僕がいて、君がいて
 
第八章「秋の終わりと冬のはじまり」
 
 一
 十一月十日。
 十六年前のその日、高城圭太はこの世に生を受けた。父祐太、母琴美、ともにその誕生を心から喜び、大切に育てた。
 圭太は、両親が思っていた以上に立派な青年に育った。
 
 その日の朝、琴絵は朝早くに起きて台所でなにやらやっていた。店の準備かと思いきや、そこにあるのはボウルや泡立て器など。
 材料を見ると、小麦粉や生クリーム、砂糖など。
 そう、琴絵はケーキを作っていた。もちろんそれは兄である圭太のため。心を込めて、すべての想いを込めて。
 それを作っている琴絵は、とても楽しそうだった。
 
 同じ頃、鈴奈も部屋の台所でなにか作っていた。こちらも砂糖なんかが出ているところを見ると、お菓子を作っているようである。
 やはりそれは圭太のためのもので、鈴奈の圭太に対する想いのすべてが込められていた。
 
 さらに同じ頃、紗絵も家の台所でなにか作っていた。こちらはすでにオーブンでなにか焼いている。
 確認のために中を見ると、そこには美味しそうなクッキーが。
 丹誠込めて作っているクッキーには、やはり紗絵の想いがギュッと詰まっている。
 
 さらに同じ頃、祥子も台所に立ち、なにか作っていた。
 見ると、どうやらパウンドケーキを作っているようである。それと、傍らにはチョコレートもある。
 散乱している材料を見ると、意外に悪戦苦闘しているようである。それでも祥子の想いだけは、たくさん込められていた。
 
 さらに同じ頃、ともみも台所に立っていた。自分の弁当のほかに、もうひとつ、小さな入れ物が用意してある。材料を見る限り、お菓子を作るようには見えない。
 なにを作るかはわからないが、やはりそこにはともみの想いが、すべての想いが込められるだろう。
 
 そして、その光景は笹峰家でも見られた。
 柚紀は前日から仕込みをし、持てる技術のすべてをつぎ込み、圭太のために作っていた。
 いつもよりちょっと豪華な弁当。圭太の好物が並んでいる。
 さらに圭太のためにケーキやクッキーなど、お菓子もいろいろ。
 一番大好きな圭太に、ありったけの想いを込めて。
 
 その日、圭太はいつもより少し遅い時間に起きた。
 どうやら、起きられなかったらしい。見ると、少し火照った顔をしている。
 着替えを済ませ、下に下りてくる。台所で朝食の準備をしている琴美に声をかける。
「おはよう、母さん」
「おはよう、圭太。今日はゆっくりなのね」
「うん、ちょっとね」
 圭太は、曖昧に答え、洗面所へ。
 そこで鏡に映った自分の顔を見る。やはり、自分で見ても火照っているのがわかった。
「……風邪、かな」
 そう呟き、顔を洗った。
 ダイニングでは、琴美がテーブルに食器を並べている。
 と、そこでようやく圭太の様子に気づいた。
「あら、圭太。顔、赤いわね」
 そう言って額に手を当てる。
「少し、熱っぽいわね。風邪引いた?」
「かもしれない」
「それでゆっくりだったのね」
 琴美はなるほどと頷いた。
「どうする? 学校、休む?」
 琴美は、琴絵が体が弱いことがあり、そういうことに関しては人一倍慎重だった。絶対に無理はさせず、時には無理矢理休ませる。
 ただ、圭太は琴絵に比べて丈夫なので、ある程度はその意志に任せていた。
「朝食を食べて、それで決めるよ」
「そうね、少し様子を見た方がいいわね」
 それから朝食までの間、圭太はリビングのソファでおとなしくしていた。
 それでもその体調はあまり改善していなかった。
「お兄ちゃん、大丈夫……?」
 琴絵は、心配そうに声をかける。
「圭太。休みなさい。無理して行っても、ほかの人たちに迷惑がかかるから」
「……うん、わかった」
 そして、圭太は学校を休むことになった。
 
 琴美は学校に休みの連絡を入れた。
「ねえ、お母さん」
「ん、どうしたの?」
 すでに制服に着替えた琴絵は、少し暗い表情で言った。
「今日、お兄ちゃん、誕生日なのに」
「そういえばそうね」
「これじゃあ、お祝いできないかな?」
「夕方までにある程度体調が戻っていれば、やってもいいわよ」
「ホント?」
「ええ。そうしないと、せっかく作ったケーキも無駄になるでしょ?」
 琴美は、琴絵がケーキを作っていたことも知っている。まあ、それもこのところ毎年のことなので、当たり前と言えば当たり前ではある。
「ただ、あくまでも良くなったらの話だから。いいわね?」
「うん、わかった」
 それから少しして、琴絵は学校へ行った。
 琴美は雑多なことを済ませ、圭太の様子を見に、部屋へ。
「どう?」
「うん、寝てると少し楽かも」
「やっぱり風邪ね。風邪は、とにかく栄養のあるものを食べて、ゆっくり休むことが一番の療法だから。今日は、なにも考えずにゆっくり休みなさい」
「うん、そうするよ……」
 そう言って圭太は目を閉じた。
「あ、そうそう」
「どうしたの?」
「誕生日おめでとう」
「あ、うん、そうだね。忘れてたよ」
「琴絵には、あなたの体調が戻ったらお祝いするって言っておいたから」
「じゃあ、琴絵のためにも、早く治さないといけないかな」
「琴絵のためだけじゃないでしょう? 圭太のことを想っているみんなのためにも、早く治さないと」
「責任重大だね」
 圭太は、目を閉じたまま微笑んだ。
「ねえ、圭太」
「……なに?」
「あなた、本当は一番誰のことを想っているの?」
「……どういう意味?」
「鈴奈ちゃんのこともあるし、それに、この前は紗絵ちゃんのために時間まで作っていたし。このままだと、ともみさんや祥子さんのためにも、なんてことになるんじゃないの。そうなると、誰のことを想っているのか、私にもわからないわ」
 琴美は、ベッド脇に椅子を引き寄せ、そこに座った。
「私は、自分の息子のことを信じているけど、でも、それでも不安になるわ。なにかあったら、あの人に、祐太さんに申し訳ないし」
「大丈夫だよ、母さん。僕が一番好きなのは、柚紀だけだから。たとえどんなことがあっても、それだけは変わらない」
「本当に?」
「本当だよ。確かに、鈴奈さんや紗絵、それにともみ先輩や祥子先輩のことは、ほかの僕を想ってくれてる人よりも大事に想ってる。でも、それは柚紀とは比べられないし、比べたくもない。僕にとって柚紀は、本当にかけがえのない大事な存在だから」
 圭太の真摯な想いが、琴美にも伝わる。
 それを聞き、琴美も少し表情を和らげた。
「あなたにそこまで言わせる柚紀さんが、少し羨ましいわ。同じ女として、ひとりの男性にそこまで想われていれば、本当に幸せなことよ」
「母さんだって、父さんに想われていたでしょ?」
「ええ、そうよ。あの人は、亡くなってからもずっと、私のことを想っていてくれてる」
「僕は、そんな父さんと母さんみたいな関係を、柚紀と築き上げたいんだ。だから、大丈夫だよ」
「そう、そこまで考えていたの。母親である私がそのことに気づかないなんてね」
 少し自嘲気味に笑う。
「いいわ。もう少しだけ、あなたのことを信じてあげる。もし必要なら、柚紀さんにも誤魔化してあげるから。でも、恋する乙女の勘は鋭いから、あまり意味はないと思うけど」
「それでいいよ。もし柚紀に知られたら、僕はすべてを話すから。正しいことか間違ったことかは結果を見ないとわからないけど、僕は信念を持ってやってるから」
 圭太は、琴美が思っていたよりも、ずっと深いところまで考えていた。そこには圭太なりの信念があり、それを貫く覚悟もあった。
 母親として琴美は、そんな息子のことを見守るのが、つとめだと思っていた。
「本当に、あなたは、過ぎた息子よ……」
 そう言って琴美は、圭太の額に軽くキスをした。
「あなたの想いはわかったから、今はゆっくりと休みなさい」
「……ありがとう、母さん」
 そんな言葉に送られ、琴美は部屋をあとにした。
「祐太さん。あなたと私の息子は、私たちの想像を遙かに超えた、立派な息子に成長していますよ」
 そう呟いた琴美の顔には、本当に嬉しそうな、幸せそうな笑みがあった。
 
 一年一組、朝のホームルーム。
「──連絡事項は以上よ。それと、今日は高城くんは風邪でお休みだから」
 窓際の後ろから二番目。圭太の席は、空いていた。
 優香が教室を出て行くと、早速美由紀が柚紀のところへやって来た。
「圭太、休みなんだね」
「うん、そうだね……」
 柚紀は、心配そうな眼差しで、その席を見つめる。
「まあ、風邪だってことだから、そんなに心配することもないと思うけど」
「うん、そうだね……」
 しかし、言葉とは裏腹に、柚紀はもう今にも倒れそうなくらい、心配していた。
 そんな柚紀を、美由紀は複雑な表情で見つめていた。
 
 圭太が休んだことは、あっという間に一高中に広まった。とはいえ、それが伝わっているのは、主に吹奏楽部の面々にである。
 特にともみと祥子は、休み時間にわざわざそれを確認しに教室へ来たくらいである。
 休みを確認すると、この世の終わりとばかりに落ち込み、そのままふらふらと自分の教室へと戻っていった。
 そして、それは一高だけではなかった。
「先輩が、風邪……?」
 琴絵は登校してすぐに三年の教室へ出向いた。紗絵に会うためである。
 そこで圭太が風邪を引いたことを話し、誕生会も体調が戻らない限りはやらないと説明した。
「じゃあ、先輩は休んでるんだ」
「はい。それほどひどいわけじゃないんで、ひょっとしたら夕方までにはだいぶ回復しているかもしれませんけど」
 紗絵の耳には、琴絵の言葉もあまり届いていなかった。
「あの、紗絵先輩」
「うん?」
「できるかできないかは、放課後に家に電話して確認しますから、それまでは帰らないでいてもらえますか?」
「そうしてくれると助かるわ」
「はい」
 
 圭太が風邪を引いたことを聞き、ショックを受けている者が、もうひとりいた。
 鈴奈である。
 その日の鈴奈は、午前中に講義を受け、午後から『桜亭』にやって来た。そこではじめて琴美から風邪のことを聞いた。
 店に出る前に一度圭太の部屋に様子を見に行ったが、圭太は眠っていた。
 穏やかな寝顔で、とても具合が悪いようには見えなかった。
 鈴奈は、そんな圭太に軽くキスをしてバイトに出ていた。
 それでもその日の鈴奈の仕事ぶりは、目に見えて不調だった。理由がわかる琴美は、そんな鈴奈をなにも言わないでサポートしていた。
 
 放課後の時間になり、琴美は圭太の様子を見に、部屋へ行った。
 部屋に入ると、圭太はまだ眠っていた。本当に具合が悪い時はよく眠ると言うが、本当にそういう感じだった。
 琴美は圭太の熱を測り、とりあえず熱は下がったことを確認した。あとは、起きた時に本人の状態を見て、最終的な判断をするだけである。
 一度店に戻ったところで、電話が鳴った。
 それは、琴絵からの電話だった。
『お母さん、お兄ちゃんの様子は?』
「とりあえず熱は下がったけど、今はまだ寝ているわ」
『そっか。じゃあ、今日は中止かな?』
「そうね、このままだと中止ね。でも、お見舞いくらいならいいわよ。紗絵ちゃんに、そう伝えて」
『あっ、うん、わかった。それじゃあ』
 受話器を置くと、鈴奈がじっと琴美のことを見ていた。
「圭くん、大丈夫なんですか?」
「ええ。熱は下がったから、もう心配ないと思うわ。もともとそんなにひどいものじゃなかったしね」
「そうですか……」
 鈴奈はホッと胸をなで下ろした。
「鈴奈ちゃんも、圭太のために、なにか用意してるんでしょう?」
「えっ、あ、はい」
「それが無駄になるかどうかは、もう少し様子を見てからね」
「はい」
 
 それから少しして、『桜亭』にともみがやって来た。
「こんにちは」
「あら、いらっしゃい、ともみさん」
「あの、圭太が風邪だって聞いたんですけど」
「ええ、そうなの。でも、もう熱も下がったから大丈夫よ」
「そうですか……」
 それを聞き、ともみもホッと胸をなで下ろした。
「ともみさんの役目は、圭太の様子見、というところかしら?」
「あ、はい、そうです」
「じゃあ、少し待っていてもらえる?」
「はい」
 ともみを店で待たせ、琴美は再び圭太の部屋へ。
 すると、今度は圭太は起きていた。
「大丈夫?」
「うん、一日寝たから、だいぶよくなったよ」
 そう言う圭太の顔は、確かに朝よりだいぶよくなっていた。
「今、ともみさんが来てるんだけど、どうする?」
「ともみ先輩が?」
「たぶん、学校にいる柚紀さんや祥子さんにあなたの状況を伝えるためだと思うわ」
「そっか……じゃあ、母さん。悪いんだけど、伝言を頼むよ」
「ええ、いいわよ。それで、伝言は?」
「楽しみに待ってるから。それだけでいいよ」
「そ、わかったわ」
 琴美はそれを確認し、店に戻った。
「お待たせ」
「それで……?」
「ちょうど起きたところで、ともみさんたちに伝言をもらってきたわ。楽しみに待っているから、だそうよ」
「……わかりました。あの、それじゃあ、私は一度戻ります」
「ええ、また、あとで」
 ともみは、軽く頭を下げ、駆けていった。
 と、それと入れ替わるように、『桜亭』に紗絵がやって来た。少し息が上がっているところを見ると、走ってきたようである。
「こんにちは」
「いらっしゃい、紗絵ちゃん」
「あの、先輩の様子は、どうですか?」
「今、ちょうど起きたところなの。よかったら、話し相手になってくれる?」
「はい」
 紗絵は、はやる気持ちを抑えつつ、圭太の部屋へ。
 ノックをし、中に入る。
「先輩、大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。ちょっと熱が出たくらいだから」
 そう言って圭太は微笑んだ。
「私、心配で心配で、授業は全然手につかなかったんです」
 紗絵は、今にも泣き出しそうな顔で、そう言う。
「ごめん、心配をかけて」
「いえ、いいんです。必要以上に心配してしまったのは、私なんですから」
「そっか……」
 そう言われては、圭太もなにも言えない。
「あっ、先輩。お誕生日おめでとうございます」
「ありがとう」
「本当はプレゼントとか用意したんですけど……」
「それなら、今日、できればもらいたいな」
「えっ、いいんですか?」
「うん。夕方、もう夜になっちゃうかな。それくらいから琴絵主催でやると思うから」
「じゃ、じゃあ、私、取りに戻ります」
 言うが早いか、紗絵はあっという間に部屋を出て行った。
「あら、紗絵ちゃん」
「あの、一度家に戻ります。それで、またあとで来ますから」
「そう、わかったわ」
「失礼します」
 紗絵は、来た時と同じように駆けていった。
 紗絵を見送った琴美は、鈴奈にも言った。
「鈴奈ちゃんも、手が空いたらいいわよ、戻っても」
「ありがとうございます。これを終えたら、少しだけ戻ります」
「ええ」
 
 陽がだいぶ傾いた頃、圭太は着替えて下に下りてきた。
 当然のことながら、一階には誰もいない。洗面所で顔を洗い、軽く髪を整える。
 店の方に顔を出すと、早速鈴奈が心配そうに寄ってきた。
「圭くん、もう起きても大丈夫なの?」
「ええ、大丈夫です。心配をかけてしまったみたいで」
「ううん、気にしないで。それよりも、圭くんが大丈夫だった方が嬉しいから」
 そう言って鈴奈は微笑んだ。それは、今日はじめて見せた心からの笑みだった。
「圭太。病み上がりなんだから、少しおとなしくしてなさい」
 そこへ、琴美の軽い叱責が飛んできた。
「うん、わかってる。それじゃあ、鈴奈さん」
「うん、あとでね」
 圭太はそう言ってリビングに戻った。
「まったくあの子は……」
 琴美は、圭太を見送りながらそう呟いた。
「鈴奈ちゃんも、とんでもない子を好きになってしまったわね」
「ふふっ、確かにそうですね。でも、それはそれで楽しいですよ」
「それは、圭太に想われてるっていう自信から来るのかしら?」
「さあ、どうでしょうか?」
 それから少しして、ともみと紗絵が戻ってきた。ともに制服ではなく、一度家に戻っている。
「もう、こんな大事な日に風邪を引くなんて。ホント、罪作りな男よね、圭太は」
 ともみは、結構元気な圭太を見て、そんな憎まれ口を叩いた。
「でも、起き出しても大丈夫なんですか?」
 紗絵は、それでも心配そうである。
「大丈夫よ。圭太はこう見えても結構頑丈なんだから」
 そう言ってともみは笑った。
「ともみ先輩にも紗絵にも心配をかけてしまって」
「なに言ってるのよ。今こうして圭太は治してここにいるでしょ? それでいいのよ」
「そうですよ。過ぎたことはいいんですよ」
 先輩と後輩は、そんなことを言う。
「それにしても、圭太のことを伝えた時の柚紀と祥子は見物だったわよ」
「どんな感じだったんですか?」
「そうね、たとえて言うなら、操り人形の糸をぷっつりと切った時みたいかな。その場にへろへろって座り込んじゃって。まあ、ふたりとも授業も部活もまったく手につかなかったみたいだから、無理もないとは思うけど」
「ともみ先輩もそうだったんじゃないんですか?」
「私? まあ、それは否定しないけどね」
 紗絵の言葉を、意外にすんなりと認めた。
「ただいま」
 そこへ、琴絵が息を切らして帰ってきた。
「お兄ちゃん、もう大丈夫なの?」
 カバンも置かず、圭太に詰め寄る。
「大丈夫だよ」
 圭太は笑顔でそう応える。
「そっか、よかったぁ……」
 琴絵も安心したように笑みを浮かべた。
「ほらほら、琴絵ちゃん。圭太が大丈夫だったんだから、やること、たくさんあるでしょ?」
「あっ、はい。そうですね。じゃあ、ちょっと着替えてきますから、待っててください」
 早速二階へ駆け上がっていく。
「ホント、琴絵ちゃんはお兄さん想いのいい子ね」
 ともみのその言葉に、圭太はなにも言わずただ笑みを浮かべるだけだった。
 
 圭太の誕生会は、華やかな雰囲気ではじまった。
 それはそうである。圭太以外の出席者は全員女性なのだから。
「えっと、それじゃ、お兄ちゃんの誕生日会をはじめたいと思います」
 主催は琴絵である。
「最初に、お兄ちゃんにロウソクの火を消してもらいます」
 圭太の前に、琴絵お手製のバースデーケーキが置かれた。
 立っているロウソクの数は、十六。
 圭太は部活仕込みの肺活量で、その火を一気に吹き消した。
「おめでとう、お兄ちゃん」
「圭太、おめでとう」
 口々に圭太に祝いの言葉を言う。
 それからケーキを切り分け、ジュースを飲みながら楽しむ。
 テーブルの上には、それぞれが作ってきたお菓子などが載っている。どれもこれもかなりのできばえで、それぞれの想いがひしひしと伝わってきた。
 この時ばかりは、恋のライバルたちも、そのことを忘れて一緒に楽しんでいた。
 頃合いを見計らい、プレゼント贈呈となった。
「じゃあ、まずは差し障りのないところで、私からね」
 そう言って琴美が最初に渡した。
「開けてもいい?」
「ええ」
 全員の注目が集まる。
 それは、ネクタイだった。
「正装は制服だけど、それをする機会も出てくるだろうからね」
 琴美はそう説明した。
「ありがとう、母さん」
「うん」
「じゃあ、年功序列ということで、次は私ね」
 次は鈴奈。
「はい、圭くん」
 鈴奈のは、少し大きめの包みだった。
 それは、靴だった。バックスキンの革靴である。
 見ただけでそれなりに値が張りそうなだけに、さすがの圭太も驚いていた。でも、圭太はあえてそのことには触れず、ただ感謝の意を表しただけだった。
「それじゃあ、次は私か」
 次はともみ。
「はい、圭太」
 ともみのは、それほど大きくない包みだった。
 それは、腕時計だった。アナログタイプのシックなデザインで、ともみのセンスの良さが伺える。
「次は私ね。気に入ってもらえるかどうかはわからないけど」
 そう言って祥子は手渡した。
 それは、手編みのマフラーだった。できばえも見事なもので、なんでもこなせる祥子ならではのプレゼントだった。
「次は私。はい、圭太。おめでとう」
 次は大本命、柚紀である。
 さすがに柚紀のは注目の度合いも違う。
 それは、手編みのセーターと一枚のMDだった。
「そのMDには、ちょっとした仕掛けがあるから、あとで聞いてみてね」
 そう言って柚紀は微笑んだ。
「えっと、次は私ですね」
 次は紗絵。
 紗絵のは大きさで言えば鈴奈と同じくらいだった。
 それは、木製のオルゴールだった。飾りは、小人がみんなで騒いでる光景を作ったものだった。
「最後は私だね。はい、お兄ちゃん」
 そして、最後は琴絵。
 それは、ひとつは置き時計。もうひとつは──
「お役立ち券?」
「うん。私がお兄ちゃんのためになんでもするから。遠慮なく使ってね」
 そうしてプレゼント贈呈は終わった。
 あとはもう、みんなでわいわいと騒ぐだけ。
「ホント、圭太がいなくて淋しかったんだから」
「ごめん」
「でも、こうしてちゃんとお祝いもできたし、結果オーライかな」
 そう言って柚紀は笑った。
「今年の誕生日は、今まで一番嬉しい誕生日になったよ」
「そうなの?」
「みんなが、これだけ僕のことを心から祝ってくれたからね」
「そっか」
「もちろん、その中でも柚紀が一番だけどね」
「ふふっ」
 そして、適当な時間で誕生会はお開きとなった。
 もともと病み上がりの圭太なので、誰も文句は言わなかった。
 念のため、圭太も早めに床に就いた。
 こうして、圭太の十六回目の誕生日は、とてもいい雰囲気の中過ぎていった。
 
 二
 十一月十四日。
 その日は朝から小雨が降り、肌寒い日だった。
 アンサンブルコンテスト地区大会当日。
 圭太たち一高も参加するその大会の一日目、高校の部などが行われる。
 場所は市民会館小ホール。さすがにアンサンブルを行うだけで大ホールはなかなか使わない。もちろんそれも会場次第で、さらに言えば地方大会や全国大会は大きなホールで行われる。
 出場するのはクラリネット四重奏、金管五重奏、打楽器五重奏である。
 部活は次の週に後期中間テストがあるため、休みに入っている。従って、基本的にはアンコンに参加する十四人だけである。もちろん、その演奏を聴くため、何人もの部員が応援に駆けつけてはいたが。
 演奏の順番は、打楽器、金管、クラリネットだった。
 打楽器五重奏に参加するのは、純子、弘美、葵、柚紀、武の五人である。
 打楽器でのアンサンブルは、かなりのレベルが求められ、また、その審査も難しい。ほかの楽器と違い、単に音だけで判断できない部分が多いのだ。マリンバやビブラフォンなどは音階があるが、スネアドラムやバスドラムにはない。そういうのは、音の出し方やリズムなどで判断される。当然アンサンブルであるから、全体としての『音』も重要ではある。
 打楽器五重奏は、高校の部の最初の方で、一高ということでかなり期待されていた。
 小さなホールに打楽器の小気味よい音が響き渡る。その演奏だけを聴けば、とても一ヶ月ちょっとの演奏とは思わないだろう。
 五分間の演奏が終わる。
 次は金管五重奏。その完成度の高さは、参加している三つの中でも群を抜いていた。
 いい緊張感の中、演奏がはじまった。
 圭太は一日の休みを感じさせない最高の演奏を披露した。それに引っ張られるように、二年の四人も最高の演奏を見せた。
 そして、最後に登場するのが、クラリネット四重奏。メンバーは、祥子、晴美、美代、ゆかりの二年生カルテットだった。
 クラリネットは少々難しい曲に挑戦したため、完成度はそれほどにはならなかったが、それでも観客を魅了できるだけの演奏はできた。
 演奏後、部員たちはホールの外に集まっていた。
「金管は、県大会は堅いと思うわ」
 それぞれにそれぞれの演奏を批評する。
 部員たちの統一の見解としては、やはり金管は最右翼ということだった。それに続いて打楽器、クラリネットという感じ。
「そういえば、圭太はアンコンの経験はどうなんだ?」
「二年の時に県大会まで行きました。去年は三年だったので不参加でしたけど」
「圭太でも県大会止まりか。さすがにアンコンは甘くないな」
 アンサンブルコンテストは、ある意味ではコンクールよりも難しい。それは、三人から八人という少人数で行うということもそうだが、演奏者ひとりひとりのレベルを高く、また揃えなくてはならないということがある。
 誰かひとりだけ上手くても、上の大会には進出できない。
 そういう点でも、金管五重奏は全員のレベルも高く、また揃っていた。従って、県大会はおろか、関東大会進出も夢ではないと言われていた。
 閉会式は、コンクールと同じように講評からはじまった。
 小さなホールにいっぱいの出場者、観客がいる。
 結果発表。
『県立第一高等学校、打楽器五重奏、金賞』
『県立第一高等学校、金管五重奏、金賞』
『県立第一高等学校、クラリネット四重奏、金賞』
 三つとも金賞という、快挙を成し遂げた。
『最後に、一月に行われる県大会へ出場するのは──』
 
「いや、まさか全部とは驚いた」
 仁は少し興奮した様子で言う。
 結局、県大会へは三つとも進出した。加えて言うなら、金管が一位、打楽器が二位、クラリネットが三位だった。つまり、地区大会の上位を一高が独占したわけである。
 そのことに一番驚いていたのは、やはりクラリネットの四人である。完璧とは言えない演奏だったため、金賞ということだけでも驚いていたのだ。
「みんな、おめでとう」
 そこへ大会の手伝いをしていた菜穂子がやって来た。
「まさかこんな結果になるとは、私もちょっと驚いているわ」
 菜穂子までそんなことを言う。
「でも、みんなの演奏はそう評価されるに値するものだったのは事実よ。次は県大会。県大会までは少し時間があるから、その間に今日以上の演奏ができるようにがんばって」
『はいっ』
「今日はおつかれさま。今日はゆっくり休んで、明日からはテストに向けてしっかり勉強するのよ。みんなはほかよりも遅れてるんだから」
 最後に苦言を呈すことを忘れず、菜穂子は戻っていった。
「それじゃあ、私たちも帰りましょう」
 圭太たちは、笑顔で市民会館をあとにした。
 
 十一月十九日。
 この日から一高では後期中間テストがはじまった。一、二年にとってはなんの変哲もない定期テストだが、三年にはまったく意味が違った。
 それは、このテストが最後の定期テストとなるからだ。本来なら二月に後期期末テストが行われるのだが、三年はその頃、受験の時期と重なる。そのため、三年は期末テストはなく、この中間テストが最後となる。
 最後ということは、このテストまでの三回で、単位分の点数を取らなくてはならないということである。せっかく大学に合格できても、単位が足りなくて卒業できない、なんてこともあり得る。
 だからこそ三年はこのテストに全力を傾ける。特に赤点常習者やそれに準じるような者はなおさらである。
 しかし、今年は幸いにして、四日間のテスト期間中に、三日間の休みがあった。従って、効率的に勉強ができた。
 そして、あっという間にテスト期間は終了した。
 
 十一月二十五日。
 テスト最終日でもあったその日、吹奏楽部ではミーティングが行われていた。とはいえ、それは全員のミーティングではなく、首脳部とパートリーダーのみのミーティングだった。
「それで、毎年恒例のクリスマス演奏会のことなんだけど」
 クリスマス演奏会とは、県の吹奏楽連盟が主催して行う演奏会のことである。ここではコンクールではできないような合同演奏も可能で、お祭りの意味合いが強い演奏会である。
 これには県内のかなりの数の団体が参加する。たいていはふたつ以上の団体と合同演奏をし、多いところでは百人を超えるところもある。
「例年だとうちは二高、三高と合同でやるんだけど、今年もそれでいい? 一応、双方から打診が来ているの」
 県立第二高等学校はその名が示すように、一高のあとにできた公立高校で、その偏差値レベルも一高に次いで高い。
 吹奏楽部は中編成の部に出場しており、今年は惜しくも県大会止まりだった。現在の部員は三年が引退し、二十六人という数だった。
 県立第三高等学校は、二高のあとにできた、比較的新しい高校である。やはり進学校で、そのレベルも高い。
 吹奏楽部は二高と同様、中編成の部に出場しており、こちらも県大会止まりだった。現在は総勢三十人である。
 この三つの高校が合同で行うと、九十六人というビッグバンドが誕生する。
「連盟へのエントリーは比較的ゆっくりだけど、その前から何度かあわせて練習しないといけないから、今日中に結論を出さないと」
 そう言って祥子はそれぞれの意見を求めた。
「別にいいんじゃないか? 今更それを蹴って、ほかとできるわけじゃないし」
 徹はそれを肯定する。
「全部で九十六人か。結構多いわね。練習とかは、やっぱり体育館を使うことになるわけか」
「冬の体育館は寒いからイヤなのよね」
「じゃあ、今年も三校合同でいい?」
 誰からも異議の声はない。
「それじゃあ、私から向こうの部長にその旨を伝えておくから。たぶん、週末に合同ミーティングをすることになると思うわ。今ここにいるメンバーはどこで行う場合でも全員参加だからね」
 それから首脳部を除いて解散された。
「祥子。向こうはどんな曲を候補に上げてるんだ?」
「えっとね、二高がスパークの『祝典のための音楽』と『シングシングシング』よ」
「うはっ、こりゃまた面倒なのを。で、三高は?」
「三高は、エルガーの『威風堂々第一番』と『主よ、人の望みの喜びを』よ」
「ん〜、こっちはまだましか。どう思う、圭太?」
「そうですね、どれも大編成でやるにはいいと思います。ただ、『祝典』は短期間でどこまでできるか」
「うん、そうよね」
 圭太の意見に、祥子も仁も頷く。
「じゃあ、うちはそれを参考にしつつ、独自案を出さないといけないな」
「なにかあるかな?」
「そうですね……」
 三人ともしばし沈黙。
「『ローマの松』なんかどうですか?」
「アッピア街道か?」
「はい。今年はちょうど『祭り』もやりましたから」
「確かに大編成なら金管も多いから、最後はかなり迫力あるだろうな。まあ、いいんじゃないか。俺には異論はない」
「私もいいと思う。それじゃあ、ひとつは『ローマの松』ということで。あと一曲」
「やっぱりオリジナルかクリスマスっぽいのだよな」
「リロイ・アンダーソンの『そりすべり』ですか?」
「あれはらしい曲だけど、いまいちだな」
「どうせだから、スパーク繋がりで『オリエント急行』はどうかな?」
「あれか? あれも難しい曲だな。面白い曲だとは思うけど」
「いいんじゃないですか? どうせ候補曲なんですから。それに決まるかどうかはわかりませんし」
「ま、それもそうだな」
「それじゃあ、うちの候補曲はその二曲でいいかな?」
「ああ」
「はい」
 祥子は紙にそれを書き留める。
「うん、これでとりあえずおしまい」
「楽譜はどうするんだ?」
「あっ、そっか。じゃあ、仁、圭くんと一緒に探してもらえるかな?」
「わかった」
「私は先生に報告してくるから」
 そして三人はそれぞれの役目に散った。
 
 その日の夜。
「お兄ちゃんたちは、二高と三高とやるんだ」
「うん。琴絵たちは、去年と同じか?」
「そうだよ。それと、今年は東中も一緒。だから、四校合同なの」
「東中って、確か小編成に出てたかな」
「うん。人数が少ないってことと、今年から顧問の先生が替わって、それで佳奈子先生のところにそういう話が来たんだって」
「なるほど」
 圭太は琴絵の説明に頷いた。
 三中は、このところは近くの二中と本町中と合同でやっていた。それに今年は東中が加わる。
「人数は?」
「えっと、九十三人だったかな?」
「九十三人か。うちとそれほど変わらないか」
「お兄ちゃんたちは何人なの?」
「うちは九十六人。まあ、どっちにしてもかなりの人数だよ。練習もひと苦労だろうし」
「そうだね。でも、例年通りなら私たちはどこにも行かないよね」
「一番人数が多いからな。その分楽器とかの搬送も面倒だし」
 小さな楽器ならいいが、大きな楽器は運ぶのもひと苦労である。特に練習だけだと連盟の車は使えず、自前でなんとかするしかない。打楽器は練習をする学校のを使うからいいが、そのほかはそういうわけにはいかない。
 そうすると自然と場所は限られてくる。
「はあ、でも、私はそれよりも大変なことがいっぱいだよ」
「部長だから、か?」
「うん。基本的な連絡は先生がやってくれるけど、練習の時はやっぱり各学校の部長が中心だし」
「でも、それは部長だから仕方がない」
「それはわかってるけど。ねえ、お兄ちゃんの時はどうだったの?」
「あの時は、それほど苦労はしなかったかな? 意外になんとかなるって」
「そっか」
 先輩でもある圭太のアドバイスで、琴絵も少し安心したようである。
「ん〜、安心したら、眠くなっちゃった」
 そう言ってそのまま圭太のベッドに横になる。
「今日は、ここで寝ようかなぁ」
「じゃあ、僕は琴絵の部屋で寝る?」
「ううぅ〜、お兄ちゃんいぢわるだよ〜」
 琴絵は手足をバタバタと動かし、駄々をこねる。
 これで学校では成績優秀の優等生で、部活では絶大な信頼を集めている部長なのだから、世の中不思議である。
「こら、琴絵。そんな格好でバタバタするんじゃない」
「ううぅ〜……」
 珍しく圭太がビシッとたしなめる。
 まあ、兄としては妹のそういうところはしっかりとしつけておきたい、そんなところだろう。
「まったく、琴絵は本当に甘えん坊だな」
「そうだよ。私は甘えん坊なの。特に、お兄ちゃんにね」
 まったく悪びれた様子もなくそう言う。
「ねえ、お兄ちゃん」
「うん?」
「一緒にお風呂、入ろうか?」
「えっ……?」
「前はよく一緒に入ったでしょ? ねえ、入ろうよ〜」
「いや、でもな、琴絵……」
 予想だにしなかった展開に、さすがの圭太も困っている。
「お兄ちゃんってば〜」
 こうなると琴絵は非常にやっかいである。基本的には過ぎた妹なのだが、兄に似て案外頑固なところがある。
 一度言ったことはそう簡単に引っ込めない。
「はあ……しょうがない」
「ホント?」
「今日だけ特別」
「あはっ、ありがとっ、お兄ちゃんっ」
 そう言うや否や、琴絵は思い切り圭太に抱きついた。
 
 兄が妹と風呂に入るだけ。
 圭太はそう自分に言い聞かせていた。
 しかし、琴絵も十四歳、年頃の女の子である。出るところは出てきているし、引っ込むところは引っ込んできている。昔のように見られるか、それが圭太には心配だった。
 風呂場には先に圭太が入っていた。
 少し緊張した面持ちで琴絵を待つ。
「えへへ、お兄ちゃん」
 琴絵は、タオルで前を隠しながら入ってきた。
 タオルと湯気ではっきりとはわからないが、琴絵の肢体は同年代の中でもかなりのものだった。
 かけ湯をして湯船に入る。
「ちょっと、狭いかな?」
 さすがにふたり入るとかなり窮屈である。向き合うように入って、あまり身動きがとれなくなる。
「こうやってお兄ちゃんと一緒にお風呂入るの、何年ぶりかな?」
「僕が中学に上がった頃だから、もう三年か」
「そっか、もうそんなに経つんだ」
 琴絵は感慨深そうに頷く。
 昔からとても仲の良かったこの兄妹は、小学校の頃は結構一緒に入っていた。
 しかし、圭太も中学に上がり、少しずつ身体的な特徴が現れてくる。さらにまわりからいろいろな話を聞くようになり、次第に一緒に入らなくなった。
 琴絵としてはいつまでも大好きなお兄ちゃんと一緒に入りたかったのだが、それもかなわなくなった。
 今でこそ圭太がそうした理由がわかっているが、当時はかなりショックだった。お兄ちゃんに嫌われてしまったんじゃないか、そう思ったくらいである。
「お兄ちゃん、背中流してあげる」
 圭太は椅子に座り、琴絵に背中を向けた。下半身にはちゃんとタオルがかけてある。
「んしょ、っと」
 琴絵は一生懸命圭太の背中を流す。
「お兄ちゃんの背中、やっぱり大きいね」
 圭太は前を向き、下を向いていた。
 後ろを見れば、どこも隠していない琴絵がいるのだから、それはある意味では当然かもしれないが。
「んしょ、んしょ」
 丁寧に背中を流す。最後にお湯をかけて終わる。
「はい、終わったよ」
「ん、ありがとう」
 と、琴絵はその体をピタッと圭太の背中にあわせた。
「こ、琴絵……?」
 突然のことに、かなり狼狽する圭太。
 ふたつのふくらみを、背中に感じる。
「お兄ちゃん……私、これだけ成長したんだよ」
「あ、ああ……」
「柚紀さんと一緒にお風呂に入った時、言われたの。私、まだまだ成長するって。お母さんみたいになれるかもって。お兄ちゃんもそう思う?」
「あ、ああ……」
「よかった……」
 浴槽に水滴が落ちる音が響く。
「……私たち、兄妹じゃなかったら、エッチなこともできたのにね」
「琴絵……」
「それくらいお兄ちゃんのことが好きってことだよ」
 そう言って琴絵は圭太から離れた。
 と。
「えっ、お兄ちゃん……?」
 今度は、圭太が正面から琴絵を抱きしめていた。
「おにい、ちゃん……」
 琴絵はそっと目を閉じた。
 圭太はその琴絵の唇に、自分の唇を重ねた。
 キスをする兄妹はいるだろう。だが、そこにあるのはあくまでも兄妹間の愛情。
 しかしながら、圭太と琴絵のそれは、それ以上のものがあった。
「キス、しちゃったね」
「ああ……」
「私、後悔してないよ。だって、大好きなお兄ちゃんとのキスだもん」
 琴絵は、潤んだ瞳で圭太を見つめる。
「もう一度、キス、しよ」
 そう言って今度は琴絵からキスをした。
 それからふたりはもう一度湯船に浸かった。今度は、圭太が後ろから琴絵を抱く形で。
「お兄ちゃん、私の胸、触って……」
 琴絵は、圭太の手を自分の胸に導いた。
「ん……」
 少し触れただけで、琴絵から声が漏れた。
「私の胸、大きい方なんだって。同じ頃の柚紀さんよりも大きいって」
「そっか……」
 琴絵の胸は、とても柔らかかった。
 その胸が妹の胸だと判断できなくなりそうなくらい、魅力的だった。
「あ、お兄ちゃん……」
 すると、琴絵が声を上げた。
「お兄ちゃんの、大きくなってる……」
 腰のところに圭太のモノを感じ取る。圭太のモノは、だいぶ硬く大きくなっていた。
「私で、大きくなったの……?」
「琴絵が、魅力的だから……」
「嬉しい……」
 琴絵は、嬉しそうに微笑んだ。
「でも、お兄ちゃん、そのままだとつらいでしょ?」
「まあ、でも、放っておけば元に戻るから」
「……私が、してあげる」
 
「ん、お兄ちゃん……」
 琴絵は、圭太にキスをした。
 場所を風呂場から圭太の部屋に移し、ふたりはベッドの上で抱き合った。
「お兄ちゃんは、そのままでいいからね……」
 圭太をベッドに座らせ、琴絵はその前に跪いた。
 ズボンとトランクスを脱がすと、まだ元気な圭太のモノが飛び出た。
 琴絵はそれをまじまじと見つめ、そっと手で握った。
「ん……」
「わ、すごい、びくんびくんしてる」
 琴絵の反応はとても初々しく、さらに言えばそういう知識があるようには見えない。
「えっと……」
 琴絵は少し考え、手を動かしてみた。
 ぎこちない手つきで竿から亀頭のあたりを擦る。
「気持ち、いいの、お兄ちゃん?」
「あ、ああ、すごく気持ちいい……」
 すでに圭太の思考は麻痺していた。そうでなければ、妹の琴絵に自分のモノなどしごかせない。
 少しその動きを速くする。
 すると、その先端から透明の液体が出てきた。
「なにか、出てきたよ……」
 そこから出てくるものは二種類しかないと思っていた琴絵は、それに驚いていた。
「それは、気持ちよくなると出てくるんだ」
「精液、とは違うの?」
「少し違う」
「そうなんだ……」
 琴絵はその液を指ですくい、ぺろっと舐めた。
「あんまり、味はしないね……」
 そういうことにすごく興味を持つ年頃である琴絵は、何事にも積極的だった。
「……こうすると、もっと気持ちいいかな?」
 そう言って琴絵は圭太のモノを舐めた。
「うっ……」
 鋭い刺激が圭太の体を突き抜けた。
 舌先でぺろぺろと舐め、少しだけためらい、そしてそれを口に含んだ。
 琴絵の小さな口に、圭太のモノが入る。
「ん、ん……」
 琴絵は、アイスキャンディーを舐めるように、圭太のモノを舐める。
 少しずつ圭太の息が上がってくる。
「気持ち、いい?」
「あ、ああ……」
 すでに圭太は限界に近かった。
 実の妹に舐められているという背徳感が、その快感をより強いものにしていた。
「ん、んふ……」
 琴絵も少しずつ大胆になっていた。
 ぴちゃぴちゃと淫靡な音を立て、一心不乱にモノを舐める。
「うっ、出るっ」
 同時に──
「きゃっ!」
 圭太は琴絵の顔にその白濁液をぶちまけていた。
「ご、ごめん、琴絵……」
 精液まみれになった琴絵を気遣う圭太。
「これがお兄ちゃんの……」
 琴絵は、それを指ですくい、舐めた。
「うっ、苦い……」
 すぐに顔をしかめた。
 圭太は、ティッシュで琴絵の顔を拭いてやる。
「私でも、お兄ちゃんを気持ちよくさせられたね」
「ああ……」
「ねえ、お兄ちゃん……」
「ん?」
「今度は……私も、気持ちよくなりたい……」
「琴絵……」
 圭太は、琴絵を抱きしめ、キスをした。
 そのまま壁を背にベッドの上に座り、その前に琴絵を後ろ向きに座らせる。
「あ……」
 そして、そのまま琴絵の胸に手を添える。
 今度は、あてがうだけではなく、気持ちよくするために、手を動かす。
「ん、あ……」
 パジャマ越しに胸を揉む。
「お、お兄ちゃん……」
 パジャマをたくし上げ、今度は直接触れる。
 ぷっくりとふくらんだ先端の突起を、指でつまむ。
「んあっ!」
 びくんと琴絵の体が跳ねる。
「す、すごい、きもち、いいよ、おにいちゃん……」
 荒い息の下、琴絵はそう言う。
 しばらく胸をもてあそんでいたその手を、今度は下腹部に持っていく。
 琴絵は、それを押しとどめようとしたが、かなわなかった。
「い、いやっ……」
 圭太は、ショーツの間に手を滑りこませ、琴絵の秘所に直接触れた。
 まだ恥毛もあまりなく、そこはとてもすべすべしていた。
「お、おにいちゃん……」
 琴絵は、抵抗をあきらめ、少し、足を開いた。
「あ、お兄ちゃんの指が……」
 圭太は、琴絵の秘所をゆっくりとなぞった。
 秘唇に沿ってなぞると、琴絵はびくびくと震えた。
 そのまま少しだけ指を中に挿れる。
「んっ」
 琴絵の中は、とても狭く、それでも少し濡れていた。
 指を軽く出し入れする。
「ふああ、んんっ、お、おにいちゃん」
 今まで感じたことのない快感に、琴絵は身をよじってあらがおうとする。
 しかし、体の方は正直で、その快感を受け入れ、さらに男性器を受け入れる準備をしていく。
 圭太の指も、一本から二本に増えていた。
「お、お兄ちゃんっ、わたしっ、おかしくなっちゃうよぉ」
 止めどなく押し寄せてくる快感に、次第に流されていく。
「ダメっ、お兄ちゃんっ、きちゃうっ、なにかきちゃうよっ」
 圭太は、とどめとばかりにいっそう激しく指を動かした。
「いやっ、ああっ!」
 そして、琴絵は絶頂を迎えた。
「はあ、はあ、はあ……」
 指を抜くと、琴絵の蜜でびしょびしょだった。
「おにい、ちゃん……」
 うつろな瞳で圭太を見つめる。
「私、どうしちゃったの、かな……?」
「気持ちよくなって、イっちゃったんだよ」
「これが、イクってこと、か……」
 圭太の方にくたっと寄りかかり、余韻に浸る。
「お兄ちゃん……」
「ん?」
「私たち、こんなことまでしちゃったね……」
「ああ、そうだな……」
「……私ね、後悔してないよ。さっき、キスした時も言ったけど、お兄ちゃんだから。相手が、私の大好きな、ううん、私の愛するお兄ちゃんだから」
「琴絵……」
 圭太は、琴絵を自分の方へ向かせ、キスをした。
「……離れたくないよ……ずっと、お兄ちゃんと一緒にいたいよ……」
 それは、琴絵の本音だった。
 たとえそれがかなわないとわかっていても、今は、今だけは、それが言えた。
「琴絵の、琴絵だけの、お兄ちゃん……」
 その夜、ふたりは抱き合ったまま眠った。
 琴絵の表情は、とても幸せそうだった。
 
 三
 十一月二十八日。
 その日は朝から少し曇りがちだった。そのせいか気温も低く、上着が必要なくらいだった。
 一高吹奏楽部では、午前中にいつもと同じように部活が行われた。合奏はなく、個人練習とパート練習が主だった。
 そして午後。
 首脳部とパートリーダーは、クリスマス演奏会のための合同ミーティングに参加するため、会場となる二高へ向かった。
 二高は一高から少し離れた場所にあるため、交通手段が必要だった。ただ、二高自体があまり交通の便のいいところになく、最も活躍するのは自転車だった。
 普段から自転車で通っている部員は自転車で、普段は乗っていなくても自転車を持っている部員はこの日だけ自転車で。
 十三人のうち、自転車で行かなかったのは、圭太を含めて四人だけである。それは、祥子と彩子、それに純子だった。その中で彩子と純子が自転車ではないのは、電車通学だからである。さすがに一高まで自転車で来るのは大変である。
 圭太と祥子がそうなのは、圭太が祥子にあわせたからである。圭太は当然自転車にも乗れるし持っている。しかし、祥子はお嬢さま育ちのせいか、自転車に乗れなかった。自転車自体は家にあるのだが。
 そんなこんなで、圭太たちはバスを乗り継ぎ、二高へとやって来た。
 二高は一高と違って、住宅街の真ん中にあるわけではなかった。まわりにあるのは、市立の美術館や図書館。そんな文教地区にあった。
 最近建て替えられた校舎はまだ新しく、とても綺麗だった。
 先に出ていた自転車組は、すでに自転車を指示通り駐輪場にとめていた。
 祥子を先頭に職員玄関から中に入る。休みの日なので、教師もあまり来ていない。
 祥子はほとんど迷うことなく音楽室へとたどり着いた。
 それはそうである。祥子は去年も副部長としてここへ来ているのだから。
「失礼します」
 音楽室に入ると、二高吹奏楽部の面々が待っていた。数を見ると、一高と同じように首脳部とパートリーダーのみらしい。
「どうも、一高吹奏楽部部長の三ツ谷祥子です」
「わざわざ来てもらって。私が二高吹奏楽部部長、向野早苗です」
 二高の部長も女子だった。
 祥子よりも少し背が高く、髪はショートで、快活な感じがした。
「三高がまだ来てないので、少し待ってもらえますか?」
「わかりました」
 一高の面々は用意されていた椅子に座っていく。
 お互いにお互いを観察している。だいたいが二年なので、顔見知りもいるのだが、話すきっかけがなかった。
 それから少しして、三高の面々が到着した。
 三つの高校あわせて、だいたい四十人くらい。
「それでは、進行役は二高部長の私が務めさせていただきます」
 階段状の音楽室なので、進行役は必然的に前となった。ここでは、それぞれの高校の部長が前にいた。黒板書記と記録書記というところか。
「では、最初に現在までに決まっていることを確認します。まず、演奏会の本番は十二月二十三日。演奏の順番がどうなるかはまだわかりません。当日のことについては、決まり次第合同練習の時にでも知らせます」
 二高部長、向野早苗は実に聞き取りやすい話し方をした。
「次に、合同練習の日程です。これは人数や様々な事情を考慮し、現段階で最善と思われる場所、日程を決めました。まず、一回目は十二月六日の日曜日。場所は一高の体育館で行います」
 黒板に書くのは、三高部長、楠瀬千歳である。
 綺麗な文字で、とても読みやすい。
「二回目は、同じく十二月十三日の日曜日。場所は三高の体育館で行います。三回目は、十二月十九日の土曜日。場所は一高の体育館です。一応、現段階ではこの三回が決まっています。できれば前日にも練習をしたいのですが、現段階ではどこも場所がなく、交渉中です。もしどこか使えるところがあれば、途中の練習の時に知らせます」
 黒板に、これからの日程が記された。
「それと時間ですが、一回目と三回目、一高で行う時は午後一時から、二回目、三高で行う時は午前十一時からです」
 よどみなく議事は進んでいく。
「さて、練習日程は以上です。それでは次に、演奏する曲を決めたいと思います。事前にそれぞれから二曲ずつ候補を上げてもらいました。読み上げます。一高は、レスピーギ作曲交響詩『ローマの松』よりアッピア街道の松、スパーク作曲『オリエント急行』。二高は、スパーク作曲『祝典のための音楽』、プリマ作曲『シングシングシング』。三高は、エルガー作曲『威風堂々第一番』、バッハ作曲『主よ、人の望みの喜びを』。以上です」
 黒板に全六曲が書かれる。
「楽譜はそれぞれ候補を上げてもらった高校にあるので、どれでもできます。それでは、少し時間を取りますので、学校ごとに話し合い、一曲決めてください」
 それぞれの部長が戻り、話し合いがはじまった。
「どうする?」
 一高でも祥子を中心に話し合っている。
「『祝典』をやるとしたら、ほかに長いのは無理よね」
「そうね。となると、『シングシングシング』か『主よ』ね」
 裕美と真琴がそう言う。
「でも、さすがに『祝典』は無理じゃないか?」
「そうだな。時間がなさすぎる。それ一曲だけならできないこともないだろうけど」
 異を唱えたのは、功二と徹である。
「そうすると、まずは『祝典』は外すってこと?」
 純子が確認する。
「来年、うちのコンサートでやればいいだろ」
 信一郎が冗談めかしてそんなことを言う。
「でも、決めるのはとりあえず一曲よね。そうすると、どれが一番か、というわけね」
「一曲ねぇ……」
「ところで、うちのは誰が出したんだ?」
「『松』が圭太で『オリエント急行』が祥子だ」
 仁がそう説明する。
「ふ〜ん、なるほど」
「よし、俺は『松』に一票だ」
 徹がまずそう言った。
「やっぱ、『松』は金管が目立つからな。やりがいがある」
「確かに、それは言えてるな」
 頷くのは信一郎。
「同じ金管としては、同意するしかないわね」
「ま、そうね」
 久美子と真琴も頷く。
「祥子。金管がこう言ってるから、『松』でいいんじゃない?」
 それを受けて彩子がそう言った。
「オーボエはソロがあるしな」
「そういやそうだな。あと、ファゴットもあっただろ」
 いつみに視線が集まる。
「あるわね、確かに」
「じゃあ、『松』に決めてもいい?」
 誰からも異議はない。
 そして、一高は『ローマの松』に決まった。
「それじゃあ、そろそろ決まったと思うので、それぞれ発表してください」
「一高は、『ローマの松』です」
「三高は、『威風堂々』です」
「二高は、『ローマの松』です」
 結果、『ローマの松』に二票入った。
「では、『ローマの松』に二票入ったので、一曲はこれに決めたいと思います。よろしいですか?」
 異議は出ない。
「では、二曲目です。これは、全体のバランスなどを考えて決めたいと思います。意見があれば」
「『祝典』は一曲として難しい曲なので、除外することを提案します」
 三高のひとりがそう言った。
「その意見に賛成反対は?」
「一高は総意として賛成です」
「わかりました。『祝典』は候補曲から除外します」
 黒板からその名前が消えた。
「では、この四曲の中からどれか」
「曲の流れとして、『シングシングシング』ではじめて、『松』で終わるのがいいと思います」
 一高から、徹がそう意見を出した。
「『シングシングシング』が出ました。ほかにありますか?」
「二高は、今の意見に賛成します」
 二高からそう声が上がった。
「三高も賛成です」
「では、確認します。演奏曲目は、『ローマの松』と『シングシングシング』でよろしいですか?」
 異議は出ない。
「それでは、この二曲に決まりましたので、あとで楽譜をコピーします」
 黒板に決まった二曲が書かれた。
「次に、各パートごとに人数を確認し、パート内でのパートを決めてもらいます。場所は、二高の部員がいる場所でお願いします」
 それにあわせ、二高部員が移動する。
「私から見て右手手前から、フルート、オーボエ、クラリネット、サックス。左手手前からトランペット、ホルン、トロンボーン、ユーフォニウム、バス。真ん中奥がパーカッションで、この手前がローウッドです。では、分かれてください」
 一高、三高の部員も移動する。
「それと、各校のパートリーダーではない副部長の方。前にお願いします」
 圭太は前へ。
「三人には、楽譜のコピーをお願いします。原本は、一高と二高が持ってますので。あと、コピーは職員室でお願いします。案内はうちの副部長がしますから」
 圭太たちは楽譜を持って音楽室を出た。
「職員室はこっちです」
 案内するのは二高の副部長。
「自己紹介、します?」
 そう振ったのは、三高の副部長である。
「そうですね。これからもありますからね」
「二高副部長の金田昌美です」
「一高副部長の高城圭太です」
「三高副部長の横田美沙緒です」
 立ち止まり、自己紹介する。
「おふたりとも、一年、ですよね?」
「ええ」
「そうですよ」
「じゃあ、もう少し砕けません?」
「確かに」
 そう言って三人は笑った。
 職員室には数人の教師がいた。その中に二高吹奏楽部の顧問がいた。
「先生。コピー機使わせてください」
「おっ、もう決まったのか?」
 二高の顧問は、男性教師だった。
「っと、その前に、顧問の長岡です。よろしく」
「よろしくお願いします」
 顧問長岡と三人は職員室の一角へ。
「じゃあ、あとは昌美に任せるからな」
「わかりました」
 コピー機を使えるようにして、長岡は戻っていった。
「じゃあ、どっちからしようか?」
「うちは両方必要だから、どちらでも」
「それじゃあ、うちから」
 そう言って圭太は持っていた『ローマの松』の楽譜をコピー機にかけた。
「一応、二部ずつコピーするから」
 つまり、四部コピーする。
 それぞれのパートを四部ずつコピーするのはそれなりに時間がかかる。
「ふたりは、なにをしてるの?」
 そう訊いたのは、二高の金田昌美である。
「僕は、トランペットを」
「私は、ホルンよ」
「そっか。残念ながら同じじゃなかったか。あたしはサックスなの」
「あの、間違ってたらごめんなさいなんだけど」
「うん?」
「高城くんて、あの三中の高城くん?」
「あ、うん、そうだけど」
「うわ、本物だっ」
 と、三高の横田美沙緒が圭太の手を取って喜ぶ。
「あれだよね、去年のソロコンで全国銀賞だよね?」
「あ、うん」
「ウソ? それ、ホント?」
「まあ、一応」
「そっか、あなたが三中の高城くんだったんだ。去年は結構話題になってたからね」
「君って有名人なんだ。そっか〜」
 美沙緒につられるように、昌美もそういう目で圭太を見ている。
「じゃあ、あれね。今年のトランペットは大騒ぎね。うちはそういうの好きなのが多いから」
 そう言って昌美は苦笑する。
「明日の練習の時にでも、訊いてみよう、あなたのこと」
「ああ、それはいいアイデア。うちにも三中出身はいるし」
 圭太で盛り上がるふたり。
 圭太は、苦笑するしかなかった。
 
 コピーを終えて音楽室に戻ると、だいたいのパートでは話し合いも終わっていた。
「コピー終わりました」
「ごくろうさま。こっちは、あと少しで終わるから」
 終わっていないパートは、トランペットとトロンボーンだった。今回の曲は双方とも重要な役割を担うため、慎重に決められていた。
 圭太はそんなトランペットの話し合いに加わった。
「どれくらい決まったんですか?」
 徹にそう訊ねる。
「『シングシングシング』はすんなり決まったんだけどな。『松』はいろいろあって」
 徹だけでなく、二高と三高のリーダーも渋い顔である。
「問題はファーストの数なんだ。うちが四人、二高と三高が三人ずつ。つまり全部で十人。これをどう振り分けるか、なんだ」
 その中で、一応の案としてはファースト四人、セカンドとサードが三人ずつというのが出ていた。ほかに、サードを四人にするというのも出ていた。
「圭太はどう思う?」
「四、三、三でいいんじゃないですか? それで、それぞれからひとりずつ組み入れて、あと、うちがファーストをふたり出す、ということで」
「やっぱ、それが妥当か?」
「まあ、そうかもね。見せ場を考えればそれが妥当かも」
「じゃあ、ペットはそういうことで決定かな?」
 そして、ようやくすべてのパートで数が決まった。
「それでは、すべて決まったようなので、あとはそれぞれの学校へ持ち帰って練習を開始してください。最初の練習は一週間後なので、そこまでにある程度吹けるようになっておいてください。指導は、それぞれの顧問の先生にお願いしますから」
 そう言って早苗は締めくくった。
「それじゃあ、今日はおつかれさまでした」
『おつかれさまでした』
 
「じゃあ、明日ね」
「じゃあね」
 駅で、彩子と純子と別れた。
「さてと、圭くん」
「なんですか?」
「たまには、私にもつきあってくれるよね?」
 そう言って祥子は圭太の腕を取った。
「ね、いいでしょ?」
「まあ、そうですね」
 結局、圭太は首を縦に振ることになる。
 ふたりは土曜日の繁華街に繰り出した。
 時間はもうそろそろ夕方という頃。まだ陽は出ているが、だいぶ気温が下がってきていた。
「ちょっとだけ寒いかな」
「大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫。こうやって圭くんと一緒だから」
 腕を組み、ぴったりとくっつく。確かにそれなら意外に暖かいだろう。
 圭太と祥子。美男美女のカップルで、どこからどう見ても部活の先輩後輩には見えない。間違いなく、恋人同士だ。
「これなんかどうかな?」
 そう言って祥子は圭太に帽子をかぶらせた。
 ここは春に柚紀とも来た店である。その帽子売り場にふたりはいた。
「ん〜、それだとちょっと野暮ったいかな?」
「そうですね……」
 先ほどから祥子はとっかえひっかえ圭太に帽子をかぶらせていた。別に圭太は帽子がほしいわけではない。それに、帽子なら家の方にいくつかある。
「圭くんは、帽子はかぶらない方がいいのかな?」
「僕も好きこのんではかぶりませんからね」
「そうだよね。圭くんの帽子姿って、あまり見ないものね」
 ちょっと残念と言って帽子を戻す。
「……こうしていると、私たちってどう見えるのかな?」
「さあ、少なくとも部活の先輩後輩には見えないんじゃないですか」
「だとしたら、どう見えるのかな?」
 圭太は、それには応えなかった。
「私は、うん、恋人同士に見えたら嬉しいな」
 そう言って祥子は微笑んだ。
「じゃあ、圭くん。次、行こ、次」
 それから冬物コーナーでセーターやフリースジャケット、ダッフルコートなんかを見てまわった。
 ふたりともなにかを探しているわけではない。ただなんとなく、そうやっていわばウィンドウショッピングがしたかっただけである。
 そこを出たあとは、本屋やCDショップを見た。
 陽がだいぶ西に傾いた頃。
「そろそろ帰ろうか」
「そうですね」
 ふたりは繁華街から歩いて帰った。
 暮れゆく秋の空の下、ふたりは腕を組み、ゆっくりと歩いていた。
 たまに祥子から話を振り、それに圭太がぽつりぽつりと応える。そんな感じだった。
 それでも祥子は幸せそうだった。
 今までどれだけその状況を望んでいたか。それを実際にしているわけである。
 そして、もうすぐで祥子の家へ分かれるところで──
「……ねえ、圭くん。今日は、もう少し時間、いいかな?」
 
 三ツ谷家は、資産家らしくとても大きな家である。いや、正確に言うなら屋敷というところか。
 正面にある門も、とても凝った造りで来る者を拒んでいる雰囲気があった。
 母屋は伝統的な日本家屋で、純和風のたたずまいを見せていた。
 圭太も何度か来たことはあるのだが、その度に圧倒されていた。
 長い廊下を歩き、祥子の部屋へ。
 祥子の部屋は、純和風の家ながらフローリングで、一風変わった部屋だった。ただ、内装はおかしいところはなく、クリーム色を基調とした落ち着いた部屋だった。
「ちょっと待っててね」
 圭太を部屋に通すと、祥子は一度部屋を出た。
 ひとり部屋に取り残された圭太は、手持ちぶさただった。
 机の上には、いくつかのフォトスタンドが置いてあった。そこに入っている写真は、どれもこれも部活の写真だった。中学の頃の、そして今のもの。
 その中に一枚、圭太とのツーショットがあった。写真の中の祥子はすごく幸せそうな笑みを浮かべていた。
 中学の頃はあまり自分の想いを表に出さなかった祥子ではあるが、圭太に対してだけは少しだけ自分の想いを見せていた。
 そんな祥子をずっと見てきた圭太。一年間のブランクはあるが、それでも圭太には祥子のことを理解できているという自負があった。
 だからこそその日の『デート』も受けたのだ。
 それから少しして、祥子が戻ってきた。
 お盆には紅茶とお菓子が載っていた。
「はい、圭くん」
「すみません」
 圭太の前にカップを置き、自分の分も置く。
「今日は、誰もいないんですか?」
「ううん、お母さまはいるよ。お父さまは、お仕事。土曜日はたいていいないかな。お兄さまはいつもと一緒。お姉さまも同じ」
 そう言ってため息をつく。
 祥子には年の離れた兄と姉がいる。どちらも一緒に住んでいるのだが、あまり家にはいなかった。兄は父親の仕事を手伝っており、その関係で土日関係なく忙しくしていた。
 姉は妹の祥子と違い、かなり自由奔放に生きていた。大学を卒業してからは旅行雑誌のライターをして暮らしている。そのためか、やはり家にはあまりいなかった。
 三人の仲は別に悪くない。というより、かなり良い方だろう。上のふたりと年が離れているのもそのひとつの要因だろうが。
「それにしても、今日は結構大変だったね」
「そうですね。でも、ちゃんと決まってよかったですよ」
「うん、そうだね。明日から早速練習開始だね」
「はい」
 ふたりの間に穏やかな空気が流れる。
「私ね、圭くんが副部長になってくれて本当によかったって思ってるの」
「どうしてですか? 仁先輩もいるじゃないですか」
「うん、仁は仁で信用してるんだけど、でも、側に圭くんがいるのといないのとでは全然違うから」
 そう言って祥子は目を細めた。
「三中の時、私が部長になって圭くんが副部長になって、その頃からかな、本格的に圭くんのことを意識するようになったのは。だから、余計によかったって思うの」
 祥子はその頃を思い出すように話をしている。
「圭くんは、どうかな?」
「僕は……祥子先輩ほどの思い入れは、申し訳ないですけど、ないです」
「まあ、普通はそうだよね」
「でも、先輩と一緒に仕事ができるのは、純粋に楽しいです」
「そう思ってくれてるだけで十分だよ」
 祥子は、決して自分の想いを人に必要以上に押しつけるようなことはしない。それはいいことではあるのだが、時には障害になることもある。
 そう、特に男女の関係においては。
「そうだ。圭くんに前から訊いてみたかったことがあるの」
「訊いてみたいこと、ですか?」
「うん」
 祥子は、一度紅茶を飲んで、それから続けた。
「圭くんは、私のこと、どんな風に見てるのかな? 正直に言ってみて」
「先輩のこと、ですか……?」
「うん」
 圭太は、少し考え、そして答えた。
「こう言うと先輩はどう思うかはわかりませんけど、僕にとっての祥子先輩は、とてもカワイイ先輩ですね」
「カワイイ?」
「ともみ先輩っていうすごく強烈な先輩がいるせいかもしれませんけど、そういう感じがあります。なんていうか、こう、見ていなくちゃいけないって思うんです。それは別に頼りないとかはかないとか、そういう意味ではないんですけど」
「そっか……」
 祥子は、なんとも言えない表情を浮かべた。
「たぶん、先輩が聞きたかったのは、この三ツ谷家のこと、ですよね」
「うん」
「確かに最初それを聞いた時は、すごいなって思いました。でも、逆に言えばそれだけです。先輩の家がすごくても、それは別に先輩とイコールになるわけではありませんから。僕にとっては、先輩はあくまでも三ツ谷祥子という先輩でしかないです」
 色眼鏡を外して人を見ることができるのが、圭太のいいところである。そんな圭太だからこそ、祥子は好きになったのだ。
「……圭くんがそういう風に私に接してくれたおかげで、私もみんなに三ツ谷家の娘としてじゃなく、普通の中学生、高校生として接することができたんだよ。だから、圭くんにはいくら感謝しても感謝しきれない」
 そう言って祥子は満面の笑みを浮かべた。
「本当にありがとう、圭くん」
 圭太は、そんな祥子の想いを、正面から受け止めた。そうすることが祥子の想いに対する、最低限のマナーだと思ったからだ。
「そんな圭くんだからね、私は……」
 祥子はそこまで言って、圭太の側に寄った。
「圭くん……私の想いを、受け取って……」
 そして、キスをした。
 お嬢さまの祥子にとって、生まれてはじめてのキス。
「圭くんとの、キス……」
 祥子は、まるで夢見るお姫様のような眼差しで圭太を見つめる。
「夢、だったの。圭くんとデートしたり、圭くんとキスしたりするの。その夢がふたつもかなっちゃった」
 嬉しそうに微笑む。
 しかし、でも、と言って続ける。
「私が一番望んでいる夢は……圭くんに抱いて、もらうこと……」
 そう言ってもう一度キスをする。
「ね、圭くん、私を、抱いて……」
 今度は、情熱的にキスをした。
 圭太は祥子を抱きかかえ、そのままベッドに横たわらせた。
「先輩……」
「圭くん、今だけは、私のこと、祥子って呼んでほしい……」
「ん、祥子……」
「圭、くん……」
 ふたりは、むさぼるようにキスを交わす。とても普段おとなしい祥子とは思えないほどである。
 ついばむようにキスをし、舌を絡め、息をするのも忘れるほどである。
「ん、はあ、圭くん……」
 キスだけで祥子の表情はとろんとなっている。
 圭太は、制服越しに祥子の胸に触れた。
「あ……」
 祥子は、着やせするタイプのようで、その胸は結構なボリュームがあった。
「圭くんが、私の胸を触ってる……」
 その行為ひとつひとつを確認する祥子。
 圭太は、リボンを解き、ブレザーを脱がせ、ブラウスも脱がせた。
 祥子は、真っ白なとても綺麗な下着をつけていた。
 恥じらいというものを覚えてから、おそらく男ではじめてそれを見た圭太。
 祥子は、恥ずかしさで真っ赤になりながらも、気丈にもそれを隠そうとはしなかった。それだけ、祥子の想いが強いのだ。
 そして、そのままブラジャーも外してしまう。
「っ……」
 今度はさすがに手で胸を隠した。それでも、ボリュームのあるその胸は、とても隠しきれない。
 圭太は、その白磁のような肌に、直接触れた。
「んっ……」
 祥子は、押し殺した声を漏らす。
 祥子の肌は、吸い付いて離れないのではと思うほど、とても綺麗ですべすべしていた。
「手、どけますよ」
 圭太はちゃんと断ってからその手をどけた。
 あらわになったその双丘は、つんと上を向き、釣り鐘型の綺麗なものだった。
 そこにそっと手を添える。最初は揉まずに、撫でるだけ。
「ん、ぁ……」
 それを次第に揉むという動きに変えていく。
「圭くんの手が、私の胸を、ん、揉んでる……」
 まだまだ抑えた反応だが、それでも祥子は少しずつ感じていた。それは、ピンと勃った先端の突起を見れば一目瞭然である。
 圭太は、その綺麗なピンク色の突起を、舌先で転がした。
「んっ、あんっ」
 途端に、祥子から甘い声が漏れた。
 祥子自身、なにが起こったのかわかっていない。おそらく、祥子は自分自身で慰めたこともないだろう。
 圭太は、舌先で丹念に転がし、押し、最後に甘噛みした。
「んきゅっ」
 祥子の全身を、電気のような刺激が通り抜けた。
「けい、くん、今のは……」
「祥子が、感じた証ですよ」
「これが、感じる、なんだ……」
 圭太はそんな祥子を優しい眼差しで見つめる。
 それから下半身の方に体をずらす。まず、ホックとファスナーを外し、スカートを脱がせる。
 ブラジャーと揃いの真っ白なショーツがあらわになる。
 圭太は、そのショーツ越しに秘所に触れた。
「ああっ」
 予想以上の感覚に、祥子は声を上げた。
 それからゆっくりとそのふくらみの上を撫でる。たまに少し力を込めて。
「ふああ……」
 少しずつ、祥子の体から力が抜けてくる。
 頃合いを見計らい、圭太はショーツを脱がせた。ちょうど力が抜けきったところで、抵抗する暇もなかった。
「あぁ、イヤ……」
 祥子は、恥ずかしさから手で顔を覆った。
 祥子の秘所は、その淡い恥毛も丁寧に処理されており、とても綺麗だった。
「すごく、綺麗ですよ」
 圭太は、祥子の耳元でそうささやく。
「……本当に……?」
「はい」
 圭太のその言葉で少し落ち着いたのか、顔を覆っていた手をどける。
「これから、直接触れます」
「うん……」
 圭太はそう言って祥子の秘所に直接触れた。
「んっ……」
 圭太は、その秘唇をなぞり、それから少し入り口を開いた。
 綺麗な桜色の秘所。わずかにひくひくと動いている。
 圭太は指をその中に挿れた。
「はっ……ん……」
 とっさに上がった声を、祥子は枕をあてがって消した。
 圭太は少しずつ指を中に挿れ、またそれを引き抜く。それを何度も繰り返した。
「ん、ん……」
 その度に祥子は、押し殺した声を漏らした。
 程なくして祥子の中から、蜜があふれてきた。その頃には入り口付近はだいぶほぐれていた。それでもまだ、中はだいぶきつかった。
 ただ、圭太も経験上それをいつまでも続けてもあまり意味がないことも学んでいた。
 だから、自分も服を脱いだ。
 すぐに裸になる。
 祥子の目の前に、屹立した男性器が現れた。
「祥子の声が聞きたいので、これは、なしです」
「あ……」
 そう言って圭太は祥子から枕を取り上げた。
「祥子、行きますよ?」
「うん……」
 祥子は、目を閉じその瞬間に備える。
 圭太は、モノを祥子の秘所にあてがった。
 そして──
「あぐっ、いっ……」
 一気に貫いた。
「祥子のはじめてを、もらいました」
「うん……圭くんのを、私の中で、感じるよ……」
 祥子は涙を流しながらそう言った。
「やっと、圭くんと、ひとつになれたね……」
「はい」
「嬉しくて嬉しくて、死んじゃいそうだよ……」
「死なないでください。僕にはまだ、祥子が必要なんですから」
「うん……」
 少し落ち着いたところで圭太は腰を引いた。
「んっ、あっ」
 しかし、祥子は最初こそ苦痛の色を見せたが、それも長くはなかった。
 おそらく、破瓜の痛みはそれほどではなかったのだろう。それには個人差があるのだから、そういう場合もある。
「んっ、けい、くんっ」
「祥子っ」
 圭太は、少しずつその動きを速くする。
 祥子の中は、蠕動運動で圭太のモノをピンポイントで攻めてきた。気を抜けば、すぐにも出してしまう。
「ああっ、すご、いっ、きもち、いいっ」
 祥子の口から、甘い吐息が漏れる。
「んんっ、ダメっ、止まらないのっ」
 圭太の動きにあわせ、祥子も無意識のうちに腰を動かしていた。少しでも多くの快感を得ようと。
「圭くんっ、圭くんっ、圭くんっ」
 何度も圭太の名前を呼ぶ。
 それに応えるように、圭太は速く激しくモノを突き入れた。
「んんっ、きちゃうっ、なにかがっ、あんっ、きちゃうよぉっ!」
 祥子は、はじめてにも関わらず、絶頂を迎えそうだった。
「ああっ、ダメっ、飛んじゃうっ……あああっ!」
 そして、祥子は達した。
 だが、圭太はまだだった。
「祥子……すみません……」
「んっ、そん、あっ」
 圭太は、本能を止められず、再び動き出した。
 達したばかりでかなり敏感になっていた祥子は、立て続けの快感に、思考回路は完全に麻痺していた。
「ダメっ、また、きちゃうっ」
 すぐに絶頂を迎えてしまう。
 それでも圭太の動きは止まらない。むしろ、速くなっている。
「ああっ、ダメダメダメっ、気持ちよすぎてっ、死んじゃうよっ!」
 祥子は、激しく乱れた。
 その姿が、やはり普段の祥子からは想像もできない。
「圭くんっ、好きなのっ、大好きなのっ」
 その中で、圭太への想いを解放する。
「ずっとっ、一緒にいてっ」
「うっ、祥子っ」
「圭、圭太っ!」
 圭太は、祥子の中で大量の白濁液を放った。
「あ、は……ん……」
 祥子の中は、最後の一滴まで搾り取ろうと、圭太のモノを締め付けた。
「圭、くん……」
「はぁ、はぁ、祥子……」
 そして、ふたりをキスを交わした。
 
 祥子は、圭太の腕を枕にして、寄り添っていた。
「圭くんの胸に抱かれて、すごく幸せ……」
 そう言って微笑む。
「でも、圭くんて、エッチに慣れてるんだね」
「えっ……?」
「やっぱり、柚紀と、何度もしてるから、かな」
「それは……」
「ううん、それが悪いってことじゃないの。そのおかげで、私もあまり苦痛を感じなかったし。ただ、圭くんもやっぱり男の子なんだなって、そう思ったの。圭くんも、そういうことに興味があって、好きな、男の子なんだって」
 微笑む祥子に、圭太はなにも言えなかった。
「圭くんとエッチするだけでこんなに幸せな気持ちになれるなら、もっともっとエッチしたいな」
「祥子……」
「……もし、私のことを柚紀の何分の一かでも好きでいてくれるなら、私を、慰めてほしいの。その相手は、圭くんしかいないんだから」
 祥子は、今思っていることをそのまま口にした。
「ね、圭くん……?」
 圭太は、嘆息混じりに言った。
「わかりました。祥子のたってのお願いですから」
「あはっ、ありがとう、圭くん」
 本当に嬉しそうな祥子を見て、圭太自身も嬉しくなった。
 ただ、心の片隅では、また大変なことになったと思っていたのだが。
「だけど、不思議だよね」
「不思議、ですか?」
「うん。だって、去年まではこういうことを夢見てはいたけど、今年のうちにこんな関係になるなんて、全然予想もしていなかったもの。それなのに、今は圭くんと恋人同士でもないのに、こういう関係になってる。だから、不思議なの」
「確かにそうかもしれませんね」
「もちろん、私としてはこういう関係になれて、本当に嬉しいけどね」
 圭太は、なにも言わない。
「あ、そうだ。圭くん」
「はい」
「今のうちにひとつだけ謝っておくね」
「謝る? なにについてですか?」
「んとね、私って末っ子でしょ? だからというわけでもないんだけど、基本的に誰かに思い切り甘えたい性格なの。その相手が圭くんならなおさら。たぶんね、歯止めが利かなくなっちゃうと思う。だから、謝っておくの」
「……なるほど」
 謝られても、と圭太は思ったが、それは口にはしなかった。
「圭くんと柚紀の間を邪魔するつもりはないけど、それでもね、私は自分の気持ち、想いにウソをつきたくないから。圭くんの前では、できるだけ素の私でいるつもり」
「わかりました。僕も、それ相応の覚悟をしておきます」
「うん、お願い」
 圭太としても、祥子ほどの女性にそう思われたり、甘えられたりするのは本望である。ただ、圭太の彼女はあくまでも柚紀なのだから、そのあたりの折り合いをどうつけるか、なのである。
「ん〜、今日はずっとこうしてたいなぁ」
 胸に頬を寄せ、目を閉じる。
「もう少しだけ、このままでいても、いいよね?」
「はい」
 圭太は小さく頷き、祥子の髪を撫でた。
 祥子は、気持ちよさそうに目を閉じ、本当に幸せそうな笑みを浮かべていた。
 
 四
 暦が変わり、一年の最後、十二月がやって来た。
 師走、とはよく言ったもので、人生の師と呼べるような人たちはなにかと忙しい。
 それは一高でも同じで、教職員の間にはピリピリとした緊張感が満ちていた。特に三年を担当している教師は大変である。推薦入試はもうはじまっているが、大多数の生徒が受ける一般入試は年明けから本格的にはじまる。そのための準備などでとにかく忙しかった。
 ただ、それは意外にそういう人たちだけである。特に学生という身分にあると、年末だからといって特別忙しいということはない。
 とはいえ、それにももちろん例外はある。その例外のひとつが、圭太たち一高吹奏楽部だった。
 クリスマス演奏会に向けて急ピッチで練習が行われていた。
 ただ、その練習といってもコンクールほど厳しいものではない。合同演奏なので、ひとつの学校だけが突出していても意味がないのだ。
 そんなこともあり、とりあえずは通してできるようになることを優先に行われていた。
 ただ、そこにも問題はある。それは、パートの問題である。三校合同のため、パートにも多少のばらつきがある。一高は人数が多いためほとんどのパートが揃っているが、中にはないところもあった。
 そこを補いつつの練習で、こういうことがはじめての一年には、多少の戸惑いがあった。
 その日は祥子が指揮をして、合奏が行われていた。
「じゃあ、最後に通してやってみるから」
 その日の合奏は、二曲のうちの一曲『ローマの松』をやっていた。
 前半部分にオーボエとファゴットにソロがあり、そのどちらもが一高担当となっていた。
 中盤から後半、終盤にかけては金管の見せ場である。特にトランペット、ホルン、トロンボーンは全開である。
 さらに言うなら、トランペットのファーストはかなり大変である。ラストは高音の連続で目立つ。
 そんなファーストを与えられたのが、圭太と広志だった。圭太は、『松』では全体のファーストでもある。それを決めたのはもちろん徹である。そして、徹はサードだった。
「うん、まあ、今日はこのくらいにしておくわね。合同練習は日曜日だから、それまでにもう少し全体的なレベルを上げておいて。特に金管は目立つから。それじゃあ、今日はここまで。おつかれさま」
『おつかれさまでした』
 最後の挨拶でその日の部活は終わった。
「はあ、疲れるわ、これ……」
 そう言って広志はため息をついた。
「一年の圭太が平気な顔してるのに、なんで二年のおまえがへばってんだよ」
 その後頭部に、徹が肘を当てた。
「俺とこいつを一緒にするなっての。ここまで積み上げてきたものが根本から違うんだからよ」
「……そこまで卑屈になるなよ、おまえは」
 徹はそう言ってため息をつく。
「でもよ、隣でやってても、圭太の音はすげぇって思うぞ」
 そこに信一郎が割り込んできた。信一郎はトロンボーンのファーストを担当しているため、圭太の隣になっている。
「どうせなら、『シングシングシング』にトランペットソロ入れて、圭太にやらせれば面白いのにな」
「さすがにそれは無理だろ。あちらさんの二年が黙ってない。いくら圭太の実力が折り紙付きでもな」
 そんな先輩たちの話を、圭太は苦笑しつつ聞いていた。
 副部長になってからの圭太は、たいてい一番最後まで音楽室に残っていた。となれば、必然的に柚紀も一緒に残っていた。
 音楽室の管理は基本的には部長の仕事で、ほとんどは祥子が鍵を閉めている。ただ、用事がある時などは圭太や仁に任せることもある。
 まあ、それもあまりあることではなく、たいてい仁はさっさと帰っていた。
「ふう……」
 祥子は活動日誌を書きながらため息をついた。
「先輩、疲れてるんじゃないですか?」
 ピアノを弾いていた柚紀が、心配そうに声をかける。
「あ、うん、大丈夫だよ。テストが終わって本格的に新体制になって、それに慣れるまでの辛抱だから」
「無理しないでくださいね」
「ありがと、柚紀」
 祥子はそう言って微笑んだ。
 活動日誌を書き終え、音楽室を閉めた時には、外はもう真っ暗だった。
 季節的にも冬になり、陽もだいぶ短くなっていた。
 一高には指定のコートはないため、生徒の間ではだいたいふた通りに分かれていた。
 ひとつは下に着てくる生徒。ワイシャツやブラウスの上にトレーナーやセーターなどを着込み、上はブレザーのまま。
 そしてもうひとつは、コートなどを着てくる生徒。全体的なバランスを見ると、女子は圧倒的に後者で、男子は半々だった。
 そんな中、圭太はダッフルコートにマフラーという格好が最近のだった。
 ちなみにそのマフラーは、祥子の手編みである。
「はあ……」
 柚紀は、思い切り息を吐いた。
「息が白いよ」
「今日はずいぶん寒いからね」
 吐く息がわずかに白い。それだけ気温が下がっている証拠である。
「確かに最近は朝起きるのがつらいよねぇ。ぬくぬくの布団から出るのがホントにイヤだもん」
「柚紀は、寒いの苦手なの?」
「苦手。まだ暑い方がいいよ。圭太は?」
「僕は、比較的大丈夫な方かな?」
「そっか。祥子先輩はどうですか?」
「私も寒いのは大丈夫な方かな。たぶん、冬生まれだからだよ」
 そう言ってニコッと笑う。
「冬生まれって、先輩って誕生日、いつなんですか?」
「私は、ヴァレンタインの前日だよ」
「ということは、二月十三日ですか」
「うん。だからかもしれないけど、昔誕生会とかやった時、よくチョコレートをもらったよ」
「それって、次の日のついで、って感じですか?」
「たぶんね」
 祥子はそう言って微笑む。そういうことはあまり気にしていないようである。
「でもね、私よりも大変な人がいるんだよ」
「誰ですか?」
「ともみ先輩」
 柚紀は、小首を傾げた。
「圭くんは知ってると思うけど、ともみ先輩の誕生日はね、今月の二十八日なの」
「あっ、なるほど」
 それだけで柚紀もわかったようである。
「ともみ先輩、いつも嘆いてるよ。私の誕生日はクリスマスとお正月と一緒になっちゃうって」
「た、確かにそれは嘆きますね」
 だが、自分の誕生日だけは自分では決められない。それを受け入れるしないのだ。
「私は普通の日だから、そういうのはわからないですねぇ。圭太もでしょ?」
「そうだね」
 そんなことを話してるうちに、大通りまで出てきた。
 その日は比較的待ち時間は少なくて済んだ。
「じゃあね、圭太」
「うん、また明日」
 柚紀は圭太の頬に軽くキスをしてバスに乗った。
 圧縮空気が送られ、ドアが閉まる。鈍いエンジン音を響かせ、バスは走り去っていった。
「はあ、わかっていても、ちょっと淋しいね」
 そう言って祥子は圭太の腕を取った。
「でも、圭くんと柚紀はとってもお似合いだと思うよ。これは本音」
「先輩にそう言ってもらえると、嬉しいですね」
「もう、少しは遠慮してくれてもいいのに」
 ぷうと頬をふくらませ、抗議する。
 ふたりは、できるだけゆっくりと歩いていく。
 これがあの日からのふたりの形だった。
「……私ね、最近綺麗になったって言われたの」
「えっ……?」
「ちょっと、嬉しかったな。だって、私が綺麗になれたとしたら、それは、圭くんのおかげだからね」
 女は、恋をすると綺麗になる。
 それはあながちウソではない。好きな人には自分をよく見てもらいたい。そうすると、自然と身なりに気を遣ったりするようになる。
 また、それは誰かに愛されてるという状況でも起こりうる。
 柚紀が、そのいい例である。
「私は、これからも圭くんのために、綺麗であり続けたいな……」
「……心配しなくても、先輩は十分に綺麗ですよ。僕の保証では物足りないかもしれませんけど、保証します」
「うん、ありがと、圭くん……」
 微笑む祥子に、圭太はキスをした。
 空には、綺麗な星空が広がっていた。
 
 十二月六日。
 その日は朝から雨で、とても寒い日だった。
 気温も一桁台で、夜には雪に変わるところもあると予想されていた。
 その日、一高吹奏楽部では、通常の午後の部活よりも少しだけ早く集まっていた。それは、合同練習の準備のためである。
 練習場所は体育館。午前中はバスケ部が練習していたため、事前に準備することはできなかったのだ。
 バスケ部が終わったあと、そこに椅子を並べ、さらに大型ヒーターを入れる。運動部の練習なら動いているうちに暖まってくるが、さすがに吹奏楽では無理である。
 部員全員でおよそ百脚の椅子を並べる。さらに打楽器を音楽室から体育館に運ぶ。
 慣れている部員でも、それにはそれなりの時間がかかった。
 すべて終わったのは、もう十二時半をまわってからだった。練習開始は一時。あまり余裕はない。
 すぐに慌ただしく昼食をとる。ほとんどの部員が軽く済ますだけとなった。
 そんな中、雨の中を二高と三高の面々が到着した。
 ほとんどの部員は歩きで来たが、何人かは車で来ている。それは、チューバなどの大きな楽器を運んできた車に同乗してきたからである。
 二高と三高はそれぞれひとかたまりになって楽器の準備をする。
 指揮台のところでは三人の部長が練習方法を話し合っている。
 一時を少しまわったところで、一回目の合同練習がはじまった。
「ええ、二高、並びに三高のみなさん。今日は雨の中わざわざ一高まで来てもらい、おつかれさまです。これから、二十三日に行われるクリスマス演奏会に向けての合同練習、第一回目をはじめたいと思います。私は一高吹奏楽部の部長をしています、三ツ谷祥子です。今日は基本的に私がいろいろと指示を出しますので、よろしくお願いします」
 数人の休みがいるが、ほぼフルメンバーを前に、祥子は挨拶する。
「それでは最初に、今日指導していただく先生を紹介します」
 そう言われ、それぞれの高校の顧問が前に出てきた。
「まず、右手から一高顧問、菊池菜穂子先生」
「よろしく」
「そのお隣が、二高顧問、長岡憲二先生」
「びしびしやるから、覚悟しておくように」
「最後は、三高顧問、森玲子先生」
「よろしく」
「当日の指揮は、二高の長岡先生が担当します。覚えておいてください」
 祥子はそこで一息つく。
「次に、それぞれの部の部長を紹介します。私は先ほども言いましたが、一高の部長、三ツ谷祥子です」
「二高吹奏楽部部長、向野早苗です」
「三高吹奏楽部部長をしています、楠瀬千歳です」
「私たち三人がそれぞれの高校とのパイプ役となっていますから、なにかあったら遠慮なく言ってください」
 早苗と千歳は一度下がる。
「それでは、全体練習をはじめる前に、チューニングを行ってください。それと、その時にパート内で簡単に自己紹介なんかもしてください。せっかくの合同演奏の機会ですから。それでははじめてください」
 
 練習は実にスムーズに進んでいた。
 チューニングのあと、早速合奏が行われた。あわせるのははじめてということで、三人の顧問はとりあえずはなにも言わなかった。
 演奏としては、お世辞にも上手いとは言えなかった。ただ、それもある程度は仕方がないことである。普段はずっと少ない人数で行っているのだから。
 一度通したあと、早速一曲ずつの練習がはじまった。
 基本的には指揮をする長岡がいろいろな指示を出すのだが、菜穂子や三高の森も適宜注文をつけていた。
 それぞれの学校には多少の差がある。
 全国出場を果たしている一高がやはりレベルが高く、次いで二高、三高という感じだった。加えて言えば、一高は大編成だが、二高、三高はともに中編成で、そのあたりにも差があった。
 ただ、二年は去年もやっているので、多少はましだろう。
「それじゃあ、十五分休憩」
 合奏開始から一時間ちょっとで休憩に入った。
 一気に緊張感から解放される。
 休憩時間になり、部員たちに動きが出る。それは、同じ中学出身の部員が集まっているからである。
 こういう機会でもないと、卒業後はなかなか会えないものである。
 そして、三中出身者も集まっていた。
「みんな久しぶりだね〜」
 誰からともなく会話がはじまる。
 三中出身者は、一高が六人、二高が五人、三高が六人と、あわせて十七人という結構な所帯だった。
「祥子はやっぱり部長やってるんだね」
「うん」
 同じ二年がそんな風に声をかけている。
「そうそう、圭太。いろいろ訊かれたよ」
「誰に?」
「うちの副部長に」
 そう言うのは三高の部員。
「三中の高城くんて、どんな人ってね」
「はは……」
 圭太は乾いた笑いを浮かべた。まさか本当に訊くとは思っていなかったからである。
「ま、さすがに全国に行ってれば、そうなるのも仕方がないと思うけどね」
「そうそう。圭太は三中の頃から目立ってたしな」
「あんたは、影薄かったけどね」
「あんだと?」
「こらこら、こんなとこで喧嘩しない」
 久々の再会に話に花も咲く。
「だけど、祥子たちは全国金賞だもんね。すっかり遠い存在になっちゃった」
「うんうん、それは言えてる。うちは県大止まり」
「うちもよ」
「かたや全国金賞。はあ、同じ三中出身でも、えらい違いよね」
 いろいろな話題が出る。時間はいくらあっても足りない。
 だが、休憩時間はそれほど長くない。
「そろそろ休憩終わりだぞ〜」
 指揮台の方から長岡の声が飛んできた。
「じゃあ、またあとでね」
 そして、練習は再開された。
 
 練習が終わったのは、四時を少しまわってからだった。
「今日指摘したところは、来週の練習までに改善しておくように。できてないパートには、容赦なくペナルティを与えるから」
 長岡はそう言って練習を締めくくった。
「えっと、今日の練習はこれで終わりです。次の合同練習は、来週の十三日、三高で行います。時間は今日より二時間早い午前十一時からです。基本的には今日やったのと同じように進むと思います。あと、今長岡先生もおっしゃったように、指摘された部分はできるだけ改善してきてください。それでは、今日はおつかれさまでした」
『おつかれさまでした』
 祥子の挨拶でその日の練習は終わった。
「二高部員は楽器を片づけたら一度集まって」
「三高も集まって」
 早苗と千歳がそう指示を出す。
 二高と三高の面々は粛々と楽器を片づけていく。
「じゃあ、一高は一度楽器を片づけに戻って、それから椅子の片づけをするから」
 それぞれの学校が、撤収を開始する。
 一高は楽器を音楽室に片づけ、体育館で椅子の片づけ。
 二高、三高は簡単なミーティングを行い、基本的にここで解散となった。
 そんなこんなで体育館の片づけまで終わったのは、もう五時前だった。
 その頃には二高、三高の面々もほとんど帰っていたが、何人かは残っていた。特にもともと一高の近くに住んでいる部員がそうだった。
 その中には三中出身者もいた。
「終わった?」
「うん、終わったよ」
「さすがに部長は最後まで残らないといけないか」
 一高の方も最後まで残っていたのは、祥子や圭太など、数人である。
 その日は寒い上に雨まで降っていたために、だいたいは帰ってしまったのである。
「ねえ、祥子。あの圭太と一緒にいる子、誰なの?」
 少し離れたところにいる圭太と柚紀を見て、そんなことを訊ねる。
「あ、うん、あれは、圭くんの彼女だよ」
「はい……?」
「だから、圭くんの彼女。名前は、笹峰柚紀。圭くんと同じ一年だよ」
「ウソ、あの圭太に彼女がいるなんて……」
 信じられないという様子でふたりを見る。
「じゃあ、あれか。祥子は恋破れたわけか」
「うん、まあ、そうなるのかな。でも、それはそれでいいの。だって、あのふたりを見るとわかるでしょ? とってもお似合いだし」
 そう言って祥子は、少しだけ淋しそうに微笑んだ。
「さ、久しぶりに一緒に帰ろう」
「あ、うん」
 祥子はそう言って先に歩き出した。そのあとを慌てて追いかける。
 そんな祥子たちを、圭太は黙って見送っていた。
「いいの?」
「いいよ。先輩にはまた会えるし」
「そっか。じゃあ、私たちも帰ろ」
 そして、圭太と柚紀も家路に就いた。
 外に出ると、すでに陽はなかった。もともと雨降りなので陽は出ていなかったが、さらに暗くなっていた。
「あっ、圭太。見て」
 そう言って柚紀は空を見上げた。
「雪……」
 雨が、雪に変わっていた。
「初雪、だね」
「そうだね」
 ふたりは、雪とはいえまだまだ水分の多いみぞれの中を歩いた。
「雪って、私と同じだから、これからの時期はややこしいんだよね」
「あっ、そっか」
「昔、それでお姉ちゃんや学校の友達にからかわれたこともあるんだ。今日は空から柚紀が降ってるって。今思えば他愛ないものだったんだけど、その頃は結構ショックでね」
 でもね、と言って続ける。
「雪自体は好きだよ。白くて、冷たくて、綺麗で。圭太は?」
「僕も好きだよ。それに、今年からさらに好きになるよ」
「どうして?」
「だって、柚紀と同じ名前だからね」
 そう言って圭太は微笑んだ。
「んもう、そういう恥ずかしいこと、さらっと言わないの」
 それでも柚紀はまんざらでもなさそうだった。
「クリスマスにも雪が降るといいのにね」
「ホワイトクリスマス?」
「うん。ホワイトクリスマスは、私の憧れのひとつだからね。大好きな人と一緒に過ごすクリスマス」
「今からちゃんと当日の予定は空けてあるから」
「当たり前でしょ? もしクリスマスに一緒に過ごせなかったら、私泣くからね。特に今年は圭太と恋人同士の関係になって、はじめてのクリスマスなんだから」
 そう言って柚紀はギュッと圭太の腕をつかむ。
「早くクリスマスにならないかな〜」
 
 初雪は、夜半頃に上がった。
 いよいよ、冬本番である。
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