいいですっ」
「もっと気持ちよくなっていいんだよ」
「こ、これ以上気持ちよくなったら、私っ、んんんっ」
 お互いにそろそろ限界が近い。
「ああっ、わたしっ、もうっ、イっちゃいますっ」
「僕もそろそろ」
「一緒にっ、一緒にイってくださいっ」
「ああ」
「んんっ、ああっ、あんっ、んあっ、いっ、あああああっ!」
「くっ!」
 紗絵が達するのとほぼ同時に、圭太はモノを引き抜き、その下腹部に白濁液を飛ばした。
「ん、はあ、はあ、はあ……」
「はぁ、はぁ……」
「圭太さん……」
「紗絵……」
 ふたりは、そこに誰もいないかのように、ふたりだけの世界でキスを交わす。
「むぅ、あのふたり、なんかすっごくいい雰囲気」
「まあ、しょうがないわよ。私たちのことなんか、目の隅にも入ってないんだから」
「それはそうかもしれないけど。ま、いいや。次は私だし」
 朱美はそう言って気合いを入れた。
「ほらほら、紗絵。いつまで放心してるの。今度は私の番よ」
「ああ、うん、ごめん」
 紗絵は、ふらふらと体を起こし、朱美に場所を空ける。
「圭兄、大丈夫?」
「ん、大丈夫だよ」
「じゃあ、今度は私だよ」
「わかったよ」
 圭太が体を起こそうとすると──
「あ、そのままでいいよ。でも、ちょっとだけ待ってて」
 朱美がそれを押しとどめ、自分はいそいそと服を脱ぎ出す。
 下着まで全部脱ぐと、おもむろに圭太の上にまたがった。
「私が圭兄のをするから、圭兄も私のをして」
 そう言って朱美は、圭太のモノをつかみ、自分は秘所を圭太の方へ向ける。
「紗絵のがついたままになってる」
 少し萎縮しているモノを、握ってしごく。
「んっ……」
 まだ敏感なままなのか、すぐにモノは大きくなった。
「ふふっ、おっきくなった」
 妖しく微笑み、舌を出す。
「ん……」
 上から下へ、ツーッと舐めていく。
 エラの部分を丹念に舐め、今度は口に含む。
「ん……は、む……」
 頭を上下させ、一心不乱に舐める。
 それに対して圭太は、まずは目の前にした朱美の秘所を指でなぞった。
「んんっ」
 それだけで朱美は軽く体をのけぞらせた。
 左手で秘所を開き、右手の中指を挿れる。
 指が完全に入ってしまうほど中に入れ、ゆっくりと引き抜く。
 軽く間接を曲げ、中で動かす。
「やっ、あんっ、ダメっ、そんなにっ」
 くわえていたモノを離し、朱美はもだえる。
 徐々に出し入れを速くする。
「やだっ、ダメっ……圭兄の指が、私の中で……ああっ」
 圭太がいじる前から濡れていたのだが、今では音が出るほど蜜があふれていた。
「んっ、あんっ、圭兄っ」
 もはや圭太のモノを舐めることもできず、ただ圭太の指になぶられているだけである。
「んっ、圭兄、私、もう我慢できないよぉ」
「わかったよ」
 圭太はそう言って体を起こした。
「おいで、朱美」
「うん」
 朱美は言われるまま圭太に抱きつく。
 そのままの格好で腰を落とし、モノを飲み込む。
「んんっ」
 朱美は、圭太の首に腕を回し、少しそのままでいる。
「やっぱり、圭兄のが一番気持ちいい」
「そうかい?」
「うん。自分の指よりも圭兄の指よりも、やっぱり、圭兄のが一番いい」
 そう言って微笑む。
「私のはもう、圭兄専用になってるんだよ。だから、私も気持ちいいし、圭兄にも気持ちよくなってもらえる」
「なるほど」
「だから、一緒に気持ちよくなろ」
 朱美は、少し腰を浮かせた。
 圭太は、そんな朱美の臀部をつかみ、動かす。
「んっ、あっ」
 速さとしてはもどかしいほどしかないが、それでもしっかり深く入っているため、朱美は軽く体をのけぞらせた。
「あんっ、んんっ、圭兄っ、いいのっ、気持ちいいのっ」
 圭太にしがみつき、足に力を入れ、圭太が動かしやすいようにしている。
「圭兄っ、んっ……あ、ん……」
 そのままの格好でキスを交わす。
「んっ、んっ……んふぅ……」
 むさぼるようにキスを交わす。
「圭兄っ、好き、大好きっ」
 あふれる想いをそのまま圭太にぶつける。
「ああっ、んんくっ、あっ、あっ」
 圭太は朱美を横たえ、そのまま突く。
「あんっ、ダメっ、イっちゃうっ、んんっ」
 朱美は、息も絶え絶えにあえぐ。
「んあっ、あっ、あっ、あっ、あっ、あっ、イクっ、イっちゃうぅっ」
「朱美っ」
「圭兄っ、私っ、イクのっ、イっちゃうのっ」
 ぴんと体が張りつめ──
「んんっ、んくっ、いいっ、んんんんんんっ!」
 そのまま達してしまった。
「くっ!」
 圭太は、寸前でモノを引き抜き、白濁液を放った。
「はあ、はあ……」
「はぁ、はぁ……」
「中でも、よかったのに……」
 そう言って朱美は、圭太の髪を撫でた。
「最後って、得なのか損なのかわからないわね」
「だったら、二番目にすればよかったのに」
「でもまあ、最後に圭太さんを独り占めできると考えれば、いいのかも」
「ずいぶん前向きな考えで」
「それくらいじゃないと、この状況ではね」
 詩織は、そう言って肩をすくめた。
「朱美。そろそろ私に代わってくれない?」
「うん、ちょっと待って。今、腰が抜けちゃって」
 そう言って朱美は苦笑する。
「まったく……」
 詩織は、圭太のことも考えて朱美の言う通りにした。
「最後は私です。大丈夫ですか?」
「まあ、大丈夫だよ。少なくとも詩織の相手はできるよ」
「よかったです」
 圭太は詩織を抱きしめ、キスをした。
「圭太さん……」
 キスを繰り返しながら、ワンピースを脱がしていく。
「ん……あ……」
 白磁のような素肌があらわになる。
「あん……」
 ブラジャーを外し、胸にもキスをする。
 包み込むように胸を揉む。
「ん……んふ……あ……」
 三人の中で一番揉みがいのある胸である。とはいえ、圭太にはその意識はないだろう。圭太は胸の大きさで人を見ているわけではない。
「あっ、んっ」
 硬くなった突起を舌先で転がす。
「んんっ、あんっ」
 十分な反応が得られていると判断した圭太は、そのまま下半身に体をずらした。
 ショーツ越しに秘所を擦る。
「んんあっ」
 それだけでわずかにできていたシミが広がる。
 ショーツを脱がせると、わずかに蜜が糸を引いた。
「もうこんなになってるよ」
「んっ、それは、圭太さんが紗絵や朱美と、あんなにしたからですよ」
「じゃあ、ちゃんと責任とらないとね」
「はい」
 圭太は、まずは指で秘所をいじる。
「んあぅっ、んんっ」
 わずかに指に力を込めただけで、蜜があふれてくる。
「あんっ、もう少し、強くしてください」
「いいの?」
「このままだと、もどかしくて……」
「了解」
 圭太は苦笑しつつ、詩織の言う通りにした。
「ああっ、んんっ」
 指を入れ、中をかき回す。
「んあっ、やっ、んんっ、圭太さんっ」
 すぐにくちゅくちゅと淫靡な音が聞こえるようになる。
 最初は一本だった指を二本に増やし、さらに刺激する。
「ダメっ、ダメですっ、そ、そんなにされると、私っ、ああっ」
 いやいやするように頭を振るが、圭太はやめない。
「あっ、あっ、はぁんっ、んんっ」
 激しく出し入れすると、蜜がシーツにまで飛ぶ。
「いいっ、んんっ、あああっ!」
 そのまま詩織は達してしまった。
「ん、はあ、はあ、圭太さん……」
「大丈夫かい?」
「は、はい、大丈夫です」
「少し、休もうか?」
「いえ、大丈夫です。圭太さんに、抱いてほしいです」
「ん、わかった」
 圭太は詩織にキスをした。
「じゃあ、いくよ?」
「はい、きてください……」
 軽くモノをしごき、復活させる。
 そしてそのまま詩織に入れた。
「んああっ」
 達したばかりでまだ敏感なところへ、さらなる刺激があり、詩織はまた嬌声を上げた。
「んっ、ああっ、やっ、んんっ」
 圭太が動く度に、詩織の胸が揺れる。
 この胸の揺れも、先のふたりよりも大きい。
「んあっ、圭太さんっ、やんっ、ダメっ、ああっ」
 圭太は、より大きく速く動く。
「んんあっ、ああっ、圭太さんっ、圭太さんっ、私っ」
 圭太の首に腕をまわし、少しでも長く耐えようとする。
 しかし、一度達しているため、それも長くは続かない。
「圭太さんのが、擦れて気持ちいいですっ」
 声を出すことでも長引かせようとするが、快感の波は容赦なく襲ってくる。
「ああっ、圭太さんっ、わたしっ、もうっ」
 ギュッと圭太にしがみつく。
「ああっ、いやっ、ダメっ、あああああっ!」
 そして、詩織は達してしまった。
「はあ、はあ、はあ……」
 詩織は、圭太に抱きついたまま離さない。
「はあ、はあ、圭太さん、私……」
「なんだい?」
「圭太さんに愛してもらえて、幸せです……」
「そっか」
 圭太は、詩織の髪を優しく撫で、微笑んだ。
「ほらほら、いつまで抱き合ってるの」
 と、そこへ邪魔者が。
「……んもう、もう少し余韻を楽しんでもいいじゃない」
「余韻て、圭兄、まだイってないから、詩織の中で大きいままでしょ? で、あわよくばもう一回、とか考えてたんじゃないの?」
「うっ、そ、それは……」
「それは、反則。協定違反よ、詩織」
 朱美と紗絵に責められ、詩織もさすがに口ごもる。
「ほら、離れて」
「イヤよぉ」
「むぅ、詩織ぃ」
 最後の最後でそういうことになるのは、実にこの三人らしかった。
 
「はうぅ〜……」
「ううぅ〜……」
「あうぅ〜……」
 三人は、揃って気の抜けたため息をついた。
 四人がラブホテルを出る頃には雨は上がっていた。一日雨が降ったせいか、いつもの夕方の蒸し暑さもだいぶ緩和されていた。
 だから、とりあえず高城家まで歩いて帰ることにした。
「なんか、三人ともくたびれてるね」
「だってぇ、このふたりが──」
「最初に手を出してきたのは、朱美じゃない」
「そうよ。朱美が悪ふざけして、そのせいでこんなになってるのよ」
「うっ……」
 ふたりに責められ、朱美は言葉に詰まる。
「だ、だけど、そのあとにそれに乗ってふたりだってふざけてたじゃない」
「それは、そうかもしれないけど……」
「あれだって、最初に朱美がやらなければなにもなかったのよ」
「で、でもさ──」
「言い訳しない」
「ううぅ〜……」
「まあまあ、そんなに言わないで。なにがあったかはよくわかってるけど、朱美もそのせいでへろへろなんだから」
 さすがにそれ以上責められるのを見ているのは気が引けたのか、圭太が助け船を出した。
「ううぅ、やっぱり圭兄だけだよ、私の味方は」
 ここぞとばかりに圭太に抱きつく朱美。
「とはいえ、朱美もあまりふたりに迷惑かけないようにすること。喧嘩するほど仲が良いとは言うけど、喧嘩しなくてもいい時に喧嘩の種になるようなことはしない」
「は、はいぃ……」
「わかればいいよ」
 そう言って圭太は朱美の頭を撫でた。
「……なんか、朱美ばかり得してる気がするんだけど」
「……それは同感。なんか、世の中理不尽よね」
 そんな朱美を見て、紗絵と詩織はかなり複雑そうな顔をしていた。
「そうそう、紗絵」
「なんですか?」
「例の件、ちゃんと考えてる?」
「あ、はい。だいたいこうなるのかな、というのは考えてます」
「ねえねえ、圭兄。例の件、って、なに?」
 事情を知らない朱美と詩織が、不思議そうな顔で圭太と紗絵を見ている。
「例の件ていうのは、次期首脳部とパートリーダーのことだよ。今年も合宿の初日に決めようと思ってるから」
「そのことか」
「このままだとほぼ確実に紗絵が次の部長になるから、だから一応、誰が副部長やパートリーダーになるか、考えてみた方がいいって言ったんだ」
「なるほど」
「ちなみに、紗絵」
「はい」
「フルートとオーボエのリーダーは?」
「朱美と詩織ですね。まあ、詩織は二年生がひとりですから、ある意味しょうがないところはありますけど」
 紗絵は、笑顔でそう言う。
「そういうことだから、秋以降、リーダーとしてちゃんとメンバーを引っ張っていかないと、部長となる紗絵の足を引っ張ることになるからね」
 圭太もニコニコと笑顔で言う。
「あ、あはは、どうしよ、詩織……?」
「や、やるしかないわよ」
 ふたりにそんな顔されては、頷いて納得するしかなかった。
「まあ、僕たち三年が引退するまでに、いろいろ勉強すればいいんだよ。誰だって最初からできるわけじゃないんだし。ただ、リーダーらしく、一生懸命練習してみんなの手本になることは、誰にでもできるけどね」
 やはり部活のこととなると、圭太は途端に容赦がなくなる。
「三人には、期待してるかさ」
 そして、とどめである。
 もちろん、そう言われてしまっては、頷くしかない三人であった。
 
 六
 八月十九日。
 一高吹奏楽部にとってのお盆休みも、いよいよ最終日である。
 その日は朝からいい天気で、昨日の天気はいったいなんだったんだ、と怒りたくなるほどだった。
『桜亭』もお盆休みを終え、その日から営業再開だった。そのため、朝の仕込み作業もせねばならず、若干早めの起床となった。
 圭太が店で準備をしていると、琴絵が起きてきた。
「ふわぁ〜あ、お兄ちゃん、おはよう」
「おはよう、琴絵」
 まだ眠そうに目を擦り、頭も半覚醒状態である。
「今日は、とってもいい天気になったね」
「そうだな。昨日の雨がウソのように晴れてる」
「だから、今日は絶好のデート日和だね」
「まあ、それはどこへ行くか次第だと思うけど」
 圭太は、氷を砕き、再び冷凍庫に戻した。
「それで、どこへ行くか決めたのか? 確か、約束した時は水着を買った時だったから、海かプールか?」
「う〜ん、ホントは海にでもって思ってたんだけど、よく考えたら明日から合宿でしょ。それなのに余計に体力を消耗しちゃうと大変だと思って、それは断念したの。あ、でも、今年はもうプールに行ったから、お兄ちゃんに水着姿を見てもらう、という目標は達成できたけどね」
 そう言って笑う。
「で、改めてどこに行きたいか考えたんだけど、ちょっと遠くになるんだけど、いいかな?」
「どこなんだ?」
「えっとね、プラネタリウム」
「プラネタリウムか。そういえば、新しいのができたって何ヶ月か前にテレビでやってたっけ」
「うん、そこ。電車でちょっと行ったところにあるの。いいかな?」
「別に構わないよ。移動だけに半日とかかかるわけでもないし」
「あ、じゃあ、朝ご飯食べて、九時くらいになったら行こうね」
「了解」
 
 予定通り、朝食をとってから九時少し前に家を出た。
 時間のことを考え、駅まではバスで向かった。駅で切符を買い、電車に乗り込む。
「だいたい、一時間くらいかな」
 電車の旅は、片道約一時間だった。
「ねえ、お兄ちゃん」
「うん?」
「兄妹で『デート』っていうのは、やっぱりおかしいのかな?」
「どうしてだ?」
「だって、普通デートっていったら、男の人と女の人が会って、どこか行ったり、なにかしたりすることを言うでしょ? で、その男の人と女の人って、他人同士だと思うし」
「そうだなぁ……」
 圭太は腕組みをし、少し考えた。
 琴絵は、そんな兄の様子を、少しだけ真剣な表情で見つめていた。
「別に、おかしなことなんてないと思うけど」
「ホントに?」
「デートにいろいろ求めようと思うと、確かに兄妹ではちょっとその意味にそぐわないかもしれないけど。でも、純粋にそれ自体を楽しむだけなら、全然問題ないと思う。だから、たとえば、親子の間でも同性同士の間でも、『デート』って言っていいと思う」
「そっか。純粋に一緒にいることを楽しめばいいんだね」
「まあ、少なくとも僕はそう思うってだけだけどね。ほかの人がどう思ってるのかは、わからない」
「大丈夫。お兄ちゃんがそう思ってくてれるなら、私もそう思ってるから」
 嬉しそうに圭太の腕をつかみ、笑った。
「まったく、調子いいんだから」
 そう言いながらも、圭太の顔にも笑みが浮かんでいた。
 一時間ほど電車に揺られ、ようやく目的地へとやって来た。
 そこは、圭太たちの暮らしている街とほぼ同じくらいの規模の街である。つまり、県庁所在地である。その街に最新型の投影機を備えたプラネタリウムがオープンしたのが、GWの直前のことである。
 最新の技術をふんだんに取り入れ、今までは再現できなかった暗い星の再現にも成功した。これにより、星空をより綺麗に、より正確に映し出すことができるようになったのである。
 普段は学校の見学などが多いのだが、さすがに夏休みにはそういうこともない。そういう時は、家族連れが多い。また、暗い空間なので、カップルにも好評である。
 圭太と琴絵は、電車を降りるとバスターミナルでバスに乗った。
 プラネタリウムは、駅から少し離れた場所にあった。とはいえ、近くには県立博物館や美術館、図書館まである文教地区である。人の往来は結構あった。
 バスの中にも、小学生くらいの子供を連れた家族の姿もあった。おそらく、プラネタリウムに行くのだろう。
 そのバスに揺られること十五分。
「ここにあるんだね」
 そこは、県が造った宇宙科学館だった。その中のひとつに、プラネタリウムがある。
 入場券売り場で入場券を購入する。基本的には二種類あり、科学館だけを見るための入場券と、プラネタリウムも見るための入場券である。たいていの人は、プラネタリウムが目当てなので、後者を購入する。
 圭太たちもそれを買い、中に入った。
 中に入ると、早速プラネタリウムの上映時間が書いてあった。
「次は……十一時二十分だね」
「とすると、まだ時間があるから少し中を見ておこうか」
「うん」
 館内は、宇宙科学館などという名前の通り、主に宇宙に関する様々なものが展示してあった。
 基本的な構成は、地球の仕組み、太陽系の仕組み、宇宙の仕組み、宇宙科学の進歩、という感じである。それは本当に大まかなものでしかなく、特に宇宙の仕組みの中には、実に様々なものがあった。
 特に来館者の注目を集めていたのは、宇宙の誕生をCGによって再現したコーナーだった。いわゆるビッグバンを再現したもので、精密な映像と迫力ある音とで見る者を魅了していた。
 おみやげというわけではないが、いろいろな資料やグッズを扱っている店もあった。その一角に、『星占い』の機械があったのは、やはり宇宙繋がりだからだろう。
 そうこうしているうちに、時間になった。
 圭太と琴絵も、プラネタリウムに入る。
「うわ〜、背もたれが横になるよ」
 かつてのプラネタリウムは、座席も普通のものだった。だから、上を見ている時間の長いプラネタリウムでは、首が疲れた。ところが最近は、ゆっくり見てもらおうと、座席にも工夫を凝らしていた。もっとも、薄暗い中で横になってしまうと、眠ってしまう人も結構いる。
「あまりはしゃぐと、みっともないぞ」
「はぁい、わかってまぁす」
 しばらくすると、ドアが閉め切られ、照明が落とされた。
 進行役の挨拶で、いよいよ上映開始である。
 なにもなかった空に、満天の星が映し出されると、自然と歓声が上がった。
「すごいね、お兄ちゃん」
「ああ、すごい」
 その星空は、どれだけ空気の綺麗なところで見てもかなわない星空である。もちろん、本物には本物のよさがあるが、少なくとも都会に住んでいるとそのような星空を見る機会はほとんどない。
 上映は、地球から見える東西南北の星の話から、星座の話、最新の宇宙の話までと、実に多くの内容があった。
 それはあくまでも投影機が映し出した偽物の星空なのだが、いつしかそのようなことはどうでもよくなる。
 今、自分の目の前にあるのは、綺麗な星空。自分を優しく照らし出してくれる星明かり。それでいいのである。
「ん……?」
 と、ちょうど半分くらいまで進んだところで、圭太の手になにかが触れた。
 暗くてよくわからないが、なんとか確認すると、それは琴絵の手だった。どうやら、圭太の手を握りたいらしい。
 圭太はそれを理解すると、そっと琴絵の手を握った。
「……ありがと、お兄ちゃん」
 琴絵はそうささやき、ほんの少しだけ、その手を握り返した。
 
 五十分ほどの上映時間が終わると、一回の上映を見たうちの何人かは、放心状態となる。それは、そこに繰り広げられた映像が、あまりにも心に届いたからである。
 そんな何人かのひとりが、琴絵だった。
「ふわ〜、すごかったねぇ、お兄ちゃん」
 なんとか我に返した琴絵を連れて、圭太がプラネタリウムを出たのは、もう次の回を見る人たちが入ってきてからだった。
 琴絵自身は、まだ半分夢の中という感じで、目をキラキラ輝かせ、すごかった、とか、綺麗だった、とか繰り返している。
 そういう状態の琴絵に展示を見せても意味がないと判断した圭太は、そこを出ることにした。
「うっ……」
 外に出た途端、ものすごい熱気を浴び、琴絵もようやく完全に覚醒した。
「暑い〜……」
「暑いって言うと、余計に暑くなるから言わない方がいい」
「そんなこと言っても、暑いものは暑いよ」
 さすがに陽が高くなってくる時間である。日向にいると焼けてしまうのではと思うほど、暑くなっていた。
「さて、午後はどこか行きたいところはあるのか? それによって、どこでお昼を食べるかが変わるんだけど」
「ん〜、午後は特にないよ。とりあえず、プラネタリウムに来たかっただけだから」
「じゃあ、いったん駅に出ようか」
「うん、そうだね」
 というわけで、ふたりは再びバスに乗り、駅に戻ってきた。
「なにが食べたい?」
「今日も暑いから、冷やし中華」
「冷やし中華か。とすると、中華料理店かラーメン屋、と。そういえば、駅前に美味しい店があるって聞いたことがある」
「ホント?」
「ちょっとうろ覚えだけど、たぶん大丈夫」
 圭太の記憶を頼りに、目当ての店を目指す。
 駅前の人出は、圭太たちの地元とさほど変わらなかった。夏休みということで、小学生や中学生の姿をよく見かける。ちょうどお昼の時間帯ということもあって、商店街は結構混雑していた。
 皆、ハンカチやタオルで汗を拭きながら、足早に目的の場所へと向かう。それがやはり、普通だろう。
 圭太と琴絵も、額に浮かぶ汗を拭きながら目的の店を探す。
「確か、このあたりのはずなんだけど……」
 商店街のほぼ真ん中。そこから路地を入ったところである。
「ねえ、お兄ちゃん。あのお店?」
「ん?」
 琴絵が指さす先に、申し訳程度に看板が出ていた。
「ん、そうそう。あれだよ。あのビルの三階」
 どこにでもある雑居ビル。その入り口にある小さな看板。どう考えても、宣伝しようとは思っていない看板である。
 階段で三階に上がると、店の前には何人もの客が待っていた。
「どうやら、正解みたいだ」
 行列ができるということは、少なくとも話題になっている店、ということである。
 しばらく待つと、ようやく中に入れた。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりでしょうか?」
「冷やし中華をふたつ」
「冷やし中華をふたつですね。以上でよろしいでしょうか?」
「はい」
「少々お待ちください」
 店内は、かなり活気に満ちあふれていた。やはり、人気店らしく、サラリーマンだけでなく、それ以外の客も多い。
 店の様子自体は、ビルの古さに見合ったものだった。汚いというわけではないが、どことなく年季を感じさせる造りだった。
「そういえば、お兄ちゃんと一日丸々外に出るの、久しぶりだね」
「そういや、そうか。なんとなくいつも一緒にいるから、そんな気がしてなかったよ」
「うん、そうだね。私が一高に入ってからは、毎日のように一緒にいるからね。でも、そんな夢みたいな生活も、あと半年ちょっとなんだよね」
「まあ、僕が留年でもしない限り、そうなるかな」
「お兄ちゃんが留年だなんてこと、天地がひっくり返ってもないよ。私ね、いろいろ聞いてるんだから」
「聞いてるって、なにを?」
 圭太は首を傾げた。
「お兄ちゃんのいろんな噂」
「噂、ねぇ」
「お兄ちゃんて、去年、一高祭の時、ミスター一高に選ばれたんでしょ?」
「ん、まあ」
「しかも、二年生でという一高史上初の快挙。それまでにもお兄ちゃんのことは結構有名だったらしいんだけど、それがあってからは余計にね。だから、本当にいろんな噂が流れてくるんだよ。まあ、私がお兄ちゃんの妹だっていうのも関係あるとは思うけど。で、その中に、お兄ちゃんの成績のこともあって、それによると、一高に入学してから一度も十位以内から落ちたことがないって。これって、本当なの?」
 琴絵は、まるでアイドルや俳優のミーハーなファンのように、目をキラキラと輝かせ、訊ねる。
「まあ、それは本当だけど」
「だったら、やっぱりお兄ちゃんが留年するわけないよ。それに、もしお兄ちゃんがちゃんとテストを受けて留年するなら、ほかのほとんどの人も留年するってことだから。そんなの、あり得ないでしょ?」
 少々たとえが強引だが、琴絵の言っていることは正しかった。
「だから、今の生活はあと半年ちょっとなの。だから、残念なの」
「はいはい、そうだね」
「むぅ、まともにとりあってよぉ」
 琴絵は頬をふくらませ、抗議する。
「お待たせしました」
 そこへ、注文の品が運ばれてきた。
「ご注文は以上でよろしいでしょうか? それではごゆっくりどうぞ」
 女性店員は、クスクス笑いながら戻っていった。
「……子供っぽいって思われちゃった」
 先のやり取りを見られていたからだと判断した琴絵は、それなりにショックを受けていた。
「だったら、それを直す努力をしないとな」
 そう言って圭太は、麺をすすった。
 
 店を出たふたりは、午後の予定を決めていた。
「さて、これからどうしようか。まだ時間はあるし」
「うん、そうだね」
「この暑さだし、無理することはないと思うけど、どこか行きたいところはあるか?」
「う〜ん、行きたいところかぁ」
 琴絵はおとがいに指を当て、考える。
 ここは地元ではないため、どこになにがあるのかは知らないことも多い。となると、ここにいる限りは行ける場所は限定されてしまう。
「私はお兄ちゃんと一緒ならどこでもいいんだけどなぁ」
「それが一番困るんだよ」
「だよねぇ。とすると、ちゃんと決めないといけないんだけど、そうだなぁ」
 商店街をゆっくり歩きながら考える。
 お昼の時間帯を過ぎ、若干人通りも緩やかになっていた。店の前を通ると、時折店内の冷気が漏れてきて涼しい。
「ねえ、お兄ちゃん。どこかホントにふたりきりになれるところ、ないかな?」
「ふたりきり、ねぇ。このあたりにそんなところあったかな?」
 圭太もこのあたりの地図を頭に思い浮かべ、考える。
「とりあえず、このあたりのことはそれほど詳しいわけじゃないから、わからないな」
「そっか」
 さすがに圭太でも思い浮かばなかった。
「とすると、向こうに戻った方がいいのかな?」
「それは琴絵に任せるよ」
「ん〜……」
 思わず立ち止まって唸る。
「あっ、そうだ。ひとつ、いいところがあったよ」
「ん、どこだ?」
「えっと、とりあえず電車に乗らないと」
「ここじゃないのか?」
「うん。向こうに戻る途中にあるの。行こ、お兄ちゃん」
 そういうわけで、圭太は琴絵に従って再び電車に乗り込んだ。
 その電車に揺られること四十分。
 そこは、圭太も知っている駅だった。当然、その近くになにがあるかも知っていた。
「ん〜、やっぱり森の中は涼しいね」
「天然のクーラーという感じかな」
 ふたりがやって来たのは、自然公園だった。
 この自然公園は森が大きいため、同じ外でもほかの場所に比べるとずっと過ごしやすかった。
 背の高い木の間から、太陽の光が漏れる。
 時折、さわやかな風が森の中を吹き抜けていく。
 これだけ気持ちのいい場所ながら、やはり真夏の真昼では人はほとんどいなかった。広場には噴水があるので、そこには小さい子供を連れた家族がいるが、それ以外は本当にほとんどいなかった。
 確かに、琴絵にとっては『いいところ』のようである。
「そういえば、お兄ちゃん。お兄ちゃんは、一高で流れてるお兄ちゃんの噂、どれくらい知ってるの?」
「どれくらいって、ほとんど知らないよ。さすがに本人のところには流れてこないから。ただ、僕が柚紀以外とも関係があるんじゃないか、っていう噂はよく聞くけどね」
「そっか、それは知ってるんだ」
「まあ、去年は祥子先輩と、今年は二年の三人と。関係自体は本当だから、噂じゃないんだけど。ただまあ、学校でも結構一緒にいるからね。それでいろいろな憶測を呼んでるんだろうね」
「お兄ちゃんカッコイイから、すぐにそういうことと結びつけたくなるんだよ。ほら、芸能人でもよくあるでしょ? それと同じだよ」
「言われてる身としては、複雑な心境だけどね」
 そう言って圭太は苦笑した。
「ほかにはどんな噂があるんだ?」
「えっと、一高はじまって以来のオールラウンダーとか、お兄ちゃんとお話しできるとその日一日を幸せに過ごせるとか、一高の女子の大半がお兄ちゃんのことを好きだとか、お兄ちゃんのファンクラブがあるとか」
「……そんなにあるのか」
「うん。でも、お兄ちゃんの噂って、結構現実のこととあってるんだよね。根も葉もない噂じゃないから、私も驚いてるの。同じクラスの子なんかいろいろ聞いてくるんだよ。琴絵のお兄さんて、どんな人なのって」
「なんて答えてるんだ?」
「かっこよくて優しくて頭が良くてなんでもできるお兄ちゃん、て答えてるよ」
「…………」
「だってだってだって、ウソは言えないもん。それに、そう言った時のみんなの反応だって、やっぱりね、という感じなんだよ。ようするに、私はそんなみんなの想像を裏付けてるだけなの」
 必死に弁解するが、弁解すればするほど深みにはまっていく。
「確かにお兄ちゃんは私の自慢のお兄ちゃんだけど、でもでも、自慢したいわけじゃなくて、ただ本当のことを知ってほしいだけで……ああん、もう」
「わかったから。少し落ち着いて」
 圭太は、そんな琴絵の頭を優しく撫でた。
「琴絵がどれだけ僕のことを考えてくれてるかは、わかってるから」
「うん……」
 琴絵はギュッと圭太に抱きついた。
 そんな琴絵を、圭太は優しく抱きしめる。
「お兄ちゃん……」
「ん?」
「もっと、ギュッて抱きしめてほしい……」
「ああ……」
 誰もいない森の中。
 ふたりは、お互いの吐息と鼓動だけを感じていた。
 
 森の小径の途中に、小さな東屋があった。
 そこにいるだけで、たとえ森の中を歩かなくとも森林浴ができる。
 その東屋に、圭太と琴絵はいた。
「私はね、もう物心つく前からお兄ちゃんのことが大好きだったの。小さい頃は体が弱くてあまり外で遊べなかったし。そのせいで友達も少なかったし。だから、お兄ちゃんが私と遊んでくれて、いろいろなことを話してくれて、それが本当に嬉しかった」
 琴絵は、圭太に肩を抱いてもらいながら、静かに話していた。
「お兄ちゃんの向けてくれる笑顔がなによりも大好きだった。お父さんやお母さんも私には優しかったけど、その笑顔とはまた別で、心の中がぽっと暖かくなるような、そんな笑顔が大好きだった。だからね、その大好きがお兄ちゃん自身に対する大好きになるのに、そんなに時間はかからなかったんだ。世界中の誰よりもお兄ちゃんが好き。ずっとそう思ってた。だから私の夢は、お兄ちゃんのお嫁さんになることだったし」
 そう言って笑う。
「私が小学校三年生の時に、お父さんが亡くなって、確かに悲しかった。もうあのゴツゴツとした大きな手で私を抱きかかえてもらえないかと思うと、自然と涙が出てきた。泣いているお母さんを見ていると、私も一緒に泣けてきた。でもね、私は絶対に最後の一線だけは壊れなかったと思う。だって、お兄ちゃんがいてくれたから。折れそうになった私を励ましてくれて、ずっと一緒にいてくれて。お母さんもそうだと思う。お兄ちゃんがいなかったら、きっとうちはとっくに壊れてた。お母さん、本当に心の底からお父さんのことを愛してたから。頼れる人、すがれる人がいなくなって。でも、お兄ちゃんがその役目を引き受けてくれたから。だから、立ち直れた。私も、お母さんも」
 小さく息を吐く。
「私にとってお兄ちゃんは、本当にかけがえのない存在なんだよ。学校でもお兄ちゃんのことを好きな人たちをたくさん見てきたけど、お兄ちゃんを好きな気持ちはその誰よりも強いって思ってた。世界で一番お兄ちゃんのことが好きだって、本気で思ってた。だから、お兄ちゃんにいつまでも彼女ができなければいいって思ってた。おかしいよね、そんなの。だって、私たちは兄妹で、結婚できないんだから。なのに、お兄ちゃんの『彼女』は私しかいないって思って。だから、お兄ちゃんに柚紀さんという彼女ができて、正直すごく悔しかった。やっぱり私は妹なんだって、思い知らされたから。どんなにお兄ちゃんのことが好きでも、柚紀さんと同じ場所には立てないんだって。悔しくて悔しくて。でも、それでも私はお兄ちゃんのことが大好きで」
 琴絵は、薄く微笑んだ。
「だったら、どうなるかわからないけど、私の気持ちをお兄ちゃんにぶつけようって思ったの。そして、今の関係がある。私、あれからの行動になにひとつ後悔してないから。だって、最終的な結果は変わらないかもしれないけど、大好きなお兄ちゃんに好きって言ってもらえて、しかも抱いてもらえて。これ以上の幸せはないよ。それに、後悔したくないからこそ、私はお兄ちゃんに自分の想いをぶつけたんだから」
「そっか」
 それまでずっと黙って聞いていた圭太が、そこでようやく言葉を発した。
「ずっと、カワイイ妹のままだと思っていた琴絵も、いろいろ考え、思い、それで行動してたんだな」
「うん」
「もう琴絵は、僕にとっては妹というだけじゃないから」
「うん」
「本当に、大切なひとりの『女の子』だよ」
「うん」
 そしてふたりは、どちらからともなくキスをした。
「お兄ちゃん……私……」
「ここでか?」
「うん。ダメ、かな……?」
「……あまり、声を出さなければ」
「うん」
 頷き、もう一度キスをした。
 服の上から胸を揉む。
「ん、ふ……あ……」
 少し鈍い感覚ながら、琴絵は感じていた。それは、この状況がそうさせるのか、いろいろ話しているうちに気持ちが高まっていたからなのかは、わからない。
「おにい、ちゃん……」
 揉み続けていると、服の上からでもわかるほど胸の突起が硬く凝ってきた。
「や、んん、お兄ちゃん、感じちゃうよぉ……」
 暑さからだけではなく、頬が赤らんでくる。
 場所が場所なので、圭太はあまり時間をかけようとは思わなかった。
 すぐにスカートをまくり、ショーツの上から秘所に触れる。
「んっ、あ……」
 指を擦りつけると、じわっとシミが広がった。
「お、お兄ちゃん、汚れちゃうよ……」
「ん、ああ」
 まだこれから家に帰ることを考え、圭太はショーツを脱がせた。
「ん……」
 秘所が外気にさらされ、琴絵は少しだけ顔を歪めた。
「んっ」
 スリットに沿って指を撫でつける。
「あんっ」
 できるだけ声が出ないようにしているのだが、どうしても声は出ていた。
「んんっ、あん……」
 秘所を開き、その中に指を挿れる。
 ちゅぷちゅぷと音を立てるくらい琴絵の中は濡れていた。
 あとからあとから蜜があふれ出し、圭太の指も濡らしていく。
「あっ、んんっ、お兄ちゃん、気持ちいいのっ」
 琴絵は、髪を振ってもだえる。
 うねうねとうごめく琴絵の中は、圭太の指を離すまいと締め付けてくる。
「んっ、あふぅ……はあ、んんっ」
「もうこんなに濡れてる」
 圭太はそう言って蜜に濡れた指を見せた。
「や、やん、見せないでぇ……」
「琴絵はどんどんエッチになっていくな」
「だ、だって、お兄ちゃんが気持ちいいことするから」
「じゃあ、やめようか?」
「だ、ダメ。私がエッチなのは、お兄ちゃんの前でだけだから。もっともっとお兄ちゃんとエッチがしたいし、もっともっと気持ちよくなりたいから」
「そっか」
「だからね、お兄ちゃん。やめないで」
「わかってるよ」
 圭太は軽くキスをして再び秘所を前にした。
 今度は舌で秘所を舐める。
「やっ、ダメっ、そんなに舐めちゃっ」
 琴絵は無意識のうちに足を閉じようとするが、間に圭太がいてはそれもままならない。
「んあっ、お兄ちゃんの舌が、私のを舐めてて、んんっ、気持ちいいのっ」
 圭太は、舌先を中に潜り込ませる。
「んんっ、やだやだやだっ、そんなにしちゃっ」
 あふれてくる蜜が、圭太の口元を濡らしていく。
「んっ、はあ、はあ、お兄ちゃん、我慢できないよぉ……」
「ああ。でも、あれがない」
「大丈夫。私が持ってるから」
 そう言って琴絵は、バッグの中から『あれ』を取り出した。
「……なんで持ってるんだ?」
「いつ、どこでこういうことになってもいいように、念のために持ってるの」
「……なるほど」
 圭太は苦笑しつつそれを受け取った。
『あれ』とは、コンドームのことである。圭太はモノにコンドームをつけた。
「琴絵。そこに手をついて、後ろを向いてごらん」
「うん」
 琴絵は、言われるままベンチに手をつき、後ろを向いた。
「いくよ?」
「うん……」
 圭太は、琴絵の腰をつかみ、モノを突き入れた。
「んんっ」
 ゆっくりと琴絵の中に入っていく。
「ん、お兄ちゃんの、大きくて、琴絵の中がいっぱいだよ……」
 圭太は、少しそのままでいた。
「お兄ちゃん」
「ん?」
「いっぱい、愛してね」
 琴絵の言葉に圭太は小さく頷いた。
 それから腰を引き、また押し戻す。
 圭太は、最初から大きく動いていた。
「ああっ、んっ、お兄ちゃんっ、いいのっ、すごくいいのっ」
 肌を打つ音に混じって、琴絵の嬌声が響く。
「んんっ、あんっ、あっ、あっ」
 もはや、声を抑えることなど忘れている。
「お兄ちゃんっ、お兄ちゃんっ、お兄ちゃんっ」
「琴絵、声抑えて」
「だ、だって、出ちゃうんだ、もんっ、んああっ」
 次第に足にも力が入らなくなってくる。
「んっ、はぁんっ、お兄ちゃんっ、私、もうっ」
 圭太は、さらに腰を打ち付ける。
「んんっ、ダメっ、もう私、イっちゃうっ」
「琴絵っ」
「んんっ、いいっ、んんあああああっ!」
 そして、ふたりは達した。
「はあ、はあ、はあ……」
「はぁ、はぁ……」
「お兄ちゃん……」
「ん……?」
「大好きだよ」
「ああ……」
 圭太は、大きく頷き、琴絵の頭を撫でた。
 
「お兄ちゃん♪」
 琴絵は、ニコニコと満面の笑みを浮かべ、圭太の腕を取っている。
 圭太は、そんな琴絵の様子を少しだけ困った表情で見ていた。
 自然公園をあとにしたふたりは、電車に乗り地元へ戻ってきた。
「明日から合宿だね。私は、ちょっと楽しみかな」
「なんでちょっとなんだ?」
「だって、別に遊びに行くわけじゃないでしょ? 練習ばかりだと、やっぱり楽しみもちょっとに減っちゃうかなって」
「なるほど」
「お兄ちゃんは?」
「僕は、楽しみだよ、いろんな意味で」
「いろんな意味で?」
 琴絵は首を傾げた。
「練習漬けだからね。みんな、どれだけ上手くなるか、楽しみだよ。あと、普段の練習ではわからないようなこともわかるし。やっぱり、普段と違うことをするというのは、楽しみなことが多いよ」
「そっか」
「ただ、今年の合宿は少し覚悟が必要かも」
「覚悟? なんの?」
「今年の合宿での練習プランは、去年以上に厳しくなるからね」
「……そうなの?」
「うん。というか、僕がそうしたんだけど」
「えっ、お兄ちゃんが?」
 それを聞き、琴絵の表情が強ばった。
「県大会の前に先生から練習プランを考えるように言われて、それでいろいろ考えたんだ。もちろん、県大会での演奏を考慮して決めたけどね。それで、昨日までにその大まかなものができて、あとは先生に確認してもらえばいいだけだよ」
「ね、ねえ、お兄ちゃん。クラは、どういう感じなの?」
「クラは、木管の要だからね。それなりの練習を用意してるよ」
「う、ううぅ〜……」
「そんなに心配しなくても、真面目にさえ練習すれば問題ないくらいにしかしてないよ。それに、今回の練習は普段きちんと練習してさえいれば、それほど苦にならないものにしたから。今回の練習を苦しく感じるということは、普段の練習をさぼってた、という可能性もあるからね。そういう点で言えば、琴絵は大丈夫だろ?」
「……だといいけど」
 そう言って琴絵はため息をついた。
「そういえば、お兄ちゃん」
「ん?」
「合宿の部屋割りって、どういう感じなの?」
「基本的にはひと部屋四人で、人数によっては五人部屋、もしくは三人部屋ができるかな。あと、誰と一緒になるかは、基本はパートごとで、あとは微調整して決めるよ」
「じゃあ、私はクラのみんなと一緒かな?」
「たぶんそうなると思うよ。部屋割りは、綾に任せてあるから僕も知らないけど」
「そっか」
「言っておくけど、男子と女子は、もちろん別々だから」
「わ、わかってるよ。お兄ちゃんなら一緒でもいいけど、ほかの人だったらイヤだもん」
「なら、いいけど」
 そう言って圭太は微笑んだ。
「また明日から、がんばらないとな」
「うんっ」
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