僕がいて、君がいて
 
第二十一章「深まる秋の一ページ」
 
 一
 夏休みが終わり、暦も変わった。
 とはいえまだまだ暑い日が続いていた。関東地方の一ヶ月予報では、少なくとも九月いっぱいは暑い日が続くということだった。
 そんな中、一高吹奏楽部は直前に迫った関東大会に向けて最後の練習を行っていた。
 今年のコンクールは九月四日、五日の二日間で、圭太たちが出場する高校大編成の部は一日目の四日だった。会場は千葉県文化会館である。
 一高は午後の早い時間の順番だったために、距離などを考え前日入りすることが決まっていた。
 従って練習は二日までしかできなかった。
「みんな、いよいよあさってが本番よ。県大会からここまでの間によくこれだけの演奏ができるようになったわ。これは私の予想をはるかに上回る結果よ。それだけは胸を張っていいわ。今持てる最高の演奏ができれば、今年も必ず全国大会へ行けるわ」
 練習の最後に、菜穂子は部員たちの志気を高める。
「確かに去年は全国で金賞を取ったけど、今年はそれは関係ないわ。チャレンジャーとして最高の演奏を目指して。いいわね?」
『はいっ!』
「それじゃあ、圭太」
「はい。明日は午前中は授業で、午後は公欠扱いになります。連盟のトラックは三時くらいに到着するということなので、それまでにトラックに積み込む楽器を用意します。それと、自分たちの出発は荷物を積み込み次第ということになります。予定では四時くらいになると思います。向こうに着くのはだいたい七時か八時、いずれにしても夜になります。詳細は道路の混み具合などでまったく変わってくるので、その都度連絡します」
 圭太は明日の予定をおおざっぱに説明する。
「なお、五日の演奏を聴きたいという人は、あらかじめ言っておいてください。自費にはなりますが、ホテル連泊の手続きも取れますので。それじゃあ、今日はおつかれさまでした」
『おつかれさまでしたっ』
 すべての練習が終わり、あとは本番を迎えるのみである。
 部員たちの間にも少しずつ緊張感が高まっていた。
 特に大きな大会がはじめての一年はかなり緊張していた。もちろん一年は全員出られるわけではない。それでも部員一丸となってここまでやってきたわけである。緊張もするだろう。
「圭太。三中の分は券、取ってある?」
 そう訊いてきたのは、裕美である。
「ええ、一応人数分は確保してあります」
「みんな残るの?」
「今のところはそう聞いてますけど」
「そうなんだ。まあ、三中も三年連続全国がかかってるからね」
「ふたりでなに話してるの?」
 そこへ、ちょっと面白くなさそうな祥子がやって来る。
「ん、五日のこと。三中のことでちょっとね」
「裕美も残るんだよね?」
「当然。ま、ホテル代と電車賃は結構痛い出費だけどね」
「千葉の方には親戚とかいないから、そういうの利用できないからね」
 祥子の論点は、少しずれていた。
「それで、三中出身者以外だとどれくらい残る予定なの?」
「えっと、今のところの予定だと、あと十人くらいですね」
「ということは、全部で二十人くらいか。まあ、そんなもんかな」
 部員が六十一人ということを考えれば、かなり多い方である。
「ホテルもダブルに三人ぶち込んで、宿泊費浮かせれば問題ないし」
「……バレると問題ですよ、それ」
「大丈夫だって。ルームサービスとか頼まなければ問題ないって」
 そう言って裕美は笑う。
「だけど、その前に私たちの本番があるからね」
「そうですね。全力でがんばって、全国へ」
「うん」
 
 次の日。
 午前中の授業が終わると、吹奏楽部員は音楽室に集まっていた。
 皆、少し大きなカバンを持っている。少なくとも一泊するのだから、そういう荷物にもなろう。
 音楽室でお昼を食べ、早速楽器の搬出である。
 トラックに積み込む楽器を音楽室から裏の駐車場まで運ぶのである。
 男子部員を中心に次々に楽器を運び出す。
 ひとつの忘れ物も許されないため、それぞれのリーダーは細心の注意を払っている。
 確認しながらの作業だったために、すべてを運び終えたのは二時半をまわってからだった。
 菜穂子の方には連盟から連絡が入り、予定通り三時くらいの到着するということだった。
 それにあわせ、移動用のバスの方も手配する。おおよその時間を告げ、学校に来てもらうのだ。
「おっ、やってるわね」
「ともみ先輩?」
 そこへ、ともみたちOGが数人、顔を出した。
「どうしたんですか?」
「ん、出発前の激励にと思ってね。先生は?」
「職員室にいると思いますけど」
「そっか。じゃあ、あとでいいわ」
 そう言ってともみは苦笑した。
「で、部長さん。現在の調子はどうですか?」
 ともみは冗談めかしてそう言う。
「悪くはないです。このままの調子を保って、今持てる最高の演奏ができれば全国へ行けます」
 圭太ははっきりと言い切った。
「そ。圭太がそこまで言うんだから、本当にいい感じなのね」
「ともみ先輩」
 ともみたちが来ていることが部員たちの間に広まり、二、三年を中心に集まってくる。
「あらら、すっかり囲まれちゃった」
「先輩。しっかり相手してくださいね」
「了解」
 部員のことをともみに任せ、圭太は荷物の最終確認を行う。
 やはり責任者である圭太の役目である。
「圭太」
「もういいんですか、幸江先輩?」
 一緒に来たうちのひとりは、幸江だった。
「うん。金管を中心にハッパかけてきたから」
 そう言って幸江は笑う。
 幸江の笑顔も、一ヶ月前とは明らかに違った。想いを遂げ、ひと皮むけた、そんな感じの笑顔だった。
 圭太も当然その変化に気づいている。そして、それの原因もわかっている。
「柚紀たちには?」
「いえ、まだ言ってませんし、気づかれてません」
「そっか。でも、近いうちに言うんでしょ?」
「そうですね。今月は柚紀の誕生日もありますし、そのあたりに話してしまうかもしれませんね」
 そう言って苦笑する。
「まあ、そのあたりのことは全部圭太に任せるから」
「はい、わかりました」
「ところで、圭太」
「なんですか?」
「全国、行けるよね?」
「ええ、行きますよ。必ず」
「気合い、入ってるわね」
「もちろんですよ。僕だって全国に行きたいですから」
 圭太は、ニッと笑った。
 それから少しして、連盟のトラックが到着した。
 楽器を次々に積み込む。この作業ももう手慣れたもので、実にスムーズだった。
 ものの十五分ですべての楽器を積み込んだ。
「それでは、よろしくお願いします」
 トラックは、一足先に会場へと向かった。
 圭太は一度部員を集める。
「バスは予定通り四時頃到着します。五十分には音楽室も閉めますので、それまでに荷物を持って正門のところに集合してください。それまで各自自由にして構いません」
 それで一時解散となった。
「圭太。ちょっと」
 圭太も自分の荷物をチェックしていると、ともみが声をかけてきた。
「伝言ある?」
「伝言て、琴絵とかにですか?」
「うん。まあ、琴絵ちゃんはあさって会えると思うけど、鈴奈さんはそうはいかないし」
「そうですね、じゃあ、お願いします」
「オーケー」
「まず、琴絵にですけど、とにかく落ち着いて、がんばれ、と」
「ふむふむ、なるほど」
「鈴奈さんには、がんばります、と一言だけで」
「……なんか、微妙に妬けるわね、それ」
「そ、そうですか?」
「ま、いいけど」
 ともみはそう言って笑った。
「先輩は、明日、来るんですよね?」
「もちろん。そのためにわざわざ『桜亭』も休みもらったんだから」
「そうですよね」
「明日は、最高の演奏を期待してるわよ」
「はい」
 
 四時過ぎに学校を出た吹奏楽部の面々は、一路千葉市を目指した。
 千葉までは高速などを使ってだいたい二時間から三時間くらいである。
 夕方に出たために、到着する頃にはもういい時間である。
 バスの中は、比較的静かだった。前日とはいえ、やはり緊張しているのだろう。
 車窓が茜色から闇色に変わる頃には、旅程もだいぶ来たことになる。
 首都高速から京葉道路に入ると、千葉はすぐである。
 宿泊予定のホテルは、会場からは少し離れた場所にある。とはいえ、市内のモノレールを使えばそれほどかからない場所ではあった。
 ホテルに到着したのは、もう八時前だった。途中、断続的な渋滞に巻き込まれたためにこの時間になったのだ。
「それじゃあ、部屋割りはすでに決めてある通りで。夕食は、部屋に荷物を置いてからにするから」
 部員たちは、基本的にはダブルの部屋に三人ということになっていた。あまり部屋をたくさん取ると、それだけ費用がかさむからである。
 部屋割りもいろいろあったのだが、ほとんどの部員は一泊しかしないので、本当に寝るだけの部屋である。それほど思い入れはなさそうである。
 部屋に荷物を置くと、部員たちは揃って千葉市街へと出た。さすがにホテルでの食事というわけにはいかなかった。
 全員で揃っての食事、というのはほぼ無理なので、いくつかのグループに分かれての夕食となった。
 夕食後は、もう寝るだけである。
 本番は、明日。
 
 九月四日。
 全日本吹奏楽コンクール関東大会第一日目。
 圭太たち一高吹奏楽部は、少し早めにホテルを出た。
 空は快晴。九月とはいえまだまだ陽差しは強く、暑くなりそうだった。
 会場となる千葉県文化会館の前には、大勢の参加者、観客がいた。
 コンクール自体は、小学校の部から一般・職場の部まであるために、参加者も様々である。
 会場に着くと、部員たちは演奏を聴くために中に入った。
 会場内はかなり混んでいた。
 立ち見も出ているほどで、さすがは地方大会というところだった。
 一高は、その様子を見て聴く組と外で待機する組とに分かれた。
 圭太はその中で外で待機する組にまわっていた。
「今年もやってきましたね」
「うん。ここでがんばらないと、今までのことがすべて無駄になっちゃうからね」
 圭太は、祥子と一緒にラウンジにいた。
「先輩にとっては最後のコンクールですからね」
「本当に最後になるかどうかはわからないけど、少なくとも高校では最後だからね。やっぱり全国に行きたいよ」
「大丈夫ですよ。いつも通りの演奏ができれば、必ず全国に行けます」
 そう言って圭太は微笑んだ。
「……ホント、圭くんて不思議だよね」
「どこがですか?」
「そういう言葉が自然に出てくるところ。普通、そういう言葉ってそうそう出てこないよ。出てきてもどこか安っぽく聞こえるし。でも、圭くんに言われると、自然とそうかもしれないって思えるから」
「そう言われて悪い気はしませんね」
 圭太は冗談めかしてそう言った。
「そういえば、ともみ先輩はいつ頃こっちに来るのかな? もう来てるのかな?」
「さあ、そこまでは聞いてませんけど。なんでしたら、確認してみましょうか?」
「できるの?」
「先輩の携帯に電話するんです」
 ふたりは公衆電話のところへと移動した。
「えっと、先輩の番号は……」
 手帳を見ながらダイヤルする。
 携帯電話特有の呼び出し音が聞こえ、通話になった。
『はい、もしもし?』
「あっ、ともみ先輩ですか? 圭太です」
『あれ、圭太なの? どうしたの、わざわざ携帯に電話なんて?』
「いえ、たいした用ではないんですけど。会場にはいつ頃来るのかと思って」
『ああ、それなら、もう目の前よ』
「えっ、そうなんですか?」
『圭太はどこから電話してるの?』
「会場内です。入り口近くにある公衆電話なんですけど」
『オーケー。すぐにそこへ行くわ』
 そこで電話は切れた。
「どこにいるって?」
「会場前で、ここに来るそうです」
 それから程なくしてともみがやってきた。OGも何人かいる。
「おはようございます」
「おはよ、ふたりとも。ほかの連中は?」
「中で聴いてる組と外で待ってる組と、半々くらいですね」
「なるほど」
 圭太たちは、いったんラウンジまで移動する。
「いやあ、いきなり公衆電話から着信があったから、出ようかどうしようか迷っちゃったわよ」
「ああ、そういえばそうですね」
「でも、出て正解だったわ」
 最近では携帯電話への着信で、公衆電話からのそれは拒否している人も多い。そういうことを考えると、今回は運がよかったと言えるだろう。
「で、みんなの様子はどう? 特に関東大会ははじめての一年とか」
「見た目にはそんなにいつもと変わらないと思いますけど」
「それでもやっぱり、緊張してるみたいですよ」
「ま、それはしょうがないわよ。これだけの大舞台で演奏する機会なんて、そうそうないし。しかも、コンクールで順位も出ればこの次のこともある。余計にプレッシャーを受けるわ」
「その緊張も、いい方向へ働けばいいんですけど」
「大丈夫だって。そのために今まで練習してきたんだから」
「そうですね」
 圭太たちは、次の団体が終わったところでホール内に入った。
 相変わらずの人だったが、かろうじて後ろで立っていることができた。
 関東大会ともなれば、演奏のレベルも格段に上がる。どれも高水準の演奏で、聴衆を満足させるに十分だった。
 たとえ失敗しても演奏後には、惜しみない拍手が贈られてた。
 午前中の演奏が終わると、圭太たちは集合時間である。
 ロビーに集合した部員たちの顔には、一様に緊張感があった。
 まずは菜穂子と祥子が参加受付を済ませる。
 控え室に入ると、中はぴりぴりとした空気に覆われていた。午前中の団体がいないこともあって、中にいるのはこれから演奏する団体だけである。
 これからの演奏のことを考えると、どうしてもぴりぴりする。
「みんな、よく聞いて。関東大会だからってなにも特別なことをしようと思わないで。あくまでもいつも通りの演奏を心がければいいわ。そうすれば結果は必ずついてくるから」
 菜穂子がそう言って部員たちに声をかけた。
 参加者は午後の演奏がはじまる前には移動をはじめる。そのため、一高はほぼ午後最初の演奏の頃に移動をはじめた。
 チューニング室でチューニングをし、軽くあわせる。部員たちの調子は悪くなかった。
 否応なく高まる緊張感に押し潰されないように、おのおの気合いを入れる。
 係員が呼びに来て、舞台裏へと移動する。
 そこに来るとステージの演奏が耳に届く。
 観客席で聴くのとまた違った感じがある。
 舞台袖まで移動すると、いよいよである。
 ステージ上のこともわかるし、観客席の様子もわかる。
 と、圭太が仁のところへ移動した。
「どうした?」
「先輩にお願いがあるんですけど」
「なんだ?」
「出る前に、気合いを入れてもらえませんか? 簡単にでいいですから」
「それは構わんけど、それだったらおまえがやればいいんじゃないか?」
「いえ、ここは先輩に花を持たせないといけませんから」
 そう言って圭太は笑った。
「なるほど。わかった。いっちょ景気よくやるか」
「お願いします」
 程なくして、前の団体の演奏が終わった。
「それじゃあお願いします」
 ステージ担当の係員が一高に声をかける。
「よっしゃっ、みんな行くぜっ!」
『おーっ!』
 気合いを入れ、ステージへ。
 ステージ上では椅子や譜面台、パーカッションの入れ替えが急ピッチで行われている。
 だいたい整ったパートから位置を確認していく。
 観客席も一高の演奏ということでざわついていた。さすがに前年度全国金賞団体の演奏である。
 すべて整い、係員がいなくなると、ホール内の照明が落とされ、ステージ上の照明が点く。
『──県立第一高等学校、課題曲A、自由曲、グノー作曲交響詩『ファウスト』より。指揮は菊池菜穂子先生です』
 アナウンスが流れ、菜穂子が挨拶する。
 最後にいつものようにアドバイスをする。
 指揮台に上がり、大きく息を吐く。
 そして、指揮棒が上がった。
 
 演奏は最高のできだった。まさに貫禄の演奏で、他を寄せ付けないものだった。
 いつもは厳しい菜穂子も、その演奏にはいっさい文句をつけなかった。
 演奏が終わると、あとは閉会式まで待つだけである。
 すべての演奏が終わったのは、もう陽が沈もうかという頃だった。
 閉会式はいつもと同じように、講評からはじまった。
 結果発表の時は、発表される度に一喜一憂である。
 スムーズに進み、一高の番が来た。
『県立第一高等学校、金賞』
 結果は金賞だった。しかし、これで終わりではない。
『続きまして、全国大会出場を決めた団体を発表します』
 司会者は、淡々と結果を読み上げていく。
 そして──
『県立第一高等学校』
 
「みんな、おめでとう。本当によくやったわ」
 閉会式が終わり、一高の面々は会場の外で喜びを分かち合っていた。
「今日の演奏には文句のつけようもなかったわ。県大会からの短い期間でよくここまでの演奏ができるようになったと、私も驚いてる。でも、それがあなたたちの実力よ。だから、もっと自信を持っていいわ」
 菜穂子は興奮した様子で言葉を続ける。
「全国大会はもっと厳しいけど、今日と同じように最高の演奏をすれば、いい結果がついてくるから。だから残り一ヶ月。全力でがんばって」
『はいっ!』
「それじゃあ、前部長」
「みんな、今日はおつかれさま。最高の演奏ができたおかげで、私たち三年は全国大会まで行けることになったわ。残り一ヶ月しかないけど、悔いの残らないような練習をして、全国大会を迎えましょう」
「最後は、部長」
「おつかれさまです。今日の演奏については改めて言うことはありません。僕からはこれからのことについて話します。まず、これから一度ホテルに戻ります。そこでこっちに残る人たちと帰る人たちに分かれます。帰る人たちはバスが待ってますから、速やかに荷物を持って乗り込んでください。残る人たちは、新しい部屋割りがあるのでそれを受け取って各自の部屋に移動してください。なお、夕食についてですが、帰る人たちにはバス車内に弁当を用意してあるそうです。ただ、残る人たちにはなにもないので、どこかでおのおの食事にしてください。わからないことがあれば、遠慮なく聞いてください。とりあえずこの場は解散します」
 形式的なことを済ませ、会場をあとにする。
 こうして関東大会一日目は終了した。
 
 九月五日。
 その日も朝から雲ひとつない快晴の天気だった。
 ホテルに泊まった居残り組は、本番がはじまる前に会場へと移動した。
 会場内は前日に引き続き多くの観客で埋まっていた。それでもなんとか座席を確保した圭太たちは、パンフレットを見ながら本番を待っていた。
「三中は、最後から二番目か。微妙だね」
 そう言うのはしっかり圭太の隣を確保している柚紀である。
「去年は最後から三番目だったから、あまり変わらないよ。むしろ今年の方がいいと思うけどね」
「どうして?」
「だって、前も後ろも関東大会は久々の学校だから。去年は前に常連校がいて、それだけでもプレッシャーになってたはずだよ」
「なるほど。そういう考え方もできるわけか」
「あとは、自分たちの演奏ができれば、結果は自ずとついてくるよ」
 午前中の演奏がはじまった。
 職場・一般の部は、特に一般の方が素晴らしい演奏が多く、聴いているだけで勉強になった。
 中学の部も小編成の部、中編成の部と進む。
 どの団体も、持てる力のすべてを出して演奏する。失敗してしまうことはあるが、それでも真剣さはだけはちゃんと伝わってくる。だからこそ観客は惜しみない拍手を贈るのだ。
 中学の部、大編成の部がはじまると、会場内の雰囲気もだいぶ変わってくる。
 大編成の部にはこの先に全国大会がある。そこへ行ける団体は多くない。常連校もひとつのミスで行けない可能性もあるのだ。
 観客もそれを知っているために、聴く時も真剣である。
 演奏ごとの短いインターバルでは、観客がざわめく場面もあった。
 口々に今の演奏の感想を述べている。
 プログラムも順調に消化され、いよいよ三中の出番となった。
 幾分緊張した面持ちでメンバーがステージに出てくる。佳奈子も何人かに声をかけている。
 程なくして準備が整い、アナウンスが流れ、演奏がはじまる。
 課題曲の入りはまずまずだった。そのままの勢いで最後まで通す。
 自由曲。出だしから全力である。
 音のひとつひとつがちゃんと聴き取れる素晴らしい演奏だった。
 そして、十二分間が終わった。
 会場内に割れんばかりの拍手がわき起こった。
「それじゃあ、ちょっと行ってくるから」
 演奏が終わると、圭太、祥子、紗絵の三人はホールを出た。
 会場内から参加者控え室の前まで来る。
「今年もぴったりあわせてきたね」
「そうですね。そのあたりは、さすがは佳奈子先生というところです」
 三中の面々が出てくるまで待つ。
「紗絵は、気が気じゃなかったんじゃない?」
「多少は」
「僕も去年はそうだったよ。もちろん、紗絵たちのことは信じてたけど」
「そうだったんですか。じゃあ、去年はちゃんと先輩の信頼に応えられたんですね」
「そういうこと」
「あっ、出てきたよ」
 ちょうどその時、片づけを終えた三中の面々が出てきた。
「あっ、紗絵先輩」
 目敏く紗絵を見つけたメンバーが集まってくる。
「おつかれさまでした、先生」
「あら、あなたたち来てたのね」
「はい」
 最後に出てきた佳奈子に声をかける。
「そうそう。全国出場おめでとう。ダントツだったそうじゃない」
「まあ、結果的にはそうなりましたけど。順位よりも出場できることの方が嬉しいです」
 そう言って圭太は謙遜する。
「これで、祥子は今年も全国のステージに立てるわけね」
「ええ、有終の美を飾れそうです」
「そこに金賞というオマケがついてくれば文句なし、と」
「そうですね」
 祥子と佳奈子は笑う。
「お兄ちゃん、祥子先輩」
 そこへ、琴絵がやって来た。
「おつかれ、琴絵」
「おつかれさま、琴絵ちゃん」
「演奏、どうだった?」
「よかったよ。このままなら、三年連続も夢じゃないと思う」
「そっか」
 圭太にそう言われ、琴絵はホッと胸をなで下ろした。
「どうやら、最後の演奏も終わったみたいね。琴絵、みんなを集めて会場内に移動させて」
「わかりました」
 ロビーの方が騒がしくなったところで、佳奈子は琴絵にそう指示した。
「さて、天命を待ちましょうかね」
 いつものことながら、会場内は異様な雰囲気に包まれていた。
 三中の面々は、演奏メンバーから外れていた部員も合流し、結局圭太たちの側に陣取ることとなった。
 圭太は、琴絵たっての望みで、隣で結果を聞くことになった。
 少し遅れて閉会式がはじまった。
 全体の講評のあと、結果発表。
 すべての団体に金、銀、銅の賞が贈られる。
『──第三中学校、金賞』
 まず、三中は今年も金賞に輝いた。
 次に、全国進出を決めた団体の発表である。
『第三中学校』
 
 喜びを分かち合う三中部員たちの側で、圭太たちも喜んでいた。
「これで今年も揃って全国出場だね」
「そうだね。こんなこと、そうそうないよ」
「でも、圭太と琴絵ちゃんは、それを三年連続でやってのけた、と」
「結果的にはね。だけど、それは僕だけでも琴絵だけでも無理だったから」
 そう言えるのは、圭太だからこそである。普通はなかなか言えない。
「さてと、帰らないと今日中に向こうに着けないかな」
「それはそれでいいような気もするけど」
「ダメだよ、それは。それに、明日は部室の掃除とかあるんだから」
「……そうだった。すっかり忘れてた」
「まったく……」
 それから三中の面々に挨拶して、圭太たちは会場をあとにした。
 当然、帰りの電車の中では皆、寝ていた。
 こうして関東大会はすべて終了した。
 
 二
 関東大会が終わっても、一高吹奏楽部の慌ただしさは変わらない。それは、今年の全国大会が早いということにも起因していた。
 全国大会は十月二日、三日の二日間、場所は東京の普門館である。実質、去年よりも一ヶ月も早い。
 そのため、練習もすぐに再開された。
 本来ならテスト一週間前から部活は休みになるのだが、今年は例外としてきっちり練習が行われることになった。テスト期間中も、初日と二日目に練習を短いながら行うことになった。
 学校側としてはあまり前例を作りたくないようだが、仮に吹奏楽部が全国大会で金賞を取れば、格好の宣伝材料となる。そのあたりの駆け引きがあり、認められた。
 部員たちは思わぬ形で負担を強いられることとなったが、やはり全国大会でいい成績を収めたいという想いの方が強かった。
 圭太も部活に勉強にと、がんばっていた。
 そんなある日のこと。
 その日、圭太は午前中に部活を終え、家に帰ってきた。ほとんどの部員は寄り道することなく、帰宅している。やはりテストが近いからだろう。
 朱美も昼食を食べるとすぐに部屋にこもった。前回のテストは、悪かったわけではないが自分が思っていたよりも伸び悩んだこともあって、今回は気合いが入っていた。
 圭太は昼食後、店の方に顔を出していた。
「いらっしゃいませ」
 店内には、琴美とともみの姿があった。
 ふたりだけというのは別段珍しい姿ではない。ただ、休日にふたりというのはそうあることではなかった。
「母さん」
「どうしたの?」
「鈴奈さんは?」
「ああ、鈴奈ちゃんなら、ちょっと体調を崩したって昨日言ってたから、今日は休んでもらったの。無理して悪化するより、一日しっかり休んだ方がいいと思って」
「そうなんだ」
 九月もそろそろ半ばという頃である。一時期のふざけた暑さもなりを潜め、秋の気配を少しずつ感じられるようになった。
 季節の変わり目はやはり体調を崩しやすい。
「様子、見てくる?」
「つらそうだった?」
「昨日はそうでもなさそうだったけど。やっぱり、ひとり暮らしだし、具合の悪い時は誰かに側にいてほしいものよ」
「そうだね。じゃあ、ちょっと見てくるよ」
「それじゃあ、これを持っていってあげて。消化のいいものを作ったから」
「了解」
 圭太は、すぐに家を出た。
 外はまだまだ暑かった。
 それでも圭太は足早に鈴奈の家に向かっていた。
 マンションの三階、鈴奈の部屋の前。
 チャイムを鳴らす。
 少しして、中から声が聞こえた。
「どちらさまですか?」
「圭太です」
「えっ、圭くん? ちょっと待っててね」
 すぐに鍵とチェーンを外す音が聞こえ、ドアが開いた。
「どうしたの、圭くん?」
 鈴奈は、パジャマ姿にカーディガンを羽織っていた。
「具合がよくないって母さんに聞いて。それで様子を見に来たんです」
「そっか。ごめんね、心配かけて」
「いえ、鈴奈さんが大丈夫なら、それでいいですよ」
 そう言って圭太は微笑んだ。
「あっ、ちょっと上がっていって。今、ちょうどお湯を沸かしてるところなの」
「じゃあ、少しだけ」
 部屋の中は、カーテンが開けてあり明るかった。
「起きていたんですか?」
「さっきまでは寝てたんだけどね」
「あっ、これ。母さんが鈴奈さんにって」
「うわ〜、だし巻き玉子と、これは、スープかな」
 確かにどちらも消化のいいものだった。
「琴美さんにありがとうございますって言っておいてね」
「わかりました、伝えておきます」
 それから鈴奈は、ミルクティーを淹れた。
「まさか圭くんが来てくれるとは思わなかったなぁ、だから、すっごく嬉しいよ」
 鈴奈は、言葉通り嬉しそうに微笑む。
「でも、思ったより顔色もよさそうで、安心しました」
「それは、午前中はずっと寝てたからね。というより、目が覚めなかったの。やっぱり、具合が悪かったみたい」
 確かに具合が悪い時は、体が睡眠を欲する。
「あっ、でも、確かもうすぐテストじゃなかったっけ? 大丈夫?」
「それは大丈夫です。ほとんどの教科は、チェックは終わってますから」
「そっか。じゃあ、ちょっと圭くんを独り占めしても、いいよね?」
 そう言って鈴奈は、圭太に寄り添った。
 圭太も鈴奈の肩を優しく抱き寄せる。
「……こうしてるだけで、具合の悪さなんてどこかに行っちゃいそう」
「そういうことででも役に立てれば嬉しいです」
「圭くんは、どんな薬よりも効く、特効薬だよ」
「ありがとうございます」
 そう言ってふたりは笑った。
 それからしばらく、なにをするでもなくゆっくりと過ごす。
 圭太は鈴奈にあまり無理させないように気を遣いながらである。
 鈴奈は、本当に終始ニコニコと嬉しそうだった。一見すれば、とても具合が悪いようには見えない。
「ねえ、圭くん」
「なんですか?」
「今日は、どれくらいいられるの?」
 そう訊く鈴奈は、捨てられたネコのように淋しそうだった。
「鈴奈さん──お姉ちゃんが望むだけいますよ」
「本当に?」
「ウソは言いません」
 そう言って圭太は鈴奈にキスをした。
「ありがと、圭くん」
 圭太は一度だけ家に戻り、再び鈴奈の部屋にやって来た。
「……圭くん」
「はい?」
「一緒に、お風呂入ろうか?」
「えっ……?」
「ね?」
 聞き分けのいい『弟』としては、大好きな『姉』の言うことには逆らえなかった。
 湯船にお湯を張り、先に圭太が風呂場に入った。
 マンションの風呂場なので、それほど大きくはない。湯船も、ふたり入れるかどうかくらいである。
 圭太はどうしてこうなったのか考えつつ、湯船に浸かった。
 少しして、鈴奈が入ってきた。
「なんとなく、恥ずかしいね」
 鈴奈は、頬を赤らめそう言った。
「ちょっと、ごめんね」
 鈴奈は、狭い湯船に入った。が、やはりふたりではきつい。
「僕、出ますよ」
「ううん、大丈夫。ほら、こうすればね」
「あ……」
 圭太を後ろから抱くように、なんとか湯船に収まった。
 しっかり抱き寄せられ、圭太の背中には当然ふたつのふくよかな感触が伝わってくる。
「圭くんの背中、大きいね」
「そうですか?」
「うん、大きい。いつもこの背中を見つめていられれば、どんな時でも安心していられるだろうね」
 鈴奈は、しみじみとそう言う。
「私、淋しいのかな? ひとりでいることにだいぶ慣れたと思っていたけど、圭くんと触れあうようになって、やっぱり誰かと一緒にいたいって思うようになって」
「僕が、一緒にいてもダメですか?」
「ううん、そんなことないよ。圭くんさえ側にいてくれれば、ほかになにもいらない」
 そっと、圭太の頬に手を添える。
「圭くんさえいてくれれば、本当に、なにもいらないの……」
 ささやき、微笑んだ。
 それから鈴奈が圭太の背中を流すことになった。
「ふふっ、こうやってると、本当に『弟』の背中を流してるみたい」
「あれ、鈴奈さんて、弟さんいるんですか?」
「ううん、いないよ。私が妹なの。上に姉と兄がひとりずつ。だからだよ、こっちに出てこられたのは」
「なるほど」
「だからね、こっちにいると弟や妹ができたみたいで、嬉しいんだ」
 上に兄姉がいる者は、概して弟や妹を欲する。逆に、下にしかいない者は、兄や姉を欲する。鈴奈もそれと同じである。
「僕も嬉しいですよ。鈴奈さんみたいに、優しくて綺麗で頼れるお姉ちゃんがいて」
「優しくて綺麗で頼れるお姉ちゃん、か。本当にそう思う?」
「思いますよ」
 圭太は、間髪入れずに答えた。
「もしそう思えないと言うなら、少なくとも僕だけはそう思ってるんだって、覚えておいてください。それに、鈴奈さんが優しいのは間違いないですし、綺麗なのもそうです。あと、年上だということを抜きにしても本当に頼れる存在です」
「……ありがと、圭くん」
 少し涙目でそう言う。
「じゃあ、そんな優しい圭くんのために、今日は全部お姉ちゃんがやってあげる」
「えっ……?」
 そう言って鈴奈は、圭太の体の前に手を伸ばした。
「れ、鈴奈さん……」
 その手が、圭太のモノに触れた。
「こうやって……」
 少しぎこちない手つきで、モノをしごく。
「ふふっ、おっきくなった」
「え、えっと、鈴奈さん……」
「圭くん、そこに座って」
 言われるまま圭太は、湯船の縁に座る。
「これをするのも、久しぶり……ん……」
 大きくなったモノにキスをする。
 そのまま舌をはわせ、舐める。
「ん……む……んちゅ……」
 先から筋に沿って舌をはわせる。
 その姿はとても淫靡で、だが、綺麗だった。
「気持ちいい?」
「すごく、気持ちいいです」
「よかった……」
 嬉しそうに微笑み、今度はモノを口に含む。
「は、む……圭くんの、大きくて……」
 頭を動かし、少しでも感じてもらおうとする。
「出したくなったら、ん……いつでもいいからね……」
 あくまでも圭太のことを優先にする鈴奈。それが鈴奈らしさでもある。
「ん……あ、む……」
「鈴奈さん、そろそろ……」
「うん……」
 最後にしっかりとモノをくわえる。
「うっ!」
「んっ……」
 圭太は、鈴奈の口内に白濁液を放った。
 鈴奈は、それを少しずつ飲み下す。
「いっぱい出たね」
 嬉しそうに微笑む鈴奈。
「じゃあ、今度は一緒に気持ちよくなろう」
 そう言って圭太の上にまたがる。
「んっ、あああ……」
 そのまま腰を落とし、自らモノを挿れる。
「圭くんのが、奥まで届いてるの……」
「鈴奈さん……」
 圭太は鈴奈を抱きしめ、キスをする。
「ん……ん……」
 何度も何度もキスをする。
 どれだけキスをしても、その欲求は収まらない。
「ん、はあ、圭くん……」
「今日は、積極的ですね」
「だって、久しぶりだから。だから、今日はいっぱい愛してもらうの」
 艶っぽく微笑む。
 それからゆっくりと腰を動かす。
「んっ、あっ、気持ちいい……」
 自分のいいように動く。
 ゆっくりと、圭太のモノを確かめるように。
「深くて、奥まで届いて、すごく気持ちいいの」
 圭太は、あえて自分から動かなかった。
 鈴奈を支え、落ちないようにしているだけである。
「やんっ、んんっ、ダメっ、止まらないのっ」
 少しずつ動きが速くなってくる。
「ああっ、圭くんも、動いてっ」
 そこでようやく圭太も動く。
「あっ、あっ、あっ、んんっ、圭くんっ」
 圭太にしっかりとしがみつき、快感に耐える。
「圭くんっ、圭くんっ、圭くんっ」
「鈴奈さんっ」
「ああっ、ダメっ、イっちゃうっ、ああああっ!」
「鈴奈さんっ!」
 そして、ふたりは同時に達した。
「はあ、はあ、圭くん……」
「はぁ、はぁ、鈴奈さん……」
「好き……」
 
 風呂から上がっても、ふたりの気持ちは抑えられなかった。
 ベッドの上でも抱き合い、お互いの想いをぶつけ合った。
 そして、今は精も根も尽き果て、横になっていた。
「ふふっ」
「どうかしましたか?」
「ううん。どうして圭くんがうちに来てくれたのかなって、それを思い出したらつい笑っちゃった」
「……そういえば、そうですね」
 確かに、もともとは具合の悪い鈴奈の様子を見に来たのである。
「大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫。圭くんに、いっぱい元気をもらったから」
 そう言って微笑む。
「もうすぐ一年だね」
「そうですね」
「この一年間、本当にあっという間だったなぁ。大好きな圭くんに私の想いを受け止めてもらえて、一緒にいられて。本当に幸せ」
「僕も、優しく綺麗なお姉ちゃんができて幸せです」
「んもう、そんなに嬉しいこと言わないで」
 くすぐったそうに笑い、キスをした。
「私が来年もここにいられるかはまだわからないけど、もしいられるなら、この一年間よりももっともっと幸せな一年にしたいから」
「そのためには、僕も協力を惜しみませんよ」
「うん、ありがと、圭くん」
 鈴奈が来年もと言ったのは、教員採用試験の結果如何ということである。すでに二次試験まで終わっており、あとは合格か不合格かだけである。
「今日は、このまま眠りたいなぁ……」
「さすがにそれだと、風邪引きますよ」
 裸のままではそうだろう。
「じゃあ、圭くんを抱いて寝るから」
「それは……」
「ダメ?」
「わかりました」
「あはっ、ありがと、圭くん♪」
 結局、大好きな『お姉ちゃん』には逆らえない圭太であった。
 
 三
 九月十六日。
 その日は柚紀の十七回目の誕生日である。
 去年は朝から機嫌のよかった柚紀ではあったが、今年は微妙だった。別段不機嫌というわけではないのだが、特別嬉しそうというわけでもなかった。
「なんか、つまらなそうね」
「……別にそんなことないけど」
 朝、朝食の席で咲紀にそう言われた。
「去年はあんなに嬉しそうだったのに、今年はなんで?」
「なんでって言われれば、そりゃ理由はあるけど」
「なになに? 圭太くんが一緒に祝ってくれないとか?」
「それはない」
 即否定。
「じゃあ、いったいなんなの?」
「だって、今年は部活があって一緒にいられる時間が少ないんだもん……」
「はあ? そんなこと?」
「そんなことって、それってすっごく重要じゃない」
 咲紀の物言いにカチンと来た柚紀は、少し声を荒げた。
「はいはいはい。じゃあさ、今日彼んとこに泊まってくればいいじゃない」
「……それができればそうするよ」
「なんでできないの?」
「明日からテストなの。いくら私でも、そんな日まで押しかけるなんてできない」
「じゃあ、あきらめるしかないじゃない」
「あきらめているから、つまんないの」
 頬をふくらませ、お茶を飲み干した。
「まったく、ホント、あんたってよくわかんないわよね」
「なんでよ?」
「だってさ、いつもは向こう様の迷惑顧みず泊まったりするくせに、こういう時だけ良い子ぶっちゃうんだから」
「…………」
「ま、あんたがそれでいいって言うなら、いいんだろうけどね。さてと、そろそろ行かないと」
「あれ、もう行くの?」
「まあね。ちょいと用があるのよ」
 そう言って咲紀はダイニングを出て行った。
「柚紀も、あんまりのんびりしてると、遅刻するわよ」
 台所から真紀の声が飛んでくる。
「はぁい、わかってますよぉ」
 柚紀は、軽く頬を叩いて立ち上がった。
「よし、がんばってみるか」
 
 学校での柚紀は、いつもと同じだった。
 授業中も休み時間もである。
 そんな昼休み。柚紀は、圭太と一緒に図書室にいた。
 とはいえ、柚紀の用事ではない。圭太が見たい本があるということでやってきたのだ。
 図書室には昼休みを利用して勉強している生徒の姿があった。そのため、個人用ブースはすべて埋まっていた。
 そんな中、圭太は目当ての本を見つけ、パラパラと中を見ていた。
「それって、なんの本?」
「日本史の本だよ。今回の範囲内でちょっとわからないところがあったから」
「そうなんだ」
 お目当ての箇所を見つけ、真剣に読んでいる。
 柚紀は、手持ちぶさたである。
 しかし、図書室では音を立てるようなことはできない。
 結局、圭太が終わるのを待つしかない。
 少しして、ようやく読み終わった圭太。
「お待たせ」
「ううぅ〜、長いよ〜」
「ごめんごめん。さ、行こう」
「うん」
 図書室を出てふたりが向かったのは、屋上だった。
 秋晴れのさわやかな風が屋上を吹き抜けている。
「ねえ、圭太」
「ん?」
「いろいろ考えたんだけどね、今日、泊まっちゃダメかな?」
 柚紀はフェンスに寄りかかりながら、そう切り出した。
 長い髪とスカートが風に揺れる。
「今日は部活もあるし、圭太と一緒に過ごせる時間、少ししかないし」
「まあ、それはそうなんだけどね」
 圭太としても柚紀の言いたいことはわかっていた。
 しかし、家にいるのは圭太だけではない。同じ一高生で明日からテストのある朱美も一緒なのである。少なくとも朱美の邪魔だけはしたくないと考えている圭太は、その申し出をすぐには受けられなかった。
「やっぱり、ダメ、かな? ダメならダメでいいの。一度決まったことなんだから」
 そうは言うが、柚紀の表情には淋しさというか、悲しさがあった。
「今日一緒じゃないと意味がないしね……」
 誕生日に一緒にいることに意味があるのである。別の日に、ということはできない。
「じゃあ、こうしようか」
「ん?」
「朱美に訊いてみるんだよ。直接被害を受けるのは朱美だから」
「うっ、それはそうなんだけど……」
 いくら柚紀が圭太の彼女でも、朱美もその座を虎視眈々と狙っている。となれば、それを認めない可能性も十二分に考えられた。
「まあ、今回はしょうがないか」
 それからふたりはすぐに一年の教室へと向かった。
 朱美のクラスは一年二組。
 入り口のところにそのクラスの生徒がいて、中がよく見えない。
「あの、ちょっと悪いんだけど、吉沢朱美を呼んでもらえるかな?」
「えっ、あっ、はい」
 圭太に声をかけられた女子生徒は、頬を赤らめ教室に。
 すぐに朱美がやってきた。
「珍しいね、圭兄が来るなんて」
「まあ、ちょっと用があって。今、時間は?」
「全然大丈夫だよ」
 圭太は朱美を連れて、比較的人の少ないところへ移動した。
「それで?」
「あ〜、えっとね、朱美ちゃん」
「あれ、柚紀先輩の用なんですか?」
「ちょっといろいろあって」
 柚紀は苦笑した。
「なんですか?」
「えっと、今日、圭太のところに泊まろうと思うんだけど、いいかな?」
「今日、ですか?」
 さすがに朱美も予想だにしなかったことに、怪訝な表情を浮かべた。
「でも、先輩、明日はテストですよ?」
「それはわかってるの。でも、今日は私の誕生日だから。だから、圭太と一分でも長く一緒にいたくて」
「…………」
 朱美は、圭太と柚紀を交互に見る。
「わかりました。先輩のそういう気持ちはよくわかりますから」
「ホント?」
「ただし、今度私が圭兄を独り占めしても、認めてくださいね?」
「うっ、しょ、しょうがない」
「なら、オッケーです」
 結果的にどちらが得したのはわからないが、柚紀は圭太との夜を手に入れた。
 
 部活が終わり、柚紀は圭太と一緒に高城家へ。
 そこでとりあえず朱美と一緒に夕食の準備を手伝ったり、『桜亭』でともみや鈴奈と話したりと、そんなことをして過ごした。
 そして待ちに待った夜。
 ふたりきりになると、柚紀は早速圭太に甘えてきた。
「柚紀。改めて誕生日おめでとう」
「うん、ありがと」
「それで、これが今年のプレゼント」
 そう言って圭太が渡したのは、少し大きめの包みだった。
「開けてもいい?」
「もちろん」
 包装を解き、中身を確かめる。
「あっ、これ……」
 それは、浅黄色のロングスカートのワンピースだった。
「サイズ、大丈夫だった?」
「それはまあ、柚紀の服はいろいろ見てるから」
 私服は圭太の部屋にも置いてある。さらに言えば、下着などもよく見るので、スリーサイズまで知っているだろう。
「そっか。じゃあ、ちょっと着てみるね」
 柚紀は制服を脱ぎ、ワンピースに袖を通した。
 それを着ただけで、深窓の令嬢の誕生である。
「どう、似合う?」
 スカートの裾を持ち、ポーズを決める。
「うん、よく似合ってる。僕の見立ても悪くなかったね」
 圭太は冗談めかしてそう言う。
「でも、これはすごく嬉しいんだけど、去年といい今年といい、なんか悪い気がする」
「値段のことはいいの。僕の気持ちなんだから。それに、僕がそれを買ったのは、本当に柚紀に似合うと思ったからだよ」
「……うん、ありがと、圭太」
 そう言いながら、柚紀は今年の圭太の誕生日には去年以上のプレゼントを贈ることを決意していた。
「ねえ、圭太」
「うん?」
「今日は、ただ一緒にいてくれるだけでいいから」
「どうして?」
「私、ちょっと思い上がってたところがあったみたい。確かに私は圭太の彼女だからいろいろ言える権利もする権利もある。でも、それってすべてを排除してってことじゃないのよね。最低限のことを守りつつじゃないとダメだから」
 柚紀は、俯き加減にそう言う。
 圭太はなにも言わず、それを聞いている。
「それなのに、私、結構まわりの迷惑顧みずにいろいろやってきたから。このあたりでちゃんと矯正しておかないと、そのうち困ると思って」
「そっか」
「そりゃ、もちろん抱いてもらえればいいんだけど」
「じゃあ、どうするかは僕が決めてもいいかな?」
「えっ、うん、それは構わないよ」
 意外な言葉に、柚紀は少し戸惑った。
 しかし、それを嬉しくも思っていた。
「とりあえず、パーティーの続き」
 
 ささやかなパーティーを終え、それぞれに風呂に入り、寝るだけとなった。
「えっと、圭太?」
「ん?」
「どうするの?」
「どうしようかな?」
「う〜、いぢわる言わないでよ〜」
「ははっ、冗談だよ」
 そう言って圭太は柚紀を抱きしめた。
「……いいの?」
「抱きたいから」
「うん……」
 ふたりはキスを交わす。
 そっとベッドに横たわらせる。
「綺麗だよ、柚紀」
「ありがと」
 パジャマを脱がせる。
 胸に手を添え、揉む。
「ん……あ……」
 柔らかな胸が、手の動きにあわせ形を変えていく。
「んん、もう少し、強くてもいいよ」
「ん、わかった……」
 圭太は、少し力を込めた。同時に固く凝った突起に指を添える。
「や、ん……」
 さっきよりもさらに敏感に反応する。
「ん、はあ、圭太、せつなくなってくるよ……」
 それを聞き、圭太は下半身に手を伸ばした。
 ショーツの上から秘所に触れる。
「んっ……」
 それだけでじっとりとシミができてくる。
「ダメぇ、汚れちゃうから」
 ショーツを脱がす。
「ねえ、圭太」
「うん?」
「ゴムは、なしでね」
「いいの?」
「うん」
「わかったよ」
 少し秘所をいじり、入れやすくする。
「んっ、あんっ、圭太」
 もういいというところで、圭太も服を脱いだ。
「いくよ?」
「うん、きて」
 圭太は、怒張したモノを秘所にあてがい、一気に腰を落とした。
「ん、あああ」
 モノは、なんの抵抗もなく最奥まで入った。
「はあ、圭太、気持ちいいよ」
「僕もだよ」
「ん、嬉しい」
 圭太は、柚紀にキスをした。
 そのまま、ゆっくりと腰を動かす。
「あん、んんっ、んあっ」
 シーツをつかみ、押し寄せる快感に耐える。
 乾いた音に湿った淫靡な音が混じってくる。
「やっ、ダメっ、あっ、あっ、あっ」
 柚紀は、感じすぎて声を抑えることができない。
「すごいっ、圭太っ、わたしっ、もうっ」
 髪も乱れ、口は半開きになっている。
「ああっ、んくっ、圭太っ、ああっ、んんんっ!」
 そして柚紀は達した。
「はあ、はあ、イっちゃった……」
 満足げな表情で微笑む。
「圭太は、まだだよね」
「うん」
「いいよ、このまましても」
「えっ、でも……」
「いいの。ね?」
「……うん、わかったよ」
 圭太は、柚紀に促され、再び動き出した。
「んんっ、あっ」
 しかし、達したばかりの柚紀は、かなり敏感になっている。
「んんっ、あああっ、やんっ、またっ」
 それでも柚紀はやめてほしいとは言わなかった。
 二度、三度達しながら、圭太のために耐えた。
「んっ、柚紀」
「い、いいよっ、出してっ、いっぱいっ」
 ようやく圭太にも限界が近づいてきた。
「ああっ、もう私っ、ダメっ」
 柚紀はそろそろ限界である。
「ああっ、圭太っ」
「くっ、柚紀っ!」
 そして、圭太は柚紀の中に白濁液を放った。
「んっ、はあ、はあ……」
「はぁ、はぁ、ごめん、柚紀……」
「ううん、いいの……」
 柚紀は、圭太の頭を抱き寄せた。
「たくさん、圭太に愛してもらえたから」
「柚紀……」
「素敵な誕生日を、ありがとう、圭太」
 
 その日の深夜。
 柚紀は、不意に目を覚ました。隣では圭太が気持ちよさそうに眠っている。
「……のど、渇いちゃった」
 のそのそ起きだす。が、自分の格好を見て、服を探す。
 薄暗い部屋の中、下着を身につけ、パジャマを着る。
 圭太を起こさないように部屋を出る。
 昼間とはうってかわって静かな高城家。
 一階に下りると、ダイニングから明かりが漏れていた。
 怪訝に思い、様子を見ると、琴美がひとりで酒を飲んでいた。
「ん? あら、柚紀さん。どうしたの、こんな時間に?」
「えっと、のどが渇いたのでお水をもらおうかと」
「そう? じゃあ、ちょっと待ってて」
 そう言って琴美は台所へ。冷蔵庫を開け、なにか取り出している。
「アセロラ水だけど、いい?」
「はい」
 レモンよりもビタミンCが豊富だと言われるアセロラを出して作った水である。
「この時間にお酒を飲むんですか?」
「ん、これ? まあね。うちはみんな未成年だから、あまりおおっぴらにアルコールも飲めないし」
「確かにそうですね。あっ、美味しい」
 アセロラ水を飲んでの感想である。
「そのうち、柚紀さんとお酒を酌み交わす日も来るのよね」
「そうですね。あと、三年ですか。そうしたら、ご相伴にあずかります」
「ふふっ、今から楽しみだわ」
 琴美が飲んでいるのは、水割りだった。ちびちび飲んでいる、という表現が正しいだろうか。それほどアルコールがまわっている様子もない。
「それにしても、柚紀さんも大胆よね」
「大胆、ですか?」
「そう、大胆。だって、明日からテストなんでしょ? それなのに外泊して」
「それはそうなんですけど、でも、テストよりも大事にしたいことがありますから」
「それは成績優秀だから言えるセリフね。赤点ギリギリなら、とても言えないわ」
 そう言って琴美は笑った。
「成績なら、圭太の方が上ですよ。それに、私なんかよりもずっと要領もいいですし」
「あの子は特別よ。私や祐太さんの子供とは思えないくらいにね。我が子ながら、すごいと思うわ」
「ずっと、そうだったんですか?」
「ん〜、そうね〜、小学校の頃はそうする必要がなかったからわからなかったけど、中学校に入った頃にはもうそうなってたわね。となると、あれはもう天性のものね」
「天性のもの、ですか」
「もちろん、それだけじゃないと思うわよ。祐太さんが亡くなって、自分ががんばらなくちゃいけないって、その気持ちもそれに拍車をかけたと思うし。ただ、いずれにしても私も琴絵も、圭太によるところが多いから。あの子は、居心地がよすぎるのよ」
「それはわかります。だから、モテるんです」
「ふふっ、そうね」
 柚紀はちょっとだけ面白くなさそうに、琴美は面白そうに微笑んだ。
「ただ、圭太の成績がいいのは、努力も伴ってのことだから。結構遅くまで勉強してるのよ、あの子」
「でしょうね。じゃなかったら、部活をあれだけやって、成績を落とさないなんてそうそうできませんから」
「柚紀さんはどうなの?」
「私もやってはいますけど。どうしても時間をかけないと頭に入らないですね。反復学習ってやつですか。それでなんとか、という感じです」
「それが普通なのよ。琴絵もそういうタイプみたいだし」
 いわゆる天才型は、そうそういない。秀才型は結構いるが。
「まあ、勉強のことは結局自分に跳ね返ってくることだからね。柚紀さんも後悔したり焦らないようにね」
「はい」
 それは経験者の弁だろうか。柚紀にはそれはわからなかったが、素直に聞いた。
「ふう……」
「大丈夫ですか?」
「ん、ええ、大丈夫よ。疲れてるとかそういうのじゃないから。ただ、なんとなく出ただけ」
 そう言って微笑む。
「ねえ、柚紀さん」
「はい」
「前に柚紀さんは、卒業したらどんな進路でも圭太についていくって言ったわよね」
「ええ、そうですね」
「本当にやりたいことはないの?」
「……そうですね、ゼロ、ということはないですよ」
「なにをやりたいの?」
「夢ってわけじゃないんですけど、コックさんになってみたいって思ってた頃もあるんですよ。なまじ少し料理ができますから」
「それじゃあ、調理師学校でも行ったらどうかしら? このままだと圭太は間違いなく、『桜亭』を継ぐわ。そうすると、柚紀さんが調理師免許を持ってるのと持ってないのとではだいぶ違うと思うし」
「……なるほど、そういう考え方もありますね」
 柚紀はなるほどと頷く。
「まあ、それはあくまでもひとつの案でしかないから、もう少しよく考えて、進路を決めてもいいと思うわよ」
「そうですね。もう少し考えてみます」
「あとは……まあ、もう少し経ってからでいいかしらね」
「なんですか?」
「聞きたい?」
 琴美は悪戯っぽい笑みを浮かべ、訊ねる。
「ええ、聞きたいです」
「二年、いえ、一年半後かしら。ふたりが一緒になったら、二階を少しリフォームしてもいいと思って」
「リフォーム、ですか」
「今のままだと、なにかと不便でしょ? まあ、朱美がいる間はちょっと無理かもしれないけど、計画だけは立てられるし」
 まさかそういう話になるとは思わなかった柚紀である。さすがに驚きを隠せない。
「いろいろ考えなくちゃいけないことがあるから、思いつきだけでは結婚できないのよ」
 そう言って琴美はたおやかに微笑んだ。
「でも、今はなにも考えずに、思うようにしていていいと思う。そこでなにか失敗してもきっとそれぞれのためになると思うし。それだけは覚えておいてね」
「はい」
「ふふっ、本当にこれからが楽しみだわ」
 嬉しそうに微笑む琴美を、柚紀も穏やかな表情で見つめていた。
 
 四
 前期末試験も終わり、一高は短い秋休みに入った。期間としては一週間しかないが、それでも貴重な連休である。生徒はもちろんのこと、教職員も多少は息抜きできる。
 とはいえ、それが当てはまらない者たちもいた。
 そのひとつが吹奏楽部である。
 全国大会まで一週間を切り、ラストスパートという感じである。
 練習もかなり熱を帯びており、毎日厳しい声が飛んでいた。それでも、この頃の指示はそれほど大きなことではなく、個々人に向けてが主だった。
 目標を全国大会出場に置いていた部員たちにも、この頃には二年連続金賞という新たな目標が出ていた。
 もちろんそれをクリアするのは並大抵のことではない。全国常連校ですら、金賞を易々とは取れないのである。だからこそ、五年連続金賞という快挙を成し遂げると、全国大会に招待されるのである。
 日本の吹奏楽のレベルが世界的に見てもかなり高いのは、しっかりとしたコンクールのようなものがあるからである。
 その日の練習もみっちりと行われ、合奏が終わる頃にはメンバーはへとへとになっていた。
 部活が終わると、圭太たち首脳部は全国大会後のことについて話し合っていた。
「まず、一番先に決めなくちゃいけないのが、アンコンに向けての編成だね」
「それが決まらないと、一高祭での生演奏もできないしね」
「今年は一高祭の一週間後がアンコン地区大会だから、本当に余裕がないよ」
「練習時間も当然ないし。困ったわね」
 話は、主に圭太と綾の間で進められる。これは学年のことを考えればある程度は仕方がない。紗絵は、一高での行事をすべて把握しているわけではないのだから。
「今年は、部内選抜をなしにしようと思うんだけど」
「それで、どうやって出るところを決めるの?」
「基本的には、最初の編成である程度決めてしまうんだよ。たとえば、去年の金管みたいにね」
「なるほどね。確かに時間がないからそれもしょうがないか。でも、基本的にはあれって部員全員参加でしょ? そこら辺はどうするの?」
「それは、アンコン参加メンバーを決めてからでもいいと思うんだ。なにも同時にはじめる必要はないわけだから。それに、全国が終われば時間はあるからね」
 圭太は自分の考えを説明する。
「紗絵は、どう思う?」
「そうですね、私も先輩の意見に基本的には賛成です。でも、略式でもいいですから、部内選抜は行うべきだと思いますけど。やっぱり、実際組んでみてその実力がわかるってこともありますから」
「……そうだね」
「ただ、エントリーの関係がありますから、どうしても無理ならいいとは思いますけど」
「うん、よくわかったよ。とりあえず、いろいろな場合を想定してちょっと僕の方で考えてみるよ。そうだなぁ、あさってにもう一度話し合おう。その時までに結論を出しておくから」
「了解」
「わかりました」
「それじゃあ、おつかれさま」
「おつかれ」
「おつかれさまでした」
 話し合いが終わる頃には、部員たちは大半が帰っていた。特に三年は、仮にも受験生である。入試勉強をしないといけない。だからこそ、時間のある時にはしっかりやるのだ。
「あの、先輩」
「うん?」
「先輩はもう、編成は考えてるんですか?」
「まあ、大まかにはね。主力は今年も三つだと思ってるよ」
「三つ、ですか。具体的にはどういうのですか?」
「クラリネットもしくは木管と、金管、それとパーカスだよ。何人とかはまだ具体的には詰めてないけど、おおよそはこれってのはあるかな」
「金管は、どうなんですか?」
「去年は五重奏で負けたからね。今年は七重奏とか八重奏とかできればいいと思ってる」
「そうすると、ペットはふたり、ですね」
「まあね」
「先輩は決まりとして、あとは、やっぱり夏子先輩ですか?」
「さあ、それはなんとも」
 そう言って圭太は苦笑した。
「個人的なことを言わせてもらえば、夏子の実力は紗絵とそれほど変わらないと思ってるからね。もちろん、若干夏子の方が上だけど。まあ、八重奏になるとたぶん二年で編成することになるから、紗絵は外れちゃうと思うけど」
「そう、ですよね、やっぱり」
 紗絵は、少しだけ残念そうに微笑んだ。
「ただ、隠し球としてトランペット四重奏なんてどうかな、とも思ってるんだ」
「トランペット四重奏ですか。でも、それはかなり難しいです」
「もちろんわかってるよ。でも、今のメンバーなら、それも不可能じゃないと思って。もっとも、どうするかは少し様子を見てからだけどね」
「わかりました」
 圭太の説明に、紗絵はホッと胸をなで下ろした。
「じゃあ、音楽室を閉めて、帰ろうか」
「はい」
 
 九月最後の日。その日は朝からとてもよく晴れていた。
 もう月初めのような暑さもなく、清々しい季節になっていた。
 どこかへ出かけたくなるような天気でも、一高吹奏楽部では練習が行われていた。
 全国大会本番は十月二日である。出番が午前中になっているため、やはり前日入りすることが決まっていた。
 練習はこの日が最後で、合奏でも最終調整が主だった。
「おつかれさま。いよいよあさってが本番よ。もうここまで来たらじたばたしてもしょうがないし、持てる力をすべて出し切ることだけ考えて。そうすれば必ず結果はついてくるから」
 菜穂子はメンバーを前に声をかける。
「いい? 欲張ろうとしてもダメよ。確かに去年は金賞だったかもしれないけど、今年はまったく別なんだから。挑戦者の気持ちで挑まないと、痛い目を見るわよ。まあ、いつも通りの演奏ができれば、なんの問題もないわ。私からは以上よ」
「それじゃあ、明日の予定を確認しておきます。明日は校長講話と実力テストのみなので、しっかり受けてください。公欠は取っていませんから。集合はテスト終了後、音楽室。その後に楽器を連盟の車に積み込み、バスで都内へ移動します。なので、準備だけはしっかりしておいてください。当日のことはまた連絡します。それでは、おつかれさまでした」
『おつかれさまでした』
 部活が終わっても、本番前の微妙な緊張感がメンバー間にはあった。
「圭太。ちょっといいかしら?」
「はい」
 圭太は菜穂子に呼ばれ、音楽室の外に出た。
「なんですか?」
「この期に及んで聞くことじゃないと思うけど、調子はどう思う?」
「そうですね、悪くないと思います。関東大会よりも落ち着きが見られますし。いつもの演奏さえできれば、大崩れすることは考えられないです」
「なるほどね。ま、私も基本的には同じよ」
 菜穂子はうんうんと頷いた。
「それにしても、どうして圭太はそうも的確に物事を見られるのかしらね」
「それを僕に訊かれても困るんですけど」
「それはそうなんだけど。年齢不相応なのよね、そういうの。もちろん悪いって言ってるわけじゃないわよ。それ自体はとてもいいことだと思うけど、なんというか、私の立場としては、もう少しいろいろあっても面白いかな、と思ってね」
 それはなかなか微妙な意見である。とはいえ、菜穂子の言い分もわからないでもない。
 教師とは、教え導く存在なのであるから。
「ごめんなさい。余計なことを言って。とりあえず、部長として本番までみんなをまとめることに留意してくれればいいから」
「はい、わかりました」
 
 その日、高城家ではお月見が行われていた。
 綺麗な月が空に浮かび、涼やかな風が吹き抜ける。
 耳を澄ませば虫の音も聞こえてきそうだ。
 今年の参加者は、高城家の三人に朱美、去年と同様に鈴奈、去年のリベンジにと万障繰り合わせた柚紀、さらにともみであった。
 少々人数が多いが、それでも和気藹々とした雰囲気でお月見は行われた。
 もっとも、今年は直後に全国大会が控えているために、その壮行会のような感じではあった。
「琴絵ちゃんは、全国大会を有終の美で飾れるかっていうところよね」
「そうですね。やっぱり、最後は笑って終わりたいですから」
「三中史上、最強の三年間だったかもしれないわね」
「なんですか、それ?」
 ともみの言葉に、圭太が首を傾げた。
「だって、去年は全国金賞、一昨年は銀賞、今年もすでに全国進出。ここまでのことは未だかつてなかったことだと思うし」
「確かにそうですね」
「その三年間にいられた琴絵ちゃんは、幸せよね」
「でも、去年、一昨年は私の力ではありませんから」
「いいのいいの。そんなの当たり前のことだし。ようは、琴絵ちゃんがその三年間に絡んでたってことが重要なんだし」
 そう言ってともみは笑う。
「ともみ先輩は、聴きに来ないんですよね?」
「まあね。聴きに行きたいのはやまやまなんだけど、関東大会みたいにその先があるわけでもないし。結果さえ教えてくれればいいわ」
「それはもちろん、すぐに連絡しますよ」
「よろしくね」
 それからしばらくして、家の遠い柚紀が帰るのにあわせてお開きとなった。
 もっとも、柚紀は泊まると言って聞かなかったのだが。
 圭太はいつものように鈴奈とともみを家まで送ることになった。
「圭くん」
「なんですか?」
「たぶん、コンクール前はこれが最後だから、がんばってね」
「はい、がんばります」
 鈴奈の激励を受け、圭太は大きくはっきりと頷いた。
 別れ際にキスを交わし、引き続きともみを送る。
「ねえ、圭太。圭太としては、どの色が取れると思ってるわけ?」
「そうですね……いつも通りの演奏ができれば、銀。調子が悪ければ、銅。いつも以上の演奏ができれば、金。そんな感じですね」
「なるほど。冷静に分析できてるわね」
「これでも一応、部長なので」
「ふふっ、なにが『一応』よ。すでに立派にこなしてるくせに」
 そう言ってともみは笑う。
「去年は全国大会を境にいろいろありましたから」
「いろいろって?」
「まあ、いろいろですよ」
 圭太は言葉を濁し、苦笑した。
「でも、全国でまた金賞取ったら、ますます部の人気が出るわね」
「それはそれで嬉しいことですよ。ひとりでも多くの人に知ってもらえるわけですから」
「だけど、あまりにも新入部員が多いと、大変じゃない?」
「まだそういうのを経験したことないですから、わかりません」
 そう言って圭太は笑った。
「ただでさえ圭太の人気で女子部員は増えそうだし、来年は大変そうね」
「衰退するよりはずっといいですよ」
「まあね」
 確かに人数が多くて困ることもあるかもしれないが、少なくて困るよりはずっといい。
 特に吹奏楽は人数がいないとはじまらないものである。
「なんにせよ、今は全力でがんばることだけ考えればいいのよ」
「そうですね」
「で、終わったあとは世代交代ってことで。そういや、アンコンのこととかは進んでるの?」
「ええ。おおまかな編成は決めました。今年も主力は三つにしました」
「当然、その中に圭太は入ってるのよね?」
「今年は、金管八重奏とトランペット四重奏です」
「へえ、今年は八重奏にしたんだ。メンツは?」
「金管の二年ですよ。ちょうど八人ですし」
「なるほどね」
「去年、というか今年と言ってもいいんですけど、全国で銀賞でしたから。演奏自体にそう差はないと考えると、あとは音の厚みですから。そうするとやっぱり八重奏の方がいいと思って」
「ふ〜ん、なるほどね。目標はどのあたりなの?」
「まだ練習もほとんどしてませんから、なんとも言えません。ただ、僕としては関東大会くらいには出たいと思ってますけど」
「関東ね。上手くやれれば行けるでしょ?」
「と、思います。ただ、ひとつ問題があるとすれば、僕以外去年の経験者がいないっていうことです」
「そういえば、そうね」
「経験不足を実力で補えれば、問題ないんですけど」
「そこら辺は、圭太が引っ張ればいいのよ。なんたって、全国銀賞経験者なんだから」
「そうですね」
 圭太は微笑んだ。
 話しているうちに、安田家が見えてきた。
「ねえ、圭太。久しぶりに、寄っていかない?」
 そう言ってともみは圭太を自分の部屋に招いた。
 部屋の中は以前のように雑然としておらず、綺麗に片づけられていた。
「圭太……」
 部屋に入るなり、ともみは圭太に抱きついた。
「ん……」
 むさぼるようにキスを交わす。
「ん、はあ、こうして圭太に抱いてもらうのって、いつ以来だっけ?」
「よくは覚えてませんけど、梅雨の頃以来かと」
「もうそんなになるか。じゃあ、今日はその分もたっぷりと可愛がってもらおうかな」
 そう言ってともみは、蠱惑的な笑みを浮かべた。
 立ったままキスを交わし、圭太はそのままともみの服を脱がせる。
 しかし、ともみは服を脱ぐのももどかしそうに圭太をベッドへ誘った。
「ん、圭太、触って……」
 まだ上が半脱ぎの状態で、ともみは自ら圭太の手を秘所へと導いた。
「あ、ん……」
 ショーツの上から秘所を擦る。
「や、ん……あ……」
 触れる度にともみの体がぴくんと反応する。
「けい、た、ダメ、我慢、できない……」
 ともみは圭太の顔を抱き寄せ、キスをする。
「お願い、このままして……」
「いいんですか?」
「我慢、できないから」
「わかりました」
 圭太は言う通りにする。
 ショーツを脱がせ、スカートはそのまま。
「いきますよ?」
「うん……」
 屹立したモノを秘所にあてがい、一気に体奥を突く。
「んっ、あああっ」
 それだけでともみは軽く達してしまったようである。
「すごく、気持ちいい……」
 完全に陶酔した表情で、艶めかしい声で言う。
「あっ、んあっ、あんっ」
 圭太は最初から手加減なしで腰を動かした。
「やあっ、んんっ、ダメっ、感じすぎっ」
 久しぶりのともみは、とにかく感度がよかった。
 すぐに達してしまいそうな勢いである。
「んくっ、中がこすれて、いいのっ」
 圭太の首に腕を回し、快感に身を委ねる。
「ダメっ、イっちゃうっ、ああああっ!」
 そのままともみは達してしまった。
「ん、はあ、はあ、気持ちよすぎ……」
 圭太はそのままで、ともみの髪を撫でる。
「間が開くと、やっぱり敏感になるんだね」
「みたいですね」
「このままだと、私、何回イかされちゃうんだろ」
 そう言ってともみは微笑んだ。
「ん、もう大丈夫だから、続けて」
「わかりました」
 圭太は、再び動き出す。
「はんっ、ああっ、んんっ」
 少し収まったとはいえ、達したばかりである。
 ともみはかなり敏感になっていて、すぐに達してしまいそうになる。
 それでも一回達して少しだけ余裕が出てきたのか、自ら圭太を攻めに出た。
「あっ、あっ、あっ、あっ」
 ともみも腰を動かし、タイミングを見計らい、中を締めたりする。
「くっ、ともみさん」
 それが圭太へも快感を呼ぶ。
「ダメダメダメっ、またイっちゃうっ」
 いやいやするように首を振るが、体は反応する。
「んんっ、んあっ、ああああっ!」
 またしてもともみは達した。
 しかし、今度は圭太が止まれなかった。
「ダメっ、またっ、来ちゃうっ」
「ともみさんっ」
 圭太もそろそろ達しそうなのである。
「いやっ、圭太っ」
「ともみさんっ、そろそろ」
「うんっ、出してっ、いっぱい出してっ」
 淫靡な音が響き、ふたりの荒い息がその激しさを物語る。
「ああっ、んんんんっ!」
「うっ、ともみさんっ!」
 そして、ふたりは同時に達した。
「はあ、はあ……」
「はぁ、はぁ……」
 荒い息のまま、ふたりはベッドに体を預けた。
 ともみのその顔には、とても満足そうな笑みが浮かんでいた。
 
「ん〜、大満足♪」
 ともみは、満面の笑みを浮かべ、そう言った。
「やっぱり圭太に抱いてもらうと、愛されてるって思えるから」
 圭太はなにも言わず、ともみの髪を撫でた。
「ねえ、圭太」
「なんですか?」
「今日のは今日のでよかったんだけど、できればもう少し短いスパンで抱いてほしいなって思うの。ちょっと、放置しすぎ」
「すみません」
「まあ、これから気をつけてくれれば、いいけどね」
「努力します」
 そう言ってふたりは笑った。
 さすがに次の日のこともあり、圭太は家に帰ることになった。
「そういえば、圭太」
「はい?」
「あなた、幸江となにかあった?」
「……幸江先輩とですか?」
「そ。なんかさ、ここんとこずっと機嫌がいいし。それに、妙に大人っぽくなった。それってつまり、恋をしたってことだろうから。で、その可能性がありそうなのが、圭太だから」
「…………」
 ともみの意見はすべて当たっていた。
「幸江はああ見えても、身持ちは堅いから、一度好きになった相手をそうそう忘れられるわけないだろうし。で、どうなの?」
「えっと、それは……」
 圭太は迷っていた。いずれはバレてしまうことだが、それでも言うことにはためらいがあった。
「幸江が圭太を好きなのは、見ていればわかったから」
「……そうですね、はい、幸江先輩から告白されました」
「やっぱりね。で、まさかそれだけで終わったわけじゃないでしょ?」
「……はい」
「そっか。またもライバル出現、か」
 そう言ってともみはため息をついた。
「柚紀たちには?」
「いえ、まだです」
「隠したくなるのもわかるけど、早めに正直に言った方がいいと思うわ」
「はい」
 圭太は頷いた。
「ま、幸江のことはまた今度、ゆっくり聞かせてもらうから」
「わかりました」
 そして圭太は、空を見上げながら帰っていった。
 
 五
 十月二日。全国大会一日目。
 清々しい秋晴れ、とはいかなかったが、気持ちのいい天気ではあった。
 一高吹奏楽部は、いつもより早めにホテルを出た。出番が午前中になっているため、それはやむを得ないことであった。
 会場である普門館には、すでに大勢の観客が訪れていた。
 参加者の方も続々と集まっており、いやが上にも緊張感が高まっていた。
 二年連続の全国大会ではあるが、その独特の緊張感は慣れないものだった。
 部員たちの間にもそれは確実に広がっていた。
 控え室では、先に演奏した学校も、これから演奏する学校も一緒である。中には当然全国常連校もいる。そうするとどうしても比べてしまう。
 そうなると、経験の少ない者など対処のしようがないのだ。
 気休め程度のことならいくらでも言えるだろうが、あまり意味はない。
 そうすると、あとはもう本人次第である。
 チューニング室、舞台袖へと移動する間にも、緊張感は高まっていく。
 そんな中、圭太は見た目には落ち着いてた。そこは全国大会『常連』である。
 圭太は、あまりにも緊張がひどい部員に声をかけている。このあたりの機微が、圭太の圭太たるゆえんだろう。
 前の学校が終わると、いよいよ一高の出番である。
 ステージ上では慌ただしく椅子や譜面台、打楽器の入れ替えが行われている。
 その中で部員たちは自分の席につく。
 菜穂子は一番最後に出てきて、確認をしている。
 準備が完了すると、ステージ上に明かりが点く。
 アナウンスが入り、菜穂子はそれに応えお辞儀する。
 そして、泣いても笑っても最後の演奏がはじまった──
 
「はあ……」
「ふう……」
 ため息が漏れた。
 演奏が終わり、楽器の片づけを済ませると、あとは閉会式まで自由時間である。
 すべてを出し切った部員たちは、抜け殻のようになっていた。
 特に三年は、最後の演奏であるからなおさらである。
「これで、私も引退、だね」
「そうですね」
 祥子は、圭太と一緒に普門館近くを歩いていた。
「なんか、まだそういう実感、ないなぁ」
「終わったばかりですからね。徐々にですよ」
「うん、そうだね」
 小さな公園があった。ふたりは、そこに足を踏み入れた。
 遊具などない、本当にこぢんまりとした公園である。
「去年、ともみ先輩たちも同じ気持ちだったのかな」
「おそらくは」
「ここまで真剣に、全力を傾けてなにかすることって、そうないから、ちょっと淋しい」
 そう言って空を見上げた。
 雲の晴れ間から、太陽が顔を覗かせている。
 風がさわやかだった。
「ねえ、圭くん」
「はい」
「これからの吹奏楽部のこと、よろしくね」
「はい。責任持って」
 圭太は、会心の笑みで応えた。
「はあ、でも、これから別の意味でも淋しくなっちゃうからなぁ」
「別の意味、ですか?」
「うん。だって、毎日圭くんの顔が見られないんだもん」
「それは、まあ……」
「私はね、一年三六五日、一日二四時間ずっと圭くんの顔を見ていたいんだから。しょうがないってわかってても、やっぱり、淋しい……」
 祥子は、そっと圭太の手を自分の手で包み込んだ。
「できればね、圭くん。思い出した頃でいいから、私を訪ねてきてほしいの。受験とかいろいろあるけど、私の原動力はやっぱり、圭くんだから。圭くんと一緒にいて、圭くんから力をもらって、そこではじめて私は全力を出せるから。だからね、圭くん」
「心配しなくても大丈夫ですよ。僕が祥子のことを放っておくはず、ないじゃないですか。ちゃんと、顔を出しますから」
「うん……そうだね」
 圭太は、祥子を抱きしめ、その額にキスをした。
「そうだ、圭くん」
「なんですか?」
「来月の誕生日、なにかほしいものとかある?」
「いえ、特にはないですけど」
「リクエストがあると一番いいんだけどね。去年はマフラーだったでしょ? 一昨年が手袋で、その前が小物入れ。今年も手作りって思ってるんだけど、セーターは去年、柚紀がやっちゃったし」
「どんなものでも、僕は嬉しいですよ」
「そっか。じゃあ、今年も期待に応えられるよう、がんばらないとね」
 そう言って祥子は微笑んだ。
「あっ、そうだ、もうひとつ」
「なんですか?」
「今年は風邪、引かないでね。去年なんか、本当に心配したんだから」
「それは、大丈夫だと思います。去年は本当に迷惑をかけましたから」
「圭くんは誰かが見てないと、すぐに無茶するから。十一月は寒暖の差も大きいし、気をつけないとね」
「はい、肝に銘じておきます」
 圭太も笑った。
「さてと、そろそろ戻ろうか」
「そうですね。そろそろ柚紀も限界かもしれませんし」
「ふふっ、そうだね。でも、着くまでは圭くんは、私だけのものだよ」
「はい」
 
 一日目の演奏がすべて終わり、残すは閉会式だけとなった。
 最初に講評があり、今年の全国大会は例年になくハイレベルな演奏が多かったことが告げられた。それは詰まるところ、いつも以上の演奏をしただけでは金賞を取れないかもしれないということを表していた。
 結果は、プログラム順に発表されていく。
 一高は午前中なので、必然的に早い発表となった。
『──県立第一高等学校、金賞』
 
 二年連続金賞という快挙を成し遂げた部員たちは、その喜びを爆発させていた。
 しかし、これから地元へと帰らねばならず、多少気勢をそがれる形となった。
 バスが一高へ到着したのは、もう十時になろうかという頃だった。去年同様、特別な計らいで校門を開けてもらい、校庭でミーティングが行われた。
「みんな、今日は本当におめでとう。この結果は紛れもない、あなたたちの実力で勝ち取ったものよ。胸を張っていいわ」
 菜穂子も興奮冷めやらぬ、という感じである。
「三年は今日をもって引退だけど、これまでの練習の厳しさを考えれば、受験なんて簡単よ。だから来年の春、それぞれがいい報告をしてくれるのを待ってるから」
『はいっ』
「一、二年は、二年連続金賞という看板を背負ってこれからを過ごさなくちゃいけないということを覚えておいて。もちろん、それは大変なこと。でも、それは乗り越えられないことじゃない。その上はいくらでもあるんだから。優秀な先輩たちが安心して見ていられるように、これからもがんばって」
『はいっ』
「それじゃあ、前部長、挨拶を」
「はい」
 これが部活での祥子最後の挨拶である。
「私自身、二年連続金賞が取れるとは思っていなくて、正直かなり驚いてる。でも、これは私たちが積み上げてきた練習の成果だと思うから、ある意味では正当な評価なのかもしれない。私たち三年はこれで引退だけど、一、二年のみんなは、これからも今年以上の結果が残せるようにがんばって。先生もおっしゃったけど、その上は本当に多いから。五年連続金賞を取れば全国大会に招待されるし、演奏が素晴らしければ世界大会へも出られるかもしれない。まだまだ目指すべきところはあるから。ひとつひとつの積み重ね、それが大事なのはこれまででわかってると思うからなにも言わないけど。私たちOB、OGもこれからも応援していくから。そしてまた来年、同じ気持ちを分かち合えれば幸せだと思うから。それじゃあ、今日は本当におつかされま」
『おつかれさまでしたっ』
 部員一同が、声を揃えての挨拶。これで、今年度の挨拶は最後である。
 挨拶が終わると、三年の元にはそれぞれのパートの一、二年が集まる。
「徹先輩、広志先輩、本当におつかされまでした」
 トランペットも四人の後輩が集まっている。
「ま、ペットは圭太がいるからなんの心配もないんだよな」
「そうそう。リーダーとしても、部長としてもこいつほどぴったりの奴はいないし」
「ただ、夏子なんかは見ててわかったと思うけど、こいつは放っておくと全部抱えこむから、そのあたりを分担していくことも考えてくれよ」
「それはもう、大丈夫ですよ」
 夏子はそう言ってトンと胸を叩いた。
「紗絵と満は、そんな二年をバックアップして、同時に自分の実力アップも図ってくれ。少なくとも向こう一年、ペットはまだまだ先生の獲物だろうしな」
 そう言って徹は苦笑した。
「圭太」
「はい」
「あまり、無理するなよ。おまえは優秀だからなんでもできる。だけど、なんでもできることとそれをしていいかは別だ。ペットには夏子もいる、紗絵もいる、満もいる。部内にだっておまえを補佐してくれる奴はいるんだから。まわりを見て、人を使うことも覚えろ。そうすればもっともっといろんなことができるようになるから」
「はい、ありがとうございます」
「夏子」
「はい」
「おまえは、少し圭太のあとを追いすぎるきらいがあるから、もう少し自分の思う通りにした方がいい。もちろん、圭太を目標にするのは悪いことじゃない。だけど、一足飛びに近づくことなんて絶対にできないんだから。こつこつ練習を積み重ねてできる範囲からはじめればいい。そうすればおまえはもっともっとペットにこの部に必要な存在になる」
「はい、わかりました」
「紗絵」
「はい」
「紗絵は、実力的にはかなりのものだと思う。さすがは圭太の秘蔵っ子、というところだな。それに、部内でも副部長をやってるし、自分の位置というものを把握できてる。だから特別心配なことはない。強いて言えば、圭太を越えてみろ。どんなことででもいいから越えてみろ。そうすると、また違った自分が見えるはずだ。もちろん、それがかなり難しいことはわかってる。かく言う俺だって無理だったしな。ただ、紗絵にはそれができそうな気がする」
「はい、わかりました」
「満」
「おまえは、もう少し主張しろ。部内でもそうだし、演奏でもだ。いいものは持ってるんだから、それを埋もれさせておく手はない。わからないことがあれば圭太や夏子に訊けばいい。なんだったら、先生に訊いてもいい。とにかく、もっともっとあらゆる面でレベルアップしろ。そうすればおまえが圭太のあとを継ぐことだって無理じゃないだろうな」
「はい、がんばります」
 前リーダー、徹の言葉はそこで終わった。
「ま、偉そうにいろいろ言ったけど、ようはがんばれってことだ」
「おいおい、それはいくらなんでも要約しすぎだろ?」
「いいんだよ、それくらいで」
 どの三年の顔にも清々しい笑顔があった。
「そろそろ時間なので、今日は解散にしたいと思います。打ち上げについては去年同様、一高祭最終日、すべてが終わってから行いたいと思いますので、先輩方は申し訳ありませんが、終了前くらいに音楽室に集まってください。それでは、改めて、おつかれさまでした」
『おつかれさまでしたっ』
 
「柚紀先輩。いいんですか?」
「ま、今日くらいはしょうがないでしょ」
 柚紀は、やれやれと肩をすくめた。
 柚紀たちの視線の先には、泣きじゃくる祥子をなだめている圭太の姿があった。
 結局祥子は、みんなが帰り出した頃に糸が切れてしまった。そうなった祥子を扱えるのは、この部内には圭太以外いない。
 だからこそ、柚紀も認めているのだ。
「大丈夫ですか?」
「……ぐすっ、うん、もう、大丈夫」
 真っ赤な目で、鼻をすすりながらだが、ようやく落ち着いた。
「ごめんね、圭くん……」
「いえ、そういう気持ち、わかりますから」
「うん……」
 優しく髪を撫で、少しでも落ち着くようにする。
「ダメだね、こんなことくらいで泣いてちゃ。こんなことじゃ、打ち上げの時もまた泣いちゃうよ」
「それが、祥子らしいと思いますよ。それに、追いコンの時はあのともみ先輩ですら泣いたじゃないですか」
「そうだね」
 祥子は、目尻の涙をぬぐい、笑みを浮かべた。
「私には、圭くんがいてくれて、本当によかった……」
「このくらいのこと、おやすいご用ですよ」
「うん、ありがと、圭くん……」
 そう言って祥子は、軽くキスをした。
「じゃあ、帰ろうか」
「はい」
 こうして圭太たち一高の全国大会は幕を閉じた。
 
 十月三日。全国大会二日目。
 その日は朝からとてもいい天気だった。
 圭太たちは朝早くから普門館へ向かっていた。
 二日目は中学校の部である。ここに琴絵たち三中が出場する。
 二日目を聴きに来たのは、圭太たち三中OB、OGと有志、総勢二十人だった。今年は去年と違い、全員一緒に行動せず、好きな者同士で動いていた。
 そうすれば当然圭太のまわりには、『関係者』が集まる。
「今年は、午後のすぐなんだ」
 柚紀はプログラムを見ながらそう言った。
「あまりあとの方だとやりにくいから、今年くらいがいいと思うよ」
 圭太はほかの団体の順番を確認しつつ、答えた。
「ねえ、圭兄。琴絵ちゃん、大丈夫だと思う?」
「琴絵も全国の舞台は二度目だし、なによりも本人が一番悔いの残らない演奏をしたいだろうから、大丈夫だよ」
「悔いの残らない演奏、か」
「去年の紗絵は、今の琴絵と同じ心境だっただろうし」
 圭太に話を振られ、紗絵は目をぱちくりさせた。
「えと、まあ、琴絵と同じだったかはわかりませんけど、精一杯やろうって思ってたのは確かです」
 それに、と言って続ける。
「……去年の演奏には、それ以上の意味がありましたから」
 そう言って紗絵は、少しだけ熱っぽい眼差しを向ける。
 それは去年の約束のことを言っているのである。
「いずれにしても、いい結果が残せればいいんだけど」
 それから演奏がはじまった。
 どの団体も最高の演奏を目指し、全精力を傾けてくる。
 客席にいてもその熱意はひしひしと伝わってきた。
 どの団体にも惜しみない拍手が贈られる。
 午前中の演奏が終わると、圭太たちは揃って昼食に出た。
「演奏はどうだった?」
 外に出て歩いていると、圭太は詩織に声をかけた。
「どこもすごい演奏で、圧倒されちゃいました」
「これが全国大会だからね。詩織は今年は演奏者としては出られなかったけど、今日いろんなところの演奏を聴くのは、来年に繋がるからよく覚えておくといいよ」
「はい、そうですね」
 詩織は、五十人枠に入ることができなかったのである。ちなみに、朱美もである。
 一年はほぼ毎年半分ほどが出られないので、ある意味仕方がない。
「先輩は、もう全国の舞台は慣れてますよね?」
「そんなことないよ。僕だってあの雰囲気に呑まれそうになるし、緊張だってする。みんなと同じだよ」
「でも、そう見せてないところが、先輩のすごいところです」
 詩織は、そう言って微笑む。
「私も、先輩みたいに堂々と演奏できるようにならないといけないですね」
「詩織なら大丈夫だよ。もともとピアノもやってるし。かえって、全国くらいの方が力を十分発揮できるんじゃないかな?」
「そ、そんなことないですよ」
 ピアノの発表会は基本的にひとりで舞台に立つ。その緊張感は想像以上である。それを経験している詩織なら、大勢いる吹奏楽ならそれほどでもない、そう圭太は考えたのである。
「はは、そういう話は、来年また全国が決まったらでいいね」
「そ、そうですね」
 簡単に昼食をとり、戻るとすぐに午後の演奏だった。
 三中は午後の三番目だった。
 前の団体が終わり、いよいよ三中である。
 どの顔も緊張していて、そのままでは最高の演奏は厳しそうだった。それでも、佳奈子がなにか声をかけると、その緊張もほんのわずかに解けたようである。
 アナウンスが入り、十二分間がはじまった。
 
 三中の演奏は、関東大会よりはよかった。しかし、今年は高校の部同様、中学校の部もレベルが高く、金賞を取れるかどうかは微妙なラインだった。
 圭太は紗絵とふたりで現役生を出迎えに行った。
「演奏、どう思いました?」
「そうだね。正直微妙なところかな。去年ほどの確信は持ててないよ」
 圭太はあくまでも正直に答えた。
「紗絵は?」
「そうですね、私もそんな感じです。去年はあそこにいましたから単純に比べられませんけど、なんとなく、厳しいような気がします」
「まあ、どうなるかは、まだわからないけどね」
 ロビーを歩いていると、それらしき集団を見つけた。
「先生、佳奈子先生」
「あら、圭太に紗絵じゃない。聴いてたの?」
「ええ、しっかり聴かせてもらいました」
「正直どうだった?」
「まあ、微妙、としか言えないですね」
 圭太は部員たちの手前、あえて言葉を濁した。
「銀賞は固いと思いますけど、金賞となると、わかりません」
「なるほどね。紗絵も同じ意見?」
「はい。だいたいは先輩と同じです」
「銀賞ね。それはそれで胸を張れる結果だとは思うけど」
 佳奈子はそう言って苦笑した。
「お兄ちゃん、紗絵先輩」
「おつかれさま、琴絵」
「おつかれ、琴絵」
「演奏、どうだった?」
「去年よりは厳しい、としか言えないかな」
「そっか。私もね、演奏してて去年ほどの手応えがなかったから」
 琴絵は少し肩を落とした。
「あ〜あ、ダメなのかな」
 それから少し三中の面々と話をし、ふたりは席に戻った。
「どんな様子だった?」
「先生や琴絵は、さすがに去年ほどの手応えは感じてなかったよ」
「そっか。やっぱりわかるよね」
「でも、結果は下駄を履くまでわからないから」
「うん、そうだね」
 午後の演奏も順調に進み、最後の演奏を迎えていた。その頃にはホールにも演奏を終えた団体のメンバーも入っており、ある種異様な雰囲気になっていた。
 演奏が終わると、いよいよ閉会式である。
 これで今年の全国大会は締めくくられるわけである。
 三中は圭太たちとは少し離れた場所に陣取っていた。
 閉会式がはじまると、早速講評があった。内容としては前日とそれほど大差はなかったが、それでも例年になくハイレベルな演奏に来年以降も期待するというコメントが添えられていた。
 結果発表は、興奮の中、淡々と進められた。
 三中の面々は、祈るような思いで結果を待った。
 そして──
『──市立第三中学校、銀賞』
 
「結局、審査員はちゃんと審査したってことよね」
 帰りの電車の中、柚紀はそう言った。
「まあ、今年の金賞受賞校を見ると、銀賞で精一杯って感じだったからね」
 三中は金賞を逃し、銀賞に終わった。もっとも、金賞受賞校はどこもかなりのレベルで、ひとつのミスもしなかったところが選ばれていた。だからこそ圭太の言うように、演奏者、指揮者が手応えを得られなかった演奏では、金賞は無理なのである。
「圭くんは、思い出してるんじゃないかな」
「なにをですか?」
「二年前のこと。あの時も今年と同じで銀賞だったし」
「そうですね。あの時も今年と同じような感じでしたね」
 圭太はそう言って苦笑した。
「でも、演奏レベル自体は今年の方が上ですよ。もしあの時、今年ほどの演奏ができていれば、金賞でした」
「それほど今年のレベルは高かった、と」
「結局はそういうことですね」
 勝負の世界に『たら』『れば』はない。
「これで全国大会も終わって、いよいよ新体制だね」
「明日からは、心機一転がんばらないと」
「うん」
 
 六
 後期に入り、学校の様子も様変わりした。三年が受験に向けて本腰を入れはじめたからである。三年の教室では毎日放課後、居残りで勉強する生徒が増えた。図書館も同様で、授業が終わると個人ブースはすぐにいっぱいになる。
 変わったと言えば、各部活もすっかり新体制になっていた。ただ、文化部は一高祭が最後なので変わっていないところも多いが。
 それでも、そういう変化は大きい。特に、二年はその先頭に立っているわけで、想いもまた違った。
 吹奏楽部でも完全に新体制に移行し、活動が行われていた。
 現在は、月末に迫った一高祭のステージ演奏と音楽喫茶でのアンサンブル演奏に向けてが主なものだった。もちろん、その直後にあるアンコンに向けても練習は行われていた。
 そんな中、圭太は相変わらず忙しい日々を送っていた。
 それでもこれまでみたいにすべての仕事をひとりで抱えず、紗絵や綾にもできることはしてもらっていた。だから、量的にはそれほどでもないのだろうが、部長という立場上、面倒なことは多かった。
「ふう……」
「先輩、大丈夫ですか?」
 日誌を書いていた紗絵が、心配そうに声をかけた。
「ああ、うん、大丈夫だよ」
 圭太はなんでもないと笑顔で応える。
「先輩はがんばりすぎです」
「そうそう。もう少し手を抜いてもいいと思うよ」
 詩織に朱美もそう言う。
 その日は柚紀が用事があるということで早々に帰っていた。そのため、音楽室には圭太と一年トリオだけである。
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。自分のできる範囲っていうのはちゃんとわかってるから。できそうにないことは、紗絵にやってもらったりしてるし」
「そんなの当然です。じゃなかったら、なんのための『副』部長かわかりません」
 紗絵は、少しだけ頬を膨らませ言った。
「私から見れば、圭兄はまだまだがんばりすぎ。ホントに手を抜かないと、倒れちゃうよ?」
「そうは言ってもね、やらなくちゃいけないことはあるし」
 圭太は苦笑するしかなかった。
「とりあえず、音楽室を閉めようか」
「あっ、はい」
 戸締まりを確認し、音楽室に鍵をかける。
「それじゃあ、鍵と日誌を置いてくるから、三人は昇降口で待ってて」
 そう言って圭太はひとり、職員室へ。
 残された三人は、とりあえず言う通りに昇降口へ向かった。
「ホント、圭兄は頑固なんだから」
「確かにね」
「でも、さっきの朱美じゃないけど、このままだと先輩、本当に倒れちゃうかも」
「そこまではさせないよ。家では私と琴絵ちゃんが目を光らせてるし。調子悪そうだったら、無理にでも休ませるから」
「それしかないか」
 三人は、揃ってため息をついた。
 昇降口で靴を履き替え、圭太を待つ。
「ねえ、今先輩が抱えてることって、なにかな?」
「ん〜、勉強でしょ、部長としてのこと、一高祭のこと、アンコンのこと」
「あと、クリスマス演奏会のこともだよ」
「あっ、もうそんな時期だっけ?」
「まだ連絡は取ってないみたいだけど、そろそろやらなくちゃいけないって」
「……なんか、かなりあるね」
「それをどれも完璧にこなしてるんだから、さすがは圭兄ってところだけど」
 朱美は、盛大なため息をついた。
「とりあえず、アンコンが終わるまでは無理だろうから、終わったあと、なにかできないかな?」
 詩織の提案に、早速ふたりが食いついてきた。
「なにかって、なに?」
「ん〜、たとえば、私たちで先輩のことを全部やってあげるとか」
「全部、ね〜……」
 それぞれ、その『なにか』について考えてみる。しかし、そう簡単には出てこない。
「アンコンが終わってからだから……ちょうど、圭兄の誕生日がある」
「あと、中間テストが近いから部活も休みになるし」
「そのあたりに突破口がありそうね」
「よし、そのあたりでもう少し詰めてみよう」
「うん、そうね」
「少しでも先輩の役に立てるようにね」
 三人は、がっちりと握手を交わした。
 
 十月十四日。
 今年もまた、この日がやって来た。
 いつも通りの生活の中で、ぽっかりと空いてしまった隙間。
 それは、心の隙間であり、存在の隙間である。
 だが、その日が来なければ、それを思い出すことはないのかもしれない。普段は努めてそれを思い出さないようにしているのだから。
 優しい母親として。
 親孝行で妹想いな息子として。
 ものわかりのいい健気な娘として。
 まだ時間はかかるかもしれないが、あの日、あの時のことを躊躇いなく話せるその日まで。
 
 その日の昼休み。
 圭太はいつものメンバーと昼食を食べていた。
 最近はなにかと忙しくなってきている祥子も一緒だった。
「先輩は、今日は部活は休みですよね?」
「うん。いろいろ迷惑かけるけど」
「いえ、気にしないでください」
 紗絵は、そう言って頭を振った。
 ここにいるメンバーは全員、その日がなんの日か知っている。
「今回は朱美も一緒なのよね?」
「うん。さすがに一緒に暮らしてるのに私だけ行かないわけにはいかないし。それに、うちの親からくれぐれもよろしくって頼まれてるから」
 サンドウィッチを頬張りながら、朱美は言う。
「……ねえ、圭太」
 と、それまでほとんど話していなかった柚紀が、声を上げた。
「ん、どうかした?」
「あのね、私がこんなこと言える立場にないことは十分理解してるんだけど」
「うん」
「今日、私も一緒に行っちゃ、ダメかな?」
「柚紀も?」
「うん」
 真剣な表情で柚紀は頷いた。
 圭太は、真っ直ぐ柚紀を見つめ返す。
 ほかのメンバーは、成り行きを固唾を呑んで見守る。
「そうだね、別にいいよ」
「ホント?」
「うん。柚紀はもう『家族』も同然だし。それに、父さんには一度挨拶してるから、知らないわけじゃないし」
 そう言って圭太は穏やかに微笑んだ。
「そう言ってくれてありがとう」
 いつもなら少し茶化したりするのだが、それもいっさいなかった。
「というわけだから、紗絵」
「はい」
「今日はよろしく頼むよ」
「はい。任せてください。綾先輩と一緒にしっかりやりますから」
「うん」
 
 そして放課後。
 圭太は、ホームルームが終わるとすぐに教室をあとにした。もちろん柚紀も一緒である。
 昇降口のところで朱美とも合流し、帰路に就く。
 家に着くまでの間は、特にこれといった話もしなかった。
 誰というわけではなく、誰も話のきっかけをつかめなかった。
 家に着くと、すでに琴絵は帰ってきていた。
 カバンだけ部屋に置いて、制服のまま支度をする。
「それじゃあ、行きましょうか」
 琴美に促され、一行は目的地である霊園へ向かった。
 
 霊園に着いた頃には、やはり陽はだいぶ西に傾いていた。
 墓石の前に着くと、早速墓石とまわりを綺麗にする。
 なかなか来られない分、念入りに。
 それが終わると、花を供えて、線香を焚く。
 そして、墓石の前で手を合わせる、
 声に出して言うことはないが、それぞれに祐太への報告を行っているはずである。
 しばらくして。
「柚紀さん。今日はありがとうね」
 琴美は、まずは柚紀に声をかけた。
「わざわざこんなところにまで来てもらって」
「いえ、私が来たかったんですから、気にしないでください。それに──」
 琴美から視線を外し、墓石に目を向ける。
「改めて報告したかったんです。見てほしかったんです」
「そうなの」
「だから、逆に一緒に来ることを許していただいて、私の方こそ感謝しています」
 軽く頭を下げる。
「祐太さんは賑やかな方が好きだから、今年は朱美と柚紀さんが一緒で、喜んでると思うわ。私たち三人だけだと、どうしても言葉数が少なくなるから」
 それは、心情を慮れば仕方がないことではある。
 そういう時に、ペチャクチャ話すのは絶対にあわない。
「あの、琴美さん」
「ん?」
「できれば、来年以降も、一緒にここへ来てもいいですか?」
「それは構わないけど、いいの?」
「はい。というより、むしろそうしたいんです。私は、なにも知りませんから。だからこそ、せめて私のことをいろいろ知ってほしいんです」
「そう」
 柚紀の真っ直ぐな想いに触れ、琴美はほんの少しだけ笑みを浮かべた。
「祐太さんも、圭太の彼女がこんなに立派な彼女で、喜んでいるわ」
「ありがとうございます」
「お礼なんていいわ。ね、圭太?」
「そうだよ。お礼は少し他人行儀すぎるよ。柚紀は『家族』なんだから」
「圭太……」
「だから、お礼はなし」
「うん」
 柚紀は、大きく頷いた。
「さてと、あまり遅くならないうちに帰りましょうか」
 
「ねえ、圭太」
「ん?」
 帰りのバスの中。柚紀は、隣に座っている圭太に声をかけた。
「私って、本当に『家族』になれてるのかな?」
 少しだけ不安げな表情で問いかける。
 それに対して圭太は、穏やかに微笑み、答えた。
「大丈夫だよ。柚紀はもう立派な『家族』だから」
 それを聞いても柚紀の表情は晴れなかった。
「僕だけじゃなくて、母さんも琴絵もそう思ってるよ。じゃなかったら、今日のことだってなかっただろうし」
「うん、それはそうなんだろうけどね。ただね、いくら私が圭太の婚約者だとしても、まだ正式に家族になれたわけじゃないから」
「確かにそれはそうだと思うけど、でもね、柚紀」
「うん」
「家族の繋がりって、別に血の繋がりだけじゃないと思うんだ。もちろん、それが一番大きいんだろうけど、それが絶対ではない。たとえ血の繋がりがなくても、家族にはなれる。そして、僕たちはもうすでに『家族』になれてると思ってる」
 圭太は、そう言って微笑んだ。
「柚紀は少し心配しすぎだよ」
「……うん、そうだね」
 柚紀は、軽く頭を振って、圭太の肩に頭を預けた。
「ごめんね、余計なこと言っちゃって」
「いいよ、別に。それに、そういう風に考えてしまう気持ちもわからないでもないから」
「そっか」
 柚紀の考えはごく普通の考えである。だからこそ圭太にも容易に推測できるのだ。
「こういうことを少しずつ積み重ねていけば、正真正銘の家族になれるね」
「それが柚紀の望みでもあるからね」
「うん」
 圭太は柚紀の肩を抱き、柚紀はさらに圭太に体を預けた。
「……ありがと、圭太」
 
 そろそろ一高祭という日の夜。
 琴美が風呂から上がると、リビングに圭太の姿があった。テレビが点いているので見ているのかと思いきや──
「あらあら、この子は」
 圭太はそのまま眠っていた。
 圭太がこれほど無防備に眠ってしまうことはほとんどない。
「よっぽど疲れてるのね」
 琴美はソファに座り、その膝に圭太を寝かせた。
「どんなに立派に成長しても、子供は子供ね……」
 優しく髪を撫でる。
 圭太は穏やかな表情で気持ちよさそうに眠っている。
「さてさて、このままというわけにもいかないけど」
 さすがに琴美ひとりでは圭太を運ぶのは無理である。
「お母さん、コーヒー、って、お兄ちゃんどうしたの?」
 そこへ、琴絵が下りてきた。
「疲れてるみたい。テレビ見ながら寝てたわ」
「そうなんだ」
 琴絵も圭太の側に寄る。
「気持ちよさそうだね」
「そうね」
「やっぱり、お母さんの膝枕だからかな?」
「そうだといいんだけどね」
 そう言って琴美は微笑んだ。
「琴絵は、どう思う?」
「どうって、なんのこと?」
「圭太がひとりがんばり続けてること」
「ああ、うん、そのことか。そうだね、私にはなんとも言えないかな。私が今こうして余計なこと考えずにいられるのは、みんなお兄ちゃんのおかげだし」
 琴絵は、そっと圭太の頬に触れた。
「お兄ちゃんの背負ってるものを肩代わりできるのは、私じゃないから」
「そうすると、やっぱりこの子には早々に身を固めてもらった方がいいわね」
「うん。柚紀さんなら、きっと大丈夫だよ」
「本当は家族がそれをできれば一番いいんだろうけどね」
 琴美は、少しだけ申し訳なさそうにささやいた。
「ん……」
 と、圭太が目を覚ました。
「あ、れ、母さん?」
「おはよう。よく眠れた?」
「ああ、えっと、寝てたんだ」
「ええ。よっぽど疲れてるみたいね」
「そんなことはないと思うけど」
「ダメだよ、お兄ちゃん、無理しちゃ」
「そうだな、今日はもう寝ようか」
「それがいいわね」
 圭太は一度あくびをかみ殺し、立ち上がった。
「母さん」
「なに?」
「久しぶりに、母さんを感じられたよ。ありがとう」
 そう言って圭太は自分の部屋に戻っていった。
「まったくあの子は……」
「お兄ちゃんらしいよね」
「本当に、あの子らしいわ」
 ふたりは、顔を見合わせ、笑った。
 
 十月二十九日。一高祭前夜祭。
 その日は授業は午前中だけで、午後からは準備に割り当てられていた。
 クラスの出し物、部での出し物、有志での出し物。どれも準備に余念がない。
 吹奏楽部でも、音楽室の準備に追われていた。
「机と椅子の数確認して」
「そこ、もっと通路開けて」
「機材の電源、どっから取るの?」
「邪魔な荷物、どこかにどけなさいよ」
 指示やら怒号やらが飛び交いながらも、準備は着々と進んでいた。
 途中、三年が冷やかしにも来たが、現役生のパワーに押され、手伝うはめになっていた。
 夕方、前夜祭がはじまる頃にはすべての準備が整った。
 かなりの部員がそのまま前夜祭の行われる体育館に移動していた。
「これで、あとは本番を迎えるだけ、と」
 圭太は音楽室を見渡し、満足そうに頷いた。
「圭太も、一高祭が終われば少しは楽できるんじゃない?」
「少しだけだよ。直後にはアンコンもあるし、十二月のクリスマス演奏会のことを二高や三高とも話さなくちゃいけないし。それに、年が明けたら来年のコンサートに向けても動き出さなくちゃいけないし」
「そんなのわかってるって。でもさ、もう少し肩の力抜かないと。みんな心配してるよ」
 柚紀は眉根を寄せ、困ったぞ、という顔をする。
「大丈夫だよ。ここまでバタバタするのはもうないから。それに、来月はテストもあるから部活も休みになるし」
「……普通はその時に勉強するから大変だと思うけど」
「そういえばそうだね」
 そう言って圭太は笑った。
「さてと、今年は前夜祭に行く時は荷物を持っていくように言ったから、ここに戻ってくる人、いないだろうから閉めよう」
「了解」
 ふたりは、てきぱきと戸締まりを確認する。
 ものの数分で確認作業は終了。
「じゃあ、帰ろうか」
「そうだね」
 音楽室に鍵をかけ、帰ろうと階段を下りはじめたところで、下からすごい勢いで上がってくる生徒がいた。
「い、いた……」
 その生徒は腕章をつけていて、ひと目で一高祭実行委員だとわかった。
「二年の高城圭太くん、だよね?」
「え、ええ……」
「ちょっと一緒に来てくれるかな」
「どこへですか?」
「体育館へ」
 
 体育館では前夜祭恒例のミスター一高と有志バンドによる演奏が行われていた。
 今はちょうど演奏中。このあと、ミスター一高の結果が発表される。
 実行委員に連行され、圭太は柚紀とともに体育館にいた。
 ステージ裏では、現在開票結果の最終確認が行われていた。
「えっと、どういうことなんですか?」
「もちろんミスター一高のことは知ってるよね?」
「ええ」
「君は去年、一年にも関わらずノミネートされた。知名度の低さからか、二、三年の牙城を崩すほどではなかったが。しかし、今年は違う。簡単に言うと、君はミスター一高の最有力なのだよ」
 実行委員は、圭太の肩をぽんと叩いた。
「僕が、ですか?」
「そうだとも。結果はそろそろ出るが、上位三人に入っているのは間違いない。だからここに来てもらった、というわけだよ」
 前夜祭担当の実行委員は、時間を確認しながら説明する。
「リーダー。確認作業終了です」
「よし、わかった。バンドの演奏が終わったら、早速本番だ。各人、準備しておけ」
『了解』
 軍隊のような練度の高さを見せ、委員たちは動く。
「なんか、とんでもないことになりそうだけど」
 圭太は柚紀にそう言った。
「とんでもないことになりそう、じゃなくて、なってると思うけど」
 それから程なくして、バンドの演奏が終わった。
『レディース・エンド・ジェントルメンっ! 大変長らくお待たせしました。ただいまより一高祭前夜祭名物、ミスター一高の結果発表を行いたいと思いますっ!』
 ハチマキにはっぴ姿の委員が司会を務め、ミスター一高結果発表がはじまった。
『まず、簡単にルールの確認をします。これは、本日正午まで実行委員会本部に設置しておりました投票箱に投票された票と、この場で先ほど行いました投票の結果をあわせて栄えあるミスター一高を選ぶものです』
 司会は、一枚の紙を取り出した。
『ここに、その結果があります。特に、女子のみなさんには興味深いものだと思います。それはそうですね。この一高で一番イケてる男子は誰か、というものですから』
 確かに、体育館には女子の姿が多い。というか、九割方女子である。
『それでは、早速十位から四位まで発表したいと思います』
 歓声が上がり、発表がはじまった。
 名前が読み上げられる度に、どよめきが起きる。
 それはそうである。たとえ十位でも、一高男子の中の十位である。
 読み上げられる名前は基本的には二、三年である。ただ、例外として去年の圭太のようなこともある。
『では、いよいよ上位三人の発表です。三人の方には、ステージ袖にすでにお越しいただいています。あなたが投票した男子は、果たしているでしょうか』
 盛り上げるだけ盛り上げ、発表する。
『まず、三位。三年五組──』
 三位は、例年通り三年だった。加えて言うなら、ここ何年も上位三人に二年以下が入ったことはない。
『続きまして二位。準ミスター一高は、三年二組──』
 この段階で、結果は判明した。つまり圭太は──
『それではいよいよ、本年度のミスター一高の発表ですっ! ミスター一高は……二年一組、高城圭太くんですっ!』
 同時に、体育館に黄色い歓声が上がった。
『高城圭太くん、ステージ中央へ』
 委員に促され、圭太はステージに出た。
 同時に、デジカメや携帯電話のカメラのフラッシュがたかれた。
『さて、高城圭太くんへの投票結果ですが、なんと、ミスター一高はじまって以来の高得票で決まりました。一年、二年、三年、全学年からまんべんなく得票し、他を圧倒。栄えあるミスター一高となったわけです。高城くん』
『は、はい』
『ミスター一高に選ばれた感想は?』
『……そうですね、正直僕が選ばれる理由がわからないんですけど、いろんな人に認めてもらえているっていうのは、嬉しいです』
『なるほどなるほど。高城くんは二年ですけど、来年もまたミスター一高に選ばれると思いますか?』
『それは、僕が選ぶことではないですから、わかりません』
『確かにそうですね。では、質問を変えましょう。ミスター一高に選ばれた生徒は、卒業まで女子から猛烈なアタックを受けることが予想されますが、そのあたりについてはどうですか?』
『ああ、それは大丈夫です』
『ほほう、それはまたなぜ?』
『僕には、彼女がいますから』
 同時に、それを知らなかった女子から悲鳴が上がった。
 もっとも、知らない生徒の方が少ないが。
『ですから、大丈夫なんです』
『なるほど、よくわかりました。みなさん、お聞きになりましたか? 非常に残念ながら高城くんには彼女がいる、ということです。ですから、あまり無茶なことはしないでくださいね』
 無茶とはなんだ、という突っ込みは入らなかった。
『では、締めくくる前にひとつ宣伝です。今年の一高祭後夜祭では、恒例のミス一高のほかに、一高ベストカップルというものができました。現在、一高在籍中の全生徒が対象です。彼氏、彼女の関係にあってもなくても構いません。たとえば、高城くんに最もあっている女子はこの人だ、という投票でも構いません。是非、投票してください。なお、どちらの投票も一高祭二日目、午後三時締め切りとなります。よろしくお願いします』
 司会は深々とお辞儀した。
『それでは、本年度のミスター一高が高城圭太くんに決まったところで、ミスター一高は終了させていただきます。前夜祭は引き続きバンド演奏がありますので、そちらをお楽しみください。ありがとうございました』
 盛大な拍手とともに締めくくられた。
 
「はあ……」
 学校からの帰り道。圭太はため息をついた。
「まさか、こんなことになるとは思わなかったよ」
「ん〜、正直言うとね、私はこの結果、予想できてたかな」
 柚紀は、そう言って笑う。
「みんな、圭太のことよく見てたし。それに私の知り合いは、ほとんど圭太に投票したって話してたし」
「柚紀も?」
「もちろん。彼女が彼氏に投票しないなんてこと、あり得ないわよ」
「なるほど……」
「でも、さすがにちょっと心配かな」
「心配? なにが?」
「ほら、これでますます圭太の人気は不動のものになるし。となると、私っていう彼女がいても突っかかってくる子はいるだろうし」
「それは、大丈夫だよ。僕の彼女は、あくまでも柚紀なんだから」
 圭太は、真剣な表情でそう言う。
「ん〜、本当ならその言葉は信じるに値するんだろうけど、圭太の場合は前科があるからね」
「……それを言われると、なにも言えないけど」
 その前科がかなりあるため、本当になにも言えない。
「ま、でも、私はポジティブシンキングでいくから大丈夫。ようは、圭太に箔がついたってことでしょ? 一高で一番カッコイイ男子を彼氏にしてるんだから」
「そうだね」
 それを聞き、圭太は苦笑した。
「あっ、じゃあ、ミス一高には柚紀に入れた方がいいのかな?」
「それは、圭太が決めること。私は別にミス一高に選ばれたいとは思わないし」
「そっか」
「でもね、ひとつだけ懸念があるの」
「ん、なに?」
「ベストカップルも今年は選ぶって言ってたでしょ?」
「うん」
「もしそれに圭太とほかの人が選ばれちゃったら、悲しいなって」
「でも、みんな僕と柚紀がそういう関係だって知ってると思うけど」
「それはね。でもさ、圭太と『噂』になってる人で、そういうのに選ばれる可能性のある人、ひとりだけ知ってるんだ」
「誰それ?」
「祥子先輩」
「…………」
「なんでそこで黙っちゃうのよ〜」
「いや、なんとなくそれもあるのかな、って思って」
「むぅ、それって、祥子先輩とならそうなってもいいってこと?」
「そういうわけじゃないけど」
 頬を膨らませ不機嫌オーラを出す柚紀を、圭太はなんとかなだめようとする。
「まあ、ベストカップルについてはいいんだけど、ミス一高の方には当然、祥子先輩もノミネートされるだろうし」
「たぶんね」
「たぶんじゃなく、絶対に。だって、綺麗でしょ? 人当たりもいいし、お嬢様だし、スタイルもいいし。それに、なによりもあの性格のよさ。男の人って、ああいう人にすっごく弱いし」
「…………」
「そこで目をそらさない」
「ごめん」
「んもう……」
 柚紀はため息をつき、がっちりと腕を取った。
「圭太にとって先輩が特別なのはわかるけど、それでも、私が圭太の彼女なんだからね」
「わかってるよ」
「ホントに?」
「本当だよ」
「じゃあ、今日、泊まってもいい?」
「いいよ」
 圭太は、あっさりとそれを認めた。
「それじゃ、早く行こ」
「了解」
 そういうところも、このふたりのいいところなのかもしれない。
 
 十月三十日。一高祭一日目。
 その日は朝から秋晴れで、絶好の文化祭日和だった。
 一高では朝から最終準備に余念がなく、よほど気合いの入っていない生徒以外はほとんど登校していた。
 午前中、講堂で開会式を済ませ、午後からいよいよ本番である。
 校内放送とともに、今年の一高祭がはじまった。
 どこも気合いを入れて客引きや宣伝をしている。とはいえ、一日目は一般客が少ないため、ターゲットは必然的に一高生となる。
 吹奏楽部では合宿の時、罰ゲームを言い渡されたクラリネットとユーフォニウムの面々がコスプレして宣伝していた。
 例年だと一日目はそれほど混まないのだが、今年は違った。開始後三十分くらいから徐々に入りはじめ、すぐにいっぱいになってしまった。
 客の大半は女子生徒。お目当ては当然、今年度ミスター一高の圭太である。
 圭太は売り上げアップのために、今年もウェイターをしていた。格好は、去年同様黒服を着用している。
 音楽室前には、女子生徒の列ができていた。
「足りなくなりそうなものとかあったら、早めに言って」
 客が多いと、裏は大変である。次から次へと入ってくる注文に応え、品物を出す。
 量的には二日目の分もまわせば特に問題ない量ではあった。
 音楽喫茶最大のウリである生演奏もしっかり行われていた。
 圭太も金管とトランペットで演奏した。たまたまその時間にそこにいた生徒たちは、かなり運が良かった。
 そうこうしているうちに、午後五時を迎えた。一日目終了である。
 売り上げを計算し、足りないものを確認する。
「すごい。去年の一日目の四倍も売り上げてる」
 会計担当は、副部長でもある綾だった。綾は、コスプレの巫女服を着たまま計算していた。
「やっぱり、ミスター一高効果は絶大ね」
「その代わり、買い足しが大変だけどな」
 そう言うのは、買い出し担当の翔である。
「そんなの別に問題ないでしょ? どうせ車で運んでもらうんだから」
「明日の分はな。だけど、今日みたいな勢いではけてくと、明日も早々に買い出しに出なくちゃいけないだろうし」
「それは、あるかも。でもまあ、それが翔の仕事なんだから、いいじゃない」
「へいへい、ちゃんとこなしますよ」
 売り上げの計算を済ませ、買い足し分を発注して吹奏楽部の方も、一日目終了である。
「明日は八時半に集合だから、遅れないように。遅れたら当然、罰ゲームありだから。それじゃあ、今日はおつかれさまでした」
『おつかれさまでした』
 ミーティングが終わると、ほとんどの部員は早々に帰っていく。
 圭太も、この日ばかりは早めに片づけをし、帰ることにしていた。
「圭太。終わった?」
「うん、終わったよ。あとは鍵を閉めるだけ」
「そっか」
 音楽室の鍵を閉め、圭太の仕事も完了。
 昇降口で朱美と紗絵と合流。
「それにしても、一日目からすごい人だったね」
「まあね。ちょっと予想より多くて大変だったけど、特に問題もなかったし、部長としてはひと安心かな」
「それもこれも、みんな圭兄のおかげだね」
「先輩のウェイター姿、すごく格好よかったですから」
「確かに、あの姿なら一見の価値ありだと、私も思うわ」
 朱美と紗絵の言葉を受け、柚紀も頷く。
「僕としては、もう少し穏やかにやりたいんだけどね」
「ノンノンノン。それは無理。だって、圭太がウェイターやらないとお客来ないもの」
「それはいくらなんでも言い過ぎだよ」
「ゼロとは言わないけど、確実に何割かは来てないわ。ね、ふたりとも」
「そうですね」
「特に今年は、ミスター一高としての先輩を見に来てる女子も多かったですし」
「そういうわけだから、圭太は明日も馬車馬のごとくがんばってよ」
「了解」
 圭太は乾いた笑みを浮かべ、頷いた。
 
 十月三十一日。一高祭二日目。
 その日も前日と同じように朝からいい天気だった。
 二日間の一高祭のうち、やはり日曜日のこの日が本番という感じがある。それは、他校の生徒や一般客が多いからである。
 学校には朝早くから生徒が集まり、二日目に向けて最終確認に余念がなかった。
 吹奏楽部では、前日に発注してあった買い足し分も届き、準備はほぼ終わっていた。
「もうすぐ二日目がはじまるけど、今日もしっかり。それと、今日はみんなの知り合いとか来ると思うから、そういう時に抜けたい時は、まわりにひと声かけてからにしてほしい。そうしないと、混乱するから。あとは、終了後、コンクールの打ち上げを行うから帰らないように。それじゃあ、今日も一日がんばっていこう」
 九時半の開始直前に、圭太はみんなにひと声かけた。
 九時半。一高祭二日目がはじまった。
 吹奏楽部では前日に引き続き、コスプレ宣伝部隊が出動。一般客の獲得に乗り出した。
 音楽室は少々位置的に不利な場所にあるので、宣伝は必要不可欠である。
 宣伝部隊以外の部員も、手が空いているなら宣伝に出ることになっていた。
 十時を過ぎると一般客も少しずつ増えてきた。
 音楽喫茶も少しずつ人が入りはじめていた。
 そんな中、引退した三年が何人か顔を出していた。
「盛況だね」
 祥子は音楽室を見回し、そう言った。
「そうですね。昨日から本当によくお客が入ってますよ」
「ふふっ、それは圭くんのおかげだね」
「……それ、みんなにも言われました」
 圭太は苦笑した。
「そういえば、先輩は昨日とか見てまわってたんですか?」
「少しだけね。でも、一高祭をゆっくり見られるのって、なんか不思議な感じで」
「なんとなくわかります。去年も一昨年もここにかかりきりですからね」
「うん。だから、今年はゆっくりまわろうと思ってね」
「そうですか。じゃあ、僕の分も先輩には楽しんでもらわないといけないですね」
「圭くんは、かかりきり?」
「ええ。僕は、音楽室から出ることを許されてませんから」
「それって、ウェイターとして?」
「間違いなく」
「そっか。それじゃあしょうがないね。少しでも時間があるなら、一緒に見てまわりたかったんだけど」
「すみません」
「ううん、いいのいいの。じゃあ、圭くん。がんばってね」
 昼頃になると、いよいよ音楽室は忙しくなってきた。
 前日と同じように女子生徒の数が多いが、それでも二日目は男子の数も多い。
 吹奏楽部はもともと女子の比率が高い。しかも、コスプレで宣伝までしていれば興味をそそられるのが、男である。
 そんなこともあり、ウェイター、ウェイトレス、裏方、ともに忙しく動いていた。
 その頃、圭太の知り合いが顔を出していた。
「今年もその格好してるのね」
「ええ、成り行きで」
「あたしはカッコイイから好きだけど」
「そうね」
 やって来たのは、笹峰家の面々だった。ちなみに、光夫は仕事上のつきあいで不参加である。
「でも、今年はずいぶんと女の子が多いわね」
「えっと、まあ、いろいろ理由がありまして」
「どんな理由?」
「大変お待たせしました」
 そこへ、注文の品を持って柚紀がやって来た。
「んもう、お母さんもお姉ちゃんも、あれだけ言ったのに」
「別にまだなにも言ってないでしょ?」
「ねえ、柚紀。なんで今年はこんなに女の子が多いの?」
 咲紀はまわりを見てそう訊ねた。
「ああ、それは圭太がうちの高校で一番カッコイイ男子に選ばれたからよ」
「そうなの?」
「ほら、ミスコンの男版みたいなの」
「ふ〜ん、なるほどね」
「でも、圭太くんなら選ばれても不思議じゃないわね」
「というか、選ばれない方が不思議よ」
 真紀と咲紀は、しきりに圭太を持ち上げる。
「圭太。お客さん」
 ちょうどそこで圭太に声がかかった。
「わかったよ」
 圭太は言われるまま入り口へ。
「母さん、鈴奈さん」
 やって来たのは、琴美と鈴奈だった。
「どう、がんばってる?」
「まあ、ほどほどに。あっ、そうだ、母さん」
「うん? どうしたの?」
「今、柚紀のお母さんとお姉さんが来てるんだ」
「あら、そうなの? じゃあ、ご挨拶しないと」
 圭太は、ふたりを真紀たちのところへ案内した。
「こんにちは、ご無沙汰しています」
「まあまあ、こちらこそご無沙汰しています」
 琴美と真紀は、揃って挨拶する。
「今日は、柚紀さんの姿を見に?」
「いいえ、見飽きてる娘の顔よりも、圭太くんの姿を見に来たんですよ」
「……悪かったわね、見飽きてて」
「まあまあ……」
 むくれる柚紀を、圭太がなだめる。
「母さん。ここに席、作ろうか?」
「いいの?」
「それがこの音楽喫茶のいいところだから」
「そう? それじゃあ、そうしてもらおうかしら」
 程なくして、席は四人席となった。
「それではごゆっくりどうぞ」
 圭太も、さすがにずっと相手しているわけにもいかないので、席を合わせて下がった。
「ねえ、圭太」
「うん?」
「あれでよかったの?」
「どうして?」
「だって、うちのお母さん、話し出すと止まらなくなるから。このまま最後まで居残っちゃったりして」
「それはそれでいいよ。別に、僕たちは営利商売をやってるわけじゃないんだから。僕たちは、そういう場を提供してるだけだし。それに、たまにはいいと思うよ」
「まあ、それもそっか。お母さんも楽しそうだし」
「ただちょっと、鈴奈さんと咲紀さんには悪いかなって思うけど」
「お姉ちゃんはどうでもいいけど、確かに鈴奈さんにはちょっとね」
「鈴奈さんには、僕があとでフォロー入れておくけど」
「それがいいかも」
 前日同様の客入りで、早くも食材がなくなりかけていた。
 翔は、手の空いている男子部員を連れて、買い足しに走った。
 二時を過ぎると、多少忙しさも軽減されてきた。
 その頃、またも圭太の知り合いがやって来た。
「お兄ちゃん、来たよ」
 やって来たのは、琴絵たち三中吹奏楽部員だった。と言っても、琴絵たちもすでに引退している身。正確に言えば、元部員だろう。
「そういえば、校門のところで遥先輩に会ったよ」
「ああ、遥は宣伝部隊だから」
「なんか、メイドさんの格好してたけど」
「あれは罰ゲームの一環でもあるから」
「そうなんだ」
「うちは結構そういうのにはシビアだから、琴絵も覚えておいた方がいいかな」
 そう言って圭太は笑った。
 しばらく琴絵たちの相手をし、またウェイターの仕事に戻る。
 三時を過ぎると、一般客の姿も少しずつ減ってくる。
 その頃になると、音楽室に引退した三年の姿が多くなってくる。このあとの打ち上げのために集まっているのだ。
「おっ、まだ結構人いるじゃない」
 と、今度はともみたちがやって来た。
「おお、今年も圭太はその格好なんだ」
「なんか、そうみたいです」
「うんうん、似合ってるからその方がいいって」
「でも、その格好、ともみがさせたんでしょ?」
「まあね。その結果、去年の売り上げは一昨年を上回ったわけだし」
「でも、真意としては、ただ単に圭太のこの格好を見たかっただけ、なんでしょ?」
「当然」
 OGたちはとてもにぎやかだった。
 そのOGの中に、幸江の姿もあった。
「圭太、よく似合ってるね」
「はは、ありがとうございます」
「ともみが去年、それを着させた気持ち、わかるかな」
 そう言って幸江は微笑んだ。
「やっぱり、自分の好きな人には、格好よくあってほしいからね」
「なになに、ふたりでなに話してるの?」
 そこへともみが割り込んでくる。
「幸江〜、抜け駆けはダメよ」
「別に抜け駆けなんてしてないわよ。ただ、普通に話してただけ」
「ふ〜ん、普通にね。ま、いいけど。圭太も、幸江は意外に抜け目がないから、気をつけないとダメよ」
「は、はあ……」
「ちょっと、ともみ。それ、どういう意味?」
「さあ、どういう意味かしらね? おほほほ」
「まったく……」
 そして午後四時。一高祭終了。
 校内のあちこちで、撤収作業が行われている。
 同時に校庭では後夜祭のための、キャンプファイヤーの準備がはじまっていた。
 しかし、今年も吹奏楽部は不参加である。
 椅子を全部音楽室の外に出し、机だけ残す。その上にジュースやらお菓子やらを置く。
 全員が揃うと、打ち上げの開始である。
「それでは、コンクールの打ち上げをはじめたいと思います」
 圭太が前に立ち、打ち上げがはじまった。
「まず、前部長の三ツ谷祥子先輩から挨拶をいただきたいと思います」
「えっと、まずは昨日、今日とおつかれさま。これで学校絡みの行事は終わりだから。それでコンクールのことだけど、これはもう今更言うことはない、というのが本音。二年連続金賞を取って、それでもなにか言うことがあるなんて、それこそあり得ないと思うし。そういうわけだから、今日はとにかくみんなで楽しめれば、それで文句なし」
 祥子は笑顔で締めくくった。
「では、乾杯の音頭を前副部長の清水仁先輩にお願いしたいと思います」
「よっしゃ。みんな、コップは持ったか? コンクール金賞と一高祭の大成功、これからの吹奏楽部の発展と三年の進路が決まることを祈って……乾杯っ!」
『乾杯っ!』
 威勢のいいかけ声とともに、あとは騒ぐだけ。
 久しぶりの三年との語らいを楽しみ、話題は尽きることはない。
 しかし、いつもなら後夜祭が終わるまで続く打ち上げだが、意外な人物によって中断を余儀なくされた。
「すみません。一高祭実行委員会の者ですが」
 そう言って現れたのは、はっぴ姿の実行委員だった。
 応対に出たのは部長の圭太である。
「なんですか?」
「実はですね、現在行われている後夜祭のミス一高と一高ベストカップルの方に、吹奏楽部の方がノミネートされてまして」
 その説明で音楽室がどよめく。
「それでですね、できれば後夜祭の方に参加していただけないかと、こうしてやって来たのですが」
 圭太はそれを聞き、まず菜穂子に意見を求めた。
「ねえ、それってどのくらい時間がかかるの?」
「それほどかからないと思います」
「そう。じゃあ、みんな、直ちに校庭へ移動。たまには一高生として最後を締めくくりなさい」
 鶴の一声でそれが決まった。
「移動の前に、誰がノミネートされてるんですか?」
「ミス一高の方が、一年の相原詩織さん」
『おおっ』
「二年の笹峰柚紀さん」
『おおっ』
「三年の三ツ谷祥子さん」
『おおっ』
「以上三名です。それと、ベストカップルの方ですが、これはちょっと変則なんですが、男性の方が二年の高城圭太くん、女性の方が二年の笹峰柚紀さんと三年の三ツ谷祥子さんです」
『おおおっ!』
「そういうことなので、よろしくお願いします」
 今読み上げられた四人は、複雑な面持ちで頷いた。
 音楽室のことを綾と紗絵に任せ、圭太たちは一足先に校庭に出てきた。
 校庭では赤々と燃え上がるキャンプファイヤーを囲むように生徒が集まっている。
 後夜祭の本部は特設テントで、そこでは前夜祭でも司会をやっていた実行委員が今や遅しと圭太たちを待っていた。
「リーダー、連れてきました」
「よし、わかった。開票はすでに終わってる。すぐに結果発表に入るぞ」
 慌ただしく委員が動き出す。
「最初にミス一高の方から入りますので、準備をお願いします」
 一言言い置いて、呼びに来た委員も準備に向かった。
「……なんか、私の予感、当たりそう……」
 柚紀は祥子を見てそう呟いた。
『みなさん、お待たせしましたっ! ただいますべての開票が終わりました。なので、早速ミス一高の結果発表からはじめたいと思いますっ!』
 校庭に歓声が沸き上がった。
『まず最初に、ミス一高のルールを確認しておきます。本日午後三時までに投票された有効投票用紙から候補を選出。その中から上位五名をこの場で発表したいと思います。なお、五名の方にはすでにこちらにお越しいただいています』
 またも歓声。やはり男子の声が大きい。
『では、五位。三年四組──』
 本人が現れると、野太い声がわき起こる。
『続きまして四位。なんと、今回のミス一高でははじまって以来のことが起こりました。なんと、一年生が上位に食い込んできたのです。過去に十位以内というのはありましたが、五位以内というのははじめてです。惜しくも三位までには入れませんでしたが、それでも快挙です。その一年生は、一年三組、相原詩織さんですっ!』
 詩織は、恐縮しきりでステージに出た。
『さて、どんどんいきましょう。続いて、三位。三年一組──』
 三位の三年は、綺麗というよりはカワイイ感じだった。
『続きまして二位。こちらは、一位とそれほど差はありませんでした。惜しむらくは、学年の差でしょうか。二年一組、笹峰柚紀さんですっ!』
 二位は柚紀だった。
 柚紀は、ちょっと照れながらステージに出た。
『さあ、いよいよ今年度のミス一高の発表です。一高で一番と評された女子は……三年二組、三ツ谷祥子さんですっ!』
 祥子は、一度だけ圭太を振り返り、ステージに出た。
 祥子が出てくると無数のフラッシュがたかれた。
『それでは三ツ谷祥子さんへの投票です。ほぼまんべんなく票を集めましたが、やはり一年生からの投票がものを言ったようです。二位の笹峰柚紀さんとの差は、そこで開きました。三ツ谷さんは去年もノミネートされ四位に入っていましたから、この結果は順当なのかもしれません。三ツ谷さん』
『は、はい』
『ミス一高に選ばれた感想を』
『正直困惑してます。ただ、それだけ多くの人が私を認めてくれたということは、正直嬉しいです』
『なるほど。三ツ谷さんは去年は部の関係で後夜祭には参加されませんでしたが、今年、こうやって参加してみてどうですか?』
『そうですね、とてもいい楽しい雰囲気ですね』
『なるほど。三ツ谷さんはこうしてミス一高に選ばれたわけですが、これから残りの一高生活でおそらく相当数のアタックを受けると予想されます。それについてはどうお考えですか?』
『……気持ちは嬉しいですけど、すべてお断りします』
 校庭がどよめく。
『それは、なぜですか? すでに彼氏がいるからですか?』
『……それは、ノーコメントです』
『実に意味深な発言ですね。男子生徒諸君。今の発言をよく覚えておいてください』
 実にさらっとそれを受け流す。
『それでは、ミス一高に選ばれた三ツ谷祥子さん、並びに五位までに入った四人の女性に盛大な拍手をっ!』
 とりあえずミス一高の発表は終わった。
 五人がステージから下りてくると、早速次である。
『続きまして、今年からはじまりました一高ベストカップルの発表を行います。こちらもルールは同じです。本日までの投票分から上位三組を発表します』
 再び歓声が沸き起こる。
『まず、三位です──』
 呼ばれたのは、校内でも有名なカップルだった。
『では二位、といきたいところなんですが、ここでひとつこちらも予想しなかったことが起きました。それは、二位と一位の男性の方が同じだったのです』
 なんとも言えないどよめき。
『なので、先に男性の方を発表します。二位、一位、両方にノミネートされたのは、前夜祭で見事ミスター一高に輝いた二年一組、高城圭太くんですっ!』
 圭太は、ステージに上がった。
『もうご存知だと思いますが、高城くんは今年度のミスター一高です。二年生ながらの快挙で、連覇も視界良好です。そんな高城くんのお相手は誰か?』
 司会は、わざと焦らす。
『まず、二位。一位の方とは非常に僅差でした。二位は、先ほどミス一高に選ばれました、三ツ谷祥子さんですっ!』
 祥子が少し嬉しそうに出てくる。
『奇しくもミスター一高とミス一高のカップルとなりました。そのミス一高を破って一位に輝いたのは……二年一組、笹峰柚紀さんですっ!』
 歓声が沸き上がった。
 柚紀は、祥子とは圭太を挟んで反対側に立たされた。
『さて、ベストカップルのおふたりにお聞きします。選ばれた感想は?』
『えっと、そうですね、なんて言ったらいいかわかりませんけど、とりあえず多くの人たちが僕たちのことを見ていたんだ、ということはわかりました』
『これからはその言動に気をつけないとダメですね』
『なるほど。ところで、おふたりのご関係は?』
『僕たちですか? ええ、柚紀は僕の彼女です』
『そして、圭太は私の彼氏です』
 歓声とも怒号ともつかない声が上がった。
『確かに、おふたりの仲の良さは校内でも結構話題ですから、今更という感じですか。ですが、笹峰さん。あなたと二位の三ツ谷さんとは僅差だったわけですが、それについてはどう思いますか?』
『カップル、を選ぶわけですから、そういうこともありますよ。これが正真正銘の恋人だけを選べばそれはないでしょうけど』
 柚紀は、あえて少し挑発的に言った。
『なるほど、今回の主旨をご理解しているようで』
 司会は苦笑した。
『それでは最後に、壇上のカップルに大きな拍手を』
 五人は、拍手に送られ、ステージを下りた。
 こうして、波乱の後夜祭は幕を閉じたのである。
 
 その日の帰り。
 柚紀と祥子は、圭太たちとは少し離れて歩いていた。
「正直、焦りました。もしかしたら、三日前に言ったことがその通りになるんじゃないかって」
「三日前?」
「圭太がミスター一高に選ばれた日です。その時に、私、言ったんです。ひょっとしたらベストカップルに私じゃなく、先輩が選ばれるかもしれないって」
 そう言って柚紀は微笑んだ。
「でも、私でよかったです。かろうじてながら、彼女の威厳を守れましたから」
「柚紀も、心配性だね。どう考えたって圭くんの『彼女』は柚紀しかいないのに」
「ええ」
 ふたりは顔を見合わせ、笑った。
「でも、先輩」
「うん?」
「みんな、見てないようで見てるんですね。ちょっと驚きました」
「そうだね。最初、どうして私なのかなって思ったけど、やっぱりみんな、私のことも圭くんとのことも見てたからなんだよね」
「確かに、先輩は圭太とよく一緒にいますからね」
 柚紀は、少しだけ意地悪な笑みを浮かべ、そう言った。
「ねえ、柚紀」
「なんですか?」
「圭くんは、どう思ったのかな?」
「そうですね、たぶんですけど、私でよかったと思ってるはずですよ」
「それは?」
「だって、もし先輩と一位だったら、私にどんな顔すればいいか、わからないじゃないですか。そういう危機を回避できたわけですから、よかったんです」
「そっか……」
 祥子は微妙な表情で頷いた。
「それでも気になるなら、直接訊いてみたらどうですか?」
「ん〜、それは、遠慮しておくよ。ますます柚紀と差をつけられそうだから」
「そうですか?」
「ただ、ミス一高については訊いてみたいかな?」
「あ〜、そっちは私の負けですからね。でも、私は先輩に負けたことよりも、気になることがあるんです」
「それは?」
「詩織ですよ。一年にして四位なんて。しかも、ミス一高ですから、みんなが詩織のことを認めてるってことじゃないですか? これはひょっとすると、圭太絡みの一年の中では、詩織が一番要注意なのかなって、そう思ったんです」
「確かに、詩織ちゃんは綺麗だし、男子に人気出そうだよね」
「圭太も詩織のことは、ちょっと違った目で見てるみたいですし」
「そうすると、柚紀としては本当に注意しなくちゃいけないわけ、か」
「そうなんですよぉ。ただでさえ、祥子先輩のことを注意してなくちゃいけないのに」
「ふふっ、でも、まだまだ余裕でしょ?」
「それはもちろん。まだまだアドバンテージは大きいですから」
 そう言って柚紀は、指輪を見せた。それがある限り、柚紀とほかの女性陣との差がなくなることはあり得ない。
「来年は、ミスター一高とミス一高のカップルが、一位になるのかな?」
「詩織に負けなければ、なりますよ」
「じゃあ、がんばらないとね」
「わかってますよ」
 そう言ってふたりは笑った。
 それは、深まる秋の、ほんのひとコマの出来事だった。
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