僕がいて、君がいて
 
第二十四章「行く春、巡る春」
 
 一
 三月一日。
 その日は朝からとてもいい天気だった。暦が変わって三月になったからといって、急にいろいろ変わるわけでもない。それでも前日より幾分か春らしく思えるのだから、おかしなものである。
 今年もまた卒業式を迎えた。
 学校では会場設営も最後の段階で、ほどなく卒業生を迎えられる状態になった。
 会場である講堂には、紅白の幕が張られ、整然と並んだ椅子から見える舞台には、校旗や台上に置かれた花が卒業式という雰囲気を醸し出していた。
 三年の教室では、一、二年が黒板にお祝いのメッセージを書いている。それが終わる頃に、ようやく主役の登場である。
 卒業生たちも、久々に会うクラスメイトたちと話に花を咲かせる。受験はどうだったとか、卒業式後、パーティーをしようだとか。
 だいたいが揃ったところで、生徒会役員が教室をまわり、ひとりひとりに花を渡していく。それをつけて式に臨むのである。
 そして、担任が呼びに来て、式がはじまる。
 
 特別なことなどなにもない。
 式は、粛々と行われた。
 それでも、三年にとっては最後の学校行事である。
 退屈な式であっても、その日ばかりはしっかり出ていた。
 送辞、答辞、ともに滞りなく終わり、校歌斉唱で式は終わった。
 卒業生が教室に戻ると、在校生は校庭へと移動する。そこで卒業生を待つのである。
 しばらく待っていると、昇降口の近くから歓声が上がった。
 在校生たちは、お目当ての先輩を探し、声をかける。
 圭太は、トランペットのメンバーとともにふたりの先輩を探した。
「あっ、あれじゃない?」
「ん、本当だ。徹先輩、広志先輩」
 圭太が声をかけると、徹と広志が近づいてきた。
「よお、揃ってるな」
「先輩、卒業おめでとうございます」
 夏子と紗絵が、ふたりに花束を渡す。
「しかし、俺たちも卒業するんだよな」
「なんだ、広志。おまえ、卒業しなくてもよかったのか?」
「うんにゃ、全然。ただ、去年の卒業式からもう一年も経ったんだと思ってな」
「ま、それはそうだな」
 徹と広志は、笑顔でそう言った。
「ところで圭太」
「なんですか?」
「今年もアンコン、全国なんだってな」
「はい。なんとか今年も行けることになりました」
「ホント、おまえが入ってきてからうちの部も、とんでもない部になったよ」
「別に、僕だけの力じゃないですよ。今回のアンコンだって、夏子やみんなもがんばったから、結果がついてきただけです」
「ホント、おまえは欲がないな」
 徹は、呆れ半分で言う。
「っと、忘れてた。圭太。部長としてやることあるだろ?」
「ああ、はい。そうですね。ちょっと行ってきます」
 そう言って圭太はその場を離れた。
「なあ、夏子」
「なんですか?」
「もう少しあいつの負担、減らせないか?」
「う〜ん、どうでしょうかね。圭太自身はそれを負担だと思ってないみたいですから。まわりがとやかく言っても、あまり意味がないのかもしれません」
「ま、それが圭太らしいところではあるんだよな」
「そうは言うけどなぁ、なにかあってからだと手遅れになりそうだし。今の部からあいつが消えてみろ。誰があれを引っ張っていくんだ? 下手すりゃ、空中分解するぞ」
「徹の心配はよくわかる。だけど、そんな圭太を部長に選んだのも俺たちを含めて部員全員なんだ。見守ってるしかないだろ」
 広志は、ポンポンと徹の肩を叩いた。
「そんなに心配なら、もう一年、一高生やったらどうだ?」
「冗談。俺がそこまでしなくても、俺以上にあいつを見てる奴はいるからな」
 そう言って徹は苦笑した。
 その頃圭太は、部長として三年全員のもとを訪れていた。
 順番に、というわけではないが、部長として最後の挨拶をしていた。
「先輩、卒業おめでとうございます」
「圭くん」
「晴美先輩たちとは一緒じゃないんですか?」
「うん。ついさっきまで一緒だったんだけどね」
 祥子は、穏やかに微笑んだ。
「私も、卒業だよ」
「そうですね。なんか、あっという間でした」
「でも、これは終わりって意味じゃないからね。これから先に進むための、通過点でしかないから。もちろん、そのためにはちゃんと大学に合格しなくちゃいけないけどね」
「大丈夫ですよ。先輩が落ちたら、ほかの人はみんな落ちますから」
「ふふっ、ありがと、圭くん」
 校庭を見渡せば、あちこちにいろいろな顔があった。
 泣き顔、笑顔、すまし顔。
 どれも卒業生や在校生の、その時の顔である。
 自分では作っていると思っても、実はそれが素に一番近いのも事実である。
「そうだ、圭くん」
「なんですか?」
「ひとつ、お願いがあるんだけど」
「お願いですか?」
 首を傾げる圭太。
「五日の合格発表、一緒に行ってほしいの。ひとりだといろいろ考えちゃいそうで。ダメかな?」
 上目遣いに訊ねる祥子。
「いいですよ。ほかならぬ先輩の頼みですから」
「うん、ありがと」
 途端に笑顔に戻る。
「あと一ヶ月。高校生という間に、なにができるのかな」
 祥子は快晴の空を見上げ、そう呟いた。
 
 二
 卒業式が終わり、学校内もだいぶ落ち着いてきた。
 とはいえ、すぐに授業は終わってしまう。九日には入試があるからだ。
 たいていの生徒はもうすでに春休み気分である。
 そんな三月五日。
 圭太は祥子とともに合格発表に出かけていた。
 穏やかに晴れ上がった日で、風もなく、とても暖かだった。
「圭くんは去年、ともみ先輩のにもつきあったんだよね?」
「はい。合格発表の前日に言われて、それで」
「やっぱり、側に心強い味方がいてくれるほうがいいからね」
「どこまで僕が役に立ったのかは、わかりませんけどね」
「ふふっ、圭くんひとりで、親しい人、百人分にも相当するよ」
 祥子はそう言って笑った。
 最初は普通に会話もできていたのだが、大学が近づいてくると、次第に祥子の口数が減ってきた。
 大学のキャンパスには、発表前から大勢の受験生とその父兄が集まっていた。それを遠目で見る格好で、体育会系サークルの学生が合格発表の時を待ち構えていた。
「……やっぱり、緊張するね」
「それはしょうがないですよ。でも、大丈夫です」
 圭太は、大きく頷いた。
「うん、そうだね」
 圭太の手をしっかり握り、祥子も頷いた。
 午前十一時。
 今年の合格発表がはじまった。
 特設掲示板に学部学科ごとに合格者が張り出されていく。
「…………」
 あちこちで歓声が上がる中、祥子は自分が受験した文学部英米文学科の合格者を見ている。
 もう覚えてしまった受験番号を探す。
「……あった」
 と、祥子はぽつりと漏らした。
「あった、合格、合格したよっ、圭くん」
 祥子は、圭太に抱きつきその喜びを爆発させた。
「おめでとうございます」
「うん、ありがと、ありがと、圭くん」
 うっすらと涙まで浮かべ、祥子は喜んだ。
 
 大学からの帰り道、祥子は放っておけばどこかに行ってしまうのでないかというくらい浮かれていた。
「これで祥子も四月から大学生ですね」
「うん。またともみ先輩や幸江先輩の後輩になるよ」
「そうですね」
「学部は違っても、会う機会ってあるのかな?」
「どうなんでしょうかね。僕も大学のことはよくわからないのでなんとも言えないんですけど。でも、使う教室とかによっては、会える可能性もあるかもしれませんね」
「鈴奈さんはどうだったのかな?」
「鈴奈さんの場合は、四年生だったこともあって、あまり大学自体に行ってませんでしたからね。それでもたまにともみ先輩を見かけたって言ってましたよ」
「そっか」
 ふたりは、大学からそのまま一高へ向かう。
「ねえ、圭くん」
「なんですか?」
「圭くんが春休みになってからでいいんだけど、一日私にくれないかな?」
「一日ですか? たぶん大丈夫だとは思いますけど、なにをするんですか?」
「ほら、去年のGWに一緒に行ったでしょ? あそこでまたふたりだけでのんびりしたいなって。どうかな?」
「本当に丸一日つきあえるかどうかはわかりませんけど、できるだけそうできるようにします」
 圭太は少し考え、そう答えた。
「うん、ありがと、圭くん」
 それに対して祥子は、笑顔で頷いた。
 
 三月九日。
 その日、県内の公立高校では一斉に入学試験が行われていた。
 最近の少子化の影響か、定員割れしている郡部の学校もあったが、全体としては去年とそれほど変わらない倍率だった。
 一高は定員三百二十人に対し、今年も五百人あまりが受験していた。
 その受験生の中には、琴絵の姿もあった。
 その琴絵のことを心配しているのは、もちろん圭太であった。
『桜亭』の手伝いをしながら、時計を気にしていた。
「圭太、もう少し落ち着いたらどうなの?」
 そんな圭太を、琴美が軽くたしなめる。
「あなたがそんなにせわしなくしてても、琴絵の問題は簡単にはならないし、合格だってできないのよ?」
「それはわかってるけど、どうにも落ち着かなくて」
 そう言って圭太は苦笑した。
「圭くんでもやっぱり心配なんだね」
「それは、まあ、そうですね」
「やっぱり、優しいお兄ちゃんだね」
 鈴奈はくすくすと笑う。
 その日は午前中からバイトに入っているのは鈴奈だけだった。ともみは午後から入ることになっていた。
「琴絵のことはいいとして、うちもそろそろ新しいバイトの人を探さないといけないわ」
 琴美はそう言って軽く息を吐いた。
「鈴奈ちゃんがバイトに入れるのは、来週までなのよね?」
「はい。そのあとはいろいろ準備とかしないといけないので。あと、大学の卒業式もありますし」
「となると、圭太たちが春休みの間に、決めておきたいわね。また、バイトの募集でもかけようかしら」
「あの、そのことなんですけど、ひとつ提案してもいいですか?」
「提案? なにかしら?」
「私の後任に、祥子ちゃんを推薦したいんですけど」
 そう言って鈴奈は微笑んだ。
「祥子ちゃんはこの春から大学生ですし、去年のともみちゃんみたいにできると思うんです。それに、琴美さんとしても、祥子ちゃんならなにかと安心できると思うんです」
 鈴奈は、意味深な笑みを圭太に向けた。
「確かに、祥子さんなら安心できるわね。いろいろ気が利く方だし、人材としては申し分ないわ。ただ、本人はどう思っているのかしら?」
「それは、まだ聞いてないです。合格発表が終わるまで話さない方がいいと思ったので」
「なるほど。ということは、その話はもうともみさんも知ってるわけね?」
「はい」
「圭太も?」
「まあ、一応ね」
「ということは、本当に本人に確認すれば、あとはいいということね」
 琴美はなるほどと頷いた。
「……そうね、善は急げと言うし、圭太。ちょっと祥子さんの都合を聞いてもらえないかしら。もし時間があるようなら、直接話もしたいし」
「わかった」
 圭太は、家の方に戻り、電話を取った。
 番号を押し、電話をかける。
 数度の呼び出し音のあと、相手が出た。
『はい、三ツ谷でございます』
 おっとりとした声だった。
「一高の高城と申しますが──」
『あらあら、圭太さんですか? こんにちは』
「こんにちは。あの、祥子先輩はいますか?」
『祥子さんですか? ええ、いますよ。少しだけ待ってくださいね』
 保留音に変わる。
 それもすぐに終わった。
『もしもし、圭くん?』
「すみません、突然電話なんかして」
『ううん、それは全然構わないんだけど。どうしたの?』
「あの、今日って時間ありますか?」
『それは、あるけど』
「じゃあ、うちに来てくれますか? 少し大事な話があるので」
『だ、大事な話?』
 電話口の祥子の声が、少し裏返った。
「ああ、ちょっと語弊がありそうなので一応説明しておきますけど、僕とのことじゃないですよ」
『えっ、そうなの?』
「祥子に用があるのは、母さんなので」
『琴美さん?』
「はい。詳しいことはうちに来てからということで。時間はいつでも構いませんので」
『う、うん、わかったよ。用意でき次第行くから』
「はい、待ってます」
 そこで受話器を置いた。
 圭太はすぐに店の方に戻った。
「どうだったの?」
「大丈夫だって。たぶん、そんなにしないで来てくれると思うけど」
「そう、わかったわ」
 それからしばらくして、少しだけ息の上がった祥子がやって来た。どうやら少し駆けてきたようである。
 祥子にお茶を出し、店の一番奥の席で琴美と向き合う。
「あの、今日はどんなお話が……?」
「鈴奈ちゃんが来週でバイトを辞めることは、知ってるかしら?」
「あっ、はい」
「それでね、その鈴奈ちゃんから後任として、祥子さんをという話が出たの」
「私、ですか?」
「この話は、すでにともみさんも圭太も知ってるわ。私も祥子さんなら異論はないし。あとは、祥子さんがどう思って、どうしたいかなのだけど」
 琴美は、穏やかな表情でそう言った。
「どう、ここでバイトしてみる?」
「…………」
 祥子は少し俯き、考え込んだ。
 その間、誰もなにも言わない。
 静かな時間が過ぎていく。
「琴美さん」
「うん?」
「よろしく、お願いします」
 そう言って祥子は頭を下げた。
「ええ、こちらこそよろしく」
 こうして、祥子も『桜亭』でバイトすることになった。
 
 午後になり、ともみがバイトに出てきた。そこで祥子が鈴奈の後任としてバイトに入ることが告げられた。
 当然のことながらともみはそれを喜んだ。
 三時をまわってしばらくした頃、試験を終えた琴絵が帰ってきた。
「おかえり、琴絵」
「ただいま、お兄ちゃん」
 琴絵は、憑きものが落ちたような穏やかな笑みを浮かべた。
「どうだったかは、あえて聞かないよ。結果は、来週にはわかるから」
「うん。大丈夫、きっと四月からお兄ちゃんと一緒に学校行けるから」
 そう言った琴絵の顔には、確かな自信があった。
 その日の夜は、入試が終わったことに対してのささやかなお祝いをした。
 
 三月十一日。
 その日、圭太たち金管八重奏のメンバーは、アンコン全国大会に向けて、札幌へ出発した。
 楽器は連盟によってその前日にすでに運ばれているため、意外に身軽だった。
 羽田空港まで出て、飛行機で新千歳空港へ。
 そこから電車で札幌へ入った。
 三月の札幌は、まだまだ寒かった。
 一行は、宿泊先であるホテルに向かった。
 会場である札幌コンサートホール「キタラ」は、市内の中島公園にある。
 交通の便はとてもいいため、ホテルも無理して近くに取る必要もなかった。
 とはいえ、あまり離れたところでも問題なので、市営地下鉄南北線沿いとなった。
「ホテルの部屋割りなんだけど、男子は申し訳ないんだけど、三人ひと部屋でお願いね」
 九人で、しかも男子は三人。ツインを取っても、さすがに部屋をたくさん取れる余裕もない。そのため、女子五人と菜穂子で三部屋、男子がひと部屋となった。
「ふう、もうここまで来たんだよな」
 ベッドに腰掛け、翔はそう言った。
「そうだな。本番は明日だし」
「なあ、圭太。去年はどんな感じだったんだ?」
「ん〜、特に今年と変わらなかったかな。去年は僕も含めて全員、全国ははじめてだったし。だから、なんとなくアンコンというよりも、広島観光って感じだったよ」
「なるほどな。んじゃ、今日の晩飯は、すすきのでラーメンか?」
「ははっ、その可能性はありそうだな」
 緊張感が自然と和らいでいた。
 しばし休憩をとったあと、一同は札幌の街に繰り出した。
「さて、夕食はどうしましょうか?」
 街を歩きながら話を振る。
「先生。ラーメン食いましょ、ラーメン」
「いや、北海道といえば、カニだろ?」
「そうねぇ、ここは豪勢にカニ、と言いたいどころだけど、そこまでの余裕はないし。というわけで、札幌ラーメンでも食べに行きましょうか」
 というわけで、予想通りすすきのでラーメンと相成った。
「ね、圭太」
 席が隣になった夏子が声をかけてきた。
「今年は柚紀が一緒じゃなくて、淋しい?」
「ん〜、そこまでは。って、こんなこと言うと、柚紀に怒られそうだけど」
「ふふっ、そうかもね。でも、さすがの柚紀でも、北海道までは無理だったわね」
「まあ、直前まで行くんだって粘ってたみたいだけど」
「柚紀らしいね」
 夏子も笑う。
「なにふたりだけで話してるの?」
 と、後ろの席から声がかかった。
 後ろにいるのは、美里とのり子のホルンコンビである。
「ん、内緒の話。ね、圭太?」
 夏子は、悪戯っぽい笑みを浮かべてそう言った。
「なんかあやしいわね」
「そうそう、あやしいあやしい」
「夏子も実は、圭太狙いだったとか?」
「さあ、どうかしら?」
 話がだんだんとおかしな方向に進みはじめ、圭太は苦笑した。
 とまあ、夕食はわいわいと楽しく進んだ。
 そして、本番を迎える。
 
 三月十二日。
 朝から少し曇りがちで、寒い日だった。
 圭太たちは早めにホテルを出て、会場に向かった。
 会場前には、大勢の参加者、観客がいた。
 圭太たちも参加受付を済ませ、楽器を受け取った。
 控え室に入ると、緊張感が急に増した。
 自分たちが緊張していなくとも、まわりが緊張しているからである。
「とにかく、普段の演奏を心がければ大丈夫よ。決して気負わないで。あなたたちががんばってたのは、私が一番知ってるから」
 菜穂子は、そう言って八人を送り出した。
 チューニング室に入ると、圭太がひとつの提案をした。
「みんな緊張してると思うから、ここでちょっと声でも出したらどうかな。大声でも出せば、ちょっと落ち着くと思うし」
 みんなはそれを聞いて、なるほどと頷いた。
 とはいえ、いざ声を出そうと思ってもなかなか出ない。
 それでも多少は声を出すと、緊張感も薄らいできた。
 圭太の作戦は、成功した。
 時間が来て、ステージに上がった。
 アナウンスが入り、圭太も気持ちを落ち着ける。
 一度みんなを見回し、大きく頷いた。
 圭太が構えると、みんなも構える。
 そして、泣いても笑っても、最後の五分間がはじまった。
 
『それでは、これより閉会式を行います。まず最初に、本日の演奏についての講評をお願いしたいと思います』
 一日目の閉会式がはじまった。
 ホール内には、参加者たちが自分たちの結果を知ろうと、固唾を呑んで待っていた。
 講評では、今年も去年同様、レベルが高かったということだった。
『それでは続きまして、審査結果を発表します』
 審査結果が発表されていく。
 結果に一喜一憂する。
『──県立第一高等学校、金管八重奏、金賞』
 
「おめでとう、みんな。がんばった結果が、この最高の結果をもたらしたわ。もう今日の演奏には私もなにも言うことはないわ。完璧だった。本当に、おめでとう」
 菜穂子も興奮した表情で言葉をかける。
 今年もレベルの高かった全国大会で、一高は見事に金賞を取った。
 これはもちろん、一高吹奏楽部史上初の快挙である。
「さあ、今日は私のおごりよ。パーッといきましょう」
『はいっ』
 圭太たちは、最高の笑顔で札幌の街に繰り出した。
 
 次の日。
 前日の余韻が残る中、圭太たちは札幌を発った。
 さすがに帰りの飛行機や電車では、ほとんどみんな、眠っていたが。
 地元へ到着すると、駅で解散となった。
 圭太は、バスで家に帰った。
「ただいま」
「おかえりなさい、お兄ちゃんっ」
「おかえり、圭兄っ」
 玄関を開けると、琴絵と朱美がバタバタと駆けてきた。
「ふたりともどうしたんだい、そんなに慌てて?」
「慌ててなんかないけど。ただ、早くお兄ちゃんにお祝いを言いたかっただけ」
「そうそう。応援に行けなかった代わりに、せめてね」
「なるほどね」
 圭太はなるほどと頷いた。
「ほらほら、お兄ちゃん。そんなところにいつまでもいないで」
「お祝いだよ、お祝い」
 ふたりは圭太をリビングに引っ張っていく。
 すると、リビングには結果を聞きつけて来た、いつものメンバーが揃っていた。
「なんだか、大事になってる気がする」
 圭太はリビングを見回し、苦笑した。
「なに言ってるのよ、全国で金賞取ったんだから、お祝いくらいしないでどうするのよ」
「そうそう。なんたって、一高吹奏楽部史上、初の快挙だからね。これでまた部員が増えるわ」
 柚紀とともみは、揃ってそんなことを言う。
「お待たせ、お茶とお菓子を持ってきたわよ」
 鈴奈と祥子がお茶やお菓子を持ってきた。
 そんなわけで、早速全国金賞祝勝会。
「では、僭越ながら進行は私、笹峰柚紀がつとめさせていただきます。ええ、まず、見事アンサンブルコンテスト全国大会金賞を受賞した、高城圭太くんにお言葉をいただきたいと思います」
 ずいぶんと芝居がかった口調で柚紀は進めた。
「お言葉だなんて大げさなものはなにもないですけど、とにかく、全国大会で最高の演奏ができたのが一番嬉しかったです。最高のメンバーに出会え、最高の演奏ができ、これ以上なにもいらない、そんな感じでした。結果的に全国で金賞も取れました。だけど、これは僕たちメンバーだけの力でないことも十分わかっています。指導してくれた先生、いろいろ意見を言ってくれたほかの部員たち。多くの人のおかげで取れた金賞だと思います。あと、僕個人的にはここにいるみなさんのおかげだとも思ってます。本当にありがとうございました」
 圭太は深々と頭を下げた。同時に拍手が起こる。
「では、早速乾杯といきましょう。みなさん、飲み物は行き渡っていますか? それでは全国大会金賞受賞を祝って……乾杯っ!」
『かんぱ〜いっ!』
 ささやか、とも言えない宴がはじまった。
「圭太、ホントにおめでと」
「ありがとう、柚紀」
「昨日も電話で聞いたけど、昨日の演奏って聴けるんだよね?」
「うん、録音してあるのをあとで送ってもらえるはずだから」
「ホント、反対を押し切ってでも応援に行けばよかったなぁ。昨日は結構騒いだんでしょ?」
「まあね。先生がおごってくれて、みんなで騒いだよ」
「そっか。ああ、ホント、惜しいなぁ」
 柚紀はしきりにそれを言う。
「ほらほら、柚紀だけで圭太を独占しないの。今日は、みんなで独占するんだから」
 そこへ、ともみが割り込んでくる。
 後ろには、苦笑している祥子の姿がある。
「にしても、ホントに圭太はどこまでもすごいことを成し遂げちゃうのよね」
「そうですね。三中時代にソロコンで全国銀賞、一高に入って現在まで二年連続コンクール金賞、そして今年はアンコンで金賞。こんな高校生、ほかにはいませんよ」
 ともみも祥子も圭太をはやし立てる。
「紗絵っ」
「は、はい。なんですか?」
 いきなり声をかけられ、目を白黒させる紗絵。
「これで春の新一年は問題ないわ。今年も圭太のおかげで二十人の大台は固い」
「は、はあ……」
「なに気のない返事してるのよ。圭太の次の部長は間違いなく紗絵なんだから、部員の数とかは気にしてなくちゃ」
「そ、そうですね」
 ともみの迫力に圧され、たじたじの紗絵。
「こら、ともみ。後輩に無理矢理なにを言ってるのよ」
 そんなともみを幸江が軽くたしなめる。
「いやいやいや、これは結構重要なのよ。部長にとって、新入部員がどれくらい入るかは、それから先の部活の流れを見極めるためにも重要だし。圭太もわかるでしょ?」
「それはそうですね」
「去年まで二十人入ってたのに、今年になったら十人くらいしか入らない。なにが問題だって気になるし。そういう点でも、今回の全国金賞は宣伝文句に効果絶大よ。で、あとは圭太が陣頭に立って勧誘活動すれば万事オーケー」
 ともみは鼻息も荒く、そんなことを言う。
 幸江だけでなく、祥子や紗絵も多少圧され気味である。
「ねえねえ、圭兄。演奏のことはだいたいわかったからいいけど、札幌はどうだった? ラーメンとかカニとか食べたの?」
 と、話が途切れたところで朱美がすかさず次の話題を振ってきた。
「一応両方食べたよ」
「ホントに? いいな〜、私も食べたかったな〜」
「行った日の夜に、すすきので札幌ラーメンを食べて、カニは昨日の夜。どっちも美味しかったよ」
「ううぅ〜、話を聞くとますます食べたくなっちゃう」
「ははは、朱美らしいよ」
「札幌自体はどうでしたか?」
 すっかり食べ物のことで頭がいっぱいになってる朱美の代わりに、詩織が先を促す。
「寒かったけど、とってもいい街だったよ。計画的に街作りが進められたから、わかりやすいし」
「雪とかは残ってなかったんですか?」
「山の方にはまだあったけど、さすがに街中にはなかったかな。もっとも、住宅街とか郊外に行けばあったのかもしれないけどね」
「やっぱり北海道ですね」
 詩織は妙な感心をする。
「僕としては来年もまた誰かが、少なくとも関東大会くらいにまで出てほしんだけどね」
 圭太は、そう言って後輩たちを見る。
「それはそうね。ほぼ万年県大会止まりだったうちの高校を、二年連続で全国大会まで進出させたんだから、そのあとも気になるわよね」
「その役目は、新二年生の紗絵ちゃんたちの役目だね」
「あと、期待の超新星、琴絵ちゃんもね」
 一年トリオと琴絵は、顔を見合わせた。
「特に紗絵ちゃんにはそういう期待がかかってくるから」
「なんたって、圭太の後継者だからね」
「えっと……」
「まあまあ、紗絵たちもそんなに深く考えないで。アンコンはコンクールみたいにシードがあるわけでもないし、なかなか難しいよ。ただ、出るからには全力を尽くす必要はあるだろうけどね」
「……先輩、微妙にプレッシャーをかけてませんか?」
「ははっ、紗絵には少しくらいプレッシャーをかけた方がいい結果を残すからね」
「せんぱ〜い」
 笑いが起きた。
「まあ、なんにせよ、先輩である僕たちにできることはもうないよ。アンコンの頃には完全に引退してるし。もちろん、アドバイスくらいはできるけどね。気負わずに、できる範囲でがんばれば、結果はついてくるだろうし。なんてね、結構無責任な言い分だね」
 そう言って圭太は笑った。
「というわけで、僕の役目は終わりでいいですか?」
「ま、そんなところでしょ。ね、祥子?」
「そうですね。圭くんひとりに全部任せるのもどうかと思いますし」
 祝勝会は、いつの間にか後輩激励会に変わっていた。
「というわけで、後輩諸君。これからも偉大な先輩を目標に、がんばるよう」
『はい』
 また、笑いが起きた。
 
 三
 三月十四日。
 ホワイトデーである。もともとそのような日はなかったのだが、ヴァレンタインのお返しをする意味を込めて、いつの間にかできていた。
 圭太は朝から台所で準備をしていた。
 材料を見ると、今年もお菓子を作るようである。去年はそのお菓子を見て柚紀が、『反則』とのたまったほどである。
 しかし、それも手際のよさ、出来栄えのよさを見れば頷けてしまう。
「……よし、こんなところかな」
 できあがりを見て、圭太は満足そうに頷いた。
 それぞれを小分けし、綺麗にラッピングする。あとはそれにメッセージカードを添えて準備完了である。
 そんなわけで、早速朝食時にそれを渡す。
「これは、ヴァレンタインのお返しだよ。これが琴絵。これが朱美。これが母さん」
「ありがとう、お兄ちゃん」
「圭兄、ありがと」
「いつものことながら、女の子泣かせの出来栄えね」
 三人それぞれにそれを喜んだ。
 午前中は部活である。
 圭太は、個別に作ったお返しとは別に、大量のお返しを持っていた。
 それはもちろん、圭太にチョコをくれた子へのお返しである。
「はあ、毎年これを見せつけられるのかと思うと、気が重い」
 柚紀は、圭太からお返しをもらい、ため息をついた。
「やっぱり、圭太は反則。というか、手作りで返すの、絶対反則」
「そんなこと言われても、なにかを買ってお返しすると、お金もかかるし。こうやって自分で作るのが一番いいんだよ」
「まあ、それはそうかもしれないけど。でも、反則〜」
 そう言われ、圭太は苦笑するしかなかった。
 学校に着くと、音楽室を開け、練習の準備をする。
 その合間に、チョコをくれた女子にはお返しも忘れない。
 この律儀さが圭太のいいところでもあるのだが、彼女の柚紀としてはやはり面白くないところもある。それは、お返しをもらった女子がとてもいい顔でそれを受け取るからである。それ以上なにかがあるわけでもないのだが、やはり面白くない。
「はい、紗絵。ヴァレンタインのお返しだよ」
「あっ、ありがとうございます、先輩」
 かえって、紗絵や詩織など、関係がはっきりしてる女子に返す方が安心して見ていられるほどであった。
「これは、詩織に」
「ありがとうございます」
 多少浮ついたところがありながら、部活がはじまった。
 まず、最初にアンコンの結果が報告された。
「今年の金管は、本当に素晴らしい演奏をしてくれたわ。みんなも八人に負けないようにがんばって」
 菜穂子からも簡単に言葉をもらった。
「じゃあ、今日の練習は個人練とパー練で。あと、明日はコンサートの曲決めを行うから、もし参考になるようなCDとかを持っていれば、それを持ってきて。それじゃあ、練習開始」
 練習がはじまっても、アンコンのことは話題になった。
 アンコンに出場した八人のところには誰かしらがやってきては、その様子を聞いていた。
 そんな中、圭太は綾と紗絵と一緒に菜穂子の元を訪れていた。
「さて、アンコンも終わって本格的に次に向けて動き出すわけだけど、まずはコンサートよね」
 三人にも椅子を勧め、菜穂子はそう切り出した。
「曲は、明日決めるのよね」
「はい。とりあえず、一部と三部の曲だけでも決めます。楽譜の手配とかもありますから」
「そうね。まあ、圭太や綾は去年のことも知ってるから心配ないわね。あまり難しくならない程度に決めてくれればいいわ」
「わかりました」
「で、それが終わると、今度はコンクールの課題曲を決めないといけないわね」
「今年の曲はどんな感じなんですか?」
「まあ、例年通りという感じね。個人的には、いつもやってるAよりも今年はBとかCの方がいい曲に聞こえたけど」
「課題曲の方は、春休みに入ってからですよね?」
「ええ、それくらいにならないと楽譜が届かないから」
 課題曲の楽譜は、参加しようと思っている学校や団体が、それぞれに頼むのである。それが届いてから実際に四から五曲の中から演奏する曲を決める。どれをやらなくちゃいけないというのはなく、自分たちの実力なども加味して決める。
「それで、これからの練習方針だけど、圭太とは今までも結構意見をすりあわせてきたから問題はないと思うけど、綾と紗絵のふたりにもこれからは相応のことをしてもらおうと思って」
「なにをするんですか?」
「具体的には、今の一年、まあ、新二年と言い換えてもいいけど、とにかく、まだまだ全然レベルが追いついてない部員の底上げを徹底してもらいたいの」
「あたしたちがですか?」
「そうよ。綾には木管の、紗絵には金管の方を任せるわ。今まではその役を圭太にやってもらっていたけど、さすがに圭太の負担が大きくなりすぎるから」
「圭太は代わりになにをするんですか?」
「もちろん、新入生の指導よ。わかるでしょ? 右も左もわからないような新入生の指導をしながら、今の部員の指導、両方なんて無理なのは」
「確かにそうですね」
「というわけだから、ふたりにはそっちの方でがんばってほしいの。もちろん、指導の際には各パートのリーダーとも連携してね」
「わかりました」
 綾も紗絵も頷く。
「圭太もそれでいいわね?」
「はい、構いません」
 圭太も頷く。
「あとは、あさっての合格発表を待って、今年はどれだけ部員が入ってくるかね」
「今年も二十人の大台はクリアしたいですね」
「そうね。コンスタントにそれくらいいると、いろいろできていいわね」
「大丈夫ですよ。今年も圭太を前面に押し出して勧誘活動すればいいんです。それに、今年は部活紹介に圭太が出るじゃないですか。それってきっとかなりの影響があると思いますよ」
「確かに、それは言えてるわね。圭太には部長として、まだまだがんばってもらわないとね」
 
 部活が終わり、家に帰ると、『桜亭』では新しくバイトに入る祥子の簡単な研修が行われていた。
「だいたいは言った通りだけど、あとは実際にやっていけばわかると思うから」
「はい、わかりました」
「期間は短いけど、鈴奈ちゃんの様子を見てるのが一番の近道かもね」
「確かにそうですね」
 祥子はなるほどと頷いた。
「あと、わからないことは私だけじゃなくともみさんや圭太、琴絵に聞いてもいいから。たいていのことは答えられるだろうし」
「はい、できるだけ早めに誰かに聞くようにします」
「あとは……特にないわね。まあ、うちは半分道楽でやってるようなものだから、あまり気負わないでやってもらえればいいわ」
「はい」
 指導が終わると、祥子の出番は終わりである。実際バイトに入るのは、週明けからである。
「おつかれさまです」
「おつかれさま、と言われるほどはやってないよ」
 祥子はそう言って苦笑した。
「でも、パッと見た感じだと、特に問題はなさそうでしたね」
「う〜ん、そうかな? まだ実際にやったわけじゃないから、なんとも言えないけど。ただ、いつも鈴奈さんやともみ先輩の様子を見てるから、多少は安心かな」
「確かにそうですね」
「あとは、なにかあっても圭くんがいてくれるから」
 少しだけ熱っぽい視線でそう言う。
「お兄ちゃ〜ん」
 と、そこへ二階から琴絵が下りてきた。
「ん、どうしたんだ?」
「ちょっとだけお願いがあるんだけど、いいかな?」
「お願い? 中身にもよるけど」
「先輩。ちょっとだけお兄ちゃんを借りますね」
「うん」
 琴絵は、圭太を引っ張ってリビングを出た。
「それで、お願いって?」
「明日、私、卒業式でしょ?」
「そうだな」
「それでね、もう中学校の制服もほとんど着ないと思うんだ」
「確かに」
「それでね、お兄ちゃんにお願いっていうのは……」
 琴絵は圭太の耳元で何事かささやく。
 それを聞いた圭太は、あからさまに顔をしかめた。
「……それ、本当にしなくちゃいけないのか?」
「ダメ? 最後の想い出になると思うんだけど」
「そう言われると、むげには断れないけど」
「じゃあ、いいの?」
「しょうがない。特別に」
「あはっ、ありがと、お兄ちゃん。だから大好きっ」
 満面の笑みを浮かべ、琴絵は圭太にキスをした。
 それに対して圭太は、苦笑するしかなかった。
「お兄ちゃん、約束だからね」
「わかったよ」
 念を押し、琴絵は部屋に戻った。
「ふふっ、なにをお願いされてたの?」
 リビングに戻ると、祥子が好奇心に満ちた笑みを浮かべていた。
「いや、まあ、たいしたことじゃないんです。琴絵は琴絵ということで」
「そう言いながら、なかなか断れないんでしょ?」
「それはそうなんですけどね。とはいえ、中学最後のワガママだと思えば、自分の中でも納得できますから」
「なるほど、そういうことか。じゃあ、私も高校最後の『ワガママ』でも言おうかな」
「せ、先輩までそういうこと言うんですか?」
「だって、琴絵ちゃんの言うことは聞けて、私の言うことは聞けないってことはないでしょ?」
「それは、そうかもしれませんけど……」
「なんてね、たまには私もそういうこと言ってみたかっただけ。気にしないでいいよ」
 そう言って祥子は笑った。
「圭くんはいつも私のワガママ聞いてくれてるからね。これ以上ワガママ言ったら、圭くんの側にいられなくなっちゃうかもしれないから」
「そんなことはありませんよ」
「圭くんはいつもそう言ってくれるけどね。でもね、柚紀や琴絵ちゃん以外はいつもそんな不安を抱いてると思うんだ」
 その言葉に対して、圭太はなにも言えなかった。
 言うこと自体は簡単だっただろう。しかし、それはやはり口だけである。そうなると決まったわけでもないし、ましてや保証などない。
 だからこそなにも言わなかったのだ。
「ただね、圭くん。そういう不安を抱いていても、いつも圭くんが一緒にいてくれれば、そういうのも薄らぐし、ひょっとしたら忘れられるかもしれないから。だから、私たちはずっと圭くんの側にいたいの」
 穏やかな表情で、でも、ありったけの想いを込めて言う。
「こら、祥子。なにをひとりで圭太を『虜』にしようとしてるの」
 そこへ、店の方からともみが戻ってきた。
「ともみ先輩。言いがかりはやめてくださいよ。別に私はそんなことしてません」
「確かに、祥子はそう思ってないかもしれない。でもね、祥子がそれを言うと、そういうことになりかねないのよ。ただでさえ圭太からひいきされてるのに」
「……別にひいきなんてしてませんけど」
 圭太が小声で反論する。
「圭太は黙ってて」
「はい……」
「とにかく、祥子はもう少し自分が圭太に認められてるって自覚すること」
「自覚したら、なにかあるんですか?」
「ないわよ。自覚したって、それをいい方向へ向けない限り、意味ないし」
「だったら、今のままでもいいんじゃないですか?」
「今までならね。だけど、これからは祥子も『桜亭』で働くわけだし、より圭太に近い場所にいることになるでしょ。となると、今までとは少し変わってくるのよ」
「……よく、わかりません」
「別に今すぐわかれとは言わないわ。ただ、少しずつわかってくれればいいから」
 そこでともみも表情を和らげた。
「これでも一応、祥子のためを思って言ってるんだから、少しは考えてみてよ」
「……わかりました」
 祥子は、渋々頷いた。
 その日の夕方。
 圭太は、祥子を家まで送っていた。
「ねえ、圭くん。先輩、どうして私にあんなこと言ったんだと思う?」
「そうですね、たぶんですけど、ともみ先輩なりの警告だったのかもしれませんね」
「警告? なにに対する?」
「僕に依存しすぎないように、ということだと思います。さっきの祥子の言い方だと、まるで僕がいなければなにもできないみたいに聞こえるんですよ。心情的にはそういうところはあるのかもしれませんけど、実生活でそういうわけにはいかないじゃないですか。だから、ともみ先輩もあえて苦言を呈したんだと思います」
「そっか……」
 祥子はなんとも言えない表情を浮かべた。
「ダメだね、私。全然わかってないから」
「そんなことないですよ。誰だって最初からはわかりません。それを今回わかっただけでも、よかったんじゃないですか?」
「……うん、そうだね」
 圭太は優しく声をかけ、祥子を励ます。
「よし、私ももっといろいろ考えて、圭くんや先輩に迷惑かけないようにがんばらないとね」
「その意気ですよ」
「ありがとね、圭くん」
「いえ、僕はなにもしてませんよ」
 圭太は小さく頭を振った。
 とはいえ、その顔はとても嬉しそうだった。
 
 三月十六日。
 朝方まで降っていた雨も上がり、通勤時間帯にはすっかり綺麗に晴れ上がった。
 一高では朝から校庭の片隅で仮設掲示板が設置されていた。
 その日は今年度高校入試の合格発表の日である。
 その日、学校に来る生徒は結構多い。特に運動部は大学と同じように合格者を囲んで胴上げしようと待ち構える。
 圭太たち吹奏楽部も当然のごとく集まっていた。
 トランペットとトロンボーンの八人は、ファンファーレを吹くのである。
 例年なら部長がその合図を出すのだが、あいにくと部長は圭太である。従って、今年は副部長の綾が合図を出すことになった。
 圭太たちは掲示板の真上になる教室でその時を待っている。
 掲示板の前には、受験生や父兄が大勢集まっていた。その少し離れたところには野次馬の生徒もいる。
 午後一時の発表を前に、緊張感も高まってきた。
「先輩。琴絵はもう来てるんですか?」
「たぶん来てると思うけど」
 圭太と紗絵は、窓から身を乗り出し、琴絵の姿を探す。
 しかし、すぐには見つからない。
 と、職員玄関の近くがざわめいた。
 入試担当の事務員が大きな模造紙を抱え、掲示板の前へ来た。
 それを掲示板に貼る瞬間、校庭にファンファーレが鳴り響いた。
 なにも知らない受験生は一様に驚いているが、在校生はそれをはやし立てている。
 しかし、驚きもすぐに収まり、今度はそれが歓喜の声に変わる。
 掲示板の前では、様々な姿があった。
 合格し、同じ学校の友達と喜びを分かち合う者。
 不合格だったのか、悔し涙を流す者。
 悲喜こもごも、様々な姿があった。
 そんな中、圭太は紗絵と一緒に校庭まで出てきた。
「おつかれ、圭太、紗絵」
「タイミング、どうだった?」
「もう完璧。これ以上ないってくらいだったわよ」
「そっか、それはよかった」
「にしても、もうこの時期が来たのよね」
 様々な表情を見ながら、綾はしみじみと言った。
「そうだね。本当にあっという間だよ」
「で、話はいきなり変わるんだけど、圭太の妹さんは?」
「ん〜、この中にいるとは思うんだけど」
「あっ、先輩。あれじゃないですか?」
 紗絵が指さした先に、同じ制服を着た集団、とは呼べないかもしれないが一団がいた。
「ああ、確かに三中だね、あれは」
「気づきますかね?」
「さあ、どうだろう?」
 騒然としている校庭である。声を出さなければなかなか気づかないだろう。
「圭太が念でも送ってみたら? 気づくかもよ?」
 綾は笑ってそう言う。
「いいよ、僕が呼んでくるから」
 圭太は言うや否や、集団の中へ。
 柔道部やラグビー部が男子の合格者を胴上げしている。
 その姿を横目に、圭太は三中の面々がいるところへ。
「琴絵」
 声をかけると、琴絵は弾かれたように振り返った。
「あっ、お兄ちゃん」
 圭太の出現に、女子たちは色めきだつ。
「どうだった?」
「もっちろん、合格だよっ!」
 そう言って琴絵は圭太に抱きついた。
「おいおい……」
 まわりがはやし立てる中、琴絵は嬉しそうに抱きついている。
「ちょっとだけ琴絵を借りるよ?」
「ええ、ど〜ぞど〜ぞ」
 圭太はそのまま琴絵を連れて紗絵たちのところへ戻ってくる。
「……まったく、琴絵は」
 戻ると、紗絵がやれやれと肩をすくめていた。
「その子が妹さんね」
「ほら、琴絵。挨拶」
「あっ、うん。えっと、高城琴絵です。よろしくお願いします」
「あたしは北条綾。一応副部長やってるからよろしくね」
「はい、よろしくお願いします」
「琴絵は三中でクラだったから、綾の直接の後輩になるよ」
「そうなの? う〜ん、それは実に心強い。三中出身者はホントに即戦力だからね。去年も遥がすぐに戦力になってくれたし」
「できないところとかあったら、厳しくやっていいから」
「お、お兄ちゃん……」
「了解了解。ビシビシいくわよ」
 そう言って綾は笑った。
「じゃ、じゃあ、私は学校に行かなくちゃいけないから、戻るね」
「ああ。気をつけてな」
「うん」
 旗色が悪くなり、琴絵はそそくさと戻っていった。
「ホント、カワイイ妹さんね」
「ここで僕がなにか言うと、いろいろ言われそうだから、なにも言わないよ」
「あはは、別になにも言わないわよ。ねえ、紗絵?」
「え、えっと……」
「だって、圭太が『シスコン』だってのは、柚紀に聞いて知ってるから」
「……なるほど」
「とはいえ、うちの部にとって、高城兄妹は実に大きい存在になるのは間違いないわね」
「そうですね」
 紗絵も頷く。
「さてと、そろそろ音楽室に戻ろう。これから練習だから」
「そうね。戻りましょ」
 まだまだ興奮冷めやらぬ校庭をもう一度だけ見て、圭太たちは音楽室へ戻った。
 
 その日の夜。
 高城家では琴絵の合格を祝ってささやかな祝宴が催されていた。
 参加者は、圭太、琴美、朱美に加え、鈴奈とともみである。
「これで琴絵も四月から高校生ね」
「うん」
「どんな高校生になるのかしら?」
「う〜ん、勉強と部活にがんばる高校生?」
「どうして疑問系なの?」
「だって、まだ実感が湧かないんだもん。それに、私はまだ中学生だし」
 そう言って琴絵は頬を膨らませた。
「まったく、ああ言えばこう言うんだから」
 琴美はやれやれとため息をついた。
「でも、琴美さんもこれでひと安心ですね。圭くんも琴絵ちゃんも一高で」
「それはね。ただ、その安心が卒業まで続けば、さらに安心だけどね」
 フォローした鈴奈の言葉も、琴美は苦言に変えてしまった。
「そうだ。琴絵ちゃんの目標は? 確か、お正月には合格しないとほかの目標も決められないって言ってたけど」
 と、朱美が次なるフォローを入れた。
「とりあえず、部活に入ってコンクールに出ることかな」
「へえ、それが目標なんだ。でも、確かに一年は全員がコンクールに出られるわけじゃないから、目標にするにはいいかもね」
 ともみも頷く。
「だとしたら、早くブランクを取り戻さないとダメだな」
「うん、わかってるよ。これから入学するまでに、少しでも今までに戻るように練習するから」
「それがわかってるなら、きっとメンバーになれるわよ。ね、圭太?」
「一応、そうですねと言っておきます」
「あらら、厳しいお兄ちゃんだこと」
 そう言ってともみは笑った。
 とまあ、いろいろ言われ、言ってはいたが、それ自体はとても楽しい、明るい中で行われた。
 その日の夜遅く。
「お兄ちゃん、いいかな?」
 琴絵は圭太の部屋を訪れた。
「開いてるから入ってきな」
「うん」
 言われ、部屋に入ってきた琴絵の姿は──
「……本当にそれなんだな」
 圭太が思わずそう言う格好だった。
「だって、約束したでしょ? この制服姿でエッチしてくれるって」
 琴絵は、三中の制服を着ていた。
「言ったけど、なんか、今になって後悔してる」
「後悔したって今更取り消せないからね」
 そう言って琴絵は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「それに、エッチするっていうのは、合格した時の約束でもあるんだからね」
「わかってるよ。だからこそこういうことを認めたんだから」
 圭太は嘆息混じりにそう言った。
「うんうん。なんだかんだ言っても、ちゃんと認めてくれるお兄ちゃんが大好きだよ。というわけで、ほらほら、お兄ちゃん」
 琴絵は圭太をベッドに引っ張る。
「お兄ちゃん……」
 琴絵からキスをねだる。
「ん……あ……」
 圭太は琴絵にキスしながら、髪を撫でる。
「おにい、ん、んちゅ……あふ……」
 舌を絡める。
「んん、ぁ、ん……はあ、はあ……」
 息を継ぐのも忘れ、唇をむさぼる。
「キス、気持ちいいね、お兄ちゃん……」
 ポーッとした感じで琴絵は言う。
 すでに正常に頭が働いていないのかもしれない。
「お兄ちゃん……」
 圭太はもう一度キスをし、まずはブレザーを脱がせた。
「ねえ、お兄ちゃん」
「ん?」
「制服、全部脱がさないで」
「なんでだ?」
「その方が、エッチっぽいから」
 艶っぽく微笑む琴絵。
 ネクタイを外し、ブラウスのボタンを外す。
 はだけたブラウスの下から、薄いピンクのブラジャーがあらわになる。
 圭太は、ブラジャー越しに胸を揉む。
「ん、あん……」
 やわやわと胸を揉むと、琴絵は敏感に反応した。
「ん、お兄ちゃん……」
 ブラジャーをたくし上げ、今度は直接触れる。
 わずかに凝ってきている先端の突起を、指で弾く。
「んあっ」
 琴絵は、それだけで体をのけぞらせた。
 指でいじりながら、空いているもう片方を舌で舐める。
「あんっ、気持ちいいよぉ」
 圭太は、舌で舐めたり口に含んだりして琴絵を感じさせようとする。
 兄が妹の胸を吸っている姿は、どこかおかしな感じだった。
「お兄ちゃん、私もお兄ちゃんの、気持ちよくする……」
 そう言って琴絵は圭太をベッドに寝かせた。
 ズボンとトランクスを脱がせ、モノをあらわにする。
「じゃあ、僕もこうするよ」
「やんっ」
 圭太は琴絵の体を自分の上にまたがらせた。スカートをめくり、ショーツをあらわにする。
「うむむ、負けないから」
 琴絵は、負けじと圭太のモノに口を付けた。
「ん……」
 圭太もそれに敏感に反応した。
 圭太は、ショーツの上から秘所を擦る。
「ん、あ、んんっ」
 感じる方が勝っているのか、琴絵はモノから口を離した。
 ショーツが湿ってきたところで、秘所の部分をずらす。
 あらわになった秘所に、圭太はまず、指を入れた。
「んあっ、ダメっ」
 いきなり指を入れられ、琴絵はかなり敏感に反応した。
「あっ、んんっ、お兄ちゃんっ」
 少し速く指を出し入れすると、もはやモノを舐める余裕もない。
「お、お兄ちゃんばかり、ずるいよぉ」
 それでもなんとか気を取り戻し、モノを口に含む。
「ん、あ、は……んちゅ……」
 一心不乱にモノを舐める。
 固くなったモノが、琴絵の口を出入りする様は、とても淫靡だった。
「んむ……んん……」
 琴絵のために少しじっとしていた圭太だが、だいぶ気持ちよくなってきたところで、再開する。
「や、はあん、んっ、あんっ」
 指で最も敏感な部分に触れながら、舌で秘所を舐める。
「そ、そんなにされるとっ、イっちゃうよぉっ」
 止めどなくあふれてくる蜜で、圭太の口元はびしょびしょである。
「んんっ、ああっ、お兄ちゃんっ」
 舌先をとがらせ、中に挿れる。
 ざらっとした感触が、余計に琴絵を感じさせる。
「ダメっ、お兄ちゃんっ、んんんっ!」
 琴絵は、それだけで軽く達してしまった。
「ん、はあ、はあ、も、もう、お兄ちゃんのいぢわる……」
 上気した顔で、琴絵は頬を膨らませた。
「こうなったら、意地でもお兄ちゃんをイかせるんだから」
 琴絵は、再び圭太のモノを舐めた。
 最も敏感な部分に舌をはわせる。
「んっ……」
 圭太も思わず腰を引いてしまう。
「お兄ちゃん、我慢しないで」
 琴絵も早く早くと促す。
「ん……む……」
「うっ……」
「んっ!」
 と、それが功を奏したのか、圭太は琴絵の口内に白濁液を放っていた。
「ん……」
 琴絵はそれをすべて受け止め、少しずつ飲み下す。
「ん、はあ……お兄ちゃん、いっぱい出たね」
「あ、ああ、すごく気持ちよかったから……」
「よかった……」
 琴絵は嬉しそうに微笑んだ。
「でも、まだ終わりじゃないよ」
 スカートのポケットからコンドームを取り出し、圭太のモノにつける。
「お兄ちゃん、お願い……」
 そこまでして、やはりイニシアチブは圭太に取ってほしいらしい。
「じゃあ、琴絵、そのままで」
 圭太は体を起こし、まずは琴絵のショーツを脱がす。
「いくぞ?」
「うん……」
 圭太は、後ろから琴絵を貫いた。
「んあっ」
 深いところを突かれ、琴絵は嬌声を上げた。
「ああ、お兄ちゃん、深いよぉ……」
 圭太は琴絵の腰をつかみ、腰を動かした。
「あっ、んんっ、あんっ、んあっ」
 半脱ぎの制服姿で琴絵は乱れる。
「お兄ちゃんっ、お兄ちゃんっ」
 シーツをつかみ、快感に耐える。
「んあっ、あんっ、んんっ、あっ、あっ」
 乾いた音と湿った音が部屋に響く。
「お兄ちゃんっ、私っ、ダメっ」
「琴絵っ」
「はあんっ、んんっ、ああっ、お兄ちゃんっ、ああああっ!」
 琴絵が達すると、琴絵の中もキュッと締まる。それが圭太により大きな快感を与えた。
「くっ、琴絵っ!」
 そして、圭太も絶頂を迎えた。
「ん、はあ、はあ、お兄ちゃん……」
「はぁ、はぁ……」
 琴絵の方に倒れ込んだ圭太は、琴絵の髪を掻き上げ、キスをした。
 
 あれから、圭太の顔を見ながら抱かれたいと駄々をこねた琴絵につきあい、さらに二度ほど抱き合い、ようやくひと息ついていた。
「うにゅ、お兄ちゃん……」
「ん?」
「今日も、すっごく気持ちよかったよ」
 圭太の胸にすり寄り、琴絵は嬉しそうに微笑んだ。
 すでに琴絵も制服を脱いでいる。今は、ふたりとも裸である。
「ね、お兄ちゃん」
「ん、なんだ?」
「お兄ちゃんは、柚紀さんと一緒になったあと、ほかのみんなとはどんな風につきあっていくつもりなの?」
「まだ、ちゃんと決めてはいないよ」
「でも、だいたいは決まってるんでしょ?」
「僕より年上の人のことはね」
「じゃあ、鈴奈さんも?」
「鈴奈さんは、琴絵にとっても『お姉ちゃん』みたいな存在だろ?」
「うん、そうだね。というより、本当に『お姉ちゃん』だったら、嬉しいな」
「僕にとってもそんな存在だから」
「そっか。でも、ともみ先輩や祥子先輩、幸江先輩だって年上だよ?」
「ともみ先輩と幸江先輩は、鈴奈さんとはちょっと違うけど、まあ、『お姉さん』的存在であることに変わりないよ。だから、これからもそんな風につきあっていくんじゃないかな。ただ、祥子先輩だけはそういう風には見られないから」
「どうして?」
「これは琴絵に言ってもわかるかどうかわからないけど、祥子先輩は見ていて『守ってあげなくちゃ』とか思わせる存在なんだよ。年上は年上なんだけど、こう、カワイイ存在って感じかな」
 圭太は、少し照れながらそう言う。
「なるほど。なんとなくはわかるよ。だからだね、お兄ちゃんが祥子先輩をひいきしてるのは」
「別に、特別ひいきしてるつもりはないけど、結果的にはそう見えてもおかしくはないかも」
「柚紀さんも大変だなぁ。祥子先輩、綺麗だしなんでもできるし、すっごい『ライバル』だよ」
「それは、前に柚紀にも言われたよ。ただ、どうやっても僕の中で柚紀が一番というのは変わらないから」
「それが変わっちゃったら、意味ないよ。というか、そんなお兄ちゃん、私は嫌いだよ」
「わかってるよ」
 圭太は、琴絵の頭を撫でた。
「じゃあ、お兄ちゃんより年下の、朱美ちゃんとかは?」
「そこが一番難しいんだ」
「どうして?」
「ほら、年下ってことでまだ先が見えてないだろ? 僕としても進路を変えさせてしまうようなことは言いたくないし。やりたいことは、最後までやってほしいからね」
「気を遣いすぎなような気もするけど、それもお兄ちゃんらしいね」
 そう言って琴絵は微笑んだ。
「お兄ちゃんにとって、朱美ちゃんたちって、どんな存在なの?」
「ん〜、厳密に言うのは難しいけど、朱美と紗絵は、やっぱり『妹』的存在であることは間違いないよ」
「詩織先輩は?」
「詩織は、祥子先輩とも近いんだけど、どうもあまり年下って感じがしなくて。その存在を持て余してる感じだよ」
「難しいんだね」
「まあね。だけど、少なくとも僕が来年卒業するまでには、全員に対する態度ははっきりさせるよ」
「それって、私も?」
「琴絵は、一生僕の妹だから、そういうのはあまり関係ないかな。ただ、こうやってセックスするのは、ちょっと考えないといけないけど」
「そうだね」
 琴絵はうんうんと頷いた。
「そうそう、琴絵には言っておかなくちゃいけないことがあったんだ」
「なぁに?」
「僕が行かない分、もし行く気があるなら、琴絵に大学に行ってほしいんだ。お金のこととかいろいろあるけど、いざとなれば方法なんていくらでもあるし。だから、一高に入ってもすぐに進路を決めちゃわないでほしいんだ」
「う〜ん、大学かぁ。まだ、どんなところがあって、なにをしたいかってわからないから、なんとも言えないよ」
「もちろん、今はまだいいよ。さっきも言ったけど、もし行く気があるなら、遠慮しないで行ってほしいってことだから」
「うん、わかったよ。そういうのもよく考えてみる」
 本当にわかったのかどうかはわからないが、琴絵は頷いた。
「琴絵は、やっぱり結婚するつもりはないんだろ?」
「うん。だって、私がお兄ちゃん以外を好きになるなんてこと、あり得ないもん。お兄ちゃん以外に触れられたくないし、抱かれたくもない。私は一生お兄ちゃんの妹で、側に居続けるの」
「だったら、なおさらやりたいことをやった方がいい。結婚云々に関しては僕はなにも言えないけど、やりたいことがあるのにそれを犠牲にすることだけは絶対にやめてほしいから」
「それは大丈夫だよ。だって私、欲張りだから」
 そう言って琴絵は笑った。
「そっか、それならいいよ」
「ホント、お兄ちゃんは心配性だね」
「そりゃ、たったひとりの妹のことだから。それに、父さんがいないんだから、その分僕がしっかり見てないといけないし」
「……お兄ちゃんがそこまですることはないと思うけど、でも、嬉しいよ」
 琴絵はしっかりと圭太に抱きついた。
「お兄ちゃんには、いつまでも琴絵の優しいお兄ちゃんでいてほしい……ただ、それだけだよ……あとは、なにもいらないから……」
「琴絵……」
「……おやすみなさい、お兄ちゃん……」
「ああ、おやすみ、琴絵……」
 軽くキスをし、琴絵は目を閉じた。
 圭太は、琴絵が眠るまで琴絵を抱きしめ、髪を撫で続けた。
「いつまでも、か……」
 そう呟き、圭太も目を閉じた。
 
 四
 三月十八日。
 三月も後半に入り、そろそろ桜の開花が気になる頃、一高では終了式が行われた。
 一年の締めくくりとして校長からなが〜い話があり、それが終わると今度はありがた〜いお言葉の書かれた通知票をもらうホームルームである。
 悲鳴とも歓声ともつかない声が教室のあちこちで上がる。
 ホームルームが終わると、大掃除をして終わりである。
 たいていの部活は、その日に部活をやり、春休みのことを話す。
 まあ、ほぼ毎日出てきている部活にとってはあまり関係のないことかもしれないが。
 吹奏楽部もそんな部のひとつである。
「はい、圭太。あ〜ん」
 柚紀は、嬉々とした表情で圭太に弁当を食べさせる。
「どう? 美味しい?」
「うん、美味しいよ」
「よかった。今日のはね、今までとちょっと違う方法で作ってみたの。初挑戦ながら、うんうん、見事に成功してよかった」
 ふたりは部活前に、屋上で昼食を取っていた。もっとも、その場にいるのはふたりだけではない。一年トリオも一緒である。
 が、もちろんふたりの世界からはつまはじきである。
「今日で二年としての行事もすべて終わりだね」
「そうだけど、なんかもっと前に終わってるって気がする」
「それはね。でも、次の行事はもう三年としてだからね」
「次っていうと、四月の登校日か。確かにそうだね」
 柚紀もうんうんと頷く。
「僕たちは最上級生になって、三人は二年生で後輩が入ってくる、と」
「えっ、あ、そうですね」
「二年はいろいろと行事が多くて楽しいんだけどね。まず、修学旅行があるし」
「修学旅行は、今度も沖縄なの?」
「そうだよ。えっと確か五月の……」
「五月九日から五日間です」
 詩織が朱美をフォローする。
「沖縄は見所も多いから、楽しいよ」
「そうそう、ホントに楽しいよ」
 圭太と柚紀は口々にそう言う。もっとも、柚紀にとってはその楽しかった修学旅行も、圭太と一緒だったから、という但し書きがつくのだろうが。
「とまあ、新年度に思いをはせるのもいいけど、とりあえずは越えなくちゃいけない、やらなくちゃいけないこともあるし」
「なにそれ?」
「ん、追いコンと新入生の勧誘、それに続く新入部員の獲得」
「なるほどね。って、今年って追いコン、いつだっけ?」
「来週の土曜日だよ。今年の幹事は綾で、すごく張り切ってるよ」
「ああ、綾なら張り切るわね」
「あの、先輩。追いコンって、どんなことするんですか?」
 詩織が、おずおずと訊ねた。
「別に特別なことはしないよ。お世話になった先輩たちを送り出すのが目的だからね」
「ま、ようするに飲み会みたいなものだから」
「飲み会、ですか」
「ああ、もちろんおおっぴらには飲まないけどね。ほら、コンサートの打ち上げやったでしょ? 基本的にはあんな感じ」
「なるほど、ああいう感じなんですね」
「違うところは、先輩たちひとりひとりからコメントをもらうところくらいだよ」
「コメントって、卒業するに当たって、みたいなの?」
「うん、そんな感じ」
「で、部長は否応なしに最後だから」
「えっ、そうなんですか?」
 紗絵が声を上げた。
「毎年そうらしいから」
「じゃあ、今年は祥子先輩が最後なんですね」
「ということは、来年は圭兄が最後で、紗絵がそのまま部長になれば、再来年は紗絵が最後か」
「まあ、最後だからどうということはないよ」
「はあ、そうですね」
 紗絵は、少しだけ気のない返事をした。
「さてと、そろそろ音楽室に戻ろうか。部活の準備もしないといけないし」
「そうね」
 
 部活が終わると、圭太たちは真っ直ぐ家に帰った。
 とはいえ、圭太はそれだけでは終わらなかった。
 家に帰って着替えるとすぐにまた家を出た。
 夕方の街中を自転車で駅へと急ぐ。
 夕方の駅前は、買い物客でにぎわっていた。
 商店街の一角、待ち合わせスポットに到着した圭太は、あたりを見回した。
 結構人がいる中で、知り合いを見つける。
「幸江さん」
 自転車を押しながら、知り合い──幸江のところへ。
「すみません、待ちましたか?」
「ちょっとだけね。まあでも、部活だからしょうがないわよ」
 幸江は、気にしてないと笑った。
「これからどうしますか? あまり時間もないと思いますけど」
「そうねぇ……」
 幸江は時計と圭太と自転車を見た。
「うん、じゃあ、その自転車で少し行きましょ」
 
「ん〜、いい風」
 風になびく髪を押さえながら、幸江は微笑んだ。
「しっかりつかまっていてくださいよ」
「大丈夫だって」
 圭太は、後ろに乗っている幸江に声をかけた。
 商店街を抜けたふたりは、自転車で少し走っていた。
 幸江が後ろに乗り、ゆっくりと夕暮れの街を走っている。
「ねえ、圭太」
「なんですか?」
「こういうのって、いいね。なんか、『恋人』って感じがする」
 幸江は、少しだけ腕に力を込めた。
 圭太は、特に行き先を決めず、自転車を走らせた。
 だいぶ陽が傾いてきた頃、ふたりは河川敷にいた。
 広場になっているところでは、小学生がサッカーをしていた。
 堤防上の道には、散歩している人や買い物帰りの主婦などが多く行き交っていた。
「幸江さん」
「うん?」
「ひとつ、訊いてもいいですか?」
「いいわよ。なに?」
「幸江さんは、今までに誰かとつきあったことはあるんですか?」
 それを聞き、幸江は一歩前に出た。
 川面を吹き抜ける風が、髪を揺らす。
「どう思う?」
「ちょっと、わかりません」
 圭太は、一瞬だけ考え、そう答えた。
「別に隠しておくことじゃないから言うけど、中学の時に一回だけつきあったことあるの。二年の時よ」
「…………」
「同級生でバスケ部の人だったんだけどね。私から告白して、つきあったの。でも、なんでかな、全然楽しくなかったの。彼もそうだったみたい。だから、たった一ヶ月で別れちゃったけどね」
「一ヶ月、ですか?」
「そ。だから、なんにもなかった。私も部活が忙しかったし、彼も部活が忙しかったから一緒に帰るなんてなかなかできなかったし。デートはしたけどね。手も繋がなかったし、ましてやキスなんてね。そういうの、気になるでしょ?」
「少しは」
「ふふっ、心配しなくても私のはじめては、全部圭太にあげたから」
 振り返り、幸江は微笑んだ。
「別れたあとにね、どうしてあんなに楽しくなかったのか、いろいろ考えたの。だって、私の方から好きになったのよ? おかしいでしょ?」
「そうですね」
「でもね、いくら考えてもわからなかった。で、結局高校は別になったからそれっきりだし。三年の時はクラスも違ったから、同窓会でも会わないし。それでも不思議となんの感慨もないのよ。自分でも不思議なくらいにね。で、最近ようやくその理由がわかったの」
「それは、どういうことだったんですか?」
「私はね、恋に恋したかっただけなのよ。マンガとかドラマとか、そういう見栄えのいい恋がしたかっただけなの。もちろん、彼のことは好きだったわよ。でも、それってずっと一緒にいたいくらいじゃなかった。だから、時間も共有できなかった。で、それを気づかせてくれたのは、圭太、あなたよ」
「僕、ですか?」
 圭太は首を傾げた。
「私もね、本気の恋をしたってこと。それこそ、恋い焦がれるって感じのね。本当に圭太と一緒にいると楽しいもの。自分が自分でいられるって感じ。あの時のがすべてウソだとは思わないけど、ままごとレベルだったのは、間違いないわね。今、本気で恋をして、本気で人を愛して、だからこそあの時のことがよくわかるの」
 幸江は、とても穏やかな表情でそう言う。
「でも、どうしてそんなこと訊くの?」
「いえ、さっき幸江さん言ったじゃないですか。『恋人』って感じがするって」
「ああうん、言ったわね」
「だから、以前に誰かとつきあっていたのかなって、そう思ったんです」
「なるほどね。確かに、そういうのって結構気になるからね。で、すべてを知って、どう思った?」
「特には。ただ、少しだけ安心しました」
「ふふっ、心配性なんだから」
 スッと圭太の前に来て、キスをした。
「圭太は、なにも心配することないから」
「はい」
 圭太も笑顔で返した。
「っと、すっかり忘れてました。幸江さん、誕生日おめでとうございます」
「うん、ありがと。これで私もやっと十九よ」
「それと、プレゼントです」
「いいの?」
「はい。僕の時にももらってますし」
「そっか。じゃあ、遠慮なくもらうね」
 圭太が渡したのは、少し大きめの包みだった。
「開けてみたいのはやまやまなんだけど、さすがにここで開けるわけにはいかないわね」
「そうですね。できれば家で開けてください」
「そうするわ」
 幸江は、それを大事そうに抱えた。
「ホントは今日、蜜月の時を過ごしたいんだけど、さすがに時間ないからね」
「それは、別の日でもいいですか?」
「もちろん。と言っても、できれば早い方が誕生日って感じだから」
「じゃあ、明日にしますか?」
「大丈夫なの?」
「もう春休みですから」
「そっか、春休みか。じゃあ、半日は時間あるんだ」
「ええ。明日、デートからやり直しますか?」
「うん、そうする」
 幸江は、嬉しそうに頷いた。
「なんか、すっごく得した気分」
 嬉しそうな幸江を見て、圭太も嬉しそうに微笑んでいた。
 
 次の日。
 午前中の部活では、久々に合奏が行われた。
 と言っても、特に曲を演奏したわけではない。基礎練習の一環として、全員で練習を、という感じだった。
「ほらほら、もっと音は真っ直ぐ。音程は一定に」
「指がまわってないわよ。いったいどんな練習してきたの?」
「タンギングが追いついてない。もっと音はしっかりはっきりと」
 菜穂子から厳しい声が飛んでいる。
 久々の合奏ということで、部員の間にも多少のブランクがあった。それでも、文句は言っていられない。
 曲をやっているわけではないので、指示はもろに個々人に来た。
「今日の合奏でわかったと思うけど、みんなの練習はまだまだ甘いわよ。もっと気合い入れて、目的意識をしっかり持ってやらないと、後輩が入ってきた時に恥をかくわよ」
 音楽室は、すっかり静まりかえっている。
「そろそろコンサートの練習にも入るけど、その前にもう少し基礎練をしておくように。どの曲だって基礎がきっちりできていればそれほど苦労しないんだから。いいわね?」
『はい』
「それじゃあ、今日はここまで」
「ありがとうございました」
『ありがとうございました』
 合奏が終わると、途端に部員たちはぐったりとしていた。
「ふう、久々に緊張感のある合奏だったわね」
 隣の夏子が声をかけてきた。
「まあね。でも、ちょうどよかったと思うよ。最近、ダレ気味だったし」
「確かに。私たちはアンコンがあったからまだましだったけどね」
「これが刺激になって、多少なりとも緊張感が戻ってくるといいんだけど」
「部長としての悩みだね」
 圭太はそれには答えず、曖昧に微笑むだけだった。
 それから音楽室を閉め、いつものメンバーと帰る。
「なんか、すっかり春って感じよね」
 柚紀は、そよ風に揺れる髪を押さえながら、そう言った。
「桜のつぼみも結構ふくらんできたし、春本番まであとわずかね」
「そうだね」
「ねえ、圭太」
「うん?」
「春ってことで、デートしようよ」
「デート? いつ?」
「ん〜、そうだなぁ、今日は早く帰らないとお母さんに仕事押しつけられるから、来週中でどう?」
「いいよ」
「じゃあ、詳しいことは前日くらいにね」
 柚紀がバスで帰ると、一年のふたりは大きなため息をついた。
「わかってはいても、ああも堂々と誘われちゃうと、さすがにへこむよね」
「うん、そうね」
「まあまあ、ふたりともそんなに目くじら立てないで。柚紀も別に悪気があるけじゃないし」
「それはわかってるよ。もし悪気があってやってるなら、いくら柚紀先輩でもちょっと許せないもん」
「でも、柚紀先輩なら、わざと私たちの前でってことも考えられなくもないけど」
「……それ、ありそう」
 ため息をつくふたりに、圭太は苦笑するしかなかった。
 家に帰ると、圭太は着替え、すぐに家を出た。
 その日は自転車ではない。
 駅前に出ると、いつもの待ち合わせ場所へ。
 圭太がそこへ着くと、すぐに幸江がやって来た。
「姿が見えたから追いかけたんだけど、追いつかなかったよ」
 そう言って幸江は微笑んだ。
「さてと、しきり直しのデートに行きましょ」
「はい」
 
 ふたりは電車に乗り少し遠出した。
 土曜日の昼下がり。電車の中はそれほど乗客もいなかった。
 並んで座り、幸江は心持ち圭太に寄り添っていた。
 数駅電車に乗り、降りたのは、自然公園がある駅だった。
 自然公園は、そのあたりでは最も大きな公園で、小学校では遠足などによく使う。
 広大な敷地内には森、池、花と自然があふれていた。
「ん〜、いい気持ち」
 森の中を走る遊歩道を、ふたり並んで歩く。
「ちょっと肌寒いかとも思ったけど、そうでもないね」
「そうですね。ちょうどいい感じです」
「それに、マイナスイオンだっけ? そういうのの効果か、調子もいいみたい」
「すぐに効くんですか?」
「ふふっ、そういう気になってるだけ。ほら、そういうのって気の持ちようだし」
「そうかもしれませんね」
 さわやかな空気の中を、ゆっくりと歩く。
「向こうの広場で、ちょっと遅くなったけど、お昼食べましょ」
 森を抜けると、小高い丘に出た。そこはちょうど広場の中心で、そのまわりには色とりどりの花が咲き誇っていた。
 その花が見えるところに腰を下ろし、途中で買ってきた弁当を広げる。
「ここへ来るってわかってたら、お弁当作ってきたんだけどね」
「気の向くままにここへ来ましたからね」
「ま、それは次の機会にでも取っておきましょ」
 土曜日ということで、公園にはそれなりに人が出ていた。
 少し斜度がきついところでは、子供たちが段ボールやビニールをそり代わりに、丘を滑っている。
「そういえば、幸江さんは料理は得意なんですか?」
「ん〜、特別得意ってわけでもないけど、ひとり暮らししても支障はないくらいはできるわよ。もっとも、柚紀や祥子ほどの腕前はないけどね」
「別に比べたりしませんよ」
「だといいけど」
 そう言って幸江は笑った。
「でも、一番比べてほしくないのは、圭太自身とかな」
「僕自身ですか?」
「そ。だって、圭太はホントになんでもできるから。あのホワイトデーのお返しだって手作りだったし。あれなんて、下手な店で買うよりよっぽど美味しかったわ」
「褒めすぎですよ」
「だからこそ、圭太自身とは比べてほしくないの」
「そんなことしませんよ」
「でも、圭太ってホントになんでもできるわよね。ちょっと反則って感じ」
「それを言われても、さすがに……」
 圭太は苦笑するしかない。
「柚紀とかに言われたりしない?」
「ついこの前言われました。もっとも、それは去年も言われたことですけど」
「普通は言うわよ。まあ、女が家事ができなくちゃいけないとは思わないけど、それでもできた方がいいと思うし、それがその人の魅力にも繋がるだろうし。でも、圭太はそのささやかな魅力をすべて消し去ってしまうくらい、なんでもできちゃうから」
「……微妙に非難されてますか?」
「ふふっ、そんなことないわよ。ちょっと、ひがんでみただけ」
 幸江はくすくすと笑った。
 弁当を食べ終え、なにをするでものんびり過ごす。
 特別に言葉を交わすわけでもない。
 ただ並んで、同じ時間を共有するだけである。
「圭太」
「なんですか?」
「はい、ここ」
 そう言って幸江は自分の膝を叩いた。
「膝枕、してあげる」
「えっと……」
「ほら、遠慮しないの」
「わ……」
 幸江は、無理矢理圭太を引っ張った。
 短くはないが、スカートの裾から足が見える。
「こうしてると、もっと『恋人』同士に見られるかな?」
「そうですね、見えると思います」
「そっか、よかった」
 幸江は、穏やかな表情で圭太の髪を撫でた。
 と、幸江がじっと圭太の顔を見つめた。
「どうかしましたか?」
「やっぱり、圭太ってカッコイイわね」
「そうですか?」
「うん、カッコイイ。だから、見ていて全然飽きない」
 そう言ってまたじっと見つめる。
 さすがの圭太も、ずっとそうされては居心地が悪くなる。
「えっと……」
「でも、圭太ってすごく整った顔立ちしてるから、女装も似合いそうね」
「女装、ですか?」
「したことある?」
「いえ、ないですけど。まさか、させてみようとか、考えてますか?」
「ん〜、させてみたいのはやまやまなんだけど、私の服じゃ、着れないだろうし。圭太って身長いくつ?」
「去年の春の時点で、七十七です」
「私と十七センチも違うのか。それはさすがに無理ね。せめて十センチ以内じゃないと」
「……あの、ほかのみんなに言わないでくださいよ?」
「どうして?」
「特に柚紀とともみ先輩は僕のことを『おもちゃ』にしますから」
「あはは、確かにそうかも。でも、そうね、あのふたりを巻き込めば圭太の女装も可能かもね」
「ゆ、幸江さん……」
「冗談よ、冗談。そりゃ、着せてみたいけど、無理強いするつもりはないし。そういうのに目覚めたら、いつでも言って。貸衣装でも調達してくるから」
「……遠慮しておきます」
 圭太は大きなため息をついた。
 それから少しのんびりして、ふたりは自然公園をあとにした。
「ねえ、圭太。今日は夜まで大丈夫?」
「ええ、大丈夫ですけど」
「じゃあ、私の家に来ない? おあつらえ向きにみんな出払ってるの」
「それは構いませんけど、いいんですか?」
「いいのいいの。新城家の長女がいいって言ってるんだから」
 そう言って幸江は笑った。
 で、結局圭太は新城家へとやって来た。
 新城家は木造二階建てのごくごく普通の家だった。
 庭は綺麗に手入れされ、誰かがガーデニング好きであることがわかった。
 部屋に通され、お茶を出される。
「幸江さんは、兄弟はいるんですか?」
「いるわよ。生意気な弟と妹が。双子なんだけどね」
「双子、ですか」
「弟は二高で妹は三高。一緒の高校には行きたくなかったんだって」
「は、はは、微妙な関係なんですね」
「というか、一卵性双生児なのよ。男と女なのにそっくりで。小、中学校ではそれでいろいろ言われたみたい」
「でも、二高と三高なんですね。幸江さんと同じように一高って選択肢はなかったんですか?」
「弟の方は無理すれば入れたんだけど、万が一を考えて二高に。妹はちょっとおバカなのよ。三高でもやっとだったんだから」
「はあ、そうなんですか……」
「圭太のところみたいに、兄妹揃って優秀なんてのは、そうないわよ」
 そう言って幸江は苦笑した。
「ま、あのふたりのことはどうでもいいのよ」
「どうでもいいんですか?」
「だって、圭太と知り合う可能性なんて、ほとんどないし。学年は圭太のひとつ下よ。それに、部活も吹奏楽じゃないし。弟は卓球部で、妹は陸上部だし。ね、そういう点でも知り合う可能性はほとんどないでしょ?」
「確かにそうかもしれませんけど……」
「あるとすれば、こうやって私が圭太を家に連れてきた時くらいね。でも、私はそんなヘマはしないわよ。きっちり邪魔者は追い払って、その上で連れてくるから」
「な、なるほど……」
 どことなく鬼気迫る表情の幸江に、圭太は圧されっぱなしである。
「とはいえ、時間は有効に使わなくちゃいけないからね」
 幸江は、艶っぽく微笑み、圭太の隣に移動してきた。
「圭太……」
「幸江さん……」
 ふたりはそっとキスを交わした。
「ん、あ……」
 圭太はキスをしながら幸江の胸を揉む。
 ブラウスを脱がせ、ブラジャー越しに胸に触れる。
「や、ん……」
 幸江はもどかしそうに体をよじる。
 スカートを脱がせ、ベッドに横たわらせる。
「自分の部屋でするのって、なんか不思議な気分……」
「イヤですか?」
「ううん、全然。むしろ、嬉しいくらい」
「嬉しいんですか?」
「うん、ちょっと言い表しにくいんだけどね」
 幸江はそう言って微笑んだ。
「ほら、そんなことより。ね?」
「あ、はい」
 圭太は軽くキスをしてからブラジャーを外した。
 あらわになった胸をやわやわと揉む。
「ん、は、ん……」
 幸江の声にも艶っぽさが加わってくる。
 硬くなってきた突起を口に含む。
「んあっ」
 圭太はわざと音を立ててそれを吸った。
「や、ダメ、そんなにしちゃ」
 幸江は快感にいやいやする。
「じゃあ、やめますか?」
「うっ、それは、もっとイヤ……」
 頬を真っ赤にし、そう呟いた。
 その様を見て圭太は、穏やかに微笑んだ。
「そうですよね、もうこんなになってますからね」
「ひゃんっ」
 と、圭太はいきなりショーツの中に手を入れ、秘所に触れた。
「すごく濡れてますよ」
「だ、だって、それは圭太が気持ちよくするからで……」
 圭太は、そのままの状態で指を出し入れする。
「んっ、あん、ダメっ」
 幸江はそれだけでいつも以上に感じている。
「今日は、いつも以上に感じてますね?」
「そ、それは、自分の部屋でしてもらってるから……んもう、あんまりいぢわるしないでよ」
「ははっ、すみません。幸江さんが可愛かったので、つい」
「むぅ、公園での仕返し?」
「かもしれません」
「んもう……」
 拗ねてしまった幸江に圭太はそっとキスをした。
「もうしませんから、拗ねないでください」
「別に拗ねてなんかないわよ」
「拗ねてます」
「拗ねてない」
「拗ねてます」
「拗ねてない」
「…………」
「…………」
 ふたりは、なにも言わずしばし見つめ合う。
「ごめん、拗ねてた。もう拗ねないから、お願い。ちゃんとして」
 先に折れたのは幸江の方だった。
 さすがにそのまま放置されるのはイヤだったのだろう。
「わかりました。じゃあ、脱がせますね」
 圭太も頷き、ショーツを脱がせた。
 一糸まとわぬ格好になった幸江。
 圭太は丹念に秘所をいじる。
「あんっ、あっ」
 いじるほどにあふれてくる蜜。
 幸江の方はすっかり準備が整っていた。
「今日は、幸江さんのしたいようにしてください」
「どういう意味?」
「幸江さんが上で、ということです」
「えっ……?」
「大丈夫ですから」
 圭太は微笑み、自分も服を脱いだ。
 圭太がベッドに横になり、幸江がその上にまたがる。
「このままで、いいの……?」
「はい」
「じゃあ……」
 幸江は圭太のモノを自分の秘所に導き、そのまま腰を落とす。
「んっ、ああ……」
 止めたいのに止められない。そんな感じで圭太のモノはすっかり幸江の中に収まった。
「ん、はあ、圭太のが、奥に当たってる……」
「あとは、動きたいように動いてください。僕も手伝いますから」
「うん、わかった……」
 幸江は小さく頷き、ぎこちなく腰を浮かせた。
「ん……」
 自分が動くことによって与えられる快感に、幸江はわずかに戸惑いを見せた。
 だが、それもすぐになくなる。
「あっ、んっ」
 どうやればスムーズに動かせるかわかり、動きも速くなってくる。
「んくっ、あんっ、止まらないっ」
 だんだんと快感の度合いも増してくる。それにあわせ、本能が理性を追い抜いてくる。
 幸江は、さらなる快感を求め、さらに腰を動かす。
「圭太っ、手っ、握ってっ」
 圭太は言われるまま手を握った。
 それで幸江の表情が和らいだ。
「ああっ、んんっ、あっ、はんっ」
 圭太も幸江にあわせ、下から突き上げる。
 騎乗位がはじめてということと、自分の部屋だということで、幸江はいつも以上に感じている。
「圭太っ、私っ、ダメっ、イっちゃうっ」
「イってください」
「ああっ、ダメダメっ、止まらないよぉっ」
 髪を振り乱し、幸江は圭太の上で乱れる。
「んんっ、ああっ、あっ、あっ、あっ、んああああっ!」
 そして、幸江はそのまま達してしまった。
「ん、はあ、はあ……」
 力なく圭太の方に倒れ込んでくる。
「気持ち、よすぎて、死んじゃうかと思った……」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫。でも、圭太はまだだね。じゃあ、私がしてあげる」
 そう言って幸江は体を起こし、圭太のモノを抜いた。
 そのまま下半身の方に体を横たえ、モノをつかむ。
「これが、私の中に入ってたんだね……」
 まじまじと見つめ、少しだけ手を上下させる。
「んっ……」
「気持ち、いい?」
「はい」
「よかった。でも、もっと気持ちよくなって……ん……」
 幸江は、モノに舌をはわせた。
「ん、これで、いいのかな……?」
「ええ、いいですよ。すごく、気持ちいいです」
「うん……」
 圭太に認められ、幸江は嬉しそうに微笑んだ。
 ちろちろとモノを舐め、今度はそれを口に含む。
 一度のどの奥まで入れ、また出す。
 頭を上下させ、何度もそれを繰り返す。
 今度は、アイスキャンディーを舐めるように、敏感な部分を舐める。
「ん、は、む……」
「幸江、さん、そろそろ……」
「ん、いいよ、いつでも……」
 幸江は、さらに舐める。
「くっ!」
 一瞬モノが大きくなり、その先端から熱い白濁液が飛び出した。
「きゃっ!」
 それは、もろに幸江の顔にかかった。
「す、すみません……」
「ううん、いいの。ちょっと驚いただけだから」
 そう言って顔と手についたそれを、ペロッと舐めた。
「うっ、苦い……」
 はじめての味に、幸江は顔をしかめた。
「でも、私でもちゃんと圭太をイカせることができたね」
「ええ」
「これで、私も『人並み』になったのかな?」
「さあ、それは……」
 圭太は、苦笑して首を傾げた。
「ところで圭太」
「なんですか?」
「まだ、できる?」
「えっ……?」
「なんか、圭太のを舐めてたら、またしたくなっちゃった」
「えっと……」
「ダメ?」
 期待に満ちた目で圭太を見つめる。
「はあ、わかりました」
「あはっ、ありがと、圭太」
 
 結局、さらに二度ほど抱き合い、圭太はようやく解放された。
「ん〜、満足満足」
 幸江は、嬉々とした表情で服を着ている。
「ねえ、圭太」
「なんですか?」
「今度は、圭太の部屋で抱いてほしいな」
「えっと、僕の部屋でですか?」
「そ。都合のいい時でいいから。ね?」
「まあ、琴絵や朱美がいなければ、構わないとは思いますけど」
「了解。覚えておくわね」
 圭太の言葉に、幸江は大きく頷いた。
「さてと、圭太も服着た?」
「はい」
「どうする? すぐに帰る? もう結構暗くなってきてるけど」
 外は、すでに茜色で、東の空はすでに紺色だった。
「あまり遅くなると、いろいろ言われますから、帰ります」
「そ。じゃあ、途中まで送るわね。まだ、この辺は不案内でしょ?」
 圭太は、幸江と一緒に部屋を出た。
 玄関で靴を履いていると──
「ただいま〜」
 元気のいい声とともに、女の子が帰ってきた。
「げっ、静江……」
「あれ、お姉、どうしたのって……誰?」
 帰ってきたのは、幸江の妹、静江だった。部活帰りなのか、制服姿ながら、スポーツバッグを持っている。
「ねえねえ、お姉、ひょっとして、彼氏だったりするの?」
 ニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべ、姉に訊ねる。
「……んもう、彼は、後輩なの」
「そうなの? ふ〜ん、そうなんだ」
 静江は、圭太をまじまじと見る。
 姉妹だから当たり前なのだが、ふたりはよく似ている。
「確かに、お姉が好きそうな人だね」
「静江っ」
「あははっ、冗談だよ」
「まったく、あんたは……」
「えっと、なにさんですか?」
「高城圭太です」
「静江に敬語なんて必要ないから」
「むぅ、お姉は黙ってて。高城圭太さん、ちょっとヒス気味な姉ですが、見捨てないでくださいね」
「あ、あんたは……」
「見捨てるなんて、そんなことはないよ」
「そうですか? じゃあ、姉のこと、よろしくお願いしますね」
 そう言って静江は頭を下げた。
「というわけで、あたしは部屋に戻ってるから」
「あっ、こら、待ちなさいっ」
 幸江の制止を振り切り、静江は二階へと駆け上がった。さすがは陸上部である。
「にぎやかな妹さんですね」
「にぎやかなんてものじゃないわよ。うるさくて生意気なだけよ」
 すっかり憤慨している幸江をなだめながら、ふたりは家を出た。
「にしても、まさか静江がもう帰ってくるとは思わなかった。いつもならもう少し遅いんだけど」
「やっぱり、春休みだからじゃないですか?」
「かもね。ちょっと失敗したわ。今度から気をつけないと」
 幸江はまだ収まりきらないようである。
「でも、幸江さんに似てましたね」
「そう? それはあまり言われたこと、ないんだけど」
「それはたぶん、いつもはその弟さんとのことを言われるからですよ。さっきみたいに幸江さんと妹さんだけなら、とてもよく似た姉妹です」
「う〜ん、静江と似てるのか。ちょっと複雑な気分」
 首を傾げ、幸江は唸った。
「ま、会ってしまったことはしょうがないから。ただ、あとできっちり口止めしとかないと、いろいろ言われるわね」
「確かに、言いにくいところもありますからね」
「まあ、ちょっと締め上げれば問題ないわよ。姉に勝とうだなんて、百年早いわ」
「あ、あはは……」
 ふたりは、大通りまで出てくる。
「ここまでで大丈夫ですよ」
「そう? なんなら、家まで一緒に行こうか?」
「それじゃあ、本末転倒じゃないですか」
「冗談よ」
 それが本当に冗談だったのかは、わからないが。
「また、電話するから」
「はい」
「あと、会いたくなったら、『桜亭』にも行くから。ともみもからかいたいし」
「売り上げに貢献してください」
「了解、っと」
 薄暗くなってきた道ばたで、ふたりはそっとキスを交わした。
「じゃあね、圭太」
 
 五
 三月二十日。
 その日、『桜亭』はいつもより早めに閉店することになっていた。
 それは、その日が鈴奈のバイト最終日だからである。
 午前中、いつものように部活をし、圭太たちも昼頃に帰ってきた。
 あまり大きくしたくないという鈴奈だったが、結局、いつものメンバーが揃う『おつかれさま会』となった。
 とはいえ、それ自体は陽が暮れてからなので、柚紀以外はまだ来ていなかった。
 昼食は柚紀が作った。これも、『通い妻』として当然のことらしい。
 午後は、特になにをするでもなくのんびりしていた。
 柚紀、琴絵、朱美の三人は、春の陽差しがとても暖かなリビングで揃って眠っていた。
 これを見た圭太は、なんとも言えない表情を浮かべ、そっとしておいた。
 夕方になり、メンバーが集まってきた。
 その頃には『お昼寝』していた三人も起きて、そのあとの準備をしていた。
 いつもより早い、夜七時に『桜亭』は閉店した。
「では、これから鈴奈さんのアルバイト終了おつかれさま会をはじめたいと思います」
 進行は、もちろん圭太だった。
「まず最初に、『桜亭』オーナーから挨拶していただきます」
「鈴奈ちゃん、約三年間、バイトおつかれさま。うちは不定休だからいろいろと不都合なこともあったと思うけど、文句も言わずこつこつとやってくれて、本当に感謝してるわ。鈴奈ちゃんがいてくれたおかげで私も安心できたし、仕事もスムーズにできたから。本当ならこのままずっと続けてもらいたいところだけど、四月からは先生としてがんばるわけだからそれもままならないわね。ただ、バイトを辞めても『桜亭』にはいつでも来ていいんだからね。私たちは、いつでも大歓迎よ」
 琴美はそこで一度言葉を切った。
「今のは、『桜亭』のオーナーとしての言葉。これからの言葉は、それとは違うものだから」
 あえてそう言い置いてから言葉を続けた。
「鈴奈ちゃんには、本当に申し訳ないと思ってるわ。すべてを否定するようなことを言うつもりは毛頭ないけど、でも、圭太を好きになって、それが報われないものとなってしまって、本当に申し訳ないわ。本当なら、圭太に柚紀さんという彼女ができた段階で、誰からも受けてはいけないはずなのに、それができなかったから。もちろん、人を好きになることにマニュアルはないし、罰則もない。だから、鈴奈ちゃんが圭太を好きになったことまでどうこう言うつもりはないわ。これは以前にも言ったと思うけどね」
 鈴奈は小さく頷いた。
「進路が高校教師で、それがここでということに関してまでそのことが影響したかどうかは、正直わからないわ。鈴奈ちゃんはもともとそういう気もあったみたいだからね。だけど、これから先も圭太のことが枷にならないとは言い切れないから。だから、圭太の母親としてもう一度だけ言うわ。本当に、ごめんなさい」
「琴美さん……」
「このあと鈴奈ちゃんと圭太の関係がどうなるのかはわからないし、それに私が口を出そうとも思わない。あとは、ふたりで後悔しないように決めて」
「はい」
「とまあ、圭太のことはこのくらいにして。鈴奈ちゃんは私のもうひとりの『娘』みたいなものだから、『桜亭』だけじゃなく、家の方にも遠慮なく来てね。岩手の実家は遠いけど、ここの『実家』は近いんだから。ね?」
「はい」
「鈴奈ちゃん、本当におつかれさま」
「はい、ありがとうございました」
 鈴奈は、琴美に抱きつき、泣いた。
 今、鈴奈の中には、この三年間のことが駆けめぐっていることだろう。
 ひとつひとつが想い出となり、これからの糧となる。
 それは、間違いない。
「では、続いて鈴奈さんから挨拶をいただきます」
 落ち着いたところで、鈴奈の言葉である。
「大学に入って、なにかしなくちゃいけないと思った時に、『桜亭』のバイト募集に巡りあい、今日まで来ました。最初の頃はバイト経験のない私のせいでいろいろ迷惑をかけたこともありました。でも、琴美さんや圭くんのフォローのおかげでそれも乗り越えられ、それからのバイトはとても楽しいものとなりました。『桜亭』というより、高城家は私のもうひとつの家となりました。実家は遠いですから、そうしょっちゅう帰れないです。でも、ここにいるとホームシックになることもなく、本当に楽しく過ごせました。そのことには、本当に感謝しています。バイトについても、不規則な時間にしか入れないのに、特になにも言わず認めてもらって、本当に助かりました。だからというわけでもないと思いますが、無事卒業できることになりましたし。『桜亭』でバイトしていなければ、それは無理だったかもしれません。だから、本当に感謝しています。ありがとうございました」
 鈴奈は、そう言って頭を下げた。
「私は今日でバイトを辞めますが、『桜亭』でのことを忘れずに、これからもがんばっていきたいと思います。そして、これからも『桜亭』の、高城家の一員として関われたら幸せです」
 鈴奈は、琴美、圭太、琴絵の三人を見た。
「琴美さん、圭くん、琴絵ちゃん。今まで、本当にありがとうございました」
 自然と拍手が起きた。
 今度は涙はない。笑顔だけがそこにあった。
「それでは、あとは飲んで食べて、鈴奈さんのこれからを祈ってください」
 あとは、いつものように歓談タイムである。
「鈴奈さん、おつかれさまでした」
「おつかれさまでした」
「うん、ありがとう、ともみちゃん、祥子ちゃん」
「これからは、私たちが『桜亭』のことをきっちり見ていきますから」
「私も、どこまでできるかわかりませんけど、がんばります」
「大丈夫。ふたりなら絶対大丈夫」
 鈴奈はそう言ってふたりを激励する。
「たまには、圭太に会いに来るだけじゃなく、『桜亭』自体にも来てくださいね」
「ふふっ、そうだね」
 役目を終え、次に向かう者。
 それを引き継ぎ、これから役目を担う者。
 ともに、笑顔だった。
 
「おつかれさまでした」
「ありがと、圭くん」
 おつかれさま会が終わって、圭太は鈴奈の部屋を訪れていた。
 琴美からもらったフルーツワインで、乾杯する。
「圭くんとは、これまでみたいに頻繁には会えなくなっちゃうね」
「そうですね。でも、鈴奈さんの部屋はここですし、会おうと思えばいつでも会えますよ。それに、呼んでもらえれば、僕の方からも来ますし」
「うん、ありがと。でもね、仕事に慣れるまではそれも『封印』しておかなくちゃ」
「どうしてですか?」
「そうしないと、すぐに圭くんを頼っちゃうから。社会人としては、それだけじゃダメなこともあるから。できる限り自分でやって、どうしてもダメな時は、圭くんを頼るから」
「わかりました」
 圭太も鈴奈の決意を聞き、素直に頷いた。
「どこに赴任するかは、もう決まるんですよね?」
「うん、火曜日にはわかるはずだよ」
「もし一高だったら、どうします?」
「そうだなぁ、教師と生徒の禁断の愛、とか?」
「……それ、シャレになりませんよ?」
「そうかな? 私は結構本気なんだけどね」
 鈴奈は、悪戯っぽい笑みを浮かべ、そう言った。
「でも、私はどこでもいいの。どこででも、自分らしくできればそれで十分」
「そうですね。それが一番ですね」
「圭くんが、そうやって応援してくれるからね」
「ええ、僕だけはどんなことがあっても、鈴奈さんの味方ですから」
「ふふっ、百人の仲間より、ひとりの圭くんの方が何倍も頼もしい」
「それは大げさじゃないですか?」
「ううん、そんなことないよ。それだけ、私は圭くんのことが好きだってことだから」
「じゃあ、責任重大ですね」
「うん、がんばってね、圭くん」
 ふたりは、声を上げて笑った。
「そうだ、圭くん。ひとつ、お願いがあるんだけど」
「お願いですか?」
「うん。あのね、一緒に写真を撮ってほしいの」
「写真ですか?」
「そう、写真。今までも結構撮ったりしてたけど、圭くんとのちゃんとしたツーショットってなかったから。『桜亭』を卒業する私への餞別だと思って。ね?」
「いいですよ」
 それから鈴奈は、デジカメを取り出し、写真を撮った。
 タイマーを使って撮ったり、腕を伸ばして撮ったり。
 とにかく、今のふたりの姿を、ありのままに写真に収めた。
「その写真、どうするんですか?」
「ん、一番のお気に入りは、お財布とか手帳とかに入れておくの。今も入れてるんだけどね。ほら」
 そう言って見せた手帳には、確かに圭太との写真が入っていた。
「これで、これから先、同僚とかに自慢するの。私には、こんな素敵な『弟』がいるんだって」
「ほどほどにしてくださいね」
「大丈夫だって。圭くんには迷惑かけないから。あっ、でも、万が一一高に赴任なんてことになったら、それはまずいね。少なくとも圭くんが卒業するまでは我慢しないと」
「えっと、まあ、そうですね」
 どこまでも嬉しそうな鈴奈に、圭太は苦笑するしかなかった。
「あと、圭くんにお願いすることあったかな?」
 おとがいに指を当て、考える。
「あとは、ひとつを除いてないかな? うん、ないね。じゃあ、圭くん」
「はい」
「今日、最後のお願い」
 鈴奈は、真っ直ぐに圭太を見つめた。
「はじめて私を抱いてくれた時のように、私を抱いて」
 
 圭太は、そっと鈴奈をベッドに横たわらせた。
「鈴奈さん……」
「圭くん……」
 最初は唇が触れるだけのキス。それから舌を絡め、情熱的なキスを繰り返す。
 圭太は、ワイシャツ越しに鈴奈の胸に触れる。
 鈴奈のワイシャツは、あの時と同じように男物だった。
「ん、圭くん……」
 わずかに声が漏れる。
 ひとつひとつボタンを外し、ワイシャツを脱がせる。
 白のブラジャーがあらわになる。
 薄暗い部屋の中、ブラジャーの白に負けないくらい、鈴奈の肌は白く綺麗だった。
 圭太は、そのブラジャーも脱がす。
 隠すものがなくなった上半身。
 圭太は、その肌のきめ細かさを確かめるように、手のひらで撫でた。
 腹部からゆっくりと胸へ。
 たったそれだけのことながら、圭太の手はその肌に張り付いてしまったかのような錯覚に陥った。
 今度は、両手で包み込むように胸を揉む。
 ゆっくりと、強くならない程度に力を込める。
「ん……」
 鈴奈は、それに敏感に反応する。
 真っ白な肌が、少し赤みを帯びてくる。
 少し強めに揉みながら、凝ってきた突起を指で転がす。
「んあ、んんっ」
 両方の胸を同時に攻められ、鈴奈は嬌声を上げた。
 そのせつなげな眼差しが、圭太の思考を麻痺させていく。
 今度は、ジーンズに手を伸ばす。
 ジーンズを脱がせると、ブラと揃いのショーツがあらわになる。
 ショーツ越しに秘所に触れる。
「あんっ」
 指で押しただけで、じわっとシミが広がった。
 何度も擦っていると、蜜でショーツが透け、秘所の形がわかるほどになった。
「脱がせますよ?」
 圭太は、一応確認してからショーツを脱がせた。
 そこに、生まれたままの姿の鈴奈が現れた。
「あの時と、変わったかな?」
「ええ、変わりました」
「どの辺が?」
「どこというのはないです。鈴奈さん自身が、あの時よりもずっとずっと綺麗になりました」
「嬉しい……」
 鈴奈は、本当に嬉しそうに微笑んだ。
「私の体はね、圭くんだけのものなんだから。触れていいのも、抱いていいのも、圭くんだけなんだから。そして、私は圭くんだけのために綺麗になって、綺麗で居続けるの」
「鈴奈さん……」
「お願い、圭くん……私を、愛して……」
 圭太はしっかり頷き、鈴奈の秘所に手を伸ばした。
 もうだいぶ濡れている秘所だが、それでも指でしっかりとほぐす。
 何度も抱き合い、感じるところはわかっていても、それでも鈴奈の反応は新鮮なものも多かった。
「あっ、んっ、ダメっ……」
 鈴奈の中は、圭太の指ですら離そうとしない。
 十分過ぎるほど濡れてきたところで、圭太も服を脱ぐ。
 すでに痛いほど大きくなっているモノを、秘所にあてがう。
「いきますよ?」
「うん……」
 ゆっくりと、鈴奈の中を確かめるようにモノを入れていく。
 全部入ったところで、鈴奈は大きく息を吐いた。
「ん、最初はあんなに痛かったのに、今じゃ逆に気持ちいいんだから。不思議だよね」
「そうですね」
「でも、私ははじめての時からちゃんと圭くんにイカせてもらったから、幸せなのかな。やっぱり、どうせセックスするなら、お互いに気持ちよくなりたいからね」
 鈴奈は微笑んだ。
「そろそろ、いいですか?」
「うん、ふたりでいっぱい、気持ちよくなろう」
 圭太は、ゆっくりと腰を引いた。
「んっ、あ……」
 そしてまた腰を押し戻す。
「あん、んん……」
 また腰を引く。押し戻す。
 それを繰り返し、少しでも鈴奈を感じさせようとする。
「んんっ、圭くんっ、もっと、もっとっ」
 鈴奈は、どん欲に圭太を求める。
 圭太もそれに応え、動きを速くする。
 湿った淫靡な音と、ふたりの荒い吐息が部屋に響く。
「圭くんっ、いいのっ、気持ちいいのっ」
 シーツをつかみ、鈴奈は快感に酔いしれる。
「ああっ、圭くんっ、好きっ、大好きっ」
 圭太の首に腕をまわし、しっかりと抱き寄せる。
 少し窮屈な格好ながら、圭太は腰を動かす。
「圭くんっ、圭くんっ、圭くんっ」
「鈴奈さんっ、鈴奈さんっ」
 お互いに名前を呼び合い、求め合う。
「んくっ、はあんっ、んんっ、あっ、あっ」
 止めどなく漏れてくる甘い声。
「圭くんっ、私っ、イっちゃうっ」
「鈴奈さんっ」
「ああっ、ダメっ、んんっ、ああああああっ!」
「鈴奈さんっ!」
 そして、ふたりはほぼ同時に達した。
「ん、はあ、はあ……」
「はぁ、はぁ……」
 鈴奈の中が、圭太の放った白濁液で満たされた。
「はあ、私の中が、圭くんのでとっても熱いよ……」
「鈴奈さん……」
 圭太は鈴奈の乱れた髪を整え、優しく、でも想いを込めてキスをした。
 
「圭くん」
 鈴奈は穏やかに微笑み、圭太の頭を撫でた。
 圭太は、結構がんばったせいか、うつらうつらと眠っていた。
 そんな圭太を鈴奈は優しく抱きしめていた。
「ずっと、こんな時間が続けばいいのに……」
 かなわないとは言い切れないが、それでもあまり期待しすぎてもいけない。
「……私だけの、圭くん……」
 純粋な想い。だからこそそれはなかなかかなわない想いでもあった。
「……これからも、私の素敵な『弟』でいてね……」
 
 三月二十一日。
 その日はとても暖かな日で、桜のつぼみも一気にふくらみそうな感じだった。
 夜遅くに帰ってきた圭太は、幾分眠そうな様子で部活に向かった。
「圭兄、眠そうだね」
「ん、少しだけ眠いかな」
「部活あるのに、遅くまで鈴奈さんのところにいたからだよ」
 朱美の言葉には、若干トゲが含まれていた。
「まあ、それはわかってるんだけど。さすがに昨日は、断れなかったし」
「……圭兄は、鈴奈さんのことになると、いつも断れないけどね」
「そんなことはないよ」
「ふ〜ん、そうかな〜? 圭兄、鈴奈さんには結構甘えてるからね。そりゃ、鈴奈さんは年上ですごく頼れる存在だけど」
「はあ、ようするに朱美は、自分も構ってほしいんだろ?」
「あはは、やっぱりわかる?」
「わかるよ。何年朱美の従兄をやってると思ってるんだ?」
「そうだね。だから、圭兄。ちゃんと私も構ってね」
「善処するよ」
 圭太は薄く微笑み、朱美の頭を撫でた。
 
 部活はパート練習が中心だった。
 コンサート用の曲の練習がはじまり、パート内でパート分けなども行う必要があったからだ。
 ただ、最終的にパートを決めるのは、新入生が入ってきてからとなる。
 トランペットでは圭太を中心に練習が行われていた。
「じゃあ、基本的なところはそんな感じでいいかな?」
「特に問題ないんじゃない?」
「あとは、やりながら調整していくから」
 基本的なパート分けが済み、練習がはじまった。
 トランペットの場合は、個人の能力がなかなか高いため、練習でもあまり問題は起きなかった。
 それでも、たまに圭太にいろいろ聞いて、アドバイスをもらったりしていた。
「先輩。このあたりは、アクセントを効かせた方がいいんですか?」
「そうだね、嫌味にならない程度にならいいと思うよ。ただ、合奏でみんなとあわせた時には変わるかもしれないけどね」
「わかりました」
 十二時前に音楽室に集まり、ミーティングを行う。
「今週か来週かはわからないけど、そろそろコンクールの課題曲が届くから。届いた日に全員で選曲作業も行うから覚えておいて。あと、今週中に先生の合奏があるから、基礎練は怠らないように。それじゃあ、おつかれさまでした」
『おつかれさまでした』
 部活が終わると、みんな三々五々、帰っていく。
「はあ……」
「どうかした、柚紀?」
「なんかさ〜、こう暖かいと、眠くなるっていうか。春眠暁を覚えず、って感じなのよね」
「確かに今日はずいぶん暖かいけど」
「日向でぬくぬくとお昼寝でもしたいなぁって」
 柚紀はピアノにもたれかかり、ほわほわとそう言った。
「あれ、柚紀は昨日、うちで昼寝してたと思ったけど?」
「ん〜、そういえばそうね。なんかすっごくあったかかったから、ついうとうととね」
「ま、わからないでもなかったから、起こさなかったんだけどね」
 圭太は日誌を書きながら微笑んだ。
「さてと、紗絵。戸締まりの方は大丈夫?」
「はい、確認しました」
「じゃあ、音楽室を閉めるよ」
 全員を外に出し、音楽室の鍵を閉める。
「僕は職員室に鍵を返してくるから」
 圭太はいつものように職員室へ。
 柚紀たちは揃って昇降口へ。
「そういえば、今日からだったよね、祥子先輩が『桜亭』でバイトはじめるの?」
「そうですね。今日のお昼からだって言ってました」
「じゃあ、そろそろはじめてる頃か」
「でも、今日は様子見だって琴美伯母さんも言ってましたから」
「ん〜、じゃあ、冷やかしとかはできないか」
「……冷やかしって、そんなことするつもりだったんですか?」
「まあ、祥子先輩は私にとって、最大のライバルだから」
 柚紀は冗談めかしてそんなことを言う。
「ねえ、三人とも。今日って、なにか予定あったりする?」
「今日ですか?」
「うん」
「私は特にないですけど」
「私もないです」
「私もです」
「じゃあさ、四人でちょっと出かけない? いい天気だし、ちょうどいいと思うんだけど。どうかな?」
「いいんじゃないですか?」
「いいと思いますけど、どこに行くんですか?」
「さあ、それは足の赴くまま気の向くまま、じゃないかな」
 結局、柚紀の意見に反論はなく、四人で出かけることになった。
 
「ありがとうございました」
 祥子は、意外に自然に挨拶を返した。
 その日から祥子のバイトがはじまった。
 初日ということでまだまだ様子見の状況だが、それでも少しずつウェイトレスの仕事を割り当てられる。
 琴美とともみがいるおかげもあるのだろうが、祥子の手際はなかなかのものだった。
「いらっしゃいませ」
 休日ということで、客の入りはまあまあだった。
 すっかりバイトに慣れたともみが、手際よく応対し、注文の品を運ぶ。
 祥子は、その姿を見てこれからの参考にしている。
「実際にやってみて、どうかしら?」
「やっぱり、まだ気後れする部分がありますね。自分では自然に接しているつもりなんですけど、ともみ先輩に言わせるとまだまだ固いみたいです」
「最初から上手くできる人なんていないから、心配いらないわよ」
「やっぱり、慣れの問題ですか?」
「それももちろんあるわね。いろんな人を見て、どんな応対をすればいいか学ぶの。そうすれば常に自然体で接することができるわ」
 琴美は丁寧にアドバイスする。
「あとは、そうね……一度失敗した方が、早くいろいろと覚えられるわね」
「失敗ですか?」
「そう。たとえば、注文を間違うとか、お釣りを間違うとか、食器を落としてしまうとか。そういうことがあると、もう二度としないって思えるでしょ? だから早く覚えるの」
「なるほど、確かにそうかもしれないですね。でも、できるだけ失敗しないようにしていて、失敗するのはすごく難しいですね」
「ふふっ、それはね。もちろん、失敗はしない方がいいに決まってるけど、もし失敗してもそう考えられれば、前向きに仕事ができるでしょ?」
「そうですね」
「琴美さん、注文お願いします」
 そこへともみが注文を持ってくる。
 琴美はその注文通りに品を用意する。
「はい、お待たせ」
 紅茶のケーキセットが注文だった。
 ともみは、それを手際よく運ぶ。
 そのお客に運ぶと、とりあえず一段落である。
「ふう、こんなものかな」
「さすがの手際ですね、先輩」
「まあね。もう九ヶ月もやってるし。でも、まだまだ琴美さんや鈴奈さんには追いつけないんだから」
「先は長いですね」
「接客業だからね、それもしょうがないわよ」
 ともみは結んでいた髪を一度解き、もう一度結び直した。
「ともみさんはそろそろ休憩していいわよ」
「わかりました。じゃあ、祥子。休憩入るから」
「はい」
 ともみは、エプロンを外し、居住部へ。
「おつかれさまです、ともみさん」
「あら、どうしたの?」
 リビングでは、圭太がなにやら作業をしていた。
 テーブルの上には、楽譜があった。
「コンサートでやる曲のスコアを借りてきたんですよ。これから練習も本格化しますし、僕もなにかと先生にさせられますから」
「菜穂子先生、ホントに圭太のこと、頼りにしてるからね。それもしょうがないわね」
 ともみはそのうちのひとつを手に取り、パラパラとめくる。
「ふ〜ん、今年はこれをやるんだ。レベル的には、例年並みね」
「ええ、あまり難しくならないようにしました」
「で、コンクールの自由曲はどれになると思ってるの?」
「まだどこまでそれぞれできるかわかりませんけど、たぶん、これになると思います」
 そう言って圭太は、見ていたスコアを渡した。
「ドビュッシーの『海』か。まあ、妥当な線かな」
 ドビュッシーの『海』とは、正式には『交響詩『海』三つの交響的スケッチ』と言う。海の夜明けから真昼まで、波の戯れ、風と海との対話の三曲で構成されている。
「とすると、やっぱり風と海をやるわけよね?」
「そうなりますかね」
「じゃあ、圭太は大活躍か。確か、ペットにソロ、あったわよね?」
「ええ、あります」
「当然、圭太がファーストでしょ?」
「そうなりました。僕としては、夏子や紗絵でもいいとは思ったんですけど」
「ダメダメ。コンクールのことまで考えれば、圭太がやらないと」
 ともみはそう言い切る。
「圭太がソロをやれば、今年も全国行けるわね」
「別に僕だけじゃ行けませんよ」
「ま、それはそれよ」
 スコアを圭太に返し、ともみはひと息つく。
「祥子先輩はどうですか?」
「まずまずだと思うわ。まだちょっとぎこちない部分もあるけど。思ってたよりもいろいろできてる。やっぱり、祥子は普通のお嬢様じゃないわ」
「そうですか」
「やっぱり、心配?」
「心配はしてませんでしたけど。気にはなってました」
「ふ〜ん、なるほどね」
 しばし、言葉を交わさず、圭太はスコアを見て、ともみはその様子を見ていた。
「そういや、今日は朱美の姿を見ないわね」
「帰ってきて、昼を食べて出かけました。どうも、柚紀と一緒にどこかへ行くみたいでしたけど」
「柚紀と? そりゃなんというか、珍しい組み合わせね」
「行くのは朱美だけじゃなくて、紗絵や詩織も一緒みたいでした」
「一年トリオ? いったい柚紀はなにをしようっていうのかしらね?」
「さあ、僕にもわかりません」
 
 その頃、駅前商店街では、柚紀と一年トリオがウィンドウショッピングを楽しんでいた。
「これなんてどう?」
「すっごくカワイイですね」
「こっちのはどうですか?」
「おっ、それもいいわね」
 四人、とてもわいわいと楽しそうである。
「でも、先輩はなにを着ても似合うからいいですよね。私なんて、似合うのを選んで着ないといけないですから」
「そうそう、私もそうだから大変なんだよね」
 朱美と紗絵は、嘆息混じりにそう言った。
「ふたりだって、もう少し背が伸びてスタイルもよくなれば、どんな服だってあうようになるわよ」
「背は伸びるかもしれませんけど、スタイルは微妙です」
「そういう点で言えば、詩織はなんの悩みもないでしょ?」
「えっ、悩みですか? ん〜、今のところはないかもしれません」
「そうよね。詩織は私より背は高いし、スタイルだってきっとよくなる。むぅ、やっぱり詩織は要注意人物ね」
「えっと……」
 詩織は、なんと言っていいのかわからず、苦笑するしかなかった。
 その後もあちこちの店に入り、あれやこれや見てまわった。
「う〜ん、たまにこうやって女だけで買い物するのもいいわね」
 柚紀たちは、駅向こうの公園でひと休みしていた。
 吹く風はとてもさわやかで、三月の風とは思えないほどだった。
「先輩。どうして私たちだけで出かけようと思ったんですか?」
 と、紗絵が一番気になっていたことを訊ねた。
「どうしてって訊かれるとちょっと困るけど。そうね、強いて言えば、もっともっと三人と仲良くなりたかったからかな」
 柚紀は、穏やかな表情でそう言った。
「三人はさ、正直私のこと、どう思ってる? なにを言っても怒らないから」
 三人は顔を見合わせた。
 いきなりそう訊かれるとは思っていなかったのだろう。
「じゃあ、最初は朱美ちゃん」
「え、あ、私ですか?」
「うん」
「えっと、そうですね……最初は圭兄を取っていった人、だったんです。私はずっと前から圭兄のことが好きだったのに、出逢って間もない先輩に取られて、悔しかったです」
「私がその立場でもそうだろうけどね」
「ただ、先輩のことを知っていくうちに、少しずつ考えも変わってきました。もちろん、悔しいことに変わりはなかったですけど、でも、圭兄が先輩を選んだ理由もなんとなくわかりましたから」
「なるほどね」
「だから、今は素直に認められます」
「ありがと。じゃあ、次は紗絵ちゃん」
「私も、最初は朱美と同じような気持ちでした。どうして私じゃなくて、先輩なんだろうって。前に圭太先輩に訊いてみたことがあるんです」
「ん、なにを?」
「もし私が告白していたら、どうしましたかって」
「そしたら?」
「厳密にどっちとは言ってもらえませんでしたけど、可能性としては受け入れてくれたかもしれないってことだったんです。それを聞いて、私はつくづく思いました。やっぱり、想いを伝えなければどんなに先輩のことが好きでもダメなんだって。先輩が柚紀先輩を選んだのは、柚紀先輩が自分の想いを素直に伝えられたからだと思うんです。私は、それができませんでしたから」
 紗絵は、少しだけ淋しそうにそう言った。
「ただ、先輩」
「うん?」
「あまり私たちの前であからさまなこと、しないでくださいね。わかってはいても、悔しいですから」
「あはは、了解了解。これからは、ほどほどにするから」
「お願いします」
「じゃあ、最後。詩織」
「私の場合は、朱美や紗絵とはちょっと違います。先輩のことを知ったのも遅かったですし。だから、柚紀先輩のこともすんなりと受け入れられました」
「そうなんだ」
「先輩は、今では私にとっての目標ですから」
「目標?」
「はい。先輩みたいになれれば、もう少し圭太先輩にも近づけるかもしれないので」
「ああ、なるほどね。そういう考えもありか」
 柚紀はなるほどと頷いた。
「でも、詩織はそのままの方がいいんじゃないの?」
「どうしてですか?」
「だって、その方が圭太好みだし。あまり変わらない方が、私はいいと思うけどね」
「…………」
 柚紀にそう言われ、詩織は少し真剣に考えている。
「あの、先輩。逆に先輩は私たちのこと、どう思ってますか?」
「ん〜、そうだなぁ、これは前にも言ったかもしれないけど、朱美ちゃんと紗絵ちゃんはまだちょっと、私をおびやかす存在ではないわね。ただ、詩織はもう要注意人物だから。祥子先輩、鈴奈さんと並んで気をつけないと」
 柚紀は、少しだけわざとらしく言った。
「じゃあ、私たちが先輩をおびやかす存在になるためには、どうすればいいんですか?」
「それは簡単よ。圭太の中で、妹みたいな存在から抜け出せばいいだけだから。そこにいるうちは、ダメね」
「……かなりかかりそう」
「まあでもさ、私は三人とはそういうのを抜きにして、もっともっと仲良くなりたいの。せっかく知り合ったわけだからね。そりゃ、仲良くなったって圭太は絶対に渡さないけどね。だから、今日こうやって一緒に出かけようと思ったの。わかった?」
 三人は一様に頷いた。
「よし、そろそろ行きましょ。今度は……カラオケにしよ、カラオケ」
「いいですね」
「思い切り歌いましょう」
「じゃあ、しゅっぱ〜つ」
 四人は、かしましくも仲良くカラオケに向かった。
 その姿を見て、誰が『恋敵』だと思うだろうか。誰もそう思わないだろう。
 それが、圭太のまわりに集まった女性陣のいいところでもあった。
 まあ、柚紀には微妙なところかもしれないが。
 
 その日の夜。
「どうでしたか?」
「今日は、思っていたよりもできたかな。でも、これからもそうとは限らないからね」
 圭太は、バイトを終えた祥子を家まで送っていた。
「母さんもともみ先輩も褒めてましたよ。初日にしてはまずまずだって」
「うん、それは私も聞いたよ。だからこそ、明日からもがんばらないと」
「がんばるのは構いませんけど、がんばりすぎないでくださいね。春休みの間は僕や琴絵、朱美だって手伝いに入れますから」
「わかってるよ。圭くんに迷惑かけない程度に、がんばるから」
 そう言って祥子は微笑んだ。
「私の生活も少しずつ変わってきて、本当に高校を卒業したんだなって思うよ」
「確かに、もう新生活って感じですからね」
「だけど、圭くん。正真正銘高校生じゃなくなる前に、約束、守ってね」
「約束……」
「……忘れちゃったの?」
 途端、祥子は悲しそうな顔になる。
「確か、一日つきあうっていうのでしたよね?」
「うん、そう。よかった、覚えててくれて」
「祥子との約束ですから、忘れませんよ」
「それで、そろそろ具体的に決めたいと思うんだけど、いつがいいかな?」
「基本的に僕はいつでもいいですよ。ただ、土曜日は追いコンがありますから」
「それ以外となると……来週かな。さすがに今週はバイトに慣れたいから」
「そうですね。来週にしましょう」
「細かいことは、また後日私がバイトに行った時にでも決めよっか」
「わかりました」
「ん〜、早く来週にならないかなぁ」
 そう言って祥子は微笑んだ。
 
 六
 三月二十四日。
 その日、圭太は柚紀とデートをしていた。
 少し曇りがちながら、比較的暖かな日で、コートはスプリングコートで十分だった。
 早いところでは桜が開花し、いよいよ桜の季節到来。
 街中も自然とそんな雰囲気になってきていた。
 春休みとはいえ、平日の昼下がりである。
 商店街や駅前は、それほど混んではいなかった。
 ふたりは、ひとまわりしたあと、喫茶店に入っていた。
「世の中って、なかなか難しいわね」
 柚紀は、お茶を飲みながらため息をついた。
「せっかくカワイイのが見つかったと思ったら、人をバカにしたような値段だし。値段を落とすとなかなかいいのがないし。ホント、難しい」
「それでも柚紀は、いつも気に入ったのを見つけてると思うよ」
「まあね。そういう嗅覚だけは鋭いから、目ざとく見つけられるのよ」
「それが柚紀らしいよ」
 圭太は、のほほんと微笑んだ。
「ところでさ、圭太」
「うん?」
「新入生が入ってくる前に、ひとつ、約束しない?」
「約束? どんな?」
「圭太が、新入生に手を出さないっていう約束」
「えっ……?」
「だって、さすがにこれ以上は私でも厳しいもの。だから、約束。去年の詩織みたいなこともあるから」
「まあ、約束するのは構わないけど」
「じゃあ、新入生には手を出さないでよ?」
「わかったよ。と言っても、詩織のことだってそうしようと思ってたわけじゃないんだけどね」
「それは当たり前よ。私っていう、れっきとした婚約者までいるんだから。なのに、ほかの子に手を出すなんて、それは浮気でしかないんだから」
「……それを言われると、なにも言えないけど」
「だからこそ、今年はちゃんと約束したの。これで少しは安心できるだろうし」
 柚紀は、満足そうに頷いた。
 それから少しゆっくりして、喫茶店をあとにした。
「だいぶ日没も遅くなってきたけど、夕方になるとさすがに少し肌寒いね」
「そうだね。薄着のまま、夕方以降外に長居するのはよくないね」
「うん。というわけで、そろそろ帰ろ。デートの続きは、圭太の部屋でね」
 
「はっ、んんっ、圭太っ」
 圭太の上で、柚紀は嬌声を上げた。
「ダメっ、止まらないのっ」
 自ら腰を動かし、快感をむさぼる。
 圭太も下から突き上げ、柚紀を感じさせようとしている。
 胸に手を伸ばし、突起をいじりながら揉む。
「んっ、圭太っ、圭太っ、んあっ」
 圭太のモノが、柚紀の最奥を突く。
「圭太っ、私っ、もうっ」
 そろそろ動くのも疲れてきているのだが、それよりも快感が勝っていた。
 本能だけで腰を動かし、絶頂を導こうとする。
「んんっ、あんっ、あっ、あっ」
 次第に圭太の方も限界を迎えつつあった。
「圭太っ、わたしっ、あうっ、んんっ」
「柚紀っ」
「んくっ、んんっ、あああああっ!」
 柚紀は、弓なりにのけぞり、達した。
 同時に、圭太も柚紀の中にすべてを放っていた。
「ん、はあ、はあ……」
「はぁ、はぁ……」
「気持ち、よかった……」
 柚紀は、満足そうに微笑み、圭太にキスをした。
 
「エッチのあと、こうやって圭太に抱きしめてもらうの、もう何度目だろ」
「さあ、何度目かな」
「もうこれが当たり前になってるから、数もわからないね」
 言うように、圭太は裸のままの柚紀をいつものように抱きしめていた。
「こういう些細な幸せが積み重なって、大きな幸せが生まれるのかな」
「たぶん、そうなんだろうね」
「じゃあ、私たちにとっての大きな幸せって、なんだろ?」
「結婚?」
「妊娠? 出産?」
「そのどれもだろうね。とりあえずは、結婚が節目にはなるだろうけど」
「そうだね。私がその時に幸せを実感するのは、名字が同じになった時だろうなぁ。やっぱり、なにか形があって、目に見えるものの方が、実感できるからね」
 それはそうであろう。
 形に残らないものでは、その場限りになってしまう可能性もある。形が残り、目に見えていれば、いつまでも続いていると実感できる。
「やっぱり最初のうちは間違っちゃうのかな? 電話なんか、間違えそう」
「そういうのは、実際に名字を変えた人に訊いてみれば?」
「それもそうだね。でも、うちのお母さんだと、その日のうちになじんでる可能性もあるからなぁ」
「それはいくらなんでも……」
「そういうのは、琴美さんに訊いた方がいいかも」
「母さんに?」
「うん。琴美さんなら、普通に過ごしてそうだし」
「う〜ん、まあ、僕はなんとも言えないけどね」
 そう言って圭太は苦笑した。
「高城柚紀、か……」
 柚紀は、少しだけ遠い眼差しでそう呟いた。
 
 三月二十六日。
 関東地方の桜も、開花までカウントダウンに入ったその日、一高吹奏楽部では卒業生の追い出しコンパが予定されていた。
 いつものように午前中は部活をして、午後はなにもなし。そして、夕方から追いコンである。
 追いコンは伝統的に私服で行う一高である。部活が終わると全員、すぐに家に帰った。
 圭太もその日ばかりは早めに切り上げ、帰宅した。
 昼食を食べ、のんびりとした午後を過ごし、時間を待つ。
 集合時間は五時、集合場所は繁華街の広場である。
 圭太は、集合時間に間に合うよう、朱美とバイトに入っていた祥子と一緒に家を出た。
 駅前は、土曜日ということで少し人が出ていた。
 四十五分には集合場所に到着した圭太たち。
 その時間には、ちらほらと部員の姿もあった。
「そういえば、先輩。先輩たちは、どのくらい進路が決まったんですか?」
「確か、二十人中十三人だったかな。去年とほぼ同じだよ」
「そうですか。それを聞いて安心しました」
「ふふっ、やっぱり気になる?」
「ええ、気になります。特に、進路って結構デリケートな問題じゃないですか。だから余計ですよ」
「そっか。でも、ペットのふたりは、ともに合格したはずだから、とりあえず心配ないよね」
「はい」
 そうこうしているうちに、卒業生も現役生もほとんど集まった。
 都合で遅れてくる卒業生もいるから、参加者はほぼ全員揃ったことになる。
「それじゃあ、そろそろ移動しますので、ついてきてください」
 幹事の綾が先頭に立ち、移動する。
 会場は、やはり例の居酒屋だった。大人数で飲んで騒いでできるのは、やはりそうないのである。
 おおよそパートごとに席に着き、追いコンははじまった。
「それではこれから追い出しコンパをはじめたいと思います」
「いよっ、待ってましたっ」
「ええ、例によって例のごとく、先輩方からは後ほどひとりずつコメントをいただきますので、しっかり考えておいてください」
 同時にブーイングが上がる。
「静粛に。まずは、乾杯をしましょう。今年の乾杯の音頭は、信一郎先輩にお願いしたいと思います」
「ええ、では、誠に僭越ながら、私、田村信一郎が乾杯の音頭を相務めます。それではみなさん、グラスは持ちましたか?」
 みんな、グラスを持つ。
「それでは、一高吹奏楽部のこれからと、我々卒業生のこれからを祈って、乾杯っ!」
『かんぱ〜いっ!』
 威勢のいいかけ声で、乾杯は行われた。
 まずは飲み食いで場の雰囲気を盛り上げ、和らげる。
「よっ、圭太。飲んでる?」
 早速、圭太のところへ襲撃者。
 やって来たのは、はじまって間もないというのに、すでに顔が赤い葵である。
「いやあ、私も卒業よ。ホント、あっという間だったわ」
「光陰矢のごとし、ですか?」
「そうそう、それそれ。そんな感じ。でも、この三年間、とっても楽しかったから、ちょっとだけ名残惜しいかも」
「それくらいがちょうどいいのかもしれませんね」
「確かにね。ま、でもさ、私も四月から女子大生だし、いつまでも高校のことを引きずってちゃダメなのよね。心機一転くらいの気持ちじゃないと」
「そこまでわかってるなら、問題ないんじゃないですか?」
「当然。私を誰だと思ってるの?」
 そう言って葵は、愉快そうに笑った。
 ちなみに、葵は徹と同じ大学へ行く。なんだかんだ言いながら、このふたりもとても仲がいいのである。
「おっ、葵が圭太に絡んでる」
 そこへ、さらに裕美と彩子がやって来る。
「へっへ〜ん、いいでしょ。私が先に絡んだんだから」
「ああ、はいはい。よかったよかった」
「なにおぉ、私のこと、バカにしたでしょ?」
「してないわよ」
「おのれぇ……」
「まったく、葵はお酒弱いくせにたくさん飲むんだから」
「私は、まだまだ酔ってないわよぉ」
 次第にろれつもまわらなくなってくる。
「ま、酔いつぶれたら徹に頼めばいいだけの話だから、いいんだけどね」
 裕美と彩子は、揃って徹を見た。
 その徹は、なにやら一年男子を前に語っているようである。
 その後、圭太は本当に多くの卒業生に絡まれた。
 人徳のなせる業なのかどうかは、わからないが。
「それでは、そろそろ、お待ちかねのコメントコーナーにいきたいと思います」
 宴もたけなわな頃、再び綾が前に立った。
「今年は、祥子先輩と仁先輩以外は、ランダムに選ばせていただきます」
 そう言って卒業生の名前が書いてる紙の入った箱を見せた。
「では、まず最初に──」
 
 卒業生全員が来ているわけではないが、それでも結構な人数なので、時間がかかった。
 コメントの内容としては、三年間を振り返ってと、春からのことが主だった。
「それでは最後に、前部長の三ツ谷祥子先輩からまとめのコメントをいただきます」
 最後は祥子である。
「まず、今日は私たちのために追いコンを開いてくれてありがとう。今年もちゃんとやってくれて、それだけでひと安心という感じかな」
 そう言って笑う。
「この三年間、一高吹奏楽部の一員として活動ができて、とても幸せだったわ。なんといっても、二年連続で全国大会金賞を取ったことが一番の想い出よ」
 祥子はそのことを思い出しながら話す。
「コンクールはもちろん想い出だけど、それ以外の普段の活動もすごく楽しかった。これは、部活に入ってない人にはわからないことだと思うけどね。あとは、みんなひとりひとりといろんな想い出ができて、とてもよかったし、嬉しかった。私は春から大学に行くけど、たまにみんなの様子を見に行くから、その時はよろしくね」
「わかりました〜」
「私たちが卒業しても、優秀な後輩たちがいるから、なんの心配もしてないわ。だから、今年も全国大会出場とコンサートの成功に向けて、全力でがんばって」
『はいっ』
「卒業生はコンサートにはなにがあっても手伝いに来ること」
「わかってるって」
「あとは、特になし。うん、これで私のコメントは終わり」
 祥子はコメントを言い終え、お辞儀した。
「先輩方、ありがとうございました。では、そのコメントに対して、現役生を代表して部長から先輩方へコメントがあります」
 綾がそう言うと、圭太が前に出た。
「先輩方、卒業おめでとうございます。今日の追いコンは、どうだったでしょうか? 毎年のことなので代わり映えはしませんが、楽しんでいただければ幸いです。新年度からはまた新たな目標に向かって全員でがんばっていきます。その際、いろいろアドバイスなどをいただければ、本当に助かります。そして、それを糧にして、一高吹奏楽部をより発展させることを、今ここでお約束します」
 圭太は、少しだけ真剣な表情でそう言い切った。
「あまり長くなると、せっかくの場が盛り下がってしまうので、このあたりで締めさせていただきます。最後に改めて、先輩方、卒業おめでとうございます。そして、今までありがとうございました」
 同時に拍手がわき起こった。
「では、あとは時間まで飲んで食べて騒いでください」
 
「ん〜、いい気持ち」
 追いコンが終わって、圭太はいつもメンバーと家路に就いていた。
「祥子先輩、今回は泣きませんでしたね」
「うん。私だって、いつもいつも泣いたりしないよ。あんまり泣いちゃうと、圭くんに迷惑かけちゃうし」
 そう言って祥子は微笑んだ。
「でも、去年のともみ先輩の気持ち、よくわかったな」
「やっぱり、わかりますか?」
「うん。だから、圭くんも来年、私や先輩の気持ち、きっとわかると思うよ」
「そうですね」
 先輩から後輩へ、伝わる想いがある。
「圭くん。これからも一高吹奏楽部をよろしくね」
「はい」
「そして、みんなは圭くんを陰に日向に支えて、今以上の部にしてね」
『はい』
「よし、これで前部長としての注文は終わり」
「祥子先輩。今まで、ありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします」
「うんっ!」
 今年もまた、想いは確実に受け継がれた。
 
 七
 三月二十九日。
 横浜や東京、千葉など関東南部は桜が開花した。
 一高では前日、新入生説明会が行われた。
 吹奏楽部では、その説明会にあわせ、練習を外で行ったりしてPR活動を行った。
 直接的な勧誘はまだできないが、それでも多少なりともほかの部を先行できた。
 その日の部活は、いつも通りだった。
 それでも、コンサートの準備が少しずつはじまり、そろそろパンフレットに載せる広告取りもはじまる。
 とはいえ、本格的にはじめるのは、もちろん新入生が入ってきてからとなる。
 午前中で部活を終え、圭太は早めに帰った。
 家に帰ると、すぐに着替え、店の方に顔を出した。
「ただいま、母さん」
「おかえりなさい、圭太」
「祥子先輩は?」
「まだ来てないわよ」
「そっか。じゃあ、もう少しかかるかな」
 時計を見て、ひと息ついた。
「それにしても、圭太もマメよね。普通は彼女ひとりだけでも大変なのに、できるだけ平等に接しようとしてるんだから」
「僕が自分で決めたことだからね。それができなくなったら、もうその関係を終わりにしなくちゃいけないし」
「まあ、そのあたりのことまで口を出すつもりはないけどね」
 それから少しして、少し息を切らせた祥子がやって来た。
「ごめんね、圭くん。ちょっと遅くなっちゃった」
「いえ、そんなに遅くなってませんから、気にしないでください」
 祥子は、春らしい桜色のワンピースにクリーム色のカーディガンを羽織っていた。
「じゃあ、行きましょうか」
「うん」
 
 去年のGWにも訪れたことのある、三ツ谷家のセカンドハウス。
 あたりはまだ田んぼも冬のままで、少々淋しい感じもあった。
 それでも、あぜ道などには確実に春を思わせる草花が顔を出し、見る者を楽しませてくれた。
「さ、入って」
 中は、相変わらずなにもなかった。
「窓、開けますね」
「うん、お願い」
 窓を開け放ち、外の空気を入れる。
 少し湿っぽかった空気が、新鮮な空気に入れ替わる。
「今、お茶淹れるから、座って待っててね」
「わかりました」
 祥子は、ヤカンでお湯を沸かす。
 ヤカンがコトコトと音を立てる。
 茶葉を入れたポットにお湯を注ぐと、ふわっといい香りが広がった。
「今日はね、お菓子も持ってきたの」
 そう言って祥子は、バッグの中から入れ物を取り出した。
 入っていたのは、クッキーとパイだった。
「遠慮なく食べてね」
「いただきます」
 圭太は、クッキーをひとつ手に取り、口に運んだ。
「どうかな?」
「美味しいですよ。やっぱり祥子は料理が上手ですね」
「ふふっ、ありがと」
 祥子は嬉しそうに微笑み、自分もひとつ頬張った。
「ん、美味し」
 それからふたりは、お茶を飲みお菓子を食べ、ゆったりとした時間を過ごした。
「圭くんはさ、部活を引退したら、どうするつもりなの? 大学へ行かないわけだから、特別受験勉強する必要もないし」
「そうですね。まだ具体的なことは決めてませんけど、とりあえずは店の手伝いをしながら、部活に顔を出して指導でもするんじゃないでしょうか」
「やっぱり、そういう感じかな?」
「おそらくは。まあ、実際はその頃にならないとわかりませんけどね」
「そうだね。でも、菜穂子先生なら、どんどん圭くんに頼みそうだよね」
「それはそれで構わないと思いますよ。僕にはそれをするだけの時間があるでしょうから」
「あと、紗絵ちゃんも圭くんのこと、どんどん頼ってきそう」
「紗絵は、大丈夫じゃないですか?」
「どうして?」
「いえ、三中の時もそれほど頼まれませんでしたから」
「それは、圭くんも受験だったからだよ。いくらなんでも、受験勉強を邪魔してまで頼もうとは思わないもの」
「……言われてみれば、そうですね」
 圭太はなるほどと頷いた。
「そうすると、紗絵ちゃんに頼まれる可能性も十分にあるでしょ?」
「そうですね。まあ、断る理由はないですから、できる限りやると思いますよ」
「圭くんが指導すると、いいことと悪いこと、両方あるんだよね」
「両方ですか?」
「うん。いいことは、やっぱり圭くんと一緒にできるってこと。マンツーマンなんかでできれば、もっといいかな。でも、それは逆に悪いことでもあるの。圭くん、練習に対しては絶対に妥協しないからね」
「妥協すると、それを繰り返してしまうと思うので、あえて妥協しないんですよ」
「それはわかってるよ。でも、ほかの人はそれをなかなか受け入れられないから。その悪いことを克服できるなら、どんどん圭くんに指導してもらうんだけど」
 そう言って祥子は苦笑した。
「紗絵ちゃんは、圭くんの指導にもだいぶ慣れてるから、特にマンツーマンで指導を頼んでくるかも」
「それは、いいことなんですか? 悪いことなんですか?」
「う〜ん、微妙だね。紗絵ちゃんが上達することは部にとってはいいことなんだけど、私たちにとっては、あまり歓迎したくないかな」
「どうしてですか?」
「だって、理由はどうあれ、圭くんとふたりきりになるんだから」
「それはそうかもしれませんけど、僕は練習中に私情は絶対に挟みませんよ」
「そう、それだけが唯一の救いだね。圭くんが練習に私情を挟む人だったら、みんなで絶対に阻止するよ」
「大げさですよ」
「大げさじゃないよ。それくらいゆゆしき問題なんだから」
 祥子は少しだけ真剣に言った。
「圭くんは、まだまだちゃんとそういうの、理解してないから。いい? 私たちが圭くんとなにをしても認められるのは、柚紀だけなの。ほかのみんなだと、どこかに認められない部分があるんだから。そのあたりは、ちゃんと覚えておいてね」
「わかりました。肝に銘じておきます」
「うんうん、よろしい」
「でも、そうすると、僕は祥子に対してもあまりいろいろできなくなりますね」
 と、圭太が反撃に出た。
「えっ……?」
「今の祥子の話からすると、そうなりませんか?」
「えっと、まあ、そうかもしれないけど」
「今、こうしてるのも本当はよくないのかもしれませんね」
 圭太は、少しだけ意地悪くそう言う。
「ううぅ、圭くんのいぢわる」
 祥子は、涙目で抗議する。
 ポカポカ、という擬音でもつきそうな感じで圭太の胸を叩く。
「冗談ですよ。ちょっとだけいぢわるなことを言ってみたくなっただけですから。本当にそう思ってるわけじゃありません」
 そう言って圭太は、祥子を抱きしめた。
「もしそう思ってるなら、こんなことしませんよ」
「うん、そうだね……」
 現金なもので、それだけで祥子はすっかり機嫌を直した。
「ね、圭くん。エッチ、しよ」
 そう言って祥子は、自分からキスをした。
「ん……あ、ん……」
 圭太はキスをしながら、ワンピースのファスナーを下ろす。
 上半身をはだけさせ、ブラジャーの上から胸を揉む。
「あん、んん……」
 それだけで祥子は力が入らなくなってくる。
 祥子をソファに横たえ、ついでにワンピースを脱がせてしまう。
「圭くん……」
 下着姿になり、祥子の頬に朱が走る。
「ねえ、圭くん」
「なんですか?」
「私にしてほしいこと、ある?」
「してほしいことですか?」
「うん。私、エッチのことはあまりよくわからないから。だからもし、圭くんがしてほしいことがあったら、言ってほしいの」
 祥子は真剣な表情でそう言った。
 それに対して圭太は、祥子の髪を撫でながら答えた。
「別に、してほしいことなんてありませんよ。僕は、なにかをしてほしくて祥子を抱いてるわけじゃないんですから」
「でも……」
「じゃあ、こうしましょう。もし祥子が今までと違うことをしたいなら、そういうのをどこかからか調べてみてください」
「調べるの?」
「はい。そういう類のものは、たくさんありますから。それでもなお、そう思うなら僕も考えますから」
「……うん、わかったよ。いろいろ調べてみる」
 祥子は神妙な面持ちで頷いた。
 圭太としても、祥子がそういうことを考えてしまう気持ちがわかるだけに、あまりむげにも扱えないのである。
 特に、圭太は祥子のことを特別扱いしているから、余計である。
「じゃあ、続けますよ?」
「うん」
 圭太はしきり直しにキスをして、ブラジャーを外した。
 最初から少し強めに揉む。
「んっ、あん……」
 手の動きにあわせ、形を変える胸。
 凝ってきた突起を口に含み、舌先で転がす。
「やんっ、んんっ」
 メリハリをつけながら、圭太は胸を揉み続ける。
 少し息が上がってきたところで、下半身に手を伸ばす。
 ショーツ越しに触れた秘所は、すでに濡れていた。
 ショーツを脱がせ、直接触れる。
「んあっ、あんっ、圭くんっ」
 指がすんなりと中に沈む。
 出し入れする度に、湿った音が響く。
 圭太は、そんな秘所に舌をはわせた。
「やっ、ダメっ、吸っちゃヤダっ」
 わざと音を立てて秘所を舐める圭太に、祥子は弱々しく抵抗する。
「圭くんっ、もうっ、やっ」
 閉じようとする足をしっかりと押さえ、舐め続ける。
「圭くん……もう我慢できないよぉ……」
 祥子は、今にも泣き出しそうな顔で圭太を求めた。
「いきますよ?」
「うん、きて……」
 圭太は、怒張したモノを、ゆっくりと挿れた。
「ん……ああ……」
 一番奥まで入ると、祥子は息を吐いた。
「圭くん……しっかり抱きしめて……離さないで……」
 圭太は、言われるまま祥子をしっかりと抱きしめた。
「圭くん……好き……」
 圭太は、そのまま腰を動かした。
 動きは多少制限されたが、それでも想いが上回っていた。
「んっ、あんっ、圭くんっ」
 祥子は、敏感に反応する。
「ああっ、んんっ、あっ、あっ、あっ、あっ」
 圭太にしっかり抱きつきながら、嬌声を上げる祥子。
「んあっ、圭くんっ、もっとっ」
 圭太は、ラストスパートという感じでさらに速く、激しく動く。
「ダメっ、圭くんっ、私っ!」
「祥子っ」
「んくっ、ああっ、んんっ、あああああっ!」
「くっ!」
 そしてふたりは、ほぼ同時に達した。
「はあ、はあ、圭くん……」
「はぁ、はぁ、祥子……」
「ん……」
 キスを交わし、微笑んだ。
 
 圭太は、沈む夕陽を見つめながら、祥子の髪を撫でていた。
「……圭くん」
「なんですか?」
「来年も再来年も、私たち、こうしていられるのかな?」
「それは……」
 その問いかけには、答えられなかった。
 たとえ圭太の中で祥子が特別な存在であっても、その質問は次元が違った。
 だからこそ圭太は答えられなかった。
「私、どんどん欲張りになってる。圭くんが私のこと、特別扱いしてくれるから、調子に乗ってるのかも」
「そんなことは──」
「ううん、自分のことだから自分が一番よくわかるの。本当は、そんなことじゃダメなのにね」
 祥子は、ささやくように、懺悔するように言う。
「でもね、私、本当に圭くんのこと、好きなの。世界中に圭くんしかいなくてもいいくらい好きなの。一日中、圭くんのことしか考えられなくてもいいの。だから、つらいの」
 唇を噛みしめる。
「圭くんが私の想いに応えてくれないのは、わかってる。それは絶対にあり得ないことだってわかってる。それでも、私は圭くんのことが──」
「そのくらいにしておきましょう」
「圭くん……」
「祥子は僕のことが好き。僕も祥子のことが好き。だからこうしている。それでいいじゃないですか。それに、この想いは柚紀と一緒になってからも変わりません」
「……ごめんね、圭くん……」
「謝らないでください。別に祥子はなにも悪いことはしてませんし、言ってないんですから」
「でも、でもね……」
「不安なら、僕が抱きしめてあげます。心配なら、励ましてあげます。だから、もういいじゃないですか」
 圭太は、少しだけ力を込め、抱きしめた。
「それでも足りないなら、ずっと、側にいますから……」
「圭くん……ごめんね……それと、ありがとう……」
 純粋な想いだからこそ、苦しむこともある。
 認められない想いだからこそ、悩むこともある。
 それでも、ふたりは後戻りはできないのである。
 
 八
 去年同様、圭太たちの住む街でも、日当たりのいい場所にある桜が咲き出した。
 開花宣言が出されるのもすぐであろう。
 春本番。
 今年も、桜の春がやって来た。
inserted by FC2 system