僕がいて、君がいて
 
第三十二章「夏のなごり」
 
 一
 八月二十日。
 前日同様朝から綺麗に晴れ渡ったその日から、一高吹奏楽部は合宿がはじまる。期間は四日間。場所は例年通り那須である。
 朝七時に学校に集合。休み明けということと早朝ということで、皆一様に眠そうだった。
 楽器と荷物を積み込み、今年は大型バス一台とトラック一台で那須へ出発した。
 菜穂子も含めて六十七人という大所帯なので、バスも一番大きなバスとなった。補助席もすべて使用し、それでようやくという感じだった。
 バスが出発すると、大半の部員は浅い眠りに落ちていた。さすがにこれからのことを考えると、少しでも休んでおきたいということであろう。
 そんな中、圭太は菜穂子の隣に座り、練習の打ち合わせを行っていた。
「これが僕が考えた練習プランです」
「どれどれ……」
 菜穂子は、レポート用紙に書かれたその内容を確認していく。
「うん、こんな感じかしらね。パート練習とセクション練習の時間を増やしたのは、本番まで時間がないから?」
「それもあります。ただ僕の意図としては、サボれなくしようと思ったんですよ。個人練習だとどうしてもサボりやすいじゃないですか。でも、パー練やセク練なら、ほかにみんながいますから、それもできませんし」
「確かにそうね。みっちり練習させるなら、むしろこうするべきか。なるほどね」
 さらに細かく内容を見ていく。
「合奏は、今日と最終日だけね」
「はい。その代わり、先生には各パートやセクションを見てもらおうと思って」
「オーケー。あと私にしてほしいことは?」
「今のところはありません。ただ。はじまればお願いすることも出てくるとは思いますけど」
「そうね。じゃあ、とりあえずこれをベースに細かい部分を詰めて、最終的な練習プランを決めるわ」
「お願いします」
 圭太は軽く頭を下げた。
「それにしても、圭太は私の望んでいること以上のことをしてくるわね」
「そうですか?」
「ええ。だからこそ、私もいろいろ頼んでしまうのかもしれないけど」
 そう言って菜穂子は微笑んだ。
「圭太には引退するまでいろいろ頼むことも多いと思うけど、腐らずがんばってこなしてね」
「はい、わかりました」
 
 合宿所に着くと、早速荷物と楽器を下ろし、部屋割りに従って部屋に移動した。
 基本的に四人部屋で、今年は人数の関係で男女ともに三人部屋ができた。
 圭太は、トランペットとホルンの後輩三人と同じ部屋になった。
「明雄はこの中で唯一の一年だから、言いたいこととかあれば、遠慮なく言わないといろいろ損をするかもしれないから」
「損、ですか?」
「ほら、先輩に遠慮して、みたいにしてるといろいろ不都合もあるかもしれないし。だからとりあえず、ここにいる間は先輩後輩というのはあまり気にしなくていいよ。もちろん、満も浩章もそれはわかってると思うけど」
 圭太に射すくめられ、満と浩章はかくかくと頷いた。
「基本的には練習のための合宿だけど、みんなで過ごせる機会もそうないから、それを楽しむくらいの余裕を持っていた方がいいと思うよ」
「わかりました」
 ひと通り確認したあと、部員たちは食堂に集まった。
「じゃあ、これから次期首脳部人事と次期パートリーダーを決めるから」
 圭太は、ホワイトボードに『部長』『副部長』と書いていく。
「去年もこの合宿の時に決めたおかげで、その後もスムーズに移行できたから、今年もこの合宿初日に行うことにしたから。関係ありそうな人にはそれとなく話がいってると思うけど、最終的に決めるのはあくまでも自分の意志でだから。そのあたりは間違えないで」
 なぜこの時期に決めるのかを説明し、早速首脳部から決めていく。
「まずは、部長。例年通りなら、二年の副部長がそのまま部長になるんだけど、今年もそれでいいかい? もし、ほかにやりたいという人があれば遠慮なく」
 案の定、誰からも異論は出ない。
 圭太は一度全員を見回した。
「それじゃあ、次期部長は真辺紗絵でいいね?」
「異議な〜し」
「賛成」
 賛成の声を受けて、圭太は『部長』の隣に紗絵の名前を書く。
「次は副部長。これは二年と一年、それぞれからひとりずつ。立候補以外は認めないから。まずは、二年から」
「はい」
 すぐに手が挙がった。手を挙げたのは、片岡治だった。
「治以外に誰かいる?」
 確認するが、手は挙がらない。
「じゃあ、二年の副部長は片岡治でいい?」
「オッケー」
「全然問題なし」
 さらに『副部長』の隣に治の名前を書く。
「最後に一年の副部長。誰かいる?」
「はい」
 これもすぐに手が挙がった。手を挙げたのは、もちろん琴絵だった。
「ほかには?」
 誰からも声は上がらない。
「じゃあ、一年の副部長は高城琴絵でいいかい?」
「それしかないでしょ」
「問題なし」
 治の隣に、琴絵の名前を書く。
「よし。じゃあ、早速三人は前に出てきて。三人にはこの合宿から部を動かしてもらうから。その意気込みを簡単に」
 三人とも前に出てくる。
「まずは、部長から」
「えっと、あまりにも優秀な先輩のあとなのでどこまでできるかわかりませんけど、できる限りのことはやりたいと思います」
 そう言って紗絵は頭を下げた。
「人数は少ないですけど、男子のとりまとめを行いつつ、部長のサポートをできればと考えています」
 そう言って治は頭を下げた。
「できることからひとつずつしっかりとやり、精一杯がんばります」
 そう言って琴絵は頭を下げた。
「改めて言わなくてもみんなならわかってるとは思うけど、この部はこの三人の部じゃないから。そこに部員であるみんながいるからこそ活動ができる。だから、みんなもできることがあったら、積極的に三人に協力してあげてほしい。それが、これからのこの部のためになるから。じゃあ、ここからは新部長に任せるから」
 圭太は紗絵の肩を軽く叩き、席に戻った。
「では、これからパートごとにパートリーダーを決めてもらいます。リーダーは基本的に二年がやってください。立候補や話し合いで決まればいいですけど、それでも決まらなければ、先輩の意見も聞いて決めてください。決まったら、ホワイトボードの自分のパートのところに名前を書いてください」
 少し時間が与えられ、パートごとに話し合いが行われる。とはいえ、二年がひとりしかいないパートは、否応なくリーダーとなる。
 今年は根回しのおかげか、リーダーの選出も実にスムーズに行われた。
 次々に名前が書き込まれる。
「これで全部ですね?」
 全パートに名前が書き込まれた。
 それによると、フルートは朱美、オーボエは詩織、クラリネットは遥、サックスは麻衣子、ローウッドは引き続き亜希、ホルンは浩章、トランペットは紗絵、トロンボーンは一晴、ユーフォニウムは留美、チューバは邦和、コントラバスは早苗、パーカッションは浅子ということになった。
「では、これから向こう一年間、このメンバーを中心に部を動かしていきます。なにかわからないことがあれば、先輩方が引退する前に確認しておいてください。それでは、先生。これからの予定をお願いします」
 紗絵に代わって菜穂子が前に出る。
「去年も言ったことだけど、三年生はコンクールが終わるまではこの部の部員なんだから、しっかりやること。まかり間違って手を抜こうものなら、ひどいわよ」
 菜穂子は、そう言って三年が傍観者にならないように注意する。
「じゃあ、今日の予定だけど、とりあえず合奏から。そこで問題点を改めて洗い出し、その上で課題を与えるから。細かな練習日程はその都度言うけど、合奏は今日と最終日のみで、それ以外は基本的にパート練習とセクション練習の予定だから。もちろん、練習中に私も見てまわるけど。そのあたりのこともよく考えて、合奏に臨むように」
『はいっ』
「それじゃあ、各自楽器を持って練習場に集合。三十分後に合奏をはじめるわよ」
 
 合奏は課題曲、自由曲を一度通しただけで終わった。その際にそれぞれに課題を与え、これからの練習の指針とさせた。
 合奏自体のできは間が開いたこともあり、あまりよくなかった。それでもそれは織り込み済みで、菜穂子も特に気にしていなかった。
 合奏が終わると、さすがに初日は個人練習にあてられた。ブランクのある状態では、パート練習やセクション練習を行ったところで、あまり意味がないのである。
 各自が思い思いの場所で練習をはじめ、あちこちから楽器の音が聞こえてくるようになった。
 そんな中、圭太も外で練習を行っていた。
 メトロノームが正確にリズムを刻み、圭太はそれにあわせて練習していく。
「ふう……」
 ある程度練習を進め、圭太はひと息ついた。
 圭太の上には、葉の生い茂った木がある。陽差しは強いが、葉や枝のおかげでほとんど直接当たらない。
 林の中を吹き抜けてくる風は、とてもさわやかで気持ちいい。
「なんとなく、気が抜けちゃったかな」
「なにが気が抜けたの?」
「ん? 柚紀か」
 振り返ると、笑顔を浮かべた柚紀がいた。
「なにが気が抜けちゃったの?」
「ほら、僕はもう部長でもパートリーダーでもないからさ。なんとなく肩の荷も下りたし、それでちょっとね」
「そっか。でも、圭太はそれくらいでちょうどいいんじゃない? なんでもかんでも背負う必要はないんだから。これで無理矢理全部取り上げられて、自分の練習に集中できるでしょ?」
「かもしれないね。でも、コンクールが終わるまでは、あくまでも僕たち三年が中心だからね。指導だってきっちりやるよ」
 そう言って圭太は微笑んだ。
「ところで、柚紀は今休憩中なわけ?」
「まあね。うちらは個人でやるよりもパートでやった方が効率的だから、それで練習も長目にやって、少し長目に休みも取ってるのよ」
「なるほどね」
「ペットのほかのメンバーは?」
「さあ、どこでやってるのかな? 時々音は聞こえてくるから外でやってるみたいだけど。どこでやるかまでは決めてないからね」
「そっか。自主性に任せてるわけね。優秀なペットらしいやり方だわ」
 柚紀は、多少皮肉を込めて言った。
「あら、ふたりで密会でもしてるのかしら?」
 そこへ、菜穂子がやって来た。
「密会なんかしてませんよ」
 一応圭太が反論する。
「そう? それならいいけど」
 菜穂子は、わかってはいたけどね、と言って笑った。
「柚紀は、練習の方はいいの?」
「そろそろ戻ります。一応、パート練習の途中ですから」
「そう。そっちにはもう少ししたら行くから、ちゃんと練習してるのよ」
「わかりました」
 柚紀は、少しだけ残念そうに手を振り、戻っていった。
「邪魔しちゃったみたいね」
「構いませんよ。僕も柚紀も休憩中だっただけですから。すぐに練習再開しなくちゃいけませんでしたし」
「それならいいけど。それにしても、柚紀は本当にあなたのことが好きなのね。一分一秒でも長く一緒にいたいっていうのが、見てるだけでわかるもの」
 それには圭太はなにも言わなかった。
「私にもそういう経験があるから、よくわかるわ」
「それは、少し興味がありますね」
「そうね。機会があれば話してあげるわ。もっとも、それは卒業後になるかもしれないけど」
「じゃあ、ちゃんと覚えておかないとダメですね」
「ふふっ、楽しみにしてるわ。じゃあ、少し確認したいことがあるから、練習を再開してくれる?」
「わかりました」
 
 午後の練習が終わると、夕食である。大勢での食事は自然と賑やかになるが、吹奏楽部もまた賑やかだった。
「はあ、結構きつかった〜」
 夏子は、椅子に座るなり嘆息混じりにそう言った。
「そんなに絞られたの?」
 隣に座った圭太が、そう訊ねた。
「いつもに比べればましだと思うけど、県大会からブランクがあったから、それでちょっと大変だったの」
「なるほどね。でも、今日の練習はそのブランクを取り戻すのが第一目標だから、しょうがないよ」
「わかってはいるんだけどね。ついつい愚痴っちゃうの。はあ……」
 くてっと力尽きた夏子を見て、圭太は苦笑した。
 夕食のあとは、夜の練習である。音感やリズム感を養う練習、腹筋や背筋など楽器を演奏するのに必要と思われる筋肉の強化と、バラエティ豊かな練習内容である。
 食後の軽い運動、どころではない内容に、今年がはじめての一年はたいてい驚く。そして、練習が終わるとへとへとになる。あとは風呂に入って寝るだけなので、いいと言えばいいのかもしれないが。
 夜の練習が終わり、男女ともそれぞれ風呂に入る。男子は人数が少ないので一回で終わるのだが、女子は人数が多く三回ほどに分けて入る。
 圭太が風呂上がりにラウンジで涼んでいると、いきなり後ろから抱きつかれた。
「やっ、圭太」
 抱きついてきたのは、柚紀だった。
 圭太と同じように風呂上がりなので、肌がほんのり桜色に染まっている。
「今年もやっぱりここで涼んでるんだね」
「まあね。部屋でもいいんだけど、今年は僕が三年だから。後輩三人が変に気を遣わないように、ここにね」
「なるほどね。そういう点でいえば、私の部屋は楽ね。なんたって、二、三年の四人だから。それに、あまり気を遣うような間柄でもないし」
「誰が一緒だったっけ?」
「ん? 舞と浅子、由梨加の三人。パートも同じだし、ホント、気兼ねなくなんでも言えるしできるわよ」
「なるほどね。確かにそのメンバーなら、なんでも言えるしできそうだ」
「なんか、含んだ言い方ね」
「別に他意はないよ。仲が良いねってことだからさ」
「まあ、そういうことにしておくわ」
 そう言ってから柚紀は、おもむろに圭太の前にまわった。
「外って出られたっけ?」
「まだ出られるよ」
「じゃあ、ちょっと外に出よ」
 柚紀は、圭太の手を取り、外へ出た。
「ん〜、涼しい」
 外は、とても涼しかった。
「空を見上げれば、一面の星空。すっごく、ロマンチックな光景ね」
「そうだね」
 夜になり多少霧が出ていたが、視界を遮るほどではなかった。従って、空を見上げればちゃんと星空を見ることができた。
「去年、一昨年と合宿中、圭太といちゃつける機会が少なかったから、今年こそはって思ってたんだ。でも、こういうのを見ちゃうと、そういうことが些細なことに思えてきちゃうから、不思議」
 そう言って柚紀は大きく手を広げた。
「手を伸ばせば届きそうな星。でも、それは届かない。それがいいんだろうね」
 手を、空に向けて伸ばす。
「なんでも届いちゃったら、神秘性とかもなくなるだろうし」
「確かに」
「だから私は、手近にある手の届くものに、手を伸ばすの」
 そして、その手を圭太に向けた。
「この、絶対に手放したくない大事なものにさえ常に触れられれば、私はそれでいいの」
「じゃあ、僕はこうするべきなのかな?」
 圭太は、柚紀の手を取り、そのまま自分の方へ引き寄せた。
「これなら、ずっと触れられるでしょ?」
「うん」
 柚紀は、圭太の胸に頬を寄せた。
「圭太……」
「柚紀……」
 ふたりは、自然に唇をあわせていた。
「このままずっと一緒にいたい……」
「そうだね……」
「戻らないと、まずいかな……?」
「さすがにね」
「そっか。じゃあ、しょうがない」
 もう一度キスを交わす。
「よし、戻ろっか」
「部屋まで送るよ」
「うん、ありがと」
 柚紀は、満面の笑みを浮かべ、圭太の腕を取った。
 
 二
 合宿二日目。
 例年通り、起床時間は朝七時だった。さらに、朝食までの間に、合宿所のまわりをランニングするというのも、例年通りだった。
 二年目、三年目の二、三年は眠そうではあるが、特に問題もなくそれをこなす。それがはじめての一年にとっては、少々朝から面倒なことである。
 圭太は、起床時間より三十分も前に起き出し、外に出た。
 朝の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込むと、まだ完全には目覚めていなかった頭もすっきりと目覚める。
「今日もいい天気になりそうだ」
 空を見上げると、一面の青。確かに、いい天気になりそうだった。
 寝ていて固まっている体を軽くほぐす。
「おはよ、圭太」
 そこへ、柚紀がやって来た。
「おはよう、柚紀。早いね」
「うん。だって、こういう時じゃないと、圭太とふたりきりになれないから」
「そっか。じゃあ、とりあえず走ろうか?」
「うん」
 ふたりは、林の中の方へ走っていく。
 林の中は、さらにさわやかな空気に包まれていた。
「昨夜は、あのあとちゃんとすぐに部屋に戻ったんだよね?」
「ん、ああ、戻ったよ」
「ならいいの。もしまかり間違ってあのあと誰かと会ってたなんてことがあったら、さすがの私もへこむもの」
「大丈夫だよ。昨日は本当になにもなかったから」
「私としては、今日も明日もなにもないといいんだけどね」
「それはまあ、なんとも言えないけど」
「むぅ、そんなの圭太がちゃんとしてればなにもないでしょ?」
「そうなんだけどね」
 圭太は苦笑した。
「そりゃ、圭太がみんなのことをカワイイと思ってなんでも言うことを聞いてあげたくなる気持ちはわかるけど、少しずつ突き放すことも覚えないと、いつまでも同じことを繰り返すだけよ?」
「まあ、そうだね」
「圭太の彼女は私なんだから、よく考えてみてよ」
「了解」
 
 朝食後、九時から二日目の練習がはじまった。
「まずは、基礎練を三十分やって、それからパート練習をはじめるから」
 トランペットはパートリーダーが圭太から紗絵に変わっても、コンクールの間は基本的に圭太が指導することになっていた。
 圭太と紗絵では指導力に差があることも事実だが、なによりもずっと圭太がやってきたことを突然変えるのはかえって大変だからである。
 黙々と基礎練習を行う六人。
 三十分練習を行い、パート練習。
「とりあえず、課題曲からはじめよう。適当なところで切りながら進めるから」
 圭太自身も演奏しながら指導も行う。
 これはかなり大変なことである。自分の演奏を確認すると同時に、ほかのメンバーの演奏もちゃんと聴いていなければならないのである。
 圭太は言った通り、適当なところで切りながら、指導を行っていった。
 その指導は相変わらず容赦がなかったが、以前よりはその頻度が下がっていた。それはとりもなおさず、それぞれのレベルが確実に上がっているからである。
「だいたいこんなところかな」
 ようやく課題曲が終わった。それほど細かく区切っていたわけではないが、それでもかなりの時間がかかっていた。
「じゃあ、休憩してから自由曲をやろう」
 圭太がそう言うと、途端に緊張感から解放される。
「それにしても、みんな一日だけで結構調子を戻してきたね」
「そう思う?」
「思うよ。もちろん、県大会の本番に比べればまだまだだけど、それでも一週間のブランクを考えれば、なかなかだと思うよ」
「圭太にそう言われると、ちょっと嬉しいわね」
 夏子は冗談めかしてそう言う。
「でも、先輩。あまり喜んでばかりもいられないんじゃないですか? 調子がいいと、その分だけ先輩に高いことを要求される可能性が高いですから」
「……それもそうね」
 紗絵の言葉に、夏子は小さく唸った。
「紗絵、そういうことは言わないでほしかったな。言われちゃうと指導する楽しみが減るからね」
「いえ、言ってくれてありがとう。その方が心構えができるわ」
 先輩ふたりからそう言われ、紗絵はどう反応していいのかわからないというように、苦笑した。
「まあ、ここまで来ればパート練習をきつくする必要はないとは思うけどね。それぞれにやらなくちゃいけない場所もわかってるだろうし。僕はみんなの実力を評価してるし、やればやっただけ結果として出てくると思ってるから。だからあれこれ言いたくなるんだよね」
「そう言われて悪い気はしないけど、ちょっと複雑」
「でも、夏子に対してはそれほど言ってこなかったと思うけど」
「そうかなぁ? たまに、今日のターゲットは私なのかな、と思うほど集中攻撃されたこともあったわよ。だから、私って圭太に嫌われてるのかなって思ったこともあったし」
「う〜ん、そんなことはないんだけどなぁ。現に、普段の指導だと夏子に言う回数ってそう多くないでしょ?」
「そうかもしれないけど」
「まあ、紗絵や満くらいいろいろ言ってほしいなら、そうするけど」
「そ、それは遠慮しておくわ。うん、今ので十分」
 夏子は慌ててそれを否定した。
「そう?」
 圭太はわざとらしくそう言って笑った。
「先輩が夏子先輩を優遇してるのには、なにか理由でもあるんですか?」
 と、和美が実に鋭い質問をぶつけた。
「理由? もちろんあるよ」
「それって、なんですか?」
「言い方は悪いかもしれないけど、夏子はずっと僕のやることを見てきてるからね。だから、どうすればいいのかもわかってる。公然とはなかったけど、僕と比べられたことも多々あったし」
「…………」
「一生懸命やってることも知ってるし、その結果も出てる。だから僕はあまり言わないんだよ。まあ、僕がそこまで偉そうに言える立場じゃないってこともわかってるけどね」
 圭太にそこまで言われ、夏子は照れている。
「ただ、ひとつ勘違いしないでほしいのは、別に僕は夏子を優遇してるわけじゃないってこと」
「どういう意味ですか?」
「優遇じゃなくて、それが普通ってことだよ。ちゃんとやれば、その程度しか僕も言わないってことだからね。時間的に経験が足りない和美たちには少し不利かもしれないけど、でも、その結果は評価するからね」
「つまり、言われてる間は、まだまだってことですか?」
「平たく言えば、そうなるね」
「あう……」
 さすがに面と向かってそう言われては、多少へこみもする。
「もっとも、僕がみんなに求めてるレベルっていうのは結構高いと思うから、普通にやるだけなら、今ので十分だと思うよ。もちろん、それで全国で通用するかどうかは、わからないけどね」
 フォローしつつ、ちゃんと締めるところが、圭太らしくもあった。
「さてと、じゃあ、そろそろ自由曲の方をやろうか。ひとつひとつの音に集中して、今が本番のつもりで」
 
 昼食後、午後も引き続きパート練習を中心に練習は行われていた。
 各パートともやることはたくさんある。それぞれの本音を言えば、合宿だけではとても足りないというところだろう。
 それでも与えられた環境下で最高のパフォーマンスを見せなければ、それにともなう評価は得られないのである。
 しかも、練習をすることが目標ではない。目標はあくまでも、全国大会の舞台で金賞を取ることである。だからこそ、つらい練習にも耐えられるのである。
「はあ……」
「な〜にアンニュイな顔でため息なんかついてるのよ?」
「別に、たいしたことじゃないよ」
 朱美は、ちらっとそちらを見ただけですぐに視線を戻した。
「ふ〜ん……」
 声をかけたかおるは、その顔を覗き込み、なるほどと頷いた。
「……なに?」
「あれでしょ? 昨日からあんまり先輩に構ってもらえなくて、つまらないんでしょ?」
「……そんなことないよ」
「ホント? 天地神明に誓って、そう言える?」
「…………」
「ま、どんなに強がったって、朱美がそんな風になるのは、先輩絡みの時だけだから」
 そう言ってかおるは、ぽんぽんと肩を叩いた。
「確かに、昨日からほとんど一緒にいられないからね」
「そんなの、しょうがないって。圭兄だって練習があるし、私だって練習があるんだから。まさかその練習をさぼるわけにもいかないし」
「ま、練習中はね。休憩時間だって同時じゃなきゃ、意味ないし。でも、それ以外の時間でも今回はダメでしょ?」
「それは……まあ、そうかもしれないけど」
「ひょっとして、避けられてるとか?」
「それはない」
「あらら、即答ね」
「だって、避けられる理由がないもの。かおるだって知ってると思うけど、圭兄がそういうことをしない人だって」
「うん、まあ、そうね」
「いくら部長じゃなくなったって、未だに圭兄が部長みたいなものなんだから、いろいろあるのも当然でしょ?」
「それに、朱美には強力なライバルがいるからね」
 かおるは、意味深な笑みを浮かべた。
「あ、というより、絶対に勝てない相手に負け戦を挑んでるわけだから、こうなるのも当然か」
「……あのさ、そうやって心をえぐるようなことをズバズバ言わないで」
「でも、事実でしょ?」
「そりゃ、そうだけどさぁ……」
「さっきからふたりでなに話してるの?」
 と、そこへ三年のふたりがやって来た。
「朱美は往生際が悪いって話してたんです」
「ちょっと、なによそれ?」
 かおるの説明に朱美が噛み付く。しかし──
「ああ、なるほどね」
「ま、見ようによっては、そう見えるわね」
 先輩ふたりは、得心といった感じで頷いた。
「でも、それはそれでいいんじゃないの?」
「あら、めぐみらしからぬ意見ね」
「ちょっと、それど〜ゆ〜意味よ?」
「ん、ほら、玉砕記録を更新中のめぐみの意見とは思えなかったからさ」
 智子は、くくくっと笑った。
「……う、うるさいわね。あれは玉砕じゃないわ。お互いのフィーリングがあわなかったから、自然消滅しただけよ」
「言葉って便利ね」
「と、とにかく、別にいいと思うわよ、往生際が悪くても。簡単に割り切れるようなら、それはそれで問題だと思うし」
「そう、思いますか?」
「まあね。ただ、相手があの圭太だっていうのが、微妙よね」
「どう微妙なんですか?」
「ん、圭太って甲斐性ありそうだから。だから、どんな状況でも受け入れてくれるんじゃないかって、そう思えちゃう。だから、今の朱美の状況も受け入れられちゃうかもしれないって」
「…………」
 朱美は思わず押し黙った。まさか、すでに受け入れられてるとは言えない。
「それは、めぐみの言う通りかも。じゃなかったら、圭太がみんなとつきあってるだなんて噂、立たないからね」
「そういうわけだから、それ自体はいいと思うわよ」
「はあ、わかりました」
「それにしても、あっちもこっちも圭太ファン、圭太信者でいっぱいね」
「それはしょうがないでしょ。あれだけの逸材、そうそういないもの」
「それは認めるわ。圭太を彼氏にできたら、それはそれでいいことの方が多いだろうし」
「柚紀を見てれば、それは一目瞭然だしね」
 いつの間にか、話の中心が朱美から圭太へと移っていた。
 朱美は、そんなに簡単に圭太に話が移ってしまうこと自体には驚いてもいないのだが、圭太が部の誰からもなんらかの感情を持たれていることを改めて認識した。
 
「ふう……」
「疲れた?」
「あ、いえ、そうじゃなくて、って、少しは疲れてますけど」
 詩織は、少しだけしどろもどろに答える。
 そんな後輩の様子を、美穂は笑みを浮かべて見ている。
「じゃあ、なにかため息をつくようなことがあったとか?」
「……そういうわけでも、ないわけでもないんですけど」
「なぁに、その、政治家の答弁みたいな言い回しは?」
「あ、えっと、その……」
「ふふっ、慌てないの。梢が不思議そうな顔で見てるわよ?」
 確かに、梢が興味津々な顔でふたりのやり取りを見ている。
「で、なにがあるの? あったの?」
「……先輩や梢にとってはたいしたことじゃないんですけど」
「ということは、圭太のことね」
 美穂の答えに梢もなるほどと頷く。
「そういえば、この合宿に入って、詩織が圭太と一緒にいること、ほとんどないわね」
「それはそれで構わないんですけど、なんとなく──」
「淋しい? もっと構ってほしい?」
「えっと……それは、その……はい」
「ふふっ、正直ね」
 美穂は、よしよしと詩織の頭を撫でた。
「これはあくまでも私の見た感じなんだけど、圭太、なんとなく柚紀を優先してるような気がするの。気のせいかもしれないけどね」
「それは、私もそう思います」
「彼女を優先されちゃ、詩織の出番はなし、というわけか」
「あの、詩織先輩」
「うん?」
「詩織先輩と圭太先輩って、どういう関係なんですか?」
「どういうって……」
 梢の純粋な質問に、詩織は思わず口ごもった。
「ひょっとして、柚紀先輩には言えない関係、だったりしますか?」
「え、えっと……」
「あはは、鋭いわね、梢。でも、詩織がそれに答えるわけないでしょ? 仮にそうだとしたら問題だし、そうじゃないと否定したところであなたが納得するかどうかは、別問題だし」
「言われてみれば、そうですね」
「というわけだから、詩織も必要以上に慌てないの」
「は、はい……」
 詩織は、真っ赤になって俯いた。
「だけど、詩織ってホントに圭太のことが好きなのね。そりゃ、圭太はあの容姿だし性格もいいし、勉強も運動もできる。これで好きにならない方がおかしいとは思うけど。でも、だからって柚紀という彼女がいることを考えると、ちょっと考えるかな」
「詩織先輩の想いが、強いんですね」
「ま、普通はそう考えるわね」
「それは、詩織先輩だけじゃないってことですか? たとえば、圭太先輩も詩織先輩のことを想っている、とか」
「当たらずとも遠からず、かな」
 美穂は、意味深な笑みを浮かべた。
「でも、いいですよね。そうやって好きな人のことを見ていられるのって」
「梢は、好きな人、いないの?」
「今はいません」
「今は、ということは、以前はいたんだ」
「はい。中学に入る頃までは、近所に住んでいた年上のお兄さんが好きでした。でも、大学に合格して出て行ってしまったので、きっぱりあきらめました」
「ふ〜ん、なるほど。じゃあ、今は好きな人になりそうな人を物色中、というわけか」
「はい」
 梢はなんの躊躇いもなく答えた。
「美穂先輩はどうなんですか?」
「私? 私は今すぐ彼氏がほしいとは思ってないから。とりあえず今は、部活と受験勉強で手一杯だし」
「なるほど」
「ああ、でも、圭太のことは好きよ。やっぱり、惹かれるところは多いし」
「それは、わかります」
「まあでも、圭太には柚紀みたいな子があってるのも事実だし」
「それもわかります」
「というわけで、私は大学に合格してから恋を見つけるの」
「がんばってくださいね」
「了解」
 いつの間にか、恋愛談義に発展していた。
 詩織は、とりあえず自分が必要以上に追求されなくなり、ホッと胸を撫で下ろしていた。
 
「う〜、あ〜……」
「なに、奇声を上げてるの?」
「は、遥先輩……べ、別に奇声なんか上げてませんよ」
「そう? なんか、う〜、とか、あ〜、とか、奇声を上げてたけど」
 遥は笑いながら琴絵の隣に座った。
「練習が大変だから、というわけでもなさそうだし」
「べ、別になんでもないですから」
「そうは見えないけどねぇ」
「そうそう、あたしもそうは見えないわ」
 そんなふたりの間に、綾の顔が出てきた。
「あ、綾先輩まで……」
「あらあら、私たちを忘れてもらっちゃ、困るわね」
「そうそう」
 その後ろには、同じ三年のひかると陽子がいた。
「で、なにしてたの?」
「ん、ブラコンな妹が大好きなお兄ちゃんに構ってもらえなくてへこんでたのよ」
「せ、先輩っ」
 綾の的確な物言いに、琴絵は思わず腰を浮かせた。
「あ、な〜るほど」
「そういうことか」
 しかし、先輩ふたりはそれで納得した。
 遥は、そんな三人の先輩たちを苦笑しながら見ている。
「でも、実際圭太とはあまり話せてないんでしょ?」
「そ、それは、そうですけど……」
「むしろ、綾の方が話せてるんじゃないの?」
「そうかもね。なんたって、前部長と前副部長だもの」
「まあ、その可能性はあるけどね。ただ、それだって所詮は話してるというよりは、決まってることに対して意見を述べ合ってるだけだから」
 綾はそう言って琴絵の肩に手を載せた。
「大丈夫だって。あのシスコン圭太が大事な妹のことを放っておくわけないんだから。それに、合宿はまだ二日もあるし。構ってもらえるチャンスくらいあるでしょ」
「なんかそうしてると、綾と琴絵って、『姉妹』みたいね」
「ホント。面倒見のいい姉と、その姉に諭されている妹。そんな感じ」
「こらこら。勝手なこと言わない」
 ひかると陽子の言葉に、綾は手をパタパタ振って否定した。
「それに、このパートで琴絵の姉といえば、遥に決まってるじゃない。ねえ?」
「えっ、わ、私ですか?」
「そうよ。三中出身で直接の先輩でもあるんだから」
 確かに感覚的には遥の方がその立場かもしれない。
「ま、それはいいわ。今は、高城兄妹のことを話してるんだから」
「それもそうね」
「そっちの方が、いろいろと面白そうだし」
 すっかりそっちの話になってしまい、琴絵はもはやなにも言えなかった。もちろん、隣の遥もである。
 ふたりは顔を見合わせ、苦笑するしかなかった。
 
「なんか楽しそうね」
「ん? そう?」
「楽しそうに見えるって。ねえ、武?」
「ま、いつもよりは楽しそうに見えるかな」
「そうかなぁ?」
 柚紀は、首を傾げた。
「柚紀が楽しそうにしてる理由なんて、ひとつしか考えられないけど」
「圭太絡みのことだけ」
「それじゃまるで、私のすべては圭太でできてるみたいじゃない」
「そうじゃないの?」
「うぐっ……全否定できないけど、でも、すべてなんてことはないわよ」
「じゃあ、九分九厘?」
「……せめて、九割よ」
「あはは、たいした差じゃないわよ、そんなの」
 舞は、声を上げて笑った。
「で、なにがあったの?」
「別になにもないわよ」
「それはウソよ。さすがに信じられない」
「……たとえあったとしても、なんでそれをわざわざ言わなくちゃいけないの?」
「そりゃ、同じパートの仲間として知りたいからよ。精神状態って演奏にも多大な影響を及ぼすからね」
「……そのいかにも正しそうな理由を取って付けるのやめて」
「ま、それは冗談にしても、気になるのは事実よ」
「……別に、ホントになにもないわよ。ただ、圭太と一緒にいられる時間が増えたことくらいで」
「ふ〜ん、そうなんだ。圭太、柚紀に気を遣ってるのかしら?」
「ちょっとちょっと、その言い方はないでしょ? 私は圭太の彼女なのよ」
「ま、でもさ、うちの部にはライバルがいるわけだし。だとしたら、そういう発想になってもしょうがないと思わない?」
 反論できなかった。
「まあまあ、柚紀も舞もその辺で。柚紀の機嫌がいいことは、練習にとってもいいことなんだからさ。今回はそうなってるんだから、素直に喜べばいいじゃないか」
「それもそうね。変にギスギスしてるよりは、よっぽどましね」
「……あんたたち、ホント好き勝手言うわね」
「同学年の特権てことで」
 舞は、またも声を上げて笑った。
 もちろん、柚紀は面白くなさそうな顔であった。
 
 二日目の夕食は、まだ元気が残っている状態だった。ただ、若干名、心身ともにバテはじめている者もいた。とはいえ、この合宿の目的のひとつが休み中にだれてしまった気持ちを立て直すというのもある。となると、多少精神的にバテてしまっても、しょうがない部分もあった。
「先輩は、ここまでの合宿の成果をどう見ていますか?」
 圭太の隣に座った紗絵が、そんなことを訊いてきた。
「ん〜、そうだね。とりあえずブランクは取り戻せたんじゃないかな。今回はほかのパートを見てるわけじゃないから、なんとも言えないけど」
「なるほど」
「まあ、その成果は明日、みんなに見せてもらうよ」
「明日って、特別なことでもするんですか?」
「明日は、セク練の予定だからね。少なくとも、金管の方は確認できるよ」
「明日はセク練ですか。なるほど」
「どうかな、明日のセク練は紗絵がやってみたら?」
「んっ! けほっ、けほっ」
 と、紗絵はちょうど飲んでいた水を気管に詰まらせ咳き込んだ。
「わ、私がですか?」
「そのうちイヤでもやる立場になるんだから、早い方がいいと思ってね。そうすれば僕は木管も見られるし」
「それはそうかもしれませんけど……」
「別に無理することはないよ。どうせコンクールの指導は僕の役目だから」
「はあ……」
 笑顔でそう言われては、紗絵としてもなんとなくイヤとは言えなかった。それでも少なくとも圭太がいる状況で自分がやるということも、なかなか考えられなく、即答はできなかった。
「僕としては、明日は午前中はセク練、午後は合奏というのが理想なんだけど、それはあくまでもセク練の様子を見てだからね」
「先生も見てるんですよね?」
「まあね。金管、木管の両方を見てもらうことになってるよ。先生による合奏は最終日だけだけど、状況次第でやるかもしれないとはあらかじめ言ってあるから」
「そういえば、今回の練習メニューは先輩が決めたんですよね?」
「大まかな部分はね。最終的には僕と先生とで調整して、今日までの練習になってるけど」
「なるほど」
「明日、合奏をやってもやらなくても、あさってやることに変わりはないから。その分、明日はちゃんと練習しないとね」
「そうですね」
 夕食後、夜の練習が行われた。
 練習内容は前日とほぼ同じだったが、多少の慣れが出てくるところで、変化球的なことも行われた。
 それが終わらなければ一日の練習は終わらないので、部員たちも比較的真面目にやっている。
 練習後はやはりそれぞれへろへろな状態である。それでも、このサイクルにさえ慣れてしまえばそれほど大変なこともない。
 事実、練習後の風呂で疲れを取れば明日にそれが残ることはほとんどないのである。
 男女ともにほぼ同じように風呂に入り、ようやく短い自由時間である。
 あまりいないが、中には宿題をやっている者もいる。やはり、四日間丸々やらなければ提出が危うい可能性が高いのである。
 そんな宿題とも無縁な圭太は、風呂上がりにいつものようにラウンジで涼んでいた。
「とりあえずは順調、かな」
 圭太は、この二日間の練習を振り返り、そう呟いた。
 実際、練習は滞りなく進み、問題らしい問題はなかった。
「お兄ちゃん」
 と、そんな圭太に声がかかった。
「ん、琴絵か。どうかしたか?」
「ううん、なにかあったわけじゃないよ。ただ、お兄ちゃんと一緒にいたかっただけ」
 そう言って琴絵は微笑んだ。
「今日は、私たち一年が最初だったから」
「最初って、ああ、風呂の順番か」
「うん。だから、こうやってお兄ちゃんと一緒にいられるの」
「別に、一緒にいようと思えばいつでも一緒にいられると思うけど」
「合宿中はそうはいかないよ。練習場所だって離れてる可能性が高いし」
「まあ、そうかな」
「だから、わざわざいようと思わないといけないの」
「なるほどね」
 琴絵の物言いに、圭太は苦笑した。
「ねえ、お兄ちゃん」
「うん?」
「お兄ちゃんて、やっぱりうちの部活で常に注目されてるんだね」
「どういう意味だ?」
「先輩たちもみんなお兄ちゃんのことをちゃんと理解してるから。だから、そのまわりにも注意を払ってるし。なにかあればすぐにわかるって感じ」
「まあ、それはそうかもしれないけど」
「否定はしないんだ」
「事実だから」
 そう言って圭太は苦笑した。
「そのことで僕に不利益が及ぶならなんとかするけど、別にそれで困ってるわけでもないし、それにそれで一番言われてる柚紀がなにも言わないんだから、僕としては見ているしかないよ」
「そういうものなのかなぁ?」
「そういうものだよ。それに、僕たち三年が卒業すれば、自然となくなるし」
「それはそうだろうけど。妹としては、ちょっと複雑かも」
「ははは、琴絵がそう思ってくれてるということは覚えておくよ」
 圭太は、琴絵の頭を撫でた。
「お兄ちゃんと一緒に演奏できるのも、長くてあと二ヶ月ちょっとなんだよね」
「ん、まあ、そうなるのかな」
「三中の時もそうだったけど、私が入学してから、ホントにあっという間だよ。私は、もっともっとお兄ちゃんと一緒に演奏したいのに」
「それは、しょうがないことなんだけどな。ただ、僕にもそういう想いがあるのは事実だし」
「お兄ちゃんも?」
「ああ。せっかく兄妹揃って吹奏楽をやってるんだから、やっぱり一緒に演奏したいと思うよ」
「そっか。お兄ちゃんも私と同じなんだ」
 琴絵は少しだけ嬉しそうに微笑んだ。とはいえ、曇った表情が晴れたわけではない。
「時期が時期だけにいろいろ考えたくなるのはわかるけど、とりあえずはコンクールのことを考えないとな」
「うん、それはわかってるよ。それに、今年は三年連続金賞がかかってるから、がんばらないとって思うし。あと、個人的には去年の銀賞の雪辱を晴らしたいし」
「そう思ってちゃんと練習していれば、必ず結果はついてくるから」
「うん、そうだね」
 琴絵は、そっと圭太に寄りかかった。
「お兄ちゃん……」
「──こらこらこら、合宿中にそれはまずいわよ」
「えっ……?」
 ラウンジに声がして振り返ると、曖昧な笑みを浮かべた柚紀がいた。
「ふたりのことを知ってる人ならいいけど、知らない人に見られると、いろいろ困ると思うわよ。だから、琴絵ちゃんも辛抱しないと」
「……そうですね」
 琴絵は心底残念そうに圭太から離れた。
「ところで、圭太」
「うん?」
「明日合奏やるかもしれないって噂が流れてるんだけど、ホントなの?」
「ああ、うん、可能性としてはあるかもね。ただ、それも午前中のセク練を見て決めるから。今のところはなんとも言えないよ。練習メニューの作成には僕も携わったけど、最終的な判断をするのは先生だから。先生が合奏をした方がいいと思えば、するだろうし、まだ早いと思えばあさってになるだろうし」
「そっか。でも、可能性はあるのよね?」
「あるよ。なんたって、合奏を提案したのは僕だからね。厳密に言えば、明日の午後の予定はセク練もしくは合奏、ということだから」
「なるほどね。圭太らしい」
 柚紀は、そう言って苦笑した。
「ま、合宿も折り返し地点を過ぎたわけだから、そうなってもしょうがないのかもしれないけどね」
「僕の意図をちゃんと理解してくれて嬉しいよ」
 冗談めかして言う圭太に、柚紀はやれやれと肩をすくめてみせた。
「あの、柚紀さん」
「ん、どうかした?」
「ひょっとして、去年、一昨年もお風呂上がりにはここでいろいろ話をしてたんですか?」
「まあ、そうね。最初は偶然だったんだけど、なんとなくここに来て涼むのがここでの形になって。ね、圭太?」
「そうだね」
「もっとも、去年は三日間のうち一日しかチャンスはなかったけどね」
 わずかに鋭くなった柚紀の視線を圭太は無視する。
「そうなんですか?」
「去年なんて、初日は祥子先輩、二日目は紗絵ちゃんと一緒だったんだから。どこの世の中に彼女をないがしろにする彼氏がいるのよ、って感じだったし」
「あ、あはは、それはそうですね」
「今年はその分も含めて一緒にいようと思ってね。ただ、入浴順があるから、どうしても出遅れることがあるけど。でも、今年は大丈夫だと思ってるの」
「どうしてですか?」
「事前に圭太に言っておいたというのもあるけど、初日、つまり昨日ね。昨日は私たち三年が最初だったでしょ?」
「はい」
「だから心配することはないし、今日は琴絵ちゃんだけだから。よほどのことがない限りなにもないだろうし。明日は明日で、あの三人がお互いに牽制しあうと思うからそう思惑通りにはいかないだろうしね」
「なるほど」
「まあ、どういう状況であっても、圭太自身がちゃんとしてれば私は常に安心できるんだけどね」
「……返す言葉もないよ」
「まったく甲斐性のありすぎる彼氏を持つと、いろいろ苦労するわ」
「そ、そうですね」
 琴絵としては、さすがにそれ以上はなにも言えなかった。
「あ、そうそう、圭太」
「なに?」
「念のために言っておくけど、まかり間違っても明日、誰かと、なんてことになったらあさっての朝がどうなるか、わかってるわよね?」
「だ、大丈夫だよ、たぶん」
「たぶんは、余計よ。大丈夫って言い切ればいいの。OK?」
「わかったよ」
 こういう姿を見ていると完全に圭太が柚紀の尻に敷かれているのだが、柚紀の理想はそうではないというのだから、不思議である。
「……お兄ちゃんも大変だなぁ」
 そんな兄と『義姉』の姿を見て、琴絵は苦笑するよりほかなかった。
 
 三
 合宿三日目。
 その日は、あいにく朝から雨が降っていた。とはいえ、強い雨ではなく霧雨だった。ただ、霧雨は短時間外にいるだけで濡れてしまうので、やっかいなことに変わりなかった。
 雨のせいで、朝食前のランニングは中止となった。八時の朝食の時間は変わらないため、各自比較的のんびりとした朝の時間を過ごすことになった。
 圭太は、部屋で後輩三人と他愛のない話をしていた。
 この三人は圭太のことを心から尊敬しており、目標としていた。そのため、話といっても基本的には圭太が振ったことに対してそれぞれが答えるという感じになっていた。
 圭太たちが話をしていると、ドアがノックされた。
 たまたまドアに近かった圭太が出ると、朱美と詩織がそこにいた。
「ふたりして、どうかしたかい?」
 圭太が訊ねると、ふたりは顔を見合わせた。
 圭太はとりあえず目的を訊くのはあとにして、ふたりを連れて場所を移した。
 廊下から時折声が聞こえてくるが、基本的には部屋にいるからか、それほどうるさくもなかった。
「で、なにかあったのかい?」
「別になにかあったわけじゃないけど、合宿がはじまってから圭兄に構ってもらえなくて、ちょっと淋しかっただけ」
 そう言って朱美は、圭太に抱きついた。
「詩織もかい?」
「あ、はい」
 頷く詩織に、圭太は小さく肩をすくめた。
「圭兄を困らせるつもりはなかったから、できるだけ普通にしてようと思ったけど、今日はたまたま朝に時間ができちゃったから。それで」
「なるほど」
「あの、迷惑でしたか?」
「いや、そんなことはないけど。ただ、らしい行動だったからね」
 そう言って圭太は苦笑した。
「ところで、朱美はいつまで抱きついてるつもりなんだい?」
「ん〜、圭兄に元気とやる気を分けてもらうまで」
「……なるほど」
「あの、先輩。その、私も、いいですか?」
「ダメとは言えないからね」
「あ、はい」
 詩織も、圭太に抱きついた。
「……ん、あったかいです……」
 カワイイ後輩ふたりに抱きつかれ、圭太はただただじっとしているしかなかった。
 もっとも、ふたりにとってはそれが最良だったのかもしれないが。
 
 朝食後、三日目の練習がはじまった。三十分ほど個人練習をして、早速セクション練習が行われた。
 木管と金管に分かれ、金管の方にパーカッションも入っていた。
 まず木管の指導を菜穂子が、金管の方を圭太が指導する形を取った。
 それぞれに二日間でどこまで詰められたかを確認するのが最初の作業となった。
 練習は、いつもとそれほど変わらない内容で行われた。ただ、合宿も三日目、関東大会までもそれほど余裕があるわけではない状況では、どうしても厳しい声が飛んでいた。
 休憩時間を挟み、今度は菜穂子が金管を指導することになった。木管の方は、綾が行う。
 正直に言えばそれぞれにきつい練習なのだろうが、時間がないこともそれぞれわかっているので、特に文句も出なかった。
 二時間半の練習時間を長いと感じたか短いと感じたかは、それぞれだが、とりあえず昼食の時間となった。
 いつもならトランペットの面々と食事をしているはずの圭太は、菜穂子と午後の練習について話をしていた。
「できとしては悪くはないと思うのよ」
 菜穂子はそれぞれのできをそう評した。
「それぞれが目標を持ってしっかり練習してくれてるから」
「確かにそうですね」
「ただ、さっき金管でも言ったけど、細かい部分がまだ甘いのよね。もう少し詰めてくれてれば、悩む必要もなく合奏に移れるんだけど」
「じゃあ、午後もセク練にしますか?」
「そうねぇ……最初の一時間はセク練で言われたことの修正にあてて、そのあとに合奏にしましょう」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫よ。私もこの合宿ではとりあえずブランクを取り戻し、県大会レベルにまで戻すことが第一だと思ってるから」
 そう言って菜穂子は微笑んだ。
「わかりました」
「あ、そうそう、それと今夜のことだけど」
「はい。なにか問題でもありましたか?」
「ううん、そうじゃなくて、なんかここ最近、やる内容が偏ってきてるのよね。審査する方としても、もう少しいろいろなものを見たいと思って。だから、レギュレーションを少し変えてみてはどうかと思って」
「レギュレーションをですか。具体的にはどうすればいいと?」
「たとえば、今まではパート全員強制参加だったから、それを極力全員参加にするとか。パートの総意としてなら代表でなにかをやるのも認めるのも、面白いと思って。もちろん、そうした場合には全員参加のパートにはハンデを設けなければならないだろうけど」
「なるほど」
「せっかくやるんだから、みんなが楽しめる方がいいと思うわ」
「わかりました。少し相談してみます」
「私は、楽しくて面白ければなんでも構わないけどね」
 そう言って菜穂子は笑った。
 だいたいが食べ終わったところで、圭太が前に立った。
「二、三年は知ってると思うけど、今年も今日の夕食後に『おつかれさま会』をやるから。例年だと全パート全員強制参加だったんだけど、今年は少しだけそれを変えるから。基本的には全員参加だけど、パート内の総意としてなら代表を立ててなにかするのも認めることになったから。ひとりでも構わないけど、それだと全員でやるパートにとっては不公平だから、そこはちゃんとハンデを設けるから。そのハンデがどのようなものかは、審査をする先生にしかわからないけど。それぞれの打ち合わせ並びに練習時間は、これから午後の練習がはじまるまでと、午後の休憩時間、それと本番前のみ。それ以外の時間でやってるところを見つけたら、それ相応のハンデを背負ってもらうからそのつもりで。もっとも、午後の練習中にそっちの練習をする余裕はないと思うけど」
 そう言って圭太は意味深な笑みを浮かべた。
「で、その午後の練習のことだけど、一時から一時間は午前中にそれぞれが指摘されたことを修正するために個人練。その後、先生による合奏を行うから。当初の予定では明日のみと考えていたんだけど、みんなのできがそれほど悪くないということで、早めに合奏をやることになったから。その点も踏まえて、しっかり練習するように」
 
 午後の練習がはじまった。
 頭の中は練習後のパーティーのことでいっぱいなのだが、如何せんその前に合奏があるので、練習も真面目にやらざるを得なかった。それも練習に集中させるための作戦なのかもしれない。
 一時間の個人練習が終わると、この合宿で二度目の合奏である。
 最初の合奏と違い、雰囲気も緊張感もすっかり元に戻っていた。
 合奏自体は、特別菜穂子の不興を買ったわけではないが、それでも満足できる内容ではなかった。合宿もあと一日しかないので、とにかく曲の完成度を上げる努力をした。
 合奏は滞りなく進み、あっという間に午後の練習も終わった。
 菜穂子も多少配慮してか、合奏は早めに終わった。
 合奏が終わると、それぞれパートごとにパーティーの準備に取りかかる。
 今年は強制参加というルールがなくなったために、事前に考えていた者たちは、最終的にどうするか決めなくてはならなかった。
 そんな中、圭太たちトランペットもなにをするか話し合っていた。
「今年はどんなことをやったらいいと思う?」
「圭太はなにか考えてたの?」
「全然。僕は成り行きに任せようと思って」
「はあ、成り行きにね。まあ、確かに圭太の場合はなにをするにしてもほぼ完璧にこなせるだろうから、それでいいのかもしれないけどね」
 夏子はそう言って苦笑した。
「ただ、やるからには一位を取りたいというのはあるよ。なんたって、今年は三連覇がかかってるからね」
「ふふっ、そういう負けず嫌いなところがあるから、圭太はなんでも一生懸命になれるんだろうね」
「さあ、それはなんとも言えないけど」
「じゃあ、そんな圭太を活かせるようなことをやらないとね。なにかない?」
 今度は、後輩四人に話を振った。
「そうですねぇ……」
 一年のふたりにも簡単に説明してあるため、それぞれに考えている。
「あの、どんなことでもいいんですよね?」
「公序良俗に反しない限りはなんでもね」
「じゃあ、ひとつ提案があるんですけど」
 そう言ったのは、和美だった。
「ただ、それには圭太先輩の同意が必要なんです」
「圭太の? いったいなにをしようっていうの?」
「それはですね──」
 
 夕食後、恒例のパーティーが行われた。
「基本的なルールは去年と同じ。ただ、今年は個人でもOKということで、チューバとコンバスはそれぞれ単独でやってもらうことになってるから。というわけで、全十二パートで、上位三チームには賞品、下位三チームには罰ゲーム、真ん中六チームにも一応なんらかのものを用意してるから。まあ、九位のチームの賞品は急造品だけど。審査は菜穂子先生が厳正に行うから。あまり内輪ネタばかりだと点数に影響するから気をつけて。じゃあ、各パートの前リーダーは前に。順番を決めるから」
 司会の綾は、テキパキと進めていく。
 あみだくじによってそれぞれの順番が決まっていく。
「それじゃあ、早速はじめましょ。最初は、ボンね」
 簡易ステージにトロンボーンの六人が上がる。
「パートと名前、簡単な意気込みを」
「トロンボーン前リーダー、小久保翔。今年こそ一位を」
「同じくトロンボーン、持田文子。最低でも罰ゲームは回避」
「トロンボーンリーダー、福沢一晴。せっかくなので一位を狙います」
「同じくトロンボーン、名塚礼子。気合いでがんばります」
「同じくトロンボーン、須藤修一。とにかくがんばります」
「同じくトロンボーン、安西大志。がんばります」
「で、なにをやるの?」
「この日のために練習してきたパントマイムを」
「……わざわざ練習してたのね」
 それぞれが位置につく。
 パントマイムはひとりでやる場合が多いが、トロンボーンはそれを六人で行った。以前から練習していたということもあり、なかなかのできだった。たまに失敗する姿が滑稽に見え、それが余計に笑いを誘っていた。
「なかなかよかったわよ。事前に練習してたというのもあるでしょうけど」
「じゃあ、次。フルート」
 意気揚々と引き上げてくるトロンボーンに代わり、フルートの六人が上がる。
「さくっといきましょ」
「フルート前リーダー、相川めぐみ。今年は上位入賞を」
「同じくフルート、吉田智子。いっちょやりますかね」
「フルートリーダー、吉沢朱美。目標は去年以上ということで」
「同じくフルート、渡瀬かおる。そこそこできればいいのではと」
「同じくフルート、北原優希。がんばります」
「同じくフルート、小野寺忍。気合いでがんばります」
「で、なにを?」
「組体操よ」
「は? 組体操?」
 めぐみがホイッスルで合図すると、それぞれ位置につく。
 それから組体操の定番をこなしていく。一高ではおなじみのサボテンももちろんあった。最後はもちろん、ピラミッドである。
「まあ、少し強引だとは思ったけど、その努力は認めるわ」
「さくさくいきましょ。次、パーカス」
 フルートの六人に代わり、パーカッションの十人が上がる。
「多いからパパッとね」
「パーカッション前リーダー、笹峰柚紀。目指せ優勝」
「同じくパーカッション、森川武。やれるだけやろうと」
「同じくパーカッション、田中舞。去年以上なら文句なし」
「パーカッションリーダー、横川浅子。罰ゲームさえなければそれでもう」
「同じくパーカッション、加納由梨加。がんばります」
「同じくパーカッション、西尾雅美。がんばりますよ」
「同じくパーカッション、綾瀬真美。先輩たちの足を引っ張らないようにがんばります」
「同じくパーカッション、工藤未来。やれるだけやります」
「同じくパーカッション、中野恵美。がんばります」
「同じくパーカッション、渡井智之。気合いと根性で乗り切ります」
「それで、今年はなにを?」
「今年は正統派で、ゴスペルよ」
「へえ、ゴスペルね」
 さすがに十人もいると音に幅があった。さらに、男子もふたりいるので、高音と低音も確保され、なかなかのできだった。
「かなりいい線いってると思うわ。上位入賞も夢じゃないわね」
「よしっ」
「次は、サックス」
 入れ替わりサックスの六人が上がってくる。
「簡単に」
「サックス前リーダー、市原美由紀。今年は三位入賞を」
「同じくサックス、榎本友美。せっかくなので、優勝を狙います」
「サックスリーダー、実森麻衣子。がんがんいきます」
「同じくサックス、橋本千鶴。がんばります」
「同じくサックス、五十嵐靖。気張らずに」
「同じくサックス、矢吹美晴。がんばります」
「今年は?」
「いろいろ考えた結果、こういうものを用意してみたの」
 そう言って見せたのは──
「大道芸?」
 大道芸人などがよく使う道具の数々だった。
「事前練習が不足してるからどこまでできるかわからないけど」
 それぞれがなにをするか決め、はじまった。
 一年の三人は、ジャグリングを。麻衣子はカラーボックス。三年のふたりは、お互いに輪っかを投げ合っている。
「ラストっ」
 そのかけ声でそれぞれが持っていたものを上に投げ、クルッと回転し、キャッチ。
「おおっ」
 失敗もあったが、それなりに様になっていた。
「基本的に器用なのね。よくやったと思うわ」
「次、チューバ」
 満足そうなサックスに代わり、チューバの三人が上がる。
「じゃあ、意気込みを」
「チューバ前リーダー、津田健太郎。コンバスが抜けたせいで落ちたと言われないようにがんばる」
「チューバリーダー、向井邦和。気合いで」
「同じくチューバ、江口陽二。がんばります」
「初の単独だけど、なにをやるの?」
「手品を」
 そう言って取り出したのは、一枚のハンカチだった。
「なんの変哲もないこの白いハンカチが……はい、このように赤いハンカチに変わりました。でも、それだけでは面白くないので、今度は黒にしてみます。こうして……はい、黒に変わりました。えっ? 白と赤のハンカチはどうしたのかと? それは……ここにこうしてあります」
 手を広げると、それぞれのハンカチが落ちた。
「そして、この落ちたハンカチを拾ってみると……なんと、五百円玉が」
「その五百円玉を使い、今度はカップで手品をご覧にいれます」
 チューバは、三人それぞれが手品を行った。それもきちんと順序立てたもので、ショーとして成り立っていた。
「構成がいいわね。手品自体は簡単なものだったけど」
「それじゃあ、次は、オーボエ」
 手品で出した万国旗を振りながらチューバが下がり、オーボエの三人が上がる。
「さくっといきましょ」
「オーボエ前リーダー、木下美穂。去年は二位だったので、今年は是非とも優勝を」
「オーボエリーダー、相原詩織。できるだけがんばります」
「同じくオーボエ、三輪梢。がんばります」
「それで、なにをするの?」
「今年もアカペラを。もちろん、去年よりいいものになってるわよ」
 美穂の言う通り、今年のアカペラは去年以上のできだった。しかも、歌がノリのいい曲だったので、余計によく聞こえた。
「このあたりはさすがとしか言いようがないわね。去年よりよくなってるところが評価に値するわ」
「じゃあ、次は、ユーフォ」
 オーボエに代わってユーフォニウムの三人が上がる。
「はい、どうぞ」
「ユーフォニウム前リーダー、渡辺信子。コスプレはもうイヤなのでがんばる」
「ユーフォニウムリーダー、広末留美。気合いで九位以上に」
「同じくユーフォニウム、中島結。がんばります」
「それで、コスプレ回避の秘策は?」
「今年は去年の反省を踏まえて、輪唱ではなく、合唱にしたわ」
 三人だけだとどうしても音の厚みが不足しがちだが、そのあたりはなんとか声量でカバーしていた。やはり楽器をやっているおかげか、歌自体はなかなかのものだった。
「悪くはないわね。三人というハンデもカバーできていたし」
「次は、ローウッドね」
 結構満足そうなユーフォの三人に代わり、ローウッドの四人が上がってくる。
「じゃあ、いきましょうか」
「ローウッドリーダー、ファゴット、苑田亜希。今年こそ罰ゲーム回避」
「同じくローウッド、ファゴット、根本志保。がんばります」
「同じくローウッド、バスクラリネット、弓削美貴子。今年は気合いで」
「同じくローウッド、バリトンサックス、片岡治。目指せ優勝」
「それで、なにを?」
「歌なんですけど、ちょっと趣向を凝らしてまして」
「ふ〜ん、早速やってみて」
 まずは、普通に歌い出す。
 途中で亜希が手を打つと、リズムが変わった。
 さらに足を踏み鳴らし、テンポも変える。
 それをほぼ完璧にこなしていくのだから、なかなか練習している。
「とてもよかったわ。去年以上は確実ね」
「次は、うちか」
 ローウッドの四人に代わり、クラリネットの十人が上がる。
「クラリネット前リーダー、北条綾。汚名返上」
「同じくクラリネット、佐藤ひかる。脱奴隷」
「同じくクラリネット、藤木陽子。今年こそは」
「クラリネットリーダー、内海遥。去年の二の舞だけは……」
「同じくクラリネット、森内香奈。もう奴隷はイヤです」
「同じくクラリネット、高城琴絵。がんばります」
「同じくクラリネット、黒沢育美。全力で」
「同じくクラリネット、佐野久美。がんばります」
「同じくクラリネット、宇田川瑞穂。やれるだけやります」
「同じくクラリネット、福島明子。がんばります」
「で、うちらは、三度目の正直ということで、ものまねをやろうと思ったんだけど、さすがにそれは問題だろうということで、普通に歌うことにしたの」
 似てるかどうかわからないものまねを回避してやった歌は、なかなかだった。やはり人数が多いので、歌に厚みがある。
「なるほどね。ものまねも見たかった気もするけど、こっちの方が点数はいいかも」
「じゃあ、次は、コンバス」
 綾以外が下がり、代わってコントラバスの三人が上がる。
「さくっと」
「コントラバス前リーダー、戸川冴子。初入賞を目指すわ」
「コントラバスリーダー、衛藤早苗。がんばります」
「同じくコントラバス、湯川理香。やれるだけやって、あとは天命を待ちます」
「それで、チューバと同じで単独は初だけど、なにするの?」
「リズムアクションを」
 三人は、お互いに見える位置で向き合う。
「せーの……」
 まずはそれぞれにリズムを打つ。
 そこから隣と手をあわせ、足を踏み鳴らし、動く。
 一見簡単そうに見えるが、息を合わせるのはなかなか難しい。
「なかなかよかったわ。頭を使った結果かしらね」
「それじゃあ、次はホルン」
 コントラバスの三人に代わり、ホルンの六人が上がる。
「じゃあ、早速」
「ホルン前リーダー、東美里。今年は三位入賞を」
「同じくホルン、篠原のり子。まあ、気合いで乗り切るわ」
「ホルンリーダー、高田浩章。今年は去年以上を」
「同じくホルン、野島真名美。なんとかがんばります」
「同じくホルン、村越いずみ。がんばります」
「同じくホルン、氷室茜。がんばります」
「さて、ホルンはなにを?」
「いろいろ考えたんだけど、なかなかなくてね。で、結局去年のパワーアップバージョンということで」
 それは、去年のタップダンスにボディタップをプラスしたものだった。
 どちらがメインかはわからなかったが、それぞれになかなか様になっていた。
「去年の経験が生きてるわね。よかったわよ」
「それじゃあ、最後は現在二連覇中のペット」
 最後は、トランペットである。
「それじゃあ、意気込みを」
「トランペット前リーダー、高城圭太。今年は……微妙かな」
「同じくトランペット、有馬夏子。三連覇、いくわよ」
「トランペットリーダー、真辺紗絵。今年は意表を突きます」
「同じくトランペット、菊池満。まあ、なんとかなるでしょう」
「同じくトランペット、井上和美。面白いですよ〜」
「同じくトランペット、野中明雄。がんばります」
「それで、今年はなにを?」
「ああ、まあ、いろいろね。その前に、五分ほど時間をくれるかな?」
「時間? それは構わないけど、なにするの?」
「ちょっと準備をね」
 そう言って圭太は苦笑した。
 トランペットの六人は、いったん食堂を出て行った。
 それから待つこと五分ちょっと。
 戻ってきたのは、女子三人だけだった。
「男子は?」
「それが目的だから」
 そう言って夏子は笑った。
「まずは、一年、期待の新人、野中昭雄」
 夏子がそう言うと、ドアが開き──
「おおっ」
 驚きとも感嘆ともつかない声が上がった。
 明雄の格好は、女子のそれだった。どこから調達したのかはわからないが、キャミソールにミニスカートという格好だった。
「続いて、二年、いよいよ本領発揮か、菊池満」
 続いて、満が入ってくる。
「おおおっ」
 満の格好は、制服だった。もちろん、女子のである。
「最後は、三年、言わずと知れた部の、いえ、学校のアイドル、高城圭太」
 三度ドアが開き──
「おおおおおっ!」
 最後に、圭太が入ってきた。
 それこそどこで調達してきたのか、白のワンピースを着ている。しかも、ロングのウィッグをつけていると、どこから見ても女子だった。
「というわけで、ペットは男子三人による女装よ。どう、似合ってるでしょ?」
「似合ってるもなにも、圭太なんて反則に近いくらい女の子してるじゃない」
「あ、あはは……」
 圭太は、苦笑するしかなかった。
「この衣装は誰から借りたの?」
「まあ、いろいろとね。ウィッグもよ」
「いろいろね。いやまあ、それはどうでもいいけど……」
 改めて三人を見る。
 三人とも男の体型なのだが、そういう格好をしているとなんとなくそう見えてしまうから不思議である。圭太など、その仕草までそんな感じである。
「簡単に化粧もしてるし、どこからどう見ても、女の子よね」
「そりゃ、去年コンサートでいろいろ着せてみて女装も似合うかなとは思ったけど、それを実際にさせるとは、恐れ入ったわ。誰のアイデア?」
「ん、和美よ。あとは私と紗絵もかなりノってやってたけど。圭太、肌も綺麗でファンデーションも綺麗に乗ったし。だんだん女の子になっていく姿を見てると、すごく不思議な感じがしたわ」
「はあ、なるほどね。まあ、いいわ。それじゃあ、先生」
「まったく、トランペットは毎年やってくれるわ。今年はまさに意表を突かれたわ。それに、パーティーならこれくらい大胆なことをやっても十分許されると思うから。最終的な順位はわからないけど、勝てればアイデアの勝利ということになるわね」
 菜穂子も、呆れてるというよりは、かなり驚いていた。
「じゃあ、これで全パート終了ね。先生、審査の方はいいですか?」
「ちょっと待って。ペットをどうするか考えてるから。ん〜……やっぱりここかしらね。よし、いいわよ」
 菜穂子は、メモ帳を持ち、前に出た。
「今年も四位から九位までを先に発表するわね。四位コントラバス、五位パーカッション、六位チューバ、七位クラリネット、八位ローウッド、九位トロンボーン」
「じゃあ、賞品を。四位は、音楽室並びに部室の掃除向こう三ヶ月除外権。五位は、部室掃除向こう三ヶ月除外権。六位は、明日の朝食&昼食豪華権。七位は、明日の朝食豪華権。八位は、明日の昼食にもう一品権。九位は、ジュース一本権」
 苦心した結果が見えるような賞品だった。
「次に、三位と十位。三位はホルン、十位はサックス」
「三位は一高祭での仕事除外権。十位は、明日の荷物持ち」
「次は、二位と十一位ね。二位はトランペット、十一位はユーフォニウム」
「二位は一位の賞品以外で三つ選んでいい権。十一位は、一高祭でのコスプレ」
「じゃあ、最後。最下位は、フルート」
「最下位は、一高祭での奴隷」
「そして、一位は、オーボエ」
「優勝したオーボエには、罰ゲーム以外のすべての賞品と罰ゲームパートに対する命令権を」
「正直に言えば、今年は順位をつけるのが難しかったわ。同率にしようかとも思ったけど、それじゃあ納得できないと思って。そういうわけだから、下位パートも決して悪かったわけじゃないことを覚えておいて」
 たとえ僅差でも、最下位になってしまえば、奴隷確定なので喜べない。
「今年は去年と少しルールを変えたけど、それをもう少し利用してもよかったかもしれないわね。結局利用したのはペットだけだったし。まあ、来年はどうなるかわからないけど、どうなってもいいようにいろいろ考えてみてもいいかもしれないわね」
 そう言って微笑んだ。
「それじゃあ、パーティーはこれで終わりね。合宿はあと一日。明日も今日に引き続いて合奏を行うから。一応そのできを見てあさってからの練習方針も決めるから、しっかりやること。本番まではそう日にちがあるわけじゃないから、一日一日気合いを入れて。いいわね?」
『はいっ』
「じゃあ、今日はもうなにもないから、ゆっくり休んで。とはいっても、羽目を外しすぎなように」
 
 パーティーが終わると、それぞれ風呂に入る。
 成績のよかったパートとそうでないパートで表情に差があったが、おおむね和やかだった。
 圭太たちトランペットの三人はいろいろ言われたが、乾いた笑みを浮かべて聞き流すしかなかった。
 風呂から上がると、圭太はいつものようにラウンジで涼んでいた。
「はあ、まさかあんなことをするはめになるとは……」
 和美に言われた時に断ることもできたのだが、代替案もなかったので、結局認めてしまった。
 あとはノリで決まり、本番を迎えた。
 誰が見ても女の子という格好には圭太自身も驚いていた。まさか自分がここまで、という感じだった。
「柚紀になんて言われるかな」
 それが一番心配だった。というより、またやってくれと言われないかと、それが心配だった。
「はあ……」
「なぁにため息なんかついてるのよ」
 そこへ、件の柚紀がやって来た。
「早いね」
「後れを取らないように早め早めの行動を取ったからね。それより、なんでため息なんかついてたの?」
「いやまあ、いろいろあってね」
 そう言って圭太は苦笑した。
「ふ〜ん、いろいろね。私はてっきり、あの女装のことでも考えてたのかと思ったけど」
「…………」
「あれは綾じゃないけど、反則よね。あの格好して街を歩いたら、何人に声をかけられるかわからないわよ」
「……そんなことないよ。というか、ないことにしてほしい」
「ふふっ、すっごく似合ってたからね」
 圭太としては、素直には頷けなかった。
「今回のことは先輩たちにもちゃんと報告しておくから」
「……本気で?」
「だって、こんな面白いこと黙ってるなんてできないもの」
「……なんか、僕の人権と意見が無視されてるような」
「いいのいいの。たまにはそういうこともないとね」
 あっけらかんと笑う柚紀。
「それはそうと、圭太」
「うん?」
「部長権限で去年みたいに空き部屋を使えない?」
「使えないことはないけど、理由を説明するのがね」
「ああ、そっか。今日だけだと、なかなか理由がないか。でもなぁ、空き部屋が一番いいんだけど」
「しょうがない。ちょっと行ってくるよ」
「うん、お願い」
 圭太は渋々ロビーに向かった。
 事務所にいる合宿所の従業員から、鍵を貸してもらう。もちろん、その理由もそれらしいものを言ってである。
 ラウンジに戻ってくると、早速柚紀と空き部屋へ移動する。
「やっぱり圭太って、優しいよね」
「ん?」
「なんだかんだいっても、いつも私の言うこと聞いてくれるもん」
「相手が柚紀だからだよ。じゃなかったら、そこまでしないよ」
「そっか。ちゃんと特別扱いしてくれてるんだ」
 柚紀は嬉しそうに圭太の腕を取った。
 それから泊まっている部屋から離れた空き部屋前までやって来る。
 鍵を開け、中に入る。
 電気を点けていないため、部屋の中はかなり暗い。
「天気がよければ、月が見えたんだろうけどね」
 夜になって雨は上がったものの、空は雲に覆われていた。
「ねえ、圭太」
「ん?」
「圭太は、今の私に満足してる?」
「どういうこと?」
 圭太は首を傾げた。
「私たちが彼氏彼女の関係になって二年と三ヶ月。男女の関係になってから二年。婚約してから一年と四ヶ月。お互いにお互いのことをより深く理解できてきたとは思ってるけど、それでもまだまだわからないことは多いし。私はこんな性格だから言いたいことは言ってるし、やってほしいことはやってもらってるけど。でも、圭太はそこまで私に言わないしやらないでしょ? だから、時々確認しないと、不安になるの。圭太には、私だけじゃないから。今ある幸せが、泡のように消えてしまうんじゃないかって」
 そう言って柚紀は、自分の体を掻き抱いた。
「正直言うと、ものすごく怖い。何度も言うけど、私にとっては圭太しかいないから。今の私の生きている意味、目的はすべて圭太にあるから。考えちゃいけないんだろうけど、もし圭太が私の前からふっといなくなったら、私はどうなっちゃうんだろう、って」
「柚紀……」
「たぶん、私は死んじゃうだろうね。もちろん、肉体的には死なないけど。でも、心は死んじゃう。だから、何度も確認したいの。私に満足してるのかって。もし満足してないなら、私はそこを直さなくちゃいけないから」
「……本当に柚紀は心配性だね」
 圭太は、柚紀を抱きしめた。
「だって、今が幸せだと余計にいろいろ考えちゃうんだもん。圭太が私に優しくしてくれると、それを失ったらって考えちゃうんだもん。どんなものにだって、永遠なんてないから。だから、私は……」
「柚紀に不満なんてあるわけないよ。僕が好きなのは、柚紀なんだから。柚紀は僕がいなくなったらって言うけど、僕だって同じだよ。僕の前から柚紀がいなくなったら、きっと僕はダメになる。柚紀がいてくれるからこそ、今の僕は僕でいられる」
「圭太……」
「不安になるのはわかるけど、でも、もう少しだけ僕のことも信用してほしいな。僕は、こんなにも柚紀のことが好きなんだから」
 圭太はそう言って柚紀にキスをした。
「……うん、そうだね。私、もっともっと圭太のこと信じるよ。私の、好きになった人のことだからね」
 ようやく、柚紀に笑みが戻った。
「たぶん、みんなは私と圭太の関係って、明らかに私が圭太を引っ張ってるって思ってるだろうけど、でも、実際は違うんだよね。確かに、普段はそうかもしれないけど、肝心な時には必ず圭太が私を引っ張ってくれて」
「まあ、そういう姿は、柚紀とふたりきりの時にしか見せないからね。普段は、尻に敷かれてる、と思われてるだろうね」
「私としては、それは本意ではないんだけどね。いつも言ってるけど、私の理想はあくまでも一歩引いたところで夫を立てる妻、だからね」
「それはまあ、一緒になってからということで」
「ふふっ、そうだね」
 今度は、柚紀からキスをした。
「あ、そうだ。圭太が結構積極的になる時があった」
「ん、それはいつ?」
「部活中とエッチしてる時」
「…………」
「なぁんでそこで黙っちゃうのかなぁ」
「いやまあ、前者はいいんだけど、後者はどうなのかなって」
「別にそれが悪いって言ってるわけじゃないんだから、いいじゃない。それに、私としては積極的な方が、嬉しいけどね」
「……それはつまり、ここでもそうしてほしいってこと?」
「さあ、それはどうかな?」
「そういうところは、柚紀らしいよ」
 そう言って圭太は柚紀を押し倒した。
「ん……」
 そのままキスをする。
 舌を絡め、息を継ぐのも忘れて唇をむさぼる。
「ん、あ……はあ、ん……」
 キスを繰り返していると、だんだんと頭の中が真っ白になってくる。
「圭太……」
 圭太は、柚紀のティシャツに手をかけ、たくし上げた。
 そのまま青いブラジャーもたくし上げる。
「柚紀は、本当に綺麗だね」
「どうしたの、急に?」
「いや、こんな綺麗な柚紀が、僕の彼女だと思うと、感慨深くてね」
「私はそんなに特別な存在じゃないよ。どこにでもいる、ただただひとりの大切な人が好きな、普通の女なんだから」
「普通、だとは思わないけどね」
「どうして?」
「それはやっぱり、これだけ綺麗でなんでもできて、なによりも一途に僕のことを好きでいてくれるから」
「んもう、そんな恥ずかしいこと言わないの」
 柚紀は、嬉しさと恥ずかしさの入り交じった表情で言う。
「でも、嬉しいよ」
 そう言ってキスをねだる。
 圭太は、胸に手を添え、ゆっくりと揉んだ。
「ん、あ……」
 マシュマロのように柔らかな胸が、圭太の手にあわせて形を変えていく。
 手に吸い付いてくるような肌のきめ細かさ。
「んん……あ、ふぅん……」
 少しだけ力を込め、揉む。
 次第に肌が熱を持ってくる。それに伴って突起が硬く凝ってくる。
「んんっ、あん」
 その突起に舌をはわせ、舌先で転がす。
「んっ、あ、ん……」
 快感が全身に駆け抜けていく。
 それが柚紀の理性を麻痺させ、さらなる快感を呼び起こす。
「ああ……ん、気持ちいい……」
 柚紀は陶酔した表情で、圭太の頭を抑えている。
 圭太は、突起を軽く吸い上げる。
「んんっ!」
 少し鋭い快感が柚紀を襲う。
「はあ、圭太……胸だけじゃなく、下もいじって……」
「うん」
 圭太は、言われるまま柚紀の下半身に手を伸ばした。
 スパッツの上から軽く秘所を擦る。
「や、ん……」
 圭太は、柚紀が敏感に反応する様を楽しんでいるようにも見える。
 それからすぐにスパッツを脱がせる。
 ブラジャーと揃いのショーツがあらわになる。
 今度はショーツの上から秘所を擦る。
「ん、あ……」
 と、すぐにシミが広がる。
「柚紀は敏感だね」
「それは、圭太が触ってるからだよ」
「だといいけど」
 圭太は少しだけ意地悪く微笑むと、ショーツを脱がせた。
 柚紀の秘所は、すでに濡れていた。
「ほとんど触ってないのに、こんなに濡れてるよ」
「んっ」
 指を中に挿れると、柚紀のそこは圭太の指を逃すまいと締め付けてくる。
 少し動かすだけで奥からは蜜があふれてくる。
「ほら、僕の指がこんなに」
「み、見せなくてもいいよ。自分でもわかってるんだから……」
 柚紀は、わずかに視線をそらした。
「もっともっと気持ちよくなって」
 圭太は、再び秘所に指を入れた。
「んんっ」
 中の敏感な部分を重点的に擦る。
「ああっ、んっ……はあ、んあっ」
 柚紀の嬌声も次第に大きくなってくる。
 蜜はあとからあとからあふれてきて、圭太の指はすっかり濡れていた。
 最も敏感な突起がふくらんできたところで指を抜き、今度は舌で舐める。
「やんっ、んっ」
 わざと音を立てて舐める。
「そ、そんなに音立てないでぇ……」
 ぴちゃぴちゃと淫靡な音が、柚紀の耳にも届く。
 奥からは本当にとめどなく蜜があふれてきて、圭太の口元まで濡らしていた。
「んんっ、圭太……もうダメ……我慢できないよぉ……」
「わかったよ」
 圭太は頷くと、ズボンとトランクスを脱いだ。
「いくよ?」
「うん、きて……」
 怒張したモノを秘所にあてがい、そのまま腰を落とした。
「んんっ」
 一気に体奥を突かれ、柚紀の体がびくんと跳ねた。
「奥に、当たってるよ……」
「柚紀の中、暖かくて気持ちいいよ」
「私も、圭太のでいっぱいになって、気持ちいい……」
 圭太は、髪を撫でる。
「今日も、圭太に愛されてるって思わせて」
「うん」
 圭太はゆっくりと腰を引いた。
「あ、んっ……んんっ」
 抜ける直前でまた押し戻す。
「あっ、んんっ、んくっ」
 深いところまでしっかりモノを入れ、また引く。
「あんっ、んっ、ああっ」
 圭太が動く度に胸が揺れ、髪が乱れる。
「んっ、圭太っ、気持ちいいよっ」
「僕もだよ」
「ああっ、んあっ、やっ、んんっ」
「柚紀っ」
 少しずつ理性の枷を外していく。
「んんっ、ダメっ、やんっ、そんなにされると私っ」
「もっともっと感じて」
「ダメっ、感じすぎちゃうよっ」
 柚紀は、圭太にしがみつく。
「ああっ、あんっ、あっ、あっ、あっ、」
 圭太は、さらに速く大きく腰を打ち付ける。
「あっ、ダメっ、ダメっ、圭太っ、私っ」
「僕ももうすぐだよ」
「ああっ、んんっ、私もイっちゃうっ」
 柚紀がギュッと圭太に抱きつく。
「んんんっ、あああああっ!」
 同時に、柚紀の中が締まり──
「くっ!」
 圭太は、最奥にすべてを放った。
「ん、はあ、はあ……」
「はぁ、はぁ……」
「はあ、はあ、圭太……」
「柚紀……」
 ふたりは、静かにキスを交わした。
 
「ねえ、圭太……」
「ん……?」
「このままここにいちゃ、やっぱりダメかな?」
「まあ、それはさすがにね」
「そっか」
 柚紀は、残念と言いながら苦笑した。
「今は、圭太に甘えていたいんだけど、なかなか上手くいかないね」
「十分甘えてると思うけど」
 柚紀は、圭太にぴとーっとくっついて、まったく離れようとしない。
 いくら那須が涼しいとはいえ、夏の室内である。それなりに暑くもなってくる。それでも、まったく離れる気はないのである。
「それに、あまり遅くなると明日の合奏に支障が出るだろうし」
「まあ、それはね。でも、どうしてこうもタイミングが悪いんだろ。私と圭太の想いはひとつになって、一緒にいたいと思えてるのに」
「世の中は、そんなに上手くはいかないってことだよ。それに、なんでもかんでも上手くいったら、それを成し遂げてやろうっていう気にならないだろうし」
「うん、そうかも。じゃあ、しょうがない。ものすごく名残惜しいけど、今日のところは部屋に戻ろっか」
 そう言って柚紀はようやく圭太から離れた。
 圭太も立ち上がりとりあえず部屋を出る。
 鍵を閉め、それぞれの部屋に向かう。
「私たちがいないことに対して、みんなはどう思ってるんだろ」
「さあ、どうだろ。でも、そんなに気にしてないんじゃないかな。ふたりしていなくなること、結構あるからね」
「ふふっ、そうだね。一緒にいることが当たり前だから。それが、みんなにとっても当たり前だろうね」
「もし気になるなら、部屋に戻ってから訊いてみたら? たぶん、今言ったこと以上の答えは返ってこないと思うけど」
「いいよ。からかわれるだけだし」
「柚紀らしいね」
 圭太は苦笑した。
 それから柚紀を部屋まで送る。
「じゃあ、また明日」
「うん、また明日」
 軽くキスを交わす。
「朝も、ちゃんと待っててよ」
「了解」
 柚紀は、そう念を押し部屋に入った。
 圭太はそれを確かめると、自分の部屋へと足を向けた。
「……僕は、柚紀にまだまだ安心感を与えきれていない。やっぱり、早くみんなとの結論を出さなくちゃいけない、か」
 拳を握り締め、圭太は呟いた。
「……このままじゃ、ダメなんだ」
 
 四
 合宿最終日。
 前日とはうってかわって、朝からいい天気だった。
 前日は雨だったためにランニングはなかったが、その日は晴れたためにちゃんと行われた。
 ほぼいつも通りに起きた圭太は、顔を洗って目を覚まし、外に出た。
 外は、前日雨だったせいか、いつも以上に湿度が高く、もやも濃かった。
「ふう……」
「どうしたの?」
「ん、おはよう、柚紀」
「おはよ、圭太」
 振り返ると、柚紀がいた。
「どうしたの、ため息なんかついて? まだ昨日のこと、引きずってるの?」
「女装のことはもう割り切ってるから」
「そうなの? じゃあ、なに?」
「……いや、たいしたことじゃないよ」
「圭太はいつもそう」
「えっ……?」
「そうやってたいしたことない、大丈夫だって言って、全部ひとりで抱え込んじゃう。私だけじゃなく、みんなだって圭太のためになんでもしたいし、悩んでいたら一緒に考えてあげたいのに」
 柚紀は、言うだけ言って、微笑んだ。
「そりゃ、圭太だけにしか解決できないことも多々あるだろうけど、話してくれてもいいと思うの」
「……ごめん」
「謝らないの。それ自体が悪いとは言ってないんだから。自分だけの問題なら、そうやって抱え込んじゃうのもわかるから。だから、それを少しずつ吐き出して、少なくとも私との共通の悩みに変えてほしいの」
「そうだね。わかったよ」
 圭太はそう言って微笑んだ。
「じゃあ、とりあえず走ろう。走りながら話すよ」
「うん」
 ふたりは林の方へ走り出した。
 圭太は、その道すがら、考えていたことを柚紀に話した。
 柚紀は、それを聞いている間は一言も言葉を発しなかった。
 圭太の話はそれほど長くはなく、ものの数分で終わった。
「そっか、そんなことを考えてたんだ」
「それは、僕の義務だから。柚紀に対しても、みんなに対しても」
「それはそうだと思うけど。でもさ、それってそんなに焦って答えを出さなきゃいけないことなの? 確かに圭太の中でそれに決着がつけば私に対する気持ちとか考えも安定するだろうけど、でも、私はまがりなりにもみんなのこと認めてるわけだから。あまり焦る必要はないと思うわよ。この前圭太は今年中に結論を出したいって言ってたけど、あれだって別に絶対の期限にしなくてもいいし。焦って出された答えなんて誰も嬉しくないし、それに、圭太だってみんなだって納得できないでしょ? もし本当に私のことを考えてくれるなら、みんなとのこと、焦らないでしっかり考えてあげて。私と圭太は、結婚して夫婦になるんだから。考える時間は、どちらかが死ぬまであるんだから。ね?」
「……ありがとう、柚紀。柚紀は、やっぱり最高の彼女だよ」
「当たり前でしょ?」
 柚紀は、そう言って笑った。
「それと、これは私からのアドバイス」
「アドバイス?」
「みんなとのことだけど、それって圭太だけが考えてもしょうがないと思うよ。そりゃ、みんなは圭太が決めたことには従うとは思うけど。でも、それじゃ本当の意味での結論にはならないと思う。だから、みんなには少し酷かもしれないけど、直接話をして決めた方がいいと思うわよ」
「……そうだね。確かにそうだ」
 圭太は、小さく、だがはっきりと頷いた。
「この前はともみ先輩と幸江先輩のことを考えてるって言ってたけど、それも、ふたりと話して決めた方が、より後腐れない結論が出せると思うわよ」
「……本当に柚紀にはかなわないよ。今まで僕が悩んでいたことがバカみたいに思えてくるから」
「圭太が考えてたこと自体は無駄にはならないって。それはそれでちゃんと圭太の糧になってるはずだから」
「そうだね」
 ようやく圭太にも少し明るい笑みが戻ってきた。
「私は、自分の彼氏である圭太のことをどこまでも信じてるから。だから、みんなとのことだって、きっと最善にはならないけど最良の答えは見つかると信じてる」
「本当にありがとう、柚紀」
「ううん、彼女として、婚約者として当たり前のことを言っただけだから」
 そう言って柚紀は微笑んだ。
 その笑みは、本当に穏やかで、圭太の心に染み込んでいくものだった。
 
 最終日の練習は、合奏のみである。
 三日間の総決算という意味合いと、次の日からの練習の方向性を決める意味合いがある。
 そういうこともあり合奏は指示はそう多く出なかった。むしろ流してみて悪い場所を見つける。そういう部分が多かった。
 ただ、すぐに直せそうな部分はその都度直し、結局それなりに厳しい合奏となった。
 合奏が終わると、菜穂子が合宿を総括した。
「おつかれさま。いろいろ大変だったと思うけど、これで合宿の全メニューは終わりよ。とりあえず全体としてはまあまあ満足できた内容だったわ。欲を言えばもう少しよければ文句なかったんだけど。まあ、それは明日からの練習にとっておくわね。関東大会本番は九月十日。もうそれほど時間はないわけだから、それぞれがしっかりとした目標を持って練習に取り組んで。あなたたちの目標は関東大会ではないでしょう? あくまでも全国大会に出て、そこで金賞を取ること。ならば、それ相応の練習をしなければその資格を得ることはできないわ。結局最後は自分自身に勝てるかどうか。そこで勝てれば、自ずと結果はついてくるだろうからね。だから、まずは関東大会まで全力でがんばること。いいわね?」
『はいっ』
「残りの夏休み期間中の練習は、基本的に自由曲を中心にやるから。もちろん、合奏の時には一回は必ず課題曲もやるわよ。今日までにいろいろ指摘したこと以外で自分で直せそうなところがあれば、それはどんどん直して。よくわからなければ、私や部長、リーダーに聞いてもいいし、なんだったら録音してるテープを聴いてみるのもいいかもしれないわね。授業がはじまるとそこまで余裕を持っての練習はできなくなるから。とにかく、やれることをやって、全国へ行きましょう。そのあとのことはまたその時に考えればいいわ。それじゃあ、おつかれさま」
『おつかれさまでしたっ』
 
 帰りのバスでは、ほとんどみんな眠っていた。
 さすがに練習漬けの疲れが出てきたようである。
 そんな中圭太は、ひとり窓の外を見つめていた。隣では去年と同じように紗絵が気持ち良さそうに眠っていた。
「……まだまだ考えなくちゃいけないこと、やらなければならないことがたくさんある」
 そう呟き、隣の紗絵を見た。
 圭太の隣ということで、本当に無防備に眠っている。
「……紗絵のことも」
 軽く髪を撫でると、紗絵の表情が和らいだ。
「……なによりも、自分のためにも」
 圭太は改めて自分に言い聞かせた。
 
 五
 八月二十六日。
 合宿が終わり、いつもの練習に戻って三日目。練習は二週間後に迫った関東大会に向け課題曲、自由曲ともに仕上げの段階に入りはじめていた。本来ならもう少し余裕を持ってできるのだが、夏休み中にある程度仕上げておきたいという考えから、早めに仕上げに取りかかっていた。
 とはいえ、練習も特別なことをやっているわけではない。ほぼいつも通りの練習時間内で、できることをコツコツとやる。それが続いていた。
 部員たちにとっては練習時間が必要以上に長くならないことは、いいことだった。特に一、二年にとっては宿題を終えられるかどうかの瀬戸際でもある。部活が終わると、まだ宿題を終えていない者同士が、共同戦線を張ろうと額を寄せ合っている。
 三年は三年で受験勉強をしなければならず、決して楽な夏休みとは言えなかった。
 そんな中、圭太はほぼいつも通りの休みを過ごしていた。受験勉強はないが、前部長としてまだまだやらなければならないことは多い。家に帰ってからも、デモCDを聴いたり、自分たちの演奏を録音したMDを聴いたりしている。
「圭太は相変わらず忙しそうね」
「この時期は、いろいろ大詰めですからね。部長ではなくなったとはいえ、まだまだやらなくちゃいけないことは多いですよ」
 ともみと祥子は、バイトの合間にそんな話をしていた。
「本番は、十日だっけ?」
「はい、確かそうです」
「今年は神奈川──横浜よね」
「普門館よりも遠いですから、行くのも大変ですね」
「祥子は行くつもりなの?」
「できれば行きたいですね。今年はまだ、本番での演奏を聴いていませんから」
「それは私もそうだけど。でも、大丈夫なの? そろそろ臨月でしょ?」
「そうですけど、無理をしなければ大丈夫だと思います。それに、状況によってはたとえ圭くんたちが全国に出られても、私は行けない可能性もありますから」
「ああ、まあ、そっか」
 ともみはなるほどと頷いた。
「そうなると関東大会の方が、都合がいいと思いますから」
「確かにね。ま、そのあたりは圭太や自分の体調と相談して決めればいいわ。行くなら私も手を貸すし」
「ありがとうございます。私も、もう少し考えてみます」
 夕方、珍しく夕立が降った。
 日中の熱い空気が洗い流され、一時的にでも涼しくなった。
 圭太は午前中からバイトに入っていた祥子をそのタイミングで家に送った。やはり、身重な体には暑さなどのストレスはよくないからである。
 家に帰ってくると、台所では琴絵が夕食の準備をしていた。
 琴絵は優秀な兄に似て、宿題はほとんど終えていた。だからそうやって家のことをやる余裕があるのである。かたや朱美は、まだ宿題と格闘中で、ギリギリ終わるかどうかというラインだった。
 そんな琴絵の姿を横目に見ながら、圭太はテレビを見ていた。
 陽もとっぷりと暮れ、いつもと同じくらいに『桜亭』は閉店である。
「はあ、今日も暑かった」
「おつかれさまです」
「レジに立つ時、外気をまともに浴びちゃうのよね。あれとクーラーの涼しさで、たまにふらつくこともあるし」
「この時期はいろいろ大変ですからね。僕も、それには未だに慣れませんから」
「ま、そう簡単には慣れないわよね」
 そう言ってともみはため息をついた。
「あの、ともみさん」
「うん?」
「今日は、少し時間ありますか?」
「時間なら売るほどあるわよ。なに、誘ってくれてるの?」
「それはそれでもいいんですけど、少し、話したいことがあって」
「話したいこと?」
 ともみは首を傾げた。
「大事な話?」
「ええ、大事な話です」
「そっか。なら、ちゃんと聞かなくちゃいけないわね」
「じゃあ、大丈夫ですか?」
「もちろん。それがどんな話かはわからないけど、圭太のお願いならなんでも聞いてあげるわよ」
 少し茶化すともみだが、その言葉とは裏腹に圭太がとても真剣な話をしようとしていることは、わかっていた。
「それじゃあ、家に送る時にでも、話しますね」
「了解」
 
 夕食後、圭太はともみと一緒に家を出た。
 夕立があったせいで気温も下がり、そこそこ過ごしやすくなっていた。
 日中には聞こえなかった蝉の声が、陽が落ちてから聞こえてきた。
「結構涼しくなったわね」
「そうですね。やっぱり、夕立があったおかげですね」
「今日くらいの時間帯に降ればいいんだけど、あれがもう一時間でも早いと、蒸し暑くてかえって死にそうになるからね」
「それは言えてますね」
「ま、暑くなきゃ夏だと思えないから、しょうがないのかもしれないけどね」
 そう言ってともみは微笑んだ。
「どうする? 話、どこかでする? それとも、私の部屋でする?」
「僕はどこでも構いませんけど、あまり遅くなるといろいろありますから、ともみさんの部屋がいいかもしれませんね」
「じゃ、そうしましょ」
 とりあえずふたりは、話すべきことは話さず、いつものように歩いていった。
「じゃあ、先に部屋に行ってて」
 部屋の鍵を受け取り、圭太は庭を抜けてともみの部屋へ。
 部屋の中は、まだ日中の熱気が残っているからか、とても蒸し暑かった。
「……ちゃんと、話さないとな」
 圭太はそう呟いた。
 少しすると、ともみがやって来た。
「ホント、お母さんはぐちぐちうるさいんだから」
「なにかあったんですか?」
「ん、たいしたことじゃないんだけどね。たまには家の手伝いもしろって言うから、バイトのない日に適当にやるって言ったら、そんなことだとろくでもない人間にしかならないだとか、いろいろ言われちゃってさ」
 ともみはクーラーをつけながら不満をぶちまけた。
「ま、いいわ。それはいつものことだし。それにしても、この部屋暑いわね」
 そう言ってともみは、着ていた半袖のブラウスを脱いだ。
「と、ともみさん……」
「あら、別に全部脱いだわけじゃないんだから、いいでしょ?」
「そ、そうかもしれませんけど……」
 たとえふたりがそういう関係であっても、いきなりそういう格好をされれば圭太も焦る。
「それで、話って?」
「合宿の時に言われたんです」
「言われたって、誰に?」
「柚紀にです。僕は、この夏休み中に結論を出そうと思っていました」
「結論て、私たちとの関係、ってことよね?」
「はい。でも、柚紀に言われたんです。それは、そんなに焦った答えを出さなくちゃいけないことなのか、と。僕は以前、柚紀に言ったんです。今年中にみんなとの結論が出せればいいと。そういうこともあって、僕はともみさんのことや幸江さんのことを考えていました」
「なるほどね」
 ともみは、得心といった様子で頷いた。
「つまり、ひとりであれこれ悩んで、しかも焦って答えを出しても意味がない、と。そんな感じのことを言われたんでしょ?」
「はい。その上でさらに言われました。ひとりで考えるんじゃなく、ともみさんや幸江さんともちゃんと話して、その上で結論を出した方がいいと」
「そっか。じゃあ、今日の話って、私とそのことを話すため、なんだ」
 ともみは少しだけ感慨深そうに頷き、それでもすぐに笑顔を戻った。
「よし、それなら今日は徹底的に話しましょ。お互いに言いたいことを言わないと、本当に納得できる結論なんて出ないだろうし」
「はい、そうですね」
「とはいえ、なにから話せばいいのかしら?」
「それじゃあ、まずは僕の考え、というか、こうありたいということでいいですか?」
「ええ、いいわよ」
 圭太は、少し居住まいを正した。
「これはともみさんだけ、というわけではないんですけど、僕は、みんなとずっと一緒にいたいです。少なくともお互いがお互いを好きでいる間は、一緒にいたいと思っています。それはとてもワガママなことだと思います。もし僕がみんなのことをあきらめ、解放すればそこにまた新たな出会いがあるかもしれません。僕よりもいい人が見つかるかもしれません。その人は、ひとりだけを死ぬまで愛してくれるかもしれません。そんなあり得る未来を奪ってでも僕は、一緒にいたいと思っています。確かに柚紀のことは好きです。誰よりも好きです。でも、言い方は悪いかもしれませんけど、それはそれなんです。僕に様々なものを与えてくれるみんなが僕には必要ですし、また、僕の存在がみんなにとってそうあってほしいとも思っています。柚紀が僕の隣にいてくれるのと同じように、みんなにも──ともみさんにも側にいてほしいんです」
 ともみは、なにも言わずに圭太の話に耳を傾けていた。
「鈴奈さんは僕にとって、本当の『姉』のような存在です。みんなの中で唯一僕が寄りかかれる存在だと思っています。そのことはちゃんと鈴奈さんにも話しました。その上で結論を出しました」
「…………」
「祥子先輩、いえ、祥子の場合は年上でも僕が求めているものは違います。確かに年上ですから、安らぎを与えてくれるというところは同じです。でも、僕は祥子に寄りかかろうとは思いません。むしろ、祥子が僕に寄りかかってほしいと思っています。ひとつ年上の女性を、僕は、ずっとこの手で守り続けたいと思いました。ずっと側にいて、その笑顔を僕に向けていてほしいと思いました。それは図らずも妊娠ということで否応なく進んでしまいましたが、それでもその結論には納得しています」
 そこで圭太は言葉を切った。
「僕がともみさんに求めているのは、それは、側にいて気持ちが楽になる、軽くなれる、そのような漠然とした感覚です。年上でありながら明確な『姉』という存在ではなく、年上のなんでも話せる『親友』のような、そんな存在であってほしいんです。今の僕は、ともみさんからそのようなものを受け取っていますから。だから、ともみさんにはいつまでも僕の側にいてほしいんです」
 圭太は、真っ直ぐな瞳でまったく臆することなく、自分の考えを述べた。
 それを聞いたともみは、やはり真っ直ぐに圭太を見つめ、自分の考えをまとめていた。
「……私はね、本当は圭太と一緒になりたかった。圭太と一緒になれればなんでもできると思ってた。でも、そのために私はなにもしなかった。だから、柚紀が現れた。言いたかったことも先に言われ、圭太の彼女の座に納まった。羨ましかった。本当に羨ましかった。ずっと好きだった圭太と一緒にいられ、なおかつ圭太に好きでいてもらえることが、羨ましかった。でも、そんなの後の祭り。言わなきゃいけない時に言わないで、それであとから羨ましがって。冷静に考えたら、自分が惨めに見えちゃった。同時に、私の夢は、もう絶対にかなわないんだって、理解した。それでも私は、圭太を好きで居続けた。圭太を好きな自分が好きだった。やっぱり、私は圭太が好きだったから。これからもずっと好きでいたかった。だから、私は想いを伝え、圭太に抱かれた。そして、その時から私の想いはたったひとつしかない」
 ともみは、穏やかな笑みを浮かべた。
「私は、死ぬまでこの人についていこう。ただひとりの女性を愛しながら、私の想いも受け止めてくれたこの人に、どこまでもついていこう。そう思ってた。だから、私の考えはもうずっと変わってない」
「ともみさん……」
「圭太が私に側にいてほしいって頼まなくても、私は側にいるから。ずっと、ずっとずっと側にいるから。ううん、側にいさせてほしい。私は、圭太が大好きだから」
 圭太は、そうするのが当たり前のように、ともみを抱きしめた。
「私の幸せは、圭太とともにあることではじめて成立するから。それ以外のことなんて、どうでもいい。たとえお父さんやお母さんに反対されても、私は圭太を選ぶ。だって、圭太と一緒にいられないことの方が、よっぽど不幸だから」
「ありがとうございます。そこまで想われて、僕は本当に幸せです」
「私だって、圭太にそこまで必要とされて、幸せよ。だから、お互い様なの」
「そうですね」
 ふたりは顔を見合わせ、笑った。
「結局、私たちのことって、ずっと変わってなくて、これからも変わらないのかもしれないわね」
「確かにそうですね」
「最初は単なる部活の先輩、後輩の関係だったけど、それが少し発展して。それは今も変わってない。まさに『親友』のような関係よね。まあ、私としてはその言い方は少しだけ不本意ではあるけどね」
「それは本当の意味での『親友』ではありませんから。それに、僕はともみさんに対してちゃんと愛情を持ってます。友情だけではありません」
「うん、わかってる。ちゃんとわかってる。圭太がどれだけ私のことを愛してくれてるかって」
 ともみはそっと圭太の頬に手を添えた。
「だから私は、いつも幸せでいられるの。圭太に愛されてるって思えてるから。今の私の原動力は、圭太への想いと圭太の愛情だからね」
「じゃあ、僕はずっとともみさんのことを愛し続けていかなくちゃいけませんね」
「そうしてくれると嬉しいけどね」
 そう言ってともみは微笑んだ。
「近いうちに、このことを説明しないといけないですね」
「お父さんとお母さんに?」
「はい。ずっと隠し通せるわけはありませんし。それに、少なくとも僕たちはこのことに対してなんら後ろめたい気持ちは持ってませんから。正直に話せると思います」
「確かにね。まあでも、それは少しだけ待って。いろいろタイミングがあるから」
「それは構いませんよ。それに、これからのことですから。しっかり考えて行動しないといけません」
「とりあえずは、お母さんにそれとなく話をする、ということになると思うけどね。ふたり一緒に懐柔するのは微妙だから。まだ話のわかるお母さんの方が私も行動を予測できるし」
「そのあたりのことはともみさんに任せます。いい時に、僕も一緒に説明しますから」
「うん、そうして」
 話したいこと、話すべきことを話し終え、圭太は小さく息を吐き出した。
「……もし、あの時圭太が私を抱いてくれなかったら、今頃私たちの関係はどうなってたと思う?」
「そうですね……たぶんですけど、あまり大きくは変わってないと思います」
「どうして?」
「ともみさんとの関係の中で、先輩と後輩という関係はあの時から今も変わっていませんから。僕にとっては、頼りになる先輩、というのはずっと変わりませんから。なので、たとえあの時に抱いていなかったとしても、多少疎遠にはなっているかもしれませんけど、大きく変わるようなことはないと思います」
「なるほどね。確かに、それはそうかもしれないわね。でも、私の方はどうかな? そこまで関係を割り切れたかどうかわからない。だって、圭太に拒絶されて、そのあとにどうやって接すればいいのかわからないもの。ひょっとしたら、ほとんど圭太の前には姿を見せなくなってたかもしれない。それくらい、圭太への想いが強かったから」
 ともみはわずかに自嘲した。
「でも今は、こうして圭太に触れることもできる。私の想いが圭太に届いているから。圭太の想いが私に届いているから」
「そうですね」
「たとえ圭太には柚紀がいるとしても、私は今の関係を後悔していない。さっきも言ったけど、私は圭太と一緒にいることで幸せを得られるから。一緒にいられないことの方が、よっぽど不幸だから」
「ともみさん……」
「でも、もうひとつ、幸せを得る方法があるの。わかる?」
「ああ、まあ、なんとなく」
 圭太は思わず苦笑した。
「じゃあ、それを実践してほしい」
「わかりました」
 圭太は頷き、キスをした。
「ん……」
 最初に軽くキスを交わし、二度目には舌を絡め、唇をむさぼるようにキスを交わす。
 キスを交わしながらブラジャーのホックを外す。
「あ、ん……ん……」
 胸に触れると、ともみはわずかに声を漏らした。
「ん、んぅ……あん……ぅん……」
 少しずつ力を込め、胸を揉む。
 次第に肌が桜色に染まってくる。
「んっ……あん……」
 硬くなってきた突起に触れるか触れないかのところで、手全体を使って胸を揉む。
 ともみはその動きにあわせて艶っぽい声を上げる。
「圭太」
「なんですか?」
「今日は、私がしてあげる」
 そう言ってともみは圭太の下半身に手を伸ばした。
 ベルトを外し、ズボンを下ろし、トランクスも下ろす。
 まだ萎縮しているモノをつかみ、軽くしごく。
 少し大きくなったモノの先を舌先で舐める。
「ん……」
 ちろちろと舌をはわせる。
 すぐにモノははちきれんばかりに大きくなった。
「は……む……ん……」
 ともみは、モノを口に含み、頭を上下に動かす。
 暖かな口内にねっとりした唾液が絡み、圭太に快感を与える。
「ん、はあ……んちゅ……」
 唾液でてらてらと光るモノをいとおしげに見つめ、敏感なエラ部分や裏筋に舌をはわせる。
 それは圭太が思わず腰を浮かせてしまうほど、快感だった。
「ともみさん、そろそろ……」
「我慢しないでいいわよ。出したくなったら、遠慮なく出して」
 そう言ってともみは、少し激しく舐めた。
 舌を使って舐めるだけではなく、口全体を使い、吸い上げる。
「んん……は、ん……っむ……」
 圭太は、限界ギリギリまで我慢したが──
「くっ!」
「んっ!」
 ともみの口内に勢いよく白濁液を放った。
「ん……」
 ともみはそれを最後まで受け止めると、少しずつ飲み下した。
「ん、はあ、だいぶこれにも慣れたけど、まだ少しだけ抵抗があるわ」
「無理しなくてもいいと思うんですけど」
「それはそうなんだけどね。でもさ、私も圭太になにかしたいって思うと、やっぱりこういうことをでもしないといけないかなって思って。ま、それも私が好きでやってるんだから、気にしなくていいわよ」
 そう言ってともみは微笑んだ。
「それよりも、今度は圭太がして」
「わかりました」
 圭太はともみをベッドに横たえた。
 デニムのズボンを脱がせ、ショーツ越しに秘所に触れた。
「んっ」
 ともみの秘所は、すでにしっとりと濡れていた。
 指先に少し力を込め、擦る。
「あ、んんっ……ぅっ」
 シミが広がってきたところで、ショーツも脱がす。
「もう濡れてますね」
「だって、圭太のを舐めてる時から感じちゃって」
 圭太は、指を中に入れた。
「んっ」
 ともみの中は、圭太の指が侵入してくるなり締め付けてきた。
「あ、ん……」
「ともみさんの中、とても熱くなってます」
「んっ、言わないで。自分でもわかるから」
「指を動かしただけで──」
「やっ、あんっ」
「あとからあとからあふれてきます」
 圭太の言うように、圭太の指がすっかり濡れてしまうほど蜜があふれてきていた。
「ん、ねえ、圭太、もう大丈夫だから、お願い、圭太のをちょうだい……」
「わかりました」
 圭太は一度放って少し萎縮していたモノを軽くしごき、復活させた。
「いきますよ?」
「うん、お願い」
 圭太は、一気にモノを入れた。
「んんんっ」
 ともみは、モノが入ると嬌声とともに息を吐き出した。
「ん、はあ……」
「大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫。久しぶりだったから、ちょっと感じすぎちゃって」
 そう言って微笑む。
「じゃあ、もう少しこうしていますか?」
「ううん、大丈夫だから。動いていいよ」
 圭太は頷くと、腰を引いた。
 大きく引き、また押し戻す。
「んっ……ああっ……んんくっ」
 圭太はともみの腰をつかみ、しっかりと奥までモノを入れる。
「はあんっ、ああっ、いいっ、気持ちいいっ」
 ともみは無意識のうちにシーツをつかんでいた。
「んっ、あんっ、圭太っ、もっとっ」
 圭太は少し体を起こし、さらに速く大きく動く。
「やっ、んんっ、んくっ、圭太っ、ああっ」
「ともみさんっ」
「ああっ、んっ、あぅっ……んああっ」
 部屋の中にともみの嬌声が響く。
「あんっ、圭太っ、私っ、もうっ」
 ともみの体がピンと張りつめる。
「んっ、ああああっ!」
 そのままともみは達した。
 体がわずかに痙攣している。
「はあ、はあ、イっちゃった……」
 少し虚ろな表情でともみは微笑む。
「やっぱり久しぶりだったから、感じ過ぎちゃったみたい」
 圭太は、そんなともみの髪を優しく撫でる。
「でも、圭太はまだよね。だから、このままもう一度、いいかな?」
「いいんですか?」
「たくさん、可愛がってほしいから」
 そう言ったともみの表情は、圭太でなくともカワイイと思えるものだった。
 そんな表情を見せられては、圭太も応えないわけにはいかない。
「それじゃあ、続けます」
「うん」
 結局、いつも以上にカワイイともみにほだされ、圭太は何度も抱くことになるのだが、その時はまだそうなるとは思ってもいなかった。
 
「私ね、セックスする時にひとつだけイヤなことがあるの」
「イヤなことですか?」
 圭太は首を傾げた。
「別にセックス自体がイヤなわけじゃないわよ。圭太とのセックスは癖になるくらい好きだから。でも、終わって気持ちが落ち着いて、冷静に物事を考えた時の、あのなんとも言えない虚しさがイヤなの。それはある程度しょうがないとは思ってるんだけどね。圭太もそんなことない?」
「そうですね、イヤだと思うほどはないですけど、高ぶっていた気持ちが落ち着いて、その差にいろいろ考えてしまうことはありますね」
 圭太に同意してもらい、ともみも少しだけホッとした。
「あれさえなければ、なにも文句はないんだけどね。でも、どんなことでも百パーセントなんてことはないから、しょうがないのかもね」
 それには圭太は答えなかった。
「ま、いっか。そんな些細なことを全部消してしまうくらい幸せなんだから」
 そう言ってともみは圭太に寄り添った。
「そういえば、さっきはさらっと聞き流しちゃったけど、圭太って、祥子のこと、ふたりきりの時は、『祥子』って呼んでるのね」
「あ、はい。最初に抱いた時に言われたんです。そう呼んでほしいって」
「なるほどね。あの子らしいわ。まあ、圭太と祥子は学年こそひとつ違うけど、生まれた年は同じだから、同い年と言えなくもないのよね。そうしたら、呼び捨てでも構わないのかもしれないわね」
「……言われてみれば、そうですね」
 圭太と早生まれの祥子は、確かに生まれた年は同じである。制度上学年は変わるが、そういうことがなければ、同い年の同級生だったかもしれない。
「ああ、そうすると、圭太は無意識のうちに祥子をそんな存在と捉えていたのかもしれないわね。だって、年上の中で祥子にだけはそんな接し方してなかったでしょ?」
「そうですね。どちらかといえば、同級生のそれに近かったかもしれません」
「となると、柚紀にとってはますますやっかいなライバル、ということになるわね。ただでさえ祥子とのアドバンテージは私たちに比べて少ないのに。ま、私にとってはそうなってくれた方が、いろいろ面白くなっていいんだけどね」
「完全に傍観者の意見ですね」
「だって、柚紀と祥子のことに関しては、私はなにも言えないもの。そしたら、ふたりの先輩として外から見てるのは当然じゃない?」
「まあ、そうですね」
「それにさ、結果がわかってるんだから、必ずしも内側にいる必要ないじゃない。それは、私だけじゃなくほかのみんなにも言えることだけどね。そのあたりの考え方は、それこそ個々人で違うと思うわよ。ただ、私はそんな考えを持ってるってだけ」
 ともみの言葉に圭太は少しだけ考え込んだ。
 圭太としてもそれはわかっていた。だが、言葉としてそれを聞くと、改めてそれを考えなければいけないような錯覚に陥った。
「ま、そう難しく考えることじゃないわよ。圭太は圭太らしく、今まで通りやってればいいんだから。それに、柚紀と祥子のことはすでに結論が出てるわけでしょ? これがまだ結論の出てない後輩三人組とのことだったら、まあ、考えなくちゃいけないかもしれないけど」
「そうですね」
「というわけだから、そんな難しい顔しないの」
 そう言ってともみは圭太の額を小突いた。
「あ、それと、もうひとつ」
「なんですか?」
「さっき、私と幸江のことを考えてたって言ったでしょ?」
「はい」
「たぶん、幸江も私と同じだから。圭太に対するスタンスとか、それほど変わらないわよ。だから、真剣には考えなくちゃいけないけど、難しく考える必要はないわ。今日みたいに本音で話せばすぐに結論なんて出るから。それを忘れないで」
「わかりました」
 圭太が頷くと、ともみは満足そうに微笑んだ。
「さてと、そろそろ帰らないといろいろ言われるんじゃない?」
「そうですね。もっとも、すぐに帰らなかった段階でいろいろ言われることは確定してますけどね」
「ふふっ、それもそっか」
 ドアを開け、外に出ると、わずかな熱気を含んだ湿気が体を包み込んだ。
「うわ、蒸し暑い」
「夜は湿度が高くなりますからね」
 と、その時。
「あら?」
「げっ……」
 母屋のドアが開き、かなみが出てきた。
「まあ、圭太くん」
「こんばんは」
 圭太は何気ない風を装い挨拶するが、内心はそこまで穏やかではなかった。
 隣のともみなど、完全にしまったという顔で天を仰いでいる。
「それで、ともみ。どういうことなのか説明してくれるわよね?」
「……もう、わかったわよ」
 その場を見られてしまっては、さすがに言い逃れはできなかった。
 ともみはかなみに説明するために今一度部屋に戻った。もちろん圭太も一緒である。
「お母さんも薄々気付いてたと思うけど、私と圭太は単なる先輩、後輩の関係じゃないのよ。簡単に言えば、男女の関係。だから今日も一緒にいたの」
「そうなの?」
 かなみは、念のため圭太にも確認を取る。
「はい。間違いありません」
「そう」
 なんとも言い難い表情でかなみは頷いた。
「あんたももう二十歳になるわけだから、そういうことに関してとやかく言うつもりはないけど、でも、このことについては言わないといけないわね」
「わかってるわよ。圭太には彼女がいるのに、ってことでしょ?」
「ええ。時期としては、もちろんともみとのことがあとなのよね?」
「はい」
「ということは、あんたが圭太くんに迫った、と考えるのが妥当ね」
 かなみは、一瞬鋭い視線でともみを見た。
「確かに、あんたは圭太くんのことをずっと単なる後輩とは見てなかったみたいだけど。それでも、人の彼氏に迫るというのはどうかと思うわよ」
「それは私だってわかってるわよ。でも、自分の気持ちにウソはつけなかったから。たとえ振り向いてもらえなくても、自分のこの想いだけは伝えたい、そう思ってた。だから、自分の想いを伝えた」
「それならそれだけにしておけばいいでしょ? なにも男女の関係になる必要はないじゃない」
「それは、僕の方に原因があるかもしれません」
「圭太くんに?」
 圭太の言葉に、かなみは意外そうに聞き返した。
「確かに、告白され、迫られたのは事実です。でも、そのあとのことはどちらか片方の考えだけではできません」
「それは、まあ、そうね」
「そして僕は、その時のともみさんの想いを受け止めました。百パーセント、その想いに応えることはできないですけど、それでも真摯な想いを否定できるほど僕も大人ではありません。そのあとどのようなことになるかなんて、その時はあまり考えていませんでした。その時はただひたすらにともみさんの想いを受け止め、それに応えようとだけ思っていましたから」
「つまり、言い方は悪いかもしれないけど、勢いだった、というわけ?」
「否定はできません。でも、それから今日まで、そのことを後悔したことは一度もありません。僕も、ともみさんの想いに応えたいと思えるほど、ともみさんに対する想いを持っていましたから」
「そうなの……」
 かなみとしても、圭太が安易な気持ちで自分の娘に手を出していないことくらいわかっていた。それでも、まさか圭太がそのようなことをするとは思ってもいなかったのである。もちろん、かなみ自身は圭太のことをとても買っていたので、ともみとそうなっても問題ないと思っていた。ただ、それはあくまでも正真正銘の、彼氏彼女の関係でである。
「経緯はわかったわ。もちろん、すべてが納得できたわけではないけど、過ぎてしまったことを今更とやかく言っても意味がないから。問題は、これからどうするかということよ。ふたりは、どうしようと思ってるの?」
 ともみは、一度圭太を見た。
「さらにお母さんは納得できないと思うけど、私は、ずっと圭太の側にいたい、ううん、いるつもり」
「圭太くんは?」
「僕としても、ともみさんには側にいてほしいです。側にともみさんがいてくれる、それが今では当たり前ですから」
「ふう……」
 かなみは息を吐いた。
「まったく、その頑固さは誰に似たのかしら」
「お母さんじゃないの?」
「あんたは余計なことは言わなくていいのよ。よくそういう性格で圭太くんに受け入れてもらえたわね」
「ふ〜んだ、圭太は私のいいところもちゃんと見てくれてるからねぇ」
「それをすべて帳消しにするような性格の悪さだと思うけどね」
「いいのよ。私は別にお母さんに好かれたいと思ってるわけじゃないんだから」
「なにを言ってるんだか」
 いつの間にか、シリアスな雰囲気が消えていた。
「とりあえず、今のところはふたりのことに関してはなにも言わないわ。ふたりとも今はそう言ってるけど、本当にそれがこれから先も変わらないとは言い切れないし。だから、今はとりあえず、ということよ」
「少なくとも私の想いは変わらないわよ」
「それならそれで、今度はお父さんに話さなくちゃいけないのよ。それはわかってるの?」
「わかってるって。ただ、お父さんに反対されようがののしられようが、考えを変えるつもりはないけど。私だってね、生半可な気持ちで彼女持ちの圭太と一緒にいようだなんて思わないわよ」
「そのことに関してはなにも言わないけど」
 かなみはそう言って、今度はため息をついた。
「とりあえず、圭太くん」
「はい」
「こんなバカ娘だけど、これでもうちのひとり娘だから、やっぱりいろいろ心配なのよ。だから、せめて泣かせないで。笑わせるにしろ泣かせるにしろ、それは圭太くんにしかできないことだと思うから」
「はい、それはお約束します」
「ありがとう、というのはおかしいかしら? でも、そんな気持ちだから」
「……あれこれ言わなくてもいいのに」
 ともみはぼそっとそんなことを呟いた。
「元はと言えば、あんたがなにも言わなければこんなことにならなかったんでしょうが」
「はいはい、その通りです」
「まったく、本当にバカ娘なんだから」
 かなみはやれやれと肩をすくめた。
 展開は意外だったが、とりあえずともみとのこともある程度決着がついた。
 圭太もともみも、これで少しだけ肩の荷が下りた。
 もっとも、圭太にはまだまだやらなければならないことはあったが。
 
 六
 八月二十八日。
 その日の夜。一本の電話があった。
 電話に出たのはたまたま電話の近くにいた圭太だった。
「はい、高城です」
『あっ、もしもし、けーちゃん? あたし、凛』
 電話の相手は、凛だった。
「おかえり、凛ちゃん」
『うん、ただいま』
「結果の方はちょっと残念だったけど、凛ちゃん自身はどうだった?」
『まあ、百パーセント納得はできてないけど、それでも出せる力は全部出せたと思ってるから』
「そっか」
 凛のインターハイの結果は、出場した四種目、すべて準決勝止まりだった。惜しいのもあったのだが、たとえコンマ一秒でも遅ければ負けの世界である。
「それで、今日電話してきたのは、明日のことだよね?」
『うん。けーちゃんは明日も部活があるんだよね?』
「本番まで二週間ないからね。さすがに休みもないよ」
『部活って、午前中?』
「午前中だよ」
『じゃあ、午後からデートしよ』
「いいよ。待ち合わせとかどうしようか?」
『ん〜、あたしの方は部活もなにもないから。けーちゃんが帰ってくる頃にそっちに行こうか? その方が時間も無駄にならないし』
「凛ちゃんがそれでいいなら構わないけど」
『じゃあ、そうするよ』
 凛は電話口で嬉しそうに頷いた。
『……ねえ、けーちゃん』
「うん?」
『あ、ううん、やっぱりいい。そういうのはみんな明日に取っておくよ』
「そう? それならいいけど」
『それじゃあ、けーちゃん。明日、楽しみにしてるから』
「うん、僕も楽しみにしてるよ」
『ふふっ、じゃあ、また明日』
 電話が切れると、早速声が飛んできた。
「お兄ちゃん」
 振り返ると、琴絵がそこにいた。
「今の電話、凛お姉ちゃん?」
「ん、ああ、そうだよ」
「インターハイの結果報告、というわけでもないよね?」
「まあ、ね」
 知らず知らず、圭太は視線をそらしていた。
「はあ、お兄ちゃん。私、心配だよ」
「ん?」
「柚紀さんがどんどん大変になっていくもん」
「うっ……」
「お兄ちゃん、凛お姉ちゃんも抱くんでしょ? そしたら、やっぱり大変だよ。お兄ちゃんの妹として、近い将来の柚紀さんの『義妹』として、やっぱり心配」
 いつも以上に真剣な表情の琴絵に対し、圭太はなにも言い返せなかった。
「……とは思うんだけどね。でも、すでにお兄ちゃんに抱いてもらってる私としては、そこまで言えないから。それに、凛お姉ちゃんが昔からお兄ちゃんのこと好きだったの、知ってるし」
「琴絵……」
「柚紀さんは知ってるの?」
「一応は」
「そっか。じゃあ、なおさら私は言えないね」
 圭太はふっと微笑み、琴絵の頭を撫でた。
「お兄ちゃん……?」
「琴絵が心配してくれてるってことは、ちゃんと覚えておくから」
「うん……」
 琴絵はそのまま圭太に抱きついた。
「こらこら、そんなにベタベタしないの」
 と、また別の声がした。
「お兄ちゃん想いの妹はいいけど、そのお兄ちゃん離れもできないと困るわよ」
 琴美は、少し困った顔でそう言った。
「ぶぅ、私は困らないもん。お兄ちゃんと一緒にいられないことの方が、よっぽど困ること多いから」
「やれやれ、本当にどこで育て方を間違ったのかしら……」
 ため息をつきつつ、ソファに座った。
「圭太も、もう少し考えなさい」
「わかってはいるんだけど、どうもね」
「まったく……」
「お兄ちゃんは悪くないもん。お兄ちゃんは私のことを考えてくれてるもん」
「はいはい、そうね」
「むぅ、お母さんのいぢわる〜」
「そうやってムキになるから、母さんに言われるんだ」
「あう……」
 琴絵はカクッと肩を落とした。
 
 八月二十九日。
 夏休みも残すところ三日となった。夏休みに宿題が出ている小、中、高校生は、ようやく必死になる者も出てくる頃である。もっとも、その頃になると自分で宿題を終わらせるというよりは、すでに終わっている者から宿題を借りて、それを写す作業に追われることの方が多い。もちろん、宿題を終えている者が全員、そういう者に宿題を貸すわけでもないが。
 そんな宿題地獄に苦しんでいる者もいる中、吹奏楽部では残りわずかな夏休み期間中にある程度仕上げてしまおうと、いつも以上に気合いが入っていた。
 とはいえ、やること自体は同じである。とにかく細かい部分も手を抜かずに修正していく。できない部分、できていない部分はそれぞれの責任できっちり直す。あとは、それを合奏の時にしっかりやるだけである。
 その単調作業を繰り返すのが、結果を残すための最短ルートなのである。
 全国大会という普通ではなかなか出られない大会に出るためには、そのくらいのことは平気でこなせるくらいの気力がなければならない。もちろん、心の中ではいくらでも大変だと思っていても構わない。ただ、結果さえ残せばいいのである。
 自分たちにとっては経過も重要なのかもしれないが、大会に出てしまえばそこで評価されるのはあくまでも結果のみである。審査員は、誰もどんな練習をしてきたかなど、考えない。
 だからこそ、練習でも悔いの残らないようにし、なおかつ本番で最高の演奏をしようとするのである。
 そんなことだから、メンバーは練習が終わる頃には体力的にも精神的にもへとへとになっている。
「はあ、今日も絞られたわね」
「それはしょうがないよ。本番までもうそれほど時間は残されていないんだから」
「わかってはいるんだけどね」
 柚紀は、しみじみとため息をついた。
「でも、圭太はこういうことを六年間も続けてきたわけよね?」
「まあ、正確には五年間かな。中一の時はメンバーじゃなかったし」
「それでも、毎年のようにこれを繰り返してるわけだから、やっぱりすごいわよ。慣れとかってあるの?」
「こればかりは、何年やっても慣れないよ。僕も正直つらいと思うこともあるし」
「そうなんだ」
「でも、明確な目標があるからがんばろうと思える。もう一度全国大会の舞台で演奏したい。ただそれだけを目指してね」
「その気持ちはわかるけどね」
「練習の手を抜いて、そのせいで行けなかったら、やっぱり後悔すると思うから。だから、自然とやる気も起きるし、実際やれるのかも」
 そう言って圭太は微笑んだ。
「ホント、圭太のその一途な真面目さは見習いたいものだわ」
 家に帰ると、リビングに凛がいた。
「おかえり、けーちゃん」
「ただいま、凛ちゃん」
 凛の前には、氷の入ったコップが置かれていた。どうやらなにかを飲んでいたらしいが、中身がないのでなにを飲んでいたのかはわからない。
「いつ来たの?」
「ん〜、二十分くらい前かな。最初は『桜亭』の方から入ってきたんだけど、小母さんがこっちで待ってても構わないって言うから」
「そっか。あ、じゃあ、僕は着替えてくるよ」
「うん」
 圭太は急いで部屋に戻り、着替えた。
 数分で着替えを済ませ、リビングに下りてくる。
「お待たせ」
「そんなに急がなくてもよかったのに」
「部屋が暑かった、という理由もあるんだけどね」
「あ、なるほど」
 圭太はそう言ってリビングで少し涼む。
「どこか行きたいところはある?」
「ん〜、いろいろ考えたんだけど、なかなか思い浮かばなくて。結局、けーちゃんと一緒ならどこでもいいって気持ちが強くて」
「それじゃあ、とりあえず、駅前に出ようか」
「うん、そうだね」
 
 バスで駅前に出てきたふたりは、とりあえず商店街の方へと足を向けた。
 商店街は平日、しかも月曜ということもあり、それほど混んではいなかった。もちろん、一番暑い時間帯だということもある。心なしか、商店街を歩いている人々も店に近いところを歩いている。そこならば、店の冷気がたまに流れてくるからである。
 街の様子はまだまだ夏なのだが、店頭を見るとだいぶ秋物が増えてきた。それはファッションだけではなく、八百屋や魚屋でもである。どちらにも秋の味覚が並びはじめている。もっとも、どちらもまだまだ値段が高く、そう簡単には食べられない。
「さすがにこの暑さでうろうろしてるのもつらいよね」
「確かにね。けーちゃんは、どこか行きたいところとかある?」
「僕は特にないけど。ただ、どこか涼しい場所がいいとは思うけど」
「そうだよね。とすると、屋内なんだけど……」
 凛は、キョロキョロとあたりを見た。
 とりあえず入れそうな場所は結構ある。喫茶店、ファーストフード店、ゲームセンター、本屋、デパートなどなど。挙げればキリがない。
「ん〜、そうだなぁ……じゃあ、とりあえずあそこに行こ」
 そう言って凛が指さしたのは、音楽ショップだった。
 なぜ音楽ショップなどと言うのかといえば、そこはCDやDVDなどを売っているだけではないからである。ギターや管楽器など、普通の楽器も扱っている。
 圭太も何度もお世話になっている店である。
「けーちゃんはやっぱり、クラシックがメイン?」
「そうだね。基本的に真っ先に来るのはクラシックの売り場だね。ほかを聴かないわけじゃないんだけどね」
「あたしはもっぱらポップスかな。たまにヒーリングミュージックなんかも買うけど。ま、それも基本的には本番前に集中するためのものなんだけどね」
「なるほどね。じゃあ、今のオススメは?」
「オススメかぁ。ん〜、今は……」
 凛は、自分が主に聴いているCDが置いてある場所へ移動する。
 そこは、邦楽ポップスのコーナーだった。
 様々なミュージシャンのCDが並び、視聴できるCDも結構あった。
 凛は、そこで何枚かのCDを選ぶ。
「こんなところかな? まあ、オススメというよりは、あたしがただ単に好きってだけなんだけどね」
「ふ〜ん、こういうのか」
 それぞれに結構有名なミュージシャンのCDだった。流行りものには少々疎い圭太でも、名前だけは知っていた。
「あ、もし聴きたいなら、あたしが持ってるから言ってくれればいいからね」
「そうだね。余裕ができたらそうするよ」
 それから洋楽やらロックやらジャズやらクラシックやら、いろいろ見てまわる。
 店の二階、三階は楽器や楽譜の売り場になっている。
「凛ちゃんて、音楽は得意?」
「どちらかといえば、苦手かな? 楽譜は読めるんだけど、楽器を扱うとどうもどちらかにしか意識が向かなくて」
「あはは、結構そういう人いるね」
「だから、けーちゃんみたいに楽器を上手く扱える人は、素直にすごいと思うよ」
「まあ、これもある意味慣れだからね。ほら、水泳と一緒だよ。プールの大きさがわからないと、今自分がどのあたりを泳いでるのかわからないでしょ? そうするとターンするタイミングがずれるし。でも、何度も泳いでいれば、感覚としてどれくらい泳いだかわかるようになるし」
「そう言われると、そんな気もするかも」
「なんでもそうだと思うけどね。だから、凛ちゃんもやればできると思うよ」
 そう言って圭太は笑った。
「あたしはとりあえず、聴いてる方がいいから」
 それに対して凛は、少しバツが悪そうにそれを否定した。
 音楽ショップを出たふたりは、カジュアルを多く扱っている服飾店に入った。
 表にはやはり秋物が並び、店内もだいぶ秋物に替わっていた。
 それでもまだ夏物も置いてある。もっとも、ワゴンセールのようにたたき売っているのもあったが。
「凛ちゃんはやっぱり、動きやすい服の方が多いの?」
「そうだね、どちらかと言えば。それにほら、あたしには裾のヒラヒラしたスカートなんか似合わないし」
「そんなことはないと思うけど。凛ちゃん、背も高いしスタイルもいいんだから」
「いいのいいの。ヒラヒラしたスカートは制服で十分だから。それに、ある程度着慣れた服の方が、自分らしくいられるだろうし」
「そういう考えもありか。なるほどね」
 圭太は納得し、頷いた。
「……でも、けーちゃんが見たいっていうなら、着てみてもいいとは思うけどね」
「そう? じゃあ、試しに着てみようか」
「えっ……?」
 思わぬ展開に、凛は間抜けな声を上げた。
 それからの圭太は早かった。凛を秋物のコーナーに連れて行き、なおかつ普段凛が着ないような服を物色する。
 その結果チョイスされたのは、フリルこそついていないがふわふわのフレアスカート、それと似たような感じで今度はワンピースなど。
「え、えっと、けーちゃん……?」
「ものは試しだよ。着てみてよ、凛ちゃん」
 圭太にそう言われては、凛に断る術などなかった。
 凛はそれらを持って試着室に入る。
「……はあ、けーちゃんも結構強引だなぁ」
 そう言いつつも、圭太が自分のために選んでくれた服を着られるというのは、嬉しくもあった。
 いそいそとまずはミニスカートを脱ぎ、フレアスカートを穿いてみる。
「……うわ、ホントふわふわ」
 穿き慣れない感覚に、さすがに戸惑いを隠せない。
「どう?」
「あ、うん。とりあえずこんな感じかな」
 まずはそれを圭太に見せる。
「よく似合ってるよ。やっぱり凛ちゃん、背が高いからそういうのもあうね」
 ちょうど膝下丈のスカート。上はそのままなので違和感はあるが、それでも似合わないということはなかった。
「でも、なんか落ち着かなくて」
「慣れの問題だと思うけどね。とりあえず、ほかのも着てみてよ」
「うん」
 今度はワンピースである。
 普段からワンピースなどほとんど着ない凛は、少しだけ苦労してそれを着た。
「……うわ〜、あたしじゃないみたい」
 秋物ということで色目も落ち着いてる。そのため、それを着ているとどこかのお嬢様のようにも見えた。
「今度はどう?」
「こんな感じ」
「へえ、すごいよ、凛ちゃん。ぴったりだよ」
「そ、そうかな?」
「それを着てると、凛ちゃんのイメージ変わるかも」
「それって、喜んでいいのかな?」
「ははは、それはわからないけどね。でも、似合ってるのは間違いないよ」
「……うん、ありがと」
 凛は頬を染め、少し俯き加減にそう言った。
 結局圭太に選んでもらった服を全部試着し、圭太はその都度似合ってる、ぴったりだと言っていた。
 凛もそう言われると、自分にも似合うのかもしれないと思いはじめ、そのうち買おうかな、とも考えるようになった。
 そこを出たふたりは、少し休むために喫茶スペースのあるケーキショップに入った。
 圭太はアイスコーヒーとガトーショコラを、凛はアイスミルクティーと桃のタルトを頼んだ。
「けーちゃん」
「うん?」
「もしあたしが小学校の時に引っ越さなかったら、今頃どうなってたと思う?」
「そうだなぁ、たぶん、もっと早い段階で彼氏彼女の関係になってたかもね」
「ホントにそう思ってる?」
「思ってるよ。凛ちゃんと同じように、僕だって凛ちゃんのこと好きだったし。まあ、最初は『姉弟』の感覚だったけどね。それでも、いつまでもそうだったとは思えないし」
「そっか」
 凛は嬉しそうに、でも少しだけ複雑な笑みを浮かべ、紅茶を飲んだ。
「女の子って、どんどん変わっていくからね。凛ちゃんが七年で見違えちゃったように、それを間近で見ていても、それは実感できただろうから。そしたら、どんどん綺麗になっていく凛ちゃんに惹かれない方がおかしいよ。僕だって、男だからね」
 そう言って圭太は笑った。
「……それは、あたしも同じだと思うよ。確かにあたしはずっとけーちゃんのことが好きだったけど、それってやっぱり子供心での好きってことだったから。本当の意味での好きではなかったから。それが本当の意味での好きになるには、それ相応のきっかけが必要だからね。だから、ずっとけーちゃんの側にいたら、どんどんかっこよくなるけーちゃんに惹かれていったに違いないよ。それこそ、もうけーちゃんのことしか考えられないくらいにね」
「じゃあ、お互い様だね」
「うん。ただ、だからってすぐに告白したかどうかは、わからないよ」
「どうして?」
「ん、ほら、小父さんのことがあったから。あたしがこっちに残ってたというだけであとは同じだとすれば、小父さんのことがあるし。そんな時に告白したら、どさくさに紛れてって感じがするでしょ? そんなのはやっぱりイヤだし」
「そっか」
「でも、それはその時だけ。落ち着いたら、ちゃんと告白するよ。だって、それがあたしの望み──夢だし」
 そう言った凛の顔は、まさに夢見る少女のそれだった。
「あ〜あ、そうするとホントにあたしは惜しいことをしたんだね。もちろん、今更言ってもしょうがないんだけど」
「惜しいかどうかはわからないけど、その先のことが変わっていたことは確かだろうね」
「……あたしも、けーちゃんと小学校を卒業して、同じ中学校に入って卒業して……同じ想い出を持ちたかったな……」
 その言葉に、圭太はなにも言えなかった。
 
 ケーキショップを出たふたりは、特に目的もなく商店街を歩いた。
 時間帯的にそろそろ夕方となり、商店街にもだいぶ人の姿が多くなってきた。暑い日中を避けて多少は涼しくなる夕方に買い物をしようというのである。店の方もそれをわかっており、それにあわせて声を張り上げている。
「そういえば、凛ちゃんはもう部活には出ないの?」
「ううん、そんなことないよ。一応後輩を指導してくれって頼まれてるから。それに、いきなりなにもかもやめちゃうと、さすがにあたしもなにをしたらいいのかわからないし」
「なるほどね」
「だから、たまに顔は出すよ。もちろん、今までみたいには出ないけどね」
「とすると、凛ちゃんはこれから受験勉強に本腰を入れるってことかな?」
「とりあえずはそうだね。みんなからはちょっと遅れてるから、その差を取り戻すのが大変だけど」
「凛ちゃんなら大丈夫だよ」
「だといいんだけどね」
 そう言って凛は笑った。
「けーちゃんは受験、しないんだよね?」
「うん。とりあえずは就職組、になるのかな。ただ、今はそれ以外のことも考えてるんだけどね」
「それ以外のこと?」
 凛は首を傾げた。
「形としては進学になるけど、専門学校に行こうかとも思ってて」
「専門学校? なんの?」
「調理師のだよ。ほら、うちは喫茶店だけど軽食も出してるでしょ? そうすると、調理師免許を持ってた方がなにかと便利だと思って」
「ああ、そういう理由か。確かにそうかもね。持ってても邪魔にはならないし」
「うん。だから、そういう可能性はあるよ。ただまあ、今は母さんにも話してはいないけどね。とりあえず、コンクールを終えることが今の一番の目標だから。それが終わらないと僕も真剣に考えられないし」
「ホント、けーちゃんは真面目だね。あれ、でもそうすると、柚紀は?」
 凛も柚紀が圭太と同じ道を歩むことを知っている。となれば、柚紀がどうするのか疑問に思っても不思議ではない。
「調理師のことは、柚紀が言い出したことなんだよ」
「そうなの?」
「うん。まあ、正確に言えば、母さんが柚紀に勧めたらしいけどね。それを僕が聞いて、そういう方法もありなんだと思ったわけ」
「なるほどね」
「最終的に僕がどうするかはわからないけど、柚紀はもうほとんど専門学校に行くことを決めてるみたいだね」
「ふ〜ん、そっか」
 凛は感慨深そうに頷いた。
「やっぱりみんな、いろいろ考えてるんだね」
「最初の分岐点だからね。まだ取り返しはつくとは思うけど、将来のことを考えれば、いろいろ考えるのも当然だよ」
「最初の分岐点、か」
「凛ちゃんだって、やりたいことがあるから大学へ行くんでしょ?」
「うん」
「それだっていろいろ考えて、さらに将来のことも見据えてのことだと思うから。だとすると、やっぱり最初の分岐点ということになるよね」
「あたしはそこまで真剣には考えてないけどね。ただ漠然と環境問題についてもう少ししっかり勉強したいと思ったから、大学へ行った方がいいと思っただけ」
「みんなそうだと思うよ。本当に明確な目標を持って先を選べる人なんて、そう多くないだろうし。手探り状態で、少しずついろんなことを学んで、そこではじめて選ぶんだと思うから」
 圭太は少しだけ真剣な表情でそう言った。
 それは同時に、自分自身にも言い聞かせているからなのかもしれない。
「まあ、今はそういう難しい話はやめよう。せっかくのデートだし」
「うん、そうだね」
 活気の戻ってきた商店街を抜け、再び駅前に出てきた。
「さて、どうしようか?」
 とりあえずそこまで歩いてきたのだが、別に目的があったわけではない。なにをするか、どこへ行くか、それはその時に決めようと思っていたのだ。
「時間は……四時過ぎか。まだ大丈夫だね」
「陽も長いから、まだ結構なんでもできるよ」
「そうだね。とはいえ、あまりのんびりもしていられないけど」
「限られた時間でなにをするか、しっかり考えないと」
「ん〜……そうだよね。特にけーちゃんとのことだから、いつも以上に真剣に考えなくちゃいけないし」
「そんなに肩肘張らなくてもいいと思うけど」
「ダメダメ。だって、今度いつけーちゃんとデートできるかわからないもの。少なくとも、けーちゃんが部活を引退するまでは、そういう機会もなかなか設けられないでしょ?」
「うん、まあ、そうだね」
「それに、そういう理由がなくてもあたしはけーちゃんとの時間を大事にしたいから」
 そう言って凛は微笑んだ。
「とは言っても、妙案がなかなか思い浮かばないのも事実なんだよねぇ」
「それじゃあ、駅の向こうに行ってみようか。凛ちゃん、こっちに戻ってきてからあまり行ってないでしょ?」
「うん」
 そんなわけで、ふたりは駅の反対側へとやって来た。
「こっちの方もだいぶ変わったね」
「そうだね。商店街の店も、かなり入れ替わってるよ」
「ただ、やっぱりこっちの方が向こう側に比べるとなんとなくこぢんまりとしてるよね」
「駅ビルは向こう側にあるし、デパートも向こうだからね。それに対してこっちにはそういうのがないから、余計にそう見えるね。ただ、僕はこっち側も結構好きだよ」
「どうして?」
「公園があるから。たまに来るけど、まさに憩いの場って感じで、僕のお気に入りの場所でもあるよ」
「なるほどね。あ、じゃあ、その公園にでも行こうか?」
 公園にはちらほらと親子連れの姿が見受けられた。
 それでも暑さのせいか、いつもより人は少ない。
 上に開けた公園なので、陽を遮る木陰などが少ないのもその理由のひとつである。
「春や秋は、ここは本当にいい場所だよ」
「デートの時にも来るの?」
「そうだね。結構来てるかも」
「そっか」
 凛は、改めて公園内を見回した。
 特に変わった公園ではない。広さもそれほどではない。
 それでも、街の中心にあるからなのか、心落ち着ける場所ではあった。
「ねえ、けーちゃん」
「うん?」
「けーちゃんにとって、人を好きになる基準とかってあるの?」
「好きになる基準? どうかな、そんなこと考えたこともないから」
「でも、少なくとも今けーちゃんのまわりにいる人たちは、けーちゃんが自ら選んだわけでしょ? そしたら、ほかの人とは違うなにかがあったってことだし」
「そうだなぁ、ひとつには時間だろうね」
「時間? なんの?」
「一緒に過ごした時間。それが長くなれば、より相手のことを理解できるから。もちろん、ただ一緒にいるだけじゃ好きにはなれないけどね」
「じゃあ、そこにどんな基準が加わるの?」
「それはたぶん、どれだけ僕のことを真剣に想ってくれてるか、だと思うよ。真剣な想いは、大切にしないといけないからね」
「でも、それだけじゃないでしょ?」
「まあね。あとは、僕が相手のことをどう見てるか、ということもあるよ。たとえば、凛ちゃんだと以前は『姉』のような感覚で見てたけど、今はそうじゃないとか。だから、今僕のまわりにいるみんなと、そうでないみんなとの差は、そこだと思う。僕を好きになってくれた相手を、僕は友達以上には見られなかったり、単なる先輩、後輩としか見られなかったり。それが強いて言えば基準かも」
「なかなか難しいね」
「とはいえ、普段からそんなことを考えてるわけじゃないよ。たいていの場合は、気付いたら心の中に相手の存在があったって感じだから」
「あたしもそうだったんだね」
「うん」
 頷く圭太に、凛は少しだけ複雑そうな笑みを浮かべた。それはそうである。そういうことから言えば、凛の存在は昔から圭太の中にあったということになる。だとすれば、もう少し自分に勇気があれば、と思ってしまう。
「凛ちゃん?」
「あ、ううん、なんでもないよ」
「そう?」
 それからしばし公園内を歩いた。
 その間、ふたりはそれほど多くのことは話さなかった。むしろ、黙っていた時間の方が多かった。
 ひとまわりしてくる。
「さてと、これからどうしようか?」
 圭太は、あくまでもいつもの口調でそう訊ねた。
「……けーちゃん」
 凛は、少しだけ真剣な表情で圭太を見つめた。
 そこには、それ相応の決意が込められていた。
「じゃあ、行こうか」
「うん……」
 
 ふたりは、ラブホテルへとやって来た。
 かなり緊張している凛を圭太がエスコートする形で部屋を選び、その部屋へと入った。
「凛ちゃん」
「な、なに?」
「大丈夫? 無理しなくてもいいんだよ?」
「だ、大丈夫」
 ガチガチになっている凛にそう言われても、圭太としてもなかなか信用できない。
 圭太は少し考えた。
「凛ちゃん、ちょっと」
「え、なに?」
 圭太は凛を招き寄せ、そのまま抱きしめた。
「本当に無理しなくていいんだよ?」
「……ううん、大丈夫。慣れないことに緊張してるだけだから」
「そう?」
「うん。だから、その、けーちゃんの好きにしてくれていいよ」
 そう言って凛は微笑んだ。
「あ、でも、先にシャワー浴びてもいいかな?」
「いいよ」
 圭太は凛を離した。
 バスルームに入り、凛は服を脱ぎ、シャワーを浴びた。
「……けーちゃんに任せておけばいいの」
 少しぬるめのお湯を浴びながら、ささやく。
「……心配することはないんだから」
 そう言って雑念を振り払う。
「よしっ」
 シャワーを止め、バスタオルで体を拭き、それをそのまま体に巻き付ける。
「お待たせ」
 何気ない風を装っているが、心の中はそれはもう大変なことになっていた。
 圭太の前でバスタオルを巻いているとはいえ裸で、しかもこれからそれを見られるわけである。いろいろな考えが交錯するのも無理からぬこと。
「凛ちゃん」
「けーちゃん……」
 圭太はそのままの凛を抱きしめ、キスをした。
「怖い?」
「……少しだけ」
「それが普通だと思うよ」
「普通、なのかな?」
「むしろ、堂々としてる方が変だよ」
「ふふっ、そうかも」
 少しだけ凛の緊張がほぐれた。
「じゃあ、いいね?」
「うん」
 圭太は、凛をベッドに横たえた。
 バスタオルがわずかにめくれ、少しだけ卑猥な感じがする。
 凛は、わずかに視線をそらしている。
「凛ちゃん。取るよ?」
「あ、うん……」
 わずかに身を固くする。
 圭太はその間にバスタオルを取った。
 凛の裸身は、水泳をやっていることもあってとても引き締まっていた。無駄な贅肉などほとんどなく、かといって女らしい曲線を失っているわけでもない。
 これこそまさに、均整の取れた抜群の肢体と言えた。
「ありきたりなことしか言えないけど、綺麗だよ、凛ちゃん」
「ありがと、けーちゃん」
 圭太の言葉に、凛はわずかに微笑んだ。
 圭太はそっと凛の頬に手を添えた。
「僕に任せるのは不安かもしれないけど──」
「そんなことないよ。けーちゃんだからこそ、任せられるの」
「じゃあ、僕に任せて」
「うん」
 凛は、小さくだがはっきりと頷いた。
 圭太は軽く凛にキスをした。
「ん……」
 数度キスを繰り返し、胸に手を添えた。
「あ……」
 水泳をやっているせいで筋肉がついているが、その柔らかさはなかなかのものだった。むしろ、適度な弾力が加わり、触れている圭太にとってはとても触り心地のよいものだった。
 圭太ははじめは少し弱めに胸を揉む。
「ん……ふ……」
 まだ感じるというところまでいっていないらしく、凛の反応は鈍かった。
 圭太はそれでもゆっくり丁寧に優しく揉みしだく。
「あ……ん……」
 すると、少しずつ凛の声に艶っぽさが加わってくる。
 シャワーを浴びたことで桜色の染まっていた肌が、さらに濃く染まってくる。
「ん、ん……あ、ん……」
 次第に、先端の突起が硬く凝ってくる。
 圭太は、その突起に触れた。
「んっ」
 そこではじめて快感らしい快感で凛は声を上げた。
「大丈夫?」
「う、うん、大丈夫。続けていいよ」
 一応凛の様子を確認し、さらに続ける。
 突起を指の腹でこねる。
「んっ、くっ……あんっ」
 敏感にとは言えないが、それでも凛が感じているのは間違いなかった。
 圭太が手を、指を動かす度に凛は嬌声を上げる。
「や、ん、けーちゃん……」
 口元に手を当て、声を抑えようとする。
「声、出していいんだよ」
「で、でも……」
「僕に聞かせてよ。凛ちゃんが感じてるってことを」
 そう言って圭太は微笑む。
 凛は恥ずかしそうに手をどけた。
 圭太はそれを確認すると、今度はその突起に顔を近づけた。
「け、けーちゃん……?」
 そういう知識はあってもこういう状況ではすぐにそれを思い出せず、凛は少しだけ不安げな瞳で圭太に訊ねた。
「大丈夫だから」
 圭太はそう言って突起に舌先で舐めた。
「んっ、やんっ」
 軽く舐めただけで凛は敏感に反応した。
「だ、ダメ、けーちゃん……」
 凛は弱々しく抗うが、そんなことくらいで圭太はやめなかった。
 ちろちろと突起を舐め、軽く吸い上げる。
「んああっ」
 一瞬、凛の体が跳ねた。
「ん、はあ、けーちゃん……」
 だいぶ陶酔した表情で凛は言う。
「今の、すごかった……」
「凛ちゃんがちゃんと感じてくれてる証拠だよ」
「……やっぱり、けーちゃんが相手だからだよ……」
 凛は、ぽつりと呟いた。
 それから少しの間、圭太は胸の突起を丹念に舐め、いじった。
「はあ、んんっ……あ、ん……」
 凛は、次から次へと襲ってくる快感の波になんとか抗おうとするが、それも虚しく終わった。
 突起のまわりが唾液で光る。
「け、けーちゃん……あたし……」
 凛は少し前からしきりに股を擦り合わせていた。
「じゃあ、凛ちゃん、少し、足を開いてくれるかな」
「う、うん……」
 言われるまま足を開こうとするが、まだまだ羞恥心が勝っており、なかなか開けなかった。
 凛も圭太のことは絶対的に信じているのだが、それでも漠然とした不安がまだ残っていた。
 圭太はそんな凛の想いを感じつつ、少しだけ強引に足を開かせた。
「やっ……」
 凛の秘所は、わずかに濡れていた。
 まだぴっちりと閉じたスリットの間から、ほんのわずかながら蜜があふれてきていた。
 丁寧に処理された恥毛の下、圭太は秘唇に触れた。
「んっ」
 ゆっくりとほぐすように指を動かす。
「はあ、んん……あん……」
 甘い吐息が漏れてくると、秘所がわずかに開いてくる。
 圭太はそこに指をあてがい、広げた。
「い、いや……」
 自分の一番恥ずかしいところを間近で見られ、凛は思わず手で顔を覆っていた。
 凛の秘所は、綺麗な桜色をしており、圭太の息がかかる度にわずかに反応した。
 圭太はなぞるように、焦らすように指を滑らす。
「あ、ん……んあ、んんっ」
 ピクピクと体が反応する。
 指先が少し濡れてきたところで、今度は中に指を入れた。
「んんっ!」
 いきなりの異物の侵入に凛の中はそれを必死に排除しようとする。
「ああっ、け、けーちゃんの指が……んくっ」
 凛の中は、圭太の指をぎゅうぎゅうに締め付けてくる。
「あふぅん……んんっ、あんっ、」
 少し蜜の量も増えてきて、圭太の指もスムーズに動くようになってくる。
「んあっ、ダメっ、そんなにされるとあたし……ああっ」
 圭太は、指で丁寧に中をほぐす。
 凛のためにやっていることなのだが、凛はそれどころではなかった。
「あんっ、けーちゃん、あたし、ダメっ、もうっ」
 ちゅぷちゅぷと淫靡な音まで聞こえるようになり、凛はさらに感じるようになっていた。
「け、けーちゃん……お願い……」
「うん、わかったよ」
 圭太はそう言って指を抜いた。
 圭太の指には凛の蜜がしっかりとついていた。
 圭太は凛と同じように全裸になった。
「……それが、けーちゃんの……」
 あらわになった圭太のモノを見て、凛は息を呑んだ。
「我慢できなかったら、ちゃんと言ってよ」
「……大丈夫。絶対に大丈夫だから」
「凛ちゃん……」
 圭太はもう一度凛にキスをした。
 それから怒張したモノを凛の秘所にあてがった。
「いくよ?」
「うん……」
 そして圭太は、そのまま腰を落とした。
「くっ……ぁああっ!」
 一瞬なにかを突き破るような感覚があった。
「はあ、はあ……」
「大丈夫?」
「だ、大丈夫。ちょ、ちょっと痛かったけど、でも、けーちゃんとひとつになれた代償だと思えば……」
 凛の中はまだとても狭く、圭太のモノを痛いくらいに締め付けてきた。
 圭太は凛が落ち着くまで少しそのままでいたが、内心ではかなり焦っていた。
「これで、けーちゃんとひとつになれたんだよね?」
「そうだよ。凛ちゃんのはじめては、僕がもらったよ」
「嬉しい……」
 目を細めると、スーッと涙が流れた。
 圭太はそんな凛を心から愛おしいと思い、できるだけ優しく接しようと思った。
「ん……けーちゃん、もう大丈夫だから、あとはけーちゃんの好きなようにしていいよ」
「わかったよ」
 圭太はあえてそれ以上言わなかった。
「いっ……!」
 わずかに腰を動かすと、凛の顔が苦痛に歪んだ。
 それでも圭太は動くのをやめなかった。
「んっ……はっ……あっ」
 まだまだ痛みの方が勝っているのか、凛の顔から苦痛の色が消えることはなかった。
「くっ……あ……んんっ」
 圭太は少しでも苦痛が和らぐよう、できるだけ負担をかけないように腰を動かす。
「け、けーちゃん……気持ち、いい……?」
「気持ちいいよ、凛ちゃん」
「よかった……んっ」
 健気に微笑む凛。
「あっ、んっ……んっ」
 それでも少しずつ、凛にも変化が出てきた。
「んんっ……ぁっ……はあっ」
 凛の中もだいぶ蜜が出てきて、圭太も動きやすくなっていた。
「けーちゃん……けーちゃん……けーちゃんっ」
 圭太の首にしがみつき、圭太の名前を繰り返す。
「くっ、凛ちゃん……」
 圭太はなんとか耐えていたが、それもそろそろ限界だった。
「だい、じょうぶだから、んっ、無理しないで、けーちゃん」
 言われるまま、圭太はラストスパートをかけた。
「やっ、んんくっ、けーちゃんっ」
「凛ちゃんっ」
 そして──
「くっ!」
 圭太は、凛の腹部に白濁液を飛ばし、果てた。
「ん……けーちゃんの、熱いよ……」
「はぁ、はぁ、凛ちゃん……」
 そのままふたりはキスを交わした。
「大好き、けーちゃん……」
 
「こうやってけーちゃんに肩を抱いてもらって、余韻に浸って……またひとつあたしの夢がかなったよ」
 凛は、圭太の胸に頬を寄せながらそう言った。
「ねえ、けーちゃん」
「ん?」
「これであたしたちの関係って変わるのかな?」
「突然変わるとは思わないけど、多少は変わるだろうね」
「それって、どんな風に?」
「それはそれぞれだと思うけど、そうだね、少なくとも単なる幼なじみではないよね」
「うん」
「そこからどう変わるかは、これから次第ではあるけどね」
 圭太はそう言って微笑んだ。
「あたしは、ずっとけーちゃんのことだけを好きで居続けるから、そんなに大きくは変わらないのかもしれないね。もっとも、けーちゃんが柚紀と一緒になると、少しは変わるとは思うけど」
「だとしても、根本的な関係まで変わるわけじゃないから」
「うん、そうだね」
 凛にとっては圭太に抱かれたことでひとつの区切りがついたことは確かなのだが、それによって新たに考えていかなくてはならないことが出てきたことも確かだった。
「さてと、いつまでもこうしていてもキリがないから、そろそろ出ないとね」
「そうだね」
 凛は少しだけ名残惜しそうに圭太から離れた。
 それから身支度を調え、ホテルをあとにした。
 外に出ると、もうすぐ日没という時間だった。
「体の方は大丈夫?」
「大丈夫だよ。まだちょっと違和感はあるけど。でも、それも今の幸せな気分の代償だと思えば、安いものだよ」
「そっか」
「ホント、けーちゃんは優しいね」
「そうかな?」
「柚紀が言ってたこと、本当だったってわかったし。あまりにも優しすぎて、あたしにはもったいないくらい」
「凛ちゃん……」
「でもね、そのおかげで最高の想い出になったことも確かだから。一生忘れられない想い出になったから」
「そうなってくれたなら、僕としても嬉しいよ」
 ふたりは、ゆっくりとした足取りで歩いていく。
「なんとなくだけどね」
「うん?」
「今、けーちゃんのまわりにいるみんなの気持ち、わかるよ。大好きなけーちゃんの側にいられて幸せなんだけど、でも、それは自分の本当の願いがかなったわけでもなくて。微妙な葛藤があって」
「…………」
「それでもやっぱり、けーちゃんの側にいられること。それがすべてに優先しちゃうんだよね。だからこそ、少なくとも後悔だけはしない。そこで後悔しちゃったら、側にいる資格まで失いかねないから」
 そう言った凛の顔には、どこか達観したような、そんな表情も浮かんでいた。ただ、それでも自分が選んだ道だけは後悔していないということはわかった。
「あ、そうだ。ひとつだけ確認したいことがあるんだけど」
「うん、なに?」
「えっと、その、また今日みたいに抱いてくれるかな……?」
「凛ちゃんがそれを望むならね」
「ホント?」
「まあ、柚紀がいる手前、おおっぴらには言えないしできないけど、それでも僕にも凛ちゃんに対する責任があるからね。もちろん、そういう責任だけで抱いてるわけじゃないけど」
「じゃあ、またお願いしてもいい?」
「もちろん」
「あはっ、よかった」
 凛は嬉しそうに笑った。
「これであたしも、ひとつ前に進めるかも」
 その凛の言葉の意味は、圭太にはわからなかった。
 それでも、凛が前向きに物事を捉えていることだけはわかった。
「けーちゃん、今日は本当にありがとう。これからもよろしくね」
 
 七
 八月三十日。
 夏休みも残り二日。宿題を終わらせることも大事だが、そろそろ夜型生活から通常の生活に戻さないと授業がはじまるとつらくなる。
 日和としては、八月ももう月末だというのにまだまだ真夏の暑さだった。朝晩も暑く、寝るのにもひと苦労である。そんな日に集中して宿題をやらなくてはならない者たちは、まさに発狂寸前である。
 そんな中、部活は相変わらずだった。今年が最後の三年は誰もが気合いが入っており、一、二年にもはっぱをかけていた。
 練習が終わると、宿題の終わっていない部員たちはそそくさと帰って行く。吹奏楽部は伝統として、練習を理由にさぼることを許されていないからである。特別いい点数を取る必要はないが、できることをやらないのが一番言われる。
「ねえ、圭太」
「うん?」
「今日、ちょっと私につきあってくれないかな?」
「それは構わないけど、なににつきあうの?」
「ん、それは学校を出てから話すよ」
 柚紀は、そう言って曖昧に微笑んだ。
 楽器を片づけ、音楽室を閉めるのを手伝い、学校を出る。
 いつものメンバーと帰っているのだが、柚紀が頼んで圭太とふたりだけで話せるようにしていた。
「それで?」
「前に言ったでしょ? 生理が遅れてるって」
「ああ、うん、言ってたね。ひょっとして、まだ?」
「うん。だから、念のために行こうかと思って。それで圭太にもつきあってほしいって言ったの」
「そっか。なら、つきあうよ。約束ということもあるけど、なによりも僕たちのことだからね」
「ありがと」
 圭太はいったん家に帰り、着替えてから今度は柚紀の家へと向かった。
 まさか制服で行くわけにもいかず、着替えてからということになったのだが、それ以外にも理由はあった。もし妊娠が確認されれば、その産婦人科にやっかいになるかもしれない。そうすると、家に近い方がなにかと便利だということもあり、笹峰家へ圭太が行くことになったのである。
 柚紀が乗ったバスの数本あとのバスに乗り、圭太は笹峰家近くのバス停で降りた。
 間違わないように慎重に確認しながら笹峰家へ。
 青い屋根の笹峰家が見えると、自然と足も速くなる。
 インターホンを押すと、すぐに声が返ってきた。
『はい』
「あ、高城圭太です」
『はいはい、今開けるわね』
 インターホンが切れると、すぐに玄関が開いた。
「いらっしゃい、圭太くん」
「こんにちは。柚紀はもう戻ってますよね?」
「ええ。今は部屋にいるわ」
 真紀は、圭太を家に上げながらそう言った。
「ちょっと待っててね。柚紀〜、圭太くんが来たわよ〜」
 玄関からすぐの階段のところで上に声をかける。
 すると、すぐに声が返ってきた。
「すぐ行くから、ちょっと待ってて〜」
「だそうよ。じゃあ、こっちで少し待ってて」
「はい」
 圭太はリビングに通された。
 リビングはクーラーが効いており、とても快適だった。南向きなため、窓には陽差しを遮るため薄いレースのカーテンが引かれていた。
「今日は、どういう用で?」
「柚紀から聞いてませんか?」
「ええ、まったく。圭太くんが来るから、とは聞いたけど」
「そうですか。実はですね──」
「ストップ」
 そこへ柚紀がやって来た。
「圭太。その話はあとで。確認が先だから」
「ああ、うん、わかったよ」
「なに? 内緒の話なの?」
「そういうわけじゃないけど、まだわからないから。ちゃんとわかったら、お母さんにも説明するって」
「そう?」
 真紀はまだなにか言いたそうだったが、なにも言わなかった。
「じゃあ、圭太。行こうか」
「そうだね」
「そんなに遅くはならないと思うけど、なにかあったら電話するから」
「わかったわ。あ、圭太くん」
「はい」
「夕飯、食べていくわよね?」
 圭太はちらっと柚紀を見た。
「もちろん食べていくわよ。たまにうちで食べてもらわないと、私ばかりごちそうになってて、悪いから」
「それでいい?」
「はい、構いません」
「それじゃあ、今日は腕によりをかけて作るわね」
 そんなやる気満々の真紀に見送られ、ふたりは外に出た。
「夕食の時に、報告できればいいんだけどね」
「まあ、それは検査次第ということで」
 目指す産婦人科は、笹峰家から歩いてそこそこの距離にあった。
 まだ検査だけなので歩きだが、もし確認されればそのうち車が必要になるかもしれない。
「私ね」
「うん?」
「正直に言えば、期待半分、不安半分なんだ」
「そうなの?」
「期待っていう方はわかると思うけど、やっぱりそうじゃなくて、ただ単に生理不順とか言われたら、さすがにへこんじゃうし。だから、その分が不安なの」
「そっか」
「でもまあ、多少期待の方が大きいけどね。それは私の夢でもあるし。そうすると、どうしても期待も大きくなるし」
「なるほどね」
「で、期待した通りなら圭太とそれを喜べばいいし、もし不安の方が的中したら、圭太に慰めてもらおうと思って」
「そういうところは、柚紀らしい考えだね」
「でも、それが恋人とか夫婦ってことだと思うから」
 そう言って柚紀は照れくさそうに笑った。
 しばらく歩き、ようやく産婦人科へと到着した。
『すずもと産婦人科医院』
 そんな看板の出ている結構綺麗で大きな医院だった。
 自動ドアを抜け、待合室に入る。
 それが当たり前なのだが、そこにはほぼ女性しかいなかった。まれに圭太のように付き添いもいるが、平日の昼下がりではなかなかそれも難しかった。
「すみません」
「はい」
「はじめてなんですけど」
「保険証はお持ちですか?」
「はい」
「お名前は?」
「柚紀です」
「笹峰柚紀さんですね。今日はどのようなことでお越しに?」
「妊娠の検査をお願いしたいんです」
「わかりました。では、こちらの用紙に必要事項を記入してください。順番にお呼びしますので。用紙の方は、記入が終わったらこちらへ戻していただいて結構ですから」
「わかりました」
 柚紀は、初診患者用の紙を受け取り、待合室の椅子に座った。
 記入する項目はだいたいどこでも同じである。ただ、そこが何科なのかで、多少の変化があるくらいである。
 それを上から順番に書いていく。
「こんな感じかな」
 書き終えると、それを受付に戻す。
 あとは順番を待つだけである。
「……なんか、羨ましいな」
「うん?」
「ほら、ああいうの」
 柚紀は、お腹の大きな女性を見て、そう言った。
「私もああなる可能性はあるけど、まだ可能性でしかないから。そうならないと、実感できないし」
「大丈夫だよ。柚紀がそう思ってるなら、きっと」
「うん、そうだね」
 柚紀の前にいた患者が全員呼ばれ、ようやく柚紀の番になった。
「笹峰柚紀さん。お入りください」
「あの、ひとついいですか?」
「はい」
「彼にいてもらっても構いませんか?」
「ええ、いいですよ」
 待合室から診察室へと入る。
 消毒液の独特の臭いが鼻につく。
 その医師は、四十代半ばくらいの女性だった。
「笹峰柚紀さんですね?」
「はい」
「彼は、あなたの彼、ですか?」
「あ、はい。はじめてのことなので、付き添ってもらいました」
「そうですか」
 女医はカルテに日付を入れながら柔和な笑みを浮かべた。
「それで、今日は妊娠の検査でということですけど、生理の方はいつから?」
「二ヶ月です」
「今までに遅れたことは?」
「あります。でも、その時は一ヶ月くらいで。ここまで長いのははじめてです」
「妊娠検査薬は使ってみましたか?」
「いえ。確実なことを知りたかったので」
「わかりました」
 それから問診。
 女医が丁寧にいろいろ訊ねる。
 柚紀は、それにひとつひとつ答えていく。
「では、先に尿検査をしましょうか」
 看護師が検尿用の紙コップを渡し、柚紀をトイレへと案内する。
「年齢を見ると、まだ高校生ですね。あなたもですか?」
 女医は、カルテに記入しながら残った圭太に質問する。
「はい。僕と彼女は同じ高校の同級生です」
「そうですか。もし妊娠していたら、どうするつもりですか?」
「彼女に産んでもらって、ふたりで育てていきます」
「なるほど。そのあたりの考えはまとまっているようですね」
「ひとりのことではないですから」
「高校を卒業したら、結婚を?」
「いえ、とりあえず在学中に籍だけ入れるつもりです。もっとも、それは妊娠とは関係なく以前から決めていたことですけど」
「なかなか珍しいですね、そういうことを決めているというのは。まあ、本当はもう少しいろいろ聞いてみたいところではありますけど、あまりプライベートなことまで聞くのは問題ですからね」
 女医は、圭太とのやり取りに満足したのか、しきりに頷いていた。
 少しして柚紀が戻ってきた。
「検査の結果が出るまでに時間がかかりますから、その間にエコーでもやってみましょう」
 
 ひと通りの検査を終え、ふたりは医院をあとにした。
「はあ……」
「感想は?」
「嬉しいよ、やっぱり」
 そう言って柚紀は微笑んだ。
「妊娠六週目。ということは、コンサート後のあれかな?」
「さあ、そうだとは思うけど」
「ホント、よかった。私も圭太の子供が産めるんだから」
「柚紀……」
「こらこら、そんな顔しないの。おめでたいことなんだから」
「そうだね」
 圭太もそう言って微笑んだ。
「みんな、なんて言うかな?」
「とりあえず、おめでとうとは言ってもらえると思うけど」
「まあ、確かに微妙な心境ではあると思うけどね。琴美さんは、どうかな?」
「母さんか。ん〜、喜んでくれるとは思うけど、前に言ってたからね」
「なんて?」
「三十代で何人もの孫がいるような状況は勘弁してほしいって。自分が年を取ったって自覚させられるから」
「あ、あはは、それは確かにそうかもね。男の人よりも女の人の方が、年には敏感だからね。私だってそのうちそうなるだろうし」
「まあでも、母さんだって二十歳の時に僕を産んでるわけだから、あまりとやかくは言わないと思うよ。そういう点で言えば、やっぱり母さんが一番の理解者ということになると思うけど」
「うん。琴美さんにはなにかとお世話になるだろうし迷惑もかけるだろうけど、それも頼りにしてるからだから」
「それは、今度母さんに直接言ってあげて」
「ふふっ、考えておく」
 笹峰家へ戻ってきたふたりは、早速真紀に結果を報告した。
「というわけで、妊娠六週目だって」
 いきなりなんの前置きもなくそう言われ、真紀は一瞬呆けていた。
「えっと、確認なんだけど、それは柚紀が妊娠したってことよね?」
「当たり前でしょ? ほかに誰が妊娠するのよ」
「そうよね。どうも今ひとつ現実味がなくて、すぐにわからなかったわ」
「どうして現実味がないのよ。私と圭太は婚約までしてるっていうのに」
「それは、あなたがまだ高校生だからよ」
「それは偏見。女は十六になれば結婚だってできるんだから、いわゆる高校生の間に妊娠して出産したっておかしくないでしょ?」
「それはそうだけど」
 まだ多少混乱している真紀は、なんとかそれを理解しようとしている。
「じゃあ、今まで医者に行ってたのね?」
「うん。それでちゃんと確認できるまで言わない方がいいと思ったから。ぬか喜びとか、変に驚かれたりするのもイヤだったから」
「なるほどね。それはそれで余計な心遣いだとは思うけど」
 真紀は嘆息混じりにそう言った。
「そうすると、予定日は来年の四月くらいかしら?」
「うん、その頃だね」
「まあ、高校卒業後だからあまり問題はないとは思うけど。それにしてもいろいろ大変だと思うわよ」
「それはわかってるよ。わかってなかったら、子供なんて作れないもの」
「それならいいけど」
「それに、なにもひとりでがんばる必要はないんだから、絶対に大丈夫だって。ね、圭太?」
「うん、そうだね」
 柚紀の言葉に、圭太は大きく頷いた。
「ただ、もちろんお母さんたちにもいろいろ協力してもらうと思うけどね」
「理由はどうあれ、初孫には違いないから、それはもちろん協力するわよ。それに、咲紀の方はまだ当分そういうこともないだろうし」
「お姉ちゃんたちはそれこそ、大学卒業してお互いに就職してからでしょ? ある程度道が決まらないと、お姉ちゃん、決断しないから」
「そういうところは姉妹で全然性格が違うのよね。一概にどちらがいいとは言えないけど」
「なんとなく、今はお母さん、私の方を非難してるように聞こえるけどね」
「まあ、いいわ。とにかく、あなたが妊娠したということはわかったし、それ相応の覚悟があることもわかったから。あとは、ちゃんとみんなに報告しなさいね」
「わかってるって。圭太の方は明日、報告してくるから。どうせ明日は夜、帰ってこられるかわからないし」
 それからしばらくして、夕飯前に咲紀が帰ってきた。
 どうやらデートではないらしく、心底疲れきった表情だった。が、それもほんの一瞬だった。圭太が来ていると知るや否や、いつものハイテンションに戻った。
「どうしたの、今日は? なにか用でもあったの?」
「お姉ちゃんには用はないけど、大事な用があったの」
「別にあんたには聞いてないでしょうが。あたしは、圭太くんに聞いてるの」
「同じよ」
 笹峰姉妹は、圭太を挟んでバチバチと火花を散らす。
「とまあ、このままやりあってもいいんだけど、今日はお姉ちゃんにも報告しないといけないことがあるから」
 先に矛を収めたのは柚紀だった。
「報告?」
「えっと、私、妊娠したの」
「ニシン?」
「……お姉ちゃん、つまんないから」
「冗談よ。だけど、それ本当なの?」
「今日、ちゃんと診てもらったから。六週目だって」
「ふ〜ん、なるほどね。だから圭太くんが来てたんだ」
「お姉ちゃんは驚かないんだね」
「別に驚くようなことでもないでしょ? ふたりは婚約までしてるんだから。遅かれ早かれそうなると思ってたし。それがたまたま今日になっただけ」
 そう言って咲紀は、確かになにごともなかったかのように振る舞っている。
「もう少し取り乱してくれても面白かったのに」
「あのねぇ、変に茶々入れる問題でもないでしょうが。いくらあたしだってそのくらいの分別はあるわよ」
「……普段はないって自覚してるんだ」
「うっ……」
 絶妙な切り返しに咲紀は言葉に詰まった。
「ま、まあ、そこはそれよ。そ、それよりさ、ふたりはどっちがほしいの? 男の子? 女の子?」
「私はどっちでも構わないけど、でも、最初はやっぱり女の子がいいかも」
「圭太くんは?」
「僕はどっちでも。元気なら本当に」
「それでも強いて言うなら?」
「そうですね……強いて言うなら、男の子ですかね」
「へえ、そうなんだ。それはなぜ?」
「うちは男手がいませんから。だからだと思います」
「ああ、なるほど。確かに圭太くんのとこは女所帯だものね。それは同性の味方がほしくなるわ」
「でも、それはあくまでも強いて言えばですから。本当にどちらでも構いません」
「わかってるって」
「お姉ちゃんはわかってるの?」
「わかってるって、なにを?」
「二十一で『伯母さん』になるって」
「…………」
 一瞬、咲紀の顔から表情が消えた。
「ま、まあ、それはそれよ。すぐにそう呼ばれるわけでもないし。最初のうちは弟とか妹だと思うことにするわ」
「……そう思い込みたいだけじゃないの?」
「う、うるさいわね。そんなの当然じゃないの。なにが悲しくて二十一で『伯母さん』だなんて呼ばれなくちゃならないのよ」
「ん、お姉ちゃんなんてまだまだ甘いよ。圭太の妹の琴絵ちゃんなんて、高校生で『叔母さん』だからね」
「あ、なるほど。そっちの方が上か」
「そういうわけだから、観念して『伯母さん』て呼ばれればいいのよ」
「それとこれとは話は別よ」
「はいはい、強がりと言い訳は見苦しいだけだから」
 柚紀はそう言って笑った。
 夜、ほぼいつも通りだという時間に光夫が帰宅した。
 やはり咲紀と同じように圭太がいることに首を傾げたが、同じように説明を受けて、納得した。
「そうか。もう親になるのか」
「特別早いわけじゃないんだから。来年の春だから、ちゃんと十八だし」
「それはそうだが」
「そしてお父さんは四月から『おじいちゃん』と」
「…………」
 一瞬、光夫の顔から表情が消えた。
 親娘揃っての同じ反応に、圭太は苦笑を禁じ得なかった。
「そういうわけだから、お父さん。これからいろいろ迷惑をかけると思うけど、よろしくお願いします」
「ああ、おまえたちは心配することはない。私たちも最大限のバックアップをするつもりだからな」
「ありがと、お父さん」
「ありがとうございます」
 圭太と柚紀はそう言って頭を下げた。
「こういうめでたい日には、酒で乾杯しないといけないな」
 そう言うや否や、光夫は台所へ。
「まったく、お父さんは……」
 そんな父親の姿を、柚紀は呆れ半分、嬉しさ半分で見ていた。
 夕食中も話題は子供のことだけだった。
 やはり、それだけ気になることなのである。
 そして、夕食後。
 柚紀は、圭太をバス停まで送っていく。
「ねえ、圭太」
「うん?」
「答えにくいことを聞くけど、祥子先輩が妊娠したって聞いた時と、今日、私の妊娠が確認できた時、どっちが嬉しかった?」
「……それは、やっぱり柚紀の方だよ」
「ホント?」
「祥子先輩の時は、嬉しさよりも驚きと戸惑いの方が強かったから。僕としても、最初は柚紀だとばかり思ってたし」
「そっか」
「ただ、どちらも僕の子供であることに間違いはないから、嬉しいことも間違いないよ」
「それはね。でも、私の方が上で、少しだけ安心した。結局、どうあがいても祥子先輩の方が先だから」
「これからしばらくの間は、そういうことはないと思うけどね」
「当たり前よ。私とだったらまだしも、みんなとの間にそんな簡単に子供を作ったら、それこそ大変なことになるから」
「そのあたりのことは、追々考えていくよ。まあ、当分先のことになるけど」
 圭太は、少しでも柚紀が安心できるように言葉を選んだ。
 それからすぐにバス停へとやって来た。
「そうだ。ねえ、名前とかって、考えてもいいかな?」
「それは別に構わないよ」
「じゃあ、適当な時間を見つけて、いろいろ考えてみるね。もちろん、圭太の意見も聞くし、取り入れるけど」
「ははは、じゃあ、僕も少し考えておくよ」
「うん」
 ヘッドライトの光が見えてくる。
「柚紀」
「うん?」
「まだ早いかもしれないけど、体には十分気をつけて」
「うん、わかってる。私自身も後悔したくないから」
 バスが、鈍いエンジン音を響かせ、止まった。
「それじゃあ、また明日」
「うん、また明日」
 圭太がバスに乗り込み、ドアが閉まる。
 柚紀は、バスが発車してからもしばらくの間、それを見送っていた。
「よし、今日から気分一新でがんばらなくちゃ。これからの、三人のためにも」
 そう言った柚紀の顔には、固い決意と確かな意志、そして、未来への希望があった。
 
 八
 八月三十一日。夏休み最終日。
 泣いても笑っても夏休みは終わりである。次の日からは再び学校がはじまる。
 最終日の過ごし方はたいていふたつに分けられる。まずは、宿題に追われて泣きを見る過ごし方。中にはあきらめて休み明けになんとかしようという者もいる。もうひとつが、やるべきことはすべてやっているので、最後の休日を謳歌する過ごし方。出かける場合もあれば、家でのんびりしている場合もある。
 どんな過ごし方にしろ、夏休み最終日ということに変わりはない。
 一高吹奏楽部では、来週末に迫った関東大会本番に向け、練習もまさに大詰めだった。
 連日の合奏では細かな部分まで修正が加えられ、少しでも上を目指せるようお互いに努力を続けていた。
「今日で夏休みも終わりで、夏休み中の部活も終わりだけど、とりあえずここまでの内容にはそれなりに満足しているわ。ただ、それはあくまでも来週の本番で結果として表れてはじめて意味を成すのだけどね。ここで満足してしまっては、とても全国大会へは進めないから。明日からの一週間は基本的にはテンションとクオリティの維持を目的として練習を行っていくつもりだけど、わずかでもいいから上を目指そうという気概だけは持ち続けること。いいわね?」
『はい』
「今年のコンクールは今年しかないんだから、後悔しないように。それじゃあ、今日はここまで」
「ありがとうございました」
『ありがとうございました』
 合奏が終わり、菜穂子に代わって紗絵が前に出る。
「明日からの練習ですが、基本的には毎日合奏をやる予定です。場合によっては先生の都合がつかないこともありますけど、その際は前日の合奏の状況でその都度どうするか決めますので。それと、多少個人練習の時間が増えると思いますから、まだ不安な部分はその間にきっちり直しておいてください。では、おつかれさまでした」
『おつかれさまでした』
 紗絵は、一高でも部長としての役割をきっちりこなしていた。自分の憧れでもある圭太のあとに部長となったわけである。あまり情けない無様な格好だけはできないのである。
 そんながんばっている後輩に対して、圭太はあまり手も口も出さなかった。三中の時は引退直前に引き継ぎが行われたためにいろいろ手伝っていたが、一高では引退までまだ時間があった。そのため、できるだけ手も口も出さず、どうしても必要な場合にのみ、手を貸すということにしていた。その方がより早く部長に慣れるからである。
 そんなわけで、圭太はある意味では悠々自適な立場にいた。
「あ〜あ、今日で夏休みも終わりか。ホント、あっという間だったなぁ」
「夏休みなんてそんなものだよ。特に、毎日のように部活をしていたからね」
「まあ、それも高校生としてあるべき形なんだろうけど、もう少しいろいろあってもよかったとは思うのよね」
「そうだね」
「でも、そんなもやもやした気分を打ち払うためにも、今日の花火ではパーッと騒がないとね」
 以前にやると言っていた花火は、結局夏休み最終日の今日、やることになっていた。
 それぞれの都合も、ある程度前もって話をしていたためにすんなりと決まった。
「とりあえず圭太の家に行って、それから花火の調達。人数が多いから結構な量になるよね」
「そうだろうね。少なくとも、抱えるくらいにはなるんじゃないかな」
「そうすると、私たちだけだと大変かな?」
「だったら、琴絵か朱美を連れていけばいいよ。朱美もなんとか宿題終わったみたいだから」
「ああ、確かに二年の宿題が一番大変だからね。量は多いし質も高いし」
「そういうわけだから、遠慮なく荷物持ちに使えばいいよ」
「ふふっ、そうするわ」
 ほぼいつもの時間に学校を出た。
「ねえ、琴絵ちゃん、朱美ちゃん。このあと、買い出しを手伝ってくれないかな?」
「買い出しって、花火のですか?」
「そ。私と圭太だけで間に合うかどうかわからないから。あ、もちろん、なにかやることがあるならそっちを優先してくれていいから」
「私はいいですよ。どうせすることもないですから」
「朱美ちゃんは?」
「私もいいですよ」
「それじゃあ、四人で買い出しに出ましょ」
 家に帰り、まずは軽く昼食をとる。
 昼食は、すでに琴美がある程度用意してあり、それを調理すればいいだけだった。
 揃って昼食の冷やし中華を食べ、それから買い出しに出た。
 一番暑い時間帯ということで、バスで駅前まで出た。
「このあたりでそういうのが安く手に入るところってどこだっけ?」
「向こうの商店街の奥に、そういう店があるよ。問屋ってわけでもないんだろうけど、種類も豊富だよ」
「そっか。じゃあ、そこへ行きましょ」
 駅向こうの商店街も、こちら側の商店街と同じように一番暑い時間帯で、人通りはまばらだった。アーケードの屋根が若干低めのために、ある種蒸し風呂のような状況になっているため、余計に人がいない。
「こっち側はあまり来ないから、未だに知らない店も多いのよね」
「それはしょうがないよ。ずっとここに住んでる僕だって知らない店はあるから」
「ここって、どっちか片方だけでなんでも揃っちゃうから、ホントにそうなっちゃうのよね。便利は便利なんだけど、なんか微妙だと思う」
 商店街をしばらく歩くと、とても地味な店が見えてきた。
 建物も結構古く、まわりの店とは明らかに違った。
 自動ドアにもなっていない引き戸を開け、店内に入る。
 そこはいわゆる駄菓子や小物などを多く扱う店だった。店内のありとあらゆる場所に商品が置かれ、目的の品物を見つけるのにも苦労しそうだった。
 それでも花火のような季節商品はわかりやすいところに置いてあり、すぐにわかった。
「ホント、いっぱいあるわね」
 花火は、スーパーやコンビニなどで売っているような袋売りのものから、ばら売りのものまで実に様々だった。結構大きい打ち上げ花火もあった。
「ひとりどれくらいやれば満足すると思う?」
「さあ、それはそれぞれじゃないかな。でも、十本じゃ少ないかもしれないね」
「とすると、その倍──二十本をひとつの基準として考えて、全部で十二人だから、それだけで二百四十本」
「全員で同時にやるのは無理だと思うから、そこまで厳密に考えなくてもいいと思うよ」
「じゃあ、二百本くらいでいいかな?」
「そのあたりが妥当だろうね」
「というわけで、ふたりとも。よさそうなのを全部で二百本、選ぶわよ」
「はい」
「わかりました」
 それから四人はあ〜でもないこ〜でもないと言いながら、花火を選んだ。
 やる場所が家の庭なので、あまり派手なのはできない。そうなると、必然的にものは決まっていた。
 あとはどういうものをどれだけ選ぶかだった。
 一番数を問題にしたのは、線香花火だった。花火の締めはやはりこれなのだが、あまり数が多すぎても興ざめしてしまうし、少なくてもやった気がしない。そんなわけで、とりあえずひとり四、五本を目安に買うことにした。
 だいたい二百本ほどを選び、それを買った。
「さすがに二百本もあると、重いわね」
 圭太が少し多めに持ち、それでも四人で分担してそれを持った。
「これで花火の方は大丈夫ね。あとは、飲み物とか食べ物だけど」
「それは母さんに頼んであるから、大丈夫だと思うよ。足りなくなっても、コンビニに走ればいいだけだし」
「そっか。じゃあ、もう特にすることはないんだ」
「そうなるね」
「ん〜、でもそうすると、時間まで暇ってことよね」
「まあ、そうなるのかな。でも、みんな早めに来るようなことを言ってたから、どこまで暇かはわからないと思うよ」
「それもそっか。じゃあ、これもあることだし、戻りましょ」
 本当はあちこち見て回りたかったのだろうが、荷物もあるということで断念した。
 来た時と同じようにバスで帰る。
「あ、そうそう。ふたりにも話があるのよ」
「話、ですか?」
 柚紀の言葉に、ふたりは首を傾げた。
「うん。ちょっと大事な真面目な話。琴美さんにも話さなくちゃいけないから、その時に一緒に聞いて」
「わかりました」
 家に帰ってくると、様子を見て早速話をする場を設けた。
「それで、改まっての話って?」
 まずは琴美が先を促した。
「昨日、柚紀の家に行ったでしょ? その時に実は、病院に行ったんだ」
「病院? なんの?」
「産婦人科」
「……ということは、柚紀さんがおめでた、ということ?」
「そうなるね」
「妊娠六週目だそうです」
「そう。おめでとう、ふたりとも」
 琴美は、その言葉を実に自然に発した。琴美にしても遅かれ早かれそうなるとわかっていたのだろう。それに、妊娠報告は二度目である。精神的にもずいぶんと余裕がある。
「ありがとうございます」
「ほら、ふたりとも。なにかないの?」
 と、ポカンと口を開けたままの琴絵と朱美に声をかける。
「あ、えっと、おめでとう、お兄ちゃん、柚紀さん」
「おめでとうございます」
 ふたりは、複雑な表情で圭太と柚紀を祝福した。
「六週目ということは、えっと……来年の四月かしら、予定日は?」
「はい。そのくらいです」
「じゃあ、卒業間際はなにかと大変ね」
「そうですね。でも、高校は一月からはほとんど学校に行く必要がなくなりますから、大丈夫だと思います」
「それもそうね。それに、なにかあっても圭太がなんとかしてくれるでしょうし」
 そう言って琴美は圭太を見た。
「当たり前だって。これは柚紀ひとりの問題じゃないんだから」
「そのあたりのことはなにも心配はしていないけど。祥子さんのことでも結構上手くやってるようだし」
「私も、圭太が側にいてくれれば、それだけで安心できますから」
「ふふっ、そうね」
 柚紀の妊娠報告は、実に穏やかに済んだ。
 これもやはり、柚紀が圭太の正式な恋人で婚約者だからだろう。本来なら、祥子が先ではなく柚紀が先のはずだったのだから。これが、当たり前なのである。
 琴美が再び店に戻ると、琴絵と朱美が、揃ってため息をついた。
「ふたり揃って、どうかしたか?」
「ん、なんかね、こういまいち実感ないんだ。そりゃ、お兄ちゃんと柚紀さんは婚約までしてるんだからそうなることも自然だとは思うんだけど。どうしてか、それが私の中で実感できてないんだ」
 琴絵の言葉を聞き、圭太と柚紀は顔を見合わせた。
「たぶんだけど、祥子先輩のことがあって、特別なことだと思えないからだと思う。それに、まだ目に見えないからだと思うよ」
 一応フォローする。
「まあ、それはあるかもしれないわね。私だって、本当に妊娠してるのか疑問に思っちゃうから」
「でも、素直にお祝いの言葉は言えます。やっぱり、おめでたいことですからね」
「ありがと、琴絵ちゃん」
「朱美はどうなんだ?」
「私は、まあ、いろいろあってね」
 朱美は、曖昧に微笑んだ。
「でも、それはそれでおめでたいことだから」
 圭太もそこまで言われれば、朱美がどんな心境なのか理解できた。
 それでも、今ここで朱美にかける言葉はなかった。下手な言葉をかけたところで意味はないのである。
「あの、柚紀さん」
「ん?」
「予定日が近づいたら、家の方にいることになるんですよね?」
「うん、まあ、そうかな。病院も私の家に近いところにするつもりだから。本当はこっちでもいいんだけど、お店にあまり迷惑かけたくないし。それに、うちには手も口も出してくれるのがいるから」
「なるほど」
「いずれにしても、それはまだ先の話だから。少なくとも今年中は、今までとそれほど変わらない生活を送れるわけだからね」
「私にもできることがあったらなんでも言ってください」
「ありがと。覚えておくわね」
 日の入りが近づくにつれ、だんだんと参加メンバーが集まってきた。
 柚紀もその都度妊娠のことを説明するのは面倒だと思ったのか、ある程度集まった段階でそうしようと決めていた。
 全員が揃ったのは、だいたい日の入りと同じくらいだった。一番遅かったのは、やはり仕事を終えてからやって来た鈴奈だった。
 あとは、早めに店を閉め、花火をやる準備をする。もっとも、花火の準備はほとんど圭太ひとりがやっていたのだが。
 女性陣は、ほとんどが浴衣に着替えた。
「ええ、それでは、これから花火大会をはじめます」
 花火の準備や飲み物や食べ物の準備が整い、ようやく花火の開始である。
「八月も今日で終わりなので、この花火で過ぎゆく夏を綺麗に帰してあげましょう。みなさん、花火は持っていますか? 火の準備はいいですか?」
 火の点いた蝋燭が三本、置いてある。
「では、火を点けてはじめてください。あとは、もう自由にどうぞ」
 その合図で、それぞれに火を点ける。
 一斉に様々な色の花火が、夜の闇に浮かび上がる。
 赤、青、緑、黄、橙……
 飛び散る火花が、その色をよりいっそう幻想的に見せている。
 鼻をつく火薬の臭いも、この時ばかりはあまり気にならない。
「ねえ、圭くん。柚紀、喜んでた?」
「昨日ですか? 喜んでましたよ。柚紀はずっと言ってましたからね」
「そっか」
 祥子は、特に表情を変えることなく頷いた。
「これで丸く収まるとは言わないけど、でも、それに近いものはあるよね」
「僕はなにも心配はしていませんよ。祥子とのことも、柚紀とのことも」
「ふふっ、圭くんがそういう考えを持っててくれるから、私も柚紀も、安心できるんだよね」
 ふたりがそんな話をしている時、ほかの面々もいろいろ話をしていた。
「なんか、不思議な光景ですね」
「この光景?」
「はい。あたしは向こうが女子校だったので、こういう光景自体は珍しくもないんですけど」
「まあ、それぞれとの関係を考えれば、不思議に思うのも無理はないわね」
 琴美はそう言って微笑んだ。
「でも、みんながこうして和気藹々としてられるのは、圭くんの人柄のおかげだから」
「確かにそうですね」
 鈴奈の言葉に、凛は頷いた。
「その圭太の母親としては、実に複雑な心境ではあるのよね。こういうこと自体は楽しくて好きだからいいんだけど」
「あ、あはは……」
 琴美にそう言われては、その複雑な心境の原因であるふたりには、なにも言えなかった。
「わかってはいても、やっぱりショックだよね」
「まあ、それはね」
「でも、それを言ったところでどうにかなるわけでもないし」
 後輩三人は、まだ普通の花火が残っているにも関わらず、線香花火でしんみりとした雰囲気を作っていた。
「こらこら、そこの三人。なにを勝手に線香花火してるのよ」
 そこへ、ともみが割って入ってくる。
「線香花火は、こういう時のラストにするもんでしょ?」
「それはそうなんですけど、なんとなく心境が……」
「心境って……ああ、柚紀のことね。でも、そんなの今更じゃない。祥子のことがあったんだからさ」
「頭の中ではちゃんと理解できているんです。でも、すぐにはそれを認められなくて」
「その気持ちはわかるけど、あんたたちもそろそろ覚悟を決めた方がいいわよ。いつまでも未練タラタラだと、圭太だっていい顔しないだろうし」
 ともみは三人にあえて苦言を呈した。
「最初からわかってて圭太と関係を保ったんでしょ? それにさ、関係を割り切ったところであんたたちと圭太との関係がそう簡単に変わるわけないでしょ? すぐにそうできるとは思えないけど、でも、少しずつそうする努力はするべきよ」
「ともみ先輩は、そうできているんですか?」
「さあ、どうかしら。それでも、少なくともあんたたちよりは割り切れてるわよ。それに、私は信じてるもの」
「信じてる?」
「圭太と柚紀がどんな関係になったとしても、少なからず私のことも考えてくれるって」
 そう言われてしまうと、三人にはなにも言い返せなかった。それは少なからず、三人ともがそこまで信じ切れていなかったかもしれないと思ってしまったからである。
「圭太は自分からはあまりそういうこと言わないから、だから、気付いた私がこんなこと言ってるの。言わないと、あんたたちもわからなそうだし。いい? 最初にどんなことを考えて圭太に想いを伝え、どんなことを考えて抱かれたか、思い出してみなさい。そうすれば、自ずと答えは出てくるわ」
 そう言ってともみは微笑んだ。
「それにしても、圭太も大変よね」
「なにがですか?」
「ん、ほら、祥子のことが終わったら、今度は柚紀のことでしょ。そりゃ、自分自身のことでもあるわけだからしょうがないとは思うけど、あまりのんびりできないんじゃないかなって」
「まあ、それはそうかもしれませんね」
 幸江の言葉に、柚紀はなんとなく頷いた。
「でも、あれか。出産後しばらくは、それぞれの実家で面倒見ることになるわけでしょ。そしたら、本人の負担はそこまででもないか」
「かもしれませんね。でも、圭太なら、なんでも自分でやるって言い出しそうですけど」
「あはは、それは言えるわね。むしろ、それをまわりがちゃんとフォローしないと。ね、琴絵ちゃん?」
「えっと、そうですね」
「私も、琴絵ちゃんにはいろいろと期待してますから」
「それは、近い将来の『義妹』だから?」
「さあ、どうでしょうか?」
 そう言ってふたりは笑った。
 適当に花火をしながら、適当に飲んで食べて。
 花火は実に賑やかに、楽しく進んでいった。
 こういう場がはじめての凛も、以前にこの中の大半と話をしていたおかげで、すんなりととけ込めた。というよりも、柚紀以外は、凛と自分が同じ想いを持っていることを十二分に理解しているからである。そういう相手に対しては、やはり仲間意識を持ってしまう。
 そんなわけで、花火の方はあっという間に少なくなり、少し減ってしまった線香花火だけになった。
「はい、ひとつ提案」
 と、そこで、ともみが手を挙げた。
「なんですか?」
「線香花火で、一番最後まで残ってた人が、なにかひとつだけ願い事をかなえてもらうっていうのはどう?」
「それって、誰に対してでもいいってことですか?」
「もちろん。ただし、あまりにも理不尽なことはダメだからね。あくまでも楽しくないと意味ないし」
「いいんじゃないですか」
 特に誰からも異論は出なかった。
「じゃあ、花火を持って。火を点けるタイミングをあわせて。いくわよ?」
 琴美以外は花火を持ち、一斉に火を点ける。
 ジジジ……と小さく火花が散り、線香花火がその儚い美しさを見せた。
「あ……」
 最初に落ちたのは、言い出しっぺのともみだった。
「くっそー、運が悪かったわ」
 パチパチと綺麗な火花が激しく飛び散る。
 それでも、線香花火が最後の最後まで、いわゆる燃え尽きるまで残っていることは少ない。
 実際、ともみのあとも次々に落ちていた。
 今残っているのは、圭太と柚紀、鈴奈に幸江の四人だった。
「あ、あ……」
 情けない声を上げたのは、柚紀だった。
 あと少しというところで、落ちてしまった。
「あ〜あ、残念」
「あと三人か」
 と──
「うわ……」
「あっと……」
 鈴奈と幸江が立て続けに落ちた。
「ということは、圭太が一番か」
 結局、圭太の花火はちゃんと燃え尽きるまで残っていた。
「さて、圭太。誰になにをしてほしい?」
「そうですね……」
 圭太は腕を組んで考えた。
 それぞれ、圭太がなにを言うのか気にしている。
「誰にということではないんですけど、来年もまた、今年と同じようにみんなでこうやって花火をしたいですね」
「そんなことでいいの? なんでもいいんだから、普段言えないことでもいいのよ?」
「そんな特別なことはないですよ。僕としては、それで十分です」
「まあ、それでいいならいいけど。みんなはどう?」
「いいんじゃないですか。そうやって約束した方が、確実にできると思いますし」
「そうですね」
 当然のことながら、誰からも異論は出ない。
「じゃあ、また来年の夏、こうやって花火大会をしましょ。あ、でも、その時には人数が増えてるわね。ふたりほど」
 そう言ってともみは、柚紀と祥子を見た。
「新入り大歓迎ということで」
 同時にみんなから笑いが起こった。
 
 それは、夏の最後の日のことだった。
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