僕がいて、君がいて
 
第二十二章「恋を育む初冬の夕べ」
 
 一
 彼女たちにとって十一月十日という日は、おそらく彼と関係を保ち続ける限り、特別な日であり続けるだろう。
 なんといっても、一番大切な、大事な、大好きな人の誕生日なのだから。
 
 アンコンの地区大会も無事終わり、部活もようやくスピードダウンという感じだった。
 アンコンの結果は、参加した三つとも県大会進出を決めた。参加したのは、クラリネット四重奏、金管八重奏、打楽器六重奏である。
 結果的には去年同様、ぶっちぎりであった。ただ、全体のレベルとしてはまだまだの域を脱しておらず、一月の県大会までにどこまでレベルアップできるかが、その上を目指す上で重要だった。
 とはいえ、アンコン参加者も少しの休息は必要である。ちょうどいい具合に後期中間試験があるため、部活も休みになる。
 部員たちにとって、久々の休みである。
 
 十一月十日。その日は朝は少し冷え込んだが、日中は陽差しが期待できるという予報だった。
 去年はそれぞれが工夫を凝らして圭太の誕生日を祝おうとしていた女性陣だったが、今年は様子が違った。もちろん、それぞれにプレゼントは用意している。
 ただ、お祝いというかパーティーはみんなで用意することが、事前に決められていた。
 もっとも、圭太にはあまり関係のない話ではあったが。
 圭太の誕生日でも学校はちゃんとある。しかも、テスト休みは次の日からで、その日まではちゃんと部活もあった。
「最近、ぐっと冷え込んできたよな」
 そう言って肩をすぼめるのは、明典である。
「確かに、朝晩はだいぶ寒くなってきたね。でも、日中はこうやってひなたぼっこできるくらいには、暖かいよ」
「まあな。だけど、テストが終わる頃には日中だって寒くなってるだろ?」
「そうだね」
 圭太は大きく頷いた。
「そういや、今日じゃなかったか、おまえの誕生日?」
「うん、そうだよ。よく覚えてたね」
「ま、おまえの誕生日は昔からいろいろあったからな。イヤでも覚えるさ」
 明典は冗談めかし、肩をすくめた。
「で、今年はどうなんだ?」
「どうって、なにが?」
「状況だよ。おまえ、誕生日とヴァレンタインの前は悩んでただろ? 去年は風邪で休んだから俺は知らんけどさ」
「状況は、普通じゃないかな。特に困ったこともないし」
「なんだ、そうなのか?」
 明典は、意表を突かれたみたいな表情を浮かべた。
「俺はてっきり、修羅場と化すのかと思ったぞ」
 そう言って笑う。
「どうも圭太は、俺の想像以上に手が早いみたいだからな」
「……それ、誉めてないよ」
「おう、誉めてないからな」
「明典〜」
「ははは、冗談だって」
 笑い、パンパンと背中を叩く。
「まあでもさ、おまえたちの間になにも問題がないってことは、普通じゃ考えられないような状態でも、上手くやれてんだろうな」
「たぶん、ね。でも、それは柚紀のおかげだよ」
「だろうな。おまえだけじゃ、そうはならんからな。笹峰の努力があるからこそ、おまえは刺されずに済んでるんだ」
 冗談では済まない発言に、圭太は苦笑した。
「ま、俺はとりあえずなんでもいいんだ。おまえが、それでいいならな」
「そうだね。僕も、それでいいと思う。だって、いろいろ言うのは明典らしくないし、ましてや人のことに必要以上に首を突っ込むのも明典らしくないから」
「……さっきの仕返しか?」
「はは、どうかな?」
「ったく……」
 ふたりは声を出して笑った。
「なあ、圭太」
「うん?」
「おまえ、幸せか?」
 
 休み時間になるとどこから聞きつけてきたのか、圭太にプレゼントを渡そうという生徒が訪れていた。
 大半は一年なのだが、たまに三年や二年もいた。
 圭太はひとつひとつ丁寧に受け取り、いちいちお礼を言っていた。
 これにはさすがの柚紀もなにも言えず、ため息をつくしかなかった。
 そんなこんなでプレゼントが紙袋二個分になったところで、放課後となった。
 圭太は早々に音楽室に避難した。さすがに音楽室にまで押しかけてくる強者はいなかった。
 部活は、個人練習とパート練習が行われ、アンコンに参加する三つの組は、その練習を行った。
 ほぼ六時前に部活が終わると、部員は早々に家路に就いた。さすがにテストが近いからであろう。
 そんな中、一年トリオも早々に帰っていた。
「それにしても」
 柚紀はたくさんのプレゼントを見てため息をついた。
「ホント、圭太ってモテるわね」
「それは、僕のせい?」
「もちろん。圭太が完璧すぎるから。もう少し欠点があれば、この量も半分くらいで済んだんだろうけど」
「そうは言ってもね……」
 日誌を書きながら圭太は苦笑した。
 今、音楽室にはふたりだけである。いつもなら一年トリオ、もしくは朱美と紗絵が残っているのだが。
「ま、彼女の私としては、それはそれで嬉しいことでもあるけどね。それだけ彼氏がモテるんだから。ただ、なんでも度を過ぎるとよくないって言うし」
「……よし、終わり。さ、音楽室を閉めるよ」
 圭太は、あからさまに無視した。
「んもう、無視しないの」
「そりゃ、無視なんてしたくないけど、あまり長引かせたい話でもないし」
「はあ、しょうがない……」
 またもため息をつき、柚紀は笑った。
「んじゃ、この話は切り上げてさっさと帰りますか」
 
 学校からの帰り道。
「そうだ。柚紀に話しておかなくちゃいけないことがあったんだ」
「話しておかなくちゃいけないこと?」
 圭太の言葉に柚紀は首を傾げた。
「ひょっとしたらもう気づいてるかもしれないけど、幸江先輩のことなんだけど」
「ああ、幸江先輩ね。うん、気づいてる。というか、あれだけ変われば私じゃなくても気づくわよ」
「だよね」
 苦笑する圭太。
「でもさ、圭太」
「うん?」
「なんで幸江先輩だったの?」
「なんでって訊かれても、困るんだけど。先輩に好きだって言われて、最初は断るつもりだったんだけど、とにかく先輩のこともっと知らないと意味がないと思って。それで会っていろいろ話して、結局そのまま、という感じ」
「まあね、確かに先輩は綺麗な人だし、圭太の直接の先輩でもあるから、圭太自身が惹かれるっていうのもわかるけど。でも、彼女の立場から言わせてもらえば、節操なしの烙印を押されてもしょうがないね」
 柚紀は、半分呆れ顔でそう言った。
 圭太もそれを理解しているのか、反論もない。
「で、そのこと、みんなには言ったの?」
「まだだよ。もっとも、ともみ先輩は知ってるけど」
「ああ、先輩はね。同じ大学だし。じゃあ、今日、みんなに言うの?」
「状況次第で。だから、先に柚紀に話したんだ」
「なるほどね」
 ふうとため息をつく。
「これで……九人か。すごいね、圭太」
「……別にすごいとは思ってないよ」
「でも、普通、九人と同時にはつきあわないでしょ? 普通なら、二、三人で修羅場だしね」
「それは、ね」
「はあ、圭太を私だけに縛っておく方法って、ないのかなぁ?」
 それは実に切実な願いだった。
 
 高城家リビングでは、着々とパーティーの準備が進んでいた。
 陣頭指揮は琴絵である。作業メンバーは、朱美、紗絵、祥子、ともみと鈴奈が交代で、という感じだった。ちなみに、詩織は一度家に帰ってからで、幸江は講義が終わってからということになっていた。
 圭太と柚紀が帰ってきた時には、まだ準備の途中だった。
 そのメンバーに柚紀が加わり、会場の準備だけでなく、食べ物や飲み物の準備も急ピッチで行われた。
 その間圭太は、ただただ部屋で待っていた。
 そろそろかという頃、圭太はリビングに顔を出した。
 リビングはすっかりパーティー会場と化していた。
 見ると、幸江以外は揃っているようだった。
「ともみ先輩」
「ん、どうしたの?」
「幸江先輩を知りませんか?」
「ああ、幸江? なんか、レポートのことで少し遅れるって。なにもこの日に、と思ったんだけど、あの子も結構融通きかないから」
「そうですか」
 圭太はホッとしたようなそうでないような、複雑な表情を浮かべた。
「なに? まだみんなに話してないの?」
「柚紀には話しました。ですが、ほかはまだです」
「なるほど。じゃあ、今のうちに話しちゃえば? とりあえず、幸江のことを知ってる連中くらいにはさ」
「そうですね、そうします」
 まずは、祥子。
「あの、先輩」
「うん、どうしたの?」
 食器の数を数えている祥子。
「あの、ですね、先輩は気づいてますか?」
「気づいてるって、なにを?」
「僕と、幸江先輩のことです」
「……うん、気づいてる」
 一瞬、間があった。
「夏休み、だよね、なにかあったの?」
「はい」
「そっか、またライバル増えちゃったね」
 祥子は、ほんの少しだけ淋しそうに微笑んだ。
 次に一年トリオ。
 三人は、食事の準備を終え、なにやら別のことをしていた。
「ちょっと、いいかな?」
 圭太が声をかけると、三人は飛び上がらんばかりに驚いた。
「ど、どどど、どうしたの、圭兄?」
 三人は、後ろ手になにかを隠した。
「ちょっと、話があるんだけど、いいかな?」
「ちょ、ちょっとだけ待ってください」
 隠したものをさらにどこかに片づける。
「な、なんですか?」
「ああ、うん。三人は、去年卒業した先輩で、新城幸江先輩は知ってるよね? 何度か練習にも顔を出してたし」
「はい、知ってます」
「まあね、打ち上げのことがあったし」
「知ってますよ」
「で、単刀直入に言えば、そういうことになった、ということなんだけど」
 途端、三人は深い深いため息をついた。
「先輩〜、またなんですか〜?」
「詩織だけじゃ不満なの?」
「いや、そういう問題じゃないんだけど……」
「でも、先輩がそうしたってことは、それ相応の理由と覚悟があったってことですよね?」
 さすがに詩織はそういう部分はわかるらしい。心情的には、幸江とそう変わらないからだろう。
「確かに、幸江先輩は綺麗な人ですから、先輩が惹かれるのはわかりますけど」
 同じパートとしては、余計に気になる紗絵であった。
「とにかく、そういうことだから」
 早々に切り上げ、次へ。
「琴絵、ちょっと」
「ん、どうしたの、お兄ちゃん?」
 琴絵は、とてとてと近寄ってくる。
「琴絵は、新城幸江先輩って、知ってるか?」
「新城幸江先輩……って、お兄ちゃんの先輩だよね?」
「そう、その先輩」
「その先輩がどうかしたの?」
「実は、その先輩と、そういう関係になって」
「え〜っ、またなの、お兄ちゃん?」
 さすがの琴絵も、あからさまに呆れ顔である。
「まあ、お兄ちゃんのことだから、適当にってことはないだろうけど。それにしても、もう少しどうにかならなかったのかな?」
「言い訳もできないよ」
「ふう、しょうがないな。そんなことじゃ、柚紀さんを泣かせちゃうよ?」
「それもわかってるんだけど」
「じゃあ、私もなにも言わない」
 そう言って琴絵は微笑んだ。
 そして最後。
「鈴奈さん」
「どうかした、圭くん?」
 鈴奈は『桜亭』で後片づけを手伝っていた。
「鈴奈さんは、僕の先輩のこと、どのくらい知ってますか?」
「ん〜、ほとんど知らないかな? あ、でも、今年うちの大学に入ってきた人なら、少しは知ってるかも」
「じゃあ、ともみ先輩ともたまに一緒にいる人で、新城幸江先輩は知ってますか? 以前、ちょっとその先輩のことで話したこともあるんですけど」
「新城幸江……新城、幸江……ああ、うん。知ってるよ。確か、社会学を専攻してる子だよね?」
「あってると思います」
「それで、その子が?」
「薄々気づいてるとは思いますけど、結局はそうなってしまいました」
「そっか、やっぱりね」
 鈴奈は意外に冷静にそれを受け止めた。
「以前、話を聞いた時にそうなるのかなって思ってたけど、やっぱりそうなったんだね」
「言い訳もできません」
「言い訳なんて必要ないと思うけど。だって、圭くんだってその幸江ちゃん、だっけ? その子だって本気だったんでしょ? だったら、言い訳なんて必要ないよ」
 そう言って鈴奈は微笑んだ。
「それで、幸江ちゃん、今日来るんだよね?」
「ええ、ともみ先輩が声をかけたって言ってましたから」
「じゃ、そこでいろいろ話を聞こうかな」
 ちょっと楽しそうな鈴奈であった。
 
 パーティーがはじまった。
 去年よりさらに華やかな雰囲気のパーティーである。
「それでは、お兄ちゃんの誕生日会をはじめたいと思います」
 今年も主催は琴絵である。これだけは妹として、どうしても譲れないらしい。
「まず最初に、ロウソクの火を消してもらいます」
 テーブルの上のケーキには、すでに十七本のロウソクが立っている。ちなみに、これも今年も琴絵の手作りである。
 圭太は息を吸い込み、一気に吹き消した。
「お兄ちゃん、おめでとう」
「圭太、おめでとう」
「おめでとう、圭くん」
 口々に圭太にお祝いの言葉をかける。
 ケーキを切り分け、ジュースを飲みながらわいわい騒ぐ。
 テーブルの上には、ケーキのほかに軽食程度の料理やお菓子も並んでいる。
 圭太に絡んでいる女性陣は、皆仲が良い。これはひとりの例外もない。圭太の人格故か、彼女の柚紀のおかげかはわからないが。
 場の雰囲気がだいぶ落ち着いてきた頃を見計らい、プレゼント贈呈となった。
「圭太にこうしてプレゼントを贈るのも、来年までね」
 最初は琴美である。
「ありがとう、母さん。開けてもいい?」
「ええ、いいわよ」
 小さめの包みを開ける。中に入っていたのは、ネクタイピンとカフスボタンだった。
「去年はネクタイだったから、ちょうどいいでしょ?」
 そう言って琴美は微笑んだ。
「それじゃあ、今年も年功序列ということで、次は私ね」
 次は鈴奈である。
「はい、圭くん」
「ありがとうございます、鈴奈さん」
 少し大きめの包みである。開けると、カバンが入っていた。カジュアル向け、というよりはスーツなど着ても使えそうなしっかりしたカバンだった。
「次は私ね。はい、圭太」
 次はともみである。
「ありがとうございます、先輩」
 ともみのは大きさはそれほどではないが、ずいぶんとかさばるものだった。
 開けると、アロマセットが入っていた。オイルも結構数があり、なかなか値が張りそうだった。
「疲れを取るのにいいって聞くしね」
 ともみも見ていないようで、しっかり圭太のことを見ているのである。
「次は、私。はい、圭くん」
 次は祥子。
 手作りを公言していた祥子である。その中身は、帽子だった。これからの季節には暖かそうな毛糸の帽子である。
「はい、今年はこれよ、圭太」
 柚紀が渡したのは、手作りの湯飲みと手編みの手袋、それと手紙だった。
「ちなみに、この湯飲みと手袋は、私も同じの持ってるから」
 つまり、ペアだと言いたいようである。
「じゃあ、次は私。はい、圭兄。おめでとう」
 朱美はガラスの置物である。ユニコーンをかたどっていて、とても綺麗である。
「次は私です。どうぞ、先輩」
 紗絵は鉢植えを渡した。
「これは?」
「アスクレビアスという花です。十一月十日の誕生花なんです」
「そうなんだ」
 圭太は珍しそうにその可愛らしい花を眺めた。
「次は、私ですね。おめでとうございます、先輩」
 一年トリオ、最後は詩織である。
 小さな包みに入っていたのは、黄色の綺麗な石をあしらったアクセサリーだった。
「この石は?」
「トパーズです。十一月の誕生石なので」
 誕生石は小さなものならそれほど高額ではないので、高校生でも手が出せる。とはいえ、それなりにするのは確かだ。
「それと、先輩」
「うん、なんだい?」
「これは、私たち三人からなんですけど」
 代表して紗絵が、圭太に三通の封筒を渡した。
「これは?」
「ちょっとしたことが書いてあります。あっ、でも、ここでは読まないでください。あとで、ひとりの時にお願いします」
「よくわからないけど、うん、わかったよ」
 そう言って圭太はその封筒をしまった。
「じゃあ、最後は私だね」
 最後は琴絵である。
「はい、お兄ちゃん。お誕生日おめでとう」
 琴絵は布製の手作り人形と──
「お役立ち券2?」
「うん。去年のよりも、いろんなことを私がするの。ホントに、なんでもするからね。遠慮なく使ってね、お兄ちゃん」
「あ、ああ、考えておくから」
 圭太は引きつった笑みを浮かべながらそう言った。
 これでプレゼント贈呈終了、というところでインターフォンが鳴った。
 琴美が応対に出る。
「どうやら、来たみたいね」
 ともみは時計を見て、少しだけ息を吐いた。
「さ、どうぞ」
「おじゃまします」
 やって来たのは、もちろん幸江である。一斉に視線が集まった。
「遅いわよ、幸江」
 まず声をかけたのは、ともみだった。
「これでも急いだんだけど、予想より時間がかかって」
「先輩、とりあえず座ってください」
 そう言って席を勧めるのは、柚紀だった。
「あ、うん、ありがとう」
 コップやらお皿やら、一通りのものが置かれ、ようやく全員揃ってのパーティーである。
「ほら、幸江。言うこととやることがあるでしょ?」
「ああ、うん。圭太、誕生日おめでとう。これ、私からのプレゼント」
「ありがとうございます」
 幸江のプレゼントは、革製のブックカバーと万年筆、木製のペンケース、システム手帳とかなり豪華だった。
 これで本当にプレゼント贈呈終了である。
 あとは、飲んで食べて騒いで。
 パーティーを楽しむだけである。
 
 パーティーは、あまり遅くならない時間にお開きとなった。
 さすがに全員を送ることはできないので、圭太も玄関先での見送りとなった。
 リビングでは、琴美が琴絵と朱美を使って片づけをしている。
「ふう、こういうパーティーは楽しいけど、準備とか片づけとかが大変なのよね」
 片づけ終わり、それぞれソファでくつろいでいる。
「ただ、こういう形でのパーティーは、来年までね」
「えっ、どうして?」
 琴美の言葉に、琴絵は意外そうな声を上げた。
「プレゼントもそうだけど、やっぱりそういうのは高校生までよ。卒業したらもう少し考えてほかのをやればいいの。別に、パーティーをやるなって言ってるわけじゃないわ」
「なんだ、そういうことか」
 琴絵はそれを聞き、ホッと息をついた。
「それにしても、圭太」
「うん?」
「これ以上増えると、本当にどうなるかわからないわよ?」
「ああ、うん、それはわかってるんだけどね」
「ホントにわかってるの、圭兄?」
「朱美は人のこと言えないでしょう?」
「あ、あはは……」
「柚紀さんも本当に苦労しっぱなしね。早く安心させてあげないと、罰が当たるわよ」
「わかってるよ」
 そう言って圭太は苦笑した。
「じゃあ、僕は部屋に戻るよ」
「あっ、圭兄。あの封筒、ちゃんと読んでね」
「わかってるよ」
 圭太は軽く手を挙げ、リビングを出て行った。
「節操なしとまでは言わないけど、あの誰に対してでも優しすぎるところは、直さないとこれから困るわね」
 琴美は、深いため息をついた。
「あとは、まわりがあまり圭太を構わないようにしないと」
「えっと……」
「わ、私も勉強しなくちゃ」
 琴絵と朱美は、そそくさとリビングを出て行った。
「まったく、困った子たちだわ」
 
 二
 後期中間テストが終わったその日、吹奏楽部では首脳部とパートリーダーによるミーティングが行われていた。
 議題はクリスマス演奏会についてだった。
「今年も二高と三高から打診が来てるんだ。特に異論がなければ、今年もそういう編成での参加になるけど」
「向こうって、何人ずついるの?」
「二高が三十一人、三高が三十二人だよ。それにうちが四十一人だから、合計で──」
「百四人。結構な人数ね」
 確かに去年は百人を下回ったわけだから、多く感じる。
「まあ、人数の方は特に問題ないと思うけど。それで、今年も三校合同でいいかな?」
 誰からも異論は出ない。
「それじゃあ、そういうことで向こうの方に話をしておくから。最初の合同ミーティングはたぶん、今週末になると思うから、覚えておいて」
 それからパートリーダーは解散となった。
「次は、曲を決めないと」
「ねえ、圭太。向こうの候補曲は?」
「二高が、『天国と地獄』序曲と『クラウンインペリアル』、三高が『詩人と農夫』序曲と『ジュビリー』序曲だね」
「なんか、微妙に難易度が高くないですか?」
 それを聞き、紗絵は苦笑した。
「僕もそう思うよ。ただ、できないことはないと思うから」
「なるほどね。で、うちらはどうするの?」
「そうだね、僕はひとつ、案があるんだけど」
「なんですか?」
「ガーシュウィンの『ラプソディ・イン・ブルー』はどうかと思って」
「えっ、あれですか?」
「さすがにそれは無理じゃない? だいいち、あれ、長いし」
「うん。だからこそなんだけどね。あれなら一曲だけで行けるし。それに、ピアノに関しては問題ないと思うしね」
「詩織、ですか?」
「そう。せっかくコンクール入賞レベルの『ピアニスト』がいるんだから、そういうのを一回くらいやってもいいと思って」
 そう言って圭太は笑った。
「まあ、確かにそういう考えならいいとは思うけど。だけど、できるの?」
「そこが一番の問題だと、僕も思う。あれは難しい曲だからね」
「できるできないは別として、候補に上げるのはいいんじゃないですか?」
「それはね。でも、一曲だけはまずいでしょ?」
「そこで、ふたりになにがいいか訊きたいんだけど?」
「そうね〜……」
 綾と紗絵は揃って首を傾げた。
「軽い曲で、『茶色の小瓶』なんてどう?」
「いいんじゃないかな。紗絵はどう?」
「ええ、いいと思いますよ」
「それじゃあ、うちの候補曲は、『ラプソディ・イン・ブルー』と『茶色の小瓶』ということでいいかな?」
「いいわ」
「はい」
「あとは、楽譜だけど、『茶色の小瓶』はあったと思うんだけど、『ラプソディー・イン・ブルー』の方はわからないね」
「先生にでも聞いてみれば?」
「そうだね、そうするよ。じゃあ、とりあえず、おつかれさま」
 
 その週末。
 朝からとてもいい天気だったが、そのせいか気温が下がっていた。
 その日は午前中に部活を行い、午後からクリスマス演奏会のための合同ミーティングが予定されていた。
 今年の会場は三高である。
 三高は一高と同じように住宅街にあり、交通の便もよかった。それでも、一高から離れていることに変わりなく、例年通り自転車が活躍した。
 圭太は柚紀や紗絵たちと一緒にバスで三高に向かった。
 三高に着くと、一足先に到着していた自転車組が待っていた。
 職員玄関から中に入り、音楽室を目指す。
 去年は二高だったため、誰もその場所を知らないのだが、圭太が一応場所を確認していた。
 三高の音楽室は、別棟にあった。
「失礼します」
 中に入ると、すでに結構な人数が待っていた。どうやら、一高が一番最後のようである。
「一高吹奏楽部、到着しました」
「ごくろうさまです。もう二高は来てますので、席の方へ」
 三高のメンバーが一高を案内する。
「それでは、全員が揃いましたのではじめたいと思います。司会進行は、三高部長、横田美沙緒が行いますので、よろしくお願いします」
 去年の副部長がそのまま部長となっていた。
 圭太は黒板書記、二高の部長、金田昌美がノート書記である。
「では、まずは現在までに決まっている事項について話します。クリスマス演奏会本番は、例年通り十二月二十三日です。順番などはまだ決まってないので、これからの合同練習などの機会にお知らせします」
 美沙緒の話に沿って、圭太が黒板に内容を記す。
「次に、合同練習ですが、今年は四回行います。一回目が、十二月四日土曜日。場所は一高の体育館。二回目が十一日土曜日。場所は二高の体育館。三回目が十九日の日曜日。場所は二高の体育館。四回目が本番前日の二十二日。場所は一高の講堂です。時間は一回目から三回目はそれぞれ一時から、四回目はそれぞれの学校ですべてが終わり次第、ということになります」
 黒板に日程が書き込まれた。
「練習日程は以上ですが、これはあくまでも予定です。なんらかの事情でやむを得なく変更の場合もありますから、注意してください。では、次に演奏する曲を決めます」
 議事は淡々と進んでいく。
「事前にそれぞれの学校から二曲ずつ候補曲を上げてもらいました。一高は、ガーシュウィン作曲『ラプソディ・イン・ブルー』、『茶色の小瓶』、二高はオッフェンバック作曲『天国と地獄』序曲、ウォルトン作曲『クラウンインペリアル』、三高はスッペ作曲『詩人と農夫』序曲、スパーク作曲『ジュビリー』序曲。以上です」
 なんとも言えないどよめきが起きている。
「楽譜に関しては揃っていますので、どれでもできます。それでは、しばらく時間を取りますので候補曲を一曲、決めてください」
 それぞれの部長が戻り、話し合いがはじまった。
「圭太、まず訊いておきたいんだが、誰が『ラプソディー・イン・ブルー』を上げたんだ?」
 早速翔が訊ねてきた。
「ああ、あれは僕だよ。ちょっと挑戦したいかなって思って。運良く、先生が大学時代にやった吹奏楽編曲版を持ってたし、やろうと思えばできるよ」
「いや、それはそうなんだが……」
「とりあえず、ほかの学校のを吟味してみたら?」
「そうね」
「にしても、今年は序曲ばかりね」
「明るく派手でいいとは思うけど」
 と、そこへ二高の部長、昌美がやって来た。
「高城くん。ちょっといい?」
「なにかな?」
「『ラプソディ・イン・ブルー』を候補曲に上げた経緯をうちの連中が訊きたがってるんだけど」
「ああ、そうだね。じゃあ、ちょっとみんなにも説明しようか」
 そう言って圭太は前に出た。
「すみません。一高部長の高城圭太です。今、二高さんの方から質問があったので、ついでにみなさんにも話しておきたいと思います。うちが上げた『ラプソディ・イン・ブルー』ですが、これは曲自体も難しく、時間も長い曲です。もちろんこれを選ぶとほかはほぼできません。では、それでもなぜこれを上げたかなのですが、ひとつには一曲なら多少難しい曲でもできると思ったからです。手間はかかりますが、百人を越えるバンドでやれたら最高だと思いましたので。それと、これはうちの中での問題なんですが、この曲にはピアノソロがあります。それにうちの部のピアノをやっている部員をやらせてみたいと思ったんです。ピアノの腕は保証済みです。というところが今回候補に上げた経緯です。かなり個人的で無茶な理由です。なので、そういうことなのか、程度に考えてもらえればいいと思いますので」
 圭太が言い終わると、またもなんとも言えないどよめきが起きた。
「圭太。そのピアノをやってもらうのって、詩織のこと?」
「うん、そうだよ。せっかくだし、いいと思ったんだけど」
「なるほど」
「まあ、それのことはどっちでもいいよ。とりあえず、総意にならないと意味がないし」
「俺は別にいいと思うけどな」
 そう言ったのは、健太郎である。
「そういう曲をやれる機会も少ないだろうし」
「そうね、そういう意味なら、いいと思うけど」
 それに賛同したのは、美里である。
「特に反対する理由もないし」
「難しいってだけでやめるのも、なんかしゃくだしね」
 めぐみと美由紀がそれに続く。
「ほかは?」
「いいんじゃないか」
「面白そうだから、いいと思うわ」
 翔と信子も賛成。
「あたしもいいとは思うんだけど、ひとつ、気になることがあるのよ」
 と、綾がそう言った。
「気になること?」
「そ。美穂、詩織が抜けてオーボエは大丈夫? 二高と三高も一応いるけどさ」
 確かにオーボエはふたりしかいない。そこで詩織がピアノに抜ければ少なくとも一高はひとりである。
「別にいいわよ。大変なことに変わりないし」
「そういうことなら、いいんじゃない?」
 美穂が認めたことで、冴子も賛成。あとは、ローウッドの亜希とパーカスの柚紀。亜希は一年なので、特に異論はなさそうである。
「柚紀は?」
「ま、いいでしょ」
「じゃあ、一高は『ラプソディ・イン・ブルー』でいいね?」
 それぞれが決まったところで、また話し合い再開である。
「それでは、それぞれ発表してください」
「一高は、『ラプソディ・イン・ブルー』です」
「二高は、『天国と地獄』です」
「三高は、『ジュビリー』です」
 候補曲は、見事に三つに割れた。
「候補曲が割れてしまったのですが、とりあえずこの三曲以外はもういいですか?」
 誰からも意見はない。
「では、この三曲の中から最終的に決めます。改めて意見をどうぞ」
「すみません。今、『ラプソディ・イン・ブルー』を聴けますか?」
「一応、CDは持ってます」
「じゃあ、それを聴かせてください」
 というわけで、鑑賞会となった。
 音楽室備え付けのコンポにCDをセット。曲を流す。
 曲はオケ版でおよそ十七分。
 その間、それぞれ真剣に聴いている。
「聴いてみましたが、どうでしょうか?」
 美沙緒は、改めて問いかける。
「二高は、部長権限で『ラプソディ・イン・ブルー』にします」
 と、昌美がいきなり強権を発動した。
「では、『ラプソディ・イン・ブルー』に二票入りましたので、これでいいですか? なおこの曲は長いので、やるとすれば一曲のみとなります」
 その意見でも反論は出なかった。
「それでは、今年のクリスマス演奏会は、『ラプソディ・イン・ブルー』ということで決まりました。では次に、パート内パートを決めます。それぞれのパートで、何人を配するのか決めてください。場所は、三高の部員がいる場所でお願いします。向かって左手手前から、フルート、オーボエ、クラリネット、サックス。右手手前から、ホルン、トランペット、トロンボーン、ユーフォ。真ん中手前から、ローウッド、バス、パーカスです。では、分かれてはじめてください」
 早速パート分けがはじまった。
 パート分けはスコアを見ながら行われ、比較的短時間で終わった。
 パート分けが終わった頃、それぞれの副部長が楽譜をコピーして戻ってきた。
「では、これで今日の合同ミーティングを終わります。来週の合同練習までにある程度吹けるようになっていてください。なお、今年の指揮は一高の菊池先生にお願いしていますので。それでは、今日はおつかれさまでした」
『おつかれさまでした』
 
「なんか、圭太の策略にみんなはまったって感じね」
 帰り道。柚紀はそんなことを言い出した。
「でも、面白い曲ではあると思うよ。いろんなパートが目立つし」
「圭太の場合は、詩織のピアノが聴きたかっただけじゃないの?」
「それがないとも言えないけど。ただ、僕としてもこの曲は好きな曲だし、高校の間に一度くらいはやりたかったからね」
 圭太は、そう言って柚紀の質問を軽くかわした。
「ま、決まったことをとやかく言うつもりはないし」
「でも、先輩。こんな短期間に、できるんですか?」
「完璧を目指す必要はないからね。まずは形にすることが重要だから。そこからどこまでレベルアップできるか、それが合同演奏だと思うし」
「確かにそうですね」
「はあ、これからの一ヶ月、結構絞られそう」
 そう言って柚紀はため息をついた。
「というわけだから、圭太、紗絵ちゃん。今日はどこかパーッとやろう」
「どういうわけかはわからないけど……」
「ま、いいじゃない。紗絵ちゃんは、なにか用事でもある?」
「いえ、特にないです」
「なら、どこか行きましょ。とりあえず、駅前ね」
 結局、圭太と紗絵は、柚紀に振り回され、陽が暮れるまで遊び倒した。
 
 次の日。
 部活がはじまる前、圭太は詩織にクリスマス演奏会のことを話した。
「先輩。ひとつだけ訊いてもいいですか?」
「なんだい?」
「最初からこれを私に弾かせようと思っていたんですか?」
「正直言うとね、微妙だったんだ」
「微妙? どういう意味ですか?」
 詩織は首を傾げた。もっとも、それは詩織でなくとも首を傾げるだろう。
 二者択一しかないのに、微妙などと答える方がおかしい。
「僕のまわりには、ピアノを弾ける人がふたりいる。ひとりは詩織。もうひとりは柚紀。だから、僕の中では柚紀でもいいかなって、そう思ってた部分もある。でも、実際ピアノの腕とかを考えると詩織の方が上だし」
「なるほど、だから微妙なんですね」
「ただ、ひとつだけ勘違いしないでほしいんだ。僕が『聴きたい』と思ったピアノは、あくまでも詩織のだから。柚紀には、『弾いてもらってもいいかな』だったのにだよ」
「それを聞くと、余計微妙だってわかります」
 そう言って詩織は笑った。
「わかりました。ほかならぬ先輩の頼みですから、当日までに聴かせられるレベルにします」
「ありがとう、詩織」
「いえ、お礼は演奏会で成功してからでいいですよ」
「そういえば、そうだね」
 それから部活がはじまると、その日は最初にミーティングを行った。
「昨日、三高でクリスマス演奏会の合同ミーティングを行ってきたので、それの報告を。まず、本番は来月二十三日。演奏する相手は去年までと同様に、二高と三高。曲は、ガーシュウィンの『ラプソディ・イン・ブルー』のみ。合同練習は十二月四日、十一日、十九日、二十二日の四日間。それと、今年の指揮は菜穂子先生に決まってるから」
 それを聞くや否や、音楽室にざわめきが起きた。
「楽譜はすでにリーダーに渡してあるから、それをコピーして練習するように。合同練習までにある程度吹けていないと、たぶん、大変なことになるから」
 そう言って圭太は気を引き締めた。
「それじゃあ、練習をはじめて」
 
 その日の練習は、主に個人練習に割り当てられた。
 曲が難しいだけに、さすがにパート練習さえもできそうになかったからだ。
 そんな中、圭太は菜穂子の元を訪れていた。
「圭太はよほど好かれてるか、嫌われてるのね」
「どういう意味ですか?」
 ほとんど人のいない職員室。圭太はそこで菜穂子に椅子を勧められ、座っていた。
「だって、普通は『ラプソディ・イン・ブルー』なんてやらないわよ。それをやることになったんだから、よほど好かれてるか、嫌われてるかってこと」
「そういう意味ですか。だとしたら、できるだけ前者だと思いたいですね。僕もまだ、あと一年近く、この部活にいるつもりですから」
「ふふっ、それなら大丈夫でしょ? 圭太が嫌われてるなら、誰もあなたについていかないわ」
 そう言って菜穂子は笑った。
「それで、圭太は私になにをしてほしいの? だから私のところへ来たんでしょ?」
「今回は難しい曲じゃないですか。それにも関わらず練習時間がそれほどありません。ですから、先生にお願いしたいんです。今回の練習は、コンクール並みに厳しくやってほしいんです」
「コンクール並み、ねぇ。でも、いいの? それは圭太ひとりの考えでしょ?」
「ええ」
 圭太は臆することなく答える。
「やること自体はやぶさかではないけど、個人的に言わせてもらえれば、そこまでしたくはないのよね」
「それは、どうしてですか?」
「確かに曲の完成度を高め、聴いてもらう人に最高の演奏を届けたいっていうのもわかる。でも、クリスマス演奏会は聴いてもらう人だけじゃなくて、演奏する側も楽しまなくちゃいけないでしょ? それなのに、そんな締め付けばかりするのはどうかと思うわ」
 菜穂子は穏やかな口調で諭す。
「どう? 私の意見、間違ってるかしら?」
「いえ、その通りだと思います」
「圭太は真面目だし、自分ではできるからそういう考えに至るんだと思うけど、こういう肩の力を抜いてやる時は、もう少し目線を低くしてもいいんじゃなかしら?」
「はい」
「ふふっ、そんな顔しないの。別に圭太のことをダメだって言ってるわけじゃないんだから。むしろ、私はそういう野心的な意見は好きよ。ただ、今回はうちだけじゃなく、二高も三高も一緒なんだから」
 ポンと肩を叩く。
「これからもその意気でがんばって」
 
 部活が終わると、圭太は家に帰らず詩織の家に向かった。
 ひとつにはクリスマス演奏会でのピアノことがあり、圭太に練習を見てもらいたいということだった。
 そしてもうひとつが、誕生日にもらったあの封筒に絡んだことだった。
「圭太さん」
「ん?」
「調子、悪いんですか?」
「どうして?」
「いえ、いつもより暗いというか、覇気がないというか、そんな感じがするので」
 詩織は少しだけ申し訳なさそうにそう言った。
 実際、圭太は詩織の見た目通りだった。やはり、菜穂子の言葉が堪えているようである。
「やっぱり、そういうのは女の子の方がめざといね」
「どういう意味ですか?」
「いや、みんなにも同じようなことを言われたから。というより、半分病人扱いだったかな。柚紀なんて、額に手まで当ててたし」
「そ、それはすごいですね」
 さすがの詩織も、柚紀の行動には負ける。
「でも、本当にどうしたんですか?」
「いや、大丈夫だよ。ちょっと先生にガツンと言われたことがあって。でも、それも僕の思慮が浅かったせいだし。原因もわかってるから、本当に大丈夫」
「そうですか」
 圭太にそう言われては、詩織もそれ以上は言えなかった。
 詩織の家に着くと──
「ママ」
 詩織の母、栄美子が玄関にいた。
「おかえりなさい、詩織ちゃん」
「うん、ただいま」
 と、栄美子の視線が圭太を捉えた。
「そちらは?」
「えっと、部活の先輩で──」
「高城圭太です。はじめまして」
 圭太は折り目正しく頭を下げた。
「これはご丁寧に。詩織の母の栄美子です。いつも詩織がお世話になって」
「いえ、それはこちらのセリフですよ」
「ママは、これから出かけるんだよね?」
「ええ。夕方くらいには帰ってくると思うから」
「うん、わかった」
 栄美子は靴を履き、改めて圭太に向き直った。
「少々出る用事があるので、お構いもできませんで」
「いえ、気にしないでください」
「それじゃあ、詩織ちゃん」
「うん、いってらっしゃい」
 一度頭を下げ、栄美子は出かけていった。
 ドアが閉まると、詩織は大きく息を吐いた。
「びっくりしました。まさかママがまだいると思ってなくて」
「でも、僕はよかったよ。一度くらい挨拶しておきたいと思ってたし」
「それは、そうかもしれませんけど……っと、とにかく、上がってください」
 詩織は圭太をリビングに通し、自分は着替えるために部屋に。
「……ちょっとだけ、ドキドキしてる……」
 着替えながら、詩織は嬉しそうに微笑んだ。
 リビングに戻ると、圭太は窓の外を眺めていた。
「なにか面白いものでも見えますか?」
「そうだね。普段はあまり上から街を見下ろさないから、楽しいよ」
 圭太は穏やかに微笑んだ。
「少し待っていてください。今、なにか作りますから」
「手伝おうか?」
「圭太さん。今日はなんで来てくれたんですか?」
「ああ、うん、そうだね。じゃあ、全部詩織に任せるよ」
「はいっ」
 詩織は早速台所に立った。
 冷蔵庫を開け、食材を確認。それなりの数の食材が入っていた。
「これだと……」
 いくつかの食材を取り出し、早速調理開始。と思ったら、その前にお茶を淹れた。
「お茶でも飲んでいてください。つまらなければ、テレビを見ていてもいいですし」
「あれは、アルバムかな?」
 リビングの中にあるアンティーク家具。そのひとつに少し厚めの冊子が数冊、並んでいた。
「ええ、私のアルバムです。……あの、見ますか?」
「いいの?」
「笑わないと約束してくれるなら、いいですよ」
「それはもちろん約束するけど、そんな笑うような写真、あるの?」
「それは、わかりませんけど……」
 詩織はアルバムを持ち出し、圭太の前に置いた。
「一応、これで年齢順に並んでると思います」
「うん、わかった。ありがとう」
 詩織が台所に戻ったところで、圭太はアルバムを開いた。
 それは、詩織の成長の記録だった。
 産まれてすぐの写真。まだまだ目もちゃんと開いていない。
 それから少し経った頃の写真。家族に抱かれた写真、ベビーベッドで寝ている写真、泣いている写真。
 ようやく立てるようになった頃の写真。嬉しそうにはしゃぎまわる写真、転んで泣いている写真、動物園での写真、ピアノ椅子に座っている写真。
 幼稚園の頃の写真。園児服を着ておすまししている写真、お遊戯会の写真、家族との写真。
 本当にたくさんの笑顔、泣き顔があった。
 ひとりっ子の詩織である。それだけでどれだけ可愛がられていたかがわかる。
 それから小学校の頃の写真。この頃になると、学校の写真、家での写真よりもピアノを弾いている写真が増えている。
 それは中学に入ってからも同じだった。
 そんな写真の中の詩織は、様々な表情を見せていた。
 小さな頃から可愛かった詩織である。その表情もまた魅力的であった。
 面影は小さな頃からあり、今のように『美人』と形容できるようになったのは、中学に入った頃からだった。
 圭太は一枚一枚、その光景を思い浮かべながら見ている。
「圭太さん、できました」
「うん、わかったよ」
 アルバムを閉じ、ダイニングへ。
 テーブルに並んでいたのは、ナスのスパゲティだった。
「ご飯は炊かないといけなかったので、パスタにしました。美味しくできたとは思うんですけど」
「美味しそうだね」
 席に着き、早速一口。
「……どうですか?」
「……ん、美味しいよ。これだけのものが作れれば、十分だよ」
「はあ、よかったです。圭太さんにもしも美味しくないものを食べさせたら、死んじゃいたいくらいですから」
「そ、それは大げさだよ」
「大げさじゃないですよ。私にとっては、それくらい大事なことなんです」
 そう言って詩織は自分も一口食べた。
「ホントですね。ちゃんと美味しくできてます」
 ふたりは他愛のない話をしながら食事を楽しんだ。
「そういえば、詩織は昔から可愛かったんだね」
「んっ……けほっけほっ……」
 いきなりそう言われ、詩織はむせた。
「い、いきなりそういうことを言うの、反則です」
「そ、そうかな?」
「そうなんです」
 圭太は首を傾げた。
「でも、あの写真を見て本当にそう思ったよ。おめかしした写真がカワイイのは当然だと思うけど、何気ない姿を撮った写真もそうだからね」
「や、やめてくださいよ、恥ずかしいですから」
 詩織は顔を真っ赤にして俯いた。
 圭太もさすがにやりすぎたと思い、苦笑した。
「お、お茶のおかわりはどうですか?」
「ううん、もういいよ」
「そ、そうですか……」
 それから食器を片づけ、まずはピアノの練習となった。
「曲のイメージはできてるかな?」
「知らない曲でもないですし、譜面も見てますから、だいたいは」
「それじゃあ、とりあえず弾いてみようか」
「はい」
 詩織は、最初はテンポを落として弾きはじめた。
 譜面を確認し、リズムを確認しながら、進めていく。
『ラプソディ・イン・ブルー』のピアノソロ部分は、結構多い。そこがちゃんとできるかどうかは、曲の成否にも関わってくる。
 少々長い曲を弾き終えると、詩織はがっくり肩を落とした。
「わかってはいましたけど、難しいですね。初見でこの程度というのは、さすがに自信をなくしてしまいます」
「まあ、完璧を目指す必要はないよ。あくまでも詩織の弾きやすいように、できる範囲内でがんばってくれればいいから」
「私のできる範囲内、ですか」
「クリスマス演奏会は、楽しんだ者勝ち、というところだからね」
 圭太は、菜穂子に言われたことを噛みしめながら詩織に言った。
「そうですね。私もそういう気持ちでがんばってみます」
 詩織は、改めて最初から弾きはじめた。
 途中、圭太に意見を聞きながら、練習は一時間ほど続いた。
「ふう、とりあえず今日はこのくらいにしましょう」
「そうだね。ここまで一日でできれば、なにも心配ないよ。むしろ、僕は自分のパートをしっかりやらないと」
「圭太さんなら大丈夫じゃないですか」
「そんなことないよ」
 そう言って圭太は苦笑した。
 と、詩織は時計を見て頷いた。
「圭太さん」
「うん?」
「部屋に、行きましょう」
 詩織は有無を言わさず圭太を部屋に連れ込んだ。
「圭太さんは、そのままでいてください」
 圭太は仕方なくそのまま立っている。
 詩織は、いそいそと圭太の制服を脱がしていく。
 圭太もやることはわかっていても、さすがにくすぐったい気分だった。
「横になってください」
 上を脱がせると、ベッドに横になるように言う。
 それにも圭太は従った。
 そこでズボンとトランクスを脱がす。
「今日は、全部、私にさせてくださいね……ん……」
 そう言って圭太のモノに口を付けた。
 舌先でちろちろと舐め、手でしごく。
 萎縮していたモノが、それで大きくなった。
「ん……は……む……」
 慈しむように、詩織はモノを舐める。
 先端を舌先で舐め、モノを口に含み、全体を舐める。
「ん、圭太さん、気持ちいいですか?」
「気持ちいいよ」
 圭太がそう言うと、詩織は嬉しそうに微笑んだ。
 敏感な部分を舐めると、圭太はわずかに腰を引いた。詩織はそこを重点的に舐める。
「んっ」
「はむ……ん、いいですよ、いつでも」
 そろそろというところで、詩織はさらに攻める。
「うっ、詩織」
「っ!」
 圭太は、詩織の口内にそのすべてを放った。
「ん……」
 詩織は、それをゆっくりと飲み下す。
「ん、はあ、いっぱい出ましたね。でも、これで終わりじゃないですよ」
 そう言って詩織は着ていた服を脱ぎだした。
 スカートを脱ぎ、セーターを脱ぐ。
 ブラジャーを外し、ショーツも脱ぐ。
「圭太さんのを舐めていて、私も感じていました」
 艶っぽく微笑み、圭太の上にまたがった。
 そして、モノをつかみ、そのまま腰を落としていく。
「ん、はあん……」
 圭太のモノが詩織の奥深くに入った。
「深くて、気持ち、いいです」
 詩織はゆっくりと腰を動かす。
「んっ、あっ、あっ」
 自分の動きやすいように、自分が感じるように動く。
「あんっ、圭太さんっ」
 胸が揺れ、髪が乱れる。
「はっ、んっ、気持ちよすぎて、止まらない、ですっ」
 少しずつ動きが速くなってくる。
 頭の中が真っ白になってくる。
「圭太さんっ、圭太さんっ、ああっ」
 その頃には圭太も動いていた。さすがに、ずっとそのままではいられない。
「やっ、あんっ、あぅ、あっ」
 詩織が乱れる姿を見て、圭太の方も感覚が麻痺してくる。
「んんっ、ダメっ、私、イっちゃいますっ」
「詩織っ」
「圭太さんっ」
 ふたりは手を合わせる。
「んっ、あっ、あっ、あっ、あああっ!」
「詩織っ!」
 詩織が達するのとほぼ同時に、圭太は詩織の中に白濁液を放っていた。
「はあ、はあ、圭太さん……」
「はぁ、はぁ、詩織……」
 荒い息のもと、ふたりはキスを交わした。
 
 圭太は、栄美子が帰ってくる前に相原家をあとにした。
 当然のごとく、詩織が送ると言って聞かなかった。
「圭太さん」
「うん?」
「いつか、ふたりきりでどこかへ行きたいですね」
「旅行ってこと?」
「はい。一日中、ふたりきりで。ちょっと、かなわないことだとは思いますけど」
 そう言って詩織は苦笑した。
「そんなことはないと思うよ。僕だって、そういう風に誰かとどこかに行きたいって思うことはあるし」
「柚紀先輩は、いいんですか?」
「あまりよくはないけど、柚紀はあれでも、話は聞いてくれるからね。だから、そんなに悲観的なことじゃないと思うよ」
「じゃあ、本当にいつか、一緒に行ってくれますか?」
「喜んで」
 圭太は笑った。
「ありがとうございます、圭太さん」
 そして詩織は、圭太にキスをした。
 その顔には、本当に嬉しそうな笑みがあった。
 
 三
 暦が変わった。
 師走である。相も変わらず世間はバタバタと忙しい。
 もうすぐ来るクリスマスに向け、世間はすっかりそのモードである。
 街の中にはクリスマスの飾り付けがあふれ、ケーキの予約、プレゼントの購入ととにかくお祭り前の騒ぎだった。
 とはいえ、そういうのにあまり振り回されていない者もいる。
 というよりは、それより先に片づけるべきことがある、という方が正しい。
 それが、圭太だった。
 高校二年生の十二月である。残す二年生としての生活も、三ヶ月。
 となれば、進路についていろいろ出てくる。
 そんなわけで、圭太は二者面談を受けていた。
「それで、高城くんは進学はしないのね?」
 優香は進路調査票を見ながら確認した。
「はい。やっぱり、それが一番だと思いますから」
 圭太はよどみなく答える。
 しかし、優香は渋い顔である。
「高城くんほどの成績なら、東大だって夢ではないのに。もったいないわ」
「大学に行っても、やりたいことがないんです。行ってから見つけるという選択肢ももちろんあるとは思いますけど。でも、うちはそれほど余裕がないですから。そういう資金は妹のためにでも取っておいてくれた方がいいんです」
「なるほどね、そういう考えはわかるわ」
 でもね、と言って優香は調査票を置いた。
「高城くんのお母さんは、どう思ってるの? そうしてほしいって思ってるの?」
「それは……」
「違うでしょ? たぶんだけど、行きたいなら行きなさい、と言われたでしょ?」
「……はい」
「それがね、親、なのよ」
 優香は圭太から視線をそらし、窓の外を見た。
「先生は、どうだったんですか?」
「そうね、私は教師になろうと思って大学に行ったわけじゃなかったわね」
「そうなんですか? じゃあ、なんのために大学へ?」
「ただ単に、いろんな本を読んでみたかったのよ。国文入れば、珍しい本とか読めると思ってね」
 そう言って優香は笑った。
「だけど、卒業後のこととか考えると、国文てそうそう就職先なくてね。だからとりあえず教職課程取って、あとは教育実習を受けて、採用試験受けて、今に至る、と」
「そういう考え方も、ありですね」
「そうよ。だから、あなたももう少しいろいろ考えてみた方がいいわ。本当に、ほかにやりたいことがないのか、をね」
 優香にとってみれば、それは優等生である圭太への最後の説得だったのかもしれない。優香とて、圭太がなんの考えもなしに進学しないと決めたとは思っていない。少なくとも、一年以上担任をやってきてるのだから。
「……先生が僕のことをいろいろ考えてくれてるのは、本当に嬉しいです。でも、どんなに言われても、この結果だけは変わらないんです」
「どうして? 理由、あるんでしょう?」
「こんなこと言うと先生はどう思うかわかりませんけど……」
 圭太は、スッと表情を引き締めた。
「居場所を、作らなくちゃいけないんです」
「居場所? 誰の?」
「僕に関わっている、みんなの、です」
 要領を得ない言葉に、優香は首を傾げた。
「もう少し突っ込んだことを訊いても、いい?」
「ある程度でしたら」
「それは、すべての選択肢よりも優先されるべきことなの?」
「少なくとも、今の僕にはそうです」
 優香は、少し俯き、言葉を探した。
「笹峰さん、のこと?」
 そして、ひとつの結論に至った。
「卒業したら、一緒になるんです」
「えっ……?」
「そう、約束しましたから。もちろん、それだけが理由ではないですよ。学生結婚だってできますからね。でも、それじゃダメなんです。僕には、背負うものが多いんです」
「背負うもの?」
「もし、僕が複数の女性とつきあってるって言ったら、先生は信じますか?」
 圭太は、なんの躊躇いも見せず、そう言った。
「……そうね、去年までなら信じなかったわね」
「それは、今は信じるってことですか?」
「噂になってるしね」
「なるほど」
 圭太は妙に納得していた。
 確かに生徒の間で噂になるくらいである。それを教師が知らないはずもない。特に、優香は生徒からの信頼も厚い。気軽に話せる人柄もある。だから、いろいろ話を聞くこともあるだろう。
 それに、やはり担任なのだから。
「三年の三ツ谷さん。一年の吉沢さんに真辺さん、相原さん。あなたと一緒にいることの多い子たちね」
「言い訳はしません。それは、相手に失礼ですから」
「そうね。女の子は、そういうのに敏感だし」
 そう言って優香は微笑んだ。
「まあ、色恋沙汰に関して言えば、私もそれほど豊富な方じゃないから、まともなアドバイスはできないけど」
 独身だし、と言って苦笑する。
「でも、誰も悲しませていないのなら、今はいいんじゃないかしら。いくら笹峰さんと婚約までしてても、それまでの恋愛は自由だろうし。とはいえ、行き過ぎはさすがに私も問題だとは思うけど」
「…………」
「ああ、うん、別に恋愛談義をするつもりはなかったのよ。ただ、進学しないちゃんとした理由が聞きたかっただけなの。誤解しないでね」
 黙ってしまった圭太に、優香はフォローを入れる。
「なるほどね。高城くんはかなり、深いところまで考えてるのね。それなら、こんな面談なんてする必要はないわね。あとは、自分の信念に従って精一杯がんばればいいのよ。もちろん、それがどんなに大変なことでもね」
「それは、わかってます。でも、僕はそうしないといけないんです。目の前の道が茨の道どころか、底なし沼でも歩いて越えなければならないんです」
「そ、そこまで思い詰めることはないと思うけど……」
 圭太の迫力に、優香も押され気味である。
「まあ、いいわ。どうするか決めてるわけだし、それに対する決意も十分だし。あとは、本当にどこまでできるかだけなのよ」
「はい」
「よし、高城圭太くん、終了、っと」
 優香は名簿にチェックを入れた。
「それにしても、先生より先に結婚しちゃうかもしれないのねぇ」
「せ、先生にはそういう人、いないんですか?」
「残念ながらね。今のところは、仕事と教え子が恋人、って感じよ」
 深い深いため息をつく。
「ホント、世の中の男はつくづく見る目がないわ。私みたいな『お買い得』な女を放っておくなんて」
「そ、そうですね……」
「そう思うわよね? 私もそう思うのよ〜。容姿端麗、とまでは言わないけど、そこそこ見られると思うし、スタイルだって結構自信あるし。教師なんてやってるから、面倒見だっていいし。それに、炊事洗濯掃除と家事全般こなせるし。私のどこに不満があるって言うのよぉっ」
 愚痴りモードに入った優香を止められる者など、いない。
「ああん、もう、ホント、信じられない。ねえ、知ってる? 私、職員室で言われてるのよ」
「な、なんてですか?」
「中村先生が結婚するのより、校長先生が退職する方が早いって。校長先生、退職まであと五年もあるのに。きぃ〜っ、悔しい」
「あ、あの、先生……」
「だいたい、近くに比較対象される相手がいるのがいけないのよ」
 優香は、圭太の肩をガシッとつかんだ。
「そういえば高城くん、吹奏楽部だったわね?」
「は、はい、そうですけど……」
「菊池先生って、綺麗よね。おまけに優しいし。音楽教師だから、さらっとピアノとかほかの楽器とか弾けるし」
「えっと……」
「結婚四年目。娘さんは三歳。カワイイ盛り。旦那さんは優しくて頼りになって。そろそろふたり目とか、考えてるんだろうし」
「あのぉ……」
「どうして? どうしてこんなに差が出るの? ああん、もう、信じられない。もう、こうなったら今日はやけ酒ね。明日、学校出てこられなくなるくらい飲んでやる」
「せ、先生、そろそろいいですか?」
「……なに? 私の話、聞けないって言うの?」
「い、いいえ、聞きます。最後まで聞かせていただきます」
「よろしい。そもそも、一高の『美の双璧』って言われてるのに、なんで向こうはラヴラヴ〜で、こっちは淋しい悲しい独り身なのよぉ。ふたりでひとつの呼称なら、同じ立場にいないと、みじめじゃない」
「そ、そうかもしれませんね……」
「なにぃ? そうかもしれませんね? 高城くん、あなたまでそう思ってたの? 行かず後家とか、売れ残りとか、ワゴンセールとか」
「な、なにも言ってませんよ」
「ウソ。言葉に出してなくても、心の中で言ってたわ。先生にはね、わかるのよ」
「えっと……」
 圭太はちらっと時計を見た。
 面談は放課後なので、当然部活ははじまっている。しかし、今日の部活はほとんどできないかもしれないと、心の中でため息をついた。
「いっそこのまま、高城くんを襲っちゃおうかしら」
「えっ……?」
「あっ、それいい考え。ふっふっふっ、さあ、遠慮しないで。私が、イイコト、してあげるから」
「し、失礼しますっ」
「あっ、高城くん」
 圭太は、脱兎のごとく逃げ出した。
「んもう、ちょっとした冗談だったのに。ま、でも、彼なら、私なんかでも包み込んでくれるかもしれないけど」
 
 結局その日は、部活は半分しか参加できなかった。
 もちろん、部活よりも面談を優先させるのは当たり前なので、誰もなにも言わなかったが。それでも、圭太が多少慌てた様子で戻ってきたのを見れば、なにかあったのではと勘繰りたくなるのは、当然かもしれない。
「ねえ、圭太。面談で、なに言われたの?」
 そういうことに人一倍敏感な柚紀が、早速訊いていた。
「なにって、進路のことだよ」
「それだけ? それだけの割には、結構時間かかってたと思うんだけど」
「まあ、僕なりの考えを説明する必要もあったからね」
 とりあえずそれにウソはない。
「じゃあ、なんで慌てて音楽室に入ってきたの?」
「そ、それは……」
 急いでいた、ではなくて、慌てていた、と訊かれれば、やはり答えづらい。
「先生に、なにか言われたんでしょ?」
「あ〜、まあ、そうなるのかな? あはは……」
 圭太は乾いた笑みを浮かべ、じりじりと後ずさった。
「ふ〜ん、そうなんだ。私には内緒の話、なんだ。ふ〜ん、そっか」
 柚紀の笑顔が張り付いていく。
「えっと、そのぉ……はあ、しょうがない。話すから、ちょっとこっちへ来て」
「そうそう、圭太はそうでなくちゃ」
 圭太が折れると、途端に笑顔に戻る。
「で、なに言われたの?」
「本当にたいしたことじゃないよ?」
「いいから」
「うん、まあ、進路で僕が進学しないってことから話ははじまって。その理由のひとつに柚紀とのことがあるって説明したんだ」
「それはね。でも、それは先生もある程度は知ってるでしょ?」
「そう、それはね。そこからもちょっとあったんだけど、それは関係なくて、面談も終わりって時に、いきなり先生が……」
 思い出し、圭太はなんとも言えない表情を見せた。
「僕と柚紀は、先生よりも先に結婚しちゃうかもしれないって」
「はい? 先生がそんなこと言ったの?」
「まあね。ほら、先生ってまだ独身だから。それに加えて、職員室でもいろいろ言われてるみたいで」
「まあ、適齢期だし、そういうのはありそうね」
 柚紀もそれには納得した。
「で、そこでさらに菜穂子先生のことが出てきて」
「なんで菜穂子先生なの?」
「僕は吹奏楽部だし、優香先生も菜穂子先生も、一高の女性教師の中だと綺麗だから。いろいろ比較されてるみたい」
「ああ、なるほど。片方は娘もいてラヴラヴなのに、片方は淋しい独身。確かに、いろいろ言われるわね」
「で、そういう愚痴を聞かされて、挙げ句の果てに僕を襲うとか襲わないとか、ものすごく不穏当なことを言い出して。それで逃げてきたんだよ」
「はあ、なるほどね。さすがは優香先生だわ。そういう思考で行動できるのは、この一高広しといえども、先生以外にいないからね」
 うんうんと頷く柚紀。
「でも、よりにもよってなんで『私の』圭太にそ〜ゆ〜ちょっかい出すのかしら。そりゃ、圭太は女性受けがものすごくいいから、先生をも虜にできるだろうけど。だからって、そういうのは勘弁してほしいわ」
「べ、別に先生だって本気で言ったわけじゃないし」
「当たり前よ。本気で言ってたら、大問題だもん」
 腰に手を当て、うんうん頷く。
「なるほどね。そういうわけだから慌ててたのか。うんうん、納得納得」
「も、もう僕の誤解は解けたのかな?」
「一応ね。ただし」
「な、なに?」
「私に隠し事しようとした、罰は受けてもらうからね」
「ば、罰?」
「そうね〜、なにがいいかしら。もうすぐクリスマスだし……一緒にいる、じゃあいつも通りだし。いっぱい抱いてもらう、ってのもいつも通りだし。う〜ん、なにかない?」
「そ、それを僕に訊くの?」
「そうよね、それは違うわね。となると、なにか考えなくちゃいけないんだけど。冬休み中、大晦日と元旦以外は一緒にいる、ってのは?」
「僕は構わないけど、年末年始は家族でいなくちゃいけないんじゃなかったっけ?」
「ああ、そう、そうだった。お父さんがいろいろうるさいのよ。ということは、それも却下か。となると……うちに来てもらう、というのは逆に私の罰みたいだし。ああん、もう、ナイスアイデアが浮かばない〜」
「べ、別に出なくてもいいと思うけど……」
「ダメ、それはダメ。いくら私と圭太の仲でも、そういうのにはきっちりケジメをつけないと、禍根を残すから」
 柚紀は、あ〜だこ〜だ言いながら必死に考えている。
 圭太はそんな柚紀を、あきれ半分、優しさ半分の眼差しで見つめていた。
「そうだ、圭太」
「うん?」
「明日から、私にお弁当作ってきてよ」
「お弁当?」
「うん。簡単なのでいいから。それで、今回のことはチャラ。どう?」
「まあ、それくらいならいいけど。でも、前に柚紀、言ってなかったっけ?」
「なにを?」
「僕が料理するの、反則だって」
「……そ、そういえば、言ったかも」
「それでも、いいの?」
「むむむ、それは究極の選択だわ」
「だ、だから、別に罰なんかなくても……」
「……じゃあ、とりあえず、今日圭太の部屋に泊まるから。そこで、もう明日学校に行けない〜ってくらい、抱いてくれるっていうところでいいわ」
「……僕だけじゃなくて、柚紀まで学校行けなくなるんじゃ……?」
「…………」
 柚紀は、あさっての方向を見て、口笛を吹いた。
「ま、まあ、そのあたりは追々考えましょ。今はとりあえず、事実を確認できただけでもよしとしないとね」
「そうだね」
 ようやく話が終わり、圭太はホッと息をついた。
「でも、今日圭太のとこに泊まるのも、いっぱい抱いてもらうのも、それはそれでちゃんと実行するからね」
「はい……」
 そして、今一度がっくり肩を落とす圭太であった。
 
 十二月四日。その日は午後からクリスマス演奏会に向けた合同練習が行われた。
 一高の体育館にはすでに椅子が並べられ、寒さ対策のために大型ヒーターも設置されていた。
 二高も三高も集合時間よりかなり早く到着していた。たいていは、昼食を一高で食べるためだった。
 一時前には全員揃い、少し早めに合同練習がはじまった。
「二高、並びに三高のみなさん。今日はわざわざ一高まで出向いてもらい、おつかれさまです。これから、クリスマス演奏会に向けての第一回の合同練習をはじめます。私は一高吹奏楽部部長、高城圭太です。なにかわからないことなどありましたら、遠慮なく聞いてください」
 まず圭太が前に立ち挨拶する。
 部員は、三校ともにほぼフルメンバーである。
「最初に、今日から四回の合同練習で指導していただく先生方を紹介します。右手から、一高吹奏楽部顧問、菊池菜穂子先生」
「よろしく」
「二高吹奏楽部顧問、長岡憲二先生」
「今年もビシビシ行くからな」
「三高吹奏楽部顧問、森玲子先生」
「よろしく」
「なお、今年の指揮は、一高の菊池先生が担当しますので、覚えておいてください」
 今一度三人の顧問は部員を見渡す。
「次に、各校の部長を紹介します。まず、先ほども言いましたが、私は一高の部長、高城圭太です」
「二高吹奏楽部部長、金田昌美です」
「三高吹奏楽部部長、横田美沙緒です」
「基本的に、この三人が各校のパイプ役を果たしていますので、合同練習日以外でなにかある場合は、各部長を通じてお願いします」
 そう言って三人は一礼した。
「では、早速合同練習をはじめます。まず、練習前にチューニングを行ってください。その際に、パート内で簡単に自己紹介でもしてください。これからしばらく一緒に演奏しますから。それでははじめてください」
 
 練習は比較的スムーズに進んだ。
 もともと曲が難しいために指導する方もそれほど高いことを要求していない、ということもあったが。
 それでも、一応最後まで通すことはできていた。
 三校の実力差はもちろんあったが、それでも個人個人での差は、思ったほど大きくない。
「では、十五分、休憩にします」
 開始から一時間ほど経ったところで休憩となった。
 休憩時間は、たいていは同じ中学校で集まる。やはり、こういう機会でもないとそうそう集まる機会がないのである。
 そんな中、圭太は生徒の輪の中にはいなかった。
「おつかれさま、圭太」
「おつかれさまです」
 圭太は、三人の顧問のところにいた。
「率直に、どういう感じですか?」
「そうね、まあ、予想よりはまとまってるかしら」
「長岡先生はどうですか?」
「そうだな、難易度の割には、善戦してるんじゃないか」
「森先生は?」
「このまま行ければ、なんとか間に合うかもしれないわね」
 曲を推薦した圭太としては、やはり気になるのであろう。
「それにしても、よくもまあ、この曲をやろうと思ったものだ」
「ええ、高校レベルというよりは、この短期間でやろうとは思わないわね」
「それに関しては、彼なりに考えがあるみたいですけど」
「うちとしては、レベルアップに繋がりそうだから、結果オーライという感じでいいのですがね」
 長岡はそう言って笑った。
「あの、圭太先輩」
 そこへ、紗絵がやって来た。
「うん、どうかした?」
「みんなが、先輩を呼んでこいって言うので」
 そう言って体育館の一角を見た。
 確かにそこには、三中出身者が集まっていた。
「わかったよ。それじゃあ、先生方、後半もよろしくお願いします」
「ええ、きっちりやってあげるわ」
 圭太は紗絵とともにその場を離れた。
「先輩」
「ん?」
「明日、時間ありますか?」
「明日? うん、特に用事はないけど」
「あの、それじゃあ、明日、私につきあってくれますか?」
 紗絵は、上目遣いにそう言う。
「いいよ」
「あはっ、ありがとうございます」
 紗絵は、本当に嬉しそうに微笑んだ。
「紗絵〜、先輩〜、遅いですよ〜」
 と、三中の後輩がふたりのところへやって来た。
「ごめんごめん」
「んもう」
「いいじゃない、少しくらい遅くても」
「紗絵はいいかもしれないけど、あたしたちはよくないの」
「なんで?」
「そりゃ、先輩と話す時間が少なくなるからよ」
「……なるほどね」
 そう言って、紗絵は苦笑した。
 
「それじゃあ、今日の練習はここまで。まだまだ直さなくちゃいけない部分が多いから、各自、来週の練習までにきっちり修正してきて。今日は初日だったから甘かったけど、来週からはもっともっと厳しくしていくから、覚悟するように」
 練習は、予定より三十分ほどオーバーして終わった。
「みなさん、おつかれさまです。今日の練習は以上です。次回は来週十一日、場所は二高の体育館となります。時間は今日と同じです。一週間しかありませんが、今日指摘された部分を直して来週に備えましょう。それでは、おつかれさまでした」
『おつかれさまでした』
 圭太の挨拶で練習は締めくくられた。
「一高部員は、楽器を脇に置いたら、椅子の片づけをするから。パーカスは、先に楽器を音楽室に戻して」
「二高は楽器を片づけたら集まって」
「三高も片づけ次第集まって」
 それぞれの部長が指示を飛ばす。
 部員たちもそれに従って動き出す。
「高城くん」
 指示を出していた圭太のところへ、二高部長の昌美がやって来た。
「なにか問題でもあった?」
「ううん、そうじゃないの。ちょっと、個人的に話があって」
「個人的に?」
 ふたりは揃って体育館を出た。
 外はすでに薄暗く、気温もだいぶ下がっていた。
「あのさ、高城くん。高城くんて、彼女、いる?」
 昌美は、少しだけ視線をそらしながら、そう言った。
「彼女か。うん、いるよ」
「ホントに?」
「そういうことにウソをついてもしょうがないと思うけど」
「ああ、うん、そうだね。そっか、彼女、いるんだ。ちょっと残念」
 そう言って昌美は微笑んだ。
「こういうこと言うと変な女だって思うかもしれないけど、あたしね、ずっと高城くんのことが気になってたの。去年はそこまでのことはなかったんだけど。事前に電話で連絡したでしょ? あの時から、妙に意識してて。気づいたら、好きになってた、というわけ」
 くるっと後ろを向く。
「でも、そうだよね。高城くんほどの男子をほかの子が放っておくわけないもんね」
 残念残念と繰り返す。
「はあ、これで今年のイヴもひとりか」
「金田さん」
「うん?」
「気休めかもしれないけど、金田さんなら大丈夫だよ」
「ありがと」
 圭太の言葉に、昌美は笑顔を返した。
 それから片づけが終わったのは、もう五時半近くになってからだった。
「先輩、戸締まり確認しました」
 音楽室の方も片づけを終え、あとは帰るだけ。
「じゃあ、帰ろうか」
 いつもの面々と家路に就く。
「はあ、すっかり寒くなったわね」
 柚紀は白い息を吐きながら、手を擦り合わせた。
「これからもっと寒くなるよ。今年は例年より寒いって言ってたし」
「別に寒くてもいいんだけど、乾燥するのがイヤなのよ。肌もかさかさになるし、髪も整わないし」
「でも、乾燥した冬はしょうがないよ。雪でも降れば別だけど」
 そう言って圭太は空を見上げた。
 空には星が瞬いていた。
 向こう一週間も、雪はおろか、雨も降るとは言っていない。
「ホント、圭太はすぐに現実を見ちゃうんだから。もう少し夢を見ようよ、夢を」
 柚紀は面白くなさそうに頬を膨らませた。
「そういえば、柚紀先輩」
 と、朱美が声を上げた。
「どうしたの?」
「去年のクリスマスって、どうしたんですか?」
「去年? 去年は、イヴは圭太とふたりきりで、二十五日にはみんなでパーティーをしたよ」
「じゃあ、今年もそうなるんですか?」
「さあ、それは圭太次第かな?」
 柚紀は意味深な視線を圭太に向けた。
 それに対して圭太は、やれやれと肩をすくめた。
「去年、クリスマスに一緒に過ごせなかったら泣くって『脅迫』したのは、柚紀だったと思うんだけど」
「あれは脅迫なんかじゃないわよ。正当な主張よ。だってそうでしょ? 私たちは恋人同士なんだから」
 一方、柚紀は悪びれもせずそう言う。
「で、圭太。今年は?」
 これでもかってくらい期待に満ちた瞳で圭太を見つめる。
「心配しなくても、イヴは柚紀と一緒にいるよ」
「ホント? ホントにホント? ウソじゃない?」
「本当だよ。それとも、ほかの『誰か』と一緒にいてもいい?」
 圭太は、少しだけ意地悪な笑みを浮かべ、柚紀から朱美、紗絵に視線を移した。
「そんなことしたら、圭太を殺して私も死ぬわ」
 が、やはり柚紀の方が一枚上手だった。
 にこやかにそう言われては、もはやなにも言えない。
「というわけだから、朱美ちゃん。今年のクリスマスも去年と同じような感じかな?」
「わかりました。それならそれで、いいんです。今年は道連れにできそうな『同志』がいますから」
 そう言って紗絵を見た。
「えっ、私?」
「うん。詩織も含めて三人でイヴのパーティー。どう?」
「ま、それはそれでいいとは思うけどね」
 紗絵は苦笑した。
「よし、クリスマスの予定も決まったことだし、あとはそれに向けて準備するだけね」
「まだ二十日もあるよ?」
「二十日しかないの」
 そう言って柚紀は笑った。
 
 次の日。
 その日は朝から雲が低くたれ込めていた。それでも降水確率は低いのだから、なかなかに恨めしい。
 午前中は部活だった。
 みっちり練習が行われ、さながらコンクール前のようだった。
 部活が終わると、いつものメンバーで帰路に就いた。
 柚紀とバス停で別れ、紗絵とも家の近くで別れる。
「ねえ、圭兄」
「ん?」
「誕生日のあれ、いつ使ってくれるの?」
「ああ、うん、機会を見て使わせてもらうよ。ただ、このところバタバタしてるからそういう機会もなくて」
「それはわかるけど、でも、そういう時だからこそ使ってくれればいいのに」
 朱美はちょっとだけ面白くなさそうに言う。
「そうだ。今日は?」
「今日は午後から用事があって出かけるんだ」
「え〜っ、そうなの? 残念。来週は……日曜は家に戻らないといけないから。う〜ん、その次の週かな? それならいいでしょ?」
「たぶんね」
「じゃあ、その頃にもう一度訊くからね。ちゃんと予定に入れといてね」
「了解」
 圭太は家で昼食を食べ、コートを着て家を出た。
 その頃には雲も少し薄れ、陽も差してきていた。
 圭太が向かったのは、一高とは反対方向である。
 すっかり冬の装いの街を、幾分肩をすぼめて歩く。
 と、前から見知った顔が歩いてきた。
「あれ、圭くん? どうしたの?」
 祥子である。
「ちょっと用事があって」
「そうなんだ。私は、これから参考書を見に、駅前まで行くんだ」
「今日は模試とかじゃないんですか?」
「今週はないよ。来週は、あるけど」
「そうですか。受験も、もうすぐ本番ですからね、ラストスパートですね」
「最近は勉強ばかりで、本当に面白くないよ。圭くんとも会える機会が減っちゃったし」
「でも、それも受験が終わるまでの辛抱ですよ」
「うん、わかってるよ。私もともみ先輩みたいにちゃんと合格して、圭くんに『お祝い』たくさんもらうからね」
 にっこり笑う祥子。
 もちろん、その『お祝い』とは、圭太自身である。
「あっ、そうそう。昨日の夜、柚紀から電話があったよ」
「柚紀からですか?」
「うん。今年もクリスマスにパーティーしましょうって。イヴは圭くんを独占しちゃうけど、その代わりってわけじゃないけど、当日くらいはみんなでやった方がいいって言ってね」
「柚紀らしいですね」
 圭太はそう言って微笑む。
「ねえ、圭くん」
「なんですか?」
「その、えと、あのね……」
 祥子はあたりを見回し、人がいないことを確認する。そして、圭太の耳元でささやいた。
「最近、ずっと抱いてもらってないから、その、したくなっちゃうの……」
「祥子……」
「あ、えと、その、べ、別に今すぐどうこうってわけじゃなくて、圭くんの都合さえよければうちに来てくれるとありがたいかな、って」
 そう言って祥子は、圭太の袖をキュッとつかんだ。
「……わかりました。近いうちにおじゃまします」
「うん、待ってるから」
 それを聞き祥子はパーッと笑顔になった。
「それじゃあ、圭くん。またね」
「はい」
 祥子を見送り、圭太はまた目的地に向けて歩き出した。
 少し歩くと、目的地に着いた。
 インターフォンを押す。
『はい、どちらさまですか?』
「あの、一高の高城ですけど」
『あっ、圭太さん。すぐに開けますね』
 インターフォンが切れ、すぐに玄関が開いた。
「お待ちしてました」
 満面の笑顔でそう言うのは、紗絵である。
 そこは、真辺家である。
「さ、入ってください」
「うん、おじゃまします」
 ドアが閉まると、静寂が耳についた。
「あれ、誰もいないの?」
「はい。両親揃って親戚の家まで行ってます。夜には戻るって言ってましたけど」
 しかし、紗絵にはそんなことはどうでもよかった。
 ようは、圭太と一緒にいられればいいのである。いや、そうするとむしろ誰もいない方が『なんでも』できていいのかもしれない。
「とりあえず、お茶を淹れますね」
 圭太を自分の部屋に通し、紗絵は台所へ。
 ふんわりと良い香りが漂ってきたところで、前日の夜に作っておいたお菓子と一緒に持っていく。
「お待たせしました」
 と、圭太は紗絵の机を見ていた。
「なにか面白いものでもありましたか?」
 前日に部屋を片づけていたから、見られて困るようなものはない。そう思いつつも、紗絵はどことなく心配そうだった。
「いや、特には。ただ、この写真は懐かしいなって」
 圭太が見ていたのは、一枚の写真だった。そこに写っているのは、まだ中学生だった頃の圭太と紗絵。もちろんツーショットではなく、全国大会後に撮った集合写真だった。
「そうですね、その写真からもう二年以上経ってるんですよね」
 お茶とお菓子をテーブルに置き、紗絵も写真を見る。
「今年で三年連続全国大会。本当に夢のようだよ」
「夢じゃないですよ。みんなの実力で勝ち取った結果ですから」
「……そうだね」
 圭太は薄く微笑んだ。
 それからお茶を飲んで、お菓子を食べて、ゆっくりとした時を過ごす。
「圭太さん」
「ん?」
「覚えてますか? ここで、私をはじめて抱いてくれた時のことを」
「ああ、覚えてるよ」
「あの時は、あれきりにするつもりだったんです。でも、圭太さんは私が思っていたよりもずっと優しかったから、つい、甘えちゃいました」
 そう言ってくすくす笑う。
「あれから何度も抱いてもらって、私の圭太さんへの想いは、どんどんふくらんでいきました。自分でもここまでになるとは思いませんでしたけど。ただ、人を好きになるなら、徹底的に好きになった方がいいですよね? ひょっとしたら、一生で一度きりの『恋』かもしれませんから」
 それは、紗絵自身のことを言っている。
「圭太さん。あの時みたいに、抱いて、くれますか?」
「わかったよ……」
 
「ん……」
 圭太の方から紗絵を抱きしめ、キスをする。
 触れるだけのキスから、舌を絡め合うキスまで。
「ん、ん……あ、ん……」
 そのまま放っておけば、いつまでもキスを続けるだろう。
 魔法でもかかったように、キスを交わす。
 とはいえ、いつまでもそうしているわけではない。
 圭太は、紗絵をベッドに横たえる。
「圭太さん」
「うん?」
「ひとつだけ、お願いしてもいいですか?」
「なんだい?」
「今だけは、柚紀先輩のことを考えないでください」
「えっ……?」
「圭太さんがいつも心の片隅で先輩のことを考えていたのは、わかっていました。そして、今まではそれもしょうがないって思ってました。でも、今だけは私だけを見てください。心の底から私だけを見てください。お願いします」
 真っ直ぐな瞳で圭太を見つめる。
 わずかに揺れるその瞳に、圭太も映っている。
 圭太はそっと紗絵の頬に触れた。
「それは、いくら紗絵のお願いでもできないよ」
「…………」
「それをしてしまうと、僕は本当に柚紀のことを裏切ってしまうことになるから。それだけはしたくないんだ。もちろん、今僕の前にいるのは紗絵だから紗絵のことを考える。でも、柚紀のことをまったく考えないというのは、できないよ」
「……圭太さんらしいですね」
 紗絵は、泣き笑いの表情を浮かべた。
「すみませんでした。今のは忘れてください」
「忘れはしないよ。できるだけ紗絵の気持ちに応えるように努力する」
 そう言ってキスをした。
「……ありがとうございます」
 目を細めると、涙が流れた。
「あ、あれ、涙が……」
「紗絵……」
「す、すみません……」
 圭太は紗絵の髪を優しく撫でる。
 なにも言わず、ただ優しく撫でる。
 少しして、ようやく紗絵も落ち着いた。
「ダメですね、私。圭太さんに迷惑かけてばかりです」
「そんなことないよ。それだけ紗絵の僕に対する想いが強いってことだから」
「ちょっと、空回り気味ですけど」
「それが空回りじゃないことを、証明してあげるよ」
 圭太はキスをすると、紗絵の胸に手を伸ばした。
 セーターをたくし上げ、ブラジャー越しに触れる。
「ん……」
 包み込むように揉む。
「ん、あ……」
 紗絵は、もどかしげな声を上げる。
 圭太もそれを感じ取り、ブラジャーもたくし上げる。
 直接胸に触れると、紗絵の反応も敏感になる。
 先端の突起を指で転がす。
「や、あん……」
 触れる度に紗絵の体がぴくんと反応する。
「んん、あん、圭太さん……」
 甘い吐息が圭太の耳にかかる。
 圭太はスカートを脱がせ、ショーツ越しに秘所に触れる。
「ふあぁ……」
 ふくらみを優しく撫でる。
 何度も触れていると、次第にじっとりと濡れてくる。
「脱がすよ?」
「はい……」
 紗絵は小さく頷き、わずかに腰を上げた。
 ショーツを脱がすと、秘所は蜜でてらてらと光っていた。
「もうこんなになってるよ」
「圭太さんが、感じさせてくれるからです」
「じゃあ、もっともっと感じて」
 圭太は、秘所に指を挿れる。
「んっ」
 わずかな抵抗で指は中に入った。
 関節を曲げ、感じる部分を刺激する。
「やっ、んんっ、圭太さんっ」
 無意識のうちに閉じようとする足を、手で押さえる。
 湿った淫靡な音が部屋に響く。
「んあっ、だ、ダメです、そんなにされるとっ」
 一瞬、身を固くする。
 と、圭太が指を抜いた。
「ん、はあ、圭太さん……?」
「一緒に、気持ちよくなろう」
「はい……」
 ズボンとトランクスを脱ぐ。
「いくよ?」
「はい……」
 屹立したモノをゆっくりと紗絵の中に挿れる。
「ん、ああぁ……」
 圭太のモノが、紗絵の最奥に届く。
「はあ、圭太さん……」
 そのままの状態でキスを交わす。
「動いてください」
 ゆっくりと腰を引き、また押し戻す。
「んっ、あっ、あんっ」
 次第に動きを速めていく。
 紗絵も自ら腰を動かし、少しでも多くの快感を得ようとする。
「んんっ、圭太さんっ、あっ、あっ、あっ」
 湿った音と乾いた音が、部屋に響く。
 荒い息の下、紗絵は圭太にしっかりと抱きついている。
「圭太さんっ、圭太さんっ」
「紗絵っ」
 ふたりとも徐々に上り詰めていく。
「ああっ、圭太さんっ、んんっ」
 そして──
「んんっ、あああああっ!」
「くっ!」
 紗絵が達するのと同時に、圭太は紗絵の中にすべてを放った。
「はあ、はあ、圭太さん……」
「はぁ、はぁ、紗絵……」
「ずっと、ずっと、一緒に……」
 圭太は、優しくキスをした。
 
「大丈夫かい?」
「はい、大丈夫です」
 紗絵は、圭太に寄り添い、微笑んだ。
「今日は圭太さんにたくさん抱いてもらって、本当に嬉しかったです」
「そうかい?」
「はい。でも、圭太さん」
「ん?」
「先週、詩織とも同じこと、しましたよね?」
 紗絵は、悪戯っぽい笑みを浮かべ、訊ねた。
「まあ、それはそうだけど」
「そして、また、いつかはわかりませんけど、朱美にも同じことをするはずです」
「…………」
「と、いつもならいろいろ言いたいこともあるんですけど、今回はなにも言いません」
「それは?」
「今回のことは、あくまでも圭太さんの誕生日プレゼントのひとつですから。私たち三人で決めたんです。もちろん、こうやってそれぞれの欲求を満たすためにも、でしたけど」
 そう言って笑う。
 圭太は苦笑した。
「まったく、紗絵たちにはしてやられたよ。これからは、三人からなにかもらう時は、用心しなくちゃいけないかな」
「用心して、わかりますか?」
「さあ、それはわからないけど。でも、僕としてはあまりこういうことはしてほしくないからね」
「それは、どうしてですか?」
「なんか、強要されてるって気がするから。恋愛って、強要されてすることじゃないからね」
「…………」
「今回のことは、三人が僕のことを想ってしてくれたことだからなにも言わないけど。できればもうやらないでほしい。いいかな?」
「はい、わかりました」
「うん、わかってくれればいいよ」
 優しい笑みを浮かべ、圭太は紗絵を抱きしめた。
「そうそう。僕がいかに紗絵のことを強く想ってるかって、わかってくれたかな?」
「ええ、わかりました」
「それにね、僕は紗絵のことを本当に信頼してるんだよ。部活でも副部長としてしっかりやってくれてるし、一年をよくまとめてくれてるから。紗絵には、これからもそんな役目をしっかり果たしてほしい」
「任せてください。圭太さんの期待に添えるよう、がんばりますから」
「うん」
 圭太は、そっとキスをした。
「さてと、そろそろ帰らないといけないかな」
 時計を見ると、そろそろ夕方という時間である。
 わかってはいても、紗絵は一瞬淋しそうな顔を見せた。
「圭太さん」
「うん?」
「ありがとうございました」
 そう言って紗絵は、笑顔でお辞儀をした。
 
 四
「ん〜……」
 休み時間、柚紀はなにかを見て唸っていた。
「どうしたの、柚紀?」
「ん、ちょっとこれ見てたの」
 そう言って見ていたものを見せた。それはその地域のタウン情報誌で、クリスマス特集号と銘打ってあった。
「ねえ、圭太。二十四日の日って、部活は午前? 午後?」
「まだちゃんとは決めてないけど、たぶん午後になると思うよ。前日は夜まであるからね」
「そっか、やっぱりそうだよね」
 柚紀はちょっと残念そうに息をついた。
「午前中なら午後から夜まで目一杯使えるんだけど。そういうことにできない?」
「できないことはないよ。ただ、そうすると先生にもそれなりの理由を説明しなくちゃいけないだけで」
「う〜ん、クリスマスのために時間を早める、という理由は通用しないもんね」
「そんなに早くから一緒にいたい?」
「うん」
 柚紀は、間髪入れずに答えた。
「じゃあ、先生にそういう風に言ってみるよ」
「いいの?」
「せっかくだしね」
 圭太は笑顔でそう言った。
「ん〜、圭太、ありがとっ」
 そこが教室じゃなかったら、飛びかからんばかりの喜びようである。
「ということは、これも可能かな」
「どれ?」
 柚紀が見ていたのは、少し離れた駅前のホテルでのクリスマスディナーの記事だった。
「いい時間帯はもう埋まってると思うんだ。でも、少し早い時間ならあるかもしれないと思って。でも、部活があるとそんな時間にここへ行くの無理だし。だから聞いたの」
「なるほどね」
 ホテルの最上階、窓際の席からの夜景が最高、という謳い文句でその記事は書かれていた。クリスマスディナーは、クリスマスらしいメニューで、カップル限定のメニューでもあった。
 値段はふたりで五千円とリーズナブルだった。
「いいんじゃないかな」
「ホント? 帰ったら、すぐに予約しちゃうよ?」
「うん。柚紀のいいようにして」
「了解。ふふっ、これで今年のクリスマスはますます楽しくなりそう」
 まだ二週間あるのだが、それでも柚紀はすでにクリスマスのことで頭がいっぱいだった。
 
 部活が終わり、家に帰ると、リビングでともみと鈴奈がくつろいでいた。
「おかえりなさい、圭くん」
「おかえり、圭太」
「ただいま、鈴奈さん、ともみ先輩」
「外、寒かったでしょ?」
「そうですね、だいぶ寒くなりましたね」
 マフラーと手袋を外し、圭太もソファに座った。
「鈴奈さんは、卒論の方は順調ですか?」
「う〜ん、締め切りギリギリって感じかな? 焦ってもしょうがないんだけどね」
「せっかく教員採用試験に合格したんですから、卒業しないと意味ないですからね」
 ともみは冗談めかしてそう言う。
 鈴奈は、狭き門を突破し、見事来年度より高校で教師をやることになった。どこの高校に赴任するかは決まっていないが、それでも卒業後のことに心配はなかった。
「これでもし一高に赴任、なんてことになったら、奇跡ですよね」
「さすがにそれはないと思うけど。それにもしそうなったとしても、圭くんを教えることはないよ」
「受験生ですからね」
「でも、朱美ちゃんやたぶん入るであろう琴絵ちゃんになら、その可能性はあるかもしれないけど」
「それはそれで面白そうですね」
「いずれにしても、鈴奈さんがここを離れなければいいんですけどね」
「うん。私もそれが一番気になってるの。せっかくこっちに残っても、全然遠くに行くことになったら、意味がないから」
 高校の教師は、都道府県単位で採用される。そのため、遠くへ赴任する可能性もある。だが、基本的には住んでいる場所を考慮するため、やたらと遠い場所に飛ばされることはない。
「そういえば、鈴奈さんのバイトはいつ頃までになるんですか?」
「今のところの予定だと、三月半ばくらいまでかな。早ければ二月いっぱいとか」
「そうすると、それまでにいろいろ決めないといけないわけですね」
「ああ、圭太」
「はい?」
「バイトなら、心当たりがあるわよ」
「誰ですか?」
「圭太もよ〜く知ってる人」
 そう言ってともみは意味深な笑みを浮かべた。
「……もしかして、祥子先輩ですか?」
「ぴんぽ〜ん、大正解」
「祥子ちゃんなら、私もいいと思うの。それに、その方が安心できるし」
「安心、ですか?」
 圭太は首を傾げた。
「ほら、もし新しく入ってくる人が女性だと、また圭くんといい関係になっちゃうかもしれないでしょ? その点祥子ちゃんなら、すでにそういう関係だし、問題ないかなって」
「……はあ、なるほど」
「ま、それも祥子が無事大学に合格してから決めることなんだけどね。そうしないと、こんな話できないし」
「ただ、圭くんにはそういう可能性もあるって知っておいてほしかったから」
「私の時、いろいろあったしね」
 ともみは苦笑した。
「わかりました。一応そういうこともあると、頭の片隅にでも置いておきます。ただ、実際決めるのは僕ではなく、母さんですから。口を出すつもりはありません」
「圭太が口を出さなくとも、あの子なら絶対に受けるわよ」
「なんたって、圭くん『命』だからね」
 そう言って、鈴奈とともみは笑った。
 
 十二月十二日。
 その日は朝から曇りがちで、昼過ぎには雨になるという予報が出ていた。
 前日、二高で合同練習を行った一高の面々は、午前中に注意された部分を中心に練習を行った。
 残り十日あまりで本番を迎えるのだが、練習は思っていたほど進んでいなかった。やはり曲自体が難しいことが影響していた。
 それでもある程度の形にはなってきており、残りの期間での奮起に期待、という感じだった。
 部活を終えると、圭太たちは真っ直ぐ家に帰った。
 朱美は月一の実家へ帰る日で、着替えて早々、出かけた。
 圭太は琴絵と一緒に昼食を食べ、しばしのんびりしていた。
「う〜ん……」
「どうした?」
「なんか、同じことばっかりやってると、行き詰まっちゃって」
 琴絵は紅茶を飲みながらそう言った。
「たまには息抜きでもしてみたらどうだ?」
「息抜き、かぁ。お兄ちゃんは、どんな風に息抜きするの?」
「僕の場合は、なにもしないで音楽を聴いたり、店の手伝いをしたり、散歩に出たり。それこそいろいろだよ。それに、そういうのは自分にぴったりのを見つけないと意味がないから」
「そっか」
 おとがいに指を当て、琴絵は小さく首を傾げた。
「私の場合は、こうやってお兄ちゃんと一緒にいるのが息抜きかなぁ?」
「それならそれでもいいけど」
「じゃあ、そうしよっと」
 嬉しそうに微笑み、圭太の隣に座った。
 すりすりと圭太にすり寄り、にこにこと微笑む。
「ん〜、お兄ちゃん♪」
 その様は、やはりネコのようである。
 圭太もそんな琴絵の頭を優しく撫でる。
 しばらくそうしていると、琴絵のまぶたが落ちてくる。
「お兄ちゃん」
「ん?」
「私、眠くなってきちゃった……」
 そう言って、圭太の方へ倒れ込んできた。
「このまま、寝ちゃってもいいかな……?」
「いいよ。あとで部屋に連れて行くから」
「うん、ありがと、お兄ちゃん……」
 さらに少しして、琴絵は穏やかな寝息を立て、眠ってしまった。
「疲れてたんだな」
 優しく髪を撫で、圭太は呟いた。
 それから少しして、圭太は琴絵を抱きかかえ、部屋に連れて行った。
 ベッドに寝かしつけると、圭太はそっと部屋を出た。
「さてと」
 時間を確認して、家を出る準備をはじめた。
 
 家を出た圭太は、駅前にやってきた。
 ちょうど駅前に着いた頃、雨が降り出した。
 圭太は改札前で人を待った。
 クリスマス前の日曜日。街の中は次第にクリスマスムードが高まっていた。
 店頭ディスプレイはすでにクリスマス一色。BGMもクリスマス系の音楽が多い。
 とはいえ、それでもまだまだ先の話である。
 街を行き交う人々は、そろそろクリスマスだな、程度にしか思っていないだろう。
 何本かの電車がホームに出入りし、降車客が改札を出てくる。
 三十分くらい経っただろうか。
 何人かの降車客に紛れて、圭太の顔見知りが出てきた。
「祥子」
 圭太から声をかけた。
「ごめんね、圭くん。ちょっと遅れちゃった」
 祥子は手を合わせ、謝った。
「いえ、模試だったんですから、いいですよ」
「ありがと、圭くん」
「じゃあ、行きましょうか」
「うんっ」
 自然な形で腕を組み、冷たい雨の降る街へと繰り出した。
「調子はどうでしたか?」
「ん〜、まあまあかな? まだ本番は先だからね。その肩慣らし、って感じだよ」
「肩慣らし、ですか。本当はもう少しいろいろあるんじゃないんですか?」
「どうなんだろ。大学受験ははじめてだから、私にもちょっとわからないかな。ただ、自分でも悪い感じはしてないから、このままの調子で行ければいいとは思ってるよ」
 確かに十二月の段階でそう思えているなら、本番である二月もそう心配ないのかもしれない。
 ただ、そういう調子は、精神的なことなどで簡単に浮沈する。
「ほら、圭くん。今日はそういう話はやめにしようよ。せっかくこうしてデートしてるんだから」
「そうですね。今日はそういうことを忘れて、楽しみましょう」
 ふたりは、クリスマス色の街中をゆっくりと見てまわった。
「ねえねえ、圭くん。これ、どうかな?」
 ベージュのストールをあわせ、祥子は圭太に意見を求めた。
「よく似合ってますよ」
「そう? う〜ん、ひとつ買っちゃおうかなぁ」
 そう言いながらも、結局は買わなかった。
「祥子。これなんかどうですか?」
「わ、カワイイね」
 圭太が見つけたのは、ワンポイントのポンポンがついたセーターだった。
「たまには、こういうのもいいんじゃないですか?」
「う〜ん、可愛すぎないかな?」
「大丈夫ですよ。祥子ならなにを着ても似合いますから」
 普段、あまりカワイイ系の服を着ない祥子である。とはいえ、祥子ほどの容姿ならどんな服を着ても間違いなく似合う。
「圭くんの前だけでなら、着てもいいかな?」
「じゃあ、買いますか?」
「どうしよっかな?」
 結局それも買わなかった。
「ん〜、久しぶりに楽しめたなぁ」
 店を出ると、祥子は大きく伸びをした。
「たまの息抜きは必要ですよ」
「わかってはいるんだけどね。なかなかそれもままならなくて」
「うちの琴絵も同じような感じですね」
「琴絵ちゃんも?」
「はい。机にばかり向かっていたら、行き詰まってしまったそうです。それに、結構無理もしてるみたいで。祥子と会う前に少し琴絵と話してたんですけど、途中で眠ってしまったんです」
「そっか。知らず知らずのうちに疲れが溜まってたんだね」
「ええ。だから、祥子もそうなんじゃないかって思うんですよ」
「私? 私はどうかな? 夜もちゃんと寝てるし、食事もちゃんととってるし。大丈夫だとは思うんだけど」
「大丈夫ならいいんですよ。ただ、あまり無理はしないでください」
「うん、ありがと」
 ふたりは、バスで駅前を離れた。
 さすがに冷雨の中を歩くのはつらい。
 バスを降りると、今度は三ツ谷家に向かった。
「そういえば、クリスマス演奏会の方はどうなったの?」
「まあ、おおむね順調ではありますね。ただ、曲が難しいので、完成度が低いまま本番を迎える可能性が高いです」
「『ラプソディ・イン・ブルー』だったよね。確かに難しいかな。でも、一応最後までは通せるんだよね?」
「はい。それはなんとか。あとは、残り二回の合同練習でどこまでできるかです」
「なるほどね。圭くんとしてはどう思ってるの?」
「……僕としては、できるだけ完成度を高めたいんですけど、今回はそこまでは求められません。ある程度で通せれば、御の字ですね。それに、菜穂子先生にも言われました」
「先生に?」
「コンクールみたいにはできないんだから、って」
「確かにそうだよね。練習期間は短いし、コンクールみたいに結果がほかに影響するわけでもないし。難しいね」
 祥子はなるほどと頷いた。
「でも、私は圭くんの考え方は好きかな。なんでも全力でって。やっぱり、後悔したくないからね」
「ありがとうございます」
 圭太は、軽く頭を下げた。
 しばらく歩くと、三ツ谷家に到着した。
「ちょっとだけ待っててね」
 門を入ったところで、先に祥子が中に入った。
 どうやら家に誰がいるか確認したいらしい。
 少しして戻ってきた。
「いいよ、圭くん」
「おじゃまします」
 家の中は、ひっそりと静まりかえっていた。
「誰もいないんですか?」
「ううん、お母さまとお姉さまがいるよ」
「なにも言わなくて、いいんですか?」
「言っちゃダメ。特にお姉さまはすぐに口も手も出してくるから。せっかく圭くんとふたりきりになれるのに、それをむざむざ潰すなんてできないよ」
 祥子は、嘆息混じりにそう言った。
 結局、部屋に着くまで誰にも会わなかった。
 祥子の部屋は、さすがは受験生という感じになっていた。
 乱雑ではないが、それでも参考書や問題集があちこちに置かれている。
「ね、圭くん」
「なんですか?」
「抱いて、ほしいの」
 すぐに祥子は圭太に抱きついた。
 圭太は、そんな祥子をしっかりと抱きしめた。
「ああ、こうして圭くんに抱きしめてもらうのも、すごく久しぶり……」
 なにも答えず、圭太は優しく髪を撫でた。
「今日は、いっぱい、いっぱい抱いてほしいの」
 
「ん、あん、圭くん……」
 一糸まとわぬ姿で、祥子は嬌声を上げた。
 圭太は、すでにトロトロになっている秘所を、指で触れた。
「ああっ、圭くん、気持ちいいの……」
 祥子は声を抑えようともせず、為すがままである。
 丹念に指を出し入れし、最も敏感な部分にも触れる。
「やっ、ダメっ、圭くん……そんなにされるとっ」
 強い快感に祥子は及び腰になる。
「お願い、圭くん……圭くんのが、ほしいの……」
 潤んだ瞳でねだる。
「わかりました」
 圭太は素直に頷いた。
 限界まで怒張したモノを、祥子の秘所にあてがう。
「いきますよ?」
「うん、きて、圭くん」
 そのままゆっくりと腰を落としていく。
「ん、ああ……」
 圭太のモノを受け入れ、祥子はなんとも言えない声を漏らした。
「圭くん」
「なんですか?」
「いっぱい、愛してね……?」
 返事の代わりに、圭太は優しくキスをした。
 ゆっくりと腰を引き、また戻す。
「ああ、んん、気持ちいい……」
 最初はゆっくりと、お互いの想いを確認するように。
「あんっ、んんっ」
 少しずつ動きを速めていく。
 祥子の胸が、その動きにあわせて揺れる。
 ベッドも動きにあわせ、キシキシと鳴る。
「やんっ、んあっ、んくっ、あっ、あっ」
 祥子も自分で腰を動かす。
「圭くん、圭くん、圭くん」
 何度も圭太の名前を呼び、圭太を求める。
「ああっ、ダメっ、圭くんっ、気持ちよすぎっ!」
 うっすらと汗をかいた体が、ピンと張りつめる。
「圭くんっ、私っ、もうっ」
 圭太は、ラストスパートという感じで腰を打ち付ける。
「ダメっ、んんっ、あああああっ!」
 祥子は、圭太に抱きつき、達した。
 その直後。
「くっ!」
 圭太も白濁液を祥子の腹部にまき散らした。
「はあ、はあ、圭くん、気持ちよかったよ……」
「はぁ、はぁ、そうですか……」
 圭太は薄く微笑み、祥子の髪を撫でた。
 
「もうダメ、幸せすぎて死んじゃいそう」
 そう言って祥子は圭太に寄り添った。
「それはさすがに大げさですよ」
 自然に肩を抱き、圭太は苦笑した。
 ふたりは、四回ほど抱き合ってからようやくひと息ついていた。
 底なしでは、と思えるほど求めてくる祥子に、圭太もさすがに冷たい汗をかいていたが。
「これでもうしばらくは、がんばれそうだよ」
「受験までは保ちませんか?」
「う〜ん、センターくらいまでかな? センターが終わったら、また充電しないとね」
 ニコッと笑う。
 その笑顔は無敵だった。
「部活に出ないで勉強ばかりやって、圭くんとも会えなくて。最近ね、よく考えるの。なんのためにこんなことしてるんだろうって。確かに将来、翻訳家になるために大学へ行って英語を勉強したいけど、でも、いろんなことを犠牲にしてまですることなのかなって、漠然とそう思ったの」
 すぐに結果の出ないことをやっていると、そういう思考に陥る可能性がある。それはもちろん不安感や焦燥感から来る。それに対しての確かな対処法はないと言える。結局は、それを乗り越えるしかないのである。
「一高を受験した時は、そんなこと思わなかったんだけど、今年はちょっと違うかな。これってやっぱり、大学ってその先をも決めかねないからだよね」
「おそらくは。その先のことが決まるかもしれないという時に、適当には決められませんからね」
「圭くんは、大学に行かないで、そのまま『桜亭』を継ぐんだよね?」
「とりあえずはそうなりますね。ただ、ずっとあの『桜亭』でというかはわかりません」
「どうして? ここから出て行っちゃうの?」
 意外な言葉に、祥子は探るような眼差しで訊ねる。
「いえ、僕はここが好きですから出て行くという選択肢はありません。僕が言いたかったのは、僕が『桜亭』をそのまま続けるかどうか、ということです。僕の夢をかなえるために必要なら、『桜亭』にこだわる必要はないと思うので」
「そっか、そういうことか。はあ、よかった。圭くんがどこか行っちゃったら、私、どうしたらいいかわからなくなっちゃうから」
 ホッと一安心、という感じで息をついた。
「ただ、あの店は父さんの形見ですから、できるだけあのままにしておきたい、という気持ちが強いのは確かです」
「そうだよね。圭くんの『桜亭』に対する想いは、人一倍強いからね」
 圭太のことを知っている者なら、圭太がいかに『桜亭』のことを考えているか、当然知っている。
「まあ、どういう形になるかは、まだまだわかりませんけど。とりあえず、僕も一高を卒業しなくちゃいけませんから」
「卒業だけなら、圭くんなら余裕だよ。全然問題ないんだから」
 確かに、圭太ほどの優等生が卒業できなければ、誰も卒業できない。
「そうだ、圭くん」
「なんですか?」
「今日、夕飯食べていってよ」
「えっ、でも、なにも言わないんじゃなかったんですか?」
「それは、抱いてもらう前の話。もう抱いてもらったんだから、全然問題なし」
 そう言って祥子は微笑んだ。
「ね、どうかな?」
「僕としては構わないんですけど──」
「じゃあ──」
「いえ、うちの方に連絡してみないとなんとも言えないので」
「そっか。じゃあ、はい」
 部屋に置いてある電話の子機を圭太に渡す。
 圭太は苦笑しつつ、ダイヤルした。
 呼び出し音五回ほどで相手が出た。
『はい、高城です』
「ああ、琴絵。僕だけど」
『あれ、お兄ちゃん。どうしたの?』
「ちょっと確認したいことがあって」
『ふ〜ん、そうなんだ。って、今、どこからかけてるの?』
「祥子先輩の家からだよ」
『祥子先輩? どうして、って、まあ、ひとつしかないよね』
 琴絵は電話口で苦笑した。
『それで、なにを確認したいの?』
「夕飯の準備はもう終わったかな、と思って」
『ううん、まだだよ。今日は朱美ちゃんがいらないから、お母さんもゆっくりでいいんじゃないかって』
「そっか、じゃあ、悪いんだけど、僕の分は用意しなくていいよ」
『えっ、先輩のとこで食べてくるの?』
「まあ、そういう誘いを受けたからね」
 一瞬の沈黙。
『うん、そういうことならいいよ。お母さんにもそう言っておくから』
「そうしてくれると助かるよ」
『でも、お兄ちゃん』
「うん?」
『いくら先輩が大事だからって、あまりひいきしちゃダメだよ。そういう話は、すぐにみんなに伝わるんだから』
「わかってるよ」
『それならいいけどね』
「それじゃあ、琴絵。そういうことでよろしく頼むよ」
『うん。あんまり遅くならないようにね』
 そこで電話は切れた。
「どうだった?」
「ええ、大丈夫でした」
「ホント? よかったぁ。あっ、じゃあ、すぐに圭くんの分も頼まなくちゃ」
 祥子は言うや否や、部屋を出て行こうとする。
「あっ、祥子」
「どうしたの?」
「服を」
「あっ、そっか」
 祥子は慌てて服を着た。よほど嬉しかったらしい。
「それじゃあ、ちょっと行ってくるね」
「はい」
 祥子が部屋を出て行くと、圭太は深いため息をついた。
 それからしらばくして、圭太は三ツ谷家の夕食にお呼ばれした。
「どうぞ、圭太さん」
「あっ、すみません」
 祥子の母親、朝子は嬉々とした表情で圭太に茶碗を渡した。
「それにしても、祥子。あなたも結構大胆ね」
 姉の陽子は、ニヤニヤと意味ありげな笑みを浮かべ、そう言う。
「……お姉さま。あまり余計なことは言わないでください」
「あら、言われちゃまずいことや、訊かれちゃまずいことでもあるの?」
「…………」
「陽子さんも祥子さんも、圭太さんの前なのですから」
 朝子は軽く娘ふたりをたしなめる。
「ところで圭太さん」
「はい、なんですか?」
「祥子さんは、圭太さんに尽くしていますか?」
「お、お母さまっ!」
 つかんだ煮物を落とし、祥子は抗議の声を上げた。
「祥子さん。食事中に大きな声など出して、はしたないですよ」
「す、すみません……」
「それで、どうですか?」
 ニコニコと笑っているが、雰囲気はとても真剣だった。
「尽くすとかそういうことではないと、僕は思っています」
「それは、どういう意味ですか?」
「僕も先輩も、お互いを本当に必要だから一緒にいるんです。多少の損得勘定はありますけど、それ以外はなにもありません」
 圭太は、真剣な表情で答えた。
「そうですか。よくわかりました」
 朝子は、大きく頷いた。
「祥子さんの人を見る目は、確かなようですね」
「お母さま?」
「祥子さんが圭太さんとのことでいろいろと思い悩んでいたことは、当然知っています。そして、祥子さんは気づいていないでしょうけど、今のおふたりの状況もおおよそは把握しています」
「…………」
「それがいいことなのか悪いことなのか、正直どちらとも言えません。ですから、こうして直接確認してみたのです」
「お母さま……」
「祥子さんが大学へ入って、卒業して、そのあとのことはもう口は出しませんから。思う通りにしていいですよ。お父さまのことは、心配はいりません。陽子さんが早くいい人を連れてきてくれればいいだけのことですからね」
「あらら、やっぱりそういう話になるのか」
 陽子は苦笑した。
「圭太さん。祥子さんのこと、よろしくお願いします」
「はい」
 
「ねえ、圭くん」
「なんですか?」
「これでよかったのかな?」
 祥子は空を見上げ、そう言った。
「いいんだと思いますよ。それに、今の段階だとなにが正しくてなにが間違ってるかなんて、わからないじゃないですか。だから、僕は今のことが正しいと思うようにします」
「そっか、そういう考え方もあるんだね。そっか……」
 圭太の言葉に、祥子も頷いた。
「よし、お母さまの公認ももらったし、これからはもっともっと圭くんに甘えようっと」
「えっと、そういう公認なんですか?」
「うん。とはいえ、先に大学に合格しなくちゃいけないけどね」
「そう、ですね」
 圭太も空を見上げた。
 雨はもう上がっている。綺麗には晴れていないが、星も見える。
「圭くん。愛してるよ」
 そう言ってふたりはキスを交わした。
 
 五
 十二月も半ばを過ぎ、クリスマスや年末年始に向けた忙しさが加速してきた。
 学校はもうすぐ冬休みに入るが、それでもやるべきことはそれなりにあった。
 一高吹奏楽部では、クリスマス演奏会に向けての練習が大詰めを迎えていた。
 本番まで一週間を切り、そういう雰囲気にもなっていた。
 それと平行して行われているアンコンの練習も着実に進んでいた。
 土曜日の午前中にも練習が行われた。
 次の日には三回目の合同練習があるため、仕上げという意味合いもあった。
 そんな中、女子部員の多い吹奏楽部では、やはりクリスマスのことが話題の中心だった。特に、彼氏のいる部員はイヴをどう過ごすかで頭の中はピンク色だった。
 圭太たちはあまりそういう雰囲気に呑まれていなかった。そこはやはりしっかり予定が決まっている面々である。
 部活が終わると、圭太たちは真っ直ぐ家に帰った。
「ホント、猫も杓子もクリスマスよね」
 柚紀はそう言って笑った。
「それは、柚紀も同じだと思うけど?」
「それはね。でもさ、私たちはちょっと違うでしょ?」
「そうかな? 僕は同じだと思うよ。ただ、人より早めに予定が決まったってだけだし」
「それはそうなんだけど。ん〜、なんていうのかな。心情がちょっと違うのよ。言葉にするのはなかなか難しいけど」
 柚紀は、自分の考えを上手く言葉にできず、もどかしそうである。
「ま、なんにしても、私は最高のイヴを過ごせればいいよ。ね、圭太?」
 それに対して圭太は、なにも言わずただ穏やかに微笑むだけだった。
 
 その日の昼食は朱美が作った。というより、圭太のために作ったものがそのままみんな分にもなったのだ。
 昼食が終わると、朱美は圭太の部屋にやって来た。
「ねえ、圭兄。ちょっと、ベッドに横になって。うつぶせにね」
「なにをするんだい?」
「いいから。ほら」
 無理矢理圭太をベッドに寝かせる。
「ここで……んしょっと」
 朱美は、圭太の上にまたがった。
「マッサージしてあげる」
 そう言って朱美は背中を指で押した。
「圭兄、忙しそうだからね。うわ、肩も腰もずいぶん張ってるね」
「そうかな? そんなでもないと思うけど」
「ううん。結構凝ってるよ。だから、私がほぐしてあげる」
 ぐいぐいと肩や背中、腰を押す。
 とはいえ、所詮は女の子の力である。それほど強くはなく、ちょうどいいくらいだった。
「気持ちいい?」
「ああ、いい感じだよ」
 圭太は特に注文を出さず、朱美のやりたいようにやらせている。
 しばらくそうしていると、マッサージしてもらった部分が暖かくなってくる。
「ねえ、圭兄」
「ん……?」
「圭兄にとって私って、やっぱり従妹とか妹なのかな?」
 そっと背中にもたれかかり、呟いた。
「どうかな。正直なところ、僕にもよくわからないよ。以前までなら確かに妹って感じだっただろうけど、今は、違うかな」
「どう違うの?」
「少なくとも、ひとりの女の子としては見てる」
「ホントに?」
「ああ。じゃなかったら、朱美を抱くことなんてできない」
「そっか、そうだよね」
 朱美は小さく頷いた。
「圭兄は覚えてるかな」
「ん、なにを?」
「私たちがはじめて会った時のこと。ああ、もちろん、記憶に残ってるって意味でだよ」
「正確なことは覚えてないけど、幼稚園か小学校の頃の記憶が一番古いかな。朱美がすごい人見知りで大変だったのは覚えてる」
 圭太はそう言って笑う。
「うん、私も覚えてる。でも、圭兄が信用できる人で、私に優しくしてくれる人だってわかってからは、ずっと一緒にいたいって思ってた。弟や妹もほしかったけど、優しいお兄ちゃんやお姉ちゃんもほしかったから。だからね、最初は私の方が圭兄のことを『お兄ちゃん』だと思ってたんだ。呼び方も、圭兄だしね」
「僕にとっても、朱美はもうひとりの妹だったからね。やんちゃな朱美。おとなしい琴絵。本当に楽しかったよ」
「だけどね、そんな私が圭兄のことを従兄としてだけ見なくなったのは、結構早くからなんだよ。たったひとつしか違わないのに、クラスの男の子とは全然違うし。圭兄と一緒にいると、私は私でいられる、私は私でいていいんだ、そう思えたから。だから、好きになっちゃったんだ」
 体を起こし、圭太の上から下りる。
「好きになった理由や、さらに好きになった理由はいろいろありすぎて言えないけど、でも、私の圭兄に対する想いだけは、今もどんどん大きくなってる。これだけは、柚紀先輩にだって負けてないって言える」
「朱美……」
「私にはね、圭兄しかいないんだ。もうほかの人と恋愛することなんて、できない。お父さんやお母さんはいい顔しないと思うけど、私は今のままで十分だと思ってる。前に、柚紀先輩に大きなこと言っちゃったけど、あれは半分冗談だから。やっぱり、圭兄には柚紀先輩みたいな人が必要だから。だから、今のままでいいの」
 圭太も体を起こし、朱美に正対する。
「一生、圭兄の側にいたいの。ただ、それだけ」
 そう言った朱美の表情は、とても真剣だった。
「でもね、今はまだいいの。だって、圭兄はあと一年は一高にいるわけだし。私もあと二年は一高に通うから。とすると、ここにもあと二年はいるわけだから。今、将来のことまで言っちゃうと、さすがに欲張りすぎって感じもするし」
「欲張ってもいいと思うよ」
「ホントに?」
「ああ。少なくとも、そういうことはちゃんと言わないと伝わらないからね」
 圭太は、穏やかな笑みを浮かべた。
「そっか、そうだよね……じゃあ、圭兄。私と、ずっと一緒にいてください」
「確約はできないけど、できればそうしてあげたいよ」
「うん、今はそれで十分。なにか起きたらその時に考えるから」
「ははっ、朱美らしい」
「そうだよ。自分は自分らしく。それが一番だから。というわけで、圭兄」
 朱美は、圭太のベッドに横になる。
「圭兄を抱き枕にしてもいい?」
 
 夕食も朱美が作った。
「なんか、今日の朱美ちゃん、すっごく気合いが入ってるね」
 琴絵がそう言うくらい気合いが入っていた。
「そういえば、朱美はクリスマスはどうするの?」
「とりあえず、紗絵と詩織となにかしようって言ってますけど。具体的になにをするかは決まってません」
「琴絵は、今年は家で勉強よね?」
「今年はね。ホントは今年もみんなでわいわいやりたかったんだけど、さすがに受験生だし」
「で、圭太は柚紀さんと一緒なのよね?」
「だいぶ前から約束させられてたし。それを反故にしたら、僕の明日はないよ」
 圭太は冗談めかしてそう言う。
「それで、今年もクリスマス当日にはみんなでパーティーするのよね?」
「みんながそれを望んでるからね」
「それがないと、私、クリスマスできないもん」
「それは大げさでしょ?」
「大げさじゃないもん」
 琴絵は頬を膨らませ抗議する。
「クリスマスが終わると年越しだけど、今年はいつまで店、開けるの?」
「今のところ二十九日か三十日までって考えてるけど。詳細は、鈴奈ちゃん次第ね」
「そっか」
「朱美も、大晦日から帰るのよね?」
「お母さんが絶対に帰ってこいって言うから、帰ります」
「じゃあ、大晦日と元旦は今年も三人だね」
「そうなるわね」
「あ〜あ、私も圭兄と一緒に年越ししたかったなぁ」
 にぎやかな夕食が終わると、またも朱美は圭太の部屋にやって来た。
「圭兄はさ、今年はどんな一年だった?」
「そうだなぁ、今年もいろいろ大変な年だったかな」
「大変て、具体的になにが?」
「ん、甘えん坊の妹とか、やんちゃな従妹とか」
「むぅ、そんなに大変だった?」
「というのは冗談だけど。まあ、勉強や部活、そのほかいろいろなこと、みんな結構がんばれたから、大変は大変だったけど、いい年だったと思うよ」
「そうだよね。私もそんな感じかな? でも、私にとってこの一年は、今までで一番大きく動いた一年だったよ」
 朱美は、そう言って微笑んだ。
「なんたって、こうして圭兄と一緒に暮らせてるんだから。もちろん、居候という形ではあるけどね。どういう形ででも、大好きな圭兄と一緒にいられるんだから、いいの」
「なるほどね」
「それでもね、今年はいろんなことがあったから。一番大きかったのは、やっぱり柚紀先輩のことかな」
「柚紀のこと?」
「うん。柚紀先輩には、私はどうやってもかなわないって思い知ったから」
 ちょっとだけ淋しそうに言う。
「でもいいの。柚紀先輩になら負けてもいいって、そう思えたから。それに、将来的には『家族』になるわけだし」
「柚紀は結構厳しいよ?」
「そうなの? う〜ん、そうなのか」
「まあ、それも特に僕にだけどね」
「それって、やっぱり圭兄が一番信頼できるからだよね」
「たぶん」
「まあでも、柚紀先輩なら『お姉ちゃん』にもぴったりかも」
「朱美もそうやって呼ぶのか?」
「それはわからないけど。たぶん、柚紀さん、かな」
「その方がいいよ。一応、琴絵のこともあるし」
「そういえば、琴絵ちゃんは柚紀先輩のこと、未だに『柚紀さん』だね」
「前に『お義姉ちゃん』て呼ぼうかなって言ってたけど、まだ呼んでないね」
「柚紀先輩と琴絵ちゃんが『姉妹』になったら、圭兄はますます大変だね」
「それは、もうイヤになるほどわかってるよ」
「あはは、そうだね」
 しばらくとりとめのない話に花を咲かせる。
 圭太は主に聞き役だが、朱美は気にした様子もない。
「ねえ、圭兄」
 だいぶ時間もいい頃になり、朱美が会話を切った。
「一緒にお風呂、入ろうよ」
 
「圭兄とお風呂♪ 圭兄とお風呂♪」
 朱美はそんな歌を歌いながら服を脱いでいた。
 圭太はすでに入っている。さすがに脱衣所にふたりはきつい。
「……はあ、本当に僕は……」
 思わずため息が漏れる圭太。
 こういう状況になると途端に押しに弱くなる。相手の心情を察してるとも言えなくもないが、それでも甘いと言えるだろう。
「お待たせ、圭兄」
 そこへ朱美が入ってきた。
 当然のことだが、一糸まとわぬ姿である。
 掛け湯をして朱美も浴槽に入る。
「ん〜、やっぱりふたりだと狭いね」
 朱美は圭太に背を向けるように入る。
「でも、こうやって圭兄に寄っかかれば」
 そして圭太に寄りかかる。
「やっぱり、一緒にお風呂に入るといいね。圭兄をこんなに近くに感じられるし」
 圭太はなにも言わず、朱美をしっかり抱き寄せた。
 朱美はその圭太の手を、自分の胸に当てる。
「トクン、トクンて、胸が高鳴ってる。圭兄と一緒にいるからだよ。圭兄は?」
「僕だって、ドキドキしてるよ。こんな格好で一緒にいるんだから」
「じゃあ、圭兄。もっともっとドキドキしようよ」
 そう言って朱美は、圭太のモノに触れた。
「こうやって……」
 後ろ向きのまま、ぎこちない手つきでモノをしごく。
「圭兄も、私の、いじって」
「ん、わかった」
 圭太も朱美の秘所に手を伸ばす。
 指で秘唇をなぞり、少しだけ中に挿れる。
「んっ」
 朱美は、それだけで敏感に反応する。
 左手で秘唇を開き、右手の指で中をいじる。
「や、んん、圭兄、気持ちいいよぉ」
 圭太が指を動かす度に、お湯がちゃぷちゃぷと揺れる。
 次第にお湯とは違うものが奥からあふれてくる。
「圭兄、このままだと、お湯が、汚れちゃうよ」
「そうだね。じゃあ」
 圭太が浴槽の縁に座り、その上に朱美がまたがる。
「このまま入れてもいい?」
「それは朱美がよければ」
「うん、じゃあ、そうするね」
 朱美は、ゆっくりと圭太のモノを飲み込んでいく。
「ん、ああ……」
 全部入ったところで、大きく息を吐いた。
「圭兄の、おっきいから、私の奥まで届いてるよ……」
 恍惚とした表情でそう言う。
「ねえ、圭兄。私の中、気持ちいい?」
「ああ、すごく気持ちいいよ。こうしてるだけでも、十分すぎるくらいだよ」
「よかった。でも、もっともっと気持ちよくなろう」
 そう言って朱美は、ゆっくりと動き出した。
「あっ、ん、ん……」
 少しだけ動きづらそうだが、それでも感じているようである。
「圭兄、キス、キスして」
 圭太は言われるままキスをする。
 動きながら、懸命に舌を絡める。
 淫靡な音が浴室に響く。
 それがふたりの理性を麻痺させていく。
「んんっ、あんっ、んあっ、んくっ」
 圭太も朱美が動くのを手伝う。
 大きく、速く動くとそれだけ快感も得られる。
「圭兄っ、好きっ、大好きっ」
 圭太にしっかりしがみつき、もはやテコでも動かない感じである。
「あっ、あっ、あっ、あっ、あっ、あっ」
「朱美っ」
「ダメっ、圭兄っ、イっちゃうよぉっ!」
 圭太もしっかり朱美の中にモノを突き上げる。
「やっ、圭兄っ、んんっ、あああああっ!」
 ひときわ高く啼き、朱美は達した。
 それにあわせて、圭太も素早くモノを引き抜き、白濁液を飛ばした。
「はあ、はあ、中でもよかったのに……」
 朱美は、ちょっとだけ残念そうにそう言った。
 
「う、ん……圭兄……」
 圭太は、傍らで眠る朱美の髪を優しく撫でた。
 今はまだ、その笑顔が曇っていないことに圭太は安堵していた。しかし、それもいつまで続くかわからない。
「一生分を背負うことなんて、できるのかな……」
 そう呟き、圭太も眠りに落ちた。
 
 十二月二十三日。クリスマス演奏会本番は、とてもいい天気だった。
 気温もここ数日に比べれば高く、過ごしやすかった。
 一高、二高、三高の順番は、去年と同じくプログラムの一番最後だった。どうやら連盟の方に『間者』がいるようである。
 そういうわけで、今年も集合時間はだいぶ遅かった。
 しかし、圭太は少々忙しかった。それは、学校で楽器をトラックに積み込む作業を指揮しなくてはいけなかったからだ。そのため、午後の早い時間に行われた三中の演奏を聴けなかったくらいである。
 それでも、演奏は琴美と琴絵、鈴奈、ともみ、幸江が聴いている。さらに言えば、連盟が録音しているテープを聴かせてもらうこともできるのである。
 楽器を積み込み、県民会館に向かう。
 クリスマス一色の街は、やはり華やかだった。
 あちこちからクリスマスソングが流れてきて、歩いているだけでそういう気分になってくる。
 県民会館前に着くと、すでに何人もの部員が来ていた。
「おはようございます」
 後輩が圭太を見つけ、挨拶してくる。
「先生とか見なかった?」
「えっと、先生は見てませんけど、綾先輩は見ました」
「そっか、ありがとう」
 少し探すと、確かに綾がいた。
「おはよ、圭太。楽器の方は大丈夫だった?」
「特に問題なかったよ。今頃、裏に到着してると思うよ」
「じゃあ、早いとこみんな集めて、運ばないとね」
 集合時間少し前に、全員揃った。
 楽器を運んでもらったパートと男子部員はトラックから楽器を運び込む。
 ほかの部員は二高や三高とともに控え室に向かった。
 大きな控え室もそれほど人はいなかった。
 楽器を出し、時間まで待つ。
 係りが呼びに来て、チューニング室に移る。
 チューニングを済ませると、ステージ袖に移る。
 ステージからは前の団体の演奏が聞こえてくる。
 今年は比較的スケジュール通りに進行しており、そこまでに十分ほどしか押していなかった。
 演奏が終わると、ステージ上は戦場と化す。
 椅子や譜面台の入れ替え、打楽器の入れ替え。さらに、今回はピアノも使う。
 相当数の人たちがステージ上で右往左往していた。
 だいたい整ったところで部員たちが出てくる。
 観客席は、やはり立ち見も含めて満席だった。
 全員がステージに出て準備が整うと、照明が落ちた。
『大変お待たせ致しました。本日最後の演奏となります。続きましては、県立第一高等学校、県立第二高等学校、県立第三高等学校による演奏です。曲は、ガーシュウィン作曲『ラプソディ・イン・ブルー』です。指揮は第一高等学校顧問、菊池菜穂子先生です』
 ドレス姿の菜穂子が出てくると、観客席から拍手がわき起こった。
 一礼し、部員たちに向き直る。
 指揮棒が上がり、曲がはじまった。
 
 曲が終わると、なんとも言えないどよめきが起きた。その直後、割れんばかりの拍手。
 演奏は、大成功だった。
 完成度自体は決して高いとは言い難かったが、それでも短期間でここまでできたのだから、すごいと言えた。
 控え室に戻ってきた部員たちは、一様に興奮した面持ちである。
「みんな、おつかれさま。今日の演奏は、今までで一番だったわ。私も正直言ってここまでできるとは思ってなかった。でも、これだけの演奏ができたのは、紛れもなくみんなの実力だから。それは誇りに思っていいわ。二年生は今年で最後だけど、一年生はまた来年、今年みたいな演奏ができるようにがんばって」
 菜穂子の言葉で締めくくられた。
 それから学校ごとのミーティングである。
「おつかれさま。言いたいことはさっき言ったからもうないわ。明日からの部活は、これまで以上に基礎に重点を置いて進めていくから、覚悟するように。それと、アンコンに出る三組はそっちもしっかりやるように」
「今年は、二十七日まで部活があるから、忘れないように。それと、部活は毎日午前中だから。せっかく午前中にしたんだから、明日はクリスマスだからってさぼらないこと。それじゃあ、今日はおつかれさま」
『おつかれさまでした』
 解散になり、部員たちも家路に就く。
 圭太たちは、県民会館前で琴美たちと合流した。
「お兄ちゃん」
 最初に圭太を見つけた琴絵が、笑顔で声をかけてきた。
「演奏はどうだった?」
「とってもよかったよ。去年もよかったけど、今年はもっとよかった」
「そっか」
「圭太、おつかれさま」
「おつかれさまです、ともみ先輩、幸江先輩」
「結構無茶な選曲だと思ったけど、結構いい演奏してたじゃない」
「うん、そうね。あれだけの演奏ができれば、十分ね」
「ありがとうございます。選曲者としてもひと安心です」
 そう言って圭太は微笑んだ。
「結局、祥子は来なかったわね」
「来る予定だったの?」
「いや、来れればってことだったんだけど。ま、あの子も受験生だし、しょうがないか」
「それもそっか」
 そうは言うが、ともみも幸江も去年は聴きに来ていない。
「よし、そろそろ帰ろうか」
 人が少なくなってきたところで、帰ることになった。
 こうして、圭太にとって高校最後のクリスマス演奏会が終わった。
 
 十二月二十四日。クリスマスイヴ。
 その日も朝からいい天気だった。ホワイトクリスマスを期待していた人たちは、多少落胆しただろうが。
 部活は午前中だけで、ほとんどの部員が部活が終わるとさっさと帰っていた。
 圭太は、いつもの面々と帰っていた。
「ん〜、やっとイヴだね」
「柚紀は、本当に待ち遠しかったみたいだね」
「当然。もう一日千秋の想いで待ってたよ」
「ははは、大げさだね」
「大げさじゃないわよ。それくらい大事だってことなの」
 そう言って柚紀は笑った。
「そういえば、朱美と紗絵は結局どうすることになったんだ?」
「詩織のうちでパーティーするんだよ」
「詩織の家でか。じゃあ、朱美は迷惑かけないようにしないとな」
「むぅ、圭兄。私、迷惑なんかかけないもん」
「だといいけど。そのあたりは、紗絵に見てもらって」
「はい、任せてください」
「紗絵までそう言う」
「ははは」
 柚紀と一緒に家まで帰ってくる。
「とりあえず、お昼はどうしよっか?」
 部屋に入り、柚紀はベッドに腰掛けた。
「うちで食べてもいいし、外で食べてもいいよ」
「ん〜、夕食でお金使うし、お昼は倹約しようか?」
「そうだね」
 圭太と柚紀は、家で昼食を食べ、少しのんびりしてから家を出た。
 外は北風が少し強く、寒かった。
 バスで駅前まで出る。
 電車に乗りホテルのある街に向かう。
 その街はオフィス街で、大きなビルが建ち並んでいた。
 それでも、最近は有名ブランド店が多く進出するようになり、それに伴い様々な店も増えていた。
「これ、すごくいいね」
 店頭ディスプレイを見て、柚紀はそう言った。
「いいとは思うけど、ちょっと高いね」
 圭太は値段を見てさすがに驚いていた。
「まあ、今の私たちにはまだまだ縁のないものだね」
 オシャレな街中をふたりは腕を組んで歩く。
 圭太はタートルネックのセーターにジャケット、ダッフルコートという格好。
 柚紀は、ロングスカートのワンピースにロングコートという格好。
 結構フォーマルっぽく、とても似合っていた。
「ねえ、圭太」
「うん?」
「来年の今日も、こうしていられるかな?」
「それは大丈夫だと思うよ」
「どうして?」
「今のままなら受験はしないだろうし、僕がこうしていたいと思うのは、やっぱり柚紀だけだからね」
 そう言って圭太は微笑んだ。
「そっか。じゃあ、来年もこうしていられるね」
 柚紀も嬉しそうに微笑んだ。
 それからなにをするでもなく、ゆっくりと街をまわる。
 店先にはクリスマス向けの商品が並んでいる。
 商店街というわけではないので、ケーキの店頭売りなどはほとんどなかった。
 そろそろ夕方という頃。
 ふたりは、予約を入れていたホテルのレストランに向かった。
 そのレストランは、ホテルの最上階にあり、本当に見晴らしがよかった。
「いらっしゃいませ」
 静かな音楽が流れる店内。ウェイターがふたりを席に案内した。
 少し早めの時間なので、満席ということはなかった。とはいえ、空いている席はない。どの席にも『予約席』の表示がしてあった。
「いい眺めだね」
「そうだね。柚紀の積極性に感謝しないと」
「そうそう、ちゃんと感謝してね」
 少しして、飲み物が運ばれてきた。
「じゃあ、メリークリスマス」
「メリークリスマス」
 軽い音がして、グラスが鳴った。
「ふふっ」
「どうしたの?」
「こういうクリスマスも夢だったの。大好きな人と一緒に夜景の綺麗なレストランで食事をする。ありがちだけど、やっぱり一度くらいはね」
 柚紀は微笑んだ。
「柚紀の夢は、あとどれくらいあるの?」
「まだまだたくさんあるよ。でも、圭太はそういうこと気にしなくていいから。夢がかなった時はちゃんとそう言うし」
「そっか。じゃあ、僕は今まで通りでいるよ」
「うん、それが一番いいの」
 食事は、基本的には洋食だった。
 彩りや食材にもクリスマスというものが意識されていた。
 味の方もなかなかのもので、ふたりは舌鼓を打った。
 食後のデザートまで食べ終わると、ふたりはしばし景色を眺めた。
 陽もすっかり落ち、街の明かりがとても眩しい。
 キラキラと輝くカクテル光線のようで、聖夜を彩るのにぴったりだった。
「ねえ、圭太」
「ん?」
「ひとつ、お願いがあるの」
「お願い?」
 柚紀は、小さく頷いた。
 
 ふたりが家に帰ってきたのは、まだまだ夜も長いという頃だった。
 詩織の家に行っていた朱美も帰ってきていた。
「母さん。少し、話があるんだけど」
 リビングでくつろいでいた琴美に、ふたりは声をかけた。
「話? いったいなにかしら?」
 琴美は笑みを崩さずふたりに向き直った。
「僕たちが婚約した時に、一緒になるのは卒業したあとだって言ったと思うけど、それをもう少し早くしたいと思うんだ」
「それは、在校中にってこと?」
「具体的にこの日ってことはないんだけど、とりあえず僕が十八になってからだね」
 圭太は柚紀の手を握りながらそう説明した。
「それは別に構わないと思うけど、どうしてそうしようと思ったのか、聞かせてくれるかしら?」
「それは、私が説明します」
「ええ、お願い」
「圭太と婚約してもう八ヶ月以上経ちますけど、その間、いろいろ考えたんです。私にとって結婚てどういうものなんだろうって。名前が変わるとか、相手の家に入るとか、いろいろあるとは思うんですけど、一番大きいのは『家族』になるってことだと思ったんです」
「家族、ね」
「私は、早く圭太の『妻』になって、この家に入りたいんです。家族の絆は、やっぱり時間が大事ですから」
 柚紀は真剣な表情でそう言った。
 それに対して琴美は、穏やかな笑みをたたえたまま、柚紀を見つめている。
「ですから、私が圭太にお願いしたんです。卒業前に、一緒になりたいって」
「なるほど。柚紀さんの考えはよくわかったわ」
 琴美は大きく頷いた。
「そこまでしっかり考えているなら、今更私がとやかく言うことはないわ。圭太が来年、十八になったらすぐにでも一緒になればいいわ」
「ありがとう、母さん」
「別にお礼を言われるようなことはしてないわよ。親として、当然のことを言ったまで。それに、ふたりともしっかりと考えてるから、わざわざ言うべきこともないし。そうそう、少し待っててね」
 琴美はそう言ってリビングを出て行った。
「認めてもらえるとは思ったけど、ここまであっさりと認めてくれるとは思わなかった」
「そうだね。でも、琴美さんはちゃんと話を聞いて認めてくれるから。うちのお父さんだったら、頭ごなしに文句だけ言ってくるし」
「そんなことはないと思うけど」
「そりゃ、圭太が一緒にいればね。いない時は、単なる頑固オヤヂだもん」
 やれやれと肩をすくめる柚紀。
「お待たせ」
 そこへ琴美が戻ってきた。手にはグラスとボトル。
「あっ、それ……」
「これはね、私と祐太さんが結婚した時にもらったワインなの。ずっと寝かせていたんだけどね」
「いいの?」
「ひとりで飲むには、想い出が詰まりすぎてるから」
 そう言ってコルクを抜いた。
「まだ成人前だから少しだけね」
 グラスに少しだけワインを注ぐ。
 ブドウの芳醇な香りがリビングに漂った。
「さ、ふたりともグラスを持って」
 言われるままふたりはグラスを持つ。
「一年早いけど、前祝いだと思って。乾杯」
『乾杯』
 三人はそれぞれ思い思いに口を付けた。
「さすがに高いワインというだけはあるわね。美味しいわ」
「ん〜、美味しいかどうかはわからないけど、不味くはないね」
「すごく良い香りで、癖になりそうです」
「ふふっ、よかったわ」
 琴美は微笑み、もう一口飲んだ。
「琴美さん」
「ん、なにかしら?」
「これからも、よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくね、柚紀さん」
 
「んっ、圭太、もっと、もっとっ」
 柚紀は、髪を振り乱しながら圭太を求める。
 圭太は、そんな柚紀を後ろから突いている。
「ああっ、圭太っ、んんっ」
 一度モノを抜き、体勢を変える。
「圭太っ、愛してるからっ、ずっとっ、圭太だけをっ」
 淫靡な音とともに、柚紀の嬌声が部屋に響く。
「んんっ、あっ、あんっ、んあっ、ああっ」
 圭太も少しでも柚紀に感じてもらおうと、一生懸命に動く。
「一緒にっ、圭太っ、一緒にイってっ」
 柚紀はそう言って圭太のモノを締め付ける。
「あっ、あっ、あっ、あっ、あっ、あっ」
「柚紀っ、柚紀っ」
「んんっ、イくっ、イっちゃうっ」
 柚紀の体がピンと張りつめる。
「圭太っ、ああああっ!」
「柚紀っ!」
 そして、ふたりは同時に達した。
 圭太は、柚紀の中にすべてを放っていた。
「はあ、はあ、ありがと、圭太……」
「はぁ、はぁ、ううん……」
 ふたりは、キスを交わした。
 
「今年も、最高のクリスマスになったなぁ……」
 柚紀はしみじみと言った。
「これから先、何年経っても今の気持ちを忘れたくないなぁ」
「そうだね。いつまでも新鮮な気持ちでいたいね」
 圭太は、柚紀の肩を抱き、柚紀は圭太に寄り添った。
「ねえ、圭太。私、『通い妻』してもいい?」
「通い妻?」
「うん。たまに泊まるのとは別に、なにもない時はここで家のこととかしたいの。どうかな?」
「僕はいいと思うけど、やってる余裕とかある?」
「それは大丈夫。時間なんてやりくりすればどうとでもなるし」
「柚紀がそうしたいなら、僕はなにも言わないよ。ただ、家のことをやるなら、琴絵とか朱美にもちゃんと話さないとね」
「それはもちろん。ふたりとも、もう『妹』みたいなものだし。『お姉ちゃん』にドンと任せなさい、って感じだよ」
 そう言って柚紀は笑った。
「そうだ。今年は降ってないかな?」
「雪?」
「うん」
 ふたりは、窓際に寄る。
 カーテンを開け空を見上げるが、そこにあったのは綺麗な夜空だった。
「さすがに、二年連続ホワイトクリスマスとはいかなかったね」
「クリスマスに雪が降るのも珍しいからね。しょうがないよ」
「去年のは、特別だったのかな」
「そうだね」
「でも、この綺麗な夜空は、これはこれでいいけどね」
 圭太は、後ろからそっと柚紀を抱きしめた。
「来年は、婚姻届けを出してから見るのかな、この景色」
「柚紀の予定では、クリスマスに出すの?」
「そういう方が忘れないかなって。まあ、いつってことはないんだけどね。結婚式にはこだわりたいけど」
「そうだね。僕も柚紀のウェディングドレス姿や打ち掛け姿を見てみたいから」
「ふふっ、楽しみにしててね」
 ふたりは、そっとキスを交わした。
 
 今年もまた、幸せな恋人たちに、メリークリスマス。
 
 六
 十二月二十五日。クリスマス。
 キリスト教徒なら厳かな気持ちでその日を迎えるのだろうが、日本では関係なかった。
 圭太と柚紀は、前夜の名残を惜しむ暇もなく、部活へと出かけた。
「ふわぁ……ねみゅい……」
 柚紀は目を擦りながら歩いている。
「ほら、柚紀。ちゃんと歩かないと、ぶつかるよ」
「わかってはいるんだけどねぇ……」
 ふらふらと歩く柚紀を、圭太はたしなめる。
「ねえ、圭兄。昨日は何時まで起きてたの?」
「そんなに遅くまでは起きてないよ。ちゃんと日付は昨日だったし」
「それで眠いってことは……」
 朱美はそれを考え、ため息をついた。
「ねえ、朱美ちゃん」
「なんですか?」
「昨日、私たちの声、聞こえてた?」
「あ、えっと、その、少し……」
「そっか。でもまあ、それもしょうがないね。完全防音というわけじゃないし。ね?」
「ね、って言われても、僕はなんとも言えないんだけど」
 圭太は渋面で唸った。
「ま、そういうわけだから、私は今日は元気満タンなのですよ、朱美ちゃん」
 飲んべえみたいな柚紀に絡まれる朱美。圭太に助けを求めるが、圭太は無視した。
 それが一番賢い。
 そんな感じで、今年のクリスマスもはじまった。
 
 部活が終わると、圭太たちはそそくさと帰った。
 柚紀も一度家に帰る。
 圭太と朱美が家に帰ると、すでに店の方で琴絵と鈴奈、ともみが準備をしていた。
 しかし、三人で準備をしていたから、すぐに終わってしまった。
 結局、圭太たちに手伝うことはなかった。
 というわけで、パーティー前のお茶会と相成った。
「今年のクリスマスパーティーは、去年にもましてにぎやかになりそうね」
「そうですね。去年より参加者が多いですからね」
「つまり、それだけ圭太に関係してる子が多いってことよね」
 ともみは悪戯っぽい笑みを浮かべ、そう言った。
「それは否定しませんけど」
「みんなでなにを話してるの?」
 そこへ、焼き上がったばかりのクッキーを持って琴美がやって来た。
「圭くんが、いかに多くの子に想われてるかってことですよ」
「れ、鈴奈さんまで……」
 笑いが起きる。
「そうね。関わり方は多少不本意なところはあるけど、でも、にぎやかなのは私も好きだからいいけどね」
「お兄ちゃんは、毎回大変そうだけどね」
「それもみんな、自分のまいた種なんだから、自分で刈り取らないとね。そうでしょ、圭太?」
「はいはい、わかってますよ」
 圭太は肩をすくめ、ため息をついた。
 それから少しして、紗絵、詩織、幸江と立て続けにやってきた。
「あとは、柚紀と祥子が来れば全員揃うわけか」
「祥子先輩には、何時からって伝えたんですか?」
「受験生だし、ギリギリの時間を教えたわよ」
 なるほどと、みんな頷いた。
 結局、祥子は柚紀と同じ頃にやって来た。それでも時間よりだいぶ早かったが。
「ええ、それでは、今年も私、安田ともみが司会進行を勤めます。とはいえ、改めて言うことなんてないので、とにかく今日は飲んで食べてみんなで騒ぎましょう。特に、受験生のふたりは、日頃の鬱憤をちゃんと晴らしてよ。それでは、みなさん、乾杯っ!」
『かんぱ〜いっ!』
 十一人でのパーティーは、実ににぎやかだった。
 女性陣はやはり皆仲がよかった。
 一番の新参者である幸江も、部活が同じということですっかり溶け込んでいた。
「はい、圭太」
「ん、母さん」
 圭太にお菓子を持って、琴美が寄ってきた。
「いいわね、こういう雰囲気」
「そうだね。特に、この店でやってるっていうのがいいね」
「あの人も、こういうの好きだったから。生きていたとしても、快く貸してくれたでしょうね」
「父さんは典型的なお祭り好きだからね」
「そうね」
 ふたりは祐太のことを思い出しながら、笑った。
「ところで圭太」
「ん?」
「来年はもう少し落ち着いた年にしてくれるのよね?」
「確約はできないけど、僕としてもそうありたいと思うよ」
「確約してほしいけど、まあ、しょうがないわね」
 琴美は、苦笑した。
 それから恒例のプレゼント交換が行われた。
「圭太のプレゼント……圭太のプレゼント……」
 柚紀はもはや呪いに達しているのでは、という感じで圭太のを望んでいた。
 で、結果から言うと圭太のプレゼントは鈴奈の手に渡った。
「あう〜、圭太のプレゼントが〜」
 と嘆いたところで柚紀の手に圭太のプレゼントが来ることはなかった。
「はい、ここでみなさんに提案がありま〜す」
 そろそろお開きという頃、ともみがおもむろにみんなの前に立った。
「なんですか、ともみ先輩?」
「年明け三日に、みんなで初詣に行くというのはどうでしょうか? 聞くところによると、三日ならみんな大丈夫そうなので。ちなみに、発案者は私と幸江、祥子なので」
「鈴奈さんは、大丈夫なんですか?」
「うん。今年は卒論があるから向こうから早めに戻ってくるの。だから、三日なら大丈夫だよ」
「私は賛成で〜す」
 早速柚紀が賛成した。
「楽しそうだし、いいと思いますよ」
「みんなで行くのも面白そうですね」
「すごく楽しそうな初詣になりそうです」
 一年トリオも賛成。
「私もいいと思います。三が日は勉強もしないつもりですから」
 琴絵も賛成。
 残りは圭太だけ。
「みんながいいって言ってるのに、僕だけ反対するはず、ないじゃないですか」
「じゃあ、とりあえず、三日の午後くらいに初詣に行くということで、よろしいですか?」
 誰からも異論は出ない。
「年明け三日の予定も決まったところで、今年のクリスマスパーティーもそろそろお開きにしたいと思います。みなさん、メリークリスマス」
『メリークリスマス』
 
 十二月二十八日。
 年も押し迫ったその日、圭太はともみに拉致られ、もとい、つきあいデートをしていた。
「今までは今日が誕生日だってのは、正直イヤだったんだけど、こうやって圭太が祝ってくれるなら、いいって思えるようになったわ」
 腕を組んで歩きながら、ともみはとても機嫌がいい。
「もううちでは誰も祝ってくれないしね」
「やっぱり、大学生だからですか?」
「そうよ。特別なことでもない限り、高校卒業したら親とかがなにかしてくれることなんてないから」
「なるほど。うちも基本的にはそうなんですけどね。ただ、ひとり、そういうのにうるさいのがいますから」
「あらぁ、琴絵ちゃんのこと、そんな風に言っちゃっていいのかしら?」
「別に構いませんよ。琴絵自身もそれはわかってると思いますから。それに、琴絵の誕生日だって、高校を卒業したら僕が祝うしかないですからね。母さんはその辺はきっちりしてますから」
「確かに、琴美さんはそういうののケジメはきっちりしてるわね。『桜亭』でバイトするようになって、そのあたりのこと、よくわかったわ」
「そういうケジメがつけられないと、いろいろ大変なこともありますからね」
 圭太はしたり顔で頷いた。
「でも、琴美さんがああいう性格だから、圭太や琴絵ちゃんみたいに『良い子』が育つのよね。やっぱり、子供を育てるのは環境が一番影響するわ。うちなんか、親がアレだから、私もこんなだし」
「うちの場合は、特殊な環境でもありますからね。今も父さんが生きていたら、僕も琴絵も変わっていたかもしれません」
「まあ、私は小学校の頃の圭太を知らないから、なんとも言えないけど。でも、そんなに大きく変わることはないでしょ?」
「だと思いますけど」
「私は、そんなに変わらないと思うわよ。圭太は圭太。そう思う」
 そう言ってともみは微笑んだ。
 ふたりは歳末セール中の商店街をゆっくりとまわった。
 途中、できたてほかほかの肉まんを買ったり、ともみが小物を買うのにつきあい、そこでイヤリングをプレゼントしたり、お昼には韓国料理屋で舌鼓を打ったりした。
「う〜ん、こんなにのんびりしたの、久しぶりかも」
 駅向こうの公園。日向にあるベンチに座る。
「大学の方はどうですか?」
「そうねぇ、思ったよりも自由かも。カリキュラムだって自分で決められるし。講義の時間は長いけど、意外に短く感じられるし。ただ、ちゃんとやらないとあとで痛い目見るからね。そのあたりはきっちりやってるつもり」
「なるほど」
「ホントはね、圭太もうちの大学に入ってくれればよかったんだけど」
「それは、ちょっと……」
「わかってるって。だから、とりあえず祥子が入ってくれればいいわ。そうすりゃ、同じ大学ってことで、いろいろできるだろうし」
 悪戯っぽい笑みを浮かべ、そう言う。
「それにしても」
 空を見上げ、ともみはささやいた。
「去年からもう一年も経ったのよね」
「そうですね」
「あの前からそうだったけど、私は完全に圭太の虜だし。あとやっぱり、私たちの関係って普通じゃないのが、逆にいいのかも。圭太は不本意かもしれないけど、私は今の関係が好き。鈴奈さんや幸江、祥子はちょっと違うけど、ほかはなんか『妹分』て感じだし」
「妹分、ですか」
「なんかカワイイじゃない。圭太に対する想いだって、すっごく純粋だし。でも、あれね、私より紗絵や朱美の方が先だったのよね、抱いたの」
「えと、それは……」
「ま、順番とか早いとか遅いとか、そんなのどうでもいいけど。ただ、あれね。一年トリオは結構有利よね、いろいろと」
「有利ですか? 別に特に有利なことはなさそうですけど」
 圭太は首を傾げた。
「だって、ひとつしか違わないから、学校は二年間一緒に通えるし」
「それは、祥子先輩にも言えると思いますけど」
「確かにね。でも、年下の方がいろいろ有利なのよ。圭太にはわからないかもしれないけどね」
 意味深な笑みを浮かべるともみ。
「さてと、そろそろ行きましょ。今日という日は、そう長くないしね」
 
 ふたりが向かったのは、ラブホテルだった。
 ともみが一度どうしても行ってみたいと駄々をこねたのである。
「うわ、思ったよりもずっと普通の部屋なのね。もっと変なものがあると思ったけど」
 その部屋は、確かに普通の部屋だった。とはいえ、そういう部屋ばかりではない。ともみの言うように、変なものがある部屋もある。
「でも、ベッドは大きいわね。これってやっぱり、ふたり以上にも対応してるから?」
「さ、さあ、僕にはなんとも」
 見るものすべてに興味を示すともみ。
 圭太は、子供のお守りをしてるような気分になっていた。
「そういや、圭太は複数としたことはあるの?」
「えっ……?」
「いや、ほら、なんたって人数多いでしょ? だからあるのかなって」
「えっと、それは、その……」
「その反応を見ると、あるのね。誰と?」
「……言わなくちゃダメですか?」
「できれば。ほら、今後の参考にね」
 どういう参考なのかは、わからないが。
「えっと、最初に言い出したのは朱美だったんですけど」
「ほほう、なるほどなるほど。で、もうひとりは?」
「……紗絵と、琴絵です」
「ええと、それは、四人でってこと?」
「ち、違いますよ」
「そうよね。いくら圭太でも三人は相手にできないわよね。ちょっとびっくりした」
 実際に相手できないかどうかはわからないが、好きこのんでそうしようとは思わないだろう。
「ん〜、でも、誰かと一緒にってのは、ちょっと興味あるな。今度、幸江あたりに言ってみようかしら」
「……できればやめてください」
「どうして?」
「僕の精神衛生上、よくないですから」
「そうかな〜? そんなことないと思うけど。ひょっとして、トラウマかなにかになってるの?」
「……ノーコメントです」
「なるほどね。ま、それは朱美とか紗絵に聞いてみればいいか」
 一度言い出したらそう簡単に引かないともみである。圭太は、もはやあきらめるしかなかった。
「それはいいとして。圭太」
「なんですか?」
「エッチ、しよ」
 ともみはそう言って圭太にキスをした。
 圭太はキスをしながらともみの服を脱がせていく。
「ん、圭太も脱いで」
 圭太も言われるまま服を脱ぐ。
 程なくしてふたりとも一糸まとわぬ姿になった。
「綺麗ですよ、ともみさん」
「うん、ありがと……」
 うっすらと頬を染め、ともみは小さく頷いた。
 ともみをベッドに横たえ、もう一度キスをする。
「ん、あ……」
 そのまま胸を揉む。
 ゆっくりと円を描くように揉み、少し力をこめる。
 固く凝ってきた突起を指でこねる。
「んあっ」
 それだけでともみは敏感に反応する。
 丹念に胸を揉む。
「ん、あふ、んんっ、圭太……」
 すでに体に力が入らない状態のともみ。
 圭太はおもむろに下半身に手を伸ばした。
 ともみの秘所は、すでに少し湿っていた。
 指もすんなりと中に入った。
「や、んん、圭太、気持ちいい……」
 最初はゆっくりと。次第に速く指を動かす。
「んあっ、ああっ、はあ、はあ、圭太っ」
 もう十分に濡れたところで、圭太は限界まで怒張したモノをともみの秘所にあてがった。
「今日は、思い切り、抱いて」
「わかりました」
 圭太は、一気に腰を落とした。
「んああっ!」
 一気に体奥を突かれ、ともみの体が跳ねた。
「ああっ、圭太っ、いいのっ、気持ちいいのっ」
 声を気にしなくていいことから、ともみはいつも以上に感じていた。
「んあっ、奥までっ、当たってるのっ」
「ともみさんっ!」
 圭太もいつもより激しく動いていた。
「んくっ、あっ、あっ、あっ、あっ」
 シーツをつかみ、いつも以上の快感に耐えている。
「圭太っ、みんなっ、ちょうだいっ」
 圭太を抱き寄せ、キスをする。
「やんっ、んんっ、ああっ、あんっ、あっあっ」
 淫靡な音が部屋に響く。
「圭太っ、圭太っ、圭太っ、圭太っ」
「ともみさんっ、ともみさんっ」
「んんっ、ああああっ!」
「くっ!」
 そして、ふたりは同時に達した。
 圭太がモノを抜くと、白濁液があふれてくる。
「はあ、はあ、こんなに感じたの、はじめてかも……」
「はぁ、はぁ……」
「はあ、すごく、素敵だったよ、圭太……」
 
 ホテルをあとにしたふたりは、寄り添いながら家路に就いた。
「ずっと、このまま一緒にいたいって、本当にそう思う」
 ともみは、そう言って薄く笑った。
「今日ので子供ができても、全然後悔しないし。むしろ、そっちの方が嬉しい。でも、なかなか妊娠できないのよね。運次第だと思うけど」
「…………」
 圭太はなにも言わず、ともみの話に耳を傾けている。
「ねえ、圭太。圭太は今、柚紀とする時は避妊、してるの?」
「その時次第ですね。柚紀も早くほしいって言ってますから」
「なるほどね。でも、そう思ってるのは私や柚紀だけじゃないでしょ?」
「そうですね。以前、朱美にも言われました」
「ま、大好きな人との子供なら、ほしいと思うわよ、普通は」
 穏やかな表情でそう言うともみは、心からそう思っているのだというのが、ひしひしと伝わってきた。
 だからこそ圭太も余計なことはなにも言わない。
「今年の誕生日も最高の誕生日になったし、今年は最高の一年になったかな」
「もう締めですか?」
「ま、一応ね。『桜亭』は明日までだし。次に会うのは、早くて二日だろうし」
「じゃあ、僕からも」
 圭太はそう言ってポケットの中からなにやら取り出した。
「それは?」
「誕生日プレゼントです」
「えっ、さっきイヤリング、プレゼントしてくれたでしょ?」
「いえ、あれはあれです。こっちが前から用意していたものです」
「そうなの? ありがと」
 小さな包みを受け取るともみ。
「開けてもいい?」
「はい」
 包みを開けると──
「口紅、か」
「ええ、ともみさんに似合いそうなのを見つけたので」
 その色は、かなり落ち着いた色で、つければ『大人の女性』に見えるかもしれない。
「……ありがと、圭太」
「いえ、これくらいしないと、ともみさんにはなにもできませんから」
 そう言って圭太は微笑んだ。
「今度デートする時は、これ、引いて行くからね」
「はい、楽しみにしています」
 ふたりは、もう一度キスを交わした。
 
 今年も、いよいよ終わりである。
inserted by FC2 system