月と魔法使い
 
第八章
 
 次の日。私はスタジオではなく、江名さんの携帯に直接電話をした。どちらにするか迷ったんだけど、やっぱりかなり個人的なことだから、携帯にした。
 簡単に状況を説明すると、江名さんはなにも言わず臨時休暇をくれた。その代わり、私用の仕事をたくさん残しておいてくれるそうだ。江名さんの心遣いが嬉しくて、思わず泣きそうになったくらい。
 仕事に関しては憂いもなくなり、落ち着いてリアと話ができる状況になった。
 お父さんが仕事に出て、家には私とリアのふたりだけとなった。
 リアは私が仕事に行かなかったのを体調が悪いからと理解している。それもあながち間違いではないけど、厳密には違う。問題は私だけじゃなく、リアにも関係しているのだから。
「あのぉ、晴美さん」
「ん、なに?」
「どうしてぇ、お茶の準備をしてるんですかぁ?」
 リアは、私の手元を覗き込みながら首を傾げた。
 確かに『具合が悪くて』仕事を休んでる私がお茶の準備をしてるのは、おかしなことだろう。だけど、体調が悪いのは本当だけど、仕事を休むほどじゃない。
 それをリアに説明するのは簡単だけど、できればそういうのはミヤを呼んでからにしたい。何度も説明するのも面倒だし。
「実はね、今から人が来るのよ」
「どなたが来るんですかぁ?」
「リアもよく知ってる人よ」
 私は、笑顔でそう言った。
 紅茶が程よく出たところで私はミヤを呼ぶことにした。だけど、我ながらおかしなことをしてる。だって、状況はどう考えたって切迫してるのに、のんびりお茶なんて淹れてるんだから。
「リア。このティーセット、リビングに運んでくれる?」
「わかりましたぁ」
 カップやらなにやらをリアに任せ、私は部屋へ。別にその場でもいいんだけど、リアはミヤのことが苦手だから。
 私も苦手だけど、なんかこのところのことでそんな想いもすっかり消えていた。
「ミヤ、そろそろ来て」
 たぶんあっちにいるんじゃないかって、適当な予測の元に声をかけた。
 いつもなら少しの時間差でミヤが現れるんだけど、今日は来ない。
「ミヤ? どうかしたの?」
 もう一度声をかけてみる。それでもやっぱりミヤは現れない。
 少し不安になる。まさか、昨日説明してくれたことよりもさらに悪いことでも判明したのかな? それを私やリアに言うのがイヤで出てこないのかな?
 ああっ、考えれば考えるほどマイナス思考になる。
「もう、ミヤ。出てきてよ」
 三度目。すると、ようやくいつもの現象が起きた。あの一瞬音が消える現象が。
『申し訳ありません。少々準備に手間取りました』
 ミヤは現れるなり、頭を下げた。
「準備って、なに?」
「いえ、監視人としていろいろあるのですよ。これでも役人なので」
 監視人って、公務員と同じなんだ。それは知らなかった。それじゃあ、いろいろ面倒なしがらみとかあるわね。
「それじゃあ、さっそく話し合いをはじめましょ」
 ミヤを伴ってリビングに戻ると、案の定、リアが固まってしまった。
「リア、ちゃんとやっていますか?」
 ミヤは、なに食わぬ顔でリアに先制攻撃。見事だ。
「は、ははは、はいぃっ、ちゃんとやってますですぅっ!」
「そうですか、それは安心しました」
 直立不動なリアに、落ち着き払ったミヤ。ここまで対照的だと見ていて楽しい。
「リア、少し落ち着いて」
 さすがにそのままだとまともに話し合いもできないから、一応声をかけてみる。
 だけど、予想通りというか、リアの緊張はまったく解けない。
「それでは晴美さん、さっそくはじめましょうか」
「そうね」
 私たちは、それぞれ席に着いた。
 さて、これからが正念場だ。
 
 ミヤは、優雅にお茶を飲んでいる。こういうタイプは、そういう優雅さがよく似合う。
 一方、リアはずっとガチガチでカップを持つ手も小刻みに震えている。いくらミヤが苦手だからって、ここまでになることはないのに。
 場違いに微笑んでしまって、咳払いでそれを誤魔化した。
「まずは、なにから話したらいいと思う?」
 私はとりあえずミヤに話を振った。
「そうですね、まずは現状を説明するのが先だと思います」
 カップを戻しながら、視線を私からリアへと移すミヤ。
「リア。これから話すことは紛れもなく事実です。疑問に思うこともあるでしょうが、まずは話を聞いてください」
「は、はいぃ」
 リアもミヤの雰囲気が違うことに気づいたのか、さっきよりは緊張感が薄れている。
「リア、あなた、体に変調を来しているようなことはありませんか?」
「体にですかぁ? そうですねぇ、時々体が重くなることがありますぅ」
「それの原因を考えたことはありますか?」
「いいえぇ、ただ単に疲れているだけだと思っていましたぁ」
 普通はそう思うだろう。私だってそうだ。きっとミヤだって。
「力の暴走、については当然知っていますよね?」
「えっとぉ、力の干渉によって当人の力が暴走してしまう現象のことですぅ」
 すらすらと出てくるところは、さすがだ。優秀な魔法使いというのも、やっぱりウソじゃないみたいだ。
「その力の暴走が今、あなたの中で起こっています」
 ミヤはさらっと事実を告げた。あまりにもあっさりしていたから、リアはもちろんすべてを知ってる私ですらあっけにとられてしまったくらいだ。
 だけど、その言葉をちゃんと理解すれば、あっけにとられてる暇なんてなくなる。
「そ、それはぁ、本当なんですかぁ?」
「ええ、紛れもない事実です。わたしくはもちろんのこと、監視人、旧家、ともに同じ結論に達しています」
 監視人というのはわかるけど、旧家っていうのはなんだろう。ちょっと気になるけど、今は訊いていいタイミングじゃない。
「まずはその事実、理解できましたか?」
「い、一応理解しましたぁ」
 いきなり理解しろと言っても、そう簡単にできるものじゃない。それでもリアは頷いているんだから、すごいと思う。
「それで、ここからが本題です。実はその暴走の原因もすでに判明しています」
 ミヤの視線がわずかにこっちを捉えた。
「今回の原因は、晴美さんの魔力が原因でした」
「晴美さんのぉ、魔力ですかぁ? でもぉ、晴美さんにそんな魔力があるなんてぇ……」
 リアは、半信半疑な視線を向けてくる。
 私ですら未だに信じられないんだから、リアならなおさらだろう。
「原因が判明するまではあなたの暴走を抑えつつ、晴美さんの魔力を封印するという方法を採っていました。ですが、それもままならない状況に陥ってしまったのです。あなたの暴走自体を抑え込むことは、それほど難しいことではありません。これでもわたくしは最年少で監視人になった魔法使いですから」
 しかし、と言ってミヤは目を伏せた。きっと、私に関してなにもできないことを悔やんでいるんだろう。ミヤが悔やむことなんてこれっぽちもないのに。
 本当なら全部私が背負わなくちゃいけないのに。
「それでも、晴美さんの魔力の覚醒までは止める手立てがありません」
 唇を噛みしめ、悔しさをあらわにする。
「ですからリア、あなたには選んでもらわなくてはなりません」
「なにを選ぶんですかぁ?」
「ここで──晴美さんの元で研修を続けるか、研修を中断し晴美さんの元から離れるか、このどちらかを選んでもらいます」
「そんなぁ……」
 リアが、すがるような眼差しで私を見つめた。
 私だってできることならリアの研修が終わるまで一緒にいたい。せっかく仲良くなれたんだし、お父さんとも江名さんとも上手くいってるんだし。
 でも、それは私の独断で決めることはできない。しかも、今はリアの命がかかっているのだから。
「本来なら今すぐに決めてほしいところですが、幸いにしてまだ研修期間も残っていますし、暴走の方も落ち着いています。ですから、少しだけ時間を与えます。その間にこれからどうするか決めてください。いいですね?」
 いいですね、と言われてもリアは返事をしなかった。あれだけ苦手にしていたミヤに言われたとしても、返事をしなかった。
「リア、あなたの気持ちはわかります。ですが、今はそれを二の次にしてでも決めてもらいます。さもなくば、わたくしも最終手段を執らざるを得ません。いいですね?」
「……わかりましたぁ……」
 リアは、ささやくような声でそう言った。
「念のためリアにも晴美さんにも魔法をかけていきますが、あまり効果があるとは思えません。なにかあったらすぐにわたくしを呼んでください」
 そう言い置いて、ミヤは私たちに魔法をかけた。
 不意に、体が重くなった。やっぱり魔力に干渉してるからなんだろう。
「そうそう、リア。研修のことはあまり重要視しなくとも構いません。晴美さんの元にいるかいないか、それだけで決めて構いません」
「それは──」
 言わなくてもいいことじゃない、とは言えなかった。ミヤの真摯な眼差しを見てしまっては。
「それでは……」
 そしてミヤは戻っていった。
 残された私たちの間に、会話などなかった。
 今はただ、考える時間が必要だった。
 
 重苦しい雰囲気は大嫌いだった。お母さんがいなくなった直後も、こんな感じだったのをおぼろげに覚えている。お父さんは努めて明るく振る舞っていたけど、小学校に入る前の私にですら、それが無理に作っている笑顔だと理解できた。
 だから、とにかくこういう雰囲気は大嫌いだ。
 だけど、今はそれを払拭する方法がない。いや、正確には私には思い浮かばないだけ。本当はあるんだろうけど、こういう雰囲気にならないよう努力してきた私にとっては、知りもしないことを突然やれと言われているようで、とても考えつかなかった。
「ん……」
 からからに渇いたのどを潤そうと思いカップに口を付けると、中身がないことに気づいた。ティーポットにお茶は入ってるだろうけど、冷めてしまってとても飲めたものじゃないだろう。
 仕方なしに台所へ立とうとしたところで、インターフォンが鳴った。
 なんでこんな時に誰か来るのよ。そう思ったけど、相手に悪気はない。
「はい、どちらさまですか?」
 内部機で外に問いかける。
『うっわ、めっちゃ暗い声。大丈夫、晴美ちゃん?』
「え? 江名さん?」
 聞こえてきたのは、紛れもなく江名さんの声だった。だけど、どうして江名さんが?
「え、えっと、その……」
『まあ、とりあえず開けてくれるかな?』
「は、はい」
 赤錆でも浮いてそうなくらい鈍っていた頭をフル回転させ、大急ぎで玄関を開けに出た。
 ドアを開けると、やっぱり江名さんだった。いつものティシャツにジャケットを羽織り、ジーパンにスニーカー。ちょっとぼさぼさ気味の髪も、まさに江名さんだった。
「やっほ、晴美ちゃん。元気、ってことはないか」
「あ、えっと、と、とりあえず上がってください」
 訊きたいことはたくさんあったけど、上手く言葉が出てこなかった。
「リアちゃんは?」
 靴を脱ぎながら江名さんは訊いてきた。
「リアなら、部屋にいます。呼びますか?」
「そうしてくれると助かる」
 先に江名さんをリビングに通し、今一度玄関脇の私の部屋へ。自分の部屋に入るのにノックするのもおかしな話だけど、一応ノックする。
「リア、入るわよ?」
 返事があるとは思わなかったので、そのまま入った。
 部屋の中は雰囲気のせいか、とても暗く思えた。リアはベッドの上で小さくなっていた。
「リア、ちょっといい? 江名さんが来てるの。どうも、私とリアに話があるみたい」
「……江名さんがですかぁ?」
「うん。だから一緒に来て」
「わかりましたぁ」
 泣いていたのかもしれない。目が真っ赤に充血していた。だけど、今それを確認しようとは思わなかった。
 リアを先に立たせてリビングに戻った。
 するとリビングでは江名さんがなにやらやっていた。よく見ると、テーブルの上にどこかで買ってきたのだろう、お弁当が並んでいた。
「ああ、ごめんね。勝手にいろいろ使って」
「それは構いませんけど、でも、お弁当って──」
 時計を見ると、もうすぐ一時になろうかという時間だった。なるほど。それならお弁当も頷ける。だけど、もうそんなに時間経ってたんだ。考えることがありすぎてまったく気づかなかった。
「ほら、リアちゃんも座って。晴美ちゃんもよ」
「あっ、はい」
 促されて私たちは席に着いた。
「ここののり弁美味しいのよ。のりとか鰹節にいいのを使ってるらしくてね。おかずも定番のが揃ってるし、まさにキング・オブ・ノリベンって感じよね」
 笑顔で明るく振る舞う江名さん。
 そのおかげか、リビングの雰囲気も一気に明るくなった。私の嫌いな雰囲気が払拭された。
「とりあえずいろいろあると思うけど、人間お腹が空いてるとまともに考えることもできないんだから。ふたりとも、ちゃんと食べなさい」
「はい、いただきます」
 心の中で言葉にできないほどの感謝をしてお弁当に箸を付けた。
「……ん、確かに美味しいですね」
「でしょ? ほら、リアちゃんも食べてよ」
「いただきますぅ」
 リアも箸を付け、これで三人揃っての昼食となった。
 だけど、雰囲気は確かによくなったけど、会話があったわけじゃない。私もリアも江名さんも、お互いに言いたいことや訊きたいことがたくさんあった。たくさんありすぎてなにから話していいか、訊いていいかわからない。だから会話にならなかった。
 食べ終わり、お茶を飲んでいるところで江名さんが口火を切った。
「それで、どうなったの?」
 私もリアも、すぐには応えられなかった。それはそうだ。結果的にはどうにもなってないのだから。
「じゃあ、こういうことは年上から先に。晴美ちゃん」
「まだ、どうする、というところには至ってません。リアには事実を説明しましたけど」
「そうなんだ。じゃあ、ふたりとも暗いのはその『どうする』ってことで悩んでるからなんだね。なるほど、そういうことか」
 うんうんと頷き、私とリアを代わる代わる見ている。
 そうやって見られると、心の奥底まで見透かされているような気になる。
「方法はいくつくらいあるの?」
「いくつもあるみたいですけど、現実的なのは少ないです。一番確実なのは、リアが私の元から離れてしまうこと、です」
 リアの体がわずかに揺れた。
「それってつまり、研修だっけ? それもご破算になるってこと?」
「はい、そうなります」
 事実を改めて確認すると、胸にずしっと重しを載せられた感じになる。
 江名さんは腕組みをし、唸っている。
 隣のリアは、さっきからほとんどしゃべっていない。いや、しゃべれないのか。
「その現実的じゃない方法って、いったいなに? それをすればふたりはまだ一緒にいられるの?」
「え、ええ、そうです。残りの方法はどれもこれも、元を断とうという方法ですから」
 江名さんの迫力に圧され、私はできるだけ考えなかったことを話した。
 私だってそれができればいいと思ってる。だけど、ミヤの話だとそれはかなり現実的じゃないってことだ。
 やらなくちゃいけないことがふたつ。
 まず、リアの力の暴走を完全に止めなければならない。これはもうひとつに比べれば楽らしく、優秀な魔法使いの助力があれば可能らしい。
 だけど、それにも危険はついていくる。力の暴走を抑えるには当然のことながら、一度はその力に干渉しなくてはならない。不安定な状況でそれをすることがどれだけ危険なことかは、魔法使いじゃない私にも容易に想像できる。
 もし仮にそれに成功しても、今度はそれ以上に困難なことが待っている。
 それが私の魔力を封印すること。
 もはや抑え込むなどという生ぬるいことは言っていられない状況らしく、本当になんとかしたいなら完全に封印するしかないらしい。
 だけど、強大な魔力を封印するには最低でも優秀な魔法使いが四、五人は必要らしい。現状ではそれだけの魔法使いを揃えるの不可能に近いということで、ミヤも現実的じゃない方法だと言ったのだ。
 私としては私の魔力なんてどうなってもいいから、リアを助けてあげたい。でも、原因が私にある限り、それはそう簡単にかなうことじゃない。
「リアちゃんは、どうしたいの?」
 江名さんは、穏やかな口調でリアに訊ねた。
 リアも伏せていた顔を上げ、江名さんの顔を見つめる。
「……リアはぁ、もっともっと晴美さんと一緒にいたいですぅ」
 リアは、小さいながらもはっきりとそう言い切った。それが、リアの本音だ。
「晴美ちゃんは? 晴美ちゃんはどうしたいの?」
 わかっていながら江名さんは訊いてくる。
 わかってる。それを私が直接口にしなければ意味のないことだって。
「私は……リアと一緒にいたいです。もっと、いろんなことしたいです」
「晴美さん……」
「なら、悩むことなんてないじゃない。晴美ちゃんもリアちゃんも願ってることは同じなんだから。あとは、それが上手くいくようにがんばればいいのよ。違う?」
 そうだ。その通りだ。
 私もリアも同じことを考えているなら、あとはそれを実行に移せばいいんだ。なにをうじうじ悩んでたんだろ。悩んでたって一ミリも前には進まないのに。
 当たって砕けるのはイヤだけど、成功する確率が兆分の一でもあるなら、それに賭ければいい。
「うん、ふたりともいい顔してる。さっきまでとは別人みたい。ふたりとも可愛いんだから、暗い顔なんてしてちゃダメダメ。それに、暗い顔してると余計に不幸を背負っちゃうわよ。世の中なんてそんなもんだし」
「はい、そうですね。私もわかってたはずなんですけど」
「リアもぉ、余計なこと考えすぎましたぁ」
「よし、やることが決まったんなら、次は行動よ。時間、そんなにないんでしょ?」
「はい。リア、ミヤを呼ぶけどいいわね?」
「もちろんですぅ」
 リアは、ニコッと笑った。
『呼ぶ必要はありませんよ』
「えっ、なに?」
 突然リビングに声が響き、次の瞬間には音が消えた。さすがの江名さんもこの現象には驚いている。
 だけど、呼ぶ前に出てくるなんて。
「こうなるだろうとは思っていましたが、わたくしの予想よりずいぶんと早かったです」
 そう言ってミヤは、私たちに微笑みかけた。
 と、江名さんが『誰?』という顔をしてる。
「ああ、えっと、この人は魔法使いで──」
「天野ミヤと申します。あなたは、栗村江名さん、ですね」
「え、ええ、そうだけど、なんであたしの名前を?」
「それは、晴美さんやリアにいろいろと伺っていましたので」
「なるほど、そういうことか」
 江名さんが一瞬こっちを見た。たぶん、どんなことをミヤに話したのか気になってるんだろう。
 でも、今はそれは関係ない。やるべきことはほかにあるから。
「それでは晴美さん、リア。本当によろしいのですね?」
 ミヤは、鼻眼鏡の位置を直しながら最終意思確認をしてきた。
 私はリアを見つめ、大きく頷いた。
「ええ、いいわ」
「はいぃ、リアもいいですぅ」
 そして、リアも大きく頷いた。
「わかりました。わたくしもできる限りのことを全力でやります」
「あたしも、ん〜、なにもできないかもしれないけど、しっかり見届けるから」
「ありがとうございますっ」
 ここまで来たら、もうなにがなんでもやるしかない。
 私もリアも、想いはひとつなんだから。
 
 絶対、大丈夫だから。
 
 
 
第九章
 
 かなり危険なことをするというのに、私たちの間には緊張感はなかった。
 準備することがいろいろあるために、ミヤは一度戻ってしまった。江名さんも仕事に穴を開けてきたらしく、スタジオに戻った。
 だから、今は私とリアのふたりだけ。
「どうぞぉ」
「ん、ありがと」
 テーブルの上に、リアお手製のお菓子が並んだ。材料があまりなかったために凝ったものはできなかったけど、それでも私には十分すごいと思えた。
 リアのお菓子に私が淹れた紅茶でのアフタヌーンティー。
 本当に緊張感がない。
「ふふっ」
「どうかしましたかぁ?」
 突然私が笑ったから、リアが不思議そうに首を傾げた。
「ううん、なんかね、これからすごく大変なことをしようっていうのに、全然それっぽくないなって、そう思ったの」
「そうですねぇ。リアもぉ、そういう感じが全然しないですぅ」
 リアもゆったりと微笑んだ。うん、いつもリアの笑みだ。
「リアが私のところへ来て、二週間も経ったんだよね。なんか、本当にあっという間だったなぁ」
「はいぃ、本当にあっという間でしたぁ」
 話したいことはたくさんあった。たった二週間だけど、一緒に過ごしてきていろんなことをしてきた。
 すごく真面目なんだけど、それを帳消しにしてしまうくらいドジで。でもいつもニコニコと笑顔を絶やさないで。
 洋服なんかなにを着せても似合って、あの江名さんだって一撃でノックアウトしたし。
 研修で私のお母さんを探すことだって、本当に真面目に取り組んでくれた。残念ながら結果は出てないけど、私はそれでいいと思ってる。
「晴美さん」
 少しボーっとしていたら、リアが真面目な顔で私を見つめていた。
 紫色の瞳の中に、私が映っている。
「リアが至らないばかりにぃ、本当にご迷惑をおかけしましたぁ」
 そう言ってリアは頭を下げた。
「もしなにかあってもぉ、晴美さんだけは絶対に助けますぅ」
「そんなこと……気にしなくていいわよ。それに、今回のことは元はと言えば私の責任なんだから」
 そう。私に魔力さえなければ、こんなことにはならなかったんだ。だから、リアが謝る必要なんてこれっぽちもない。
 もし私になにかあっても、それは結局自業自得ということだ。
「今は、なにが悪いとかそういうことは考えるのはやめましょ。絶対成功するんだから。むしろ考えなくちゃいけないのは、終わったあとのことよ。リアの研修が無事修了するかどうか」
「……そうですねぇ」
 リアはカップを持ち、目を伏せた。
 明るく振る舞ってはいるけど、内心穏やかじゃないのが手に取るようにわかる。私だってそうだ。
 最悪の事態だって考えないわけじゃない。考えても無駄だから頭の中から排除してるだけ。
 ああもう、せっかく緊張感もなくいい感じで臨めると思ったのに。なんか話題を変えなくちゃ。
「ねえ、リア。リアはこんな絵本の話、聞いたことある?」
 ふっと頭に浮かんだのは、なぜかあの絵本のことだった。
 私は江名さんに話したのと同程度のことをリアに話した。今思えば、あの話って魔法使いの研修のことを題材にしてるのかもしれない。そう考えると、以前江名さんが言った創作話ではないという説も正しいように思えてくる。
 魔法使いの女の子は、研修のために普通の人間の男の子のところへやってきた。女の子の課題はわからないけど、それをクリアするためにふたりでがんばった。最後はどうなったかはわからないけど、そう考えると実にしっくりくる。
「ね、これって魔法使いの研修をモチーフにしてると思わない?」
「確かにぃ、そういう感じですねぇ。でもぉ、リアが知る限りではぁ、研修を題材にした絵本はないはずなんですぅ」
「えっ、そうなの?」
 意外な言葉に、思わず間抜けな声を上げてしまった。
 だけど、それってどういう意味? 魔法使いの間にそういう話がないのに、どうして普通の人間である私はそれを知ってるの?
「もしかしたらぁ、普通の人と一緒になった魔法使いがぁ、そういう話を残したのかもしれませんねぇ」
「普通の人と一緒って、それっていいの?」
「はいぃ、全然問題ないですぅ。むしろぉ、そういう魔法使いの方が多いくらいですからぁ」
「そうなんだ。それはちょっと驚き」
 魔法使いってもっと閉鎖的だと思ってた。だけど、もしそうだとするとお母さんがどこかでそういう絵本を手に入れてきても不思議じゃない。
「あと可能性があるとすればぁ──」
『お待たせしました』
 リアがさらに続けようというところで、ミヤが戻ってきた。リアがなにを言おうとしたのはすごく気になるけど。
「こちらの方は準備が整いました」
「うん、わかった」
 私たちは手はず通り、まずはリアの暴走を止めることからはじめる。これにはミヤがひとりで取りかかる。
 まだ力が完全に覚醒していないリアならば、ミヤが全力で魔法をかければ暴走を止めることができるかもしれない、という推測の元に行う。もともとはひとりでは無理だと考えていたんだけど、リアが自覚しているならリア自身がある程度抑えることで、ひとりでも可能かもしれないということになった。
 場所を家からマンションの屋上へと移した。まだ太陽が出ている時間帯だけど、東の空にはすでにうっすらと月が出ている。やはり魔法を使う時は月の力を借りた方がいいらしい。
 屋上の真ん中に魔法陣が描かれた。私には判読不可能な文字と紋様のようなものが交互に描かれている。
 その中心にリアは立った。
「いいですか、リア。できる限り気持ちを静めてください。魔力に直接干渉しますからきっと不快になると思います。それでも我慢してください。とても繊細な魔法を使いますから」
「わかりましたぁ」
 ミヤの注意事項に、リアは笑顔で応えた。
「では、はじめます」
 スッと目を閉じると、あたりが急に静かになった。ミヤの圧倒的なプレッシャーの前に、鳥や虫でさえ鳴くのをやめている。
 掲げた両手から光があふれてきた。同時に魔法陣が光を放つ。
 ミヤのマントが風もないのに揺れている。
 魔法陣の光が幾重もの輪となり、リアを足下から覆っていく。
 きっと、その輪がリアをすべて覆うと魔法が完成するんだろう。
 だけど、長丁場になりそうだった。
 ひとつの輪がリアにかかるまで約五分。輪の直径がおよそ五センチだから、百五十センチのリアを覆うのに二時間半。
 その間ミヤはずっと魔法を使い続け、リアはその真っ直中でじっとしていなくちゃいけない。
 私にできることは、祈ることだけ。
 どうか、無事に済んで。
 
 気がつくと、あたりはすっかり夜だった。
 秋の日はつるべ落としとはよく言ったものだ。って、そんな場合じゃない。
 慌ててリアたちを見ると、魔法はあと少しで完成するところだった。背の低いリアも、もうほとんど隠れている。
 一方、ミヤの方は肩で息をし、汗がぽたぽたと滴り落ちていた。やっぱり、相当大変な魔法なんだ。
 本当は声に出して『がんばれ』って言いたい。けど、それは心の中にしまい、今は見守るしかない。
 ふわっと、光の輪がリアを覆った。あと、ひとつくらいかな。
 知らず知らずのうちに、私は手を握っていた。手のひらにはじっとりと汗がにじんでいる。
 がんばれ、リア。がんばれ、ミヤ。
 あと少しだから。あと少しがんばれば、終わるから。
 だから、がんばれ。
 心の中で無責任に応援しながら、私はふたりを見つめた。
 と、光の輪が浮かびリアを覆い隠した。
「……静まれ」
 低く、凛とした声が心の奥底まで響いた。
 次の瞬間──
「っ!」
 リアを覆っていた光の輪が急速に収縮し、同時に弾け飛んだ。
 なにが起きたのかはわからない。それがよかったことなのかもわからない。
 光から解放されたリアは、魔法陣の真ん中でボーっとしてる。
 一方、ミヤは掲げていた両手を下ろし、その場に膝を着いていた。
 私は一瞬躊躇ったけど、声を出した。
「ミヤ、終わったの?」
 するとミヤは私の方を見て、会心の笑みを浮かべた。
 それは、紛れもなく魔法が成功した証拠だ。
 そう、リアに対する魔法は成功したんだ。
「リアっ!」
 私はいてもたってもいられず、リアの元に駆け寄った。
「リア、大丈夫? しっかりして」
 焦点の合っていない目。肩をつかみ、少し強く揺する。
「リアっ!」
「……ぅ、はるみ、さん……?」
 焦点が合い、リアの瞳が私を捉えた。
 私は大きく頷き、リアを抱きしめた。
「魔法、成功したわよ。リアの力の暴走は、止まったの」
「成功、したんですねぇ……」
 言葉にもいつもの調子が戻ってきた。
 きっと、今頃頭の中をその事実が駆けめぐっていることだろう。
 ゆっくりでいいから、それを理解して。もう、リアが苦しむことはないんだから。
 あとは、私だけなんだから。
「これで、リアの方は大丈夫だと思います」
 ミヤが、ふらつきながら私たちに近寄ってきた。
「ミヤは、大丈夫なの?」
「ええ、わたくしのことは心配ありません。少々魔力を消耗しただけですから」
 脂汗を浮かべながらも、ミヤは大丈夫だと微笑んだ。
 だから、私もあえてそれ以上はなにも言わなかった。きっと、ミヤもそれを望んでいるだろうし。
「しばらく、強力な魔法による後遺症のようなものが出るかもしれませんが、それも些細なことです。それに、リアほど力のある魔法使いなら、あるいはそれを打ち消してしまうかもしれません」
「そっか……」
 私は改めて腕の中の小さな体を抱きしめた。
「晴美さん」
「ん、どうかした?」
 リアが、私を見上げる。
「今度はぁ、晴美さんの番ですぅ」
「わかってるって。私も、リアに負けないように、しっかりやるから」
「はいぃ……」
 小さく頷き、そのまま目を閉じた。
 どうやら、眠ってしまったようだ。よっぽど大変だったんだろう。こんな小さな体で。
「晴美さん。すぐにはじめますか?」
「ちょっとだけ待って。リアを、部屋に寝かせてくるから」
「わかりました」
 私はリアを抱きかかえ、屋上をあとにした。
 家に戻り、部屋のベッドに寝かしつける。
 まだまだあどけないリアの寝顔。穏やかな寝顔で、私も安心して見ていられる。
 少し乱れた前髪を整えると、くすぐったそうに身をよじった。
「それじゃあ、行ってくるからね」
 リアの寝顔に見送られ、部屋を出た。
 
 さあ、今度は私の番だ。
 
 
 
第十章
 
 屋上に戻ると、魔法陣がさらに大きく立派になっていた。これから使う魔法はそれほど大がかりな魔法なんだろう。
 ミヤは、さっきよりはだいぶましになっていた。
「リアの様子はどうですか?」
「大丈夫よ。落ち着いてるし、苦しそうな様子もなかったし」
 それを聞き、ミヤはホッと胸をなで下ろした。なんか、ミヤはリアのお母さんとかお姉さんみたい。
「それで、ミヤの方は大丈夫なの? さっきはかなりつらそうだったけど」
「ええ。先ほど魔力増幅の魔法をかけましたので、しばらくは大丈夫です。ただ、これが終わったら休む必要はありますが」
「そっか、ホントにごめんね」
「いえ、晴美さんのせいではありません」
 微笑んでくれるミヤ。私のせいで本当にいろんな人に迷惑かけてる。
 だからこそ、今度は私がなんとかしなくちゃいけない。
「それでは晴美さん、簡単に説明します」
 ミヤは表情を引き締め、これから行うことについて説明をはじめた。
「まず、晴美さんにはリアと同じようにこの魔法陣の中心に立ってもらいます。その際、できるだけ心を落ち着かせてください。心が乱れていると、魔法の効きが悪くなりますので」
「了解。多少は精神修養したし、その成果を見せるわ」
 やっぱり気休め程度でもやっておいて正解だった。
「実際に魔法を使う際には、なにもしなくて構いません。ただひたすらに終わるのを待ってください。もっとも、それが一番つらいことかもしれませんが」
 確かに、リアみたいに何時間もかかるなら、本当につらい。果たして私に耐えられるかどうか。
「ミヤの試算だと、どのくらいかかるの?」
「正直、なんとも言えません。現状では、成功する確率もかなり低いですから」
「そっか……」
 気休めに絶対に成功するとか言われるより、そうやって本当のことを言ってくれる方がいいけど、でもやっぱりちょっと不安になる。
 魔力を封印することによって私自身がどうなるかもわからないし。だいいち、失敗したらどうなるのかもわからない。あえて聞いてないけど、ひょっとしたら二度とこの月を見られないのかもしれない。
「そういえば、私の魔力を封印するには優秀な魔法使いが何人も必要だってことだったけど、その問題は解決したの?」
 見たところ、ここには私とミヤのふたりしかいないし。
「ええ、そのことでしたら解決しました。旧家の方々が協力してくれることになり、魔力量は十分です」
「ねえ、今朝も言ってたけど、その旧家ってなに?」
「旧家とは、わたくしたち魔法使いの中でも特に古い家柄の総称です。格式があり、歴史も長く、魔法使いとしての品位、実力とも優れた家柄です」
「そ、そんなすごい家の人が協力してくれるんだ」
 それって、私たちの感覚で言ったら、すっごい大金持ちが損得勘定は……あるかもしれないけど、とにかく協力してくれるってことだ。
 なんで、私なんかのためにそこまでしてくれるんだろ。全然わからない。
 やっぱり、相手がリアだからなのかな。リアは優秀な魔法使いだってことだし。
「その中で最も実力のある家のお方が、突然協力を申し出てこられて。そういうことならばということで、旧家が全面的に協力してくれることになったのです」
「なるほどね。だけど、それはいいんだけど、どうやって協力してくれるの? 見たところ誰もいないようだけど」
 ミヤは微笑み、魔法陣を指さした。
「新しく描いた魔法陣は、いわば魔力の転送装置です。この魔法陣へ向こうから直接魔力が送られてきます」
 そういうことか。それならば確かにここにいるのはミヤひとりで十分だ。
 本音を言えば、その協力してくれるっていう旧家の人に会ってみたいんだけど。
「成功したら、確実に副作用が出ます」
「副作用? 危ないの?」
「いえ、普通でしたら一週間程度目が覚めないだけなのですが」
「って、一週間もっ!」
「は、はい……」
 まさか、成功してからもそんなことがあるなんて。
 だけど、一週間私が寝込んでればすべてが丸く収まるなら、安いものか。仕事の方は、ん〜、さすがに問題かもしれないけど、江名さんなら話せばわかってくれるし。
 問題は、お父さんか。さすがにひとり娘が一週間も寝込んでたら、心配するだろうし。う〜ん、どうしたものか。
「ミヤ。魔法で人の記憶を操作することってできる?」
「それは、可能ですが」
「それじゃあ、ひとつお願いがあるの。魔法が成功したら、私のお父さんの記憶を操作して」
「晴美さんのお父さんの記憶をですか? ですが、どのように操作すれば……」
「そうね、私は寝込んでるけど心配するほどじゃないって、そんな感じで」
 我ながらずいぶんとアバウトなお願いだ。それでも、お父さんには余計な心配をかけたくないから。
「わかりました。最善を尽くします」
 ミヤは大きく頷いてくれた。
 あとは、リアのことはミヤに任せておけば大丈夫だし。
 うん、もうなにもない。
「ほかになにかありますか?」
「なにもないわ」
「それでは、はじめてもよろしいですか?」
「お願い」
 私は大きく息を吐き、魔法陣の真ん中に立った。
 まだなにもしていないのに、体の奥がざわめく。きっと、魔法陣に私の魔力が反応してるんだ。
 ミヤは、スーツのポケットから小さな水晶球を取り出した。今度はあれも使うんだ。
「晴美さん。気持ちを、心を落ち着かせてください」
「ええ……」
 目を閉じる。
 精神修養の成果を見せなくちゃ。
「準備はいいですか?」
「いつでも」
 目を閉じたまま、頷いた。
「リン様、こちらの準備は整いました」
 協力してくれるっていう人に向かっての言葉だ。
 だけど、リン様? どこかで聞いたような覚えが──
『ごくろうさまです、ミヤ』
 不意に、声が響いた。
 それよりもなによりも、この声どこかで聞いたことが──
「いきます」
『魔力を』
 ものすごいプレッシャーが私を襲った。
 ミヤのなんて比じゃない。とてつもないプレッシャーだ。
 目を閉じていてもわかる。魔力というか魔法が私を包み込もうとしている。
 もはや指ですら動かせない。
 なにも見えない。なにも聞こえない。なにも匂わない。なにも感じない。
 ただひたすらに魔法の中へと溶け込んでいく。
 ああでも、この感覚、どこかで感じたことがある。
 どこでだったかな?
 この優しさの塊のような感覚を感じていたのは──
 
「おかあさん、おかあさん、おかあさん」
 私は、どこかで聞いたような声で目が覚めた。いや、正確には目が覚めたわけではないらしい。
 手も足も動かせない。意識だけがどこかに浮かんでいるような感じだ。
「おかあさん、ねえねえ、えほんよんで、えほんよんで」
 意識が、また声に引っ張られた。
 見る──意識だけだからそうは言わないのか──と、小さな女の子がお母さんとおぼしき女性に甘えている。
 って、あれは──
「あらあら、またなの、晴美?」
「うんっ! だってだって、そのえほん、と〜ってもおもしろいんだもん」
 あれは、子供の頃の私と、お母さんだ。
「しょうがない子ね。いいわ、読んであげるわ」
「ホント? わ〜い、おかあさん、だいすきっ!」
 間違いない。あの長い髪、優しい眼差し。お母さんだ。
 だけど、どうして私はこんなのを見ているんだろう。確か私は、魔力を封印するためにミヤに魔法をかけてもらって。
 それから確か──
「それは、満月の夜のことでした。普通の人間の男の子が月を見ていると、突然、女の子がやってきました」
 私の思考は、お母さんの声で掻き消された。
「女の子は、黒い帽子に黒いマント、箒を持った魔法使いでした。魔法使いの女の子は言いました。『こんばんは、いい夜ですね』と。男の子は言いました。『そうだね』と。男の子は女の子を見ても驚きませんでした。だから女の子は言いました。『私、魔法使いなんです。あなたのところへは、一人前の魔法使いになるためにやってきました』と。それでも男の子は驚きませんでした。その代わり男の子は、女の子に言いました。『僕が一人前の魔法使いになるのを、手伝ってあげる』と。そして、女の子は男の子と一緒に一人前の魔法使いになるためにがんばりました」
 お母さんの膝の上で、子供の私は熱心に絵本を見て、話を聞いている。
 大好きなお母さんに読んでもらった、大好きな絵本だったから。
「男の子は女の子のために一生懸命がんばりました。女の子も男の子のために一生懸命がんばりました。しかし、女の子は普通の人間ではありませんでした。そのせいで男の子の友達からいじめられたり、大人の人から怖がられたりしました。それでも女の子は負けませんでした。男の子のために早く一人前の魔法使いになりたい、ただそれだけを願ってがんばり続けました」
 そこでお母さんは話すのをやめた。
 そうだ。私はそこまでしか聞いたことがない。そのあとふたりがどうなったのかは知らない。
「どうしたの? おかあさん? つづき、よんでよぉ」
「晴美は、魔法使いは好き?」
「まほうつかい? うん、すきだよ。だってだって、まほうがい〜っぱいつかえるもん」
 お母さんは目を細め、子供の私の頭を撫でた。子供の私は少しだけ嫌がったけど、でも心地よさそうだった。
 覚えてる。お母さんに頭を撫でられると、すごく暖かな気持ちになって、まるでひなたぼっこでもしてるような気になった。
「ねえねえ、おかあさん。はやく〜、つづきをよんでよ〜」
「はいはい、わかったわ」
「わ〜い、やった〜」
 お母さんは穏やかな笑みを浮かべたまま続けた。
 
 私の知らない絵本の続きを。
 
「女の子が男の子のところへやってきてから、何日も何日も経ちました。男の子は女の子のために、女の子は男の子のために、一生懸命がんばりました。そんなある日。女の子は言いました。『今度の満月の夜に、私は一人前の魔法使いになります』と。男の子はそれを自分のことのように喜びました。でも、女の子は違いました。とても悲しそうで、泣き出しそうでした。それを見た男の子は言いました。『どうしたの? 嬉しくないの?』と。女の子はなにも言わないで、ただ首を振るだけでした」
 お母さんの声が、少しだけ震えていた。
 どうして震えていたのかはわからない。だけど、少しだけつらそうな感じがした。
「そして、満月の夜がやってきました。女の子は黒い帽子に黒いマント、箒を持って家の外にいました。男の子も一緒です。空には、大きな大きな満月が出ていました。男の子は言いました。『やっとだね。やっと、一人前の魔法使いになれるんだね』と。それを聞いた女の子は、とうとう泣き出してしまいました。男の子はどうして女の子が泣いてしまったのかわかりません。女の子は言いました。『一人前の魔法使いになったら、帰らないといけないんです。もうここへは戻ってこられないかもしれないんです』と。男の子は言いました。『そ、そんなのウソだ。だ、だって、魔法使いならどんなところからでも魔法であっという間に来られるはずだよ』と。女の子は言いました。『ごめんなさい』と」
 お母さんは泣いていた。いや、正確には涙を流していた。子供の私に気づかれないように声には出さないで。
 でも、どうしてお母さんが泣いているの?
 確かにちょっと悲しい話ではあるけど、そこまで泣くような話じゃない。
「おかあさん。おとこのことおんなのこはどうなったの?」
 子供の私に先を促され、お母さんは続けた。
「男の子は言いました。『そんなのイヤだ。僕は、もっともっと一緒にいたい』と。女の子は言いました。『私も、一緒にいたいです。でも、一人前の魔法使いになるならば一緒にいるのはたぶん、無理なんです』と。女の子は泣きながら箒にまたがりました。そしてそのまま空に浮かびました。女の子は言いました。『あなたと一緒にがんばれて、本当に嬉しかったです。私、あなたのことが、大好きでした』と。男の子は言いました。『僕も好きだ。だから、ずっと一緒にいよう。魔法使いなんかにならなくてもいいから。だから一緒にいよう』と。でも、女の子はなにも言いませんでした。その代わり、魔法を使いました。大きな満月に向かって、キラキラと輝く魔法を使いました。そして、魔法使いの女の子は、行ってしまいました。おしまい……」
 そんな話だったんだ。
 絵本なのに、ハッピーエンドじゃないなんて。
 だからなのかな、お母さんが私に聞かせてくれなかったのは。
「これでおしまいよ。どうだった?」
「う〜んとね、よくわかんない。でもねでもね、ちょっとだけおむねがくるしかったの」
「そう……」
 お母さんは絵本を傍らに置き、子供の私を抱きしめた。
「おかあさん?」
「なんでもないのよ。晴美が可愛いから、お母さん、ギュッてしたくなったの」
「えへへ〜」
 お母さんに抱きしめられ、子供の私は満面の笑みを浮かべていた。
 それにしても、どうして私はこれを見せられているんだろう。私の魔力の封印となにか関係があるのかな?
 もちろん、あの絵本の続きが気になっていたというのはあるけど。
 でも今は、それよりも私の魔力を封印してリアの研修を成功させることが先決だから。
 そういえば、お母さんて、本当に優しさの塊のような人だったな。
 私やお父さんにいつも優しく接してくれて。
 だから私はお母さんのことが、大好きだったんだ。
 えっ? 優しさの塊?
 それって、魔力の中に感じたあの──
 
 目覚めると、目の前に満月があった。
 
 
 
第十一章
 
 大きな満月だった。
 月明かりは陽の光と違い、とても優しい。その優しさに包まれているような気もした。
 でも、どうして私は満月なんて見てるんだろ? その前に、ここはどこなんだろ。
 首を動かしてみた。
「痛っ……」
 動くには動くけど、ものすごく痛かった。まるで、ずっとそのままにしてて久しぶりに動かした時みたいだ。
 見ると、そこはマンションの屋上だった。そっか、屋上だからこんなに大きく満月が見られたんだ。
 それには納得できた。だけど、次の疑問が浮かび上がった。
 魔法をかけられた時、満月だったっけ? 確か、半月くらいだったような気がしたけど。
 でも、今見ているのは満月だ。つまり──
「気がつきましたか?」
 視線の届かないところから声が聞こえた。静かだけど凛とした声。
「……ぅ、ミヤ、なの?」
 声を出すのも一苦労だった。
「ええ、そうです」
 移動してきたのか、ミヤの端正な顔が視界に飛び込んできた。
「少し待ってください。今、体力を回復させます」
 そう言ってミヤは、私に魔法をかけた。途端、体がふっと軽くなった。
 ほとんど動かせなかった手足も動くし、声も出る。
「ふう、ありがと、ミヤ」
「いえ、このくらいのことは……」
 ミヤは視線をそらした。
 なに? いったいなにがあったの?
 私は起き上がり、ミヤに正対した。それでもミヤは私の方を見ない。
「あれからどのくらい経ったの?」
 まずそれが知りたかった。月の様子を見る限りでは、二週間くらい経ってるはず。
「今夜で、ちょうど二週間です」
「そっか。じゃあ、私は丸二週間も眠ってたんだ」
 事実を確認できれば、さっきのことも月のことも納得できた。
「それで、魔法は成功したの? 確か、成功すれば一週間は目が覚めないってことだったけど」
「成功、しました。奇跡的に」
「奇跡的に? それって、どういう意味?」
 明らかに挙動不審のミヤ。なにか隠してる。いや、言わなくちゃいけないのに言えない、そんな感じか。
「そういえば、リアは?」
 リアの名前を聞いた途端、ミヤはさらに顔を伏せてしまった。
「ちょっと、ミヤ。いったいどうしたの? なにかあったの?」
「……こちらへ来てください」
「ちょ、ちょっと、ミヤ?」
 ミヤは、それ以上なにも言わず屋上をあとにした。
 いったい、なにがあったっていうの?
 
 ミヤが向かったのは、私の家だった。玄関は開いていた。
 久々のはずなのにそういう気がしないのは、やっぱりずっと寝ていたからかな。
 ミヤは、玄関脇の部屋、つまり私の部屋の前で立ち止まった。
「私の部屋になにかあるの?」
 小さく頷くミヤ。
 少しいぶかしく思いながらも、ドアを開けてみた。
 すると、ベッドではリアが眠っていた。時間も時間だし、それ自体はおかしなことではない。だけど、そこに江名さんがいれば話は別だ。
「あの、江名さん、どうしてここにいるんですか?」
「説明してないの?」
 江名さんは私の問いかけを無視して、後ろのミヤに話しかけた。
「直接見た方が確実に理解できると思いまして……」
「なるほど。じゃあ、その役目はあたしが引き受けるわ」
 そう言って江名さんは私をベッド脇に手招きした。
「晴美ちゃん。リアちゃん、どんな風に見える?」
「いきなりなにを言ってるんですか? どんな風って、ただ眠ってるようにしか見えませんけど」
 どう見たって眠ってるようにしか見えない。まさかこのリアが人形とかってオチじゃないだろうし。
 江名さんはさっきのミヤと同じように、顔を伏せてしまった。
「もう二週間近く眠ったままなの」
「えっ……?」
 それってどういう意味? 眠ったまま? 確かに私に魔法をかける前、リアは眠ってしまったけど。そんなに眠っているなんて聞いてない。
「ど、どうしてそんなことになったんですか? リアへの魔法は成功したはずですよね?」
「晴美ちゃんへの魔法が、失敗したからよ」
「私への魔法が失敗? でも、私は今こうしてここに」
 そうだ。確かに二週間てちょっと長い時間眠っていたけど、魔法が成功したからこそ、今ここにこうやっていられるんだ。
 なのに、なんで失敗したなんて江名さんは言うの?
「最初、魔法は成功したかに見えたの。でも、実際は封印は不完全だった。しかも、封印が不完全だったせいで、逆に暴発してしまう恐れが出てきたの」
「そんな……」
 まさか、そんなことになってたなんて。
 でも、それならなんで今私はここにいるんだろ? それってつまり、そのあとに封印はちゃんと為されたってことだよね?
「その時にはすでに、わたくしにも旧家の方々にも余力はありませんでした。もはやただ手をこまねいて見ているしかないという時に……」
「リアちゃんが現れたのよ」
 言葉に詰まってしまったミヤを、江名さんが最後まで引き受けた。
「それじゃあ、まさか……?」
「そうよ。魔法を完成させたのは、リアちゃんなの。せっかく抑え込んだ魔力をすべて解放してまでもね。その反動で、あれからずっと眠ったまま──」
「リアっ!」
 私は、リアの体を抱きかかえ、思い切り揺すった。
「ちょ、ちょっと、晴美ちゃんっ。乱暴なことは──」
「バカよ……なんで、なんでこんなことするのよ……今回のことは私の自業自得なんだから……」
「晴美ちゃん……」
「晴美さん……」
 涙で目がかすんでいた。
 でも、言わずにはいられなかった。全部私が悪いのに、リアは全然悪くないのに。
 なんで私がここにいて、リアが眠り続けなくちゃならないの?
 そんなの、絶対おかしい。おかしすぎる。
「……ミヤ。方法はないの?」
「非常に難しいですが、あります」
「じゃあ、それをやって。もしなんだったら、私を犠牲にしてもいいから」
 こんなんじゃ、なんのために魔力を封印したのかわからない。しかも、リアは助かってないんだから。
「……わかりました。ですが晴美さん。ひとつだけ約束してください。どんな方法であっても、自らが犠牲になるようなことだけは、考えないでください。それでは今度はリアが可哀想です」
 ミヤは、真っ直ぐな瞳で私を見つめた。
 リアへの想いは、私にも負けてない。それを改めて知らしめるような、そんな真摯な表情だった。
「わかってるわよ。私だって好きこのんで犠牲になんかならないわ。だって、まだまだやりたいこともやらなくちゃいけないこともあるんだから」
 私は、無理矢理笑った。
「リア。絶対に助けてあげるからね」
 このままなんて、絶対にイヤだから。
 
 ミヤから提示された方法は、本当に難しいものだった。いや、正確には方法自体は非常に単純で、簡単だった。だけどそれを困難にしていたのは、その期間の長さだった。
 通常の魔法は長くても一日単位で終わるらしいけど、その魔法は月単位かかる。
 期間は相手の総魔力量によって変わるらしいけど、リアの場合は少なく見積もっても二ヶ月はかかるらしい。
 その二ヶ月の間、ずっと少しずつ魔力を注ぎ込む。
 今のリアには、自ら魔力を回復させるだけの能力がない。それほど疲弊しきっている。
 魔力は精神力を元にしているから、起きることすらかなわない。
 それで、魔力を注ぎ込む相手だけど、それには私を選んでもらった。いくら封印したとはいっても、魔力自体がなくなったわけじゃない。それをわずかずつ引き出すなら、可能らしい。それを聞いた時、私はすぐにミヤに頼んだ。ミヤは最初それを拒んだけど、結局は認めてくれた。
 そして、これからその魔法を使う。
「準備はいいですか?」
 ミヤは、魔法陣の外で私に訊いてきた。
「もちろん。ばっちりよ」
 私は傍らで眠るリアを見て、頷いた。
 私とリアの腕には、魔力を注ぎ込むための腕輪がはめられていた。これを通して私の魔力がリアへと送られるらしい。
 これで二ヶ月後にはリアは元に戻っているはず。そうすれば研修だって──
「そうだっ、研修っ!」
「ど、どうかしましたか?」
 忘れてた。すっかり忘れてた。
「ミヤ。リアの誕生日っていつ?」
「確か、十二月の三十一日だと記憶していますが……あっ」
 どうやらミヤも気づいたらしい。
 今日は十月三十日。二ヶ月後ということは、十二月三十日。リアの誕生日前日だ。
 研修は十五歳の誕生日までに、ということだから、ほぼ不可能だ。
「研修課題をクリアすることは、無理ね」
「そう、なりますね」
 ここまでがんばってきたのに、こんなことになるなんて。
 ああもう、本当に自分のことが恨めしい。どこまでリアのことを振り回せば気が済むのよ。
「ですが晴美さん。今は研修のことよりも、リアを助けることの方が先決です」
「……わかってる。わかってるわよ」
 余計な想いを振り払い、私は前を向いた。
「いいわ、やって」
「わかりました」
 ミヤは目を閉じ、手を掲げた。
 集中であたりが静まりかえる。
 この魔法が成功すればリアは、助かる。
 魔法陣から光があふれ、それが私たちを包み込んでいく。
 私は、リアの手を握った。
 大丈夫。絶対に成功する。
 成功しなくても、私が成功させる。
「つながれ」
 ミヤの声が耳に届いた。
 魔法陣の光が霧散し、同時に私はなにかに引っ張られる感覚に陥った。
 きっとこれが私とリアがつながった証拠なんだろう。
 私は、淡い光を放っている腕輪を見た。
「……絶対に、助けるからね、リア」
 
 この満月を、もう一度見せてあげるから。
 
 
 
第十二章
 
「晴美ちゃん。そろそろ上がろう」
「あっ、は〜い」
 私は写真を片づけ、大きく伸びをした。
 ふと外に目を向けると、もう真っ暗だった。それはそうだろう。季節は冬。もう年の瀬なのだから。
「はい、晴美ちゃん」
「あっ、ありがとうございます」
 江名さんがコーヒーを持ってきてくれた。
「ホント、ここんとこ寒いわよね。もう布団から出るのがイヤでイヤで」
 江名さんは椅子に座り、くるくる回りながら愚痴る。こうして見てると、とても年上には見えないし、このスタジオの代表だとも思えない。
「もうすぐだよね」
「ええ、そうですね」
 私たちは、カレンダーを見ながら頷いた。
 
 あの日からもうすぐ二ヶ月になる。その間、私はなにもしていない。普通に生活し、普通に仕事をしていただけ。もちろん、正確に言えば私の魔力が常にリアに注ぎ込まれているわけだけど。
 でも、私にはそれを実感できない。だから、なにもしていないと思うんだ。
 リアは、眠り続けている。たまにミヤが体力回復の魔法をかけてはいるけど、それ以外はほとんどなにもしていない。私がしていることと言えば、体を拭いて、髪を整えてあげることくらい。
 私はこの二ヶ月が長いとは思わなかった。もっとも、短いとも思わなかったけど。
 私にできることはすべてやったわけだし、あとは信じて待つだけだったから。
 もちろん、待っていたのは私だけじゃない。ミヤだってそうだし、江名さんだってそうだ。ふたりとも、私の至らないところを本当によく見ていてくれた。
 私が感謝するのもおかしいけど、すごく感謝してる。
 だからこそ、十二月三十日が待ち遠しくもあった。もちろん、その日に目覚めると決まっているわけじゃない。前後することはあるだろうし、回復がまだならさらにかかることもあるだろう。だけど、私もミヤも江名さんも、その日に目覚めると思ってる。
 理屈じゃない。そう思うんだから仕方がない。
 そして、あさってが、その日だった。
 
 二十九日はなにをしていたのかほとんど覚えていない。家の片づけをして、買い物をして、テレビを見て、雑誌を読んで。
 確か、そんな感じのことをしていたような気がする。ひとつだけ覚えてるのは、一時間と間を置かずにリアの様子を見ていたことくらいだ。
 仕事納めで早く帰っていたお父さんに言われた。
「もう少し落ち着いたらどうだい?」
 私が焦ってもしょうがないんだけど、なんとなく落ち着かなかった。
 頭では落ち着いていた気がするんだけど、行動が伴ってなかった。
 はあ、私もまだダメだな。
 
「晴美ちゃ〜ん、おっはよ〜」
 朝。私はそんな声で叩き起こされた。
 のそのそと玄関へ出ると、江名さんだった。
「あらら、まだ寝てたの?」
「はい、寝てまし……ふわぁ〜あ……た」
 あくびが出て、江名さんに笑われた。
 とりあえず江名さんをリビングに通し、私は着替える。寒いみたいだから、セーターがいいかな?
 ジーンズを穿き、傍らのベッドを見る。リアは、穏やかな顔で眠っている。この顔をこうやって見ているのも、今日までかな。
「あっ、そうそう。おはよう、リア。いよいよ、今日だよ。さすがに寝坊しすぎよ」
 そう言って髪を撫でた。まともな手入れはできていないけど、それでも触り心地はいい。
 リアに挨拶してからリビングへ。
 リビングでは、お父さんが出したんだろう、江名さんがお茶を飲んでいた。
「今日はずいぶん早くに起きたんですね」
 ずずずっとお茶を啜り、江名さんは首を振り苦笑した。
「いやいやいや、単に寝てないだけよ」
「徹夜明けですか?」
「徹夜っていうか、単に眠れなくて、それで気を紛らわそうとゲームやってたら朝になっただけ」
「そ、そうなんですか……」
 なんか、すっごく江名さんらしい。
 でも、その眠れなかった原因は、リアのことだろう。とすると、間接的には私のせいになるのかな?
「それで、どうするの?」
「えっと、どうするとは、どういう意味ですか?」
「いや、リアちゃんが目覚めたらなにかするのかなって、そう思ったの」
 ああ、そういうことか。確かになにかしてもいいと思うけど、いつ目覚めるかもわからないし。
「……ん〜、そうだっ」
「なんですか?」
 腕組みし唸っていた江名さんが、パッと顔を上げた。
「明日は、リアちゃんの誕生日なのよね? だったら、誕生パーティーやらない?」
「誕生パーティーですか?」
「そ。なかなかなアイデアだと思わない? 大晦日ってことで食料品はいろいろ揃ってるし、ケーキは……わからないけど、なんとか揃えて。どうかな?」
 そのアイデアはいいと思う。リアだって悪い気はしないだろうし。
「いいと思いますよ」
「よっしゃ。じゃあ、買い出しその他はあたしに任せて。マーベラスな誕生パーティーにしてあげるから」
 ま、マーベラスな誕生パーティーって、どういうのなんだろ? 知りたいような、そうでないような。
 でも、江名さんの心遣いはすごく嬉しい。
「そういや、ミヤは?」
「そのうち、ふらっと来ると思いますけど──」
『そのように思われていたとは、少々心外です』
「えっ、あ、ミヤ」
 そこへ、ミヤが現れた。微妙にこめかみがひくついてるような気もするし。
「べ、別にそんなことないって。ミヤは、現れてほしいなぁっていう時に現れてくれるから。別に、お役人だからふらふらできるだなんて、思ってないから」
「……こほん、晴美さん?」
「……晴美ちゃん、余計なこと言い過ぎ」
「あ、あはは……」
 ちょっと失敗したけど、これでリアに絡んでる全員が揃った。
 あとは、主役が目覚めるのを待つだけだ。
 
 お昼食べて、おやつ食べて、夕飯食べて。
 なんか食べてばかりだけど、私たち三人はなにをするでもなくその時を待っていた。
 その間お父さんはずっと、部屋にこもっていた。ごめんなさい、お父さん。
 外も暗くなった頃、江名さんがひとつ提案してきた。
「今日も月が綺麗だし、屋上で待たない?」
 私の時も江名さんがそう提案したらしい。だからというわけではないけど、私には反論はなく、ミヤもなにも言わなかった。リアを抱きかかえ、屋上へと上がった。
「ううぅ、寒っ」
 さすがに屋上は寒かった。私はダッフルコートを、江名さんはダウンジャケットを着込んでいる。ミヤだけはいつもの魔法使い然とした格好だけど。寒くないのかな?
 寒いけど、空気が澄んでいて月が綺麗に見えた。
 満月ではないけど、十分だ。
「ねえ、ミヤ。リアは今どんな状態なの? 今日目覚めそう?」
「そうですね、魔力はかなり回復しています。これだけ回復していれば特に問題はありません。あとは本当に目覚めるだけ、というところですね」
 額に手をかざし、リアの状態を確かめた。う〜ん、こういうのができるのは魔法の特性よね。それとも、魔法使いのかな?
「リア。もうそろそろ起きてもいいんじゃない? もう十分寝たでしょ?」
 腕の中で眠るリアに、言葉をかける。
「ミヤも江名さんも、リアが目覚めるのを待ってるんだよ? 私も待ってる。だから、そろそろ起きようよ」
「そうよ、リアちゃん。いくらリアちゃんが可愛くてなんでも許せちゃうっていっても、さすがに寝過ぎ。あたし、もう待ちくたびれちゃったよ」
 江名さんは、リアの頬に触れながら言葉をかける。
「それに、明日はリアちゃんの誕生日なんでしょ? あたしね、もう完璧でマーベラスな誕生パーティーの準備したから。だから、起きよう。ね?」
「晴美さんも江名さんも、待っていますよ。研修はこのままでは失敗してしまいますが、あなたはそれ以上に大切なものを手に入れています。なにかわかりますか?」
 ミヤも、江名さんに倣いリアに触れる。
「あなたはこの研修で、晴美さんと江名さんというかけがえのない人と知り合えました。これが大切なことで、大切なものです。そのおふたりのためにも、起きなさい、リア」
 三人が、それぞれ自分の言葉でリアに語りかけた。
 私はどうかわからないけど、江名さんもミヤもその想いは十分伝わってきた。
 だからリア。もう起きようよ。
 平気な顔してるけど、私だってつらいんだよ?
 ねえ、リア。聞いてるの?
 聞いてたら、返事してよ。お願いだから。
 
 その時、私の腕の中で、リアの体が動いた。
 
「リア? 起きたの?」
「えっ、リアちゃん起きたの?」
「わかりません。今、体が動いたんですけど……」
 私はリアの体を揺すってみた。
 長い髪がさらさらと揺れる。
「リアちゃん」
「リア」
 江名さんもミヤも名前を呼ぶ。
「……ぅ……」
 一瞬、リアの顔がゆがんだ。
「……ん……」
 ゆっくりと、ゆっくりと、まるでスローモーション映像のように、両まぶたが開く。
「はるみ、さん……?」
「うん、そうよ。晴美よ」
 ぱちぱちと瞬きし、リアの瞳がちゃんと私を捉えた。
 そう、この紫色の瞳だ。
「おはようございますぅ、ですかぁ?」
「うん、おはよう、リア。おはよう……」
 私はしっかりとリアを抱きしめた。
 泣かないようにって思ってたんだけど、ダメだ。涙が出てきちゃう。
「よかった、よかったね、晴美ちゃん、リアちゃん」
「本当に、よかったです……」
 ふたりとも涙声だ。
「あのぉ、えっとぉ、みなさんどうしたんですかぁ?」
 事態を飲み込めていないリアが、きょろきょろと私たちを見回す。
 どうなったのかは、あとで説明するから、今は、素直に喜ばせて。
 本当に、嬉しいんだからね、リア。
 
「えっとぉ、そのぉ、ご迷惑をおかけしましたぁ」
 リアは、思い切りよく頭を下げた。
 あれから場所を家の方に移し、リアに今までのことを説明した。それを聞いてのさっきの行動だ。
「別にリアちゃんが謝る必要なんてないわよ。今回のことは、誰が悪いわけでもないんだから。偶然に偶然が重なって、ちょっとばかし大変なことになっただけ」
 江名さんはそう言ってリアの頭をちょっとだけ乱暴に撫でた。
「そうだよね、晴美ちゃん?」
「えっ、でも、それは……」
 江名さんがそう言ってくれるのは嬉しいけど、やっぱり今回のことは私が原因なわけだし。大変なことだって、まかり間違ってれば私もリアもこの場にはいなかったかもしれないんだ。それを考えちゃうとどうしても素直には受け入れられない。
「まあまあ、晴美さんも江名さんも今はそのことはいいではありませんか。今は、リアがこうして無事でいることがすべてなんですから」
「それもそうね。経過はどうあれ、結果的には丸く収まったわけだし」
「……収まってませんよ」
「えっ……?」
 私の言葉に、みんなの視線が集まる。
「ひとつだけ、収まりきらなかったことがあります。リアの研修のことです」
「あ……」
 失念していたわけじゃないだろうけど、言われるまで気づかなかったみたいだ。いや、ミヤはそんなことないか。だって、リアの監視人だし。
「あのぉ、研修のことってなんですかぁ?」
 またまた事態の飲み込めていないリアが、私たちに訊ねる。
「リア。今日が何日かわかる?」
「ん〜、今日はぁ、十二月三十日ですぅ」
 カレンダーを見て、パッと顔を輝かせる。
「リアの誕生日はいつ?」
「十二月三十一日ですぅ。あっ……」
 そこまで言って、気づいたみたいだ。
「は、晴美さぁん、明日はもうリアの誕生日ですぅ。ど、どうしたらいいんですかぁ?」
 途端に涙目でおろおろし出す。その気持ちは痛いほどわかるけど。
「今日という時間は、あと二時間弱。その間に課題をクリアするのは、ほぼ不可能ね」
 時計を見ながら江名さんが事実を述べる。
 それは私にもわかってる。もはや絶望的な時間だ。
「ねえ、ミヤ。救済措置とかってないの? ほら、今回のことはいわば不慮の事故でじゃない。リアちゃんにも晴美ちゃんにもなんの落ち度もなかったわけだし」
「……残念ながら、それはできません。研修はあくまでも十五歳の誕生日までに終えればいいだけであって、いつからはじめるかは個々人の自由ですから」
 なるほど。そういうことなら確かに救済措置とかは取れないわね。
 だけど、江名さんじゃないけど、リアはなにも悪くないんだから、なんとかしてあげたいってのはある。
「そうすると、打つ手なしってことか……」
「そうですね……」
 重苦しい雰囲気に包まれる。
「そういえば、リアちゃんの課題ってなんなの? 肝心の内容を聞いてなかったわ」
「研修身請け人長坂晴美の願いをかなえることです」
「晴美ちゃんの願いをかなえる? 晴美ちゃんの願いって、やっぱりあれなの?」
「ええ、まあ、お母さんのことですけど」
 私の願いなんて、それくらいしかない。お母さんを探すために写真家になろうとしてるんだし。
 江名さんはダイニングに置いてあったフォトスタンドを持ってきた。
「すごく綺麗な人だよね、晴美ちゃんのお母さんて。一度見たらそうそう忘れられないわよ」
「……ん〜」
 と、リアが写真を見て固まっている。確か、最初の時もこんな感じだったな。
「あのぉ、晴美さん。お母さんの名前はなんていうんですかぁ?」
「名前? 長坂凛(りん)だけど、それがなにか?」
「長坂、凛……凛……リン……」
 リアは、写真を見たままぶつぶつとなにやら呟いている。
 いったい、どうしたんだろ?
「……リン……あーっ!」
「ど、どどど、どうしたの?」
 突然、リアが大声を上げた。
 私だけじゃなく、江名さんもミヤも驚いている。
「お、思い出しましたぁ」
「思い出したって、なにを?」
「晴美さんのお母さんのことですぅ」
「お母さんのこと? それって、なに?」
 私は気持ちを抑えるので精一杯だった。お母さんがいなくなってからその手がかりを聞いたことは、一度もない。
 それを、リアがなにか知ってるという。
「ミヤさん。リン様ではないですかぁ?」
「リン様? そういえば、私に魔法をかける時にミヤ、その人に声をかけてたわね」
「…………」
 ミヤは私からもリアからも視線をそらす。
「リア。そのリン様って、誰なの?」
「えっとぉ、リン様はぁ、旧家である天宮(あまみや)家の現当主でぇ──」
「天宮家? 今、天宮家って言った?」
「は、はいぃ」
「どうしたの、晴美ちゃん?」
「いえ、私のお母さんの旧姓なんですけど、『天宮』なんです」
「ウソ。それってどういうこと?」
 それは、私の方が訊きたい。なんでお母さんと同じ名前なの?
「ミヤ。あなた、知ってるんでしょ?」
「それは……」
「知ってるなら教えてよ。それともなに? 教えられない理由でもあるって言うの?」
 抑えていた気持ちがあふれてくる。
 だけど、ミヤはそんな私の気持ちを知ってか知らずか、なにも言わない。
「ねえ、ミヤっ!」
「……申し訳ありません。わたくしにはお教えできません」
 詰め寄る私にも、ただただ首を振るだけ。
「なんでよっ! どうしてよっ! 教えてくれたっていいでしょっ!」
「晴美さん……」
 リアが、悲しそうな顔で私を見ている。
「晴美ちゃん……」
 江名さんもだ。
 わかってる。ミヤに詰め寄ったってダメなことくらいわかってる。
 でも、今まで何年お母さんのことを待ち続けたか。どれだけお母さんのことで泣いたか。
 それを考えると、どうしても止められなかった。
「ミヤっ!」
 
『やめなさい、晴美』
 
 その時、リビングに声が響いた。
「リン様!?」
 真っ先に反応したのは、ミヤだった。
 同時に、リビングが光に包まれた。
 まぶしさで目がくらんだけど、かろうじてなにが起きているのかはわかった。
 足から現れる人影。
 黒のマントを羽織り、黒のワンピースを着て、黒の三角帽子をかぶった──
 
「お母さん……」
 
 お母さんだった。
「リン様……よろしいのですか?」
「ええ、こうなってはしょうがないわ」
 見間違えるはずがない。
 私の記憶にあるお母さん──あの魔法をかけられた時に見たお母さん──とほとんど変わっていないのだから。
「お母さん、だよね?」
 震える声でそう言った。
 お母さんは私を真っ直ぐ見つめ、頷いた。
「ええ、お母さんよ、晴美」
「お母さんっ!」
 いてもたってもいられなかった。
 胸が詰まって、なにも言えなかった。ただひたすらにお母さんに、お母さんの胸に抱かれたかった。
「お母さんお母さんお母さんお母さんっ!」
 柔らかな胸の中で私は泣いた。
 声の限りに、泣いた。
 
 私が落ち着いたところで、お母さんはすべてを話してくれた。
「もうわかってるとは思うけど、私は魔法使いなの。リアと同じ頃にお父さん──周平(しゅうへい)さんの元へ研修にやってきて。ふたりでがんばって研修を終えて、私は一人前の魔法使いになれた。でも、その頃には私も周平さんもお互いのことを好きになっていて。一度は家に戻った私だったけど、周平さんのことが忘れられなくて。それで家を飛び出したの」
 お母さんの隣で、お父さんが照れている。
 お父さんもお母さんに直接会うのは久しぶりらしい。
「それからしばらくの間はとても幸せだったわ。周平さんと結婚して、晴美を授かって。でも、家の方で問題が起きてしまったの。そのため私はどうしても家に戻らなくてはならなくなって。ごめんなさい、晴美」
 そう言ってお母さんは頭を下げた。
「一番母親がいなければならない時期にいなくなってしまって、本当につらい想いをさせてしまったわ。謝って済むことではないけど、ごめんなさい」
「私、怒ってないよ、お母さん。そりゃ、お母さんがいなくて淋しかったし、いろいろ言われたこともあったけど、私にはお父さんがいてくれたから。だから、怒ってないよ」
「晴美……」
 そう、私は怒ってなどいない。それに、許せないわけでもない。
 もちろん、すべてを認められるわけではない。でも、認めたい。
 だって、お母さんは今、私の前にいるんだから。
「ねえ、お母さん。あの絵本は、お母さんとお父さんのことを描いたものだよね?」
「ええ、そうよ。少し脚色してあるけど、おおよそはあの通り。でも晴美。あなたにあの話を最後までしたことあったかしら?」
「ない、と思うけど。でも、結末は知ってるの」
 誰がなんのためにあれを私に見せたのかはわからない。だけど、あれはお母さんとの再会を予言したものだったんだと、今なら思える。
 それに、あの話は本当はハッピーエンドだった。お父さんとお母さんはあのあと、ちゃんと結ばれたんだから。
 だったら、私とリアの話もハッピーエンドになるはずだ。ううん、なる。
 きっと、そこまで予言している。
「お母さんは、旧家の人なんだよね?」
「ええ」
「だったら、リアの研修を認めさせることだってできるよね?」
「それはできないわ。いくら旧家と言っても、規則を曲げることはできないの」
「そんな……」
 お母さんならできると思ったのに。
 これじゃあリアが可哀想だ。私のためにあれだけがんばってくれたのに。その見返りが研修の失敗だなんて。
 ひどい、ひどすぎる。
「天井リア」
「はいぃ」
 と、お母さんがリアに向き直った。リアも真っ直ぐお母さんを見る。
「ここに研修の課題終了を認める。そして、正魔法使いとして認める」
『えっ……?』
 私とリアの声が重なった。
「ど、どうして終了なの? だってリアは──」
「晴美。あなたの願いは?」
「お母さんを探して──あっ!」
 そっか、そういうことか。
 そうだ、私はリアにお母さん探しをお願いしたんだ。それでお母さんは今、私の前にいる。
 つまり、お母さん探しは成功したってことだ。だからリアの研修は──
「わかった?」
 お母さんは、にっこり笑った。
「リアっ!」
「晴美さぁんっ!」
 そして私たちは、抱き合い、喜びを分かち合った。
 
 ありがとう、リア。
 おめでとう、リア。
 
 
 
最終章
 
 わかってみればなんのことはなかった。世の中なんてそんなものかもしれないけど。
 お母さんが魔法使いだったことは驚きだった。でも、よくよく考えてみればお母さんの瞳も紫だったし、私の瞳も黒と紫の中間くらいの色だ。それが魔法使いとしての証拠だった。魔法使いは例外なく、紫の瞳になるんだって。
 お父さんが私にお母さんのことを話さなかったのは、やっぱりお母さんが魔法使いだったから。普通では信じられないことだし、子供の私がそれを真に受けてほかの子にいじめられるのを避けたかったらしい。
 そのお母さんがリアを私の元へ送り込んだ張本人ということだった。なぜそうしたのかは結局教えてくれなかったけど、今では感謝してる。だって、私はかけがえのない友人を手に入れたのだから。
 それと、ミヤは最初からすべて知っていた。お母さんの写真を見た時に見せた躊躇いは、その証拠だった。ミヤもまだまだだね。
 全部わかったら、なおさらお母さんのことを認めてしまった。お母さんは何度も謝ってくれたけど、今の私には謝罪の言葉は必要ない。今必要なのは、ひだまりのような暖かさだけ。お母さんが、側にいてくれることだけだから。
 
 十二月三十一日も残り三十分を切っていた。
 今日は午前中からリアの誕生パーティーをやっていた。
 大張り切りの江名さんを筆頭に、私もミヤもお母さんもお父さんも心からリアを祝った。
 さらに言えば、そのパーティーはリアの研修修了のお祝いパーティーでもあった。
 一人前の魔法使い──正確には『正魔法使い』と言うらしいけど──の証として、リアは三角帽子からポンポンを取った。それが一人前かそうでないかの違いだったらしい。確かにお母さんのにもミヤのにも、ポンポンはついていない。
 ポンポンの取れた帽子をかぶったリアは、ちょっとだけすごい魔法使いに見えた。
 って、こんなこと言ったら、怒るかな。
 形式的なことを全部終えると、あとは飲んで食べて歌って騒いで。
 どこで調達してきたのは、デコレーションケーキには『はっぴぃばぁすでい・りあちゃん』とチョコで書かれていた。
 私としては、十数年ぶりにお母さんの手料理を食べられたのが嬉しかったけど。
 リアのお祝いもできたし、お母さんともたくさん話せたし。大満足。
 だけど、そういう楽しい時間はいつまでも続かない。
 リアが、帰ってしまうのだ。
「寒いわね」
「そうですねぇ」
 私たちは寒空の下、屋上にいた。まわりには誰もいない。ふたりだけだ。
 ふたりでひとつの毛布にくるまり、寒さに耐えている。
「帰るんだね」
「それがぁ、決まりですからぁ」
 リアの口調はいつもと変わらない。それが余計に……淋しかった。
「そういえば、リアの目標としてる魔法使いって、ひょっとしてお母さんのこと?」
「そうですぅ。リン様はぁ、たくさんの魔法使いの目標なんですぅ。リン様が晴美さんのお母さんだったのはぁ、びっくりでしたけどぉ」
 それは私もびっくりしてる。なんたって、ただ魔法使いだっていうだけじゃなく、現在確認されている魔法使いの中でも非常に優秀な魔法使いだって言うんだから。しかも、実力だけじゃなく、人柄も優れていて、人望も厚く、カリスマ魔法使いだと言うんだから。
 私だけのお母さんじゃないのは残念だけど、それはそれで誇らしい。
「向こうに帰っちゃうと、やっぱりなかなかこっちには来れないの?」
「それはぁ、わからないですぅ。リアがこれからどんな魔法使いになるかでぇ、それは決まりますからぁ。リン様のような立場になればぁ、たぶん無理ですぅ。ミヤさんみたいに監視人になれればぁ、可能性はあると思いますけどぉ」
 やっぱり、そこまで甘くはないか。そうだよね。魔法使いと普通の人間の関係は未だに微妙だし。
「晴美さんの元で研修ができてぇ、リアは幸せでしたぁ」
「リア……」
 リアは、毛布を外し、立ち上がった。
 寒風にマントが揺れる。
「晴美さん。本当にありがとうございましたぁ」
「別に、私はなにもしてないわ。がんばったのはリア。がんばったからこそ、一人前の魔法使いになれたのよ」
 私も立ち上がる。
「違いますぅ。リアががんばれたのはぁ、晴美さんのおかげなんですぅ。だからぁ、ありがとうございましたぁ、なんですぅ」
 そう言ってリアは笑った。
 もっと、もっともっと、その笑顔を見ていたい。なのに、私の目は涙でかすんでいる。
「泣かないでくださいぃ。晴美さんに泣かれるとぉ、リアまで泣きたくなっちゃいますからぁ」
「ご、ごめん……」
 慌てて涙をぬぐう。
 そうだ。泣いてもしょうがない。
 今生の別れってわけでもないし。
「よしっ、リア。約束しよう」
「約束ですかぁ?」
「そうよ。また会うための、約束」
 私は右手の小指を出した。
「わかりましたぁ」
 リアも右手の小指を出した。
 それを絡め、約束する。
「また、会いましょう」
「はいぃ」
 その指を放すと、リアは──
「光よ」
 月夜に光の魔法を使った。それは、あの絵本の最後のようで、とても幻想的な光景となった。
「リアっ」
 私の声に、リアは一度だけ笑顔で振り返った。
 そして、箒にまたがり、除夜の鐘響く夜の闇へと消えていった。
 
                                     完
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