僕がいて、君がいて
 
第二十八章「晴れのち雨のち晴れ」
 
 一
 六月に入り、学校の雰囲気もだいぶ変わってきた。運動部は総体に向けて、練習にも熱が入ってきた。文化部ではそのようなことはないが、それでも学校全体が熱気に包まれていた。
 六月六日から、教育実習生がやって来た。圭太たち三年にとってはあまり関係ない話ではあるが、学校にいれば顔をあわせることもある。初々しい姿を見ていると、やはり『先生』とはなかなか呼べそうになかった。
 教育実習がはじまると、一高はそろそろ中間テストの時期を迎える。テストはどの学年にとっても重要なのだが、三年にとっては特に重要だった。それは、やはりこのテストの結果が推薦などを狙っている生徒には大きな比重を占めるからである。前期末テストまでが内申書に記されるため、しっかり点数を取っておかなければ、とても推薦はもらえない。
 とはいえ、運動部の三年にとっては、その両方を、というのはなかなか厳しいものがあった。
 そんな中、吹奏楽部でもコンサートまで残り一ヶ月を切り、練習も大詰めを迎えていた。
「とりあえず、テスト休みに入る前に、ある程度完成させないと、とても本番に間に合わないわよ」
 菜穂子のそんな言葉で合奏ははじまった。
 合奏は相変わらず厳しかった。限られた時間で最高のものに仕上げなくてはならないのだから、厳しいのもしょうがない。
 六月に入り、合奏に一年も参加するようになってきた。もちろん、すべての曲に、というわけではない。主に三部の曲にである。実力の伴っていない一年にあわせて練習や合奏を行っていては、とても間に合わない。従って、演奏させる曲も減らしてコンサートに臨むのである。
 ただ、最近の部員たちの悩みは、菜穂子の合奏ではなく、圭太による部長合奏だった。音楽に、音に対する厳しさは菜穂子以上で、相変わらず容赦がなかった。
 部員にとっては、圭太の指摘はいちいち正しいので、文句すら言える状況ではなかった。文句を言うには、圭太から指摘されないようになってからではないと、意味がなかった。
「そうね、今くらいの感じなら、問題ないわね」
 そろそろ六時という時間で、ようやく菜穂子から色よい感想が出てきた。
「あとは、今日の感じを忘れないことね。テストのせいで練習できないから」
 菜穂子は、スコアをめくりながら指摘すべき部分を探す。
「とりあえず、私からはそんなところね。じゃあ、今日はここまで」
「ありがとうございました」
『ありがとうございました』
 合奏が終わり、緊張感から解放される。
 菜穂子に代わって圭太が前に出る。
「今日の練習はここまでだけど、明日も合奏をやるから。それと、パートリーダーは終わったら集まって。ちょっと話があるから。それじゃあ、おつかれさま」
『おつかれさまでした』
 挨拶が済むと、それぞれ楽器を片づけ帰り支度をはじめる。
 そうこうしているうちに、ピアノのまわりにパートリーダーが集まってくる。
「みんな集まった?」
「いるんじゃない?」
「じゃあ、はじめるよ」
 全員が集まったのを確認し、圭太は話をはじめた。
「テスト前の練習は明日までというのは、もちろんわかってると思うけど、今回の話はテスト後の練習のことなんだ」
「テストって、いつまでだっけ?」
「二十一日よ、二十一日」
「うん。ようするに、二十一日からの練習方針、というか、目標だね」
「目標?」
「テストが終わってから本番まで、練習時間は十日間しかない。一日の日はできないからね。その短い間に、まだ形になりきれていない曲をどうするか、それが最大の問題だと思うんだ」
「まあね」
「そこで、とりあえず、テストが終わった二十一日から二十六日までの目標を各パートごとに決めてもらおうと思ってね」
 そう言って圭太はにっこり笑った。
「目標って、具体的にはどんなの?」
「そうだね。たとえば、ペットは二十六日までに、全員が全曲ほぼ注意を受けないくらいまでにレベルアップする」
「ちょ、ちょっと待ってください」
 それにすかさず反応したのは、その場にいた紗絵だった。
「せ、先輩。それって、本気ですか?」
「僕としては、完璧、というところまで持っていきたいところなんだけどね、本当は」
「…………」
「理解してくれて嬉しいよ」
「……なんか、ペットの連中が可哀想に思えるのは、俺だけか?」
「いや、俺もだ」
 翔と健太郎は、乾いた笑みを浮かべ、そのやりとりを見ていた。
「まあ、半分冗談の目標はいいとして、明日までに各パートで目標を決めてきてほしい。もちろん、達成できる見込みのあるものをだよ。あと、僕が判断して低すぎると思ったら、問答無用で変えるから、そのつもりで。じゃあ、話はそれだけだから」
 パートリーダーが戻っていくと、菜穂子はおかしそうに笑っていた。
「本当に圭太はアメとムチの使い分けが上手いわね」
「そうですか?」
「それと、人心掌握術も、なかなかのものね。ある種の恐怖政治状態だもの」
「そこまでひどいとは思いませんけど」
「そう思ってるのは、本人くらいよ」
 改めて菜穂子は笑った。
「でも、それはいいとしても、そのやり方は悪くないわね。確かに目標を決めて短期間に集中的にやれれば、付け焼き刃かもしれないけど、上達するから」
「コンサートなら、付け焼き刃でもある意味仕方がないのかもしれません。もちろん、コンクールではそうはいきませんけど」
「そうね。でも、圭太に任せておけば、私の手間もだいぶ省けるわ。それだけでもだいぶ助かるわ」
「それが、部長としての役割だと思っていますから」
「ふふっ、そんなに堅苦しく考えなくてもいいとは思うけどね」
 菜穂子はスコアを閉じ、立ち上がった。
「ああ、そうそう。ひとつ忘れてたわ。例の練習の件だけど、短時間ならいいそうよ。ただし、練習場所はここだけ」
「いえ、ここだけでも提供してもらえるなら、それでいいです」
「ただ、それも今週、もしくは来週月曜くらいまでにした方がいいわね。さすがに前日とかだといろいろ言われるだろうし」
「そのあたりはいろいろ様子を見つつ決めます」
「ま、私はなにも心配してないからいいけどね」
 そう言って微笑み、菜穂子は音楽室をあとにした。
「ほらほら、のんびり片づけてないで。六時半にはここ閉めるから」
 圭太は、まだ結構残っていた部員にそう声をかけた。
 
「はあ……」
 柚紀は、盛大なため息をついた。
「ホント、圭太は容赦ないよね」
「それくらいしないと、結果的に直前まで焦ることになるからね。どっちがいいか、天秤にかけてみれば、自ずと答えは出てくると思うよ」
「むぅ、それはそうだと思うけど……」
 圭太の淀みない答えに、柚紀は不満そうに頷いた。
「でも、先輩。私たちの目標って、どうなるんですか?」
 紗絵にとっては、それが一番重要らしい。
「さっきのじゃダメかい?」
「だ、ダメってことはないですけど、かなり厳しいです」
「さっきのって?」
 その場にいなかった朱美と琴絵が、首を傾げた。
「二十一日から二十六日までに、ペット全員が全曲ほぼ注意を受けないくらいまでにレベルアップするっていうのだよ」
「うわ、それ、すごい大変そう」
「大変かもしれないけど、できると思ってるよ。なんたって、トランペットには優秀な人材が揃ってるからね」
「う、ううぅ……」
「お兄ちゃんが、怖い……」
「あ、あはは……」
「まあ、実際の目標は、明日の練習時に言うよ。紗絵も、楽しみに待ってて」
「……楽しみになんか待てませんよぉ」
 圭太の言葉に、紗絵は涙目でそう言った。
 
「ふ〜ん、今年はずいぶん厳しくやってるのね」
 ともみは感心したように言った。
「直前の大変さを少しでも軽減できればと思ってやってるんです」
 それに対して圭太は、なんの躊躇いもなくそう答えた。
「でも、みんな文句言わないの?」
「言ってますよ。それを僕が聞き流してるだけです。それに、どれだけ文句を言ったところで、七月二日のコンサートが延期されるわけでも、曲が簡単になるわけでも、みんなが上手くなるわけでもないですから」
「圭くんらしい理由だね」
 そう言って祥子は微笑んだ。
「ま、圭太がそれだけ厳しくやってれば、今年の演奏はかなり期待できるってことよね」
「そこに直接結びつくかどうかはわかりませんけど、せめてチケット代くらいの演奏はしたいと思ってます」
「それは大丈夫でしょ。ねえ、祥子?」
「そうですね。今年も、圭くん目当てのお客さんがいっぱいでしょうから」
「……それは、遠回しに非難されてますか?」
「ふふっ、どうかな?」
「ただ、そのおかげで、客席が埋まるわけだから、一概にいいとも悪いとも言えないわよね」
 一応ともみがフォローする。
「チケットのはけ具合はどうなの?」
「悪くないですよ。まだ時間はありますからどうなるかわかりませんけど、上手く行けば当日券はほとんど出ないですね」
「それはすごいわね。去年だって当日券を売り切ってようやくだから」
「前売りだけで完売なんてことになったら、一高の長いコンサート史上、初の快挙だね」
「なったら、ですけどね」
 そう言って圭太は苦笑した。
「ああ、そうそう。OBの集まり具合なんだけど、だいたい予想通りだから。だから、裏方の仕事は安心して任せて」
「そうですか」
「一応、私も声はかけてるけど、こっちは直前にならないとわからないわね。去年みたいに半強制じゃないから。でも、私を含めて四、五人は確保できそうよ」
「ありがとうございます。でも、できるだけ早めに人数を確定させてくださいね。いろいろあるので」
「わかってるって」
 それから圭太は、ふたりをそれぞれ家まで送った。
「さてと、僕もやることだけはやらなくちゃ」
 
 六月八日。梅雨の走りなのか、朝からどんよりと曇っていた。
「ふわ〜あ……」
「眠そうだね、凛ちゃん」
 朝、教室で眠そうにあくびをしていた凛に、圭太は声をかけた。
「ん〜、毎年のことなんだけどね」
「そうなの?」
「テストが近くなるといつもだよ。練習との兼ね合いがなかなかね」
「なるほどね」
「けーちゃんは平気なの?」
「結構平気かな。というか、僕の場合は勉強の方の比重を少し減らしてるから。確かに勉強も大事なんだけど、それ以上に今しかできないことをちゃんとやっておきたくてね」
 そう言って圭太は苦笑した。
「本当は、そんなことじゃいけないんだろうけどね」
「それでも常に学年トップクラスを維持してるなんて、すごいよ。あたしなんて、勉強しなかったらそれがそのまま成績に表れるし」
「それはただ単に、凛が要領悪いだけなんじゃないの?」
 そこへ柚紀が割って入ってくる。
「ずいぶんと聞き捨てならないこと言うわね」
「だって、そうでしょ? 同じように練習をやって、同じように勉強しても、点数のいい人と悪い人がいるわけだから。となると、悪い人はいい人よりも要領が悪かった、ということにならない?」
「そうかもしれないけど。でも、これでも水泳部では成績はトップなんだから。要領が悪いかどうかなんて、比べようないじゃない」
「……ん〜、じゃあ、こうしない?」
「なに?」
「今度の中間、私と勝負するの」
「は?」
「ただ単に勝負しても今の話を証明できないから、一日に何時間勉強するか、あらかじめ決めてね」
「つまり、あたしと柚紀、どっちが要領がいいか、決めようってわけ?」
「そ。どう?」
 凛は、柚紀の顔を見て、小さく唸った。
「いいとは思うけど、勉強時間なんて、結局自己申告になるんじゃないの? お互いをずっと監視してるわけにもいかないんだから」
「そうだけど、それって結局、己との戦いとも言えるじゃない。たとえば、平日は三時間の勉強時間と決める。だけど、足りないと思えば四時間でも五時間でもしていい。もちろん、申告する時は三時間て言ってね。それでも、それで勝って嬉しいと思う? 少なくとも私は嬉しいとは思わない。どこまでできるかわからないけど、やれるだけやって、その上で勝った方が、数倍嬉しい」
 柚紀にそこまで言われては、凛としても引き下がるわけにはいかなかった。
「そうね。柚紀の言う通りだわ。いいわ。その条件で勝負しようじゃない」
「じゃあ、一日の勉強時間はどうする?」
 それからしばし、柚紀と凛はあれこれとふたりで議論を交わした。もちろん、圭太を無視して。
「おう、圭太」
「ん?」
 やって来たのは、明典だった。
「珍しいね、明典がここへ来るなんて」
「いや、ちょっと辞書を借りにな」
「辞書? なんの?」
「英語だよ。昨日珍しく家に持って帰ったら、逆に持ってくるのを忘れた」
「あはは、明典らしいね。ちょっと待ってて」
 そう言って圭太は机の中から辞書を取り出し持ってきた。
「すまん、助かる」
「昼休みまでに返してくれればいいよ」
「了解」
 明典はケースから辞書を出す。すると、ページの部分が手あかでずいぶんと汚れていた。
「さすがは圭太の辞書だな。真っ黒だ」
「まだまだだよ」
「ホント、これで大学へ行かないって言うんだから、この国にとっての大きな損失だな」
「それは大げさだと思うけどね」
 圭太は苦笑した。
「そういえば、試合、順調に勝ってるね」
「ん、ああ。さすがにこんなところでは負けないさ。俺たちの目標は、あくまでも全国だからな」
「優秀な指令塔がいるから、大丈夫じゃないの?」
「優秀かどうかはわからんが、せっかく与えられたトップ下だからな。できることはなんでもやるさ」
「明典なら大丈夫だよ。なんたって、三中のファンタジスタだからね」
「ははっ、過去の栄光だな。ま、なんにしろ、まだまだ先は長い。どこまでいけるかはわからんけど、精一杯やるさ。今年で最後だし」
「期待してるよ」
「おう」
 明典は、辞書を持って教室を出て行った。
「明典もがんばってるなぁ」
「ちょっと、それは少ないと思うわよ」
「あら、これじゃ足りないの?」
 一方、柚紀と凛は、まだ議論を交わしていた。
 それを見て圭太は、やれやれと肩をすくめるしかなかった。
 
 昼休み。珍しく圭太に関係する全員が一堂に会した。
 さすがに七人全員が集まるのは、そうそうない。たいていは誰かがクラスの用事などでいないのだが、珍しく揃った。
「なんか、今にも降り出しそうね」
「そうだね。でも、とりあえず今日は降らないって予報では言ってたから」
「じゃなかったら、ここでお昼にしようとは思わないわね」
 そう言って柚紀はあたりを見渡した。
 そこは屋上である。圭太たちのほかには、誰もいない。
 空には低くたちこめる分厚い雲。陽差しがないので、幾分涼しく感じられる。
 それでも七人は、わいわいとにぎにぎしく昼食を楽しんでいる。
「こうやってみんなで食べてると、向こうでのことを思い出すなぁ」
「向こうって、東京の学校のこと?」
「うん。なんと言っても、向こうは女子校だったし。ここにはけーちゃんがいるけど、ほかはみんな女子だから、なんとなくね」
 そう言って凛は微笑んだ。
「そうすると、凛お姉ちゃんも、最初は戸惑ったりしたの?」
「多少はね。でも、男子がいるっていうのは、あたしにとっては珍しいことじゃなかったから」
「どうして?」
「水泳の大会って、別に男女別に行われるわけじゃないからね。同じ会場には同年代の男子もたくさんいたし」
「そっか」
 凛の場合は、特にそうだったかもしれない。水泳は競技中は水着だけなので、余計に男だとか女を意識する。それを変な風に意識していなかったなら、確かに女子校から転校してきても、特に問題はないだろう。
「そうそう。みんなに言っておかなくちゃいけないことがあったんだ」
「なに?」
「部活は今日でとりあえずテスト前最後だけど、明日からも放課後、音楽室に限って短い時間だけど、練習していいことになったから」
「それって、自由参加?」
「もちろん。本当は僕が個人的に先生に頼んだことなんだけど、せっかくだしね。基本的には個人練習だけだけど、時間が許す限りは僕も教えられると思うし」
「短時間て、どのくらいなの?」
「一時間くらいかな。厳密にいつまで、というのはないよ。ただ、五時くらいには終わってた方が、理想かな。あと、練習できる日も、テスト前日までじゃなくて、できれば来週の月曜くらいまでにってことだから。そうだね、基礎練習をするにはもってこいの時間になると僕は思うよ」
 圭太は、少しだけ真剣にそう言った。
「まあ、別にみんなにもそれを強要しようってわけじゃないから。とりあえず、少なくとも月曜までは放課後、音楽室を使える程度に覚えておいてくれればいいよ」
 しかし、圭太がそう言うからには、できるだけみんなに練習してほしいと思っているからにほかならない。テスト前ということを考えて、あえてそんな言い方をしたのである。
 それぞれがいろいろな思惑を持って悩んでいる中、圭太は何事もなかったかのように、黙々と弁当を食べていた。
 
 予告通り、この日の練習も合奏が行われた。前日に引き続いての厳しい内容に、テスト直前の部員たちには、なかなか堪えるものとなった。
 ただ、そのかいあってか、一部、三部の演奏はだいぶよくなっていた。もともと今年のコンサートは両方とも菜穂子が指揮するために、演奏に対する指導も一貫していた。そのおかげか、部員たちもやりやすい面があった。
「じゃあ、今日の合奏はここまでにするわ。明日からテスト休みに入るけど、楽器に触らなくてもいいから、せめて楽譜を見てイメージトレーニングくらいはしておくように。じゃないと、休み明けにまた私からきつい指導を受けることになるわよ」
 菜穂子は、スコアを閉じながら言う。
「それから、部長」
「はい」
「例の件、説明した?」
「いえ、まだです」
「じゃあ、それもついでに私から言うわね。実は、部長の方からテスト休み期間に練習できないかって相談されたの。知っての通り、基本的にはテスト前一週間は部活は禁止。ただし、それ相応の理由がある場合は、例外として認められるの。実際、野球部なんかはそれでテスト期間も練習したりしてるから。それで私も教頭先生に話してみたんだけど、全体としての活動は、正当な理由がないから認められなかったわ。ただ、授業終了後の短時間、この音楽室だけでなら、限定的に練習してもいいということになったの。だから、もし少しでも練習したければ、明日から練習してもいいわ。ただし、練習のせいでテストの成績を落とすようなことのないように。私のところにも、ちゃんとみんなの情報は入ってくるんだから」
 少しだけ意地悪な笑みを浮かべる。
「練習時間は、だいたい一時間くらいをめどに。それ以上やると、もう二度とさせてもらえないかもしれないから。それと、絶対に音楽室以外ではやらないこと。放課後、教室で勉強してる生徒もいるから。あとは、いつまでってことなんだけど、私としては来週の月曜くらいまでにしてほしいの。それ以上だと、やっぱりいろいろ言われるから。ただまあ、それも強制じゃないから」
 それを聞いた部員たちは、口々にどうするか相談している。
「それと、練習は部長がいる時だけにすること。もし部長がいなかったら、あきらめて帰りなさい。いいわね」
 それで菜穂子の話は終わった。
「僕からの連絡事項は、テスト後の練習はテスト最終日の二十一日からだから。それと、それからの練習はコンサートまで本当に徹底的にやるつもりだから、みんなもそのつもりでがんばって。それじゃあ、今日はおつかれさま」
『おつかれさまでした』
 圭太の言葉で部活が終わった。
 ミーティングが終わると、今度はパートリーダーが集まってきた。
「昨日言った、テスト後からの目標だけど、決めてきた?」
「一応は」
「じゃあ、各パートごとに発表してもらおうかな。まずは、フルート」
「フルートは、個別の目標というよりは、木管全体であわせていけるように各自レベルアップを図るということね」
 めぐみは、考えてきた目標を発表する。
「悪くはないんだけど、僕からひとつ注文。その期間内で、指のまわらないところを完全になくして。これくらいならできるでしょ?」
「ん、まあ、なんとか」
「次、オーボエ」
「オーボエは、それこそ人数が少ないから、フルートやクラなんかにあわせてしっかりやるところに重点を置くわ。あとは、三人それぞれに問題意識をしっかり持ってやることくらいかな」
「うん、いいんじゃないかな。じゃあ、クラ」
「クラは、まずはパート内で完璧にあわせられるようにすること。それと、不安な一年を少しでも使いものになるようにすること。この二点ね」
「確かに、パート内が一番バラバラなのが、クラだからね。それを最優先になんとかがんばって。じゃあ、サックス」
「サックスは、ローウッドと同じ目標にしたんだけど、いい?」
「構わないよ」
「とりあえず、まだあやふやな部分が多いから、楽譜の読み込みをしっかり行って、その上で指をまわすことや、タンギング、音程なんかを順次あわせていくことにしたの」
「ん〜、僕の希望としては、もうひとつ上の段階を目指してほしいところだけど、それはその次にしようか。次は、ホルン」
「ホルンは、まずは一部の曲を完璧にすることにしたわ。それをなるべく早めに終えて、三部や二部の曲も、という感じね」
「うん、いいと思うよ。じゃあ、ボン」
「ボンは、ホルンとは逆に三部からまずは完璧を目指すことにした。一部の方は比較的仕上がりも早いからな」
「翔。もうひとつ付け加えてくれないかな」
「ん、なんだ?」
「ボンの二部のソロを、その期間でほぼ完璧にする」
「うげっ!」
「じゃあ、ユーフォ」
「ユーフォは、個人の音の安定を図りつつ、各自の苦手な曲をマスターすることに」
「判断は信子が?」
「ううん、圭太に任せるわ」
「了解。じゃあ、チューバ」
「チューバは、コンバスと一緒で、とにかく全曲完璧を目指すってところだな」
 一同からおおっとどよめきが起こる。
「ちんたらやってても意味ないし、どうせやるんなら高い目標を持った方がいいと思ってな」
「うん、その心意気はいいと思うよ。ただ、結局その目標は、コンサート直前までの目標になりそうだけどね」
「ま、その時はその時だ」
「じゃあ、パーカス」
「パーカスは、それぞれの曲で受け持った楽器をとにかくマスターするってこと。基本的に同じ楽器が多いから、それもなんとかなると思ってね」
「ん〜、そうだね。それはいいと思うけど、ちょっと漠然としてるかな。特に、一年に対してはもう少しきっちり明確な目標を示した方がいいかもね」
「まあ、そのあたりは本人たちのできを見て決めるわ」
「最後にペットだね。ペットは、個人それぞれに目標を設けてみた。夏子は、ファーストを受け持った曲のマスター、紗絵は一部、三部の曲すべてのレベルアップ、満は紗絵同様だけど特に三部に力を入れて、一年のふたりは、とにかくどれをということなく、使えるようになるまで。それと、僕個人としては、全曲のマスター、かな」
 圭太は、当然のように最も厳しい目標を自分に課していた。
「今発表してもらった目標は、あくまでも口頭でのものだから、拘束力とかないよ。ただ、一応この場にいるみんなは各パートの目標を聞いたわけだから、テスト明けの練習からはそのあたりも注意してほかのパートの演奏を聴いてほしい。そうすれば、必ずいい結果が待ってるはずだから。じゃあ、これで終わり。おつかれさま」
 パートリーダーのミーティングが終わると、早速何事かと気になっていた部員たちがそれぞれのリーダーの元へ聞きに行った。
「先輩」
 ペットに関しても同じだった。
「結局、昨日言ったのと同じでしたね」
「それはあくまでも紗絵と満だけだよ。一応いろいろ考えて、あんな風になったんだから。それとも、紗絵も僕と同じ目標がよかった?」
「い、いえ、私には無理です。全曲マスターなんて、先輩にしかできません」
「そんなことはないと思うけどね」
「あ、それで、夏子先輩とかにはもう伝えてあるんですか?」
「ううん。夏子にはそれとなく面倒なことをやらせるよ、とは言ってあるけど」
「はあ、面倒なこと、ですか」
 紗絵は、マスターとまで言われた夏子に、少しだけ同情した。
「さて、それより結構時間を取っちゃったから、音楽室を閉めないと。紗絵も楽器を片づけて、戸締まりの確認を」
「わかりました」
 
 夜。ようやくという感じで雨が降りはじめた。
 圭太たちは、なんとか雨が降り出す前に家に着いていた。
「このまま梅雨入りかな?」
 朱美は、リビングの窓から外を見て呟いた。
「かもね。一応今年も平年並みの梅雨入りだって天気予報で言ってたから」
 テレビから外に視線を移し、琴絵も賛同した。
 今、リビングにはこのふたりしかいなかった。
「ねえ、琴絵ちゃん」
「うん?」
「明日から、どうする?」
「練習のこと?」
「うん。私としては圭兄と一緒に練習できるっていうのも魅力的なんだけど、テスト勉強もしないといけないから」
「私も同じかなぁ。お兄ちゃんと一緒っていうのは、すっごく魅力的なんだけどね」
 ふたりは揃ってため息をついた。
「柚紀さんは間違いなく練習すると思うけど、紗絵先輩や詩織先輩はどうするんだろ?」
「なんだかんだ言って、ふたりとも練習するんじゃないかな? 特に詩織はね。部活にピアノをやってても学年トップクラスの成績だし」
「そっか。そうすると、私も参加した方がいいのかなぁ?」
「どうだろ。先生も言ってたけど、練習に参加したせいで成績が落ちたら、それこそなんて言われるかわからないし」
「そうなんだよね、それがあるんだよね」
「あら、ふたりだけでなにを話してるの?」
 そこへ、琴美がやって来た。
「ああ、うん、明日からの練習、どうしようかって」
「練習? 確か、明日から部活は休みじゃなかったかしら?」
「休みは休みなんだけど、放課後、短い時間だったら練習してもいいってことになったの」
「そういうこと。じゃあ、圭太は間違いなく参加ね」
「それ、圭兄が先生に言ったんですよ」
「あら、そうなの? 本当にあの子は手を抜くってことをしないわね」
 琴美は、困ったように苦笑した。
「それで、ふたりはそれに参加しようか、テスト勉強しようか悩んでたわけね」
「うん」
「じゃあ、こうしてみたらどう? とりあえず明日だけでも参加してみるの。それで様子を見て、大丈夫そうならあさっても、という感じね」
「そっか。なにも全部に出る必要はないんだよね」
「そうだね。その方が私たちにはあってるかも」
「ただし、ふたりとも」
「ん?」
「圭太と一緒にいたいがために練習に参加するっていうのはやめなさいね。それだったら、家で勉強してた方が数倍ましだわ」
「うっ……」
 いきなり図星をつかれ、ふたりは黙ってしまった。
「それに、ふたりはあの子と一緒に暮らしてるんだから、そこまですることはないでしょう?」
「それはそうかもしれないけど……」
「特に琴絵は、一高に入ってはじめての定期テストなんだから。ここでちゃんと点数を取っておかないと、後々まで大変なことになるわよ」
「……はあ、そうだね」
「朱美も、突然成績が落ちたら、淑美になにを言われるかわからないわよ?」
「はぁい……」
「まあ、それもとりあえず明日参加してから決めればいいわ。明日一日出たくらいでどうにかなるわけでもないし」
 そう言って琴美は微笑んだ。
 
 六月九日。その日、関東地方は梅雨入りしたとみられると気象庁は発表した。
 それを表すかのように、朝から鬱陶しく雨が降り、さりとてそれが強いわけでもなく、本当に憂鬱な雨となった。
 一高では次週に迫った中間テストに向け、どの教科とも追い込みに入っていた。
 高総体の方も、週末までにはひとまず終了するため、そちらの方も追い込みだった。
 そんな日の昼休み。
 圭太は図書館にいた。昼食を早々に食い上げ、食べ終わると同時にここへ来ていた。
 図書館内の自習スペースはすべて埋まっており、テストが近いことを印象づけていた。
「この本でよろしいですか?」
 当番の図書委員が、書庫から本を持ってきて圭太に見せた。
「はい」
「では、学生証をお願いします」
 一高の図書館では、本の貸し出しに学生証を使用していた。それは、学生証にバーコードが印字されており、それをバーコードリーダーで読み取り、本人と確認し、その上で本を貸し出すのである。これにより面倒なカード記入が必要なくなり、なおかつコンピューターで貸し出し管理を行うため、効率も上がっていた。
「返却期限は、二週間後の二十三日となりますので」
 本を受け取り、圭太は図書館をあとにした。
「さてと、まだ少し時間はあるか……」
 時計を見て、そう呟く。
「音楽室にでも……っと、あれは詩織か」
 廊下の先に、遠目から見てもわかるくらい綺麗な髪の女生徒が歩いていた。もちろん、圭太にはそれだけでおおよそ誰かわかるし、実際わかった。
「詩織」
「あっ、先輩」
 呼び止められた詩織は、相手が圭太だとわかると、パーッと顔を輝かせた。
「どうしたんですか?」
「ん、図書館で本を借りてきたんだよ」
 そう言って持っていた本を見せた。
「経済学の本ですか? でも、なんで経済学なんですか?」
「まあ、いろいろ思うところがあってね。それで少しかじってみようと思ったんだ」
「なにもテスト直前でなくてもいいように思うんですけど」
「ほら、思い立ったが吉日なんて言うだろ? たぶん、明日になったら興味も薄れてしまうと思うんだ。だから、今日のうちにと思ってね」
「なるほど」
 詩織は大きく頷いた。
「詩織はどうしてここに?」
「職員室にプリントを届けてきたんです」
「なるほど」
 今度は圭太が頷いた。
「あの、先輩。少しだけ時間、大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫だよ。どうせあとは教室に戻るだけで、音楽室に寄って行こうかと思ってたくらいだから」
「じゃあ、少しだけつきあってください」
 詩織は、圭太を伴って階段を上がっていった。
 どんどん階段を上がり、やって来たのは──
「雨、降ってますね」
 屋上だった。
 しとしとという感じで雨が降っていた。湿度が高く、外に出ただけでまとわりつくような感覚がある。
「梅雨入りしたんでしょうかね?」
「さあ、どうかな。でも、二、三日はこんな天気だって言ってたし、梅雨入りしたかもしれないね」
 気象庁による発表は、たいていはお昼頃になるので、この段階では梅雨入りのことは知らないのである。
「圭太さん」
「ん?」
「あ、えっと、その……」
「どうかした?」
「……その、圭太さん」
 詩織は、そっと圭太に抱きついた。
「詩織?」
「すみません。でも、こうしていたいんです。圭太さんのぬくもりを感じていたいんです。ダメ、ですか?」
「いいよ。詩織の好きなようにして」
 圭太は、そう言って詩織を抱きしめた。
「圭太さん……」
 抱きしめられた詩織は、顔を上げ、目を閉じた。
 そんな詩織に、圭太はキスをした。
「ん、あ……」
 一度だけのキスのはずが、詩織が圭太を離さなかった。
「圭太さん、このまま、続けてくれますか……?」
「でも……」
「私は、そうしてほしいです」
「……ワガママだね」
「ワガママでもいいんです」
 圭太は苦笑し、もう一度キスした。
 そのまま詩織の胸に手を添える。
「あ……」
 ブラウスの上からゆっくりと胸を揉む。
「ん、あ……んふぅ……」
 詩織は、少し抑え気味に声を漏らす。
「圭太さん……」
「うん?」
「……いえ、なんでもないです」
「そう?」
「はい」
 なにか言いたげだった詩織だったが、なにも言わなかった。
 圭太は、スカートの中に手を入れ、ショーツ越しに秘所に触れた。
「ひゃんっ!」
 敏感なところに触れられ、詩織は体をびくっとさせた。
 擦るように、少し強めに触れていると、徐々に湿り気を帯びてくる。
「ん、はあ……圭太さん……」
 詩織はすっかり恍惚とした表情で圭太を見つめている。
 それでも圭太は、さらに秘所をいじる。
 ショーツの中に手を入れ、直接触れる。
「んっ、あっ……あんっ」
 指を入れただけで蜜があふれてきた。
 詩織の中は指に絡みついてくるような感覚を与え、侵入物を逃すまいと蠕動運動を繰り返す。
「ああっ、圭太さんっ、私っ」
 湿った淫靡な音が、圭太の耳にまで届く。
 圭太は指を抜き、ショーツを脱がせた。同時に、自分もモノを取り出す。
「いくよ?」
「はい……」
 圭太は詩織を抱え上げ、そのままモノを入れた。
「んん、あああ……」
 自重で圭太のモノは、奥まで入った。
「圭太さんので、私の中がいっぱいになってます……」
 詩織は圭太の首に腕をまわし、艶っぽい声で言う。
「んっ、あっ、んんっ」
 圭太は、詩織の腰を持ち、動かす。
「んくっ……ああっ、あんっ、あっ、あっ」
 少し鈍い動きながら、気持ちの高ぶっている詩織にはそれでも十分だった。
「んあっ、圭太さんっ、私っ……気持ちいいですっ」
 淫猥な音が雨の屋上に響く。
 圭太は、詩織を壁に押しつけ、さらに動きを大きく、速くする。
「やっ、んんっ、ダメですっ、そ、そんなにされると……ああっ」
 ここが学校で、屋上であることなど忘れ、詩織は嬌声を上げた。
 圭太も次第に感覚が麻痺してきて、もはや本能のままに腰を動かしていた。
「圭太さんっ、圭太さんっ、んんっ、ああっ、あんっ、あっ、あっ」
「詩織っ」
「んんあっ、あっ、あっ、いいっ、イクっ、イっちゃうっ」
 詩織は、がっちりと圭太を抱きしめる。
「あんっ、ああっ、あっ、ああっ、んんあああああっ!」
「くっ!」
 そして、ふたりはほぼ同時に達した。
「ん、はあ、はあ……」
「はあ、はあ、大丈夫かい……?」
「はあ、はい、大丈夫です」
 詩織は、ゆったりと微笑んだ。
「でも、もう少しだけ、このままでいてください……」
 圭太は小さく頷き、キスをした。
 それから少しして、ふたりは身支度を調え、屋上をあとにした。
「学校で、しちゃいましたね」
「僕のせい?」
「いえ、私のせいです。でも、いつも以上にすごく気持ちよかったです」
 まだ幾分上気した顔で、詩織は言う。
「あっ、そうだ。忘れてました」
 詩織は階段の途中で立ち止まり、スカートのポケットをごそごそと探った。
「念のためです」
 取り出したのは、コロンだった。
「微香性なので気にはならないと思いますけど」
「ありがとう」
 詩織にコロンをかけてもらいながら、圭太は微笑んだ。
「あの、圭太さん」
「なんだい?」
「ワガママを聞いてもらって、ありがとうございました」
「ああ、あれのことか。あれは別に本音じゃないよ。ちょっと皮肉ってみただけ。それに、このくらいのことをいちいちワガママだなんだって言ってたら、とてもじゃないけど柚紀とはつきあえないからね」
「ふふっ、そういうことにしておきます」
 どんな理由であれ、圭太が自分を認めてくれたのだから、詩織は嬉しかった。
「それじゃあ、圭太さん。また放課後に」
 そう言って詩織は自分の教室へと戻っていった。
「また放課後に、ってことは、放課後練習するつもりなんだな」
 圭太はなるほどと頷き、やはり教室に戻った。
 
 放課後。
 音楽室には、吹奏楽部全部員中、三分の一ほどの部員が顔を出していた。
 圭太にしてみれば少しは来るだろうとは思っていたのだが、まさかここまで多いとは思っていなかった。
 そんな中、圭太と関係ある者たちは全員参加していた。
 練習は基本的に個人練習で、わからないところや聞きたいことがあれば、先輩に聞くという感じだった。
 練習時間は五時までと決められ、それ以上はいかなる理由があっても残ることは認めなかった。
「結局、結構な数が練習に来てるわね」
 途中で顔を出した菜穂子は、音楽室の様子を見てそう言った。
「そうですね。僕もまさかここまで多いとは思ってませんでした」
「練習熱心なのはいいけど、テスト勉強もおろそかにしないでほしいわね」
「それは大丈夫なんじゃないですか? 本当に心配なら、さすがに来ませんから」
「それもそうね」
 練習が終わると、いつもより早めに部員たちは帰っていった。
 圭太たちもほかの部員と同じように、早々に学校を出た。
「こうなることは予想できたけど、誰かひとりくらい予想外の行動に出てくれてもよかったのに」
 帰り道、柚紀は嘆息混じりに言った。
「柚紀先輩がそれやったら、一番面白かったかもしれませんね」
「私は天地がひっくり返ってもそれはないわよ」
「僕は別に構わないけどね。朱美も紗絵も琴絵も、自分のやらなくちゃいけないことは当然わかってるだろうし」
「うぐっ……」
「まあ、明日までならいいと思うよ。あさっては学校も休みだし。五日前なら、まだ全然余裕で勉強もできるからね」
 一応圭太は、それぞれの行動を認めていた。もちろん、自己責任でやっているわけだから、表立って反対するわけもないのだが。
「僕としては、みんながどんなことでも一生懸命がんばってくれて、それで結果が出てくれれば言うことないよ」
「圭兄、それってベストの結果だと思うけど」
「もちろん。やるからには最高の結果を求めないと」
「はあ、そうだね……」
 朱美も、圭太はこういう性格だったと改めて認識した。
「コンサートまではあとわずかしかないんだから、悔いの残らないようにしないと」
 圭太にとってはそれが一番大きかった。一高での最後のコンサート。是が非でも成功させたい。そう思うのは当然である。
 圭太のそんな想いを感じ取ってかどうかはわからないが、その趣旨に賛同してくれる部員は多かった。
 だからこそ圭太は、余計にがんばろうと思っていた。
 なによりも自分のために。
「さあ、明日もがんばらないと」
 
 二
 六月十一日は、雲は出ていたが雨は降っていなかった。
 テスト前の休日ということで、よほどの部活でもない限り、練習は休みである。それは吹奏楽部もで、さすがの圭太といえども練習はしていなかった。
 その代わり、本来やらなければならない勉強をやっていた。とはいえ、圭太は普段からしっかり勉強しているため、それは所詮は確認作業でしかなかった。
「ああ、そっか。そこはそうなるんだ」
 そんな圭太と一緒に勉強していたのは、柚紀である。
 前日の帰り道、土日ともに一緒に勉強することを約束させ、その通りに朝から高城家へとやって来ていた。
「授業で言ってたような気はしたのよね。なるほどなるほど」
 わからないところを圭太に聞き、何度も頷いた。
「でも、圭太ってホントに些細なことも覚えてるよね」
「そうかな? 僕だっていろいろ忘れてるよ。それを極力最小限にするために、ノートを取ってるわけだし」
「じゃあ、あれね。着眼点が違うのよ。その差が点数にも出るんだわ」
 柚紀の言っていることは間違いではない。実際、同じくらいの知能を持っている人間に差が出る理由のひとつは、どこを重要と捉えるかの差である。もちろん、それがすべてというわけではない。世の中には天才と呼ばれるごく少数の人種も存在している。彼らにとっては、すべてのことが当たり前のこととして映る。一般人が頭をひねって苦労していても、なぜ苦労しているかさえわからないのである。そういう天才とは違うが、ツボを押さえた勉強をできる者が、成績優秀者ということになる。
 そして、圭太はその典型だった。
「点数に差が出るって、僕と柚紀とじゃその差なんてほんの数点じゃないか」
「あのね、圭太。その数点差で大学に落ちる人もいるし、大事な就職試験に落ちる人だっているのよ。定期テストじゃたかが数点かもしれないけど、されど数点なんだから」
「ん、まあ、それはそうかもしれないけどね」
 圭太は苦笑した。
「一高でのテストもあと三回。私は一度でも圭太に勝つことできるのかな?」
「別に勝ち負けなんてどうでもいいと思うけど」
「そりゃね。でもさ、一回くらい勝ってみたいかなって。まあ、圭太に勝つってことは、イコール学年トップスリーに入るくらいの勢いじゃなきゃダメなんだけどね」
「柚紀ならがんばればできると思うけど」
「ああ、ダメダメ。上の三人はおかしいもん。なんで常にあれだけの点数を取れるのか、不思議でしょうがない」
「確かにね」
 一高のトップスリーは、入学当初からまったく変わっていなかった。特に、トップの生徒は定期テストのみならず、実力テストや模擬試験でも一度もトップの座を明け渡していない天才だった。進路は当然のごとく東大で、医者を目指している。二位と三位の生徒も似たようなもので、この三人だけはとにかく別格だった。
「まあいいや。ほかの人のことを言っても私の点数が上がるわけじゃないし」
「そうだね。結局自分で努力しなくちゃ、結果には反映されないから」
「というわけで、圭太」
「うん?」
「わからないとこ、しっかり教えてよ」
「了解」
 柚紀の言葉に圭太は素直に頷いた。
 
 同じ頃、相原家に朱美と紗絵の姿があった。
 二年トリオも試験に向け一緒に勉強しているのである。
 成績自体はそれほど差のない三人だが、要領や普段の勉強という点で言えば、詩織が頭ひとつ抜けていた。
「はあ……」
「ちょっと、朱美。いきなりため息なんかつかないでよ」
 紗絵は、あからまさにしかめっ面で朱美に言った。
「だってさぁ、今頃圭兄は柚紀先輩と一緒に勉強してるんだよ? ふたりきりで」
 妙に、ふたりきり、というところが強調されていた。
「なのに、私たちは三人揃って傷の舐めあい。虚しいなぁって思って」
「朱美の言いたいことはわかるけど」
 詩織は一応その主張に同意した。
「でも、それはしょうがないことだと思う。だって、すべて理解した上での今の関係があるんだから」
「まあ、それはそうなんだけどね。ただ、なんとなく、もう少し一緒にいる時間を増やしたいなって、そう思うの」
 朱美は持っていたペンを置き、もう一度ため息をついた。
「ねえ、朱美」
「ん?」
「朱美って、家にいる時ってどうなの? 先輩とどれくらい一緒にいるの?」
「どれくらいって、普通だと思うけど。食事の時と団らんの時。あとは、お互いに時間がある時に部屋に行くくらい」
 それを聞いた紗絵は、やれやれと肩をすくめた。もちろん、詩織も紗絵がそういう態度を見せた理由はわかっていた。
「ホント、朱美はないものねだりね」
「どういう意味よ?」
「だってさ、私も詩織もそこまで一緒にいられないんだよ? それは、柚紀先輩だってそう。今日は一緒にいるけど、普段からってわけじゃないし。それに比べて朱美は、普段からひとつ屋根の下で暮らしてるんだから。なのに、それでも足りないだなんて」
「そうそう。先輩と一緒に暮らしてるだけでもかなりのアドバンテージを持ってるっていうのに、さらに望むなんて。そんなことばかり言ってると、そのうち手痛いしっぺ返しを喰らうわよ」
 紗絵も詩織も圭太のこととなると容赦がない。確かに特異な形でつきあってはいるが、心の奥底では自分だけを、と思っているのである。となれば、朱美のようにワガママばかり言っている相手にガツンと言いたくなるのも仕方がない。
「それに、琴絵はそんなこと言わないでしょ?」
「うん、まあ……」
「だったら、朱美も言わない方がいいわね」
 ふたりにそこまで言われては、朱美もその話はもうしない方がいいと思った。
「そういえば、その琴絵は?」
「琴絵ちゃんなら、私と同じくらいに出かけたよ。私たちと同じで、勉強会だって」
「ふ〜ん。とすると、本当にふたりきりなんだ」
「ふたりきりって言っても、店の方に先輩もいるし」
「それもそうね」
「ここで先輩たちのことをあれこれ考えてても、私たちの勉強が進むわけじゃないし」
「……はあ、がんばろっと」
 三人は気合いを入れ直し、勉強に戻った。
 
「いらっしゃいませ」
『桜亭』にともみの声が響いた。
「やってるわね」
「なんだ、幸江か。スマイル作って損したわ」
「こらこら、なに差別してるのよ」
 やって来たのは幸江だった。
「で、今日は?」
「とりあえずお客として来たんだけど」
「そうなの? じゃあ、こっち」
 ともみは幸江を空いている席に案内した。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
「ケーキセットをチョコレートケーキとレモンティーで」
「かしこまりました」
 店内は、幸江のほかにはスーツ姿のサラリーマンらしき男性しかいなかった。
 土曜日の午前中ならこれくらいが普通である。
「お待たせしました」
 幸江の前に、チョコレートケーキとレモンティーが置かれた。
「ご注文は以上でよろしいでしょうか?」
「ええ」
「ごゆっくりどうぞ」
 と、一応の格好をつけて、ともみは笑った。
「それで、今日はどうしたの?」
「ん、暇だったから、ともみをからかいに来たの」
「暇って、あんた、レポートがどうのとか言ってなかった?」
「ああ、あれ? 昨日の夜におおよそは終わったから。だから来たの」
「ふ〜ん、余裕ね」
「そんなことはないけどね。そういうことを言うなら、ともみの方が少なからず大変そうには見えるけど」
「私が?」
 ともみは首を傾げた。
「だって、こうやってバイトもしてるわけだから」
「ん〜、それはそうかもしれないけど、ここでのバイトは幸江が想像してるバイトとは少し違うから。いろいろ融通も利くし」
「だとしても、一日の何時間かをここで費やしてるわけだから、それはそれで見習いたいと思うわ」
「だったら、あんたもバイトすれば?」
「ここで?」
「違う違う。どっか大学に近いとことか、駅前でとか」
「それも考えないでもないんだけどね。ただ、そうすると家の方がちょっと」
「なに? なんか問題でもあるの?」
「ん〜、問題ってほどでもないけど、最近、両親揃って出かける機会が増えててさ」
「なんで?」
「私は当然なんだけど、弟も妹も手がかからなくなってるから、今度はふたりだけの時間を有効に使いたいんだって」
 幸江は、ケーキを頬張りながら説明した。
「で、平日なんかもたまに外で待ち合わせて映画観たり、コンサート聴きに行ったりしてて。だから、大学生の私が家のこといろいろやらなくちゃいけなくて」
「なるほどね。確か、幸江の弟と妹って、高二だったわよね?」
「うん」
「しかも、運動部。となると、帰ってくるのも遅いと。ま、そういうことじゃ、あんたがいろいろやらないわけにはいかないか」
「まあね。とはいえ、それだって別に強制じゃないから、バイトしたって構わないのよ」
「あとはあれでしょ? 来年にはふたりとも受験生だから、その時になってからでも遅くないって、そう思ってるわけだ」
「うん。どうせ長くたって来年の夏までだから、部活は。それからはじめても遅くないしね」
「一応あんたもいろいろ考えてるんだ」
「一応ってなによ、一応って?」
「深い意味はないわよ」
 そう言ってともみは笑った。
「まったく……」
 それに対して幸江は、呆れたようにため息をついた。
「そういえば、祥子は?」
「ああ、あの子は今日は午後からよ」
「ふ〜ん。じゃあ、午後から来ればよかったかしら?」
「そうすれば? もっとも、その時もちゃんとお客として来てほしいところだけど」
「皮肉に皮肉で返すとは、さすがはともみね」
「おほほ、そうでもないわよ」
 ともみはわざとらしく笑い、幸江は呆れ顔でため息をついた。
「もうひとつ。圭太は?」
「圭太なら、柚紀と一緒に試験勉強してるわよ」
「ああ、そろそろ中間か。なるほど」
「だから、あいにくと一緒にはいられないわよ」
「まあ、それはまたの機会ということで」
「ホント、正直ね」
「ともみほどじゃないわよ」
 ふたりは軽く牽制しあい、笑った。
 
 午後も引き続き勉強会をしていた。
 圭太は相変わらず黙々と自分のやることをやり、隣に柚紀がいてもそれは変わらなかった。進み具合としてもかなりのもので、いかに効率よくやっているかわかった。
 一方柚紀は、圭太ほどではないにしても、それなりに集中して勉強していた。ただ、圭太と違い、隣の圭太が気になるらしく、しょっちゅう隣を見ていた。
「……ねえ、圭太」
「ん?」
「圭太ってさ、隣で誰かがなにかしてても、気にならない方?」
「どういう意味?」
 圭太はペンを置き、柚紀に向き直った。
「今だけじゃないけど、圭太って誰かとなにかしてても、自分のペースを崩さないから」
「気にならないわけじゃないけど、気にしないようにはしてるよ。じゃないと、目の前にあることができないからね」
「ふ〜ん、そっか。そういう点で言えば、私はダメかな。やっぱり気になる。特に、圭太が隣にいるとね」
 そう言って柚紀は圭太に寄り添った。
「今なにを考えてるのかな? なにがしたいのかな? このあとどうするのかな? そんなことばかり考えてる」
「それはそれでしょうがないと思うよ。僕だって少しくらいはそう考えてるし。まったく考えない方が珍しいよ」
「だとしても、そう見せてないところが圭太のすごいところか」
 柚紀は納得という感じで頷いた。
「ホント、圭太とつきあうのは大変だ」
「責められてる?」
「ううん。褒めてるの。だってさ、なにも考えないでつきあうより、いろいろ考えてつきあった方が面白いじゃない。別に私はロボットとつきあってるわけじゃないんだから」
「そうだね」
「ただまあ、圭太は私ひとりじゃ持て余しちゃうのよね。だからこそ、みんなのことを認めてるのかもしれないし」
 苦笑する柚紀。
「まあいいや。それより今は、直前に迫ったテストのことを考えなくちゃ。ね?」
「まあ、そうかな?」
 気持ちを切り替えた柚紀に対して、圭太は少し首を傾げた。
「どうしたの?」
「ん、柚紀には前にもそんなことを言われたなぁって思って。とすると、僕の方がいろいろ考えなくちゃいけないのかなって思って」
「別にそこまで難しく考えなくてもいいわよ。私の言ってることだって、所詮は私だけの考えだし。それがそのままみんなに当てはまるわけでもないんだから」
「そうなのかなぁ……?」
「ホント、圭太は真面目ね」
「真面目とかそういう問題じゃないとは思うけど」
「じゃあ、どうする? もうやめる? 考え、まとまらないでしょ?」
「気分転換しようか」
「気分転換?」
 柚紀は首を傾げた。
「柚紀のしたいこと、なんでもひとつだけしていいよ」
「私のしたいこと?」
「その方が僕が考えるより気分転換になりそうだし」
「したいこと、か……」
「本当になんでもいいよ」
「……エッチなことでも?」
「柚紀がしたいなら」
「……ずるいなぁ、圭太は」
「なんで?」
「だってさ、いつも私をダシに使ってるもん」
「そんなことないよ」
「じゃあ、今は圭太がしたいからってことでいい?」
「いいよ」
 あっさりと認めた圭太。
 そうもあっさりと認められては、柚紀としてもそれ以上言えなかった。
「ホント、圭太はずるい」
 言いながら、柚紀は圭太にキスをした。
「ずるいから、今日は私が全部する」
 そのままするすると体をずらし、圭太の股間に触れた。
 ズボンの上から股間を擦る。
 反応があったところで、ズボンとトランクスを脱がす。
「ふふっ」
 なにが嬉しいのかはわからないが、圭太のモノを前にして微笑んだ。
 柚紀は、モノを軽くしごき、舌先で舐めた。
「ん……ん……」
 ちろちろアイスキャンディーでも舐めるように、モノを舐める。
 先っぽから裏筋にかけて舌をはわせる。
 それを数度繰り返し、おもむろに口に含んだ。
「は、む……んん、んちゅ……」
 頭を動かし、モノを出し入れする。
 柚紀のその様は、最初の頃に比べるとずいぶんと様になっていた。
 心から圭太に尽くしたい、そんな想いが表情に表れていた。
「ん、気持ちいい?」
「気持ちいいよ」
「よかった」
 上目遣いにそう訊ね、柚紀は微笑んだ。
 少し口が疲れてくると、今度は手でしごく。唾液で滑りやすくなっているため、それも実にスムーズにできる。
「ん、ん……ん、あ……む……んん」
 のど元までモノを入れ、舌先を上手く使う。
 少しでも圭太が感じるように、感じてくれるように自分の持っている知識、技術を総動員する。
「んちゅ……んん……あむ……ん、あ……はあ」
 陶酔した表情で柚紀は顔を上げた。
「もう我慢できなくなっちゃった」
 そう言ってスカートまくる。
 そのままショーツを脱ぎ、圭太の上にまたがる。
「このまま入れるよ?」
「いいよ」
 柚紀は、そのまま腰を落とした。
「んんっ……」
 圭太のモノは、ほとんど抵抗なく柚紀の中に収まった。
「ん、はあ……」
 柚紀は息を吐き出し、圭太の肩に手を置いた。
「圭太のが奥まで届いてる……」
「柚紀の中、すごく熱いよ」
「圭太のを舐めてて、感じちゃったから」
「もっと感じて」
 そう言って圭太は、柚紀の最も敏感な突起を擦った。
「あああっ!」
 それだけで柚紀は体を大きくのけぞらせた。
「い、いきなりはずるいわよ」
「でも、気持ちいいんでしょ?」
「そ、そりゃあ、気持ちいいけど……」
「僕は、柚紀にもちゃんと気持ちよくなってもらいたいからね」
「……ホント、圭太はずるい」
 柚紀は、圭太にキスをした。
 圭太は、柚紀の腰をつかみ、下から突き上げた。
「んっ、ああっ……んんっ、いいっ」
 柚紀は体をのけぞらせたまま嬌声を上げる。
「あっ、ダメっ、そんなっ……ああっ、んくっ」
 容赦なく体奥を突かれ、柚紀はすぐに高まってしまった。
「い、イヤっ、気持ちよすぎっ……ああっ」
「もっともっと気持ちよくなって」
 圭太は大きく速く、突き上げる。
「あんっ、あっ、あっ、あっ……ああっ、んんっ」
「柚紀っ」
「圭太っ、もっと、もっと突いてっ」
 柚紀の希望に応えるように、さらに激しく突き上げる。
「んんあっ、ダメっ、イクっ、イっちゃうっ!」
 無意識のうちに圭太をつかむ手に力がこもっていた。
「ああっ、あんっ、あっ、あっ、あっ、あっ」
「柚紀っ」
「んんんっ、あんっ、あああああっ!」
「くっ!」
 圭太は、柚紀の最奥に白濁液を放った。
「ん、はあ、いっぱい出てる……」
「柚紀……」
「圭太……」
 ふたりはキスを交わし、どちらからともなく笑った。
 
 陽が暮れると、琴絵と朱美が立て続けに帰ってきた。
 圭太と柚紀は、その頃には揃って台所に立ち、夕食の支度をしていた。
「あれ、今日はお兄ちゃんも一緒に作ってるんだ」
「たまにはいいかと思って」
 圭太はキャベツを千切りにしながら、答えた。
「私はいいって言ったんだけど、圭太がどうしてもって言うから」
「基本的には柚紀に任せてるんだから」
「当然よ。琴美さんから頼まれたのは私だもの。なのに、圭太がメインで作っちゃ意味ないでしょ?」
「意味ないこともないと思うけど」
「いいの」
 言いながら、ふたりとも手が止まっていない。そのあたりはさすがである。
「……はあ、付け入る隙なし、か」
 そんなふたりを見て、琴絵は嘆息混じりに呟いた。
 それからしばらくして、夕食ができあがった。とはいえ、すぐに食べるわけではない。『桜亭』の営業が終わるまで待つのである。
「ふたりとも、勉強は進んだ?」
「進んだ、と言えば進みました。それが結果に繋がるかどうかはわかりませんけど」
 琴絵はそう答えた。
「私は、微妙ですね。勉強よりも話ばかりしてた気がします」
「それじゃあ意味がないじゃないか」
「そんなこと言ったって、私と紗絵と詩織が揃ったら、どうしたって圭兄の話になっちゃうよ」
「まあ、その気持ちはわかるわね」
 柚紀は、朱美の意見に賛同した。
「だったら、そうならない相手と勉強したっていいじゃないか。なにも必ず三人でしなくちゃいけないわけでもないんだから」
「そうだけど……でも、気心も知れてるし、それに、教えあうのも楽だし」
「いいじゃない、それくらい。圭太に直接迷惑がかかってるわけでもないんだし」
「そうそう」
「僕も構わないとは思うよ。でも、勉強するべき時にしないで、それで点数が落ちたらどうなのかなって思って」
「そ、それは、大丈夫だよ。一応やることだけはやったし」
「それは、結果を見て判断するよ」
 そう言って圭太は少しだけ意地悪く笑った。
「みんなでなに話してるの?」
 そこへ、仕事を終えた祥子がやって来た。
「試験勉強のことですよ」
「試験勉強かぁ。そっか、もう中間テストなんだ」
 祥子は、なるほどと頷いた。
「それで、みんなはちゃんとやってるの?」
「ううぅ……」
 ついさっきまでやり玉に挙がっていた朱美は、微妙に視線をそらした。
「祥子先輩は、去年まではどんな風に勉強してたんですか?」
 と、矛先が朱美に向く前に、琴絵がそう訊ねた。
「どんな風って聞かれても、普通にとしか答えられないかなぁ。授業を復習して、問題を解いたり。特別なことはなにもしてないよ」
「どのくらい勉強してましたか?」
「う〜ん、テスト前は、三時間くらいかな。休みの日はもう少しやってたこともあるけど。ただ、長くやってても頭の中に入らないから、実質はそんなに長くないと思うよ」
 祥子は平然と答えた。
「あとね、琴絵ちゃん」
「はい」
「勉強方法は人それぞれだから、あまり人の意見は参考にならないと思うよ。一日一時間しか勉強しなくても大学に入れる人もいるし、気の済むまで勉強しなくちゃダメな人もいるし。ようは、いかに早く自分のスタイルを見つけるかだと思うから。琴絵ちゃんだって、中学の時の勉強スタイルってあるでしょ?」
「一応は」
「それって三年間通して身に付けたものだから、結局はそれが一番自分にあってると思うんだ。だから、人の方法はあくまでも参考程度にして、最終的には自分のいいようにやった方が、結果的にはいいと思うよ」
「なるほど、よくわかりました」
「あとは、琴絵ちゃんの側には、私よりも効率的に勉強できる人がいるんだから、そっちを参考にした方がいいと思うよ」
 言って、圭太を見る。
「お兄ちゃんの方法は、私には無理なんです」
「どうして?」
「私、お兄ちゃんより要領が悪いですから。同じようにやっても、吸収できるものが少なくて」
「そっか。でも、それがわかってるだけ偉いと思うけどね」
 琴絵としては、祥子にそこまで持ち上げてもらい、少し複雑な感じだった。とはいえ、それ自体は嬉しかったので、素直に聞いていた。
「もっとも、優秀すぎるお兄ちゃんがいると、なにかと大変だとは思うけどね」
「あ、あはは……」
 そうこうしているうちに、琴美も戻ってきて夕食となった。
 柚紀と祥子も一緒にとる夕食は、とても賑やかだった。
 夕食後、圭太は祥子を家まで送った。
「もうすぐ半年だね」
「半年?」
「うん。半年」
 祥子は、そう言って自分のお腹に触れた。
 大きく目立っているわけではないが、少し大きくなっていた。
「そうですね。確かに半年ですね」
「そろそろ、私もいろいろ考えないといけなくなってきてるんだ」
「考える? なにをですか?」
「大学のことや『桜亭』でのバイトのこと。ほかにもいろいろ」
「確かに、そうですね」
「大学は、八月から夏休みに入るからそれほど影響ないけど、バイトの方はどうしても影響出ちゃうから」
「それは心配しないでください。今、うちには僕も含めて三人働ける人員が揃ってますから。部活がない日や、あっても手伝える時は極力手伝いますし。それに、ともみ先輩もいますし」
「先輩だけに負担を強いることにならないかな?」
 少しだけ申し訳なさそうに言う。
「大丈夫ですよ。うちはもともとふたりでやってましたから。最初は父さんと母さん。それから母さんと鈴奈さん。基本的にはふたりでもまわせるくらいの規模ですし」
「そっか。そういう風に聞くと、ちょっと安心できるかな」
「それに、あの母さんが絶対に心配かけないようにしますよ」
「ふふっ、琴美さんならそうかもね」
「だから、祥子は心配しないでください」
「うん、そうするね」
 祥子は、小さく頷き、圭太の腕を取った。
「私は、圭くんさえいてくれれば、なにも心配ないんだけどね、本当は。圭くんがいない方が、よっぽど心配」
「それが一番心配ないですよ。僕は、いつでも祥子の側にいますから」
「ありがと、圭くん」
 その頬にそっとキスをする。
「そうだ。圭くん」
「なんですか?」
「今年の夏は、どうしようか?」
「どうするって、なにをですか?」
「ほら、去年みたいにみんなで旅行に行くのかなって」
「ああ、そのことですか」
「そのことって、もう決めてるの?」
「いえ、全然決まってません」
「そうなんだ」
「それに、今年はそう簡単にはみんなでってわけにはいかないと思いますし」
「どうして?」
「それは、祥子のことがあるからに決まってるじゃないですか」
「私のことは気にしなくてもいいのに」
「そうはいきませんよ。僕としては、その『みんな』の中に祥子が入ってなければ、どこにも行く気はないですし」
「圭くん……」
 圭太の真剣な物言いに、祥子は言葉を飲み込んだ。
「それに、もともと夏休みにそこまでのんびりできるとは思ってませんから」
「……ホント、圭くんは優しいね」
「そんなことないですよ。ただ単に、ワガママなだけです。僕は、祥子と一緒にいたいだけですから」
 そう言って圭太は微笑んだ。
「優しすぎるよ、圭くんは」
「祥子のため、ですからね」
 圭太はあえてそれを否定しなかった。
 だからこそ祥子は、それ以上なにも言わなかった。
 
 三
 週が明けて、六月十三日。
 高総体もひと段落し、運動部員もテストに向けて本格的に集中し出した。
 そんな中、朝のホームルームの時、五月に行われた模擬試験の結果が返された。
 全員が受けたわけではないが、ほとんどが受けているため、それなりの反応があった。
「けーちゃん、どうだった?」
「こんな感じだよ」
 そう言って圭太は、結果シートを凛に見せた。
「えっと、全国で……七十三位」
 それを聞いていたまわりから、どよめきが起きる。
「あ、えっと、ごめん。ちょっと無神経だった」
「別にいいよ。どうせ僕はあとにも先にも今回だけしか受けないんだから」
「それはそうかもしれないけど……」
 圭太の成績は、全国で七十三位。校内で四位。どちらにしても相当のもので、やはり圭太はタダ者ではなかった。
「凛ちゃんは?」
「あたし? あたしはこんな感じ」
 凛の成績は、全国で二百三位、校内で十五位だった。
「はあ、やっぱりけーちゃんは頭のできが違うんだね」
「そりゃ、凛に比べれば、全然違うのは当然よ」
 そこへ柚紀が首を突っ込んできた。
「ちょっと、いくらなんでもそれは言い過ぎじゃない?」
「あら、圭太とやりあう気、あるの?」
「うっ、それはないけど……」
「なら、私の言ったこと、間違ってないでしょ?」
 柚紀は勝ち誇った顔でそう言った。
「まあまあ、柚紀もそんなに言わないで。凛ちゃんも、柚紀の言うことを真に受けちゃダメだよ」
「ううぅ、けーちゃんはホントに優しいね」
 凛は、そう言って圭太に寄り添おうとする。
「こらこら、どさくさに紛れてなにしてるかな、この小娘は」
「いいじゃない、別に。ね、けーちゃん?」
「さあ、僕にはなんとも」
「ほら、圭太にまで言われてるじゃない」
「柚紀が余計なこと言うからでしょ?」
「あ〜ら、人のせいにするわけ?」
「柚紀が悪いに決まってるわ。そうよ、世の中の悪いことはすべて柚紀が原因なのよ」
「また、わけのわからないことを言って……」
 言い合い、というほどではないが、そんな会話になると、誰にも止められない。もっとも、誰も止めようとは思わないのだが。
「本当に懲りないわね」
「なによ?」
 もちろん、圭太も止めはしない。
 
 休み時間、廊下でたまたま担任の優香と遭遇した圭太は、早速模試のことを言われた。
「やっぱり高城くんは優秀だわ」
 開口一番、そんなことを言った。
「でも、この前の模試は基礎的な問題が多かったじゃないですか。あれと本番とでは全然違うと思いますし」
「基礎的な問題ができなければ、応用問題なんてできないわ。つまり、基礎問題で点数の取れた人にしか、応用問題で点数を取ることはできないのよ」
「はあ、まあ、そうかもしれませんけど」
「ああ、本当に惜しいわ。こんな逸材が受験しないんだから」
「僕ひとりくらい受けなくても、それほど大差はないですよ」
「あら、ひとりじゃないでしょ? 高城くんが受験しないから、笹峰さんも受験しないんだから」
「……そうですね」
 圭太は、痛いところを突かれたという顔になる。
「まあ、でもいいわ。これも約束だし。それに、私だってなにもあなたたちの選択を否定してるわけじゃないのよ。いろいろ考えた上での選択なのだし。自分で決めたことなら、後悔した時も自分だけを責めればいいんだから」
「いろいろ面倒をかけてすみません」
「これも優秀な生徒を持った教師の役目よ。むしろ、私の方がいろいろと教わるところもあるくらいだし」
「そうなんですか?」
「ええ。だから別にそんなに気にしないで」
「わかりました」
 優香にそう言われては、圭太としてはもうなにも言うことはなかった。ただ、ちゃんと優香が圭太のことを理解しているとわかっただけでも、模試を受けたかいはあったのかもしれない。
 圭太はなんとなくそんなことを考えていた。
 
 昼休み。
「圭兄っ」
 圭太が廊下を歩いていると、後ろから弾丸のように突っ込んでくる者がいた。
「こ、こら、朱美。いきなりぶつかってきたら危ないじゃないか」
「だって、圭兄の姿を見たらそうしたくなって」
 えへへっと笑うのは朱美である。
「圭兄はこんなとこでなにしてるの?」
「こんなとこって、ここに来る目的なんてひとつしかないと思うけど」
 そう言って圭太は、目の前の分厚い扉を指さした。
 そこは、もちろん音楽室である。
「音楽室だっていうのはわかるけど、なにしに?」
「二、三気付いたことがあって、それを確かめるためにスコアを見に来たんだよ」
「ふわぁ、ホント、圭兄は真面目だね」
 言いながら、朱美もちゃっかり音楽室に入った。
 事前に借りていたのか、準備室の鍵を開け、中からスコアを持ち出す。
「圭兄ってさ、いつも演奏のこと考えてるの?」
「四六時中ってわけじゃないけど、考えてることの方が多いかな? とりあえず、今一番考えなくちゃいけないのは、コンサートのことだから」
「……テストじゃないんだ」
「テストは普通にやれば問題ないからね」
「はあ、やっぱり圭兄は圭兄だ……」
 朱美は、嘆息混じりにそう言った。
「……ここは……やっぱりクラをもう少し……」
 圭太は、朱美がなにも言わなくなったところで、真剣な表情でスコアとにらめっこをはじめた。
 気になっていたところを見ているだけのつもりが、ついついほかの部分にまで及んでしまう。それが圭太の圭太たるゆえんでもあるのだが、ただ見ているだけの朱美にしてみれば、やはりつまらなかった。
「ねえ、圭兄」
「うん?」
「圭兄はさ、学校で誰かとエッチしたことあるの?」
 なんの脈絡もない質問に、圭太は一瞬惚けた。
「えっ……?」
「だからぁ、学校で誰かとエッチしたことあるの?」
「そ、それは、その……」
 さすがに即答はできなかった。
 とはいえ、躊躇っていればそれが自ずと『イエス』であることがわかってしまう。
「そっか、したことあるんだね。誰と? 柚紀先輩?」
「さ、さあ、誰だったかな……?」
「……まさか、とは思うけど、みんなと、じゃないよね?」
「そ、そんなことあるわけないじゃないか。ここは学校なんだから」
「ふ〜ん、そうだよね。ここは、学校だもんね」
 ジト目で圭太をにらむ朱美。
「で、実際どうなの?」
「実際もなにも、別に僕は──」
「柚紀先輩は、まあ、積極的だからそれも不思議じゃないけど。あとは、ともみ先輩か。ともみ先輩も結構押しが強いし。ん〜、あとは祥子先輩かぁ。でも、あの祥子先輩が学校でなんてするかな? それと、紗絵と詩織か。ふたりも意外にやる時はやるからなぁ。さすがに琴絵ちゃんてことはないだろうけど」
 ぼそぼそと聞こえるか聞こえないかくらいで言われては、さすがの圭太も集中力を欠いてしまう。
「……で、朱美はなにが言いたいんだ?」
「私も、同じようにしてほしいなぁって」
 途端、ニコニコと人懐っこい、でもどこか艶っぽい笑みを浮かべる。
「別に朱美とはわざわざ学校でなくとも、家でもできるじゃないか」
「そんなこと言い出したら、ほかのみんなだってそうなると思うけど?」
「ん、まあ、そうなるのかな……?」
「だからね、圭兄」
 最後に、上目遣いにおねだりする。
「じゃあ、朱美。ひとつ提案」
「提案?」
「学校でするのを選ぶか、今日、家で朱美と一緒に寝るのを選ぶか」
「ちょ、ちょっと待ってよ。それ、すっごくずるいよ」
「僕としては、どっちでもいいと思うんだけどね」
 形勢逆転。
「う、う〜ん……学校でっていうのも魅力的だけど、やっぱり圭兄と一緒に寝たいし。ううぅ〜、そんなの選べないよぉ」
「選べなければ、どっちもなしにすればいいじゃないか。昼休みだって長くあるわけじゃないし、家でだってテストが近いから勉強に時間を当てればいいし」
「やだよぉ、そんなの。だって、圭兄から一緒に寝ていいだなんて言うこと、滅多にないんだから」
「じゃあ、どっちかにすればいい。どっちか、にね」
「……両方は?」
「ダメ」
「ああん、もう、圭兄のケチぃ」
「ケチでもいいよ」
 圭太は、余裕の表情でスコアを閉じた。
「僕は用も済んだから、教室に戻るよ」
「あっ、ま、待ってよ」
 スコアを戻しに準備室に入ろうとした圭太の腕を朱美はがっちりつかんだ。
「とりあえずスコア戻すだけだから」
「あ、うん……」
 圭太が穏やかな表情でそう言うと、朱美は腕を放した。
「で、どうする?」
 準備室の鍵をかけながら、もう一度訊ねる。
「……家でにする」
「そっか。じゃあ、ここは出ようか」
「でも、その前に」
「ん?」
「いぢわるした罰」
 そう言って朱美は、圭太に抱きつき、キスした。
「今はこれで許してあげるけど、今日の夜、いっぱい可愛がってくれなかったら、本気で泣いちゃうから」
「はいはい、肝に銘じておくよ」
 圭太は、高二にもなって泣いちゃうはないと思いながら、そんなことを考えてることなど微塵も感じさせず、頷いた。
「それで、圭兄。結局誰と学校でしたの?」
「……まだ続いてたのか」
 結局は、朱美の方が一枚上手だった。
 
 放課後。
 さすがに練習に出てくる部員の数は減っていた。だいたい、木金の半分くらいである。
 それでも十人ほどが練習しているのだから、なかなか気合いが入っている。
 そんな中、圭太は黙々と練習していた。短時間の練習なので、やりたいことを全部やれるわけではないが、それでも最善を尽くそうという気概は伺えた。
 そろそろ五時という頃。
「ちょっとみんなに聞きたいんだけど、明日も練習したいっていう人、いる?」
 残ってるメンバーに対して圭太はそんなことを訊ねた。
「もしいないなら、とりあえずは今日までにしようと思ってるんだけど」
「先輩はいいんですか?」
「いいとか悪いとか、そういう問題じゃないから。もともと無理を言ってさせてもらってるわけだし」
 そう言って改めてみんなを見る。
「いない? じゃあ、練習は今日までにするから。次は、来週の火曜日。テストが終わった日からだから」
 それから五時を挟んで、三々五々、帰って行く。
「やっぱり、今日までなんだね」
「まあ、先生にもその方がいいって言われてたし」
「私としては、前日までやってもよかったんだけど」
「柚紀はいいかもしれないけど、僕はなにを言われるかわかったもんじゃないよ」
 そう言って圭太は肩をすくめた。
「でも、これでみんな勉強に集中してくれるだろうし、僕としてはひと安心だよ」
「そういえば、今日は琴絵ちゃんも朱美ちゃんも参加しなかったわね」
「別に強制じゃないからね。本人たちの意志だし」
「圭太がなにか言ったんじゃないの?」
「なにも言ってないよ。ただ単に、練習よりも勉強を取っただけなんだから」
「そっか」
 柚紀はそれ以上は聞かなかった。
「あ〜あ、これで明日からはイヤでもテストのことだけ考えなくちゃいけないんだ」
「しょうがないよ。これも高校生の宿命なんだから」
「わかってるけど。紗絵ちゃんはどう思う?」
「私は、別にこれといって特別な感慨はないですけど」
「そうなの?」
 紗絵の言葉に、柚紀は意外そうな顔を見せた。
「テストは学校の行事のひとつだと思ってますから」
「なるほど。そういう考え方か」
「勉強は大変ですけど、それが結果に表れれば、それはそれで嬉しいですし」
「いいな〜、そういう考え方。私なんかもうそんな考え方できないからね」
「どうしてですか?」
「だって、もうテストなんて学校を卒業するためだけのものだから。なんか、やる気とかそういうの、なくなっちゃうのよね」
「そういうものですか?」
 紗絵は、圭太にも訊ねた。
「さあ、僕にはわからないよ。少なくとも僕はそこまであれこれ考えてないから」
「確かに、先輩ならそうかもしれませんね」
 紗絵は苦笑した。
 それからバス停で柚紀と別れ、紗絵とふたりだけで少し歩く。
「そうだ。紗絵に聞いてみたいことがあったんだ」
「聞いてみたいことですか?」
「どうしてそう思ったかはできれば聞かないでほしいんだけど」
「それは質問の内容にもよると思いますけど」
「紗絵は、その、ちょっと違った状況で僕に抱かれたいとか思うことはある?」
「えっ……?」
 あまりにも予想外の質問に、紗絵は間抜けな声を上げた。
「どうかな?」
「それって、GWの時みたいなってことですか?」
「そうじゃなくて、その、場所とか」
「そうですね、今までそんなこと考えたこともなかったですけど。それはそれで興味はありますよ」
「なるほど」
「でも、どうしてそんなことを聞くんですか?」
「それはできれば聞かないでほしいけど、まあ、しょうがないか」
 圭太はあきらめて理由を話した。
「今日、朱美に聞かれたんだ。学校でしたことあるのかって」
「学校でですか?」
「うん。まあ、僕ははっきりとは答えなかったんだけど、最後まで朱美は興味津々だったから。だから、朱美だけじゃなく、紗絵もそういうのに興味あるのかなって思って」
「なるほど、そういうことですか」
 紗絵はなるほどと頷いた。
「でも、紗絵も興味があるってわかったから、これはこれでいろいろ考えなくちゃいけないのかもしれないね」
「どういう意味ですか?」
「いろいろあるんだよ」
「秘密ですか?」
「秘密といえば秘密かな。というより、僕の失態って感じだから」
「それって、学校でってことに関係してますか?」
「うん」
「ということは、学校で柚紀先輩以外ともしたことあるんですね?」
 紗絵の鋭い質問に、圭太は苦笑を禁じ得なかった。
「そのあたりは、紗絵の想像に任せるよ。僕から言うことでもないだろうし」
「そうですか」
 圭太はそう言って誤魔化した。
「じゃあ、圭太さん」
「ん?」
「今度は、私も学校で抱いてください」
「……善処するよ」
「はいっ」
 圭太としては、いろいろ考える前にそれが現実のものとなりそうで、ただただため息をつくしかなかった。
 
 その日の夜。
 昼間の約束通り、圭太は朱美と一緒にいた。
「勉強はもう終わったのかい?」
「今日の分はね。圭兄とのことがあったから、いつも以上にはかどったよ」
 朱美は嬉しそうに圭太にすり寄った。
「毎日圭兄が一緒に寝てくれれば、私の成績、もっと上がるかも」
「最初のうちはそうかもしれないけど、そのうち上がらなくなるって」
「そうかなぁ? 私はそうは思わないんだけど」
「僕としては、そういうことがなくても成績を上げてくれる方がいいよ。その方が母さんや淑美叔母さんも喜ぶだろうし」
「うっ、そ、それはまあ、これからの懸案課題ということで」
 そういう風に言われては、さすがの朱美も言い返せなかった。
「そういえば、圭兄」
「うん?」
「昼休みはすっかり誤魔化されちゃったけど、実際どうなの?」
「……まだその話を引っ張るのか」
「だってさ、気になるもん」
「別に気にすることでもないと思うけど」
「そりゃ、先輩たちだったらそうかもしれないけど。もし紗絵や詩織となら、なんか先を越されたって感じするし」
「先を越されたって……」
 圭太は、やれやれと肩をすくめた。
「どうなの? 紗絵や詩織としたの?」
「どう思う?」
「それがわからないから聞いてるの」
「それはそうなんだけどさ、言えば朱美もしてほしいって言うだろ?」
「もちろん。あ、でも、言わなくてもしてほしいって言うよ」
「だったら、言わなくてもいいじゃないか」
「んもう、そこは微妙な乙女心なの」
「乙女心ねぇ……」
「で、どうなの?」
「だったら、本人に聞いてみたらどうだ?」
「紗絵と詩織に?」
「その方が、より確実だと思うけど」
「ん、まあ、そうかな。じゃあ、明日学校で聞いてみる」
 圭太にとっては不毛なやり取りをようやく終えられ、ホッとひと息というところである。
「圭兄ってさ、エッチ好きなの?」
「また唐突に変なことを」
「だってさ、私がこんなこと言うのもなんだと思うけど、柚紀先輩を筆頭にみんなとエッチしてるでしょ。しかも、頼まれれば断れないし。でもさ、ホントにイヤだったら方法はいくらでもあると思うんだ。だから、圭兄はエッチ好きなのかなって思って」
 朱美の的を射た説明に、圭太も言葉を探した。
「ね、どうなの?」
「別に僕は、行為自体が好きなわけじゃないよ。それはあくまでも相手が相手だからで」
「ふ〜ん、そうなんだ。じゃあ、なんでエッチするの?」
「なんでって言われても、なんでだろ?」
「じゃあ、もし私がこれから先ずっと抱いてって言わなくても、圭兄は困らないんだよね?」
「まあね」
「それはそれで微妙だなぁ」
 朱美は圭太の意見を聞き、眉根を寄せた。
 圭太としてもそれ以上は言いようがなかった。もしそれを認めてしまえば、柚紀以外はただ単に体目当てに、という風に受け取られかねないからである。もちろん、今圭太と関係を保ってる誰もがそんなことは思ってはいないが、そう思われるのははなはだ心外なのである。
「朱美はどうなんだ?」
「私? 私は好きだよ。もちろん行為自体も好きだけど、なによりも相手が圭兄だからね。もちろん、圭兄が相手じゃなきゃ、する気なんてさらさらないけど」
 臆面もなくそう言われると、圭太もなにも言えなかった。
「というわけで、圭兄。約束通り、いっぱい可愛がってね」
 そう言って朱美は、圭太にキスした。
「圭兄……」
 圭太は、朱美をそっとベッドに押し倒した。
「ん……あ……」
 キスをしながら髪を撫でる。
「んん……」
 そのまま圭太は胸に手を伸ばし、軽く揉む。
 ふにふにと軽く揉むと、朱美は少しくすぐったそうに身をよじった。
「や、ん……もっと強くしてよぉ」
 もどかしさからか、自分からねだる。
 圭太はそれに応え、少し強めに胸を揉んだ。
「あん……」
 パジャマを脱がせると、わずかにピンク色に染まった肌があらわになる。寝る前なので、ブラジャーはしていなかった。
 圭太は胸の突起に舌をはわせた。
「やっ、んんっ……あんっ」
 それだけで朱美は敏感に反応する。
 舌先で転がしていると、徐々に突起が硬くなってくる。
 空いているもう片方は、指の腹でこねる。
「あっ、あふぅ……んんっ、あ、気持ちいい」
 圭太は、空いている手を、今度は下半身に伸ばす。
 ズボンの中に手を入れ、ショーツ越しに秘所に触れる。
「んんっ……んあっ」
 朱美の秘所は、すでにしっとりと濡れていた。
「圭兄……そのままじゃヤだよぉ……」
「しょうがないなぁ」
 圭太は、ズボンもショーツも脱がせてしまう。
 そのまま足を開かせ、秘所を舐める。
「あふっ、んんっ……ダメっ」
 入り口付近を丹念に舐める。
 空いている手で敏感な突起をいじるのも忘れない。
「んくっ、ああっ、あんっ、あっ」
 ぴちゃぴちゃと淫靡な音を立てる。それがお互いの理性を麻痺させ、さらなる快感を求めさせる。
「ああっ、んっ……圭兄っ、そんなにされると……あんっ、それだけでイっちゃうよぉ」
「じゃあ、やめるか?」
「そ、そうじゃなくて、圭兄のがほしいの」
 朱美は、頬をふくらませ、抗議する。
 圭太はわかってるよと微笑みかけ、ズボンとトランクスを脱いだ。
「いくよ?」
「うん、きて……」
 怒張したモノを、ゆっくりと朱美の中に入れていく。
「んっ……ああっ」
 モノが収まると、朱美は嬉しそうに微笑んだ。
「やっぱり、圭兄のが一番気持ちいい」
 圭太はそれには答えず、ただその髪を優しく撫でた。
「圭兄、動いていいよ」
「わかった」
 圭太はゆっくりと腰を引いた。
「んっ……あっ」
 抜ける直前で押し戻す。
 最初はゆっくりと、大きく。次第にその幅を小さくし、速く動く。
「んんっ、あっ、あんっ……んんっ、いいっ……気持ちいいよぉっ」
 蜜がかき混ぜられる淫靡な音が、耳に届く。
「圭兄っ、もっと、もっと突いてっ」
 朱美も自ら腰を動かし、少しでも感じるように、感じてもらうようにする。
 それに応え、圭太は朱美の足を持ち上げ、より速く動けるようにする。
「あっ、んんっ、ダメっ、そんなにしたらっ……ああっ!」
 さらに動きが激しくなり、朱美の嬌声はいちだんと高くなる。
 ふたり分の重みにベッドがわずかにきしむ。
「いいっ、気持ちいいっ……あっ、ああっ……あんっ、んんっ」
 もはや声を抑えるとか、そういう理性的な選択肢は残っていなかった。
「ダメっ、やっ、んんっ、圭兄、私っ、イっちゃうっ」
 朱美は、圭太にしっかりと抱きつき、離さない。
「んんっ、あんっ、あっ、あっ、あっ、あっ、んんっ」
「朱美っ」
「んんんっ、イクっ、んくっ、ああああああっ!」
「くっ!」
 朱美が達するのとほぼ同時に、圭太はモノを引き抜き、下腹部に白濁液を放っていた。
「ん、はあ、はあ……」
「はぁ、はぁ……」
「すごく、気持ちよかったよ、圭兄……」
「それはよかった……」
 圭太は朱美をそっと抱きしめ、キスをした。
 
「ねえ、圭兄」
「ん?」
「私って、いつから圭兄のこと、『圭兄』って呼んでたっけ?」
 朱美は、圭太に腕枕してもらいながら、呟いた。
「いつからかな。僕も覚えてないよ。気付いたらそう呼ばれたし」
「小学校に入った頃にはもう呼んでた気がするけど」
「その頃のことは、僕も覚えてないよ」
「そうだよね。でもね、なんで私が『圭兄』って呼ぶようになったかは、今でも覚えてるよ」
「それは?」
「琴絵ちゃんが、『お兄ちゃん』て呼んでたから。私たちって、ひとつずつ年が違うでしょ? それに、私が圭兄より年下だっていうのも理解してたし。だから、年上の圭兄は私の『お兄ちゃん』なんだなって。でも、琴絵ちゃんが『お兄ちゃん』て呼んでるから、私までそう呼んじゃいけないって思って。それで『圭太お兄ちゃん』を短くして、『圭兄』になったんだよ」
「なるほど」
「あれからずっと、圭兄は圭兄だから。今更ほかの呼び方なんてできないよ」
「僕としても、朱美からはそう呼ばれてた方がいいよ。ほかの呼び方をされても、朱美に呼ばれてるって思えないだろうし」
「ふふっ、そうだね」
 十年近くもそう呼ばれていては、確かにほかの呼び方は難しいかもしれない。特に、お互いがその呼び方に満足していればなおのことである。
「これから先、私と圭兄の関係って、どうなるんだろ」
「いとこという関係には変わらないんだから、そんなに深く考えることはないと思うけどね」
「それはそうかもしれないけど。でも、琴絵ちゃんみたいに妹っていう絶対的な立場でもないし。私としては結構微妙かも」
「朱美は、どうありたいんだい?」
「私? そんなの決まってるよ。私は、ずっと圭兄と一緒にいたいの。お互いがどんな立場にあったとしてもね。といっても、私の立場が変わることは万にひとつもないと思うから、圭兄だけだけど」
「……なるほど。じゃあ、あれかな」
「うん?」
「以前、淑美叔母さんに言われたこと、本当にそうなるのかも」
「お母さんに?」
「朱美をもらってくれないかって」
「お母さん、そんなこと言ったんだ。初耳」
「ただ、それを言われた時は、いい意味でじゃないんだけどね」
「どういうこと?」
 朱美は首を傾げた。
「僕が朱美を抱いてしまったことで、朱美が僕以外の誰にも興味を示さなくなるんじゃないかって心配して。だったらいっそのこと僕が、ってこと」
「そっか、そういう意味か。でも、それはある意味では正しいし、ある意味では間違ってるね。私は最初から圭兄以外に興味なかったから。圭兄さえ側にいてくれればなにもいらないし、私は幸せだし。それに、そういうのって、待ってたってダメだから自分から進んで求めないと。とすると、必然的に私は圭兄の側にいることになるし」
 少々とりとめのない説明ではあるが、圭太も朱美がなにを言いたいかはわかった。
「じゃあ、朱美は一高を卒業したらどうするんだ?」
「大学には行くつもりだよ」
「大学に行って、なにを?」
「心理学を勉強したいなぁって」
「心理学か。うん、いいんじゃないか、やりたいことがあるなら」
「ただね、大学に行くにしてもひとつだけ問題があるんだ」
「問題?」
「ここを出て行かなくちゃいけないってこと。もちろん、どこの大学に入れるかによっても変わるとは思うけど。先輩たちと同じ大学なら、ここからじゃなくても通えちゃうからね」
「でも、それはしょうがないんじゃないか? もともと一高にだって無理をすれば通えたんだから」
「そうなんだけどね。まあ、そのあたりは大学に合格してから、交渉するよ」
 そう言って朱美は微笑んだ。
「ん、少し眠くなってきちゃった」
「明日も学校あるんだから、寝た方がいいよ」
「うん、そうだね」
 圭太は、朱美の髪を撫で、その眠りを心地良いものにしようとする。
「……圭兄」
「うん?」
「ずっと、側にいてね……」
「ああ……」
「……ありがと、圭兄……」
 程なくして朱美は眠りに落ちた。
「ずっと、か……」
 圭太は、すやすやと眠る従妹を見つめ、小さくため息をついた。
 
 四
 前期中間テストがはじまった。
 学校内は異様な緊張感に包まれ、なかなか心休まる時がないほどである。それに追い打ちをかけるように、前日から雨が降り続いていた。もちろん、梅雨なのだから雨が続いてもなんらおかしいことはない。それでも、憂鬱な試験の時に、それを助長する雨が降っては、泣きっ面に蜂である。
 前半二日間が終わると、多少は余裕の出てくる生徒も現れる。ただ、大多数の生徒はこの土日に最後の追い込みをしようと必死なのである。
 そんな六月十八日土曜日。
 その日も朝から雨が降っていた。四日連続の雨となれば、憂鬱さもかなりのものである。
 圭太は、朝食を食べてからテスト勉強をしていた。もちろん、一日中やるわけではないが、少なくとも本人が納得できるまではやる予定ではあった。
 圭太がそんな調子で勉強しているからには、琴絵も朱美もやらないわけにはいかなかった。そういうわけで結局、部活のない休日にも関わらず、高城家は静かだった。
「静かですね」
「三人とも勉強してるからね」
 琴美は、開店準備をしながらそう答えた。
「今日は雨だし、ちょうどいいと思うわよ」
「確かにそうですね」
 早番として入っている祥子は、なるほどと頷いた。
「祥子さん的には、つまらないかしら?」
「どうしてですか?」
「圭太がこもってしまってるから」
「そういう気持ちがないって言えばウソになりますけど、今はバイト中ですから」
「いい心がけだわ」
 そう言って琴美は微笑んだ。
「じゃあ、今日も張り切っていきましょう」
「はい」
 
 そろそろお昼という頃、圭太は勉強にひと区切りつけ、下に下りてきた。
 台所では、先に下りていた琴絵が昼食の準備をしていた。
「今日は琴絵が作るのか」
「あ、お兄ちゃん。うん、そうだよ。お母さん、手が離せないから」
「手が離せないって、お客いるわけ?」
「珍しくね。雨続きだから、かえって出てきたのかも」
「確かに、これだけ降り続くと、逆に家にいたくなくなるかも」
 琴絵の説明に、圭太は頷いた。
「それで、僕が手伝うことはあるかい?」
「大丈夫だよ。だから、お兄ちゃんはできるまでゆっくりしてて」
「了解」
 台所での仕事にあぶれた圭太は、リビングに移った。
 窓の外を見ると、低くたれ込めた雲から、比較的大粒の雨が、間断なく降り続いていた。
 天気予報を見ても、少なくとも夜半くらいまで降り続くということで、まさに梅雨らしい日となっていた。
 テレビを点け、ボーっと眺めていると、朱美も下りてきた。
「勉強ははかどったかい?」
「どうだろ。まあまあかな?」
 朱美は、首を傾げながらソファに座った。
「圭兄は?」
「僕はいつも通りだよ。ほぼ今日の分は終えたから、午後は店の手伝いもするつもりだし」
「なにもテスト期間中にしなくてもいいのに」
「大丈夫だよ。月曜のテストは、得意なのが多いから」
「そっか。圭兄が得意だって言うんだから、よっぽどなんだろうね」
 テレビは、ちょうど天気予報をやっていた。
「明日も雨かぁ。ホント、今年は梅雨らしい梅雨だね」
「最近はこういう梅雨は珍しいから、余計そう思うんだよ」
「そうだね。でも、私としては、適度に雨じゃない日を挟んでほしいかな、やっぱり」
「それが大多数の人の意見だよ」
 画面の週間天気予報では、晴れマークはほとんどなかった。
 それからしばらくして、昼食となった。
 その日のメニューは、夏野菜の冷製パスタだった。
「どう、三人とも勉強は進んでる?」
 祥子はにこやかに訊ねた。
「僕はいつも通りですよ」
「圭くんのいつも通りっていうと、順調ってことだね」
「そうなりますかね」
「琴絵ちゃんは?」
「私は、まだ手探り状態ですから。どのくらい勉強すればいいのかまだわかりませんし」
「うん、確かに最初のテストは大変なんだよね。私もそうだったし」
 やはり、最初のテストである程度手応えをつかめれば、次もその調子でいける。しかし、そこでつまずくと、次に多少影響が出る。
「でも、琴絵ちゃんの場合は、まわりにいろいろ教えてくれる人がいるからいいよね」
「そうですね。お兄ちゃんにも朱美ちゃんにも、お世話になってます」
 そう言って琴絵は、圭太と朱美に笑いかけた。
「朱美ちゃんはどう?」
「私は、まあまあですね。月曜はちょっと苦手なのがあって」
「じゃあ、ますますしっかりやらなくちゃね」
「……はい、がんばります」
 こういう場にいると、祥子はそれぞれの『姉』のような存在となる。心情的にもそれに近いものがあるのも、そういう風に見える一因かもしれない。
「テストが終わったら、いよいよコンサートだね」
「そうですね。十日あまりで、どこまでできるかわかりませんけど、少なくともチケット代くらいは聴かせられるようにはしますよ」
「圭くんがそう言うんだから、大丈夫だね。でも、練習はほどほどにしないと、みんなが大変だよ」
 ね、と言ってふたりを見る。
「そういえば、先輩たちはいつ頃来る予定なんですか?」
「ん〜、たぶん、二十七、八日くらいだと思うよ。まだ正式には決まってないけど」
「わかりました。一応その頃という風には覚えておきます」
「行く前に、ちゃんと連絡するからね」
「ねえ、お兄ちゃん」
「ん?」
「先輩たちが来るって、どういうこと?」
「ああ、それは、いろいろ打ち合わせなくちゃいけないことがあるからだよ。それぞれの部での椅子や譜面台、楽器の移動、二部での照明とか」
「そっか。そういうのもあるんだ」
「琴絵ちゃんも、そういうのを見てちゃんと覚えておいた方がいいよ」
「はい、そうします」
 
 昼食を終えて少しした頃、遅番のともみがやって来た。
「いやあ、雨ばっかでイヤになっちゃうわよねぇ」
「梅雨ですから仕方がないですよ」
 圭太は、タオルを渡しながらそう言った。
「それを言っちゃ、身も蓋もないでしょ?」
「そうですね」
 ともみの言葉に圭太は頷き、笑った。
「で、午後は圭太も入るの?」
「様子を見つつ、というところですね。とりあえずは祥子先輩もいますから」
「そ、わかった」
 午後に入ってからも、『桜亭』には客がいた。とはいえ、満席というほどではなく、なんとなく間断なくやって来るという感じだった。
 休日にこういうことがないわけではないが、珍しいことではあった。
「これだけ入ると、なにかあるんじゃないかって思うよなぁ……」
 店内を見て、圭太はそう呟いた。
「別にいいじゃない、なにかあっても。商売としては、そっちの方がいいんだから」
 それを聞いていた琴美がそう言った。
「まあね」
「それより、店のことはほどほどにして、自分の勉強をしなさい」
「わかってるよ」
 穏やかな有線が流れる中、雨の昼下がりがゆったりと過ぎていった。
 コーヒーや紅茶を飲みながら本を読んだり、新聞を読んだり。
 そんな空間を壊さないように、琴美たちも気をつけて接客している。
 雨の日の夕暮れは早くにやって来る。
 五時を過ぎると、店内に客の姿もなくなり、いつもの光景に戻った。
「ともみさん」
「はい」
「今日は少し早めに閉めましょう」
「わかりました」
 外の様子を見つつ、閉店の準備も進める。
 そして、いつもより早い時間に閉店となった。
「おつかれさまです、先輩」
「ん、おつかれ」
 リビングに戻ると、圭太がテレビを見ていた。
「今日は早いんですね」
「休みの日だし」
「確かにそうですね」
「ともみさん。夕食どうする?」
 エプロンをかけながら、琴美が訊ねてきた。
「そうですね、雨も上がってませんし、ごちそうになります」
「わかったわ」
 琴美が台所に消えると、ともみは改めて圭太に向き直った。
「ねえ、圭太。ちょっと部屋に行かない?」
「部屋にですか? それは構いませんけど」
 そういうわけで、ふたりは圭太の部屋に移動した。
「あと二週間ね。どう、自信のほどは?」
「自信があるかないかで聞かれると、どちらでもないとしか言えないですね。まだ、最後の仕上げが済んでませんから」
「圭太個人としては?」
「僕としては、そこそこ自信はありますよ。そのためにここまで練習してきましたから」
「なるほど、圭太は自信あり、と」
 ともみは、それを自分のことのように嬉しそうに言う。
「ともみさんの時はどうでしたか?」
「ん、なにが?」
「最後のコンサートということに対してです」
「ん〜、そうねぇ、それなりの感慨はあったわね。一応部長もやってたし。自分たちがこれを作り上げたんだっていう気持ち、それが強かった。だからこそ、成功するようにがんばってたわけだし」
「そうですか」
「でも、言っちゃ悪いけど、それだけなのよ。結局、それで部活を引退するわけでもないし、そのあとにはコンクールだってあるわけだから。むしろ、コンクールのことで頭はいっぱいって感じだから。たぶん、それは私だけじゃなく、歴代の部長みんながそう思ってると思うわよ」
「そうかもしれませんね」
 コンサートとコンクール。どちらが上とか下とか、そういう問題ではないが、順番的に考えると、どうしてもコンクールに力が入ってしまう。特に、一高は毎年、コンクールで優秀な成績を収めているからなおさらである。
 圭太としても、その気持ちがわかるのでともみの言葉にも頷けたのである。
「ただ、心情的にはそうだとしても、高校最後のコンサートだってのは間違いないし、悔いのないようにやりたいって思うのは当然よ」
「そうですね。僕も、精一杯がんばります」
 そう言って圭太は微笑んだ。
「ところで、圭太」
「なんですか?」
「今日、少し時間取れる?」
「それは別に構いませんけど、なにかあるんですか?」
「ん、ほら、最近ご無沙汰だから。そろそろ私としては、構ってほしいなって」
「……ああ、そのことですか」
「そのことって、ずいぶんと冷めた言い方ね」
「そんなことはないですよ。ただ、どういう時でもマイペースなのがともみさんらしいと思っただけです」
「なんか、微妙にけなされてる気がするわ」
 眉根を寄せて唸るともみに、圭太は穏やかに微笑みかけていた。
「まあいいわ。とにかく、今日時間ちょうだいね」
「わかりました」
 
 夕食後、圭太はともみを家まで送っていた。
 雨は相変わらず降り続いており、六月も後半というのに、少し肌寒くもあった。
「いつまで降るのかしらね、この雨」
「少なくとも明日は雨だって言ってましたよ」
「ホント、いくら梅雨だからっていい加減にしてほしいわ」
 ともみは、湿気で少し重くなった髪を触りながらため息をついた。
「雨が降らないと困るのはわかるけど、物事にはなんでも限度ってものがあるのよ。一週間も雨が降り続いたら、気分だって沈むし、社会的にもよくないと思うわ」
「だからといって、人間がどうこうできる問題でもないですし。それに、雨が降った方がいい人もいることにはいますから」
「そうなのよね。雨の方が気分が楽だって奴もいるのよ、信じられないけど」
「好みは人それぞれですからね」
「少なくとも圭太がそうじゃなくて、私はよかったわ」
 確かに、雨が嫌いな者と好きな者が一緒にいるのは、なかなか難しいかもしれない。普段はそこまでではないかもしれないが、こういう長雨の時はそれが顕著に表れる。
「あ、でも、雨でひとつだけいいことがあった」
「なんですか?」
「ん、ほら、これよ」
 そう言ってともみは自分の傘を閉じ、圭太の傘に入ってきた。
「こうやって相合い傘できるから」
 ともみは嬉しそうに圭太の腕に自分の腕を絡ませた。
「相合い傘は、やっぱり雨の日じゃなきゃできないし」
「それ、柚紀にも言われました」
「そうなの?」
「雨の日のいいところは、相合い傘ができることくらいだって」
「まあ、好きな人がいれば、そう思うのも当然かな。たぶん、ほかのみんなだってそう思ってるだろうし」
「そんなものですかね」
 そうこうしているうちに、ふたりは安田家へと着いた。
「圭太は庭から直接部屋に行ってくれない?」
「いいですけど、別にそこまでする必要は──」
「いいの。小うるさいのにいろいろ言われるのがイヤなだけなんだから」
「はあ、そうですか……」
 圭太は部屋の鍵を預かり、庭からともみの部屋に向かった。
 入り口のところに傘を置き、中に入る。
 こっそり入って先に電気を点けるわけにはいかないので、薄暗い中、じっとともみが来るのを待つ。
 少しして、ともみが来た。
「電気点けててもよかったのに」
「ともみさんがいないのに電気が点いてたらおかしいじゃないですか」
「ああ、そういえばそうね」
 なるほどと頷く。
「一応、レポートがあるから絶対に近づくな、とは言っておいたけど」
「けど?」
「どうも最近、お母さんにあやしまれてるのよね、圭太との関係」
「そうなんですか?」
「もともと単なる先輩後輩関係じゃないってことくらい知ってたみたいだけど、最近私が圭太絡みのことを言うと、ニヤニヤと嫌味な笑みを浮かべてさ。そりゃ、私が圭太のこと好きだってことは知ってるわけだから、なにかしらの期待をするのはわかるけど。でも、なんか見透かされてるみたいでイヤなのよね」
 そう言ってともみはため息をついた。
「いっそのこと、聞いてみようかしら。その方がお互いにすっきりするし」
「でも、そうしたら全部話すことになりますよ?」
「まあ、そうなんだけどね。でも、圭太が相手なら、少なくともお母さんはなにも言わないわ。いつも言ってるもの。うちのバカ娘にはもったいないくらいだって」
「あ、あはは……」
「いずれにしても、もうそんなに長い間黙ってはいられないと思うわ。ほら、祥子が出産したらイヤでもうちにも話が伝わるし」
「じゃあ、頃合いを見て、説明する必要がありますね」
「まあね。ただ、うちの場合問題はやっぱりお父さんよね。私がひとりっ子だから、ずっと手放したくないって思ってるくらいだから」
 どこの家でもそれは同じである。特に、娘がいる家は。
 圭太としても、琴絵にそんなことがあれば、そういう心境になるかもしれない。
「でも、今はそんなこと考えずに、圭太に可愛がってほしいわ」
 ともみは、圭太をベッドに押し倒した。
「圭太……」
「ともみさん……」
 キスを交わす。
「ん……」
 さらさらと流れてくる髪を押さえながら、キスを繰り返す。
「ん、はあ……圭太とのキス、すごく気持ちいい」
 ほんのり頬を染めて言う。
「でも、もっともっと気持ちよくなりたいから」
「その期待に応えられるよう、がんばります」
「うん」
 圭太は一度起き上がり、座った状態でともみを後ろから抱きしめた。
「ん、は、ん……」
 圭太は、ともみの髪をよけ、首筋にキスをした。
 首筋にキスをしながら、服の上から胸に触れる。
 両手で包み込むように揉む。
「あ、ん……」
 ワイシャツのボタンを外し、一緒にブラジャーもたくし上げてしまう。
「あん、気持ちいい……」
 大きな胸が、圭太の手の動きにあわせ、形を変える。
 圭太は、胸を揉みながら、その先端の突起を指先でいじる。
「んくっ、あんっ」
 ともみはそれに敏感に反応する。
 指先でコリコリと突起をこねる。
「あっ、ダメっ、そんなにすると……んあっ」
 ともみは、執拗なそれに腰を浮かせるくらい反応した。
「敏感ですね」
「だ、だって、圭太にされてるから」
「じゃあ、もっと感じてください」
 圭太はともみのジーパンを脱がせ、ショーツを脱がせずにそのまま中に手を入れた。
「んあっ」
 ともみの秘所は、すでに濡れていた。
「もうこんなになってますよ」
 指を動かす度に、中から蜜があふれてくる。
「やん、言わないで……」
「でも、ほら」
 圭太は、すっかり濡れている指をともみに見せた。
「ううぅ、圭太のいぢわる……」
「ともみさんのカワイイ姿を見たくて、つい」
「ホント、いぢわるなんだから」
 言いながらも、カワイイと言われて嬉しそうである。
 ショーツも脱がせると、足を広げさせ、秘所をさらに指でなぶる。
「んんっ、あんっ、あっ、指が……」
 くちゅくちゅと湿った音が響く。
 閉じそうになる足を押さえつつ、圭太は執拗に攻める。
「や、ダメっ、そんなにされると、イっちゃうっ」
 と、圭太は指を止めた。
「ん、はあ、どうしたの……?」
「僕もそろそろ我慢できなくなってきたので」
「ふふっ、そっか。じゃあ、一緒にね」
「はい」
 圭太もズボンとトランクスを脱ぎ、そのままの格好でモノを入れる。
「んんっ、奥まで入ってくる……」
 すっかりモノが収まると、ともみは息を大きく吐き出した。
「私が動いていい?」
「ええ」
「じゃあ……」
 ともみは、ゆっくりと腰を浮かせ、また戻した。
「あっ、ん……んんっ」
 圭太は、ともみが動きやすいように、腰を支えている。
「んっ、あんっ、圭太のが、奥に当たって……ああっ、気持ちいい」
「もっと感じてください」
「圭太も、動いて、あんっ……私を突いてっ」
 少しずつ動きが速くなってくる。
 圭太は、ともみの体を自分の方に倒し、下から突き上げながら、最も敏感な突起にも触れる。
「いやっ、ダメっ……そんなの、んんくっ……んあっ、いいっ」
 ともみは、大きく体をのけぞらせ、快感に耐えている。
「圭太っ、私もうダメっ、イっちゃうっ」
 じゅぷじゅぷと蜜がかき混ぜられ、ともみの嬌声も大きくなる。
「ああっ、あっ、あっ、んんっ、圭太っ」
「ともみさんっ」
「イクっ、イっちゃうっ……んんああああっ!」
 ともみは、そのまま達してしまった。
「ん、はあ、はあ……気持ちよかった……」
 圭太が支えていなければ、そのまま力なく倒れ込んでいただろう。
「圭太は、まだね」
 そう言ってともみは圭太の上から下り、モノに触れた。
「びくんびくんしてる」
 そのモノに舌をはわせる。
「んっ……」
 先端を舐め、手でしごく。
 圭太の方もだいぶ高まっていたせいで、すぐに限界が来た。
「ともみさん、もう……」
「いいわよ。出して」
「くっ!」
 そして、圭太は勢いよく白濁液を放った。
「こんなにいっぱい出て……」
 ともみは、顔にまで飛んだそれを指ですくい、ぺろっと舐めた。
「ふふっ、圭太の味がする」
 その笑みは、とても艶っぽいものだった。
 
「あ〜あ、今日も圭太にイカされちゃった」
「それって、ダメなんですか?」
「そんなことないけど、たまには私が先に圭太をイカせたいなって。でも、ダメなのよね。圭太にされてると思うと、気持ちがすぐに高まっちゃうから」
 そう言ってともみは微笑んだ。
「あとは、圭太は場数を踏んでるから、慣れてるのよね」
「そんなことないですよ」
「そんなことあるの」
 即答されては、さすがの圭太もなにも言えなかった。
「まあでも、そのおかげで私はいつも感じさせてもらってるわけだから、いいのかもしれないけどね」
 非難しても、ちゃんとフォローを忘れないのも、ともみのいいところである。
「このまま圭太を抱き枕にして寝たいなぁ」
「さすがにそれは……」
「冗談よ。それに、そんなことしたら私だって余計なこと聞かれるし」
「でも、ともみさん」
「ん?」
「機会があれば、そうしてもらっても構いませんよ」
 穏やかに微笑む圭太。
「……まったく、そういう嬉しいこと言わないの。本気で帰したくなくなっちゃうわよ」
 ともみは、圭太にキスをした。
「それじゃあ、僕はそろそろ帰りますね」
「ええ、気をつけて帰ってね」
「はい」
 相変わらず降り続いている雨の中、圭太は数度振り返りつつ、安田家をあとにした。
「バイバイ、圭太……」
 その圭太の後ろ姿を、ともみは少しだけせつなげな眼差しで見つめていた。
 
 五
 中間テストが終わった。
 テストが終わると各部活とも活動を再開させ、また賑やかな学校が戻ってきた。
 高総体でいい結果を残した運動部は、七月にある県大会に向け厳しい練習がはじまる。もう特に大きな大会のない部活では、早々に三年が引退し、新体制での活動がはじまる。
 そんな賑やかさの中、吹奏楽部でもコンサートに向けて練習が再開された。
 練習はテスト前の予定通り、それぞれのパートごとの目標に従ってパート練習からきっちり行われた。もちろんその目標がすべてというわけではないが、それをクリアできればコンサートの成功は見えたも同然なのである。
 練習再開初日である二十一日は、さすがに合奏は行われなかった。鈍った状態で合奏をやっても、あまり意味はないという判断からである。
 練習が終わると、今度は二部の打ち合わせである。幕間に行われる寸劇や、それぞれのパート間の調整、司会の練習などすることはたくさんあった。
 その様子を見ながら圭太は、また別のことをやっていた。
「なにしてるの?」
「ん、コンクールのメンバーを考えてるんだよ」
「そっか。コンサートが終わったらすぐだもんね」
 柚紀はなるほどと頷いた。
「あれ、でもメンバーって部長が決めるんだっけ?」
「いや、違うよ。僕がやってるのは、先生が選ぶための参考資料作りみたいなものだよ。普段の姿を見てるのは先生よりも僕の方が多いからね」
「ふ〜ん。それで、どんな感じなの?」
「なかなか難しいよ。極力みんな出してあげたいけど、二、三年だけで四十一人だから、一年は九人しか出られないし」
「九人か。今年は一年が多いから、さらに狭き門ね」
 ノートには、それぞれのパートごとにメンバーが書き記してあった。そこに書かれているのはとりあえず二、三年で、一年の名前はなかった。
「今のところ考えてるのは、クラとサックス、ホルン、ペット、ボンだね。あとは、様子を見つつ」
「クラってことは、琴絵ちゃんも候補に入ってるの?」
「一応は。このままいけばメンバーに選ばれるとは思うけど」
「琴絵ちゃん、練習熱心だからね」
「どうなるかは、あくまでもコンサート後に先生が決めることだから、僕にもはっきりとは言えないけど」
「大丈夫よ、琴絵ちゃんなら」
 心情的には圭太も柚紀と同じなのだが、部長という立場上、なかなかはっきりとは言えなかった。
「そういえば、圭太。なんか今年の二部はちょっとしたことをやるらしいわよ」
「ちょっとしたこと?」
「なにをするかまでは知らないけど、去年までとは違うことをするんだって、演出が言ってた」
「へえ、そうなんだ」
 二部の演出は伝統として二年が主役でやるために、部長の圭太といえども知らないことはあった。
「僕としては、去年みたいに僕を使って無茶しなければなんでもいいよ」
「あはは、去年はね。でも、あれはあれで好評だったんだから」
「素直には喜べないよ」
 ノートを閉じ、圭太は苦笑した。
「今年も圭太がなにかすれば、きっと好評を博すと思うんだけどなぁ」
「それは、柚紀がただ単に見たいだけじゃないの?」
「さあ、それはどうかしら?」
 そう言って柚紀は笑った。
 
 授業が再開されると、早い科目ではテストが返ってくる。
 成績のよかった者はいいのだが、悪かった者は追試のことなどを考えるとどうしても暗くなっていた。ただ、一高は二期制なので、一回のテストで赤点を取っても必ずしも追試があるわけではない。九月に行われる期末テストの結果を受けて、そこではじめて追試を課す科目もある。だから必ずしも悲観することはないのだが、それはあくまでも一、二年の話である。三年で受験組はそうは言っていられない。もともと年四回しかないテストが、三年は三回しかないのである。しかも、内申書に書かれるのは前期までの成績。となれば一回のミスが命取りになりかねないのである。
 そのような悲喜こもごもな様子を見つつ、それでも授業は淡々と進んでいくのである。
「凛」
「柚紀」
『勝負』
 机の上に二枚の答案が置かれた。
「……八十四点」
「……八十七点」
「くっ……」
「おほほ、あたしの勝ちね」
 凛は、わざとらしい笑みを浮かべた。
 柚紀と凛は、テスト前に言っていたように、テスト勉強の時間を決め、その結果で勝負していた。そして、テストが返却される度にこれをやっていた。
 ここまでの勝敗は、二勝二敗のタイだった。
「まさか得意科目の古文を落とすとは思わなかったわ」
「残念ね。古文はあたしも得意なの」
「でも、これで振り出しに戻っただけよ。勝負はこれからなんだから」
「そうね。だけど、最後に笑うのはこのあたしよ」
「ふふん、今から凛の泣き顔が見えるようだわ」
 一触即発、というわけでもないのだが、その様子を見て圭太はただただ苦笑するしかなかった。
「でもさ、凛」
「うん?」
「今回これだけ気合い入れて勉強しても、圭太には勝てないのよね」
「確かに。いったいどんな勉強したらけーちゃんみたいに取れるのかしら」
 ふたりの視線が、圭太を捉えた。
 その圭太との勝敗で言えば、四戦全敗だった。もちろん、ふたりともである。
「ねえ、けーちゃん。今回はだいたい一日どのくらい勉強したの?」
「二時間から三時間くらいかな。少ない日は一時間てのもあったけど」
「平均三時間勉強して、負けてるんだから」
「よっぽど私たちは要領が悪いのね」
 ふたりは揃ってため息をついた。
「残り五科目の手応えは?」
「悪くはないかな?」
「このままだと、全戦全敗なんて可能性もあったりして」
「さすがにそれだけは避けたいところだけど。相手が圭太じゃね」
「ホント、大変な相手よね」
 別に悪く言われてるわけではないのだが、圭太としては悪者になった気がしていた。
「そういえば、勝負で勝ったらなにがあるの?」
 とりあえず矛先をそらすため、そんな質問をした。
「なにって、そんなの決まってるじゃない」
「決まってるの?」
「私と凛で勝負してて、その賞品にするのは、圭太に決まってるでしょ?」
「…………」
「賞品は、けーちゃんとの一日デート権よ」
「……なんか、当事者の意見が無視されてるような気がするんだけど」
「いいじゃない、別に。デートしたからってなにか圭太に不利益があるわけじゃないんだしさ」
「それはそうかもしれないけど。ただ、事前に言ってほしかったと思って」
「いや、あの時聞いてたと思って。ね、凛?」
「うん。でもまあ、けーちゃんが本当にイヤなら、あたしはそうじゃなくてもいいんだけどね」
「ちょっと凛。なにひとりだけ良い子ぶってるのよ」
「だって、結局は柚紀に勝つことが目的なんだから」
「むぅ、それはそうかもしれないけど」
 凛の言葉に、柚紀は唸った。
「まあ、面倒なことは全部終わってから考えるわ。今はとにかく、凛に勝つことだけ考えてればいいのよ」
「それはこっちのセリフ」
 とはいえ、すぐに元に戻ってしまうのが、柚紀のいいところでもあった。
 
 テスト後の合奏は、テスト前の合奏より数段厳しくなっていた。
 それは毎年のことなのだが、三年目になる三年にとってもなかなか慣れるものではなかった。
「ほら、もっと音に集中して。ひとつひとつの音をはっきりと」
 指揮をしている最中にも指示が飛ぶ。
「いったい今までどんな練習してたの? こんなことじゃ、とても人に聴かせられるような演奏は無理よ」
 以前ならそういう厳しい指示にはすぐに応えられなかったのだが、さすがにあと十日という段階になると、それなりに応えられるようになってきていた。
「そう、もっと縦のラインを揃えて。ダメ、音程がずれてる」
 とはいえ、菜穂子の指示は、必ずそのひとつ上をいっていた。
 ただ、全体のレベルとしては、確実に上がっており、菜穂子も合奏を通じてそれを感じ取っていた。例年より早い仕上がりを見せていた結果が出ていたのである。
「自分の音と隣の人の音、そして全体の音をもっとよく聴いて」
 それでも、よりよいものを求めていくと、どうしても厳しくなるのである。
「とりあえず、今日はここまでにするわ。今日指摘されたところは、明日までに必ず直しておくこと。いいわね?」
『はい』
「それと、遅くまで準備するのは構わないけど、後片づけだけはしっかりすること。昨日、教室に忘れ物があったって言われたわ。そんなことが続くと、遅い時間に校舎使えなくなるから。それじゃあ、今日はここまで」
「ありがとうございました」
『ありがとうございました』
 合奏が終わると、途端に緊張感から解放される。それまでは息をするのも大変なほどに張りつめていた空気も、いつもに戻る。
「今日の準備は、必ず誰か責任者を決めてからやるように。使った場所、道具のことはその責任者が責任を持って管理すること。音楽室でやる分については、僕が管理するけど」
 最後に圭太が締めくくる。
「時間がないのはわかるけど、やることだけはちゃんとやるように。じゃないと、部長権限ですべてなしにするから、そのつもりで。じゃあ、今日はおつかれさま」
『おつかれさまでした』
 練習が終わると、それぞれにやるべきことをやりに移動する。
 そんな中、圭太は菜穂子のところで話をしていた。
「演奏自体は上向きだけど、全体的に浮ついているところがあるわね」
「もう直前ですから、自然とテンションが上がってるんだと思います」
「それが悪いとは思わないけど、もう少し落ち着いてやらないと凡ミスが出るわよ」
「そうですね。少し注意してみます」
 圭太としても、みんなの気持ちがわかるだけにその程度の言葉にとどめていた。
「あと、先生。一応、コンクールのメンバーも考えてはいるんですけど、いつ頃までに決めようと思ってるんですか?」
「地区大会はいつだったかしら?」
「確か、三日目の二十五日です」
「二十五日。ということは、コンサートが終わって三週間ということね。じゃあ、悪いんだけど、コンサートが終わったらすぐに候補を出してくれる?」
「わかりました」
「今年は人数が多いから、選ぶのも大変だと思うけど」
「最終的に決めるのは僕じゃないですから」
「それもそうね」
 菜穂子は合奏時とうってかわって、穏やかな表情で微笑んだ。
「それにしても、圭太が部長だと私もいろいろ楽できるわ」
「それは、褒められてるんですか?」
「一応ね。私も教師になって吹奏楽部の顧問になってもう九年目だけど、ここまでなんでも先んじてやってくれた部長ははじめてよ。もちろん、それぞれの部長にもいいところはあるんだけど、それでも全体を比べると圭太の方が上だと思うわ」
「ありがとうございます」
「その圭太が部長として仕事をしてくれるのも、もうそんなにないのよね」
「そうですね。今年も早めに次期首脳部を決めようと思ってますから」
「次の部長は、紗絵で決まりかしら?」
「ほかに立候補者がいなければ、ですね」
「圭太のあとだと、大変ね」
「でも、紗絵は三中でも僕のあとに部長をやってますから」
「そういえばそうね。じゃあ、次も期待していいのかしらね」
「それはなんとも」
 そう言って圭太は誤魔化した。
「いずれにしても、コンサートが終わればいろいろ動きはじめるから、こっちも気合いを入れてがんばらないと」
 
 六月二十六日は久々に朝からいい天気だった。
 この時期は太陽が出ると気温が高くなる。それはこの日にも言え、天気予報では夏日になるという予報だった。
 そういう日でも、吹奏楽部では練習が行われていた。
 コンサート前日には練習ができないため、残り五日間ですべて終えなければならなかった。一部、三部に関しては例年以上の早さで仕上がっていたためにそれほど問題はなかったが、やはり二部は遅れが目立っていた。
 二部は曲数も多く、パートによって同じ曲でも難易度が大きく違うため、それも仕上がりを遅くする要因となっていた。
 それでも今年は圭太が早い時期から厳しく指導していたために、例年ほど焦る必要はないように見えた。
 午前中は菜穂子による合奏が行われ、午後は圭太による合奏が行われることになっていた。
 そんな昼休み。
「わかってはいるんだけど、大変だわ」
 柚紀は、そう言ってため息をついた。
「そうですね。この時期はある意味コンクール直前より大変ですからね」
 それに頷くのは紗絵である。
「琴絵ちゃんにとっては、この大変さははじめてだと思うけど、どう?」
「練習の長さ自体はそうでもないですけど、たくさんの曲を密度の濃い内容でやるのはやっぱり大変ですね」
「なるほど。琴絵ちゃんでもそう思うか」
 琴絵の言葉に柚紀は頷いた。
「でも、柚紀先輩」
「うん?」
「今年はこれでも楽な方ですよね?」
「まあね。一年の時は本当に目一杯だったから。それに比べれば今年は多少なりとも余裕があるから、楽と言えば楽ね」
「それもこれも、全部圭兄が早め早めにやったからですね」
 朱美は、自分のことのように言う。
「先輩がそれをしてなければ、今頃大わらわだったかもしれませんね」
「それはそれで勘弁してもらいたいわ」
「確かに」
 そう言って詩織は微笑んだ。
 それぞれが好きな者と好きな場所で昼食をとっているのだが、いつものメンバーの中に圭太の姿はなかった。
「それにしても、圭太は真面目よね」
「真面目すぎますよ。なにも昼休みにまで作業しなくてもいいのに」
 圭太は、午前中の合奏が終わると、部長として仕事をこなすため、柚紀たちと一緒にはいなかった。
「それが先輩らしいとも言えるんですけどね」
「あれだけは、私たちがいくら言っても聞かないだろうし、もう見てるしかないわ」
「そうですね」
 柚紀たちがそんなことを言ってる時、圭太は音楽室でコンサート当日の細かなスケジュールを調整していた。
「今年もこのくらいで大丈夫かな」
「このくらいって、どのくらい?」
 と、横から綾の顔が出てきた。
「ホント、圭太は真面目ね。なにも昼休みにやらなくてもいいのに」
「そうは思うけど、これは一応先生にも確認取らなくちゃいけないことだから。できるだけ学校でやりたかったんだ。それに、明日かあさってに先輩たちも来るみたいだし」
「ああ、それか、寸暇を惜しんでる理由は」
「このスケジュールは、僕たちのというよりは、先輩たちのためにあるようなものだからね。その先輩たちが来るまでに仕上げておかないと意味がないし」
「それはそうだけどね。で、どのくらいできたの?」
 綾は、スケジュール表を手に取った。
「ふむふむ……って、もうほぼ完璧にできてるじゃない」
「原案があるからね」
 そう言って見せたのは、別のスケジュール表だった。
「細かな部分は違うけど、だいたいは一緒だからね。去年のとか、その前のとか使ってるんだよ」
「なるほどね。でも、そういうのがあるなら、なにもそんなに焦る必要もないんじゃないの?」
「いや、まあ、そうなんだけどね」
 圭太にしては珍しく言葉を濁した。
「ひょっとして、忘れてたとか?」
「そ、そんなことないよ」
「ああ、なるほどね。圭太でも忘れることあるんだ」
「だから──」
「いいじゃないの、別に。それに、たまにそういう姿でも見せておかないと、圭太はなんでもできちゃうって思われるわよ。人の想像なんて勝手だからね。そういうのはどんどん膨らむし」
 綾の言葉に、圭太はなにも言い返せなかった。
 スケジュールを決め忘れていたのは事実なので、なおさらである。
「ねえ、圭太。これはもうほぼ終わったのよね?」
「あとは、先生に確認してもらえば、だけど。それが?」
「あのさ、ちょっとあたしにつきあってくれない?」
「つきあうって、なにに?」
「それは、まあ、いろいろね」
 そう言って綾は微笑んだ。
 圭太は綾に連れられ、とある教室へと入った。
 誰もいない教室。練習にも使っていないので窓も閉め切られている。
「綾?」
「……圭太はさ、柚紀とつきあってるから、その、いろいろしてるわよね?」
「い、いろいろって?」
「それは、ほら、キスとか、それ以上のこととか」
「えっと、まあ、否定はしないけど」
「そんな圭太に頼みがあるの」
 綾は、潤んだ瞳で圭太を見つめた。
 そこにいるのは、いつもの綾ではなかった。
「た、頼みって……?」
 そんな綾に押されるように、圭太は一歩後ずさった。
「相手になってほしいの」
「相手? なんの?」
「これの」
 そう言って綾は、圭太に体を寄せた。
「あ、綾?」
 その唐突な行動に、圭太は大いに慌てた。
 さすがに綾だけはそんなことはないと思っていたからである。
「ほら、手はこっち。しっかり持って」
「あの……?」
「なんの相手だと思ったの?」
「…………」
「二部でちょっとダンスをやることになったのよ。で、男女比を考えると女と女でもよかったんだけど、やっぱり男女の方が絵になるでしょ? だけど、相手をなかなか決められなくて。で、圭太なら女の子の相手にも慣れてるだろうし、なによりあたしになにもしないだろうって思って」
「綾らしいよ、そういうところ」
 苦笑しつつ、圭太は言われた通り、綾を支える。
「でも、ダンスなんてやったことないよ」
「ああ、いいのいいの。どうせ適当なんだから。なんとなくそれらしく見えてれば問題なし。ステップさえ間違わなければいいわけだから」
「即興の域だね、それじゃあ」
「一回こっきりのダンスだから、それで十分よ。それとも、これからもあたしの相手になってくれる?」
「そんなことしたら、柚紀に殺されるよ」
「あはは、かもしれないわね」
 ふたりは、少しの間、ダンスの練習を続けた。
 綾の言う通り、とりあえずステップを揃えることに重点を置き、それができてきたらそれらしい上半身の振り付けをする、という感じだった。
 練習は昼休みが終わる直前まで続いた。
「圭太がみんなから想われてる理由、わかるわ」
 練習が終わり、綾はそんなことを言った。
「あたしも、もう少し早くにそれを知っていたら、きっと惚れてたわね」
「ありがとう」
「でもさ、圭太」
「うん?」
「みんなに想われてるのって、大変じゃない? あたしの想像だと、ひとりに想われてるのだって大変だと思うのに、圭太は複数だから」
「とりあえず僕は大変だとは思ってないよ。想ってくれてる相手に、大変だから想うのやめてくれ、とは言えないしね。だとしたら、それを受け入れるってことになるんだけど、その時に僕は、必要以上に構えないようにしてるんだ。確かに人の想いを受け入れるわけだからそれ相応の覚悟は必要だけど、それ以上に応えてあげたいって思うし」
 圭太は、うっすらと浮いた汗を拭きながら、穏やかな表情で答えた。
 それを聞いた綾は、得心という感じで頷いている。
「ただ、柚紀としてはあまりそうしないでほしいみたいだけどね」
「彼女としての立場がなくなるからでしょ? その気持ち、少しくらいならわかるわよ。あたしも女だし。ただまあ、圭太からの想いを受け取るには、ひとりじゃちょっと重いかもしれないわね。あたしだったら、とうてい無理」
 そう言って綾は苦笑した。
「それに、あたしの場合、圭太とは恋人って関係よりも、親友って関係の方があってるだろうしね」
「確かに」
「こらこら、そこで素直に頷かない。それじゃまるで、あたしに女としての魅力がないみたいに聞こえるじゃない」
「そんなことないよ。綾は、十分魅力的だと思うよ」
「ふふっ、ありがと」
 確かに綾は魅力的な女の子である。
「さてと、そろそろ戻らないと、午後の練習がはじまるわね」
「そうだね」
「でも、その前に」
「ん?」
「ダンスのことは、本番まで内緒にしてくれない?」
「それはいいけど、そんなことできるの?」
「演出と照明だけ知ってれば大丈夫よ。それに、あらかじめ言っておいて、柚紀と無用な争いを繰り広げるのもバカらしいし」
「なるほど」
 その説明には、妙に説得力があった。
「というわけだから、圭太も余計なこと言わないでよ?」
「了解」
「じゃあ、戻りましょ」
 そう言って綾は、圭太より先に教室を出た。
 圭太もあとを追う。
 と、廊下で綾がいきなり──
「お礼。先払いしておくから」
「ちょ、ちょっと……ん」
 圭太にキスをした。
「ふふっ、さあ、午後もがんばらないと」
 綾は、圭太がなにか言う前にさっさと行ってしまった。
「まったく……」
 圭太は小さくため息をつきつつ、そのあとを追った。
 
 午後の合奏は壮絶を極めた。
 おそらくそれを指導していたのが圭太でなければ、暴動が起きただろう。
 とにかくその指示はハイレベルなもので、相手が一年であってもいっさい容赦がなかった。もちろん、そういう厳しい指導ができるからこそ信頼されているのだが、される方としてはたまったものではなかった。
 ただ、そのかいあってか、遅れていた二部の方もだいぶ聴かせられるレベルになってきていた。
「今日の合奏はここまでにするけど、午前中に先生に指摘されたこと、午後に僕に言われたこと、ちゃんと修正しておいて。大変なのはあと少しなんだから。ここでちゃんとできないと、その後のコンクールにも影響が出るだろうし。せっかくできるだけの実力を持ってるんだから、それを活かさないと。あとは……特にないかな。それじゃあ、おつかれさま」
『おつかれさまでした』
 ようやく練習が終わり、部員たちも安堵の表情を浮かべている。
「はうぅ〜……」
「そんなに大変だったかい?」
「大変だったよぉ。おに、じゃなかった、先輩はそんなことないかもしれないけど」
 琴絵は、楽器をしまうのもあとにしてぐったりしていた。
「心配しなくても、ここまでやるのは今日が最後だよ」
「そうなの?」
「残り四日間の練習は、いかにモチベーションを高め、保つかに重点を置くからね。それに、直前にあれこれ言ってもそこまできっちり修正できないよ」
「そっか。それを聞いてひと安心したよ」
「まったく、大げさなんだから」
 そう言って圭太は琴絵の頭をポンポンと叩いた。
「先輩。ちょっといいですか?」
「ん、なんだい?」
「ここのところなんですけど……」
 後輩からの個別の質問にもイヤな顔ひとつ見せず対応する圭太。
 そんな圭太の姿を見て琴絵は、改めて自分の兄はすごい人なんだと思った。
 
 一日練習があるといっても、本当に丸一日あるわけではない。平日の部活よりははるかに早い時間に帰れる。
 だから、柚紀がみんなでお茶しようと言い出しても誰も異論はなかった。
 とはいえ、お茶するといっても駅前の喫茶店やファーストフード店でするわけではない。場所はもちろん、高城家である。
 そういうわけで、高城家のリビングはすっかりお茶会の場と化していた。
「はあ、今日も一日がんばったって気がするわ」
「それ、すごくわかります」
「圭兄、ホントに容赦ないですからね」
 柚紀、琴絵、朱美の三人は午後の合奏のことをあれこれ言っていた。
「そりゃ、やらなくちゃいけないのはわかるけど、もう少し温情があっても罰は当たらないと思うのよねぇ」
「柚紀先輩、結構言われてましたからね」
「まあね。でも、その指摘もいちいち正しいからなにも言えないし」
 少しだけ恨みがましい目で圭太を見る。
 その圭太はといえば、紗絵と詩織とまた別の話をしていた。
「そうなんですか? それはすごいですね」
「数字だけ考えればすごいけど、それが当日の数字に結びつくかといえばそうでもないから。特に、中学校に送ってる招待券に関して言えば、いったいどれだけ使われるのかわからないし」
「そうだとしても、前売りでほぼ完売っていうのはすごいですよ」
 三人が話しているのは、コンサートのチケットのことだった。
 今年のチケットの売れ行き状況はもともと好調だったのだが、各部員割り当て分がほぼ完売状況となっていた。残っているのは予備分で、それもたいした枚数ではなかった。
「それもこれも、やっぱり先輩のおかげですね」
「そうですよ。みんな、先輩を見たくて、先輩の演奏を聴きたくて来るんですよ」
「別に僕だけじゃないと思うけど。一応、二年連続全国金賞っていう看板もあるし」
「そうだとしても、それはあくまでも吹奏楽に興味ある人にとってです。学校のみんなはあくまでも先輩がいるから買ってくれたんです」
 例年、チケットは基本的に部員の家族や他校の吹奏楽部員に多く出回る。ところが今年は一高生に多く出回っていた。
 その目当てはもちろん、圭太である。もはやそれはアイドル並みの扱いで、非公認ファンクラブすらあるのではと、まことしやかに噂されているくらいだった。
「僕としては、その理由はちょっと複雑だけどね」
「いいじゃないですか。どんな理由ででも、ひとりでも多くの人が演奏を聴いてくれるんですから」
「そのことはね。ただ、僕は純粋に演奏を聴いてもらいたいだけだから。なかなかその理由は受け入れがたいんだよ」
 圭太としても、紗絵や詩織の言いたいことは十分理解していた。ただ、音楽が好きでやっている身としては、やはり音楽に興味を持って聴きに来てほしいのである。
 もっとも、部長という立場で言うなら、どんな理由だろうが大勢来てくれる方がいいのだが。
「それに、その理由だと来年はなかなか厳しいということになるし」
「えっ……?」
「今年、三年連続全国金賞でも取らない限り、観客の減少は免れないと思うよ」
「……言われてみれば、そうですね」
「チケット代収入は、結構大きいからね。順当にいけば紗絵が次期部長だろうから、いろいろ頭の痛いところだと思うよ」
「そんなこと、すっかり忘れてました」
「収入が減ると、どうなるんですか?」
 詩織がもっともな質問をした。
「チケット代とパンフレットの広告代だけでまかなえなければ、当然部費で補うだけだよ。そうすれば当然、それ以降いろいろ制約がつくことにもなるし」
「いろいろ影響があるんですね」
「だから、僕が、という理由で浮かれてはいられないんだよ」
「なるほど」
 詩織としてはそれは気になるところではあるが、やはり部長などという立場ではないため、そこまで深刻には受け止めていない。
 しかし、紗絵はそうはいかない。ほぼ間違いなく次期部長となるのだから、そういうことも十分考慮しなければならないのである。
「なに真剣な顔で唸ってるの?」
 と、柚紀たちもその話に加わってきた。
 紗絵が簡単に説明すると──
「なるほどね。それは由々しき問題だわ」
 柚紀たちも納得した。
「確かに圭兄の人気はすごいもんね」
「だったらさ、こうしたらどう?」
「どうするんですか?」
「来年のコンサート、私たちもOBとして手伝うでしょ?」
「はい」
「で、その時に圭太にモギリをさせればいいのよ。もちろん、それとなく圭太が来るようなことを言ってね。そうすれば、少なくとも一高で圭太目当ての女子はそれなりに確保できるだろうし」
「確かにそうですけど、それって詐欺まがいじゃないですか」
「しょうがないじゃない。私たちは卒業しちゃうんだから。OBとしてコンサートに出るっていうなら話は別だけど」
「OBとしてコンサートには出られないんですか?」
「どうなの?」
 琴絵の質問を圭太に投げかける。
「出られないことはないだろうけど、少なくとも僕は出るつもりはないよ。コンサートはあくまでも現役生のものだからね。OBはそれを手伝うだけ」
「だって」
「まあ、結局は今年のコンサートのできと、コンクールでの成績、それと来年の宣伝活動次第だよ。全国を見れば、演奏の質だけで観客をいっぱいにできるところもあるんだからさ」
 人の人気など一過性のものでしかない。となれば、それ以外の部分で努力するしか方法はないのである。
「だからこそ、今年のコンサートはがんばらないといけないんだけどね」
「確かに、そうですね」
「なんか、圭太に上手く丸め込まれてる気がするわ」
「そんなことないよ」
 そう言って圭太は微笑んだ。
 
「ねえ、圭太」
「ん?」
「なんか、あっという間だったね。今年に入って曲決め、パート分け、パンフやチケットのデザイン決め、練習。ホント、あっという間」
「そうだね」
 その日の夜、圭太は柚紀をバス停まで送っていた。
 空には雲ひとつなく、月がふたりを優しく照らし出していた。
「これでもう、私たちが作るコンサートは終わりなんだよね」
「うん」
「そう考えると、ちょっとだけ淋しいかも」
「でも、そうしないと新しくなれないからね。いつまでも今までと一緒じゃ、これから先も続けてはいけないだろうし」
「うん、それはわかってる。ただなんとなく、こうやってみんなでひとつのものを作り上げるって行為、これから先そう多くないのかなって思って」
「かもしれないね」
「だからこそ、一生懸命がんばろうって思えるし。じゃなかったら、圭太のあれだけの指導に文句も言わずについていけないから」
「なるほどね」
「って、そこで頷かないの」
「あはは、そうだね」
「まったく……」
 柚紀は、呆れ顔でため息をついた。
「なにはともあれ、泣いても笑っても今度の土曜日が本番だから」
「うん。精一杯、悔いのないように」
 それが、圭太と柚紀の正直な、そして唯一の想いだった。
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