僕がいて、君がいて
 
第十九章「真夏の誘惑2」
 
 一
 まもなく夏休み。一高内にも少々浮ついた雰囲気が漂っていた。
 各教科では順調に宿題が出され、その度に生徒たちは泣き言を言っていた。
 吹奏楽部では、間近に迫ったコンクール地区大会に向け練習にも熱が入っていた。
 もちろん地区大会はシードされるため、成績は出ない。だが、仮にも前年度全国大会金賞受賞校である。たとえメンバーが入れ替わっていても無様な演奏だけはできない。
 それもあり、練習は例年以上に厳しいものとなっていた。
 菜穂子が練習を見られない日は、たいてい圭太が見ていた。これは今までのことを考慮した上で決まったことであった。
 曲の仕上がりは例年以上で、菜穂子も渋い顔を見せることが少なかった。
 そんな夏休み直前の一高。
 
 地区大会まで一週間と迫ったその日も、圭太はしっかりと個人練習を行っていた。
 合奏までそれほど時間があるわけではないが、それでも梅雨明け間近の晴れ間を利用し屋上に出ていた。
 太陽はまだ真夏のそれではないが、じっとしていれば汗が噴き出してくる。
 圭太は自分の音に耳を傾け、ひとつひとつの音を確認していく。
 ロングトーンが終わると、今度は唇と指ならしのためのアルペジオ。それからタンギング。
 一通り終える頃には、額には玉のような汗が浮かんでいた。
「ふう……」
「はい、圭太」
 と、横からタオルが差し出された。
「どうしたの、柚紀?」
「ん、屋上から音が聞こえたからね」
「そっか。でも、ここ暑いでしょ?」
「それはこっちのセリフ。ホント、圭太は一度集中しちゃうとまわりが見えなくなるんだから」
 そう言って柚紀は、タオルで汗を拭いた。
「もうすぐコンクールだね」
「そうだね。みんなもだいぶ目の色が変わってきてるから、いい演奏ができると思うよ」
「それもこれも、圭太の指導のたまものだよね」
「そうかな? 僕はそう思わないよ」
「どうして?」
「だって、僕の指導はあくまでも先生の指導をなぞってるだけだから。一度言われたことや、言われてないけどたぶん気になってるんじゃないかってところを中心に指導してるだけ。もちろん結果的にそれでいい演奏ができればいいけどね」
 圭太は、メトロノームを止めながらそう言った。
「みんながみんな、圭太みたいな考え方を持ってたら、もっともっと上達できるんだろうけどね」
「それは無理だよ。みんな僕みたいな考え方だったら、今度はそのせいで不具合が生じるよ。これは間違いない」
「そうかな〜?」
「だって、ここにいい見本があるからね」
「えっ、見本?」
「ほら、僕と柚紀」
「ああ、なるほど。そういう意味か。確かにそう言われるとそうかもしれない」
「僕みたいな性格の人間の側にはね、柚紀みたいな存在が必要なんだよ」
「ん、そう言われると、嬉しいけどね」
 柚紀は照れくさそうにはにかんだ。
「よし、そろそろ音楽室に戻ろう」
「うん、そうだね」
 
 その日の合奏は、比較的和やかな雰囲気で進んでいた。
「うん、課題曲の方はまあまあね」
 菜穂子はそう言って微笑んだ。
「この時期にこれだけできていれば、県大会の頃には最高のできになってるでしょうね」
 もちろん、いつもの調子も忘れない。
「じゃあ、次。自由曲」
 合奏は自由曲へと移った。
 
 合奏が終わると、菜穂子は祥子たちを呼んだ。
「コンクールまであと一週間。今年は例年以上に早い仕上がりだけど、あなたたちはどう思う?」
「そうですね、仕上がりが早いのはいいことだと思います。ただ、それによってだらけたりしなければいいんですけど」
「確かにね。仁はどう?」
「ん〜、少なくとも県大会までは今のままでいいんじゃないですか? どうせそのあとには合宿もありますし」
「そういう考え方もあるわね。圭太は?」
「基本的には先輩たちの意見と同じです。ただ、僕としては必要以上に上から押さえつけない方がいいと思うんです」
「それは?」
「確かに押さえつければそれなりに伸びるとは思います。でも、それは自主的にやってることじゃないです。本当に上達するには、やっぱり自主的にやろうと思わないと意味がありません」
「なるほど。だとすると、具体的にはどうしたらいいと思う?」
「そうですね、あえてなにもしないというのも手だと思います。あとは、現実を突きつけるとか」
「そうね、それもひとつの方法ね」
 菜穂子は大きく頷いた。
「わかったわ。あなたたちの意見を元に、私ももう少し考えてみるわ。そうね、とりあえず地区大会明けにでももう少し具体的な話をしましょう」
 そう言ってその話は終わった。
「ああ、そうそう。圭太。ちょっといいかしら?」
「はい、なんですか?」
 菜穂子は圭太を連れて音楽室を出た。
「祥子から聞いたんだけど、次年度の首脳部人事、合宿の頃にでもするんですってね」
「ええ、一応その方向で動こうと思ってます」
「次の部長は、圭太ということよね?」
「祥子先輩からはそう言われてます。たぶん、そうなると思いますけど」
 圭太はそう言って苦笑した。
「副部長については?」
「まだわかりません。ただ、先輩は一年の方は紗絵で決まりだろうと」
「ふふっ、なるほどね。とすると、二年の方はますますちゃんと選ばないといけないわね」
「どういう意味ですか?」
「圭太と紗絵。ふたりともトランペットでしょ?」
「ああ、そうですね。ということは、確実に木管から選ばないといけないですね」
「ええ。そこで、私からの提案なの。二年の副部長、綾はどうかと思って」
「綾ですか? それは別に構わないと思いますけど、選考基準はなんですか?」
「コンサートを見ていて思ったのよ。やっぱり圭太を引っ張れるだけの積極性がないと全体としてちゃんとまわっていかないんじゃないかって。もちろん、適任なのは柚紀なんだろうけど、それだといろいろ問題も起こりそうだから。そうするとそれに匹敵するくらい引っ張れるのは誰かと思って。そうしたらたまたまコンサートでああいうのがあったからね」
 菜穂子は微笑んだ。
 というより、裏事情もすべてわかっていた。
「もちろん、最終的には本人の判断に任せるけど。一応、私はそう考えているから。圭太も少し考えてみて」
「わかりました」
 
「なるほどね。先生の言い分ももっともね」
 柚紀は大きく頷いた。
「だけど、私だといろいろ問題が起こりそうっていうのは、ちょっと納得できない」
「ん〜、私は先生の見識は正しいと思うけど」
「そうですね。私もそう思います」
「圭兄とふたりだけで、なにをするかわかりませんからね〜」
「…………」
 祥子たちは、口々に菜穂子の意見を支持する。
「先輩はどう思いますか?」
「綾がってこと?」
「はい」
「悪くないと思うけど。問題は、綾自身がやろうって思ってくれるかどうかだと思うな」
 圭太に意見を求められ、祥子はそう答えた。
「でも、ほとんどの仕事は圭くんと紗絵ちゃんがやっちゃうだろうから、綾の仕事はそう多くないかも。そうすると、案外すんなりとやってくれるかもね」
「なんか、その理由は微妙ですね」
「ふふっ、そんなことないと思うけどね」
「で、圭太はどうなの?」
 柚紀は、みんなが一番気になるところを訊いてきた。
「僕は誰でも構わないよ。ちゃんと仕事さえしてくれればね。まあでも、その中でも僕がやりやすいなら、なおいいけどね」
「ということは、綾は結構適任ってことか」
 柚紀は眉根を寄せ、唸った。
「それで、綾にはいつ?」
「明日にでもそれとなく訊いてみます。そういうのは早い方がいいと思いますし」
「うん、そうだね」
「だけど、先生も見てないようでしっかり見てるんだね」
「それはね」
「あわよくば、私が副部長に立候補しようと思ってたんだけどね」
「最悪の事態は免れた、と」
「先輩〜、それど〜ゆ〜意味ですか〜?」
「ふふっ、どういう意味かしらね」
 
 二
 ほぼ全国的に夏休みに突入した。
 それとほぼ同時期に東北地方まで梅雨明けした。
 名実ともに夏本番である。
 一高吹奏楽部では、二十三日からはじまるコンクール地区大会に向け、詰めの練習を行っていた。
 一高の出番は、三日目の二十五日だった。
 それでもコンクールでの手伝いやらなにやらいろいろあるので、実質初日からという感じだった。
 一高は県大会までシードされるので気負いという部分はなかった。それでも演奏自体のレベルを落としていいわけではなく、気合いは入っていた。
 コンクール前日。
 練習は昼過ぎから行われた。これは合奏を陽の落ちかける夕方に行うためである。
「あ〜つ〜い〜……」
 しかし、昼過ぎからの弊害として、個人練やパー練の頃に暑いというのがあった。
 どのパートもこまめに休憩を挟み、できるだけのことはしていた。
 合奏までの少し長い休憩時間。
 柚紀は屋上への階段踊り場で、ぐてーっとへたれていた。
「圭太はよく平気ね」
「そんなことないよ。僕だって暑いよ」
 そうは言う圭太ではあるが、柚紀ほど暑そうには見えない。
「ただ、努めて『暑い』って思わないようにしてるだけだよ。思うだけで余計に暑くなるし」
「……精神修養が必要よ、それには」
 盛大なため息をつく。
「あ〜う〜……」
 柚紀は、スカートの裾を持ち上げ、ばさばさと中に空気を送る。
「あのさ、柚紀」
「ん?」
「いくら僕だけの前だからって、それは……」
「そうは言うけど、暑いんだからしょうがないの」
 圭太にたしなめられても、柚紀はやめない。ばさばさやる度にライトブルーのショーツが目に入る。
「いっそのこと、水着かなんかで合奏したらどうかな?」
「……さすがにそれはおかしいよ」
 柚紀の提案を一蹴する圭太。
「ああんもう、暑いの嫌い〜」
 じたばたと駄々をこねるが、そうすれば余計に暑くなるだけである。
 圭太は苦笑しつつ、持っていたうちわで柚紀を扇いだ。
「とりあえず、これで我慢してよ」
「ん、ありがと、圭太」
 柚紀は、嬉しそうに微笑んだ。
「ね、圭太」
「うん?」
「今度プールにでも行かない?」
「プール?」
「うん。コンクール直後はまた午前中だけの練習だから、午後は空いてるでしょ。ね、どうかな?」
「いいんじゃないかな。これだけ暑いし」
「ホント? あはっ、ありがと」
 そう言うや否や、柚紀は圭太に抱きついていた。
 抱きつけば暑いはずなのだが、柚紀は一向に構う様子はない。
「ん、圭太……」
 そして、そのままキスをする。
「ふふっ、優しい圭太が、大好き」
 ニコニコと微笑む柚紀を、圭太も穏やかな笑みで見つめていた。
 
 コンクールがはじまった。
 地区大会は例年以上の混戦となっていた。その理由は、高校、中学に全国金賞の一高と三中がいたからである。
 その枠が空いた分、ほかの学校ががんばっていた。それは去年もそうだったが、今年はそれが県大会まで続くとあって余計だった。
 その件の三中は、二日目が本番だった。
 演奏はさすがのレベルで、とても地区大会での演奏とは思えないほどだった。例年以上の早い仕上がりに、審査員の評価も高く全国へ一番近いとさえ言わしめた。
 琴絵としては、部長としてのコンクールを快調に滑り出せたことで、だいぶ楽になっていた。
 そして、二十五日。
 一高は去年同様プログラムの一番最後の演奏だった。そのため学校を出るのはお昼過ぎということで、だいぶのんびりしていた。
 会場である市民会館は関係者でかなりの人出があった。
 控え室でもチューニング室でも、菜穂子は特になにも言わなかった。それはとりもなおさず今年の仕上がりの順調さがあったからだ。
 それと同時に、なにも言わない状況でどこまでできるか。その見極めもしたいというところだろう。
『参考演奏、第一高等学校。課題曲A、自由曲、グノー作曲、歌劇『ファウスト』より。指揮は、菊池菜穂子先生です』
 アナウンスが流れ、菜穂子がステージで出てきた。
 お辞儀をすると拍手が鳴りやむ。
 最後に小声で声をかけ、指揮台に立った。
 
 一高の演奏は、観客席にため息を漏れさせるに十分なものだった。
 これには参加校すべてが、かなわない、そう思ったほどである。
「みんな、おつかれさま。演奏は私の予想内のものだったわ。欲を言えば、もう少し上でもよかったとは思うけど。まあ、その演奏は県大会の時にでもしてもらうとして。今日、明日は練習のことは忘れて、またあさってからしっかりやるように」
『はいっ』
「じゃあ、祥子」
「明日は手伝いだから、八時半にここの正面玄関集合だからね。遅れないように。それと、あさってからしばらくは午前中の練習になるから間違えないように。それじゃあ、今日はおつかれさま」
『おつかれさまでしたっ』
 
 市民会館からの帰り。
 圭太は、慰労の意味も込めていつもの面々を『桜亭』に招待した。
「ふ〜ん、そんなにいい演奏だったんだ」
 ともみはそう言って感心した。
 ともみは地区大会はシードということで聴きに行かなかったのである。
「ただ、菜穂子先生はもう少し上の演奏を期待してたみたいですけどね」
「ふふっ、先生はそうでしょ。特に今年は相当のプレッシャーがあるだろうし」
「ですよね、やっぱり」
 昨年度全国金賞。次年度はお話にもならない。
 もちろん演奏しているのは生徒である。ただ、まわりはそうとだけは見ない。指導している先生の技量ということにも目を向ける。
 となれば、それ相応のプレッシャーがあるのは当然である。
「そういや、今年の関東大会はどこでやるんだっけ?」
「確か、千葉ですよ」
「……千葉か。結構遠いわね」
 ともみはそう言って腕組みした。
「でもまあ、全国がかかってるし、聴きに行くけど」
「予定は大丈夫なんですか? 確か今年は例年以上に早いと思ったんですけど」
 圭太はそう言ってカレンダーを見た。
「確か……九月四日、五日ですよ」
「マジ? そんなに早いの?」
「全国大会が早いせいですよ。今年の全国は十月の二日、三日ですから」
「そっか。今年はその日程か。ん〜、まあでも、大学は夏休みだし、予定さえあわせれば大丈夫でしょ」
 ともみは大きく頷いた。
「そういえば、圭太」
「なんですか?」
「今年は合宿中に首脳部が交代するのよね」
「ええ。その予定です」
「とするとだ」
 ともみの視線が祥子を捉えた。
「祥子は、早々にフリーになるわけよね」
「そうですね」
「なるほどなるほど。うん、わかった」
 そう言ってともみは祥子の元へ。
 残された圭太は首を傾げるしかなかった。
 
 三
 七月も終わるという日。
 圭太は柚紀とふたりでプールへと出かけた。
 圭太としてはふたりきりでなくともよかったのだが、柚紀が頑として認めなかったのである。
 ふたりがやってきたプールは、特別なプールではない。五十メートルプールがあるだけの簡素なプール。そんな場所をあえて選んでいた。
 本当ならレジャー施設のプールにすればいいのだろうが、そうするとどうしても人が多くなる。のんびりしたければ、多少ムードはないがそういうなにもない方がいいのだ。
「お待たせ」
 更衣室の外、プールに近いところで待っていた圭太に着替えてきた柚紀が声をかけた。
 ライトグリーンのワンピースタイプの水着に身を包んだ柚紀。髪はさすがにまとめている。
 水着を着ると、やはりスタイルがはっきりとわかる。
「今日はちょっとおとなしめでね」
 そう言って柚紀は微笑んだ。
「とりあえず、泳ご」
「うん、そうだね」
 ふたりは軽く準備運動してからプールに入った。
 気温が高いせいか、水温も若干高めだった。
 プール独特の塩素の匂いが多少気になるが、涼を求める方が優先されていた。
「圭太は泳ぎも得意なんだよね?」
「まあ、人並みにはね」
「海とかで、遠泳とかできる?」
「一キロくらいなら。それ以上だと結構きついかな」
「そっか。でも、それだけできれば十分だよ。うん、安心した」
 柚紀は大きく頷くと早速泳ぎだした。
 そのフォームは実に綺麗で、無駄な動きがなかった。
 ふたりは、しばらくのんびりと泳ぎを楽しんだ。
 
「ん〜、ほどよく体がけだるい」
 プールからの帰り道、柚紀はそう言って大きく伸びをした。
「圭太」
「うん?」
「この夏は、どんな夏にしたい?」
「この夏? そうだなぁ、とりあえずは九月のコンクールに向けて悔いの残らないようにしたいかな」
「うん」
「あとは、去年以上に柚紀との想い出を作りたい、かな」
「圭太……」
 柚紀は、照れている圭太の腕を取った。
「私もね、圭太との想い出、いっぱい作りたい」
「ふたりともがそう思ってるなら、大丈夫だね」
「うん、大丈夫。それにね、圭太。こうしてるだけでも私にとっては大切な想い出になるんだよ? 特別なことじゃなくていい。圭太と一緒にひとつのことを見て、聞いて、感じて。それが大切な想い出になるから」
 組んでいた腕に少しだけ力がこもった。
「ただね、それでも特別な想い出はほしいよ。たとえば、去年みたいにね」
「そうだね」
「今年は、どんな特別なことがあるのかな」
「さあ、それは僕にも予想できないけど。ひとつだけ言えることがあるよ」
「それは?」
「きっと、忘れない想い出になるって」
「うん……」
 柚紀は、小さく頷いた。
「本当に、忘れない、忘れられない夏にしたいね」
 
 八月に入っても連日の真夏日、連夜の熱帯夜が続いていた。
 吹奏楽部では県大会に向けた練習が続き、部員たちの志気も少しずつ高まっていた。
 そんな八月初旬のある日。
 圭太は部活が終わるとすぐに家に帰った。
 着替え、昼食もとらずに家を出ると、駅前に向かった。
 駅前商店街の一角。近辺では改札前と並ぶ待ち合わせのメッカ。
 圭太はそこに見知った顔を認めた。
「幸江先輩」
 それは、幸江だった。
 桜色のノースリーブのワンピースという格好で、日傘も持っている。
「待ちましたか?」
「ううん、そんなことないけどね」
 幸江は、笑みを絶やさずやんわりと否定した。
「じゃあ、行きましょう」
「はい」
 話は二日前までさかのぼる。
 その日、圭太は幸江に連絡を取った。理由は定かではないが。
 そこで圭太は幸江と出かける約束を取り付けた。
 幸江としてみればどんな理由でも圭太と出かけられれば問題はなかったので、一も二もなくそれを受け入れた。
 とはいえ、圭太としては幸江とのつきあい方が決まったわけではなかった。
 それを決めるためにも会って、話して、新城幸江という女性を知る必要があった。
「練習の方は順調?」
「ええ、例年になく順調です。先生も驚いてます」
「そうなんだ。みんなに自覚が出てきたからかな、やっぱり」
「そうだといいんですけどね」
 ふたりは、駅の反対側に抜けた。
「こうして圭太とふたりきりで歩くなんて、少し前までは考えられなかった」
 幸江は、ぽつりと呟いた。
「考えられなくても、今はこうしてるじゃないですか」
「そうね」
 圭太の言葉に、幸江も穏やかに微笑んだ。
 ふたりがやって来たのは、例の公園だった。
 暑いとはいっても、ずっとクーラーの中にいては体がおかしくなる。
 それなら外でも木陰なら多少は涼しい。
 そういうこともあってこの公園へとやってきた。
「少し、待っててくれますか?」
「それはいいけど、なにかあるの?」
「ええ」
 圭太は意味深な笑みを残し、その場を離れた。
「ふう……」
 残った幸江は、圭太が見えなくなると大きく息を吐いた。
「いつも通りでいられてるかな……」
 ベンチに座り、空を見上げる。
 木々の間から見える空は、真夏の空。雲はほとんど出ていない。真夏の太陽が目一杯自分を主張していた。
 幸江は、そんな空を眩しそうに見上げた。
 少しすると、圭太が戻ってきた。
「お待たせしました」
「あっ、それは」
「はい。アイスキャンディーです」
 そう言って圭太は、そのひとつを幸江に渡した。
「暑いですからね。こういうのを食べて、少しでも涼めればと思って」
「ふふっ、ありがとう、圭太」
 幸江は素直に礼を言い、一口舐めた。
「ん、冷たくて美味しい」
「やっぱり、こういう暑い日にはいいですね」
「うん」
 それから少しの間、アイスを食べながらとりとめのない話をしていた。
 日中の一番暑い時間帯を過ぎると、風が出てきた。
「ねえ、圭太」
「はい」
「圭太にとって私って、どんな存在なの?」
「そうですね……」
 圭太は腕を組み、小さく唸った。
「先輩、ですかね、やっぱり。まだそれ以上の認識はありません」
「なるほど。じゃあ、その認識を改めてもらうには、どうしたらいい?」
「それは、僕にはわかりません。先輩みたいな状況ははじめてですから」
「そっか」
 今度は幸江が腕を組んで唸った。
「でも、私が圭太を好きなのは決まってることだし。とすると、もっと私のことを知ってもらうしか、方法はないわよね」
「そうなりますかね」
「……じゃあ、やっぱり」
「でも、いきなりセックスっていうのはなしにしてくださいね」
「あらら、先手を打たれちゃった」
 圭太もさすがに幸江の手を読んでいた。
「だけど、圭太。相手のことを知るための一番の方法って、なに?」
「時間をかけること、じゃないですか」
「それ以外」
「……えっと、それってどうやっても先輩の思い通りになりませんか?」
「さあ、それはわからないけど」
 圭太は、小さくため息をついた。
「わかりました」
「えっ、本当に?」
「はい。ただ、日を改めてということでいいですか?」
「それは構わないわ」
「じゃあ、そういうことでお願いします」
 あきらめたわけではないだろうが、圭太は少しだけ疲れた笑みを浮かべた。
「はあ、どうなることかと思ったけど、やっぱり圭太は圭太ね」
「それって、誉めてますか?」
「ふふっ、一応ね」
 そう言って幸江は、圭太に寄り添った。
「圭太に必要だって思われるように、私も努力するから」
「先輩がそうする必要はありませんよ」
「どうして?」
「僕にとって不必要な人なんていませんから。あとは、その中でどれだけ必要なのかということだけです」
「なるほど」
「そこが、柚紀たちとほかの人たちとの違いです」
「だけど、そうすると私は当分そこの域には達しないってこと?」
「いえ、先輩は限りなくそこに近いですよ」
「そうなの?」
「はい。たとえ一年とはいえ、一緒に部活をしていましたから。普通以上には先輩のことはわかってるつもりです」
「じゃあ、あと一息ってところなの?」
「そうとも言えますね」
 圭太は苦笑した。
「うん、わかったわ」
 そして、幸江は大きく頷いた。
「圭太」
「はい」
「私、柚紀たちに負けないから」
 そう言った幸江の顔には、清々しい笑顔があった。
 
 四
 八月六日。
 その日、詩織は朝からとても機嫌がよかった。去年までも多少はそうだったが、今年はその比ではなかった。
 その理由は簡単である。
 その日は詩織の十六回目の誕生日である。そして、今年それを祝ってくれるのは、両親はもちろんのこと、一番祝ってほしい人、圭太もいた。
 だからこそ詩織は機嫌がよかった。
「今日はずいぶんと機嫌がいいのね」
 朝食の時、栄美子は娘の機嫌のよさを指摘した。
「お誕生日だから?」
「たぶん、そうかも」
 詩織は、曖昧な笑みを浮かべた。
「ねえ、ママ」
「うん?」
「どうして私は、『詩織』って名前になったの?」
「名前の由来? それはね、心に感じたものを詩にして、それを心に織り続けてほしいってことからつけたのよ」
「む、難しいね」
「ふふっ、漢字の意味だけを考えるとね。あとは、その読みの綺麗さとか、いろいろ考えてつけたの」
「そうなんだ」
 栄美子の説明を聞き、詩織は小さく唸った。
「今の私は、それ、できてると思う?」
「そうね、今の詩織ちゃんはパパやママの思っていた以上の立派な、素敵な娘に育ってくれているわ」
「ママ……」
「ところで詩織ちゃん」
「うん、なに?」
「前から気になっていたんだけど、詩織ちゃんの好きな人ってどんな人なの?」
「えっ……?」
「ほら、前に好きな人がいるって教えてくれたでしょう?」
「えっと、そうだね」
「別に今すぐに紹介してほしいなんて言わないから、どんな人かくらい教えてほしいと思って」
「うん、そうだね……」
 詩織は少し俯き、言葉を選んだ。
 選ばないと本当の想いを吐露してしまうかもしれないからだ。
「えっとね、すごく優しい人。だけど優しいだけじゃなくて、ちゃんと言ってくれる人。あとは……カッコイイ人」
「詩織ちゃんのこと、大切にしてくれる?」
「うん。もったいないくらいにね」
「そう、それならいいわ。もっとも、普段の詩織ちゃんの様子を見ていればその人がどれだけ素敵な人か、わかるけど」
 栄美子はそう言って微笑んだ。
 対照的に詩織の笑みは少し堅かった。
 
 県大会直前ということで、練習も佳境に入っていた。
 一高の本番はなんの因果か、初日の九日だった。もっとも、一高はシードなのでほかの高校に比べれば雲泥の差ではある。
 県大会ではふたつの目標が設定されていた。ひとつ目が、シード校の名に恥じない演奏をすること。ふたつ目が、現在の最高の演奏をすること。
 どちらもなかなか厳しい目標だが、それをクリアできないようでは全国大会へは出られない。
 練習では、表現よりも正確さに重点が置かれていた。
「ダメよ。クラ、譜面を追うなって何度言えばわかるの? それとボン、音を割らずにフォルテシモを出すの。いい?」
「違う。もっと息を送り込むの。小さな音だからって息の量まで変えてはダメ」
 とにかく厳しい指示が飛んだ。
 それでも例年以上に早い仕上がりだったために、部員のレスポンスもよかった。
 完成度としては、地区大会を五十とすれば八十くらいにまではなっていた。
「練習は実質明日しかできないから、個人的に気になる部分やパート内でおかしいと思った部分、セクション単位の部分はきっちり確認しておくように。それじゃあ、今日はここまで」
「ありがとうございました」
『ありがとうございました』
 合奏が終わると、一気に緊張から解放された。
 圭太は楽器を持ったまま音楽室を出た。向かった先は、屋上だった。
 照りつける陽差しを避け、日陰に立った。
「…………」
 そこで確かめるように曲を吹いていく。
 どうやら、合奏で納得できない部分があったようだ。
 速い部分もテンポを落とし、ひとつひとつ確認しながら吹いている。
「ふう……」
 しばらく吹いていたが、それでも表情は晴れなかった。
 そんな圭太の姿を、柚紀をはじめとしたいつもの面々が覗いていた。
「ホントに圭太は真面目だな〜」
「それが圭くんの圭くんたるゆえんだと思うけど」
「それはそうなんですけどね」
 柚紀としてはこの暑い最中、わざわざ外で練習をしなくても、そんな想いがあった。
「ねえ、紗絵。どこに問題があったの?」
「私にもわからない。先輩のレベルは、私なんかとは比べものにならないくらい上だから。たぶん、普通なら目をつぶれそうなことでも直してるんだと思うけどね」
「なるほどね」
 そんな中、詩織だけは少し違った想いでそれを見ていた。
 
 部活が終わって、圭太は一度家に帰った。暑さのせいで制服が汗まみれというのもあったが、もうひとつ重要なことがあった。それは、詩織の誕生日プレゼントだった。
 さすがにそれを持って部活には出ていなかったため、取りに戻る必要があった。
「圭兄」
 圭太が出かけようと玄関で靴を履いていると、後ろから声がかかった。
「ん、どうした?」
「詩織のところに行くんでしょ?」
「まあ、ね」
「柚紀先輩も知ってるんだよね?」
「一応は」
「じゃあ、私が改めて言うことはないかもしれないけど、ほどほどにね」
 朱美はそう言って圭太にキスをした。
「いってきます」
「いってらっしゃい、圭兄」
 朱美に見送られ、圭太は家を出た。
 相変わらずの暑さの中、詩織の家を目指す。
 途中、一高の側のスーパーで買い物をした。
 マンションに着くと、早速解錠してもらうためにインターホンで呼びかける。
『はい、どちらさまですか?』
「高城圭太だよ」
『あっ、圭太さん。すぐに開けますね』
 ドアが開き、中に入る。
 エレベーターで九階へ。
 程なくして相原家の前に立った。
 インターホンを鳴らすと、すぐにドアが開いた。
「やあ、詩織」
「暑くなかったですか?」
「暑かったよ。だから、ほら」
 そう言って渡したのは、スーパーで買ってきたアイスだった。
「やっぱり暑い時は冷たいものがいいからね」
 場所をリビングに移す。
「まずは、誕生日おめでとう、詩織」
「はい、ありがとうございます」
 詩織は最高の笑顔を見せた。
「それと、これが僕からのプレゼント」
「えっ、いいんですか?」
「うん。遠慮しないで」
「はい」
 詩織は、圭太からのプレゼントを大事そうに受け取った。
「開けてもいいですか?」
「もちろん」
 それほど大きくない包みを開けると──
「ネックレス……」
 入っていたのは、ネックレスだった。決して高価なものではない。
 それでも詩織にとっては、なによりも嬉しいものだった。
「貸してごらん」
「あ、はい」
 圭太はネックレスを受け取ると、それを詩織につけた。
「詩織だと、どんなのをつけても似合うね」
「そ、そうですか?」
「贈ってから言うのもなんだけど、もし似合わなかったらどうしようって考えてたんだ」
「もし似合っていなくても、圭太さんにもらったものですから、大事にします」
「はは、そっか」
 詩織のフォローを受け、圭太は笑った。
 それからアイスを食べ、話をし、詩織のピアノを聴き、のんびりとした夏の午後を楽しんだ。
 
「圭太さん」
「ん?」
「抱いて、ください」
 そう言って詩織は、圭太にキスをした。
 ふたりは場所を詩織の部屋に移し、もう一度キスを交わした。
「ん……」
 キスをしながら、圭太は詩織のワンピースを脱がせる。
「今日は、全部僕がするよ」
「えっ、でも……」
「今日は詩織の誕生日だし。これも『プレゼント』のひとつだと思って」
「……わかりました」
 詩織は小さく頷いた。
 詩織をベッドに横たわらせると、まずその長い髪にキスをした。
「圭太さんは、私の髪、好きですか?」
「綺麗だし、好きだよ」
「ふふっ、よかった。手入れは大変なんですけど、そう言ってもらえるならこれからもがんばって手入れします」
 手で梳いてもさらさらと流れる綺麗な髪。
「圭太さんは、長い方が好きですか?」
「僕が好きなのは、長いとか短いとかじゃなくて、それが誰の髪かってこと。そして、その髪型がその人に似合ってればそれでいいと思ってるし」
「じゃあ、私はどうですか?」
「文句のつけようもないよ」
 そう言ってもう一度髪にキスをした。
 それからおもむろに胸に手を伸ばした。
「ん、あ……」
 ブラジャーの上からながら、詩織は敏感に反応する。
 そのままブラジャーをたくし上げ、直接触れる。
 すでにだいぶ硬くなっている突起を指で触れると、詩織はますます敏感に反応した。
「んあっ、圭太さん」
 今度は舌先で突起を転がす。
「や、あんぅ、気持ち、いいですっ」
 詩織は圭太の頭を手で押さえつけ、鋭敏な快感をさらに得ようとする。
 突起が唾液で光るくらいまでもてあそぶと、今度は下半身に手を伸ばした。
「んっ」
 ショーツ越しに触れた秘所は、すでに濡れていた。
「濡れてるよ」
「それは、圭太さんが気持ちいいことをするからですよ」
 とろんとした目で圭太を見つめ、詩織はそう言う。
「でも、もっと気持ちよくしてほしいです」
「わかった」
 圭太は、ショーツを脱がせると、軽く指で秘所をほぐした。
「ああっ、指が中に……んあっ!」
 詩織の中は熱いくらいで、蜜も十分だった。
「そろそろいくよ?」
「はい……」
 圭太も服を脱ぐ。
 そして、怒張したモノを秘所に突き立てた。
「あああっ」
 一気に体奥を突かれ、詩織は嬌声をあげた。
「んんっ、圭太さんっ、気持ちよすぎですっ!」
 圭太の動きにあわせ、詩織も腰を動かす。
 肌と肌がぶつかる音と、蜜がかき混ぜられる湿った淫靡な音が、余計にふたりを麻痺させる。
「やんっ、んんくっ……あんっ」
 圭太は、少しずつスピードを上げる。
「やっ、は、激しすぎますっ、んんっ」
 クーラーは入っているものの、ふたりとも汗が光っていた。
「圭太さんっ、私もうっ」
「んっ、僕も」
「一緒に、一緒にイってくださいっ」
 詩織は、圭太の射精を促すように中をキュッと締めた。
「圭太さんっ、圭太さんっ、圭太さんっ」
 そして──
「あああああっ!」
「くっ!」
 ほぼ同時にふたりは達した。
 大量の白濁液が、詩織の腹部に飛んでいる。
「はあ、はあ、圭太さん……」
「はぁ、はぁ、詩織……」
 ふたりは、むさぼるようにキスを交わす。
「素敵な、プレゼントでした」
 
「今までで一番嬉しかった誕生日になりました」
 そう言って詩織は微笑んだ。
「圭太さん」
「うん?」
「私、圭太さんの負担になってないですか?」
「どうしてそう思うんだい?」
 圭太は穏やかな表情で問い返した。
「いえ、なんとなくなんですけど。やっぱり、圭太さんの彼女はあくまでも柚紀先輩じゃないですか」
「そうだね」
「こういう関係になった私が言うのも変なんですけど、どうしても圭太さんに負担がかかるじゃないですか」
「大丈夫だよ。僕は、詩織も含めてみんなのことを負担に思ったことなんてないから」
「ホントですか?」
「本当だよ」
 詩織を安心させるように微笑み、頬にキスをした。
「やっぱり、圭太さんは優しいですね」
「そうかな?」
「はい」
 なんの躊躇いもなく頷く詩織。
「ずっと、一緒にいられたら、きっともっと幸せになれるんでしょうね」
「…………」
「でも、無理は言えませんから」
「……そんなことないよ」
 圭太は正面から詩織を抱きしめた。
「圭太さん……?」
「無理かどうかを決めるのは、詩織じゃない。僕だよ。だから、する前から無理だって決めつけるのはやめた方がいい」
「すみません……」
「謝ることはないけど。そうだなぁ、じゃあ、こうしよう」
「?」
「僕が詩織と一緒にいる『理由』をつけよう」
「理由ですか?」
「僕は、詩織のピアノが聴きたいから一緒にいる。それじゃあダメかな?」
「いえ、それで十分です」
 たとえその理由がウソだとしても、そんなことはどうでもよかった。
 詩織にとっては圭太と一緒にいる、いられることがすべてである。
 百パーセントかなうことのない想いだとしても、それに近い想いを常に持ち続けることが大切である。それがなくなった時、ふたりの関係は終わる。
「ずっと、幸せでいたいです……」
「そうだね……」
 
 五
 八月九日。吹奏楽コンクール県大会がはじまった。
 日程的に土日にかぶらないため一般の観客は少ないが、天気がよいこともあってまずまずの入りだった。
 一高は地区大会に続いてシード演奏のため、出番は大編成の部の最後だった。
「それにしても」
 仁は楽器を前にして盛大なため息をついた。
「なんで俺たちが楽器の見張り番なんだ?」
「しょうがないんじゃないですか」
 圭太は、仁をなだめるように言った。
 そこは、一高の昇降口。ふたりの側には連盟の車に積み込む予定の楽器が置いてある。
 本来楽器の見張りは一年の役目なのだが、今回はその役目を代わることとなった。
 そして、厳正なくじ引きの結果、圭太と仁のふたりがそれに選ばれた。
「俺はこうして自分の分も運んでもらうからいいとしても、圭太はいい迷惑だよな」
 チューバの仁は、さすがに自分では持っていくのは厳しい。もちろん運んで運べないことはないが。
「たまにはいいですよ、こういうのも」
「ホント、おまえは損な性格してるよ」
「そうですかね」
 圭太は、さして気にする風もない。
「そういう性格だからこそ、柚紀みたいなのを彼女にできて、ともみ先輩みたいな人から絶大な信頼を得て、祥子の信頼も厚いんだろうな」
「それって、誉めてますか?」
「いや、誉めてるとかけなしてるとか、そういうことじゃない。ただ単純に感心してるだけだ」
「僕は、そこまでたいそうなことだとは思ってませんけど」
「そりゃ、本人はそうだろ。普通そういうのはまわりの方が気になることだ」
 仁は真っ青な空を見上げ、続けた。
「おまえが部長になったら、うちの部はますますひとつにまとまるんだろうな」
「もしそうなったとしても、それは僕ひとりの力ではないですよ。これは三中の頃もそうでしたけど。部長は部長ですけど、そこにはその部長を補佐する副部長がいて、それを指導してくれる顧問の先生がいて。そして、実際に動いてくれる部員がいます。決してひとりだけではどうにもなりません」
 圭太も仁に倣い、空を見上げた。
「今度の副部長は、綾と紗絵だっけ?」
「一応その方向で調整中です」
「ホントは前もって根回しなんかしないんだろうけど、今年は特別か」
「僕としては、誰でも構わないんですよ。ちゃんと仕事さえしてくれれば」
「それが一番難しいんだけどな」
 仁は苦笑した。
 それから少しして連盟の車が到着した。
 ふたりと運転してきた連盟の人とで次々に楽器を載せていく。
「これで全部ですか?」
「はい、全部です」
「じゃあ、会場に向かいましょう」
 ふたりは助手席の方に乗り込む。
「そうだ、圭太」
「なんですか?」
「おまえは気づいてないと思うから一応言っておくけど、うちの部の女子な、ほとんどがおまえのことなんらかの目で見てるぞ」
「えっ……?」
「ま、そういうことだから、上手くやればコントロールは容易いだろうな」
 仁はそう言って笑った。
 
 会場は、異様な雰囲気に包まれていた。
 それは、すべて一高の前までの演奏に原因があった。
 このところ関東大会出場権を一高と争っていた高校が、過去の比ではない演奏をしたのだ。さらに、もうひとつの枠を巡っての争いも激化して、例年になくハイレベルな大会となっていた。
 そこに来ての一高の演奏である。たとえシードだとしても、無様な演奏などできようはずもなかった。
『続きまして、参考演奏、第一高等学校。課題曲A、自由曲、グノー作曲、歌劇『ファウスト』より。指揮は、菊池菜穂子先生です』
 会場内に割れんばかりの拍手がわき起こった。
 部員たちの間にも、緊張が広がっていた。
 そんな中、菜穂子はいつも通りを心がけるように最後のアドバイスをする。
 そして、十二分間がはじまった。
 
 閉会式が終わり、一高も集まっていた。
「おつかれさま。今日の演奏は大会前に掲げた目標をかろうじてクリアしていたわ」
 菜穂子は、笑みを浮かべてそう言った。
「だけど、今日の演奏では全国に行けるかどうかは微妙なところ。今日の演奏でわかった欠点は、合宿で徹底的に直していくつもりだからそのつもりで」
 相変わらずの辛口だが、それでも部員たちの演奏を認めてはいる。現に、演奏自体は参加団体最高のものだった。
 しかし、それでもやるからにはどん欲に上を目指したいと思うものである。だからこそ辛口にもなるのだ。
「明日は、一時に集合で部室の片づけをするから。それと、県大会の手伝いは三日目と四日目に割り当たってるから、それも忘れないように。合宿のことはすでに伝えてある通りだけど、一応明日、もう一度確認するから」
 祥子は、連絡事項を簡潔に伝える。
「それじゃあ、おつかれさまでした」
『おつかれさまでした』
 淡々とミーティングは進み、解散となった。
「祥子先輩」
「ん、どうしたの、圭くん?」
「少しだけ、いいですか?」
 圭太は、祥子を連れて少し静かな場所へ移動した。
「どうしたの、圭くん?」
「先輩にだけ、先に知らせておこうと思って」
「なにを?」
「実は、合宿で首脳部が交代するじゃないですか。それにあわせて、例年通りパートリーダーも決めようか、ということになったんです」
「なるほど」
「それと、先輩と仁先輩のおつかれさま会みたいなのをやりたいと思ってるんです」
「私たちの? でも、それはさすがに気が早くないかな?」
「いえ、そんなにたいそうなことはしませんから。ただ、新旧首脳部が集まってちょっと飲み食いしようかってくらいです」
「そっか」
「どうですかね?」
「私は構わないと思うよ。それに、それを計画してるのは圭くんたちだし。私も仁も、される側だから文句はないし」
「わかりました。じゃあ、一応その方向で動きます。なにかあったら遠慮なく言ってください」
「うん」
 祥子は、大きく頷いた。
「そういえば、圭くん。もう旅行の準備は済んだの?」
「いえ、全然です。とりあえずコンクールを終えるのが先だと思ったので」
「ふふっ、圭くんもそうなんだ。実は私もそうなの。もっとも、二泊三日だからそんなにしっかりとした準備も必要ないのかもしれないけどね」
「そうですね」
「だけど」
 祥子は声を少し落とし、ささやいた。
「圭くんと一緒の旅行は、すごく楽しみ」
「僕も楽しみですよ」
「ううん、私の楽しみっていうのは、今圭くんが思ってることだけじゃないの」
 そう言って悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「去年の夏は柚紀にみんな持っていかれたけど、今年はそうはいかないから。私だって圭くんとひと夏の想い出を作りたいから」
 そして、祥子は軽くキスをした。
「圭くんも、柚紀だけじゃなく、私のこともちゃんと見てね」
「善処します」
「うん」
 圭太は、改めて大変な旅行になると予想していた。
 なんといっても、一対七なのだから。
「じゃあ、みんなのところに戻って、帰ろう」
「はい」
 
 八月十二日。県大会最終日。
 一高吹奏楽部の面々は、前日同様大会ボランティアをしていた。
 最終日は職場・一般の部と中学大編成の部が予定されていた。
 圭太は、部の男子とともに舞台上の仕事を割り当てられていた。
「そこ、椅子がひとつ足りないよ」
「そこは譜面台いらないって」
「バスドラムが通るからそこ開けて」
 ひっきりなしに飛び交う指示。
 圭太たちもずっと手伝っているわけではないが、基本的には舞台袖、もしくは舞台裏で待機している。
 もちろん手伝いは一高だけではない。市内の高校が均等に割り当てられている。
「そういや、圭太。今日は、おまえの妹さんの出番だろ?」
「ええ、そうです。今日のラストですね」
「地区大会の時はかなりの演奏だったみたいだけど、県大会はどうなんだ?」
「直接聴いたわけじゃないですけど、それなりの仕上がりみたいですよ。少なくとも地区以上の演奏は聴けるはずです」
「なるほど」
 徹は大きく頷いた。
「しっかし、圭太んとこはすげぇよな」
「ん、なにがだ?」
「だってさ、圭太は全国レベルの実力の持ち主で、部内の信頼も厚い。そして、その妹さんも兄譲りの腕前でやはり部内ではかなり信頼が厚いってことだし。普通の兄妹じゃああり得ないだろ」
 広志はため息混じりにそう言った。
「ま、それは確かにな」
「あ〜あ、なんか世の中不公平だよな」
 愚痴混じりの先輩ふたりに、圭太は苦笑するしかなかった。
 それからしばらくして、中学大編成の部がはじまった。
 
 順調にプログラムは消化されていた。
 残すところは三団体のみ。その最後が三中である。
「圭くん」
 と、舞台裏に祥子たち三中OGがやってきた。
「もう仕事は終わりですか?」
「うん、こっちはだいたい。圭くんたちは、まだだよね」
「ええ、なんの因果か、うちが三中の時に手伝うことになってるので」
「あっ、そうなんだ」
 見回すと、確かに一高の面々は出番を待っている。
「祥子は、聴いてるの?」
「ん、なにが?」
「三中の演奏。ほら、地区大会の時は前だったし」
 裕美はそう祥子に訊ねた。
「ううん、私は」
「そっか。裕美は?」
「まったくこれっぽちも」
「ということは、圭太だけか」
 と、視線が圭太に集まった。
「で、どうなの?」
「どうと言われても、僕も地区大会前のしか聴いてませんから」
「そっか」
「ただ、琴絵の話だと、まずまずのできだってことです」
「まずまずか。微妙な言い回しね」
「大丈夫でしょ。なんたって、あの佳奈子先生が指導してるわけだし。適当な演奏なんてできるわけないわよ」
「それはね」
 シード以外、つまり三中以外の演奏がすべて終了した。
 圭太たちもステージ上で作業に入る。
 そこへ三中の面々が出てくる。
 圭太が作業していることは、見ればわかる。当然部員たちもそれに気づいた。
 しかし、どちらも会話を交わす暇はない。
 そんな中、琴絵も圭太に気づいた。
 さすがに琴絵は自分の場所があるため、自分から近づくことはできない。それを察してか、圭太が少しだけ近くへ寄った。
「がんばれ」
「……うん」
 圭太も一言だけだった。
 程なくして演奏がはじまった。
「圭くん、琴絵ちゃんになにを言ったの?」
「見てたんですか?」
「うん」
「一言、がんばれって。それだけですよ」
「そっか。やっぱり圭くんは琴絵ちゃんには優しいね」
 祥子は、少しだけ羨ましそうに言った。
「兄が、妹に言う程度ですよ」
「ホントにそれだけならいいんだけどね」
 それには圭太はなにも答えなかった。
 演奏自体は地区大会よりも数段上だった。レベル的に言えば、ダントツだった。
 閉会式が終わり、ひと通りの片づけを終えると、ようやく県大会も終わりである。
 一高の面々も仕事から解放され、合宿までしばしの休みに入る。
「お兄ちゃん」
 帰ろうという圭太たちの元へ、琴絵がやってきた。
「先に帰ったんじゃないのか?」
「うん、せっかくだし一緒に帰ろうと思って」
 そう言って琴絵は微笑んだ。
「そっか。じゃあ、一緒に帰るか」
「うんっ」
 
 帰り道。
「ん……」
「よかったの、バスじゃなくて?」
「たまにはね」
 圭太は、琴絵を背負い直し、頷いた。
 琴絵は電車の中で疲れからか眠ってしまった。それを圭太がおぶっているのだ。
「でも、ホントに幸せそうな寝顔」
「それは、大好きな圭くんにおぶってもらってるからよね」
「はあ、琴絵ちゃんばっかりいいなぁ」
「だったら、朱美も電車で眠ればよかったのに。ああでも、そのまま終点まで、なんて可能性もあったかもしれないけど」
「…………」
「…………」
 朱美と紗絵の間に、見えない火花が飛び散っていた。
「これで県大会も終わって、次はいよいよ関東大会ですね」
「二年連続全国大会に出られるかどうか。これからが正念場だからね」
「そのためにも、合宿前に英気を養わないと」
「はは、柚紀はそっちの方が重要か」
「とりあえずはね。せっかくみんなで旅行するんだから、楽しまなくちゃ」
「うん、私も柚紀の意見に賛成」
「はあ、早くあさってにならないかなぁ」
 そう言って柚紀は空を見上げた。
 田舎ほど澄んだ空ではないが、それでも星は見えた。
「そうだね」
 圭太も柚紀に倣って空を見上げた。
「……ん、おにいちゃん……すき……」
 と、琴絵の寝言でその場が止まった。
 そして、その場にいる全員が旅行での『想い出作り』に新たな決意を燃やすのだった。
 
 六
 八月十四日。
 その日は朝から綺麗に晴れ渡っていた。週間天気予報を見ても雨が降る予報はしていない。
 圭太たちは、早朝から駅前に集合していた。
 三ツ谷家の別荘があるのは、南紀でも有名な観光地、白浜である。
 白浜までは飛行機で向かう。電車でも十分行けるのだが、時間がかかりすぎる。それでも五時間ほどはかかるので、早朝から集合となった。
 メンバーは、別荘提供者である祥子、発案者である柚紀、琴絵、朱美、紗絵、ともみ、詩織、そしていないとはじまらない圭太の八人である。
 ちなみに、鈴奈は卒業論文の執筆と『桜亭』のアルバイトのために留守番である。
「ん〜、晴れてよかった〜」
 柚紀は、空を見上げ大きく伸びをした。
「これも、日頃の行いのおかげかな?」
「そうだといいね」
 機嫌がいいのは柚紀だけではない。圭太もいつも以上に機嫌がよかった。
「圭兄〜、向こうに着いたらまずなにするの?」
「ん、そうだなぁ、とりあえずはゆっくりしたいかな。泳ぐのは明日でもいいし」
「ええ〜、そんなのもったいないよ。今日だって向こうにはお昼には着くのに」
「とはいってもねぇ……」
 圭太としては、朱美の言うように午後から目一杯遊んでも構わないのだ。しかし、少なくとも柚紀と祥子から、『予告』されていることを考えると、素直に遊べないのである。
 さらに言うなら、ふたりだけではなく残り五人も同じようなことを望んでいるはずである。それを考えると、ますます体力は温存しないといけないのである。
「朱美。無理は言わない方がいいわよ」
「どうして?」
「滞在期間は短いんだから、考えて行動しないと、なにもできなくなるからね」
 紗絵は、落ち着き払った様子でそう説明した。
「大丈夫だって。圭太はこう見えても頑丈なんだから」
 そこへ、ともみが割って入ってきた。
「ねえ、圭太。ちょっとくらい無理したって、全然大丈夫よね?」
「えっと、そのぉ……」
 さすがに相手がともみでは、圭太も分が悪い。
「ともみ先輩。圭くんが困ってるじゃないですか」
「あら、そんなことないわよね」
「私は、一緒にいられるならゆっくりするだけでもいいと思いますけど……」
 と、詩織がぽつりと呟いた。
「…………」
 一斉に視線が集まった。
「あ、あの、その……」
「私も、お兄ちゃんと一緒ならなんでもいいかな」
 早速琴絵がその意見に賛同した。
「ん〜、『ふたりきり』なら確かにそうかも……」
 その言葉が契機となり、圭太を除く全員が白浜での午後以降のことをシミュレートしはじめたのは、改めて述べる必要もないことだろう。
 
 南紀白浜といえば、近畿地方でも有数の観光地である。海と観光と温泉の街。大阪から電車で一時間半。東京から飛行機で一時間。
 ちょっと旅行に行くにはちょうどいい場所にある。
 三ツ谷家の別荘は、白良浜にほど近い風光明媚な場所に建っていた。
「ふえぇ〜、すごい……」
 一同、別荘を前にしてハニワになっていた。
 青い屋根に白い壁。夏の避暑地にはぴったりの建物だった。
 どの部屋も基本的には海側にあり、景色も折り紙付きだった。
「部屋数は十分あるけど、部屋割りはどう──」
「厳正にくじ引きにしましょう」
 祥子が皆まで言う前に、柚紀は持っていたクジを取り出した。
「ひとりひと部屋だともったいないから、ふたりずつで」
 圭太たちは八人。ひと部屋にふたりとなれば──
「さあ、クジを」
 それぞれひとつずつクジを引く。そして、一斉に番号を確認する。
『あっ』
 その言葉にもかなり様々なニュアンスが含まれていた。
「……一番は?」
 柚紀は、舌打ちしながらみんなを見回す。どうやら柚紀ではないようである。
「えっと、私です」
 おずおずと手を挙げたのは、紗絵だった。
「……それで、紗絵ちゃんは誰と一緒がいいの?」
 訊くまでもないのだが、一応である。
「えっと……圭太先輩と、一緒がいいです」
 同時に、圭太と紗絵を除く全員から深い深いため息が漏れた。
「まあ、クジで決まったことだからしょうがないか。それじゃあ、残りも決めましょう」
 結局、部屋割りは圭太と紗絵、柚紀と詩織、琴絵と朱美、祥子とともみとなった。
 部屋はすべて二階にあり、それぞれが好きな部屋を選んだ。
「すごくいい眺めだ」
 圭太は、窓を開け、外の空気を部屋に取り込んだ。
「あの、圭太さん」
「ん?」
「私で、よかったんですか?」
「なにが?」
「一緒にいるのが、です」
 紗絵は、少しだけ申し訳なさそうに俯いている。
 それに対して圭太は、笑顔のままである。
「クジで決まったことだから、柚紀だってなにも言わないよ。それに、僕は紗絵と一緒で悪かったとは思ってないよ。たまには、一緒なのもいいと思うしね」
「圭太さん……」
 それを聞き紗絵は、圭太に抱きついた。
「思いっきり、甘えてもいいですか……?」
「ほどほどなら」
「はいっ」
 そして、紗絵は圭太にキスを──
「はいはいはい、そこまで」
「きゃっ」
 いきなりドアが開き、柚紀たちが入ってきた。
「紗絵ちゃん。私がいないからって、抜け駆けはダメよ」
「えっと、それは……」
「それに圭太。圭太ももう少し自制してくれないと」
「努力はするけど」
 圭太は、比較的落ち着いた様子でそう答えた。さすがにこういうことを何度も経験していれば、慣れもするが。
「それで、柚紀たちはなにしにここへ?」
「ああ、そうそう。これから細々したことを決めようと思ったの。ほら、食事のこととかいろいろあるでしょ」
「そういえばそうだね」
 別荘には一応管理人がいるが、その人たちは別に使用人ではないため、基本的にはなにもしてくれない。ようするに、食事の準備も自分たちでやらなければならないのだ。
「とりあえず、圭太にはあとで報告に来るから、紗絵ちゃん。ちょっと来て」
「あっ、はい」
 柚紀たちは紗絵を連れて部屋を出て行った。
「……なんだかな」
 圭太は小さくため息をつき、もう一度窓の外を眺めた。
 
 簡単な昼食をとったあと、一同はそれぞれ自由行動となった。
 圭太はとりあえず部屋に戻っていた。側には誰もおらず、ひとりである。
「さてと」
 改めて誰もいないことを確認し、カバンを開けた。
 取り出したのは、便せんだった。それと一緒にペンも取り出す。
 圭太がなにをしているのかは、一目瞭然ではある。手紙を書いている。
 誰への手紙なのかはわからないが。
 さて、一方の女性陣はというと、一年トリオプラスともみが食堂にいた。
「いいの、圭太のところに行かなくても?」
 ともみは誰に言うでもなく訊ねた。
「とりあえずは、いいです」
「ふふん、とりあえずは、ね」
 紗絵の物言いに、ともみは鼻を鳴らした。
「いいよね〜、紗絵は。今日も明日も圭兄と一緒なんだから」
「本当に。夜討ちでもした方がいい?」
「……さらっと怖いこと言わないで、詩織」
「ふふっ、なんだかんだ言いながら、三人は仲良いわよね」
 ともみは、煎れたばかりの麦茶を飲みながらそう言った。
「それってやっぱり、同じ境遇だから?」
「たぶん、それはあると思います」
「やっぱり、わかりますからね、どんなことを考えているかとか」
「そうすると、自然と一緒にいて話をして。それがますますお互いをわからせていくことになって」
「なるほどね」
「ともみ先輩に聞きたいことがあるんですけど」
 と、紗絵が話題を変えてきた。いや、本質的には変わってないが。
「ん、なに? 今日は特別になんでも答えてあげるわよ」
「先輩を好きになったのは、どうしてですか?」
「あらら、これはまたずいぶんと根本的で難しい質問だわ」
 ともみは腕を組み、低く笑った。
「そうね、私が答える前に、三人のことを聞きましょうか。どうして圭太なの?」
 三人は揃って顔を見合わせた。
「じゃあ、まずは言い出しっぺの紗絵から」
「あ、えっと、私は、三中の二年間、一緒に部活をしていて、気づいたら好きになってました」
「でも、ただ一緒にいただけじゃ、好きにはならないでしょ? なにかきっかけみたいなものは必ずあるはずだし」
「それは……」
 さすがにそれは言い淀む。たいていの場合、そういうことは自分だけの秘密にしておきたいものである。もちろん訊かれて困るようなことではないが。
「……最初は、ただ単にカッコイイ先輩だったんです。それでも一緒に練習していくうちに、なんに対しても真剣に取り組む姿を見ているうちに、いつも目で追うようになってました」
 紗絵は、麦茶の入ったコップを持ちながら続ける。
「先輩は、すべてのことに一生懸命です。部活、勉強、スポーツ。だけど、どんなにすごいことを成し遂げてもそれを鼻にかけるようなことはなくて。だから思ったんです。世の中にはこういう人もいるんだなって」
「ふ〜ん、確かにそれはわかるけどね。だけど、直接の要因はそれじゃないんでしょ?」
「……私が中一の時、先輩が中二の時ですけど、その時にちょっと」
「ちょっとじゃわからないわよ」
「えっと、それは──」
 
 それは、バレンタイン直前のことだった。
 とても寒い日で、廊下にいるだけで足下から震えてきそうなほどだった。
 当然そういう日でも授業はあるし、部活もある。
 紗絵は、バレンタインのことを考えていたり、いろいろあって体調が優れなかった。
 部活の方は、佳奈子が職員会議で合奏はなく、パート練習だけだった。
 三年が引退したあとで、トランペットはもちろん圭太がパートリーダーで取り仕切っていた。
「それじゃあ、Cからゆっくり」
 練習はやはり厳しかった。自分に対しても妥協しない圭太は、他人にも厳しい。それは三中時代も変わらなかった。
 そろそろ部活も終わろうかという頃。
「じゃあ、最後に通しでやって終わろう」
 圭太は楽譜と時計を見てそう言った。
「ねえ、紗絵。大丈夫? なんかボーっとしてるみたいだけど」
 と、紗絵の隣の女子部員が紗絵に声をかけた。
「……ん、大丈夫、だよ」
 覇気のない顔でそう言われても、誰も信用しない。
「先輩。紗絵の様子が」
「紗絵、大丈夫か?」
 圭太は紗絵の前まで来て、そう言った。
「し、心配ないです。少し、風邪気味なだけですから」
「ちょっとごめん」
 有無を言わさず、圭太は紗絵の額に手を当てた。
「すごい熱だ。紗絵、どこが風邪気味なんだ。完全な風邪だ」
「……すみま、せん……」
 ふっと糸の切れた人形のように、紗絵は意識を失った。
 そして、次に気がついた時には、保健室のベッドの中だった。
「……ん……」
「気がついたかい?」
「……先輩……ここは……?」
「保健室だよ。練習中に倒れてしまったから、僕が連れてきたんだ」
「……すみません」
 紗絵は、申し訳なさそうに俯いた。
「そうだね。今度からは体調が悪い時は無理しないように。紗絵自身もつらいだろうし、今日みたいにみんなに迷惑かけることもある。いいね?」
「はい……」
 小さく頷く紗絵。
 そんな紗絵の頭を、圭太は優しく撫でた。
「先輩……?」
「紗絵は、なんでもがんばりすぎるきらいがあるからね。そのあおりで風邪を引いたのかもしれないね」
「そんなことは……」
「まあ、過ぎてしまったことをとやかく言ってもしょうがないから、僕もこれ以上はなにも言わないよ」
「はい……」
 しばし、沈黙が訪れた。
 紗絵は目を閉じ、圭太に撫でられ気持ちよさそうにしている。
「どう? 少しはましになった?」
「はい。少しは」
「そっか。じゃあ、どうしようか。家に連絡して迎えに来てもらう? さすがに歩いては帰れないだろうし。それとも、僕が送ろうか? 紗絵の家ならそれほど遠くないし」
「……いいんですか、送ってもらっても?」
「紗絵さえ構わないならね。それに、僕にも責任があるから」
「責任、ですか?」
 圭太の言葉に、紗絵は首を傾げた。
「部長として、パートリーダーとして部員の、メンバーの体調のことを把握できていなかったこと」
「…………」
「それに、そういうことを抜かしても、体調のことには人一倍気にかけていたはずだったのに、結果的にこうなったから」
「それはどういう……?」
「ん、僕に妹がいるのは知ってる?」
「はい、知ってます」
「その妹がね、ちょっと体が弱くて。だから普段から人のそういう部分には気にかけていたんだけど」
「でも、それは結局私が……」
「そうだね。だけど、僕としてはちょっと情けない結果になったから、その罪滅ぼしってわけじゃないけど、紗絵のためになにかしてあげたいと思って」
 圭太は、真剣な表情で紗絵に事情を説明した。
「そういう理由がイヤなら、無理しなくてもいいよ」
「……いえ、先輩に送ってもらいたいです」
「そっか。じゃあ、そうするよ」
 そして、紗絵は圭太におぶわれて帰宅することになった。
「あの、重くないですか……?」
「全然」
 圭太は平然と答えた。
「もしつらかったら、そのまま少し眠っててもいいよ。もっとも、揺れがひどくて眠れないかもしれないけど」
「はい……」
 紗絵は、言われるまま目を閉じた。
「……先輩」
「うん?」
「ありがとう、ございます……」
「気にしなくていいよ」
「……圭太、先輩……」
 
「──ということがあったんです」
 紗絵は、ざっと昔のことを説明した。
「なんか、すごく圭太らしい行動ね。で、紗絵はそれでコロッといったわけか」
「そう、ですね」
「確かに、それは紗絵じゃなくてもやられるわ」
 ともみはうんうんと頷いた。
「じゃあ、次は朱美」
「私は、紗絵よりもっと単純ですよ。やっぱり、いとこですから」
「つまり、従兄のカッコイイお兄さんのことを好きになってしまった、と?」
「平たく言えばそうですね」
 朱美はそう言って微笑んだ。
「私、これでも結構人見知りするんですよ。今でこそそれもだいぶなくなってきましたけど。そういうこともあって、特に私に優しくしてくれた圭兄のことは、本当に小さな頃からずっと好きでした」
「なるほどね。そういう理由だと、改めてなにがってことはないか」
「あっ、でも、ひとつだけ印象的なことはあります」
「ほほお、それは?」
「えっと、私が小六で圭兄が中学入ったばかりの時なんですけど──」
 
 その日、朱美たち吉沢家の面々は、高城家へと遊びに来ていた。
 朱美は、以前から高城家へ来る度に圭太にべったりだったが、その日もそうだった。
「圭兄、遊ぼうよ〜」
「もう少しだけ待ってくれないか?」
「ええ〜、もうさっきから待ってるよ」
 宿題をしていた圭太を遊びに誘いたい朱美は、少し無理を言っていた。
「ねえねえ、圭兄」
「……別に遊ばないとは言ってないんだから、少しだけ待ってくれよ」
 いくら温厚な圭太でも、執拗に言われては機嫌も悪くなる。
「少しって、どれくらい? 一分? 二分?」
「朱美。ワガママ言わないでくれ」
 いつもは見せない厳しい顔で圭太は朱美に注意した。
 しかし、それは朱美にとってはまさに寝耳に水で、信じられないことだった。
「……もう、いいもん。ひとりで遊んでくるからっ」
「朱美っ」
 圭太が止める間もなく、朱美は部屋を飛び出した。
 部屋を飛び出した朱美は、そのまま家も飛び出していた。
 ほとんど土地勘もない街を、当てもなくただがむしゃらに駆けた。
 気づくと、本当に見知らぬ場所にいた。
「…………」
 すぐに心細くなり、高城家へ戻ろうとした。
「……どっち、だろう……」
 だけど、来た道もわからない。
 泣き出したいのをなんとか堪え、朱美はとぼとぼと歩き出した。
 しばらく歩くと、公園に着いた。
 なんとなく見覚えのありそうな公園だったが、本当に知ってる公園かどうかはわからなかった。
 朱美は、少し疲れたこともあって、公園に入りベンチに座った。
 秋口の日曜の公園には、家族連れが大勢出ていた。
 あちこちから楽しそうな声が聞こえ、それが余計朱美の淋しさを助長していた。
「……圭兄……どこぉ……」
 そして、朱美は泣き出した。
 次に気づくと、朱美は公園のベンチで眠っていた。
「……ん……ここは……」
 半覚醒の頭で状況を確認すると、途端に悲しくなった。
 状況は、なんら好転していなかった。
 そのままそこにいても事態は変わらないが、どこかへ行っても変わるとは思えなかった。
 しばらくベンチでじっとしていると、向こうから誰か駆けて来るのが目に入った。
「朱美っ!」
「圭兄っ!」
 それが圭太だとわかると、朱美はいてもたってもいられず、圭太の方へ駆け出した。
「うわ〜ん、圭兄」
 圭太に抱きつき、朱美は泣き出した。
「まったく、勝手に飛び出したりするからこんなことになるんだ」
「……ごめん、なさい……」
 しゃくり上げながら、朱美は謝った。
「でも、無事でよかったよ。朱美になにかあったら、叔父さんも叔母さんも洋平も悲しむし」
「……圭兄も、悲しい……?」
「もちろん悲しいよ。だから、もうこんなことしないでくれ」
「うん……」
 頷く朱美の頭を、圭太はくしゃくしゃっと撫でた。
「じゃあ、帰ろう。みんな心配してるから」
「うん」
 帰り道、朱美は圭太と手をつないでいた。
「……圭兄の手、大きいね」
「迷子の朱美をしっかりと捕まえておくためにね」
「うん……離さないでね、圭兄……」
 そして、朱美はその手をしっかりと握った。
 
「あの時の圭兄は、本当に優しかったですよ」
「というより、朱美の性格は昔から変わってないのね」
 紗絵が鋭い突っ込みを入れた。
「まあまあ、それはそれとして。でも、紗絵も朱美も同じような経験してるのね。それはちょっと驚きだわ」
 そう言ってともみは、薄く微笑んだ。
「じゃあ、最後は詩織」
「私が先輩のことを好きになったのは、一昨年のソロコンがきっかけです」
「一昨年っていうと、圭太が全国銀賞取った?」
「はい。あの時にはじめて先輩の名前を知りました。それからずっと気になっていたんです。ですから、一高に入っていることを知って、嬉しかったんです」
「知ってって、どうやって知ったの? ストーキング?」
「ち、違いますよ。コンサートです。去年のコンサートではじめて実物の先輩を見ました。それからコンクール、アンコンと追い続けました。そして今年、一高に入って念願もかないました」
「なるほどね。それはそれで、なかなか素晴らしい執念だわ」
 ともみは妙な感心の仕方をする。
「まあ、紗絵や朱美と違って一緒に過ごしてきた時間が短いから、それ以上の理由はないと思うけど」
「そうですね。さすがに、ふたりみたいなのはありません」
 詩織は、少しだけ淋しそうに答えた。
「だけど、私に言わせると詩織の存在はかなり特異なものよ」
「それは、どういう意味ですか?」
「だってさ、あの圭太をたった一ヶ月で落として、しかも今では柚紀や琴絵ちゃんを除けばほとんど同等の位置にまでいるんだから。色恋沙汰は単純に比較できないけど、詩織はかなり圭太に想われてるってことは間違いないわ」
「そう、ですかね」
「ええ。それに、それはみんなの共通見解でもあると思うわよ。ねえ、ふたりとも?」
 ともみは、紗絵と朱美のふたりに話を振った。
「確かにそれはあります」
「だからこそ、詩織のこと、認めてるんだから」
「そういうこと。いくら圭太のことが好きだからって、イコールでみんなから認めてもらえるわけじゃないわ。そこに認めてもらえるだけのなにかがないと」
「…………」
 詩織は少し俯き、ともみの言葉を考える。
「ま、難しいことはいいのよ。重要なのは、詩織が圭太のことを好きで、圭太も詩織のことが好きで、そんなふたりのことを彼女である柚紀も含めて、みんな認めてるってことなんだから」
「最初はかなり驚いたけどね」
「でも、詩織と接しているうちに、本気さが伝わってきたから」
「というわけ」
 三人にそう言われては、詩織もそれを素直に受け入れるしかない。
「さてと、三人のことは聞いたし、今度は私ね。っと、その前に」
 ともみは席を立ち、台所へ。
 戻ってきたともみの手には、麦茶の入った容器があった。
「お茶を注ぎ足して、っと」
 自分のコップに麦茶を入れる。
「じゃあ、私の話ね。そうね、私の場合は特に印象的なことってないわね。三中に圭太が入ってきて、同じ部活で練習して。その頃はまだまだ好きの手前だったし」
「いつからなんですか、意識するようになったのは?」
「卒業直前かな。たまに覗きに行く部活で圭太の姿を追ってる自分に気づいて。ああ、私は圭太のことが好きなんだって。ただ、私の場合は離れてる時間の方が多かったから。一高での二年間は、その灯火みたいな想いを育んでいた期間だったかも。そして去年、圭太が一高に入ってきて、私の想いは以前よりもずっと強くなっていることにも気づいた。あわよくば一緒になろうって思ってたけど、それよりも先に柚紀にとられちゃったからね」
 そう言ってともみは笑った。
「でもね、柚紀に嫉妬したことはほとんどないわよ」
「えっ、そうなんですか?」
「だって、あのふたりって本当にお似合いでしょ? こう、パズルのピースがぴったり合わさったみたいにね」
「確かに、それはそうですね」
「だけど、嫉妬しないことと自分の想いを伝えないことはイコールではなかったわ。私は後悔だけはしたくなかったから、自分の想いを伝えて。そして今の関係があるの」
 そこにいる三人ともがその想いはわかった。なんといっても、自分たちもそれと同じことをしたのだから。
「三人はわからないかもしれないけど、圭太って年上ですら安心させるだけの優しさなんかを持ってるのよ。それは、年上が三人もやられてるのを見ればわかると思うけど。すべてを任せられる存在。それが圭太だから。だから、好きになった。それが、さっきの答えかな」
 ともみはそう締めくくり、麦茶を飲んだ。
「それにしても、圭太がいてもいなくても話題は圭太のことになるのね」
「それは、しょうがないと思いますけど」
「それに、圭太先輩のことなら、いくらでも話せるじゃないですか」
「共通の話題は、先輩のことか部活のことくらいですし」
「ま、それを言われるとなにも言えないけどね」
 四人は、楽しそうに笑った。
 四人が食堂でそんな話をしている時、残りの三人、柚紀、琴絵、祥子は別荘の外にいた。
 大きな木の下に椅子を運び、そこでのんびりと過ごしていた。
「祥子先輩が前にここに来たのは、いつなんですか?」
「部活をはじめる前だから、もう六年前かな?」
「そんなになるんですか? じゃあ、このあたりもだいぶ変わりましたか?」
「う〜ん、まだちゃんと見たわけじゃないけど、結構変わってるかも。ただ、観光地だから大がかりな手の入れ方はしてないと思うけど」
 祥子はたおやかに微笑んだ。
「琴絵ちゃんは、こういう旅行は本当に久しぶりでしょ?」
「そうですね。やっぱり家のこととかありましたから」
「そうだよね。それは去年、圭太にも聞いたんだ」
 柚紀はそれを確認し、大きく頷いた。
「だけど、ここに来た今でも思ってるんだけど、本当によかったの?」
「なにがですか?」
「圭くんとふたりきりじゃなくて、ってこと」
「ああ、そのことですか」
 柚紀は椅子から立ち上がり、日向に出た。
「先輩は、どう思いますか?」
「私だったら、ふたりきりがよかったかな」
「私も、そうですよ。でも、こうしてみんなでどこか行くなんて、そうそうできることじゃないじゃないですか。一度くらいはこういうのもいいかなって、そう思ったんです」
「そっか」
「それに、私だったらそれこそいくらでも圭太とふたりきりになれますから」
 振り返り、柚紀は笑った。
「あの、柚紀さん、祥子先輩」
「ん、どうしたの?」
「少し聞きたいこと、というか教えてほしいことがあるんですけど」
「教えてほしいこと?」
 琴絵は、少し遠慮がちにそう言った。
「はい。あの、お兄ちゃんて、学校ではどういう感じなんですか? たまに朱美ちゃんにも聞くんですけど」
「なるほど。確かに自分の見ていないところでの行動って、気になるわね」
「琴絵ちゃんの気持ちはよくわかるわ」
 柚紀も祥子はなるほどと頷いた。
「じゃあ、学校での圭太のこと、少し話してあげようかな」
 椅子に座り直し、柚紀はそう言った。
 
 そろそろ水平線に太陽が沈もうという頃。
 圭太はようやく部屋から出てきた。一階の台所からは、にぎにぎしい声が聞こえてくる。
「夕食の準備?」
 少し遠慮がちに声をかける。
 と、一斉にみんなの視線が圭太に向いた。
「そうだよ。って、圭太」
 柚紀は、包丁を持ったまま、ずいっと圭太に迫った。
「ちょ、ちょっと、柚紀……」
「今の今まで、いったい、な・に・を、していたの?」
 包丁の刃が、キラッと光った。
「い、いや、たいしたことはしてないけど……」
 後ずさりしながら圭太は答えた。
「ふ〜ん、へえ、ほお……」
 柚紀は、ジト目で圭太を見据えた。
「たいしたことじゃなければ、話していいはずよね、普通は」
「えっと、その……」
 圭太が後ずさった分だけきっちり迫ってくる柚紀。
「こらこら、柚紀。そんな物騒なもの持って脅さないの」
 すると、横からともみが助け船を出した。
「あっ、そうですね」
「もし持つなら、せめてすりこぎくらいにしときなさいって」
「……あの、先輩。それも微妙に物騒なものなんですけど」
「あら? そうだったかしら? おほほほ」
「それでお兄ちゃん。柚紀さんじゃないけど、こんな時間までずっと、なにしてたの?」
 さすがにそれ以上黙っていることはできないと判断し、圭太は頷いた。
「いくつかやることがあって」
「やること?」
「まあ、そのひとつが手紙かな」
「手紙? 誰に?」
「家に。いくらお盆とはいえ、無理言ってここに来てるから、せめてそれくらいはした方がいいかなって思って。本当ははがきでもいいんだろうけど。もちろん、着くのは僕たちと同じかひょっとしたらあとになるかもしれないけど」
「なるほどね」
 その理由には、全員が納得していた。
 圭太がいかに家族を、琴美を大事に想っているか知っているからだ。
「ん〜、でもさ、琴美さん宛に手紙を書いてたのはわかったし、納得もできる。それでも、いくら慣れない手紙を書いたっていっても、こんなに時間はかからないでしょ?」
 問題が戻ってきた。
「……確かに、母さんへの手紙は一時間くらいで終わったよ」
「じゃあ、残りの時間は? まさか、昼寝してた、とか言わないわよね?」
「……それは」
 圭太は、少しだけ俯いた。
「明日。明日の夜にその答えを教えるから」
「明日の夜? なんで今日の夜じゃダメなの?」
「今は信用できないかもしれないけど、絶対に悪いことじゃないから」
 圭太に真剣にそう言われては、その場にいる誰もがイヤとは言えない。
「……もう、しょうがないな。圭太の言うこと、信じてあげる」
「ありがとう」
「だけど、圭太」
「うん?」
「そういうこと、あまりしないで」
 そう言った柚紀の表情は、すごく真剣だった。
「約束、して」
「わかった。しないよ」
「……うん、ならオッケー」
 そして、ようやくいつもの柚紀に戻った。
「じゃあ、さくっと夕食の準備、終わらせるから、圭太はテーブルの準備とかして」
「わかったよ」
 程なくして作業が再開された。
 
 夕食後。女性陣は全員揃って入浴タイムとなった。
 別荘の風呂は、祥子の父親の趣味でかなり大きく、今回の女性陣七人くらいなら余裕で入れるほどだった。
「ん〜、やっぱり手足を思い切り伸ばせるお風呂は最高ね」
 ともみは、頭にタオルを載せながら大きく伸びをした。
「そうですね。家の浴槽はこんなに大きくないですから、いいですよね」
 柚紀もともみに倣い、伸びをする。
「って、あんたらももうちょっとのんびり入りなさいよ。どうしてそんな隅っこにいるのよ」
 ともみが視線を向けた先には、一年トリオプラス琴絵がいた。
「まさか、大きなお風呂はダメ〜、とか言わないわよね?」
「そ、そんなことはないですけど……」
 四人は、小さくため息をついた。
 四人共通の行動としては、浴槽に浸かっている柚紀、ともみ、洗い場で体を流している祥子の『胸』を見ては自分のを見て、ため息をつくというものがあった。
 さすがにそれを繰り返していれば、柚紀たちにもわかる。
「……んふふ〜、まずは、琴絵ちゃんから」
「えっ? え、ええ〜っ!」
 不敵に笑ったともみが、琴絵を無理矢理自分の方へ引っ張ってくる。
「ふふふ、やっぱり琴絵ちゃんはカワイイわね」
 そう言って後ろからギュッと抱きしめる。
「はうっ!」
「ほらほら、あんたらも同じ目に遭いたくないなら、もう少しこっちに来る」
 さすがに目の前でそういうことをされては、三人も渋々出てきた。
「どうして人間て、ないものねだりするのかしらね」
 ともみは、琴絵の頭を撫でながらそう言った。
「そうですよね。私もそう思います」
 その言葉に柚紀も賛同する。
「で、でも、やっぱり小さいよりは大きい方がいいと思うんですよ」
 と、紗絵が一応反論を試みた。
「そうかなぁ。私はそうは思わないけど」
 そこへ、体を流し終えた祥子も参戦してくる。
「紗絵ちゃんは、そんなにイヤなの?」
「イヤ、というわけではないんですけど、もう少しあった方がいいかな、と……」
 紗絵は胸に手を当て、そう答えた。
「じゃあ、圭くんは? 圭くんは、なんて言ったのかな?」
「先輩、ですか……?」
「うん。圭くん、なにか言ってた?」
「いえ、特には」
「だったら、気にすることはないと思うけど」
 祥子は、にっこりと微笑んだ。
「朱美ちゃんも詩織ちゃんも、同じ」
 朱美と詩織は、顔を見合わせ、小さく頷いた。
「それにしても、よくよく考えたらすごいことになってるわよね」
「どういう意味ですか?」
 ともみの言葉に、一同は首を傾げた。
「だってさ、ここにいる全員が、圭太とセックスしてるわけでしょ?」
「そうですね」
「しかも、その中には正真正銘の彼女である柚紀もいる」
「はあ、まあ……」
「お互いがお互いのことを知っていながら、こうやって和気藹々とお風呂に浸かってるって、やっぱりすごいことだと私は思うわ」
 ともみの言はもっともだった。
 普通なら喧嘩のひとつでもありそうなのだが、この七人に関してはまったくそういうのがない。
「これもやっぱり、好きになった相手が圭太だからかしら?」
「そうだと思いますよ」
 柚紀がともみの意見に賛同した。
「みんな、圭太のことを心から理解してる、もしくは理解しようとしてるから。そんな圭太を好きになるほかの人たちの気持ちもわかるんですよ」
「確かにね」
「あとは、やっぱり圭太がみんなのことを認めてるからじゃないですか」
「それが一番大きいかも」
「私だって、そうなんですから」
 彼女である柚紀が、先のともみの言葉を一番感じているだろう。
 もし圭太が認めていなければ、それこそ誰も認めていないかもしれないのだから。
「で、私は思うのよ。もし圭太が柚紀『だけ』を選んだとしても、私たちの関係は変えたくないって。だってそうでしょ? 確かに基本的には圭太絡みで一緒にいることの多い私たちだけど、それってなにも圭太だけがいる理由になってないはずだし。だったら、同じ人を好きになった者同士、ずっと仲良くったっていいと思うのよ」
「確かにそうですね。なにも私たちはいがみあってるわけじゃないんですから」
「でしょ?」
 柚紀の賛同を得て、ともみはにっこり微笑んだ。
「祥子は?」
「私もそう思います。それに、私たちはたとえ圭くんという共通の『人』がいなくとも同じ部活をしていますから。先輩後輩同輩として、つきあっていけるはずですよ」
「紗絵は?」
「私も同じです。これだけ、というのは淋しいですから」
「朱美は?」
「もう全然異論なんてないです。私も、その方がいいと思います」
「詩織は?」
「はい。私もです。先輩の存在は大きいですけど、それ以外がまったくないわけではないですし」
 それぞれから肯定の意見が出てくる。
「で、琴絵ちゃんは?」
「私は、お兄ちゃんとはずっと兄妹ですから、その関係は変わりませんけど。でも、ともみ先輩の考え方は、とても素敵だと思います」
「ふふっ、ありがと」
 全員が、ともみの意見を支持した。
「ただ、実際どうなるかは圭太次第だと思うわよ。柚紀や琴絵ちゃんは身の振り方は変わらないけど、私たちは流動的だし」
「そうですね」
「ま、ここで私たちがいくら考えてもしょうがないんだけどね」
「でも、それでも考えてしまう、と」
「そう、そうなのよ。やっぱりなにかと不安になるしね」
「じゃあ、さしあたってはその不安を解消してもらうべく、今夜のことを考えるべきですかね」
 今夜、という言葉に緊張感が走る。
「そうね。誰が、圭太を『モノ』にできるから」
「場所的に言えば、紗絵ちゃんが一歩どころか、十歩も二十歩もリードしてるけど」
「でも、場所だけでは勝負は決まらないから」
 七人は、お互いを牽制しあう。
「さて、そろそろ上がりましょうか。お互い、いろいろあるだろうし」
 そして、決戦の舞台はそれぞれの場所へと変わる。
 
 一方、女性陣が入浴タイムに入ると圭太はある場所に電話をしていた。
『はい、もしもし』
「あっ、鈴奈さんですか?」
『圭くん?』
 電話の相手は鈴奈だった。
『どうしたの、わざわざ電話なんて?』
「いえ、特に用事があったわけじゃないんですけど。強いて言えば、鈴奈さんの声が聞きたかった、ということですか」
『ふふっ、ありがと、圭くん。それで、そっちはどうかな?』
「ええ、とてもいい場所ですよ。ここに来られたことを祥子先輩に感謝しないといけないくらいです」
『そっか。私も卒論さえなければ一緒に行ったんだけどね。残念残念』
「旅行の機会は、作ろうと思えばいつでも作れますよ」
『うん、そうだね』
 鈴奈は、電話口ながら嬉しそうに笑った。
「あの、鈴奈さん」
『どうしたの?』
「店の方はどうでしたか?」
『お店? まあ、例年通りかな。やっぱりお盆の頃はお客さんも少ないから』
「そうですか」
『やっぱり、心配?』
「多少は。それに、あまり母さんや鈴奈さんに負担をかけたくないんです」
『それは大丈夫だよ。私も琴美さんも、今日はのんびり過ごしてたから』
「それを聞いて安心しました」
『本当に圭くんは琴美さんと『桜亭』のことが大事なんだね』
「ええ。母さんも『桜亭』も、この世にひとりしかいませんし、ひとつしかありませんから」
『そうだね』
「鈴奈さん、いえ、お姉ちゃん」
 圭太は、わざわざ言い方を変えた。
『ん、なに?』
「母さんと『桜亭』のこと、お願いします」
『うん、任せて』
「ありがとうございます」
『ううん、お礼なんていいよ。それに』
「それに?」
『大切で大好きな『弟』の頼みだからね』
「はい」
『それじゃあ、圭くん。あまり無茶しないようにね』
「無茶、ですか?」
『うん。みんな、圭くんとの一夜を望んでるわけだし』
「あ、あはは、そういう意味ですか」
『だから、無茶しないでね』
「わかりました。善処します」
『うん。じゃあ、おやすみ、圭くん』
「おやすみなさい、お姉ちゃん」
 そう言って、静かに受話器を置いた。
「無茶、か。したくはないけど……」
 少しだけあきらめの入ったため息をつき、圭太は自分の部屋へと戻った。
 
 夜。そろそろ就寝時間という頃。
 圭太は、一階のリビングにいた。本当なら部屋にいてもいいのだが、あまりにも女性陣の動向が気になったので見渡せるリビングにいた。
 現在、そのリビングには琴絵と一年トリオがいた。
「ん〜、お兄ちゃん」
「ん、どうした?」
「やっぱり、無理なのかな?」
「さあ、僕としては穏便に済ませたいけど、柚紀たちが相手じゃそれも無理だと思うよ」
 圭太はそう言ってため息をついた。
「三人は、どうしてここに?」
 本当はもっと早く訊きたかったのだろうが、そのタイミングを見つけられなかった圭太。ちょうどいいところで琴絵がそれ絡みのことを話したので、思い切って訊いてみた。
 三人は顔を見合わせ、頷いた。
「先輩たちとまともに渡り合えるとは思いませんから。今日は、こうして一緒にいることを選んだんです」
 代表して紗絵がそう説明した。
 確かに相手が柚紀たちでは、後輩三人に勝ち目はないだろう。旅行自体は明日もあるのだから、チャンスを待って、という方が利口である。
「そっか。じゃあ、危険を回避してくれた三人には、ちょっとお礼をした方がいいかな」
「お礼、ですか?」
 パッと三人の顔が輝いた。
「明日の午前中、泳ぐ時できるだけ三人を優先するよ」
「いいんですか?」
「それくらいなら全然」
「あはっ、ありがとうございます」
 まさに棚からぼた餅である。
「ねえねえ、お兄ちゃん。私は?」
「ん、琴絵か。琴絵も紗絵たちと同じ方がいいか?」
「ん〜、それでもいいんだけど、私は別なのがいい」
「別なのって、具体的にはどんな?」
「えっとね、向こうに戻ってからもお兄ちゃんたちの合宿まで、確か一日だけ休みがあるんだよね」
「ん、ああ」
「じゃあねじゃあね、その日に、私とデートして」
「デート?」
「うん。旅行中は、無理も無茶も言わないから。ね、いいでしょ?」
 琴絵は上目遣いにおねだりする。
「まあ、それくらいなら構わないよ」
「ホント? ん〜、やっぱりお兄ちゃん大好きっ!」
「お、おいおい……」
 琴絵は嬉しさを爆発させ、圭太に抱きついた。
「むぅ、私もその方がよかったかも」
 琴絵の様子を見ていた朱美がそう呟いた。
 もっとも、そう思っているのは朱美だけではないだろうが。
「さてと、そろそろ寝た方がいいかな」
「うん、そうだね」
 一番得した琴絵は、ニコニコと嬉しそうに頷いた。
 
 紗絵と一緒に部屋に戻った圭太は、とりあえず窓を開けた。
 開け放った窓からは、夜の空気が流れ込んでくる。
「紗絵。ちょっと来てごらん」
「なんですか?」
「ほら」
「うわ〜……」
 窓から見える空に一面に広がる星。
 空気が綺麗で余計な明かりがないところじゃないと見られない光景である。
「綺麗ですね……」
「そうだね。この夜空を見られただけで、この旅行に来たかいはあるよ」
「……私は、圭太さんと一緒に見られたことが嬉しいです」
 そう言って紗絵は、圭太にキスをした。
「本当はこのまま抱いてほしいんですけどね」
「紗絵がそうしてほしいなら、そうするけど」
「ダメですよ。ここにいる限り、私の自由は保障されてませんから」
 紗絵は、そっと圭太から離れた。
「圭太さん」
「うん?」
「合宿の時に、今日の分もいいですか?」
「ん〜、できればね」
「はい、それで構いません」
 嬉しそうに微笑む紗絵。
「それじゃあ、私は先に寝ますね」
「紗絵」
「はい」
「ありがとう」
「……いえ、大好きな圭太さんのことですから」
 
 圭太は紗絵が眠れるようにと、部屋を出た。
 二階の廊下は、不気味なほど静かだった。
 そんな廊下を苦笑しながら一階へと下りる。
 と、リビングの電気が点いているのに気づいた。ついさっきそこの電気は消したはずなのだが。
 不思議に思いリビングに入ってみると──
「あっ、やっと戻ってきた」
「柚紀……?」
 リビングには柚紀がいた。
「どうしたの、こんなところで?」
「圭太を待ってたの」
 そう言って柚紀は微笑んだ。
「紗絵ちゃんは?」
「もう寝たよ。僕がいると落ち着いて眠れないと思ったから、こうして下りてきたんだよ」
「なるほどね。私も同じ、と言いたいところだけど、私はちょっと違うから」
 基本的には圭太と同じ理由ではあろう。ルームメイトは詩織なのだから。
 だが、それ以上の理由が柚紀にはある。
「ねえ、圭太」
「うん?」
「ちょっと、一緒に来て」
 そう言って柚紀は、圭太をリビングから連れ出した。
 圭太は特になにも言わず、柚紀についていく。
 柚紀が向かったのは、二階のひと部屋だった。
「ここは……」
「まあまあ、とにかく入って入って」
「う、うん」
「おじゃましま〜す」
「おっ、やっと来た」
 そこは、祥子とともみの部屋だった。
「えっと……」
「ほらほら、圭太はこっち」
 柚紀は、有無を言わせず圭太を所定の位置へと座らせる。
「じゃあ、揃ったことだし、はじめましょ」
 そう言ってともみはジュースをコップに注いだ。
「はい、圭くん」
「あっ、すみません」
「んもう、なに鳩が豆鉄砲を食ったような顔してるのよ」
「そうよ。別におかしなことじゃないでしょ?」
「そ、それはそうなんですけど」
 さすがの圭太もどう答えていいかわからなかった。
「もう、しょうがないわね」
 柚紀はため息をつき、状況を説明した。
「本当はね、圭太を巡って『女の戦い』ってのを繰り広げてもよかったんだけど、それだとなんのためにみんなで旅行に来たのかわからないでしょ?」
「まあ、ね」
「だからね、一時休戦ということにしたの」
「一時休戦?」
「そ。旅行は三日間しかないんだから、それを有意義に使わなくちゃもったいないし。それにさ、抱いてもらうのなんて、向こうででもできるでしょ? もちろん、こっちでのそれも捨てがたいけど」
「まあ、そういうわけだから、圭太も安心していいのよ」
 圭太は、三人を見た。
 柚紀もともみも祥子も、ただ黙って頷くだけ。
「わかりました。そういうことなら、僕も楽しみます」
「うんうん、それが一番だって」
「じゃあ、圭くんも納得してくれたことだし、改めて」
「乾杯でもしましょ」
 そして、日付が変わる頃までささやかな宴は続いた。
 
 七
 八月十五日、終戦記念日。
 朝から真夏の太陽が燦々と降り注ぎ、絶好の海水浴日和だった。
 圭太たちは朝食をとったあと、早速泳ぎに出かけた。
 別荘の近くの砂浜には、朝早くから家族連れなど大勢の海水浴客が出ていた。もっとも、大勢とはいっても大きな海水浴場ではないため、芋の子を洗うような感じではなかった。
「じゃあ、荷物番はふたりずつってことでOK?」
 八人分の荷物を前に、ともみが確認する。
「で、その組み合わせだけど、簡単に決めるなら部屋割りと同じってことになるけど、異論反論はある?」
「あの、先輩。厳密に決めなくてもいいんじゃないですか?」
 と、圭太が早速意見を述べた。
「どうして?」
「最初はいいですけど、泳いでいるうちに疲れたりしますし。そうすると泳ぐよりも休んでた方がいいってことになるかもしれませんし」
「なるほど。それはあるかもね」
 長時間の泳ぎは、体力に影響される。体力のない者は、すぐにバテてしまう。
「それじゃあ、最初と二番目くらいを決めて、あとは適当ってことにするわね」
 そして決まった最初の荷物番は、ともみと祥子だった。
「だいたい一時間くらいを目安に交代よ」
「わかりました」
 
「よかったんですか、圭くんと一緒に泳がなくても」
 祥子はパラソルの下で寝そべっているともみに訊ねた。
 ちなみにふたりの水着は、ともみがクリアブルーのビキニ、祥子がライトイエローのワンピースである。
「ん、まあ、それが一番いいとは思うけど。最初くらい後輩たちに譲ってもいいかなって思って」
「ふふっ、らしくないですね、先輩」
「そう? 私はいつでも後輩を優先してるわよ」
 しれっと言うともみに、祥子は苦笑した。
「それ言うなら、祥子はどうなの?」
「私は、とりあえず圭くんを見ていたいなって、そう思ったんです」
「圭太を見てる?」
「はい。少し離れた場所から圭くんを見ることって、そうないじゃないですか。なんとなくそういうのが新鮮で」
「祥子らしいわね、そういうの」
「そうですか?」
 祥子は穏やかに微笑んだ。
「……ねえ、祥子」
「はい」
「圭太って、本当に良い子よね」
「そうですね。この世にふたりといないくらい、良い子だと思います」
「それに、すごく頼れる男になってきたし」
「それは、前からじゃないですか?」
「ま、それはね」
 ふたりは顔を見合わせ笑った。
「ずっと、こんな風にみんなと一緒にいられたらいいのにね」
「……本当にそう思ってますか?」
「……そうね。半々かな?」
「私も、みんなと一緒にいられたらいいと思ってはいます。でも、それ以上に圭くんと一緒にいたいって思ってます」
 海を真っ直ぐに見つめ、祥子は言った。
「たぶん、ほかのみんなも同じだと思います。人間は欲深い生き物ですからね。どんどん自分の望む通りにしたくなります。それは、圭くんとのことでも言えると思います」
「たとえば、昨日の夜のこととか?」
「はい。昨日は柚紀がああいう提案をしてくれたからよかったですけど、あれがなかったらどうなっていたかはわかりません」
「……もう、元には戻れないのよね、私たち」
「そうですね」
 どちらからともなく小さく息を吐いた。
「でも、それもしょうがないか。高城圭太を好きになってしまったんだから」
「まだまだ、当分苦労しそうですね」
「色恋沙汰の苦労は、それなりに楽しいものよ。少なくとも私はそう思ってる」
「苦労のしすぎはよくないですけどね」
「私は、祥子とのことでもいろいろ苦労してるんだけどね」
「それはお互い様です」
「確かに」
 もう一度顔を見合わせ、笑った。
「今夜は、協定破棄して迫ってみようかしら」
「抜け駆けはダメですよ」
 
「それっ!」
「うわっ」
 圭太は、横からの攻撃によろめいた。
「ふふふ、油断大敵よ」
 柚紀は圭太との間隔を見ながら、不敵に笑った。
「だけど、これは多勢に無勢だよ」
「そんなことないよ。それっ!」
 今度は後ろから朱美の攻撃。
「そうですよ。これは立派なハンデ戦です。えいっ!」
 紗絵も負けじと攻撃する。
「先輩ひとりでも、十分渡り合ってるじゃないですか。それっ!」
 さらに詩織の攻撃。
「……しょうがないなぁ」
 そう言うと圭太は、水の中に潜った。
「水の中なんて卑怯……きゃっ!」
 皆まで言う前に、朱美は死角からの攻撃にさらされた。
「ううぅ、圭兄のバカぁ」
「これも戦法だよ。どうだっ!」
 いつの間にか紗絵の背後を取っていた圭太。
「あうっ!」
 完璧に隙をついた攻撃で、紗絵は為す術もない。
「さすがは圭太ね。詩織、十分気をつけて」
「は、はい」
「狙いは、柚紀だったりするんだよね。えいっ!」
「しまっ……わきゃっ!」
 思いっきり水を浴び、柚紀はよろめいた。
「さて、これであとは詩織だけだけど」
「お兄ちゃん♪」
「なっ……!」
 振り向いたところに、琴絵の攻撃。
 顔面にクリティカルヒットである。
「あはは、お兄ちゃんの負け〜」
「けほっ、けほっ、琴絵を伏兵にしてるとは」
「チームワークの勝利〜」
 確かに勝利かもしれないが、一対五では勝負にならないという話もある。
「だけど、ホントに圭兄って運動神経抜群だよね」
 オレンジのセパレートタイプの水着を着た朱美がそう言う。
「多少反則技を使っていたとはいえ、どうして五人も相手にできるんですか?」
 白のワンピースタイプの水着を着ている紗絵がそう言う。
「どうして言われても困るけど」
「やっぱり、ハンデ戦にしてちょうどよかったですよ」
 クリアパープルのワンピースタイプの水着を着た詩織がそう言う。
「僕としては、もう少し普通にしたかったけどね」
「お兄ちゃんの普通だと、私たちは普通じゃなくなっちゃうから、ダメ」
 ライトグリーンにワンポイントの入ったワンピースタイプの水着を着た琴絵はそう言う。
「いいじゃないの、たまの旅行なんだから。圭太だって楽しんでるでしょ?」
 そして、深い青のビキニを着た柚紀がそう言った。
「まあ、それはね」
「こういうのは、楽しんだ者勝ちだから」
「確かに」
 圭太は、頷いて苦笑した。
「っと、そろそろ一時間になるかな。じゃあ、琴絵。一度戻ろう」
「うん」
 荷物番二番目は、圭太と琴絵である。
「先輩、そろそろ代わりますよ」
 荷物のところに戻ってくると、ともみと祥子はなにやら楽しそうに話をしていた。
「ん、もうそんな時間?」
「ええ、だいたい一時間くらいです」
「じゃあ、泳いできますかね。祥子、行くわよ」
「はい。じゃあ、圭くん、琴絵ちゃん。荷物、よろしくね」
 ともみと祥子を見送り、ふたりはパラソルの下に座った。
「ふう、久しぶりに海で泳いだなぁ」
「疲れたか?」
「ううん、まだまだ大丈夫だよ」
 琴絵は頭を振って笑った。
「だって、せっかくここまで来たんだもん。目一杯楽しまなくちゃ」
「楽しむのは構わないけど、ほどほどにな」
「大丈夫だよ」
 
 午前中いっぱい、とにかく泳いで騒いで遊んで楽しんだ圭太たちは、昼食のために一度別荘に戻った。
「う〜、体がけだるい〜」
 戻るなりともみはソファに座り込んだ。
「私ももう年かな〜」
「なに言ってるんですか。先輩が年だったら、大多数の人なんてどうなるんですか?」
「ん〜、そうなんだけどねぇ」
 圭太はやれやれと肩をすくめた。
「先輩。お昼はなにがいいかって、祥子先輩が訊いてますよ?」
 そこへ紗絵がやってくる。
「僕は軽いものでいいよ。ともみ先輩はどうします?」
「私は……ひやむぎがいいわ。って、あればだけどね」
「ひやむぎですか? たぶんあったと思いますけど」
「じゃあ、僕もそれで。茹でるだけだから、そんなに手間もかからないだろうし」
「わかりました」
 圭太とともみの要望を聞いた紗絵は、また台所へと戻っていった。
「ホント、紗絵もかいがいしく働くわよね」
「紗絵らしいですけどね」
「紗絵らしい、ね」
 ともみはふっと笑った。
「先輩?」
「圭太ってさ、ホントにみんなのこと理解してるわよね」
「そうですか? まだまだわからないことの方が多いですけど」
「そりゃ、百パーセントの理解なんて無理だもの。でも、圭太はたぶん他人ができるであろう最高値くらい、理解してると思うわ」
「僕には、それはわかりません。事実、今先輩がそういう話をしてる真意だって測りかねてますから」
 そう言って圭太は苦笑した。
「別に裏なんてないわよ。ただ単純に感心してるだけ。それに、相手を理解できてるってことは、それだけ相手のことを理解しようとしてるってことだし。そういうところはホントに圭太らしいと思う。だからこそ、みんなから好かれてるんだろうけどね」
「はあ、そういうものですかね」
「ふふっ、そういうものよ」
 首を傾げている圭太。
 そんな圭太を見て、ともみは穏やかな笑みを浮かべた。
 
 午後。圭太たちは、泳ぐグループとのんびり過ごすグループとに分かれていた。
 泳ぐグループには圭太、柚紀、朱美、紗絵、詩織の五人が。のんびり過ごすグループには琴絵、ともみ、祥子の三人がいた。
「はい、琴絵ちゃん」
「ありがとうございます」
 琴絵は出された麦茶を一口飲んだ。
「琴絵ちゃんは眠くないの?」
「ええ、とりあえずは」
「ともみ先輩なんか、すぐに眠っちゃったのにね」
 祥子は、部屋で眠っているともみを思い出し、くすくすと笑った。
「こうして琴絵ちゃんとふたりだけで話すのって、すごく久しぶりだよね」
「そういえばそうですね。全然そんな感じしないですけど」
「うん、それは私もそう思う。それってやっぱり、圭くんがいるからかな」
「たぶん、そうだと思います。お兄ちゃんを通して先輩の話もよく聞いてますし」
「私もそうだよ。圭くん、よく琴絵ちゃんのことを話してくれるし。だからだね、話もしないのにお互いのことをわかってるのは」
 祥子は、穏やかな眼差しで琴絵を見つめた。
「ねえ、琴絵ちゃん。琴絵ちゃんは、圭くんには柚紀がふさわしいと思ってる?」
 その問いかけにどれだけの想いが込められていたのか、それは祥子にしかわからない。ただ、琴絵にはその祥子の真意が少しだけ理解できた。
「認めてるか認めてないかで言えば、もちろん柚紀さんを認めています」
「そうだよね、やっぱり」
「それと、お兄ちゃんには柚紀さんみたいな人が必要だと思ってます。それがそのままふさわしいってことになるなら、柚紀さんはお兄ちゃんにふさわしい人だと思います」
「そっか」
「柚紀さんは、お兄ちゃんを変えてくれました。一高に入るまでのお兄ちゃんは、必要以上に人との結びつきを強めようとはしてませんでしたから。もちろん、その理由の一端に私自身のことがあったのも理解してます。それでも、お兄ちゃんにはもう少し外を見てほしいって思ってましたから。だから、柚紀さんには本当に感謝しています」
「なるほど。じゃあ、琴絵ちゃんの中では、もう柚紀は『お義姉ちゃん』なのかな?」
「そうですね、それに近いと思います」
 そう言って琴絵は微笑んだ。
「ただ、そうすんなりとはいかせませんよ」
「ん、どういう意味?」
「だって、私もお兄ちゃんのこと好きですから」
「ああ、そういう意味か。うん、そうだね」
「確かに私は死ぬまでお兄ちゃんの妹ですけど、お兄ちゃんが柚紀さんと一緒になったら今ほど好き勝手言えなくなるじゃないですか」
「うん」
「だから、今のうちにうんとお兄ちゃんに甘えようと思うんです。本当に、心残りのないように」
「琴絵ちゃんはそんな風に考えてたんだ。そっか」
 祥子はなるほどと大きく頷いた。
「祥子先輩は、どうするんですか?」
「私? 私は、ずっと圭くんの側にいるよ。みんなも同じだと思うけど、もう圭くん以外を好きになることなんてできないからね」
「でも、それじゃ……」
「うん、それもわかってる。だけどね、琴絵ちゃん。今のことは圭くんも認めてくれてるんだよ」
「えっ、そうなんですか?」
「前に言ったの。私は結婚できなくても構わない。ただ、圭くんの側にいられるだけでいいって。それに、未婚の母だって構わないって。そしたらね、圭くん、私にずっと側にいてほしいって言ってくれたの。だから、私は圭くんの側にいるの」
「お兄ちゃんがそんなことを……」
 琴絵は、意外というよりは、そういうこともあるかもしれない、そんな表情だった。
「琴絵ちゃんもそうだと思うけど、圭くんとのことで後悔だけはしたくないでしょ?」
「はい」
「だから私は、自分がしたいと思うこと、圭くんにしてほしいと思うことを素直に言うことからはじめてみたの。その結果が、さっきのことだけどね」
「自分に素直に、ですか」
「うん。琴絵ちゃんもいろいろ考えて、圭くんとのことを決めた方がいいよ。たとえ、実の妹でもね」
 
 圭太たちはゴムボートを借り、少し沖合に出ていた。
 午後になっても波は穏やかで、沖合でも比較的安心できた。
「ねえ、ちょっと潜ってみない?」
 柚紀はそう言って用意していたシュノーケルを見せた。
「面白そうだけど、シュノーケルはふたつしかないの?」
「さすがにそうそうないわよ。別にいいんじゃないの、交代で使えば。どうせボートだって見てないといけないんだし」
「それもそうだね」
 圭太もなるほどと頷いた。
「じゃあ、どうしようか。誰が先に潜る?」
「先輩たちが先でいいですよ」
「うん。私もそれでいいと思う」
「私たちはあとで潜ります」
「ということだけど、圭太もそれでいい?」
「僕はいつでも構わないけど」
「それじゃあ、最初は私たちが潜るから」
 圭太と柚紀はシュノーケルをつけ、海に入った。
「じゃあ、ちょっと行ってくるから」
 息を吸い込み、ふたりは海中へと潜った。
 海の中は、陽の光が届く範囲はとても澄んで綺麗だった。
 コバルトブルーとでも呼べるような、青い海がそこに広がっていた。
 海上が波打つことによって海中もキラキラと光り、幻想的な光景を作り出していた。
 珊瑚礁とまではいかないが、それでも珊瑚があちこちに生えており、そのまわりには珊瑚をねぐらにしている魚たちも見えた。
 少し視線を先に向けると、一気に深い青の海が見える。そこは陽の光の届かない海で、素潜りではなかなか厳しい場所でもある。
 それでもその淡い青と深い青の境目などはとても魅力的な光景で、それを見るだけでも潜るかいがあるというものだった。
 しばらくその光景に見惚れていたふたりは、示し合わせて海面へと戻った。
「ふう」
「どうでしたか?」
「すごく綺麗だったよ。心が洗われるような、そんな感じ」
「ん〜、それを聞くと早く見てみたくなる〜」
「じゃあ、次は朱美ちゃんかな。もうひとりは、どっち?」
「できれば泳ぎの上手い方がいいな」
「とすると、詩織かな。はい、これ」
 柚紀からシュノーケルを受け取る詩織。
「あまり無理しないで、適当なところで上がってくるんだよ」
「わかってるよ、圭兄。行こ、詩織」
「それじゃあ、いってきます」
 朱美と詩織が海中に消えると、圭太と柚紀は代わってボートに上がった。
「紗絵は、どうする? 僕と一緒に行くかい?」
「はい、是非」
 紗絵は、一も二もなく頷いた。
「圭太のいいところはその優しさだと私も認識してるけど、たま〜に恨めしく思うのよね〜」
「それって、私のことですか?」
「別に紗絵ちゃんがどうということじゃないわよ。なんとなくだけどね、こう、その優しさを独り占めしたくなることがあるのよ。いつって訊かれると困るけどね」
 そう言って柚紀は微笑んだ。
「だけど、私ひとりじゃ圭太の優しさは重すぎるの。誰かとそれを分けて持たないと、こっちが押し潰されちゃう」
「確かにそうですね。だからこそ、先輩は私たちのことも受け入れられたんでしょうから」
「そう。それが一番の問題なのよね」
 圭太は、ふたりの話を苦笑しつつ聞いていた。
「現在、圭太と関係を持ってるのは八人。とりあえず一高在校中だけでも、これから先この数が増えないって保証は全然ないし」
「そうですね」
「ねえ、圭太。圭太はどう思う?」
「そ、それを僕に訊かれても困るんだけど」
「困るって言っても、セックスするかしないかを決めるのは、最終的には圭太でしょ? だったらある程度はわかると思うんだけど」
「ま、まあ、それを言われるとなにも言い返せないけど……」
 そう言って圭太は視線をそらした。
「正直なところ、どうなの? 今年の詩織みたいに迫られたら、それを断れる自信はあるの?」
 柚紀も紗絵も興味津々というよりは、かなり本気である。
「……詩織は、特殊だと今でも思ってるよ。それこそ、知り合って一ヶ月なんて今でも信じられないし」
「じゃあ、そういうあまりよく知らない人なら大丈夫ってこと?」
「まあ、そうなるかな?」
「……でも、裏を返せば、知り合いなら断れない可能性もあるってことよね?」
「……さ、さあ、どうなのかな?」
 一瞬、圭太の脳裏に幸江の顔が浮かんだ。
「でも、柚紀先輩」
「うん?」
「もうそんなに先輩のことを想ってる人っているんですか?」
「さあ、ちょっと私はわからないかな。ほら、そういうことなら同じ中学出身の紗絵ちゃんの方がわからない?」
「三中だと、やっぱりともみ先輩と祥子先輩がその筆頭でしたから」
「あとは、紗絵ちゃんと」
「そ、そうですね」
「ん〜、まあ、わからないことをここで考えててもしょうがないとは思うけど」
 そう言って柚紀は圭太を見た。
「いずれにしても、圭太がしっかりしてれば問題ないのよね」
「……がんばらさせてもらいます」
「うんうん、よろしい」
 
 砂浜に戻ってきた頃には、風が変わっていた。
 まだ陽は出ていたが、そろそろ夕方の匂いが漂ってきていた。
「ん〜、今日は目一杯遊んだ〜」
「ホントに柚紀先輩、目一杯遊んでましたからね」
「だって、せっかく来てるんだから、もったいないでしょ?」
「確かに」
「僕はこのボートを返してくるから、柚紀たちは先に別荘に戻ってていいよ」
「そう? じゃあ、私たちは先に戻ってるね」
 柚紀たちは一足先に別荘へと戻っていった。
「さてと」
 圭太はボートを抱え、浜茶屋へと向かった。
 しかし、五人乗りのボートはひとりで持ち運ぶには大きい。現に、圭太も後ろを引きずっていた。
 と、そのボートの重みが半減した。
「圭太さん。私も手伝います」
 見ると、戻ったはずの詩織がボートの後ろを持っていた。
「詩織。いいの?」
「はい。それに、この旅行に来てから圭太さんとふたりだけでゆっくり話せていなかったので、ちょうどいいです」
「なるほど」
 ふたりでボートを返すと、詩織がひとつの提案をした。
「少しだけ、歩きませんか?」
 圭太もその提案を受け入れ、しばしの間、砂浜の散歩をすることとなった。
「こうしてふたりだけで歩けるなんて、一高に入るまでは思いも寄りませんでした」
「そうなの? 詩織くらい綺麗なら、そういう機会くらいあったと思うけど」
「むぅ、私ってそんなに軽く見えますか?」
 ぷうと頬を膨らませ、むくれる詩織。
「そ、そんなことないけど……」
「確かに告白されたことはあります。でも、すべて断ってきましたから」
「それは、どうして? だって、僕のことを知る前からあったでしょ?」
「お決まりな言い方をすれば、あわなかったんです、誰とも。みんな、私の見た目だけですから。確かにつきあってみなければわかならいという考え方もあると思います。でも、私が好きになれなければ意味はありませんし。それに、中学生でそこまで焦って決める必要はないとも思ってましたから」
「なるほどね」
「そのおかげで、私はこうして圭太さんと一緒にいられるんですから」
 そう言って詩織は、圭太の腕を取った。
「圭太さんも、中学の頃はよく告白されてたって、聞きました」
「聞いたって、誰に?」
「祥子先輩です。前に私の知らない圭太さんのことをいろいろ教えてもらったんです。祥子先輩曰く、『圭くんは中学の頃からモテてたから、見てる方は冷や冷やだった』って」
「……な、なるほどね」
「ただ、こうも言ってました。すべて断ってはいたけど、あれは相手の子がどうこうの問題じゃなくて、圭太さん自身の問題だったって。それ以上の詳しいことは教えてもらえませんでしたけど。それって、どういう意味だったんですか?」
 詩織は、何気ない口調で訊ねる。
 しかし、圭太はそれをすんなり話すかどうか迷っている。
「圭太さん?」
「多少は聞き及んでるかもしれないけど、僕はね、本当は高校を卒業するまでは誰ともつきあう気はなかったんだ」
「そうだったんですか?」
「そんな僕の考えをともみ先輩や祥子先輩、琴絵は頑なに人を拒んだ考えだって言ってたけどね」
「人を、拒む……」
「確かに、僕は人を拒んでたかもしれない。父さんが亡くなって、家のことはすべて母さんにかかるようになって、僕は少しでも早く母さんを楽にさせたかった。もちろん、金銭面ではどうにもならないから、負担というものを減らしたかったんだ。あと、琴絵のこともあったし。だから、僕は恋人とかそういう個人的なものはできるだけ排除していたんだ。はっきり言えば、邪魔だったからね」
 そう言って圭太の顔には、微苦笑が浮かんでいた。
「今思えば、その考え方は間違ってた。ひとりでできることなんてたかが知れてるし。しかも僕はまだ高校生だからね。それでも、僕はその考えに従って一高まで来たんだ。だけど、そこで僕は柚紀と出逢った」
 ふっと圭太の表情が緩んだ。
「柚紀は、本当に不思議だった。見た感じはちょっとおとなしめなのかなって思うけど、その実はすごく行動派だし。そんな柚紀に突き動かされるように、僕は柚紀を受け入れたんだ。もちろん、それを決心するに至るまでにはいろいろ考えたよ。先輩たちや琴絵、母さんにもいろいろ言われたし。そういうのをすべてひっくるめて、僕は決めたんだ。柚紀の彼氏になって、柚紀を彼女にしようって」
 柚紀とのことを話す圭太は、とても穏やかな表情をしていた。それは、圭太の柚紀への想いの発露とも言えた。
 それがわかる詩織であるから、あえてなにも言わなかった。
「自分で言うのもなんだけど、僕と柚紀はね、パズルのピースなんだよ」
「ピース?」
「そう。片方だけだと意味を成さないけど、ピースがはまった時にはじめてひとつの意味を成す。そんな感じ。実際、僕には柚紀みたいな考え方を持ち、それを行動に移せる人が必要だよ」
「…………」
「柚紀とつきあうようになって、僕も考え方が変わった。人を拒むようなこともなくなったし。まあ、ようするに祥子先輩が言った僕自身の問題っていうのは、そのあたりのことだよ」
 詩織は、神妙な面持ちで小さく頷いた。
「……柚紀先輩が、羨ましいです」
「詩織?」
「圭太さんにそこまで信頼されて、必要とされて」
「別に、羨ましがることなんてないと思うよ」
「どうしてですか?」
「僕は、詩織のこともちゃんと信頼してるし、必要ともしてる。そうじゃなかったら、詩織の想いを受け止めようとは思わないし、ましてや、抱こうとも思わなかった。確かに柚紀は僕に僕にはないものをたくさん与えてくれる。だけど、柚紀と同じように詩織も、みんなも、僕にいろいろなものを与えてくれるんだ。だから僕はみんなを必要としてる。ずっと、側にいてほしいって思うんだ」
「圭太さん……」
「そういうことでいいと、僕は思うよ」
「そう、ですね。私もそう思います」
 圭太に励まされ、詩織はにっこり微笑んだ。
「圭太さん」
「うん?」
「私、もっともっと圭太さんに信頼され、必要とされるような、そうですね、パートナーを目指します。だから、圭太さんも私にたくさんのものを与えてください。それが、私の原動力となりますから」
「僕でよければ喜んで」
「はいっ!」
 そろそろ水平線に陽がかかろうかという砂浜に、詩織の笑顔が輝いていた。
 
 その日の夕食は少しばかり豪勢だった。次の日には帰ることを考えれば、それも頷けることだった。
「ほらほら、圭太。どんどん食べて」
 昼寝をしていたともみは、一番元気だった。
「十分食べてますよ」
「そんなこと言わないの。ほら、まだこんなにあるんだから」
 そう言って海鮮ピラフを皿に盛った。
「ともみ先輩。無理に食べさせてもダメですよ」
「別に無理なんてさせてないわよ。ね、圭太?」
「は、はあ……」
 和気藹々とした雰囲気の中、夕食は進んでいく。
「そういえば、圭太」
「うん?」
「昨日言ってたことって、なに? ほら、明日の夜にどうとか言ってたでしょ」
「ああ、そのこと。じゃあ、ちょっと待っててくれるかな」
 そう言って圭太は食堂を出て行った。
 次に戻ってきた時は、手に封筒を持っていた。
「それは?」
「これが昨日、僕がやってたことだよ」
 封こそされていないが、中にはちゃんと手紙が入っていた。
「みんなに一通ずつあるから」
 そう言って圭太は、それぞれに一通ずつ封筒を渡していく。
「なにが書いてあるの?」
「それは、見てのお楽しみということで。できればあとで見てほしいかな」
 笑う圭太。
「悪いことはなにも書いてないよ」
「別にそんなことは思ってないけど」
「まあまあ、それはあとにして。とりあえず夕食を済ませよう。このあと花火もするんでしょ?」
「そうね。とりあえずそうしよ」
 
 夕食後、しっかり陽が沈んでから圭太たちは別荘の前で花火をはじめた。
 このために買い揃えた花火の数は、優に三桁を超えていた。
 人数が多いため火種であるロウソクを三本用意した。
 あとはおのおのが好きな花火をするだけである。
「ん〜、綺麗だね〜」
 色とりどりの光が、闇の中に幻想的な光景を創り出す。
 一瞬たりとも同じ光景はない。
 紅、青、緑、黄、橙、紫……
 様々な色が新たな色を創り出し、それが現実だとは思えないほどである。
「ねえ、圭太」
「ん?」
「どうして私たちに手紙なんて書こうと思ったの?」
「さあ、どうしてかな。正直なところは、僕にもわからないよ。ただ、ふとそうしようって思いついて」
 圭太は、花火に火を点けながら言った。
「まだ、読んでないよね?」
「うん。そんな時間なかったし」
「そっか。じゃあ、あとでしっかり読んでみて」
「なにが書いてあるの?」
「それはさっきも言ったけど、見てのお楽しみだよ」
「そう言われると、すごく気になるんだけど」
 柚紀は渋い顔で花火を見つめる。
「そうだね。じゃあ、柚紀にだけ特別に少しだけ教えてあげるよ」
「いいの?」
「どうせ読めばわかることだし」
 柚紀はちょっと意外という感じで圭太を見た。
 圭太は消えてしまった花火を新しいのに持ち替え、それから話しはじめた。
「基本的には、柚紀たちに対する感謝の言葉が書いてあるんだよ」
「私たちに対する、感謝?」
「うん。具体的になにに感謝してるかは、読んでみて」
「うん、わかった」
「ふたりだけでなにを話してるの?」
 と、そこへ琴絵がやってきた。見ると朱美も一緒である。
「ん、たいしたことじゃないよ」
「ええ〜っ、内緒なの?」
「ふふっ、すぐにわかることだけどね」
「そうなの、お兄ちゃん?」
「まあ、さっきの手紙のことだから」
「あっ、そうなんだ」
「やっぱり圭兄は、柚紀先輩は特別扱いなんだね」
「それはやっぱりね」
 圭太もあえてそれを否定しなかった。
「ほらほらふたりとも。今はそれよりも花火を楽しまないと。まごまごしてると、点ける花火がなくなるわよ」
 確かに、あれだけあったはずの花火がかなり減っていた。
「あっ、ホントだ。朱美ちゃん、なくなる前に確保しとかなくちゃ」
「そうだね」
 ふたりが離れると、柚紀は穏やかな笑みを浮かべた。
「ありがと、ちゃんと特別扱いしてくれて」
 そして、圭太の頬に軽くキスをした。
 
 前日と同じように女性陣は全員揃って入浴タイムだった。
「それにしても、今回の旅行は当初の思惑とはずいぶんと違うものになりましたね」
「うん、そうだね。最初はみんな、圭くんと一緒にいることだけ考えてたのに、実際はみんな一緒にいることの方が多くて」
「いいじゃない、それだけ親睦を深められたんだから」
「そうですね。私もよりいっそうみんなのことがわかりました」
 柚紀、ともみ、祥子はそう言って笑う。
「でも、柚紀。本当によかったの、これで?」
「どういう意味ですか?」
「だってさ、やっぱり圭太とふたりきりの方がよかったわけでしょ? それこそせっかくの休みなんだから」
「確かにそれはそうなんですけどね」
「今の柚紀にとって、圭太ってそのすべてでしょ?」
「はい」
「なら、やっぱり私たちはいなかった方がよかったと思うけど」
 柚紀はおとがいに指を当て、少し考えた。
「正直に言えば、そうだと思います。昨日祥子先輩にも言ったんですけど、私ならいつでも圭太とふたりきりになれますから。だから、今回はいいやって思えたんです」
「ふ〜ん、なるほどね」
 ともみは大きく頷いた。
「先輩も柚紀も、圭くんのことはそのくらいでいいんじゃないですか?」
「ん、どうして?」
「旅行は、もう明日で終わりなんですから」
「ま、それもそうね」
「ああすればよかった、こうすればよかったというのは終わりにして、最後まで楽しみましょう」
「よしっ!」
「ともみ先輩?」
「みんなで背中の流しっこをしましょ」
「背中の流しっこですか?」
「そうよ。親睦を深めるのにはちょうどいいでしょ?」
「面白そうですね」
「やりましょう」
 そして、洗い場に七人が輪になって並んだ。
 ちなみに順番は柚紀→紗絵→ともみ→朱美→祥子→詩織→琴絵というものだった。
「ん〜、やっぱり若いっていいわね」
「な、なんですか?」
 朱美の背中を流していたともみがそんなことを言う。
「だって、肌の張りが違うもの。たった三歳。されど三歳、か」
「え、えっと……」
「ともみ先輩。年のことはどうしようもないんですから、嘆かないでください」
 柚紀はやれやれと肩をすくめた。
 いずれにしても、女性陣の友情がますます深まったのは、間違いないなかった。
 
 女性陣が風呂から上がると、圭太が声をかけてきた。
 そのまま全員を食堂に案内する。
 するとそこには──
「アイスだ」
 アイスが用意されていた。
「どうしたの、これ?」
「作ってみたんだけど。ほら、小学校の頃に塩を使ってやった実験があったでしょ? あれをちょっと応用してね」
 圭太は少し照れながら説明した。
「んもう、圭太ってば、ホントになんでもできちゃうんだから」
「まあまあ、とりあえず食べてみてよ」
 そう言ってみんなを席に着かせる。
「じゃあ、いただきます」
 スプーンで一口すくい、食べる。
「んっ、美味しいっ」
「ホント、美味しい」
「これって、レモン?」
「レモンエキスをちょっと入れてみたんだけど。それだけでだいぶさっぱりすると思うし」
 レモンアイスは、すこぶる評判だった。
 本当なら風呂上がりのアイス、寝る前のアイスは敬遠されるのだが、この女性陣にはそんなことは関係なかった。
「それじゃあ、僕は風呂に入ってくるけど、みんなはゆっくりしてて」
 そう言って圭太は風呂へと消えた。
「はあ、どうして圭太ってこんなになんでもできちゃうんだろ」
「それに、気が利きすぎなのよ」
「今のままだと、この場にいる全員がかりでも勝てないかもしれませんね」
「……それ、シャレにならないから」
「まあでも、それはそれでいいと思いますよ」
「どうして?」
「それが、圭太と私たちのつきあい方だと思いますし」
「ふむ、なるほど。そういう考え方もあるわね」
「だから、今は素直に圭太の厚意に甘えましょう」
「了解」
 
 それぞれが眠りに就く前、圭太から渡された手紙を読んでいた。
 手紙は便せんに二枚ほどの普通のものだったが、その中身は普通ではない。特に、彼女たちにとっては。
 圭太は紗絵が読むのに邪魔にならないように、部屋を出ていた。
 リビングの窓を開け、星空を眺めている。
「これはこれでよかったのかな」
 そうひとりごち、苦笑した。
「明日で終わりか……」
「そうよ、明日で終わりなのよ」
 そこへ、柚紀がやってきた。
「柚紀。どうしたの?」
「ん、なんとなくここにいるんじゃないかと思ってね」
「そっか。やっぱり柚紀には僕の行動はお見通しだね」
「当然でしょ」
 そう言って柚紀は微笑んだ。
 柚紀は、圭太の隣に座り、寄り添った。
「読んでくれた?」
「うん。でも、あれは反則」
「反則? どうして?」
「あんなこと書かれたら、なにも言えなくなっちゃうもん」
「そうかな? 僕の本心しか書いてないんだけど」
「だからなの。もう少し作った中身でもよかったのに」
 柚紀の物言いに、圭太は首を傾げた。
 圭太としてはよかれと思ってやったことなのだが、それを柚紀は全面的には認めていない。否定しているわけではないが、微妙な感想である。
「みんなのも同じようなものなの?」
「基本的にはね。ただ、それぞれに感謝したいことは違うから、言い回しとかは微妙に違うよ」
「そっか」
「それに、便せん四枚も使ってるのは、柚紀だけだよ」
「えっ、そうなの?」
「うん。ほかは多くても二枚半くらいだから。だけどね、本当は柚紀には手紙ではとても書ききれないくらい、たくさんの感謝したいことがあるんだ。手紙は、その中の抜粋って感じだね」
 微笑む圭太。
「……んもう、ホントに圭太は」
「そういうのは、イヤ?」
「ううん、イヤじゃない」
 圭太は柚紀を抱き寄せ、キスをした。
「圭太、エッチ、しよ」
「ここで?」
「ううん、こっちで」
 柚紀は、圭太を引っ張って風呂場へとやって来た。
「ここなら、大丈夫でしょ?」
 そう言って柚紀は、自分からキスをした。
「ん……ふ……」
 圭太はキスをしながら、結っていた柚紀の髪をほどく。
「あ、ん……今日の圭太、優しいね……」
「そうかな?」
「うん、優しい……」
 柚紀は、幸せって顔で応える。
「じゃあ、その柚紀の期待に応えないとね」
 そう言ってティシャツの上から胸に触れた。
「や、ん……ん……」
 同時に首筋にキスをする。
 ティシャツをたくし上げ、直接胸に触れる。
「感じてるね、柚紀」
「だ、だって、気持ちいいんだもん、あん」
 固く凝っている先端の突起を、指でいじる。
「んんっ、あん、もっと、もっといじって」
 次から次へとやってくる快感を、さらにどん欲に求める。
「あ、ん、もうダメ……立ってられない……」
 そう言って柚紀はその場にへたりこんだ。
「ね、ねえ、圭太」
「うん?」
「ひとつ、お願いがあるんだけど」
「お願い?」
「優しくしてくれるのはすごく嬉しいんだけど、でもね、今の私だとすぐに感じちゃうから、もう少しいつも通りでお願い。我慢できなくなっちゃうから」
「わかったよ」
 圭太は小さく頷いた。
 スパッツの上から秘所を擦る。
「ん……」
 柚紀は、声が大きくなりすぎないように手で口を押さえている。
「脱がすよ?」
「うん……」
 スパッツとショーツを一緒に脱がせてしまう。
「もうこんなになってるよ」
「やん、言わないでぇ……」
 少し指で触れただけで、奥から蜜があふれてくる。
「ああん、ん、気持ちいいっ」
 指で触れる度に嬌声が上がる。
 それほど動かしもしていないのに、圭太の指は蜜でびしょびしょだった。
「そろそろいいかな?」
「うん、きて……」
 圭太も短パンとトランクスを脱ぐ。
 怒張したモノを秘所にあてがう。
 そして、そのままゆっくりと挿れる。
「あああ、圭太ぁっ」
 程なく、柚紀の中が圭太ので満たされた。
「圭太……動いて……」
「うん」
 圭太はゆっくりと腰を動かした。
「あ、はん、んんっ、いいっ」
 最初はゆっくり。次第に速く。
「圭太っ、もっとっ、もっとっ」
「柚紀っ」
「あんっ、ああっ、んんっ、んくっ」
 圭太の動きにあわせて柚紀も動く。
「ダメっ、もうイっちゃうっ」
 圭太にしがみつき、快感の波に流されていく。
「圭太っ、圭太っ、んんんっ!」
「柚紀っ!」
 そして、ふたりはほぼ同時に達した。
「はあ、はあ、いっぱい出たね……」
「はぁ、はぁ、うん……」
「嬉しいよ、圭太……」
 そう言って柚紀は圭太にギュッと抱きついた。
「大好き、圭太……」
 
 次の日。
 出発は昼過ぎということで、午前中はのんびり過ごすこととなった。
 その午前中のこと。
「結局、彼女には勝てなかったわけか」
「しょうがないですよ。それに、最初から勝負になってませんから」
 ともみと祥子は、リビングのソファで眠っている圭太と柚紀を見て、そう言った。
「でもまあ、これはこれでいいのかもしれないわね」
「どういう意味ですか?」
「だってさ、この圭太の幸せそうな顔。隣にいるのが自分でもさせられると思う?」
「半々ですね」
「柚紀なら百よね」
「…………」
「…………」
 ふたりは、沈黙した。
「ともみ先輩、祥子先輩」
 そこへ、紗絵が声をかけた。
「ん、どうかした?」
「あの、みんなと考えたんですけど、圭太先輩になにかお返ししないといけないかなって」
「お返し? ああ、昨日の手紙のこと?」
「はい。それで、先輩たちも一緒にどうかと思ったんですけど」
「うん、いいと思うよ。私は賛成」
 祥子は、一も二もなく頷いた。
「ともみ先輩はどうですか?」
「ん〜、それ自体はいいと思うんだけど、六人も揃ってなにをするっての?」
「それは、まだ決まってません。ただ、なにかしようってことだけ決めました」
「なるほどね」
 そう言って改めて圭太を見る。
「圭太へのお返し、ね」
「ともみ先輩も一緒にやりましょう」
「そうね。それはそれで面白そうだし。いいわ、やりましょ」
「わかりました」
「で、紗絵にひとつ確認」
「はい、なんですか?」
「誰が言い出したの?」
「誰が、というわけではないです。私たちで話していたら、いつの間にかそういう話になっていて」
「そ。じゃあ、紗絵、あなたが音頭を取ってやりなさい」
「わ、私ですか?」
「そうよ。誰が音頭取ってもそれほど変わらないとは思うけど、それでも多少は違うと思うし。それに、ちゃんとやれば少しは圭太にいいとこ見せられるんじゃない?」
「…………」
 実に甘美な誘惑である。
 誰もが圭太にいいところを見せたくてしょうがないのである。ともみもそうだからこその口説き文句である。
「わかりました。私がやります」
「OK。とりあえず、圭太の誕生日くらいをメドに決めていけばいいと思うから」
「あっ、そうですね。誕生日にあわせるというのがいいですね」
「先輩からのアドバイスは以上よ。あとは、がんばって」
「はい」
 紗絵は笑顔で頷き、戻っていった。
「性格は人それぞれでも、圭太に対する想いだけは同じだからね」
「含蓄のあるお言葉です」
「こぉら、祥子。茶化さない」
「ふふっ、すみません」
「でも、あの子たちの真っ直ぐな考え方は、ちょっと見習いたいわ」
「そうですね」
「とはいえ、負けるつもりはさらさらないけどね」
 そう言ってともみは笑った。
 
 昼過ぎに別荘を出て、夕方前の飛行機で羽田に戻った。
 あとは電車を乗り継いで帰るだけである。
 帰りの電車では、今度は逆に、圭太と柚紀以外はみんな眠っていた。
「短い休みもこれで終わりか」
「そうだね。あさってからは合宿だし」
「また忙しい日々のスタートね」
「今年も全国行きたいからね。がんばらないと」
「うん」
 こうして、夏休みの短い休みは幕を閉じた。
inserted by FC2 system