僕がいて、君がいて
 
第十八章「梅雨の終わりと夏のはじめ」
 
 一
 六月三十日。六月も最後の日。
 その日は朝から綺麗に晴れ渡り、久しぶりの梅雨の晴れ間だった。
「はあ、ホント、どうしよっかなぁ……」
 柚紀は、深々とため息をついた。
「いや、僕も悪かったとは思うけど」
「けどぉ? 全面的に悪かったに決まってるじゃない」
 圭太の言葉を一蹴し、柚紀は三白眼で言う。
「ど〜して彼女を放って、先輩と一緒に帰っちゃうのよ」
 柚紀は朝からものすごく不機嫌だった。その不機嫌の理由は、前日にある。
 柚紀たち女子部員の大半が議論している中、圭太が祥子とさっさと帰ってしまったことがその理由だった。
 これに関して言えば、別に圭太だけが悪いわけではないのだが。
 とはいえ、柚紀にはそんな言い訳は通用しない。
「そりゃ、必要以上に盛り上がってなかなか終わらなかったのは認めるし、ただただその場に待たせておくのも悪いなとは思ったわよ。でも、なにも言わずに行っちゃうのは、やっぱり許せない」
「……どうすれば許してくれるの?」
「ん〜、そうねぇ……」
 柚紀は、一瞬ほくそ笑み、すぐに真剣な表情で考える。
「うん、決めた。圭太」
「なに?」
「コンサートが終わったあと、そうね、一週間くらい、私、圭太の部屋に泊まるから」
「はい……?」
「反論は認めません。拒否も認めません。アンダスタン?」
「はい……」
 圭太は、がっくりと頷いた。
 
 その日の部活には、ともみたちOB、OGがやって来た。
 二、三年にとっては久々の再会で、再会を喜んでいた。
「調子はどう?」
 圭太に声をかけたのは、大学に入りずいぶんと垢抜けた幸江であった。もともとが良い幸江ではあったが、それに磨きがかかった感じである。
「僕自身は悪くないんですけどね」
「含みのある言い方ね。それはつまり、実際に合奏を聴けばわかるってこと?」
「まあ、そういうことになりますね」
 そう言って圭太は苦笑した。
「ふふっ、圭太が相変わらずでよかったわ」
「そうですか?」
「うん」
 それから合奏が行われた。
 とりあえずは菜穂子もなにも言わず、一通り通しでやる。
 二部に関しては時間の都合で省かれた。
「どうだったかしら?」
 菜穂子は卒業生に感想を求めた。
「多少まとまりに欠ける部分がありましたけど、全体的には悪くないと思います」
「個々のバラツキが少し目立ちましたね。せめて隣くらいは意識した方がいいですね」
「いい部分と雑な部分の差が大きいような気がしました。もう少し高い意識で演奏するべきですね」
 意見は、基本的には辛口のものだった。
 部員たちは、その意見ひとつひとつを神妙な面持ちで聞いていた。
「まあ、毎年言ってることだけど、まだまだ努力が足りないってことよ」
 最後は菜穂子の言葉で締めくくられた。
 合奏終了後、祥子たち三年を中心に卒業生との打ち合わせが行われた。
 とはいえ、そこで行うのは時間の連絡や当日必要になりそうな道具の調達など、それほど大きなことではない。
「圭太。ちょっとだけいい?」
 その輪に加わっていたはずの幸江が、いつの間にか圭太の側にいた。
「ええ、いいですよ」
 ふたりは騒然としている音楽室を出た。
「圭太の言った通りだったわね」
「合奏ですか?」
「うん。コンサート自体はあれでもいいかもしれないけど、コンクールとなると、やっぱり少し不満かも」
 そう言って幸江は苦笑した。
「でも、圭太の演奏は全然落ちてなかったから、安心したわ」
「ありがとうございます」
 ふたりは、少し静かな場所へと移動してくる。
「ねえ、圭太」
「はい」
「柚紀とは相変わらず?」
「そうですね、特に問題はないと思いますよ」
「そっか」
 幸江は、少しだけ俯き、それから顔を上げた。
「圭太。少しだけ、目、閉じてくれる?」
「目をですか? それは構いませんけど」
 圭太は言われるまま目を閉じた。
 幸江は、圭太に寄り、少しだけ背伸びをし──
「ん……」
「幸江、先輩……」
 圭太は、驚きで目を開けた。
「ふふっ、驚いた?」
「お、驚きました」
「私もね、圭太のこと好きよ。でも、ここにいる間はあまりそれを意識しないようにしてたんだけどね。追いコンの時は少しだけ抵抗してみたりしたけど」
 穏やかな表情で続ける幸江。
「大学に入って、私、少し変わろうと思ったの。ちょっとだけ背伸びして大人っぽい格好をしたり、言動も少し直したりしてね。でもね、やっぱり圭太のことだけは特別だった。忘れようと思っても忘れられないし、そもそも、同じ学科の男子をすぐに圭太と比べちゃうから」
 だからね、そう言って幸江は、潤んだ瞳で圭太を見つめる。
「私も、自分に正直になろうと思うの」
「先輩……」
「返事は、すぐじゃなくてもいいから」
 幸江はスカートのポケットから一枚の紙を取り出した。
「これ、私の携帯の番号だから。コンサートでまた会えるけど、それ以外だと連絡しないとダメだからね」
「…………」
 圭太は無言でそれを受け取った。
「圭太とは、割り切った関係を築きたいと思ってるから。少しだけ、考えてみてね」
 
「どうしたの、圭くん?」
 鈴奈は小首を傾げ、圭太の顔をのぞき込む。
「いえ、たいしたことじゃないです」
 そう言って圭太は笑みを浮かべる。
 ここは鈴奈の部屋。バイトが終わったあと、圭太は鈴奈の部屋を訪れていた。
 その日、六月三十日は鈴奈の誕生日である。たいしたことはできなくても、せめてふたりだけでいようと圭太が決めたわけである。
「ん〜、圭くんがそう言う時は、意外にたいしたことある時だからね」
「……鈴奈さんにはかないませんね」
「で、どうしたの?」
「実はですね……」
 圭太は、部活でのことを簡単に話した。
「なるほど。その先輩も、本当に圭くんのこと好きなんだね」
「みたいですね」
「それで、圭くんはどうその想いに応えようか悩んでたわけか」
「確かに先輩のことは好きです。でも、その好きというのは、ともみ先輩や祥子先輩に対するものとは明らかに違いますから」
「だったら、それはちゃんと言わないとね。思わせぶりなことを言ったりすると、女って生き物はすぐに勘違いするから」
 鈴奈は、自分もそうだよ、と言って微笑む。
「でも、ホントに圭くんのことを好きな子、多いよね」
「まあ、それはあえて否定しませんけど」
「このままだと、大奥とか後宮とかハーレムとか作れそうだよね」
「……それ、冗談になってません」
「ふふっ、そうだね」
 とはいえ、圭太はすでに八人もと同時に関係を保っているわけである。本当にそれも冗談には聞こえないのである。
「ねえ、圭くん」
「なんですか?」
「圭くんは、一生私を『背負って』行こうって思ってるのかな?」
「そこまでおこがましくはないですけど、それに近いものは持ってますね」
「じゃあね、圭くん。これは『お姉さん』からのアドバイス」
「アドバイス、ですか?」
「年上の私やともみちゃん、祥子ちゃんにはそこまで責任追う必要ないから」
「どうしてですか?」
「それは、年上だから。確かに圭くんは年下らしからぬ部分が多々あるけど、それでもやっぱり私たちは年上だからね。年上らしくしたいこともあるし。それにね、祥子ちゃんみたいにたとえ一年しか違わなくても、その一年間で学んでることはいろいろあるはずだから。そういう人生の『先輩』のすべてを背負おうなんて考えは、ちょっとやめた方がいいかな。もちろんそう考えること自体は悪いことではないし、嬉しいけどね」
「じゃあ、僕はどうすればいいんですか?」
 圭太は首を傾げ、聞き返す。
「圭くんも、年下の『弟』らしく、『お姉さん』に甘えればいいし、もう少し頼りに思ってもいいと思うの。少なくとも私はそう思ってる」
 そう言って鈴奈は圭太を抱きしめた。
「少しだけ、肩の力、抜いてみたらどうかな?」
「鈴奈さん……」
 ふたりの視線が絡まり、キスを交わす。
「ね、圭くん?」
「はい……」
 圭太は年相応に微笑み、いつもとは逆に鈴奈に寄り添った。
 鈴奈は、そんな圭太の頭を優しく撫でる。
 その姿は、男女のものというよりは、本当に『姉弟』ような感じだった。
「圭くんはいろいろ考えすぎなんだよ。そりゃ、まったく考えないのも問題だけど、でももう少し流れに身を任せてもいいと思うけどね」
「自分でもそれはわかってはいます。でも、もう染みついてますから。なかなか抜けないんですよね」
「だとしたら、ワンテンポ置いてみるのはどうかな?」
「どういう意味ですか?」
「自分でこうしようと思ったら、それ実行する前に相手の出方を見るの。それでもなおする必要があるなら行動すればいいし、それほど必要なければ待てばいいの。それくらいなら、できるでしょ?」
「おそらくは」
 圭太は小さく頷いた。
「うん、少しずつ少しずつ変えていけばいいんだよ。圭くんならできるから」
「鈴奈さん……ありがとうございます」
 穏やかな表情でお礼を述べる『弟』を、『姉』は暖かな眼差しで見つめた。
「それはそれとして、圭くん」
「なんですか?」
「ここからは、圭くんにイニシアチブをとってほしいな」
 それまでの『姉』の表情から一変、女のそれになった。
「いいかな?」
「はい」
 鈴奈をベッドに運ぶ。
「鈴奈さん」
「ん、なぁに?」
「……いえ、やっぱりあとにします」
「そう?」
「はい」
 カットソーを脱がせ、ブラジャーの上から胸に触れる。
「ん……あ……」
 一番敏感な突起に触れないように胸を揉む。
 鈴奈も焦らされているのがわかり、自ら圭太の手をつかみ、敏感な部分に触れさせる。
「圭くん、ちゃんとしてくれないと、イヤなの」
 可愛くいやいやする様は、とても二十二の女性とは思えない。
「でも、今日は鈴奈さんの誕生日ですから。ゆっくりしっかりと鈴奈さんを愛したいな、と思って」
「そうなの……?」
「はい。でも、少し焦らしすぎましたね」
 そう言ってブラジャーを外す。
 仰向けになっていても存在感を失わないその胸。
 圭太はすでにぷっくりと勃起している突起を口に含んだ。
「あん、んん、圭くん……」
 舌先で転がし、ちゅっと吸い上げる。
「んあっ」
 途端、鈴奈の身体がびくんと跳ねる。
「ね、ねえ、圭くん」
「どうしました?」
「私、もう我慢できなくなっちゃった……」
 そう言って鈴奈は下半身をすりあわせた。
 圭太はそんな鈴奈に穏やかに微笑みかけ、ジーンズを脱がせた。
 確かに鈴奈の言う通り、ショーツにはすでにシミができていた。
 そのままショーツも脱がせ、直接秘所に触れる。
「あ、んんっ」
 すでにしとどに濡れている秘所。
「圭くん、お願い……」
 圭太も服を脱ぐ。
「圭くん、キス……」
 言われるままにキスをする。
 限界まで怒張しているモノを秘所にあてがい、そのまま腰を落とす。
「んあああ」
 なんの抵抗もなく圭太のモノがすっぽりと入った。
「はあ、圭くん……」
 圭太の首に腕をまわし、そのままキスをする。
「いいよ、動いても」
 小さく頷き、圭太は動き出す。
 最初はゆっくりと、次第に大きく速く。
「んんっ、あんっ……いいのっ」
 シーツをつかみ、快感に身を任せる。
 途中で一度体位を変える。
「ああっ、圭くんっ、止まらないっ、止まらないのっ」
 後ろから体奥を立て続けに突かれ、鈴奈の身体に自分を支えるだけの力は残っていなかった。
 きしきしときしむベッド。
「あっ、あっ、あっ、圭くんっ、圭くんっ」
「鈴奈さんっ」
 圭太の方も限界が迫ってくる。
「ダメっ、イっちゃうっ、イっちゃうのっ」
 ラストスパート。
 圭太は激しく腰を打ち付ける。
「圭くんっ、んんあああっ!」
 身体全体が緊張し、鈴奈は絶頂を迎えた。
 その直後、圭太も限界を迎えた。
「くっ!」
 ギリギリのところでモノを抜き、鈴奈の腰のあたりに精をほとばしらせた。
「はあ、はあ、圭くん、気持ちよかったよ……」
「はぁ、はぁ、それは、よかったです……」
 圭太は鈴奈の隣に倒れ込むように横になった。
「圭くん……私だけの、圭くん……」
 
「そういえば圭くん。さっき言おうとしてたことって、なに?」
 鈴奈は圭太に肩を抱かれ、嬉しそうに微笑みながら訊く。
「ああ、あれはですね、たいしたことじゃないんですよ」
 圭太は苦笑する。
「ほら、僕は長男じゃないですか」
「うん、そうだね」
「それで、当然のことながら兄も姉もいません。だから、鈴奈さんには僕の本当の意味での『姉』になってほしいと思ったんです」
「私が?」
「はい。とはいえ、別に今の関係を変えるというわけではないですよ。関係は今と同じでも僕の心情を変えようと思って。頼りにできる『姉』がほしいと思ったので」
 圭太の手に少しだけ力がこもった。
 鈴奈はなにも言わず、『弟』の話に耳を傾けている。
「ダメ、ですか?」
「ううん、全然ダメじゃないよ。むしろ、そこまで必要とされて嬉しいくらいだから」
「じゃあ、鈴奈さんのこと、こういうふたりきりの時は、『お姉さん』とか呼んでもいいですか?」
「『お姉さん』か。ん〜、私としては『お姉ちゃん』の方がいいかな?」
 悪戯っぽい笑みを浮かべる鈴奈。
「『鈴奈お姉ちゃん』ですか?」
「ん〜、名前はつけなくていいよ。ほら、琴絵ちゃんも圭くんのことは単に『お兄ちゃん』て呼んでるでしょ? それと同じ」
「わかりました」
 そして圭太は言う。
「『お姉ちゃん』」
「うん、圭くん」
 鈴奈は、本当に嬉しそうにニコニコと微笑んだ。
「少し、くすぐったい気もしますね」
「そうだね。でも、そのうち慣れると思うよ。あっ、でもね、圭くん」
「なんですか?」
「ふたりきりの時は、『お姉ちゃん』もいいんだけど、ほら、エッチの時とかはできれば名前で呼んでほしいな」
「それはもちろん」
「それなら問題なし」
 そう言って圭太の頬にキスをする。
「ふふっ、『お姉ちゃん』か」
 鈴奈は眠りに落ちるまで、いや、眠ってからもずっと笑顔だった。
 
 二
 暦が変わって七月。
 前日の晴れ間がウソのような土砂降りで七月ははじまった。
 いきなり気勢をそがれた感もあるが、世の中は雨ごときではびくともしない。粛々といつも通りが繰り返されていた。
 七月二日。
 コンサート前日ということで、部活は準備に当てられていた。
 トラックに荷物を積み込むのは、男子部員と積み込む楽器担当者。
 小雨は降っていたが、作業するにはそれほど支障はなかった。
「おらおら、ちゃっちゃとやれよ。ちんたらしてると、陽が暮れても終わらないぞ」
 陣頭指揮を執っているのは仁だった。
 去年はともみがどんな時でも陣頭指揮を執っていたのだが、祥子ではいまいち迫力に欠ける。そんなこともあり、仁がそれを行っていた。
 駐車場には楽器やコンサートで使う大道具や小道具が置かれている。
 それを順番に載せていく。
 一方、音楽室では大きな楽器がなくなったのを期に、簡単な掃除が行われていた。徹底的な掃除は週明けに行うので、それほどしっかりやるわけではないが。
 こっちは女子部員だけで行っているので、実ににぎにぎしい。
 作業自体はどちらも順調で、陽が落ちきる前にはすべて終了していた。
「明日は、八時半に県民会館前に集合。今日楽器を積み込んだパートと男子はそれよりも少し早めに集合。各自の準備は怠りなく。なにかあってもできることとできないことがあるし、なによりも自分の不手際でコンサートを楽しめないと、もったいないから。そういうわけだから、明日は全力で。それじゃあ、おつかれさま」
『おつかれさまでしたっ』
 いつもより早い時間に部活は終わった。
 最終的な打ち合わせはその後も行われ、すぐに帰る部員はいなかった。
「今年は去年よりも役割分担を徹底したから、それほどトラブルはないと思うけど」
「ただ、逆に言うと、そいつがちゃんとできないとすべてが麻痺する可能性はあるな」
「うん、そこだけが心配」
 ピアノのところでは、首脳部が額を突き合わせていた。
「そういや、最終的に先輩たちはどれくらい来るんだ?」
「ん〜、ともみ先輩の話だと、去年の卒業生が十六人、それ以前の卒業生が五人くらいってこと」
「なるほど。およそ二十人か。まあ、例年通りか」
「先輩たちのことは心配はないと思うけど」
「確かに。今年はあのともみ先輩がいるわけだからな」
 そう言って仁は苦笑する。
「とにかく、やれることはやって、悔いの残らないようにしないとな」
「そうだね」
 それから程なくして音楽室も閉められ、部員たちも三々五々、帰宅していった。
 いよいよコンサートである。
 
 七月三日は、朝から小雨が降るあいにくの天気だった。
 ただ、コンサート開演時間の五時頃には雨は上がっているということだった。
 圭太は朝早くから出かける準備をしていた。
「圭兄。準備できた〜?」
 バタバタと足音が聞こえ、勢いよくドアが開いた。
 入ってきたのは朱美。すでに制服姿で、手には少々大きめのカバンを持っている。
「ん、こっちも終わりだよ」
「じゃあ、私、下に下りてるからね」
 そう言ってまたバタバタと部屋を出て行った。
 圭太も荷物を準備し、部屋を出た。
 リビングには朱美とすでに起きていた琴絵がいた。
「お兄ちゃん。準備できたの?」
「ああ」
「私も部活が終わったら聴きに行くからね。ちゃんと、三中のみんなも連れて行くから」
「ははっ、そうしてくれると助かるよ」
 そう言って圭太は琴絵の頭を撫でた。
 琴絵は、くすぐったそうに少し身をよじったが、嬉しそうに微笑んでいる。
「ああ、圭太」
 そこへ琴美も顔を出す。
「どうしたの、母さん?」
「夜は遅くなるの?」
「ん〜、たぶん去年とそんなに変わらないと思うよ。コンサートの時間は同じだし、打ち上げも同じ場所だから」
「そう、わかったわ」
「圭兄、そろそろ行こう」
「もう時間か。じゃあ、いってきます」
「いってらっしゃい、お兄ちゃん、朱美ちゃん」
「ふたりともがんばってね」
 圭太と朱美は、ふたりに見送られ家を出た。
「雨、ホントに上がるのかな?」
「上がってくれるといいけど。雨だとやっぱり客足にも影響出るし」
「そうだよね」
 ふたりは傘を差し、大通りまで出る。そこのバス停で駅前行きのバスを待つ。
 土曜日ということで多少本数が減ってはいるものの、朝の時間帯は比較的本数があった。バスは、それほど待たずにやって来た。
 バスに乗り込むと、それなりの乗客がおり、少なくとも座席は空いていなかった。
 圭太はつり革に、朱美は手すりにつかまる。
「はあ、なんか緊張するなぁ」
「本番はまだ先だけど」
「なんか、緊張するの。圭兄は大丈夫?」
「僕は去年もしてるからね。それに、基本的にはそれほど緊張はしないから」
「いいね、そういうの」
 朱美は深々とため息をついた。
 しばらくしてバスは駅前に到着した。
 降車専用のバス停から駅の改札前まで移動する。
「先輩」
「おはよ、紗絵」
「おはよう、紗絵」
「おはようございます」
 改札前には紗絵が待っていた。
「紗絵だけ?」
「はい」
「そっか。じゃあ、もう少し待とうか」
 圭太がそう言うと、早速紗絵が圭太の腕に自分の腕を絡めてきた。
「ちょ、ちょっと、紗絵」
「ん〜、圭太さん……」
 往来であるということはこの際関係なかった。
 しかし、そんな時間はそう長くは続かない。
「こほん、紗絵ちゃん?」
「あっ、おはようございます、柚紀先輩」
 そこへ、笑顔だが微妙に引きつっている柚紀がやって来た。
「おはよう。って、それはいいの。ど〜して紗絵ちゃんは、圭太と腕を組んでるの?」
「えっとそれは、こうしたいと思ったからです」
 紗絵は、しれっとそう言う。
「……圭太」
「ほら、紗絵。そろそろ離して」
「はぁい……」
 紗絵は渋々腕を離した。
「ホントに、油断も隙もないんだから」
 柚紀はため息をついて紗絵を見た。
 それから少しして、祥子と詩織が立て続けにやってきた。
 圭太と四人の美少女。
 圭太自身もかなりカッコイイ部類に入るため、その五人はかなり目立った。
 土曜日の朝でも電車は混んでいた。
 五人はひとかたまりになり十五分電車に揺られた。
「……ん、圭太」
 一番圭太に近いのは柚紀だった。混んでるということを差し引いたとしても、柚紀はかなり大胆に圭太に寄っていた。
 そんな柚紀を、ほかの三人は複雑な表情で見ていた。
 駅に到着すると、乗客が一斉に降りていく。
 その波に流され、五人は駅を出る。
 駅から県民会館までの距離はそれほどあるわけではない。
 程なくしてそれ自体が見えてくる。
 正面玄関前には、すでに何人もの部員が来ていた。
 圭太と祥子がやってきたことで、一応指示を出せる状況となった。
 圭太は一度裏手の搬入口を見に行った。そこにはすでにトラックが待っていた。
 あとは男子部員と楽器を運んだ部員が揃ったら、それを運ぶだけである。
「圭くん」
「なんですか?」
「いよいよ、だね」
「そうですね」
「成功、するよね?」
「大丈夫です」
 そう言って圭太は、一度だけ祥子の手を握った。
 
 会場内では、部員と卒業生が慌ただしく準備に追われていた。
 入り口では観客を迎えるための準備が、舞台上ではひな壇を入れたり椅子を用意したりと。
 とにかくするべき作業はごまんとあった。
 ステージ上の作業が進んだところで、部員たちは楽器を出してくる。これからリハーサルが行われるのである。二部のリハーサルにはさらに準備が必要だが、一部と三部については必要ない。その確認作業が主な内容となる。
 リハーサル中も照明担当の人と卒業生が打ち合わせを行っている。
 一部と三部のリハーサルも無事終わり、二部のリハーサルに入る。やはりこの二部のリハーサルが一番大変である。照明だけではなく、ステージ上の動きも多い。それを間違うと結構悲惨な展開が待っているのである。部員たちも卒業生たちもそれを理解しているからこそ、しっかりとリハーサルを行うのである。
 若干の問題点はリハーサル後に修正するということで、とりあえずリハーサルは終了した。
 リハーサルが終わってから、部員も卒業生も順番に交代で昼食となった。昼食は毎年仕出し弁当を頼んでいる。ゴミにはなるかもしれないが、いろいろと荷物の多いコンサートに弁当を持ってくるのはなにかと面倒なので、これが採用されていた。
「圭太も今が休憩なんだ」
 ロビーで弁当を食べようとしていた圭太に声がかかった。ともみである。
「先輩もですか?」
「うん。ま、もともと私は受付担当だから、そんなに準備はないんだけどね。実際はそっちよりも卒業生のまとめ役がメインだから。とはいえ指示するだけだけどね」
 そう言ってともみは微笑む。
「どうですか、軽くリハを聴いてみて」
「ん〜、まあ、全力じゃないからなんとも言えないけど、やる気だけは感じられたわね」
「やる気くらい出さないと、せっかく来てくれる人たちに悪いですからね」
「そうね。せっかく圭太目当てで来る『大勢の女の子』たちが悲しむものね」
「……なんか、微妙にトゲが」
「あら、そう?」
 圭太は嬉しそうに笑うともみを見て、ため息をついた。
「でもね、圭太。人の行動原理なんてそんなものでしょ? 私だってそう。今の行動原理はほとんどが圭太とのことだし。で、どんな理由であれ自分に相手が期待してるなら、応えてあげたいって思うのも普通だし」
「そうですね」
「だから、今日はしっかりやらないとね」
「はい」
 それから全員が食事をとったあと、先に二部の通しリハーサルが行われた。曲全部をやる時間はないが、それでもおおざっぱには演奏もする。あと、二部はいろいろ趣向が凝らされているから、その確認も随時行われた。
 二部のリハーサルが終わると、今度は一部と三部の通しリハーサル。ここで本当の意味での最終調整を行う。今更直せる部分は少ないが、それでも一応指摘だけは行う。
 そんなリハーサルがすべて終わったのは、四時少し前だった。残りの時間は基本的には控え室にいることになる。さすがに会場内をうろうろするわけにもいかないからだ。
 控え室のモニターでホール内やステージ上を確認できる。ステージ上では一部に備えての準備が行われていた。
 その準備も程なく終わり、緞帳が下ろされた。
 開場時間である四時半を前に、卒業生が控え室をまわった。外の様子を伝えるためで、雨も上がったおかげか、すでにそれなりの観客が集まっているということだった。
 一高吹奏楽部といえば、昨年の全国大会金賞受賞校。その演奏が聴けるとあれば、やはり人が集まるのも頷けた。
 部員が売っている出身中学の後輩、ほかの高校、さらには家族などを通じていろいろなところにチケットは出ている。それに、それほど多くはないが当日にもチケットは売るため、コンサートがあることさえ知っていれば入れる。
 開場から開演までは三十分。普通のコンサートなどだと一時間はあるが、そこは時間を有効活用するために短縮しているのである。
 すぐに開場時間となった。
 卒業生が観客を出迎える。チケットを受け取り、半券とパンフレットを渡す。
 ホール内にも少しずつ観客が入りはじめる。比較的いい席から埋まっていく。
 開演十五分前で、ホールは六割から七割埋まっていた。
 開演十分前。舞台袖へ移動する前に、祥子から最後の言葉があった。
「もうあと十分で本番よ。二、三年生は去年からの一年間、一年生は四月からのすべてをこれからのステージにぶつけて。とにかく失敗をおそれずに、後悔だけはしない演奏をしましょう」
 舞台袖で開演時間を待つ。
 ホール内からはざわめきが消えない。
 舞台袖にも微妙な緊張感があった。
 程なくして開演時間となった。
 ホール内にブザーが鳴り、照明が落とされる。
『本日はお忙しい中、第一高等学校吹奏楽部第四十四回定期演奏会にお越しいただき、ありがとうございます。開演前にお願いいたします。携帯電話等は電源をお切りいただくかマナーモード等の設定をお願いいたします』
 かり出された放送部員のアナウンスが流れる。
『それでは第四十四回定期演奏会、開演いたします。皆様、最後までごゆっくりご鑑賞ください』
 同時に緞帳が上がる。
「一高吹奏楽部〜、行くぜーっ!」
『おーっ!』
 出る直前、最後の気合いを入れる。
 そしてステージへ──
 
 観客の入りは、例年以上だった去年をさらに上回っていた。その一番の理由は、やはり全国大会金賞というネームバリューだろう。そういう団体の演奏を聴けるのだから、その機会を逃す手はない。
 座席はほぼ満席。当日分のチケットは早々に完売していた。
 ざわめきの中、部員たちが着席する。全員が揃ったところで、一部で指揮をする祥子が入ってくる。
 指揮は別に部長がすると決まっているわけではないが、基本的に音楽センスやまとめ方などを考慮すると、自然とそうなってしまう。
 祥子は観客に向かって一礼する。
 指揮台に立ち、指揮棒を手に、最後の確認をする。
 そして、演奏がはじまった。
 
 菜穂子はいつもの年と同じように舞台袖で演奏を聴いていた。受付担当の卒業生以外は、基本的にそこにいた。
「結構まとまってますね」
 一曲目が終わり、ともみがそんな感想を述べた。
「そうね。思っていたよりもしっかりできているわ。一時期はどうなるかと思ったけど、これだけできれば、とりあえずチケット代分くらいは、聴かせられそうね」
 そう言って微笑む。
「今年のコンサートの功労者は、誰ですか?」
「それはもちろん、圭太よ。彼がいなければ、ここまでの演奏はとてもできなかったと断言できるわ」
「なるほど。先生も認める逸材、ということですね」
 ともみは、うんうんと頷く。
「それにしても、彼のあの才能は本当に素晴らしいものだわ」
「留学の話、ですか?」
「まあ、勧めはしたけど、結局は断られたわ。もちろん、特殊な家庭環境だからそんなに期待はしていなかったけど。でも、高校だけで埋もれさせるには、あまりにももったいないわ」
「確かに」
 ステージ上では、二曲目がはじまっている。
「なにかいい方法があればいいけど」
「いずれにしても、圭太がやりたいと思わなければ、意味がないと思いますけど」
「それはもちろんよ。ただ、もう少しこちらの思惑もくみ取ってほしいとは思うわ」
「大人の事情、ですね」
「そうよ。本当に、世知辛い世の中よ」
 そう言って菜穂子は苦笑した。
「彼にはまだ来年もあるし、もう少し長い目で見てみるつもりではあるから」
「先生も、案外負けず嫌いですね」
「ふふっ、そうね」
 
 一部最後の曲。
 最後の一拍で曲が終わった。
 指揮棒が下ろされ、祥子は小さく頷いた。
 指揮台から下り、観客に応える。
 割れんばかりの拍手がホールいっぱいに響いた。
 一部が終わり、休憩時間となる。
 しかし、部員たちはここからが勝負である。
 二部はいろいろな趣向を凝らす代わりに、準備も大変である。
 仮装するために控え室は着替えの戦場となる。
 舞台上では卒業生が中心となり、セッティングが行われる。
 毎年のことだが、これが一番大変である。
 十五分間の休憩時間など、本当にあっという間に過ぎてしまう。
 
 ブザーが鳴り、照明が落とされた。
 二部のはじまりである。
 緞帳の前に、どこかのファミレスのユニフォームを着た綾が出てきた。
「はい、みなさんこんばんは。二部にて司会進行をつとめさせていただきます、北条綾です」
 同時に拍手がわき起こる。
「さて、一部では吹奏楽オリジナルの曲をお聴きいただきましたが、いかがでしたでしょうか。少々堅い内容で、寝ていないでしょうか? この二部では、その眠気を覚ますような演奏をお聴きいただきたいと思います」
 話を進める綾の背後に、もうひとりの司会、圭太が出てきた。
「おや、そこにいるのは高城圭太くんではありませんか」
 スポットライトが圭太に当たる。
 同時に、感嘆のため息が漏れた。
 圭太の格好は、いわゆる白ランと呼ばれる白い学生服だった。
 圭太が着ると、そういう格好でも洗練されて見える。
「どうかしましたか?」
「いや、なにか面白いことがあると聞いたから」
 いつもより低い声音で言う。
「なるほど。確かに面白いことがあるかもしれませんね。では、圭太くんにも楽しんでいただける二部をはじめたいと思います。最初は、パチンコ屋でおなじみの、『軍艦マーチ』です。どうぞ」
 緞帳が上がり、曲がはじまった。
 派手な演出に派手な演奏。最初にこの曲を選んだのは、反則に近いだろう。だが、その反則技のおかげで観客のボルテージは一気に盛り上がった。
 色とりどりの照明が、本当のパチンコ屋みたいである。
 一曲目が終わると、再び圭太と綾が出てくる。
「『軍艦マーチ』でした。まるでパチンコ屋にいるような感じでしたね」
 興奮冷めやらぬ観客に、綾は落ち着いた口調で話を進める。
「ところで圭太くん」
「ん?」
「なぜ、そのような格好をしているのですか?」
「貸衣装屋が」
「貸衣装屋?」
「貸衣装屋が、これを着ろと」
 ぼそぼそと呟く圭太。もちろんこれも演出である。
「なるほど。圭太くんは、その貸衣装屋の言うがまま、それを着ているのですね」
 と、その時。
 ホール内に携帯電話の着信音が響いた。
 誰かと思えば、綾だった。
「少々失礼します」
 わざとらしく携帯に出る。
「ほお……なるほど……ふんふん、わかりました」
 芝居がかった口調で、綾は受け答えし、切った。
「ええ、偉い人からの指令が入りまして、圭太くんは衣装替えをすることとなりました。今度の衣装は、次の曲『アクエリアス』が終わってからのお披露目ということで。それではどうぞ」
 その後、圭太は三回ほど衣装替えを行った。二着目が紋付き袴、三着目が山高帽に燕尾服、四着目が革ジャンにジーンズ(サングラスあり)というものだった。
 恒例の寸劇。その題名は『一高吹奏楽部版ロミオとジュリエット・ロミオとジュリエットに待ち受けるのはテロリストの魔の手か?』だった。その中身は、やはりどうしようもないものなので、ここに書くのは控えたい。
 各曲にあるソロパートでは、三年が最後のコンサートを楽しみ、惜しむように最高の演奏をして見せた。
 そして、二部もいよいよラスト。
「さて、ここまでおつきあいいただき、本当にありがとうございました。次の曲が、この二部の最後の曲となります。最後は、落ち着いた曲ということで、『オーバー・ザ・レインボー』です。邦題では『虹の彼方に』です。これは大変有名な曲ですから、みなさんもよくご存知かと思います」
 綾は、最後までよどみなく司会を務める。
「最後までつたない司会進行におつきあいいただき、また、あまりのひどさゆえに物などを投げないでいただき、本当にありがとうございました。二部の司会は、北条綾と」
「高城圭太でお送りしました」
 揃って礼をする。
「なお、本当の圭太くんは、先ほどまでとはまったく違いますので。それでは、『オーバー・ザ・レインボー』です」
「どうぞ」
 
 二部が終わり、部員たちは興奮した様子で戻ってくる。
 控え室でも舞台上でも、最後のステージに向け、準備を進める。
 三年にとっては、本当に最後のステージである。
 十分間の休憩時間はあっという間に過ぎ去った。
『大変お待たせいたしました。第三部の開演でございます』
 アナウンスにあわせ、緞帳が上がる。部員たちはすでに制服に着替え、ステージ上で待っている。
『指揮は、当部顧問菊池菜穂子です』
 紫のドレスに身を包んだ菜穂子が出てくる。
 指揮台の前で一礼。
 拍手がやむと、独特の緊張感がホールを覆う。
 そして、指揮棒が上がった。
 
『本日は第一高等学校吹奏楽部第四十四回定期演奏会にお越しいただきまして、ありがとうございました。これにて本日のプログラムはすべて終了です。お帰りの際にはまわりを今一度お確かめの上、お帰りくださいますよう、お願い申し上げます。本日は、ありがとうございました』
 アナウンスが流れ、ホール内に照明が入った。
 観客が、出口に向かう。
「ありがとうございました」
 県民会館の入り口では、三年が並び、観客を見送っている。
 毎年のことだが、裏方はそれはもう、上を下への大騒動である。
 おおかたの観客が帰ったところで、三年と親しい者との歓談がはじまっていた。
「祥子先輩」
 祥子の元に、琴絵たちがやってきた。
「おつかれさまでした」
「ありがとう。演奏は、どうだったかな?」
「はい、とっても良かったです」
「そっか。チケット分は、ちゃんと聴かせられたみたいだね」
 そう言って祥子は微笑んだ。
「来年は、琴絵ちゃんもあの舞台に立つのかな?」
「できればそうありたいです」
「ふふっ、そうだね」
 それから少し話し、琴絵たちは帰っていった。
「祥子。ちょっといい?」
 そこへ、片づけ要員のともみが声をかけた。
「どうかしましたか?」
「片づけに少し手間取ってて、時間がかかりそうなの」
「閉館時間、越えそうですか?」
「微妙なところ」
「わかりました。一応そういう可能性もあると伝えてきます」
「お願いね」
 三年だからこそ、祥子は自分の仕事もしなければならなかった。
 終わりよければすべてよし。そんな言葉もあるくらいである。
 最後までちゃんとやらなければ、コンサートは成功とは言えない。
 祥子もそんなことを考えつつ、事務所へと向かった。
 
「それでは、コンサートの大成功を祝って、乾杯っ!」
『かんぱ〜いっ!』
 今年の打ち上げも、例の居酒屋で行われていた。
 やはり高校生相手にある程度融通してくれる店はそうそうないのである。
「おつかれさま、圭太」
「おつかれ、柚紀」
 圭太と柚紀は、そう言ってグラスをあわせた。
「ホント、終わっちゃうとあっという間って感じだよね」
「うん、そうだね」
「これでコンサートはあと一回か。来年も、成功するかな?」
「大丈夫だよ。やることさえきっちりやれば」
 圭太は大きく頷いた。
「でも、さすがに来年は衣装替えはしたくないな」
「ふふっ、結構大変そうだったもんね。でも、女子の間では評判いいんだよ。圭太はなにを着ても似合うから」
「そうそう、圭太はホントになにを着ても似合うわよね」
 そこへ、去年同様少し顔の赤いともみが乱入してくる。
「しっかし、柚紀たちもよく考えたわね」
「発案者は私じゃないですよ」
「そなの? 誰?」
「綾ですよ。司会するのに普通じゃ面白くないからって」
「な〜るほど」
 ともみはうんうんと頷く。
「でも、これで圭太のファンがまた増えるわね。今日も女子の数が多かったし」
「そうなんですよね〜。それが一番問題なんですよ。彼氏がモテるのは嬉しいんですけど、モテすぎるのも問題で」
 ため息をつく柚紀。
 話が妙な方向へ流れそうなのを察知し、圭太はそっとふたりから離れた。
 と、そんな圭太を引き込む者がいた。
「はい、圭兄はここ」
「はい、先輩。どうぞ」
「これもどうぞ」
 後輩三人組である。
「コンサートはどうだった?」
 圭太は三人にコンサートの感想を聞く。
「ん〜、終わったら、あっという間だったかな。でも、やっぱり緊張はしたよ」
「コンクールとはまた違った緊張感がありましたね。これはこれでとても楽しかったですよ」
「あれだけの観客の前で演奏するのは、面白くもあり、大変でもありましたね」
 それぞれの感想は、おおむね同じだった。
「それにしても、圭兄の衣装、ホントによく似合ってたよね」
「ええ、惚れ直しました」
「僕は、言われるままに着てただけなんだけどね」
「あれだけ着こなせるんですから、すごいですよ」
「今度、私もやってみようかなぁ」
「おいおい……」
 さすがの圭太も、同じことをプライベートでやるつもりはないらしい。
「圭くん、ちょっといいかな?」
 今度は祥子から声がかかった。
「なんですか?」
 圭太はこれ幸いにとその場を離れた。
「はい、ここに座って」
 祥子は嬉しそうにそう言う。
 どうやら祥子も圭太の相手をしたいらしい。
「おつかれさま、圭くん」
「おつかれさまです」
「今年のコンサートは無事成功したし、次はコンクールだね」
「そうですね。まずは県大会くらいを目標にレベルアップしないといけないですね」
「うん」
 一高は去年全国に出ているため、県大会まではシードされる。それを受けての圭太の言葉である。
「それでね圭くん。ちょっと提案があるんだけど」
「提案ですか?」
「うん。今年は首脳部人事を早めに行おうと思ってるの。その方が圭くんたちへの移行もスムーズだと思うし」
「それは構いませんけど。具体的にはいつ頃やるんですか?」
「県大会後、だいたい合宿の頃がいいと思うんだけど」
「なるほど」
 祥子の提案に圭太も頷く。
 コンクールのみなら首脳部はなにも現行の首脳部である必要はないのだ。
 部長、副部長、パートリーダー、そのどれもがちゃんと仕事の引き継ぎを行わねばならない。それを考えると、早めに行うのは良いことだと思える。
「次期部長は、もちろん圭くんでね」
「やっぱりですか?」
「うん、もちろん」
 笑う祥子。
「二年生の副部長は誰になるかわからないけど、一年生の副部長は紗絵ちゃんで決まりだからね」
「本当に三中で固めるんですね」
「目指せ五期連続だからね」
 そこには琴絵も数に入っていた。
「まあ、誰になるかはとりあえずはいいの。早めに決めようというのが本題だから」
「わかりました」
 それからしばらく、わいわいと飲んで食べて騒いで。
 帰りの電車などの都合上早めに帰る者もいたが、おおむね残っていた。
「圭太、ちょっといい?」
 宴もたけなわな頃、今度は幸江に呼び出される。
「こういう日に聞くのはちょっと反則だと思うんだけど、考えてみてくれた?」
 幸江は少し声を落として訊く。
「考えてみました。ですが、先輩」
「うん?」
「先輩の言う、『割り切った関係』って、どういうものなんですか?」
「そうね……」
 少し俯く。
「圭太には柚紀がいるでしょ?」
「はい」
「だから、彼女とかそういう関係じゃなくて、言葉は悪いけど、セックスフレンドとか、そんな感じかな。もちろん、それが目的ってわけじゃないけどね」
「…………」
「本当はね、ともみや祥子みたいな関係になりたいの。でも、そうなるには私と圭太との間にはいろいろ足りないものもあるし」
「……だから僕は甘いって言われるんでしょうね」
「えっ……?」
 圭太は、自嘲した。
「先輩。今度、もう少しゆっくりと話しませんか?」
「いいの?」
「はい。もう少しいろいろ話して、先輩のことを知りたいんです。それで、最終的な判断をしたいと思います」
「そっか。それなら、うん、いいよ」
「じゃあ、都合のよさそうな日に連絡しますね」
「うん、待ってるから」
 
 打ち上げが終わると、三々五々家に帰っていく。中には二次会に繰り出す者もいたが。
 圭太たちは、真っ直ぐ家に帰る方を選択していた。
「はあ、いい気持ち」
 おそらくアルコールの入っているともみは、ずっと上機嫌だった。
「コンサートも大成功で、次はコンクール。祥子〜、今年も全国行きなさいよ〜」
「みんなそのつもりですけど」
「じゃあ、あとは結果だけね」
 そんなともみに、祥子は苦笑するしかなかった。
「明日は久々に休みだね、圭兄」
「ん、まあ、そうかな」
 圭太は言葉を濁した。
「ああ、ごめんね、朱美ちゃん」
「はい?」
「明日はね、丸一日私につきあってもらうこと、決定してるから」
「そうなんですか?」
 柚紀の言葉に朱美は思わず声を上げていた。
「まあね」
「む〜、せっかく明日は圭兄と一緒にいられると思ったのに」
 そう言って朱美は、少しだけ残念そうに圭太を見た。
「ところで圭太」
「なんですか?」
「幸江とは、なにを話してたの?」
「幸江先輩とですか?」
「そ。なんか、ふたりだけの世界に入っちゃってたからね」
 ともみの言葉には、微妙にトゲが含まれていた。
 いつの間にか、その場にいる全員の視線が圭太に集まっていた。
 とはいえ、あの会話の中身を洗いざらい話すわけにはいかなかった。そう、少なくとも今は。
「別に、たいしたことは話してませんよ。大学のこととか、今日のコンサートのこととか、あとはコンクールのこととか」
 圭太は言葉を選び、差し障りのないことを言った。
 しかし、一同はそれを信じてはいない様子である。
 ただ、証拠もないのでなにも言わないだけである。
 それからしばらく歩き、ともみたちと別れた。
 圭太、柚紀、朱美の三人だけになると、会話もぐっと少なくなった。
「来年も成功するといいね」
「大丈夫。成功するよ」
「うん」
 こうして圭太にとって二度目のコンサートも大成功のうちに終わった。
 
 三
「……圭太」
 まだ陽が昇る前。
 柚紀は隣で眠る圭太の頬に手を当て、ささやいた。
「好きって、どういうことなんだろうね……?」
 そう言った柚紀の顔には、表情がなかった。
 圭太は眠っているため返事はない。それでも柚紀は続けた。
「私は、世界で一番圭太が好き。圭太も、私のこと、世界で一番好きでいてくれる?」
 唇を軽くあわせる。
「もしそうなら、私は圭太のこと、信じられる。もちろん、今でも圭太のこと信じてるけどね」
 左手を見る。
 明かりのない部屋の中でも、薬指の指輪は鈍く光っていた。
 それは、圭太と柚紀をつなぐ大切な指輪。それがあるからこそ柚紀は、多くの女性との関係を容認している。
「……でもね、圭太。私、時々怖くなるの。圭太が私じゃない、ほかの誰かと一緒にどこかへ行ってしまうような気がして。ふふっ、おかしいよね、そんなの」
 少し乱れている髪を優しく撫でる。
 一瞬、圭太の表情が緩んだ。
「……ねえ、圭太。私、どうしたらいいのかな? このまま、みんなのこと認めていていいのかな? それとも、すっぱりあきらめてくれるように言う方がいいのかな?」
 スッと目を閉じる。
「ねえ、圭太……教えてよ……」
 そして、柚紀はまどろみの中へと落ちていった。
 
 圭太が起きた時、柚紀はまだ眠っていた。
 穏やかな寝顔を見ていると、圭太は起こすのが可哀想になり、そのまま部屋を出ることにした。
「おはよう、母さん」
 台所では琴美が朝食の準備をしていた。
「おはよう、圭太。よく眠れた?」
「まあね。さすがに昨日は疲れてたし」
「そうね」
「そういうこともあるから、柚紀はまだ寝てるよ」
「そう、わかったわ」
 洗面所で顔を洗い、朝刊を読んでいると、二階からパタパタと足音が聞こえてきた。
「おはよ、お兄ちゃん」
 下りてきたのは琴絵だった。
「おはよう、琴絵」
 ふたりは軽く唇が触れるくらいのキスを交わす。
「あれ、柚紀さんは?」
「まだ寝てるよ。ほら、昨日は遅くまでいろいろあったし」
「そっか。そういえば、朱美ちゃんもまだ起きてこないね。やっぱり、コンサートで疲れてるのかな?」
 琴絵はうんうんと頷いた。
「ところでお兄ちゃん」
「うん?」
「今日は一日お休みなんだよね?」
「うん、そうだけど。それが?」
 圭太は新聞を閉じ、琴絵に訊ねた。
「もし余裕があったらでいいんだけど、部活の指導に来てくれないかな?」
「指導? 三中の?」
「うん。実はね──」
 琴絵は指導を請う理由をざっと説明した。
「なるほど。いわゆるテコ入れというやつか」
「私も先生もいろいろやってるんだけどね、なかなか改善できなくて。もちろん、問題視してからもう一ヶ月経ってるから多少は良くなってるけど。それでもまだまだダメ。だからお兄ちゃんにお願いできないかなって、そう考えたの」
「まあ、僕もそれには協力したいけど」
「ホント?」
「それは、柚紀次第かな?」
「柚紀さん? どうして?」
 琴絵は首を傾げた。
「今日は一日柚紀につきあうことになってるから。その柚紀が首を縦に振れば大丈夫だけど、そうじゃなかったら、またの機会ということになるかな」
「そっか」
 圭太の説明を聞き、琴絵は少しだけ肩を落とした。
「そういうことなら仕方ないね。うん、今日はやっぱり──」
「琴絵ちゃん、水くさいわよ」
「あっ、柚紀さん」
 そこへ、少しだけ眠そうな柚紀がやって来た。
「おはよ、圭太、琴絵ちゃん」
「うん、おはよう、柚紀」
「おはようございます」
「で、琴絵ちゃん」
「あっ、はい」
 柚紀はにっこり笑った。
「そういうことは、私に確認もしないで勝手にあきらめちゃダメよ」
「でも、それじゃあせっかくのお休みが……」
「ま、確かにふたりきりの時間が減るのは痛いけど、でもね、琴絵ちゃん。私は『義妹』想いの優しいお『義姉』ちゃんなのよ」
「それじゃあ、いいんですか?」
「うん。別に丸一日拘束されるわけじゃないでしょ?」
「はい。練習は午前中だけです」
「なら、全然問題なし」
 大きく頷き、柚紀は圭太を見た。
「そういうことだから、指導に行くよ、琴絵」
「あはっ、ありがと、お兄ちゃん」
 そして、琴絵も嬉しそうに笑った。
 
 圭太は、琴絵と一緒に三中へ向かった。
 さすがに柚紀はOGでもないので高城家で留守番である。
「一高は、自由曲はなにをするの?」
「『ファウスト』だよ。あれは一曲が短いからね」
「なるほど。あっ、そうすると、お兄ちゃんはファーストだね」
「まあね。どこまでできるかはわからないけど」
「お兄ちゃんなら大丈夫だよ」
 九時前に三中に到着。
 その時間だとほかの部活もまだ活動前である。
 圭太は琴絵と一緒に職員室へ赴いた。
「おはようございます」
 職員室の中には、部活の指導に来ているであろう教師が三人ほどいた。
「先生、おはようございます」
 琴絵は、その中のひとり、佳奈子に声をかけた。
「おはよう、琴絵。あら、圭太じゃない。どうしたの?」
「いえ、琴絵に指導を要請されましてね。それで出頭したんですよ」
「なるほど。琴絵も最終手段に訴えたわけね」
 佳奈子は得心という感じで頷いた。
「それじゃあ、琴絵。音楽室開けて、十時まで個人練習ね。十時から圭太と一緒に合奏するから」
「わかりました。じゃあ、お兄ちゃん」
 琴絵は佳奈子から音楽室の鍵を受け取り、一足先に職員室を出た。
「それにしても」
 佳奈子は圭太に椅子を勧めながら言った。
「圭太も相変わらず琴絵に甘いのね」
「否定はしませんよ」
 圭太は微苦笑で答えた。
「それで、一高の方はどうなの?」
「これからですね。昨日コンサートが終わったばかりですから」
「そういえばそうだったわね。どうだったの、コンサートの方は?」
「大成功です。まさか満席になるとは思いませんでした」
「それはすごいわね。私も行けばよかったかしら」
「来年は是非」
 ふたりはしばらく他愛のない話に花を咲かせた。
「そうそう、三中の面々はどう? 使いものになってる?」
「ええ、大丈夫ですよ」
「紗絵はなんの心配もないと思うけど、遥と浩章は少し落ちるから」
「ふたりともしっかりやってますよ。特に遥は祥子先輩とまた一緒にできるって喜んでますから」
「ふふっ、遥らしいわ」
「祥子先輩も同じパートによく知ってる後輩がいて、やりやすいみたいですし」
「祥子は、確かにそうかもしれないわね。なんだかんだいっても、祥子はともみや圭太とは違うタイプだから」
 佳奈子は感慨深そうに頷いた。
「さて、そろそろ音楽室へ行った方がいいわね」
「そうですね」
 三中音楽室には、合奏のために部員が揃っていた。
 ざわめきの中、圭太は佳奈子と一緒に音楽室へ入った。
「今日はわざわざOBである圭太があなたたちを指導に来てくれたから。無様な格好だけは見せないように」
「まあ、指導といってもどこまでできるかはわからないので、いつも通りで」
 圭太はそう言って微笑んだ。
「それじゃあ、課題曲、自由曲、通しで」
 
 その頃。
 高城家では柚紀が琴美と朱美と三人で開店準備を行っていた。
「ごめんなさいね、手伝わせちゃって」
「いえ、これくらいいいですよ」
 柚紀はテーブルを拭きながら微笑んだ。
「それにしても、圭太も彼女を放り出して母校の指導に行くなんてね」
「それが圭太の圭太たるゆえんじゃないですか?」
「ふふっ、そうね」
 準備は、三人で行ったせいかすぐに終わった。
 それから少しして、鈴奈とともみが立て続けにやって来た。
 ふたりとも柚紀だけがいることに首を傾げたが、理由を聞き納得していた。
 開店時間を迎え、柚紀と朱美はお役ご免となった。
「先輩」
「うん?」
「圭兄が帰ってくるまで少し話してもいいですか?」
「うん、それは全然」
 ふたりは場所を朱美の部屋に変えた。
「こうして先輩と話すのって、はじめてですね」
「そういえばそうだね。いつもだとここに紗絵ちゃんがいるからね」
 柚紀はそう言って微笑んだ。
「先輩は、私たちのこと、どんな風に見てるんですか?」
「私たちって、圭太に対する?」
「はい」
 朱美ははっきりと頷いた。
「う〜ん、どう見てると改めて言われると、答えづらいね」
「どうしてですか?」
「微妙だから。私から見たみんなのイメージって、ふたつあるの」
「ふたつ?」
「うん。ひとつは、単純にその人となりに対するイメージ。もうひとつは、圭太の心を奪っていったライバルに対するイメージ。これって、結構相反することだから、微妙なの」
 柚紀は笑みを絶やさず答えた。
 それに対して朱美は、なんと言っていいのかわからない様子。
「私は、どうですか?」
「そうだなぁ、朱美ちゃんは普段は『妹』って感じだよね」
「『妹』、ですか?」
「うん。年下ってこともあるけど、それを抜きにしてもそんな感じ」
「なんか、複雑な気分です」
 朱美は苦笑した。
「でも、朱美ちゃんはなにに対しても一生懸命だよね。そういうところは見習いたいよ」
「そ、そうですか?」
「ま、その大半が圭太絡みだけどね」
 柚紀は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ライバルとしては、ん〜、要注意であることに変わりはないんだけど、琴絵ちゃんや祥子先輩なんかに比べると、まだ安心できるかな」
「それって、役不足ってことですか?」
「そういうわけじゃないけどね。ただ、朱美ちゃんもわかってると思うけど、琴絵ちゃんや祥子先輩に対する圭太って、ほかと少し違うでしょ?」
「そうですね」
「だから、朱美ちゃんがどうというわけじゃなくて、圭太のみんなに対する態度がイメージに大きな影響を与えてるね」
「なるほど」
「ただし、朱美ちゃん」
「な、なんですか?」
「圭太の彼女は、私なんだからね。少しは遠慮しても、いいと思うよ」
「あ、あはは、善処します」
 
 合奏の時間は瞬く間に過ぎ去った。
 圭太は指導というよりは、一緒に練習していた、という方が正しかった。
 とはいえ、圭太の存在は三中吹奏楽部員に刺激を与えたことに変わりなかった。
「おつかれ、圭太」
 佳奈子は圭太の前にお茶を出した。
「みんなにはいい刺激になったと思うわ」
「それだと僕も来たかいがありました」
「だけど、一番刺激を受けていたのは、一番問題のない琴絵というのは皮肉なものね」
 苦笑する佳奈子。
「やっぱり、お兄ちゃんの前ではいい格好したかったのかしら?」
「さあ、どうでしょうかね」
 圭太は曖昧に微笑んだ。
「そうそう、忘れないうちに言っておくわね」
「なにをですか?」
「夏休み中の指導のこと」
「今年もですか?」
「ええ。去年と同じくらいの時期でいいわ。圭太たちもいろいろあるだろうし。どう、頼めるかしら?」
「予定が立ってませんから明確なことは言えませんけど、一応考えておきます」
「そうしてくれると助かるわ」
「失礼します」
 ふたりが話しているところへ、部長の仕事を終えた琴絵がやって来た。
「先生、音楽室閉めました」
「そう、ごくろうさま」
 鍵が、佳奈子に返る。
「お兄ちゃんは、まだ?」
「ああ、いいわよ、もう。話すべきことは話したし」
「だそうだ」
「うん」
 それからふたりは佳奈子に挨拶して学校を出た。
「ねえ、お兄ちゃん」
「ん?」
「大丈夫だと思う?」
 琴絵は、胸元に手を当て、圭太に訊ねる。
「このまま練習を続けていれば、県大会頃にはだいぶ仕上がってると思うけど」
「ホント?」
「まあ、あとはみんなのやる気次第かな。それと、琴絵のリーダーシップ」
「あうぅ……」
 琴絵はカクッと頭を垂れた。
 圭太は冗談だと言って琴絵の頭を撫でた。
「でも、琴絵が心配するほど問題があるようには思わなかったな」
「今日は、お兄ちゃんが来たからだよ。三年や二年はお兄ちゃんのこと知ってるから。だからいつも以上に張り切ってた」
「琴絵もか?」
「えっと、あ〜、うん、そうかも」
 照れくさそうに笑い、琴絵は頷いた。
 やはりブラコンな琴絵の原動力は、圭太である。
「やっぱり、お兄ちゃんの前ではちゃんとした演奏したいから」
「だけど先生も言ってたけど、琴絵は特に問題ないって。それだと、とりあえず自分のことは後回しにして、みんなの指導をしたらいいんじゃないか?」
「うん、それも考えてるんだけど、とりあえず夏休みまでは今のまま」
「なるほど」
「ただね、私にどこまでできるのかなって、そう思うの。お兄ちゃんや紗絵先輩はできていたけど」
 優秀な先達がいると、あとに続く者はなかなか厳しい目で見られる。
 琴絵もそんなジレンマを抱えているのだろう。
「琴絵は琴絵らしく。別に僕や紗絵の真似をする必要はないんだ。それに、誰も僕たちと琴絵を比べたりしないって」
「……うん、そうだね」
 圭太に励まされ、琴絵も笑みを浮かべた。
「さて、帰ったら柚紀の相手をしないと」
「イヤなの?」
「そんなことないよ。ただ、このところちゃんと柚紀の相手をしてなかったから、なにを言われるのかと思って」
「そうなんだ」
「ま、それは帰ればわかるから」
「うん」
 
 圭太は、昼食後柚紀と一緒に出かけた。
「圭太とのデートも、久しぶりだよね」
「そうだね。最近は本当に忙しかったから」
「まあでも、それも自分で選んだことだし、仕方ないけどね」
 あきらめ、というわけではないが、柚紀はそう言って苦笑した。
「そういえば、もうすぐ琴絵ちゃんの誕生日だよね、確か」
「うん。よく覚えてたね」
「そりゃ、『義妹』のことだもん、覚えてるよ」
 笑う柚紀につられ、圭太も笑った。
「それで、もうプレゼントは買ったの?」
「いや、まだだよ」
「じゃあさ、これから買いに行かない? 去年は渡せなかったけど、今年はちゃんと渡したいし」
「うん、そうだね、そうしようか」
 ふたりは目的地を駅前商店街にした。
 梅雨の晴れ間の商店街は、日曜ということもあって大勢の買い物客でにぎわっていた。
 梅雨明けまではもう少しあるが、それでも店頭に並んでいる商品はどれもこれも夏のものだった。
「それでなにを買おうっていうのはあるの?」
「毎年それで一番悩んでるんだよ。去年はあれをあげたから、今年はこれかなって」
「確かに、前と同じのだとさすがにね」
「それで、ここは柚紀にアドバイスを求めたいと思うんだ」
「アドバイス? ん〜、そうねぇ……」
 柚紀は、立ち並ぶ店を見ながら唸った。
「琴絵ちゃんくらいの年が、一番背伸びしたい頃なんだよね」
「大人っぽいものってこと?」
「それもありってこと。なにもそれが絶対ってことじゃないよ。それに、圭太からもらうということが琴絵ちゃんにとっては一番だと思うし」
 私もだけどね、と付け加える。
「そうすると……う〜ん、アクセサリーとかがいいかな?」
「妥当な線かな」
 ふたりは、貴金属店へと入った。
 ショーケースの中にはゼロがたくさん並んだ宝飾品が並んでいる。もちろん高校生の圭太にそのようなものが買えるはずもない。見ているのはイミテーションの安いものである。
 指輪、ネックレス、ブレスレット、アンクレット、ピアス……
 圭太はそれらを目を皿のようにして見ている。
「琴絵ちゃんなら、なにをつけても似合うと思うけど」
 柚紀は、半分は琴絵のために、半分は自分のためにいろいろ物色していた。
「ねえねえ、圭太」
「うん?」
「これ、どう?」
 そう言って柚紀は、ピアスをつけた耳を見せた。
 小さな石のついたピアスで、それだけでぐっと大人っぽく見せた。
「うん、よく似合ってる」
「ホント? う〜ん、買っちゃおうかな」
 柚紀が自分のも物色しているうちに、圭太は琴絵へのプレゼントを選んだ。
 それから柚紀も自分の分を買った。
「圭太がアクセサリーだから、私は違う方がいいよね」
 そういう理由でそこでは琴絵へは買わなかったのだ。
 次にふたりが入ったのは、定番になりつつある例の店だった。
 店頭ディスプレイには、すでに秋物が陳列してある。
 それを横目に向かったコーナーは、やはり夏物コーナー。
「さてと、どれがいいかな」
 そう言って柚紀が見ているのは、帽子だった。
 柚紀も去年、圭太が麦わら帽子を贈っているのは知っている。それでもなお、このコーナーへやってきた。
「この白いのは、似合いそ」
 ひさしの大きな白い帽子。確かに琴絵に似合いそうだった。
「ん〜、でもなぁ……」
 どうやら、納得いくものはないらしい。
「ねえ、圭太。知らないとは思うけど、琴絵ちゃんの身長とかスリーサイズとか、知ってたりする?」
「身長は知ってるけど、スリーサイズまではわからないよ」
「だよね。とすると、聞き出してからか、ここへ直接連れてくるか、どちらかね」
 ひとりで頷く。
「よし、決めた」
「ん?」
「今度、琴絵ちゃんを連れてくる。そこで実際にあわせて、それでプレゼント」
「なるほど」
「そうと決まれば、あとはデートのみ。ほら、圭太、行こ」
 
 ふたりは、駅の反対側にある公園に向かった。
 普段は滅多に足を伸ばさない場所だが、そこはふたりにとっては想い出の場所でもあった。
「ここで圭太は、これを贈ってくれる決心をしたんだよね」
 柚紀は、左手の指輪を見せる。
「私たちが婚約してからもう三ヶ月か。あっという間だったよね」
「そうだね。でも、婚約したからって、目に見えて関係が変わったわけでもないし」
「それはそうだよ。私たちは、元から『ラヴラヴ』だったんだから」
 そう言って圭太に寄り添う。
 そんな柚紀の肩を、圭太は優しく抱く。
「ホント、圭太は優しいよね」
「うん? どうしたの、急に?」
「でも、圭太は少し優しすぎ。もう少し厳しくなってもいいと思う」
「……それって、暗にみんなとのことを言ってるの?」
「うん」
 柚紀は、悪びれもなく頷いた。
「確認、してもいいかな?」
「なにを?」
「圭太にとって、私を除いて誰が一番なの?」
「誰が、ということはないけど。強いて言うなら、やっぱり琴絵かな」
「それは、妹だから?」
「それもあるけど。なんて言ったらいいのかな。琴絵は、守ってあげなくちゃいけないって、そう思うんだ。もちろん、それは妹としての琴絵をずっと見てるからかもしれないけどね」
 圭太は、穏やかな表情で言う。
「なるほどね。琴絵ちゃんのことは、私もそうなんじゃないかって思う。じゃあ、琴絵ちゃん以外だと?」
「やっぱり、祥子先輩かな」
「う〜ん、やっぱりそうなるか」
 柚紀は、眉根を寄せ唸った。
「そんなに先輩のこと、好き?」
「明確な差があるわけじゃないけど、好きだよ」
「圭太にとって祥子先輩って、どんな存在なの?」
「改めて聞かれると返答に困るけど。そうだなぁ、琴絵とは少し違うけど、やっぱり守ってあげなくちゃいけないって思わせる存在かな」
「むぅ、そういう存在が一番やっかいなんだよねぇ……」
「やっかいって……」
 圭太は苦笑した。
「はあ、ホント、圭太にも困ったものよね」
「……言い訳もできないよ」
「ウソウソ、別にそんなに悲観してないから。それに、祥子先輩のことは、前に先輩と話したこともあるし。だから、お互いにどんなことを考えてるのかわかるから」
「そうなんだ」
「うん。とはいえ、そこはやっぱり圭太がしっかりしてくれないと、困るんだけどね」
「善処します」
「うん」
 
 その日の夜。
 柚紀は、琴美に誘われ『桜亭』の方でお茶を飲んでいた。
「こうして柚紀さんとゆっくり話すの、はじめてね」
「そうですね」
 ふたりの前にあるのは、アッサムティーとクッキーが数種。夕食後なので、その程度である。
「とりあえず、いろいろ訊いてもいいかしら?」
「はい、なんでも」
 柚紀は笑顔で頷いた。
「まず、どうして圭太だったのかしら?」
「明確な理由はないと思います。もちろん、圭太を選んだ理由はありますけど」
「それは?」
「まず、見た目ですね。去年同じクラスになって隣の席になって、第一印象がカッコイイでしたから。いくら口では中身が伴ってないとダメだ、とか言っても、やっぱり最初は見た目からじゃないですか」
「確かにそうね」
「それから、同じ部活になって、好きになったきっかけは、歓迎会でのキスですね」
「キス? 歓迎会で?」
 琴美は、さすがのことに思わず聞き返した。
「ええ。歓迎会のゲームでそういうことになって。それから意識するようになったんですよ。あとは、いろいろ話していくうちにどんどん惹かれていって。気づいたら、圭太のことだけになってました」
 少しだけ照れくさそうに笑う。
 そんな柚紀を見て、琴美も目を細めた。
「中学の時はつきあってた男子はいませんでしたから、圭太をほかの人と比べることはできませんけど。でも、圭太が『彼氏』として最高だってことはわかります。見た目も、中身も」
「なるほどね。でも、私は今でも不思議なのよ」
「なにがですか?」
「あれだけ人を頑なに受け入れてこなかった圭太が、どうして柚紀さんを受け入れたのかわからなくてね」
「それについては、私もわかりません。ただ、圭太の中でなにかが変わったんだと思います。もちろん、私も十分焚きつけましたけど。たぶんですけど、琴絵ちゃんあたりになにか言われたんだと思いますよ」
「琴絵が? なるほど、それはありそうね」
 琴美はおとがいに指を当て、小さく唸った。
「まあ、経過はどうあれ、柚紀さんのおかげで圭太は変われたのだから、母親としては感謝しているわ」
「私はなにもしてませんけどね」
「おくゆかしいのね」
「いえいえ」
 そう言ってふたりは笑った。
「次は……柚紀さんは、どうしてみんなのことを許しているの?」
「結果的にそうなっただけですよ。もしそのことを早く知っていたら、許していなかったかもしれません。圭太の彼女は私なのにって」
「それが普通よね。柚紀さんみたいに許して認めてしまえる方が珍しいわ」
「自分でもそう思います。でも、圭太の性格を考えるとある程度はしょうがないのかなって思いますよ、実際」
「優しすぎるから、かしら?」
「ええ。みんなの想いをすべてに近いくらい受け止めてしまえるんです、圭太は。だからこそみんな圭太に惹かれているんだと思いますけど」
「そうね」
 琴美はさすがに少し渋い表情で頷いた。
「とはいえ、私だって負けるつもりはありませんから。今までもそうでしたけど、これからもどんどん攻めの姿勢を貫くつもりです」
「ふふっ、本当に圭太には柚紀さんみたいな人がぴったりだわ」
「私もそう思います」
「あらあら。じゃあ、最後に。一高を卒業したら、どうするつもりなのかしら?」
 残っていた紅茶を飲み干し、柚紀に訊ねた。
「そうですね、とりあえずは一緒になります。あと、進路については圭太と同じのを選びます。進学でも就職でも」
 柚紀は、よどみなくそう答えた。
「本当に圭太のことが好きなのね」
「はい」
「私は結構厳しいわよ?」
「覚悟してます」
「あら、それは圭太に聞いたのかしら?」
「多少は」
「まったくあの子は……」
「琴美さん」
「ん?」
「今までも、今も、これからも、よろしくお願いします」
「ええ」
 柚紀は琴美を『母親』のように思い、琴美も柚紀のことを『娘』のように思い、お互いに微笑み返した。
「ああ、でも、卒業してからすぐに結婚してしまうと、私も三十代で『おばあちゃん』になってしまうわ」
「そ、それは、まあ……」
「カワイイ『孫』の顔は見たいけど、『おばあちゃん』と呼ばれるのには、抵抗があるわ」
「こ、琴美さん……」
「ふふっ」
 柚紀と琴美。近い将来、『親子』となっても問題は起きないだろうことは、今の姿を見ていればわかる。
 ふたりとも、本当に圭太のことを大切に想っているのだから。
 
 四
 七月七日、七夕。
 一年に一度、天の川を越えて彦星と織り姫が出逢う日。
 とはいえ、日本では本来の七夕は旧暦のこと。現在の暦では梅雨の最中で、とても天の川を見ることはできない。
 そして、今年もまた七日は雨だった。
「圭太は、どんなお願いをしてたの?」
 柚紀は雨に煙る街並みを見ながら圭太に訊ねた。
「どんなって、普通のお願いだよ。夏休みが近いから、海に行きたいとか山に行きたいとか」
 圭太は読んでいた本を閉じ、そう答えた。
「柚紀は?」
「私は、綺麗なお嫁さんになりたいとか美人になりたいとか、そういうの」
「ははっ、柚紀らしいね」
「そこ、笑うところじゃないでしょ?」
 ぷぅと頬を膨らませ、柚紀は抗議した。
「でも、お嫁さんはまだだけど、美人になりたいっていうのは、かなってるよ」
「……ホントにそう思う?」
「うん」
「そっか」
 圭太に言われ、柚紀は嬉しそうに微笑んだ。
「ね、圭太」
「うん?」
「エッチ、しよ」
 柚紀は圭太をベッドに引っ張り、そのまま押し倒した。
「今日は、私がしてあげる」
 そう言って圭太のズボンに手をかけた。
 慣れた手つきでズボンとトランクスを脱がせる。
 萎縮しているモノを軽くしごき、舌先で先を舐めた。
「んっ……」
 鋭敏な感覚に圭太は思わず腰を引きそうになった。
「ん……あむ……んん……」
 柚紀は、舌と口を使って圭太のモノを丹念に舐めていく。
 その行為自体もだいぶ慣れたもので、どこを舐めると圭太が気持ちいいのかもすべて把握していた。
 柚紀の唾液で圭太のモノがびちゃびちゃになる。
「はむ……ん……んむ……」
「ゆ、柚紀、もう……」
「ん、いいよ、出しても」
 柚紀は上目遣いにそう言い、ちゅいっとモノを吸い上げた。
 同時に。
「うっ!」
 圭太は柚紀の口内に白濁液を放った。
「ん……」
 柚紀は、それを少しずつ飲み下す。
「気持ちよかった?」
「うん」
「よかった。でも、まだ終わりじゃないよ」
 そう言って柚紀は、自分の服を脱ぎ出した。
 部屋着だったためにすぐに一糸まとわぬ姿になる。
「圭太はそのままで」
 柚紀は、小さなバッグの中からあるものを取り出した。
「一応ね」
 そう言ってつけたのは、コンドームである。
 これも慣れた手つきで圭太のモノに装着する。
「準備完了。あとは……」
 圭太のモノを手でつかみ、その上にまたがる。
 そして。
「ん、はあん……」
 そのまま柚紀は体を落とした。
 圭太のモノが奥深く挿入されている。
「んっ、あっ」
 最初はゆっくりと腰を動かす。
 しかし、それも次第に物足りなくなり、速く、深くと求めてくる。
「やっ、んんっ、止まらないよぉっ!」
 前かがりになり、腰を動かす。
 圭太もそれにあわせ、腰を動かす。
「圭太っ、気持ちいいのっ」
「僕もだよ」
 柚紀の長い髪が動く度に乱れる。
「んあっ、ダメっ、私、イっちゃうぅっ」
 湿った淫靡な音が部屋に響く。
「あっ、あんっ、あああっ!」
 そして、柚紀は絶頂を迎えた。
「ん……はあ、はあ、すごく気持ちよかった……」
 糸の切れた人形のように圭太の方に倒れ込む。
 そんな柚紀の髪を圭太は優しく撫でる。
「圭太、まだだね」
「いいよ、僕は」
「ダメ。ふたりとも気持ちよくならないと」
 柚紀はニコッと笑った。
 結局、その夜は柚紀の許しが出るまで抱き合うことになった。
 
 七月九日。
 その日は朝から琴絵の機嫌がよかった。
 それは去年もそうだったが、琴絵の誕生日だからである。
 平日だが金曜日ということで、去年よりは多少盛大にパーティーをすることになっていた。
「お兄ちゃん♪」
 朝、圭太が店にいる時に琴絵がやってきた。
「おはよう、琴絵」
「うん、おはよ、お兄ちゃん」
 琴絵は圭太の側により、キスをした。
「それと、誕生日おめでとう」
「うん、ありがと。これで私も十五歳だよ」
「十五歳の割には、相変わらずの甘えん坊だけど」
「いいんだもん。何度も言ってるけど、私が甘えるのはお兄ちゃんとお母さんにだけだから」
 そう言ってネコのように圭太にすり寄る。
「……ね、お兄ちゃん」
「ん?」
「今日の夜、私の部屋に来てほしいの」
「夜に?」
「うん。ダメかな?」
「いや、別にいいけど。なにかあるのか?」
「それは、その時にね」
 琴絵は、満面の笑みを浮かべた。
 
 コンサートが終わり、部活での中心は当然のようにコンクールに向けての練習になっていた。
 課題曲、自由曲ともに完成度はまだ低く、県大会までにどこまで仕上げられるかというところだった。
「先輩」
 圭太がウォーミングアップをしていると、紗絵が声をかけてきた。
「今日は、終わったらすぐに帰るんですよね?」
「まあね。ただ、仕事を放り出しては帰れないから、いつもより少し早いくらいだよ」
「でも、琴絵も幸せですよね」
「ん?」
「先輩にこれだけ想っていてもらえるんですから」
 紗絵は、少しだけ拗ねた表情を浮かべた。
「ちょっとだけ、羨ましいです」
「まあ、琴絵は妹だし。紗絵も、『妹』という位置づけでいいなら、そうするけど」
「せ、先輩、それはいぢわるです」
「ははは、冗談だよ。だけど、紗絵」
「はい?」
「僕はちゃんと紗絵のことも想ってるよ」
「先輩……」
 少し潤んだ瞳で圭太を見つめる。
「はいはいはい、そこまで」
 そこへ、朱美がやって来る。
「紗絵〜、抜け駆けはよくないよ」
「別に抜け駆けなんてしてないわよ」
「そうかな〜? 今、私が来なかったら、そのままキスしてたでしょ?」
「うっ……そ、それは……」
「ホント、紗絵もちゃっかりしてるよね」
「朱美はなにしに?」
「ああ、そうそう。祥子先輩が圭兄を呼んでたよ」
「先輩が?」
「うん」
 圭太は教室を出て、音楽室に戻った。
「祥子先輩」
「あっ、圭くん」
 音楽室、ピアノのところに祥子はいた。
「どうしたんですか?」
「実はね、今日急に職員会議が入って、先生、合奏できなくなったの」
「じゃあ、パー練だけですか?」
「ううん。そこで圭くんに相談なんだけど」
「相談、ですか」
 圭太は、イヤな予感を感じつつ聞き返した。
「圭くん、指揮してくれないかな?」
「僕がですか?」
 イヤな予感が当たり、圭太もさすがにため息をついた。
「ほら、圭くんなら忌憚のない意見を言ってくれるし。それに、先生も圭くんが代わりならなにも言わないと思うの。どうかな?」
 祥子の期待に満ちた目を見てしまうと、圭太ならずとも断るのは無理だろう。
「わかりました。やります」
「ホント? ありがと、圭くん」
 そして、合奏。
「Dから木管だけ」
 圭太の指導は相変わらず容赦なかった。
 それは普段の合奏はもちろん、個人練習やパート練習、セクション練習などをよく見て、聴いている結果でもあった。
 そこで気になっていた部分を合奏で指摘し、直していく。
 もちろんそれが一番効率的なやり方ではある。
 しかし、指導される方としては、少々きつい部分が多い。
 合奏も終盤になった頃、職員会議を終えた菜穂子が戻ってきた。
「指揮はそのまま圭太がやって。私はみんなのところをまわるから」
 それを聞いた瞬間、部員たちの間に落胆のため息が漏れたのは言うまでもないだろう。
 
 部活が終わると、圭太たちは早々に学校をあとにした。
 メンバーはいつもの通り。圭太、柚紀、祥子、朱美、紗絵である。
「ホント、圭太って容赦ないよね」
「そうかな?」
「そうだよ。もう少しオマケしてくれてもいいのに」
 柚紀はそう言って頬を膨らませた。
「でも、だからこそ圭くんに指揮を頼んだんだけどね」
 一応、祥子がフォローを入れる。
「だけど、圭くんのおかげで先生もだいぶ指摘すべき部分が見つかったみたいだから、全体としてはよかったと思うよ」
「そう言ってもらえるとありがたいです」
 圭太は微笑んだ。
 高城家に着くと、すぐにパーティーの準備にとりかかった。
 場所はリビング。さすがに『桜亭』は営業中のため飾り付けはできない。
「料理はだいたい作っておいたわ」
 琴美がそう言うように、確かに料理はほとんど用意されていた。
 あとは、主役が帰ってくるのを待つだけである。
 
 しばらくすると、琴絵が部活から帰ってきた。
 パーティーは『桜亭』の営業終了後から行われる。さすがに最中、というわけにはいかない。
 今か今かと待っている時、柚紀がこんなことを言い出した。
「ねえ、圭太。夏休みに海に行かない?」
「海?」
 案の定、その場にいた全員が柚紀のその話に食いついてきた。
「ほら、去年みたいにさ」
「ん〜、僕としては構わないと思うんだけど……」
 そう言ってその場にいる面々を見回した。
 琴絵、祥子、朱美、紗絵、それぞれが期待に満ちた目で圭太を見つめている。
 おそらく、この場にいないともみや鈴奈、詩織もここにいれば同じだろう。
「そこでみなさんに提案があります」
「提案?」
「夏休みお盆に圭太と行く二泊三日の旅行について、どこがいいとかそういう具体的な意見をお願いします。条件としては、海が近いこと、人数が多くても大丈夫なこと、お盆でも大丈夫なこと、以上三点です」
 いきなり具体案を言えと言われても、そうそう出るものではない。
 みんな、一様に押し黙ってしまった。
 と、手が挙がった。
「はい、祥子先輩」
「旅館とかペンションとかホテルとかじゃなくてもいいの?」
「それはもちろん。条件にさえあっていれば」
「じゃあ、少し遠いけど私の家の別荘はどうかな?」
「別荘、ですか?」
「うん。南紀の方に別荘があるの。ここ数年、私は行ってないんだけどね。それでも家族とお客様を含めて十二、三人くらいは泊まれるから、問題ないと思うし。それに、海岸までも近いし、別荘だからお盆ということも考えなくてもいいし。どうかな?」
 いきなりのブルジョワ発言に皆、一様に驚いている。
「えっと、先輩。いいんですか、本当に?」
 一応、圭太が確認をとる。
「うん。どうせお父さまは仕事だろうし、そうなるとお母さまとお兄さまも行かないだろうし、あとはお姉さまだけど、たぶん大丈夫」
「……ということだけど、柚紀。どうするの?」
「ああ、うん、いいなら私はそれでいいと思うけど。みんなは?」
 当然のことながら異論など出るはずもない。
「じゃあ、そのあたりで詳細は詰めてみるから。いいですよね、祥子先輩?」
「うん」
 こうして、夏休みのさらに短い休みにみんな揃って海へ行くことが決まった。
 
「それじゃあ、琴絵。十五歳の誕生日おめでとう。乾杯っ」
『乾杯っ!』
 いつもより早めに店を閉め、パーティーがはじまった。
 圭太以外は全員女性。そのせいか、ずいぶんとかしましいパーティーとなった。
 主役の琴絵は、終始満面の笑みを浮かべていた。
「お兄ちゃん」
「うん?」
「朝の約束、覚えてる?」
「約束? ああ、うん、覚えてるよ」
「覚えてるならいいの」
 そう言って琴絵はほかへ行ってしまった。
「どうしたの、琴絵ちゃん?」
「いや、今朝ちょっと約束させられて。その確認」
「ふ〜ん、そうなんだ。相変わらず優しいお兄ちゃんだね」
 柚紀はそう言って圭太の脇を小突いた。
「否定はしないけどね」
 圭太は笑顔でそう言った。
「ところで柚紀」
「ん?」
「どうしてみんなで行こうって言い出したの?」
「ああ、あれ? ん〜、なんとなく。圭太とふたりきりなのもいいんだけど、せっかくだしみんなでパーッと騒げる方がいいと思って。まさか祥子先輩の別荘に行くことになるとは思わなかったけどね」
「確かに」
 苦笑するふたり。
「でもね、圭太。向こう行っても、することはするからね」
「することって?」
「そんなの決まってるでしょ」
 柚紀は艶っぽい笑みを浮かべ、行ってしまった。
 それに対して圭太は、やはり苦笑するよりほかはなかった。
 
 パーティーは実に和やかに進み、あっという間に終わってしまった。
 片づけは琴美と朱美がやるということで、琴絵は早速圭太を部屋に誘った。
「それで、いったいなにがあるんだ?」
「それはね」
 琴絵は薄く微笑み、圭太に抱きついた。
「お兄ちゃんと、エッチしたい」
「今からか?」
「ああ、うん、それはさすがにまずいよね。ん〜、みんなが眠ったあとで。いいかな?」
「……はあ、ま、今日はしょうがないか」
「ホント? いいの? やった、お兄ちゃんありがと」
 そして夜。
「ん……お兄ちゃん……」
 ふたりは、琴絵の部屋で抱き合っていた。
 すでにふたりとも一糸まとわぬ格好。
 圭太は、琴絵の胸をふにふにと揉んだ。
「や、やん、気持ちいいよぉ」
 敏感な部分を刺激され、甘い吐息が漏れた。
「ね、ねえ、お兄ちゃん」
「うん?」
「私、お兄ちゃんの妹でいいんだよね?」
「どうしたんだ、突然?」
「ううん、なんとなくそう思っただけ。気にしないで」
 そう言って唇を塞いだ。
 圭太はそれを怪訝に思いながらも、特に追求しなかった。
「んっ、あんっ」
 圭太の手が琴絵の秘所に触れた。秘所はすでにしとどに濡れていた。
 圭太は、指で秘所を押し広げ、そこに舌をはわせた。
「ああっ、ダメっ、お兄ちゃんっ」
 快感が一気に琴絵の体を駆け抜けた。
「はあ、はあ、お兄ちゃん……お兄ちゃんの、ほしいよ……」
 圭太は、限界まで怒張したモノにコンドームをつけ、琴絵の中に挿入した。
「ん、はああ……」
 モノが奥深くまで入ると、琴絵はなんとも言えない艶めかしいため息をついた。
「お兄ちゃんので、私の中が満たされてるよ……」
 琴絵は嬉しそうに微笑んだ。
 それから圭太はゆっくりと腰を動かした。
「あっ、んんっ、お兄ちゃんっ」
 最初はゆっくりと。次第に速く。
 圭太は琴絵を気遣いながら腰を動かした。
「ああっ、んくっ、お兄ちゃんっ、気持ちいいよぉっ!」
 シーツをつかみ、琴絵は快感の波に身を委ねている。
「んんっ、あんっ、あっあっ、ああっ」
 淫靡な音が部屋に響く。
「ダメっ、私もうイっちゃうっ」
 琴絵の中がキュッと締まり、琴絵は達してしまった。
「はあ、はあ、おにいちゃん、ごめんね……」
「いや、いいよ」
「ん、あとは私がしてあげる」
 琴絵は体を起こし、圭太のモノを前にした。
 コンドームを取り、モノを口に含む。
「ん、あむ……お兄ちゃん……」
 舌をはわせ、圭太を絶頂へ向かわせる。
「んん、んむ……は、む……」
 時折上目遣いに圭太の様子を見る。
 それでも舌はモノから離れない。
「ん、琴絵。そろそろ」
「いいよ、出して」
 それが合図となり、圭太は琴絵の口内に白濁液を放った。
「んっ……」
 琴絵はそれを少しずつ飲み下していく。
「いっぱい出たね」
「ん、まあ……」
 圭太は、なんとも言えない表情を浮かべた。
「お兄ちゃん」
「ん?」
「ずっと、私の側にいてくれるよね?」
「さっきもそうだけど、どうしたんだ?」
「……なんとなくね、不安なの」
「不安?」
 圭太は、首を傾げた。
「うん、お兄ちゃんが私の手の届かないどこかへ行ってしまいそうな気がして」
「……バカだな。僕が琴絵を置いてどこかへ行くはずない。琴絵は、まだまだ僕が見ていないとダメなんだから」
「……うん、そうだよ。私は、お兄ちゃんがいないとダメなんだから」
 そう言って琴絵は圭太に抱きついた。
「……お兄ちゃん」
「心配しなくても大丈夫だよ」
「うん……」
 圭太は琴絵にキスをした。
「ほら、もう寝た方がいい」
「うん……」
「今日は、ずっとこうしてるから」
「ありがと、お兄ちゃん……」
 そして、琴絵は穏やかな表情で眠りに落ちた。
「ずっと、一緒にいる、か……」
 圭太は、そう呟き、琴絵の髪を撫でた。
 
 もうそろそろ夏という頃の、一夜の出来事だった。
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