月と魔法使い
 
序章
 
 昔、お母さんが私に読んでくれた絵本があった。細かな内容までは覚えていないけど、それは魔法使いの女の子と人間の男の子の話だった。
 女の子は、一人前の魔法使いになるためにごく普通の人たちの元へやってきた。そこで出逢ったのがその男の子。
 ふたりは魔法使いと普通の人間であるということとは関係なしに仲良くなった。男の子は女の子の修行の手伝いをし、女の子は男の子のために一日でも早く一人前になろうとがんばった。
 その間にも大変なことはあった。
 だけど、私が覚えているのはそこまで。女の子が一人前の魔法使いになれたかどうかはわからないし、男の子との関係がどうなったのかもわからない。
 どうしてそれを覚えていないかをよく考えてみたら、ひとつだけ思い当たることがあった。
 
「お母さんは、遠いところに行ったんだよ」
 
 そう。私はお母さんからその続きを聞いていなかったのだ。お母さんが、いなくなってしまったから。
 あのあと絵本を探したこともあったけど、家のどこにもなかった。
 だからすっかり忘れていたんだけど、どうして今頃思い出したんだろう。
 考えても無駄かもしれないけど、考えてしまう。
 私は、お母さんが大好きだったから。
 
 
 
第一章
 
「晴美(はるみ)ちゃん。そろそろ上がろう」
「あっ、は〜い」
 私はフィルムを片づけ、大きく伸びをした。
 栗村(くりむら)フォトスタジオ。そこが私──長坂(ながさか)晴美の仕事場だ。
 このスタジオの代表は、新進気鋭の女性写真家、栗村江名(えな)さん。若干二十三歳にして業界で一目置かれている存在だ。
「はい、晴美ちゃん」
「あっ、ありがとうございます」
 その江名さんが、私にコーヒーを持ってきてくれた。インスタントだけど、この香りだけは好き。気持ちがスーッと落ち着く。
「どう、整理できた?」
「だいたいは。あとは、江名さんチェックだけです」
「そ、ありがと」
 江名さんは自分のコーヒーを飲み干し微笑んだ。
「ね、晴美ちゃん。最近面白いことない? なんでもいいんだけどさ」
「面白いことですか? そうですねぇ……」
 江名さんはとにかく面白いことが好きだ。活動源のひとつに『面白いこと』というものがあるのではないかと思うほど。
 だからたまにこんな風に聞いてくる。
「江名さんはないんですか?」
「ない。だから聞いてるの。あ〜、なんかないかな〜」
 椅子に座り、くるくると回る。
「そういや、あの話はどうなったの? ほら、前に話してた絵本の話」
「ああ、あれですか。特にどうもなってませんよ」
「そうなの? つまんな〜い」
 そう言ってさっきよりも速くくるくる回る。目、回らないのかな?
 で、絵本の話というのは、昔私がお母さんに読んでもらっていた絵本のこと。最近その絵本のことを思い出して江名さんに話した。私としては江名さんの触手が動くような面白いものだとは思っていない。いわゆる思い出話なのだから。
「でも、そのなんだっけ、魔法使いだっけ」
「はい。魔法使いの女の子と普通の人間の男の子です」
「なんかさ〜、その話、絵本用の創作話って感じじゃないのよね」
「えっ、どこがですか?」
 結構真面目に言う江名さんに、私は思わず聞き返した。だって、魔法使いなんてそういう絵本や小説、マンガやアニメ、映画の中だけの話だし。おかしなところなんてあるのかな?
「ほら、もし純粋な創作ならわざわざ『普通の人間』なんて表現しないでしょ? 魔法使いの女の子が男の子のところへやってきた、とでも書けばいいのよ。なのにわざわざそうしてるから、ちょっと変な気がしてね」
 そう言われると、なんとなくそういう気もしてくる。だいいち、絵本の対象である子供に『普通』とか『特別』とか、そういうことの差がわかるとは思えない。
 幼稚園児や小学一、二年生くらいなら、魔法を使えるって信じてる子もいるだろうし。
「ま、いいや。その絵本が見つかればもっとよく検証できるだろうし。まだ探してるんでしょ?」
「……一応は」
 それはウソ。あれから一度も探してない。以前探した時にどこにもなかったから、最初からあきらめてるだけ。
 それならどうしてそこまで絵本にこだわるんだ、って話にもなるけど、探すことと気にかけることは決して同じじゃない。
 私にとって一番大事なのは、絵本が見つかることじゃなくて、話の結末を知ることだから。
「よっしゃ、帰ろ帰ろ」
 江名さんは立ち上がり、大きく伸びをした。
 ふたりでスタジオ内の戸締まりを確認。五分とかからず全部終了した。
 カードキーでドアをロックする。
「そういや、晴美ちゃんは明日休みだったっけ?」
「はい。ローテの関係で明日です」
 エレベーターを待つ間、江名さんがそんなことを言ってきた。
 スタジオにはそんなにスタッフがいないから、休みもローテーションで取る。一応『定休日』というのはあるけど、江名さん自身が忙しい人だから最近はずっと不定休になっている。
「じゃ、明日は家でゆっくりするんだ。いいな〜、あたしも休みほしいな〜」
「江名さんの場合は、働き過ぎなんですよ。もう少し依頼を減らせば休めると思いますけど」
「とは言ってもね、こういう仕事はある時にちゃんとやっとかないと、いざって時に困るから。わかっちゃいるけどやめられない、ってね」
 ちょうどエレベーターが来た。それに乗り込み一階へ下りる。
「それに晴美ちゃんがいないとさ〜、こうなんていうのかな? いじりがいがないっていうか、からかいがいがないっていうか、フラストレーションが溜まっちゃうのよね」
「……私はいったいなんなんですか?」
「あはは、ごめんごめん。でもさ、アシも晴美ちゃんとほかの連中だと勝手が違うから、多少やりにくいのは確かよ」
 そう言われると、なにも言えない。
 私はあくまでも江名さんのアシスタントだから。江名さんが最高の写真を撮るために最善を尽くす。私がその一端を担えているは嬉しいことだけど、少し重い気もする。分不相応って感じかもしれない。
 だけど、これも自ら選んだことだし、江名さんもそんな私のことを信用してくれてるわけだから。
「とにかく明日はゆっくり休んでまたあさって、元気に出てきてよ」
「はい」
 そんな江名さんの期待に、私は改めて応えようと決意した。
 
 スタジオから家までは電車で三十分の距離だ。遠いとは思わないけど、仕事で疲れていたりするとよく乗り越してしまう。これがもう少し短い時間なら大丈夫なんだろうけど。
 地元の駅から家までは歩いて十分ほど。このあたりは治安もいいから、女性のひとり歩きでも多少は安心できる。
 そろそろ秋本番という頃だ。夜風もだいぶ冷たくなった。
 空気が冷たくなってくると、夜空が綺麗になる。私はそんな夜空を見上げるのが大好きだった。
 歩いている時も、家にいる時も、よく見上げている。
 その日も夜空が綺麗だった。ゆっくり空を見上げながら家を目指した。
 家があるマンションまであと少しというところで、私は思わず足を止めた。
「なに、あれ……?」
 大きな月をバックに、人が飛んでいた。
 大きな三角帽子にマント。またがっているのは箒だろうか。
 これじゃあまるで──
「魔法使いじゃない」
 同時に私は駆け出していた。
 どうして駆け出したのかはわからない。なにか得体の知れないものに突き動かされた。そうとしか言えない。
 マンションに駆け込むとエレベーターに乗り込み最上階を目指す。
 ゆっくりと上がるエレベーターがもどかしかった。軽い音とともにドアが開き、私は屋上を目指した。
 このマンションに住んでいれば屋上の使用は基本的に自由だ。
 ドアを開けるとそこには──彼女がいた。
 
 てっぺんにポンポンのついた三角帽子。裏地が赤の黒マント。前をボタンで留めるタイプの黒のワンピース。黒のオーバーニーソックス。
 その格好を見て、私はどんな反応すればよかったのか。
「魔法、使い……?」
 私が漏らしたその言葉に、彼女はピクンと反応した。
「魔法使いを知ってるんですかぁ?」
 なんとも舌っ足らずな声だった。見た目通りと言えないこともないけど。
「えっとぉ、魔法使いの天井(あまい)リアと申しますぅ」
 そう言って彼女──天井リアはお辞儀した。
 しかし、魔法使い? 本当に?
 でも、さっき空を飛んでいたのは彼女だろうし。手には証拠の箒を持っている。
「あのぉ……」
「うわっ! な、なに?」
「長坂晴美さん、ですよねぇ?」
「えっ、どうして私の名前を知ってるの?」
 なにも言ってないのに、私の名前を知ってた。どうして?
「その、えと、魔法使い、だからなの?」
「いいえぇ、違いますぅ」
 そう言ってリアはポシェットの中からなにやら取り出した。
「これですぅ」
「これは、写真」
 確かに写真だった。しかも、私が写っている。いつ撮られたのかはわからないけど、格好から推察するに最近であることは間違いない。
 まあ、顔を知っていれば名前を知っていてもおかしいことはない。調べる方法なんていくらでもあるんだから。
「それで、魔法使いのあなたが私にどういう用なの?」
「はいぃ、それはですねぇ、晴美さんの元で研修するんですぅ」
「研修? なんの?」
「もちろん魔法ですぅ」
 リアは、胸を張り説明した。
 というか、それ本気なの?
「質問がふたつほどあるわ」
「なんですかぁ?」
「まず、なんで私のところで研修するの? それと、なんで私なの?」
「それはですねぇ、リアにもわからないんですぅ」
「わからない? なんで?」
「そういう指示を与えられてぇ、リアはそれに従うだけですからぁ」
 ニコニコと屈託のない笑みを向けてくるリア。たぶん、その言葉にウソはない。
 実際、普通の仕事でもそういうことはある。だけど、今回はそういうのとは訳が違う。
「あのぉ、晴美さん。リアを置いてもらえませんかぁ?」
 大きな紫色の瞳で見つめられると、イヤとは言えなくなる。だって、これでもかってくらい期待に満ちあふれた瞳だから。
 でも、そんなに簡単にこの『非現実』を受け入れていいのだろうか。
「ご迷惑はおかけしませんからぁ。お願いしますぅ」
 ううぅ、うるうるな瞳で見つめないでぇ。
「ああん、もう、しょうがない。置いてあげるわ」
「ホントですかぁ?」
 パーッとリアの顔が輝いた。
「ただし、正式に置くかどうか決めるための、いわば暫定措置としてだからね」
「はいぃ、それでも構いませんですぅ」
 そしてリアは、改めてお辞儀した。
「天井リア。これからしばらくの間ですがぁ、よろしくお願いしますぅ」
 
 それが、私とリアの出逢いだった。
 
 
 
第二章
 
「ここが、私の家よ」
「ここですかぁ」
 リアを連れて家に戻ってきた。途中、ほかの住人に会うんじゃないかって冷や冷やしたけど、とりあえずは大丈夫だった。
「誰もいないんですかぁ?」
 私が鍵を開けているのを見て、そんなことを訊いてきた。
「そうよ。私、お父さんとふたり暮らしだから。で、お父さんは今日、出張なの」
「そうなんですかぁ」
「それより、入って」
「はいぃ、おじゃましますぅ」
 リアを先に入れ、私もあとに続く。
 いつも家の中には誰もいない。土、日だとお父さんがいることもあるけど。
 リビングの電気を点けると、テーブルの上に書き置きがあった。
「戸締まりには気をつけるように、か」
 お父さんらしい。だけど、二十歳になるっていう娘にこういうのはちょっと過保護かもと思う。
「あのぉ、晴美さん」
「ん、どうしたの?」
「こちらはどなたですかぁ?」
 リアが不思議そうに首を傾げていたのは、ダイニングに置いてあるフォトスタンドを見ていたからだった。その中には、一枚の写真が入っている。数少ない、家族の写真が。
「それは、私とお父さん、お母さんの写真。もうずっと昔のだけどね」
「……ん〜」
 説明したにも関わらず、リアは思案顔で唸っている。いったいなにが引っかかるのか。
「……どこかで見たような気が……」
「えっ、誰を?」
「はいぃ、晴美さんのお母さんですぅ」
「ほ、ホントっ!」
「わわぁっ!」
 私は、リアの肩をつかんだ。
「ど、どこで見たの? ねえ、それっていつのこと? お母さん、どんな様子だった?」
「は、晴美さぁん、い、痛いですぅ」
「えっ、あ、ごめん」
 ぐるぐると目を回しているリア。しまった。お母さんのことが出てきたから。
「と、とりあえず、落ち着いて話した方がいいみたいね」
 そう自分に言い聞かせる。ダメダメ、こんなことじゃ。
 
 リビングに紅茶のいい香りが漂っている。
 あれから私は気を静めるために紅茶を淹れた。あれくらいで取り乱してるようじゃ、私もまだまだだ。だからお父さんに書き置きも残されちゃうんだ。
「はあ……」
 思わずため息が漏れてしまった。
 と、リアと視線が合った。リアは不思議そうな、だけどなにを訊いていいかわからない、そんな顔でこっちを見ている。
「それで、リア。お母さんに会ったことがあるの?」
 私は努めて冷静にそう切り出した。
「それがぁ、その人が本当に晴美さんのお母さんかどうかはぁ、わかりません〜。ただどこかで見たような気がするだけなんですぅ」
「そっか。まあ、世の中には自分と似たような人が三人はいるって言うし、お母さんと似たような人を見ただけだろうけどね」
 自分で言っていて虚しくなった。気にしてないって言おうとしてるのに、これじゃあ余計、私は落ち込んでますって言ってるようなものだ。
 そんな私の胸の内を察してか、リアは笑顔で言った。
「晴美さんはぁ、お母さんを探しているんですかぁ?」
 ドンピシャな質問に、私は言葉に詰まった。
 私がお母さんを探していることは、江名さん以外は誰も知らない。お父さんは気づいてると思うけど。
 それなのに、ついさっき会ったばかりのリアにそれを言い当てられてしまった。
「……まあ、探してると言えばそうなるけど」
 
 お母さんがいなくなっても、私にはその実感がなかった。確かにお母さんがいなくて淋しかったけど、それ以上にお父さんが私に優しくしてくれたから。
 だから私もお父さんに心配をかけないように、できるだけのことはしてきた。
 それでも、ふと思い出すことがある。ひだまりのような暖かさを持ったお母さんの優しさを。
 何度も思い出しているうちに、次第にお母さんを探そうと思うようになった。
 お父さんもお母さんが死んでいるとは言わなかった。だから、どこかで生きているというのはわかった。
 探すことを決意し、探すための手段として選んだのが写真家だった。世界中を飛び回る写真家なら、生計を立てながらでも探すことができると思ったから。もちろん、写真自体も好きだったっていうのもある。
 とはいえ、すぐに世界中を飛び回ることなんてできない。それでもいつかお母さんを探して、会いたい。それが私の原動力となっていた。
 
「一人前の魔法使いになるための研修はですねぇ、与えられた課題を十五歳の誕生日までにクリアできれば修了なんですぅ」
 リアの言葉で私は現実に引き戻された。
「それでぇ、リアの研修課題はぁ──」
 ポシェットを探り、一枚の紙を取り出した。
「研修身請け人長坂晴美の願いをかなえること?」
「そういうことなんですぅ」
 リアは、ニコニコと屈託のない笑顔を見せた。
 だけど、私の願い? それってまさか──
「じゃ、じゃあ、リアが私のお母さんを探してくれるの?」
「正確にはぁ、そのお手伝いをしますぅ」
「手伝い?」
 その言葉に、私は首を傾げた。
「どうして手伝いだけなの? リアが全部やった方が効率だってよくない?」
「それはですねぇ──」
『それにつきましては、わたくしの方からご説明しましょう』
「な、なに……?」
 突然、リビングに声が響いた。少しハスキーな声で、私のでもリアのでもない。
 一瞬、リビング内の音が消えた。同時に音もなく人が現れた。
「だ、誰?」
 私は、あっけにとられながらもなんとかそれだけ言えた。
 その人は、リアと同じように三角帽子をかぶり、黒いマントを羽織っている。もっとも、着ているのはワンピースではなく黒のパンツスーツだったけど。
「はじめまして。わたくし、魔法監視人をしております、天野(あまの)ミヤと申します」
「まほう、かんしにん……?」
「はい。わたくしは、そこにいる天井リアの監視人をしています」
 一瞬、鼻眼鏡の向こうの目が鋭くなった。
 見ると、リアの表情が強ばっている。どうやらあまり会いたくない人のようだ。
「監視人の役目はいくつかあるのですが、その中のひとつにリアのような研修生を監視するというのがあります」
 なるほど。確かにきっちりとした研修を行うならそういう人も必要だろう。魔法のことはまだわからないけど、きっといろんなことができるはずだし、当然不正を働こうとする者もいるはず。
「魔法は、基本的にはなんでもできます。ですから、その使用については厳しい決まりがあります。それを遵守させるのが監視人でもあります。その中で、研修時が一番厳しく取り締まられる期間なのです」
「じゃあ、私のことをすべてやってしまうっていうのは、その決まりに反するってことなの?」
「平たく言えばそういうことになります。ですから、リアが行ってもいいのはあくまでも手伝い程度のことなのです。もっとも、高度な魔法はいっさい使用が禁じられていますから、手伝い以上のことはやりたくてもやれないというのが本当のところです」
 ミヤは、私にもわかるように説明してくれた。確かにある程度制限がなければ、研修も意味がないのかもしれない。
 だけど、そうするとお母さん探しもかなり大変になるということだ。
「ご不満な点もあるとは思います。至らない部分につきましては、監視人であるわたくしも微力ながらお手伝いします。今は、そのあたりでご理解ください」
「もともとひとりで地道にやってたことだから、私に不満なんてないけど」
「そうですか。わかりました。リア」
「は、はいぃっ!」
「わたくしも常に監視していますが、くれぐれも問題を起こさないように。当然、わかっているとは思いますけど」
「お、お任せくださいですぅっ!」
 ミヤに射すくめられ、リアは直立不動で頭を下げた。
 やっぱり、苦手なんだ。
「それではわたくしは失礼します」
「あっ、ひとつだけいい?」
「はい、なんでしょうか?」
「あなたは私のお母さん、見たことある?」
 私は一縷の望みを持ってそう訊ねた。監視人なんてものをやってるんだから、きっとあちこちに行ってるはずだし。
「……いえ、申し訳ありませんが」
 ミヤはわずかな躊躇いを見せ、頭を振った。
「それではこれで」
 私が問いただす前に、ミヤは消えてしまった。
「はうぅ〜……」
 と、後ろでリアがへなへなと力なくへたれこんだ。
「き、緊張しましたぁ……」
「そんなに苦手なの?」
「に、苦手なんてものじゃありませんよぉ。ミヤさんは監視人の中で最年少なんですけどぉ、その実力と厳しさは一番だと噂されているくらいですからぁ」
「なるほど」
 確かにそんな雰囲気の持ち主だった。私もああいうタイプは基本的には苦手だけど。
「そ、それはそうとぉ、晴美さん」
「うん、なに?」
「リア、一生懸命晴美さんのお手伝いをしますからぁ」
 真っ直ぐな瞳でリアは言ってくれた。
 いろいろ思うところはあるけど、なんとかなるかな。
「こちらこそよろしくね、リア」
「はいぃ」
 
 リアの笑顔を見ていると、本当に上手く行くかもしれないって思えた。
 
 
 
第三章
 
 よくよく考えてみると、私ってものすごく順応性が高いのかもしれない。
 普通、魔法だなんて非科学的なものを突きつけられて信じる方が珍しい。魔法なんてあくまでも創作上の力だ。そんなものあるわけない。
 だけど、私はそれをあまり深く考えることなく受け入れている。もちろん、目の前でそれ自体を見せつけられればイヤでも受け入れてしまうのだろうけど。
「晴美さん、おはようございますぅ」
 ベッドでまどろんでいると、リアの舌っ足らずな声が聞こえてきた。
「晴美さん?」
「……ん〜、おはよ〜、リア」
「おはようございますぅ。朝食の準備もできてますよぉ」
「了解〜」
 リアが私のところへ来て、すでに三日が過ぎていた。魔法使いとの生活なんてしたことないから、なにをどうすればいいかなんてわからなかった。だけど、リアに言わせると生活自体は私たちのとなんら変わらないらしい。基本的には科学中心の生活で、魔法はほとんど使わないということだ。
 だから、私も新しいことはほとんど教えなくて済んだ。電化製品だってちゃんと扱えるようだし。
 リアはなにをやるにしても、すごく真面目に取り組む。真面目すぎるんじゃないかってくらいなんだけど、それを帳消しにしてしまうくらい──
「はうあう〜」
 ……ドジだった。
 着替えて台所に顔を出すと、見事に皿が割れていた。こんなに綺麗にまっぷたつに割れる方が珍しいってくらいに。
「大丈夫? ケガしてない?」
「は、はいぃ、大丈夫ですぅ。すぐに片づけますぅ」
 そう言ってリアは、割れた皿に手をかざした。いつもほわほわしてるリアの表情が、キリッと引き締まる。
「戻れ」
 一言発すると、割れた皿があっという間に元に戻っていく。
「ふうぅ、なんとか片づけましたぁ」
 正確には片づけたとは言わないと思うけど、とりあえず言わないでおく。
 それがリアの魔法だ。本来、そういう使い方をするかどうかはわからないけど。
 それからすぐに朝食をとる。この朝食もリアが作ったものだ。
 料理の腕前はそこそこで、任せておけるほどではあった。食べていたものも変わらないらしく、テーブルの上にはご飯とおみそ汁、玉子焼きにサラダという料理が並んでいた。
「ああ、そうそう。すっかり忘れてたけど、今日、お父さん帰ってくるのよね」
「そうなんですかぁ?」
「出張明けだから少し早めに帰ってくるはずだけど」
 お父さんは銀行員だ。店舗マネージャーをやっていて、たまに本店とかに呼び出される。
「で、リアのことなんだけど、どうするのがいいと思う? 江名さんの時と同じ理由は通用しないし」
「そうですねぇ……」
 リアが来た次の日は休みだったからよかったけど、その次の日には仕事があった。だけど、右も左もわからない場所にリアひとり置いていくのは忍びなくて、結局スタジオに連れて行った。その時、江名さんに説明した理由が『親戚の子』というものだった。なかなか苦しい理由だったけど、江名さんは特に聞きもせず快く受け入れてくれた。
 もっとも、リアの見た目にノックアウトだったという話もあるけど。
 だけど、お父さんにはその理由は通用しない。親戚のことは私よりもお父さんの方がよく知ってるわけだし。
「今度は逆にぃ、江名さんの知り合いを預かった、というのではどうですかぁ?」
「なるほど。確かにそれはいい案かも。よし、それで行こう。リアは江名さんの親戚の子で、江名さんが仕事で忙しすぎることから私が少しの間預かることになった。それでいい?」
「はいぃ、問題ないですぅ」
 リアは大きく頷いた。
「よし、問題も解決したし、さっさと食べて仕事に行くわよ」
「了解ですぅ」
 
 リアと一緒に出るようになって二日目だけど、なぜか違和感がない。本当にその理由はわからないけど、とにかくその状況をすんなりと受け入れている。
 リアの格好は、さすがにあの魔法使い然とした格好は目立ちすぎるから、私のお古を着せている。今日はセーラータイプのシャツにチェックのミニスカートという出で立ちだ。
 狙ってるわけじゃないけど、リアはとにかく可愛かった。だからこそ江名さんをノックアウトしたのだろうけど。
「どうかしましたかぁ?」
「ううん、なんでもないわよ。それより、今日も仕事に関しては私が頼んだこと以外はしなくていいからね」
「わかってますよぉ」
 ドジっ娘だという自覚があるのかないのかわからないけど、さすがに仕事でドジっぷりを発揮させるわけにはいかない。どんな迷惑がかかるかもわからないし。
 だから手伝いは私のだけに限定している。もっとも、江名さんがしょっちゅうちょっかい出してたけど。
「あのぉ、晴美さん」
「なに?」
「晴美さんのお母さんの手がかりはぁ、あの写真しかないんですかぁ?」
「手がかりになりそうなものはね。あとは、ペンダントがあるくらいかな」
 そう言って私は、かけていたペンダントを見せた。
 それは、お母さんが私にくれたペンダント。ロケットになっていて写真も入れられる。今はなにも入ってないけど。
「……これは……」
 すると、リアの表情が変わった。どこかおかしなところでもあったのかな?
「どうかした? なにかあった?」
「本当に微妙になんですけどぉ、魔力を感じるんですぅ」
「魔力? それって、確か魔法を使う時に必要な力だっけ?」
「はいぃ。でもぉ、どうしてこのペンダントに魔力があるんでしょうかぁ……」
 それを私に訊かれても困る。私は魔法使いじゃないんだから。
「確かに魔力を持っている普通の人もいるにはいるんですぅ。だからそれがペンダントに移ってしまうこともぉ、考えられなくはないんですけどぉ……」
 どうも歯切れが悪い。なにか思うところがあるようだ。
「なにか問題でもあるの? あるならはっきり言ってほしいんだけど」
「つまりぃ、晴美さん、もしくは晴美さんのお母さんはぁ、魔力を持ってるかもしれないということですぅ。そうじゃなければぁ、ペンダントに魔力が移るなんてことはほとんどありませんからぁ」
 リアは言葉を選びつつ説明してくれた。
 だけど、それはどういうこと? 私かお母さんのどちらかが魔力を持ってるって?
 にわかには信じられないけど、魔法使いのリアが言うんだからそうなのかもしれない。
「だけどぉ、魔力を持っているなら探すのも比較的楽になるんですよぉ」
「えっ、それってどういう意味?」
「魔法使いはぁ、魔力を持っている人を感知できるんですぅ。もちろん、魔法を使ってすることなんですけどぉ」
 なるほど。それなら見つけられるかもしれない。
「でも、ちょっと待って。それだと魔力を持ってる人、全員を感知するんじゃないの? どうやってその中からお母さんを特定するわけ?」
「……えっとぉ……」
「……考えてないんだ」
「はうぅ、すみません〜……」
 ま、そんなところだとは思ったけど。
「いいわよ。そんなに簡単に見つかるなんて思ってないし。それに、リアの誕生日まではまだ日もあるし、大丈夫でしょ?」
「が、がんばりますぅ!」
 瞳をうるうるさせて気合いを入れるリアは、やっぱり可愛かった。
 
 スタジオのドアを開ける前に、リアを私の後ろに移動させる。
「おはようございます」
「おはようございますぅ」
 と、向こうからすごい勢いで走ってくる人影。
「おっはよ〜、リアちゃん♪」
 ハートマークまで浮かべてそうな感じで、江名さんが駆けてきた。
「おはようございます、江名さん」
「あら、晴美ちゃんも一緒なんだ」
 うあ、いきなりそう来ますか?
「おはようございますぅ、江名さん」
「ああんもう、今日もめっちゃぷりてぃね、リアちゃん」
 リアに抱きつこうとする江名さん。だけど、私がその間に割って入る。
「……晴美ちゃん。なにしてるの?」
「いえ、なにもしてませんけど。なにかあったんですか?」
 しれっとそう言うと、さすがの江名さんもこめかみのあたりがぴくぴくと動いた。
「……えいっ」
「ほっ」
「……やあっ」
「はっ」
 バチバチと火花が飛び散る。
「晴美ちゃん。どうして邪魔するの?」
「江名さん、昨日の壊れっぷり、忘れたんですか? あれのせいで仕事もほとんど進まず、亮輔(りょうすけ)さんなんか泣いてましたよ」
「うぐっ……それは、まあ……」
 とりあえず事実を突きつけ、先制攻撃。だけど、これくらいであの江名さんが引き下がるなんてあり得ない。
 ちなみに亮輔さんとは、スタジオの広報をやっている瀬能(せのう)亮輔さんのこと。
「だ、だけど、リアちゃんがいないと、それはそれで仕事にならないのよ」
「……それって、どういう理屈ですか?」
「……そ、そう、実はね、今度の被写体にリアちゃんを選ぼうと思って。だから、リアちゃんがいないとはじまらないの。アンダスタン?」
 上手く逃げてきた。そう言われると今度はなにも言えなくなってしまう。事実、江名さんはたまにそうやっていろんな人を被写体に写真を撮っている。
 それはいわば江名さんのライフワークみたいなものだから、むげに扱うこともできない。
「……わかりました。被写体としてなら、仕方がありません」
「ホントっ! いやあ、やっぱり晴美ちゃん。話がわかるわねぇ」
「ただし」
「な、なに……?」
「昨日みたいな感じに壊れたら、即引きはがしますからね。いいですか?」
「う、ううぅ、わ、わかったわ。これでもプロよ。被写体に対してそういうことは──」
 江名さんの視線がリアに向かった。
「たぶん、ないと思うこともないかな、なんて思ったりして……」
 ……目がハートマークです、江名さん。
 でも、しょうがない。認めてしまったんだから。
「リア。今日は江名さんのためにモデルをしてあげて」
「モデル、ですかぁ? 具体的にはぁ、なにをすればいいんですかぁ?」
「いいのいいの、リアちゃんはなにもしなくていいの。ぜ〜んぶあたしがやるから」
「はいぃ、わかりましたぁ。よろしくお願いしますぅ」
 ペコリとお辞儀する。
「ささ、行きましょ、リアちゃん」
 江名さんはリアを連れてさっさと撮影スタジオへと消えた。
 本当に大丈夫なんだろうか。かなり、不安。
 
「終わった〜……」
 最後のネガをチェックし終え、ようやく一息ついた。
 それにしても、今日はその量が半端じゃなかった。これもきっと、江名さんの『嫌がらせ』だろう。私がリアのことでいろいろ言ったから。
「そういえば、江名さんとリアはどうしたんだろ」
 仕事中、ふたりの姿はお昼とおやつの二回しか見ていない。それに、そろそろスタジオ自体も閉める時間だし。
 いい知れない不安を感じ、私は撮影スタジオに向かった。
「江名さん。そろそろ閉める時間じゃないですか?」
 ドアの前で一応声をかける。だけど、まったくの無反応。というか、聞こえてるのかどうかもあやしい。
 ノブを捻ってみると、意外にも鍵はかかっていなかった。
「江名さん。リア。そろそ……ろ──」
 私は言葉を失った。
 そこに広がっていたのは、色とりどりの衣装。フリルのついたドレスからどこかの学校の制服、果ては水着まで。
「……ふ、ふふふ、ふふふふ」
 我ながら怖い笑いだ。だけどそんな笑いが出てくるのもしょうがない。
「え〜な〜さ〜ん〜」
「……っ!」
 私の地をはうような声に、江名さんは飛び上がらんばかりに驚いた。
「は、晴美ちゃん……」
「あ〜、晴美さん、どうですかぁ?」
 脂汗ダラダラの江名さんとにこやかに笑っているリア。実に対照的だ。
「すごく可愛いけど、リア。もう仕事終わったから、帰るわよ」
「そうなんですかぁ? わかりましたぁ。すぐに着替えてきますぅ」
 メイド服姿のリアが、とてとてと駆けていく。
「……それで江名さん。辞世の句など、ありますか?」
「こ、これは、その……そ、そうっ! インスピレーションがビビビッと来てね。それでいろんな衣装で撮影してたのよ。決して可愛いリアちゃんで着せ替え人形なんかしてないわよ。うん、してないしてない」
 目が泳いで体が小刻みに揺れて、挙動不審な江名さん。それで人を信用させようなど、無理な話だ。
「は、晴美ちゃん。話せばわかるって。誠心誠意、話し合おう。ね?」
「……私は話してもわからないような気がするんですけど」
「そんなこと言わないでよぉ。ね、晴美ちゃん?」
 まったく、これでこのスタジオの代表だっていうんだから、困ったものだ。
「わかりましたから、そんなに米つきバッタみたいにペコペコ頭を下げないでください」
「ホント? 許してくれるの?」
 私が頷くと、江名さんはホッと息をついた。
「でも江名さん。この二日間の遅れ、どうするんですか? 私がチェックしたネガも大量にありますし。今日は外回りだったからよかったものの、亮輔さんがいたら半狂乱になるところですよ」
「うっ、そ、それは、大丈夫よ。締め切りのきついのは終わらせてあるから。それと亮輔っちは、なんとかなるって」
「だといいんですけどね」
「晴美さん、準備ができましたぁ」
 そこへリアが戻ってきた。途端に江名さんの目がハートマークになる。
「じゃあ、帰ろっか」
「はいぃ」
「あうぅ、リアちゃん」
「なんですかぁ?」
 呼び止めた江名さんに、リアは律儀に答える。それがダメなんだけどなぁ。
「明日も、来てね?」
「えっとぉ、それは晴美さんに訊いてみないとわからないですぅ」
 江名さんは半泣き状態で私を見つめる。ホント、しょうがない人だ。
「特になにもなければ明日も連れてきますから」
「ホントっ! ホントにホント? 絶対約束よ?」
「はい、わかりました」
「そういうことなら、うん、いいわ」
「それじゃあ、おつかれさまでした。お先します」
「おつかれさまでしたぁ」
「おつかれさま、晴美ちゃん、リアちゃん」
 
 駅からの帰り道。私が夕飯のこととかいろいろ考えていると、リアがついてきていないことに気づいた。
「リア?」
 振り返ると、リアは道路の真ん中に立ち止まり空を見上げていた。
「どうしたの? なにか面白いものでもあった?」
 だけど、返事はなかった。ボーっとしてるだけだと思いもう一度声をかけたけど、やっぱり返事はなかった。
 おかしいと思い近寄ってみると──
「な、なにっ……?」
 いきなりリアの体が光を放った。光自体はほんの一瞬だけだったけど。
「ちょ、ちょっと、リア。どうしたの?」
 駆け寄り、肩を揺する。焦点の合っていなかった目が、徐々に戻ってくる。
「……ぁ、晴美、さん」
「大丈夫? なんともない?」
「えっとぉ……なにかあったんですかぁ?」
「覚えてないの?」
 こくりと頷く。
 明らかにおかしいけど、魔法使いのことは私にはよくわからない。本人は覚えてないって言うし。
「あのぉ、晴美さん……?」
「な、なんでもないならいいの。気にしないで」
「そうですかぁ?」
 その様子は、いつものリアのものだった。
 だけど、さっきのはなに? あの光は? 焦点の合ってなかった目は?
 慣れないことをして疲れてるだけ?
「……全然わからない……」
「なにがわからないんですかぁ?」
 心の声が、そのまま言葉になってたみたい。私は慌てて否定した。
「なんでもないわ。それより、今日はさすがに疲れたんじゃないの?」
「ん〜、そうですねぇ、少しだけ疲れてるかもしれません〜」
「それなら、今日は早く寝た方がいいわね」
「そうしますぅ」
 無邪気な笑みを見ていると、さっきのことなんてどうでもよくなる。
 きっと、疲れてたせいだ。うん、きっとそうだ。
 
 だけど、その思い込みが間違っていたことに気づくのは、もう少し先のことだった。
 
 
 
第四章
 
 リアが私のところへ来て、もうすぐ一週間になる。相変わらずのドジっ娘だけど、なにごとに対しても真面目だから、すぐに生活にもなじんだ。お父さんとの対面も、特に問題もなく済んだ。もっとも、お父さんにしてみれば家には朝晩しかいないから、それほど重要じゃないのかもしれない。それに、基本的には私が面倒見てるわけだから。
 なじんだと言えば、ようやく江名さんもリアに対する免疫ができたみたい。当初みたいにすぐに壊れることがなくなった。仕事に支障を来すこともほとんどないし。これには亮輔さんもひと安心という感じだった。かく言う私もだけど。
 そして、リアが私のところへ来た目的の方はというと、実は芳しくない。もちろんそんなに簡単じゃないことくらいわかってた。だけど、一週間で手がかりがゼロに等しいというのは、さすがに厳しいと思う。
 リアはよく私に言う。
「リアが半人前なせいですみません〜」
 確かに半人前だから研修なんかしてるんだろう。でも、果たして半人前だからという理由だけで進んでないんだろうか。私はそうは思わない。
 この地球上にいったいどれだけの人間が住んでると思ってるんだ。魔法使いを除いた魔力を持った人だって、きっと億単位でいるに違いない。その中からたったひとりを一週間やそこらで見つけようだなんて、それこそ偉い魔法使いでもない限り無理だと思う。
 だから、私は気長に待つことにした。もちろん期日はあるから、それまでにはなんとかしなくちゃいけないとは思うけど。
 
 ここ数日のリアは、リアの実家から取り寄せた魔法書と格闘していることが多い。分厚く古めかしい魔法書で、私にはなにが書いてあるかわからない。なんでも魔法使いにしかわからない文字で書いてあるそうだ。
「……ん〜、む〜……」
「そんなに根ばかり詰めてると、おかしくなるわよ」
 私は淹れたばかりの緑茶を置きながら軽くたしなめた。
 だけどリアは顔を上げ、笑顔で言った。
「大丈夫ですぅ。このくらいのことができないようではぁ、一人前の魔法使いになんてなれませんからぁ」
 やれやれ。リアは結構頑固だから。
「がんばるのもいいけど、少しくらい休まないと、ホントにおかしくなるわよ」
 そう言って、隠し持っていた『モノ』を見せた。
「そ、それはぁっ!」
 途端にリアの表情が一変した。待ち焦がれていた『モノ』にやっと出会えた、そんな感じだ。
「地元で大人気の和菓子屋『おかめ』の国産大納言使用の、ど、どら焼きぃっ!」
「……その宣伝文句みたいなのは、なに?」
「か、買ってきてくれたんですかぁ?」
「まあね。リア、がんばってくれてるし」
「ううぅ〜、ありがとうございますぅ」
 うるうるな瞳で喜んでくれる。
 で、『おかめ』のどら焼きは、ここへ来てからのリアの大好物。たまたまお父さんが買ってきたのを食べたら、それこそ天にも昇る様子であっちの世界に行ってしまった。確かに『おかめ』のどら焼きは美味しいけどね。
 さすがにどら焼きの誘惑には勝てないみたいで、調べものも一時中断。
「はむ……はうぅ〜、美味しすぎますぅ」
「な、なにも泣かなくてもいいじゃない」
「いいえぇっ! この美味しさはもうヒツゼツに尽くしがたいくらいですぅっ!」
「そ、そう? それはよかったわね」
 ちょっと、いや、かなり過激な喜び方だけど、根詰めてるよりはいいか。
「そういえば、今はなにを調べてるの?」
「失せもの探しの魔法ですぅ」
「……失せものって、そんなので人を探せるわけ?」
「占いとかとは違いますからぁ、大丈夫ですぅ。ただぁ、今まで一度も使ったことがないので成功するかどうかはぁ、わかりませんけどぉ」
 ……そんな魔法を使おうとしてたの? というか、そもそも魔法って安全なの?
 失敗したら大惨事、なんてことないわよね。
 そんな私の心配をよそに、リアは美味しそうに三つ目のどら焼きを頬張っていた。
 
 その日の夜。みんなが寝静まった頃を見計らい、私はリアと一緒に屋上にいた。
 昼間調べていた魔法を実際に使ってみる、ということで屋上にいるんだけど。どうして真夜中じゃないとダメなのか、私にはわからない。
 リア曰く。
「夜というよりもぉ、月の力を借りたいんですよぉ」
 どうも、魔法には月が関係しているらしい。だから真夜中に魔法を使うみたい。
 そりゃ、魔法使いのイメージは大きな月をバックにほうきで空を飛ぶ、って感じだけど。
「それじゃあぁ、晴美さん。やってみますねぇ」
「お願い」
 私はリアから少し離れた場所でその様子を見つめる。
 最初と同じ魔法使い然とした格好のリア。そのリアが、集中に入った。
 宝石をあしらった首飾りに手を添え、一言ささやいた。
「探せ」
 途端に、閃光が走った。
 あまりのことに目を閉じてしまったけど、その光は四方八方に散ったみたいだった。どうやらその光が失せもの探しの魔法みたい。
「……リア、終わったの?」
 遠慮がちに声をかけた。
「はいぃ、とりあえずは終わりですぅ。あとはぁ、反応を待つだけですぅ」
 リアは、いつものほわほわした口調でそう言った。なんとなくそれだけで安心してる自分がいる。
「反応って、どれくらいで戻ってくるの?」
「ん〜、早ければ本当にあっという間みたいですけどぉ、遅いと数日かかる場合もあるみたいですぅ」
「そっか。気長に待つしかないわね」
「そうですねぇ」
 魔法は基本的にはなんでもできるって前にミヤが言ってたけど、できることとそれが期待してる通りになるかは別みたい。
 今だって本当は、すぐに結果が知りたい。でも、それは無理。
「それじゃあ、リア。戻って寝ましょ。明日も仕事あるし」
「そうですねぇ、そうしましょうかぁ」
 そう言って私の方へ駆け出そうとしたところで──
「うぅっ……」
「ちょ、ちょっと、リアっ!」
 リアは力なくその場に倒れ込んでしまった。
「リアっ、大丈夫っ!」
 駆け寄り、抱きかかえる。声もかけてみるけど、反応が鈍い。
「ど、どうしよう……」
 パニックに陥りそうになるのをなんとか堪え、とりあえず家に運ぶことにした。
 
「ん……」
 ベッドに寝かしつけると、少しだけその表情が和らいだ。だけど、それで安心できるかどうかはわからない。
 額に触れてみても熱はないようだし、せきとかもしてない。そういう類の病気ではないと思うけど。
 相手がリアじゃなくて、普通の人なら病院に連れて行けばいいだけなんだけど。さすがに魔法使いだと、勝手が違う。
 こんな時、魔法使いのことを教えてくれる人がいれば──
「って、そうだ。ミヤがいた」
 ミヤは監視人で常にリアのことを監視してるって言ってた。だったら、呼びかければ出てきてくれるかもしれない。
「ミヤ。ねえ、見てるんでしょ? だったらお願いよ。出てきて。リアが倒れちゃったのよ」
 どこにいるかわからないミヤに向かって懇願する。
 もし私のために魔法を使ったことが原因なら、私は取り返しのつかないことをしてしまったかもしれない。最悪の事態だけは、なんとしても避けなければならない。こんなことで、終わりになんかしたくないから。
「お願い、ミヤっ」
 不意に、部屋の音が消えた。これは、前と同じ現象だ。
『……本来、監視人はあまり表に出ないのですが』
 ミヤは、苦笑しつつ私の前に姿を見せた。
「理屈はどうでもいいの。ねえ、リアを診て。私には魔法使いのことはわからない。でも、あなたならわかるでしょ?」
「わかりました」
 小さく頷き、ミヤはベッド脇に寄った。
「見ていた時には急激な魔力の消耗だと思ったのですが……」
 リアの体に手をかざしていたミヤが、わずかに顔をゆがめた。
「どうしたの? 問題でもあったの?」
「いえ、リアの体自体におかしなところはありません。このまま眠っていれば明日にでも目を覚ますでしょう」
「ホント?」
 よかった。たいしたことなくて。
「ただ、気になることがあります」
「気になること? それは?」
「……場所を変えましょう」
 ミヤはそれだけ言うと部屋を出て行った。私もすぐそのあとに続いた。
 
「気になることを話す前に、リアのことを少し話さなければなりません」
 ベランダに場所を移し、ミヤは真剣な表情で話しはじめた。
「リアは、現在確認されている魔法使いの中でも非常に優秀な魔法使いです」
「そうなの?」
 それはちょっと意外だった。あのドジっぷりを見ていると、とてもそうは思えない。
「潜在的な能力だけで言えば、稀代の魔法使いに匹敵するほどです。ですから、わたくしたちの間でもリアに対する期待は非常に大きいのです」
「期待が大きいからこそ、厳しく接してるのね」
「はい」
 ミヤの厳しさは、愛情の裏返しというわけか。なるほど。
「でも、それが今回のこととどんな関係があるの?」
「まだ詳細はわかりませんが、リアの潜在的な魔力が覚醒しつつあるようです」
 はっきり言ってよくわからなかった。そのどこが気になるんだろう。
 私の表情を見てなのか、ミヤは言葉を続けた。
「魔力の、能力の覚醒が起こることは珍しいことではありません。優秀な魔法使いなら、ほぼ間違いなく経験することですから。ですが、今回のリアの状況はそのどれとも合致しないような気がします」
 声音を落とし、ミヤは少し俯いた。
「わたくしがまだまだ未熟なので本当に詳細はわからないのですが、可能性のひとつとして考えられることがあります」
「それって、なんなの?」
 私の本能はそれを聞くな、と言っていた。だけど、目の前で倒れたリアを放っておくことなど私にはできない。
「原因はまったく不明ですが、外部からの干渉によりリアの力が暴走していることも考えられます」
「力の、暴走……?」
 不穏な言葉に、私は思わず拳を握っていた。
「それがあると、どうなるの?」
「最悪の場合は……二度とこの月を見ることはできません」
 二度と、月を見ることができない?
 それって、まさか──
「ちょ、ちょっと待ってよ。どうして力の暴走くらいでそんなことになるのよっ」
 私は、ミヤのマントをつかみながら迫った。
「魔力は、精神力が元となっている力です。もしその魔力が暴走してしまえば、精神崩壊は免れません。死ぬ、ということはないとは思いますが……」
「そ、そんなの、死んでるのと同じじゃないっ!」
 ミヤに言ってもしょうがないってことは、よくわかってた。だけど、言わずにはいられなかった。そんなバカなこと、あり得ない。
「……勘違いしないでください。それはあくまでも可能性があるだけです。まだ、リアがそうだと決まったわけではありません」
 確かにそうだ。ひょっとしたら、まったく別のことかもしれないんだから。
 その言葉で、ようやく私の頭も冷えた。
「ごめんなさい、ミヤ。あなたに文句を言ってもしょうがないのにね」
「いえ、気にしていません。それに、この短期間でそこまでリアのことを想ってくださった晴美さんに、感謝しているくらいです」
 そう言ってミヤは、薄く微笑んだ。
「それではわたくしは戻って詳しいことを調べてみます。またなにかあればわたくしをお呼びください」
「わかったわ」
 ミヤは、私に頭を下げて音もなく消えた。
「力の暴走……そんなこと、ないわよ、ね……?」
 月に向かってささやいた言葉に、答えてくれる人はいなかった。
 
 その時からかもしれない。私の中のなにかが変わったのは。
 
 
 
第五章
 
 次の日。ミヤの言った通り、リアはいつも通りだった。あまりにもこれまで通りだったから、逆に怖かったくらいだ。
「晴美さん。どうかしましたかぁ?」
 ちょっとボーっとしてたら、リアが不思議そうに顔を覗き込んできた。
「ううん、なんでもないわ。それより、もう終わったの?」
「はいぃ、終わりましたぁ」
 にっこり笑って任せていた書類を見せる。
「……うん、問題ないわ」
「よかったですぅ」
 ま、ただハンコを押すだけだからリアに任せたんだけど。
「じゃあ、休憩していいわ」
「わかりましたぁ」
 席を立ち、スタジオ内の休憩スペースへとてとてと駆けていく。
「ふう……」
「なになになに、なんで晴美ちゃんがため息なんかついてるの?」
「えっ、あ、江名さん」
 いつの間にいたのか、江名さんが手にカップを持って立っていた。
「ほい、コーヒー」
「すみません」
「それで、なにか悩みでもあるの?」
 江名さんは今までリアが座っていた椅子に座り、そう訊ねてきた。
 悩み、ないわけじゃないけど、それを江名さんに話していいものかどうか。それ以前に、悩みを話すとリアが魔法使いだってことも話さなくちゃならない。
 江名さんなら『面白い』の一言で片づけちゃうかもしれないけど、悩みのタネは増やしたくないから。
「いえ、悩みなんてないですよ。それにため息じゃなくて、一息ついてただけです」
 一応反論してみる。だけど、それが江名さんに通用するかどうかは別問題。
 江名さんはカップを口に当てたまま、じとーっと私を見ている。それだけで心の奥の奥まで見られてるような気もするし。ううぅ、なんかヤな感じ。
「ま、そういうことにしときましょ」
 不意に江名さんの表情が緩んだ。
「そういう悩みとかってのは、誰かに強要されて話しても意味ないのよね。だけど、晴美ちゃん。もしどうしてもその悩みが解決しないようだったら、遠慮なくあたしに相談してよ。これでもいろんなこと経験してきてるしさ」
「はい、わかりました」
 江名さんの優しい言葉に、すべてを話したくなる衝動に駆られた。でも、なんとか踏みとどまる。
「そういや、リアちゃんの仕事は終わったのよね?」
「ええ、終わりました。モデルですか?」
「空いてるなら。いい?」
「いいですよ、無茶さえしなければ」
「あらら、相変わらず厳しいねぇ、晴美ちゃんは」
 いくら免疫ができたとはいえ、いつ戻るかわからない。だから釘をさしておく。一応、江名さんのことは信じてるけど。
「じゃ、リアちゃん借りるわね」
 江名さんがいなくなると、またため息が漏れた。
 私がこうして頭を悩ましていてもしょうがない問題かもしれないけど、考えずにはいられなかった。
 
 その日は仕事を少し早めに切り上げた。見た目はいつも通りでも、いつ昨日みたいなことになるかわからなかったし。昨日はマンションでだったからまだよかったけど、スタジオや電車の中でそんなことになったら、それこそ大変だ。
「はうぅ〜」
 いつもより少し早い時間だったから、通勤ラッシュに重なってしまった。
 小柄なリアは、目を離すとすぐに人波に飲み込まれてしまう。
「ほら、リア。手、つかまって」
「す、すみませんですぅ」
 リアの小さな手が、私の手をキュッと握った。なんとなくそれだけで安心できる。
「もう少しだから、我慢してよ」
「だ、大丈夫ですぅ。が、がんばりますぅ。はうぅ〜」
 カーブで電車が揺れる度に、リアは奇声を上げた。
 こうしていると、リアが魔法使いだなんてとても思えない。それに、稀代の魔法使いに匹敵するくらいの優秀な魔法使いだとも思えない。どこからどう見ても、普通の可愛い女の子だ。
 なのに、リアは今、力の暴走という危険な状況にあるのかもしれない。それが本当かどうかは、ミヤからの連絡待ちだけど。
 そういえば昨日、ミヤはなんて言ってたっけ?
『原因はまったく不明ですが、外部からの干渉によりリアの力が暴走していることも考えられます』
 そうだ。外部からの干渉で、って言ってた。
 それってつまり、誰かが故意にリアの力を暴走させようとしてるってこと?
 だけど、いったい誰がそんなことを?
 やっぱり、リアの力を妬んでなの?
 わからない。わからないけど、もしそうなら私はその人を許さない。リアのいったいどこが悪いっていうの? 力だって、本当に覚醒するかどうかもわからないのに。
 と、私の手が引っ張られた。
 見ると、リアがすごく心配そうな眼差しで私を見つめていた。
「晴美さん、なにかあったんですかぁ?」
「ううん、なにもないわよ。ちょっとボーっとしてただけ」
「そうですかぁ……」
 言い訳するけど、リアも半信半疑のようだ。
 ダメだなぁ、私。こんなことじゃいけないのに。
 状況を把握できてないのはリアだって一緒。むしろ、自身になにかが起きていることは漠然と感じているはず。なのに、なにも起きていない私がこんな調子じゃ、本当にダメだ。もっともっとしっかりしなくちゃ。
 
 だけど、具体的になにをすればいいかわからないっていうのは、ホントに腹が立つ。やらなくちゃいけないことは見えているのに、その方法がまったくわからない。
 せめて私も魔法使いのことをおおまかにでも知っていれば、こんなことはないんだろうけど。
 とはいえ、リアに訊くわけにもいかないし、ましてやリアのためにいろいろ調べてくれているミヤに訊けるはずもない。
「ああもう、ホントにムカツク〜」
 私は腹いせに枕を思い切り投げつけた。
「ん、晴美、なにをそんなに荒れているんだい?」
 そこへ、お父さんが顔を出した。いつもの柔和な笑みを浮かべているけど、ちょっと困ったな、そんな感じにも受け取れる。って、それも私が原因か。
「べ、別に荒れてなんかないよ。うん、そんなことない」
 慌てて投げつけた枕を回収する。
「なにかあったのかい? よかったら、お父さんに話してみなさい」
「うっ……」
 ああ、ダメだ。私はお父さんのその言葉に弱い。
 お母さんが早くにいなくなってしまったから、私はずっとお父さんとふたりだった。だからだと思うけど、私は自他ともに認める『ファザコン』だ。
 だけどそれもある程度はしょうがないと思ってる。なにも知らない、できない私がお父さんに頼らずに生きていくなんて無理だったし。
「晴美?」
「ああうん、えっとね……」
 それでも、お父さんにリアのことを話せるわけがない。魔法使いだなんて突拍子もないこと、信じてもらえるはずないし。
 私は言葉を選んで答えた。
「もし誰か困ってる人がいたら、当然助けるよね?」
「そうだな」
「それで、自分は助けたいと思ってるんだけど、自分には助けるための知識もなければ技術もないっていう時は、どうしたらいいと思う?」
 お父さんは少しだけ意外そうな顔を見せたけど、すぐにいつもの表情に戻った。
「助けたい、そう思うことが一番大切なんじゃないか。お父さんはそう思うよ」
「思うこと? だけど、それじゃ相手を助けられないんだよ?」
「人間にはできることとできないことがある。できないことを無理にやろうとすれば、それこそその相手に迷惑がかかるかもしれない。そのせいでより困難な状況に陥らせてしまうかもしれない。そう考えることはできないかい?」
 確かに、お父さんの言うことは正しいと思う。無理にやったって、絶対にいい結果はついてこない。まれに好転することもあるだろうけど。
「だから、できることを精一杯やって、あとは助けてあげたい、そう思い続けていればいいと思うよ」
「……お父さんにも、そんな経験あるの?」
「そうだな。お父さんもあるな」
「それって、どんなことだったの?」
「お母さんのことだよ」
「えっ……?」
 思いも寄らなかった言葉に、私は思わず間抜けな声を上げてしまった。
 だけど、お母さんのことって、それってどういう意味?
「お父さんとお母さんはね、そんなに簡単な関係じゃなかったんだよ。だから、結婚するまでにも紆余曲折があったし。その頃にそんな経験をしたんだ」
「そう、だったんだ」
 お父さんとお母さんが大恋愛の末に結ばれたっていうのは、聞いていたことだった。私もそんなふたりみたいな恋愛をしたいって、常々思ってるくらいだし。
 それでも、その過程までは聞いてなかったからかなり驚いた。
「それで、お父さんはどうしたの? お母さんのために、なにをしたの?」
「できることを全部やった上で、ずっとお母さんの側にいたよ。それ以外にお父さんにできることはなかったからね」
「そうなんだ……」
 だからお父さんとお母さんは結婚できたんだ。だから私がここにいるんだ。
 でも、私にそんなことできるのかな? リアのためになにかできるのかな?
「晴美のいいところはその真面目さと一生懸命さだと思うけど、とりあえず行動してみるというのも大事だとお父さんは思うよ」
「……そうだね。うん、やってみるよ」
 そう。考えていたって状況がよくなるわけじゃない。だったら、行動すればいい。
 できることを、できる範囲で。
 
 とはいえ、結局私になにができるかは、わからない。とりあえずできそうなことなんて、側にいることくらい。あとは、こうして心配して頭をこねくり回して。
 だけど、それだけで本当にいいのかな? お父さんはできることだけやれって言ってたけど。
「あのぉ、晴美さん」
 部屋で魔法書と格闘していたリアが、不意に声を上げた。
 見ると、すごく心配そうな顔で私を見つめている。電車の中と同じだ。
「晴美さん、今日は朝からずっとそうですぅ。なにかあったんですかぁ?」
 真っ直ぐな瞳で見つめられると、思わずすべてを話してしまいたくなる。でも、まだよくわかってない状況でそんなこと話せるはずもない。
 魔法使いとしてリアが優秀だとしても、まだ十四歳の女の子なんだから。
「ねえ、リア。リアはどんな魔法使いになりたいの?」
 私は、あえて話をそらした。
「えっとですねぇ、リアには目標としてる人がいるんですぅ」
「目標? 魔法使いとしての?」
「はいぃ。その人は魔法使いとしてもすごく優秀でぇ、人としてもすごく立派な人なんですぅ。どんな時でも相手の視点で話ができてぇ、判断力もあってぇ、行動力もあってぇ、なによりもすごく優しい人ですぅ」
 リアは、その人のことをまるで自分のことのように言う。本当にその人のことが好きで、目標にしてるんだ。
「ミヤさんもぉ、その人を目標としてるひとりですぅ」
「そうなの? あのミヤが?」
 それは、なんというか、ちょっとだけ意外。だけど、ミヤみたいな人の方がそういう人に憧れるのかもしれない。というか、ミヤの方がリアよりもその人に近いか。魔法使いとして優秀で、判断力もあって、行動力もあって。まだちょっと不器用だけど、優しいし。
「だからリアは、研修も一生懸命がんばってるんだ」
「そうですぅ。研修で一人前と認められてぇ、早く魔法使いとして独り立ちしたいんですぅ」
「そっか。そうなんだ」
 そこまでちゃんと考えてるなら、なおさら話せない。
 余計なことだとは思わないけど、少なくとも正確なことがわかるまでは話さない方がいい。その方がリアのためだろうし。
「そのためにもぉ、晴美さんのお母さんを探さないといけないんですけどぉ……」
「焦ることないって。まだ時間はあるんだし。それに、昨日の魔法の結果はまだ出てないんでしょ?」
「いくつかはもう感知しましたぁ。ですがぁ、そのどれもが正真正銘の魔法使いのものだったのでぇ」
「あれ、もう戻ってきたんだ?」
「はいぃ。ただぁ、まだ全部ではないですからぁ、可能性は残ってますぅ」
 そう言ってニコニコと笑うリア。
 なんか、私、リアに気を遣われてるのかも。本当にこんなことじゃダメなのに。
 
「……ん、う……」
 目を開けると、部屋の中は真っ暗だった。枕元に置いてある時計を見ると、まだ午前二時。草木も眠る丑三つ時だ。
 こんな時間に目が覚めるなんて、仕事をはじめてからほとんどなかったんだけど。
 隣を見ると、リアが気持ちよさそうに──
「えっ、リア? どこなの、リア?」
 寝ているはずのリアの姿が、少なくとも部屋にはなかった。
 イヤな予感がし、私はカーディガンを羽織り部屋を出た。
 トイレかと思いドアをノックしてみたけど、返事はなかった。リビングにもいないし、台所にもいない。お父さんの部屋にいるはずもないし。
「まさか、外……?」
 玄関を見ると、靴は全部揃っていた。だけど、鍵は開いていた。
 すぐにサンダルを突っかけて外へ出た。
「さむっ……」
 外は、秋とは思えないくらい寒かった。パジャマにカーディガンじゃ、ちょっとつらいかもしれない。
 だけど、今はそれどころじゃない。リアを探さなくちゃ。
 どこへ行ったかはわからないけど、そんなに遠くには行ってないような気がする。
「……もしかして」
 ひとつだけ思い当たることがあった。
 寝静まった頃を見計らって出た先は──
「リアっ!」
 真夜中の屋上に、私の声が響いた。
 その時、空を覆っていた雲が晴れ、月が顔を覗かせた。
「リアっ!」
 月明かりに浮かび上がったのは、リアだった。
 格好は寝ていた時と同じ、パジャマ姿。寝癖がつかないように結んでいた髪が、ほどけている。
「リア、ねえ、リアっ! 返事してよっ!」
 駆け寄りながら声をかけるけど、返事はない。
 よく見ると、リアの体が淡い光を放っている。
「これって、まさか……」
 私の脳裏を最悪の事態がよぎる。
『最悪の場合は……二度とこの月を見ることはできません』
 そんなバカなこと、あるわけない。
 なんでリアがそんな目に遭わなくちゃいけないのよっ。
「リアっ! あつっ!」
 リアを抱きかかえようとしたら、手が弾かれた。
 光がリアを守るように、私を拒んだ。ひょっとしてこの光は、魔力が具現化したものなの?
 ええいっ、悩んでてもしょうがない。
「ミヤっ、見てるんでしょっ。さっさと出てきてっ!」
 私は真夜中なんて関係なく、声を上げた。
『まさか昨日の今日でこんなことになるとは思いませんでした』
 ミヤは、渋い表情で現れた。
「とにかくリアをなんとかしてっ」
「わかりました」
 マントを翻し、ミヤはスーツのポケットから小さな水晶球を取り出した。
 途端にあたりの空気がピンと張りつめた。
 これが、一人前の魔法使いの魔法なんだ。
 気を抜くとプレッシャーに押し潰されてしまう。そんな風に思わせる集中だ。
「消えろ」
 一言ささやくと、リアのまわりの光が霧散した。
「これで晴美さんにも触れることができるはずです」
「わかった」
 すぐにリアを抱きかかえる。確かに今度は弾かれることはなかった。
「あとは、どうすればいいの?」
「とりあえず寝かしつけた方がよいかと」
「了解っ」
 
 なんで……なんでリアばっかりこんな目に遭うのよっ!
 
 
 
第六章
 
 リアをベッドに寝かしつけ、少し様子を見る。
「今は落ち着いています。とりあえずは大丈夫だと思いますが……」
 昨夜のこともあって、ミヤの言葉にも自信のなさが伺える。
 確かに今は落ち着いてる。呼吸も安定してるし、熱が出てる様子もない。苦しそうな感じもないし。
 だけど、昨夜も同じような感じで今夜のことがあったわけだから、安心なんてできやしない。
「なにかわかったことはあったの?」
 私はリアの手を握りながら、少し低い声で訊いた。
「……原因はまだ不明ですが、現在リアに起きていることはほぼ判明しました」
「……それは?」
 イヤな予感がした。最悪な予感がした。
 訊いてはいけない。訊いちゃいけない。
 耳をふさげ。なにも聞くな。耳に入れるな。
 頭も本能も拒絶しているのに、私は聞くしかなかった。
「やはり、力の暴走、かと……」
 ミヤは、私からもリアからも顔を背け、教えてくれた。
 心の中に、ああやっぱりか、という部分があった。
「過去の文献、先達の意見、ともに同じものでした」
 唇を噛みしめ、悔しさが全身からにじみ出ている。ミヤにしても、自分ではなにもできなくて悔しいに決まってる。私にはなんの力もないけど、ミヤは一人前の魔法使いなのだから。
「暴走を食い止める、もしくは抑える方法はないの?」
「一時的に抑えておくことは可能です。現に今、暴走を抑え込んでいますから。ただ、止める方法は原因がわからない限りは無理です。止めてもまた暴走してしまうだけですから」
「原因、か」
 確か、原因は外部からの干渉かもしれないってことだったけど。
「力を暴走させる外部からの干渉って、具体的にはどんなのが考えられるの?」
 原因はわからなくとも、そこへたどり着くためにいろいろ考えることはできるはず。ただ手をこまねいて見ているだけなんて、絶対にイヤだから。
「ひとつには、魔法使いが故意に魔力を増幅させるような魔法を用いた場合です。その魔法自体はかなり高度な魔法なのですが、使える魔法使いは結構います」
「だけど、そんな高度な魔法を使えばミヤたち監視人にわかるんじゃないの?」
「基本的にはわかります。ですが、監視人よりも能力的に上の魔法使いならば、魔法を使ったことを気取られなくする魔法も使えますから」
「そんなのまであるんだ」
 そうなってくると、魔法使いの線を消すことなんてできやしない。
「そして、この数日間、そこまで高度な魔法を使った魔法使いは監視人には確認されていません」
「なるほど。じゃあ、それ以外のものは?」
「可能性としては低いのですが、なんらかの要因によってリア自身が力を暴走させている場合です」
「そんなことあるの?」
「はい。無意識のうちに魔法を使ってしまうということは、ままあることです」
 それって、かなり問題があると思うけど。でも、それが原因ならリアに魔法を使わせなければいいだけだから、すぐにでも暴走を止められるんだけど。
「それを確かめる方法は?」
「一晩中リアについているだけです。ですが、わたくしはその可能性はほぼ皆無だと考えています」
「その根拠は?」
「もし魔法を無意識にしろ使っているならば、魔力が減ります。もちろん増幅魔法をかけているわけですから相対的には増えていますが。それだとしても、一時的に魔法を使った後遺症が出ます」
「後遺症? 魔法ってそんなものあるの?」
 この一週間、リアの魔法を何度か見てきたけど、そんな様子はまったくなかった。魔法を使ったあともいつも通りだったし。
 それに、さっきのミヤだってそう。見た目にはなんともなさそうだし。
「後遺症自体は人によって違いますが、よほどのことがない限り必ず出ます」
「ミヤの場合は?」
「わ、わたしくの場合は、その……」
 珍しくというか、ミヤがはじめて落ち着きをなくした。
「なんと言いますか、せ、性的欲求が高まってしまうんです……」
「せ、性的欲求、ね……」
 な、なるほど、それは落ち着きをなくすわ。だけど、そんなことで魔法なんて使っていけるのかな?
 もちろん、魔法使いじゃない私の心配なんて、お節介にしか過ぎないとは思うけど。
「そ、それでリアはどうなの?」
「あっ、はい。リアの場合は急激な眠気に襲われるというものです。もちろん使った魔法の程度によってその眠気にも差はありますが」
「そっか。じゃあ、魔法を使ったあと少しボーっとしてたのは、眠気のせいだったんだ」
「そういうことになります。それで、リアにはそのような後遺症はまったく見られませんでしたから、可能性は皆無だと考えたわけです」
 確かにそうかもしれない。ミヤが言うように魔力増幅の魔法が高度なものだとすれば、我慢できないほどの眠気に襲われていたはずだし。たとえそれが夜寝ている時だったとしても、そんなことなら朝ちゃんと起きることなんてできなかっただろう。
「ほかに考えられることは?」
「……それは」
「どうしたの?」
 ミヤは、途端に言いづらそうに俯いてしまった。そんなにヤバイことなの?
「どんなことでも、あくまでも可能性なんでしょ? それだと決まったわけじゃないんだし。教えてよ」
 そうだ。そうだと決まったわけじゃないんだ。最悪の状況だと決まったわけじゃないんだ。
「晴美さん、落ち着いて聞いてください」
「ええ、いいわ。ドンと来いって感じよ」
 ドンと胸を叩く。ちょっとむせたけど。
「晴美さんには、魔力があります」
「へ……?」
 今、ミヤはなんて言ったの?
 晴美さんには、魔力があります。
 ハルミサンニハ、マリョクガアリマス。
「ちょ、ちょっと待った。それって、どういうこと?」
「そのままの意味です。晴美さんには、わたくしたちと同じように魔力があります。それも、ごく普通の人が持ち得る量とは桁違いの魔力がです」
 ミヤは、言いづらそうに、だけど、はっきりとした口調で教えてくれた。
 だけど、ちょっと待ってよ。それってつまり、私には魔法使いの素養があるってことなの?
「……ま、まあ、それはいいわ。可能性として私が魔力を持ってるかもってことは、リアに聞いてわかってたことだし。それで、それがリアのことにどんな関係があるの?」
 そう、私が魔力を持ってることは別にいい。今大事なのは、それがどうリアに関係あるかだ。
「……晴美さんの魔力は、意識下に置かれていない魔力です。ですから、なにかに干渉してしまう可能性が非常に高いのです」
「それって、まさか……」
 ミヤは、重々しく頷いた。
「可能性のひとつとして、リアの魔力に晴美さんの魔力が干渉を及ぼしたことが考えられます」
「ウソ……ウソよ、そんなの……私、私そんなの知らないわよっ!」
 そんなバカなこと、あるわけない。
 私のせいでリアの力が暴走してるって?
 それじゃあ、リアが私の元に来なければそんなことにはならなかったってこと?
 全部、私のせい?
「晴美さん、落ち着いてください。まだ、晴美さんのせいだと決まったわけではありません。原因については、引き続きわたくしの方で調べますから」
「だけど……っ!」
「晴美さんっ!」
 ミヤの声が、部屋に響いた。同時にそれは、私の心にも響いた。
 急速に意識が落ち着いていく。
「……ごめん、取り乱した」
「いえ、気にしていません。それに、晴美さん程度の取り乱しで済めば問題ではありませんから」
「そっか……」
 ミヤはたぶん、私のような人を何人も見てるんだろう。だからこそその扱いにも慣れてるんだ。
 ミヤのおかげで私は落ち着けた。本当に感謝しなくちゃ。
「それで、私はどうすればいいの? このままでいいの?」
「原因がわからないわけですから、あまり無茶なことはできません。ですが、打てる手はすべて打っておいた方が賢明でしょう」
「そうね、私もそう思うわ」
「リアには引き続き暴走を抑える魔法をかけておきます。それと、晴美さんにですが」
「いいわよ。なんでもして。それでリアが楽になるならね」
「すみません……晴美さんには、魔力封じの魔法を使わせていただきます」
「魔力封じ?」
「はい。気休め程度かもしれませんが、魔力を封じることで無意識にリアの魔力に干渉しないようにします」
「気休めでもなんでもいいわ」
 私のせいなら、私にできることはすべてやらなくちゃいけない。リアは、なにも悪くないんだから。全部、私が悪いんだから。
 それに、私の魔力を封じることでリアが元に戻れば、それに越したことはない。魔法使いでもない私に魔力なんて必要ないんだから。
「少しだけ意識が飛んでしまうかもしれませんが、命に別状はありませんから」
「わかったわ」
 私はミヤの前に立ち目を閉じた。
 目の前に手がかざされたのがわかった。同時にあのプレッシャーが私を襲った。
 手のひらにじっとりと汗がにじんでくる。
「去れ」
「うっ……」
 脳天からつま先まで一気に駆け抜けるものすごい圧力。
 平衡感覚なんてないに等しい。今立っているのかどうかもわからない。
 目を開けようとしても開かない。匂いも感じない。音も聞こえない。
 なにを考えているのかも正直言えばわからない。
 私はなにをしていたのか。なんでそこにいるのか。
 なにもわからない。
 ただ、体の奥底にあるなにかが、そのうごめきを止めたのがわかった。
 それがなんなのか、正常に働いていない頭ではとてもじゃないけど考えられない。
 わからないけど、体が少し軽くなったような気がする。重しが取れて、本来の私になった。そんな感じがする。
「晴美さん。終わりました」
 不意に、耳元で声がした。
 頭が一気に覚醒した。最初に目に飛び込んできたのは、少しずり落ちている鼻眼鏡も直さずに、心配そうに私を見つめるミヤの顔だった。
「……ん、ミヤ……」
「大丈夫ですか? どこかおかしなところはありませんか?」
「え、ええ、とりあえず大丈夫そう」
 軽く頭を振り、頭の中のもやを振り払う。
 どうやら、本当に意識が飛んでしまったらしい。それでもこうして立ったままなのだから、完全に平衡感覚を失っていたわけではないということだ。
 だけど、これが魔法なんだ。
 使う側、使われる側では当然違うのだろうけど、なんか想像以上に怖い力って感じだ。
「これでしばらくは魔力を封じておけるはずですが、なにぶんわたくしはまだまだ実力が足りない身です。いつ魔法が解けてしまうかわかりません。わたくしも今まで以上にリアの監視をするつもりですが、なにかあった場合はすぐにわたくしを呼んでください」
 少し上気した表情でミヤはそう言ってくれた。頬が上気してるのは後遺症のせいだ。
 リアだけでなく、ミヤにまで迷惑をかけてしまった。
 これはなんとしても早く原因を突き止めないと。
 だけどその前に、応急処置的なことを聞いておかないと。
「ミヤ。魔力ってどうやってコントロールするの?」
 もし私が魔力をコントロールできれば、ミヤの魔法が解けてしまってもリアに干渉してしまう可能性は低くなるはず。
「魔力のコントロールは一朝一夕でできることではありません。魔法使いはそれを生まれた時から身をもって学んでいきますから」
「だけど、あるんでしょ、その方法が?」
 食い下がる私に、ミヤは一瞬だけ視線をそらした。
「……晴美さんにできるかどうかはわかりませんが──」
「そんなのどうでもいいの。できるできないじゃなくて、やるの」
 真っ直ぐにミヤの顔を見つめる。私の真剣な想いを少しでもいいから感じ取ってほしい。
「……魔力は、精神力が元となっていることはすでにお話しています。ですから、非常に簡単に言ってしまえば、魔力のコントロールはほぼ精神力のコントロールと同じです」
「それで?」
「精神力──この場合は精神でもいいのですが──をコントロールするには、やはり精神修養が必要です。どのような形ででも構いません。いつ如何なる時でも心を乱すことなく冷静沈着でいられるようになれば、魔力のコントロールもできるはずです」
 精神修養、か。それが必要なら、明日、いや、今夜からさっそく座禅でも組んで鍛えないと。
「晴美さん。決して無理はしないでください。基本的には魔法が解けてしまったらわたくしがかけ直しますので」
「わかってる。私だってそこまでする気はないわ」
 する気はないけど、してしまうことはある。
 だから、ごめん、ミヤ。
 心の中でミヤに詫びを入れ、改めて決意する。
 私ができることをできる範囲内でやろう、と。
 
 だけど、世の中はそれほど甘くはないことを、改めて思い知ることになった。
 
 
 
第七章
 
 自分で言うのもおかしいけど、やっぱり私ってものすごく順応性が高いらしい。いや、違う。ものすごく鈍感なんだ。
 リアが私の元へ来た時もそうだったけど、ミヤに私が魔力を持っているというのを聞いても、その後の生活に支障が出たわけではない。もちろん、それ自体はショックだった。自分としては結構へこんだと思う。
 それでも私はそれを越えてしまった。軽々と。
 もう笑うしかない。なんでこうも私はおかしいんだろう。鈍感というか、なんというか。
 別に自虐趣味があるわけじゃない。それでも言わずにはいられない。
 私って鈍感だ。
 
 リアが二度目の力の暴走を起こしたあの日から、すでに一週間が過ぎていた。
 リアはミヤのおかげで次の日にはケロッとしていた。夜の記憶は寝る前までのものしかなく、屋上での出来事はもちろん覚えていなかった。そのこと自体はよかった。あんなことを覚えていても、リアには負担にしかならないんだから。
 表面上はそれまで通りのリアだったけど、その体には力の暴走という爆弾を抱えていることに変わりなかった。
 リアにはそのことはなにも話していない。自覚のないことを言われても、半人前のリアにとってはやはり負担でしかないからだ。
 その一方で私は、あの日からずっと精神修養を続けている。
 この一週間でどこまで精神力をコントロールできるようになったかはわからない。それでも以前に比べて心を乱すことが少なくなったような気がする。それは錯覚なのかもしれないけど、それでいいと思ってる。だって、それは他人のことじゃなくて自分のことなんだから。私さえそれを自覚できていれば問題ない。
 ミヤはそんな私にいつも言ってくれる。
「晴美さんのがんばりが認められないなどということは、絶対にあり得ません」
 すごく嬉しい言葉で、いつも励まされている。
 だけど、どんなにがんばっていても結果がついてこなければ意味はない。
 
「晴美ちゃん。お〜い、晴美ちゃ〜ん」
「晴美さん、呼ばれてますよぉ」
「……えっ、あっ、ごめん」
 仕事中、考え事をしていたらしい。リアに呼びかけられてようやく我に返った。
 手元を見ると、チェックしなくちゃいけないネガがたくさん残っている。さっきから全然減ってない。
「晴美ちゃん。大丈夫?」
 いつの間にか江名さんが後ろに立っていた。その表情は怒っているわけではなく、むしろ心配している様子だった。
 ダメだダメだダメだ。こんなことじゃダメだ。
 リアのこと、自分のことを考えてしまうのはしょうがないけど、それを仕事にまで持ち込むのはよくない。
「すみません。ボーっとしてました」
 江名さんに向き直り、頭を下げた。理由はどうあれ、私が悪いから当然だけど。
 でも江名さんの表情は晴れなかった。むしろ曇ってしまった。
「……晴美ちゃん。ちょっと来て」
「あっ、はい」
 私は言われるまま江名さんについていった。
 江名さんが入ったのは、通称『江名さんルーム』と呼ばれる江名さんのプライベートルームだった。仕事中もたまにここに入って息抜きをしている。
 スタッフがここに入ることはあまりない。呼べば出てきてくれるし、なによりもみんながいる時間帯はここにいる時間の方が少ないから。
 部屋の中は相変わらず雑然としていた。
 江名さんの宝物であるライカのカメラ、巨大なゾウのぬいぐるみ、ゲーム機数種、寝泊まり用寝袋、窓際いっぱいに置かれている観葉植物……
 普段は江名さんひとり分のスペースしか空いていないんだけど、今日は私の分も空けてくれた。
「とりあえず座って」
 向かい合う格好で座った。
「それで晴美ちゃん。いったいなにを悩んでるの? 一週間くらい悩んでるでしょ? とりあえず仕事に支障を来してないからあまり言わなかったけど、正直言えばね、勘弁してほしいの、そういうのは」
 いつもの明るい江名さんの表情じゃなかった。すごく厳しい表情だった。
 居住まいを正して相対しないとダメなような気がした。
「……すみません」
「別に謝ってほしいわけじゃないの。解決できる悩みならさっさと解決してほしいだけ。で、もし解決できない悩みならあたしに相談してみてよ。それで解決できるって確約はできないけど、力になるからさ」
 そこでいつもの江名さんの、あの柔らかな表情に戻った。
 ここまで言われてしまってはもう黙っているわけにはいかない。それに、少なからず迷惑をかけてしまったんだから。
 ミヤ、ごめん。
 心の中でミヤに頭を下げ、話すことに決めた。
「リアのことをどう思いますか?」
「そうね、とても可愛い娘よね。あと、すごく真面目。あたしも爪の垢を煎じて飲まなくちゃいけないくらいにね」
 冗談めかして笑う江名さん。
「それと、リアちゃん、晴美ちゃんの親戚の子じゃないでしょ」
「はい、そうです」
 江名さんがそのことに気づいていたのはわかってた。それでもなにも言わないでくれたのは、江名さんの優しさのたまもの。ようするに私はずっと江名さんに甘えていたことになる。
「信じてもらえるかどうかはわかりませんけど、リアは魔法使いなんです」
「……魔法使い?」
 さすがの江名さんも面食らってる。あからさまに疑ってる様子はないけど、それでも信じてはいない様子。
「それを証明するのは簡単なんですけど、とりあえず話を進めます。それで、リアが私の元へやってきたのは魔法使いとして一人前になるための研修を行うためなんです。研修の詳しい内容はとりあえず関係ないので省きますけど」
 そこまで一気に説明し、私は息をついた。江名さんの表情はさっきから変わってない。ポーカーフェイスのできない人だけど、なにを考えてるのかは読み取れない。
「そのリアに問題が起きたのが、一週間ほど前のことです。その問題がなかなか解決しなくて、ずっと悩んでました」
 ごくごく簡単に事情を説明した。それをどう捉えるかは、江名さん次第。
 私は真っ直ぐ江名さんを見つめた。
 江名さんは腕を組み、小さく唸った。
「まさか魔法使いが出てくるとは、このあたしも予想できなかった。だけど、リアちゃんが魔法使いだってことは信じてもいいと思ってる」
「えっ……?」
 まさか魔法も見せずに信じてもらえるとは思ってなかった。
「で、そのまだ解決できてない問題ってなんなの?」
 これを話すと江名さんも否応なく巻き込むことになる。よく考えて話さないと。
 と思ってたら、江名さんは私の考えなんてお見通しだった。
「もう十分巻き込まれてるんだから、今更でしょ?」
「江名さん……」
 ホントに、もう今更だ。リアが魔法使いだってことを話した段階で、私の中ではすべてを話す決心がついていたのに。
「魔法を使うには魔力という力が必要なんです。その力がリアの中で暴走してしまうというアクシデントがあったんです」
「暴走って、穏やかじゃないわね」
「最悪、精神崩壊を引き起こすそうです」
「ちょ、ちょっと待った。精神崩壊って、つまりその……」
 江名さんですら言葉に詰まってしまった。
 精神崩壊。死ぬわけじゃないけど、死んでるのと同じことだから。生ける屍とでも言えばいいか。もう少し柔らかく言えば、植物人間だ。
「……その原因は?」
「それは未だにわかっていません。調べてはいるんですけど。ただ、原因かもしれないということがいくつかあって。それへの対策はしています」
「だったら、そんなに悩む必要ないんじゃないの?」
「いえ、その原因が私かもしれないんです」
 改めて言葉にすると、心が痛い。
 だけど、今リアの抱えてる現実に比べれば、なんてことはない。
「私にも魔力があるそうなんです。それも、普通の人が持ち得る量とは思えないほど桁違いの魔力が。その私の魔力がリアの魔力に干渉して、それが原因で力が暴走しているかもしれない、ということです」
 精神修養のおかげか、取り乱すことなく話せた。あまりにも平然と私が言うから、逆に江名さんが困惑してる。
「これが、私の悩みのすべてです」
「そっか……」
 腕組みを解き、江名さんはふうと息を吐いた。
 それから少しの間、江名さんはなにも言わず考え込んでいた。
 私も私の方から言うことは特になかったから、必然的に沈黙することとなった。
 いったいどのくらいの時間黙っていたのかはわからない。たぶん、それほど時間は経ってないと思うけど、私にはとても長いものに感じられた。
「オーケー。事情はわかったわ。それと、門外漢のあたしにはどうすることもできないってこともわかった」
 江名さんは目を細め、言葉を続けた。
「あたしにできることは、こうやって話を聞いたり、バカやって気持ちを紛らわせてあげることくらい」
「いえ、それだけで十分すぎるくらいです」
「直接なにかをしてあげることはできないけど、晴美ちゃんとリアちゃんなら大丈夫だって信じてるわ」
「はいっ」
 江名さんの優しい言葉に、涙が出てきた。
 話すだけでこんな気持ちになれるなら、もっと早く話しておけばよかった。ホントに私はなにをやってもダメだ。
 それでも、いつまでもダメなままの私でもいられない。
 リアのためにも、ミヤのためにも、江名さんのためにも。
 そしてなによりも、自分のためにも。
 
 家に帰ると、少し体がだるかった。仕事中も帰りの電車でもそんなことはなかったのに。
 夕食の準備をリアに代わってもらって、私は少し休むことにした。
「ふう……」
 ソファに体を横たえると、思わずため息が漏れた。
 感じ的には風邪とかそういうのではない気がする。体のだるさと頭の奥にもやがかかっているような、不快な感じだ。
 台所からは小気味よい音が聞こえてくる。本当ならそれだけで気分も落ち着いてくるんだけど、今日は全然ダメだ。
 目を閉じて気分を落ち着けようとするけど、不快さは増す一方。
 いったい、どうしたっていうんだろ?
 最近は仕事だってそんなに忙しくないし、夜だってちゃんと寝てる。食事だってちゃんととってるし。
 原因がわからない。わからないけど、実際体は不調だ。
「晴美さん、大丈夫ですかぁ?」
 真上から声がかかった。見ると、エプロン姿のリアが心配そうに私の顔を覗き込んでいた。
「……ん、大丈夫よ。ちょっとだるいだけだから。心配しないで」
「でもぉ、顔色もよくないですよぉ」
 顔色を指摘され、思わず押し黙ってしまった。見た目もダメなのか。
 だけど、それ以外はなんともないし、本当に心配するようなことじゃないと思う。
 私は少し無理気味に笑顔を作った。
「大丈夫。今日は早めに寝るから、それで明日には治ってるわよ」
 できるだけ心配かけないように言う。
 それでもリアの表情は晴れない。まあ、目の前の私の状態が改善しなければ、それは無理なのかもしれないけど。
「……わかりましたぁ。でもぉ、無理はしないでくださいねぇ」
 無理矢理自分を納得させ、リアは台所へと戻った。
 気配が側から消えると、またため息が漏れた。
 ため息をつく度に幸せがひとつ逃げるって言うけど、これじゃあ私の幸せなんて、なくなっちゃうかもしれない。
 ホント、ダメだなぁ。
 
 体の奥底からわき上がるすさまじい力。
 無理矢理押さえつけられ、爆発寸前のその力。
 まるで体の内側から引き裂かれそうな、そんな感覚。
 ざわめきとうごめきが、まったく止む気配がない。
 これはいったいなんなの? 私の体になにが起きてるの?
 だるさを放っておいたから? 治るだろうと思って薬を飲まなかったから?
 違う。そんなことじゃない。もっと、根本的なことだ。
「うっ……」
 夜中。急激な吐き気を催し、私はトイレへと駆け込んだ。
 いつもより少なめだった夕食も、全部戻してしまった。
 それでも一向に収まらない吐き気。夕方のだるさ、不快さもまだ残ってる。
「……なんなのよ、これは……」
 トイレから出て、洗面所の鏡で自分の顔を見た。
 青ざめ、目はうつろで、とても自分の顔とは思えなかった。寝込んだ時だってここまでにはならない。明らかにおかしい。
 だけど、悪態をつく気力すらない。今はただ、この状態から早く脱したいだけ。
 誰でもいい。なんでもいい。私を、これから解放して。
 
 不意に、体が軽くなった。
 
 さっきまでの感覚がウソのようだ。
 重しがなくなり、すべてが解放されていく、そんな感じ。つい一週間前に、魔力を封印してもらった時にも、似たような感覚を味わった。
 だけど今回はそれの比じゃない。体中の感覚が解放されていく感じ。神経の一本一本までもわかるような繊細な感覚。
 体のだるさは微塵も残っておらず、あの不快さもない。
 どうして急に治ったのかはわからないけど、あの最悪の状態を脱しただけで十分だ。あんな状態があと少しでも続いていたら、私は発狂していたかもしれない。
『遅かったようですね……』
 その時、声が響いた。
 私の知る限り、そんなことをするのはミヤしかいない。そして、すぐに本人が現れた。
「遅かったって、どういう意味?」
 私は挨拶もなしに、ミヤに訊ねた。なんとなく、イヤな予感がしたからだ。
 ミヤはまつげを伏せ、躊躇った。
「晴美さんの魔力が、覚醒してしまったのです」
「えっ……?」
「わたくしの封印の魔法も解かれ、晴美さんの魔力は完全に覚醒しました。もはやわたくしにそれを抑える手だてはありません……」
 ミヤは、いったいなにを言ってるんだろう。
 私の魔力が覚醒した? どうして? だって、私の魔力はミヤが封印したんでしょ?
 それなのにどうして覚醒なんて大げさなことになるの?
「ちょ、ちょっとミヤ。それって、冗談でしょ?」
「……いえ、冗談ではありません。むしろ、冗談ならよかったのですが」
 小さく頭を振り、私から視線をそらした。
「じゃ、じゃあ、まさかとは思うけど、またリアに影響を及ぼしちゃうってこと?」
「かなりの高確率でそうなるはずです」
 私は、その場にへたり込んでしまった。
 なんで? なんでこんなことになるの?
「方法は? 方法はないの?」
「晴美さんの魔力の量は、わたくしたち魔法使いをも凌駕するほどです。その魔力をひとりで封印できるような魔法使いは、現在確認されている中にはいません」
「そんな……」
 せっかく精神修養までしたのに。せっかく落ち着いた生活ができてきてたのに。
 どうして? どうしてそれをみんな奪おうとするの?
 私がなにをしたって言うの? 私が悪いの? みんな悪いの?
「晴美さん。晴美さんが今なにを考えているかは、おおよそわかります。ですが、今為すべきことはそれではないはずです」
「……そうね。確かにミヤの言う通りだわ」
 私のこともあるけど、今はリアのことを考えなくちゃいけない。
「それで、ミヤ。力の暴走の原因は特定できたの? この前、もう少しで特定できるかもしれないって言ってたでしょ?」
「はい。一応特定できました」
「じゃあ、やっぱり……?」
 私は、改めて訊いた。
「晴美さんの魔力が原因でした」
 そして、突きつけられた結果は、私の想像と違わないものだった。驚きもない。
 だけど、そうするとますますリアのことを考えなくちゃいけない。このままだとリアの力が暴走してしまう。
「どうすればいいの?」
 自然と気持ちは落ち着いていた。これも精神修養のたまものかも。
「一番いいのは、リアを晴美さんの側から離すことです。たとえ晴美さんの魔力が強くても、物理的な距離はどうすることもできませんから」
 確かに、それが安全だろう。だけど、そうするとリアの研修はどうなるんだろ。十五歳の誕生日までしか期日はないのに。
「もちろん結論は急ぐ必要がありますが、それでも一度リアと話し合う必要があると、わたくしは思います」
「そうね、私もそう思うわ」
 ミヤの意見に私も同意した。
「それでは、明日、リアを含めて話し合いの場を設けたいと思いますが、よろしいですか?」
「ええ、いいわ」
「わかりました。それではまた明日、参りますので」
 そう言ってミヤは消えた。
 残されたのは、なにをどうすればいいのか皆目見当もつかない私だけ。
 まさかとは思うけど、これがリアに課せられた本当の研修課題、ってことはないわよね。
 こんな、非常識なことが課題だったら、私は課題を出したその人を許さない。
 私のことなんてどうでもいいけど、リアにだけはちゃんとあってほしいから。
 
 だけど、やっぱり私の些細な願いなど、誰も聞き入れてはくれなかった。
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