恋愛行進曲
 
第十二章 大切なこと、大切なもの(後編)
 
 一
 十二月二十五日。クリスマス。
 クリスマスの朝は、前日と違い暖かな朝だった。
 いや、気温だけじゃないな。
「……う、ん……」
 抱き枕、って、俺が抱き枕にされてるのか。ま、ようするに愛が俺に抱きついてるおかげで温かいというわけだ。
「それにしても……」
 昨夜はあまりにもいろいろなことがありすぎた。もちろん、後悔はしていない。それでも、急加速すぎたような気がする。
「婚約、か」
 口約束だけだし、指輪を贈ったわけでもない。それでも、俺たちの間では十分なのだ。これは二度目の約束だから。
「やれやれ……」
「……洋一ってさ、すぐため息つくよね」
 と、いつの間にか愛が目覚めていた。
「おはよ、洋一」
 言いながらキスしてくる。
「そんなにため息ばかりついてると、どんどん幸せが逃げていくわよ」
「それ、姉貴にも言われた」
「でしょ?」
 こいつは昔から姉貴のことを追いかけてるからな。そういう風にでも同じように扱われると、嬉しそうにする。
「で、なんでため息なんかついてたの?」
「いや、高二で婚約しちゃったんだなぁ、と思ってさ」
「……イヤ、だったの?」
「アホ」
「痛っ」
 俺は、愛の額を小突いた。
「おまえは、そのなんでも悪い方に考える癖を直せ」
「だってぇ……」
「別にイヤだなんて言ってないだろうが。俺はただ単に、高二で婚約するなんて、ドラマや小説、マンガみたいな展開だと思っただけだ」
「なんだ、そうなんだ」
 あからさまにホッとするなっての。
「そういうわけだから、本当にたいしたことじゃないんだよ」
 なんとなくだけど、俺はこれからも同じようなことを言い続けるのかもしれないな。こいつのこの性格が治らない限りは。
「それならいいんだけど」
「おまえももう少し──」
 と、その時、時計が目に飛び込んできた。
「……え……?」
「どうしたの?」
「……九時……五十分……」
「あ、ホントだ。もうそんな時間なんだ」
「や、やべぇっ」
「ど、どうしたの?」
「美樹だよ、美樹」
「えっ、美樹ちゃん?」
「今日は、美樹につきあうって約束してたんだ」
「あ〜、なるほどね。それはまあ、慌てないと」
「てめぇ、人ごとだと思って」
「だって、人ごとだもん」
「うが〜っ!」
 俺は大急ぎで帰る支度をした。
 服は着たまま寝たからいいとして、マフラーとダウンジャケットを持ち、愛からのプレゼントを持って。
「悪い、愛。夜にでもまた連絡するわ」
「うん。あんまり期待しないで待ってる」
「悪い」
 こういう時は、愛の方が助かる。これが美樹のことを知らない相手だと、こうはいかないな。
 って、のんびりしてる暇はない。
 急いで帰って、お姫様のご機嫌を取らないと。
 
「…………」
 音を立てずに玄関を開ける。
 たたきを見ると、靴の数が少ない。どうやら姉貴はいないらしい。
 まあ、クリスマスだし和人さんと一緒にいるか。
 で、当然、お姫様の靴はあるわけで。
 こっそり中に入る。
 が──
「……お兄ちゃん」
 いったいどこにいたのか、そこにお姫様──美樹がいた。
「お、おう、美樹」
「おかえりなさい」
「た、ただいま」
「ずいぶん、ゆっくりだったんだね」
「ま、まあな……」
「もう、十時過ぎてるんだよ」
「そ、そうか……」
 ヤバイ。今日の美樹はマジで怖い。目が据わってるし。
 姉貴も本気で怒ると怖いが、さすがはその妹。怖さの質が似ている。
「まさかとは思うけど、約束、忘れてないよね?」
「忘れてないって」
「うん、じゃあ、許してあげる」
 ようやく美樹は、いつもの穏やかな表情に戻った。
「んもう、ホントに忘れてるんじゃないかって思ったんだからね」
「悪かった。本当に悪かった」
 靴を脱ぎ、二階へ上がっていく。
「姉貴は、和人さんと?」
「うん。昨夜からずっとだよ」
「なんだ。じゃあ、昨夜は三人だけだったのか」
「うん」
 部屋に入ると、美樹もついてくる。
「愛お姉ちゃん、喜んでくれた?」
「ん、ああ、まあな」
「そっか。よかったね」
 美樹にとっては、愛はもうひとりの『姉』だ。その『姉』のことを気にかけるのは当然か。
「美樹」
「なぁに?」
「着替えて準備するから、おまえも準備してこい」
「はぁい」
 時間がないせいか、美樹は素直に部屋を出て行った。
「……ま、こういうのもありか」
 とりあえず今日は、美樹のことだけ考えていよう。
 
 準備を済ませ、十一時前にはなんとか家を出ることができた。
 別にどこに行くとかは決めていなかったので、とりあえずは駅前に出ることにした。
「なんか食べたいものあるか?」
「おごってくれるの?」
「まあ、たまにはな」
「あはっ、ありがと、お兄ちゃん」
 駅前に出てきた時にはもう昼時だったので、まずは昼食を取ることにした。
 おごると言ったのには、ご機嫌取りの意味も含まれてるのだが、それは言わないでいいことだ。
「えっとね……」
「ゆっくり考えていいぞ」
「ん〜、じゃあね、カレーがいい」
「カレー? カレーか。となると、どこがいいかな」
 駅前には何軒もカレー屋がある。旨いと評判の店もあり、あとはこっちがどこを選ぶかだけである。
「あ、あんまり辛いのはヤダよ」
「美樹はまだまだお子様だからな」
「むぅ、そんなことないもん」
 と言いながら、市販のカレールーでも辛口はそのままでは食べられない。母さんが美樹の分にはミルクなんかを入れてなめらかにしている。
「じゃあ、辛口に挑戦するか?」
「うっ……そ、それは、やっぱり、その、こ、今度かな、うん」
「よし、じゃあ、今度、辛口に挑戦な」
「う、うん」
 で、俺たちは駅前の結構有名なカレー屋に入った。
 昼時ということで、店は結構混んでいた。
 俺はラム肉のカレーを、美樹はチキンカレーを頼んだ。
「食べたら、どこか行きたい場所はあるのか?」
「ん、別にこれといってないけど……あ、ううん、行きたいところ、あるよ」
「なら、そこへ行くか」
「ああ、えっと、そこに行くのは、もう少しあとにしてほしいな」
「あと? いつくらいがいいんだ?」
「夕方、かな」
「まあ、別にいつでもいいけど」
 どこへ行きたいのかはわからんが、きっとなにかあるんだろうな。
「お兄ちゃん」
「ん?」
「お兄ちゃんと愛お姉ちゃんて、結婚するの?」
「ぶっ」
 唐突になんてことを言うんだ、こいつは。
「だ、誰がそんなこと言った?」
「お姉ちゃん」
「……あの姉貴は……」
「どうなの?」
「可能性は、ある」
「可能性なの?」
「うぐっ……」
 痛いところを突いてくる。
「いくら私がお兄ちゃんのことを好きでも、愛お姉ちゃんとのことまでどうこう言うつもりはないよ」
「……十分言ってると思うけど……」
「ん、なぁに?」
「いや、なんでもない」
 ま、確かに昨日の今日ということを考えれば、話してもいいのかもしれないな。特に、美樹には早めに言っておいた方が後々のためか。
「別に、可能性というのは事実だからそう言ったんだけどな」
「どういう意味?」
「限りなく近いんだけど、そうならない可能性もあるからだ」
「お兄ちゃんは、一緒になりたいの?」
「そりゃ、まあ、今のところは愛以外には考えられないけど」
「そうだよね。愛お姉ちゃん、綺麗だし、スタイルもいいし、頭もいいし、なんでもできるし。愛お姉ちゃん以上の人を探そうと思っても、そうはいないもんね」
 確かにその通りなのだが、なんとなく素直には頷きにくい。
 少なくとも俺の近くにはもうひとり、それに匹敵する人がいるから。
「お兄ちゃんにひとつだけ言っておくけど、私がもうひとりの『お姉ちゃん』として認めているのは、愛お姉ちゃんだけだからね。お兄ちゃんがほかに誰のことを好きになってもいいけど、でもね、私はその人のこと、そう簡単には認めてあげないから」
 それはつまり、俺にはもう選択肢はないということか。
「そうならないように、愛お姉ちゃんのこと、大事にしなくちゃダメだからね」
「了解」
 美樹にここまで言われるとはな。
 やっぱりこれは、警告なんだろうな。美樹も、彼女のことは知ってるわけだし。
 本当に、やれやれだ。
 
 カレー屋を出た俺たちは、駅向こうのショッピングモールにやって来た。
 どこでもよかったのだが、ここが一番選べると思って、ここへ来た。
 この前三人でここへやって来た時もクリスマス一色だったが、今日はそれ以上だった。とにかく今日中にさばかなければ売れ残ってしまう。特に食料品は問題である。ケーキでもなんでも、店頭に特設売り場を設け、必死に売っている。
「美樹」
「うん?」
「プレゼント、なにがいい?」
「えっ、なんでもいいの?」
「本当になんでもいいわけじゃないけど、常識の範囲内ならなんでもいいぞ」
「じゃあねじゃあね……」
 美樹の頭の中では、いったいいくつの『ほしいもの』が浮かんでるんだろうな。
 さすがに俺の財力も知ってるから、本当に無茶なことは言わないと思うが。
「あ、そうだ。ねえ、お兄ちゃん」
「ん?」
「お兄ちゃんが持ってる時計って、ここで買ったんだよね?」
「ああ。ここの時計屋で買ったけど、それが?」
「私も、お兄ちゃんと同じ時計がほしいなって思って」
 なにを言い出すかと思えば。それはつまりなにか。ペア時計がいいってことか。
 とはいえ、なんでもいいと言った手前、すげなく断るわけにもいかないか。
「じゃあ、とりあえず見に行ってみるか」
「うん」
 時計屋は、モールの三階の一角にあった。
 ここもクリスマスということで、それらしい飾り付けが施されていた。
 俺がここで時計を買ったのは、去年の秋。前の時計がどうしても時間があわなくなり、仕方なしに新しいのを買ったのだ。
 基本的にはアナログ時計の方が好きなので、そのあたりでそれほど高くないものを選んだ。
「う〜ん……」
 一年以上経っているから、さすがにディスプレイも変わっていた。
 アナログ時計のコーナーを丹念に見ていく。
「あ、これ」
 美樹が見つけたのは、確かに俺の時計にそっくりな時計だった。
「でも、文字盤が少し違うな」
 そう、文字盤のフォントが若干違っていた。
「もう同じのってないのかな?」
「訊いてみるか」
 俺は、暇そうにしていた店員を呼んだ。
「すみません。この時計と同じ時計ってありますか?」
「こちらですか? 少々お待ちください」
 店員は俺の時計を受け取り、メーカーを型番を確認している。
 レジ横のパソコンを操作し、在庫状況を確認する。
「大変申し訳ありませんが、こちらの型はすでに生産を中止しておりまして、店頭にない場合はこちらにはございません」
 ま、安物だし、それはしょうがないか。
 美樹を見ると、多少予想はしていたようだが、それでも軽く落胆していた。
「同じような型のものでしたら、ご用意できますが」
「もう少し見てみます」
 そのまま流されて買うのもなんだったので、いったん店員を遠ざけた。
「で、どうする?」
「うん……」
 美樹の心情からすれば、似たようなものでは満足できないだろうな。
「同じ時計がいいんだよな?」
「うん」
 あまり余裕はないが、カワイイ妹のためだ。
「よし。じゃあ、揃いのを買うか」
「えっ……いいの?」
「めちゃくちゃ高いのは勘弁してほしいけど、普通のならいい」
「……お兄ちゃん、ありがとう」
 美樹は、人前であることを考え、できるだけ控えめにそう言った。まわりに誰もいなければ、抱きつかれてただろうな。
 で、時計を探したのだが、手頃でペアの時計というのはなかなかなかった。もちろん、まったく同じものを選べばあるのだが、そうすると俺か美樹が男物、もしくは女物になってしまう。
 最終的にはそのあたりに落ち着きそうだったが、とりあえずはいろいろ探すことにした。
「あ、これなんてどうかな?」
 それは、針に細工が施された、一応男物なのだが、女性にも問題なく選べそうな時計だった。
 値段も手頃。デザインも悪くない。
「それにするか?」
「う〜ん……」
 時計を手に取り、腕にしてみる。
「……うん、これにする」
「よし」
 決まればあとは早い。
 早速それをふたつ買う。
 プレゼント用にラッピングしてもらおうと思ったのだが、美樹がそれを断った。
 だから、とりあえず店の袋に入っている。
 時計屋をあとにして、俺たちはモール内の少し広い場所へ出てきた。
「お兄ちゃん。この時計、してもいいかな?」
「ん、ああ、もうおまえのなんだから好きにしろ」
「うん」
 なるほど。早速してみるつもりだったから、余計なラッピングを断ったのか。
「どうかな?」
 美樹の細い手首に、茶色のベルトの時計が、妙にしっくりいっていた。
「悪くないな」
「ホント?」
「ああ」
 問題は、俺なのだが、どうするかな。
「あ、お兄ちゃんはそのままでいいよ」
「そうか?」
「うん。お兄ちゃんと同じのを持ってることが大事なの。だから、別にそれをいつもしてくれてなくても私はいいから」
 まったく、健気なことを言うじゃないか。
「お兄ちゃん。ありがとうね。大事にするから」
「ああ」
 とりあえず、喜んでくれたのなら、いいか。
 今日は、特別な日だし。
 
 時計を買ったあとは、特になにもなかったから、ショッピングモールをあちこち見てまわった。
 昨日も愛と同じようなことをしたが、一緒にいる相手が違うだけで、なんとなくこっちの気分まで変わる。
「あ、お兄ちゃん。あれ見て」
「ん?」
 二階の一角で、美樹はそんなことを言ってきた。
 なにを見つけたのかと思えば──
「あれ、サンタのポストだよね」
「たぶんな」
 それは、サンタクロースに対してほしいものを手紙に書いて投函するためのポストだった。こういうのは結構いろいろなところにあって、別に珍しいことでもない。
「そういや、美樹も昔、いろいろお願いしてたな」
「うん、そうだね」
「確か、大きなクマのぬいぐるみがほしいとか書いてた年があったな」
「あの時は、クマはクマでも、このくらいのテディベアになっちゃったけどね」
 確かに等身大くらいのクマをほしがっていた美樹に、父さんと母さんは三十センチくらいのテディベアを買ってきた。美樹としてもあまり大きいのは端から無理だと思っていたのか、それを素直に受け取っていた。
「あとは──」
「あとは、基本的にはお兄ちゃんと同じものがほしいって言ってたよ」
「そうだったな」
「私としては、お兄ちゃんがほしいものがほしかったわけじゃなくて、お兄ちゃんと同じものを持っていたかっただけだから」
「で、父さんと母さんはそんな美樹の思惑に気付いててなお、別のものを買ってよこしてたもんな」
「うん」
 母さんはそうでもないけど、父さんはとにかく美樹を可愛がってるから、よほどのことでもない限りは、言うことを聞いていた。そんな父さんでも、俺とまったく同じものを与えるのには抵抗があったらしい。
「あ、そうだ。お兄ちゃん」
「ん?」
「前にね、お母さんに聞いたんだけど──」
「母さんに?」
 なんか、イヤな予感がする。
「お兄ちゃんがまだちっちゃな頃、確か、しゃべれるようになってすぐの頃だって言ってたけど、その時のクリスマスに変わったものを頼んだってね」
「……それは?」
「えっとね」
 美樹は、笑顔でもったいぶる。
「弟か、妹」
「…………」
「その年が明けて、私が生まれて。それって、お兄ちゃんのお願いがかなったってことなのかな?」
「……さあな」
 その頃の俺の心情までは覚えていないが、それでもどうしてそんなことを言ったのかはわかる。
 それは、姉貴がいたからだ。俺は昔から姉貴にいろんな意味で可愛がられてたから、いつしか俺も姉貴と同じように弟か妹を可愛がりたいと思うようになった。まあ、最初の動機は姉貴の真似をしたかった、というところなんだろうけどな。
「私ね、ずっと思ってたの」
「なにをだ?」
「私って、きっとすごく幸せな妹なんだろうなって。お父さん、お母さんはもちろん、お姉ちゃんもお兄ちゃんも私にはもったいないくらいよくしてくれるし」
「それは、別に特別なことじゃないだろ」
「かもしれないけど、少なくとも私はそう思ってるから」
 そう言って美樹は微笑んだ。
「だからね、私がお兄ちゃんのことを好きになるのは当然なんだよ」
 この場合の『好き』はいったいどういう意味の『好き』なんだろうな。
「そろそろ時間だね。行こ、お兄ちゃん」
 
 ショッピングモールをあとにした俺たちは、駅から電車に乗り込んだ。
 切符は初乗り分で、とりあえず俺はどこに行くかは知らない。もちろん、初乗りで行ける区間など限られているし、乗った電車を考えればある程度は予想できる。
 で、降りたのはふたつ目の駅。
 ここは、俺たちの駅よりも大きな駅で、駅前も発展している。
 美樹が目指したのは、その駅前にあるとあるビルだった。
 都心にあるような超高層ビルではないが、この近辺では比較的高い部類に入るビルである。
 ほとんどがオフィスなので、今日のような土曜日だと閑散としている。
 ただ、それでも人の出入りがあるのには訳がある。
 それは──
「ここは未だに穴場なんだな」
「そうだね」
 最上階が展望台になっているのである。
 まわりに高い建物がないおかげで、ここに来れば本当に遠くまで見渡せる。
 ただ、夜遅くまで開いていないことと、本当になにもないせいで、逆にあまり人が来ない。
 窓際に寄る。
 そこから見えるのは、灯り出した繁華街のイルミネーションと、住宅街の明かり、そして、そろそろ沈む夕陽である。
「どうしてここに来ようと思ったんだ?」
「特別な理由はないよ。ただ、お兄ちゃんと一緒にこの景色を見たかっただけ」
 言いながら美樹は、俺の腕をそっとつかんだ。
 こういう場所にいると、言葉まで選ばなければならないような気がする。本当はそんなことないのだが、雰囲気というのは恐ろしい。
「美樹」
「なぁに?」
「おまえに、話しておきたいことがある」
「話しておきたいこと?」
 昼間はなんとなく流れてしまったけど、やはり美樹には早めに話しておく必要がある。
「昨日、愛のところに行っただろ?」
「うん。正確には、今朝まで、だけどね」
「……変なところにツッコミを入れるな」
 こういうところは姉貴にそっくりだ。
「その時にな、ひとつ、約束をしたんだ」
「約束? 愛お姉ちゃんと?」
「ああ」
「……それって、もしかして……」
「ああ、婚約、だ」
 一瞬、美樹の表情が固まった。
「ただ、それはあくまでも俺たちふたりだけの口約束で、書類を交わしたわけでもないし、ましてや指輪を贈ったわけでもない」
「…………」
「それでも、俺たちにとってはなによりも大事な、大切な約束になった」
 そこまで言って、俺は一度言葉を切った。
 美樹は、俯いたまま、なにも言わない。
 ただ、美樹の言葉を待つ。
「よかったね、お兄ちゃん」
 そして、このできた妹は笑顔でそう言った。
「お兄ちゃんと愛お姉ちゃん、本当に昔から相思相愛だったもんね。こうなるのは当然なのかもしれないけど、でも、よかったね。私もね、妹として本当に嬉しいよ。だって、大好きなお兄ちゃんと大好きな『お姉ちゃん』が一緒になるんだもん。こんなに嬉しいこと、ないよ」
「美樹……」
「嬉しい……嬉しいけどね……でもね、どうしても涙が出てきちゃうの……」
 だが、その笑顔もすぐに泣き顔に変わった。
「ダメ、だよね、こんなことじゃ。私はお兄ちゃんの妹なのに」
「ダメじゃないさ」
「でも……」
「それだけ美樹が、俺のことを想ってくれてるってことだろ?」
「……うん」
「だったら、ダメなんてことはない」
「お兄ちゃん……」
 俺は、そっと美樹を抱きしめた。
 普段ならいざ知らず、今日はクリスマスだ。理由はまったく違うが、こうして抱き合っていてもそれほど変な目で見られない。
 もっとも、多少変な目で見られても、美樹のためなら甘んじて受け入れるだろうけど。
「……やっぱり、ヤダよ……お兄ちゃんは、私の……美樹の、お兄ちゃんなのに……」
 想いが、堰を切ったように溢れてくる。
「相手が愛お姉ちゃんでも、イヤ。ずっと、美樹の側にいてほしい。ずっと、美樹だけのお兄ちゃんでいてほしい。お兄ちゃんが大好き。お兄ちゃんしか好きになれない。美樹の好きな人は、お兄ちゃんだけだから」
「…………」
 俺は、なにも言ってやれなかった。
 俺も美樹も、もう結論は出ている。そして、その結論を俺は受け入れ、美樹は最後の最後で受け入れられずにいる。
 ただそれだけだ。
 
 美樹が表面上でも落ち着いたのは、それから三十分ほど経ってからだった。
 とはいえ、そのままの美樹を連れてどこかに行くのも無理だった。
 結局、帰ることになった。
 駅までも、電車に乗ってからも、駅に着いてからも、俺たちはひと言も話さなかった。別に無視したわけではない。ただ、少なくとも美樹は、なにか話したらそのまままた堰が切れてしまうと思ったからだ。
 駅前を抜け、家路に就く。
 すでにあたりは暗く、だいぶ寒くなっていた。
「美樹。寒くないか?」
 俺の言葉に、美樹は軽く首を振った。
 こうなったのは俺の責任ではあるが、だからといってこれ以上どうすることもできないというのが、俺の本音でもあった。
 あくまでも俺と美樹は、兄妹である。どんなにお互いのことが好きでも、兄妹以上の関係にはなれないのである。それは、俺も美樹も十分理解している。理解しているからこそ、美樹は苦しんでいる。
 本当に、皮肉なもんだ。
 と、美樹が握っていた俺の手を放した。
「どうした?」
 それには応えず、美樹は、俺の三歩ほど前に出た。
「私がお兄ちゃんのことを好きになったのには、いろいろ理由があるの」
 それはたぶん、美樹の『最後』の告白なのだろう。
「もちろん、根底には兄妹という関係があるのは言うまでもないけど。でも、それはあくまでも事実でしかないの。だって、世の中には兄妹でもお互いを嫌ってる人たちもいるから」
 確かにそうだ。時にはお互いを憎み合うあまり、殺人まで起きる。
「お兄ちゃんを好きになった一番の理由はやっぱり、優しいから。お兄ちゃんは、私の側にいる時はいつも優しかった。たまに怒られたりもしたけど、そのすぐあとにはそれはダメなことだって諭してくれて、頭を撫でてくれて、笑顔を見せてくれて。それだけで私は暖かな気持ちになれた。そして、お兄ちゃんがダメだって言ったことは二度としないようにって誓った。だって、怒る前に見せる悲しそうな顔を見たくなかったから」
 美樹は、本当に手のかからない妹だったけど、そういう想いを秘めていたとはな。
「お兄ちゃんは、ただ優しいだけじゃなかったから、余計に好きになったの。時にはちゃんと叱ってくれて、つい甘えてしまう私を諭してくれて。最初の頃はどうしてかわからなかったけど、今ではちゃんとわかってる。それは、それだけお兄ちゃんが私のことを大事にしてくれていたからにほかならないってこと」
 そう言って美樹は微笑んだ。
「たぶんね、私ほど大事にされてる妹って、そう多くないと思うの。もちろん、家族として大事にされてる人はほとんどだと思うけど。でも、お兄ちゃんは違う。お兄ちゃんは、私を単なる妹としてだけじゃなく、ちゃんとひとりの『女の子』としても大事にしてくれたから。だから、好きになったの」
 俺の中に、いつの頃からか、美樹を単なる妹としてだけ接していいのかという疑問がわき起こってきた。本当ならそこまで深く考える問題ではないのだが、俺にはそれ以前に姉貴がいたから、否応なく考えることになった。
 単に妹として大事にするなら、それは簡単なことだった。美樹は俺の妹ではあるけど、姉貴の妹でもあり、父さんと母さんにとっては娘なのだ。つまり、俺だけがなにかをすることはない。みんなで平等に大事にすればいい。だから、簡単なのだ。
 でも、俺はそうしなかった。
 姉貴がそうしてくれたように、美樹をひとりの『女の子』としても大事にしようと思った。
 そして、それは今でも続いている。
「お兄ちゃんは覚えてるかな?」
「なにをだ?」
「昔、私が言っていた夢のこと」
「夢? 美樹のか?」
「うん」
「なんだったかな?」
「お兄ちゃんの、お嫁さん」
 あ〜、確か、そんなことを言われた気がする。
「正直に言えばね、その夢、今も同じなの。もちろん、お兄ちゃんと一緒にいることの方が大事だから、結婚はどっちでもいいという感じではあるんだけどね。それでも、お兄ちゃんの隣でウェディングドレスを着て、誓いのキスを交わして。そういうのに憧れてる」
 絶対にかなわない夢、か。
「そんな顔しないで、お兄ちゃん。別に私、悲観してないから。確かにその夢はかなわないけど、ずっと一緒にいられるなら、我慢できることだから」
「美樹……」
「お兄ちゃん。私の、ひとりの『女の子』としての最後のお願い」
 そう言ってクルッと後ろを向いた。
「キス、してください」
 いつもと変わらない口調で、美樹はお願いを言ってきた。
「妹としてではなく、お兄ちゃんのことを大好きなひとりの『女の子』として」
 そこまで言って、再びこっちを向いた。
 あとは、俺次第。
 だが、俺の答えなど最初から決まっている。
 俺は、二歩で美樹の前に立つ。
 そして──
 
 冬の夜空の下、俺たちは最初で最後の『恋人』のキスを交わした。
 
 二
 クリスマスの夜は、実に賑やかに過ぎた。
 俺と美樹も表面上は平静を装い、少なくとも姉貴以外には気付かれなかった。
 父さんと母さんはアルコールが入ったおかげで、夜半過ぎには意識を失った。
 まあ、そこまで大げさに言うこともないのだが、ようは酔っぱらって前後不覚に陥ったということだ。うちは母さんの家系が『ザル』の家系で、それにあわせて飲むと相手がたいてい落ちる。で、相手が先に落ちたことに不満を露わにし、やけ酒を飲んで自分も落ちる。これがお決まりだ。
 そんなこともあって、父さんと母さんは落ちた。
 で、当然俺たち姉弟が残ったわけだ。
 姉貴が気付いていたのはわかっていたから訊かれるかと思ったけど、とりあえずはなにも訊かれなかった。
 後片づけなんかを済ませ、まったりしていると昼間の疲れのせいか、美樹がうつらうつらしてきて、結局寝落ちした。
 そして、今──
「それで、なにがあったの?」
 美樹を部屋に寝かせ、俺は姉貴の部屋にいた。
 姉貴は椅子に座り、俺はベッドに座っている。
「けじめをつけた、というところかな」
「けじめ? それって、兄妹としての?」
「たぶん」
「けじめ、ねぇ……」
 小さく唸り、足を組み替えた。
「あんただけを責めるのはたぶん、間違ってるんだろうけど、こうなる前になんとかならなかったのかしらね」
「なっただろうけど、今更だよ、そんなの」
「まあね」
 方法はあったはずだ。それこそ兄妹だったんだから。
「私も人のことは言えないけど、どうしてこうも好きになる相手が身近なのかしらね。あんたを選ぶこと自体は、目利きとしては間違ってないと言えるわ。でも、それは相手が他人の場合。私や美樹じゃ、ダメなのよ。姉であり、妹なんだから」
「…………」
「でもまあ、けじめをつけられたのなら、とりあえずは安心していいのよね?」
「ああ」
「そっか」
 姉貴は、ようやく笑みを浮かべた。
「どんな風にけじめをつけたの? まさか、デートだけでけじめをつけたわけじゃないんでしょ? デートなら前にもしてるし」
「ん〜、まあ、なんていうか、キス、かな」
「キス? 唇と唇で?」
 俺は頷いた。
「なるほど。最初で最後のキスか。美樹らしいといえば、美樹らしいわね」
 確かに、そうなのかもしれない。もっとも、それ以上のことを望まれても俺は応えてやれないし。
「とはいえ、大好きなお兄ちゃんを吹っ切るのは、まだ当分先になりそうね」
「それは俺にはなんとも」
「ああ、でもあれか。心配性のお兄ちゃんも、妹に変な虫がつかないように目を光らせるか」
 そう言って笑う。
 微妙に否定できないところが悔しい。
「でもさ、洋一」
「ん?」
「なんで今日けじめをつけなきゃいけない展開になったわけ? 普通にデートしてればそんなことになりっこないでしょ?」
「…………」
 なんとなく予想はしていたけど、やっぱり姉貴にも言わなくちゃならんのか。
「昨日──」
「昨日?」
「愛と口約束だけど、婚約したからだ」
「こんにゃく?」
「……殴っていいか?」
「冗談よ、冗談。でも、それ、本当なの?」
「ウソだと思うなら、愛に訊いてみなよ」
「……ん〜、なるほど、そういう話を聞かされれば、けじめをつけようと思うわね。美樹にとっては、洋一が大好きなお兄ちゃんであるのと同じように、愛ちゃんも大好きな『お姉ちゃん』だから。そのふたりが本当に幸せになれるなら、妹としては心から祝ってあげないといけないし」
 実際、美樹がそこまで考えていたかどうかはわからないし、わかろうとも思わない。俺がそれを知ったところで、結果は変わらない。なら、言い方は悪いが、傷をえぐるようなことはしたくない。
「ねえ、洋一」
「ん?」
「もしも、この世界で妹との恋愛が認められるなら、どうする?」
「……どうもしないよ。それ以外の条件が同じなら、結果も同じ」
「じゃあ、どういう条件なら、違う結果になるわけ?」
「そんなの決まってる。愛と出逢わなかったら、という条件だよ」
「なるほど」
 それ以外では、絶対にないと言い切れる。
「それだけ愛ちゃんの存在は大きい、ということか」
 たぶん、姉貴にはその答えはわかっていたはずだ。それでも、俺の口から直接聞かないと気が済まなかった。そういうところだろう。
「そっか。愛ちゃんと婚約か。愛ちゃん、喜んでたでしょ?」
「ん、まあ」
「愛ちゃん、昔から言ってたからね」
「なにを?」
「おっきくなったら、洋ちゃんのお嫁さんになるの、って」
 あいつは……
「洋一は覚えてるかどうかわからないけど、昔から愛ちゃんはなにかにつけ、洋ちゃん、洋ちゃんだったからね。そりゃ、ひとりっ子だったってこともあるんだろうけど、まだ恋愛感情と気付く前から、ずっと洋一ひと筋だったし」
「…………」
「だからね、私はずっと不思議だったのよ。お互い好き同士なのに、なんでこの年になるまでもう一歩が踏み出せなかったのかなって。そりゃ、幼なじみの関係を壊してしまうことに恐怖心を抱くのもわかるわよ。でも、ふたりの絆ってそんなものくらいで壊れてしまうほど、もろいものじゃないでしょ?」
「そうかもしれないけど、なかなか決断できなかったんだよ」
「私の予想ではね、高校入る頃にはそうなってるはずだったのよ。中学の卒業式かなんかで勢いに任せてバーンとね。でも、そうはならず、結局二年生の夏までかかった、と」
「悪かったな」
「別に悪いとは言ってないわよ。ただ、そうね」
 そこまで言って姉貴は小さくため息をついた。
「これはあんただけを責めるわけにはいかないけど、その遅れのせいで、しなくてもいい苦労をすることになってるでしょ?」
「それは……」
 沙耶加ちゃんのことか。
「なんだかんだ言ってあんた優しいから。彼女のこともむげには扱えない。最終的にどうするのか、どうなるのかはわからないけど、少なくとも蹴落とすような真似はしないだろうし」
「…………」
「これは冗談じゃないんだけどさ、洋一」
「なんだよ?」
「本当に沙耶加ちゃんもモノにしちゃったら?」
「おいおい」
 なにを言い出すのかと思えば……
「まあまあ、まずは私の話を聞きなさい」
 俺からの反論を制し、続ける。
「もちろん、そんなことしないで決着がつくなら私も言わないわよ。でもね、相手があの沙耶加ちゃんだと、そう簡単なことじゃないわ。彼女、良くも悪くも、ものすごく『本気』だから」
「本気だと、なにが悪いんだ?」
「確かに、言葉の意味だけを考えるなら、いいのかもしれない。でもね、その本気という意味が、すべてにおいて、だったらどう?」
「……それは」
「今の彼女の精神状態がそうなのかどうかは、わからないわ。でも、その可能性もあると思う。少なくとも文化祭の時に話した時に、その兆候だけは感じ取れたし」
 姉貴の人を見る目は、確かだ。その姉貴が言うんだから、間違いないんだろうな。
「それに、彼女、精神的に弱い一面を持ってるわね。確かにすでに彼女のいるあんたを好きになったという強さも持ってる。でも、その強さは弱さを隠すためのもの。本当の彼女は、きっとものすごく壊れやすく、もろい。そんな彼女を心から納得させる方法、本当にあると思う?」
「それは、あると思う」
「本当に? だったら、聞きたいわね。少なくとも私は、思い浮かばないわ」
「…………」
「すごく良い子だし、家庭環境も問題ないから、突然凶行に出ることはないだろうけど。でも、どこかが壊れてしまう可能性は、ゼロではないわ。もちろん、その責任があんたにあるとは言わない。言い方は悪いけど、あんたを好きになってしまったのは、彼女の責任なんだから。好きになられた方に、責任はない」
「そうかもしれないけど……」
「そう。あんたはそうやって彼女のことを考えてしまう。愛ちゃんがいるのにね」
「…………」
「あんたもわかってるはずよ。そうすることで、彼女をますます戻れないところまで引きずり込んでいることを」
 本当にそうなのだろうか。
 俺は、沙耶加ちゃんをもう戻れないところにまで引きずり込んでしまったのだろうか。
「だから言ったの。モノにしちゃったらって。少なくとも彼女に、あんたを無理矢理どこかに連れ去ろうという気概はないわ。愛ちゃんなら、あるかもしれないけど」
「まあ、それは」
「だったら、百パーセント納得はできないかもしれないけど、ずっと側にいてもいいということを伝えることによって、最悪の事態は回避できるはず」
「……確かにそうかもしれないけど、それは逆に言えば、これから先の沙耶加ちゃんの未来を摘み取ってしまうことにならないか?」
「どうして? 沙耶加ちゃんの未来は、沙耶加ちゃんにしかわからないのよ。なにが幸せで、なにがそうじゃないのか。それを判断するのは、彼女。最終的な判断を下すのは、どうやっても彼女なの。それは当然、セックスだってそう。あんたが彼女をモノにしようとしても、彼女がそれに応えなければそれまで。あんたたちだってもう十七なんだから、それくらいの判断はできるでしょ?」
 姉貴の言葉は、いちいち痛かった。
 俺がどれだけガキな考えしか持っていなかったか、思い知った。
 俺は、何様のつもりだったのだろう。
 彼女のためと言いながら、その実、彼女の本当の気持ちを考えていなかった。
 俺が決めるんじゃない。
 彼女が決めるんだ。
「……もし、彼女がそれに応えたら?」
「その時に考えなさい。わからなければ、誰かに聞けばいい。簡単なことでしょ?」
 そう言って姉貴は、穏やかに微笑んだ。
「でも、その時俺は、愛になんて言えばいい?」
「ありのままを言いなさい。変な言い訳をせず、ありのままを。それで別れることになるなら、ふたりの絆はそれまでだったってことよ。それこそ、さっさと沙耶加ちゃんに乗り換えればいいだけ」
「そんな……」
「でも、あの愛ちゃんに限ってそれはない。断言できる。だから、考えなさい。ふたりの想いを受け止めて、自分の本当の想いと向き合って」
「自分の、本当の想い……」
 俺は、無意識のうちに自分の胸に手を当てていた。
「大丈夫。私の自慢の弟は、きっと誰もが納得できる答えを導きだせる。十七年間姉をやってきたこの私が言うんだから、間違いない」
「姉貴……」
「ね、洋一?」
「……ありがとう、姉貴」
「ううん、いいのよ」
 姉貴の穏やかな表情を見ていると、涙が出そうになる。
「明日、会うんでしょ?」
「どうしてそれを?」
「なんとなくね、わかるのよ。だから、はっぱかけたの。ブラコンの姉としてね」
 そう言って姉貴は笑った。
 それにつられて、俺も笑った。
 これで、ほとんど迷いなく沙耶加ちゃんと会える。
 決着がつくかどうかはわからないけど、俺は彼女のためにできることをしよう。
 
 十二月二十六日は、朝から低い雲が空を覆い、今にも降り出しそうな日だった。
 実際、天気予報でも雨、もしくは雪の降る確率が高いと言っていた。冬なのだから雪が降ってもいいのだが、冷たい雨だけは勘弁してほしい。
「お兄ちゃん」
 少し遅めの朝食を終え、のんびりしていると、美樹が声をかけてきた。
「どうした?」
「えっとね、ん〜、やっぱりなんでもない」
「変な奴だな」
 美樹は、昨日の今日ということでまだ完全には吹っ切れてはいないようだが、それでもだいぶ落ち着いたように見えた。
「あ、そうだ。今日ね、愛お姉ちゃんに来てもらうことになるから」
「愛に? なんでまた?」
「ん〜、ナイショ」
 そう言って美樹は笑った。
 よくよく考えれば、その美樹を見たのは、それが最後だった。
 それから姉貴にはっぱとプレッシャーをかけられ、待ち合わせ時間にあわせて家を出た。
 雨が降るかもしれないということもあり、申し訳程度に撥水加工されているダウンジャケットを着て出た。
 駅前は、すでにクリスマスから年末年始の飾り付けに様変わりしていた。店の店頭には大掃除用の道具やおせちの材料、予約など、実に今の時期らしいラインナップになっている。
 行き交う人々も、どことなくせわしなく感じるのは、俺だけじゃないと思う。
 とはいえ、たった一日でこうも極端に変わってしまうのは、日本らしいところだ。
 そんな光景を横目に、俺は待ち合わせ場所である駅前に出た。
 そんなに大きくない駅なので、どこで待ち合わせをしてもよかったのだが、結局は一番わかりやすい改札近くになった。
 ざっとあたりを見回してみるが、まだ沙耶加ちゃんの姿はない。
 まあ、まだ時間まで十分あるし、いいのだが。
 改札をくぐる人の中には、大きな荷物を持った人が何人もいた。年末年始の休みを利用して、帰省なり旅行なりに出かけるのだろう。
 今日は日曜日なので、サラリーマンの姿はほとんどない。どのみち、あと一日、二日で仕事納めなのだから、ほとんど休暇気分だろうけど。
「実に平和だ」
「ふふっ」
 思わず漏れた言葉に、笑い声が聞こえた。
 慌てて振り返ると、そこに沙耶加ちゃんがいた。
「おはようございます、洋一さん」
「お、おはよう、沙耶加ちゃん」
 なんとなく恥ずかしくて、まともに顔も見られない。
「本当に平和な光景ですね」
「そ、そうだね」
 くすくすと笑う沙耶加ちゃん。
「さ、洋一さん。今日という日は限られています。有効に使いましょう」
「お、おう」
 すっかりリズムを狂わされてしまった。
 でもまあ、今日は沙耶加ちゃんのための日だし、それもいいか。
 
 今日の沙耶加ちゃんは、いつも以上に綺麗だった。
 普段でも十分だと思うのだが、今日は薄くだが化粧もしていて、大人の色香が漂っていた。
 クリーム色のコートに、茶系のロングスカート、薄桃色のカットソー。
 愛という幼なじみがいて、姉貴という姉がいる俺でも、その姿には目を奪われた。
 これが、彼女の『本気』なのかもしれない。
 以前は女子校に通い、性格的にもあまり前に出るタイプではなく、今日みたいに積極的に自分からなにかしようとはしてこなかっただろう。その彼女が本気を出せば、現状のように、誰もが一度は振り返るくらいの『美少女』になるのだ。
 一緒にいる俺は鼻が高いのだが、俺たちの関係を考えると複雑な心境だ。
「あ、そうだ。洋一さん」
「えっ?」
「今日、お弁当作ってきたんです」
 そう言って彼女は、持っていたバッグを見せた。
「なので、どこか広げられる場所に行きましょう」
「そうだなぁ……」
 いくつか候補が思い浮かんだけど──
「じゃあ、あそこにしよう」
 その中でこの時期だからこそな場所を選んだ。
 駅前から歩くこと十五分。
 公園の一画に、それはあった。
「なるほど、温室ですか」
 俺たちの住んでるこの街は、なぜかこういう無駄な箱物がやたらと多い。普段はその恩恵に与ることなどないのだが、今日ばかりは感謝したかった。
 温室は、文字通りの場所で、亜熱帯から熱帯の植物や昆虫などを見ることができる。
 普段ここを訪れるのは、学校の見学で来る生徒くらいだ。あとは、暇で暇でしょうがない誰か。
 かく言う俺は、小学校の見学で一度訪れただけだ。どこになにがあるかなんてさっぱり覚えてない。ただ、結構大きな休憩スペースがあり、そこで弁当を食べたことだけは覚えていた。だからこそ彼女を連れてきたのだ。
 幸いなことに入り口に案内図があった。
 休憩スペースは入り口のちょうど反対側に設けられていた。
 そこに行くには中を通らなければならないので、とりあえず順路通りに行くことにした。
 温室の中は、やはりほとんど誰もいなかった。というか、俺たちだけだったのかもしれない。結構大きな温室なので、通路の反対側はほとんどわからない。だから、本当に俺たちだけなのかは、確認のしようがなかった。ただ、人の気配も声もなかったので、そう判断したのだ。
「中はやっぱり暖かいですね」
「そうだね。外の寒さがウソのようだよ」
 これで陽が出ていれば、もっと暖かいのだろうが、今日はあいにくの曇り空。それでも暖房のおかげで、半袖でも過ごせそうなほどに暖かかった。
 階段を上ったり下りたりしながら、ようやく反対側へ出た。
 そこは、二階に設けられた休憩スペースで、陽の光があれば本当に最高の場所だっただろう。
 申し訳程度に置かれているベンチに座り、申し訳程度に置かれているテーブルに荷物を置いた。
「お口にあうかどうかはわかりませんが」
 そう言いながら、沙耶加ちゃんは弁当を広げた。
 弁当は、ひと口大の俵むすびに、卵焼き、コロッケ、鶏唐揚げ、トマトとレタス、アスパラのサラダ、それとなにかデザートだった。
「じゃあ、遠慮なく」
「どうぞ」
 まずは、おむすびから。
「…………」
 うん、やっぱり沙耶加ちゃんの料理の腕は確かだ。
「旨いよ」
「本当ですか?」
「ウソなんか言わないって。それに、前にも食べさせてもらってるからね。全然心配はしてなかったよ」
「ありがとう、ございます」
 沙耶加ちゃんは照れながらも、嬉しそうに微笑んだ。
「ほら、沙耶加ちゃんも食べて」
「はい」
 それからしばらく、のんびりとした、本当に落ち着いた時間を過ごした。
 旨い弁当を食べ、お茶を飲み、とりとめのない話をする。
 そういえば、デザートはベリーパイだった。それも当然手作りで、これがまた下手な店のより数倍旨かった。
「これだけのものを準備するの、大変だったんじゃない?」
「そんなことないですよ。どれもそんなに手はかかってませんから」
「そうなんだ」
 とはいえ、その言葉も鵜呑みにはできない。少なくともパイは時間も手間もかかってるはずだ。
 うちは女ばかりの家だから、料理のことは結構見てるし、知ってる。
 弁当の準備は、確かに下ごしらえさえちゃんとしていれば、意外に楽にできることは知ってる。実際、姉貴がまだ高校生だった頃、姉弟三人分の弁当を用意することがあっても、いつもとほとんど変わらない時間で仕上げていた。
「それに──」
「ん?」
「洋一さんに喜んでいただけるなら、苦労も苦労とは思いませんから」
「…………」
 なんというか、嬉しいことを言ってくれる。
「私、思うんです」
 彼女は、少しだけ視線を落とし、話す。
「誰かを好きになるって、本当にすごいことなんだって。普段ならとうていできないことも、不思議とできてしまうし、なによりもそれを楽しめてしまう。普通に考えれば大変なことも、心から望んでやっている自分がいますし」
「そうかもしれないね」
 それは、俺にも言えることだ。
「でも、同時に思うんです。それは、誰を好きになってもそうなのかなって。本気で好きになったのが洋一さんだけの私にはわかりませんけど、もし仮に今の好きという想いが、洋一さん以外に対してでも、同じような気持ちになれたんでしょうか」
「……そうだね、たぶんだけど、似たような気持ちにはなれると思うよ。そこまでの過程はどうあれ、好きという気持ちには違いはないはずだから」
「そう、ですね」
 俺にもはっきりとしたことは言えない。俺だって、本気で好きになった相手は愛だけなのだ。比べることはできない。ただ、それと同じような気持ちを目の前にいる沙耶加ちゃんにも抱いているから、なんとなくだけどわかるのだ。
「……でも、そうだとしても、私は今、私が洋一さんに対して抱いている気持ちがほかの誰かと同じだとは考えたくありません」
 そう言って頭を振る。
「沙耶加ちゃん……」
 昨日の姉貴じゃないけど、沙耶加ちゃんは良くも悪くも『本気』だ。
 これは本当に、覚悟を決めないといけないらしい。
「あ、すみません。偉そうなことを言ってしまって……」
「いや、気にしてないからいいよ」
 そういう会話の流れだったのだから、それ自体は本当に気にしていない。ただ、その中身は多少気になるところはあるが。
 沙耶加ちゃんは、会話を切る意味も込めて、弁当箱を片づけている。
 その一挙手一投足を見ていると、実に優雅だ。別に特別に『お嬢様』というわけでもないんだけど、どこか同年代の子よりも洗練された動きに見える。
 この動きだけは、愛にも勝っている。
 容姿のせいなのか、性格の故なのかはわからないけど。
 そういえば、今日は髪にちょっと手を入れている。いつもはそのままストレートなのだが、今日は両脇の髪を結っている。
 それがワンポイントになって、いつもと少しだけ違う印象を与えている。
「あ、あの──」
「え……?」
「私の顔に、なにかついていますか?」
 じっと見ていたせいか、沙耶加ちゃんは恥ずかしげに俯きながら、おずおずと訊いてきた。
「い、いや、別になにも。ただ、その髪型も似合うなって思って」
「あ……」
 途端に、沙耶加ちゃんは真っ赤になって俯いてしまった。
 こういう純な反応を見せてくれるのが沙耶加ちゃんだ。
 なのに、俺はそんな彼女の『純』な部分を汚してしまうかもしれない。
「……真琴が、たまにはイメージを変えてみた方がいいって言うものですから」
 真琴ちゃんの入れ知恵か。いや、入れ知恵なんて言ったら真琴ちゃんに悪いな。真琴ちゃんは真琴ちゃんで、沙耶加ちゃんのことを想って助言したんだろうし。
 髪型は、自分で思ってるよりもだいぶイメージを変える。
 うちで言えば、姉貴がそうだ。姉貴も以前は結構髪を伸ばしていたんだが、ある日ばっさり切ってきた。そのあまりの見た目の違いに、俺だけじゃなく家族全員が唖然とした。
 もちろん、髪を切らなくてもイメージは変わる。
 愛もたまに髪型を変えるが、その時々でだいぶイメージが変わる。
 下ろしてストレートにしている時は、いつもの愛。そう言うとなんか変だが、愛のいつもの髪型がそれなので、そういう言い方になってしまう。
 後ろでひとつに束ねている時も、まあ、それに近い。
 ポニーテールにしている時は、本人もかなりやる気な時なので、やはり活発なイメージが強い。
 最近はまったくやらなくなったが、以前はふたつに分けていたこともあった。その時はなんというか、おとなしい感じで、愛らしくない。ま、こんなこと本人に言ったら殴られるだろうけど。
 あとは、髪をまとめ上げてる時。そういう時は動かなくちゃいけない時が多い。
 別に俺はどの髪型でもいいのだが、なんというか、それぞれに好きなところがある。それをいちいち言うのは気恥ずかしいが。
「沙耶加ちゃんは、ずっとその髪型なの?」
「ええ、ここ何年かはずっとこのままです。あ、洋一さんはこの髪型、嫌いですか?」
 どうも俺の疑問を変な風に受け取ってしまったようだ。
「いやいや、そんなことはないよ。むしろ好きだし」
「えっ……?」
「あ……」
 しまった。余計なことをまで言った。
「いや、その、なんていうか……」
「…………」
 今のは、愛には言ってもいい言葉だったが、彼女には言うべきではない言葉だった。
 とはいえ、今更取り消すこともできない。
 しょうがない。実害はないだろうし。
「……昔、なにかの映画で見たんです」
「ん?」
「とても綺麗な外国の女優が、とても長く綺麗な髪を風邪にたなびかせている様子を。その頃の髪型は、まだどちらにでもできるものだったので、すぐに私もあんな風になりたいと思いました」
「じゃあ、それからずっと伸ばしてるの?」
「ええ、だいたいは。ただ、陸上をやっていた時は短くはしませんでしたけど、伸ばすのもやめていました」
「なるほど」
 確かに、走る時に髪が長いと邪魔かもしれない。
「偶然とはいえ、洋一さんの好きな髪型でよかったです」
 そう言って沙耶加ちゃんは自分の髪を撫でた。
 艶やかな髪は、手で梳いただけでサラサラと流れる。
 この髪にこの容姿である。学校でも瞬く間に男子の注目の的になった。
 ただ、やはりどこか近寄りがたい雰囲気があったのか、実際彼女にアタックした奴はほとんどいない。まあ、なぜか俺がいつも近くにいたせいもあるだろうけど。
「洋一さん」
「え、なに?」
「あの、今更だとは思うんですけど──」
 彼女はそう言いつつ、バッグの中からなにかの包みを取り出した。
「一日遅れのクリスマスプレゼントです」
 それは、とても可愛らしい包み紙に包まれたプレゼントだった。
「いいの?」
「はい。洋一さんには、いつもお世話になっていますから、そのお返しの意味も込めて」
「そっか。じゃあ、遠慮なくもらうね」
「はい」
 とはいえ、俺の方はなにも用意していない。会うのがクリスマス後だということで、完全に忘れていた。
「ここで開けてみてもいいかな?」
「はい」
 彼女の了解を得て、包みを開けてみることにした。
 丁寧に包み紙を開けると──
「セーター」
 それは、明らかに手編みのセーターだった。
 二日前に愛にもセーターをもらったが、それとは少し違う。愛のはごく普通のセーターだったが、沙耶加ちゃんのはタートルネックになっていた。
「なんか悪いね」
「いえ、気にしないでください。私も楽しみながら編めましたから」
 言うことまで愛と同じだ。
 ということは、総じてそういうものなのかもしれないな。姉貴や美樹にも訊いてみるか。
「あ〜、えっと、それで見てわかると思うんだけど、俺はなにも用意してなくて」
「それこそ気にしないでください。今日はもうクリスマスではないんですから」
「でも……」
 こんなものをもらってなにもなし、というのはさすがに気が引ける。
「俺にあげられるものなら、なんでもいいんだけど」
「なんでも、ですか……?」
「うん」
 沙耶加ちゃんは、少しだけ真剣な表情で考え込んだ。
 う〜ん、さすがに『なんでも』は言い過ぎだったか。
「あの、ひとつだけ、ほしいものがあるんですけど、いいですか?」
 そう言って彼女は、薄く微笑んだ。
 
 やることが決まったら、いつまでも温室にいる必要はない。
 俺たちは早速温室を出て、駅前に戻ってきた。
 途中、雲間に太陽を見ることができたけど、気温にまですぐに影響は出なかった。ようは、寒いってことだ。
 で、俺たちがやって来たのは、アクセサリーショップだった。
 いわゆる宝飾店ではなく、俺たちのような高校生でも気軽に手に入れられる、まあ、庶民的な店だ。
「好きなのを選んでいいよ」
 一応値段を確認して、俺はそう言った。
 沙耶加ちゃんがほしいと言ったのは、ネックレスだった。それも、ロケット付きの。
 それくらいのものなら、俺の薄い財布でもなんとかなりそうだったので、ここへやって来たわけだ。
「それにしても……」
 男の俺にはあまり縁のない店だが、やはりこの雰囲気は独特だ。
 指輪、ピアス、イヤリング、ネックレス、ブレスレット、アンクレット……
 本当に様々なものが、整然と並べられている。
 店内にいるのは、店員を除けばほとんどが女性。俺のように付き添いで来ている男もいるが、やはり居づらそうだ。
 今までは本当に縁のない店で済んだけど、これからは少しずつこういうのにも慣れていかないといけないな。なんでかわからんが、女は貴金属類が好きだ。
 まだ愛のそういうのを聞いたことはないが、たぶん、あいつも例外ではないだろうな。
 そういや、姉貴も和人さんとつきあうようになってから、結構いろいろつけてるな。どれくらい自分で買って、どれくらい買ってもらったものなのかは、わからんが。
「どう? 気に入ったのあった?」
「あ、はい」
 見ると、沙耶加ちゃんの手にはふたつのネックレスがあった。
 ひとつはシルバーのネックレスで、ロケットの部分が楕円形のもの。
 もうひとつはゴールドというよりは赤に近い色のネックレスで、ロケットの部分が長方形のもの。
「このふたつには絞ったのですが」
「最後の最後で悩んでいる、と」
 彼女は小さく頷いた。
 どっちも派手なものじゃないけど、どれも彼女には似合いそうだった。
 金銭的に余裕があれば、両方とも贈ってあげられるんだけど、この二日間でそれなりに使ってしまったから、それは無理だった。
「……うん」
 と、決まったらしい。
「これにします」
 彼女が選んだのは、シルバーのネックレスだった。
「じゃあ、ちょっと待ってて」
 ネックレスを受け取り、それをレジに持っていく。
 手製のものに既製品の、しかもそんなにしないのを贈るのはどうかと思うけど、しょうがない。
 可愛らしい袋に入ったネックレスを受け取り、沙耶加ちゃんのもとへ戻る。
「お待たせ」
 待ってる間、彼女はほかのものも見ていた。
「ほかになにかいいのあった?」
「あ、いえ、特には……」
 言いながらも、彼女の視線は直前まで見ていたものに。
 それは──
「指輪、か」
「…………」
 なんとなく、それ以上は追求しない方がお互いのためだと思った。
「とりあえず、出ようか」
「はい」
 暖かな店内を出ると、寒さがいっそう身にしみる。
 店を出て少し行ったところで、俺は彼女にネックレスを渡した。
「ごめんね、忘れてて」
「いえ、気にしないでください。それに、そのおかげでこんな素敵なものをいただけましたから」
「そう言ってくれると助かるけど」
 彼女の表情から、その言葉が本心からの言葉だとわかる。
 そうじゃなければ、こんな綺麗な笑顔は見せてはくれない。
「で、今更なんだけど」
「はい」
「そのロケットには、なにを?」
「え、それは……」
 恥ずかしそうに俯き、でも、時折上目遣いに俺の方を見る。
 というか、やっぱりそうなんだ。
「め、迷惑ですか?」
「そ、そんなことはないよ。うん、全然そんなことない」
「よかったぁ……」
 ああ、ダメだ。こういうことを言えば言うほど、彼女の気持ちは強くなってしまう。
 だけど、いくら俺に愛という彼女がいたとしても、沙耶加ちゃんみたいな子に懇願されると、もはやなにも言えなくなる。
「沙耶加ちゃん」
「あ、はい」
「少し、話があるんだけど、いいかな?」
「はい。それは構いませんが」
 でも、ちゃんと言うべきことは言っておかないと。いつまでもダラダラと続けていたら、お互いにいいことなどなにもないのだから。
 
 俺は、沙耶加ちゃんを連れてある場所を目指していた。
 この時期だからどこでもそんなに人はいないのだが、それよりもほぼ確実に誰もおらず、かつ誰も来ない場所を目指していた。
 駅前から住宅街に入り、しばし歩く。
 坂道を上り、途中で坂道から階段に変わり、そこも上がっていく。
「到着」
 三十分ほど歩き、ようやく到着した。
「ここは……」
「通称見晴らし山。本当の名前は知らないけどね」
 そこは、小高い丘の上の『山』だった。そう言うとおかしな感じもするが、実際そうなのだから仕方がない。
 このあたりは高低差があまりないので、この丘が近辺では一番高い場所になる。その丘の頂上付近に、さらに人工的に『山』が造られている。それが、見晴らし山である。
 誰がなんのためにこれを造ったのかはわからないが、今では行政が手を入れ、申し訳程度に東屋らしきものが設置されている。
 ちなみに、この時期は風通しがいいからめちゃくちゃ寒い。ただ、そのおかげでよほどのことでもない限り、誰も来ない。
「来たことなかった?」
「はい。あ、でも、名前だけは知っていました」
「そっか」
 この街に住んでいる人なら、名前くらいは知ってて当然か。
 俺たちは、しばし街を眺めた。
「あの、洋一さん」
「ん?」
「お話というのは……」
 沙耶加ちゃんは、前を向いたまま促してきた。
「この話が沙耶加ちゃんにとって良い話なのか、悪い話なのかはわからないけど」
 そう前置きして話しはじめた。
「もう今更なんだけど、どうして沙耶加ちゃんは俺のことを好きになったの?」
 俺の言葉にも、沙耶加ちゃんはこっちを振り返らなかった。どうやら、ある程度は想像できていたらしい。
「……それを表すのに最も適した言葉は、洋一さんが洋一さんだったから、なんですけど、それだとわかりませんよね?」
「まあ、さすがにね」
「以前からいろいろ言ってきていますけど、結局は洋一さんが私の想像を壊してくれたからです」
「それって、男は云々?」
「はい」
 確かに、それは聞いた。
「その時に私の理想の男性像が、洋一さんになってしまったんです。それからあとは、もう洋一さんしか目に入らなくなって……」
「そっか」
 理想まで俺になってるとは、ますますやっかいだ。
「こう言うとなんだけど、俺には愛という彼女がいる。それは、沙耶加ちゃんと再会してすぐに話したこと。それでも沙耶加ちゃんは、自分の想いに正直だった」
「……意味がなくなるのが怖かったんです。一歩踏み出さなければ、なんのために転校してきたのかわからなくなりそうだったので。それに、洋一さんとの偶然の出逢いを、運命に変えたかったんです」
「運命、か……」
「本当はわかっているんです。私の行動は、誰のためにもなってないってことを。洋一さんはもちろんのこと、愛さんにも迷惑をかけています。そして、私はといえば、自分で選んだ行動なのに、満足できずにいる。結局、自己満足にすらなっていないんです」
 沙耶加ちゃんは、実に淡々と話す。
 それはあたかも、一片でも感情を込めてしまうと、すべて吐露してしまうのを防ぐかのように。
「それでも、私は自分の想いを押し込めておくことはできませんでした」
 そこではじめて、沙耶加ちゃんは俺の方を振り返った。
「話しかけてほしい。笑いかけてほしい。見つめていてほしい。最初はそれだけでした。でも、想いが募れば募るほど、私の中の欲望が膨れ上がっていくんです」
 胸元に手を当て、絞り出すように言う。
「触れてほしい。キスしてほしい。抱きしめてほしい。すべてを、もらってほしい」
「…………」
「ずっと、そう思っています」
 あえて、進行形で言ったか。
「なかなか言いにくいことを言ってくれて、ありがとう」
「いえ」
 今度は俺の番だな。
「沙耶加ちゃんは、最終的には俺になにを望んでいるの?」
「望み、ですか?」
「うん」
「それは……ずっと、側にいてほしい。ずっと、側にいたい。それが望みです」
「それは、俺が愛と一緒になっても言える?」
「えっ……?」
 一瞬、沙耶加ちゃんの表情が凍り付いた。
 だが、ここで引くわけにはいかない。
「どう?」
「そ、それは……」
 沙耶加ちゃんの想いが本物なのは、もうわかりきったことだ。あとは、それがどの程度のものかだ。それこそ、略奪愛でもしそうな勢いの想いなのか、そこまではないのか。
 沙耶加ちゃんは、俯き、唇を噛みしめ、考えている。いや、答えはすでに出ているのだろうが、それを口にしていいのかどうか、迷っているんだろう。
「……たぶんですけど、それでも側にいたいと思うはずです。私にとって、洋一さんは本当に大事な人ですから。形はどうあれ、一緒にいられるのであれば、すべてを満足させることはできなくても、ある程度なら満足できるはずですから」
「なるほど」
 やはりそうなるか。
 とすると、やっぱり沙耶加ちゃんに決めてもらうしかないわけか。
「そのうちわかることだから言うけど、おととい、俺は愛とあくまでも口約束だけど、婚約したんだ」
「えっ……」
「もちろん、それになんの拘束力もない。でも、ふたりが同じことを望んでした約束なんで、ふたりとも問題はないと考えてる」
 手をギュッと握り締め、沙耶加ちゃんは話を聞いている。
「それでも沙耶加ちゃんは、俺のことを好きでいてくれる? なによりも、誰よりも俺のことを好きでいてくれる?」
 酷な質問だ。相手が沙耶加ちゃんじゃなければ、絶対に言わない。沙耶加ちゃんが誰よりも本気だから、俺も聞かざるを得ないのだ。
 沙耶加ちゃんは、握り締めていた手を開き、小さく息を吐いた。
「確かに、洋一さんと愛さんの関係はそのうち変わるのだと思います。本当におふたりはお似合いですから。でも、だからといって私との関係までが変わるわけではありません。私は、いつまでもおふたりの『親友』であり続けたいと思っていますから」
「それは、つまり?」
「形はどうあれ、私の想いが──洋一さんのことを好きな私の想いが変わることはありません」
 はっきりとそう言った。
「ふう……」
 今度は俺が息を吐く番だった。
「洋一さん……?」
「ああ、ごめん。別に退屈だとか、つまらないからため息をついたわけじゃないから。今のは、そうだね、あえて言えば俺自身の不甲斐なさを嘆いたため息、かな」
「洋一さんの?」
「そう。なんで俺は沙耶加ちゃんにそんなつらい決断をさせてるのかな、って。本当はそんな決断、しなくていいはずなのに」
「…………」
「俺はね、愛は別としても、それに匹敵するくらい、沙耶加ちゃんのことを大切に想ってる。これはウソじゃない」
 沙耶加ちゃんは、じっと俺の言葉を聞いている。
「本当は、愛とのことに一応の区切りがついたら、沙耶加ちゃんとのことにも区切りをつけようと思ってたんだ。でもね、言われたんだ」
「言われた? 誰にですか?」
「お節介な姉貴にね」
「あ……」
 どうやら、沙耶加ちゃんの中でも姉貴は『お節介』として認識されてるようだ。
「細かい話は省くけど、その時に沙耶加ちゃんのことは、沙耶加ちゃんが決めることだって言われたんだ」
「私が……」
「確かにひとりのことじゃないから、本来ならそういう考えは間違ってるのかもしれない。それでも、姉貴の言うことにも一理あった。正しいか正しくないかは別問題として、なにが沙耶加ちゃんのためかそうでないかは、沙耶加ちゃんじゃなきゃわからないって。確かにそうなんだ。俺が沙耶加ちゃんのためとか言ってやることは、本当にそうなのかはわからない。ひょっとしたら、それは望んでないことかもしれない。そう言われた」
「…………」
「だからね、沙耶加ちゃん」
 俺は、沙耶加ちゃんを真っ直ぐ見つめた。
「沙耶加ちゃんは、どうしたい?」
 あえて、なにをという言葉を省いた。
「私は……」
 さっきの質問とはまったく意味が違う。さっきのはあくまでも考えの問題。今、沙耶加ちゃんがどんなことを考えているか聞いただけ。
 でも、今のは違う。今のは、本当にこれからどうするかの質問だ。
 俺は、沙耶加ちゃんがどんな答えを出してもそれを受け入れる。その結果が、一瞬でも愛を裏切ることになってもだ。
「……もう、後悔しないって決めたんです。今更私には失うものなんてありませんから」
 トン、という感じで沙耶加ちゃんは、俺の胸に飛び込んできた。
「強く……強く抱きしめてください」
「うん」
 迷いはなかった。
 沙耶加ちゃんの華奢な体を、力一杯抱きしめる。
「大好きです……洋一さん……」
 
 こう言うと愛に裏切り者とののしられるかもしれないけど、今は沙耶加ちゃんが愛おしかった。
 俺の腕に遠慮がちに腕を絡め、時折こっちを見つめてくる。
 俺が微笑みかけると、照れたように俯く。
 その様子があまりにも可愛くて、ここが往来じゃないければきっと抱きしめてただろう。
 これが男の悲しい性なのかもしれないけど、沙耶加ちゃんほどの女の子に出逢えたなら、必ずと言っていいほど邪な想いを抱く。俺だってそうだ。
 それが今、手を伸ばせばすぐに触れられるところに彼女はいる。
「あの、洋一さん」
「ん?」
「本当に、いいんですか?」
「まあ、ここで頷くのは愛に対する裏切りになるんだろうけど、今は沙耶加ちゃんのためにできることをするだけだからね」
「はい」
 俺たちは今、普段なら絶対に足を向けない場所へ向かっている。
 駅前の一角。昼間より夜の方が賑やかな場所。
 歓楽街と言ってしまえばそれまでだが、より正確に言えば、ホテル街である。もちろん、ドアボーイがいるような高級ホテルではなく、休憩と宿泊の二種類がある、そんなホテルである。
 前を通ったことはあるけど、当然入ったことなどない。話には聞いたことはあるけど、利用するのははじめてだ。
 とはいえ、中に入ってからもあっけないほど簡単だった。
 まあ、あれこれ複雑にしても意味がないのかもしれないけど。
 で、俺たちはホテルの一室に足を踏み入れた。
「…………」
「…………」
 俺も彼女も、無言で部屋を見回した。
 思っていたよりも普通の部屋だった。いかがわしい感じなどない。ただ、ベッドの上のところに無造作にティッシュが置いてあるのが、らしいのかもしれない。
 それぞれ上着を脱ぐ。
「あ、えと……」
 沙耶加ちゃんはなにか言おうとしたが、言葉にはならなかった。
 セックス自体はすでに愛と経験済みだけど、こういう雰囲気にはまだ慣れない。俺ですらそうなのだから、間違いなくはじめての沙耶加ちゃんは、もうパニック状態かもしれない。
「大丈夫だから」
「あ……」
 そんな沙耶加ちゃんを、俺はそっと抱きしめた。
「怖いかな?」
「……少しだけ」
「そっか」
「でも、こうして抱きしめてもらえて、少し落ち着きました」
「それくらいには、役に立ったってことかな」
「はい」
 少しだけ、緊張がほぐれたようだ。
 髪を優しく撫でる。
 沙耶加ちゃんは、少しだけくすぐったそうに目を閉じた。
「…………」
 そのまま、軽くキスをした。
 一瞬驚いた表情を見せたけど、すぐに笑顔になった。
 もう一度キスをし、彼女をベッドに押し倒した。
「あ、あの、洋一さん」
「ん?」
「その……できれば、優しくしてください……」
「もちろん」
 はじめてをイヤな想い出にさせるわけにはいかない。
 髪を撫で、キスをする。
「ん……」
 はじめは唇をあわせるだけのキスだったが、こっちから舌を入れるとぎこちなくあわせてくれた。
「ん、ん……は、ん……」
 息を継ぐのも忘れてキスを続ける。
 唇を放すと、ツーッと唾液が糸を引いた。
 すでに沙耶加ちゃんの頬は上気している。
「触るよ?」
 沙耶加ちゃんは、小さく頷いた。
 カットソーの上から、胸に触れる。
「ん」
 わずかに身をよじったけど、逃げることはなかった。
 少し手に力を込め、揉んでみる。
「あ、ん……」
 まだそれほど動かしていないが、緊張感で敏感になっているのか、わずかに声が上がった。
 それにしても、沙耶加ちゃんの胸は柔らかい。愛のと比べるわけじゃないけど、甲乙付けがたい。
 なんか、服の上から触れてるのがもどかしく感じる。
 脱がそうかと思ったけど、カットソーだからちゃんとは脱がすことができない。
 ん〜、どうするか。
「あのさ、沙耶加ちゃん」
「ん、はい」
「服、どうする? 俺が脱がせる? 自分で脱ぐ?」
「あ、えっと……」
「どっちでもいいよ。沙耶加ちゃんのいいようにして」
 はじめてだし、沙耶加ちゃんのいいようにしてくれた方がいい。
「……じゃあ、洋一さんにお願いします」
「うん」
 ま、やっぱりこうなるか。沙耶加ちゃんならそう言うとは思ったけど。
「それじゃあ、沙耶加ちゃん」
「は、はい」
「そんなに緊張しなくていいから」
「はい……」
「ちょっと起きてくれるかな」
 本当は俺がそこまでやればいいんだろうけど、変に緊張されると困るから。
 俺の言う通りに起きてくれた。
 じゃあ、ここからは俺がやらないと。
「ごめんね」
 ひと言謝ってから、カットソーに手をかけた。
「ん……」
 あまり焦らすのもどうかと思ったので、さっさと脱がすことにした。
 こういう時、長い髪というのは邪魔になる。それでも引っかからずにすんなり抜けるところが、綺麗な髪の証拠だ。
 脱がすと、沙耶加ちゃんは無意識のうちに胸を腕で隠した。
 体操服姿も見てるし、背中におぶったこともあるから着やせするのは知ってたけど、こうして下着姿になると、ますますそこに目がいく。
 薄いピンクのブラジャーに包まれた胸は、結構なボリュームだった。
 って、いきなりエロ野郎になってどうする。
「このままスカートも脱がせていいかな?」
「は、はい……」
 脇のホックを外し、ファスナーを下ろす。
 ロングスカートなのでちょっと手こずった。
 だけど──
「綺麗だ」
「え……」
 思わずそう言ってしまうくらい、綺麗だった。
 陸上をやっていたからだと思うけど、スラッとした足は本当に綺麗だった。
「え、えっと……洋一さん……」
「あ、ごめん。そのままだと余計に恥ずかしいよね」
 相手が沙耶加ちゃんだからなのか、どうも調子が狂う。
「一応確認しておくけど、本当にいいんだね?」
「はい。洋一さんに、私のはじめてをもらってほしいんです」
「うん、わかった」
 これ以上言うのは、沙耶加ちゃんに失礼だ。
 あとは、態度で応えよう。
 もう一度抱きしめ、キスをする。
 そのままの状態で胸を触る。
「あ……」
 今度は下着しかないので、さらにその柔らかさを実感。
「ん……ん……」
 少し揉んでみると、沙耶加ちゃんは敏感に反応した。
 だけど、まだ感じるというところまでは至ってないようだ。
 そうなると、直に触れた方がいいということだ。
 一瞬、ブラジャーを取ることを言おうかと思ったけど、やめた。
 背中に腕をまわした時にホックが後ろにあることは確認した。
 俺は、なにも言わず、なんの前触れもなく、ホックを外した。
「あ、や……」
 それまで沙耶加ちゃんの双丘を包んでいたブラジャーが、重力に負けて外れた。
 慌てて胸を隠そうとするが──
「ダメ」
 俺がそれをやめさせた。
 沙耶加ちゃんは、まるで捨てられた子犬か子猫のような目で俺を見る。
「こんなに綺麗なんだから、隠さないで」
「で、でも……」
「恥ずかしいのは当たり前だよ。でもさ、ここまで来たんだから、今更でしょ?」
「…………」
 言い方がずるい。でも、沙耶加ちゃんの場合はこれくらい言わないと。
 で、それが効いたのか、恥ずかしさで耳まで真っ赤にしながらも、胸は隠さないでくれた。
「じゃあ、改めて触るね」
 そう言って直に触れる。
「ん」
 改めて思うんだが、どうして女の子の肌はこんなに気持ちいいんだろうか。男の俺にはとうてい無理な感触だ。
 すべすべしてはいるんだけど、肌がきめ細かいから、吸い付くような感じもあって。
「や、あ……」
 両手で包み込むように揉む。
 少しくらい力を込めても、すぐに跳ね返そうとする弾力。
「ん、ん……」
 ここに至って、ようやく少しずつだけど、感じてきたようだ。
 体に力が入らなくなってきてる。
 そのままだとつらそうなので、ベッドに横たわらせた。
 横になってもその胸はちゃんと存在感を示していた。
 乳首も、少し硬くなってきてる。
「……ん……あんっ」
 その乳首を指の腹でこねてみた。
「あ、や、ん……」
 くりくりとこねると、それにあわせて可愛らしい声が漏れる。
 だけど、沙耶加ちゃんは声を出すのを躊躇っているようだ。
「沙耶加ちゃん。声、出していいんだよ」
「で、でも……はしたないです……」
「誰もはしたないだなんて思わない。それに、俺はちゃんと声を出してくれた方が嬉しい。それだけ感じてくれてるってことだからね」
「…………」
「ね?」
「……はい」
 普段からおとなしい沙耶加ちゃんだからしょうがないのかもしれないけど、やっぱり声も聞きたい。
 だいぶ硬くなってきた乳首を、今度は舌先で舐める。
「あ、や、洋一さん」
 慌てて俺の頭を抑えるけど、あまり力が入らない。
 舌先で乳首を転がし、少しだけ吸い上げる。
「やっ、んんっ」
 ぴくんと沙耶加ちゃんの体が反応した。
 どうも緊張から敏感になってると思ったけど、これはもともと敏感なのかもしれない。
 だとすると──
「え、あ、だ、ダメ──あんっ」
 俺は、なんの前触れもなく、ショーツ越しに秘所に触れた。
 ぷにぷにという感触と同時に、指先にほんのわずかだが、湿り気を感じた。
「んっ、あっ」
 少しの間、秘所を擦る。
「ん、はあ、あ、ん……」
 次第に、沙耶加ちゃんの声に艶っぽさが加わってくる。
 そして、それにあわせるように湿り気も広がってくる。
 これ以上やるのはかえって可哀想だから、いったん手を止めた。
「脱がすよ?」
 俺は、沙耶加ちゃんの返事を待たずに、ショーツを脱がせた。
「や……」
 沙耶加ちゃんは、恥ずかしさのあまり、手で顔を覆ってしまった。
 だけど、本当に沙耶加ちゃんは綺麗だった。
 バランスのとれたプロポーション。
 愛と沙耶加ちゃんしか見たことないけど、このふたりのこんな姿を見られる俺は、ひょっとしたら幸せ者かもしれない。
「恥ずかしい?」
「は、はい」
「でも、すごく綺麗だよ。綺麗で、誰にも触らせたくないくらい」
「……じゃあ、洋一さんだけが、触れてください。私は、それだけで十分ですから」
「了解」
 軽く言ってはいるけど、誰にも触らせたくないというのは、本心だ。この綺麗な体に俺の知らない誰かが触れるなんてこと、考えただけで腹が立つ。
「洋一さん……?」
「あ、うん、ごめん」
 っと、余計なことは考えないようにしないと。
「じゃあ、沙耶加ちゃん。ちょっとだけ足、開いて」
「……はい」
 沙耶加ちゃんは、素直に応じてくれた。
 沙耶加ちゃんのそこは、とても綺麗だった。
 丁寧に処理された淡い恥毛。まだ誰も触れたことのない秘唇。
 そこに、はじめて手を触れる。
「……んっ」
 撫でるように、秘唇に指をはわせる。
 少しずつそれを繰り返し、次第に中心へ。
 前人未踏のその場所に、指を添える。
「んっ……いっ」
 つぷっという感触とともに、指が中に入った。
 沙耶加ちゃんの中は狭かったけど、それでも熱くて、しっかり蜜をたたえていた。
 あまり大きく動かさずに、指を出し入れする。
「や、んんっ、あんっ」
 快感に、自然と沙耶加ちゃんの口から嬌声が漏れる。
 甘い吐息が、俺の神経を麻痺させていく。
「んっ、はあんっ、んんっ」
 次第に滑りがよくなり、閉じていたそこも、だいぶ受け入れ準備が整ってきた。
 俺の方は結構前から臨戦態勢で、すぐにでも入れたいくらいだった。だけど、欲望の赴くままに行動して、沙耶加ちゃんを悲しませることだけは絶対にできない。
 それがブレーキの役割を果たし、ここまではなんとか耐えられていた。
 だけど、それもそろそろ限界だった。
「沙耶加ちゃん。そろそろ、いいかな?」
「ん、はあ、はぁ……はい」
 半分上の空ながら、沙耶加ちゃんはしっかり頷いた。
 それを確かめると、俺は服を脱いだ。
 裸になり、財布の中からゴムを取り出す。
「あ、洋一さん」
「ん?」
「そのままで、いいですから」
「え、でも」
「はじめてくらい、そのままでしてほしいんです」
「……わかった」
 その結果がどうなるかはわからないけど、沙耶加ちゃんの意志は固い。
 俺は、ゴムはしないことにした。
「我慢できなかったら言って」
「はい……」
 軽くキスをしてから、俺は、モノを秘所にあてがった。
「ん……」
 沙耶加ちゃんは、ギュッと目を閉じる。
「いくよ」
 そして、一気に貫いた。
「いっ!」
 一瞬、沙耶加ちゃんの体がのけぞった。
「全部、入ったよ」
 閉じていた目から、涙がこぼれる。
「これで、洋一さんと、ひとつになれたんですね……」
「ああ」
「嬉しい……」
 健気に微笑む沙耶加ちゃん。
 だけど、俺の方はそんなに余裕はなかった。沙耶加ちゃんの中は締め付けがきつく、気を緩めるとすぐにでもイッてしまいそうだった。
「あとは、洋一さんの好きなように、してください」
「わかった」
 できるだけ負担をかけないように動こうとするが、射精を堪えるので精一杯だった。
「いっ、くっ」
 沙耶加ちゃんは、異物の挿入による痛みに必死に耐える。
「んんっ、くっ」
 でも、少しずつ滑りがよくなってくるのにあわせて、苦悶の表情も和らいでくる。
「んっ、あっ、んんっ」
 敏感な分、痛みも早く快感に変わったのかもしれない。
「んっ、あっ、ああっ」
「沙耶加ちゃんっ」
「洋一さんっ」
 沙耶加ちゃんが、俺のことをギュッと抱きしめる。
 もう、そこに理性などなかった。
 お互いに本能のままに求める。
「あんっ、んっ、んっ」
「くっ、もう」
 そして──
「んっ、ああっ」
「くっ」
 俺は、かろうじてモノを抜き、沙耶加ちゃんの下腹部に精液を放った。
「ん、はあ、はあ……」
 そのまま沙耶加ちゃんの隣に倒れ込む。
「沙耶加ちゃん」
「ん、洋一さん……」
 沙耶加ちゃんは薄く微笑み、俺にキスをした。
 
 軽く後始末をし、俺たちは気怠い雰囲気に浸っていた。
「今更訊くのも変ですけど、洋一さんはどうして私を抱いてくれたんですか?」
「綺麗で可愛くて、大好きな女の子を抱きたくない男がいると思う?」
「え、えっと……」
「まあ、そういう理由もあるんだけど、一番大きいのは、やっぱり沙耶加ちゃんのことが好きだからだよ。沙耶加ちゃんもわかると思うけど、好きな相手のために、なにかしてあげたいって思うでしょ?」
「はい」
「じゃあ、俺は沙耶加ちゃんになにをしてあげられるか。それも、望んでいることでね。そしたら、自然とこういうことになった、と」
 俺は、沙耶加ちゃんの髪を撫でながら言った。
 それに対して沙耶加ちゃんは、一瞬、すまなそうな表情になった。たぶん、愛のことを考えているんだろう。
「沙耶加ちゃんが愛のことを考えてくれるのは嬉しいよ。でもね、俺は沙耶加ちゃんとこうなったことを、後悔してない。自分で決めたこと、だからね」
「私も、後悔していません」
「だったら、そんな顔しないで」
「はい」
 やっぱり、沙耶加ちゃんは笑顔の方が似合う。
「……でも、私、これからはどうしたらいいんでしょう」
「心配?」
「はい。たぶん、愛さんの前でも今までみたいに自分を抑えられないと思います」
「そうなったらそうなったで、その時に考えよう。今、あれこれ考えても答えなんて出てこないと思うから」
「そう、ですね」
 沙耶加ちゃんを胸に抱き寄せる。
「洋一さん……」
 本当は、考えなくちゃいけないのは俺の方だ。
 愛の想いを受け止め、沙耶加ちゃんの想いを受け止めたのだから。
 あとは、俺の想いだけ。
 ふたりの笑顔が、曇らないように。
 
 まだ気恥ずかしいという沙耶加ちゃんと駅前で別れ、俺は家路に就いた。
 もういつ降り出してもおかしくない空模様で、なんとか家までたどり着きたかった。
 が、無情にも家のわずか手前で雨が降り出した。
 急いで家に駆け込んだが、少し濡れてしまった。
「おかえりなさい、お兄ちゃん」
 と、すぐに美樹の声が聞こえた。
「ああ、ただい、ま……」
「えへへ」
 そこにいたのは、間違いなく美樹だった。
 だけど、今朝までの美樹ではなかった。
「どう? 似合う?」
 そう言ってクルッとまわる。
「おまえ、髪……」
「うん。切っちゃった」
「切ったって、あんなに大事にしてたのに」
「ん〜、そうなんだけどね、ほら、私もがんばらないといけないから。それに向けて、心機一転という意味で」
 美樹の髪は、姉貴と同じくらいのショートになっていた。
 もちろん、その髪型も似合うは似合うのだが、切らせることになった原因としては、複雑な心境だった。
「誰に切ってもらったんだ?」
「ん、愛お姉ちゃん」
「愛?」
「そ、私よ」
 そこへ、愛が顔を出した。
「来てたのか」
「うん」
 愛は、いつもと変わらぬ笑顔で頷いた。
「とりあえず、玄関先で話すのやめない?」
「ん、ああ、そうだな」
 確かに玄関であれこれ話していてもしょうがない。
 で、場所を俺の部屋に移した。
「今朝ね、美樹ちゃんから電話もらったの。私にどうしてもお願いしたいことがあるってね。なんだろうと思って来てみたら、いきなり髪を切ってくれって。さすがに驚いてね。理由を訊ねたら──」
 愛は、ちらっと美樹を見た。
「区切りをつけるためだって。それでね、ピンときたの。同時に、なんで美香さんじゃなく、私に頼んだのかもわかった。だから、私は喜んでその役目を引き受けたの」
「そっか」
 頭ではもう区切りをつけたと思っていても、やはり目に見えるなにかがあるとまた変わってくる。美樹は、髪を切ることで、よりそれを明確なものにしたかったんだろう。
「悪かったな、愛。俺たち兄妹のことに巻き込んで」
「ううん、気にしないで。それに、美樹ちゃんは私の『妹』だから。その『姉』として当然のことをしただけ」
 愛は、あえてそう言ったのだ。
「なんてね。本当は私もこんなこと言えないんだけどね。ごめんね、美樹ちゃん」
「……お姉ちゃんは、謝っちゃダメ。謝られるようなこと、してないんだから」
「……そうだね」
 愛も美樹も、それきりそのことには触れなかった。
 もう、済んだこと、なんだから。
 そして、愛が帰る時。
「なあ、愛」
「うん?」
「あのさ」
「うん」
「あ〜、やっぱり今日はいいや」
「変なの」
 俺は、沙耶加ちゃんとのことを言えなかった。
 だが同時にそれは、俺にひとつの答えを示してくれた。
 俺にとっては、愛が大事で大切なのは当たり前なのだが、沙耶加ちゃんもすでにそれに近いくらいになっていた、ということ。
 それを再認識し、改めて思った。
 もう、取捨選択などできないところまで来てしまったのだ、と。
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