君と歩く季節の中を
 
第八話「穏やかな季節」
 
 一
 文化祭が終わると、学校内は急に静かになった。
 特に三年生は受験に向けてラストスパートとなる。次第にピリピリしたムードになってくるだろう。
 一、二年はそういうことはないが、それでも文化祭まであった緊張の糸がプッツリ切れたような感じである。ただ、そういう時にあわせるように、後期中間テストがあったりする。まあ、ようするに世の中そんなに甘くない、ということだ。
 俺たち野球部は、順当に勝ち進み、準決勝を迎えていた。
 この試合の先発は俺ではない。俺は前の試合、少し球数が多かったのでリリーフにまわされた。
 試合は、一進一退の見ている人にとっては面白いものとなった。
 表攻撃のうちが点数を取れば、向こうが取り返す。どちらのピッチャーも特別悪いわけではないが、どうもリズムがよくなかった。
 試合も終盤に入り、俺は監督に肩を作っておくよう指示された。
 ブルペンで肩を作りながら、試合の様子を見る。
 七回を終わって五対五。流れ的には、向こうに傾きかけている。
 このあたりで突き放せないと、きついかもしれない。
 しかし、俺の願いも虚しく三者凡退。
「綾本。行くぞ」
 そして、俺にリリーフの機会がまわってきた。
 投球練習の感じでは、悪くはない。若干球が浮き加減だが、修正できる範囲内だ。
 八回裏は、先頭バッターをセカンドゴロに打ち取り、続くバッターを三振、三人目をセンターフライに打ち取った。
 九回表。
 うちは一番からの好打順。
 みんなの期待に応えるように、二点を勝ち越した。
 九回裏。
 いつものピッチングができれば勝てる。
 そう言い聞かせ、マウンドに立った。
 だが──
 
「裕一」
 頭の上から声が聞こえた。
 頭にかけていたタオルを取ると、功二がいた。
「しょうがない。おまえは精一杯やったよ。いくつかの不幸なことが重なって、結果は負けたけど」
 そう。俺たちは負けた。逆転サヨナラ負け。
 先頭バッターをショートフライに打ち取ったまではよかった。
 続くバッターにデッドボール、多少動揺してしまい、続けざまにフォアボールを与えた。
 ワンアウト一塁二塁で牽制球を二塁に投げたところ、ボールがランナーに当たってしまった。労せず二塁三塁。
 続くバッターに右中間を破られ、同点。
 なおもワンアウト二塁。
 そこで終われば延長だったのだが、俺の方は完全にキレてしまっていた。
 不用意に投げた甘いストレートを左中間にジャストミートされ、サヨナラ。
 勝ちゲームを落としてしまったことに、俺はショックを隠せなかった。
 そりゃ、勝ち続けることがいかに難しいかは十分理解している。それでも、今日は勝てた。
 勝っていれば、春の選抜がかなり近づいたのだが、ベスト4では厳しい。
「今日負けた分は、次の機会に倍にして返してやればいいんだよ。そして、最終的に俺たちの目標を達成できればいい。だから、もう落ち込むな」
「すまん……」
 確かに、どれだけ落ち込んでも試合が勝ちになるわけでもない。
 負け試合こそ、次への糧にしなければならない。
「功二」
「なんだ?」
「この冬に、来年を乗り切るだけのスタミナと技を身に付ける。おまえも手伝ってくれるか?」
「ああ、もちろんだ。それに、当たり前だろ? 俺は、おまえの女房役だぞ。たとえおまえが嫌がっても、無理矢理でも手伝う」
「ははは、そうだな」
「よし、そうやって笑えれば大丈夫だ」
 功二はそう言って俺の背中を叩いた。
 今日の負けは悔しいけど、まだ俺たちの高校野球が終わったわけじゃない。最後の最後で笑っていられるように、がんばるだけだ。
「とはいえ、今日はとりあえず休めよ。おまえは放っておくとすぐ無茶するから」
「わかってるって。明日からの練習のために、今日はしっかり休む」
「ああ、そうしてくれ」
 こいつらとともに。
 
 野球部の方がひと段落ついたことで、俺も少しまわりを見る余裕が出てきた。
 気が付けばもう十一月も半ば。今年もあと一ヶ月半しかない。
 そして、それは同時に、俺にはあまり時間が残されていないことも表していた。
 自分を見つめ直し、自分を認める。
 彼女を──舞を失望させないためにも、俺はもう一度考えなければならない。
 だけど、それを焦ってもしょうがない。焦って出した答えなど、本当に意味がないから。それに、焦らなくていいように、ここまで延ばしてきたんだ。
 その間、舞はずっと待っている。
 俺もそれに応えたい。
 だから、焦らず、じっくり考えよう。
 
 二
 中間テストが迫る中、もうひとつ迫っていることがあった。
 それは、舞の誕生日である。
 舞の誕生日は十一月二十四日。もう一週間もない。
 俺としては、実はテストより誕生日の方が心配だった。テストはいつも通りやってれば、とりあえず問題はない。だけど、誕生日はわからない。
 少なくとも今まで、女の子の誕生日を祝ったことはない。もちろん、由紀子や奈津子はあるけど、ふたりは妹だから。
 プレゼントはいいとしても、実際なにをどうするか。非常に悩んでいた。
「はあ……」
「なになに? ため息なんかついてどうしたの?」
 振り返ると、中田と堀がいた。
「舞と喧嘩した、なんてことはないだろうし。なにかあったの?」
「……ん、そうだね。あのさ、ふたりに少し聞きたいことがあるんだけど」
「聞きたいこと? なに?」
 このふたりは舞の親友だし、なにより女の子だ。答えは出なくても、ヒントくらいは得られるかもしれない。
 そう考えて簡単に事情を説明した。
「ふ〜ん、なるほどね」
 中田と堀は、顔を見合わせ笑った。
「裕一くんて、ホントに真面目だよね」
「そうかな?」
「まあ、そうやっていろいろ考えちゃうのはわからないでもないけど。相手がめちゃくちゃイヤな女ならまだしも、相手は『あの』舞なんだから。いつもの通りでいいと思うけどね」
「いつもの、通り……」
「綾本くんがお祝いしてくれるなら、舞ちゃん、どんなことでも喜んでくれると思うから」
 それも少しは考えた。だけど、せっかくの特別な日をそれでいいのかと思い、あれこれ悩んでいた。
「それで納得できないんだったら、舞の望むことをしてあげれば?」
「望むこと?」
「そ。そうすればそれ自体もプレゼントになるし」
「……望むこと、か」
 だけど、舞の本当に望んでいることは……
「綾本くん」
「うん?」
「もし悩んで答えが出ないなら、舞ちゃんに直接聞いてみたらどうかな? 綾本くんは自分でなんとかしたいと思ってるのかもしれないけど、そういうのって相手があっての話だと思うし。だったら、直接聞いて、その上で最高のお誕生日にしてあげた方が、きっと喜ばれるよ」
「弥生の言う通りよ。変に意地張らないで、聞いちゃった方がいいって」
「三人でなに話してるの?」
 とそこへ、話題の主である舞がやって来た。
「あ、舞。ちょうどいいところに来たわ」
 中田にそう言われ、舞は首を傾げた。
「あのさ、もうすぐ舞の誕生日でしょ?」
「あ、うん」
 舞は、ちらっと俺を見た。
「で、裕一くんが舞のためにお祝いしたいって言うの」
「……ホント?」
「あ、うん」
「で、舞はどんなことしてほしい? プレゼントでもシチュエーションでもなんでも」
「私は……」
 少し俯き、考える。
 俺たちは答えを待った。
「私は、裕一くんにお祝いしてもらえるなら、なんでもいいよ」
「ん〜、その答えは五十点。そりゃ、その気持ちがわからないわけでもないんだけど、せっかくの機会なんだし、自分の希望を素直に言ってもいいと思うわよ。ねえ、弥生?」
「うん」
「でも……」
「舞だって、してほしいこと、あるんでしょ?」
「それは……」
「あっ、もしかして私たちがいると言えないようなこと?」
「ち、違うよっ」
 慌てて否定する。
「だったら、素直に言えばいいじゃない。その方が裕一くんだっていいと思うし」
 俺の名前を出して迫るのは、卑怯だ。そういう風に言われたら、舞は断る術を知らない。
「ほら、裕一くんも」
「えっ、俺?」
「そうよ。だって、お祝いするのは裕一くんだもの」
「…………」
 舞は、じっと俺を見つめる。
「……舞は、どうしてほしい?」
 脇で中田と堀が興味津々な表情で舞の答えを待っている。
「……私は、裕一くんが側にいてくれてお祝いしてくれれば、本当にいいの」
「はあ、まったく……やっぱり、舞は舞なのね」
 と、中田はやれやれと肩をすくめ、ため息をついた。
「それがらしいと言えばらしいのかもしれないけど」
 確かにそうかもしれない。
 だが、俺はそれだけだとは思わない。舞は、本当に望むことはちゃんと口に出す。
 そして、俺はそれを知っている。
「ま、それならそれで誕生日は一緒に過ごせばいいんじゃない? それこそ、一晩中ね」
 ニヤッと笑う。
 それに対して舞は、困惑気味に微笑むだけだった。
 
 その日の帰り。
 学校から駅へ向かう道で、舞から声をかけてきた。
「ねえ、裕一くん」
「ん?」
「今日の昼休みに言ったこと、今でも有効かな?」
「昼休みに言ったこと?」
「うん。私に、どうしてほしいか聞いたでしょ?」
「ああ、うん」
「あれ、有効かな?」
 少しだけ探るような眼差しで俺を見つめる。
「有効かそうでないかで聞かれれば、もちろん有効だって答えるよ」
「じゃあ──」
「ただ、俺個人としてはそれだけでいいのかな、という思いがあるのも事実だから」
 彼女の言葉を遮り、俺は自分の考えを述べた。
 それは、あの時からずっと思っていたことだった。
 確かに望んだことをしてくれるのは嬉しい。俺だって嬉しいと思う。
 でも、それは想像の範囲内のことでしかない。想像の範囲外のことは、起こり得ない。
 満足感で言えば前者でも十分なのだろうけど、俺としてはもうひとつ上を目指したい。だからそれだけじゃない方がいいと思う。
「……裕一くんはね、真面目すぎるんだよ」
 そう言って舞は、一歩俺の前に出た。
「もう少し肩の力を抜いて、自然に考えてみたらどうかな。そうすれば自ずといい答えが見つかるだろうし。それと、もうひとつ」
「うん」
「私たち、お互いになにもかもはじめてなんだから、わからないことがあったら聞いた方がいいと思うの。私もそうするし、裕一くんにもそうしてほしい。なんでもかんでもひとりで解決しようとしないで。そりゃ、私にもどうすることもできない場合もあるとは思うけど。それでも、聞いてほしい」
 真剣な表情でそう言い、彼女はわずかに笑った。
「ごめんね、偉そうなこと言っちゃって」
「……いや、舞の言う通りだよ。俺は、そんな簡単なこともわかってなかった。なんのために『ふたり』でいるのか、ちゃんと考えてなかった」
「わかってくれたならいいの」
 頭を振る。
「……本当はね、そうやって頼られたりすると、私は今裕一くんに頼られてる、必要とされてるって思えるから。安心感を得るためなの」
「舞……」
「ねえ、裕一くん」
 パッといつもの表情に戻った。
「誕生日にね、私、裕一くんと一緒にいたい。ダメかな?」
 そのお願いは、もうすでにわかっていた。だから、俺は用意していた答えを告げる。
「いいよ」
 そして、いつもの笑顔を──俺の大好きな笑顔を見せてくれた。
「ありがと、裕一くん」
 俺の腕を取り、ニコニコと嬉しそうに笑う。
「あ〜あ、早く誕生日にならないかなぁ」
「その前に、テストがあるけどね」
「あ、あはは、そうだったね」
「テストが終わったご褒美だと思えば、がんばれるんじゃないかな?」
「あ、それはいい考え。うん、今回はそうやって乗り切ろう」
 ずっとこの笑顔を見ていたい。
 そのためにいろいろ考えてきたけど、それはひとりだけではダメだと、改めて気付かされた。
 本当に些細なことなのに。
 だから俺は、もう二度と忘れないように、心に誓った。
 
 面倒な中間テストがようやく終わった。
 これで一、二年は年が明けるまではテストはない。
 テスト中は陰鬱だった学校の雰囲気も、最終科目が終わった途端に一変した。
 日本のテストははじめてのルーシーも、日本語の表現に四苦八苦しながらも一生懸命がんばっていた。
 テストが終わると、また部活動が再開される。
 野球部では、これから本格的に体を鍛え直す。これからの寒い時期にどれだけ体をいじめ、鍛えられるかが、来年の夏に大きく影響してくる。
 俺も、まずはピッチング練習を休み、下半身の強化を重点的に行おうと思っている。
 ほかのみんなもそれぞれに課題を持って練習に取り組む。
 正直面白くないことだが、やらないで後悔するのだけはイヤだから、みんな真面目にやる。
 とまあ、部活はこれから春の大会まで単調な時期に入る。もちろん、練習試合は行われるから完全に基礎練中心というわけではない。
 とにかく、それまでよりは若干肩の力を抜いて部活に参加できるわけである。
 一方、舞の方はテスト期間中の休日にピアノの発表会があった。なにもそんな時にとは思ったけど、主催者はすべての参加者の予定を把握しているわけではない。そうすればそういうことも起こり得る。
 俺も聴きに行ったけど、やっぱり舞の腕前は群を抜いていた。
 良し悪しがそれほどわかるわけではないが、それでも舞の演奏が素晴らしいことは十分わかった。それは一緒に聴きに行った紀子も認めていた。
 紀子によると、舞の演奏は感情表現が豊かなんだそうだ。ただ単に楽譜を追うだけでなく、ちゃんとそこに感情を込める。だからこそ聞き手にいい演奏だと思わせることができる。そういう理屈だそうだ。
 で、結果は舞は一位に選ばれた。順当な結果だろう。
 ささやかなお祝いとして、俺は舞にケーキをごちそうした。本当はもっとちゃんとしたお祝いをしたかったのだが、さすがにテスト期間中だったので断念した。
 もっとも、舞はそれだけでも十分喜んでいたが。
 そんなこともありつつ、十一月も下旬を迎えていた。
「最近、朝晩が寒くなってきたよね」
「そうだね。朝、トレーニングに出るとそれを実感するよ」
「トレーニングって、真冬でも同じ時間にやってるの?」
「うん。学校のはじまる時間は同じだからね。いくら陽が昇ってないといっても、遅くはできないんだ」
「言われてみればそうだね」
 朝、駅から学校へ向かう途中、俺たちはそんなことを話していた。
「まあ、朝早いのはもう慣れたよ。そういう風にずっと生活してきたから」
「でも、たまにはゆっくり寝ていたいって思わないの?」
「思うよ。思うけど、やっぱり思うだけ。それ以上はないよ。もしそこで誘惑に負けて寝てしまったら、後悔するのは自分だから」
 どんな理由をつけたところで、やらなければ結果が出ないことなら、やるしかないのだ。だから俺はやる。少なくとも自己満足できるくらいは。
「……ねえ、裕一くん」
「ん?」
「ひとつ、私に提案というか、お願いがあるの」
「お願い?」
「うん。あ、でも、今はちょっと。今日、裕一くんの家に行った時に話すから。それでいいかな?」
「別に構わないけど、そんなに面倒なことなの?」
「ん、どうかな?」
 そう言って舞は曖昧に微笑んだ。
 ただ、俺にはその笑みがわずかに小悪魔的に見えたのだが。
 
 放課後。
 部活が終わると二音に舞を迎えに行き、俺たちは一緒に帰った。
「ふふっ」
「ん?」
 歩いていると、舞は急に笑った。
「なんかね、夢みたいだなって思って」
「夢? なにが?」
「大好きな人に、誕生日を祝ってもらうこと。確かにそういうことは考えてたけど、本当に夢だと思ってたから。でも、誕生日の今日、裕一くんに祝ってもらえるから。ちょっと不思議な感じもあって」
 彼女らしい考えだった。
 少なくとも俺は、そんな風には考えられない。自分の誕生日なんて、所詮は誕生日、程度だから。
「あ、そういえばね、今日はちゃんと着替えとか持ってきたの」
 そう言って学校のカバンとは別のカバンを見せた。たぶんそうだろうとは思ったけど、予想通りだった。
「この前は急だったから用意してなかったけど、今日は完璧」
 いつもより若干テンションが高めなのは、やっぱり誕生日だからなのだろうか。それとも……
 駅から電車に乗り、四駅。
 ほぼいつも通りの時間に到着した。
 そこから自転車に乗って家まで。ふたり乗りにもだいぶ慣れてきた。まあ、もともと舞の体重が軽いというのもあるけど。
 家に帰ると、今日はさすがにそれほど好奇の目で見られなかった。とはいえ、良二と奈津子はまだなにか言いたそうだったが。
 そして、場所を俺の部屋に移し、ささやかなふたりだけのパーティーをはじめる。
「それじゃあ、舞。誕生日おめでとう」
「ありがとう、裕一くん」
 時間も時間だからケーキはないけど、お茶とお菓子が少々。
「で、これがプレゼント」
「いいの?」
「もちろん」
「開けてもいいかな?」
「いいよ。それはもう舞のものなんだから」
「うん」
 舞は、ラッピングを丁寧に開けていく。
 中から出てきたのは、小さな箱。それを開けると──
「あ、ネックレス」
 それは、小さな星がふたつついているネックレスである。
「女の子になにかプレゼントするなんてはじめてだったから、いろいろ大変だったよ」
 実際、これを買うために由紀子や奈津子、紀子に意見を聞いて、その上由紀子と紀子には買い物にもつきあってもらった。もちろん、無報酬というわけにはいかなかったので、ケーキセットで手を打ったが。
「つけてみてもいいかな?」
「いいよ。あ、つけてあげようか?」
「じゃあ、お願いしようかな」
 俺はネックレスを受け取り、彼女の後ろにまわった。
 留め具を外し、前から首にまわす。
 ちょうど髪の下で留め具を留め直す。
「それほど大きいものじゃないから、邪魔にはならないと思うけど」
「邪魔だなんてこと、絶対ないよ。私の、宝物だよ」
 そう言ってネックレスに大事そうに触れた。
「でも、どうしてこれを選んだの?」
「深い理由はないよ。一番最初に目にとまったのがそれだったんだ。でも、買ってからそれが一番よかったんじゃないかって思ってる」
「どうして?」
「ほら、星がふたつついてるでしょ?」
「うん」
「それがなんとなく俺と舞みたいかなって。ちょっとキザかな?」
「ううん、そんなことないよ。私もそう思うから」
「そっか。ならよかった」
 それからお茶を飲みながらお菓子を食べて、本当にささやかなパーティーを楽しんだ。
 次の日も学校があるので、適当な時間にお開きにした。
 それぞれ風呂に入って、寝ることにした。
 舞は、薄い青のカワイイパジャマで、それを見ているだけで精神衛生上よくないような気がした。
「この前の時もそうだったんだけどね、こうして裕一くんの匂いのするベッドで一緒に眠ると、いつも以上によく眠れるの。あ、ドキドキしてるのは今もそうだけどね」
 俺の胸に頬を寄せ、ささやくように言う。
「裕一くんは、どうかな?」
「俺の場合は、まだ落ち着かない感じの方が強いかな。女の子とひとつのベッドで寝るなんてことなかったし、それになにより、舞みたいに綺麗でカワイイ子が手の届くところにいたら、いろいろ考えちゃうし緊張もするよ」
「ふふっ、そういう風に思われて悪い気はしないけど。でもね、裕一くん」
「うん?」
「私は、全然特別なんかじゃないからね。私は本当にどこにでもいる普通の女の子なの。だから、あまりそういう意識はしないでね」
「わかってるよ」
 俺は、舞を抱きしめた。
「あ、そうだ。ねえ、裕一くん。今朝、私が言ったこと、覚えてる?」
「今朝? ん〜……ああ、うん、なんかお願いがあるって」
「うん。あのね、もし迷惑じゃなかったら、これからもたまにこうして泊まってもいいかなって」
「……それはそれで構わないけど、どうして?」
「私が裕一くんを起こしてあげたいなって思って」
「起こす?」
「ほら、トレーニングがあるから。そういうことででも役に立てたらいいなって」
 なるほど。今朝の話からそういうことを思いついたのか。
 なんというか舞らしいけど、ちょっと突飛な気もする。
「それは嬉しいけど、そこまでしてもらうのは悪いよ」
「私のことなら気にしなくてもいいよ。今の私にとって、なによりも大事なのは裕一くんとの時間だから」
「舞……」
「……私にもう少し勇気があれば、きっともっと早くこんな関係になれたはず。だから、私はそのあったかもしれない時間を少しでも取り戻したいの。もちろん、それがイコールじゃないこともわかってる。それでも、少なくとも私は一緒にいる時間分だけ裕一くんのことを好きになっていくから」
 そういうことを言われたら、俺にはなにも言えない。それに、俺だって舞といる時間が好きだ。いつまでもずっと一緒にいたいと思ってしまうほど。
「だからね、本当に迷惑じゃなかったら、たまにでいいから泊まって、次の日の朝、裕一くんを起こしたい」
「わかったよ。舞の好きにしていいよ」
「ホント?」
「ああ、本当だよ。でも、ちゃんと許可だけはもらって」
「うん、それはもちろん」
 嬉しそうに笑い、今度は舞から俺に抱きついてきた。
 素肌の上にパジャマだけなので、その柔らかさがダイレクトに伝わってくる。
「裕一くん……」
 潤んだ瞳で俺を見つめる。
 俺は、それに応えるよう、そっとキスをした。
「……そのうち、ここから先のこともしてくれるよね……?」
「……ああ、必ず」
「……うん」
 今は、それ以上なにも言う必要はなかった。
 お互いになにを考え、なにが言いたいかわかっていたからだ。
「おやすみ、舞」
「おやすみ、裕一くん」
 そして俺たちは、抱き合ったまま眠りに落ちた。
 
 次の日の朝。
 俺が目を覚ますと、まず舞の顔が飛び込んできた。
「ふふっ、おはよ、裕一くん」
「……おはよう」
 まだちゃんと働いていない頭で状況を確認する。
「……ひょっとして、ずっとそうしてたの?」
「ずっとってわけじゃないけど、ちょっと裕一くんの寝顔を見てたの」
 そう言って舞は俺に抱きつき、キスをねだってきた。
 それに応えると嬉しそうに微笑む。
 それから枕元の時計を確認すると、もうそろそろ起きる時間だった。こういう状況でもいつもと同じというのは、我ながらすごいと言えるだろう。
「裕一くんはこれからトレーニングだよね?」
「うん、そうだよ」
 と、そこで気付いた。
「舞はその間どうしてる? 母さんが起きてくるまでもまだ時間はあるし」
「ん〜、適当に過ごしてるよ。いいよね?」
「それは別に構わないよ」
 そう答えはしたが、実際なにをしてるつもりなのかは気になった。
 とはいえ、それを追求してもしょうがないから、俺はさっさとトレーニングに出ることにした。
 まだ暗い中、いつもと同じメニューをこなす。
 空が白み、太陽が昇ってくる頃に家に戻る。
 家に戻ると、台所から楽しそうな声が聞こえてきた。
 どうやら母さんと舞が一緒に朝食の準備をしてるらしい。
 それを確認しようと思ったけど、とりあえずはシャワーを浴びることにした。
 シャワーを浴び、着替えてからダイニングに顔を出す。
「おはよう、母さん」
「おはよう、裕一」
「おかえり、裕一くん」
「ただいま」
 舞は母さんから借りたエプロンをして、案の定朝食の準備を手伝っていた。
 その姿がまた似合っていて、思わず見とれてしまった。
「ほら、裕一。彼女に見とれてないで、並べるの手伝って」
「べ、別にそんなこと……」
「いいから」
 無理矢理皿を押しつけられる。
 まったく、人のことをなんだと思ってるんだか。
 と、舞が俺の袖を引っ張った。
「……ねえ、裕一くん」
「ん?」
「その、私に見とれてたって、ホント?」
「あ〜、えっと、ホントだよ」
 それを聞いた途端、満面の笑みを浮かべた。
 そんな俺たちの様子を、母さんは半分呆れ顔で見ていた。
 
 三
 十二月に入った。
 いくら東京でも朝晩はかなり寒くなってきた。朝のトレーニングがだいぶつらい。
 日中はまだ暖かい日もあるからいいけど。
 十二月は『師走』というだけあって、みんな忙しそうだ。なにに忙しいのかはあえて聞かないけど、忙しそうだ。
 とはいえ、それは俺たち普通の生徒には関係ない。テストもない十二月は、比較的のんびり過ごせる月なのだ。
 ただ、微妙に焦ってる連中はいた。
 それは、クリスマスが近いのに彼氏、彼女がいない連中だ。もちろんそういうのの全員ではないが。
 ちなみに、俺のまわりは静かだ。功二と中田は、功二が早々に約束させられたとこぼしてたし、豊和と堀も微妙な距離感を残しながらもクリスマスは一緒に過ごすらしい。
 そして、俺も舞とともに過ごすことにはなっている。どこでなにを、というのはまだ完全には決まってないけど。
「ふう……」
 と、俺の耳にため息が聞こえてきた。隣の席からだ。
「ルーシー、ため息なんかついてどうしたんだ?」
「……ユウイチがワタシのことを好きになってくれないから」
 冗談とも本気とも受け取れる答えだった。
「で、本当は?」
「ユウイチ、冷たいよ。もう少し相手してくれてもいいのに」
「はいはい。で?」
「ん、たいしたことじゃないよ。少しだけ考えなきゃいけないことがあって」
「考えなきゃいけないこと?」
 俺は首を傾げた。そりゃ、ルーシーにだってそういうことはあるだろう。それでも、留学してきて今まで、そういう姿はほとんど見てこなかった。だから、思わず聞き返したのだ。
「うん。ワタシにも、いろいろあるんだよ」
 そう言ってルーシーは微笑んだ。
 ただ、なんとなくその笑顔はいつもの笑顔ではないような気がした。
 
 最近の舞はとにかく機嫌がよかった。
 理由はおおよそわかるが、それを俺の口から言うのはやめておく。
 彼女の機嫌がいいことは、俺にとってもいいことなのだ。
 悲しい顔をされてるよりは、笑ってる方が数倍いい。それは当たり前だ。
 ただ、機嫌がいい時の彼女は、とにかく俺に甘えてくる。それはもう、本当にベタベタと。
 ふたりきりの時は嬉しいのだが、人前ではまだまだ抵抗がある。彼女はだいぶそういう感覚が薄れているようだ。喜ぶべきことなのか、悲しむべきことなのかは、わからない。
「ん……」
 そんなことを頭の片隅で考えながらも、彼女にキスやなんかをせがまれると断りきれないのは、まあ、しょうがない。
「ん〜」
 最近はキスをしたあと、必ず俺に抱きつく。
 そうすると落ち着くんだそうだ。
「裕一くん」
「うん?」
「大好きだよ」
 たまに、なんの脈絡もなくそんなことを言う。そういう時にちゃんと答えないと、すぐに機嫌を損ねてしまう。
「俺もだよ」
 俺がそう言うと、舞はにこ〜っと笑う。
 その表情がまたカワイイものだから……
「ん、どうしたの、裕一くん?」
「あ、いや、なんでもないよ。それより、そろそろ帰ろう」
「うん」
 彼女がいろいろ変わってきているのと同じで、俺もいろいろ変わったと思う。
 少なくとも数ヶ月前までは、腕を組んで歩くなんてできなかった。それが今じゃ平然とやっている。
「そういえば、舞」
「うん?」
「最近は中田さんや堀さんとは話したりしてないの?」
「話してないことはないけど、でも、ふたりとも別のことに忙しいから」
 そう言って意味深な笑みをうかべた。
「雪乃はなにかというと『功二くん』だし、弥生もなんだかんだ言いながら『豊和くん』だし」
「でも、それは舞も同じなんじゃないの?」
「あ、うん、そうかも。私もふたりの前で裕一くんの話、してるし。そういうことを考えると、お互い様なのかも」
 彼女たちの気持ちがわからないではない。俺もごくたまにだが、舞の話を豊和や功二たちの前ですることがある。意識はしてないが、自然と出てくる。
 彼女たちが無意識で言ってるのか意識して言ってるのかはわからないが。
「ただね、今はそれぞれの時間を大事にしたいっていう気持ちが強いんだよ。私もそうだけど、雪乃も弥生も」
「それはつまり、彼氏を優先したくらいでは三人の友情は壊れないってこと?」
「うん。別に取り合ってるわけでもないし、会えないわけでも話ができないわけでもないから」
「なるほどね」
「でも、裕一くんから見ても私たちが一緒にいる時間、少なくなってるかな?」
「そうだね。少なくなってると思うよ。文化祭前までは、本当によく一緒にいたから」
「そっか。裕一くんにもそう見えるんだ」
「それがいいとか悪いとか、そういうことじゃないけどね」
「うん、わかってるよ」
 そう言って微笑む。
「裕一くんから見て、雪乃と弥生ってどう見える?」
「そうだね、すごく楽しそうだよ。生き生きしてる」
 中田も堀も、本当に楽しそうで幸せそうだ。それはたぶん、俺とつきあいはじめた頃の舞も同じだったのだろう。当事者の俺にはわからないけど。
「功二くんや豊和くんは?」
「ん〜、功二は部活中はそんなところ、微塵も見せないからね。ただ、たまに彼女の話になると照れながらもいろいろ話してくれるようにはなった。前は適当にはぐらかしてたのにね」
「真面目な功二くんらしいね」
「豊和の方は、まだ現状に戸惑ってる部分はあるね」
「それって、どういう意味?」
「ほら、豊和ってカワイイ女の子、綺麗な女性を追いかけることに賭けてたところがあるから。それがひとりだけになって、まだ戸惑ってる」
「そっか」
「とはいえ、あまりそういうのが続くとは思えないよ。いくらあいつでも、一度堀さんの気持ちを受け止めたわけだから、無責任なことはしないだろうし」
 最近、豊和の悪い噂は聞かなくなった。それはもちろん、今は堀という彼女がいるからでもあるが、その言動がいい意味で大人になったからだと俺は思ってる。
「でも、雪乃や弥生が相次いでつきあうようになったのは、やっぱり私たちの影響だよね?」
「堀さんは少なくともそう言ってたよ。中田さんはどうかわからないけど」
「弥生とそんなこと話したの?」
 わずかに彼女の形のいい眉がつり上がる。
「文化祭の時に少しだけだよ。それに、その時に豊和のことを知ったんだから」
 舞は結構嫉妬深いから、いくら舞の親友の話でも注意しなくてはならない。
「いずれにしても、いい形で今年を終われそうだから、いろいろな意味で安心だよ」
「うん、そうだね。でも、私としては私自身のこともそうだけど、雪乃にも弥生にも彼氏ができるなんて思ってなかったから」
「正直に言えば、誰が最初だと思ってたの?」
「やっぱり雪乃かな。自分の気持ちに正直だし。弥生は私と同じようなところがあるからすぐとは思わなかったけど」
「なるほどね」
 まあ、そう考えるのが普通だろう。
「でも、実際は私が一番早くて、しかも私たちのことからふたりのこともはじまってて。そう考えると本当に不思議だよね」
「そうだね。本当に不思議だよ。でも、俺にとって一番不思議なのは、やっぱり舞が俺の彼女になったということかな。高嶺の花だと思ってたから」
「今は、こんなに側にいるでしょ?」
「わかってるよ」
 そう、今は手の届くところにいる。そして、俺だけのために咲いてくれている。
「舞」
「ん、なに?」
「今日は泊まっていくんだっけ?」
「うん。忘れちゃったの?」
「いや、確認しただけ」
「それならいいけど。もし忘れてたら、ひどいんだから」
 そう言ってぷうと頬を膨らませた。
 とはいえ、その表情も可愛くて思わず微笑んでしまう。
「あ、そうだ。明日は私がお弁当作るからね」
「舞が?」
「うん。美知子さんとこの前話してそう決めたの」
 美知子とは、母さんのことだ。
「私が裕一くんのためになにかしたいって話したら、お弁当でも作ったらどうかって言われて。それでね、裕一くんの好きなものとかいろいろ聞いて、一緒に作ることにしたの」
「そっか。じゃあ、楽しみにしてるよ」
「うん」
 それはそれで楽しみだけど、なんか、舞は着実にうちにとけ込んでる気がする。
 はてさて、どうなることやら。
 
 そろそろ冬休みの宿題や予定が気になり出す頃。
 俺と舞は、森岡先生に呼ばれていた。
「もうクリスマスの予定は決まってるのかしら?」
 いきなりそんなことを言って俺たちを動揺させる。それがペースを先生のものにするための先制攻撃だとわかってはいても、それにはまってしまう。まだまだ修行が足りない。
「今は冬休みやクリスマス、お正月のことで頭はいっぱいかもしれないけど、その前にひとつ頼みたいことがあるの。というか、締めくくりと言った方が正しいかしら」
「締めくくりですか?」
「ルーシーさんの送別会というか、お別れ会みたいなことをしようかと思って」
 俺と舞は、思わず顔を見合わせた。
 そうだ。すっかり忘れていたが、ルーシーはこの十二月でアメリカに帰るんだ。
「そんなに特別なことをするつもりはないんだけど、やっぱりたとえ二ヶ月でもうちのクラスで一緒に過ごしたわけだから。それで、ふたりは彼女の世話係だったから、そこでも中心として動いてほしくて。どうかしら?」
「それは構いませんけど、具体的にはどんな感じにすればいいんですか?」
「まあ、一般的には最終日の放課後にパーッとやるのが多いと思うけど。長時間じゃなければ教室を使っても構わないし。外でやってもいいけど、みんなの都合もあるだろうし」
 確かに、十二月の最後はクリスマスイヴである二十四日だ。外であまり長時間やると、個人的な予定に影響を及ぼす可能性がある。
「どうするにしても、ルーシーさんの予定を優先しなければならないから、それとなく聞いておいてほしいの。いいかしら?」
「わかりました」
 俺たちは職員室を出ると、早速そのことについて話した。
「すっかり忘れてたよ、今月までだってこと」
「私も。ずっといるものとばかり思ってたから」
「それだけルーシーはこの学校、うちのクラスになじんでるってことなんだろうけどね」
「うん」
 最初の頃こそ留学生だと構えていたけど、今はそんなことはない。普通のクラスメイトだ。
「たぶん、どんなことをしても喜んでくれるだろうけど、舞はどうしたらいいと思う?」
「私は、お別れ会って形じゃなくて、それこそクリスマスパーティーみたいな感じでやった方がいいかなって」
「なるほど。それもひとつの方法か」
「ほら、ルーシーってアメリカ人だし、クリスマスの方がなじみもあるし、気兼ねなく参加できるかなって」
「そうかもしれないね。じゃあ、ルーシーにもそんな感じで聞いてみようか」
「うん、その方がいいかも」
 だいたいの方向性も決まり、あとは本人に確認を取るだけなのだが、俺はこの時ひとつのことを忘れていた。
 とても大事なことを。
 
 そして時間はあっという間に流れ、十二月二十四日を迎えた。
 少し前からテレビではクリスマス特集が組まれ、情報番組を見ているとそれしかやらないため、逆に面白くなかった。新聞や雑誌にも特集記事が掲載され、まさに猫も杓子もという感じだった。
 街の中も同様で、商店街を歩くとどこもかしこもクリスマスセールをやっている。特に熱心なのは、子供のクリスマスプレゼントを買ってもらいたいおもちゃ屋と、ケーキを買ってもらいたいケーキ屋である。ケーキ屋など、クリスマス前でもサンタの格好をしたアルバイトが店頭でケーキを売っていた。
 去年まではそんな浮かれた空気をどこか冷めた目で見ていたが、今年は当事者となりなんとなく気分が高揚してくる。
 とはいえ、イヴを心おきなく楽しむためには、まずは学校を終わらせる必要があった。
 今日は授業はなく、校長講話とホームルーム、大掃除だけである。
 朝の簡単なホームルームを終えると、講堂で校長講話。とてもありがたい話なんだろうけど、あまりにも言い方がつまらなくて、ほとんど記憶に残らなかった。
 そのあとのロングホームルームは、主に冬休み中の注意事項についてだった。あとは、休み明けまでにちゃんと宿題をやってくるようにと。
 うちの高校は短い冬休みでもきっちり宿題が出る。しかも、半端じゃない量が。これも夏休み同様、計画的にしっかりやらないと終えることなどできない。
 まあ、そういうことも頭のどこかで考えつつ、ようやく煩わしいことは終わった。
 大掃除をして、本来ならすぐに放課後ということになるのだが、今年は違った。
「それじゃあ、これからクリスマスパーティー兼ルーシー=ウェントン送別会を行いたいと思います」
 教室は、すっかりパーティー会場に変化していた。
 いくつかの机をひとつにしてテーブルを作り、そこにお菓子やジュースを置く。
 短時間しか準備できなかったので飾りは派手ではないが、黒板には色とりどりのチョークで、いろいろ書いてあった。
「堅苦しい挨拶なんかは全部抜きにして、今日はとにかく楽しんでください。ただ、一応学校ということで節度は持つように」
 結果的に幹事をやることになった俺が、みんなに声をかける。
「では、早速乾杯したいと思います。それぞれコップを持ってください」
 おのおのコップを持つ。
「それでは、メリークリスマスっ!」
『メリークリスマスっ!』
 あとはもう勝手に飲んで食べて騒いで。
 形だけ幹事である俺と舞だが、パーティーがはじまれば特にすることはない。
 なにか特にやらなきゃいけないことがあるわけでもない。だから俺たちも普通に楽しむことにしていた。
「とりあえずおつかれさま」
「裕一くんこそ、おつかれさま」
「別に特別なことをしたわけじゃないけどね」
「それは私も同じだから」
 なんとなく最初はふたりだけではじめてしまった。
「それにしても、もうイヴなんだよね」
「そうだね。本当に時の経つのは早いよ」
「……今年のイヴは、特に大切なイヴになるから」
 そう言った舞の表情は、少しだけ思い詰めたような表情だった。
 だけど、それは彼女だけじゃない。俺にとっても、大切なイヴになるはずだ。
「ルーシーにとっては、今年のクリスマスはどんな風に見えてるのかな?」
「それはルーシーじゃないとわからないけど、でも、少なくとも今は楽しそうだよ」
 ルーシーは、みんなの間をまわって、本当に楽しそうだった。
 送別会という意味もあるのだが、少なくともそういう雰囲気はない。
 主役のルーシーを含め、みんなとにかく憂さを晴らすように楽しんでいる。
 少しすると、ルーシーがやって来た。
「楽しんでるかい?」
「とっても楽しんでるよ。ユウイチとマイには、本当に感謝してる。ありがとう」
「別に私たちはなにもしてないよ。ただ、ほんの少しだけこうなるように動いただけ。こういう雰囲気になってるのは、やっぱりみんなのおかげだし」
「そうそう。それに、今日は小難しいことをあれこれ考えるのはやめにした方がいいよ」
「……そうだね。そうするよ」
 アメリカやキリスト教国ではクリスマスは神聖な日かもしれないが、日本ではそんなことはない。もはやクリスマスという名のお祭りである。となれば、楽しんだ者勝ちである。そして、郷には入れば郷に従えという言葉もある。ルーシーも日本のお祭りを素直に楽しんだ方がいい。
「そうだ、ユウイチ」
「ん?」
「これが終わったら、少しだけワタシにつきあってほしい」
「それは構わないけど、いったいなに?」
「それは、その時にね」
 そう言ってルーシーは笑った。
 パーティーは、結局予定していた時間よりだいぶ長く続いた。
 最後にルーシーがみんなに挨拶をする。
「ワタシがこの日本へやって来て、もう二ヶ月になります。たった二ヶ月なのか、二ヶ月もなのかは、まだわかりません。でも、この二ヶ月はとても楽しかったです。学校でも普段の生活でも、ステイツにいては体験できないようなことを体験できました。本当にいくら感謝しても足りないくらいです。今回の留学の期間はこれで終わりですけど、ワタシは必ずまた日本に来ます。その時には今よりももっともっと日本のことを好きになって、同時にステイツのことをみんなに好きになってもらえるよう、がんばります」
 拍手が起こる。
「湿っぽいのは苦手なので、最後の最後まで笑ってみんなとお別れしたいと思っています。最後に、ワタシを暖かく迎えてくれたみんなに心からお礼を言いたいと思います。本当にありがとうございました」
 いつもなら流暢な日本語も、今回ばかりは少しイントネーションがおかしくなっていた。でも、それは仕方がない。すでにルーシーの顔は泣き笑いの顔で、なにかの拍子で泣き出してしまいそうなのだから。
 こうして、クリスマスパーティー兼ルーシーの送別会は終わった。
 
 パーティーが終わり、俺はルーシーに言われた通り、少しつきあうことになった。
 ルーシーはなにも言わず、俺をどこかへ連れて行く。
 階段を上って辿り着いたのは──
「寒っ……」
 思わずそんなことを言ってしまう場所──屋上だった。
 天気はとてもいいが風が少し強く、長時間なにもしないで外にいると凍えてしまう。
 ルーシーはそんなことをまったく気にせず、フェンス際に立った。
「ワタシが最初にここに来た時も、こうやってユウイチと話したよね」
「そういえばそうだね」
「今にして思えば、あの時のワタシはユウイチのことを試していたのかもしれない」
「試す?」
 俺は首を傾げた。
「確かにユウイチのことは気になってた。でも、最終的にはいろいろ話してみなければわからないから。だから、わざわざふたりきりで話をして」
 一瞬、風が止んだ。
「ユウイチはそれでもいつも通り接してくれて。はじめての日本にまだ不安や戸惑いがあったワタシには、そのいつも通りさが余計に嬉しかった。だから、本当に、本気で好きになっちゃった」
 俺はなにも言えなかった。
「でもね、それでもワタシはわかってた。ワタシがどんなにユウイチのことが好きでも、ユウイチはワタシの方を向いてくれないって。ユウイチの心の中には、マイしかいない。ほかの誰もそこに付け入ることはできない。ほんの少しだけふたりと過ごしただけで、それはすぐにわかったから」
 風がルーシーの髪を乱暴になぶった。
「ワタシはもうすぐ日本を離れるけど、ユウイチにはワタシのことをちゃんと覚えていてほしい。ワタシのこの気持ちは伝わらないけど、それでも、ワタシが最初に好きになった日本の男の人だから」
 そう言ってルーシーは、とても穏やかな笑みを浮かべた。
 その笑顔はとても綺麗で、思わず見とれてしまったほどだ。
「最後だから聞いてもいい?」
「いいよ」
「じゃあ、もしユウイチにマイというステディな関係のカノジョがいなければ、ワタシの方を向いてくれた?」
「……それはわからないよ。そうなった可能性もあるだろうし、ないという可能性もあったと思う。少なくとも現状ではそうとしか答えようがない」
「そこでウソでも、そうだ、って答えてくれればいいのに」
 俺にそういうことを求められても困る。そういうことができていれば、いろいろ苦労することも悩むこともなかっただろう。
「でも、その正直なところがユウイチなのかもしれない。ワタシの大好きなユウイチ」
 そのまま流れるような動きで俺の前に来て、そして──
「I love you……」
 動く余裕もなかった。
 まるで彼女に魅入られたかのように動けず、そのままキスをされてしまった。今度は、唇に。
「これがユウイチとは最初で最後のキスになるね」
 わずかに頬を染め、わざと明るくそう言う。
「さて、ユウイチはこれから部活、ワタシは帰る準備。だから、ここでお別れ」
「ルーシー……」
「でもね、サヨナラは言わないよ。ワタシは結構しつこい性格だから」
「……そうかもしれないね」
「だから、今はとりあえず──」
 クルッとまわり、一度お辞儀した。
「See you again、ユウイチ」
 それは、本当にルーシーらしい挨拶だった。
 
 四
 クリスマスといえども、ちゃんと部活はある。
 授業がない分、練習時間もたっぷりあるため、かなり絞られた。誰かが明日から冬休みなんだから少しくらい手加減してくれても、と言っていたが、俺も少しだけそれに賛成だった。
 練習が終わったのは、もうすでに陽が落ちてからだった。とはいえ、この時期は陽が落ちるのが早いので、それほど遅い時間ではない。
「功二はこのあとどうするんだ?」
「いや、まあ、その、一応予定はある」
 部室で着替えながら、俺は功二にそう聞いていた。もちろん、こいつの彼女が中田という時点で、クリスマスに約束していないはずはない。それでも、こいつの口からそれを聞いてみたかった。
「だけど、それはおまえも一緒だろ?」
「まあな。さすがに今日一緒に過ごさなかったら、いろいろマズイだろ?」
「確かにな」
「中田さん、かなり楽しみにしてるみたいだったからなぁ」
「……それを言わないでくれ。こっちは相当のプレッシャーを感じてるんだから」
 そう言って功二は苦笑した。
「下手に飾ってもしょうがないし、いつも通りでやればいいんじゃないか?」
「それはそうだとは思うけど、それすらできるかどうか」
「まあ、せいぜい愛想尽かされないようにがんばってくれ」
「おまえもな」
 最後の切り返しは見事だった。
 部室を出ると、いつもと同じように二音へ向かった。
 今日はパーティーが終わってから時間があったから、舞には先に行っていていいと言ったのだが、待ってると言って聞かなかった。
 音楽部は簡単なミーティングのみしかないと言っていたから、ほとんどの時間を無為に過ごすことになる。
 もう過ぎてしまったことだからとやかく言うつもりはないが、そういう舞の頑固さは少々困ることもある。
 そんなことを考えつつ、俺は二音へ急いだ。
 校舎内はすっかり静まりかえり、声も足音も聞こえなかった。
 それでも二音が近づくにつれ、いつものようにピアノの音が聞こえてくる。
 これを聞くと安心してしまうんだから、俺も現金なものだ。
 ドアの前で軽く息を吐き、開けた。
 ピアノの向こうの舞は、ちらっと俺の方を見て微笑んだ。
 ドアを閉め、ピアノの側に椅子を置き、そこに座る。
 今日の曲は、とても穏やかなメロディの曲だった。
 最後の音が教室に響き、やがて消える。
「今日は、即興で弾いてみたんだけど、どうだったかな?」
「えっ、今の即興だったの?」
「うん。なんとなく思い浮かんだメロディをそのまま音にして。それが今の」
 こうもさらっと即興で弾けるとは、やはり彼女の腕前は相当のものだ。
「即興だってわからないほどよかったよ」
「ホント?」
「もちろん」
「よかった」
 嬉しそうに微笑み、鍵盤に赤い布をかけ、蓋を閉じた。
「今日もおつかれさま、裕一くん」
「舞こそ、ずっと待ってて退屈だったんじゃない?」
「ううん、そんなことないよ。途中までは何人か残ってたから、話もしてたし。ひとりになってからはピアノを弾いてたし。私、こういう時間の使い方は上手いんだよ」
「なるほど」
 確かに、ほぼ毎日のように待っていたら、時間の使い方も上手くなる。
「ねえ、裕一くん」
「ん?」
「いつもの、してほしいな」
「ああ、うん」
 上目遣いにねだられたら、誰だって応えてしまうだろう。それが特に、彼女ほどの容姿の持ち主ならなおさらだ。
「ん……」
 俺は彼女を抱きしめ、そっとキスをした。
 一度キスをして、今度は彼女の方からキスをしてくる。
 そんなことを数度繰り返す。
「ん、はあ……」
 少し息も苦しくなってきたところで、ようやく満足してくれる。
 とはいえ、俺が解放されるわけではない。抱き枕よろしく、ギュッと抱きしめられる。
「……今日は、本当にずっと離さないでね?」
「ああ、もちろんだよ」
 そう。今日は、俺たちにとってとても大事な日。
 だから、俺も彼女もしていることはいつもと同じでも、どこか違うものを感じていた。
「よし、そろそろ帰ろう」
「うん」
 本番は、これからだ。
 
「そういえば、ルーシーの話ってなんだったの?」
 電車の中、舞はそう聞いてきた。
「そうだね、簡単に言えば、感謝の言葉と告白とお別れの言葉、かな」
「……そっか」
 彼女もある程度は予想していたのだろう。特に驚いた様子もなかった。
「ルーシー、本気で裕一くんのこと好きになってたからね。少し、心が揺れたりしなかった?」
「ない、と言えばウソになるけど。でも、それは本当に少しだけだから」
「そうだよね。ルーシーほど綺麗な子で、しかも性格までよくて。そんな子に告白されたら、誰でも心が揺れるよね」
「でも、俺には舞がいるから」
「うん」
 そう。それだけは絶対に変わらない。
「それで、最後にこう言われたよ」
「なんて?」
「See you again、だって」
 それを聞いた舞は、わずかに驚いたが、すぐに笑みを浮かべた。
「本当に、ルーシーらしい」
「俺もそう思ったよ。だけど、ルーシーなら本当に『再び』会いに来るかもしれないから、らしいだけでは済まないと思ったけど」
「それならそれでいいと思うけど。短い間とはいえ、せっかく仲良くなれたんだから」
「確かにね」
 多少のわだかまりはあるのだろうけど、彼女もルーシーのことは気に入っていた。だからこそ、そういう風に言えるのだろう。
「それでも、見送りだけは断られたけどね」
「そうなの?」
「湿っぽくなるのがイヤなんだって。きっとみっともない姿を見せちゃうから」
「そっか。じゃあ、ルーシーとはもう本当にお別れなんだ」
「そうだね。確か、あさっての便で帰るって言ってたから」
「年明けからは、少し淋しくなっちゃうね」
 ルーシーは、うちのクラスのムードメーカーとなっていた。そんな彼女がいなくなれば、やはり最初のうちは暗く感じるかもしれない。
 そういえば、ルーシーのアメリカの連絡先をもらったけど、これは舞には話さない方がいいのかな?
 まあ、だからどうなるわけでもないし、とりあえず波風立てる必要もないから、今日のところは黙っておこう。
 電車を降り、いつものように自転車にふたり乗りで家に向かう。
 さすがにこの時期、この時間だとかなり寒い。
 だからというわけでもないが、舞は俺にギュッとしがみついている。
 触れているところは暖かいが、少しだけ漕ぎにくい。
 いつもと同じくらいの時間で家に着いた。
 この時間なら、父さん以外はみんな帰っているだろう。
「ただいま」
「おじゃまします」
 玄関を開けると案の定、みんなの靴があった。
 とりあえずリビングに顔を出すと、由紀子と奈津子が揃ってテレビを見ていた。
「おかえりなさい、お兄ちゃん」
 揃ってそう言われると、どちらに言われてるのかわからない。
「それと、こんばんは、先輩」
 舞が来ることはもうすでに知っている。
 というか、来ないという考えは最初から持っていないかもしれない。
「良二は、部屋か」
「うん。なんか、さっさと宿題終わらせるんだって、張り切ってた」
「へえ、あの良二がねぇ」
「ほら、裕一。いつまでもしゃべってないで、着替えてきなさい」
「わかってるよ」
 台所から母さんが顔を出し、しっかりそう注意してくれた。
 俺たちはいったん部屋に戻り、それぞれ着替えた。
 最近、家に泊まることが多くなった舞は、着替えを数着置いている。その中から今日は、ロングスカートにクリーム色のセーターに着替えた。
 それからいつもより少し早めに夕食を取った。
 その場に父さんがいなくて舞がいても、最近はあまり違和感がなくなってしまった。
 もともと母さんは人付き合いはいいし、なにより彼女のことをとてもよく思っている。
 由紀子や奈津子は『お姉さん』ができたようで嬉しいと言っていたが、それはあまり冗談になってないからさすがに焦った。
 良二は彼女についてはあまり話さないが、とりあえず嫌っていることはない。
 こういう雰囲気はいいと思うが、俺はひとつ考えることがある。それは、あまりうちにばかり来ていて、彼女の家の方は大丈夫なのかということである。
 いくら寛大で今回のことを理解してくれていても、やはり家族。ちゃんと一緒にいて同じ時間を過ごすべきだと思う。もちろん、毎日来ているわけではないから、深刻なことにはなってないとは思う。それでもその原因のひとつを俺も担っているだけだから、少し考えてしまう。
 とりあえずそのことは、今日が終わってから改めて彼女に言うことにしよう。
 今日はクリスマスという特別な日。あまり無粋なことを言って、その雰囲気を壊す必要もない。
 夕食は、クリスマスということで少しだけ豪華だった。
 食後にはケーキも出て、なんとなくクリスマスを意識してると思った。
 まあ、日本人のクリスマスなど、こんなものだろうけど。
 食事が終わると、舞は由紀子たちとなにやら話していた。俺は肩や肘のアイシングをしなければならないから、なにを話していたのかはわからない。少なくとも由紀子は余計なことは言わないから安心できるが。
 アイシングが済むと、ようやくふたりきりの時間を持てた。
「本当に、ずっとこうしていたいね……」
 舞は俺に寄りかかりながらそう言った。
 俺も、そんな彼女の肩を抱き、頷いた。
 なにも言わなくてもお互いがどんなことを考えているかわかった。
 静かな、穏やかな時間がゆっくりと流れていく。
 そして、その時が来た。
 
 みんなが寝静まった頃。
 部屋の明かり落とし、俺と舞は、少し緊張した面持ちでベッドに座っていた。
「待たせすぎちゃったかな?」
「ううん、そんなことないよ。私の想いは、ずっと変わってない。ううん、それどころか前よりもっとずっと強くなってる」
「そっか」
 修学旅行のあの夜からいろいろ考えてきた。
 俺は本当に舞に相応しいのかどうか。その資格があるのかどうか。
 正直に言えば、答えは出ていない。
 ただ、ひとつだけわかったことがある。
 それは、舞を誰にも渡すつもりはないし、舞を俺だけのものにしてしまいたいということだった。
 そのためにどうすればいいのか。それも明確な答えがあるわけじゃないと思う。それでもそのためのひとつの方法が、抱くこと──セックスならそれもいいのかもしれない。
 少なくともあの時とは違って、俺も後悔することはない。
「正直に言えば、俺の中でもまだ答えは出てない。綾本裕一という人間を見つめ直し、その上で結城舞に相応しいのかどうか。ただ、ひとつだけわかったことがある」
「……それは?」
「俺は、舞を誰にも渡すつもりはないし、俺だけのものにしてしまいたい、ということ」
「裕一くん……」
 改めて言葉にすると、その想いをよりいっそう強くできた。
 後戻りなど最初からするつもりなどないが、ここまで来たら本当に後戻りはできない。
「……私にとってはね、相応しいとか相応しくないとか、そういうのは全然関係ないの。だって、そういうのは本当に最後までわからないだろうから。だから、仮に今は少しくらい相応しくなくても、これから先、相応しくなれる可能性もある。もちろん、それは裕一くんだけじゃない。私だってそう。だから、今はそういうのは抜きにして、私たちが望むことを、望むような形ですればいいと思う。ね、裕一くん?」
 そう言って穏やかに微笑む。
「もう一度だけ、言うね。私を、抱いて……」
「ああ……」
 俺は、少しだけきつく彼女を抱きしめた。
 そのままキスを交わす。
「ん……ん……」
 いつもと同じはずのキスも、雰囲気のせいか、とても違った感じがした。
「ん……はあ……」
 ついばむようにキスを繰り返し、そのまま彼女をベッドに横たえた。
「いいね?」
「うん……」
 舞は、微塵の迷いもなく頷いた。
 俺はそれを確かめると、セーターの上から胸に触れた。
 一度触れたことはあったが、あの時のことは緊張のせいでよく覚えていない。
 だから、セーターの上からでもわかるほどの大きな、そして柔らかな胸が、想像以上にとても気持ちよかった。
「ん……あ……」
 壊れ物を扱うように、少しだけ力を込めてみる。
「裕一くん……そのままなんて、せつないよ……」
 と、舞の方からそう言ってきた。
 こういうことははじめてだから、脱がすタイミングとかそういうのが全然わからない。
「じゃあ、脱がすから」
 一応言い置いて、セーターを脱がす。
 ぬくもりの残るセーターを脱がすと、もう上半身を守るものは、ブラジャーしかなかった。
 薄暗い部屋の中でも、彼女の肌の白さは際立っていた。
「んっ……」
 白い腹部にスッと指をはわせると、彼女はわずかに声を上げた。
 とてもすべすべの肌で、いつまでも触れていたくなるほどだった。
 レースのついた白のブラジャーに手を伸ばし、ホックの位置を探る。
 が、見つからない。
「これは、前なの」
 そう言って舞は、自らブラジャーを外した。
 フロントホックだったとは、気付かなかった。
 ブラジャーを外すと、そのボリューム感たっぷりの胸が、圧力から解放され、ほんのわずか揺れた。
 俺は、そっと直に胸に触れた。
「ぁっ……」
 今度はさっきよりもさらに敏感に反応した。
 一瞬やめようかと思ったが、それだけはしてはいけないと思い直し、俺は触れ続けた。
 きめ細かなその肌は、手のひらに吸い付くがごとくで、本当に気持ちよかった。
「ん、あ……」
 ほんの少しだけ手に力を込めると、その分だけ舞は声を上げた。
 円を描くように胸を揉み、だけど、まだ肝心な部分には触れない。
「……や、ん……」
 口元に手を当て、声が出ないようにする。
 だけど、俺としてはもっと声を出してほしい。
 だから、俺は敏感なその乳首に指を載せた。
「んっ」
 軽く擦っただけで、それまでとは比べものにならない声が出た。
 人差し指の腹でこねるように、乳首を攻める。
「あっ、んん……」
 その度に彼女の体は敏感に反応する。
「裕一くん……」
 せつなげな眼差しで俺を見つめる。
 だけど、まだ早い。
 今度は、その乳首に口を近づけた。
「あ、ダメ……んんっ」
 逃げられる前に、俺は乳首を舌で舐めた。
 舌先で何度も舐める。
「ん、ふぅ……や、ん……」
 弱々しく俺の頭を抑えるが、その程度では止めることはできない。
「ダメ……ダメなの……」
 途切れ途切れにそう言う。
 なにがダメなのかはあえて聞かない。それに意味はないだろうし、舞もそれを望んでいないだろうから。
「スカートも脱がしていいかな?」
「え、あ、うん……」
 脇のホックを外し、ファスナーを下ろす。
 少しだけ手伝ってもらってスカートを脱がせた。
 もう舞を守るものは、ショーツしかない。
 この前の時はここから先でお互いに躊躇してしまった。
 だけど、今日はそうならないと言える。
「いいね?」
 舞は、小さく頷いた。
 ショーツの上から彼女自身に触れた。
「ん……」
 胸とはまた違う柔らかな感触が伝わってきた。
 同時に、指先にわずかな湿り気を感じた。
「……はしたないって思わないでね。裕一くんに触れられて、そうなっちゃったんだから……」
「思わないよ。それに、ちゃんと感じてくれてたってことだから、嬉しいくらいだよ」
「うん……」
 濡れることは悪いことじゃない。むしろ普通だ。
 そういう知識が乏しい俺でも、それくらいのことはわかる。
「あ、でも、そうすると脱がせちゃった方がいいのかな?」
「あ、うん、そうだね。でも、裕一くんの好きなようにしていいよ」
 そう言われると少し困る。
 少し考えた末に、俺はショーツも脱がせることにした。
「…………」
 脱がせる時、さすがに舞の体は緊張していた。
 改めて生まれたままの姿の舞を見る。
「すごく、綺麗だ……」
 思わずそう口走っていた。
 バランスの取れた完璧なプロポーション。
 天は二物も三物も与えたと思えるほどの素晴らしい肢体だ。
「私は、裕一くんだけのものなんだから……好きにしていいよ」
 俺の心を見透かしたように、そう言ってくれた。
「じゃあ、触るから」
 少し足を開いてもらい、俺は直接そこに触れた。
「あっ……」
 触れた瞬間、舞はわずかに体を跳ねさせた。
 綺麗に手入れされた恥毛の下、わずかに開いた秘唇に指をはわせた。
「ん、あ……」
 ゆっくりと秘唇に沿って指をはわせる。
「や、ん……あん……」
 舞の口から、甘い吐息が漏れてくる。
 それが俺の神経を麻痺させる。
「んん……あふぅ……」
 最初こそ少し力が入っていたが、感じてきているせいか、余計な力はすっかり抜けてきた。
 俺は、もう片方の手で秘唇を開いた。
「んっ……」
 俺の目の前に、ピンク色の彼女自身があらわになった。
 濡れているせいでわずかな光にてらてらと光っている。
「あんっ」
 と、俺の息がかかっただけで舞は敏感に反応した。
 ここから先は、少しだけ慎重に進めた方がいいだろう。
 俺もそうだけど、彼女もはじめてなのだから。
 俺は、もう少しだけ周囲をいじることにした。
「あ、ん……んん……」
 触れる度にピクピクと体が反応する。
「ん、はあ……裕一くん……」
「うん?」
「私の体、変じゃないよね?」
「変じゃないよ」
「よかった……」
「そんな心配しなくてもいいのに」
「だって、こういうことはじめてだし、自分がどうなのかも全然わからないし……」
「大丈夫。舞はどこも変じゃない。その証拠に、ほら」
 そう言って俺は舞の手を取って、ある場所を触らせた。
「ゆ、裕一くん……」
「俺のだってこんなになってる」
 俺のモノは、もうすっかり大きくなっていた。というか、我慢するだけで結構いっぱいいっぱいだったりする。
「だから、あまり余計なことは考えない方がいいよ」
「うん……」
 俺がそう言うと、舞は少しだけホッとした表情を見せた。
 いつまでもそうしてるわけにもいかないので、俺はわずかに中に指を入れた。
「んくっ」
 異物の侵入に、舞の中は思い切り締め付けてきた。
 はじめてということもあるだろうけど、その締め付けはかなりのものだった。
 入り口付近で少し出し入れする。
「んんっ、あっ……あんっ」
 さっきまでのより快感が強いのか、嬌声もより大きくなった。
「んっ、やっ、こんなの、はじめて……」
 少しずつ指の滑りもよくなってくる。
「裕一くん……もう大丈夫だと思うから……」
 どこまですればいいのかわからない俺に、わざわざそう言ってくれた。
「うん、じゃあ……」
 彼女だけ脱がせて俺だけ服を着てるのもなんだか違う気がした。
 だから俺も服を脱いだ。
「はじめては痛いって言うけど、我慢できなかったらちゃんと言って」
「大丈夫。だって、痛いってことは、裕一くんとひとつになれたって証拠だから」
「舞……」
 あまりにも彼女が健気で愛おしくて、俺は抱きしめキスをした。
「じゃあ、いくよ?」
「うん……」
 怒張したモノを秘所にあてがう。
「ん……」
 さすがにこの時には緊張もピークに達している。
「いっ!」
 少し腰に力を込め、一気にモノを入れた。
「くっ!」
 わずかな抵抗があったが、俺のモノは舞の中に入った。
「ん、はあ、はあ……」
「大丈夫、じゃないよね」
「ううん、大丈夫……さっきも言ったけど、この痛みは裕一くんとひとつになれたっていう証拠だから」
 涙を浮かべながら、健気に微笑む。
 見ていてとても痛々しいのだが、俺はそれ以上そのことを言うのはやめた。
「んっ……ずっと、こうなりたかった……裕一くんだけのものになりたかった……」
 彼女の言葉は、いちいち俺の心に響いてくる。
「その夢が、やっとかなった」
 そっと手を伸ばし、俺の頬に触れた。
「私は、もう裕一くんだけのものなんだから。絶対に、離れないから」
「俺だって離さないよ。舞以上の彼女なんて、この世のどこを探してもいない」
「嬉しい……」
「これから先、俺や舞がどうなってるかはわからないけど、ただひとつだけわかってることがある」
「それは?」
「たとえどんなことがあっても、一緒にいるってこと」
「うん、そうだね」
 そう、お互いの立場はまだわからないけど、それだけは言える。
 たとえ、彼女が留学してしまっても、それは一時的なものだ。今生の別れというわけではない。会えない時期はあったとしても、必ずまた一緒にいる。
 俺はそう信じている。
「ん、裕一くん、もう大丈夫だから。あとは、裕一くんの好きにしていいよ。そのままだと、つらいんでしょ?」
「それはまあ……」
 確かに、こうして別のことを考えていないと、すぐにでも果ててしまいそうなくらい、舞の中は気持ちよかった。
 狭いせいもあるけど、すべての方向から俺のモノを締め付けてきて、本当にこのままだとつらかった。
「それに、いつも優しい裕一くんが、今日はもっとずっと優しくて。それだけでも悪いなって思ってるのに、それなのにまだ裕一くんにつらい思いさせてる。だから──」
「わかったよ」
 それ以上言わせる必要はなかった。
「つらかったら言って」
「うん」
 俺は一度キスをしてから動いた。
「ぃっ、くっ……」
 感じるというところまではまだいっていない舞は、ほんのわずか動かしただけで苦痛に顔を歪めた。
 それでも俺はやめなかった。
「んっ……あっ……」
 射精感に必死に抗いながら、少しでも長く、舞の中にいたかった。
「裕一くん、我慢しないで」
 だけど、それも長くは続かなかった。
「くっ、ごめん」
 抗いがたい射精感に襲われ、俺は、ギリギリで外に放った。
 大量の精液が舞の腹部にほとばしった。
「こんなにいっぱい……」
「早くてごめん……」
「ううん、気にしないで。それに、私は裕一くんに気持ちよくなってもらえただけで満足だから」
 初体験でそれほど保つとは思っていなかったが、ここまでとは思わなかった。
「私でも、ちゃんと裕一くんを気持ちよくさせられた。それだけで本当に十分だから。それに、これから何回でも抱いてくれるでしょ?」
「それはもちろん」
「だったら、少しずつお互いのいいようになるよ。ね?」
 こういう前向きなところは、素直にすごいと思う。
 だから俺も、そんな舞の想い、気持ちに触発されて、同様な考えになってくるんだ。
「あ、そうだ。すぐに後始末するね。さすがにそのままじゃマズイし」
 俺は枕元に置いてあるティッシュを取り、精液を拭き取った。
 と、シーツにわずかにシミが広がっていた。よく見ると、それは血だった。
 舞の破瓜の血だ。
「ねえ、裕一くん」
「ん?」
「今日は、このまま一緒に寝てもいいよね?」
「断る理由がないよ」
「うん」
 エアコンのタイマーを入れ、俺たちは改めてベッドに横になった。
「いろいろな話を聞いてたけど、やっぱりはじめては痛いんだね」
「そんなに痛かった?」
「うん。裂けちゃうかと思ったくらい。でもね、それだけじゃなかったの。確かに痛みの方が強かったけど、同時に心は満たされていく感じで。ああ、これで私は裕一くんのものになれるんだって。そう思った」
「そっか」
 俺は、舞の髪を撫でながら話に耳を傾けた。
「これで、私の心も体も、全部裕一くんのものになったね」
「そうだね」
「ふふっ、幸せすぎてどうにかなっちゃいそう」
 そう言って満面の笑みを浮かべる。
「そうだ。ひとつだけ言っておかなくちゃいけないことがあったんだ」
「うん?」
「あのね、これから先、私のことを抱きたくなったら、遠慮しないで言ってね。なにかある時以外は、それに応えるから。その代わり、私も裕一くんにお願いするから。それでいいよね?」
「いいけど、そういうこと言われると、毎日でも抱きたくなっちゃうよ?」
「それならそれでいいよ。裕一くんに抱かれてる間は、直接裕一くんに必要とされてるって実感できるから」
 それは、冗談ではないだろう。彼女はとにかく俺に必要とされたがっていた。俺の側にいる意味を見出したがっていた。
 セックスという行為がそれを証明できる行為なら、確実に認めるだろう。
 だけど、別に俺は舞の体が目当てなわけじゃない。
「まあ、そのあたりはお互いの意志を確認してからにしよう。別に俺たちは、セックスするためだけに一緒にいるわけじゃないんだから」
「うん、そうだね」
 小さく頷き、俺の胸に頬を寄せてきた。
「今年のクリスマスは、今までで一番のクリスマスになったよ」
「それは俺も一緒だよ。こんなカワイイ彼女と一緒に過ごせたんだから」
 本当に心からそう思う。
 去年のクリスマスの時に、今年の状況を誰が予想していたか。俺自身ですら、こんなことはあり得ないと思っていた。
 それが、今はこうである。
 本当に世の中なにが起こるかわからない。
「今日は、すごく幸せな夢が見られそう」
「そこに俺は出てくるの?」
「うん、もちろん。裕一くんが出てこなかったら、幸せも半減だから」
「そっか、よかった」
「ふふっ、心配しなくても大丈夫だよ。私の心は、もう完全に裕一くんのものなんだから。それは夢の中でも同じ。それに、私の本当の夢だって、もう裕一くんにしかかなえてもらえないし」
「……責任重大だね」
「大丈夫大丈夫。裕一くんは裕一くんらしく、そのままでいてくれればいいの。私の大好きな裕一くんのままでね」
「そう言われたら、そうしなくちゃいけないね」
「うん」
 なんとなく会話を途切れさせるのがイヤで、なんとなくで話を続けている。
 だけど、時間は無限にあるわけじゃない。
「じゃあ、そろそろ寝ようか」
「うん」
「おやすみ、舞」
「おやすみ、裕一くん」
 キスを交わし、お互いに夢の中へと降りていった。
 そういえば、ひとつだけ忘れてた。
 クリスマスなのに言わなかった言葉。
 
 メリークリスマス、舞。
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