恋愛行進曲
第十章 大切なこと、大切なもの(前編)
一
文化祭が終わると、学校の雰囲気がガラッと変わる。
一、二年は急にやる気がなくなるし、三年は受験に向けてラストスパートに入ろうという感じになる。
とはいえ、十一月はテストがあるから、あまり呑気に構えているわけにはいかない。
そんな中、俺のまわりは見た目はそれまでと変わっていなかった。
ただ、よく見ていると若干の変化がある。
それは、気にしなければどうでもいいことではあると思う。俺も、その相手がどうでもいい相手なら、それこそ次の日には忘れてるだろう。だが、その相手が近しい相手なら話は別だ。
俺のまわりで最も変わったのは、沙耶加ちゃんだった。
吹っ切れた、というほどでもないが、どこか自分の行動に自信を持っているような気がする。今まではどこか引いた感じが強かったのだが、それがない。
その影響か、俺に対する態度も若干変わった。元々の性格もあるからそれほど大きくは変わっていないが、今までより積極的になった気がする。
学校にいる時は、積極的に声をかけてくるようになったし、自分の意見をはっきり言うようにもなった。
その変化自体はいいことだと思うが、如何せん、俺に関することなので手放しでは喜べない。
いつもならそれに対抗してくる愛は、意外に落ち着いていた。なにがそうさせているのかは、俺にはわからない。少なくとも、沙耶加ちゃんの攻勢にもまったく動じていない。
だからといって、俺に必要以上にべったりかといえば、そうでもない。それまでと基本的には変わっていないから、俺もよくわからない。
変わったといえば、美樹も変わった。真琴ちゃんの存在に危機感を覚えたのか、これまで以上に俺の気を引こうと懸命だ。
俺も美樹がカワイイからついついそれに応えてしまうものだから、もはや泥沼状態とも言える。
そんな俺と美樹を、姉貴はなんともいえない表情で見ている。
いつものことだと言ってしまえばそれまでなのだが、なんとなく居心地が悪い。
美樹にすっかり『ライバル』視されてしまった真琴ちゃんはといえば、特に変わった様子はない。話している時も絵を描いている時も同じだ。
こういう姿を見ていると、やっぱり真琴ちゃんの方が『大人』だとわかる。
で、そのど真ん中にいる俺はといえば、とりあえずは静観することに決めた。すぐにどうこうできる問題でもないし、焦って失敗するよりはよっぽどましと判断した。
まあ、俺がもっとはっきりしていれば、ここまでのことにはならなかったのも事実だろうけど。
十一月十一日。
昔は一がたくさん並んでいてとてもわくわくしたが、最近はそんなこともない。ただ、デジタル表示の時計を見て、たまたま一が並んでいると、嬉しくはなる。
と、そんなことはどうでもいい。
もうだいぶ前から、今日という日はそれなりに大事な日になっていた。それは、次の日が愛の誕生日だからである。昔は適当に済ませていたのだが、いつの頃からかきっちり誕生日を祝ってやっていた。
俺としても好きな女のことなので、結構真面目に考えていた。
ただ、それを素直に表現できていなかっただけだ。
でも、今年は違う。今年は、まあ、多少照れるかもしれないけど、素直に祝ってやればいい。
文化祭の次の日が振り替え休日だったので、プレゼントも買ってきた。軍資金が少ないのでたいしたものは買えなかったけど、それなりに満足できるものを買った。
あとは当日に誕生日を祝ってプレゼントを渡すだけ、なのだが。
「どうしたんですか?」
隣から声が上がった。
「別にたいしたことじゃないから」
俺は、その声の主──沙耶加ちゃんにそう言った。
「そうですか? でも、どこか心ここにあらず、みたいな感じでしたけど」
沙耶加ちゃんは、少し心配そうに、少し興味津々に、そう言った。
今は昼休み。教室には三分の一くらいの連中が残っている。まあ、数はどこも同じくらいだけど。
で、いつもなら一緒にいるはずの愛は、優美先生に呼ばれて職員室に行っている。
というわけで、今は沙耶加ちゃんとふたりだけである。
「もし私になにかできそうなら、遠慮なく言ってください」
「ありがと。でも、本当にたいしたことじゃないから」
沙耶加ちゃんの心遣いはとても嬉しい。だけど、まさか愛の誕生日のことで沙耶加ちゃんを巻き込むのは、さすがに問題だ。いくら沙耶加ちゃんが現時点では負けを認めていたとしても、それはさすがに気が引ける。
「あの、洋一さん」
「ん?」
「ひとつ、伺ってもいいですか?」
「いいけど、なに?」
「洋一さんは、こんなことを考えたりしませんか?」
そう言って沙耶加ちゃんは、少しだけ声音を落とした。
「もし、今まで出逢ってきた人たちとのその出逢いが、すべてなかったとしたら。そんなことを考えたりしませんか?」
「すべてなかったら、か」
少なくとも今は考えてないけど、以前に少しだけ考えたことがある。
「……私は、たとえ今の状況が私の望む形ではないにしても、すべてなかったことになるのは、イヤです」
沙耶加ちゃんならそう言うだろう。
「洋一さんのとの出逢いは一番大切ですが、この学校に来てからの様々な出逢いも、とても大切ですから」
「そうだね。俺もイヤだね。もしそれを受け入れるなら、今の状況を全否定したい時くらいかな。そうじゃなかったら、受け入れない」
すべてなかったことになったら、沙耶加ちゃんとの出逢いはもちろんのこと、愛とも出逢えないことになる。そんなのだけは絶対にイヤだ。
「でも、どうしてそんなことを?」
「……今が幸せだと、特に想像以上の幸せだと、不安も大きくなります。考えなくてもいいことも考えてしまって」
「それが、今の質問、ということか」
「はい」
「なるほどね」
「自分でもわかっているんです。そんなこと考えても意味がないって。だって、今、私の目の前にはちゃんと、洋一さんがいます。これは紛れもない事実です」
いつもよりわずかに強い口調で言う。
「洋一さんと出逢えたからこそ、今の私があるんです。それがなくなってしまったら、私が私ではなくなります」
「それは大げさな気も……」
「いいえ、そんなことはありません。今の私にとっての大切なものの中には、家族と同列に洋一さんがいるのですから」
沙耶加ちゃんならそれくらい考えているかも、とは思っていたが、本当にそうとは。
それはそれで問題がありそうだ。
「すみません、余計なことを言ってしまって」
「いや、別にいいけど」
そう言いながら、心のどこかでは沙耶加ちゃんの言葉を肯定してる。そんな余計なこと、言わなくてもいいのに、と。
「……洋一さんは、優しいです。いえ、優しすぎます。だから、私はその優しさに甘えて、溺れたくなるんです……」
ささやいた声が、俺の耳にははっきりと届いた。
放課後。
俺はいつものように愛と一緒に帰っていた。
愛は、どことなく機嫌がいい。朝はいつもと同じだったから、学校にいる間になにか機嫌がよくなることがあったのだろう。あいにくと俺にはわからないが。
「ねえ、洋一。たまには違う道で帰らない?」
と、いきなりそんなことを言い出した。
「違う道?」
「うん。今日は放課後になんにもなかったおかげで結構時間あるし。いくら陽が短くなってきたといっても、まだそれなりに明るいし」
「それは別に構わんが」
「じゃ、決まり。行こ」
愛は、俺の手を取っていつものとは違う道へと曲がっていった。
俺も愛もこの街から出たことがない分、地理についてはほぼ把握している。だから、通学路から少し外れたくらいでは道に迷うことなどあり得ない。そして、本当の意味で知らない場所などほとんどない。
普段とは違う景色をなんとなく眺めつつ、俺たちは歩いていく。
「なあ、愛」
「ん?」
「なんかあったのか?」
「どうして?」
「いや、なんかやけに機嫌よさそうだし」
「ん〜、別に特になにもないけど。そんなに機嫌よさそうに見える?」
「ああ、間違いなく」
「そっか」
愛は、それを聞くとますます嬉しそうに微笑んだ。
どうもそういう顔をされると強く言えないし、訊けない。
「たぶんね、いろいろ考えてるからだよ、機嫌がいいのは」
「考えてるから? なんだそりゃ?」
なにを考えると機嫌がよくなるというのだ。
「んとね、主に洋一のこと」
「俺のこと?」
「うん。普段からあれこれ考えてはいるんだけどね、今日は特別。だって、明日はそういう日だから」
「……なるほど、そういうことか」
催促してるわけではない。純粋に待ち遠しいのだろう。
俺がいろいろ考えてるのと同じで、愛もいろいろ考えていた。程度の差こそあれ、それほど期待外れの内容にはならないと考え、自然と機嫌もよくなった。
「今年は、恋人同士になってはじめての誕生日だから。特別なことはしてくれなくてもいいけど、いつもよりいろいろ期待しちゃって」
「……それはつまり、特別なことをしてくれってことじゃないのか?」
「ううん、そうじゃないよ。私はね、本当に洋一に祝ってもらえるだけでいいの。本音を言えば、ケーキだってプレゼントだっていらない。ただ洋一にさえ祝ってもらえるなら」
真っ直ぐな瞳で、そう言う。
「もちろん、ケーキだってプレゼントだってあれば嬉しいけどね」
「へいへい、お姫様のお望みの通りに用意しますよ」
「んもう、そういう言い方しないの」
愛は、わずかに頬を膨らませ、抗議の意を示した。
「……ね、洋一」
「ん?」
「以前に私が言ったこと、覚えてる?」
「なんか言ったっけ?」
「うん。誕生日に私のお願いを聞いてくれるって」
「ああ、そういやそんなことも言ってたな」
「ちゃんと約束、守ってよ?」
「わかってるって。無理難題じゃない限り、聞いてやるから」
「うん」
だけど、それがとんでもない失敗だったことには、その時まで気付きもしなかった。
十一月十二日。
たぶん、これから先、この日は大切な、大変な日になるのだろう。
朝からめちゃくちゃいい天気で、気温も高かった。
これは以前聞いた話なのだが、十七年前の今日も、やはりいい天気で気温が高かったらしい。秋とは思えないくらいで、日中は汗ばむほどだったということだ。
今年もそんな日になるのだろう。
いつもの朝と同じ時間に下に下りると、出張中の父さんを除いた全員が揃っていた。
「おはよ、お兄ちゃん」
食堂では俺の隣に座っている美樹が、トーストを頬張りながら朝の挨拶をしてきた。
「おはよう」
母さんと美樹がここにいるのは珍しいことでもない。というか、いない方が珍しい。母さんはうちで一番の早起きだし、美樹もなんだかんだ言いながらも早く起きることの方が多い。
で、問題は──
「……なによ、その奇怪な者を見るような目つきは?」
「よくわかってるじゃないか」
「あんた、首絞めるわよ」
姉貴は、本気とも冗談ともつかないことを言う。
「洋一。そんなことはどうでもいいから、顔を洗ってきなさい」
と、母さんが横から口を挟んできた。
とりあえず母さんの言うことは聞いておこう。
洗面所に顔を洗いに行き、再び食堂に戻る。
「で、姉貴はなんかあるわけ?」
「別になにも。たまには早起きしようと思ってね」
ニヤッと笑い、コーヒーを飲んだ。
見え見えなんだよな、姉貴の場合。ポーカーフェイスが得意なくせに、こういう時はわざと表情を見せる。
「ところで洋一」
「……なんだよ?」
「今日って、愛ちゃんの誕生日よね?」
それまで何気なく話を聞いていた美樹の動きが、ピタッと止まる。
このブラコン妹は……
「それが?」
「それが? あんた、自分の彼女の誕生日でしょ?」
「だとしても、それに姉貴は関係ないと思うけど?」
「そんなことないわよ。愛ちゃんは、私にとってはもうひとりの『妹』も同然なんだから。あ、本当に『義妹』になるのかしら?」
姉貴の言葉に、美樹が微妙に反応する。
あんまり刺激しないでほしい……
「当然、お祝いするんでしょ?」
「まあ、一応は」
「いちおう? なに寝ぼけたこと言ってるのよ。一応じゃなくて、きっちりやりなさいよ。今年の誕生日は今年だけなんだから。愛ちゃんは誰に一番祝ってもらいたいか。それを考えればすぐにわかるでしょ?」
本当に姉貴は余計なことしか言わない。
「美香。あまり言わないの。洋一のことばかり言ってると、それがそのうち自分に返ってくるわよ?」
「は〜い」
とりあえず母さんの助け船のおかげでその場はなんとか収まった。
朝食が済むと、早速美樹が来た。
「お兄ちゃん」
そう言いながら、俺の首に腕をまわし、抱きついてくる。
「おいおい、朝っぱらからそれは勘弁してくれ」
俺は、それをやんわりと拒む。
「むぅ……」
ところが、お姫様はそれが気にくわないらしい。
「……お兄ちゃん、私のこと嫌いになったの?」
「こらこら、なにをわけわからんこと言ってるんだ、おまえは」
いきなり泣き落とし作戦を開始した美樹に、さすがの俺も呆れてしまった。
「だってぇ……」
「だってじゃない、だってじゃ」
「兄妹間のスキンシップは大事なんだよ?」
「大事なのはわかる。でもな、俺と美樹の場合は、普段からスキンシップ過多な気もするけどな」
「…………」
美樹が、不自然に視線を逸らす。
やれやれ、困った奴だ。
「で、いったいなんなんだ?」
「えっとね……」
美樹は、上目遣いに表情だけでなにかを訴えてくる。
本当にわかりやすい奴だ。
「はあ……」
俺は、手招きする。
美樹は嬉しそうに再び俺に近づいてくる。
「好きにしろ」
「うんっ」
美樹は、俺の背中に抱きついた。
いくら兄妹とはいえ、お互い制服姿でこういうのはいかがなものだろうか。
それに俺は最近気になっていることがある。それは、美樹も十三歳となり、それなりに体の方も成長してきている。実の妹とはいえ、俺も男だ。多少は気になる。
もっとも、美樹としてはそれすらも利用しようとしているのかもしれないけど。
「……今日は、愛お姉ちゃんに優しくするんだよね?」
「特別優しくってことはないけどな」
「だとしても、今日のお兄ちゃんは愛お姉ちゃんのものだよね」
「……否定はしない」
実際、そうなるだろうからな。
「だからね、今日一日分の『お兄ちゃんエナジー』を充電しとくの」
なんだか意味不明なことを言っている気もするのだが、とりあえず突っ込むのはやめよう。泣かれると困る。
「……ん、もう大丈夫」
そっと俺から離れる。
「ありがと、お兄ちゃん」
いつもの美樹の笑顔でそう言う。
いったん部屋に戻った美樹と入れ替わりで、姉貴がやって来た。
「ホント、美樹には甘いのね」
「今更否定はしないよ」
「でも、多少は厳しく当たれないと、そのうち苦労するわよ」
「わかってる」
「本当にわかってるの? 美樹も相当嫉妬深いけど、愛ちゃんだって相当のものだと私は思ってるんだけどね」
「…………」
それを言われるとなにも言い返せない。
「ま、今はまだいいと思うけどね。あんたは高校生で、美樹は中学生なんだから」
それはつまり、そう猶予はないということでもある。
「それより、洋一」
「ん?」
「今日は、愛ちゃんのためにしっかりやりなさいよ?」
「了解」
愛は、昨日以上に機嫌がよかった。その理由は今更言う必要もないだろう。
ニコニコと笑みを絶やさず、たまに目が合うとさらににっこり笑いかけてくる。
……まあ、それが凶悪にカワイイものだから俺もなにも言えないのだが。
朝からそんな調子で放課後まで保つのかと思ったが、あに図らんや、それは見事にそのテンションを保っていた。
俺のまわりの連中は、ことあるごとに俺にその理由を訊ねてきた。俺としては理由をバカ正直に言うつもりもなかったので、適当に蹴散らしておいた。
ただ、沙耶加ちゃんにだけはちゃんと話しておいた。
沙耶加ちゃんとしては、自分も祝ってもらった立場なので、愛のその状況には理解を示していた。
で、放課後。
「洋一♪」
授業が終わり、ホームルームも終わり、机の中身をカバンにしまいこんでいると、それまで以上にニコニコ顔の愛がやって来た。
「もう帰れる?」
「ん、ああ」
「じゃあ、帰ろ」
愛に引っ張られるように、教室を出た。
一応学校内では必要以上にベタベタしないということになっていたので、さすがの愛も特になにもしてこなかった。とはいえ、その様子はお預けを喰らっている犬のような感じにも見えた。
そして、正門を出て少ししたところで──
「ふふっ」
問答無用で腕を取られた。
「ホントに嬉しそうだな」
「うん。すっごく嬉しい。ああでも、別に誕生日だから嬉しいっていうわけでもないよ」
「そうなのか?」
「そうねぇ、誕生日っていうのはひとつの口実みたいなものかな。そのおかげで誰はばかることなく洋一と一緒にいられるし、なおかつ、いつも以上に大事にしてくれるから」
「……わからんぞ、そんなの」
一応、反論してみる。
「ううん、わかるよ」
「なんだでよ?」
「だって、洋一、優しいもん。それに、洋一は私に惚れてるからね」
……こいつは、恥ずかしいことをよくもまあ、さらっと言えるもんだ。
「違う?」
上目遣いに、悪戯っぽい笑みを浮かべながら訊く。
「……アホ。んなこと俺が言えるか」
「どうして?」
「……どうしてもだ」
「んもう、たまには言ってくれてもいいのに」
まったく、浮かれすぎて頭のネジが外れたらしい。
「ほれ、とっとと帰るぞ」
「は〜い」
家に帰り、とりあえず着替えを済ませる。
プレゼントを持って、森川家へ。
インターフォンを鳴らすと、愛美さんの声がした。
来訪の旨を伝えると、すぐに玄関を開けてくれた。
「こんにちは」
「いらっしゃい、洋一くん」
にこやかな笑みを浮かべて出迎えてくれたのは、やはり愛美さん。
愛は、愛美さん似だ。愛の将来の姿は、こんな感じなのかもしれない。
「愛は、部屋ですか?」
「ええ。帰ってきて、一度だけ下りてきたきりで、ずっと部屋にいるわ」
たいして時間は経っていないのだが、普段の愛の行動を考えるとそんな風に思ってしまうのだろう。
「そうそう、洋一くん」
「なんですか?」
「あの子ね、本当に楽しみにしてたの。それはもう逆に心配になってしまうくらいにね。だからというわけではないんだけど、今日はありがとうね」
そう言って愛美さんは軽く頭を下げた。
「私もうちの人も、洋一くんになら愛を任せられるから」
「……ありがとうございます」
そう言ってくれるのはありがたいけど、なんとなく早い気もする。
「愛〜、洋一くんが来たわよ〜」
二階に向かって声をかけると、ほとんど待たずにパタパタと足音が下りてきた。
クリーム色のセーターにデニム地のミニスカートという出で立ち。
「いらっしゃい、洋一」
「お、おい……」
いきなり、抱きついてきた。
「ほら、さっさと部屋に行きましょ」
愛美さんがそこにいるのもお構いなしだ。
愛美さんは、わずかにすまなそうな顔を見せたが、それも一瞬だった。
二階に上がり、愛の部屋に入る。
部屋の中はいつもより小綺麗になっていた。いつもが汚いというわけではないのだが、いつもだとなにかが雑然と置かれていたりしたが、それがない。
俺が部屋を見回しているのに気付いたのか、愛がペロッと舌を出し、説明してくれた。
「帰ってきてから大急ぎで片づけたの」
そこまでする必要はないと思ったが、とりあえずなにも言わなかった。
「さ、座って」
言われるまま腰を下ろす。
愛は、俺の隣に座る。
「あとでお母さんがいろいろ持ってきてくれるから」
「わかった」
愛はひとりっ子だから愛美さんもとても大事にしている。誕生日ともなれば、昔から手作りのケーキを用意して、結構ちゃんと祝っていた。
その気持ちは今も変わっていない。
「じゃあ、とりあえずこれを」
隠していたわけではないので、愛も俺がプレゼントを持ってきていることは知っている。ただ、それに触れなかっただけだ。
「ありがと。開けてもいい?」
「好きにしてくれ」
「うん」
愛は、嬉々とした表情でプレゼントを開けた。
「……うわ〜……」
中身を見た愛は、なんとも形容しがたい声を上げた。
俺がプレゼントとして選んだのは、少し奮発してローファーだった。
服でもよかったのだが、そのあたりのセンスがあるとは思えなかったから、無難なものを選んだ。
幸い、靴ならサイズさえわかれば、あとは本人次第、というところもある。
しかも、俺と愛は幼なじみだ。普段からどんな靴を履いているかは、よく知っている。だから、比較的選びやすかった。
「……高かったでしょ?」
「アホ。んなこと聞くな」
「ん、そうだね」
こういうのは値段ではない。なにを思ってそれを選び、渡すかだ。
「今度、デートする時に履いていくね」
「ああ」
愛は、ローファーをいったん箱の中にしまった。
それから少しして、愛美さんがお茶やケーキ、お菓子を持ってきてくれた。
ケーキは今年も手作りだ。
「愛」
「ん?」
「あまり洋一くんに迷惑かけるんじゃないのよ」
「迷惑なんてかけないよ」
「本当かしら?」
「……本当だって」
そう答えるのにわずかな間があったのだが。
「洋一くんも、いくら愛の誕生日だからってなんでもかんでも言うこと聞かなくてもいいからね」
愛美さんは、そう言い置いて部屋を出て行った。
「まったくもう、お母さんは……」
「そう言うなって」
愛美さんの言葉は多少大げさだと思ったのだが、それがそうでもないことを、そのあと知ることになる。
お茶を飲みながらケーキやお菓子を食べつつ、何気ない話に花を咲かせる。
いつもいろいろ話をしていても、話題は尽きない。
これが幼なじみの利点だろう。
愛はいつも以上に楽しそうで、一緒にいる俺までもそんな気分になった。
ただ、そういう時間は得てして過ぎるのが早い。
気がつくと、すっかり外は暗くなっていた。
「そろそろお開きか」
時計を見ると、もう七時をまわっていた。うちは特にそういうことにうるさくないけど、まあ、常識の範囲内でやめておくべきだろう。
「洋一」
「ん?」
「せっかくだから、夕飯、うちで食べていったら?」
「えっ……?」
「お父さんもお母さんも洋一が一緒だと楽しそうだし。それに……」
「それに?」
「……このまま終わりなんて、ちょっとヤだ」
「愛……」
すがるような、懇願するような眼差しで俺を見つめる。
「ね、洋一?」
はあ、俺がこんな愛の言うことを無視できるわけがない。
「わかったよ」
「あは、ありがと」
で、そのまま俺は森川家の夕食に招待された。
というか、愛は最初から俺を夕食に誘う気だったらしい。愛がなにも言わずとも、俺の分まで用意されていたことでそれがわかった。
七時半をまわった頃、愛の父さんの孝輔さんが帰ってきた。
孝輔さんは俺のことを実の息子のように可愛がってくれた人で、高校生になった今でもそれは続いている。
夕食は賑やかだった。いつもは三人の食卓にひとり増えただけでも賑やかなのだが、今日は愛の誕生日ということでさらに賑やかだった。
途中、アルコールの入った孝輔さんが、俺に『息子』になってくれと、冗談にならないことを言ったり、愛美さんが孝輔さんが知らない過去の自分の恋愛話をして場が一瞬凍ったりしたが、おおむね楽しかった。
夕食後、俺は再び愛の部屋にいた。
「洋一。今日は本当にありがとう。こんなに嬉しくて楽しい誕生日ははじめて」
「別にたいしたことはしてない」
「たとえそうだとしても、私にとっては違ったから」
「そっか」
俺としても、愛のためにあれこれやったわけで、その愛に喜んでもらえたなら、それで十分だ。
「じゃあ、今度こそ本当に──」
「ダメ」
「愛……?」
立ち上がろうとする俺を、愛が押しとどめた。
「ダメって、もうさすがに帰るべきだろ」
「ヤだ。今日は、帰したくないの……」
そう言って愛は、俺に抱きついた。
「帰したくないって、おまえ……」
「……言ったよね。私の誕生日にお願いを聞いてくれるって」
「まさか……」
「心はもう洋一だけのものだけど、体はまだだから。だから、体も洋一だけのものにしてほしい」
愛のその言葉は、とても真剣だった。
あまりにも真剣すぎて、真意をつかめないほどだった。
「お願い、洋一……」
今にも泣き出しそうな愛。
「……もう、戻れないかもしれないぞ?」
「うん、いいよ、それで。私は、洋一と前に進んでいきたいから」
俺も、覚悟を決めなければならないようだ。
「洋一……」
「愛……」
俺は、返事の代わりにキスをした。
幼なじみだった愛に対して『女』を感じるようになり、程なくして邪な想いを抱くようにもなった。
お世辞でもなく愛は、年々完成された『女性の体』に変わっていった。
それこそ男も女もない頃から知ってる俺にとっては、それはある意味では青天の霹靂でもあった。ただ、体の成長は当然のことで、それに戸惑っている俺の方がおかしいのだ。
たまに見せる無防備な姿に、何度押し倒してしまいたい衝動に駆られたか。
それをしなかったのは、愛が俺にとって特別すぎる存在だったからだ。それ以下の存在なら、おそらくどこかで理性のたがが外れていただろう。
だが、それも俺たちの関係が単なる幼なじみの関係だった頃までの話だ。夏休みに正式に恋人同士になり、その意識は確実に薄れていった。同時に、愛を自分だけのモノにしたいという欲求が膨らんでいった。
だから、今のような状況は、ある意味望んでいた状況なのだが──
「…………」
俺は、未だに受け止めきれていなかった。
「洋一……?」
そんな俺の内心を見透かしたかのように、愛は不安そうな顔で、不安そうな声を上げた。
「……ひょっとして、イヤだった?」
「そんなわけないだろ?」
「だったら……」
愛は、続く言葉を飲み込んだ。
ここまできて今更だとは思うけど、俺は、怖じ気づいているのかもしれない。
望んでいたことをできるのに。
「……ごめんね、洋一」
「ん、なんで謝るんだ?」
「だって、私だけ先走ってる感じがして……」
本当にこいつは、いつまで経っても、どこまで行っても変わらないな。
「洋一?」
俺は、愛を胸に抱きしめた。
「謝るんだったら、俺の方だろ? 今更、なのにさ」
「ううん、そんなことないよ」
愛は、頭を振る。
「でもね、今は、今だけは余計なことは考えないでほしい。私だけを見つめて。そして、したいことをしよ……?」
そう言って愛は、俺の手を自分の胸に当てた。
「愛……」
俺はそのまま愛にキスし、ベッドに押し倒した。
「いいな?」
「……うん……」
もう一度キスをする。
「ん……」
触れるだけのキスではなく、息を継ぐのも忘れるくらいのキスを。
「よう、いち……」
トロンとした瞳で俺を見つめる。
髪を掻き上げ、落ち着かせるように頭を軽く撫でる。
昔、俺たちが兄妹みたいに過ごしていた頃から、愛は俺に頭を撫でられるのが好きだった。今でこそそんなことしなくなったが、たまにそうしたくなることもある。
そして、今はそうすることで愛を落ち着かせられると思った。
「優しいね、洋一は……」
「そうか?」
「うん、優しい。だから、大好き」
愛は、ニコッと笑った。
「……アホ。余計なこと言うな」
「ふふっ」
やられっぱなしは俺の性に合わない。
俺は、無言で愛の胸に触れた。
「あ、や……」
突然のことに、愛はわずかに体をよじった。
だが、逃げることは俺が許さない。
セーターの上からでもわかるその柔らかさ。
扱い方など知らないが、それでも乱暴にだけは扱わない。
触れる度に、愛はせつなげな眼差しを向ける。
「脱がせてもいいか?」
「え、あ、うん……いいよ」
躊躇いがちに、セーターを脱がせる。
明かりの下、愛のきめ細やかな肌の白さが、余計に際立っていた。
そっとその腹部に手を添える。
「ん……」
滑らかな肌触り。
男の俺にはない感触。
「……なんか、その触り方、エッチっぽい」
「……あのなぁ、今更だろ、そんなの?」
「そうかもしれないけど……」
「じゃあ、やめるか?」
少しだけ意地悪く訊いてみた。
「……それは、もっとヤだ」
ぷうと頬を膨らませる。
その仕草が可愛くて、ああ、やっぱり俺はこいつのことが好きなんだと再認識する。
「もっと恥ずかしければ、余計なこと、考えなくなるかな」
「えっ……?」
愛の同意を得る前に、俺は薄いピンクのブラジャーをずらした。
「あ、ぅ……」
無意識のうちに胸を隠そうとする愛を、目だけで制す。
「……あんまり、見ないで……」
「どうしてだ?」
「だって、恥ずかしいもん……」
「こんなに綺麗なのにか?」
「ぁ……」
俺の意外な言葉に、愛はなにも言えなくなる。
「……本当に──」
「ん?」
「本当に綺麗だと思う……?」
「ああ、思う。俺にはもったいないくらい、綺麗だ」
「……ヤだ。そんなこと言わないで。私に触れてもいいのは洋一だけだし、見てもいいのは洋一だけなんだから。なのに……」
泣きそうな顔で抗議する。
「すまん……」
今のは俺が全面的に悪い。こいつは、いや、こいつだけじゃないだろう。こういう時にそういうことを言うのは、背反行為だ。
「……謝ったって、許してあげないんだから」
「どうすれば許してくれるんだ?」
「……もっと──」
「ん?」
「もっと、もっと優しくして」
「ああ、わかった」
小さく頷き、その額に軽くキスをした。
「じゃあ、触るぞ?」
「うん……」
改めて仕切り直し。
まずは、そっと胸に触れる。
「ん……」
直に触ると、その柔らかさを存分に味わうことができる。
とても柔らかでありながら、適度な弾力もあり、肌のみずみずしさも加わって、なんとも言えない感触を与える。
「……ん、あ……」
できるだけ優しく。
「すげぇ柔らかい」
「……い、いちいち言わなくていいよ」
「感動してるんだよ」
それでも、口をついて出てくる言葉は、実に素直じゃないものだった。
外側から包み込むように、今度は少しだけ力を込めて揉む。
「や……ん……」
口元に手を当て、愛は声を抑えようとする。
「声、出せよ」
「だ、だって……」
「無理するな」
「ううぅ……」
なんでも無理に抑え込もうとすれば、どこかにしわ寄せが来る。
はじめてのことなんだから、そういうことはなしにしたい。
「じゃあ──」
「あ……」
愛が逡巡しているうちに、俺は愛の胸に顔を寄せた。
なんとなく、甘い匂いがしてくるような気がした。
ぷっくり膨らんでいる乳首を、舌で舐める。
「ひゃんっ」
突然のことに、愛は声を上げた。
「ほら、声、出るだろ?」
「い、今のは突然だったから……」
「なんだっていいんだよ。俺は、おまえの声も聞きたいんだから」
そう言って改めて乳首を舐めた。
「や、ん、うう……」
愛の手は、俺の頭をどかそうと動くが、それも完全ではない。頭ではそうしない方がいいとわかっているからだろう。
この行為は一方的なものではない。お互いが望んでのことなのだから。
最初はぎこちないものだったが、少し慣れてくると、舌先を使って乳首をこねる。
「んんっ、洋一」
それに従って、愛の声も大きく、艶っぽいものへと変わってくる。
空いているもう片方の胸には、これまた空いている手を添え、指で乳首をもてあそぶ。
「や、ダメっ、感じすぎちゃう」
そうは言いながら、それ以上拒もうとはしない。
「敏感だな」
「だ、だって……」
プイとそっぽを向いてしまう。
その仕草が子供っぽくて、ついつい笑ってしまう。
「むぅ、洋一のいぢわる……」
「下手にガチガチになるよりいいだろ? お互い、はじめてなんだから」
「あ、うん、そう、だけど……」
そう言いながら、俺の心臓は今にも飛び出しそうなくらい、激しく脈打っている。
平静を装うだけでいっぱいいっぱいだ。
「そろそろ、こっちもいいか?」
「え、あ、うん……」
いつまでも時間があるわけではない。
有限な時間を有効に使うためには、前に進まなければならない。
「一応確認するが、これ以上進んだら、もう止められないからな」
「うん……」
愛は、俺の目をちゃんと見つめて、頷いた。
だから、もうそれ以上なにも言う必要はなかった。
デニム地のミニスカートは、見た目以上に脱がしにくかった。
スカートを脱がすと、ブラジャーと揃いの薄いピンクのショーツがさらけ出される。
ふざけてとか、偶然に胸に触れることはあっても、ここから先は未だかつてない。
「…………」
俺は、愛にもわからないように小さく息を吐いた。
「触るからな」
「う、うん……」
おそるおそる──そう表現するしかない──俺は、ショーツの上から愛の秘所に触れた。
「ん……」
その感触はやはりなんとも形容しがたいものだった。
無意識のうちに、何度か指を擦っていた。
「あ、ん……」
同時に、愛から嬌声が上がる。
「ん、ふぅ……や……」
俺が指を動かす度に、愛から声が上がる。
「よ、洋一……」
「どうした?」
「……そのままなんて、せつないよ……」
潤んだ瞳で、本当にせつなげに言う。
今までに見たことのない表情に、一瞬、見とれてしまった。
「あ、じゃ、じゃあ、脱がすぞ?」
「うん……」
内心の動揺を悟られないよう、できるだけいつも通りに振る舞う。
それでも、この行為には今まで以上の緊張感を伴う。
緊張で上手く手が動かない。
愛は愛で、必要以上にこっちを気にしてるし。
「…………」
どれだけ時間がかかっただろう。ほんの数十秒だったかもしれない。だけど、俺にはそんなに短いものには思えなかった。
「洋一……」
と、愛の声で我に返った。
今、俺の目の前には、申し訳程度についているブラジャーとソックスだけの幼なじみが横たわっている。
昔──小学生の頃、ふたりで風呂にも入ったことはある。だけど、その頃なんか男も女もない。裸を見たところでなんの感慨もない。違いと言えば、ついてるものがあるかないかだけだ。
その愛が、今ほとんど生まれたままの姿で目の前にいる。
まだ成熟していないが、確実に大人への階段を上がっているその肢体は、俺の神経を麻痺させる。
「な、なんか言ってよ……」
「あ、わ、悪い。俺も、どんな反応をしていいのかわからなかったから」
「洋一も?」
「当たり前だろ? いくらおまえと幼なじみで、それこそ親も知らないようなことを知っていたとしても、こんなことは今までなかったんだから」
「うん、そうだね」
「その、なんだな……えっと……」
ああ、くそっ、上手い言葉が見つからない。
「マジですごく綺麗だ」
「あ……」
そう言った途端、愛の目から涙がこぼれた。
「お、おい、なんで泣くんだよ?」
「だ、だって、本当に嬉しかったんだもん」
「ああ、もう……」
ガシガシと頭をかき、俺は愛を抱き起こし、そのまま抱きしめた。
「……私はね、洋一にさえそう言ってもらえればいいの。ほかの人にどう見えようが関係ない。世界でただひとり、洋一にさえ認めてもらえればいいの。そのために今までいろいろ努力してきたんだから」
愛は、耳元でそう告白した。
「努力なんてしてきたのか?」
「うん。痩せすぎなのもイヤだけど、太るのはもっとイヤだし。ベストの体型を維持するのって、結構大変なんだから」
「そっか」
「それに、それ以外にもいろいろ努力してるの」
「大変なんだな」
「うん。だからね、洋一に綺麗だって言ってもらえて、本当に嬉しいの。その努力が報われたってことだから」
そうだ。こいつは昔からずっとこうなんだ。
なんでも器用にこなせるのは、その裏に努力があるからだ。愛は、決して天才じゃない。姉貴や美樹のようなタイプとは違う。
努力してそれを己の血肉に変える。
それは今回のことでもそうなんだろう。
「ホント、おまえはいい女だよ」
「ふふっ、今頃気付いたの?」
「いや、前から知ってたさ」
だからこそ俺は、こいつのことを好きになったんだ。
ただ単に幼なじみだったから好きになったんじゃない。
「もう大丈夫か?」
「うん、大丈夫」
目尻の涙を擦り、愛は微笑んだ。
「あ、ねえ、洋一」
「なんだ?」
「その、洋一も脱いで」
「は?」
「洋一だけ服着てるの、なんかずるい」
「……ずるいって」
脱力するようなことを言うな。
とはいえ、ここで意固地になってもしょうがない。
「わかったよ」
とりあえず上だけ脱ぐ。
「下も」
と、ダメ出しを喰らった。
「はあ……」
言われるまま、下も脱ぐ。
「あ……」
が、愛の視線がある一点で止まった。
「私が相手でも、こうなるんだ……」
「アホ。おまえだからだろうが」
俺のモノは、もうさっきからずっと痛いほど大きくなっていた。
「それが、私の中に入るんだね……」
「恐い、よな?」
「……正直に言えば、ね。でもね、それだけじゃないよ」
「そっか」
いつまでも話していてもしょうがない。
「じゃあ、続けるぞ?」
「うん」
俺は、愛に軽くキスしてから、今度は直接秘所に触れた。
「ん……」
愛のそこは、すでにわずかに湿り気を帯びていた。
「感じてたんだな」
「だ、だって……」
指先で秘唇をなぞる。
「ふわぁ……んん……」
愛は、その度にぴくぴくと反応する。
少しだけそこを開き、指を挿れる。
「んっ」
異物の挿入に、愛は一瞬顔を歪めた。
だが、俺の指はそんな愛の想いとは裏腹に、なにもしていなければ抜けなくなるのではと思えるほど、しっかりとそこにはまっていた。
「や、ん……んぅ……」
最初はできるだけゆっくりと、できるだけ小さな動きで。
わずかに湿っていたとしても、そこはまだ濡れているというほどではなかった。
このままでは苦痛ばかり伴うので、もっとしっかりいじる。
「洋一の、ん、指が……あんっ」
時折感じる場所に触れているらしく、その時には敏感に反応する。
次第に指先にさっき以上の湿り気を感じるようになった。
少し大きく、速く指を動かすと、くちゅくちゅと音がするようになった。
「濡れてきたな」
「ん、言わないで……」
愛は、顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。
だけど、どこまでそれをすればいいのか、俺にはわからなかった。ビデオとかでどうすればいいかはわかってはいるが、実際にしたことはなく、どこまでかはわからない。
とはいえ、俺の方はそろそろヤバイかもしれない。
「洋一……もう大丈夫だと思うから」
そんな俺の想いを見透かしたように、愛はそう言った。
「わかった。じゃあ……」
足を開かせ、挿入する準備をする。
「我慢するなよ?」
「……大丈夫」
愛の意志はかなり固いようだ。
俺はモノを愛の秘所にあてがった。
それだけで愛は目を閉じてしまう。
「いくぞ」
そして──
「痛っ!」
俺は、一気にモノを挿れた。
愛の中は、とても暖かく、ものすごい勢いでモノを締め付けてきた。
気を抜くとすぐにでもイってしまいそうだ。
「んっ……くっ……はあ、はあ……」
だが、愛にはそんな余裕はない。
目にいっぱいの涙を溜め、苦痛に耐えている。
「……大丈夫か?」
「う、うん、大丈夫」
なんとか微笑もうとするが、なかなか上手くいかない。
「俺はすげぇ気持ちいいけど、おまえはつらいよな?」
「洋一は、ん、心配しすぎだよ」
「だけど……」
「やっと、ひとつの夢がかなったんだから」
そう言って愛は、俺の頬に手を伸ばした。
「だからね、あとは、洋一の好きなようにしていいから」
「わかった」
そこまで言われては、俺もそうするしかない。
俺は、ゆっくりと腰を引いた。
「んっ、くっ……あっ」
腰を引き、また押し戻す。
今までに感じたことのない快感が俺を襲う。
その快感に抗おうとするが、なかなか上手くはいかない。
「あっ、んん……いっ……」
愛の口からは、ほんのわずかだが嬌声が上がっていた。
だけど、俺にはそれをちゃんと聞いている余裕はなかった。
すぐに強烈な射精感に襲われる。
「愛、そろそろヤバイ」
「んっ、大丈夫だから、あっ……」
もはや俺には止められなかった。
「くっ、愛っ」
「んんっ」
俺は、かろうじてモノを引き抜き、そのまま愛の下腹部へ精液を放った。
「ん、はあ、はあ……」
「ちゃんと、イッてくれたんだね」
「ああ……」
「嬉しいな……」
愛は、本当に嬉しそうに微笑んだ。
裸のままベッドに横になるのは、実に不思議な感じだった。しかも、隣には同じく裸のままの愛がいる。
「これで、私は心も体も洋一だけのものになったんだね」
「ああ、まあ、そうなのかな?」
「むぅ、イヤなの?」
「そんなことはないけど」
「じゃあ、そういう曖昧な言い方しない」
むに〜っと頬を引っ張られる。
「でも、やっぱりはじめては痛かったなぁ」
「……そんな恨みがましい目で見るなよ」
「これで本当に気持ちよくなるのかな?」
「さあ、俺にはなんとも」
「やっぱり、何度もしないとダメなんだろうね」
言いながら、愛はしっかりと『おねだり』に絶妙なポジションを取る。
「ね、洋一」
「ん?」
「これからも、抱いてくれるよね?」
まだ若干上気した表情で、上目遣いにそう言う。
「……抱くよ」
「ホント?」
「ああ。俺だって人並みには性欲もあるし。それに──」
「それに?」
「……おまえみたいな『いい女』なら、何度でも抱きたくなる」
「洋一……」
愛は、そのまま俺に抱きついてきた。
裸のままだから、胸の柔らかさもダイレクトに伝わってくる。
「ああ、もう、今年の誕生日は嬉しすぎだよ。こんなにいいことばっかりだと、あとは悪いことしかないんじゃないかって思っちゃうくらい」
「それはないだろ?」
「そうだと思うけどね。でも、誕生日が最高のものになったっていうのは、本当だから」
それは俺と愛の立場が逆でも言えただろう。
一番大切な人に心から祝ってもらえれば、最高のものになる。
「そういえば」
「なんだ?」
「今日は、中でも大丈夫だったんだよ?」
「は?」
「だからぁ、洋一はちゃんと考えて外に出してくれたけど、中でも大丈夫だったってこと。言ったでしょ?」
「……だとしても、可能性はゼロじゃないだろ?」
「うん、まあ……」
「だったら、無責任なことはできないって」
「洋一って、変なところ、真面目だよね」
「うるせぇ」
俺は愛の髪をくしゃくしゃっとかきまわした。
「ああん、もう……」
それに対して愛は、そうさせまいと抵抗を試みるが、俺にはかなわない。
少しだけ悔しそうな顔を見せたが、すぐに笑顔に戻った。
「なあ、愛」
「うん?」
「今更だけど、本当に今日、おまえを抱かなくちゃいけなかったのか?」
「…………」
「なんで黙るんだよ」
「理由は、いろいろあるの」
愛は、ぽつりと呟いた。
「私にだって性欲はあるし、それ自体にも興味もあったし。でもね、それは二の次、三の次の理由。一番の理由はやっぱり、沙耶加さんかな」
「……沙耶加ちゃん、か」
そうかもしれないとは思っていたが、本当にそうだとはな。
「洋一のことは信じてるし、沙耶加さんとなにもないのもわかってる。それでも、漠然とした不安はいつまでも消えないの。思い出したくもない夢を何度も見たわ。だから、洋一に愛されてるっていう明確な『証拠』がほしかったの。もちろん、義務感とか危機感だけで抱いてもらったわけじゃないけどね」
「なるほどな」
「私にもう少し勇気があったら、もう少し早く今のような関係になれただろうなって。それを思う度に、多少の焦りも出てきて」
それは俺にもよくわかる。俺にもそういうところがある。
「でも、今更そんなこと言ってもしょうがないのよね。過去を悔やんだところで現在が好転するわけでもないし。だから、できるだけそういう後ろ向きの考えは排除しようと思ってたんだけど……」
「まあ、しょうがないさ」
その原因は、俺にもあるからあまり強くは言えない。
「で、実際抱かれてその不安は払拭されたのか?」
「完全ではないけど、だいぶ薄れたのは確かだよ」
「その程度には役に立った、ということか」
「大丈夫。今の私にとって、洋一は誰よりも大切な人で、いないと困る人だから。だから、勝手にいなくならないでよ?」
「とりあえずどこかへ行くつもりはない」
「うん」
「それに、もしどこかへ行くようなことがあっても、その時は──」
俺は、愛を抱きしめた。
「おまえも一緒だ」
「洋一……」
普段なら絶対に言わないことも、今日だけは言えた。
それは愛も同じだろう。
「ねえ、洋一」
「ん?」
「ずっと、ずっと側にいて、離さないでね?」
「ああ」
こいつの悲しむ顔だけは、どんな理由であろうと見たくない。
そうならないために、俺は俺のできることをなんでもやろう。
二
次の日。
朝、目が覚めると見慣れぬ天井が目に飛び込んできた。
一瞬、なにが起きたのかわからなかったが、頭が動き出すとそれも理解できた。
「そっか……愛の部屋か……」
理解してしまえば、特に問題は──
「……ないわけないな」
こっちに泊まることは一応連絡した。だけど、それが姉貴や美樹にどんな『尾ひれ』がついて伝わっていることか。考えるだけで頭が痛くなる。
「……う……ん……」
と、隣から可愛らしい声が聞こえた。
愛は、まだ気持ち良さそうに寝ている。
愛の寝顔は久しぶりに見たけど、なんというか、やっぱりこいつは凶悪にカワイイ。
「……なんか悔しいな」
指で頬をぷにぷにとつつく。
「ん……」
愛は、わずかに身をよじった。
「……俺も、いろいろ考えなくちゃいけないな」
誰も後悔しない方法はないかもしれない。だったらどうすればいいか。
それはちゃんと考えなくてはならない。
「さしあたっての問題は……家に帰ってからの姉貴と美樹の対処法か」
やはりため息が出る。
「……ていうか、その前にも問題があったな」
そう。その前の問題が、ここ、森川家にある。
それは、孝輔さんと愛美さんだ。自分で言うのもなんだが、俺はふたりのかなりの『お気に入り』だ。昨日の食事の時に孝輔さんが、俺に『息子』にならないかと言ったのも、あながち冗談ではない。というか、愛美さんもそうあってほしいと、口に出して言うことはないが、態度を見ているとよくわかる。
で、俺はこうして泊まったわけだ。そこでなにがあったかは、推して知るべしだ。
つまり、森川夫妻にかっこうの攻撃手段を与えてしまったに等しい。
「……うあ、頭痛い……」
孝輔さんはある程度パターンがあるからあしらいやすいけど、愛美さんはそうはいかない。愛美さんは俺のガキの頃も知ってるから、俺の扱い方も熟知してる。母さんや姉貴と並んでやっかいな相手だ。
「……誤魔化しは……無理か」
たとえ俺が誤魔化せたとしても、愛が無理だな。こいつはすぐに顔に出るから。
「……しょうがない。腹をくくるか」
結局、それしかない。
「はあ……」
またため息が出た。
「なにため息なんかついてるの?」
と、いつの間にか愛が起きて、こっちを見ていた。
「なんだ、起きたのか」
「うん。いつまでも寝てるわけにもいかないし」
まあ、確かにいつまでも寝てるわけにはいかないな。
「それで、なんでため息なんかついてたの?」
「いや、今日これから、俺にはふたつの越えなければならない壁があると思ってな」
「ふたつの壁?」
愛は首を傾げた。
「おまえの両親と、うちのバカ姉とブラコン妹だよ」
「ああ、なるほど」
「納得してるけど、おまえにだって少なからず影響が出るぞ」
「ん〜、私は気にしないから」
……そうだ、こいつはこういう奴なんだ。
「実を言うとね、お父さんとお母さんの『洋一息子化計画』はずいぶん前から言われ続けてきたし。確かに今回のことで加速するとは思うけど、とりあえず害はないと思うわよ」
そんな訳のわからんことを計画するな。
まったく、ここの家もようわからん。
「あと、美香さんは特に問題ないから。多少問題があるとすれば、美樹ちゃんくらいかな。美樹ちゃん、洋一のこととなると人が変わるから」
そう言って苦笑する。
「でもさ、遅かれ早かれこういう機会は訪れたわけだから、あきらめが肝心だと思わない?」
「……かもな」
確かに、もはやあきらめるしかないのだろう。
「それより、洋一」
「ん?」
「ひとつだけ約束してほしいの」
「約束?」
「態度、変えないでね」
「態度? なんの?」
「私に対する」
「別に変えることなんかないだろ?」
「そういう風に思っててくれるならいいの」
愛がなにを言いたかったのかは、だいたいはわかる。
特別な関係になったからといって、それまでと違う態度を取られれば、気になる。
よそよそしくなったり、変に気を遣ったり。
愛は、そういうのを心配したんだろう。
「さてと、俺はそろそろ家に帰らないとな」
「あ、じゃあ、私も着替える」
俺は、脱ぎ散らかしてあった服を着た。
「……やっぱり、シャワー浴びてからの方がいっか」
愛は、制服を着ようとしてはたと止まった。
「好きにしてくれ」
「とりあえず、これを着て、と」
結局、愛は前日の服をとりあえずで着た。
「洋一」
「ん?」
「キス、してほしいな」
部屋を出る直前、愛はそんなことを言った。
「まったく、おまえは……」
そう言いながらも、それを断れない俺。
「ん……」
抱きしめ、ちゃんとキスを交わす。
「うん、ありがと」
愛は、にっこり微笑んだ。
とりあえず、愛の笑顔が見られたからよしとしなければならないのかな。
で、森川夫妻の攻撃は意外にもそれほどでもなかった。実際はこれからが本番なのだろうが、俺としては今、この瞬間さえ乗り切れればとりあえずよかった。
朝食もと勧められたが、さすがにそこまで甘えるわけにはいかず、いったん家に帰った。
家に帰ると、いきなり姉貴に遭遇した。
「おかえり」
「……ただいま」
めちゃくちゃ意味深な笑みを浮かべて、ものすごくなにか言いたそうな顔をしてる。
「とりあえず、言いたいことや聞きたいことたくさんあるけど、今はあまり時間がないと思うから勘弁してあげるわ」
「……偉そうに」
「いいの、そんなこと言っても? まあ、私はいいけどさ。あんたには、これから美樹の相手をするという重要な仕事があるのよ?」
「…………」
それを言われるとなにも言えない。
「……お兄ちゃん」
と、リビングのドアが開き、件の美樹が顔を出した。
なんか、ものすごく暗い顔で、微妙に怒ってるような気がするのだが。
「と、とりあえず、着替えてくるわ」
俺は、美樹に追及される前に、部屋に逃げ込んだ。
「はあ……」
わかっていたこととはいえ、問題山積だな。
着替える前にシャワーを浴び、制服に着替えて食堂へ。
すでに姉貴と美樹は食事を終えたらしく、テーブルの上には俺の分だけがあった。
「森川さんには迷惑かけなかった?」
俺の前にコーヒーを置きながら母さんは訊ねた。
「ん、問題なし」
「それならいいけど」
母さんは本当に特になにも言わないし聞かない。ある意味ではそれが一番恐いんだけど、今のところは実害がないからそれでいい。
問題はやっぱり──
「…………」
俺の目の前に座ってじっとこっちを見ている美樹か。
今日は土曜日だから中学校は休み。ということは、ほかに用事さえなければいつまでも俺の相手をしていられる、ということだ。
「……お兄ちゃん」
「ん?」
「私がお兄ちゃんと愛お姉ちゃんのことをとやかく言えないことくらい理解してるよ。それに、お兄ちゃんたちは恋人同士だし。でもね、それでもね、割り切れないの」
美樹は今にも泣き出しそうな顔でそう言う。
「お兄ちゃん。愛お姉ちゃんと『なにか』あったの?」
ここでウソをついても本当のことを言っても、どちらにしろ美樹は納得はしないだろうな。
「たぶん、おまえが想像してる通りのことがあった」
「……っ……」
美樹は唇を噛みしめ、俯いた。
「姉貴」
トーストを食べ終え、俺は後ろで様子を伺っていた姉貴に声をかけた。
「悪いけど、美樹の相手、頼む」
「高いわよ?」
「出世払いで」
今は俺じゃなく姉貴の方がいいだろう。俺相手だと言いたいことも言えないかもしれないし。
俺は美樹を姉貴に任せて、学校へ行くことにした。
若干早い時間だったけど、家を出るといつものように愛が待っていた。
「や、洋一」
「よ、愛」
そんな挨拶を交わし、学校へ。
特になにを話すわけでもない。
それでもだいぶ沈黙が続いた頃、愛が口を開いた。
「結局さ、私たちの関係って変わらないんだね」
「どういう意味だ?」
「ん、だって、昨夜は『あんな』ことまでしたのに、表面上は全然変わってないんだから。だから、私たちはどんなことがあっても変わらないのかなって」
「かもしれないな。たとえ特別なことがあっても、俺たちの間ではそこまでのことじゃなくなってしまう」
「うん。だけど、全然変わってないわけじゃないの」
「そうなのか?」
「当然でしょ? 本当はね、今でもドキドキしてるんだから。まあ、朝起きた時よりはだいぶ落ち着いたけど」
「起きた時って、特に変わったところはなかったけどな」
「それは、そう見せてただけ。本当は顔から火が出るんじゃないかってくらい、恥ずかしかったんだから」
言いながら、愛はわずかに頬を赤らめる。
「なのに、洋一は全然いつも通りだし」
「……あのなぁ、俺だっていろいろあったんだぞ」
「ホント?」
「ああ。だけど、帰ってからのことを考えてたら、いつの間にかそっちは後回しにしようと思って」
「……私って、その程度の存在だったの?」
愛は、わずかに眉根を寄せ、言った。
「そうじゃないって。ただ、あの時はまだおまえは起きてなかったし、だったらほかのことを優先しようと思ってな」
「ふう、まあ、そういうことにしてあげる」
「してあげる、じゃなくて、そういうことなんだ」
「はいはい」
まったく、俺たちの関係がさらに深いものになっても、こいつのこういうところは変わらないんだろうな。
「ああ、そうだ。おまえにひとつだけ言っておかなくちゃならんことがあった」
「なに?」
「二、三日、うちには来るな」
「どうして?」
「美樹を刺激したくないからだよ」
「ああ、なるほど」
「さっきも大変だったんだからな。俺は学校もあったから、あとのことは姉貴に任せてきたけど」
あのあとどうなったのか、知りたいような知りたくないような複雑な気分だ。
「美樹ちゃんの『お兄ちゃん』好きは、筋金入りだからね。でもさ、私はよかったと思うわよ」
「なんでだ?」
「遅かれ早かれこういうことになったと思うし、だったら傷は浅いうちの方がいいと思うしね」
確かにそういう見方もできないこともない。ただ、美樹はまだ中学生だ。精神的にもまだまだ幼い。そういうところに今回のことはかなり堪えてると思うのだが。
「洋一が心配するのはわかるけど、そうやって過保護になりすぎたせいで、状況が悪化したとは思わないの?」
「……それは、まあ……」
それを言われると、本当になにも言えない。
「確かに美樹ちゃん、カワイイから構ってあげたくなるのもわかる。私だってそうだから。でも、兄妹だったらなおのことけじめはつけないと」
「……ああ」
「だから、今回のこともあまり洋一があれこれ言ったりやったりしない方がいいわよ」
「わかった」
たぶん、俺も美樹も、そろそろお互いに対するスタンスを変える時期に来てるのかもしれない。
「で、その分、私に優しくしてくれると、嬉しいんだけどなぁ」
「結局それが目的か?」
「いいじゃない、それくらい」
「それくらいって、これ以上優しくしたら、おまえ、俺にべったりになるだろ?」
「う〜ん……そうかも」
そう言って笑う。
「俺はそこまではイヤなんだよ。いくら恋人同士でも、個々というものがあるんだから」
「私は、それこそ一日中一緒でもいいんだけどなぁ」
「おいおい……」
さすがにそれは勘弁してほしい。
「ま、それは今はいいんだけど。とにかく、美樹ちゃんのことはもう少し考えてみた方がいいわよ。少なくとも私は引くつもりはゼロなんだから」
こいつの方から引くことなんて、万に一つもないだろうな。
となると、やっぱり美樹の方をなんとかすべきなんだろうな。
やれやれ、これはかなりの難題だ。
美樹のことがあったせいか、昨夜のことも必要以上に意識することはなかった。
学校でも普通に行動できていたし。
俺も愛も特に変わったところはなかった。だから、まわりも特になにもなかった。
だけど、ただひとりだけ、ほんのわずかな、本当に些細な変化に気付いた者がいた。
放課後。
土曜ということで授業は午前中で終わり、午後は時間がある。だから、特になにか用事でもない限りは、真琴ちゃんと一緒に絵を描いていた。
最近の真琴ちゃんのお気に入りは、静物画だった。どこから持ってくるのかは聞かない方がいいようなものを、いろいろ持ってきては描いている。
で、今日はなぜか『ヤカン』だった。
それを持ってきた時にはどんなツッコミをしたらいいのか、本気で悩んだくらいだ。
「こうして先輩と絵を描くようになって、もう結構経ちますよね」
真琴ちゃんは、唐突にそんなことを言ってきた。
「ん、そうだね。確かあれは、六月だったから、もう五ヶ月か」
「はい。なんか、今ではもうそれが当たり前になってますけど、よく考えたら『まだ』五ヶ月しか経ってないんですよね」
「確かに」
月日の流れるのは早いけど、それ以上にこの状況に慣れるのも早い。
「以前は先輩のことをただ単に頼れる先輩だと思っていましたけど、それも変わりましたし」
「どう変わったの?」
「先輩は、私の優しくて頼りになる『お兄ちゃん』ですから」
そう言ってスケッチブックから顔を上げ、にっこり笑った。
そう思われるのも嬉しいけど、本当にそうなのかは微妙だ。少なくとも俺自身はそう思えない。優しくもないし、頼りにもならない。
「でも、私が先輩と出会ったことで、ひとつだけ後悔、というわけではないんですけど、もう少し違った方がよかったこともあるんです」
「それは?」
「お姉ちゃんのことです」
「沙耶加ちゃんの?」
「はい。私がお姉ちゃんに先輩のことをいろいろ話したから、結果的にここへ転校してきて、そして……」
ああ、なるほど。そういうことか。
でも、さすがは真琴ちゃんだ。後悔してるとは言わなかった。後悔してると言ってしまうと、今までの真琴ちゃんの行動や沙耶加ちゃんの行動をすべて否定してしまうことになる。それだけはできなかったのだろう。
「先輩。今更お姉ちゃんに振り向いてくれとは言いません。先輩には森川先輩がいますから。でも、できればお姉ちゃんを悲しませないでください。言ってることが矛盾してるのはわかってます。でも、私はお姉ちゃんも先輩も大好きですから」
昨日の今日でこういうことを言われると、ものすごく心が痛い。特に真琴ちゃんはいつでも真剣だから。
「すみません、偉そうなこと言っちゃって」
「いや、気にしなくていいよ。俺だって沙耶加ちゃんの悲しむ姿は見たくないからね。ただね、それだけは保証できない。なるべく軟着陸できるようにはするけど、その結果がどういうものになるかまでは、俺にもわからないから」
気休めを言ってもしょうがない。真琴ちゃんなら、それは十分わかってるだろうから。
「はあ、本当にお姉ちゃんも大変な人を好きになっちゃったなぁ……」
その言葉に、俺は苦笑するしかなかった。
適当なところで切り上げ、真琴ちゃんと別れていったん教室に戻る。
土曜の放課後なので、生徒はほとんど残っていない。教室はどこも静かだ。
二年の廊下も静かなもんで、誰もいない。
教室もそうだと思っていたのだが──
「沙耶加ちゃん」
沙耶加ちゃんがいた。
窓を開け、そこから吹き込んでくる少し冷たい風に、長い髪を揺らしている。
「こんな時間までどうかしたの?」
沙耶加ちゃんはゆっくりとこっちを振り向き、言った。
「洋一さんを待っていたんです」
「俺を?」
「はい」
ゆったりと微笑む。
「少しだけ、お話ししてもいいですか?」
「それは構わないけど」
じゃあ、と言って沙耶加ちゃんは窓を閉めた。
「洋一さんは、真琴と絵を?」
「ああ、うん。もう半分日課になってるからね。どうせ絵を描くなら、刺激を与えてくれる人と描きたいし」
「そうですか」
俺はとりあえずスケッチブックをカバンにしまった。
「それで、話って?」
「今日の愛さん、いつもより機嫌がよかったですね」
「そう?」
「はい。昨日は愛さんの誕生日、だったんですよね?」
「まあね」
「……それでわかりました」
そう言って沙耶加ちゃんは、少しだけ淋しそうな笑みを浮かべた。
「きっと、愛さんは自分の想いに素直になって、想いを遂げたんですね」
「…………」
「ほんの些細なことだと思います。洋一さんも愛さんも普段と特に変わったところはありませんでしたから。でも、愛さん、普段より洋一さんの方を見る回数が多かったんです。その時の表情や視線もほんのわずかですけど、違いました。悪いことがあったとは思いませんでした。もしそういうことなら、愛さんはあのような表情はしません。ですから、想像するのは容易でした」
沙耶加ちゃんは、ふっと表情を和らげた。
「たぶんですけど、私は愛さんにはどうやっても勝てないんでしょうね。別に今回のことがあったからそう思ったわけではありません。今までのことを考えると、自然とそんな結論に達するんです」
「……沙耶加ちゃん」
「それでも、私は……洋一さんのこと、あきらめません」
そう言った沙耶加ちゃんの顔には、とても綺麗な笑顔が浮かんでいた。
「だって、あきらめきれるはずもありません。洋一さんと愛さんがどんな関係でも、今、私の胸にある想いは少しも変わっていないんですから。この想いが変わらない限り、私は洋一さんのことを想い続けます」
この芯の強さ。これが沙耶加ちゃんなのだ。
だからこそ俺は、彼女に惹かれるんだ。
「沙耶加ちゃん」
俺は、自然と彼女に近寄り、その頬に手を伸ばしていた。
「洋一さん……」
沙耶加ちゃんはその手をそっと自分の手で包んだ。
「大好きです……洋一さん……」
そう言って沙耶加ちゃんは目を閉じ──
複雑な心境で家に帰ると、さらなる問題が待ち構えていた。
「おかえり」
部屋に入ると、聞こえるはずのない声が聞こえた。
「……一応念のために聞いておくけど、なんで姉貴がここにいるわけ?」
「そんなの決まってるじゃない。昨夜のことを根掘り葉掘り聞くためよ」
悪びれた様子もなく、そう答える。
「……もう一度だけ聞くけど、それをやめる気は?」
「ない」
コンマ一秒の即答だった。
「あのさ、姉貴。それをすることになんの意味があるわけ?」
まったく意味のない質問だとわかってはいても、一応訊いてみた。
「ん、そんなの決まってるじゃない。私の好奇心を満たすためよ」
「……あっそ」
「というのは冗談だけど、実際さ、どうだったわけ? なにもなかったの?」
若干真面目な顔でそう訊いてくる。
「……まあ、あったことはあったけど」
「なによ、その歯切れの悪い答えは」
「別にいいだろ、そんなの」
カバンを放り投げ、上着を脱ぐ。
「ん〜……」
そんな俺の様子を、姉貴はじっと見ている。
なんとなく、心の奥底まで見透かされるのではないかと、恐くなる。
「たぶんだけど、学校でなにかあったわね?」
「…………」
鋭い。
「沙耶加ちゃん絡みとみた」
「…………」
「ホント、あんたはウソがつけないわね」
そう言って姉貴は笑った。
「で、沙耶加ちゃんとなにがあったの? 告白は……もうされてたか。とすると、なにかしら?」
「そのあたりは聞くな」
「ふ〜ん、まあ、いいけど」
おそらく、姉貴には薄々わかってるんだろう。
「洋一も愛ちゃんも、結構不器用なのよね。だからしなくてもいい苦労をしてる」
「それは俺のせいなのか?」
「そうとも言えるし、そうじゃないとも言える。どうにかなることもあるし、ならないこともある」
「それじゃあ、意味がない」
「まあまあ、そんなに目くじら立てないの。別にあんたを責めようと思ってるわけじゃないんだから」
まあ、姉貴がそんなことをするとは思ってないけど。
「実際、これからの方が大変だと思うわよ。愛ちゃんは愛ちゃんで、よりあんたに自分の方を見てもらおうとするだろうし、沙耶加ちゃんはそんな愛ちゃんに負けまいとさらなるアクションを起こすだろうし。それに対してあんたはどうするか。そこにかかってるんじゃないかしらね」
そうかもしれない。愛と沙耶加ちゃんなら、十分そういう可能性はある。
「なあ、姉貴」
「ん?」
「もし姉貴が今の愛や沙耶加ちゃんの立場だったら、どうする?」
「そうねぇ……」
姉貴は腕組みして唸った。
「私はふたりとは性格が違うから参考になるかはわからないけど」
「それで十分」
「まず、愛ちゃんの立場なら、なにがなんでもあんたを自分の方に向かせ続けようと努力するわね。それこそ、なんでもやってね」
「……なるほど」
「次に沙耶加ちゃんの立場なら、正直言えばここからの逆転は厳しいと思うのよね。だからこそ、無駄なことはできない。だとしたらどうするか。一番手っ取り早いのは、抱かれちゃうことよね、やっぱり。既成事実って結構大きいから」
素直には頷けないな、これは。
「もし沙耶加ちゃんに迫られたら、あんた、断れる?」
「それは……」
冷静な今なら断れるだろうけど、その時の精神状態によっては、万が一ということもあり得る。
「女を甘くみない方がいいわよ」
「は?」
「見た目とか普段の行動からはとても想像できないことをやったりすることもあるから」
「それは暗に、沙耶加ちゃんがそうだと言いたいわけ?」
「可能性は否定しない方がいいと思わない?」
「……むぅ」
「あんたの姉としての立場から言えば、前から言ってる通り、愛ちゃんなのよね。でも、同じ女という立場から言えば、沙耶加ちゃんも応援したくなる。あの子、本当に純粋だから。ある意味、愛ちゃん以上だから」
それは姉貴の本音だろう。
「ああ、そうそう。これはあんた限定の方法だけど、今以上に愛ちゃんにのめり込んじゃえばいいのよ。そうすればちょっとやそっとのことじゃ、沙耶加ちゃんに傾くことはないでしょ?」
「それはそうかもしれないけど、今以上に愛にのめり込むなんて、そんな簡単にいくかよ」
「そうねぇ……たとえば、毎日のようにセックスして、肉体的に離れられないようになるとか」
「……俺はサルか?」
「だから、たとえばだって言ってるじゃない。あんたもせっかちね」
姉貴はやれやれとため息をついた。
「もちろん、それ以外の方法もあると思うわ。でも、それは私にはわからない。それはあんたと愛ちゃんのことだからね。あんたがなんで愛ちゃんを好きになったのか、逆もそう。おおよそはわかるけど、細かいところまではわからない。だから、方法もわからない」
確かにそうだ。俺だって姉貴と和人さんのことはわからない。将来、美樹にそういう奴が現れても同じだろう。
「洋一。あんた、本当に愛ちゃんのことが好きなのよね?」
「ん、ああ」
「だったら、結局はあんたがしっかりするしかないのよ。あんたさえしっかりしてれば、沙耶加ちゃんには悪いけど、あんたと愛ちゃんの間がどうにかなることはないだろうし」
「…………」
「なに情けない顔してるのよ」
そう言って姉貴は俺の頭を抱き寄せた。
「ホントにあんたは……」
言いながら、頭を優しく撫でる。
「あんたは、愛ちゃんのなに? 沙耶加ちゃんのなに? それを考えればどうすればいいか、すぐにわかるでしょ?」
「ああ」
「あとは、自分でなんとかしなさいよ。というか、あんたにしかできないことなんだから」
「わかってる」
「そ、ならいいの」
だいたい話は終わったはずなのだが、姉貴は俺を解放する気配もない。
「あと、美樹のことなんだけど」
……そういや、そっちの問題が残ってたな。
「一応、私からいろいろ言ってはおいたわ。あの子もわかってはいるのよ。自分は妹で愛ちゃんがあんたの彼女なんだって。それでも、頭では理解していても、心がそれを拒否してる。そんな感じね。あの子は重度の『お兄ちゃん子』だからしょうがないのかもしれないけど」
「やっぱり、俺の美樹に対する接し方が間違ってたのか?」
「そんなことはないわ。兄妹なんだから、仲良くするのはいいことよ。ただ、美樹の場合はあんたに優しくされることに無上の喜びを感じてるから。そこが極端なのよ」
「……確かに」
「で、今後どうするかだけど、あまり露骨なことはしないこと。どっちのこともよ。そうしてしまうことの方が、事態を悪化させるから」
「わかった」
「あとは、あの子が精神的に成長してくれるのを待つだけね」
結局はそれしかないのかもしれない。
俺と美樹は、死ぬまで兄妹なのだから。
「さてと、洋一」
「ん?」
「まだお姉ちゃんの胸に抱かれてたい?」
「……イヤだと言っても、放すつもりはないんだろ?」
「あら、よくわかってるじゃない」
そう言って姉貴は俺の頭をギュッと抱きしめた。
「……姉貴はさ」
「ん?」
「もし和人さんに姉貴以外の誰かがいたら、どうする?」
「許さないわよ」
「理由も原因も聞かずに?」
「もちろん」
「…………」
姉貴なら、本当にそうするだろうな。
でもそれは、裏切られたことに対する怒りというよりは、裏切るような相手を選んでしまった自分への怒りからかもしれない。
「中には、浮気は男の甲斐性だなんて言って許容する人もいるけど、私はそんなの屁理屈だと思うわ。そりゃ、私を好きになったからって、ほかの誰も好きになるなとは言わないわよ。そんなの無理だし。でも、好きになることと男と女のつきあいをするのとは全然違うわ」
「まあ、確かに」
「ただね、これはあくまでも私の考えだから、それをほかの人にまで強要するつもりはないわ。もちろん、愛ちゃんにもね」
そうは言うが、姉貴は暗に俺にも愛だけを想い続けろと言っているのだ。
「私と和人の間には、私たちだけのルールがある。あんたと愛ちゃんの間にもそういうものがあってもおかしくない。いっそのこと、沙耶加ちゃんとのこと、愛ちゃんに聞いてみたら?」
「……んなことできるか」
「なんで?」
「あいつに余計なことを考えさせるからだよ」
「ホント、愛ちゃんにはとことん甘いのね。惚れた弱味?」
「さあ?」
たとえそうだとしても、姉貴の前でそれを認めるのはなんか悔しい。
「まあでも、私は信じてるわよ。あんたと愛ちゃんの絆をね」
絆、か。
「ま、愛ちゃんとセックスまでしちゃったわけだから、もう後戻りはできないということ。つまり、これから先の行動は今まで以上に責任を持たないといけないのよ。いい?」
「ああ」
「ホント、モテる弟を持つと、姉として苦労するわ」
「へいへい、悪うございました」
「拗ねないの」
姉貴は笑って俺の頬にキスをした。
なんだかんだいっても、姉貴にはいつも重要なヒントをもらってる。
今回だってそうだ。愛のことも、美樹のことも。
ただ、あとは俺次第だ。
三
テストがはじまり、学校内の雰囲気が違う方向へ変わった。
とはいえ、はじまってから変わっても遅い、という話もある。
俺は、とりあえず直前に愛と一緒に勉強をやったおかげで、それほど心配はしていない。まあ、教えてくれた愛だけ成績がよくて、俺がダメダメというのはさすがに格好悪いからな。
そんなこともありつつ、特に問題もなく時間は過ぎていく。
テストが終わると、そろそろある話題が頻繁に出はじめる。
「クリスマス、かぁ……」
隣の愛が、雑誌を見ながら呟いた。
情報誌の表紙には、クリスマス特集という文字が見てとれる。
そう。世間的には一ヶ月後のクリスマスに向けて様々な動きが見られる。
街を歩いていても、クリスマスケーキの予約承ります、という張り紙や、プレゼント用のディスプレーをよく見る。
「洋一、洋一」
「ん?」
「ちょっといい?」
そう言って愛は、俺を教室の外へと連れ出した。
休み時間なので、廊下もそれなりに生徒の姿がある。
「で、なんだ?」
「あのね、クリスマスのことなんだけど」
予想通りではあるが、とりあえずそういう表情はしないようにしよう。
「今年のクリスマスは、一緒に過ごしてくれるよね?」
俺たちにとってのクリスマスは、小学校の頃までは友人連中とわいわいやるというものだった。俺も愛もそういうのに集まってくれる奴は結構いたから、特に困ることもなかったし、それが普通だとも思っていた。
中学の頃は、微妙にみんなでというのが難しくなって、本当に親しい者だけでという感じになってきた。
そして去年は、実は愛とはクリスマスをやっていない。去年の俺は、亮介たち男友達と徹夜で遊び明かした。それ自体は楽しかったのだが、なんとなく虚しさも残った。やはり、男だけというのが原因だろう。
だからこそ愛は、今年は一緒に、ということにこだわりたいのだろう。
「……ダメ?」
上目遣いに訊いてくる。
「いや、構わんぞ」
「ホント?」
「というか、そんなこと改めて訊くな。最初からそのつもりなんだから」
「あはっ、ありがと、洋一」
それを聞くと、愛は嬉しそうに微笑んだ。
『あの』夜以降、愛の可愛さにはますます磨きがかかっている。いや、もっと正確に言えば『綺麗になった』という感じだな。
具体的にどこがどうなったというわけではないんだが、雰囲気が大人っぽくなった。まだまだ大人と子供の境界線上にいるのだが、確実に大人に近づいている。
愛のそんな変化に触れる度に、俺は複雑な気分になる。
「ん、どうしたの?」
「いや、なんでもない」
「そう?」
俺はそう言って誤魔化した。もっとも、その誤魔化しもどれほど通用していることか。
「そういや、愛」
「うん?」
「前に言ってた、えっと、なんとかっていう雑誌の件はどうなったんだ?」
「雑誌って『パレット』のこと?」
「ああ、そういやそんな名前だったな。で、どうなんだ?」
「発売日は……って、今日発売だよ」
「今日なのか?」
「うん」
そういう雑誌は俺には無用のものだから、いつ発売というのも知らない。姉貴や美樹なら知ってるんだろうがな。
「どうする? 帰りにでも買ってみる?」
「まあ、どんな風に載ってるか気にはなるな」
「じゃあ、決まりね」
問題はないと思うのだが、世の中なにがあるかわからない。用心するに越したことはない。
そんなこんなで放課後。
掃除当番だった俺は、亜高速で掃除を終わらせ、愛と一緒に学校を出た。
あいにくと学校の近くにはめぼしい本屋はない。というわけで、結局は商店街まで行くことになる。
時間も時間なので、商店街は賑やかだった。
こういう時には会いたくもない相手に会ってしまう可能性が高い。だから、俺たちは速やかに目的の本屋へ入った。
女性向けのファッション雑誌コーナーは、レジのすぐ側にあった。
門外漢の俺にしてみれば、どれも同じに見える。
「これよ」
愛は、その中から目的の雑誌を取り出した。
月刊『パレット』新春一月号。
まだ十二月にもなっていないのに『新春』もないと思うのだが、そんなことを言ってもどうにもならない。
雑誌やテレビのCMでよく見かけるモデルが表紙を飾り、確かに街で出会ったカップル特集の文字が見えた。
「じゃあ、ちょっと買ってくるね」
そのままレジへ持っていく。
レジには誰も並んでおらず、すぐに戻ってきた。
「行きましょ」
ほかに用事もなかったから、そのまま店を出た。
「どこで読む?」
「おまえの部屋にしよう」
俺は間髪入れずに答えた。
「なんで?」
「ダメージは少ない方がいいからな」
「気にしすぎだと思うけどなぁ」
そう言いながらも、愛も断らない。ま、よほどのことがない限り断ることはないだろうけど。
途中でスナック菓子を買い込み、俺たちは森川家へ。
「ただいまぁ」
「おじゃまします」
玄関を入り、靴を脱いでいると、奥から愛美さんが出てきた。
「いらっしゃい、洋一くん」
「こんにちは」
「今日はどうしたの?」
「ちょっと野暮用があって」
「ふ〜ん、そうなんだ」
愛美さんはそれ以上特に追及してこなかった。
「あ、お母さん。紅茶、残ってた?」
「紅茶? 確かまだ残ってたと思うけど」
「じゃあ、お湯だけ沸かしといて。あとは私がやるから」
「わかったわ」
とりあえず愛の部屋へ移動する。
部屋の中にはこれからの時期に備え、こたつが鎮座していた。
「なんだ、もう用意してるのか?」
「うん。急に寒くなると困るし」
愛は結構寒がりで、毎年冬になるとこのこたつの主となる。俺が結構頻繁にここに出入りしてた頃がそうだったから、ここ最近もそれは変わっていない。その話だけは聞いてたし。
まあ、こたつの暖かさ、気持ちよさは一度はまると抜け出せないのはわかるけど。
「電源入れなくても、ここに足を入れてるだけでなんとなく暖かく感じるから不思議だよね」
「確かに」
カバンを置き、上着だけ脱いで早速こたつに入る。
「今日は少し肌寒いから、点けようか?」
「おまえが寒いならそうしてくれ」
「うん」
愛は、手元にあるスイッチを入れた。
と、遠赤外線が出てきてこたつの中が暖かくなってくる。
「はあ……あったかい……」
愛は、心から幸せそうに言う。
「っと、その前にお茶を淹れてこなくちゃ。ちょっと待っててね」
そのまま部屋を出て行く。
慌ただしい奴だ。
ひとり取り残された俺は、一足先に雑誌を読むことにした。
紙袋から雑誌を取り出す。
表紙をめくると、とりあえずモデルの写真が続いた。
う〜ん、さすがはファッションモデル。洗練された美しさが目を惹く。
パラパラとページをめくると、ようやく特集ページに辿り着いた。
オールカラーで、ページも結構割いていた。
基本的な構成は、一月から先月までのカップルを紹介、その中で特に印象的だったカップルは別枠で紹介、というものだった。
「俺たちは、六月だな」
見開きで一ヶ月使っているので、六回めくったところで六月となった。
「ん〜……」
結構な数のカップルが取材に応じていた。
「……これか」
その中で、俺と愛の写真を見つけた。
「……なんか、微妙にわかりそうな写真だな」
俺も愛も変装はしているが、見る人が見ればすぐにわかる内容だった。
コメントには、恥ずかしがり屋云々と書いてあった。
別に恥ずかしかったわけではないのだが、そんなことを今更言ってもしょうがない。
「お待たせ」
そこへ愛がお茶を淹れて戻ってきた。
「あっ、先に見てる」
「ああ、暇だったからな」
「むぅ、せっかく一緒に見ようと思ったのに」
お姫様にはえらく不興を買ってしまったらしい。
「で、どんな感じに載ってたの?」
「ほれ、これだ」
俺は、俺たちの写真を見せてやった。
「あ〜、ん〜、なるほどねぇ」
実に微妙な反応だ。まあ、俺も変わらん反応だったが。
「これって、見る人が見れば誰かわかるよね?」
「ああ、間違いない。家族なら一発だな」
「うん」
これを姉貴や美樹に見られた日には、なにを言われるやら。
「そういや、このこと、誰かに言ったか?」
「別に言ってないけど。なんで?」
「いや、それならいい。あまりうるさくなるのは勘弁してほしいからな」
「……ん〜、たぶんだけどね、それ、手遅れ」
「は……?」
愛の言葉に、間抜けな声を上げてしまった。
「どういう意味だ?」
「えっとね、美香さんのお気に入り雑誌だから」
「……マジ?」
「うん、マジ」
一瞬、意識が遠のいた。
「私も雑誌の名前だけは知ってたんだけど、どういう感じの雑誌かは、美香さんに聞いて知ったくらいだから」
「……ちなみに、発売日に買ってるか?」
「間違いなく」
「……サイアクだ」
帰ったらなにを言われるか。
これが今の写真なら、言われるは言われるだろうけど、こっちとしてもそんなにダメージはない。でも、この写真は俺たちがまだ中途半端な状況でのものだから、あれこれ言われるのは間違いない。
「ホント、洋一って美香さんのそういうところ、苦手よね」
「別に言われること自体は問題ない。聞き流せばいいだけだからな。だけど、姉貴の場合はそれに付随する鬼のような質問攻めが問題なんだ。あれは一種の拷問だ」
「そこまでのことはないと思うけど……」
「おまえは知らんのだ。あのネチネチと真綿を締めるような、粘着質の攻撃を」
「私の前ではそんなことないからね」
これが本当の姉弟とそうでない差か。
「……しょうがない。覚悟を決めるか」
「大げさだなぁ」
「なんとでも言え」
姉貴にバレてるとなると、美樹にバレるのも時間の問題か。ホント、やっかいだな。
「ところで」
愛は、ズズッと俺の近くに寄ってくる。
「どうした?」
「……むぅ、どうした、はないでしょ?」
なにがいけないのかわからんが、愛はぷうと頬を膨らませ抗議する。
「……洋一って、たまにものすごく鈍いわよね」
「どういう意味だ?」
「んもう」
なんなんだ、いったい?
「こうなったら、実力行使あるのみね」
なんか不穏当なことを言ってるのだが。
「洋一」
「な、なんだ?」
「えいっ」
「おわっ」
いきなり俺に抱きついてくる愛。というか、押し倒されてる?
「ふたりきり、なんだから……ね?」
「……おまえ」
ようやくこいつがなにを言いたいのか、なにをしたいのか、なにをしてほしいのかわかった。
「だけど、下には──」
「大丈夫。お母さん、買い物に行っちゃったから」
潤んだ瞳で真っ直ぐに俺を見つめる。
「ね、洋一?」
据え膳食わぬはなんとやら、とは言うけど、流されるままにしてもいいのかどうか。
「しよ?」
結局、雰囲気に流されて愛とセックスしてしまった。すること自体はイヤではないのだが、どうもそこまでの経緯が俺的には納得できない。
「なにを考えてるの?」
隣の愛が、少し気怠そうな表情で訊いてきた。
「いや、たいしたことじゃない」
「ホント?」
「ああ」
本当のことを言っても仕方がない。少なくとも今は、この気怠い余韻に浸れれば問題はないのだ。
「洋一もさ、やっぱりエッチなビデオとか本とか見てるの?」
「なんだよ、唐突に?」
「気になるから」
「そりゃ、まあ、どっちも見たことはある」
「やっぱり」
「だけど、うちにはないぞ」
「えっ、そうなの?」
愛は、ものすごく意外そうな顔で問い返す。
「あのなぁ、あの家には俺のほかに誰が住んでる?」
「……なるほど、それは確かに置いておけないわね」
実際、中学の頃に友達から借りていたエロビデオを姉貴に見つかって、それはもう大変な目に遭った。あの頃はまだ美樹は小さかったからよかったものの、今同じようなことがあれば、俺の家での立場はかなり悪くなる。
もちろん、健全な男子高校生としては悪いことではないのだが。
「そう言うおまえはどうなんだ?」
「私? 私は……一応見たことはあるけど」
「女同士でか?」
「う、うん」
たまに耳にする。エロビデオを女同士で見て、あれこれ言うというのを。
そういう時は別にエッチな気分になろうというわけではなく、娯楽のひとつとして見ているのだと。
愛がどういう状況でそれを見たのかはわからんが、少なくとも学校で習う性教育以上の知識は持っていた、ということだ。
「でも、ああいうビデオってやっぱり演技なんでしょ?」
「まあ、そういう風には聞くな。ホントかウソかはわからんが。だから、実際その場に立つ時に、ビデオと同じようにしようとしてそうならないと焦る奴もいるらしい」
「それって、男の人? それとも、女の人?」
「両方だ。ようは、こんなはずじゃなかったのに、って感じで、イメージしてたのと全然違うからだろうな」
「そっか……」
「そういう点で言えば、俺たちはそこまではなかったのかもしれないな」
「そうだね。私は最初から変な幻想は抱いてなかったし」
変な幻想とはどういうものか聞いてみたいが、今はやめておこう。
「あ、でも、ビデオみたいに私もいろいろできた方がいいのかな?」
「いや、それを俺に聞かれても困るんだが」
「じゃあ、私が洋一にいろいろ『奉仕』したら、嬉しい?」
「う、そ、そりゃ……」
嬉しくないわけがない。仮にも俺はこいつに惚れてるんだ。その愛にそんなことをされれば、嬉しいに決まってる。
「ふふ〜ん、嬉しいんだね」
「な、なにが言いたいんだ?」
「べっつにぃ」
そう言いながら、愛はニコニコと、いや、ニヤニヤと笑ってる。
「そういえば、今日は制服でしちゃったんだよね」
ベッド脇には、俺たちの脱ぎ散らかした制服がある。
「ん〜、格好も重要かな?」
「……だから、それを俺に聞くな」
こいつはのめり込むととことんな奴だからな。それがセックスに関することでもそうなる可能性はある。俺にとっては嬉しいのか悲しいのかわからんな。
「あ〜あ、本当はずっとこうしてたいんだけどねぇ」
愛は、時計をにらみつけてため息をついた。
時間からすると、そろそろ愛美さんが買い物から帰ってくる頃だ。真っ直ぐここへ来ることはあり得ないが、不測の事態というのはあり得る。
「ねえ、洋一ぃ」
「却下」
「ううぅ、まだなにも言ってないのにぃ」
「今の話の流れを考えれば、誰だって同じ結論に達するって」
「じゃあ、それってなに?」
「俺に泊まってくれって言おうとしただろ?」
「…………」
図星か。
「ダメ?」
「上目遣いに可愛くねだってもダメだ」
「ううぅ、けちぃ……」
やれやれ、幼児化してるよ。
ま、まあ、マジでカワイイから思わず頷きそうになったけど。
「ほれ、そろそろ愛美さんが帰ってくるぞ」
「は〜い」
愛は、渋々ながら言うことを聞いてくれた。
それからそれぞれに着替え、俺は帰る準備をする。
「あ、洋一。ちょっと待って」
「ん?」
俺がカバンを持とうとすると、愛がそれを押しとどめた。
「どうした?」
「ちょうどいい機会だから、これ、渡しておこうと思って」
愛は、クローゼットの中からなにかを取り出してきた。
「ホントはね、クリスマスでもいいかなって思ってたんだけど、それはそれでちゃんとやった方がいいと思ってね」
それは──
「もう十二月になるし、寒くなるから」
白と青のストライプ柄のマフラーだった。
「これ、おまえが?」
「うん。私、こういうの得意だから」
少しだけ照れながら言う。
確かに、そのマフラーには既製品にはない『手作りっぽさ』があった。
「……迷惑、だった?」
「……アホ」
「あ……」
俺の首にマフラーを巻いてくれる愛を、そのまま抱きしめた。
「迷惑だなんて思うわけないだろ? 俺は、おまえのなんなんだ?」
「うん、そうだね」
「だから、余計なこと考えるな」
「うん……」
余計なことを考えさせてしまう俺も悪いのだが、とりあえずそれは言わないでおこう。どうせこいつのことだ、わかってるだろうし。
「洋一」
「なんだ?」
「ありがと」
そう言って愛は、俺の一番大好きな笑顔を見せた。