ありがとう
 
「かずくん」
 教室でボーっとしていると、声をかけられた。まあ、オレのことを『かずくん』などと呼ぶのは、この学校内にひとりしかいない。
「……ん〜、どうした、舞〜?」
 なんとなくやる気が起きず、オレは机に突っ伏したまま応えた。
「んもう、かずくん、もうちょっと真面目にやろ〜よ〜」
 そう言ってなぜかむくれる舞。オレのことなんだから、どうでもいいと思うんだが。
「で、なんだ? 用がないなら、オレは寝る」
「ああ、ちょっと待ってよぉ。用があるから声かけたんだからぁ」
 オレが目を閉じようとすると、舞は慌ててそれを止める。
「あのね、今日の放課後、お買い物につきあってほしいの」
「カイモノ〜? なんでオレなんだ? んなの、暇そうな女友達とでも行きゃいいじゃんかよぉ」
「えっと、それは……」
 どうやら、なにかあるらしい。まったく、こいつは昔からまったく変わらん。
 
 オレ──高山和史と森沢舞は、いわゆる幼なじみである。その縁はかなり古く、保育園にまでさかのぼる。オレも舞もその頃は別に他人などどうでもよかったのだが、親はそういうことはない。たまたまうちの親と舞の親が話したら、家が近かった。そこからつきあいがはじまった。
 高山家と森沢家は表と裏、そんな感じで接していた。もちろん、両家の玄関に行くためには、道を大きく迂回しなくてはならない。
 ただ、つきあいだしてからは庭を通っての行き来ができるようになった。うちのバカ親も舞の両親も、どこか規格外な人間だからだろう。
 オレたちはごくごく自然に毎日を過ごしてきた。保育園、小学校、中学校。本当に一緒だった。小学校六年間で舞と同じクラスになったのは、四年間。これはかなりの高確率である。中学校はその反動か、一年間しか同じではなかった。
 そんなオレたちに訪れた危機。それは高校受験だった。舞はオレと比べて頭が数倍いい。だからどの高校でも楽々入学できた。しかし、オレは無理だった。ただ、それでもオレのせいで舞に迷惑をかけるのがイヤで、最後まで志望校を伝えなかったくらいだ。
 ただ、結果的にオレの成績は伸び、奇跡的な結果で現在の高校へ入学できた。
 で、高校でも舞と同じということになった。
 一年、二年と同じクラスで、ここまで来ると腐れ縁などとは言えない。
 舞は、幼なじみというメガネを外してみても、かなりカワイイとか綺麗とか、そういう部類に入ると思う。実際、男子の間ではかなりの人気がある、らしい。容姿抜群、成績優秀、おまけに性格もいい。まあ、これで人気が出ない方がおかしいか。
 で、そんな舞も、明るいとか優しいとか、そういう面を抜かして欠点として、自分の意見をはっきり言えないというものがあった。それは本当に昔からで、慣れているオレはまだいいんだが、ほかの連中にはもどかしく感じる部分も多いと思う。
 それは今日まで続いている。
 
「なんだ、言い出しにくいことなのか?」
「あ、そんなことも、ないんだけど……」
 そう言いながら舞はうつむいてしまう。長い髪がさらさらと流れた。うぐっ、不覚にも見とれてしまった。
 普段はできるだけ意識しないようにしているが、こいつは凶悪なくらい見てくれがいいから。
「ちっ、ほれ、舞。ちょっと出るぞ」
「あっ、かずくん」
 見かねたオレは、舞を教室から連れ出した。
 休み時間の廊下は、それなりに生徒がいた。とはいえ、教室よりはましだと思う。
「で?」
「……あの、ね、洋服を、買おうと思うの」
「服? だったらなおさら──」
「ううん、違うの。かずくんに、選んでほしいの」
「えっ……?」
 オレは、自分の耳を疑った。
「お、おい、なんでそんなことを……」
 いや、それは本当はわかっていた。
「だって、私が見てもらいたいのは、かずくんだけ、だもん」
 ささやくように、舞はそう言った。
「舞……」
「だから、お願い、かずくん」
 ここまで言われて断れる奴がいるとは思えない。
「……しょうがねぇ、わかったよ」
「ホント? あはっ、ありがと、かずくん」
 舞は、満面の笑みを浮かべた。不覚にも、やっぱり見とれてしまった。
 
 放課後。オレは複雑な気持ちでその時間を迎えていた。その原因はやはり舞にある。あの休み時間に言われたことが頭の中にずっとあって、そればかり考えていた。
 カバンに教科書とかぶち込んで、少し前の方を見る。そこではオレと同じようにカバンに教科書なんかを詰め込んでいる舞の姿があった。
 こうして後ろから見ていても、オレは舞を舞だと判別できる。同じような髪、髪型、背格好でも、きっと大丈夫だと思う。自慢できることではないが、それだけは大丈夫だと言える。
 と、舞と目があった。舞はニコッと微笑むと、カバンを持ってこっちへ来た。
「かずくん、もう大丈夫?」
「ん、ああ、大丈夫だ」
「じゃあ、行こ」
 
 いつもより少しだけ遅いペースで自転車をこぐ。まあ、このスピードは舞と一緒に走ってる時のスピードだ。別に大変でもない。むしろ、舞の方が大変かもしれない。
 ただ、オレはできるだけ速く走りたかった。そうすれば、舞の髪が風で揺れるから。その様が好きで、少し酷なことをしている。
 うちの高校から駅前商店街まで、自転車で二十分くらい。途中はほとんど住宅街で、面白味もなにもない。たまにこうして商店街へ出るから、目新しいこともない。
 そんなどうでもいいことを考えていたら、いつのまにか到着していた。
 無料駐輪場に自転車を止め、舞の目当ての店へ向かう。
「なあ、舞」
「ん、なぁに?」
「なんで急にこんなことになったんだ?」
「あ、うん、それは……あとで話すよ。ちょっと長くなるし」
 そう言って舞は誤魔化した。
 まあ、無理に理由を聞こうとは思ってないからそれはそれでいいんだが。
 目当ての店は、駅前ショッピングモールの一角にあった。確か最近雑誌かなにかで取り上げられていた気がする。
 店内は平日にも関わらず、それなりの客がいた。中にはオレたちみたいに高校生らしき連中もいる。
 舞は、一直線に目当ての場所へ。そこは、ワンピース売り場だった。とはいえ、別にワンピースだけあるわけでもない。似たような、ようは吊さないと置いておけないようなものが揃っているコーナーだった。
 舞はさっそく物色を開始する。で、オレはなにもすることがない。それはそうだ。ここは女物しかないのだから。
 手持ちぶさただが、きょろきょろするのもみっともない。自然と舞のことを目で追っていた。
 いくつかの服を手に取り、時々首を傾げている。たまに当てて見ている。くるくると表情が変わる様が、見ていて楽しい。
 と、何着か候補を決めて持ってきた。
「かずくん。これ試着してみるから、感想、言ってね」
 今度は試着室へ。五つある試着室は四つが使用中だった。舞は、一番左側の空いている試着室に入った。
 で、またも手持ちぶさたに。どうも、オレはこういう雰囲気には慣れない。
 試着室の中から、ごそごそと衣擦れの音が聞こえてくる。なんとなくそれを想像しそうになり、慌てて頭を振った。
 少しして、カーテンが開いた。
「おっ……」
 それは、淡いピンク、いや、桜色のワンピースだった。シンプルな造りで、スカートもストレートだった。
「どう、かな?」
 裾をちょこっとつまみ、オレに訊ねる。
「に、似合いすぎだ」
 思わず本音が出た。しかし、今更それを取り消せはしない。
「じゃ、じゃあ、次ね」
 それを察してか、舞はそそくさと次の試着をはじめた。
 次はパフスリーブの少しフレア気味の萌葱色のワンピースだった。これまた激似合いすぎ。
 次はロングスカートタイプのワンピース。色は薄い青。これも似合いすぎ。
 ほかにも何着か着たが、結局どれもこれも似合っていた。というより、それは最初からわかっていたことだった。舞は見てくれがいいから、どんなものを着ても似合う。たとえそれが野暮ったいものでも、舞が着れば洗練されてしまう。
 だからオレはそれ以上はなにも言えなかった。
「それで、結局どうするんだ?」
「う〜ん、そうだねぇ……」
 悩んだあげく、舞は一番最初に着た桜色のワンピースを買った。ここでさっと金を出せればいいんだが。今のオレの財政状況ではそれは無理だった。
 店から出た舞は、ニコニコと嬉しそうだった。なんとなくその気分を害したくなく、オレは黙っていた。
 それからオレたちは甘味処に入った。そこもちょっと有名な甘味処で、時間によっては並ぶこともある。
 オレは宇治金時ソフトを、舞はフルーツあんみつを頼んだ。
「で、さっきの話なんだけどさ、なんでこんなことになったんだ?」
「あ、うん……」
 あんみつをかき混ぜながら、舞は言った。
「今度ね、クラスの女子で集まりがあるの」
「集まり? 別にそんなの普通じゃないのか?」
「集まり自体はね。でも、その趣旨が違って」
「どんな趣旨なんだ?」
「えっと……彼氏、がいる子限定……」
「は……?」
 オレは、自分の耳を疑った。今、舞はなんて言った?
「ちょ、ちょっと待て。なんでそんな集まりにおまえが出るんだ?」
「それは、その……断り切れなかったというか、否定しきれなかったというか……」
 なるほど、だいたいわかった。確かにオレと舞は四六時中一緒にいるから、そういう風に見られても不思議じゃない。だから、それを見ているうちの女どもが舞にそういう話を持ってきたんだろう。舞はなんといっても人が良い。断ることなんてできない。ましてや圧しに弱い。
「じゃあ、なにか? そこに着ていく服は彼氏に選んでもらったもの、ってところか?」
「……うん」
 はあ、つくづく女って生き物はわからん。なんでそんなことしたがるのか。男なら絶対にあり得ない。彼女もちの男だけが集まっても、それはそれで虚しいと思う。
「ま、理由はわかった。で、本当にそれだけなんだろうな? ほかにもまだなにか隠してるんじゃないだろうな?」
「あ、えっと、その……実は」
「おいおいおい、マジであるのか?」
「服以外でなにか、彼氏にもらった、あるいは贈ってもらった、あるいは買ってもらったものを持ってくるって」
「…………」
 さすがに頭が痛くなってきた。ここまでやるのか?
「あ、うん、それは大丈夫。だって、毎年かずくんからはお誕生日にプレゼントもらってるから。それを使うよ」
 なんか、それはそれでイヤだな。ちっ、しょうがない。
「ああ、もう、わかった。なにか買ってやるから」
「えっ、いいの?」
「最初からそのつもりだったんだろ?」
「……あ〜、うん、ちょっとだけ」
「ったく……」
「やっぱり、かずくんは優しいね。だから私は……」
 ささやくように言った言葉は、かろうじてオレには届かなかった。届いていたら、きっと冷静ではいられなかっただろうから。
「じゃあ、食べたら買いに行くか」
「うんっ」
 
 甘味処を出たオレたちは、ついでにショッピングモールからも出た。
 駅前の商店街には、それなりの数の店が揃っている。近隣でも比較的大きな規模で、買い物のためにここまで来る人もいるくらいだ。
「なあ、なんかほしいものあるか?」
 店頭ディスプレイを見ながら、オレは訊いた。
「えっと、あるにはあるけど……」
「ん、そうか。なら、それを買いに行こう」
「でも、高いと思うよ」
「……どのくらいだ?」
「かずくんの今のお小遣い、いくら?」
「月額四千円」
「五ヶ月分」
「…………」
 めまいがした。
「だ、だから、それはいいよ。うん、今、それのためにお金も貯めてるし」
「そ、そうか」
 さすがに二万は無理だ。実際、オレの財布の中には現在、五千円しか入っていない。四分の一だ。
「ほかにはないのか?」
「ほかは……あっ、うん、あるよ」
「それは、高いのか?」
「ううん、常識的な値段だと思うよ」
「よし、それにしよう。どこに行けば売ってる?」
「えっと、あそこかな?」
 そう言って舞が指さしたのは、なんでも売っている店、まあ、ディスカウントストアとも言う。
 オレたちは、その店に入った。
 店内はとても活気があり、なんとなくそれだけで購買意欲をそそられる。
 舞は店内案内を確認し、そのコーナーへ向かう。それがなにか教えてくれないから、オレにはわからない。
 そして舞が立ち止まったのは、小物のコーナーだった。実に様々なものがある。
「どれがほしいんだ?」
「ん〜、っと、あっ、あった」
 舞が手に取ったのは、フォトスタンドだった。どこにでもある、本当に普通のフォトスタンド。
「そんなのでいいのか?」
「うん。実はね、うちにあるこれがもうなくなって、新しいのがほしかったんだ」
 値札を見ると、880円と書いてあった。
 しかし、そんなにフォトスタンドばかり、なに使うんだ?
 オレは、疑問を投げかけてみた。
「かずくん、忘れちゃったの? 私の机の上とか、棚とか」
「……ああ、そういえば」
 オレたちはことあるごとに写真を撮っていた。オレはそれ自体をどうこうする気はなかったのだが、舞は違った。それを丁寧にフォトスタンドに入れ、わざわざ飾っているのだ。
「かずくんとの写真、まだまだ増えると思うから」
 ニコニコとそう言う。
 しかし、それを買うのはいいんだが、それだけというのはやはり気が引ける。オレがケチみたいだ。
 オレはあたりを見回し、ある場所に目をつけた。
「舞、ちょっと」
「えっ?」
 そこは、小物コーナーとは違う。
「えっと、かずくん?」
「舞は、髪を結んだりしないよな?」
「あ、うん、そうだね。結うのは、体育とかちょっと邪魔な時くらいかな。でも、それが?」
「……たまに、違う髪型にでもしてみればいい」
「えっ……?」
 そこは、リボンなど、髪に使うものがあるコーナーである。リボン、カチューシャ、髪留めピン、カーラー。本当にいろいろある。
「……かずくん、この髪型、嫌いなの?」
「ち、違うって。それはそれで好きだけど、たまには違うのもいいと思っただけで」
 オレはなにを言っているんだ?
 舞が髪を伸ばしているのは、オレのためだ。オレが昔、髪が長くて綺麗な女の人が好きだなんて言ったから。それを未だに守っている。
「そっか……」
 舞は、小さく頷いて、リボンを手にした。薄い紫のリボンだった。
 ひとつに結んでも、ポニーテールにしても、似合うだろうと思った。
「ねえ、かずくん」
「ん?」
「はじめてだよね、かずくんからそういうこと言ってくれたの」
「……そうか?」
「うん。だから、ちょっと嬉しいな」
 やはり舞はニコニコと嬉しそうである。
 結局舞は、リボンを数本と、カチューシャをひとつ選んだ。たぶん、それはわざわざここで買わなくてもよかったものだと思う。実際、舞は髪を結ぶためにほかのものを持っているはずなのだから。
 だけど、なんとなく今ここで、買ってやりたかった。
 オレは舞から商品を預かり、レジを通した。全部あわせても二千円にもならない。
 紙袋に入ったそれを、舞に渡す。
「かずくん、ホントにありがと」
 まともに舞の顔が見られず、オレは曖昧に頷くだけだった。
 それから少しだけウィンドーショッピングをして、オレたちは帰路に就いた。
 陽はすでに西に傾き、気温も幾分下がっていた。
 駅前から自宅近くまで来る。このあたりは完全に住宅街である。
 学校帰りの小学生や中学生、高校生にも出会う。
 そんな中、舞はちょっと手前の公園で止まった。
 公園では、小学生とおぼしき連中が遊んでいた。
「どうした?」
「ちょっとだけ、寄っていこ」
 そう言って自転車を止め、中に入っていった。オレも、それに続く。
 少し大きい公園だけに、ベンチなどもしっかり設置されていて、オレたちはそこに座った。
 広場からはガキどもの声が聞こえてくる。
「……かずくん」
「ん?」
「ごめんね、変なことに巻き込んじゃって」
「いや、それはもう気にしてない」
 舞は、申し訳なさそうにうつむいている。別に舞が悪いわけではないのだが。
「かずくんには、迷惑だよね、私の彼氏だなんて」
 突然なにを言い出すかと思えば。こいつは……
「ただ単に幼なじみで一緒にいるだけなのに。それで間違われて」
「……舞は」
「えっ……?」
「それでいいのか?」
「それでって、幼なじみでってこと?」
「ああ」
「……それは、よくないよ。でも、それは私だけがそう思ってることだから」
「……まったく」
「えっ、あ……」
 オレは、自然に舞の肩を抱いていた。
 華奢な体が、一瞬ビクッと震えた。
「そういうことはもっと後に言おうと思ったんだけどな、しょうがない」
「あ、待って」
「ん?」
「ちょっとだけ、気持ちを落ち着かせるから」
「ダメ、待たない」
「えっ、ひ、ひどいよ〜」
 そして、オレは言った。
「オレが好きで、恋人同士になりたいのは、森沢舞だけだ」
「かずくん……」
 それは、もうずっと前から思っていたことだった。見てくれとかそういうのも含めて、オレは『森沢舞』という女の虜だった。だから、オレのそういう相手は、舞以外考えられなかった。そして、そのことは高校卒業の頃にでも言おうと思っていたのだが。
「……私も、かずくんのこと、大好きだよ」
 それが、舞の答えだった。もう、ずっと前からわかっていた答えだった。
 オレは、舞がどれだけ多くの告白を断ってきたか、知っている。舞はそれをオレが知らないと思ってるはずだが。
 うぬぼれだと言われるかもしれないが、それはオレへの想いを貫くためだと理解している。
 だから、こうなるのは、もうわかっていたことだった。ただ、その一歩がなかなか踏み出せなかっただけで。
「ふふっ、嬉しいなぁ。私、かずくんの彼女になれたんだよね?」
「ああ」
「夢がひとつ、かなったよ」
「ひとつって、ほかにもあるのか?」
「うん。でも、それは秘密。言っちゃうと面白くないから」
 なんとなく想像できるのだが、あえて言わないでおこう。
「ねえ、かずくん」
「ん?」
「お願い、聞いてくれる?」
「お願い?」
「うん」
 舞は、まっすぐオレを見つめ、言った。
「キス、して」
 
 ふれあうだけのキス。
 それだけでも、オレたちには十分すぎた。お互いを意識するには、本当に十分すぎた。
 しばらくなにも言えず、黙ったまま。
 それがしばらく続き、やがてどちらからともなく、笑った。
「じゃあ、帰ろ、かずくん」
「ああ」
 そして、オレたちは公園の出口まで手をつないで歩いた。
 はじめてつないだ手は、小さく、だけど、暖かかった。
 少しだけ恥ずかしかったけど、でも、それがこれからの当たり前になるのだと、オレは思った。
 
 彼氏彼女の関係になって、オレたちは少しだけ素直になれたと思う。特にオレは。
 学校でもオレたちのことは、ちょっとだけ話題になった。というより、舞のことで話題になった。
 舞は、うちの高校でもかなり高いレベルにいたから、オレへの嫉妬なんかはすごかった。
 ただ、大半はこうなることがわかっていたらしく、ああやっぱり、という感じだった。
 あれ以来、オレたちは登下校はもちろんのこと、いつも一緒にいた。
 それまでも結構一緒にいたけど、それまでとは心情が違った。
 単なる幼なじみと、恋人同士。もう天と地ほどの差があった。
 そんなオレたちの楽しみが、昼休みの屋上だった。うちの高校は屋上は普段から開放されているのだが、生徒にはあまり人気がない。それはやはり、コンクリートむき出しの上に、ベンチなどがないからだろう。
 だからこそオレたちはここを使っていた。
「ん〜……」
 舞の手が、オレの髪を撫でる。それだけですごく心地が良い。
 レジャーシートを敷いた上に舞が座り、その舞に膝枕をしてもらうオレ。
 以前なら恥ずかしくてとてもできなかったことだが、今は自然にできていた。
「ねえ、かずくん」
「ん?」
「今度の日曜日、どこか行かない?」
「ん、いいんじゃないか。別にオレも用はないし。どこか行きたいところでもあるのか?」
「別にこれといってないんだけど。私はかずくんと一緒だったら、どこでもいいの」
 そう言って舞は微笑んだ。
 見上げていると、その微笑みも少し違って見える。
「じゃあ、前日までにどこに行くか決めないとな」
「うん」
 穏やかな陽差しが、オレたちに降り注ぐ。適度な柔らかさの枕で横になっていると、自然とまぶたが落ちてくる。
「そういや、おじさんとおばさんはなにか言ってたか?」
「ん、別になにも言ってなかったよ。お父さんもお母さんも、それが当然みたいな顔してた」
「そっか」
「かずくんの方は?」
「うちも同じだよ。それどころか、舞に振られたらもう誰にも相手してもらえないんだから、せいぜい愛想尽かされないようにしろって、ありがた〜い言葉をもらったよ」
「ふふっ、それは余計な心配だよね。だって、私はかずくん以外を好きになることなんて、ないもん」
 それはきっと、本当のことだろう。オレみたいにうだつの上がらない奴をずっと想い続けてきてくれた舞。その想いがどれだけ重いか、いくらオレでもわかる。
 だから、オレはそんな舞の想いに応えなければならない。
「舞」
 オレは舞の頬に手を伸ばした。
「かずくん……」
 そして、そのままキスをする。
 もう何度キスをしただろうか。一日に何度もキスをしている。
 何度してもし足りないくらいだ。
 オレは、キス直後の舞の表情が好きだ。
 少しうつむきがちで少し頬を染め少し照れている表情が。
 それが見たいから、キスをする。
「よっと」
 名残は尽きないが、オレは起きあがった。
「……舞」
「ん、なぁに?」
「なんか、ほしいものとかあるか?」
「別に、これといってないけど。それが?」
「いや、なんとなく。ないならいいんだ」
「かずくん?」
「うん、なんでもない。ほら、そろそろ戻らないと」
 オレはそう言って立ち上がった。
 そして、自然な動作で舞に手を差し出した。
 その手を舞は、嬉しそうに取った。
 
 気持ちが充実していると、なんでも実によくこなせた。それは勉強もだし、日々の生活もだった。
 メリハリというのだろうか、そういうのがある。
 こんなことならもっと早く舞に告白していればよかった。本当にそう思う。だが、あの場で言うことに意味があったと、オレは今でも思っている。
 陳腐な言い方をすれば、運命というやつだ。
 あれ以外のタイミングではダメだと思う。
 そのタイミングを見つけ出し、それをちゃんと活かせた。それで十分だ。
 オレは、本当に舞のことが好きだし、ずっと一緒にいたいと思う。ちょっとオレには過ぎた彼女だけど、それでも最高の彼女だと公言できる。
 本当に、オレも変わった。
 
 最近はよくお互いの部屋にいることが多い。別にどちらが、というわけではない。舞がオレの部屋に来ることもあるし、オレが舞の部屋に行くこともある。
 ただ、舞の部屋に行く時は舞の弟、俊にいろいろ言われるが。まあ、俊はまだ小学生だから、所詮はガキの戯言だが。
 そして、今日は舞がオレの部屋に来ていた。
 部屋でも別になにをするでもない。ただ一緒にいるだけ。肩を並べ、時折思い出したようにキスをする。それだけ。
 こんな様を見たらたいていの連中は、色ぼけとか言うだろう。まさにそうだから反論もできないが、それが今のオレたちには一番大事なことだった。
「……ねえ、かずくん」
「ん?」
「かずくんも男の子だから、やっぱり、その、したい、かな?」
「したいって、なにをだ?」
「その、エッチな、こと……」
 いつかは言われると思っていた。
 舞は、人一倍人のことを気にするタイプだから。きっと、友達にいろいろ聞いて、それで気にかけているのだろう。
 確かに、舞はスタイルもいいから、抱きたいと思う。
 だが、今はまだその時期じゃないような気もする。
「もしかずくんがしたいなら、私は、いいよ」
 そう言って舞は、薄く微笑んだ。
「気にしすぎだ、おまえは」
 今度は、オレがそう言って舞を抱きしめた。
「別にオレは、おまえを抱きたいからってつきあったわけじゃないんだから。そりゃ、抱きたいとは思う。おまえは、すこぶるつきのいい女だからな。だけど、今はまだ、いい。もう少し機が熟したら、おまえを完全にオレのものにするから」
「うん……」
「ただ、いつ辛抱できなくなるかは、わからないけどな」
 これは、あまりにも素晴らしすぎる彼女を持ったサガなのだろうか。だけど、それを乗り越えないと、オレは単なるスケベ野郎になってしまう。それだけは、絶対にごめん被りたい。
「……今日は、ずっとこのままでいたいな……」
「なら、そうすればいい」
「うん……」
 そしてオレたちは、飽きるまで抱き合っていた。
 
 少しだけ時間が流れた。
 オレたちの関係はますます強くなっていた。
 ただ、最近思うようになった。今の関係は単なる依存にすぎないんじゃないかと。それは、お互いにとって良い関係なのかと。
 それを表すように、最近、舞の成績が落ちている。もちろん、大幅に落ちているわけではない。全体的に数点ずつ落ちている程度だが。それが誤差だと言ってしまえばそれまでだが、オレは少なくともそうは思っていない。
 オレの方は相変わらずだから、今更どうこう言うこともない。
 授業中でも、時折舞の視線を感じるようになった。授業に集中できていない。
 オレは、なにか早急に手を打たねば、きっと後悔する。
 
「なあ、舞」
「ん?」
「おまえ、最近勉強してるか?」
「えっ、うん、してるけど。それが?」
「いや、なんとなく……」
 オレは、そう言って視線をそらした。
 舞の言ってることはウソじゃないと思う。実際しっかり勉強してるだろう。成績が落ちたといっても、未だに学年一桁にいるのだから。
 だが、それでいいのか、オレにはわからない。オレのせいでダメになるのだけは、避けなければならない。
「なあ、舞。オレたち、これでいいと思うか?」
「……どういうこと?」
 途端に不安げな表情に変わる。
「オレたちの今の関係って、恋人同士というよりも、単にお互いに依存してるだけじゃないか? そりゃ、その一端をオレも担ってるわけだから、どうこう言えた義理じゃないけどな。ただ、そういう関係を続けていてもいいのか、正直わからん」
「……かずくんは、どうしたらいいと思うの?」
「少し、間を置いてみないか? お互いを頼らずに、もう一度お互いのことを考え直してみるんだ。そうすれば、今の状況が単なる依存か、それともちゃんとした恋人同士の関係だったか、わかると思う」
 きっと、それは直接言うべきセリフじゃなかった。だが、オレは不器用だから、オブラードに包んで話すことなんて、できない。
 舞は、うつむき、唇をかみしめた。
 そして、パッと顔を上げた。
「うん、わかったよ。少し、間を開けてみよう」
 オレは、なにも言えなかった。
 
 それからのオレたちは、どういう風に映っていただろうか。
 少なくともオレは、平静でいられなかった。
 舞が隣にいること、触れられること、それが当たり前になりすぎていた。だから、いないことが不自然で、いつもなにかにいらついていた。
 だが、それはとりもなおさず、オレが舞にかなり依存していた証拠でもあった。
 オレたちは、極力一緒に行動しなくなった。もちろんあからさまに行動することはない。それはまわりを巻き込んでしまう可能性もあったからだ。それはみっともないし、したくなかった。
 ただ、うちの親はその変化に気づいていた。オヤジはあまり言わないけど、母さんはいろいろ言ってきた。もちろん直接的ではないが。
 舞は、見た目はあまり変わっていなかった。それはもちろん見た目でしかない。時折見せるせつなげな眼差しを、オレは何度も見ていた。
 だからオレは思った。
 オレも舞も、お互いがいなければダメなんだ、と。
 
 距離を置くようになって、二週間が過ぎた。
 その日、舞は学校を休んだ。別に休むのがはじめてじゃないから、それ自体はどうということもなかった。
 だが、舞は次の日も休んだ。担任の話では、風邪ということだったが。
 確かに風邪はこじらせるとやっかいではある。だから、何日も休むことだってあるだろう。
 そう、それだけのはずだった。それが当たり前の感覚だった。
 だが、オレにはそれだけではすまなかった。
 三日連続で休むに至り、オレは直接森沢家へ出向いた。
 放課後、久しぶりに玄関の方から呼び鈴を鳴らした。そういえば、ここから入るのは本当に久しぶりだ。
 少し間をおいて、小母さんが出てきた。
「あら、和史くん。どうしたの、こっちから?」
「なんとなく、です。あの、舞は、大丈夫なんですか?」
「まあ、ちょっと熱が出ちゃったから休ませたんだけど、今はもう熱も下がってるのよ。よかったら、お見舞いしてくれる?」
「はい」
 オレは、そう言って上がった。
 小母さんが先に立ち、二階の舞の部屋へ。
「舞〜、和史くんがお見舞いに来てくれたわよ」
 ドアのところで中に声をかけるが、反応はない。
「寝てるのかしら?」
 小母さんはそう言ってドアを開けた。
「あら、寝てるのね」
 舞は、静かな寝息を立て、眠っていた。
「さっきまでは起きていたのに」
「あの、少しここにいてもいいですか?」
「ええ、いいわよ。じゃあ、私は下にいるから。なにかったら声、かけてね」
 そう言って小母さんは部屋を出て行った。
 それを見届け、オレはベッドの側に膝立ちになる。
 熱のせいか、舞の顔は少し赤かった。髪も乱れている。おそらく、風呂にも入れていないのだろう。
「舞……」
 オレは、乱れた前髪を軽く整えてやる。
 風邪で少しやつれているはずなのに、舞の可愛さ、綺麗さは衰えることはなかった。
 布団の中に手を入れ、舞の手を探り出す。すぐにそれは見つかり、オレは、手を握った。
 手も、少し熱っぽかった。オレの少し冷たい手が、舞の熱で温かくなっていく。
「舞……」
 そう何度呟いただろうか。本当なら、気の利いた言葉でもかけられればいいのだろうが、あいにくとオレにはそんな言葉はなかった。
「……ん……」
 どれだけそうしていただろうか。
 気づくと、舞が目を覚ましていた。
「……大丈夫か?」
「……うん、大丈夫だよ」
 そう言って舞は、薄く微笑んだ。
「来て、くれたんだね」
「ああ、三日も休むからな。さすがに心配になった」
「お母さんがおおげさにするから」
「でも、少しつらそうだぞ」
「……本当はね」
 オレは、また舞の髪を撫でた。洗っていないせいか、いつもみたいな手触りではない。
「……ごめんね、髪、洗ってないから」
「いや、気にするな。少しくらい洗ってなくても、そう変わらないだろう、おまえなら」
「でも、かずくんには、一番の姿を見てほしいし……」
 舞は、髪を撫でていたオレの手を、自分の頬に近づけた。
「……私ね、いろいろ考えたの。かずくんの言ったこと。確かに、私、ずっとかずくんのことだけ考えてた。そして、それが必要以上の依存だって気づいたの。でもね、だからってどうしたらいいかなんて、わからなかった。だって、私はかずくんのことが、大好きなんだよ? その気持ちにウソをつくなんて、できない……」
「……それは、オレも同じだよ。オレだって、舞のことばかり考えてきた。自分から言い出したのにな。だからもう、考えるのはやめる。オレは、森沢舞のことが好き。それでいいんだ」
「かずくん……」
 オレは、自然に、舞にキスをした。
「風邪、移っちゃうよ……」
「いいんだよ……」
 そして、もう一度キスをした。
「もう、離さないからな……」
「うん、もう、離さないで……」
 
「か〜ず〜く〜ん♪」
 オレが放課後の廊下でボーっとしていたら、いつの間にか舞が隣にいた。妙にニコニコと嬉しそうだ。まあ、あの風邪の日からだいたいこんな感じだけど。
「なにしてるの?」
「いや、なんとなく外を眺めてた。それより、もう用事は済んだのか?」
「うん、終わったよ。だから、帰ろ」
 そう言って舞はオレの腕を取った。
 こうして腕を組んで歩くのも、もう当たり前になった。今でも少し恥ずかしいが、それをしている間は、舞をすぐ側に感じられるから、それはそれで好きだった。
 校舎を出て、駐輪場に向かい、自転車を出す。
「どこか寄っていくのか?」
「えっと、そうだねぇ……」
 舞はおとがいに指を当て、考えている。
「そうだ。行きたいところがあるんだけど、いいかな?」
「どこだ?」
「えっとね、いいところ」
 
 オレたちは、家とは反対方向にあるこの地域の鎮守でもある神社にやってきた。
 入り口のところに自転車を止め、オレたちは境内に入った。
 神社はいつ来ても厳かな雰囲気がある。なんとなく、異空間だと感じてしまう。それは錯覚だけではないと思う。
 神聖な場所には、そういうものを裏付けるようななにかが、きっと宿るのだ。
 手水やで手を洗い、本殿前に立つ。鈴を鳴らし、お賽銭を入れる。
 二礼二拍。そこで手を合わせ、願いごとをかける。
 舞は、なにやらささやくように言っているが、よく聞き取れない。
 オレは、三つだけお願いすることにした。
 そして一礼。
「かずくんは、なにをお願いしたの?」
「さあ、なんだろうな」
「え〜、教えてくれないの?」
「じゃあ、おまえは言えるのか?」
「えっと、うん、全部はダメだけど、いくつかならいいよ」
 やはり、かなりたくさんお願いしていたらしい。
「えっとね、まず、かずくんとずっと一緒にいられますようにでしょ? かずくんがずっと私のことを好きでいてくれますようにでしょ? かずくんがもっともっと私のことを好きになってくれますようにでしょ?」
「……全部オレ絡みか?」
「うん」
 臆面もなくそう言う舞。
 まあ、ある程度は予測できたが、まさかここまでとは。
「かずくんは?」
「……ひとつは、おまえと同じだ」
「同じって、どれ?」
「一緒にいる云々」
「そっか、かずくんもお願いしてくれたんだ。じゃあ、大丈夫だね」
 舞は嬉しそうにオレの腕を取った。
「あとは?」
「……もう二度と離れなくてもいいように」
「かずくん……」
 なんか、オレの方がよっぽど恥ずかしいことをお願いしてるんじゃないか?
「最後のは秘密だ。願いごとは話すとかなわないって言うからな」
「じゃあ、私も一番大事な願いごとは秘密だよ」
 そう言ってオレたちは笑った。
 たぶん、オレの想像が間違ってなければ、その最後の願いごとはふたりとも同じだと思う。
 そして、それをそこで言わなかったのだから、きっとかなうだろう。
 
 その日、オレと舞は、少し遠出して遊園地に来ていた。別にオレが来たかったわけではない。ただ、うちの親がその遊園地の招待券なんぞをもらってきたから、こうして来ただけだ。
 舞は何日も前からその日を楽しみにしていた。あれに乗るんだこれに乗るんだ、そればかりだった。
 その日は休日ということで、それなりに混んでいた。
 オレたちは、というより、オレは、舞の立てた完璧なスケジュールに従い、アトラクションに並んだ。
 あれもこれもと詰め込んだスケジュールだったが、それは思いの外順調に消化されていった。
 途中、昼食に舞の手製弁当を食べた。まあ、舞はなんでもそつなくこなすから、当然のことながら料理もかなりできる。それは以前から知っていたが、最近は特にその腕を上げていた。気合いが違う。
 そんなこともあり、オレは非常に旨い弁当を食べた。
 午後もやはりスケジュールは順調に消化された。
 そして、夕方。それはそういう場所に来た場合の定番だと思う。
 それはオレでも思うくらいだから、舞ならもう当然だと思っていることだろう。
 オレたちは、観覧車に乗っていた。
「綺麗だね……」
 観覧車の窓から見える夕陽は、舞じゃないが、とても綺麗だった。
 しかし、オレにはそれ以上に見とれてしまうものがあった。
「舞」
「ん、どうしたの?」
「綺麗だ」
「えっ……?」
 一瞬、なにを言われたかわからない、そんな顔を見せた。
「……それって、どっちのこと?」
 舞は、少しうつむき加減に、そう訊ねてきた。
「おまえのことだよ」
「かずくん……」
 狭いゴンドラの中、舞を抱き寄せ、キスをした。
「……かずくんに、お願いがあるの」
「お願い?」
「うん。とっても大事なお願い」
 
 月明かりが、部屋の中に降り注ぐ。
 舞は、潤んだ瞳でオレを見つめている。
 オレは、なにも言わず、キスをした。そして、そのままベッドに押し倒した。
 
 あの遊園地での一件は、さらなる関係の進展をもたらすことになった。とはいえ、それがすぐにかなったわけではない。
 それは微妙なタイミングで、それがかなうまでに、二週間もかかった。
 そして、それが今、である。
 ここはオレの部屋。今日はオヤジと母さんは、泊まりがけで親戚の家に行っている。オレは学校があるという理由から、家に残ったが。
 もちろん、そこにはもうひとつの理由もあった。それが、今の状況である。
 あの日、舞はオレにこう言った。
「かずくんだけのものになりたいから、私を、抱いて」
 オレは、それにすぐには応えられなかった。だが、自分の気持ちにウソはつけず、結局ゴンドラの中でそれを認めた。
 本当ならすぐにでも、という感じだったのだが、あいにくとその機会はすぐには訪れなかった。
 もっとも、ラブホテルみたいなところへ行けばそれもかなったのだろうが、そんな金は持ち合わせていなかった。
 そして、待って待って今日があった。
 
 オレは、キスをしながら、胸に手を当てた。
「ん……」
 見た目以上にボリュームのある双丘は、オレの手に収まりきらなかった。
 あまり力を入れず、揉み続ける。舞は、すごく敏感だった。服越しにも関わらず、かなり敏感に反応し、甘い吐息が漏れている。それだけでオレの感覚は麻痺しそうだった。
 オレは、なにも言わずにブラウスのボタンを外しにかかった。薄暗い中、しかも緊張しているせいで、それもなかなかおぼつかない。
 それでも舞は、なにも言わず、オレにすべてを任せている。
 そして、少ししてからボタンを外し終わり、舞の真っ白なブラジャーと、その白にも負けないくらい透き通った素肌が見えた。
 オレは、一瞬どうするか迷ったが、結局、そのままブラジャーも外してしまうことにした。
 しかし、生まれてこの方ブラジャーなど外したことはない。だから、どうやってしたらいいかもわからない。
 とまどっていると、舞が微笑を浮かべ、教えてくれた。
「ホックは、後ろだよ」
 背中を少し浮かせ、外しやすいようにしてくれる。オレは、少し震える手で、なんとかホックを外した。これで少しずらすだけで舞の胸が、直接目に入る。
 ガキの頃、何度か一緒に風呂にも入ったが、その頃は男も女もない。
 しかし、今は違う。舞は、成熟一歩手前の紛れもない女性の体をしている。さっきからずっと、オレのは反応したままだ。
「……かずくん?」
 手が止まってしまったオレに、舞はためらいがちに声をかけた。
 オレは、軽く頭を振って、余計な想いを排除した。
 今は、舞に、舞のために、自分の想いをぶつけるだけである。
 オレは、ブラジャーをたくし上げ、直接その胸に触れた。
「……んぁ……」
 舞から、声が漏れた。
 肌は、吸い付くようにきめが細かく、触れていてとても気持ちが良かった。
 さらに胸は、とても弾力があり、だけど硬くもなく、柔らかすぎもせず。これが女性の、いや、女の体なんだと思った。
 少しの間、両手で胸をもてあそんでいると、その先端の突起が、ぷっくりと勃ってきた。
「……ん、はぁ、はぁ、かずくん、せつないよぉ……」
 長いまつげが、ひくひく動いている。
 せつなげな表情は、見ているだけでわかる。
 オレは、さらに次のステップへと進むことにした。
 プリーツスカートをめくる。
 ブラジャーとおそろいの真っ白なショーツが目に飛び込んできた。
 舞は、一瞬足を閉じようとしたが、なんとかそれをやめた。
 オレは、指をその少しふくらんだ部分に沿わせた。
「あん……」
 途端に、さっきまでとは比べものにならないくらい、敏感な反応があった。
 同時に、指にわずかな湿り気を感じた。
「……かずくん、全部、脱がせてほしい……」
 舞も、自分の体の異変を感じ取り、先にそう言った。
 オレは小さく頷き、残っていた服を全部脱がせた。ショーツだけは少しだけ抵抗したけど、あとはスムーズだった。
 そして、舞は、生まれたままの姿を、オレの前にさらけ出した。
 その姿を言葉で表するのは、あまりにも無粋だと思う。
 綺麗とか、美しいとか、そんな言葉では表せない。
 オレは、息をのんだ。
「……かずくんのためだけに、綺麗になりたかったの。私の全部は、かずくんだけのものだよ」
 舞は、そう言って微笑んだ。
「もう少しだけ、待ってくれ」
 オレは、そう言い置いて、舞自身に手を伸ばした。
 薄い恥毛に覆われたそこは、わずかに開き、さっきの湿り気の原因が見てとれた。
 秘唇に沿って指をはわせる。
「はぁ……ん……」
 じわっと中から蜜があふれてくる。
 それは舞が感じてくれている証拠で、オレは、それだけでも嬉しかった。
 オレでも、舞を感じさせることができている。
 それが、嬉しかった。
 あとは、おぼろげな知識だけで舞自身をもてあそぶ。そうしないと、あとがつらい。
 そして、オレの指が蜜ですっかり濡れてしまった頃。
「舞……」
「うん……」
 オレは、着ていた服を全部脱いだ。
 オレのものは、さっきからずっと痛いくらいに反応していた。
 それを、舞自身にあてがう。少し腰を沈め、それを挿れようとしたが、うまくいかなかった。
 何度か挑戦しても、ダメだった。気ばかりが焦る。
 と、舞が、オレのものに手を添え、舞自身へと誘った。
「焦らないで、かずくん……私は、ここにいるから……」
 そして、オレは一気に腰を落とした。
「……ひぐっ……」
 舞から、悲痛な声が上がった。
 だが、オレは止めなかった。それは、舞との約束でもあったからだ。
 どんなに痛がっても、絶対に途中でやめない。
 だから、オレは最後まで貫いた。
「……ん、はぁ、はぁ……」
 舞の中は、とても狭く、だからこそ気持ちがよかった。
 気を抜けば、すぐにでも出してしまいそうだった。
「……かずくんを、私の中に感じるよ……」
 舞は、涙を浮かべながら、だが、笑顔でそう言った。
「好き……大好き、愛してる……」
 オレは、もう一度キスをした。
 
 オレは、なるべく舞に負担がかからないように腰を引いた。
「ん、っく……」
 まだ、舞には苦痛の色が濃い。
 だが、オレは今にも出してしまいそうなほどだ。
 気持ちを落ち着けながら、オレはもう一度腰を落とした。
 それを何回か繰り返していると、次第に舞の中に潤滑油があふれてきた。
 それと同時に舞から苦痛の色が薄れてくる。ただ、それはまだまだ微妙なもの。
 オレの方は、そろそろ限界だった。
「くっ、舞っ……」
「い、いいよ、出しても」
 舞は、つらい中でもオレに笑顔を見せてくれた。
 そして、すぐにオレは限界を迎えた。
 白濁液が、舞の下腹部に飛び散った。
「はあ……はあ……」
「はぁ……はぁ……」
 オレたちは、荒い息のまま、キスを交わす。
「大好きだよ、かずくん……」
 
 落ち着いたところで、簡単に後始末を済ませた。
 オレのものには、破瓜の印が残っていた。
 なにを言っていいのかわからない中、オレたちは黙々と進めた。
 そして、それも全部終わった。
「ねえ、かずくん」
「……ん?」
「今日は、このまま一緒に寝てもいいよね?」
「ああ」
 結局、オレたちは裸のままベッドに横になった。
 腕枕をしてやると、舞は嬉しそうにオレに寄ってきた。
「これで、私は身も心もかずくんのものだね」
「……あんまりそういう言い方するなよ」
「どうして?」
「なんか、安っぽくてイヤだ」
「ふふっ、そうなの?」
 別に、こだわりがあるわけではない。ただなんとなく、イヤだと思った。
「……私たち、このままずっと一緒にいられるのかな?」
「ん、なんでだ?」
「なんとなく。こんなに幸せだと、あとは不幸しか来ないんじゃないかって」
「ったく、おまえはいつもそうだな」
「……そうかな?」
「もう少し前向きに考えろ。それともなにか? これで終わってもいいのか?」
「ううん、イヤだよ、そんなの」
「だったら、それでいいじゃないか。無理に後ろ向きなことを考えるな」
「うん、そうだね」
 舞は、小さく頷き、オレの胸にその顔を埋めた。
 そのまま、しばらくなにも話さない。
 静かに、時が流れていく。
「……ずっと、夢だったんだ」
「ん?」
「こうやって、大好きな人の胸に抱かれて眠るのが」
「…………」
「もちろん、私の大好きな人は、昔からかずくんだけだよ」
 オレは、黙って舞の話を聞くことにした。
「私にはね、いくつも夢があるの。そのいくつかがこの一ヶ月くらいでかなっちゃったけどね。だからかな、さっきみたいに思ったのは。おかしいよね、本当は。もっともっと楽しいことだってあるはずなのに、それを見ない、しないうちから後ろ向きになっちゃって。それに、大事な夢がまだ、かなってないから」
「大事な夢?」
「うん……」
 そこで舞は一息ついた。
「大好きな人の、お嫁さんになること」
 それは、きっと聞かなくてもわかっていたことだと思う。舞なら、そう願うはずだと、オレは、心のどこかでそう思っていた。
「子供っぽいって思うかもしれないけど、それが、私の本当に昔から変わらない、一番大事な夢だから」
「……いや、そんなことない。そう思うこと、思い続けることは大事だとオレも思う」
「かずくん……」
「いつかきっと、その夢をかなえてやるから」
「うん……楽しみに待ってるよ……」
 そして、オレたちはキスをした。
 その日は、とても穏やかに眠ることができた。
 
 それからまた少しの時間が流れた。
 季節は、秋から冬へと移った。
 その頃にはオレたちは、もう何年来の恋人のように、本当になんでもわかりあえる仲になっていた。
 あれからも何度か舞を抱いた。最初はオレだけだったが、そのうち舞もそれを楽しめるようになってきた。
 ただ、オレたちは必要以上にそれをすることはなかった。
 別にしたくないわけではない。むしろ、ずっとそうしていたいくらいだ。ただ、それはそういう関係だけではないと思った。
 体の結びつきも大切だが、やはり心の結びつきが一番大切だ。
 なにより、オレは舞を大事にしてやりたかった。ずっとオレのことだけを想ってくれていた舞を。
 その舞に応えるには、オレはあまりにも無力すぎた。だから、オレは自分にできるあらゆることで舞に応えてやりたかった。
 それを舞に言うと、必ずこう言ってくる。
「かずくんは、優しいね」
 オレは、自分が優しいとは思ってない。ただ、舞にだけならそう思われてもいいと思った。
 別に偏見があるわけではない。ただ、そう思った。
 オレたちの関係は、恋人同士という以外の部分もすべて包み隠さずオレたちの親に話した。
 最初は驚いていたが、オレたちの真剣さを感じ取ってか、なにも言わないでくれた。
 うちの親は、絶対に泣かせるなと言った。
 舞の親は、舞をよろしくと言った。
 それだけで、本当に十分だった。
 理解してくれている、それが大事だった。
 だからこそオレは……
 
 その日は、誕生日やバレンタインと並んで、恋人たちにとって大切な日だ。
 そう、聖クリスマス。
 オレは、その日を前に、ある決心をしていた。そのためにうちの親に頭を下げた。オヤジも母さんも、なにも言わなかった。
 それが、一番嬉しかった。
 舞のために、ひいてはオレたちのために。
 
 街はクリスマスムード一色だった。
 クリスマスツリーやモールが街を飾り、あちこちからクリスマスソングが流れてくる。
 オレは、舞にもらった手編みのマフラーを巻き直した。
 これから、待ち合わせの場所へ向かう。
「……よしっ」
 オレは、景気づけに頬を叩き、歩き出した。
 
 待ち合わせに選んだのは、この近辺で一番大きなクリスマスツリーが設置されている商店街の一角だった。
 似たようなことを考えているのは結構多く、ツリーの前にはそれなりの数のカップルがいた。
 オレは舞を探したが、とりあえずまだ来ていなかった。
 もちろんまだ待ち合わせまで時間があるからいいのだが。
 コートのポケットに手を突っ込み、オレは肩をすくめた。
 晴れているせいか、この時間になってかなり気温が下がっていた。
 吐く息も白くなる。
 思えば、舞とふたりだけでクリスマスをするのははじめてだ。毎年クリスマスだけはしているが、そこには親とか友人連中がいた。
 それを考えると、オレは本当に舞のためになんにもしてこなかったことを思い知る。これから先、それを返すのにどれくらいかかるのだろうか。
 そんなことを考えているうちに、舞がやってきた。
「メリークリスマス、かずくん」
 舞は、クリーム色のコートにオレとそろいのマフラーという出で立ちだった。
「こうしてふたりきりでクリスマスを過ごすの、はじめてだよね」
「ああ、そうだな」
「今年は、それだけで最高のクリスマスだよ」
 そう言って舞は微笑んだ。
「舞」
「ん、なぁに?」
「おまえに、プレゼントがあるんだ」
「プレゼント?」
「ああ」
 オレは、ポケットに入れていた小さなプレゼントを取り出した。
 それは、手のひらにすっぽりと収まるくらいの大きさだった。
「……開けてもいいかな?」
「ああ」
 舞は、丁寧に箱を開けていく。
「あ……」
 と、舞の手が止まった。
「かず、くん、これは……」
 オレはなにも言わず、その小さな箱を手にした。そして、最後の蓋を開ける。
 そこには、イルミネーションの明かりに輝く銀色のリングが入っていた。
「これが、オレの気持ちのすべてだ」
 そう言ってオレは、舞の左手を取った。
 その薬指にリングを──
「あれ?」
 リングは、少しだけ大きかった。やはり、サイズも測らずに買ったのは失敗だったかもしれない。
「ほら、大丈夫だよ」
 舞は、ゆるゆるのリングをそのままに、オレに微笑みかけた。
「かずくん、いいの? こんなのもらっても」
「ああ。これで正真正銘、舞と一緒にいられるからな」
「ふふっ、心配性だね。でも、嬉しいな」
「今度買う時は、しっかりサイズを合わせたのを買ってやるから」
「ううん、その気持ちだけで十分だよ」
「舞……」
 オレは、舞にキスをした。
 まわりに人がいようと関係なかった。
 今はただ、そうしたかった。
「じゃあ、行くか?」
「うん」
 オレたちは、クリスマスの街中を手をつなぎ、歩いた。
 本当に、最高のクリスマスだと思った。
 なんといっても、傍らには舞が、オレの一番大事な舞がいるのだから。
 メリークリスマス、舞……
 
 年が明けた。
 春からはオレたちもいよいよ受験生となる。
 だが、それまではできるだけそのことは考えたくなかった。
 今考えるべきことは、オレと、そして、舞のことだけで十分だった。
 
「ねえねえ、かずくん」
「ん?」
「今日は、ずっと一緒にいられるんだよね?」
「ああ」
「あはっ、よかった。最近はいろいろあったから、ちょっとだけ淋しかったんだ」
「それは悪かったな」
「ううん、いいの。今、こうして一緒にいられるんだから。それだけで十分」
「安上がりだな」
「いいでしょ、安上がりな彼女で」
「ああ、そうだな。これ以上ないくらい、最高の彼女だよ」
 
 この笑顔を守るため、オレは──
 
 春が来た。
 町中、桜の花が咲いている。
 卒業式、入学式……
 出会いと別れ……
 そんな光景があちらこちらで見られる。
 
 オレたちは、相変わらずの生活を送っていた。
 舞は、変わらずオレに尽くしてくれる。
 オレもそんな舞に応えたくて、柄にもないことばかりしている。
 まあ、そんなこともあって、オレたちにはなんの問題もなかった。
「ん〜……」
「どうした?」
「あ、うん、たいしたことじゃないんだけどね」
「たいしたことじゃなくても、なにかあるんだろ?」
「あのね、私たちって、ずっとこのままでいいのかなって」
「またそれか?」
「だって、やっぱり気になるよ」
 舞は、たまにそんなことを言う。
 その度にオレは気にするなと言うのだが。
「気にしてもしょうがないだろ?」
「それはそうなんだけどね。それでも、やっぱり不安になるよ。かずくんは優しいから、いつも私に気にするなって言うけど」
「なら、どうなればいいんだ?」
「それは……わからないけど」
「だったら、やっぱり気にするな」
 そう言ってオレは舞を抱きしめた。
「オレたちが、いや、オレがおまえを離すことはないんだから。そのためのそれだろ?」
「うん、そうだね」
 舞は、左手の薬指にはまった指輪を見た。
 その指輪はオレがクリスマスに贈った指輪ではない。あれはさすがにサイズが違いすぎたから、あのあとちゃんとしたのを別に贈ったのだ。
 ただ、舞は前のもちゃんと持っている。
「かずくんがくれたものは、全部私の宝物だから」
 そういう理屈だそうだ。
「ねえ、かずくん」
「ん?」
「ふたりで、なにかしてみようか?」
「なにかって、なんだ?」
「なんでもいいの。ただ、ふたりで夢中になれること。ふたりで同じ夢を追いかけるってのもいいと思うし」
「……なるほどな」
「ね、いいアイデアでしょ?」
「まあな」
「かずくんは、どんなことがいい?」
「そうだな……」
 
 三年になると受験戦争がはじまる。
 オレも一応は進学希望だから、受験戦争とは無縁ではない。
 オレも舞も、同じ大学を狙っている。ただ、今のオレのレベルでは少々問題あり。だが、そこは優秀な彼女を持った特権である。舞は、オレに勉強を教えると言っている。それでなんとか同じ大学へ入りたいものだ。
 ただ、それはあくまでも通過点でしかない。
 オレの、本当の目標は、その先にある。
 そこまでの道は長く険しい。だが、その日を夢見て、オレは、努力するだろう。
 それは、ひいては舞のためにもなるんだから。
 
「かずくん」
「ん?」
「綺麗だね」
「ああ」
 桜並木の下を、肩を並べて歩く。
「花の命は短い、か」
「短いけど、それはその短い一瞬にすべてを注いでいるからだろ」
「うん、そうだね」
「人間の一生だって、地球や宇宙のそれに比べたら一瞬だろ」
「だからこそ、その一瞬にすべてを注ぐんだね」
「ああ」
 はらはらと花びらが舞う。
「オレのすべては、舞のために」
「かずくん……」
 舞は、オレの手を取った。
「私も、だよ……」
 そして、手をつなぎ、歩き出す。
 
 その先になにがあるかはわからない。
 だが、オレは、隣に舞がいる限り、迷うことはない。
 そう、決めたのだから。
 
 出会えたことに、感謝……
 一緒にいられることに、感謝……
 
 本当に、ありがとう……
 
                                    FIN
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