僕がいて、君がいて
 
第十四章「萌ゆる緑と笑顔」
 
 一
 桜の木にも緑が茂るようになる四月下旬。
 もうコートの出番はほとんどなくなり、朝晩でも上着くらいで過ごせるようになった。
 日中もたまに二十度を越えるような日も出てくる。とはいえ、まだ春なので日によって気温差があった。
 そんな時に気をつけなければならないのは、やはり風邪である。季節の変わり目には風邪にかかりやすい。特にちょっと体調を崩すとすぐかかってしまう。
 そして、高城家でもそんな風邪にかかっている者がいた。
「ん〜、七度九分」
 琴美は体温計を見ながらそう言った。
 風邪を引いたのは、琴絵である。やはりもともと体の強くない琴絵は、こういう時期には風邪にかかりやすい。
「今日は温かくしてゆっくり休みなさい」
「うん……」
 琴絵は小さく頷き、目を閉じた。熱があるせいで多少顔が赤い。
「あとで薬持ってくるから」
 そう言って琴美は部屋を出た。
 リビングに下りると、圭太と朱美が早速容態を訊ねてきた。
「いつもの風邪よ。少し熱が出てるわ。まあ、ゆっくり休めば治るでしょうけど」
「琴絵ちゃんて、こういう時期は風邪引くんですか?」
「まあ、あの子の場合はそれほど体が強いわけじゃないからね。去年の秋は乗り切れたんだけど、今年の春はダメだったみたい」
 そう言ってため息をつく。
「朱美も、気をつけないとダメよ」
「私は大丈夫ですよ。丈夫なのが取り柄ですから」
 琴美の言葉に笑みを浮かべる朱美。
「じゃあ、母さん。今日は早めに帰ってきた方がいいよね?」
「そうしてくれると助かるわ」
「わかったよ」
 そんなことがあっても、一日ははじまる。
 
「そっか、琴絵ちゃん風邪で休んでるんだ」
 昼休み。圭太と柚紀は、いつもと同じように屋上にいた。
 圭太から琴絵のことを聞いた柚紀は、心配げな表情を浮かべた。
「でも、いつもと同じような風邪だから、そんなに心配はしてないけどね」
「そんなこと言って、ホントは心配で心配でしょうがないんでしょ?」
「多少は心配してるけど、取り乱すほどじゃないよ」
 柚紀の意見を少し認めた上で、そのほとんどを否定した。
 とはいえ、圭太が琴絵のことを心配していないはずなどない。なんといっても、琴絵は単なる『妹』以上の存在なのだから。
「ま、かく言う私も、心配だけどね。ほら、琴絵ちゃんは将来私の『義妹』になる予定だし。『義妹』想いな『義姉』としては、やっぱり心配よ」
 そういうことをなんの臆面もなく言えるのも、柚紀が圭太の婚約者だからである。
「じゃあ、今日は少し早めに帰るんだね?」
「そうなるね。母さんは店のことがあるから。いくら鈴奈さんがいるといっても、あまりしょっちゅう空けるわけにはいかないし」
「そういう理由ならしょうがないね。で、私もお見舞い、行っていい?」
「うん、いいよ。断る理由はないし、それに、琴絵も柚紀が来てくれると喜ぶだろうからね」
 柚紀と琴絵の関係は、たとえ圭太と琴絵が男女の関係になっても変わっていない。柚紀は琴絵のことを本当の妹のように可愛がり、琴絵は柚紀を本当の姉のように慕っている。だから、柚紀が見舞いに行けば喜ぶというのは、間違いではない。
「そういえば」
「うん?」
「最近は圭太もおとなしいよね」
 柚紀は、ちょっとだけ悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「……それ、どういう意味?」
「ん、ほら、以前みたいに見境なくみんなを抱いてないなって、そう思ったの」
「別に僕は、見境なく抱いたことなんてないよ……」
 一応抗議するが、その言葉尻は小さかった。やはり、心のどこかでは後ろめたいと思っているのだろう。
「正直に言ってね。この一週間の間に、誰か抱いた?」
「ううん」
「うん、やっぱりおとなしい。まあ、私としてはその方がいいんだけどね」
 そう言って柚紀は笑った。
「圭太も高二になって、ようやく大人になったのね。うんうん」
 嬉しそうに頷く柚紀を、圭太は複雑な表情で見つめていた。
 
「先輩。ここの部分なんですけど、音はきっちり切った方がいいんですか?」
 紗絵は、譜面を見せながらそう訊ねる。
「ここは、音符の長さギリギリまでしっかり吹いて、なおかつアクセントを加えるんだよ。ちょっと難しいけどね」
 圭太は試しに吹いて聴かせる。
 今圭太が説明したように、その部分が吹かれる。
「こんな感じ。わかった?」
「はい」
 その日の部活は、合奏はなく、基本的にパートごとに内容を決めて行われていた。
 トランペットでは、終わりまで個人練習に割り当てられていた。それもそのはずで、その日は徹と夏子が用事で部活を休んでいたからだ。
 さすがに四人だけではたいしたことはできない。
 そんなわけで紗絵は、圭太にいろいろ教わっていた。
 圭太と練習できるということで心は弾んでいるのだが、圭太は練習に関しては決して手を抜かないため、そうそう美味しい場面には巡り会えない。
 もちろん紗絵もそれはわかっていた。圭太のそういうところは、三中の頃からなんら変わっていないからだ。
「少し、休憩しようか」
「あ、はい」
 ちょうど活動時間の半分くらいのところで、休憩を取る。
「紗絵も、だいぶ調子が戻ってきたみたいだね」
「そうですね。唇の感覚もだいぶ戻ってきました。あとは、勘ですかね」
「それは、合奏に出ればイヤでも取り戻すよ。佳奈子先生も厳しいけど、菜穂子先生も厳しいからね」
「でも、佳奈子先生と菜穂子先生の厳しさは、少し違いますよね」
「それはね。ただ、どっちも音楽、というかひとつの音に対する執念ていうのかな、そういうものはすごいよ」
 圭太は、ピストンにオイルを差しながら言う。
「先輩は、今年の新入部員は、どう思いますか?」
「そうだなぁ、まだ全員をちゃんと把握できてるわけじゃないけど、レベルは高い方だと思うよ。経験者が例年より多いせいもあるとは思うけど。だから、即戦力として期待もしてる」
「……先輩、微妙にプレッシャーをかけてませんか?」
「ははっ、そんなことないよ。紗絵には、もっとわかりやすいプレッシャーをかけるつもりだから」
「せ、せんぱ〜い」
 圭太の言葉に、思わず泣き言を言う紗絵。
 とはいえ、圭太がそんなことを言うのは、とりもなおさず紗絵にそれだけの実力があるからである。できない者にそんなことを言っても、意味はない。
「さてと、そろそろ再開しようか」
 
 部活が終わると、圭太と柚紀、朱美と紗絵の四人は、早々に学校を出た。本当は祥子もそれに加わりたかったのだが、部長という立場上、涙を呑んで我慢した。
「朱美はもう練習には慣れた?」
「多少はね。でも、うちの中学に比べると数倍厳しいから、もう少しかかるかも」
「でも、裕美先輩の話だと、真面目に取り組んでくれるから、教え甲斐があるって言ってたけど」
「そうなの? そっか……」
 朱美はそれを聞き、嬉しそうに微笑んだ。
「だけど、私としては、圭兄にもいろいろ教えてもらいたいんだよねぇ」
「それは無理だよ。パートは違うし、金管と木管の違いもあるし」
「そう、そうなんだよね。その段階で紗絵に負けてるのが、悔しくて」
 それに対して紗絵は、なにも言わず、わずかに勝ち誇った顔を見せた。
「柚紀先輩は、どう思いますか?」
「私? 私は初心者で入ってるから、ずっとそれどころの騒ぎじゃなかったから。まずは一通りできるようにならないと、ほかのみんなの迷惑になるからね」
 そう言う柚紀ではあるが、その覚えるスピードと覚えたことを身につけていくスピードは、初心者の中でもトップクラスだった。だからこそコンクールにも出たし、アンコンにも出たのである。
「三年の先輩たちに認められるようになったら、そういうことを考えるよ」
「そうですか。じゃあ、私ももう少しがんばらないといけないですね」
 結局、朱美もそういう結論で落ち着いた。
 そうこうしているうちに高城家へと着いた四人。
 四人は早速琴絵のもとへ。
 ドアをノックすると、中から返事があった。
「起きてたのか?」
「うん」
 琴絵は、小さく頷いた。
 その顔は、多少ボーっとした感じはあるが、朝よりは明らかによくなっていた。
「琴絵ちゃん、大丈夫?」
「はい、大丈夫です。今日は一日寝ていましたから」
「そっか」
「でも、琴絵は相変わらず季節の変わり目に風邪を引くわね」
「気をつけてはいるんですけど……」
 紗絵の言葉に、琴絵は呟くように答える。
「それでも昔よりはその回数も減ってるし、僕も母さんもだいぶ楽になってるよ」
「ううぅ〜、ごめんなさい、お兄ちゃん」
「別に謝る必要はないさ。僕だって風邪を引くことくらいあるんだから」
「そうそう。どんなに気をつけてたって、引いちゃう時は引いちゃうんだから」
 柚紀は、そう励ます。
「それじゃあ、琴絵ちゃんも大丈夫そうだし、私は帰るね」
「私も帰ります」
「あの、柚紀さん、紗絵先輩。ありがとうございました」
 琴絵のその言葉に送られ、ふたりは部屋を出た。
 圭太はそんなふたりを玄関まで送る。
「じゃあ、圭太。また明日ね」
「先輩、また明日です」
「うん、ふたりとも気をつけて」
 ふたりを見送った圭太は、すぐには琴絵のところへは戻らなかった。
「母さん、ただいま」
「あら、おかえりなさい」
「おかえり、圭くん」
「ただいま、鈴奈さん」
「琴絵は?」
「ちょうど起きてたところ。柚紀と紗絵が見舞いに来てくれて、今帰ったところだよ」
 簡単に状況を説明する。
「夕飯は、どうしようか?」
「起きてるなら、なにか食べさせた方がいいわね」
「じゃあ、軽いものでも作ろうか?」
「そうしてくれる?」
「朱美と手分けしてやれば、そんなにかからないと思うよ」
「わかったわ。今日はこっちも少し早めに閉めるつもりだから」
「了解」
 それから一度部屋で着替え、再度琴絵の様子を確認。多少の空腹感があるのを確認し、朱美と一緒に夕食を作った。
 そんなまわりの人のおかげで、琴絵はほぼ一日で風邪を治すことができた。
 
 週末の金曜日。
 世のサラリーマンやOLなどは一週間の疲れを引きずり、仕事をする日。次の日が休みではなかったら、とてもやる気など出ないだろう。
 それは、学校でも案外同じである。特にまだ新生活に慣れていない一年には、やっと週末だ、という感じだろう。
 その日は朝から小雨が降り続き、街も霞に煙っていた。
 外で行うはずだった体育は体育館で行われた。
 それでも、雨だからといって、なにか問題があるわけでもない。
 そんな昼休み。
 教室で友人と昼食を食べていた詩織のところへ、ふたりの女の子がやって来た。
 詩織は少しだけ驚いていたが、とりあえず食べ終わるまでふたりを待たせ、それからそのふたりと一緒に場所を変えた。
「えっと、私になんの用なのかな?」
 詩織は、そうふたりに訊ねた。
「その前に、呼ぶ時は呼び捨てでね。私もそうするから。『さん』付けとかあんまりらしくないし」
 そう言ったのは、朱美である。
「先輩のこと、どこまで本気なのか聞きたくてね」
 これは、紗絵である。
「ああ、ひとつだけ勘違いしないでね。別に、私も紗絵もそのこと自体に文句を言うつもりも非難するつもりもないから。だって、私たちにはそれを言う資格はないし」
「そう。それがあるとすれば、柚紀先輩だけだから」
 ふたりは、理由をそう説明する。
「それで、どうなの?」
「先輩は、今の私にとって、本当に大切な人だから。先輩がいなければ一高にも入らなかっただろうし、吹奏楽だってやめてたかもしれない」
「そっか、そこまで本気なんだ」
 朱美は、わかってはいたんだけどね、と言って苦笑した。
「でも、正直な話、先輩を想い続けるのって、つらいと思うよ?」
「それは……」
 詩織としてもそれはわかっていることだろう。
 だが、このふたりに改めて言われると、その重みも違う。なんといっても、自分とは年季が違うのだから。
「まあでも、圭兄を好きになっちゃったのは、ある意味しょうがないかなって思うよ。なんたって、圭兄ほどの男の人って、そうそういないからね」
 そう言って笑う朱美。
「ただ、今は柚紀先輩は別にしても、先輩のことを好きな人たちと詩織との間には、明確な差があるのも事実なの」
「明確な、差?」
「私たちね、先輩と男と女の関係にあるの」
「えっ……?」
 さすがの内容に、詩織も言葉を失っている。
「先輩の名誉のために言っておくけど、先輩から求めたわけじゃないからね。先輩はいつも柚紀先輩のことを考えてるから。だから、迫ったのは私たちの方」
「どう、それを聞いて? ちょっと普通じゃないと思うけど、でも、それが今の私たちと圭兄の関係だから。だから、詩織がそれに嫌悪感なりなんなりを示すのはいいけど、でも、本当にそうするなら、私は詩織を認めないから」
 朱美は、少し強い口調でそう言う。
「そりゃ、一見すれば軟派な男に見えるかもしれないけど、それは、圭兄の本当の姿や想いを知らないからそう見えるだけ」
「先輩は、柚紀先輩のことを一番に想いながらも、できる範囲内で私たちの想いにも応えようとしてくれる、本当に素敵な人なの」
「詩織には、そのことを知っておいてもらいたかったの。一応は、ライバルとして認めてるから」
「…………」
「でも、だからって無理に先輩に抱かれる必要もないけどね」
 朱美と紗絵は、そう言って笑った。
 しかし、詩織は衝撃の事実に、まだ自分の思考をまとめられないでいた。
 
 雨は、放課後になってもやまなかった。
 吹奏楽部でも練習は室内だけで行われていた。
 その日の練習は、パート、もしくは個人単位で菜穂子のチェックが入っていた。これは完全に抜き打ちで、現在の部員の状況を確認するにはちょうどよかった。
「徹と広志は、もう少し高音を安定させられるといいわね。夏子はオクターブ上の音になると、音が揺れて音程もずれるから、それを注意して。紗絵は、タンギングが少し不明瞭だから、もう少しはっきり。満は、音が弱いから、吹く練習だけじゃなく、腹筋や背筋も鍛えて」
 今、菜穂子はトランペットの六人を相手にしている。
 そのうちの圭太を除く五人に指示が出された。
「それと、圭太だけど」
 菜穂子は、少しだけ困った顔を見せた。
「もうここまで来ると、もともとトランペットじゃない私には、的確なアドバイスは出せないわ。フルートや木管だったら別なんだけど。だから、悪いんだけど現状では指示はできないわ」
 つまり、お手上げ、というわけである。
「それで、これは以前から少し考えていたんだけど、講師を呼ぼうかと思うの」
「講師、ですか?」
「私の知り合いにプロでやってる人がいるから、圭太だけじゃなくて、ペット全体のレベルアップのために講師として呼ぼうと思うの。どうかしら?」
「僕としては構わないんですけど」
「そう? じゃあ、決まりね」
「せ、先生、パートの総意になるんですか?」
 徹が慌てて訊く。
「そうよ。もともとは圭太のために呼ぶんだから。パート全体を見るのは、そのついで。だから、圭太がいいならもう決まりなの。わかった?」
「はい……」
 菜穂子の説明に、徹はかくっと頷いた。
「それじゃあ、ペットはこれで終わり」
「ありがとうございました」
『ありがとうございました』
 
「ふ〜ん、講師を呼ぶんだ」
 柚紀は、ピアノ椅子に座りながらそう言った。
「先生もお手上げ状態みたいですから」
「確かに、圭兄の実力なら先生だけだと大変かもね」
 トランペットに講師を呼ぶことは、紗絵の口からこの面々に伝わっていた。
「紗絵ちゃんにとっても、それはいいことだよね」
「そうですね。やっぱり、そういうプロの人に教わる機会って、そうそうないですから」
「でも、圭兄って、教わってたことなかったの?」
「私が知る限りでは、ないと思うけど。祥子先輩はどうですか?」
「ん、圭くんなら、外で習ってたんだよ」
 祥子は、さらっと真相を話す。
「月に一回くらいだったかな。通ってたことがあるの」
「じゃあ、圭太にとっては、今更ってことですか?」
「そうは思わないけど。ほら、教える人が変われば内容も少し変わるだろうし」
「確かにそうですね」
 そう言って柚紀はピアノを弾いた。
 今でこそピアノは本気でやっていない柚紀であるが、中学まではしっかりやっていた。そうすると途中でその先生が替わったこともあるだろう。
「うん、終わりっと」
 祥子は、そう言って活動日誌を閉じた。
「さてと、そろそろ音楽室を閉めようと思うんだけど」
「でも、まだ圭太が戻ってきませんよ?」
 圭太は、部活が終わる間際に菜穂子に呼ばれていた。そしてそのまま戻ってきていなかった。
「う〜ん、とりあえず楽器は片づけてあるみたいだから、荷物を持っていけばいいよね」
 結局、時間的なことも考え、音楽室は閉めることにした。
「じゃあ、鍵を戻してくるついでに、様子も見てくるから」
「わかりました」
 圭太の荷物は柚紀が持ち、面々はとりあえず昇降口まで出ることにした。
「先輩は、GWの予定なんかは決めてるんですか?」
「まだ決めてないよ。去年もそんな感じだったし。ほら、うちは一日以外は部活あるし」
「ん〜、それじゃあ、圭兄の予定も決まってないってことですよね?」
 朱美は、小悪魔的な笑みを浮かべ、そう言った。
「だったら、どこか一日だけでも、圭兄とデート、してもいいですよね?」
「さあ、私はなんとも。それを決めるのは圭太だし」
 とはいえ、柚紀の表情は若干引きつっている。
「……なるほど、そうですね」
 後ろで紗絵もしきりに頷いている。
 どうやら朱美と同じことを考えているようである。
「お待たせ」
 そこへ祥子が戻ってきた。
「あれ、先輩? 圭太はどうしたんですか?」
「それがね、話の相手が菜穂子先生だけじゃなかったの」
「どういう意味ですか?」
 問う柚紀。朱美と紗絵も同じ表情をしている。
「なんの話をしているかはわからないけど、どうも、校長先生も絡んでるらしいの」
「こ、校長先生ですか?」
「圭兄、なにかしたのかなぁ……」
「ほかの先生の口ぶりだと、悪いことではないみたいだけど」
「じゃあ、まだかかるんですか?」
「たぶん。ただ、時間も時間だし、それほど長くはないと思うけど」
 そう言って祥子はため息をついた。
 一方、件の圭太は、校長室で校長と菜穂子から話を聞いていた。
「まあ、そういうわけだから、事情はいろいろあるだろうが、少し前向きに検討してほしい」
「わかりました」
 圭太は小さく頷いた。
「それじゃあ、私たちはこれで失礼します」
 菜穂子は、圭太を連れて校長室を出た。
「少し話が大きくなってしまったけど、あくまでも自分の意志で決めていいのよ。校長先生だってそれを強制しようってわけじゃないんだから」
「それはわかってます」
「そう、それならいいわ。ただ、一応お母さんの方にも話だけはしてみて」
「はい」
「それじゃあ、遅くまでごくろうさま」
「おつかれさまでした」
 圭太はそう言って校長室前をあとにした。
 一度音楽室へ行くが、すでに閉めたあとだった。閉めたのが祥子なので、荷物をそのままにしているとは思えず、今度は可能性が高そうな昇降口へ。
「あっ、やっと戻ってきた」
 昇降口には、例の四人がまだ待っていた。
「すみません、仕事もせずに」
「ううん、それは問題ないから。それより、校長室でなにを話していたの?」
 四人にとってはその内容がとても気になっていた。
「その話は、歩きながらにしましょう」
 圭太たちは、とりあえず学校を出た。
 雨はすでに上がっていたが、雨のせいで幾分気温が低くなっていた。
「実は、アンコンの関東大会の時に、菜穂子先生に言われたことがあったんです」
「言われたこと?」
「卒業後の進路の中に、留学を入れてはどうかって」
『りゅ、留学〜っ?』
 予想だにしなかったことに、一同は声を上げた。
「ちょ、ちょちょちょ、ちょっと、圭太。私、その話聞いたことないよっ」
「うん、その気がなかったから話してなかったんだ」
「なかった、ってことは、今回はその圭くんの考えを変えさせようってこと?」
「ええ」
「それで、圭太はどうするの?」
 柚紀は、おそるおそる訊ねる。
「心配しなくていいよ。僕は、留学しないから」
 圭太は、そう言って微笑んだ。
「校長先生は前向きに検討してほしいって言ってたけど、少なくとも今の段階では、留学する必要性を見いだせないから」
「そっか、それを聞いて安心したよ」
 それは、柚紀だけの想いではない。そこにいるほかの三人も同じ想いだ。
「でも、留学の話が出るなんて、やっぱり圭兄はすごいね」
「僕はすごくなんかないよ」
「すごいかすごくないかなんて、どうでもいいじゃない」
「先輩?」
「結局、圭太はここにいてくれるんだから。私はそれだけでいい」
「そう、ですね。私もそう思います」
「うん、私もそう思うな」
「だから、この話はもう終わり」
 そう言って柚紀は微笑んだ。
 結局、その話はそこまでとなった。
 圭太にしてもその話は自分の中では終わっていることなので、そこにこだわりはなかった。
 ただ、自分のことで柚紀たちに心配をかけたことが、少し気になったくらいだった。
 
 今年は暦の関係上、GWは日曜日との絡みが悪かった。
 そんなGW前の日曜日。
 その日は朝から曇りがちの天気だった。とはいえ、天気予報でも雨が降るとは言っていなかった。
 午前中はいつも通り部活だった。
 最近の練習は、完全にコンサートに向けての練習に移行し、パートによっては一年もそれに加わっていた。
 それと平行して少しずつコンサート自体の仕事も行っていた。特にパンフレットに載せる広告主を探す作業は早めに行われていた。
 とはいえ、季節はまだ四月ということで、本腰を入れるまでには至っていなかった。
 部活が終わった午後、圭太は、柚紀を家に呼んでいた。
「ねえ、圭太」
「うん?」
「やっぱり、ダメ?」
「ダメ」
「ううぅ〜……」
 柚紀は、そんなことを何度か繰り返していた。
「いくら琴絵も朱美も僕たちのことを知ってるっていっても、おおっぴらにすることじゃないと思うし」
「じゃあ、気づかれなければいい?」
「どうやったって気づかれるよ。今だって、ドアの外で聞き耳立ててるかもしれないし」
 圭太がそう言ってドアの方を見ると、廊下でなにやら音がした。
「ほ、ホントにいたんだ」
 さすがのことに、柚紀も驚きを隠せない。
「だから、ダメなの。いい?」
「だけどぉ……」
 柚紀は、ネコのようにすりすりと圭太にすり寄る。
「最近エッチしてないんだよぉ? 私だって圭太だって、健康な男女なんだからぁ」
「そうは言ってもねぇ……」
 圭太としても柚紀には応えてあげたいのだが、状況がそれを許していなかった。
 朱美は当然なのだが、琴絵もその日は午前中だけ部活で、すでに帰っていた。
 同じ二階にいれば、たとえドアを閉めていたとしても、聞こえるだろう。
「はあ、都合良くふたりともどこかに出かけないかなぁ」
「それはないと思うけど……」
 そう言って圭太は苦笑した。
 そういう都合の良いことがそうそう起きるはずもない。
「じゃあさ、圭太」
「うん?」
「ちょっと散歩にでも出ない?」
「そうだね。ここで悶々としてるよりは、その方がいいかな」
「むぅ、悶々としてたわけじゃないのにぃ……」
 ふたりは、散歩に出た。
 ちなみに柚紀は、制服ではない。最近では急に高城家に泊まってもいいように、圭太の部屋に服を数着置いていた。それに着替えている。
「ん〜、曇ってるけど、あったかくていい気持ち」
 柚紀は、大きく伸びをする。
「このあたりって、公園とかはないの?」
「少し歩いたところに大きめの公園があるよ。行ってみる?」
「うん」
 ふたりは、住宅街を抜けて、公園へ出た。
 そこは、一高の近くにある市立公園ほどではないが、それでも遊歩道や広場のある大きめの公園だった。
 日曜ということで、広場には家族連れが大勢いた。
「GWが明けたら、修学旅行だね」
「うん。沖縄ははじめてだから、楽しみだよ」
「圭太の場合は、旅行自体そうできないから、余計でしょ?」
「そうだね」
 大きな銀杏の木の下。そこに設置されているベンチに座り、話をしている。
「私としては、向こうに行っても圭太と一緒にいられるから、それだけで楽しみだけどね」
 柚紀は、自由時間は圭太と行動することをもう当初から決めていた。圭太としてもそれに異存はなく、また、クラス内でも問題はなかった。
「海っていえば、今年の夏は、行けるかな?」
「旅行?」
「うん。私としては、是非とも行きたいところなんだけど」
「まあ、それは夏休みの日程が確定しないと決められないからね」
「去年はその旅行のおかげで圭太と結ばれたし」
「そうだね」
 柚紀は、そっと圭太に寄り添った。
 圭太は、そんな柚紀の肩を、優しく抱いた。
 
 ふたりが家に戻ると、琴絵と朱美はいなかった。
「暇そうだったから、買い物に行かせたのよ」
 琴美に訊くと、そう教えてくれた。
 と、同時に、柚紀がにんまりと笑ったのは言うまでもない。
 柚紀は、圭太を引きずるように部屋へ連れ込み、いきなり抱きついた。
「ん、ん、はぁ……」
 何度もキスを繰り返す。
「圭太、思いっきり抱いて……」
 圭太は、柚紀を立たせたまま、服を脱がせた。
 着ていたのがワンピースだったため、すぐに下着姿になる。
「ん、はん……」
 ブラジャーの上から胸を揉む。
「んっ」
 しばらくしていなかったせいか、柚紀は敏感に反応した。
 すぐに足に力が入らなくなり、そのままベッドに横たわらせる。
 ブラジャーを外し、すでに硬く凝っている突起に舌をはわせる。
「あんっ、んんっ」
 同時に圭太は、下半身に手を伸ばす。
 そのままショーツの中に手を滑り込ませ、秘所に触れる。
「んあっ」
 柚紀の秘所は、すでにしとどに蜜をたたえていた。
「圭太……」
「ん?」
「今日はゴムなしでね」
「大丈夫?」
「うん」
 ショーツを脱がせ、もう少しだけ指でいじる。
「あっ、あんっ、圭太っ」
 圭太はズボンとトランクスを脱ぐ。
 圭太のモノは、すでに硬く怒張し、先端には透明な液まで出ていた。
「いくよ?」
「うん、きて……」
 圭太は、一気に柚紀の体奥を貫いた。
「んんあっ」
 久々の快感に、柚紀は嬌声を上げた。
「いいっ、やっぱりっ、気持ちいいっ」
 柚紀は、圭太に突かれる度に愉悦の声を上げた。
 圭太も久々で、さらに言えばほかの面々ともしていなかったため、溜まっていた。
 だから、いつもより早く限界が来た。
「んっ、柚紀っ」
「あんっ、いいよっ、出してっ」
 そして、圭太は柚紀の中に本当に大量の白濁液を放った。
「ああ、すごい……」
 すべてを放っても、圭太のモノは衰えていなかった。
「続けて大丈夫?」
「うん」
 圭太は、そのまま続けて動き出した。
「あんっ、んんっ」
 放ったおかげで滑りがよくなり、柚紀はさっき以上に感じていた。
「圭太っ、もっとっ、もっとっ突いてっ」
 圭太は、一心不乱に腰を動かした。
「あんっ、あんっ、あんっ」
 柚紀は、シーツをつかみ、その快感を少しでも長く感じていようとする。
 しかし、それもすぐに無駄になる。
「圭太っ、私っ、イっちゃうっ」
「僕もっ」
「一緒にっ、一緒にイこうっ」
 そして──
「んんあああっ!」
「くっ……」
 柚紀が達するのとほぼ同時に、圭太は二度目を放った。
「ん、はあ、はあ、すごい、まだ出てる……」
「はぁ、はぁ……」
 圭太がモノを抜くと、柚紀の中から白濁液があふれてきた。
「私の中、圭太のでいっぱいだよ……」
 そう言って微笑む柚紀に、圭太は優しくキスをした。
 
「ん〜、やっぱりこうやって圭太に抱かれるのって、すごく気持ちいい」
「僕も、こうして柚紀を抱いていると、心が落ち着くよ」
 結局、さらに二回して、ふたりはようやく落ち着いていた。
「私、ホントに身も心も圭太に虜にされちゃったね」
「それは、僕も同じだよ」
「圭太が私の虜? う〜ん、それはそれで悪くはないんだけど、私としては、圭太には悠然としててほしいからね。もちろん私だけを見ていてほしいけど、あまり軟派なことはしてほしくないし、そうであってほしくないな」
 柚紀は、少し考えてそう言った。
「そういえばさ」
「ん?」
「圭太って、私にあまりいろいろ言わないよね。いつも私からなにか言ってる気がする」
「それは、少なくとも今は柚紀に特にあれこれ言う必要がないと思ってるからだよ」
「そうなの?」
「だって、柚紀は僕がなにも言わなくてもいろいろしてくれるし。それに」
「それに?」
「なんていうのかな。言わなくてもわかってくれる、そう思えるんだよね」
 少し照れくさそうにそう言う。
「僕もそうだけど、少しずつ少しずつ、柚紀がどんなことを考えてるかわかるようになってるんだ。それは顔の表情だったりちょっとした仕草だったり、いろいろだけどね」
「うん、私もそうだなぁ。だけど、圭太の考えてることは、まだまだわかりにくい」
「どうして?」
「私のことを考えてる時はいいんだけど、ほかの人のことを考えてる時は、ホントにわからないから」
「…………」
「それがわかれば、私ももう少し楽なんだろうけどね」
 確かに楽だろうが、それはそれで圭太にプライベートがなくなる可能性もある。
 それを考えてか、圭太は苦笑した。
「そうそう、圭太」
「うん?」
「GW中、なにか予定とかある?」
「三日の日に、朱美の家に行くくらいかな?」
「朱美ちゃん家?」
「ほら、朱美はうちに居候してるでしょ? だけど、別に帰れない距離じゃないから、一ヶ月に一回帰るって決めてあるんだ。それで、今回はそれをGWにして、僕たちも一緒に行こうってことになって」
「そうなんだ」
 柚紀はなるほどと頷いた。
「じゃあ、ほかは大丈夫なんだね?」
「今のところは」
「そっか、じゃあさ、一日の日に、デートしよ。どうせ部活も休みだし」
「うん、いいよ」
「ホントは毎日でもいいんだけど、私は海よりも心が広いから、ほかの人たちのために特別に空けておいてあげる」
 悪戯っぽい笑みを浮かべ、そう言う。
「いいの?」
「その分は、修学旅行があるからね」
「ああ、なるほど」
「だからって、無理してつきあわなくてもいいんだからね、いつも言ってるけど」
「そのあたりは、僕の意志はあまり反映されないから」
 圭太はそう言って苦笑した。
「ま、いいや。それより、そろそろ服くらい着ておかないとね」
 ふたりは、ベッドから出て、それぞれ服を着る。
「さてと……」
 制服を着た柚紀は、そう言ってドアのところへ。
「圭太。この家には、大きな『ネズミ』がいるみたいね」
 そう言って思い切りドアを開けた。
「わわっ!」
「わきゃっ!」
 同時に、琴絵と朱美が前のめりに倒れてきた。
「琴絵、朱美……」
 その姿を見て、圭太は思わずこめかみを押さえた。
「え、えっと、そのぉ……」
「こ、これはそのぉ、あ、あはは……」
「ふふん、琴絵ちゃん、朱美ちゃん。どこから、そこにいたのかな?」
 柚紀は、笑顔でそう訊ねた。
「そ、それはその……」
「覗きは、立派な犯罪よ」
『ご、ごめんなさいっ』
 ふたりは揃って謝った。
「ほら、圭太からもなにか言ってやってよ」
「なにかって言われても。とりあえず、もうこんなことはしないこと。守れなければ……そうだなぁ、しばらくふたりの言うことをきか──」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ! もう絶対しないからっ! それだけはやめよう、お兄ちゃん?」
「わ、私ももうしないから。それだけはやめてほしいよ、圭兄」
「うわ、さすがは圭太。ふたりの『弱点』も心得てるわね」
 自分で振っておきながら、柚紀はそんなことを言う。
「まあ、わかってくれればいいよ」
「ありがとう、お兄ちゃん」
「圭兄、ありがとう」
 圭太に許してもらえ、ふたりはホッと息をついた。
 とはいえ、これでふたりに対する柚紀の優位はますます動かないものとなったのだった。
 
 二
 四月二十九日、みどりの日。
 いよいよGWがはじまった。今年は三十日さえ休みにできれば、七連休が作れた。そのためか、GWの混雑は集中していた。
 週間天気予報では、GW中は大きな天気の崩れはないと予想していた。
 そんなGW初日。
 朝からよく晴れ渡り、気温も高めだった。
 風も穏やかで、まさに行楽日和だった。
 一高吹奏楽部は、例年通り、創立記念日である五月一日以外は部活を行うことになっていた。
 部活は基本的には午前中のみで、それ以外に特になかった。
 その日も圭太は屋上で練習をしていた。
 足下にメトロノームを置き、その前には譜面も置いている。
 その曲をもともとのテンポよりだいぶ遅いテンポで吹き、音の流れを確認していく。
 それがある程度できたところで本来のテンポに戻すのである。
「ふう……」
 立て続けに一時間ほど練習し、休憩を取る。
 圭太は、楽器を持ったまま、フェンスに寄った。
 そこから見える景色も、すっかり緑になった。
 暖かな陽差しと適度な雨のおかげで、新緑が日に日に濃くなっていく。
「先輩」
 景色を眺めていた圭太に、声がかかった。
「詩織か。どうかした?」
「いえ、先輩の音が屋上から聞こえなくなったので、休憩かと思って」
「なるほどね」
 圭太は、また視線を景色に戻した。
「僕はね、一高でこの場所が一番好きなんだ」
「どうしてですか?」
「街が、見渡せるからね。季節によって変わる街の様子が、ここからだとよくわかるよ。今の季節なら萌える緑。これがあと一ヶ月もすれば深い緑になる。秋には赤や黄色に色づき、冬には葉が散って幹そのものの色になり、春にはまた、花が咲く。ここにいると、本当にそれがよくわかるんだ」
 圭太は、まるで宝物のことを話すように、それを話した。
「あの、先輩」
「うん?」
「その、あの、ですね」
「うん」
「今日、部活が終わったあとなんですけど、その……」
 詩織は、そこまで言って止まってしまった。
 それでも圭太は詩織を促さず、辛抱強く待っている。
「少し、私とつきあってもらえませんか……?」
「いいよ」
 圭太の答えは、本当にあっさりと、しかも即答だった。
「え、えっと、本当にいいんですか?」
「うん。今日は特になにもないからね」
 笑う圭太。
「先輩が……私の申し出を、受け入れてくれた……あうぅ……」
 緊張の糸が切れたのか、詩織はふらふらとその場にへたり込んでしまった。
「だ、大丈夫かい、詩織?」
「は、はい、大丈夫です。あまりのことに、処理が追いつかなかっただけですから」
「それならいいけど」
 圭太は、詩織の手を取り、立たせてやる。
「それで、僕はなににつきあえばいいのかな?」
「それは……」
 まさかそこまで簡単に認められると思っていなかった詩織である。そのあとのことなどほとんど頭になかった。
「あの、えっと……わ、私の家に、来てもらえますか?」
 とっさに出たのは、それだった。
「詩織の家? いいの?」
「あ、はい。今日は両親ともに午後から出かけるので……あ」
 さすがに今のはまずいと思ったのか、詩織は俯いてしまう。
「そっか。じゃあ、今日は詩織の家に行くよ」
 しかし、圭太はあえてそれを無視し、できるだけいつもの口調でそう言った。
 詩織は、そんな些細な圭太の優しさ、気配りが嬉しかった。
 
 部活が終わると、圭太はいったん家に帰った。制服のままでもよかったのだが、せっかくということで、着替えることにしたのだ。
 詩織とは、圭太が知っている比較的詩織の家に近い場所で待ち合わせすることになっていた。
 軽く昼食を食べ、家を出た。
 詩織の家は、圭太の家から見ると、学校の向こう側になる。とはいえ、その距離は学校までとそれほど大差はない。
 待ち合わせ場所は、学校の近くにある少し大きめのスーパーだった。
 そのスーパーは学校関係者も利用するところで、圭太も何度も利用していた。
 その正面入り口のところに、詩織は待っていた。
「お待たせ」
 詩織は、白いブラウスに空色のフレアスカートというラフな格好だった。
「あの、先輩。なにか食べたいものとかありますか?」
「特にはないけど」
「それじゃあ、お菓子を適当に買ってきますから、少しだけ待っていてもらえますか?」
「それだったら、僕も一緒に行くよ。荷物くらいなら持ってあげられるし」
「あ、はいっ」
 ふたりは、スーパーに入った。
 店内に入ると、明るい音楽が流れ、店員の威勢のいい声が耳に飛び込んでくる。
 買い物かごを圭太が持ち、お菓子コーナーへ。
「えっと……」
 詩織は、おとがいに指を当て、たくさんお菓子からいくつかを選ぶ。
「先輩は、甘いのでも辛いのでもしょっぱいのでも大丈夫ですか?」
「好き嫌いはないから」
「そうですか。それじゃあ」
 そう言って詩織は、五種類のお菓子をかごに入れた。
 ポテトチップスにスティックチョコ、マシュマロにおかき、それとラムネ菓子である。
 それをレジに通し、スーパーを出る。
「詩織は、いつもこういうのを食べてるの?」
「そうですね、こういうのが多いかもしれません。ただ、それも時間がある時だけですけど。普段は、間食してる間もないですから」
「そうだね」
 スーパーを出て五分ほどで詩織の住むマンションが見えてきた。
「あのマンションの九階です」
「九階だと、眺めもいいでしょ?」
「はい。それに、高いおかげで虫とかが出ないんですよ」
「なるほど、そういう利点もあるんだ」
 そのマンションはオートロックになっていた。
 エントランスで詩織が鍵を開ける。それでマンション内に入る。
 エレベーターに乗り九階へ。
 エレベーターから降りると、すぐに右に曲がる。
「ここが私の家です」
 今度は家の玄関を鍵で開ける。
「どうぞ」
「おじゃまします」
 ドアが閉まると、急に静かになる。
「えっと、とりあえずリビングにでも」
 そう言って圭太をリビングに通す。
 そのリビングは、とても落ち着いたリビングで、部屋主のセンスの良さがわかった。
 圭太はそこにあるソファに座った。
「今、お茶を淹れますから」
 詩織は、キッチンに立ち、お湯を沸かす。
「先輩は、コーヒーと紅茶、どっちがいいですか?」
「それじゃあ、紅茶にしてもらおうかな」
「はい、わかりました」
 お湯が沸くまでに紅茶の準備をする。さすがに茶葉から淹れるのは難しいので、ティーパックを使っている。
 お湯が沸くと、それをカップに注ぐ。
 ふわっと紅茶のいい香りが漂う。
「砂糖とかは、お好みで入れてください」
「ありがとう」
 圭太は砂糖をひとつ入れた。
 それから買ってきたお菓子を食べながら、アフタヌーンティーを楽しむ。
「でも、まさかこんなにすんなりと上手くいくとは思いませんでした」
「そう?」
「はい。いくらなんでももう少しかかると思ったんですけど」
「それじゃあ、僕はもう少し渋った方がよかったのかな?」
「い、いえ、そんなことないです。つきあってもらって、本当に嬉しいですから」
 そう言って詩織は微笑んだ。
 それからとりとめのない話でのんびりとした時間を過ごす。
 紅茶も何杯かおかわりし、お菓子もだいぶなくなった頃。
「……あの、先輩」
「ん?」
「私の部屋に、行きませんか?」
 詩織は、自分の部屋に圭太を招いた。
 詩織の部屋は、パステルカラーに統一された、清潔感あふれる部屋だった。
「あっ、これは……」
「はい。二年前の『バンドジャーナル』です」
 詩織はそう言って、その雑誌を圭太に手渡した。
「それが、先輩を知るきっかけになりましたから」
「そっか……」
 圭太自身も懐かしそうにページをめくる。
 そして、その手があるページで止まった。
 そう、ソロコンの結果を伝えるページである。
「……先輩」
「うん?」
「ひとつだけ、ワガママなお願いをしてもいいですか?」
「それは、内容にもよるけどね」
 圭太は雑誌を元に戻し、詩織に向き直った。
「私を、先輩の手で、先輩だけのものにしてください」
 詩織は、真っ直ぐな眼差しでそう言った。
「それは、詩織が本当に望んでいること?」
「はい」
 圭太の問いかけに、詩織は迷うことなく答える。
「だから、お願いします」
「……後悔、しないね?」
「はい、絶対に」
「……わかったよ」
 
 圭太は、詩織をベッドに横たわらせた。
 詩織は緊張からか、だいぶ表情が強ばっていた。
「緊張してる?」
「あ、す、少しですけど……」
「大丈夫、だから」
 そう言って圭太は、詩織の髪を撫でた。
 見た目通り、さらさらで、いつまでも触れていたいくらいだった。
「……先輩は、本当に優しいですね」
「そうかな?」
「はい」
「じゃあ、その期待を裏切らないようにしないとね」
「ん……」
 微笑み、キスをする。
「もう一度、いいですか?」
「何度でも」
 今度は詩織からキスを求める。
 最初は押しつけるだけのキスだったが、それが次第に情熱的なキスに変わってくる。
 相手の口内に舌を入れ、舌を絡め、むさぼる。
「ん、はあ……」
 それだけで詩織は夢見心地で、幾分感覚も麻痺している。
「もし、イヤなことがあったら、言って」
 そう言い置いてから、胸に触れた。
「ん……」
 詩織の胸は、見た目通りのボリュームで、布地越しでもその弾力が手のひらに伝わってきた。
「あ……」
 ゆっくりとその手を動かす。
 詩織は、声が漏れないように手で口を押さえている。
「脱がせるよ?」
「は、はい……」
 ブラウスのボタンをひとつずつ外していく。
 すぐに、白のシンプルなブラジャーが現れた。
 詩織は、恥ずかしさからか、視線をそらしている。
 そんな詩織に微笑み返しながら、圭太はブラジャーも外してしまう。
「っ……」
 無意識のうちに手で隠そうとする。
「ダメだよ」
 それを圭太はやんわりと止めた。
 胸を包み込むように揉む。
「ん、あ……」
 その動きにあわせ、詩織は少し声を上げる。
 ゆっくりと円を描くように揉み、次第に中心部へ。
「んっ、あんっ」
 敏感な部分を刺激され、思わず大きな声が出る。
「もっと、声を出してもいいんだよ?」
「で、でも……」
「僕は、詩織の声を聞きたい」
 ぷっくりとふくらんだ突起を軽く指でつまむ。
「んあっ」
 指先で転がし、押し、つまむ。
「んんっ、ああっ、あんっ」
 慣れない快感にどう対処していいかわからず、詩織は嬌声を上げた。
 圭太は、しばらく胸をもてあそび、おもむろにスカートに手を伸ばした。
 一瞬、詩織が体を強ばらせた。
 それでも圭太はやめなかった。
 スカートのホックを外し、ファスナーも下ろす。
 さしたる抵抗も受けず、スカートを脱がせた。
 ブラジャーと揃いの白いショーツ。
 その上から、優しく秘所を撫でる。
「んっ、あ……」
 足を閉じようとするが、圭太はそれを許さない。
 力を入れたり抜いたりし、何度も擦る。
「んっ、あんっ、先輩っ」
 もう声が出るのも構わないという感じで、快感に身を委ねる。
 しっとりと濡れてきたところで、ショーツを脱がせる。
「……や、やっぱり、恥ずかしいです……」
「恥ずかしがることなんてないよ。すごく、綺麗なんだから」
「先輩……」
 それなりに生え揃っている恥毛の中、秘唇に指を添え、なぞる。
「んあああ……」
 さらなる快感に、詩織は、声を上げた。
 それを繰り返し、少しだけ中に指を挿れる。
「んんっ」
 同時に詩織の中は、その指を締め付けてきた。
 圭太は、ゆっくりとその指を出し入れする。
「あんっ、んんっ、んっ」
 詩織の声に艶っぽさが加わってくる。
 圭太の指にも、蜜がつき、だいぶ受け入れる準備ができてきていた。
「ん、はあ、先輩……」
 詩織は、せつなそうな眼差しを圭太に向ける。
 圭太は小さく頷き、ズボンとトランクスを脱いだ。
「いくよ?」
「はい……」
 一度軽くキスをし、モノを秘所にあてがった。
 そのまま腰を落とす。
「んっ、ぐっ……」
 詩織は、唇をかみしめ、それに耐える。
 圭太のモノは、少しずつ詩織の中に入っていく。
 そして、わずかな抵抗感も消え、完全に奥まで入った。
「せん、ぱい……」
「よくがんばったね」
「私の中に、先輩を感じます……」
 微笑む詩織に、キスをする。
 少しの間、そのままでいた。
「もう、大丈夫ですから……」
「うん」
 圭太は、少しでも詩織の負担にならないように細心の注意を払いながら、腰を動かした。
 いくら準備ができていても、はじめての詩織の中は、やはり狭かった。
 それでも少しずつ潤滑油があふれ出し、圭太の動きを助ける。それは同時に詩織に快感をもたらした。
「んっ、あっ、はんっ、んあっ」
 艶めかしい声が口から漏れる。
 その頃には圭太も、自分のいいように動けるようになってきていた。
「ああぅ、んくっ」
 止めどなく押し寄せる快感のはけ口を求め、詩織はシーツをつかむ。
 だが、それでも快感は止まらない。
 次第にその快感にすべてを委ねていく。
「先輩っ、私っ、私っ」
 その快感に耐えられるのも限界が来た。
「んんっ、あああっ!」
 詩織は、絶頂を迎えた。
 同時に詩織の中がギュッと締まり、圭太はその中にすべてを放った。
「ん、先輩……」
「はぁ、はぁ、大丈夫だった?」
「はい……」
「そっか……」
 圭太はそう言って微笑んだ。
「先輩、もう一度キス、してくれますか……?」
「いいよ」
 ふたりはキスを交わし、穏やかに微笑んだ。
 
 詩織は、裸のまま圭太に寄り添っている。その顔には、とても幸せそうな、穏やかな笑みがあった。
「先輩」
「うん?」
「私、先輩のこと、ますます好きになってしまいました」
「そうなの?」
 圭太は、わざとらしくそう言う。
「もともと先輩のことは好きでしたけど、今日、こうして先輩に抱かれて、私、確信しました」
「確信? なにを?」
「好きとかそういうレベルじゃないってことです。私の先輩に対する想いは、そういう言葉では表せません。それを確信しました」
 詩織は、はっきりとそう言った。
「それでも強いて言葉を当てはめるなら、やっぱり、大好きとか、愛してるとか、そういう言葉になるとは思いますけど」
「そっか」
「あの、先輩。先輩は私のこと、どう思っていますか? 今でも、単なる後輩ですか?」
「それは難しい質問だね」
 圭太は、詩織の肩を抱きながら、続けた。
「僕は、最初から詩織のことは単なる後輩だとは思ってないよ」
「えっ、そうなんですか?」
「僕がはじめて詩織に会った時を、覚えてる?」
「はい。先輩が勧誘のチラシを配ってた時です」
「その時、思ったんだ。なんて綺麗な子なんだろう、って」
「ほ、本当ですか?」
「ウソじゃないよ」
「で、でも、先輩には柚紀先輩がいるじゃないですか。私から見れば、柚紀先輩の方がよっぽど綺麗だと思います」
 本来なら素直に喜ぶべきところなのだろうが、詩織はすぐには喜べなかった。
「柚紀の彼氏だからっていうわけじゃないけど、確かに柚紀は綺麗だと思う。でもね、僕にとってはその綺麗さは、当たり前のことなんだよ」
「当たり前のこと……」
「僕の知っている柚紀は綺麗、これが当たり前。別に、見慣れたとかそういうことではないよ。だけど、僕が改めてそれを思うことは、そうはないと思うよ」
 当然の認識を、改めて認識することは、そうない。
 たとえば、人は空気を吸って生きている。だが、それをいちいち認識している人がどれだけいるだろうか。
 それを認識するのは、息が詰まったりして空気を得られなかった体験をしたあとくらいだろう。
「だからね、詩織を見た時、綺麗な子だなって、そう思ったんだ」
「……それは、喜んでもいいこと、なんでしょうか?」
「それは僕にはわからないけど、少なくとも、僕はけなしてるつもりはないから」
「じゃあ、喜びます」
 そう言って詩織は、にっこり笑った。
「私は、先輩にとってどんな存在になれると思いますか?」
「それは、まだわからないかな。ただ、僕にとって朱美や紗絵はある意味では『妹』みたいな存在だから、詩織もそんな感じになるのかも」
「それは、私が先輩の後輩だからですか?」
「うん」
「……私は、私としては、先輩を支えていられるような存在でいたいです」
「そっか。じゃあ、僕は、詩織に頼らないようにしないとね」
「せ、せんぱ〜い……」
 圭太は、冗談だよ、と言ってキスをした。
「だけどね、詩織。詩織が僕にとってどんな存在になろうとしてもいい。でも、そのために自分を押し殺したり、無理をしたりするのだけは、絶対に認めないから。いいね?」
「はい」
 詩織は、はっきりと頷いた。
「よし、詩織の意思も確認したし、僕はそろそろ帰るよ」
「えっ、もう帰るんですか?」
 夢の時間が終わってしまう、そんな感じで詩織は淋しげな表情を見せた。
「もうって言われても、もう夕方だしね。そろそろ、詩織のご両親も帰ってくるかもしれないし」
「そう、ですね」
 そう言われてしまっては、詩織も引き下がらざるを得ない。
 ふたりはそれぞれに身支度を調える。
「先輩」
「ん?」
「もし、迷惑じゃなかったら、また、私を抱いてくれますか?」
 詩織は、圭太の背中にそっと寄り添い、そう言った。
「そうだなぁ、その時もまだ、詩織が僕のことを好きでいてくれれば、そうするよ」
「だったら、大丈夫です。私が先輩のことを嫌いになるなんて、万が一にもないですから」
「なら、そういうことだよ」
 そう言って圭太は微笑んだ。
 
 詩織は、圭太がいいというのも聞かず、途中まで見送りについてきていた。
「先輩。今度、改めてお誘いしてもいいですか?」
「都合がつけばいいよ」
「じゃあ、今度は、先輩とデートしたいです。ちょっと順番が逆になりましたけど」
 そう言って詩織は微笑んだ。
「あっ、それともうひとついいですか?」
「ん、なにかな?」
「先輩とふたりきりの時は、先輩のことを、『圭太さん』て呼んでもいいですか?」
「別に構わないよ。僕は、いろいろ呼ばれ慣れてるからね」
 苦笑する圭太。
「じゃあ、そうします」
 圭太さん、と呟き、詩織は嬉しそうに笑った。
 そして、別れ際。
「これからは、詩織も遠慮することないからね」
「遠慮、ですか?」
「うん。柚紀には……まあ、少しは遠慮した方がいいかもしれないけど、ほかには遠慮することないよ。特に、朱美と紗絵は同い年だし」
「……はい、わかりました。少しずつそうしてみます」
「あっ、でも、やりすぎはダメだよ」
「ふふっ、わかりました」
 笑顔の詩織にキスをして、圭太は帰っていった。
「圭太さん、か……ふふっ」
 
 四月三十日。
 その日は休みの谷間で、一高内にはあからさまにだらけた雰囲気が流れていた。
 それでも次の日から五連休なので、それだけを頼りに授業を受けている、そんな感じだった。
 昼休み。
「おい、圭太。お客だぞ」
「お客?」
 クラスメイトにそう言われ、入り口の方に視線を向ける。
「祥子先輩」
 わざわざ二年の教室にまでやって来た祥子だった。
「どうしたんですか?」
「圭くんに、ちょっと聞きたいことがあってね」
 そう言って祥子は意味深な笑みを浮かべた。
「圭くんは、GW中、なにか予定はあるかな?」
「一日と三日以外ならないですけど」
「そっか、じゃあ、五日の日に、私とデートしよ」
「五日ですか。ええ、いいですよ」
 圭太は、あっさりとそれを承諾した。
「なんか圭くん、最近余裕が出てきたよね」
 祥子は、少しだけつまらなそうにそう言う。
「余裕、ですか?」
「うん。やっぱり、柚紀と婚約したから?」
「さあ、どうですかね。というよりも、僕自身は余裕なんてありませんから」
 それが当たり前だと言わんばかりに、そう言う。
「以前ならもう少し悩んで決めたんだけどね。なんか、私、軽く扱われてるのかな?」
 冗談めかしてそう言う。
「そんなことあるわけないじゃないですか。今回のことは、もうすでに柚紀から承諾を得ているからですよ」
「そうなの?」
「はい。柚紀とは一日にデートするということで」
「そっか、そうだったんだ」
 なるほどと納得する祥子。しかし、それでもまだ表情はパッとしない。
「……ねえ、圭くん。私ね、前から思ってたんだけど、圭くんと柚紀って、なんとなく柚紀の方が強いよね」
「なんとなく、じゃなくてそうですよ」
「わ、自覚してるんだ」
「ええ。これが世に言う『尻に敷かれている』というやつですかね」
 圭太はあっけらかんと笑う。
「僕は、それでいいと思ってます」
「どうして?」
「それは、僕と柚紀の性格を考えればわかると思いますけど。僕は相手を引っ張っていくタイプじゃないです。でも、柚紀は人を引っ張っていけるだけの積極性がありますから。だから、僕はその流れに身を任せているんです」
 確かに圭太の言い分はもっともである。
 圭太は人を引きつける魅力は持っているが、何事にも出張っていくような積極性はそれほどない。
 それに対して柚紀は、何事に関しても積極的で、特に恋愛が絡むとさらに積極的になる。
 そんなふたりがつきあっているのだから、今のふたりのような関係になるのも、わかるというものである。
「ただ、これでも僕は男ですから。一応、言う時は言ってますよ」
「なるほどね。そういうことを考えると、圭くんと柚紀って、お似合いのふたりなんだね。私だと、そうはならないからね」
 ちょっとだけ淋しそうに言う。
「確かに僕と柚紀のような関係にはならないと思いますけど、でも、それは当たり前だと思いますよ」
「どうして?」
「それは、先輩と柚紀は違いますから。だから、関係も違っても当たり前です」
「そう、だよね」
「だから、先輩がいろいろ考えることはないと思いますよ」
「うん、そうだね。私、ちょっといろいろ考えすぎたね」
 笑う祥子。
「それじゃあ、圭くん。また部活でね」
「はい」
 祥子を見送り教室に入ると、早速柚紀が訊ねてきた。
「なんの話だったの?」
「GWのこと」
「わ、やっぱり。なんとなくそうじゃないかなぁ、って思ったんだ。う〜む、祥子先輩は確実に攻めてくるわね。これは意外にともみ先輩よりも強敵かも」
 そう言って柚紀は、腕を組んで唸った。
「確かに祥子先輩と結婚すれば、逆玉だもんね」
「あのさ、柚紀」
「うん、なに?」
「そういうあり得ない話をしてもしょうがないと思うけど」
「んもう、女心は複雑なの。もうちょっと理解しなさい」
 そう言う柚紀に、圭太は苦笑するしかなかった。
 
「圭兄っ!」
「先輩っ!」
 放課後、部活がはじまる直前。
 圭太が楽器の手入れをしていると、すごい形相で朱美と紗絵がやって来た。
 これではカワイイ顔も台無しである。
「ふたりとも、そんな顔して、どうしたんだ?」
「ちょっとこっち来て」
 ふたりは、圭太を音楽室の外へ連れ出した。
「それで?」
「圭兄、どういうこと?」
「なにが?」
「詩織のことです」
 紗絵は、そう言って盛大なため息をついた。
「今日、たまたま詩織に会ったら、すっごく機嫌がよくて。それで理由を訊ねたら……」
「先輩。詩織にまで手を出したんですね」
「圭兄、手が早すぎだよぉ。そりゃ、詩織は私が見ても綺麗だとは思うし、惹かれるのもわかるけど」
「でも、もう少し考えた方がよかったんじゃないですか?」
 ふたりは、とにかく圭太の行動が気に入らないらしい。
 しかし、それに対して圭太は、特に表情も変えず、それを聞いていた。
「やっぱり、ふたりは『妹』だ」
「えっ……?」
「どういう意味ですか?」
「いやね、昨日、詩織に訊かれたんだよ。僕にとって詩織はどんな存在なのかって。それに答えるには、まだもう少しいろいろ知らないといけないから、答えなかったけど。その時に、ふたりのことを言ったんだ」
「それが『妹』ってこと?」
「明確な『妹』じゃないよ。あくまでも年下で後輩っていうことで、そういうような感覚かなって」
「でも、詩織はそうじゃないんですね?」
「今のふたりを見てると、そう思わざるを得ないよ」
「あうっ……」
「ううぅ……」
 そう切り返されては、ふたりは押し黙るしかない。
「ふたりの言いたいことはよくわかるよ。それに、ああなったことに一番驚いてるのは、僕自身だから」
「そうなんですか?」
「うん。さすがに出会って一ヶ月も経ってないわけだから、驚くよ」
「柚紀先輩でも、四ヶ月かかったのに」
「……先輩、まさか、詩織に本気っていうことはないですよね?」
「それはないよ。断言できる。ただ、詩織は、僕の中になんの違和感もなく入ってくる存在ではあるね。だからかな、受け入れてしまったのは」
 そう言う圭太に、ふたりはかなりのショックを受けたようだ。
「あっ、先輩。おはようございます」
 そこへ、話題の人物がやって来た。
「おはよう、詩織」
「どうしたんですか……って、なんとなくわかりました」
 朱美と紗絵が、すごい形相で威嚇していた。
「ほら、ふたりともそんな顔しないで」
 圭太は、ふたりの頭を撫でた。
「ん……」
「あ……」
 それだけでふたりはすっかりおとなしくなる。
「さあ、今日もがんばって練習だ」
 
 三
 皐月。
 かつての暦ならば、仲夏というところか。
 その一日。
 少し前までならメーデーということで、あちこちで集会やデモが行われていたが、ここ最近はおとなしくなっている。
 五月に入ったからというわけではないが、その日は朝から目一杯いい天気だった。
 朝の気温もだいぶ高くなり、布団から出るのも楽になった。
 朝、店の準備をしている圭太も、水がだいぶ冷たく感じなくなったことに、季節の移ろいを感じていた。
 とはいえ、そんなことを考えるのは、最初だけ。あとは機械的に自分の作業をこなすだけ。
 朝食をとり、早めに家を出ようとした圭太に、朱美が声をかけた。
「圭兄」
「ん?」
「明日の部活が終わったあと、時間、ある?」
 朱美は、遠慮がちに訊ねる。
「大丈夫だけど、なにかあるのか?」
「デート、したいなって。いいかな?」
「いいよ」
「ホント? じゃあ、約束だからね」
 朱美に念を押され、圭太は家を出た。
 その日のデートは、いつもより少し遠出することになっているため、早めに家を出たのだった。
 圭太は、遠出することを考え、バスで駅前に出た。
 改札近くには、これから行楽地に出かけるであろう観光客が大勢いた。
 中には大きな荷物を持っている者もいる。五連休ならば、結構のんびりとした旅行もできるだろう。
 圭太は、そんな一行の邪魔にならない場所で柚紀を待った。
 空の青さがいっそう深くなり、風にも初夏のさわやかさを感じる。
 しばらくすると、柚紀がやって来た。
「お待たせ、圭太」
 柚紀は、季節先取りという感じで、ノースリーブのワンピースにカーディガンを羽織っていた。
「じゃあ、早速行こうか」
「うん」
 ふたりは目的地までの切符を買い、電車に乗り込んだ。
 電車の中は、駅前の様相に比べれば、空いていた。
 立っている乗客はほとんどおらず、それでもシートに余裕はあった。
「ん、ふわぁ……」
「眠いの?」
「ん〜、ちょっと早起きしたからね。でも、基本的に睡眠時間は足りてるはずだから、心配ないよ」
 柚紀は、そう言って笑った。
「そういえば、お父さんがね、圭太を連れてこいってうるさいの」
「どうして?」
「さあ、本当のところはわからないけど、一応の理由は、いろいろ話したいことがあるからだって」
「そっか。じゃあ、行った方がいいのかな?」
「ああ、別にいいよ。どうせたいした話でもないんだから。それに、私が圭太を呼ぶと必ずお姉ちゃんもいるから。いろいろ面倒で」
「あ、あはは……」
 自分の父親や姉をそこまで言えるのは、さすがというところか。
 しかし、そういうことを露程も考えたことのない圭太にとっては、少々刺激が強い。
「ま、適度に顔を出せば、うるさい程度で収まっててくれるから」
 その先はいったい、とは訊けない圭太であった。
 しばらく電車に揺られ、ようやく目的地に到着。
 電車を降り、駅を出ると、そこはとてもこぢんまりとしたところだった。駅前に店舗はあるものの、それほど多いわけではない。
 そんなところになにがあるのか、というわけだが、そこには人を集めるような観光地はない。むしろ、普通の人なら間違いなく素通りする。
 ふたりは、駅前からある場所を目指し、歩いていた。
 街並み自体は、普通の住宅街である。ただ、幾分一軒家が多く見える。
 駅から歩くこと二十分。
 ふたりの前には、大きな河が横たわっていた。
 そこは、このあたりでは一番大きな河で、河川敷も立派だった。
 ふたりがそこを選んだ理由は、とにかくゆっくりのんびりしたいという理由からだった。
 土手の上を歩いていると、河川敷にある運動場で野球やなにかをしている様が見えた。
 ふたりは、比較的静かなところで斜面に腰を下ろした。
「ん〜、気持ちいいねぇ」
 水面を駆けてくる風が涼やかで、初夏という感じを目一杯感じられた。
「圭太」
「うん?」
「膝枕してあげる」
 そう言って柚紀は膝を揃えた。
 圭太は、特になにも言わず、そこに寝転がった。
「そういえば、圭太。もう手を出したんだね」
「……なんのこと?」
「とぼけるの?」
 柚紀は、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「……いえ、僕の負けです。詩織に手を出しました」
 そんな柚紀には絶対に勝てないことを学んでいる圭太は、即座に負けを認めた。
「ホントに圭太も変わったよね。私の時なんか、半ば強制しないと抱いてくれなかったのに、今じゃ一ヶ月も経たずにだもん」
「……それを言われると、返す言葉もない……」
「そんなに気になる存在なの?」
「そうだね。なんか、違和感がないんだ」
「違和感?」
「うん。僕の中で詩織を受け入れることに違和感がないんだ。それを特別な感情だって言われたら、それはそうだと思うけど、でも、僕としてはそこまでのことだとは思ってないんだ。あくまでも、気になる存在、だからね」
 そう言って圭太は苦笑した。自分でもその意見が少し矛盾していることを理解しているのである。
「なんかいまいちよくわからないけど、まあ、圭太らしいからいいや。ただし」
「……ただし?」
「今更言わなくてもわかってると思うけど、必要以上に肩入れすることはないんだからね。圭太の彼女はあくまでも、私、なんだから」
「それは十分わかってるし、詩織にも言ってある。経過がどうであれ、結果だけはもう変わらないって」
「私としては、その経過も大事にしてほしいんだけど、ま、とりあえずは及第点」
 そう言って柚紀は、圭太のおでこを小突いた。
「でもなぁ、圭太って、結構面食いなのかな?」
「そんなことはないと思うけど……」
「だってさぁ、圭太のまわりにいる人たちって、これは私の基準でしかないけど、その基準で見ても、かなり高い位置にいるのよねぇ。その中でトップクラスなのが、鈴奈さんと祥子先輩、そして、詩織」
 ため息をつく。
「だけど、僕から見れば、柚紀の方が上だと思うけど」
「ん、まあ、そう言われて悪い気はしない、というか、むしろ嬉しいけど」
「それに、僕は人を外見で判断しないから」
「それはわかってる。ただなんとなくそう思っただけだから、あんまり気にしないで」
 柚紀は曖昧に微笑み、その話を終わらせた。
 不意に会話が途切れた。
 柚紀は、圭太の髪を撫でながら、水面を渡る風を感じている。
 圭太は、柚紀に髪を撫でられながら、気持ちよさそうに目を閉じている。
「圭太はさ」
「ん?」
「お父さんやお母さん、お姉ちゃんたちと、上手くやっていけると思う?」
「特に、問題はないと思うけど。どうして?」
「ううん、なんとなく気になっただけだから」
 そう言って頭を振る。
「じゃあ、柚紀はどう?」
「私? 私は全然問題ないよ。琴美さんとも大丈夫だし、琴絵ちゃんとも大丈夫」
「確かに、琴絵とは大丈夫そうだよね」
 圭太は、意味深な笑みを浮かべた。
「それって、どういう意味?」
「母さんはね、ああ見えても結構『裏』のある人だから。柚紀にはまだ、それを見せてないだけなんだ。それを見て、果たして柚紀は同じことを言えるかどうかと思って」
「具体的にはどういう感じなの?」
「そうだなぁ、『嫁姑、骨肉の争い』みたいな感じかな」
「…………」
 思わず黙り込む柚紀。
「息子の僕が言うのもなんだけど、母さんは父さん亡きあと、僕に父さんを重ねている部分があるから。その影響かどうかはわからないけど、たまに暴走するから」
「暴走、ね……」
「それに、母さんは僕をかなり溺愛してるから。もちろん普段からずっとそういうわけじゃないけど」
「じゃあ、私があまり圭太に構い過ぎると、衝突するかもしれないってこと?」
「可能性としてはあるかもしれないってこと。ただ、基本的には母さんも柚紀のことは、本当の『娘』のように思ってるからね。そこまでのことはないと思うよ」
「そっか……」
 柚紀は、その言葉を聞き、なにやら考えこんだ。
「僕は、柚紀と母さんなら、上手くやれると思うよ」
「そう思う?」
「うん。まあ、少し心配なところは、ふたりは似てる部分が結構あるから、その個性がぶつからなければ、問題ないと思うよ」
「私と琴美さんが? ちょっと信じられないなぁ」
「たぶん、そういうのは本人が一番わからないと思うよ」
 圭太はそう言って笑った。
「まあ、それも一緒にいればわかると思うよ」
「となれば、早く一緒にならないとね」
 そう言って柚紀はキスをした。
 
 柚紀の作ってきた昼食を食べ、ふたりは揃って土手に寝ころんでいた。
 特になにをするでもない。ただ、黙って体の下に芝生を感じ、暖かな陽差しと涼やかな風を感じる。
 植物でいえば、光合成をするようなものだ。人間には光合成は必要ないが、それでもそうやって自然を感じることは必要だと思う。
 たとえ人間といえども、地球に生きる、一生命体でしかないのだから。
 太陽の光と、地球の恵みによって生きていけるのだから。
 そんなことをふたりが考えていたかどうかはわからない。
 ふたりは、穏やかな表情で、そのひとときを満喫してた。
 
 その河川敷をあとにしたのは、夕方になる前だった。あまり時間が遅くなると行楽地へ行っていた観光客と鉢合わせる可能性があったからだ。
 電車の中、柚紀は圭太に寄り添い、うつらうつらしていた。
 圭太は、そんな柚紀の肩を優しく抱いていた。
 地元の駅に着くと、改札口のところにはすっかり疲れ切った父親とおぼしき姿や、まだまだ遊び足りないと主張する子供の姿があった。
「ねえ、圭太」
「うん?」
「これから、圭太の部屋に行ってもいい?」
「それは構わないけど──」
「じゃあ、行こ」
 まだなにか言おうとしていた圭太を遮り、柚紀はそう決めてしまった。
 人で賑わっている商店街を抜け、住宅街へ入ってくる。
「ふんふ〜ん♪」
 柚紀は、すごくご機嫌だった。
 圭太としてもその理由がわからず、さっきからずっと首を傾げていた。
 高城家に到着したのは、陽が西に傾いてからだった。
「ただいま」
「おじゃまします」
 中に入ると、リビングの方からにぎやかな声が聞こえてきた。
 ふたりは、それが気になりリビングに顔を出した。
「あっ、お兄ちゃん、おかえりなさい」
「おかえり、圭兄」
「おじゃましてます、先輩」
 リビングにいたのは、琴絵、朱美、紗絵だった。
「三人でなに話してたんだ?」
「ん〜、内緒」
 琴絵はそう言って笑った。
「あっ、そうだ。お兄ちゃん、三時くらいだったかな? ともみ先輩から電話があったよ」
「ともみ先輩から?」
「うん。お兄ちゃんはいないって言ったら、またあとで電話するって言ってた」
「そっか」
 圭太は首を傾げつつ、とりあえずそのことは後回しにすることにした。
「じゃあ、僕は部屋にいるから、電話があったら教えて」
「うん、わかったよ」
 そう言い置いて、部屋に向かった。
「ともみ先輩、なんの用だろ?」
「たぶん、デートのお誘いだと思うよ」
 柚紀は、そう言ってベッドに座った。
「そうかな?」
「せっかくのGWだし、たぶんそうだと思うよ」
「もしそうだとすると」
 圭太は、カレンダーを見た。
「今年のGWは、毎日予定があることになるなぁ」
「毎日って、明日は?」
「明日は、朱美。今朝、約束させられたんだ」
「明日が朱美ちゃん、あさってはまあいいとして、四日はこのままだとともみ先輩、そして五日が祥子先輩。ホント、モテモテだね、圭太」
 柚紀は、ちょっとだけ面白くなさそうに言う。
 とはいえ、GWの予定を空けたのは、柚紀が決めたことである。だからこそ、それ以上は言えないのである。
「ま、いいや。それより圭太」
「うん?」
「今日は、五月一日だよね?」
「そうだね」
「それで、なにか思い出さない?」
「なにか?」
 圭太は、そう言って考える。
 柚紀は、期待に満ちた目で圭太を見ている。
「う〜ん、ちょっとわからないなぁ」
「んもう、どうしてそういう大事なことを忘れるかな」
 ぷうと頬を膨らませ、柚紀は自分の左手を突き出した。
「婚約。婚約してから一ヶ月なの」
「ああ、そういえばそうだね」
「なんか、圭太、冷たいよぉ」
「そ、そうかな?」
「なんか、このままだと結婚しても、結婚記念日を忘れたりするかも」
 よよよ、と言って泣き真似をする。
「……柚紀」
 圭太は、柚紀を抱きしめた。
「抱いて誤魔化すの?」
「そうじゃないけど」
「じゃあ、どういうこと?」
「婚約一ヶ月記念に」
 そう言ってキスをする。
「ん、なんか上手く誤魔化されてる気がするけど」
「じゃあ、やめる?」
「ううん、やめない」
 今度は柚紀からキスをする。
 圭太は、そのまま柚紀のワンピースを脱がせる。ノースリーブなので、脱がせるのも簡単だった。
 ブラジャー越しに胸に触れる。
「んっ」
 それだけでびくんと反応する。
「そういえばね」
「ん?」
「私、少し大きくなったんだよ」
「胸が?」
「うん。圭太に揉まれてるからかな?」
 圭太はそれには応えず、そのまま胸に触れ続けた。
 ブラジャーを外すと、ボリューム感のある胸が、ぷるんと揺れた。
 そのボリューム感を確かめるように、圭太は手のひらで包み込むように揉む。
「んんっ、あんっ」
 手のひらが微妙に敏感な部分を刺激する。
 その度に柚紀は、甘い吐息を漏らす。
 圭太は、胸をもてあそびながら、下腹部にも手を伸ばした。
 ショーツの中に手を滑り込ませ、直接秘所に触れる。
「やんっ、んんっ」
 柚紀のそこは、すでに濡れていた。
 圭太は、指を中に挿れ、何度も出し入れする。
「あんっ、ああっ、あっ」
 圭太の指は、柚紀の中で絡め取られそうになりながらも、快感を与えていく。
「んっ、圭太、もう、いいよ」
 圭太は、ショーツを脱がせ、自分も服を脱ぐ。
 そして、自分のモノを軽くしごき、柚紀の秘所にあてがった。
「んっ、ああんっ」
 そのまま一気に体奥を突く。
「んんっ、あんっ、んくっ」
 圭太は、激しく攻め立てた。
 肌と肌が当たる音と、淫靡な湿った音、そしてふたりの荒い息が部屋に響く。
「んあっ、圭太っ」
「柚紀っ」
 むさぼるようにキスを交わす。
 それでも圭太は止めない。動き続け、それに反応し、柚紀は嬌声を上げる。
「ああっ、圭太っ、すごいっ」
 何度同じことを繰り返しても、柚紀は、圭太とのセックスに新鮮さやなにかを感じていた。
 それは、とりもなおさず、圭太とのセックスを心から望んでいるからだろう。
 自分もそうだが、圭太に気持ちよくなってもらうには、自分はどうすればいいか。
 そんなことも考えている。
 ただ、絶頂を迎えようという時は、頭の中は真っ白になる。
「圭太っ、私っ、もうっ」
 圭太は、ラストスパートというように、激しく動いた。
 そして──
「ああああっ!」
「柚紀っ!」
 柚紀が達するのとほぼ同時に、圭太は白濁液を、柚紀の腹部にほとばしらせていた。
「ん、はあ、はあ、圭太、すごかった……」
「はぁ、はぁ、はぁ……」
 圭太は、微笑み柚紀にキスをした。
 
「圭太はさ」
「ん?」
「私を一番好きでいてくれるんだよね?」
 柚紀は、どことなくなにを考えているのかわからないような、あまり感情の見えない顔で訊いた。
「ん〜、それはどうかな」
「えっ……?」
 しかし、圭太は柚紀が予想していた答えを返さなかった。
 どうして、そんな顔で圭太を見る。
「僕としては、そういう意識はなくなると思うんだよね。今は確かにそういう感覚だけどね」
「それって、どういう意味?」
「一番とか、そういうの、考えなくてもいいくらいになるってこと。もちろん、嫌いになるってことでもないし、僕の柚紀に対する想いが変わるわけでもないけど」
「……よく、わからないんだけど」
「そうだなぁ、なんて言えばわかってもらえるかな。柚紀は、相撲のことはわかる?」
「相撲? 多少は。でも、それが?」
「相撲には番付っていうのがあるのはわかる?」
「うん」
「その一番上の役って、なにかわかる?」
 圭太は、穏やかな口調でそう訊く。
「横綱、じゃないの?」
 柚紀は、少し考えそう言った。
「実はね、違うんだよ」
「そうなの?」
「横綱は、いわば名誉職なんだ」
「名誉職……」
「そう。だから、番付上の最高位は大関なんだ」
「……まあ、それはわかったけど、それが?」
「横綱は、名誉職でそれが一番上であるというのが『当たり前』な存在なんだよ。だからこそ、わざわざ一番上の役とは言わない。柚紀は、僕の中で間違いなくそんな存在になるんだ」
 そこで、ようやく柚紀も合点がいったようだ。
 とはいえ、それはそれ、そんな感じである。
「圭太の考えはわかったし、そう思ってくれることは嬉しい。でも、私はね、これからずっと、そう、死ぬまで圭太の『一番』でいたいの。そして、できるならそれをずっと思っていてほしいの。これって、贅沢なお願いかな?」
 柚紀は、潤んだ瞳でそう言う。
「……ううん、そんなことないよ。柚紀が僕にそれを望むなら、僕は、柚紀のことをずっと、そう、死ぬまで『一番』好きで大切な存在だと思ってる」
「うん、ありがと、圭太……」
 穏やかに微笑み、圭太の胸に顔を埋めた。
「……ただ」
「ただ?」
「柚紀と一緒になって、そうだね、子供でもできたら、それも少しだけ変わるかも」
「どうして?」
「だって、僕たちの子供だよ? その子が『一番』になるかもしれないでしょ?」
 圭太は、珍しく悪戯っぽい笑みを浮かべ、そう言った。
「あっ、うん、そうだね。うん、そうだよ。子は、親の宝物だって言うしね。私たちの子供なら、うん、そうなってもいいかな」
 柚紀も、それを想像し、笑みを浮かべた。
「私、幸せなだぁ……」
「ん、どうしたの、急に?」
「だって、圭太は今の私のことも考えてくれてるし、これから先の私のこともちゃんと考えてくれてるから。こんなに幸せだと、ホント、怖くなっちゃう」
「大丈夫。この幸せは、柚紀だけのものじゃないから。ひとり分の幸せだともろいかもしれないけど、それがふたり分になれば、強くなるはずだから。ほら、毛利元就の『三本の矢』みたいにね」
「ふたり分の幸せ、か……」
 今の幸せをかみしめ、今の圭太の言葉をかみしめる。
「ホント、圭太ってば、そういうセリフ、よく次から次へと出てくるわね」
「別に、意識してるわけじゃないんだけど」
「意識してそんなこと言ってたら、ヤだよ」
 苦笑する柚紀。
「ねえ、圭太」
「なに?」
「来年になったら、本気でいろいろ考えよ」
「いろいろ?」
「うん。結婚は……卒業してからだとして、ほら、一緒に暮らすとか、なにをするとか、子供はどうするとか。考えることはたくさんあるから」
「そうだね。いろいろ、考えないとね」
「うん……」
 圭太は、優しく、強く柚紀を抱きしめた。
「圭太、愛してる……」
 柚紀は、ささやくようにそう言い、軽く、キスをした。
 
 ふたりがリビングに下りてくると、まだ三人は話をしていた。
「琴絵、電話は?」
「ううん、かかってきてないよ」
 一応それを先に確認する。
「お兄ちゃんに柚紀さん、お茶、飲む?」
「ああ、うん。柚紀は?」
「じゃあ、私ももらおうかな」
「ちょっと待ってて」
 琴絵は、足取りも軽く台所へ。
「それにしても、朱美と紗絵は、何年来の友人みたいに意気投合してるな」
「ん〜、それは同じ境遇の似た者同士だからだと思うよ」
「ええ、そうですよ。私も朱美も、同じですから」
 そう言って、少しだけ熱っぽい視線を向ける。
「ん、まあ、理由はどうあれ、仲良くしてるのはいいことだと思うから」
 圭太は曖昧に微笑み、そう言った。
「はい、お兄ちゃん、柚紀さん」
 そこへ、ふたり分のカップとティーポットを持った琴絵が戻ってきた。
「あの、柚紀先輩に前から訊いてみたいことがあったんです」
 紗絵は、琴絵が新たに淹れたお茶を飲み、そう切り出した。
「ん、なに?」
 カップを手のひらで包むように持ち、小首を傾げる柚紀。
「柚紀先輩は、どうして私たちのことを許してくれるんですか? 普通なら、ちょっと信じられないことだと思うんですけど」
 柚紀は、お茶を一口含み、それから答えた。
「それはね、圭太がみんなのことを本気で想ってるから」
「先輩がですか?」
「そう。いくら私が圭太の彼女でも、これ以上圭太を好きになるな、とは言えないから。それに、みんな、私よりずっと前から圭太のこと好きだったわけだし。そんなみんなの想いに応えたってことは、圭太もそれ相応の想いをぶつけたと思うから」
「でも、いいんですか?」
「もちろんいいとは思ってないわよ。圭太には私だけを見てほしいし、その優しさを私にだけ向けてほしいと思ってる。抱くのだって私だけにしてほしい。でも、じゃあ、仮に私が今の紗絵ちゃんや朱美ちゃんの立場だったらどうだろうって、そう考えたの」
 カップをテーブルに置き、大きく息をついた。
「きっと、すごく淋しいだろうなって。誰よりも圭太のことが好きなのに、圭太は私を見てくれない。たぶん、そのままだったら狂っちゃうかもね」
「それじゃあ、先輩は、私たちに同情してるってことですか?」
 紗絵の口調が、幾分硬くなった。
「ううん、同情なんかしてないよ。だって、圭太を振り向かせたのは私だもの」
「…………」
「それまでの経過はどうあれ、結果は結果だもの。だけどね、そこで改めて今度は圭太のことを考えたの。圭太は、私を選んでくれたけど、じゃあ、今まで圭太を好きでいたみんなのことを、どう思ってるんだろうって。そしたら、なんとなく意地を張るのがバカらしく思えてね」
 柚紀は、穏やかな笑みを浮かべ、続けた。
「だから、許したの。それに、圭太が私に話してくれたのは、もうみんなを抱いたあとだったし。そしたら、今更でしょ? 私が泣いて叫んで罵ったところで、そのことがなかったことにできるわけでもないし」
「……先輩は、強いんですね」
「そうかな? そんなことはないと思うけど。だって、結局圭太は、最後には私のところに来てくれるって、そう信じてるから」
 そう言い切り、柚紀は笑う。
「……やっぱり、圭太先輩の彼女には、柚紀先輩が向いてます」
「ホントにそう思ってくれる?」
「はい。先輩と同じように、もし私が先輩の立場だったら、今の先輩みたいには考えられないでしょうから」
「でもね、それは圭太が最初から私以外を抱かなければ済んだ話、なんだけどね」
「あっ、言われてみればそうですね」
「でしょ?」
「はい」
 柚紀につられて、紗絵も笑った。
「私だけじゃないと思いますけど、柚紀先輩になら、負けてもいいって思います。柚紀先輩になら、先輩をお願いできるような気がします」
「私も、そう思います。柚紀先輩以外だったら、圭兄は任せられません」
「ありがと、ふたりとも」
 同じ人を本気で好きになった者同士、想いの行き着く場所は同じである。
 それは、好きになった相手が、圭太が、幸せでいてくれること。
 それを成し遂げられるのが自分ではなくても、それを任せられる相手なら、潔く任せられる。
 それが、今の朱美や紗絵の、いや、ふたりだけではなくほかの人の想いである。
「でも、柚紀先輩」
「ん?」
「私は、まだ逆転サヨナラ満塁ホームランをあきらめてませんから」
 朱美は、そう言って力こぶを作る。
「確かに圭兄は先輩と婚約したかもしれませんけど、結婚したわけじゃないですから。それを反故にさせるくらい私も、努力を続けます」
「いいわよ、その勝負、受けて立つわ」
 柚紀と朱美は、そう言ってがっちりと握手を交わした。
「でも、朱美」
「うん?」
「目の前の壁は、マリアナ海溝からエベレストよりも高いと思うわ」
 朱美のやる気に水を差す紗絵。
「どうして?」
「だって、朱美には先輩に追いつかなくちゃならないことがたくさんあるから。勉強、運動、音楽、家事全般……」
「うぐっ……」
 途端に朱美は言葉を失った。
「超がつくくらい優秀で有能な先輩に、そう簡単に勝てるとは思えないけど」
「だ、大丈夫。人間、死ぬ気でがんばればそのうちなんとかなるって」
「そのうちじゃ、先輩たちは結婚してるわよ」
「あうっ」
「まあまあ、紗絵ちゃんもそんなに言わないで」
 柚紀が、あきれ気味にふたりを止める。
「私と朱美が先輩に勝てることは、ひとつだけ」
「それは……?」
「年下だってこと」
「おおっ、なるほど」
「たった一年かもしれないけど、ひょっとしたら一年も、かもしれないから」
「…………」
 柚紀は、完全に呆れ顔である。
「ね、ねえ、お兄ちゃん」
「ん?」
「そろそろ時間も遅くなってきたよ」
 放っておいたらどこまでも続きそうな話を止めるべく、琴絵はそう言って時計を見た。
「確かに、そろそろいい頃合いだね」
 時計の針は、すでに七時をまわっていた。
「柚紀と紗絵は、そろそろ帰った方がいいんじゃないかな?」
「そうね。明日は部活もあるし」
「そうですね」
 意外にあっさりと話を打ち切る。
「それじゃあ、ふたりとも送るよ」
「私もですか?」
「うん。とはいっても、柚紀をバス停まで送ったあとになるけど」
「それはもう、全然構いません」
 紗絵は、ぶんぶんと首を振る。
「じゃあ、琴絵と朱美は、ここの片づけを」
「うん」
「了解、圭兄」
 リビングの後かたづけをふたりに任せ、三人は家を出た。
「さすがに夜になると少し肌寒く感じるね」
 そう言って柚紀は、カーディガンを羽織った。
 大通りに出て、バスを待つ。土曜日ということで幾分本数が少なかったが、幸いにしてそれほど待たなくてもよかった。
「紗絵ちゃん」
「はい」
「紗絵ちゃんも、勝負してもいいんだよ」
「私は、勝ち目のない勝負というか、負けしか用意されていない勝負はしません」
「ふふっ、そう?」
「はい」
 バスが来て、柚紀はいつものように圭太にキスをし、乗り込んだ。
 声には出さなくとも、口だけで『バイバイ』と言っている。
 バスが鈍いエンジンを響かせ走り去っていく。
「それじゃあ、紗絵、行こうか」
「はい」
 ふたりは、大通りから住宅街へと戻っていく。
「……あの、先輩」
「うん?」
「呆れて、ますか?」
「なにを?」
「私が、柚紀先輩にあんなことを訊いたことです。あれは、訊くというよりは、確認すると言った方がいいかもしれませんけど」
「別に、呆れてなんかいないよ。ただ、改めて紗絵の想いの強さを認識しただけ」
「そう、ですか?」
 紗絵は、少しだけ照れて言う。
「あの、腕、組んでもいいですか?」
「うん」
 出された腕に、自分の腕を絡める。
「……私は、こんな小さな幸せが、ずっと続けばいいんです」
「紗絵……」
「いつか、先輩は私の前からいなくなるかもしれませんけど、その時までは、こうしてその幸せを感じていたいんです」
「大丈夫。僕は、死ぬこと以外で紗絵の前からいなくなることなんてないから」
 圭太は、組まれた腕に、少しだけ力を込めた。
「たとえ僕が柚紀と一緒になって、紗絵が別の誰かと一緒になっても、紗絵が僕の後輩であることに変わりはないし、それに、今、この時の想いは変わらないはずだから。それを覚えている限り、僕はいなくなったりしない」
「先輩……」
 紗絵は、潤んだ瞳で圭太を見つめる。
「僕は、紗絵のことが好きだから。部活の後輩というだけじゃなく、真辺紗絵という女の子のことが、僕は純粋に好きだから」
「ありがとう、ございます……」
「感謝されることなんて言ってないし、してないよ」
「いえ、先輩の想いだけで、私の胸はいっぱいですから」
「そっか……」
「はい……」
 それからふたりは、ほとんどなにも話さず、真辺家まで歩いた。
 それでも別れ際。
「先輩。私、努力だけは続けますから。勝てないってわかっていても、柚紀先輩に少しでも追いつけるように」
「うん」
「あと、柚紀先輩を除いた人たちの間での一番を目指します」
 そう言って紗絵は、圭太にキスをした。
「それじゃあ、先輩。おやすみなさい」
「おやすみ、紗絵」
 笑顔の紗絵をドアが閉まるまで見送る。
 そして、おもむろに家へと足を向けた。
 その顔には、なんとも言えない幸せそうな、楽しそうな笑みがこぼれていた。
 
 四
 五月二日。
 その日も朝からこれでもかってくらい、いい天気だった。
 朱美は、朝からとにかく機嫌がよかった。理由は訊かずともわかる。
 あまりにも浮かれていたから、圭太にすら言われたくらいだ。
「朱美、もう少し落ち着いたらどうだ?」
 しかし、そんなことくらいで落ち着く朱美ではなかった。
 とりあえず午前中は部活に出る。
 部活自体はいつも通りで、少々休み気分という感じくらいだった。
 部活が終わると、いつものメンバーで帰る。とはいえ、柚紀は真っ直ぐ帰ったが。
 家に帰り、軽く昼食を食べ、改めて家を出る。
「朱美は、どこに行きたいとか、どこに行くとか決めてあるのか?」
「ん〜、とりあえず、駅まで出よ」
 そんなわけで、とりあえず駅前まで歩くことにする。
「圭兄とデートなんて、はじめて」
「そういえば、そうだった」
「まあ、私は向こうに住んでたから、しょうがないっていえばしょうがなかったんだけどね。それにほら、そういうの全部飛ばして最後までいっちゃったし」
「それは、僕のせい?」
「ううん。誰のせいとかいうんじゃないの。それに強いて言えば、私のせいだしね」
 そう言って朱美は笑った。
「つきあい的にいえば、私や琴絵ちゃんの方が長いのにね」
「ん?」
「柚紀先輩よりも」
「それはね。琴絵は妹だし、朱美は従妹だし」
「そうやって事実をさらっと言われると、なにも言えないけど」
「さらに言えば、ふたりは『妹』だったし」
「うぐっ、そ、それは昔のことだし」
 圭太の鋭いツッコミに、朱美はたじたじである。
 駅前まで出てくる。
 前日より大きな荷物を持った者は少ないが、人出はあった。
「ん〜……」
 商店街の一角で、朱美はなにかを探すようにあたりを見回した。
「朱美?」
「あっ、ちょっと待っててね、圭兄」
 と、探し物が見つかったようである。
「やっほ、紗絵」
「朱美」
「紗絵?」
 それは、紗絵だった。
 朱美は、紗絵がそこにいるのを知っていた、という感じである。
「どうして紗絵が?」
「朱美に誘われたんです」
「ちょっとね、私たち危機感を持ってて」
「危機感?」
「ほら、超強力ライバルが出現したから」
「ライバルって、詩織のことか……」
 今、ふたりが柚紀以外でかなりライバル視しているのは、詩織である。同い年、同学年、後輩でありながら、あっという間に圭太と関係を持ってしまった。
 そこに明確な危機感を感じたわけである。
「だからね、圭兄。今日は、私たちにつきあって」
「いいですか、先輩?」
「まあ、ふたりがいいなら、僕はいいけど」
 そんなわけで、朱美とのデートが、朱美と紗絵とのデートとなった。
 三人が最初に入ったのは、駅前で一番大きな服飾店だった。
 朱美と紗絵の目的は、夏物。
 さらに言えば、夏物の極めつけだった。
「ねえねえ、これなんてどうかな?」
 朱美は嬉々とした表情で、圭太に意見を求める。
「先輩、どうですか?」
 紗絵も圭太にしか見せない笑顔で同じように意見を求める。
 ふたりが見ているのは、水着である。
「僕としてはどれもいいと思うけど」
 圭太は、無難な答えを返した。
「でもさぁ、紗絵」
「うん?」
「こういうのって、着られないよね」
 そう言って朱美は、ビキニタイプの水着を見せた。
「ああ、うん、ちょっとね」
 紗絵も、それを見て少し淋しそうな顔をする。
「このあたりが、もう少しあるとね」
 ふたりは、揃って自分の胸を見る。
『はあ……』
 そして、盛大なため息をついた。
 ふたりの胸は、少々控えめなため、体型を強調するような水着は現実を突きつけられるので、できれば遠慮したかった。
 そんなわけで、ふたりが選んだのは、一番無難なワンピースタイプの水着だった。
 それから帽子売り場へ移る。
「へへっ、こんなのどう?」
 朱美はひさしの大きな麦わら帽子をかぶり、ポーズをとる。
「黙ってれば、カワイイかも」
「……ちょっと、紗絵〜、それかなりひどいよ〜」
「そう?」
 紗絵は、真っ白な大きなひさしの帽子をかぶった。
「先輩、似合いますか?」
「うん、よく似合ってるよ」
「あはっ、ありがとうございます」
 圭太ではないが、確かにその帽子はよく似合っていた。
 それからいくつか見て、その店を出た。
「次は、どこへ行こうか?」
「う〜ん、そうだなぁ……」
「あっ、あれなんてどうですか?」
 そう言って紗絵が指さした先には、ファンシーなグッズを扱っている店があった。
 当然男ひとりなら入れそうにない店である。
「うん、いいね。行こ、圭兄」
 朱美に手を引かれ、圭太はその店に入った。
 店内は、さらにファンシーだった。
 とはいえ、男がいないわけではない。圭太と同じように連れがいれば、入って来られるのだから。
 棚に並んでいる品は、比較的リーズナブルなものが多く、中高生にターゲットを絞っているような感じがある。
「朱美、紗絵」
「ん、なぁに、圭兄?」
「なんですか?」
「よかったら、なにか選んでいいよ」
「えっ、ホントっ!」
「いいんですか?」
「うん、せっかくだし」
「じゃ、じゃあ、ちょっと待ってて」
「私も選んできます」
 ふたりは、勢い込んで物色しはじめた。さっきまでとは目の色が違う。
 そんなふたりの姿を苦笑しつつ、穏やかな眼差しで見つめる。
 と、そんな圭太の目に、あるものが飛び込んできた。
 それは、なんの変哲もない腕輪だった。もちろんいわゆる宝飾店で売っているようなものではない。
 圭太は、なにやら思い立ち、それをいくつか手に取った。幸いにして色は豊富だった。
「圭兄。これ、いい?」
 そんな圭太のところに、朱美が来る。
 手には、髪を結うための道具が諸々あった。
「多いかな?」
「いや、そのくらいならいいよ」
「よかったぁ」
「先輩。私はこれにします」
 紗絵の手には、小さなオルゴールがあった。
「じゃあ、それ、貸して。買ってくるから」
 圭太はふたりからそれぞれを受け取り、レジへ。
 幸いレジには客はおらず、すぐに済んだ。
 店から出ると、それぞれをふたりに渡す。
「ありがと、圭兄。大事にするね」
「ありがとうございます、先輩」
 ふたりは、本当に嬉しそうに微笑み、その包みを大事そうに抱えた。
「それと、もうひとつ、ふたりにプレゼント」
「もうひとつ?」
「プレゼント、ですか?」
「うん」
 そう言って圭太は、もうひとつ持っていた包みを開けた。
「この中から、好きなのを選んでいいよ」
 中には、色とりどりの腕輪があった。
 数は、全部で八つ。つまり、そういうことである。
「じゃあ、私はこれ」
 朱美は、オレンジ色の腕輪を。
「私は、これにします」
 紗絵は、グリーンの腕輪を。
 ふたりはさっそくそれを腕にする。
「なんか、こうやって圭兄からもらったものを身につけてると、嬉しいな」
「うん、私も」
「喜んでもらえてよかったよ」
「でも、先輩。それ、ほかの人たちにもあげるんですよね?」
「うん」
 圭太はなんの躊躇いもなく頷く。
 朱美も紗絵も、圭太が自分たちを平等に扱っているということは十分わかっていた。ただ、それを自分だけのものにしたいとも思っていた。
「ふたりを特別扱いしてもいいんだけど、それだと、後々いろいろありそうだからね」
 圭太は、ふたりの思惑を見越して、そんなことを言う。
「いいよ、圭兄。今日は、十分『特別扱い』してもらってるし」
 朱美は、そう言って持っている包みを見せる。
「そうですよ、先輩。これ以上言ったら、罰が当たりますから」
「そっか」
 自分たちの想いを抑え込んでそう言ってくれるふたりに、圭太は改めて笑みを向けた。
「圭兄。そろそろ休憩しない?」
「ん、そうだなぁ、そうしようか?」
「うん」
 三人は、喫茶スペースのあるケーキ屋に入った。
 圭太はレモンパイ、朱美はイチゴのタルト、紗絵はレアチーズケーキをそれぞれ紅茶セットで頼んだ。
「先輩は、昨日は柚紀先輩とデートしたんですよね?」
「うん」
「どこへ行ったんですか? ひょっとして、今日とかぶってますか?」
「ううん、それは大丈夫。昨日は河に行ってたから」
「河? このあたりで河っていうと……」
「電車でですか?」
「そうだよ。たまにはゆっくりのんびりしたいと思ってね」
「ああ、うん、この時期だとそれもいいよねぇ」
 朱美も紗絵も、なるほどと頷いている。
「ところで、朱美、紗絵」
「ん?」
「なんですか?」
「今日、わざわざふたり揃ってデートした、本当の理由は?」
「え、えっとぉ、な、なんのこと?」
「そ、そうですよ、ほ、本当の理由なんて、ないですよ」
 いきなりわかりやすい反応を示すふたり。
「確かに最初の理由もある程度は納得できるんだけどね。ただ、それでもわざわざ『ふたり』でってところがわからないんだよ」
『…………』
「で、どうなの?」
 圭太は、微笑みを絶やさずにそう訊く。
 朱美は、どうする?、という顔で紗絵を見る。
「……あの、先輩」
「なんだい?」
「このあと、先輩の部屋へ行ってもいいですか?」
「僕の部屋?」
「はい。そこで、その理由を話します」
 紗絵は、少し真剣な眼差しでそう言った。
「ん、まあ、いいけど」
 圭太は、どことなく釈然としないものを感じながら、首肯した。
 
 ケーキ屋を出たあと、三人はバスで駅前を離れた。
 別に会話がなかったわけではないが、どことなく空々しいものがあった。
 高城家に戻ってくると、琴絵はすでに部活から帰っていた。ただ、鈴奈が用事で店に出られないため、代わりに店を手伝っていた。
 そんなことを頭の片隅で確認しながら、圭太はふたりと部屋に入った。
 圭太は椅子に座り、ふたりはベッドに座った。
「理由を聞く前に、ひとつ注文」
 口火を切ったのは圭太だった。
「どんな理由でも、謝るのだけはなし。謝るくらいなら、最初からやらないように」
 そう言われて、ふたりはわずかにたじろいだ。
「それで、本当の理由って?」
「私と紗絵でね、決めてたことがあったの」
「決めてたこと?」
「うん。入試が終わった日にね」
 そう言って朱美は微笑んだ。
「なにを決めたんだ?」
「ふたり揃って合格できたら、圭兄にお願いしようって」
「……お願い?」
 圭太は、以前にも似たシチュエーションがあったことを思い出していた。
「うん。合格祝いに、ふたりで圭兄に抱いてもらおうって」
「…………」
 予想が当たり、圭太は思わずこめかみを押さえた。
「ダメ、ですか、先輩?」
「ダメかと訊かれれば、できればダメだと言いたいけど」
「……けど?」
「紗絵とは約束してたからね。合格したら、って」
「覚えててくれたんですか?」
「うん。ただ、そういう機会に恵まれなかったから延び延びになってたけど」
「じゃあ、いいんですか?」
「いいよ」
 圭太は、小さく頷いた。
「それじゃあ、先輩」
「うん?」
「こっちへ来てください」
 紗絵に言われるまま、圭太はベッドのところへ。
「圭兄。今日は、紗絵を気持ちよくしてあげて」
「朱美は、いいのか?」
「よくはないけど、私は前にしてもらってるから。だから、平等に、ね」
「……わかったよ」
 圭太は、紗絵を抱きしめ、キスをした。
「ん、あ……」
 ついばむようにキスを繰り返す。
「はあ……」
 唇を離すと、ツーッと唾液が垂れた。
 紗絵を座らせたまま、圭太はその足下に膝をついた。
 スカートをまくり、ショーツをあらわにする。
「せん、ぱい……」
 圭太は、そのままショーツ越しに秘所に触れる。
「んっ」
 敏感な反応を示す紗絵。
 そこで、朱美が動いた。紗絵の背中にまわり、後ろから胸に触れる。
「あ、朱美……?」
「私も一緒に気持ちよくしてあげる」
 そう言って紗絵の髪をかき上げ、うなじにキスをする。
「んあっ」
 意識が朱美に移ったところで、圭太は改めて秘所に触れた。
 指先で恥丘を何でも擦る。
「んっ、あんっ」
 すぐにショーツにシミができる。
「脱がすよ?」
「は、はい……」
 圭太は、一応断りを入れ、ショーツとついでにスカートも脱がせる。
 その間、朱美もなにもしていなかったわけではない。ブラウスを脱がせ、ブラジャーをたくし上げ、その胸に直接触れていた。
「ふふっ、紗絵、気持ちいいんだね」
 朱美は、ぷっくりとふくらんでいる突起をもてあそびながらそう言う。
「あっ、んんっ、やんっ」
 圭太は、秘所に舌をはわせた。
「せ、先輩っ」
 舌先で敏感な部分を突っつくと、紗絵は、腰を浮かせるくらい敏感に反応した。
 同時に、中からじわっと蜜があふれてくる。
「はあんっ、んんっ、気持ち、いいですっ」
 ふたりに攻められ、紗絵は、髪を振り乱しながらあえぐ。
「圭兄、そろそろいいんじゃないの?」
 朱美は、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
 それに応えるように、圭太はズボンとトランクスを脱いだ。
「わ、圭兄もやる気満々だね」
 わざとらしくそう言う朱美。
「先輩……」
 圭太は、モノを紗絵の秘所にあてがい、一気に体奥を貫いた。
「んんあっ!」
 いきなり深いところを突かれ、紗絵は声を上げた。
「んんっ、あっ、あっ、あっ」
 圭太は、最初から飛ばしていた。
「せ、先輩っ、す、すごいっ、ですっ」
 圭太の下で、紗絵も嬌声を上げる。
 肌と肌がぶつかり合い、淫靡な音が部屋に響く。
「せん、ぱいっ、わたしっ」
 紗絵は、ギュッと圭太にしがみついた。
 圭太は、それに応え、ラストスパートをかける。
「んっ、あんっ、んくっ、ああっ」
「紗絵っ」
「先輩っ、んんんっ!」
 紗絵が達するのとほぼ同時に、圭太は白濁液を紗絵の中に放っていた。
「ん、ああ……」
 紗絵は、そのままの格好で、余韻に浸っている。
「紗絵……」
「先輩……」
 ふたりは、キスを交わす。
 と、そんなふたりに割り込む者がひとり。
「ん、圭兄、私もぉ」
 朱美は、艶っぽい声で圭太をねだる。
 よく見ると、スカートをまくり、ひとりで秘所をいじっていた。
「圭兄と紗絵のを見てたら、我慢できなくなって……」
「しょうがないなぁ」
 紗絵をそのままベッドに横たわらせ、今度は朱美にキスをする。
「ん、圭兄……」
 キスをしながら、圭太は朱美の秘所に指をはわせる。
「んっ、あんっ」
 ひとりでしていただけあって、すでに十分なくらい濡れていた。
「圭兄、圭兄のがほしいよぉ……」
 そう言って朱美は、圭太のモノに触れる。
「うっ……」
 まだ完全には萎えていなかったモノが、朱美に触れられたことでその硬さを取り戻した。
 朱美は、服を脱ぐのももどかしそうに、スカートをショーツを脱いだ。
「んっ、圭兄、早くぅ」
 圭太は、少々無理な格好ながら、モノを突き立てた。
「んあっ」
 朱美は、声を上げた。
「んっ、あんっ、んんっ、んくっ」
 圭太が動くのにあわせ、朱美も積極的に動く。
「ああんっ、圭兄っ、気持ちいいのっ」
 次第にその動きも速くなり、朱美の声も高くなる。
「圭兄っ、圭兄っ、圭兄っ」
 何度も圭太を呼び、少しでも多くの快感を得ようとする。
「好きっ、圭兄っ、大好きっ」
「朱美っ」
「あああっ!」
「くっ……」
 圭太はモノを抜こうとしたが、朱美に抱きつかれ、それはかなわなかった。
「ああ、圭兄の、あったかい……」
「はぁ、はぁ……」
「圭兄……気持ちよかったよ……」
 圭太は、なにも言わず、朱美の髪を撫でた。
 と、またそんなふたりに割り込む者がひとり。
「先輩、私にもお願いします……」
「ああん、紗絵はもう一回してもらってるでしょ?」
「それを言うなら、朱美だって」
 朱美も紗絵も譲る気はないらしい。
「ねえ、圭兄、私としようよぉ」
「先輩、私としましょう」
 同時に迫られ、圭太はさすがにたじたじになる。
「ねえ、圭兄ぃ」
「先輩ぃ」
「ああ、もう、わかったから」
「あはっ、やっぱり圭兄は、優しい」
「先輩、好きです」
 
 結局、ふたりをもう一回ずつ抱き、三人は揃ってベッドにへばっていた。
 特に圭太は四回もしたわけで、それはもう大変だった。
 それでもそれをあまり表に出さないところは、さすがは圭太というところだろう。
「先輩……」
「ん?」
「私、先輩のこと、名前で呼んでもいいですか?」
「それは別に構わないけど。なんて呼ぶの?」
「なんて呼ばれたいですか?」
「これといって要望はないけど。できれば無難な方がいいかな。僕が呼ばれてるってわかるようなの」
「じゃあ、やっぱり『圭太さん』ですか? 先輩は年上ですし」
「それが一番妥当かな。あっ、でも」
 圭太は、なにかを思い出した。
「どうしたんですか?」
「いや、詩織もそんなこと言ってたなぁと思って」
「……詩織が、ですか?」
「うん」
「……じゃあ、なおさらそう呼びます」
 紗絵は、ちょっとだけ強い口調でそう言った。
「紗絵も大変だよね。私なんかずっと前から『圭兄』って呼んでるから」
「でも、朱美はずっとそのまま呼び続けるつもりなの?」
「どうして?」
「これから先、大人になって年を取って、それでもそう呼び続けられるのかなって」
「……そっか」
「さすがに、四十歳とか五十歳にもなってそう呼ぶのは、どうかと思うわよ」
「ん〜、でも、大丈夫」
「どうして?」
 今度は紗絵が訊いた。
「だって、『さん』をつければいいだけだから」
「圭兄、さん……なるほど」
「別に僕はどう呼ばれても構わないけどね」
「圭兄は、そういうのに無頓着すぎ。もうちょっと自分の意見を持てばいいのに」
 朱美は、呆れたようにそう言う。
「じゃあ、朱美はこう呼ばれたいとか、そういうのがあるわけか?」
「うん、あるよ」
「僕には?」
「やっぱり呼び捨て。それじゃなかったら、『ちゃん』付け」
「それじゃあ、今と変わらない気がするけど」
「うん。基本的には今が私の理想に近いから。『さん』付けはあまり好きじゃないから、呼び捨てとか『ちゃん』付けがいいの」
 朱美は持論を展開する。
「紗絵は?」
「私ですか? 私もそんなにこだわりはないです。先輩、じゃなかった、圭太さんに呼び捨てにしてもらえればいいです」
 紗絵はそう言って微笑んだ。
「……じゃあ、紗絵のこと、これから『紗絵ちゃん』て呼ぼうか?」
「け、圭太さん、それはすっごくいぢわるです」
「たまにはいいんじゃないかなって。朱美もそう思わない?」
「うん、いいと思うよ。ね、紗絵?」
「ふ、ふたりともいぢわる……」
 拗ねる紗絵に、楽しそうに笑う圭太と朱美。
 そんな三人の間には、なんのわだかまりもなかった。
 
 五
 五月三日、憲法記念日。
 その日は少し雲が多いながら、穏やかな日和だった。
 高城家プラス朱美は、一時前に家を出た。そのために圭太も琴絵も朱美も、部活から早く帰ってきたのだ。
 目的地である吉沢家までは、バスと電車を乗り継ぎ、およそ一時間半の場所にある。時間はかかるが、それぞれの本数は結構多く、便は非常によかった。
「朱美も一ヶ月ぶりの我が家で、楽しみでしょう?」
「う〜ん、まだそういう実感はないですね。半年も帰らなければそういう風にも思うかもしれませんけど」
「それもそうね。ホームシックしようもないくらいの距離だし、なによりも──」
 琴美はそう言って圭太を見た。
「朱美は、圭太がいればどこでもいいのよね?」
「はい」
「……ちょっと母さん。そういう不穏当なこと言わないでよ」
「あら、今更でしょ?」
「…………」
 さらっと言う琴美に、圭太は思わずこめかみを押さえた。
「ねえ、お兄ちゃ〜ん」
「ん?」
「私、ちょっと眠くなっちゃった……」
 そう言って琴絵は圭太に寄りかかった。
「着いたら、起こしてねぇ……」
「部活からそのまま来たからね、疲れたのかしら」
「いいよ。僕がなんとかするから」
 圭太は、そう言って琴絵の肩を抱いた。
 バスから電車、そしてバスと乗り継ぎ、ようやく吉沢家へとやって来た。
 吉沢家のあるあたりは、新興住宅地というわけではない。とはいえ、古いわけでもなく、中途半端な位置にある。
 建て売りの家もあれば、オリジナリティあふれる家もある。
 閑静な住宅街、とは言わないが、住環境としてはまあまあだった。
 吉沢家は、木造二階建てのスタンダードな一軒家である。
「ただいまぁ」
 まずは朱美が家に入る。
「おじゃまします」
「おかえり、朱美。いらっしゃい、姉さん、圭太くん、琴絵ちゃん」
 ぱたぱたとスリッパを響かせ出てきたのは、淑美である。
「お母さん。お父さんと陽平は?」
「お父さんは居間でテレビ見てるわよ。陽平は、部屋にいるわ」
「わかった」
 言うが早いか、朱美は早速居間へ。
「あの子ったら」
 淑美は、三人にスリッパを出しながら、苦笑する。
「嬉しいのよ、久しぶりに自分の家に帰ってきたんだから」
「そうだといいんだけどね」
 三人を居間に案内する。
「亮一さん、お久しぶりです」
「お久しぶりです、お義姉さん」
「私、陽平のとこ行ってくるから」
 入れ替わりに朱美は居間を出て行った。
「お義姉さん、朱美が大変お世話になって」
「お世話というほどなにかしてるわけじゃないですけどね」
「いえいえ。朱美のあの姿を見ていると、どれだけお世話になっているかわかります」
 琴美と亮一は、お互い譲らないが、まあ、それも半分本気半分社交辞令のようなものである。
「でも、結果的に一番お世話になってるのは、圭太くんにかな?」
「僕はなにもしてませんよ。朱美は、なんでもやってくれますから」
「まあ、あの子ったら、うちではほとんどやらないのに」
「いいじゃないの。これを期にいろいろできるようになればいいんだから」
「ん、それもそうね」
 それから朱美と陽平も交え、お茶やお菓子で話をした。
「ねえ、圭太くん」
 朱美が琴絵と陽平と部屋に引っ込み、亮一も一度部屋に戻って、居間には圭太と琴美、淑美だけだった。
「朱美は、どう?」
「特に問題はないと思いますよ。勉強でも問題はないみたいですし、部活の方もだいぶ慣れたみたいですし」
「そう、それを聞いて安心したわ」
 淑美は、そう言ってホッと息をついた。
「勉強の方はどうかはわからないけど、少なくとも部活の方は、圭太くんがいるからすぐになじめたのだと思うわ」
「そんなことででも、役に立てればいいんですけどね」
「十分よ」
 知っている人のいないところに入っていくのは、なかなか勇気のいることである。そこにひとりでも知っている人がいれば、スムーズに入っていける。それは後々にも大きく影響することで、そういう点で言えば、朱美は非常に運がよかった。
「ところで、姉さん」
「ん、なに?」
「朱美は、どうなの?」
「まあ、相変わらずというところかしら」
「そうなの、圭太くん?」
「あの、なんのことですか?」
 圭太は、そう言って首を傾げた。
「あら、そんなの決まってるじゃない。勉強や部活、普段の生活以外で私が気にしてることなんて、ひとつしかないわ」
 そこまで言われ、圭太もようやくわかったようだ。
「……えっと、とりあえずは変わってないと思います」
「ホントに圭太くんは」
「だけど、淑美」
「なに?」
「あの子は、本当に昔のあなたみたいね。もうなりふり構わず、脇目もふらず、一直線だもの」
「……それを言われると、なにも言い返せないけど」
「違うところは、淑美にはライバルはいなかったけど、朱美にはライバルどころか絶対に勝てない相手がいるってことね」
「……それは、暗に私よりも朱美の方が強いって言ってる?」
「さあ、どうかしら?」
 琴美は、しれっとそう言う。
「まあ、冗談はさておき、圭太の母親としては、申し訳ないと思ってるわ」
「別に姉さんが謝る必要はないわよ。あの子だってもう高校生なんだし、自分がどんなことをしてるかくらい、わかってるはずだし」
「そうね」
「ただ、私としては、圭太くんの方に歯止めをかけてほしかったんだけどね」
「圭太は押しに弱いから。ふらふらっと流されて、それでそのまま最後まで」
「ホントに圭太くんは、罪な男の子よね。いったい、何人の女の子を泣かせているのかしら」
 そう言ってため息をつく。
「とりあえず、今のところは誰も泣かせてないみたいだけどね」
「そうなの?」
「ええ。私が見る限りでは、みんな今の状況を楽しんでいる節もあるわ」
「は〜、なんていうか、圭太くんのまわりには、そういう女の子が集まってくるのかしらね」
「だとすると、母親ながら、恐いものがあるわ」
「ちょ、ちょっと、母さんも叔母さんも、この話はもう終わりにして……」
「姉さん。朱美、お買い得だと思うから、どう?」
「そうねぇ、もう少しいろいろこなせるようになったら、考えるわ」
「ぼ、僕が悪かったです」
 結局、自分の母親とその妹には勝てない、ということであった。
 
 夕食を食べ、あまり遅くならない時間に吉沢家をあとにした。
 帰りの電車の中、琴絵と朱美は疲れて眠っていた。
「母さん」
「ん、なに?」
「僕は、朱美に悪いことをしてるのかな?」
 圭太は、俯き加減に、そう訊ねた。
「そうね、普通の概念から言えば、悪いことだと思うわ。ただ、朱美本人はそうは思ってないから。どういうことであれ、本人が望んでいるのなら、それをむげに扱うことはできないでしょう、圭太には」
「うん」
「だから、私も淑美も必要以上には言わないのよ。言い過ぎると、朱美を傷つけてしまう可能性があるから」
 琴美は、穏やかな表情で続ける。
「誰かを好きになるのってね、本当に大変なことなのよ。あなたも、ひとりの大切な人がいるんだから、わかるでしょう?」
「そう、だね」
「だからこそ、気をつけなくちゃいけないのよ。言うのは簡単よ。圭太とつきあうのはやめなさいって。でも、そのあとはどうなると思う? 今のままだと、間違いなく朱美はダメになるわ。それは、私も淑美も望んでいないから」
「…………」
「圭太」
「……なに?」
「圭太が本当に朱美のことが好きなら、このまま一生一緒にいてあげてもいいのよ」
「えっ……?」
 圭太は、琴美がなにを言ったのか、一瞬理解できなかった。
 それはそうである、今までとは正反対のことを琴美は言ったのだから。
「もちろん、それは結婚してという意味ではないわよ。一緒にいる方法は、なにも結婚するだけじゃないでしょう?」
「それは、そうだと思うけど……」
「朱美の本当の幸せはなにか、それをよく見極めた上で決めればいいわ。その時に、今私が言ったことも選択肢のひとつに入れておけばいいのよ」
「朱美の、本当の幸せ……」
「今のところのそれは、圭太と一緒にいることみたいだから」
 琴美の言葉に、圭太はなにも言えなかった。
 それはもちろん朱美のことを考えていたからなのだが、それは同時に柚紀以外のみんなにも当てはまることだった。だからこそ、深く深く考えていた。
 答えは、当分出そうになかった。
 
 五月四日。
 GWも残り二日となり、Uターンラッシュが本格化していた。
 午前中から高速道路や新幹線は混みはじめ、午後からピークになる。
 その日は朝方は曇っていたが、昼頃から急速に晴れてきた。
 吹奏楽部では、コンサートに向けた練習が本格化してきていた。
 二、三年はもう毎度のことという感じで練習をこなし、一年は少しでも早く追いつこうと努力する。
 そんな空気が日に日に濃くなっていた。
 部活は午前中のみで、それが三日続き、多少ダレ気味だった。
 圭太は一通りの仕事を終え、急いで家に帰った。
 その日は、ともみとの約束があったからである。
 ともみから電話があったのは、一日の夜だった。
『もしもし、圭太?』
「はい、こんばんは」
『うん、こんばんは』
「昼に電話があったって、琴絵に聞きました」
『そうそう、電話したのに圭太はいないし。どうせ柚紀とデートでもしてたんでしょ?』
「まあ、そうなんですけどね」
『ということは、残りのGWは、空いてるの?』
「四日なら」
『四日ならって、ほかは?』
「明日が朱美、あさってはちょっとした用事があって、五日は祥子先輩です」
『…………』
「せ、先輩?」
『いいわ、四日にデートしましょ。もちろん、セックスもよ』
「お、怒ってますか?」
『怒ってなんかいないわよ。どうして私が怒るわけ?』
「…………」
『四日は、部活あるんでしょ?』
「は、はい、午前中に」
『じゃあ、二時にうちに来て。遅れたら、罰ゲームね』
「わ、わかりました」
 こんなやりとりがあり、圭太は急いでいたのだ。
 家に帰り、部屋で着替え、軽く昼食を詰め込み、すぐに家を出た。
 その段階でようやくひと息つく。
 ゆっくり行っても二時前には着けるからだ。
 とはいえ、その足取りは微妙に重かった。
 それでもちゃんと言う通りにするところは、やはり圭太だからであろう。
 いつもより幾分早めに安田家に到着した。無意識のうちに早めに歩いていたらしい。
 インターホンを鳴らすと、本人が出てきた。
「いらっしゃい、圭太」
「おじゃまします」
 ともみは、いったん圭太を部屋に通した。
「あの、ともみ先輩」
「なに?」
「電話の時、怒ってましたよね?」
「……だったら、どうだっていうの?」
「いえ、気になっただけなんで」
 圭太は、そう言って視線をそらせた。
「……まったく、私もどうかしてるわよね」
「えっ……?」
「少し考えれば今日は私のために空けておいてくれたってわかるのに。それもわからないで勝手に嫉妬して」
「先輩……」
「ホント、自分で自分がイヤになるわ」
 そう言ってともみは自嘲した。
「先輩」
「なに……んっ」
 圭太は、いきなりともみを抱きしめ、キスをした。
「ん、はあ、圭太……」
「いいじゃないですか、嫉妬したって。それだけ僕のことを想ってくれてるって証拠じゃないですか」
 少しだけ腕に力を込める。
「だから、そんな淋しそうな顔、しないでください」
「ごめん……」
 ともみは、力を抜き、圭太に体を預けた。
 年上のともみが、圭太の腕の中で、小さくなっていた。
 それから少しして。
「とりあえず、気分転換に外に出ましょ」
 ふたりは、外へ出た。
「ホント、私ってダメね」
 歩きながら、ともみはそう言った。
「いつも圭太には私のダメなところ見られて。本当はもう少しカッコイイ『お姉さん』でいたいんだけどね」
「先輩は、十分『カッコイイお姉さん』ですよ」
「そう言ってくれるのは嬉しいんだけどね。それは、私自身がそう自覚できないと意味ないのよ」
 圭太の言葉を少しだけ受け入れ、あとは否定した。
「……僕は、そういう先輩の方が嬉しいです」
「えっ……?」
「だって、そうじゃないですか。僕にはそんなダメなところを見せられる、ってことですから。それって、かなり信用されてないと無理です、普通は。僕だって男ですから、女の人に、この場合は先輩に置き換えてもいいですけど、頼られるのは、やっぱり嬉しいですから」
「圭太……」
「先輩にとって僕は、どんな存在ですか?」
 圭太は、落ち着いた口調でそう訊ねる。
「それは……家族以外では一番大切な存在、よ」
「それって、僕は先輩にとって特別だってことですよね?」
「うん」
「僕にとっても先輩は、大切な存在ですから。だから、そういうことを深く考えるのはやめませんか? そうやってお互いのことを考え、普段は見せないような姿を見せられるのは、特別な証なんですから」
 圭太は、ともみに笑顔を向けた。
「……バカ」
 ともみは、一言そう言って、圭太の腕を取った。
「……圭太には、私を虜にした責任、とってもらうからね」
「お手柔らかに」
 ようやくともみにも笑みが戻った。
 ふたりは、どこに向かうでもなく、歩いていた。
 たまに何気ない会話を交わし、また歩く。
「ね、今日はふたりは家にいるの?」
「ふたりって、琴絵と朱美ですか?」
「うん」
「確か、ふたりで買い物に行くって言ってましたけど」
「じゃあ、これから圭太の部屋に行きましょ」
「僕の部屋ですか?」
「だって、私の部屋ばかりだと面白くないし。それにね、圭太の部屋で抱いてほしいの」
 ともみは、少しだけ熱っぽい視線を向ける。
「……ダメ?」
 上目遣いにそう言うともみ。その仕草がなんともカワイイ。
「……いいですよ」
「あはっ、ありがと、圭太。だから好きよ」
 無邪気に笑うともみに、圭太は苦笑するしかなかった。
 それからふたりは高城家まで歩いていく。
「ただいま」
「おじゃまします」
 玄関を見ると、琴絵と朱美の靴はない。まだ帰ってきてないようである。
 ともみははやる気持ちを抑えつつ、圭太の部屋に入った。
「うん、やっぱり新鮮」
 部屋を見回し、そんなことを言う。
「圭太……」
「ともみさん……」
 抱き合い、キスをする。
 何度もキスをする。
「ん、はあ、ちょっと、待ってて……」
 ともみは、圭太から離れると、自ら服を脱いだ。
 一糸まとわぬ格好で、それでもどこも隠そうとはしない。
「圭太、そこに座って」
 圭太は言われるままに座る。
「…………」
 ともみは、圭太のベルトを外し、ズボンを脱がせ、トランクスを脱がせる。
「ん、ちゅっ……」
 そのまま、まだ大きくなっていない圭太のモノにキスをした。
「大きくな〜れ」
 そう言って手でしごく。
 言葉に反応したわけではないだろうが、圭太のモノはすっかり大きくなった。
「ふふっ、食べちゃうからね」
 ともみは、モノに舌をはわせ、舐める。
「ん、む……」
 たまに口の中に入れ、全体を包み込む。
「出したくなったら、出していいから」
 エラの部分に舌をはわせる。
 それと同時に、陰嚢を手でもてあそぶ。
「ともみさん、もう……」
「んっ、いいよ……」
 ともみは、とどめと言わんばかりに、ちゅいっと吸い上げる。
「うっ!」
「っ!」
 同時に、圭太はともみの口内に放っていた。
「……ん、はあ、やっぱり、美味しくない」
 全部飲んだあとに、そんなことを言う。
「今度は、圭太がして……」
「はい」
 ともみは、ベッドに座る。
 圭太は、その足の間に膝をつく。
「ともみさん、もうこんなに……」
 そう言って圭太は秘所に指を挿れた。
「んっ、あんっ」
 ともみの秘所は、すでにしとどに蜜をたたえていた。
「んっ、圭太のを舐めてて、私も、んあっ、感じてたの」
「ともみさんも、エッチですよね」
「それは、あふっ、圭太が相手だから、んんっ」
「だから、こんなになってるんですね」
 圭太は、びしょびしょに濡れている自分の指をともみに見せた。
「やんっ、見せないで……」
 ともみは小さくいやいやする。
「じゃあ、もうやめますか?」
「えっ、ダメっ、やめないでっ。今やめられたら、私……」
 圭太にそう言われ、ともみは本気で泣きそうな顔になる。
「圭太、お願い……」
「わかりました」
 圭太はともみに後ろを向かせ、後ろからともみを貫いた。
「んくっ、あんっ、いいっ」
 しっかりともみの腰をつかみ、腰を打ち付ける。
「圭太っ、もっとっ、もっとっ、突いてっ」
 ともみは、シーツをしっかりつかみ、自分を支えている。
「あぅ、んくっ、あんっ」
「ともみさんっ」
「圭太っ」
 圭太は、激しく動き、ともみの中を蹂躙する。
「イクっ、私っ、イっちゃうっ」
 もうすでに自分の力では自分を支えていられないくらい、ともみは感じていた。
「んんっ、あああっ!」
 そして、ともみは絶頂を迎えた。
 しかし、圭太はまだ少しかかりそうだった。
「や、やんっ、ダメっ、圭太っ、感じすぎちゃうっ」
 圭太も止まれなくなっており、達したばかりのともみをさらに突く。
「んんっ、あっ、あっ、あっ」
「ともみさんっ」
「ダメっ、私までっ」
 ともみの中がキュッと締まり、ともみは二度絶頂を迎えた。
 圭太は、寸前でモノを引き抜き、ともみの白い臀部に白濁液を飛ばした。
「んっ、はあ、はあ……」
「ともみさん……」
「気持ちよすぎて、死んじゃうかと思った……」
 ともみは微笑み、キスをした。
 
「……私ね、圭太の前では素直でいるわ」
 ともみは、身支度を調えながら、そう言った。
「なんか、今日のことでつくづく思い知らされたから」
「今までだって、素直だったじゃないですか」
「ううん、もっとよ、もっと。まだ私はどこかで『お姉さん』を演じてるから。その仮面を完全にはがしたいの」
 真剣な眼差しで圭太を見つめる。
「私はしたいことをそのまま言うし、してほしいことも言う。それで、いいよね?」
「ともみさんがそう決めたのなら、僕はなにも言いません。ただ、僕にできることなら、できる限りやりますから」
「うん、ありがと、圭太」
 ともみは、ふっと微笑み、圭太の頬にキスをした。
「あっ、ともみさん」
「なに?」
「ともみさんにプレゼントです」
 そう言って圭太は小さな包みを取り出した。
「これって、腕輪?」
「はい。色がたくさんあったので、ちょっと面白いなって思って」
「いいの?」
「好きなのを」
 ともみは、中からブルーを選んだ。
「でも、どうして?」
「どうしてでしょうかね? 僕もよくわかりません。ただ、僕に関係ある人に、持っていてほしいと思ったんです」
「そっか……」
 小さく頷き、その腕輪をした。
「じゃあ、私も圭太に」
 そう言ってともみは、圭太に一枚の紙を渡した。
「これは……?」
「私の携帯の番号。大学入ったし、そろそろ持ってもいいかなって思って。これで、いつでも私と連絡とれるでしょ?」
「そうですね」
 圭太は、それを机の引き出しにしまった。
「圭太」
「はい」
「ずっと、私と一緒にいてほしいの。鬱陶しいって思われてもいい。私には、圭太が必要なの」
「……僕の答えは、もうすでに話してある通りです」
「じゃあ……?」
「僕は、できる限り、ともみさんと一緒にいます」
「……ありがとう、圭太」
 ふたりはしばし抱き合い、お互いの想いを確認しあった。
 だから、離れる時は、清々しい表情になっていた。
 
 その日の夜。
「あの、鈴奈さん」
「どうしたの、圭くん?」
 バイトが終わった鈴奈を部屋に送っている時。
「鈴奈さんにプレゼントがあるんですけど」
「プレゼント?」
「はい。これなんですけど」
 そう言って圭太は、小さな包みを見せた。
「たいしたものじゃないんですけど」
「腕輪、だね」
「はい」
「いいの、もらっても?」
「はい」
「じゃあ……」
 鈴奈は、パープルの腕輪を手に取った。
「今度、これのお礼もしなくちゃね」
「いえ、別にいいですよ。気まぐれですから」
「ふふっ、そっか」
 鈴奈は、『弟』からのプレゼントを、嬉しそうに腕にはめていた。
 
「琴絵。起きてるか?」
「うん、起きてるよ」
 圭太は、確認してから琴絵の部屋に入った。
「どうしたの、お兄ちゃん?」
「琴絵にプレゼントがあったのを忘れててな」
「プレゼント? なになに?」
 嬉しそうに身を乗り出してくる琴絵に、圭太は包みを見せた。
「これって、腕輪だよね?」
「うん」
「四つ、あるね?」
「四つはダメだぞ」
「わかってるよ」
 琴絵は、ピンクの腕輪を手にした。
「ひょっとしてお兄ちゃん」
「ん?」
「朱美ちゃんがしてた腕輪と、同じなの?」
「ああ」
「そっか、なるほどね……」
 琴絵はなにかを納得し、その腕輪を腕にはめた。
「お兄ちゃんも結構心配性だよね」
「ん、なんでだ?」
「だって、こうやって私たちにこれを渡して、繋がりを確認したいんでしょ?」
 さらっと言われ、圭太は一瞬詰まった。
「じゃあ、琴絵はいいか?」
「もう返さないよ〜だ」
「まったく……」
 圭太は琴絵の頭を撫で、苦笑した。
 
 六
 五月五日、こどもの日。
 GWも最終日である。
 結局、このGW中、天気が崩れた日はなかった。さすがにそれは珍しく、行楽地にとっては嬉しい誤算だっただろう。
 その日も午前中は部活である。
「詩織。ちょっと」
「なんですか?」
 圭太は休憩中の詩織を捕まえた。
「詩織に、プレゼントがあるんだ。とはいえ、たいしたものじゃないけど」
「ぷ、プレゼントですか?」
 圭太は、持っていた包みを見せる。
「これは、腕輪ですね」
「うん。好きなのを」
「それじゃあ……」
 詩織は少し考え、イエローの腕輪を手にした。
「ありがとうございます」
「ううん、本当にたいしたものじゃないから」
「いえ、圭太さんにもらえたということが大事なんです」
「そう言ってくれると、僕も気が楽だよ」
 微笑む詩織につられるように、圭太も微笑んだ。
「あの、今度、お礼がしたいんですけど」
「気にしないでいいよ」
「でも、それだと私の気が済みません」
「ん〜、とはいってもね」
 圭太としてみれば、安物の腕輪ひとつでお礼をされていては、贈った自分の方が申し訳ないと思っていた。
 しかし、詩織にしてみれば、圭太からもらったものはたとえ道ばたの石ころでも大事なものという意識があるため、なにかしないと気が済まないのである。
「わかったよ。詩織の気の済むようにして」
「いいんですか?」
「うん」
「あ、ありがとうございます」
 結果としては圭太が折れることで決着がついた。
 その日のミーティング。
「もうすでに知ってると思うけど、二年生があさってから修学旅行に出るから、部活はしばらく一、三年のみだからね。二年生は、丸一週間休みになるわけだけど、帰ってきてからビシビシいくから、覚悟しておくように。それじゃあ、おつかれさま」
『おつかれさまでした』
 部員がわらわらと帰っていく。
「圭太。もう帰れる?」
「もうちょっとかかるかな」
 そう言って圭太は作業に戻った。
「先輩たちに、一週間も会えなくなるんですね」
「まあ、しょうがないでしょ。来年は紗絵ちゃんたちもそうなんだから」
「そういえばそうですね」
「よし、こんなところかな」
 そうこうしているうちに、圭太の作業も終わった。
「祥子先輩。僕の方は終わりましたけど」
「私ももう終わるから」
「わかりました」
 それから程なくして、いつものメンバーで学校を出た。
 その中、祥子はご機嫌だった。
「祥子先輩、ご機嫌ですね」
「そ、そうかな?」
「はい。やっぱり、圭太とデートだからですか?」
「う〜ん、そうかも」
 柚紀の言葉を、意外にもあっさりと認めた。
「でも、圭くんとデートだっていえば、私だけじゃなく、柚紀や紗絵ちゃん、朱美ちゃんもご機嫌になるでしょ?」
「まあ、そうですね」
「それに、今日のはちょっとだけ違うから」
「違うって、なにがですか?」
「ほら、圭くんも柚紀も、あさってから修学旅行でしょ? しばらく会えなくなるから、名残を惜しんでね」
 そう言って祥子は微笑んだ。
「……圭太」
「ん?」
「今日の予定、キャンセルする気、ない?」
「えっ……?」
「ゆ、柚紀、それは横暴」
「だけどぉ……」
「一度決めたことだから」
「……むぅ、しょうがないなぁ」
 柚紀は、非常に残念そうに頷いた。
 やはり、認めてはいても想いは複雑なようである。
 
 圭太と祥子は、駅前で待ち合わせをした。
 わざわざそうする必要はなかったのだが、祥子がデートは待ち合わせしなくちゃ、ということでそう決まった。
「圭くん。お待たせ」
 祥子は、オフホワイトのワンピースで、髪をひとつに束ねていた。
「あっ、そうそう。圭くん」
「なんですか?」
「今日は、デート中はずっと『祥子』って呼んでね。一度でも『先輩』って呼んだら、泣いちゃうから」
「わ、わかりました」
「うんうん、素直でよろしい」
 ニコニコと微笑み、祥子は腕を絡めた。
「じゃあ、行こ」
 ふたりは、切符を買い、電車に乗り込んだ。
 普段向かう方向とは逆方向の電車である。
「圭くんと一緒にいると、ホントに落ち着くなぁ」
 祥子は、圭太に寄り添い、そう言う。
「去年の今頃には、こんなことができるなんて、思いも寄らなかったし」
「確かにそうですね」
「でも、今はこうやって寄り添うこともできるし、触れることもできる。だから、幸せ」
 電車は、街を抜け、郊外へと出た。
 車窓を流れるのは、田畑の風景。
 このGWを利用して、どこでも田植えが行われている。
 およそ三十分で目的の駅に到着。
 その時間帯では乗降客もまばらで、ふたりのほかには、ひとりが乗り込んだだけだった。
 駅前にはぽつぽつと店はあるが、どう見ても田舎の風景である。
 そんなところになぜふたりは降りたかといえば、理由はひとつしかない。
「ここから遠いんですか?」
「ううん、歩いて十五分くらいだよ」
 祥子が先に立ち、道案内をする。
 駅前からすぐに、比較的大きめの幹線道路に出てくる。そこを横断し、向かうはさらに奥の方。
 見渡す限りの田園風景で、民家はあまりない。
 田んぼのあぜ道を進み、歩くこと十五分ちょっと。
「ここだよ」
 それは、とてもこぢんまりとした家だった。木造平屋建ての比較的古めの家。
 まわりよりも少し高い位置にあり、田園風景を一望できた。
 その家は、三ツ谷家の別荘というわけではないが、セカンドハウスのようなもので、たまに息抜きに使われるものである。
 それでも本宅から一時間ほどしか離れていないため、充実した設備が整っているわけではない。一晩泊まるくらいならできるが、長期滞在はなかなか微妙である。
「さあ、入って」
 鍵を開け、圭太を中に入れる。
 建物の中は、四畳半くらいの部屋とリビング、小さな台所、小さな風呂とトイレという感じである。
 電気と水道、ガスは通っており、いつでも使えるようになっている。
「ん〜……」
 リビングの大きな窓を開け、外の空気を入れる。
「なにもなくて、いいところですね」
「それだけがここの利点だからね」
 低い生け垣で一応の目隠しはしてあるが、立ち上がれば景色を一望できる。
「私はあまり来ないけど、お父さまやお兄さまは仕事で疲れると、たまに来てるみたい」
「確かにここにいると、なにもかも忘れて、のんびりできますからね」
 リビングの外には小さな縁側があり、陽差しよけの屋根もあった。
「圭くん、お茶飲むよね?」
「あ、はい」
 祥子は、台所に立ち、お湯を沸かす。紅茶の茶葉は、さすがに家から持ってきていた。
 一口しかないガスコンロの上でヤカンがコトコトと音を立てる。
 カップを出し、軽く水洗いする。さすがに前回はいつ使ったのかわからないからだ。
 お湯が沸いたところで、紅茶を淹れる。
 お湯が注がれた瞬間、ふわっといい香りが漂う。
「はい、お待たせ」
「すみません」
 ソファに座り、お茶を飲む。
「そうだ。祥子にプレゼントがあるんです」
「プレゼント?」
「はい」
 圭太は、カバンの中から小さな包みを取り出した。
「これは、腕輪だよね?」
「はい。どちらでも好きな方を選んでください」
「じゃあ、こっち」
 そう言って祥子が選んだのは、透明の腕輪だった。
「残りは誰の?」
「柚紀です」
「そっか。あっ、でも、この腕輪って、紗絵ちゃんや朱美ちゃんもしてたよね」
「はい。先日買ったあと、みんなに選んでもらってますから」
「それで柚紀が最後なの?」
「たまたまです。今回のには、明確な差はありませんから。色が違うだけで、まったく同じものです」
「同じ、なんだ」
 祥子は、そう言って腕輪をはめた。
「どういうものでも、圭くんからもらったものだから、嬉しいよ」
「そう言ってもらえると、僕もプレゼントしたかいがあります」
 微笑む圭太。
 それからたまにお茶を飲みながら、何気ない話をして過ごす。
 会話が止まっても、そこから見える景色を眺め、ふとした拍子に会話に戻る。そんな感じだった。
「そういえば、もう志望大学は決めたんですか?」
「うん、だいたいね」
「どこにしたんですか?」
「ひとつは、地元の大学。もうひとつは、東京の大学。どちらにするかまでは決めてないけど、とりあえずそこまでは決めたんだよ」
「もし東京の大学なら、ひとり暮らしですか?」
「そうだね。一応寮はあるみたいだけど、そうなる可能性が高いかな。ただね、私としては地元から出たくないんだ」
 祥子は、そう言って少し遠い目をする。
「どうしてですか?」
「ひとつには、地元で生まれ、育ったからね。そこから出るなんてこと、考えもしなかったし。あと、家族がいるから」
「でも、やりたいことがあるなら、出てもいいんじゃないですか?」
「もちろんそうだと思うよ。でもね、私を最もこっちにとどめておく理由はね、圭くんだよ」
「僕、ですか?」
「うん。向こうに行ったら、圭くんはいないから。当たり前だって言われればそれまでだけど、それでも私にとって、圭くんのいない生活なんて考えられないから」
 祥子は、紅茶を飲み、続ける。
「圭くんは、そういう理由は、迷惑かな?」
「迷惑ではないですけど、重荷にはなりたくないです」
「それは、大丈夫。私だって自分でなにをしたいか、なにができるかくらいはわかってるから。もっとも、圭くんが私を『もらって』くれるなら、それが一番だけどね」
 冗談めかし、そう言う。
「ともみ先輩もこっちにいるし、私もこっちにいる方がいいかなって。将来的にどうなるかはわからないけど、でも、まだしばらくは、それでもいいよね?」
「そう、ですね」
 圭太は、小さく頷き、曖昧に微笑んだ。
「ねえ、圭くん」
「なんですか?」
「私、圭くんとエッチしたいな」
 そう言って圭太にキスをする。
「ね、いいでしょ?」
「はい」
 
 圭太は、キスをしながら、ワンピースを脱がせる。
 胸に触れようとすると、祥子はそれをやんわりと止めた。
「今日は、私にさせて」
 そう言って圭太のズボンを脱がせ、トランクスも脱がせる。
「……ん……」
 祥子は、一瞬躊躇い、圭太のモノを口に含んだ。
 しかし、そういう知識に乏しい祥子は、なかなか上手くできない。
「ん、圭くん、これで、いいのかな?」
「もう少し、舌を使ってみてください」
「こう、かな?」
 言われるまま、祥子は舌を動かした。
 ちろちろと舐めながら、それでも不安げな眼差しを圭太に向けている。
「そんな、感じです」
 圭太にそう言われ、少しだけ嬉しそうにする。
「ん、む、あ、は……」
 次第にどこを舐めると圭太が感じるのかわかってくる。
 まだまだぎこちないが、それでも圭太に限界を迎えさせるには十分だった。
「うっ、祥子っ」
「えっ、きゃっ!」
 圭太は、祥子の顔に白濁液を放った。
 前日にもしたせいで大量というわけではなかったが。
「す、すみません」
「ううん、いいの」
 祥子は、顔についた精液を指ですくい、ぺろっと舐めた。
「んっ、苦い……」
 それでも祥子は嬉しそうだった。
「いつも圭くんにしてもらってばかりだったからね。たまには私もしてあげないと」
「そんなこと、気にしなくてもいいんですよ?」
「いいの。私だって圭くんの『お姉さん』なんだから、『弟』のためにいろいろしてあげたいの」
「……そうですか」
 圭太はそう言って祥子の胸に手を伸ばした。
「んっ、やんっ」
 少し強めに胸を揉む。
「圭くん?」
「祥子だけが僕にしたら、僕は祥子にこういうこともできませんよ?」
「あんっ」
 首筋にキスをする。
「それでも、いいんですか?」
「ううぅ〜、圭くん、いぢわるだよ〜」
「だから、祥子はしなくちゃいけないとか、そういうようなことは思わないでください。僕も祥子も、義務感でセックスしてるわけじゃないですから」
「うん、そうだね……ごめんね、圭くん」
「いえ、いいですよ」
 圭太は、今度は優しく胸を揉む。
「んっ、あっ」
 フロントホックのブラジャーを外しながら、突起に舌をはわせる。
「んくっ」
 舌先で転がし、甘噛みする。
「んあっ」
 舌をはわせたまま、体を下半身へとずらしてくる。
「ん、はあん……」
 ショーツには、すでにシミができていた。
 ショーツを脱がせ、直接舌で舐める。
「ひゃんっ、圭くんっ」
 指で秘所を開き、そこに舌をはわせる。
 舌先をとがらせ、突っついたり舐めたり。
「んあっ、圭くんっ、私っ」
 止めどなくあふれてくる蜜が、すでに祥子は準備完了であることを示していた。
「祥子、僕の上にまたがってください」
「ん、こう、かな?」
 ソファに横になっている圭太の上にまたがる祥子。
「そのまま腰を落としてください」
「うん……」
 祥子は、自分から圭太のモノを挿れる。
「んっ、あんっ」
 圭太のモノが一番奥まで入った。
「あとは、祥子のいいように動いてください。僕は、その手助けをしますから」
「う、うん」
 祥子は、ゆっくりと腰を浮かせ、動く。
「んっ」
 いつもとは違い、自分が動かないと快感は得られないし、動けば快感を得られるということで、若干戸惑いが見られた。
 それでも、快感を得たいという想いが強く、次第にその動きも大きく速くなる。
「あっ、あっ、んんっ」
 圭太は、祥子が動きやすいように注意しつつ、手を伸ばし胸をもてあそんでいる。
「や、やんっ、圭くん、私っ、止まらないよっ」
 ソファがぎしぎしときしむ。
「あんっ、んんっ、んくっ」
 祥子は、体を起こしていられなくなり、前に倒れ込んでくる。
「圭くんっ、圭くんっ、圭くんっ」
「んっ、祥子っ」
 夢中でキスを交わす。
「ああっ、んあっ」
 圭太は、少し強めに下から突き上げる。
「あっ、あっ、あっ、圭くんっ」
 さらなる快感に祥子の声も大きくなる。
「圭くん、あああっ!」
 祥子は、ひときわ高く啼き、達した。
「はあ、はあ、圭くん……」
「祥子……」
 ふたりはキスを交わした。
「ん、圭くんは、まだだね」
「いいですか?」
「うん。今度は、圭くんが好きなようにしてほしい」
「わかりました」
 そして、ふたりは本当に飽きるほど愛し合った。
 
 圭太は、傍らで眠っている祥子の髪を優しく撫でていた。
 その姿は、『姉弟』というよりは、本当の『恋人』のように見える。
「……ん、けいくん……」
 圭太の夢でも見ているのだろうか、その表情はとても穏やかだった。
「……僕は」
 考えなければならないことはたくさんあった。
 この本当に大切なひとつ年上の女性が、いつまでも笑っていられるように自分にできることはなにか。
 自分に関わったせいで不幸になることだけは絶対に避けたい。
 だから、どうすればいいか。
 以前、ともみに言ったように、どこか一夫多妻制の国にでも移住すれば問題もないのだろうが、それは現実的ではない。
 そもそもの問題として、祥子がそれを望んでいるのかどうかもわからない。
「はあ……」
 考えても考えても、答えは出てこない。いや、答えなら最初から決まってはいる。圭太はそれをあえて選ばないでいるだけなのだ。
「……ん、ふわぁ……」
 と、祥子が目を覚ました。
「おはようございます、お姫様」
 圭太は、にっこり笑ってそう言った。
「ん〜、おはよ〜、圭くん」
 寝ぼけ眼で圭太をとらえ、そう言う。
「ねえ、圭くん、今、何時かな?」
「もうすぐ六時ですよ」
「そっか」
 祥子は、目を擦りながら、なにやら考えている。
「そろそろ帰った方がいいですよね?」
「うん、そうだね」
 とりあえずふたりは身支度を調え、そこを出ることにした。
 だいぶ日の入りが遅くはなったが、それでもその時間だとだいぶ暗くなっていた。
「今日は、圭くんにいっぱい抱いてもらったから、すごく幸せ」
 祥子は、本当に幸せそうにニコニコと微笑んでいる。
「でも、圭くん」
「なんですか?」
「その、大丈夫かな?」
「まあ、胸を張って大丈夫とは言えませんけど、でも、僕もそんなに柔な体はしてませんから」
「そっか、よかった」
「祥子は、大丈夫ですか?」
 圭太は、祥子を気遣うようにそう言う。
「うん、大丈夫だよ。さすがに終わった直後は体中がくがくだったけど、ちょっと眠ったから」
 そんな圭太に、祥子は心配ないと言う。
 それから来た時と同じように電車で地元の駅へと戻る。
 さすがに電車はそれなりの人が乗っていた。それでも混んでいるというほどではない。
 行楽地からの帰りなのか、すっかり疲れて眠りこけている乗客も見受けられた。
 電車を降り、見慣れた駅前に出る。
「圭くん。まだ時間は大丈夫?」
「ええ、大丈夫ですよ」
「それじゃあ、夕食、どこかで食べて行こ」
 ふたりは、駅前にある一件の和食レストランに入った。
 店内は結構混んでいたが、ほとんど待たずに席に着けた。
 ふたりは、山菜の天ぷらセットを頼んだ。
「あさってから、修学旅行だね」
「はい。とても楽しみです」
「ふふっ、圭くんはほとんど旅行とか行けないからでしょ?」
「実は、飛行機に乗るの、はじめてなんですよ。だから余計に楽しみで」
 そう言って圭太は笑った。
「圭くんも男の子だね。そういう乗り物とかに乗るのが楽しみだなんて」
「はじめてですから」
 今度は祥子も笑う。
「でもなぁ、圭くんがいないと、部活も張り合いなくなっちゃうなぁ」
「一週間だけですよ」
「それはそうだけどね。でも、一週間は長いよ。そう思ってるのは私だけじゃないと思うし。紗絵ちゃんも朱美ちゃんも詩織ちゃんもね」
 それに、と言って続ける。
「向こうでは、柚紀と一緒なんでしょ?」
「自由行動は基本的にそうですね」
「やっぱりそうだよね。はあ、柚紀がこんな絶好の機会を逃すはずないものね」
「だ、大丈夫ですよ。修学旅行ですから」
 圭太は、一応そう言う。
 だが、祥子は半信半疑である。
「そ、そうだ。おみやげ、なにがいいですか?」
「圭くんからもらえるなら、なんでもいいよ」
 話題を変えようとしたが、祥子は素っ気ない返事をするだけ。
「なんてね、冗談だよ、圭くん」
「えっ……?」
「私は、圭くんと柚紀のことは認めてるんだから。今更『ダダ』なんてこねないよ。それに、その分は今日、たくさんしてもらったから」
 そう言って祥子は微笑む。
「だから、圭くんは心おきなく修学旅行を楽しんできて」
「はい、わかりました」
「あっ、でもね、圭くん」
「なんですか?」
「修学旅行中にエッチするのは、やめた方がいいと思うよ。なにがあるかわからないし」
「……それは、柚紀次第かな、と」
「あ、あはは、そうかもね」
 それから食事をし、駅前をあとにした。
 帰り道。
「圭くん、今日は楽しかったよ」
「僕も、楽しかったです」
「ふふっ、そっか。じゃあ、今日のデートは大成功だね」
「そうですね」
「今度は、いつ頃デートできるかな?」
「それは、都合がつけば、ですね」
「あと、エッチもね」
 そう言って祥子はキスをした。
「最後に、圭くんに訊きたいことがあるの」
「なんですか?」
「私って、圭くんにとって、『お姉さん』なのかな? それとも、違う存在?」
「そうですね……」
 圭太は、立ち止まり、空を見上げた。
 空は少し雲が出ていて、星ははっきりとは見えなかった。
「ともみ先輩や鈴奈さんは僕にとっては間違いなく『お姉さん』で、朱美や紗絵は間違いなく『妹』ですけど」
 そこで一度言葉を切る。
「ここではあえて祥子先輩と呼びますけど、祥子先輩の位置は、微妙な位置です」
「どうして?」
「確かにひとつ上ですから『お姉さん』なんですけど、僕にとってはそれだけじゃないんです。だから、同い年の『親友』みたいな感覚もあるんです」
「…………」
「ただ、どういう存在だとしても、僕にとって大事な存在には変わりないですから」
 そう言って圭太は微笑んだ。
「うん、わかったよ。圭くんとは、これからもそんな感じで接していくから」
「すみません、明快な答えを出せなくて」
「ううん、気にしてないから。それに、裏を返せば、私の存在ってまだまだ流動的ってことだから。ひょっとしたら、ってこともあるかもしれないしね」
 その可能性はないとわかっていても、祥子はそう思っていたかった。
 これから先、そのことを支えにがんばっていけるかもしれないのだから。
「これがホントの最後。圭くん。一度だけ、私のこと、愛してるって、言ってほしい」
 圭太は、一瞬迷ったが、すぐにいつもの表情で──
 
「愛してる、祥子……」
 そして、祥子の顔には、満面の笑顔があった。
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